今や遠い昔

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2019年8月12日 投稿

『加藤静一教授退職記念誌 (信州大学医学部眼科学教室卓風会): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ』へ

是非とも読んでみたい。信州大学と埼玉医科大学の図書館にしか所蔵がないようである。大叔父が退職した時、私は小学2年生。甥の父も三十代で、張り切って銀行業。父方の従姉妹達とも、よく遊んでいた。今や遠い昔。

(2025年4月2日転載終)
。。。。。。。。。
昨晩、PD患者会の遺族役員の方と久しぶりに1時間程お電話で話した。電話中は楽しく会話が弾んだが、その後、さまざまなことが連想的に思い出されて、何だか腹立たしかった。

要点だけをここに記す。

1.PD患者会が定期発行している冊子に麗々しく掲げている「患者権利宣言」

同じ宣言は、大抵の病院にも掲げられているが、本来は、患者の義務と権利の両方が提示されるべきだ。なぜならば、昨今では、所謂「カスハラ」と呼ばれる、医師や看護師やメディカルスタッフに対する患者と家族側からの理不尽な暴言や暴力行為が蔓延してきたからである。医師の「働き方改革」は、そのような要求に応え切れずに疲労困憊してしまった医療スタッフを救済する措置でもあるだろう。

一般には「真面目な人が多い」と言われているPD患者であるが、「患者権利宣言」の影響なのか、「先生はわかっていない、わかっていない」等と、勝ち誇った顔をして文句を垂れる様子がPD患者会では目立つ。きついようだが、私は言葉を返したい。「それでは、あなた方はどのぐらい、医師のことを理解しようとされたのですか?」

2.医学者による医療講演会

PD患者会では、1990年代末頃までは、理学療法士さんやクリニックの有志医師等が簡単な体操や食事の工夫等を教示することが中心だった。ところが、いつの間にか、相当のレベルの医療講演会が患者会で開催されるようになった。大抵、大学病院の医師を講師として、論文データの引用を含めたスライドを大量に用いて、手際よく講演がなされる。

質疑応答の時、公益を踏まえた質問や、講演内容の項目に対する事実確認になるならともかく、PD患者の中には、いきなり立ち上がって、「今日のお話、とてもよくわかりました!」と発言する人がいる。

私など恥ずかしくて、とてもそんなことを人前で言えない。本来、データや論文情報を自分で確認しなければ、何も言えないはずだ。患者向けのスライド作りの手間暇を考えると、(そう簡単にわかってくれるな)と言いたくもなる。だが、PD患者はプライドが高く、自分が抱えるさまざまな症状の苦痛から、逆に人前では見栄を張るのか、大上段に構えた発言が目立つ。

3.患者会での医療相談

フロアでの自由質問の場合と、個別相談とにわかれるが、PD患者は、「診断を受けて何年、今服用している薬は何か、困っている症状は何か」をダラダラと訴えることが多い。その場合、きちんとした物的証拠を持参の上で質問するか、箇条書きにメモを用意してくるならともかく、案外に間違った情報を頑なに人前で滔々と展開したりする態度が目立つ。

医師の方は手慣れたもので、(またPD患者さんが言うとるわ)みたいに受け流しつつ、「それは違うんじゃないですか?」「あなた、何かと間違えていませんか?」と繰り返し訂正を促すのだが、患者本人は「いえ、そうではありません」と頑固に自説を主張してやまない。

4.大阪府支部

これまで私は幾つかの提案をしてみたが、全て却下されている。

(1)「腸脳相関」記事の掲載(愛知県支部のPD患者会が掲載していたので)についても、「(名古屋)大学の先生の言うことは当てにならない」と、すげなく拒否。

(2)運動症状に伴うさまざまな自律神経症状のみではなく、精神症状(思考緩慢・視野狭窄・思考の偏り・時間認識のずれ等)について相談したいと申し出ても、現役患者を優先する理由なのか、何も応答のないままに無視。

(3)東京本部のように、幾つかの他県の支部も国会図書館に定期刊行物を納入して保存し、閲覧可能な状態にしている。せっかく一生懸命作っている冊子なのだから、大阪府支部もそのようにしてはどうか、という提案を昨年末に文書で申し出たが、昨晩、問い合わせるまで無言のままだった。

【2025年4月3日追記】

上述の詳細は、以下の過去ブログとも重複している。

2023年7月21日「公明党と難病患者会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5370&action)

2024年11月4日「PDの「腸の疾患」説」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9051&action)

2024年11月21日「指定難病(特定疾患)と税金」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9289&action)

2025年2月21日「医療と健康の話題集め」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9901&action)

【2025年4月3日追記終】

5.PD患者にまつわる精神症状の理解不足

「患者中心の医療(Patient-centered medicine)」という流行語があるが、私に言わせれば、患者と一緒に暮らしている家族にも充分に目を向け、家族全体として治療対象にすべきである。2022年4月からの放送大学大学院でのZOOMゼミでも、2023年12月に提出した修論でも、私が強調してきたように、「家族は第二の患者」である、というコンセプトを、ガン患者のみならず、神経学にも導入すべきであろう。

PD患者の精神症状の場合、うつ症状や薬剤の副作用に伴う幻視や幻覚と衝動制御障害が知られているが、4.(2)で書いたような領域に対する研究や周知理解が、日本では非常に遅れていると、私は思う。

しかしながら、2003年頃までの古い医学論文(学会向けや専門ジャーナルに掲載されていたもの)を国会図書館から複写を取り寄せて勉強してみたところ、そのような領域に対しても、細かい活字できっちりと言及がなされていた。ところが、いつの間にか、運動症状の度合いを示すヤールのみでPD患者の進行度を測る基準が定着してしまい、「リハビリでしっかり体を動かして、医師の指示通りにきちんと薬を飲み、食事や睡眠に気を付けて前向きに過ごせば、寿命を全うできます」という一般啓蒙が主流になっていった。

内村鑑三氏の御長男の内村祐之先生は、精神医学の研究者でいらしたが、「PDは、運動症状だけではないよ。もっと深い病気だよ」とお弟子さん筋に常々語っていらしたという。私も全く同感である。しかしながら、ジェームス・パーキンソンがその著書で「PDについては、知性は侵されない」と記述した一文が誇張されて広まったせいか、本来はもっと多岐にわたる精神症状や知性の問題が等閑視されてしまい、誤って「痴呆」「認知症」扱いに一括りにされてきた嫌いがある。

問題は、共に暮らしている健常者の家族の人生も、治療と共に崩壊の途を辿るという側面である。患者が薬剤治療によって延命すればするほど、看護する家族の方が人生を崩すことになるのである。患者における精神面や知性の問題を無視すると、ちょっとしたことでも家族に著しい疲労感を与え続け、時間を浪費させ、挙句の果てに体調を崩させることにもなる。その責任は、誰に問うたらよいのだろうか?

6.患者会は素人集団

「医師任せにしないで、患者自身も自分の体に起こっていることを勉強して、正確な理解を求めなければならない」と、大学病院の医師が医療講演会で繰り返し強調されている。

ところが、PD患者会での話を聞いていると、正直なところ、いつでも実にイライラさせられる。というのは、「勉強して理解する」ということを、他人の経験話を自己流に勝手に当てはめて、安易な態度に流れているからである。または、インターネット情報を鵜呑みにして、自慢げに振舞う人も目立つからである。全体的に、思考の流れに飛躍があり過ぎ、一つ一つ順序良く、詰めて考えることが苦手なようである。

また、職業上、経済的に優遇されていたように見える患者や遺族の足を引っ張ることも平気でする。例えば若年発症の場合、往々にして依頼退職を促され、経済的な問題に直面することが少なくないようである。その点、我が家は最後まで、会社が正社員の身分を確保してくださった。入転院を繰り返して、最後まで一度も勤務先に戻れなかった7ヶ月と2週間でさえ、給与のみならず、ボーナスまできっちりと支給されていた。しかし患者会では、「どうしたら、そのようにうまく運ぶのか」というヒントを学ぼうともせず、最初から「皆がお宅みたいじゃないのよぉ~」と、僻み根性、被害者意識丸出しである。「わかってくれない」と非難する甘えの態度が強い。

7.何でも薬剤の副作用にせいにする

古い医学論文を読めば、PD症状の典型には「痛み」も含まれていることは一目瞭然である。一人の医学者が書いたのではなく、あちこちに書かれている。但し、「痛み」症状が出る人と出ない人とに分かれる。(我が家はなかった。)

ところが、そういう文献による勉強や専門医に尋ねる努力もしないで、「うちは痛みなんてなかった。治療薬が複雑になったので、この頃では痛みのような副作用が出ているのではないか」と、素人考え丸出しのまま、患者会でも話を広めている場合がある。これは、大変に危険である。何のために主治医が存在するのか?

8.正直ではないPD患者

PD患者は案外に嘘つきだというのが、私の印象である。本人は、本当にそう思って発話しているのかもしれないが、正直ではなく、隠蔽したり胡麻化したりすることが多々ある。これは、いくら「共生社会」を唱導してみたところで、健常者にとっては負担でしかない。

(2025年4月2日記)(2025年4月3日追記)
………………
2025年4月3日追記

上述の件は、お世話になったのに非難めいていて心苦しいこと限りないが、一方で、現状のままでは、もしかしたら、不満を抱きつつも黙って患者会を去って行く方がいた/いるかもしれない、と考えてのことでもある。私が間違っているならばお許しを願うものの、このような見方考え方もある、ということで御海容いただきたい。

我が家がお世話になった阪大名誉教授の佐古田三郎先生のみならず、岐阜大学の下畑享良先生も、ここ一二年の間に、「パーキンソン・パンデミック」という概念をグラフ付で紹介された。これは、数十年後にはPD患者が倍増するという恐ろしい予測を示したものである。

現状では神経内科医が不足し、将来は到底、臨床が間に合わない。そのための予防策として、患者・患者家族や一般健常者にも「正確な医学的知識と適切な医療介護整備を」普及する目的で、大学病院の医師等が、医学講演を開催するようになったのだ、と私は理解している。問題は、患者や患者家族の側に、その意図がどこまで理解されているか、ということだ。

これまでお世話になった患者会の支部長や役員さん達は、それぞれ逝去されたり、症状が進行したりして、年齢的にも世代交代の時ではある。しかし、疾病の特徴もあってか、患者会員層の考え方があまり変わろうとしていない。

私の提言は、「皆さん、ご意見ご感想をどうぞ」という公的な呼びかけに素直に応じたもののはずだが、いつでも、どこかやり取りが不透明である。そして、黙っていると、すげなく却下されてしまう。それほど突飛な提言をしたつもりもなかったのだが、恐らくは新たな試みに対する心理的な不慣れということと、患者会特有の占有意識や妙なプライドが邪魔しているのではないか、と私は睨んでいる。

佐古田先生は、経験豊富な良心的な医師でいらっしゃるのみならず、根っからの研究者気質の方でもある。2020年にいただいた私宛のお手紙には、「大阪府支部の役員さん達にも来てもらい、理解してもらいました」と綴られていた。ところが、実際に役員の一人に尋ねたところ、佐古田方式の本質を全くといっていい程理解しておらず、むしろ、「あの先生の言う通りにしたら、歩けなくなった患者が出たのよ」等と佐古田先生の悪口を言い募り、結局は無視する方針に決定された模様である。

医師とは、いくら善意で尽くしたつもりでも、常に患者に裏切られ、実に孤独で悲しい存在だ。
。。。。。。。。
ところで、「患者会の役員を務めることは、社会的名誉や社会的地位に繋がる」と考える人もいるらしい。不自由な体を抱えながら無償で面倒な事務作業もされているので、私には(よくやっていらっしゃるなぁ)としか思えず、患者会から名誉や地位の獲得というような発想が全くなかったので、一昨晩、初めて聞いて驚いた。

事の発端は、私が主人の為に入会を申し込んだ時から数えて、三人目の支部長氏の起こした問題である。

この方は、患者の配偶者ということで、名乗り出たのか何なのか、これまた不明な経過により支部長に就任されたらしい。今から15年程前のその当時、病状の進行に伴って、主人は会社の研究開発グループから外され、次の「生き甲斐」を模索していた頃だった。そして、私の方も(主人の体が何とか動いている間に)と、関西学院大学神学研究科の聴講生として半年のみ一科目を受講しに通ったり、とにかくマレーシアに関する論文を早くまとめなければ、と焦っていた頃だった。

若年性患者の場合、まだ年齢的に働き盛りなので、定年退職後の高齢者に多いとされるPD患者の集まりには、時間のペースや日常生活との兼ね合いで、ご無沙汰が通例であった。我が家も同様である。従って、大変に申し訳ないが、会費だけは納入して、送られてくる定期発行物の冊子はパラパラとめくる程度で、会合にもずっと不参加を続けていた。

振り返れば、それで正解だった。ゴタゴタに巻き込まれずに済んだからである。
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2010年頃のある日突然、患者会の当該の役員さんから電話がかかってきて、「どうしてる?ちょっと、会合に出て来てくれない?皆で話し合いたいことがあるから」とのこと。疾病の進行度を考え、(将来には何らかのお世話になるかもしれないから)と、貸しを作るつもりで、私一人、果敢に出かけて行った。

当時の私の理解では、当該支部長氏が患者会員から集めた会費をどうやら無断で着服しているらしい、ということだった。少なくとも、私の記憶違いでない限り、そのような説明であったと思う。(そんな公私混同をするなんて、支部長は進行期のPD患者ではないか。生活にそんなに困窮しているのだろうか)と、私は疑った。

当然のことながら、その時に集まった十数名の患者会員は、呼び集めた役員の説明を聞いて、金銭絡み事案から大変に立腹した。私など、「そういう込み入った話は弁護士に相談して、きちんと法的処置を取ったらいい」というようなコメントを、配られた紙に書いて提出したと覚えている。

