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2019年8月12日 投稿
『加藤静一教授退職記念誌 (信州大学医学部眼科学教室卓風会): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ』へ
是非とも読んでみたい。信州大学と埼玉医科大学の図書館にしか所蔵がないようである。大叔父が退職した時、私は小学2年生。甥の父も三十代で、張り切って銀行業。父方の従姉妹達とも、よく遊んでいた。今や遠い昔。
(2025年4月2日転載終)
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昨晩、PD患者会の遺族役員の方と久しぶりに1時間程お電話で話した。電話中は楽しく会話が弾んだが、その後、さまざまなことが連想的に思い出されて、何だか腹立たしかった。
要点だけをここに記す。
1.PD患者会が定期発行している冊子に麗々しく掲げている「患者権利宣言」
同じ宣言は、大抵の病院にも掲げられているが、本来は、患者の義務と権利の両方が提示されるべきだ。なぜならば、昨今では、所謂「カスハラ」と呼ばれる、医師や看護師やメディカルスタッフに対する患者と家族側からの理不尽な暴言や暴力行為が蔓延してきたからである。医師の「働き方改革」は、そのような要求に応え切れずに疲労困憊してしまった医療スタッフを救済する措置でもあるだろう。
一般には「真面目な人が多い」と言われているPD患者であるが、「患者権利宣言」の影響なのか、「先生はわかっていない、わかっていない」等と、勝ち誇った顔をして文句を垂れる様子がPD患者会では目立つ。きついようだが、私は言葉を返したい。「それでは、あなた方はどのぐらい、医師のことを理解しようとされたのですか?」
2.医学者による医療講演会
PD患者会では、1990年代末頃までは、理学療法士さんやクリニックの有志医師等が簡単な体操や食事の工夫等を教示することが中心だった。ところが、いつの間にか、相当のレベルの医療講演会が患者会で開催されるようになった。大抵、大学病院の医師を講師として、論文データの引用を含めたスライドを大量に用いて、手際よく講演がなされる。
質疑応答の時、公益を踏まえた質問や、講演内容の項目に対する事実確認になるならともかく、PD患者の中には、いきなり立ち上がって、「今日のお話、とてもよくわかりました!」と発言する人がいる。
私など恥ずかしくて、とてもそんなことを人前で言えない。本来、データや論文情報を自分で確認しなければ、何も言えないはずだ。患者向けのスライド作りの手間暇を考えると、(そう簡単にわかってくれるな)と言いたくもなる。だが、PD患者はプライドが高く、自分が抱えるさまざまな症状の苦痛から、逆に人前では見栄を張るのか、大上段に構えた発言が目立つ。
3.患者会での医療相談
フロアでの自由質問の場合と、個別相談とにわかれるが、PD患者は、「診断を受けて何年、今服用している薬は何か、困っている症状は何か」をダラダラと訴えることが多い。その場合、きちんとした物的証拠を持参の上で質問するか、箇条書きにメモを用意してくるならともかく、案外に間違った情報を頑なに人前で滔々と展開したりする態度が目立つ。
医師の方は手慣れたもので、(またPD患者さんが言うとるわ)みたいに受け流しつつ、「それは違うんじゃないですか?」「あなた、何かと間違えていませんか?」と繰り返し訂正を促すのだが、患者本人は「いえ、そうではありません」と頑固に自説を主張してやまない。
4.大阪府支部
これまで私は幾つかの提案をしてみたが、全て却下されている。
(1)「腸脳相関」記事の掲載(愛知県支部のPD患者会が掲載していたので)についても、「(名古屋)大学の先生の言うことは当てにならない」と、すげなく拒否。
(2)運動症状に伴うさまざまな自律神経症状のみではなく、精神症状(思考緩慢・視野狭窄・思考の偏り・時間認識のずれ等)について相談したいと申し出ても、現役患者を優先する理由なのか、何も応答のないままに無視。
(3)東京本部のように、幾つかの他県の支部も国会図書館に定期刊行物を納入して保存し、閲覧可能な状態にしている。せっかく一生懸命作っている冊子なのだから、大阪府支部もそのようにしてはどうか、という提案を昨年末に文書で申し出たが、昨晩、問い合わせるまで無言のままだった。
【2025年4月3日追記】
上述の詳細は、以下の過去ブログとも重複している。
2023年7月21日「公明党と難病患者会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5370&action)
2024年11月4日「PDの「腸の疾患」説」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9051&action)
2024年11月21日「指定難病(特定疾患)と税金」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9289&action)
2025年2月21日「医療と健康の話題集め」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9901&action)
【2025年4月3日追記終】
5.PD患者にまつわる精神症状の理解不足
「患者中心の医療(Patient-centered medicine)」という流行語があるが、私に言わせれば、患者と一緒に暮らしている家族にも充分に目を向け、家族全体として治療対象にすべきである。2022年4月からの放送大学大学院でのZOOMゼミでも、2023年12月に提出した修論でも、私が強調してきたように、「家族は第二の患者」である、というコンセプトを、ガン患者のみならず、神経学にも導入すべきであろう。
PD患者の精神症状の場合、うつ症状や薬剤の副作用に伴う幻視や幻覚と衝動制御障害が知られているが、4.(2)で書いたような領域に対する研究や周知理解が、日本では非常に遅れていると、私は思う。
しかしながら、2003年頃までの古い医学論文(学会向けや専門ジャーナルに掲載されていたもの)を国会図書館から複写を取り寄せて勉強してみたところ、そのような領域に対しても、細かい活字できっちりと言及がなされていた。ところが、いつの間にか、運動症状の度合いを示すヤールのみでPD患者の進行度を測る基準が定着してしまい、「リハビリでしっかり体を動かして、医師の指示通りにきちんと薬を飲み、食事や睡眠に気を付けて前向きに過ごせば、寿命を全うできます」という一般啓蒙が主流になっていった。
内村鑑三氏の御長男の内村祐之先生は、精神医学の研究者でいらしたが、「PDは、運動症状だけではないよ。もっと深い病気だよ」とお弟子さん筋に常々語っていらしたという。私も全く同感である。しかしながら、ジェームス・パーキンソンがその著書で「PDについては、知性は侵されない」と記述した一文が誇張されて広まったせいか、本来はもっと多岐にわたる精神症状や知性の問題が等閑視されてしまい、誤って「痴呆」「認知症」扱いに一括りにされてきた嫌いがある。
問題は、共に暮らしている健常者の家族の人生も、治療と共に崩壊の途を辿るという側面である。患者が薬剤治療によって延命すればするほど、看護する家族の方が人生を崩すことになるのである。患者における精神面や知性の問題を無視すると、ちょっとしたことでも家族に著しい疲労感を与え続け、時間を浪費させ、挙句の果てに体調を崩させることにもなる。その責任は、誰に問うたらよいのだろうか?