ところが、その後の経緯が明らかにされないまま、いつの間にか支部長が新しい方に交替していた。こちらも、自分の研究絡みで大学の講演会に出席したり、そうこうするうちにアメリカから翻訳の話が舞い込んだりして、それなりに忙しく暮らしていた。主人の方は、第一線から引く形の勤務になったこともあり、単独あるいは私との国内温泉旅行で気晴らしを求めるようになっていた。

しかしながら、私にとってはずっと引っかかっていた事案ではあった。

一昨晩の電話で、ようやく思い切って尋ねてみたところ、開口一番、「当時を知る人達はだんだんいなくなった。覚えているのは二三人じゃないかしら」とのこと。要領を得ないぐだぐだ話の後、私が理解した範囲で説明をまとめると、当事者は「患者会の支部長という社会的名誉や社会的地位を求めて」(なのかどうかは不明だが)、会費をあちこちで派手に使うような支部会の方向性へと展開しようとしていたらしい。それに反対する他の役員等が2年程かけて、ようやく「支部長を追い出した」のだ、という。

結局のところ、患者会支部の役員会における内部人事にまつわる揉め事、ということのようだった。

そうすると、呼び出しを受けた私の理解(PD患者の精神症状に伴う公私混同の会費着服)と実際の状況(会合の方向性に対する意見の食い違い)は、かなり異なっていたことになる。

このようなエピソードからもうかがえるように、患者会の役員のやり方は概して素人的で不透明で、民間の通常のビジネス慣習や、大学を含めた学校運営の通念とは、かなりかけ離れている、とも言えよう。それでも、(いずれは何らかの形でお世話になるのだから)と、無理に合わせていたことが、私自身の未消化不満に繋がっていたのであろう。
。。。。。。。。
若年性神経難病患者で、衝動制御障害等の精神症状を惹起するタイプは、海外(特に米国)論文によると、「低学歴・低収入」世帯に頻発すると書かれている。従って、素直に論文記述を真に受けるタイプの臨床経験不足の若手医師等は、我が家の場合もその範疇に含まれるという先入観を抱いたまま、我々を観察し、診断を下し、そのように遇されてきたのかもしれない。

主人は、関西では誰もが知る大学および大学院を首席で卒業し、昭和60年3月に工学修士として「紫紺賞」を授与されている。そして、三菱電機株式会社に推薦入社した後は、社費で米国のマサチューセッツ工科大学に2年間留学させていただいた。一旦帰国後、次には米国ニュージャージー州へ駐在員として派遣された。イタリヤやスイスやフランス等、欧州へも度々学会出席等で出張していた。これは、私共の結婚前の話である。そして、私の方も、1990年3月に名古屋大学大学院文学研究科の修士課程を修了し、国際交流基金の派遣で、1990年4月から3年間、マレーシアのマラヤ大学で教鞭を執った。結婚前には、教授の紹介により、名古屋大学や三重大学や愛知県立大学等で非常勤講師を務めさせていただいた。

このような経歴が、果たして「低学歴」に相当するのか、日米の社会的相違から何とも言えない。確かに、二人とも博士号を目指していた時期があったものの、結婚後一年で主人が若年性PDの診断を下されて以来、二人とも人生行路は大きく歪んでしまった。いずれにせよ、結果的に「夫婦ともに修士卒レベル」であることは事実だ。

PD治療薬の副作用により衝動制御障害を発現したからといって、我々が「低学歴・低収入」扱いされる筋合いはない。だが、ひとたび欧米論文がそのまま日本語論文で引用され、その後もあちこちで無批判に引用され続けている場合、パソコン検索で情報を入手した若手医師が、その固定観念で対処してしまう可能性は大だ。すると、治療コミュニケーション上も齟齬を来してしまう。
。。。。。。。。。
患者会でも、恐らくは同様のことがあるのだろう。私の接した範囲では、食事の摂り方や生活習慣など、かなりだらしがない患者も見受けられる。

例えば、自律神経症状がひどいPD患者に対して、佐古田先生が「もっと野菜を食べなさい」等と指導すると、患者は「食べてます」と言い返すそうだ。ところが、一週間、何を食べたか紙に書いて持って来させると、「食べている(はずの)野菜」が実は「トマトときゅうりだけ」であったりした、という。「そういうのはサラダであって、私の言う根菜や青菜や芋類等の野菜を食べていることにはなりません」と佐古田医師。また、PD患者には基本的に食物禁忌がないせいもあってか、朝食に菓子パンやシュークリームを食べ続けたり、お腹が空くとスナック菓子を食べて平気な人もいるという。

佐古田医師によれば、そのような生活習慣を維持してきたPD患者こそが、進行が速く、症状も重篤化するらしい。

このような話は、我が家には縁のないものであった。むしろ、主人は佐古田先生を敬愛し、亡くなる一週間前にくれた手書きの8枚びっしりの手紙にも、佐古田先生のお名前が記されていた。玄米食は主人の発案によるものであり、私も半玄米半白米ごはんで育った子供時代から、全く躊躇なく玄米食を継続してきた。主人が運動症状も比較的軽度で進行が緩やかであり、自律神経症状も何とか対処できる時期が長らく続いていたのも、恐らくは、佐古田先生の推奨された食事法に素直に従ってきたからだろうと私も思っている。

大阪大学医学部附属病院の佐古田三郎教授医師に素直に従えたのは、やはり、主人が大学院時代に阪大のレーザー研とご縁を持たせていただいていたこととも関係する。神経難病患者の場合、そのような一見些細な事柄でも、精神面では大きく影響を与えるのではないか、と私は考えてきた。

しかしながら、肝心の地元の患者会役員達が、自分の主観的な狭い好みによって勝手に選択をしてしまうと、いずれは非民主的な会合になり下がる。いや、本当は言われなければ気づかないだけなのかもしれない。また、他者から指摘されると反射的に反抗してしまいたい心理に陥るのかもしれない。

入会当初しばらくおよび最後の3年程、何かとお世話になってきた患者会に対して、大変に申し訳ないことではあるが、そのような配慮の余地があるとはいえ、難病患者と共に暮らす生活を21年以上も続けてきた結果、関わりを持つ人々の種類というのか層というのか、格段にアンマッチになってきてしまった不遇は否めない。主人も恐らくそうだったことと思うが、発病前には30秒でツーカーと通じた人々(専門職)との会話が、発病後、進行期、末期に至るまでに、徐々に10分、20分、30分と時間経過を伴うようになり、しかも相互の理解レベルや感情面で齟齬が生じていく。

これこそが、神経難病患者と共に暮らす家族の人生崩壊であり、早急に対策を練る必要性がある。患者が薬剤治療で延命することによって、患者会内部で「長生き競争」をしたり、配偶者による「介護美談」を誇示したりすることは、既に時代遅れの昭和の遺風でしかない。

今のところ、提案としては、各段階における(作業療法以上の心理面を加味した)PD患者への精神リハビリおよび家族教育の継続を考えている。現行の理学療法的な運動リハビリだけでは、PD患者特有の精神面や知的側面の歪みを是正することは困難である、と私は思う。

【参照ブログ】

2022年5月25日「阪大病院での経験談」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2752&action)

2023年8月9日「佐古田三郎先生」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5427&action)

2024年5月13日「PD友の会 in 大阪 (1)」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7449&action)

2024年10月19日「ポスター発表 in 東京 (2)」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=8872&action)

2024年11月6日「岐阜大学の下畑享良教授」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9073&action)

2024年11月17日「難病医療系の学会その後」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9190&action)

(リスト終)
。。。。。。。。
一言付け加える。

阪大病院で神経内科学の主任教授であった佐古田教授の後任でいらした望月秀樹教授は、2024年12月8日の大阪でのPD患者会合で私がお渡しした放送大学の製本修論を見て、「凄いなあ」と一言。そして、私から見ると息子にしたいような阪大医学部の若いお兄ちゃん先生二人に向かって、「この奥様は、もともと大学講師で研究者だったけれど、ご主人が若年性になったので、主婦生活を長らく送られてきた。この度、我々の論文も踏まえて学位を授与されたんだよ」と紹介してくださった。すると、お兄ちゃん先生方は、実に素直にニコニコと喜んでくださった。

実のところ、望月教授や一人のお兄ちゃん先生の論文を参考文献に提示したものの、私自身は望月教授が送ってくださった先生方の論文を踏まえて修論を書いたわけではない。むしろ、望月教授の部下に当たる阪大病院の最後の女性主治医に対して、かなり批判的な論述を呈した。

しかしながら、患者の付き添い家族として(不当に)遇せられていた2020年4月上旬までの対応と、この度、二つ目の修士号を授与された私への対応とでは、望月教授の態度が全く異なっていたことは事実である。むしろ、20年以上の年月を経て、ようやく自然に相通じるようなアカデミックな会話を先生方と交わせたことが、私は純粋に嬉しかった。

このような経緯を踏まえ、主人がいなくなってからの過去5年間は、概ねトラブル・フリーで平安と安寧の日々である。

(2025年4月3日記)

Posted in Childhood memory, Health and Medical issues, Japanese culture, © 2025 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

新学期の始まりに

エイプリルフールの日ではない。ここ数週間、連日、フィッシングメールが大量に届き、迷惑この上ない。迷惑メールの設定をしても、次から次へと姿を変えて攻勢してくる。

クレジットカードは二枚までと決めているのに、今では使ってもいない(主人がいた頃は家族カードで所有していたものの、私自身は滅多に使ったことのない既に解約済の)カード会社からも、請求金額もどきが届き、怪しげなこと、怪しげなこと。

第一、持ってもいない銀行口座等からの請求や身元確認要求をメールで次々と送ってきて、「48時間以内に手続きをしなければ、アカウントが閉鎖される」等と脅す。

銀行の場合、窓口で行員に直接確認してみたところ、「こちらからメールを送ることはありません」と確証を得ている。ところが、京都銀行からは、自宅まで二人の職員がわざわざ訪問しに来たことさえあった。「忙しいので、お引き取りください。用事があれば、こちらから出向きますので」と断固、拒否したが、こんな情勢であれば、一人暮らしの高齢者が引っかかるのもむべなるかな、と。

例えば、プライムタイムを使っていないアマゾンなのに、その昔、主人がやっていた記録が残っているためか、急かすメールが次々と送られてくる。「1ヶ月のみお試し」として即日解除しても、画面の位置により、指タップでうっかり触ってしまうと、削除する時間だけでも浪費である。

警察や国税e-TAX等も、変と言えば変だが、この辺りは引っかかることがまずない。税金は全て紙で済ませている上、兵庫県警からも警告の安全メールが定期的に届くからである。

私にとって重要な情報装置であるiCloudやApple IDやGoogle等から頻繁にメールが届くと、iPhoneの場合はアドレスが全開されないために、自宅に戻って机の上のパソコンを開いて確認しない限り、正真正銘の本物メールかどうかが不明である。最近ではAIの普及で文面が非常に巧妙になっており、送受信の速度も増しているので、精神衛生上もよろしくない。
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私が2024年2月にiPhoneを買い替えた際、(紐づけといえば紐づけなのだろうが)新規作成したばかりのカード会社は、少しでも不正利用らしき痕跡が見つかると、日曜日であれ、先方から電話をくださる。本社は東京のようだが、こちらの購買履歴を見ていて生活行動がわかるようで、かえって安心である。スーパーの食材買い物等でポイントが簡単にたまり、マツキヨでの化粧品を購入するのに、支払いゼロで済むから助かっている。

実は2月中旬、一日に1時間おきに「iCloudがストーレージの上限に達しました」とメールを何度も何度も寄越し、「48時間以内に写真やデータの全てを削除する」とうるさかった。それで、用事が立て込んでいたこともあり、忘れないうちにとiPhoneで操作してしまったところ、即座に怪しげな二つの会社が20万7040円と1082万ルピア(10万円相当)を私のカードから落としたらしい。幸いなことに、クレジット会社の方が「認証不可」としてはじいた上、翌日「未決済のままだが、心当たりがあるか」と電話をくださった。事情を話すと即座にカードは解約となり、新たなカードが一週間以内に届いた。

そして、「手持ちの他のカードや銀行口座の履歴も調べた方がいい」との助言で、早速、その他二枚のカード引き落としについて、電話をかけたり、銀行に直接出向いたりして、調べてもらった。幸い、まだいずれも不正利用されていなかったらしいが、どちらも即座に解約。

一枚はデビッドカード付のクレジット。5年前に銀行口座を新規開設した際、「キャッシュカードだけでいい」と申し出ておいたのに、「どうしてもデビッドカードを申し込まなければならない」と言われ、改めて郵送されてきたからであった。デビッドは一度も使わず、クレジットも滅多に使っていなかったが、若い女性行員が「私のところも、変なフィッシングメールがたくさん来ます。すぐに気づかれてよかったですね」と。そして、どうやらデビッドカードで問題が多発していたらしく、「今は廃止になりました。キャッシュカードのみのご利用になります」。

もう一枚は、交通系のクレジットで、新幹線を予約する際に使ってきた。こちらも年に二回ぐらいの使用だったので、まだ不正利用がなく、助かった。
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ところが、ここ数週間、さらに頻度を増して変なメールが届いた。メール削除するにも、学会通知なども含まれているため、毎朝、15分から20分以上も確認の時間を削がれてしまう。

そして、先月末近くに、また引っかかってしまったのだ!今回も、上述の同じカード会社から、私の誤作動の1時間後ぐらいにすぐ電話がかかってきた。自分でも不安で、紙に印刷した30件ぐらいの怪しげなメールを見ながら確認していたところだった。

今回は、聞きなれない変な名前の会社もどきから「2円」引き落としだった。また、「iCloudがストーレージの上限に達しました」等と言う理由で「月450円」等という、一見、大したことのないような金額を請求して落としたらしい。今度も、カード会社によって早期発見されて、すぐに止めてもらえたので助かった。

交通系クレジット会社のコールセンターに電話してみると、不正アクセスが何度かあったが、会社の方で事前に認証不可扱いにしてくださっていたらしい。

結局のところ、2月と3月の短期間に、同じ二枚のクレジットカードを再発行(無料)することになってしまった。私も主人も22年程の暮らしの中で、一度も借金がなく、全て一括払いの生活だったので、恐らくは信用機関としては「被害者扱い」にしていただけたのだろう。
。。。。。。。。。
【対策】

1.フィッシングメールの場合、パソコンで必ずメールアドレスを確認すること
(私は普段、大抵の重要事項は、面倒でも逐一紙に印刷してファイリングする習慣があるが、忙しい用事が続くと、iPhoneで済ませてしまいがちだ。その間隙を突いて、二度もやられてしまったというわけだ。

2.もっともらしいアドレスであっても、公式ホームぺージの「マイページ」で確認する手間暇を惜しまないこと
ストーレージ(空き容量)の場合は、もっともらしい数字を挙げてきたり、いつの間にか制度が変更になったかのように文面が綴られているため、要注意である。

3.デジタル化推進の昨今ではあるが、やはりアナログとの併用が一番
私は、クレジットカードや銀行口座の通帳やキャッシュカードを自宅の複写機で紙に印刷して、PINやパスワードを日付入りの手書きで備忘録と重要ファイルに記入している。毎年、面倒と言えば面倒だが、このようなこまめな作業なしに、身の安全は守れない。

4.パスワードの更新は、その都度バラバラにすると、久しぶりに使う際、何が何だかわからなくなってしまう。
日付と共に付箋紙に書いて、忘却防止として、ビニール袋をかけて財布等に入れておく。勿論、備忘録に付箋紙のコピーを貼り付けておく。
。。。。。。。。。。
というわけで、昨日と今日にかけて、頻度の高いパスワードを全部一斉に変更した。突如の事故などで記憶喪失になってもいいように、改めてファイルと備忘録に転写しておいた。パスワードは、放送大学の受講やゼミや修論執筆等に忙しくしていた間に、気が付いたら5年も使用していた。5年前には「強力」とされていたのに、あちこちで使い回しをしている間に、どこかに引っかかったのであろう。

パソコンが出回り始めた頃、「これからはペーパーレスの時代です」と、すっきりしたオフィスの写真が宣伝されていた。しかし、実際には紙使用が増大している。郵便配達も減少中であるとはいえ、私はいつでも何でも公的機関等に「すみませんが、文書で郵送してください」と電話で断っている。

第一、何でもメールで済まそうというのは、日本発の発想ではない。グローバル化やデジタル化の進展により、人々の気が荒くなり、精神疾患が増え、人間関係がバラバラに個別化され、感情を無視して表面的な理屈ばかりで物事を押す身勝手な人々が増えた。

そして、「働き方改革」とやらで、業務時間が著しく制限され、物事の処理が遅れに遅れるようになった。
。。。。。。。。。
さて、下記の過去ブログ記述から3ヶ月程になったので、ここでもう一度、今後の計画を確認しておきたい。(本日のブログ用に項目順序を変え、終了済の項目は削除した)

2025年1月13日「還暦:乙巳の蛇年」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9529&action)

1.防衛モニター(二年目・委嘱期間は2026年3月まで)
2.伊丹市保健医療推進協議会の委員(二年目・委嘱期間は今年9月30日まで)
3.放送大学(三度目の新規入学):前期5科目(学部4科目+院1科目)
4.通信教育:旧約学(四年目)+ NHK古文書コース(入門レベル)+ 一般社団法人MSフォーラム軍事戦略講座(NEW!)
5.伊丹博物館友の会(六年目):例会 + 古文書研修と古文書整理(各月一回)+『友の会だより』記念号に1本原稿予定
6.伊丹市立ミュージアム:鬼貫クラス(四年目)
7.京都古代学協会:京都府向日市の大極殿跡と桓武朝の講座(二年目)
8.検定試験:「神社神道」「茶道文化」「京都文化」「きもの文化検定」+「軍事戦略検定」(NEW!)
9.適塾記念会(四年目)

10.学会活動:
(1) マレーシア研究:東南アジア学会・キリスト教史学会・マレーシア学会(JAMS)・京都ユダヤ思想学会
*2018年3月まで毎年最低一回は口頭発表を継続 ➡ 資料整理をして論文をまとめていく作業
(2) 難病医療ネットワーク学会(昨秋入会):5月と11月に学会出席予定
*修論とポスター発表の論文投稿化

11.健康管理:年に一度の特定健診(1月)と半年毎の眼科検診(2月)は終了。半年毎の400ml献血再開(2月)。半年に一度の歯科健診と耳鼻科検診が残っている。

12.墓参:春彼岸のお墓参り(名古屋市の平和公園)は終了。月命日(伊丹市の臂岡天満宮)+ 主人の実家(東大阪)の年四回のお墓参りは継続中。

13.下鴨神社の献木:昭和の日に「昭和祭」として参加(四度目)。
*出会った頃に主人が住んでいた(今はなき)会社の桂寮にちなんで「桂の木」を一本ずつ、私共の結婚式会場だった下鴨神社糺の森に植えている。これまでは主人の「一年祭」「三年祭」「五年祭」のつもりで献木してきたが、今年は私の還暦として記念植樹となる。

14.音楽:CDとクラシック演奏会は随時自由
。。。。。。。。。。
放送大学を大学院レベルから開始したのが、2020年10月。1990年3月、24歳の時に名古屋大学大学院の修士課程を修了していたので、改めて生涯学習並みに時間をかけて学部からやり直す必要もなかろう、と思ってのことだった。無事、二つ目の修士号も授与されて、昨年一年間は解放された気分で、いろいろな新たなことに挑戦できた。

だが、今年は気を引き締めて、本来の自分に戻る時期が来た、と思っている。学会の通知などが届くと、やはり気持ちが引き立つ。刺激を受け、意欲がわいてくる。

昨年4月7日には、自宅に宮司様をお招きして主人の五年祭を執り行っていただいた。二度目に我が家に来た妹や初めて来た弟の態度が、宮司様への挨拶もなしに冷たくよそよそしく、さっさと逃げ帰るような様子だったので、宮司様が窘めていらした。でも、馬耳東風、暖簾に腕押しという感じだったので、もうここは覚悟を決めなければならないと徐々に思うようになった。

3月下旬の数日間のブログにも綴ったように、もともと祖父母や父がいた頃は、こんな風ではなかった。少なくとも1995年ぐらいまでは、電話でも普通に話せるような間柄だった。ところが、私のマレーシア帰国後から家の中には冷たい風が吹き、子供達は皆、我先にと家を出て行ってしまった。

「勉強ばかりして世間を知らない」と非難する人もいたようだが、自分の時間の過ごし方は間違っていなかったと私は思う。このように長々とブログを書く暇に、家の片付け物や論文書きを進めた方が、余程か人生効率がいいだろう。だが、黙っていると、無視されたまま、勝手にありもしない話を作り上げられ、当然の権利をいつの間にか侵害をされたりしたので、せめて自分達の暮らしぶりを、あるがまま、自分で記録に残しておかなければと思ったのだ。

そして、信用できないようなタイプとの人間関係を整理して、お付き合いや社交は最低限にした上で、普段の生活の大半の時間を、家事の傍ら、読書や勉強や音楽聴きに費やし、日々の暮らしに計画性を持たせてきたのは、我ながら間違っていなかったと思う。私の場合、論文書きに前後2ヶ月かかるタイプで、21年以上も続いた主人の疾病進行に伴う体調の波や、その時々における私の感情の整理などを考えると、中途半端なやり方はしない方が社会的信用の上でも、適切であったと思っている。

この5年間で、主人から相続した経済面の手続きが少しずつ済み、洋服等の荷物も徐々に整理されていった。通常、七周忌が済むまでは落ち着かないと言われるが、確かに、5年が一つの区切りであるとすれば、残りの2年で完結ということになろうか。
。。。。。。。。
私が1984年に四年制の県立大学に入学した頃、入学金は15万円で、前期と後期が各15万円であった。即ち、入学から卒業までに135万円かかった。

今回、放送大学の再三入学に際して、これまで支払った学費を計算してみた。
2020年10月から科目履修を始めた大学院は、2年間の修士全科生を含めた計4年半で、計28科目とゼミ指導料の計84万8500円。2024年4月から始めた学部は、計1年半の科目履修で計19万1500円。総額104万円だった。

両親が四年制大学の卒業生だったので、当たり前のように進学させてもらい、まだ現役銀行員だった父から全額、当然のように支払ってもらっていた。浪人も留年もしなかったし、自宅通学だったので、何ら問題はない、と思っていた。しかし、今の暮らしの中で、18歳から22歳までの当時よりも安い学費で二度目の修士号を授与され、その後も関連単位を認定されていたとしても、それがどこまで社会的に還元できるのだろうか?

今の年齢から、もはや正規職に就くことは考えられず、主人の健康問題という家庭状況から、そもそも正規職が無理だったことは客観的に証明できるが、今後、自分でどこまで稼いでいく可能性が残されているだろうか?
社会貢献としては、モニターやボランティア活動や寄付金等で皆無とは言えないが、それだけでは不完全燃焼だ。

この一年、余計なことを削ぎ落して、まとめモードに向かって進んで行こう。

(2025年4月1日記)
…………..
2025年4月1日追記

これを書き終わった直後、台所に行ったら電話がかかってきた。交通系カードのモニタリングセンターからで、上述のカードについて私からのコールセンターへの電話により、既に無効にしてあるが、Apple Pay Quickによる不正利用の確認が複数回あったという。

「それは全く使っていないし、メールで開いたサイトでもないのに」と私が言うと、一度でも何かのサイトを見ると、複数の他の端末に紐づけされているため、自動的に繋がって引き落としされてしまうのだという。

既にパスワードは変更済だったが、「交通系カードのマイページも変更するように」と助言があった。

(2025年4月1日追記)

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私達はこのように暮らしてきた

補足として、過去ブログのコメント欄に記した8年前の拙文を以下に転写する。「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に転換した際に、具体的な年月日が消えてしまったのは、残念だが仕方がない。

1.(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170114)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

亡くなった人は、生きている人の中で生きている。
晩年はボケたから、既に密葬にして済ませたから、周囲にはわからないと思っているのだろうが、本当に不思議なことに、昨秋、町内の認知症講座を受けたことによって、突然、蓋が取れたかのように次々と思い出が蘇ってきたのだ。
明らかに、法に照らし合わせても、常識的に考えても、客観的証拠からも、理不尽過ぎて腑に落ちないことが多いと、結局はいつか何らかの形でバレるものだ。

第一、真面目に生きている者に対して、大変に失礼である。
迷惑しているのはこちらなのに、あたかもこちらの不徳のせいであるかのように言い立てる。目的は、撹乱と証拠隠滅のつもりなのだろうか。

子どもの頃の思い出を振り返ると、何という凋落ぶりかと愕然とする。

若い頃、「履歴書に穴をあけるな」「きれいな履歴書を」と、盛んに注意されたものだった。だが、履歴書以前に、戸籍を汚す方が罪深いのではないだろうか。それに、履歴書は個人一人のものだが、戸籍改竄は、先祖代々からの営々たる積み重ねを一瞬のうちに変えてしまう上、その後も文書証拠として残るのだ。

女性の社会的地位だとか男女同権という理屈ではなく、要するに、女の欲得が家を滅ぼすのだと思う。

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

ここまでこじれた以上、祖母にも何か過ちがあったのかもしれないのだろうとは思うが、少なくとも、私には関係のないことだ。

いつ頃だったか、祖母に言われた言葉が次々と蘇ってくる。

「おばあちゃんの言っていること、今はわからないだろうけど、いつかわかる時が来る」
「世の中に、たった一人、自分のことをわかってくれる人がいればいい」
「子どもはいくら小さくても、全部覚えている。小さいからと邪険に扱っても、子どもは覚えている」
「真っ直ぐに生きていきなさい。そうすれば、曲がった心の人が自然と避けていってくれる」。

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

K夫人、本当にどうもありがとうございます。お気持ち、とても感謝いたします。
実は、インターネット上で知り合った頃から、何か通じるものを直感していました。上記コメントで、少し納得がいったように思います。

私がブログで身内の恥ずかしい話を公開しているのは、当然、リスク計算をした上ですが、いろいろな理由があります。

1.長年に及ぶ話が込み入っていて、電話や一対一で話していると、当事者に悪いことをしているという自覚がないため、お互いに時間とエネルギーの浪費で、事実が霧散してしまうからです。
個人名は出していませんが、私を知る人で、読む人が読めば、大体、誰が張本人で問題なのかはわかるように書いています。勿論、私の立場としては、自覚の範囲内で、嘘偽りはありません。表に出していないだけで、れっきとした証拠もあります。

2.このような事態は、私的領域ではなく、ひいては社会の劣化につながるという危機意識を、私が持っているからです。

3.インターネット上だとはいえ、何かと中傷批判を浴びてきたアメリカ人論客のパイプス訳文を依頼されている以上、私としても、自分の身辺をきれいに潔白にしておきたいと感じているからです。

弁護士については、主人と相談の上、考慮していません。成功報酬などを考えると、結局は無駄です。そういう事態も想定した上で、これまで人生を歩んできました。
問題は、お金ではなく、心根なんです。私としては、公明正大に綴ることで、当事者に少しでも自覚を持っていただきたいのです。