6.患者会は素人集団
「医師任せにしないで、患者自身も自分の体に起こっていることを勉強して、正確な理解を求めなければならない」と、大学病院の医師が医療講演会で繰り返し強調されている。
ところが、PD患者会での話を聞いていると、正直なところ、いつでも実にイライラさせられる。というのは、「勉強して理解する」ということを、他人の経験話を自己流に勝手に当てはめて、安易な態度に流れているからである。または、インターネット情報を鵜呑みにして、自慢げに振舞う人も目立つからである。全体的に、思考の流れに飛躍があり過ぎ、一つ一つ順序良く、詰めて考えることが苦手なようである。
また、職業上、経済的に優遇されていたように見える患者や遺族の足を引っ張ることも平気でする。例えば若年発症の場合、往々にして依頼退職を促され、経済的な問題に直面することが少なくないようである。その点、我が家は最後まで、会社が正社員の身分を確保してくださった。入転院を繰り返して、最後まで一度も勤務先に戻れなかった7ヶ月と2週間でさえ、給与のみならず、ボーナスまできっちりと支給されていた。しかし患者会では、「どうしたら、そのようにうまく運ぶのか」というヒントを学ぼうともせず、最初から「皆がお宅みたいじゃないのよぉ~」と、僻み根性、被害者意識丸出しである。「わかってくれない」と非難する甘えの態度が強い。
7.何でも薬剤の副作用にせいにする
古い医学論文を読めば、PD症状の典型には「痛み」も含まれていることは一目瞭然である。一人の医学者が書いたのではなく、あちこちに書かれている。但し、「痛み」症状が出る人と出ない人とに分かれる。(我が家はなかった。)
ところが、そういう文献による勉強や専門医に尋ねる努力もしないで、「うちは痛みなんてなかった。治療薬が複雑になったので、この頃では痛みのような副作用が出ているのではないか」と、素人考え丸出しのまま、患者会でも話を広めている場合がある。これは、大変に危険である。何のために主治医が存在するのか?
8.正直ではないPD患者
PD患者は案外に嘘つきだというのが、私の印象である。本人は、本当にそう思って発話しているのかもしれないが、正直ではなく、隠蔽したり胡麻化したりすることが多々ある。これは、いくら「共生社会」を唱導してみたところで、健常者にとっては負担でしかない。
(2025年4月2日記)(2025年4月3日追記)
………………
2025年4月3日追記:
上述の件は、お世話になったのに非難めいていて心苦しいこと限りないが、一方で、現状のままでは、もしかしたら、不満を抱きつつも黙って患者会を去って行く方がいた/いるかもしれない、と考えてのことでもある。私が間違っているならばお許しを願うものの、このような見方考え方もある、ということで御海容いただきたい。
我が家がお世話になった阪大名誉教授の佐古田三郎先生のみならず、岐阜大学の下畑享良先生も、ここ一二年の間に、「パーキンソン・パンデミック」という概念をグラフ付で紹介された。これは、数十年後にはPD患者が倍増するという恐ろしい予測を示したものである。
現状では神経内科医が不足し、将来は到底、臨床が間に合わない。そのための予防策として、患者・患者家族や一般健常者にも「正確な医学的知識と適切な医療介護整備を」普及する目的で、大学病院の医師等が、医学講演を開催するようになったのだ、と私は理解している。問題は、患者や患者家族の側に、その意図がどこまで理解されているか、ということだ。
これまでお世話になった患者会の支部長や役員さん達は、それぞれ逝去されたり、症状が進行したりして、年齢的にも世代交代の時ではある。しかし、疾病の特徴もあってか、患者会員層の考え方があまり変わろうとしていない。
私の提言は、「皆さん、ご意見ご感想をどうぞ」という公的な呼びかけに素直に応じたもののはずだが、いつでも、どこかやり取りが不透明である。そして、黙っていると、すげなく却下されてしまう。それほど突飛な提言をしたつもりもなかったのだが、恐らくは新たな試みに対する心理的な不慣れということと、患者会特有の占有意識や妙なプライドが邪魔しているのではないか、と私は睨んでいる。