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

世間でよくある嫁姑の通例から、祖母が嫁に厳しく接しているために、いざこざが起きているのではないかと、実は、小学生の低学年頃から心のどこかで私は思っていた。
だが、昨秋、町の認知症講座を受講したことによって、物事の両面を縱横に見る機会が与えられたのだ。

祖母は、時々私の家に遊びに来ていたが、記憶している限りでは、一度も、嫁の悪口を私の前で言ったことはなかった。むしろ、「しっかり者で気が強い」「さっぱりした性格だ」と褒めていたことを覚えている。私の叔父である息子の物凄い反抗のことは嘆いていたが、「自分の育て方が悪かったかもしれない」とも祖母は言っていた。「写真が好きなら、そちらをやらせればよかった」とも。

だが、嫁の方は、亡くなって数年経った祖母の悪口を、孫の私に繰り返していた。「あんな気難しい人はいない」「私は同じ町に住んでいたから嫁に来ただけ」云々。

「それは世間体を気にしていたからでしょう」と当時の私は何も知らずに応じたが、今から考えると、随分失礼な会話だ。

七人の孫については、他の年下の孫達の方が、祖母にとっては可愛いに違いないと、私はなぜか長らく思い込んでいた。そのように仕向ける人がいたからでもある。
でも、この頃、綴れ織のように次々と思い出されることは、他の従姉妹の美点も挙げながら、私が不足を補うべく、刻苦勉励するよう祖母は躾をしていたのだろうと思う。

但し、私の応答を聞いて、「この子はうちの系統じゃなくて、お父さんの方の血を引いている。感謝しないといけないよ」と母に向かって言った祖母の言葉もある。特に、高桑の叔父さん、松本の叔父さん達に気質や考え方が似ているとのことだった。

例えば、昔の話をするにも、他の孫達は五分と持たず、すぐに「おばあちゃん、トランプしよう!」と話を変えるのに、私は足が痺れつつも、三十分から四十分ぐらい、じっと正座して聞いていた。「ユーリちゃんは、年長だからかもしれないけど、よく古い話をじっと聞けるねぇ。質問までするねぇ。これは、うちの血筋じゃないよ。お父さんの方の血だね」と。

確かに、それはその通りなのだ。主人も、私の赤ちゃんの頃の写真を見て、「お父さんに似ている」と言ったぐらいだ。

だからこそ、どうして私が冒頭のような目に遭うのかは、ここ数年になって、ようやく想像がつくようになった。だが、渦中にあったために、長い間、この理不尽さの理由が突き止められなかった。

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

ある時、「いいなぁ、他のいとこ達は。私のように厳しく言われないんでしょう?」と祖母につぶやくと、「ユーリちゃん、言ってもわからない人には、言わないよ。言われないということは、ある意味で諦められているということだよ。ユーリちゃんには、わかると期待して言っているんだよ。期待されているんだよ」と。

期待かどうかはわからないが、一つ思い出したエピソードがある。

小学校三年生の時、私は風邪から中耳炎になった。当時のこととて、近くの耳鼻咽喉科へ毎日のように通い、薬を注入してもらっていた。
ある時、祖母がたまたま家に来たので、耳鼻咽喉科へ一緒に来てもらった。というよりも、一人で通っていたのを、祖母が付き添ってくれたのだった。
医院の看板の文字をじっと眺めていた祖母は、医師の名を見て、「あれ?澤村○○って、あそこの澤村さんじゃない?」と一人でつぶやき、名前を呼ばれると、そのまま診察室へ一緒に入って来た。いつもの治療の途中で、祖母がお医者さんに「もしかして、○○さんじゃありません?」と話しかけると、突然、「そうです、そうです」と会話が弾んだ。

具体的な内容は、私にわかるはずもなく、覚えてもいないが、とにかく、祖母の兄弟に医師らしき人がいるのだということを知ったのは、この時が最初である。

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

もう一点、記すべきことがある。

以前も書いたことだが、結婚騒動の時、今でも不思議で仕方がないのだが、突然目の前に現れた祖母は、「これが最後のチャンス。うまくいくように祈っている」と私を励ましてから、難癖を付けて大騒ぎし、話を潰そうと全力を挙げていた母親を叱り飛ばした。
本当に、あの祖母がいなければ、主人との二十年はなかったことになる。また、仮に母親の言う通りにしていたら、人生丸潰れだった可能性が大だ。
なぜならば、もし主人との話を取り止めたとしたら、次はさらに歳を取り、いわゆる条件がもっと悪くなるからである。また、精神的にも疲労困憊し、それこそ「男を見る目」が曇ってしまっていたことだろう。

ところが、戸籍改竄の当事者は、その頃、私に電話を掛けてきて、翻意を促したのだった。その内容は、あたかも私が本ばかり読んで、勉強ばかりしてきたので、男を見る目がなく、相手に甘言で騙されているのだろうから、この話はよく考え直すように、という「助言」だった。

言葉はよく覚えていないが、「大丈夫です。私はこの人に決めましたから」と自分の決意を話したと記憶する。
すると、「わかりました。もうどうなっても知りませんからね!」という捨てゼリフが聞こえて、電話が終わったことを記憶している。

結局、父と二人でお宅まで出向いて結婚式の招待をしても、「わかってますから」(?)とお茶も出されず、欠席にされたのは、そのような経緯があってのことだろう。

だが、父はその後、亡くなるまでに二度も、主人の背景を説明に行ったそうだ。多分、このブログを読んで知ったこともあったに違いない。主人は、最初から甘いことを言ったり、自分を大きく見せるタイプではない。どちらかと言えば、控えめ過ぎるぐらい控えめで、後になってから私でもびっくり仰天しているほどである。

多分、主人の発病を知った時、(ほら見なさい!)と思ったかもしれないが、私にとっては、病気のお陰で厄介事に巻き込まれずに済んだのだとも考えている。それに、予想以上に充実して、いろいろな活動が可能になっていることは、感謝以外の何物でもない。

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

認知症については、

(1)今後は益々患者人口が増えるという予測
(2)介護負担の大変さ
(3)認知症にならない予防法

がよく語られている。

いずれも大切だとは思うが、2011年春に91歳で亡くなった祖母の事例を考えると、それ以前にもっと根本的な問題がある。
それは、認知症になったら、もう前後不覚になって理解できないし、患者の話に信憑性がないだろうという、介護する家族の勝手な思い込みである。

実はそうではなく、一つ一つの言動に意味があると、認知症講座で教わった。長い人生におけるその人にとっての意味を汲み取って接すると、たった数分で劇的に変化し、例えば、一人で食事ができるようになったり、寝たきりだったのが歩けるようになったり、不潔性であちこち失禁していたのが収まったり、薬が減ったりすると、ビデオ映像で教えられた。

つまるところ、家族や介護者は、認知症患者から人生の究極の意味を教えられているとも解せよう。

祖母と同居していた人達の苦労を私は知らないということになっているのだが、基本的な問題として、「おばあちゃんは、こういう状態だけど、孫として可愛がってもらったんだから、一度、お見舞いに来てくれる?」と、なぜ施設の場所を教えてもらえなかったのか、という疑問が残る。

以前も書いたように、実は父が(恐らくは主人の病気への影響を考慮してのことであろう)、「お見舞いに来なくていいということだ」と電話で私に伝えたので、それを文字通り取ったまでだ。勿論、場所も父は言わなかったので、探しようがなかった。
というのは、健康な時でさえ、何かとごちゃごちゃしていた状況だったので、遠慮されているとしたら、余計に話が錯綜するような事態にしたくはなかったからである。

法事の時、「ごめんなさい。お見舞にうかがえなくて」と謝ったが、「あんた達、場所、知らないでしょ!」とツッケンドンだった。
その後も、知らせる方法は幾らでもあったはずなのに知らせないでおいて、「毎日、朝一番の地下鉄に乗って、お世話に行って大変だった」と言われた。

主人はそれを聞いて、「介護が大変だから、施設に入れたんだろう?疲れたから、今日は一日休みます、でもいいじゃないか?どうしてそんなに朝一の地下鉄を強調するんだ?」と何度か言っていた。同感である。

それ以外に、例えば香典等でも毎度のように「わかってますから。○○家が困るから、結構です」と執拗に断られることが多い。それでいて、後になって、「あの人は何もしなかったのよ」という話の流れになる。

こういう前近代性、陰険さというものは、認知症の発症率を高め、問題を深化させるだけではないだろうか。

普段から健全なコミュニケーションが取れていれば、すぐに症状に気づき、進行を遅らせる薬を早く使って対処することもできよう。

8年前(2017年?)

2.(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170201)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130313)
ある方のアドバイスによれば、「事実と経験だけが残る」上、「人は皆黙っていてもちゃんと見るところは見て判断している」から「もっと自信を持ってください」との由。私の場合、長年の癖でつい後ろに下がってしまうらしく、よく言われます。「こっちから見ていると、だいぶん人生損していると思うよ。話を聞いていると、どうして周囲にそういう変なことを言う人がいるかなぁって不思議なんだけどね」。

(部分抜粋終)

8年前(2017年?)

・ユーリ(Lily) (id:itunalily)

過去には、こんな文章も書き、自分を励ましていたのだった。
父が亡くなって一ヶ月未満だったので、とにかく精一杯生きていこうと一生懸命に前を向いていたのだ。
だが、時間が経つにつれて、忘却どころか、繰り返し、ますます重くのしかかってくる。金銭の問題というよりは、恐らく、あまりにも不当で不自然な扱われ方をしているので、精神的に落ち着きどころがないからであろう。または、私の体内で流れている祖母や父の血が叫んでいるのかもしれない。

主人などは、一連の話に対して「相手にもしたくない」と割り切っている。「常識外れなのは向こうなのだから、こちらから頭を下げる必要も、合わせる必要も、さらさらない」と断言している。
「もし、向こうが今後お金に困ったとしても、事故や事件に巻き込まれたとしても、最初から挨拶も連絡もして来なかったのだから、こちらは面倒を見る必要性は一切ない」と言い切っている。
「自分達はしっかり生活して、きちんと働いて自分達で稼ぎ、不誠実な遺産の受け取り方をして威張り散らすような親戚は、断固、相手にしないということだ」とも言った。
「僕が先に逝ったら、僕の貯金は他人に渡らないようにしておけばいいんでしょう?全額、使い切ればいいんだよ」。

ともかく私の混乱は、こちらのことを何も大切に思っていないし、軽い扱いをしてくる人達のことでさえ、(結婚前まではお世話になったから)(家族親戚のつながりは大切だから)などと生真面目に考えて、義理堅く、何とか対処しようともがくところにあるらしい。

8年前(2017年?)

(2025年3月29日転載終)

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新たなる準備を(2)

過去ブログを振り返っていると、家族問題に関しては、自分の思考回路がいつまでも同じところにぐるぐる留まっている感が否めない。
だが、これもそれも全ては、私が何かをしたから自分に跳ね返って来たのだ、自業自得だ、ということでは全くない。

明日は母方祖母の命日である。14年前のことになるが、時間が経ったから記憶が薄れていくとか、徐々に忘れていくというのではなく、事実は逆である。ますます、生まれた頃からの肌感覚の記憶がよみがえってきて、時間と共に思い出が塗り重ねられていく。

というのは、これまで散々綴ってきたように、こちらが何もしていなくても、周囲の血族や姻族の間で、理不尽さや非合理性や非常識さが罷り通ってきたからだ。

ルカ福音書に「石が叫び出す」(19章40節)という言葉があるが、多分、身勝手な言動を取る人には、誰かが代わりに何らかの形で顕わにしていくのであろう。

長々とブログを綴っていた昨晩、過去の「はてな」ブログを検索していたら、本文ではなくコメント欄に、2020年8月頃だったかの日付入りで、母方祖父母の墓地を尋ねて私が檀家寺に電話をかけた時の記録が出て来た。だが、疲れてもいたのでノートにメモを取ることなく、ワードに転写した箇所も削除してしまった。そこで今、ここでは、その箇所が正確には引用できない。

だが、何でも記録しておくもんだな、と我ながら思った。そのお寺さん(女性)が、突然の私の電話に対して、「あそこ(私の祖父母)の家のことは昔からよく知っている。実直ないいおじいさんとおばあさんでしたよ。娘さんやお孫さんをとても可愛がっていて….」と話してくださったエピソードが、大切な記憶として改めて定着したからである。

祖父母の墓地がわからず、どうしてもお墓参りができない問題については、「じゃあ、まだ納骨されていないんでしょう」とのお返事だった。だが、それにしても祖父は42年前に亡くなっており、早くしなければこちらは永遠に機を失ってしまう。同時に、「いい祖父母だった」と言われてホッとしたことも事実である。

そのお電話の時には、(お布施を弾んでいたからではないかな?)とも思ったが、それでも、「朝、学校に行く前にピアノの練習をしているお孫さんがいるって、とても喜んでいらっしゃいましたよ」と聞かされると、「あ、それは私のことです!」と思わず、うれしくなった。事実だからである。

また、「娘さんが家を建てる時にも、おじいさんが物凄く可愛がって、岐阜から運んだ檜の材木を使っていらしたんですよ」とも教えてくださった。それも、事実である。

このように、直接の顔見知りではなくとも、既に亡くなって久しい人々であっても、何らかの形で誰かの記憶に残っており、ひょんなきっかけで、過去の経験が共有されることもある。だからこそ、子供であれ、大人であれ、健常者であれ、病人であれ、いつでもどこでも、分に合わせて誠実に暮らしていくことが必須なのであろう。

そのお寺さん曰く、「戦後の誤った個人主義が蔓延しているから、今は家族や親戚がバラバラになっている」とのことで、特に名指しで誰かを責めるというのではないものの、私が経験した一連の出来事を踏まえて、昨今の一般風潮そのものを嘆いていらした。全く同感である。
。。。。。。。。。。。
日本保守党を巡り、美人で東大博士のイスラム研究者としてここ数年、少し有名になった飯山陽氏が、昨年10月上旬から現在までの5ヶ月以上、百田尚樹氏や有本香氏等を毎日のように中傷したり悪口合戦を展開したりして、You Tubeで発信し続けてきた。それが結構な収入源にもなるから、余計に派手派手しく、同じことを言い続けているらしい。

そのため、昨年の東大教授の池内恵氏のみならず、最近では、百田氏や有本氏からも訴訟を起こされているようである。

昭和時代ならば、「馬鹿を相手にするな」の一言で、大人の対応ができた日本社会であった。だが、令和時代の今では、飯山氏の断片的な発言を「エビデンスに基づく」として鵜呑みにしているフォロワー達が、どうやら一定数、存在するらしい。また、保守系雑誌とされていた『WiLL』『月刊HANADA』等も、火事場泥棒のように、なぜか飯山氏の言い分を一方的に紹介するような記事を掲載した、という。

この問題について、私は日本保守党の支持者でもなく、飯山氏が募ったというカンパに乗じたわけでもないので、語る資格はどこにもないのだろう。しかし、少なくとも池内氏とは講演会等を通して面識があり、2016年秋には東京でご著書にサインも頂戴したことがあるので(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161125)、看過し難い。

本件については、凄腕の若手弁護士氏が、日本社会の秩序や倫理性を維持する目的で、極めて明快に解説されている。

それによると、どうやら昨今では、加害者が「被害者ビジネス」に加担する風潮があり、飯山氏も同類であるらしい。例えば、池内恵氏から訴訟を起こされて1100万円が必要となったというので、毎日、高級ブランド服をとっかえひっかえ着ている飯山氏が視聴者からカンパを募り、従順な支持者はなけなしのお金を振り込んでしまったようである。その後、飯山氏の発言を巡る実態が明らかになると、騙されたと感じた送金者達が銀行宛に払い戻しを次々に訴えた。しかし飯山氏は、「受け取ったお金は返す必要がない」「報告する義務もない」との身勝手な主張で、周囲を辟易、激高させているらしい。

この話は、裁判の結果、どこまで双方の主張が認められるかは不明であるものの、公にする意義は充分ある、という。即ち、飯山氏に振り込んだ金銭の取戻しが主目的なのではなく、送金者にとって「自尊心(名誉)の回復」を求めての裁判だからである。
。。。。。。。。。。
10年以上に及ぶ私の周囲の見苦しいゴタゴタも、形は全く異なるが、その本質としては何か近いものがあるように感じている。

普段は相互交流もなく、接触がないために、こちらは何も知らないままに過ごしてきた。ところが、近親者の誰かが亡くなり、葬儀となると「○○家が困るから、お宅は香典、結構です」と突き返されてきたり、「なぜあの子に知らせたの?」とお悔やみ状に立腹したりする人が出て来る。また、病人のお見舞いやその後の納骨や墓地についても、一切知らせないままにして、後で「あなたは何もしなかった」と責め立てる人も現れる。相続に関しては、こちらの隙あらば、というやり方で、勝手に法定相続人の権利を侵害するどころか、取り上げて平気であったりする。気が付いた時には、「もう遅い」「今頃、気が付いたの?」と嘲笑される始末である。

公的機関での電話相談では、対応するカウンセラーの資質が実に低い、と私は常々感じている。

「相手が変わらないなら、自分が変わるしかありませんね」「自分の価値観で相手を変えようとしないことです」「そんなの、スルーすればいい」「あなたは周囲に振り回されていますね」「それは、あなたの感情問題ですね」等と、紋切り型の返答しかない。そういうレベルの問題ではないのに、そもそも相談員に洞察する力量が欠けている。それで済むならば、警察も裁判所も法秩序も全く不要ということになる。

心理相談ならばいいが、私が直面してきたのは、古今東西、人間存在の本質にかかわる事柄が、勝手に無視されたり取り上げられたりして、一方的に不利益を被っているという次元なのである。
。。。。。。。。。。。
上述の日本保守党を巡るバトルについても、極めて卑劣かつ低次元の事柄が発生しているからこそ、しばらく相手にせず黙っていた当事者が、思い切って訴訟に踏み切ったと考えられる。

私の場合は、裁判を起こすとか訴えるということではない。法的にも何ら得るものがないからである。但し、「黙っていればわからないから」と悪事を働いていた近親者がいて、それによって多大な迷惑を被っているならば、そこは正々堂々と公表すべきだと思うのだ。狙いは、社会秩序の維持と道義心や倫理観の是正である。

恐らく、私が遠ざけられてきた理由は、子供の頃から本を読むことが好きで、好奇心も旺盛だった上、真っ直ぐ物を言う性質から、祖父母、特に祖母は初孫の私に期待して、家の中でも喜んで話していたのだろう。従って、叔母や従兄弟達の中には、私の存在を疎ましく妬ましく感じてきたことがあったのかもしれない。

しかし、「だからやり返してやる」というのは、邪悪だ。私にとっては、いつでも突然、先方からトラブルが降りかかって来るという感じなのだ。そういう人が一人でもいる家系は、決して繁栄することがない。果たせるかな、事実、その通りになってしまった。

(2025年3月29日記)

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新たなる準備を(1)

早くも新学期間近となり、そろそろ準備をしなければならない。
2月19日には早々と届いていた計5科目の放送大学の印刷教材も、結局は予習どころではなかった。久しぶりに、図書館から国防や自衛隊に関する本を7冊も借りてしまったからでもある。また、いろいろと心に積もり積もっていた澱のようなものを少しずつ整理する時間が必要だったからでもある。
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昨日は、昨年11月から今年3月まで、ツィッターやフェイスブックに掲載した自分の感想やコメント等をワードに転写したままだったものを、一気にブログに19項目として転載した。この作業は、自分を振り返る上でも、日々の記録としても、私にとっては欠かせないことだ。

なぜ、昨秋から溜まったままだったのか?

11月には、姫路駐屯地での記念式典に加え、きもの文化検定があった。12月5日には、伊丹市の南西部にある野間という町の藁ぶき屋根が残る民家で、古文書整理のお手伝いをした。その前後には、暇を見て、昨春に学位を授与された修論の字句修正を仕上げ、梅田の印刷屋さんで二回に分けて製本を10部作製。年内中に、お世話になったお医者様方に五月雨式に郵送したり、直接、医療機関に出向いてお渡ししたり、ということを繰り返した。そして、還暦として張り切ったお年賀状の印刷にして、80枚程出した。また、昨年後期には、放送大学と院の受講科目が7科目もあったので、1月下旬の単位認定試験に備えて、1.5倍速で受講を続けていた。

履歴書をワードに作成してあるが、確実に順調に自分なりの歩みが進められている。いつでも私は思っているが、これもそれも「主人が残してくれた時間とお金とエネルギーだ」と。だからこそ、主人の分も頑張って、私なりのものを築き上げていかなければならない。あと20年ぐらいは、こんな調子で暮らしていきたい。
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実は、3月20日の春のお彼岸には、恒例行事として7年目になった名古屋の平和公園へのお墓参りに行った。ただ、前日の主人の家のお墓参りと午後の不動産モニター懇親会の疲れもあり、出発は午後からとなった。

たまたま、一ヶ月前に予約をした新幹線の座席指定つまり乗車時間の指定をしておかなかったのは、我ながら正解だった。悠々と焦ることなく出かけられた上、もともとガラガラで空いていたこともあり、指定席の車両に遠慮なく図々しく座った。そして、途中で車掌さんに申し出て、座席指定券を現金払いで750円分支払って、問題なく済んだ。(若い頃なら、黙っていれば済むだろう、という下心もあったが、実際には車掌さんもチェックしているため、最近では自分から支払うようにしている。その方が、人生万端、精神衛生上もうまく運ぶのだ。)

そして、午後遅く名古屋へ到着。従来ならば、そこで常宿としている伏見のホテルに荷物を置き、身軽になって平和公園へと向かっていたが、今回は時間の制約もあり、そのまま名鉄の津島線に何十年ぶりかで乗ってみた。目指すは、甚目寺観音。

最近、フェイスブックで「名古屋」「昭和」を振り返る写真付きのシリーズが掲載されていて、私も遠慮なくシェアさせて頂いている。その中で、名古屋城を守護する東西南北の寺院の一つが甚目寺観音だと、初めて知ったのだった。

名古屋城の近くの旧国立名古屋病院で生まれ、小学校6年生の2学期まで名古屋市西北部で育った私は、小学校の白地図で、荒子観音や笠寺観音について習ってはいた。だが、東京や大阪や京都と同じく、大都市生活というものは、実は自分の用事や目的のためだけに移動する制約された日常で過ぎてしまうため、案外に知らない場所が多い。その点、結婚以来21年以上暮らしてきた大阪府下の島本町や、2018年9月下旬に転居した兵庫県伊丹市は、地理面積が比較的狭いために、文化財や歴史的遺物をくまなく学ぶのに適している。その気になれば、一日で主だった場所へ行けてしまうからだ。

振り返ってみると、20代に計4年間も政府の業務とリサーチ目的で暮らしていたマレーシアのクアラルンプールも、古い地図をくださった故戸谷修先生(三重大学名誉教授)のお蔭もあり、大抵の地理はわかるようになっていた。(但し、ここ20年以上の間に開発が急激に進み、2012年12月に最後のリサーチ旅行をして以来、私はよく知らないことが多い。)

ともかく、甚目寺観音とは、私が中学生の頃、隣町にある有名な観音寺だということは知っていたものの、毎週末には名古屋市内の伏見にあった名古屋音楽学校へピアノのレッスンに通っていたため、電車の方向性が逆の甚目寺町へは行くことがなかった。中学の風紀についても、私の母校とは違って「不良が多い」「怖い」という評判だった。私の町に暮らしていた中学の先輩で、極端に長いスカートをはいていた女の子が、何らかの理由で、処罰として甚目寺中学へ転校させられたと聞いていた。

従って、中学校の歴史の時間に先生から何か聞いていたのかもしれないが、甚目寺観音と名古屋城の関係について試験に出題されることもなく、あまり風紀のよろしくない隣町のことは、まず関心を持つこともなかった。

当時の我が町も、その後進学した県立高校のある甚目寺町も、あの頃は田畑が広々と残っており、兼業農家も多かった。経済成長一辺倒だった戦後育ちの名古屋市郊外の中高校生としては、やはり目指すは名古屋市の中心部、そして東京を意識しながら過ごしていた。
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名古屋城については、幼稚園から小学校低学年の頃まで、父や妹とよく散歩に出かけていた。旧陸軍の訓練場だったらしい広い名城公園で凧揚げをしたり、ジョギングをしたり、テニスボールで父とキャッチボールをしたりしていた。小学校5年頃には、名古屋城で写生大会もあった。主人と二度目のデートも、名古屋城だった。1997年1月2日のことである。秋になるとお菊人形のような催しが開かれており、遠方からのお客さんを招待するにも困ったことは一度もなかった。

先の大戦では、名古屋大空襲で名古屋城の金の鯱が落ちて炎上した、という話は子供の頃から聞いていたものの、それが何を意味するのか、名古屋市民であった子供時代には、ピンとこなかった。つまり、昭和の子供にとって、お城があるということは当たり前過ぎて、それ以上に探索する気も起らなかったのだ。(ついでながら、名城公園はデートコースとしても有名だったので、旧陸軍の訓練場だったらしいことは、つい最近になって古い映像を通して知った次第である。)
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私が、自分の暮らしていた土地および祖父母や両親の出身校や菩提寺等のルーツに目覚め、遅ればせながらも一人でコツコツと尋ね歩くようになったのは、主人の病状が明らかに悪化しつつあった2018年夏頃からである。それまで忌避していた高校の同窓会にも、思い切って出かける決心をした時であった(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180826)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180829)。

それに輪をかけて私を地域史に熱心にさせたのは、伊丹へ引っ越したことがきっかけである。

主人の強い希望ではあったが、実際には本人の病状進行から無理を押しての伊丹転勤でもあったので、私としては早く慣れなければと必死だった。街歩きや歴史講座のような催しを広報伊丹紙で見つけては、積極的に電話をかけて申し込み、参加した。ちょうどその年は行基菩薩の生誕記念年にも相当していたので、街歩きや古い地図等の資料説明を通して、昆陽池や昆陽寺の歴史的経緯等をさまざまな角度から学ぶことができた。その一つ一つは、島本町の自宅近くにあった若山神社が行基由来の創建であるという立札を見ながら20年以上も過ごしていたことと重なり、急速に親近感を抱けるようになったのだ。西国街道一本で、島本町と伊丹の千僧が繋がっている地図を見た時にも、(私は一人じゃない)(これまでの生活の延長線上に今がある)と確信することができた。

JR伊丹駅周辺に広がっていた今はなき惣構えの有岡城のことを、今でも熱心に調べて研究史としてまとめているグループがあることも、非常に刺激となった。

愛知県民だった頃から、伊丹は阪神間の競争的な地域だと思っていたが、実際に暮らしてみると、住民意識が高く、狭い土地なのに細かな工夫がここかしこに積み重ねられていて、テキパキした生活テンポや利便性も私に合い、非常に居心地が良い。顔見知りを作るためにも、新しい土地における自分の居場所を見つけるためにも、地域史を学び、自分の人生に何らかの接点を見出す作業は、しっかりと地に足を付けた暮らしの工夫にもなり得る。
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こんなことから、時間の許す限り、市内の歴史講座を受講し続けて早くも数年が経つ。と同時に、2019年3月からは年に一度、春のお彼岸に必ず帰郷して、平和公園で両系の曽祖父母のお墓参りを一人でする習慣が確立した。その頃までは電話で自由に話すことのできた、母方の本家の嫁である叔母が父方母方の両方の檀家寺を教えてくれたことにより、実現したことだった。