佐古田先生は、経験豊富な良心的な医師でいらっしゃるのみならず、根っからの研究者気質の方でもある。2020年にいただいた私宛のお手紙には、「大阪府支部の役員さん達にも来てもらい、理解してもらいました」と綴られていた。ところが、実際に役員の一人に尋ねたところ、佐古田方式の本質を全くといっていい程理解しておらず、むしろ、「あの先生の言う通りにしたら、歩けなくなった患者が出たのよ」等と佐古田先生の悪口を言い募り、結局は無視する方針に決定された模様である。
医師とは、いくら善意で尽くしたつもりでも、常に患者に裏切られ、実に孤独で悲しい存在だ。
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ところで、「患者会の役員を務めることは、社会的名誉や社会的地位に繋がる」と考える人もいるらしい。不自由な体を抱えながら無償で面倒な事務作業もされているので、私には(よくやっていらっしゃるなぁ)としか思えず、患者会から名誉や地位の獲得というような発想が全くなかったので、一昨晩、初めて聞いて驚いた。
事の発端は、私が主人の為に入会を申し込んだ時から数えて、三人目の支部長氏の起こした問題である。
この方は、患者の配偶者ということで、名乗り出たのか何なのか、これまた不明な経過により支部長に就任されたらしい。今から15年程前のその当時、病状の進行に伴って、主人は会社の研究開発グループから外され、次の「生き甲斐」を模索していた頃だった。そして、私の方も(主人の体が何とか動いている間に)と、関西学院大学神学研究科の聴講生として半年のみ一科目を受講しに通ったり、とにかくマレーシアに関する論文を早くまとめなければ、と焦っていた頃だった。
若年性患者の場合、まだ年齢的に働き盛りなので、定年退職後の高齢者に多いとされるPD患者の集まりには、時間のペースや日常生活との兼ね合いで、ご無沙汰が通例であった。我が家も同様である。従って、大変に申し訳ないが、会費だけは納入して、送られてくる定期発行物の冊子はパラパラとめくる程度で、会合にもずっと不参加を続けていた。
振り返れば、それで正解だった。ゴタゴタに巻き込まれずに済んだからである。
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2010年頃のある日突然、患者会の当該の役員さんから電話がかかってきて、「どうしてる?ちょっと、会合に出て来てくれない?皆で話し合いたいことがあるから」とのこと。疾病の進行度を考え、(将来には何らかのお世話になるかもしれないから)と、貸しを作るつもりで、私一人、果敢に出かけて行った。
当時の私の理解では、当該支部長氏が患者会員から集めた会費をどうやら無断で着服しているらしい、ということだった。少なくとも、私の記憶違いでない限り、そのような説明であったと思う。(そんな公私混同をするなんて、支部長は進行期のPD患者ではないか。生活にそんなに困窮しているのだろうか)と、私は疑った。
当然のことながら、その時に集まった十数名の患者会員は、呼び集めた役員の説明を聞いて、金銭絡み事案から大変に立腹した。私など、「そういう込み入った話は弁護士に相談して、きちんと法的処置を取ったらいい」というようなコメントを、配られた紙に書いて提出したと覚えている。
ところが、その後の経緯が明らかにされないまま、いつの間にか支部長が新しい方に交替していた。こちらも、自分の研究絡みで大学の講演会に出席したり、そうこうするうちにアメリカから翻訳の話が舞い込んだりして、それなりに忙しく暮らしていた。主人の方は、第一線から引く形の勤務になったこともあり、単独あるいは私との国内温泉旅行で気晴らしを求めるようになっていた。
しかしながら、私にとってはずっと引っかかっていた事案ではあった。
一昨晩の電話で、ようやく思い切って尋ねてみたところ、開口一番、「当時を知る人達はだんだんいなくなった。覚えているのは二三人じゃないかしら」とのこと。要領を得ないぐだぐだ話の後、私が理解した範囲で説明をまとめると、当事者は「患者会の支部長という社会的名誉や社会的地位を求めて」(なのかどうかは不明だが)、会費をあちこちで派手に使うような支部会の方向性へと展開しようとしていたらしい。それに反対する他の役員等が2年程かけて、ようやく「支部長を追い出した」のだ、という。
結局のところ、患者会支部の役員会における内部人事にまつわる揉め事、ということのようだった。
そうすると、呼び出しを受けた私の理解(PD患者の精神症状に伴う公私混同の会費着服)と実際の状況(会合の方向性に対する意見の食い違い)は、かなり異なっていたことになる。