本来ならば、結婚しても年に一度ぐらいは実家に帰ることがあってもよさそうなものだ。だが、私には筆舌に尽くし難い事情により、主人と一緒に名古屋の実家に行ったことは、1997年4月の結婚の挨拶時と、2011年4月末の父のお見舞いしかない。その後は、父の逝去後、2013年4月の遺産相続の分割協議書云々の用事で、弟と甥、妹の4人が実家に集まった時だけである。主人が結婚後一年で神経難病の診断を下されたのに、お見舞い一つなく、徹底的に無視されていた私達だった。お年賀状も毎年私から送っていたが、父からは必ず元旦に届いていたものの、父がいなくなったら全く音沙汰がなくなってしまった。

主人の母の家には、実家の母から手紙やら突然の押しかけ訪問やらがあったらしい。義母の方には、落ち込ませるような内容を頻繁に手紙で書き送っていたという。大抵は弟(と嫁)の自慢ばかりが綴られ、同時に私の悪口が書き連ねてあったようだったと、時々、大阪の実家へ様子を見に帰っていた主人が話してくれた。ある時は、以前から購入してあった自宅近くの墓地を放棄して、樹木葬にするという変な手紙が来ていたということで、スマホに撮った写真も見せてくれたことがあった。

だが、私には何もなかった。いや、二度ぐらいはあったが、必ず金銭面でトラブルを巻き起こすような敵意に満ちた変な内容ばかりで、仮に関わるとすれば常に心が乱れ、何日間も何も手につかないような気分に陥らされた。

(1)2008年には、いつの間にか金庫から、マレーシア勤務三年目の一年間の本俸を貯金してあった私の通帳一冊が、ごっそりと下ろされていたことに気付いた。銀行からの書面通知で判明したことだった。だが、それはうちの主人の仕業だと決めつけ、「今頃、自分の夫の正体に気が付いたのか」と脅迫するようなことを葉書に書いて寄越してきた。銀行に問い合わせたところ、確かに〇年〇月〇日に、私の母親が来店して、「親子だから」という理由で子供の貯金の出し入れが自由にできた時代の特権をフルに行使していたことが判明した。しかも、その銀行は、亡父が長年勤務していた都市銀行だったのだ。被害総額は158万円であった。

(2)2011年か2012年頃には、「自分の言う通りに一字一句、正確に郵便局で通帳とキャッシュカードを作るように」と、突然手紙が来た。既に郵貯通帳を持っていたのに、新たに口座を作れ、というのである。その口座を通して、母方の祖母から長年、入学祝、誕生日祝、卒業祝等でいただいていたというお金が、その年3月末の祖母の逝去に伴って、ようやく私に渡ることになったらしい。その話も、こちらが要求したのではなく、突拍子もなく勝手に、だった。しかも、「キャッシュカードだけは自分の手元に置いてよいが、通帳は返送せよ。言うことを聞かなければお金は一銭も渡さない」と明言されていた。郵便局では、「口座の名義人がキャッシュカードと通帳を一緒に持っていなければいけない」と再三言われたが、仕方なく、新たな通帳は返送した。ところが、その後、父が亡くなったり、主人の体調やら私の用事やらで忙しくしていたところ、2013年のある日、ふとATMでチェックしたら、いつの間にか全額ごっそり下ろされていたことに気づいた。妹に尋ねると、「仕返しだ」「気が付くのが遅い」と、こちらを責め立てるようなことを言う。何が何だかさっぱりわからないうちに、このようなことになっていたのだ。追跡してみると、愛知県内の自宅周辺や名古屋駅、豊橋(!)のような県南部の数ヶ所の郵便局で、数十万円ずつ、何回かに分けて下ろされていた。被害総額は220万円であった。
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(1)に関する過去ブログの記録を、以下に抜粋する。

・2016年2月21日「子のお金を取る親(1)」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160221)
《私の場合は、8年前に発覚した。金庫から通帳を盗んだのは、恐らく結婚前だろう。もう19年も前の話だが、今でも解決していないどころか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)》

・2016年3月18日「場違いな「仕返し」」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160318)
《金庫に入れてあったはずの、独身時代に働いていた時の一年分の給与通帳が盗まれていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。いつ誰がやったかは、銀行に問い合わせて判明している。あのお金で、結婚後も配偶者に金銭上の迷惑をかけずに勉強を続けていく予定だった。一体全体、何に使い込んだのか?これは盗難で、立派な犯罪行為である。いい加減にして欲しい。》

・2016年3月20日「社会性のない者が横領する」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160320)
《その挙げ句、「結婚するなら養育費を返せ」と、働いていた時の一年分の給与の預金通帳も盗まれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)。》

・2016年11月17日「義務と権利の不当な剥奪」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161117)
《私のように、社会人として真っ当に勤務して、規定通りに受け取った一年分の給与通帳をごっそりと取り上げられた場合は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160320)、既に「子ども」ではないので該当しないことになる。》
《自分で働いて得たお金で勉強を続け、将来に渡って研究費用に当てようと計画していたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)、知らないうちに横取りされていたのだ。金庫に入れておいた通帳がいつの間にか紛失していて、銀行に問い合わせたところ、いつ誰が勝手に解約したのかは、判明している。しかも、その銀行は父が勤務していた職場であったので、騒ぎ立てるなとも言われた。その上、何ら関係のない主人が盗んだことになっていて、随分前のことになるが、手紙で主人の母が責め立てられたようだ。》

・2017年2月1日「事実と経験だけが残る」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170201)
《また、繰り返すが、働いていた頃の一年分の給与通帳一冊が盗まれてしまっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)。「盗まれる方が悪い」「気づくのが遅い」と言われるのだが、そもそも、金庫に保管してあった通帳である。結婚後、十年以上経って銀行から書類が届いたので、銀行に問い合わせて誰がしたのかを知ったのである。》

・2017年10月7日「自衛策と自活法」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171007)
《働いていた頃の一年分の給与通帳も取り上げられ、気がついたら、お祝い金などもゴソッと下ろされていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170201)。》

(2)に関する過去ブログの記録を、以下に抜粋する。

・2017年2月1日「事実と経験だけが残る」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170201)
《祖母が亡くなって一年以上経ってからやっと、これまでのお祝い金だとして受け取ったことになっていたはずのお金も、父が亡くなった後で気がついたら、全額下ろされていた。わけのわからないドタバタ騒ぎで疲労困憊していて、毎月の通帳記入がたまたま遅れた隙のことである。証拠としての記録は残してある。それとて、「キャッシュカードと通帳は同一名義人が保管すること」と銀行では言われているのに、「絶対にキャッシュカードは渡してやらない」と言い張り、一方的に下ろされたのである。》

・2017年11月16日「二十周年記念日に寄せて」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171116)
《祖母からの長年のお祝い金や私の一年分の給与貯金通帳まで、気がついたらごっそりと下ろされていた。それにも関わらず、妹は法定相続人の私に向かって「あんた遺産欲しいの?」「気がつくのが遅い」などと抜かした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170201)》

2016年から2017年にかけて、繰り返し私がこのようにブログで記録を綴り続けてきたのは、その頃から徐々に、主人の自律神経症状に加えて精神症状が出始めてきた時期と重なっていたからでもある。つまり、日々の不安が雪だるまのように膨れつつある時に、こちらが困窮してはいないとしても、精神的に窮地に陥るようなことを故意にされたまま、放置されていた状態だったからであろう。念のために申し添えるが、経済的に困窮したからブログを書き始めたのではない。
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これ以外の過去ブログでも綴ったように、私は実母と長年、理不尽にも折り合いが悪く、いつでも父や母方の祖母が体を張って守ってくれるような状態だった。
第一子で逆子の難産だったから、育てにくい子だから、という理由で、「この子の顔を見るだけで、憎たらしい」「なんで自分だけ幸せになろうとするの?」等、小学生の低学年の頃から、何かと難癖をつけられては、物差しや箒で叩かれ、お金を取り上げられたり、友達との約束も直前で壊されたり、鍵をかけて家から追い出されたりしていた。お小遣いなんてもらったことはなく、お年玉や入学金や卒業祝い等は、全部取り上げだった。「結婚する時に渡すから」と言われていたが、結婚前には「行かず後家」と散々ののしられ、結婚しようとすると「自分だけ幸せになろうとするなんて、絶対に許さない」みたいな罵倒を繰り返されていた。

結婚騒動は長引き、1997年4月には一ヶ月間、名古屋市内の友人宅に居候させてもらうほどだった。精神科にも相談に行き、父や婚約者だった主人も一緒に診察を受けてくれた。結果としては、私は正常な反応を示しているだけで、治療の対象はあくまでも母親だということだった。だが、本人に自覚がなく、診察に来ないならば、なす術はない。医師からは、「早く家から出て自立すること。お母さんの近くにいては危険だ」と言われた。果たせるかな、事態は予想を遥かに超えた進展だった。その精神的苦痛は、いつでもどこでも、私の根底で流れ続けている。

表面的には、私は小さい頃から読書やクラシック音楽が好きで、比較的健康にも恵まれており、倹約志向の生活にも慣れていたので、一人暮らしてあっても、特に問題なく生活してきたように見えるかもしれない。また、主人が若年性の神経難病患者であったとはいえ、運動症状としては軽度であり、職場に通い続けることに最後まで意義と誇りを見出しており、良い上司に恵まれていたことから、経済的には何とかなっていたと言える。そして、温かく広い心の持ち主だった主人は、私を可哀そうに思って、いつでもやりたいことを思いっきりさせてくれる度量を示していた。だからこそ、以前のブログでは、勉強ノートや生活記録を公開することに何ら躊躇せず、誇張もなくあるがままを綴ることができたのだった。何よりも、時折の国内外の旅は広い意味での主人にとっての治療を兼ねていたので、今となってはありがたい限りだ。

こんな母娘関係だったため、祖母や父や主人がいなければ、今頃自分はどうなっていただろうか、と想像するだに空恐ろしい。平和公園での両系のお墓の場所も、子供の頃には親戚一同で行った記憶はあったものの、正確なところ、上述のように2019年3月に母方の本家の叔母(嫁)から電話で教えてもらって初めて知った次第である。というのは、母親が絶対に教えてくれなかったからだ。「分家だから」「うちは核家族だから」という、一見尤もらしいが、どこか変な理屈からだった。

恐らくは、私が何かをしたので自分に跳ね返ってきているというよりは、私が私であるという存在そのものが、苛立たしく感じられる家族親族関係だったのだろうと思う。但し、私の場合は、母方祖母や父、そして結婚してからは主人が、いつでも私を体を張って庇い、守ってくれていた。だからこそ、このように何とか真っ直ぐ生きてこられたのだろうと思う。そのためにも、お墓参りは大事なのだが、ハタと今回気づかされた点がある。今日のブログの本心は、そこにある。
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それは、平和公園にある墓地が、父方はともかくとして、母方は曽祖父母と夭折した祖父母の娘一人のお墓のみ知らされていた、ということである。最初にお墓参りをした2019年3月までは、何とか電話で話すことのできた母方本家の叔母であったが、教えてもらって無邪気に喜んでいたのもつかの間、それからしばらくして突然、「もう連絡はしてこないで」と言われてしまったのだ。

もともと、2014年頃から何かのきっかけで電話で話すようになった。恐らく、祖母が亡くなった2011年3月末の後、2013年2月中旬に私の父が亡くなり、納骨や墓地をどうするかという話が、私だけ抜きで、実家や親戚の間で話が回っていたことからだろう。

ちょうど2015年の春、私はパイプス訳業から中東フォーラム主催のネゲブ・イスラエルの旅に参加しており、イスラエルからも絵葉書を叔母宛に送った(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150512)。実のところ、そのような知的刺激のある外部活動に加わっていなければ、主人と二人だけの下降していく平板な生活では精神的に窒息しそうな毎日でもあった。だが、訳業の必要性を兼ねてのスタディ・ツアーであったため、発病前は米国の留学や駐在を経験していた主人が「できるうちにできることをしたらいい」と、快く送り出してくれた。しかしながら、そういう私の事情を理解しようとするよりも、叔母にとっては、自分中心の固定化した歪んだ見方で私の話を聞いているかのような印象だった。

そして、電話を断られた理由が何と、もう一人の叔母(母の妹)の家で義弟さんが亡くなった時、私がお悔やみ状を送ったからだ、という。「家族葬にしたのに、どうしてあの子が知っているの?」と叔母が本家の叔母に怒りを伝え、叔母から私は「〇〇さん(叔母の名前)との関係が壊れるから、あなたとは付き合えないわ」と言われたのだった。

このような陰険なとげとげしさは、私の母方の家系に蔓延しているようである。(父方には、そういうことは感じられない。是と言ったら是、アレと言ったらアレ、と裏表なく、文字通りに物事が進んでいくからである。)

主人は言った。「その話、おかしいんじゃないか?家族葬だとしても、親戚だったら、お悔やみ状ぐらい送るのは常識じゃないか?」と。私も同感である。恩着せがましく何かを要求するわけでもなし、お悔やみ状さえ迷惑ならば、最初から誰にも何も知らせず、直葬か密葬にして、いつの間にか存在を消してしまえば済むことだ。(但し、それが世間的に受け入れられるかどうかは不明である。)

実は、その前後に二度ほど、叔母自ら教えられたお誕生日にプレゼントを贈った。2000年4月上旬、主人が亡くなった日の朝も、お見舞いの後で昼間に阪急百貨店へ行き、贈り物としてのジュースを発送した。だが、誕生日プレゼントの受取通知はなかった。勿論、主人の逝去に対して一言もなかった。それどころか、「今後は、心安らかに暮らしていきたい。長野県の友人宅でお世話になることになったので、もう名古屋には住んでいない」という手紙が届いた。連絡先も書いていなかったので、驚いてその後、何かの折に名古屋へ立ち寄った際に祖母宅へ行くと、家はそのままだった。ちょうどたまたま、斜め前の家から出て来た女性に尋ねてみたところ、「奥さん、ずっとあそこに住んでいますよ」。

そして、極めつけは、その年のお歳暮が叔母の息子、つまり私の従兄弟によって送り返されてきたことだった。「母は元気です。もう送ってこないでください」。

つまるところ、私が何か差し出がましいことをしたからというよりも、「気難しい(鬱陶しい)」祖母や「実直だった」私の父がいなくなった今、もう親戚としての関わりは一切持ちたくない、ということのようなのだ。だから、血の繋がりが全くない曽祖父母(ユーリ注:祖父は養子として、祖母は嫁として家を継いだ)のお墓だけは教えたものの、私が高校2年(17歳)の時に糖尿病で亡くなった祖父(1982年)、肝硬変で亡くなった叔父(2005年)、レビー小体型認知症を8年程患って亡くなった祖母(2011年3月)の墓地がどこにあるかは、一切知らされないままだったのだ。
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なぜ、このような陰湿な展開になってしまったのだろうか?