このようなエピソードからもうかがえるように、患者会の役員のやり方は概して素人的で不透明で、民間の通常のビジネス慣習や、大学を含めた学校運営の通念とは、かなりかけ離れている、とも言えよう。それでも、(いずれは何らかの形でお世話になるのだから)と、無理に合わせていたことが、私自身の未消化不満に繋がっていたのであろう。
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若年性神経難病患者で、衝動制御障害等の精神症状を惹起するタイプは、海外(特に米国)論文によると、「低学歴・低収入」世帯に頻発すると書かれている。従って、素直に論文記述を真に受けるタイプの臨床経験不足の若手医師等は、我が家の場合もその範疇に含まれるという先入観を抱いたまま、我々を観察し、診断を下し、そのように遇されてきたのかもしれない。
主人は、関西では誰もが知る大学および大学院を首席で卒業し、昭和60年3月に工学修士として「紫紺賞」を授与されている。そして、三菱電機株式会社に推薦入社した後は、社費で米国のマサチューセッツ工科大学に2年間留学させていただいた。一旦帰国後、次には米国ニュージャージー州へ駐在員として派遣された。イタリヤやスイスやフランス等、欧州へも度々学会出席等で出張していた。これは、私共の結婚前の話である。そして、私の方も、1990年3月に名古屋大学大学院文学研究科の修士課程を修了し、国際交流基金の派遣で、1990年4月から3年間、マレーシアのマラヤ大学で教鞭を執った。結婚前には、教授の紹介により、名古屋大学や三重大学や愛知県立大学等で非常勤講師を務めさせていただいた。
このような経歴が、果たして「低学歴」に相当するのか、日米の社会的相違から何とも言えない。確かに、二人とも博士号を目指していた時期があったものの、結婚後一年で主人が若年性PDの診断を下されて以来、二人とも人生行路は大きく歪んでしまった。いずれにせよ、結果的に「夫婦ともに修士卒レベル」であることは事実だ。
PD治療薬の副作用により衝動制御障害を発現したからといって、我々が「低学歴・低収入」扱いされる筋合いはない。だが、ひとたび欧米論文がそのまま日本語論文で引用され、その後もあちこちで無批判に引用され続けている場合、パソコン検索で情報を入手した若手医師が、その固定観念で対処してしまう可能性は大だ。すると、治療コミュニケーション上も齟齬を来してしまう。
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患者会でも、恐らくは同様のことがあるのだろう。私の接した範囲では、食事の摂り方や生活習慣など、かなりだらしがない患者も見受けられる。
例えば、自律神経症状がひどいPD患者に対して、佐古田先生が「もっと野菜を食べなさい」等と指導すると、患者は「食べてます」と言い返すそうだ。ところが、一週間、何を食べたか紙に書いて持って来させると、「食べている(はずの)野菜」が実は「トマトときゅうりだけ」であったりした、という。「そういうのはサラダであって、私の言う根菜や青菜や芋類等の野菜を食べていることにはなりません」と佐古田医師。また、PD患者には基本的に食物禁忌がないせいもあってか、朝食に菓子パンやシュークリームを食べ続けたり、お腹が空くとスナック菓子を食べて平気な人もいるという。
佐古田医師によれば、そのような生活習慣を維持してきたPD患者こそが、進行が速く、症状も重篤化するらしい。
このような話は、我が家には縁のないものであった。むしろ、主人は佐古田先生を敬愛し、亡くなる一週間前にくれた手書きの8枚びっしりの手紙にも、佐古田先生のお名前が記されていた。玄米食は主人の発案によるものであり、私も半玄米半白米ごはんで育った子供時代から、全く躊躇なく玄米食を継続してきた。主人が運動症状も比較的軽度で進行が緩やかであり、自律神経症状も何とか対処できる時期が長らく続いていたのも、恐らくは、佐古田先生の推奨された食事法に素直に従ってきたからだろうと私も思っている。
大阪大学医学部附属病院の佐古田三郎教授医師に素直に従えたのは、やはり、主人が大学院時代に阪大のレーザー研とご縁を持たせていただいていたこととも関係する。神経難病患者の場合、そのような一見些細な事柄でも、精神面では大きく影響を与えるのではないか、と私は考えてきた。