この叔母は、本家の嫁として、私よりも後に祖父母の家に入った。私にとっては、子供時代に祖母宅でかいがいしくお世話になった記憶が濃厚で、その路線で関わりを持たせていただいていたつもりだったが、実は祖母の遺産相続を巡り、戸籍改竄をしていたことが2011年に発覚し、祖母の三十五日祭の後すぐに、裁判沙汰になっていたのだった。

・2015年11月6日「秋の夜長に」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151106)
《追記:1.いかなる理由があったとしても、戸籍改竄は犯罪である。上記の親戚の人は、それをした。まずは、恥を知って欲しい。》

・2015年12月12日「読書の冬」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151212)
《親戚の戸籍改竄など(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、主人も「そんな恐ろしいことを、誰が入れ知恵したんだろう」と開口一番、言った。私だって、自分の身が汚れたように感じて、非常に不愉快なのだ。しかし、それをした方が威張っている。》

・2017年2月1日「事実と経験だけが残る」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170201)
《以前に書いた私の親戚の戸籍改竄の事例も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151216)、もしかしたらこのケースに近いのかもしれないが、裁判判決書類を見ていないので、私には何とも言えない。
仮にそうだとしても、いわゆる「ババ抜き」結婚だとか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)、施設名を知らせないでおいて「お見舞いゼロ」を後から責め立てるとか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170117)、亡くなって数年経つ祖母の悪口を言ったり、会ったこともない私の義母のことを高笑いしたり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)、進行性難病で十数年苦労してきた主人のことも「そのうち、そっちも脳がボロボロになるから見てらっしゃい」と口走ったり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、「あなたには遺産ないわよ」と平然と言った挙げ句、「これで年賀状は失礼します」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161201)等という一連の態度は、どう見ても勝手過ぎ、失礼極まりないのではないか。》
《晩年、アルツハイマー病を何年も患っていた祖母(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161222)の「娘」の座に、血の繋がっていない人がいつの間にか戸籍上、居座るというのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)、たとえ節税対策であれ、遺産欲しさであれ、法律上はおかしいし、孫の立場にとっては、感情面でもアイデンティティの面でも、到底、容認し難いのではないか。》
《認知症の高齢者を介護する家族の大変さから、せめて嫁にも遺産分配してほしいという情状酌量は認められよう。それとて、客観的な証拠があれば、こちらにも納得がいくのに、コソコソ隠れて不正行為をするので、ここまでこんがらがるのだ。》
《事実を知りたいと言っても、「個人情報法」とやらで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160302)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)、今は当事者以外には知らせないことになっているらしい。また、「それはあなたの感情の問題ですね」で済まされてしまうのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)。それに、「気がつくのが遅過ぎる」「もう済んだこと」「よその家のことに口を挟まないように」等と封じられてしまう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170117)。》

・2017年11月16日「二十周年記念日に寄せて」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171116)
《結婚式に父と二人でご招待に上がっても、「わかってますから」と断ってきた人は、祖母が亡くなってから、戸籍の改竄をして遺産を受け取ろうとしていたらしいことがわかった。全ては、父が2013年2月中旬に亡くなってから、少しずつ判明したことだった。》
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当時の私は、主人の病気のことと、パイプス訳文の作業と、自分の研究論文のことで頭が一杯で、遺産相続に関して戸籍改竄の何が問題なのか、どうして裁判沙汰になったのか、叔母に対して私は善意で接してきたつもりなのに、なぜ悪意的な冷たい対応(最近の流行語では「塩対応」か?)をされたのか、が判然としていなかった。

だが、今年の春のお彼岸で名古屋の平和公園へ行ってみて初めて、突然、頭がクリアになったのだ!7年目にして、ようやくである!

祖母には、法定相続人として、弟(私の大叔父)一人に娘二人(私の母親+お悔やみ状で怒ってきた叔母)がいた。その頃の民法では、介護に何年も苦労させられたとしても、たとえ血が繋がっていても、同居の孫には法定相続人ではないとして遺産は渡らず、ましてや同居の嫁は相続権ゼロであった。(最近では、同居の嫁等の介護人は、医療データや介護記録が示せる限り、遺産を請求することができるように民法が改正されたそうである。)従って、祖母の遺産は、三人の法定相続人に限定、と民法では規定されていた。これは、税務署でも家庭裁判所でも同一である。

ところが、叔母は、嫁なのに祖母の「養女」、従兄弟は、孫なのに祖母の「養子」として、戸籍謄本を書き換えてもらうよう、役所に書類を提出した。その時期が問題で、ちょうど肝硬変の叔父と認知症になった祖母の病状が同時期に重なっており、「病人を二人も抱えて、介護が物凄く大変だった」。だから、介護で苦労した分、遺産がもらえるように細工をしたらしい。祖母が「苦労をかけたから、財産を分け与える」と言ったかどうかも、裁判では争われたようである。

ちなみに、訴訟を起こしたのは、私の母親である。法的に言えば、母親には落ち度が全くなく、むしろ、法定相続人としてトラブルを起こされたと申し立てする権利はある。だが、叔母達から見れば、「お見舞いに来なかった」のに、祖母の娘だというだけで遺産を横取りしているように思えたのだろう。「悔しい、悔しい」「盗られた、盗られた」と、私への電話でも繰り返していた。

最初、私は自分の母親が相当ずるいことをしているのだろうかと思い込んでいた。だから、頭がもやもやとして理解し難かったのだ。

だが、昨年度に前期と後期の二回、放送大学大学院で法学の2科目をそれぞれ受講し、日本の法体系の歴史的経緯と特徴、現代における法整備の在り方全般を学んだことから、論理的に落ち着いて考えられるようになった。また、主人の遺産相続に関して、従来からの主人の願い通り、私が一人で受け継ぐことになった(義母と義兄は自ら放棄した)ことと、昨年と今年の準確定申告で、やっと医療事実に基づく大量のレシートを整理して還付金計算を済ませたことから、思考が明快になった。

即ち、裁判所は、叔母の二度に及ぶ戸籍改竄に関する行為に対して処罰を下し、従兄弟は私の母親に1000万円を返却することになった。(これは、裁判後に母親がコピーを送ってきたので、証明できる。当時は何が何だかよくわからず、そのままにしておいた。)

叔母が、嫁なのに祖母の「養女」、従兄弟が、孫なのに祖母の「養子」としたのは、相続税対策だ、と一般には素人考えするかもしれない。だが、実子や兄弟姉妹などの血の繋がった法定相続人がいる場合、相続対策としての「養子」扱いは、一人までと決まっている。つまり、親子揃って二人で祖母の「法定相続人」になろうとしても、そうは問屋が卸さなかったというわけだ。

その上、祖母が本当に「財産を分け与える」と家の中で言っていたとしても、認知症患者の場合、言わされたのか、本気だったのか、そこは印鑑を押した本人自筆の文書がない限り、証明が難しいところではある。

しかし問題は、その戸籍改竄が二度も行われていたことだった。「養子」申し出は、役所に書類を提出するだけで簡単に済み、内実を問われることが無いらしい。従って、一度限りの提出ならばともかく、時期を置いて二度も出したり引っ込めたりしている戸籍上の日付を見ると、当事者の気持ちの揺れが見え隠れしていると考えられる。つまり、作為性の存在である。

いずれにせよ、嫁として孫として、「介護が大変だったから遺産が欲しい」というのは、情状酌量の余地が大いにある。とはいえ、やり方があまりにも稚拙であり、法的にも道義的にも外れていることは明確であろう。

裁判は2011年には終了していたようだが、2014年頃から始まった叔母との電話で、いつでも何だかこちらが不愉快な気持ちにさせられたのは、叔母が強調していたところの、祖母に似た私の「気難しさ」のせいではなく、あくまで嫁として家に入った叔母の社会良識や基本的な法知識の不備から来たものであろうと結論づけられる。

第一、2019年春に一方的に電話を断られる前の頃、私は「叔母さん、朗報朗報!民法が変わって、同居のお嫁さんにも遺産がもらえるようになるらしいよ」と、わざわざ電話を掛けたことさえあったのだ。その際、「あら、あなたはそういう人だったのね。でも、裁判所から何も言ってこないし、もういいわ」と言われた。(その時、私はまた自分が批判されているのかと思い込んでいた。)

十数年以上も前から長々と繰り返し引き摺って来たこの不可解かつ理不尽な気持ちは、一つ一つ、お墓参りやルーツ辿りを繰り返していく度に、霧がゆっくり晴れていくように溶けていく。時間の無駄かもしれないが、何事もなかったかのように全てを封印して意識下に抑え込んでいくよりは、私の場合、ブログで公表できるように公明正大な生き方をし、理不尽さに立ち向かっていきたい。それは、私の生存権だからである。義務を果たしつつ、権利だけは家族や親族によって奪われてきたなんて、だからいつまでも心理的な落ち着き場がなかったのだ。豈図らんや。
。。。。。。。。。。
2018年8月に高校の同窓会に初めて行って以来、そして、2019年3月の春のお彼岸で平和公園に行くようになって以来、名古屋で訪問した場所は、以下の通り。

・母方祖父母宅の近くの檀家寺と高牟神社(生後一ヶ月のお宮参り)
・父方祖父母宅(名古屋大学の近くだった)
・父の檀家寺である名古屋市栄の金剛寺(臨済宗妙心寺派)
・父の母校である城山中学(文教地区であるらしい)と旭丘高校
・母の母校である今池中学と菊里高校(平和公園の途上の星ヶ丘にある)
・伏見周辺(父方祖父の本籍地)の神社四社
・熱田神宮
・愛知県護国神社
・城山八幡宮
・愛知県図書館
・鶴舞中央図書館
・徳川美術館
・テレビ塔(1996年12月22日、主人と初めてのデート場所)
・名古屋城(1997年1月2日、主人と二度目のデート場所)
・鶴舞公園(1997年2月、父に結婚前提の交際を認めてもらった後のデート場所)
・庄内緑地公園(1997年3月頃、私が作った簡素なお弁当を持って主人とデート)
・東山動物園(1997年前半期、東山公園へ主人とデートで大観覧車に乗ったことがあった)
・白川公園(小学生の頃、木下大サーカスの思い出)
・名古屋市立科学館(小学校低学年の頃、地獄落ちの話が怖かった)
・名古屋大学と桃厳寺(留学生を連れて禅体験をしたことがあったが、後に住職が不祥事を起こしたらしい)
・小学校5,6年の担任の先生のご自宅へお参り
・ピアノの先生のお宅(本郷)
。。。。。。。。。。。。
さて、すっかり話は逸れてしまったが、今後の為にも、今回立ち寄った場所を記しておく。

2025年3月20日午後から夕方にかけて

1.甚目寺観音と周辺の道標や仏教寺
2.ヨシズヤの「寿がきやラーメン」店

*甚目寺観音からは、高校時代に部活動(水泳部)の後で友達と時々立ち寄って寿がきやラーメンを食べていたヨシズヤが見えた。43年以上も前の出来事である。将来の自分がこんな人生になるとは想像もせず、無邪気に過ごしていた時間を思い出すべく、私は夕食を摂りに行った。16歳から17歳の頃、二階にあった寿がきやラーメン店は、今や一階に店舗を構えていた。メニューは当時と変わらず、大阪並みにおいしかった。料金も良心的だった。但し、客層はいかにも大衆レストランと化していた。

*甚目寺観音周辺は、伊丹よりも遥かに静かで、車の運転マナーが良い。伊丹だと、ちょっと立ち止まっているだけで、自転車も車も我が物顔にすれすれに通り過ぎて行く。接触事故が起きないかと、危なくて仕方がない。名古屋近辺では、もともと車通りが少ないせいか、少し歩道沿いに立ち止まっていると、車の方が静かに停車してじっとしている。

2025年3月21日午前から夕刻まで

1.平和公園の父方母方のお墓参り
2.徳川美術館・逢左文庫・徳川園
3.清州城・清州公園
4.実家と周辺の村社や公園

*実家は、石塀が取り替えられて今風になり、門扉のライオン飾りも消え、表札がアルファベット式に簡素化されていた。雨戸ではなく、どの部屋もカーテンを閉めたままだったが、夕刻遅い時間で暗かったのに、電気をつけた部屋は一つもなかった。枇杷の木がごっそり抜け落ち、私が毎週掃除をしていた二つの庭も、整然としていたが寒々とした光景と化していた。とても近寄れるような場所ではなかった。玄関には変な貼り紙がしてあった。それは、社会福祉協議会による「高齢単独者住まいの見回り」みたいな文言で、風雨に晒されてなのか、薄く印刷されていたものだった。

(TO BE CONTINUED…..)