しかしながら、肝心の地元の患者会役員達が、自分の主観的な狭い好みによって勝手に選択をしてしまうと、いずれは非民主的な会合になり下がる。いや、本当は言われなければ気づかないだけなのかもしれない。また、他者から指摘されると反射的に反抗してしまいたい心理に陥るのかもしれない。
入会当初しばらくおよび最後の3年程、何かとお世話になってきた患者会に対して、大変に申し訳ないことではあるが、そのような配慮の余地があるとはいえ、難病患者と共に暮らす生活を21年以上も続けてきた結果、関わりを持つ人々の種類というのか層というのか、格段にアンマッチになってきてしまった不遇は否めない。主人も恐らくそうだったことと思うが、発病前には30秒でツーカーと通じた人々(専門職)との会話が、発病後、進行期、末期に至るまでに、徐々に10分、20分、30分と時間経過を伴うようになり、しかも相互の理解レベルや感情面で齟齬が生じていく。
これこそが、神経難病患者と共に暮らす家族の人生崩壊であり、早急に対策を練る必要性がある。患者が薬剤治療で延命することによって、患者会内部で「長生き競争」をしたり、配偶者による「介護美談」を誇示したりすることは、既に時代遅れの昭和の遺風でしかない。
今のところ、提案としては、各段階における(作業療法以上の心理面を加味した)PD患者への精神リハビリおよび家族教育の継続を考えている。現行の理学療法的な運動リハビリだけでは、PD患者特有の精神面や知的側面の歪みを是正することは困難である、と私は思う。
【参照ブログ】
2022年5月25日「阪大病院での経験談」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2752&action)
2023年8月9日「佐古田三郎先生」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5427&action)
2024年5月13日「PD友の会 in 大阪 (1)」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7449&action)
2024年10月19日「ポスター発表 in 東京 (2)」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=8872&action)
2024年11月6日「岐阜大学の下畑享良教授」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9073&action)
2024年11月17日「難病医療系の学会その後」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9190&action)
(リスト終)
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一言付け加える。
阪大病院で神経内科学の主任教授であった佐古田教授の後任でいらした望月秀樹教授は、2024年12月8日の大阪でのPD患者会合で私がお渡しした放送大学の製本修論を見て、「凄いなあ」と一言。そして、私から見ると息子にしたいような阪大医学部の若いお兄ちゃん先生二人に向かって、「この奥様は、もともと大学講師で研究者だったけれど、ご主人が若年性になったので、主婦生活を長らく送られてきた。この度、我々の論文も踏まえて学位を授与されたんだよ」と紹介してくださった。すると、お兄ちゃん先生方は、実に素直にニコニコと喜んでくださった。
実のところ、望月教授や一人のお兄ちゃん先生の論文を参考文献に提示したものの、私自身は望月教授が送ってくださった先生方の論文を踏まえて修論を書いたわけではない。むしろ、望月教授の部下に当たる阪大病院の最後の女性主治医に対して、かなり批判的な論述を呈した。
しかしながら、患者の付き添い家族として(不当に)遇せられていた2020年4月上旬までの対応と、この度、二つ目の修士号を授与された私への対応とでは、望月教授の態度が全く異なっていたことは事実である。むしろ、20年以上の年月を経て、ようやく自然に相通じるようなアカデミックな会話を先生方と交わせたことが、私は純粋に嬉しかった。
このような経緯を踏まえ、主人がいなくなってからの過去5年間は、概ねトラブル・フリーで平安と安寧の日々である。
(2025年4月3日記)