(2025年3月28日記)(2025年3月29日加筆修正)

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スペインとスペイン語を巡り

来月から、新年度の放送大学が始まる。初級スペイン語を一科目受講することになっているので、久しぶりにスペインとスペイン語を巡るトピックを集めてみた。

【2012年】

(https://x.com/ituna4011/status/179008449483517953)
Lily2@ituna4011
チョムスキーがなぜ苦手かという理由。生成文法の分析を日本語に適用することの是非そのものが、前提として何も検討されていなかった点。1990年代初頭に、マレー語でもやっている人がいたが、果たしてどこまで可能なのか。そして、院生時代に論文を読まされて気づいたのは、スペイン語の例文。
9:58 AM · Mar 12, 2012

(https://x.com/ituna4011/status/179375889736400897)
Lily2@ituna4011
今では、マレーシア滞在によって、英語については、応用力は多少ついたかもしれないが、洗練さに欠けてしまい、あれほど好きだったドイツ語も、勉強時間の減少によって、大したことはなく、スペイン語も何だか楽しむだけに終始してしまっている。だからこそ、学生時代が何だか懐かしくてたまらない。
10:18 AM · Mar 13, 2012

【2019年】

(https://x.com/ituna4011/status/1145843210981298176)
Lily2@ituna4011
ウォークマン発売40年 https://mainichi.jp/articles/20190701/k00/00m/020/266000c… クラシック音楽のみならず、英語とドイツ語とスペイン語をテープに吹き込み、海外出張ではなく、家や庭の掃除や食器洗いや洗濯干しの間に聴いていました。ヘアバンドの代わりにヘッドフォーンだったんですよ!井深さん、本当にありがとうございます。
8:54 AM · Jul 2, 2019

【2020年】

(https://x.com/ituna4011/status/1319058545363464192)
Lily2@ituna4011
30数年前のバブル時代の学生の頃だって、私はそのようにしてきた。 国文科は英語ができない人が行く所だと言われて、違います、と発奮。 英文科の英国人と米国人の講師の授業に出て、A評価を頂いた。 英検も、国内外の試験を次々に受けた。ドイツ語やスペイン語も中級まで合格。
8:30 AM · Oct 22, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1339157053634301954)
Lily2@ituna4011
スペインの公用語がスペイン語でなくなる日が近い - アゴラ http://agora-web.jp/archives/2049360.html…
《「スペイン語」と認知されている「カスティーリャ語」がスペインの公用語ではなくなる》
← カタランの問題は、35年前の学生時代から聞いていた。
7:34 PM · Dec 16, 2020

【2021年】

(https://x.com/ituna4011/status/1474352217146925059)
Lily2@ituna4011
“私が今でもスペイン語を何とか続けているのは、最初に清水先生ご担当の放送に出会ったからです”
9:12 PM · Dec 24, 2021

【2022年】

(https://x.com/ituna4011/status/1550456770895953920)
Lily2@ituna4011
清水憲男先生(上智大学名誉教授) http://newspanishbooks.jp/node/23010
⇦ スペイン語なら、この先生。 清水先生、情熱的な講義をありがとうございました。
9:24 PM · Jul 22, 2022

【2023年】

(https://x.com/ituna4011/status/1655739134982627328)
Lily2@ituna4011
スペインのレティシア妃が、平成期の美智子皇后さまや秋篠宮妃に対して、決然たる態度だったらしい話が、しばらく前に日本の一部で礼賛されていた。 偶然、スペイン語専攻でマドリード在住だった日本人女性の2012年から3年間綴った王室ブログを見つけた。
9:59 AM · May 9, 2023
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(https://x.com/ituna4011/status/1655741110453678080)
Lily2@ituna4011
それによると、レティシア妃の場合も、出自や経緯にいろいろあったようで、ある意味では、秋篠宮妃をどうこう言える立場ではないのでは?と感じた。 二十代から三十代にかけて、中級まではスペイン語の検定試験に合格した。なので、何となく王室の裏事情が伺える。
10:06 AM · May 9, 2023
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【2024年】

(https://x.com/ituna4011/status/1757422867015438381)
Lily2@ituna4011
JULIO IGLESIAS De Nina A Mujer(Live in Jerusalem) https://youtu.be/XTqohw1PcLs?si=iwVYJ3LR91HOYBeJ… via @YouTube
スペイン語は、フリオ・イグレシアスさんから学びました! エルサレムでのコンサートのようです。
12:13 AM · Feb 14, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1757429013575086490)
Lily2@ituna4011
José Luis Perales “Que Canten Los Niños” https://youtu.be/3NDUvuDvRuM?si=AD2MfFaM1w6vlujf… via @YouTube
この歌でスペイン語が好きになりました。 大学3年の頃です。
12:38 AM · Feb 14, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1765165998540562506)
Lily2@ituna4011
だから、その後、政府派遣でマレーシアの業務中、今に至る研究テーマの問題意識や気づきが可能に。イスラム事情にも決して揺らがなかったのは、基本的に、国文学科の素養とドイツ語やスペイン語等の知識や文学の話があったから。クラシック音楽の楽器練習も重要。 理屈ではない。
9:02 AM · Mar 6, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1794343237479813289)
Lily2@ituna4011
18歳から第二外国語としてドイツ語を習い始め、当たり前のようにゲーテやシラー等を読まされていた私の世代。そして私は、現代ドイツ語訳の聖書を毎日音読して、文法を覚えた。 40年経った今でも充分に役立つ方法。スペイン語も、19歳から第三外国語として、同じことをした。会話よりも読解。
9:22 PM · May 25, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1825296862536188389)
Lily2@ituna4011
タミミ君は、スペイン在のユダヤ系イスラム研究者です。古典語からキリスト教の文献も深く長く研究されてきました。
7:20 AM · Aug 19, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1828744068765282411)
Lily2@ituna4011
但し、スペイン語の知識があれば、フランス語は多少は理解しやすくなる。本当は、逆なのだろうが。 フランス語の発音と綴りは、結構難しい。英語を除く学習言語は全て、発音が楽な外国語ばかり選んだ結果だ。
7:38 PM · Aug 28, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1873892105820791242)
Lily2@ituna4011
グローバル化以前の話だ。言語学の専門書を理解するには、これぐらい学習しないと、真偽が判断できなかった。 昭和時代は海外情報が限られていたが、その分、日本にいてできる勉強は何でも貪欲にしたものだ。以上
9:41 AM · Dec 31, 2024
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(2025年3月27日転載終)

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思い出すことども

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年2月4日投稿
はい。私が最初に主人とデートした場所は、今はなき中日ビルの回転レストランでした!初対面ですぐに打ち解け合い、ランチとお茶の後は、ずっとおしゃべりだけであっという間に数時間が過ぎて行きました。2017年6月に、もう一度、主人とテレビ塔の周辺を歩き回って思い出作りをしました!

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年2月6日投稿
うちの主人は、私がこの「かえるちゃんにそっくりだ」とよく言っていました。「たのしいこんぴ」と名付けて、ケロッケロッと呼びかけていました。
確かに、いつでも自分のことに夢中なために周囲に無頓着で、どこか愛嬌があり、邪心のない、あどけない表情をしていますね?それが私に似ているというのです。

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年2月6日投稿

https://www.youtube.com/watch?v=f17mUzRO2Mc

フィリプさん。2016年秋にフランスでお会いしました!

(2025年3月27日転載)
。。。。。。。。
(https://x.com/ituna4011/status/1886978011305795792)
Lily2@ituna4011
なぜ、今でも思い出して腹立たしいのか考えてみた。例えば、全く万引きしていないし、一度もしたことさえないのに、いきなり、
あんた、盗んだんじゃないの?
と、証拠も根拠もなしに言われたようなものだからだ、と気づいた。
12:19 PM · Feb 5, 2025
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(https://x.com/ituna4011/status/1886978419205763182)
Lily2@ituna4011
こういう時こそ、人権侵害だ。処罰の対象である。以上。
12:21 PM · Feb 5, 2025
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(2025年3月27日転載)

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安岡正篤先生「日用心法」

安岡正篤先生の説かれた「日用心法」という、日々の生活と心得を説いた教えがあります。

第一 毎日の飲食を適正にやっているか。
第二 毎晩よく眠れるか。
第三 自分の心身に影響を与えているような悪習慣はないか。
第四 適当な運動をしているか。
第五 日常生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか。
第六 精神的動揺があっても、仕事は平常どおり続け得るか。
第七 毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか。
第八 自分は仕事にどれだけ有能か、自分は仕事に適するか。
第九 現在の仕事は自分の生涯の仕事とするに足りるか。
第十 仮に自分の仕事がどうしても自分に合わぬ、自分の生活が退屈であるとすれば、自分の満足は何によって得るか。
第十一 自分が絶えず追求する明確な問題を持っているか。
第十二 自分は人に対して親切か、誠実か。
第十三 自分は人格の向上に資するような教養に努めているか。
第十四 特に何か知識技術を修めているか。
第十五 自分は何か信仰・信念・哲学を持っているか。

(2025年3月27日転載終)

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図書館を巡る話題

(https://x.com/ituna4011/status/1161920123931783169)
Lily2@ituna4011
20年以上前に利用した三康図書館だけは例外。ここは私立で有料。馬来語関連で閲覧したい資料が限られていたので、大変に充実した時間だった。職員の方も丁寧で親切だった。図書館の民営化の話は、この路線から来ていると考えるとわかりやすいかもしれない。意地悪な図書館員は左翼思想の影響下にある?
5:38 PM · Aug 15, 2019
。。。。。。。。
(https://x.com/ituna4011/status/1311077434276474880)
Lily2@ituna4011
昨年の今頃だったが、父方の大叔父の医学論文のコピーを、著作権の侵害だからと、目の前で破る仕草をした市立図書館の若い女性職員がいた。 繰り返しになるが、二期校とはいえ、国立大学の学長を務め、昭和天皇から教育功労賞で受勲された大叔父。 私の遺産相続狙いから保護するため、と女性職員。
7:56 AM · Sep 30, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1311078971816079360)
Lily2@ituna4011
繰り返しになるが、大叔父には息子さんがいて、甥である父も既にいない。 遺産相続の法律に無知な職員が、リフェレンスカウンターに座って、目茶苦茶なことを言ったのだ。 結果的に、私は信州大学の図書館に訳を話して、業績一覧表を作っていただき、送付してもらった。
8:02 AM · Sep 30, 2020
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(https://x.com/ituna4011/status/1863002863896842624)
Lily2@ituna4011
図書館に不要図書?
8:31 AM · Dec 1, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1875792745408950558)
Lily2@ituna4011
三木清の『人生論ノート』は学部時代に図書館で借りて読んだ。「スイスの聖者」と呼ばれたカール・ヒルティは、二十代の院生だった頃から繰り返し愛読。岩波文庫の本は二冊ともボロボロになっている。アランは院生時代の副指導教官の御専門だった。ラッセルは、高校の英語の読解文で読んだ。
3:33 PM · Jan 5, 2025
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年1月6日投稿

【太陽の塔】
Y・T:懐かしい…。泊まりがけで行きましたよ。確か小学校四年の時だったです。
ユーリ:田中 裕二様、それはそれは。私は島本町から何度かこの場所を横切って、民博図書館に通いました。
。。。。。。。
(https://x.com/ituna4011/status/1882719716453851230)
Lily2@ituna4011
国会図書館の複写支払いは、ゆうちょ銀行ATMではなく、コンビニの方が断然、手数料が安い。 こんな手間暇も、主婦生活の知恵だ。チリも積もれば山 。一回だけならともかく、繰り返し利用するなら、少しでも割安を選択。 いざという時、気兼ねなくお金を使えるように。
6:18 PM · Jan 24, 2025
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(2025年3月27日転載終)

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極東軍事裁判を振り返る

(https://x.com/ituna4011/status/1397795393597964289)
Lily2@ituna4011
文部省『国体の本義』『臣民の道』の復刻版が届いた。 私の世代は、学校で批判的に上澄みだけを教わったが、なかなか高尚な内容である。 旧ソ連やアメリカ合衆国の公文書が公開されている今、研究が進み、復刻版が公刊されると、居場所を失う人々が出るだろう。
3:02 PM · May 27, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1401335814169104386)
Lily2@ituna4011
『抹殺された大東亜戦争』 『日本外務省はソ連の対米工作を知っていた』 『米国共産党調書』 も、同時並行して読んでいる。 昨晩は、日本学術会議に関する批判的研究の本を読了。共産党の影響下にあり、中華人民共和国と繋がっていることが、最大の問題。
9:31 AM · Jun 6, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1401824235811577857)
Lily2@ituna4011
米国共産党の話も、数年前に英語で一冊読んでいたため、下記の本は、復習がてら、という感じ。 労働者学校は、旧ソ連のピオニールを彷彿とさせるが、何と、日本にも労働者学校が今も存在するのだ。 大阪や京都や東京の湯島にある。 資本論や韓国中国の言語や平和と労働について学ぶらしい。
5:51 PM · Jun 7, 2021
。。。。。。。。。
(https://x.com/Sankei_news/status/1830420316738523643)
産経ニュース@Sankei_news
慰安婦国際シンポ詳報 ラムザイヤー教授の告発

https://sankei.com/article/20240902-P2TNWGLJ4NLUXLRDDNZJB7KXQU/…

ラムザイヤー氏は、朝鮮半島出身者の慰安婦が軍関与の下で強制的に連行された「性奴隷」ではなく、売春宿へ身売りされたのだということを学術的に立証する論文を公表したところ、猛烈なバッシングを受けた。
《背景には「極左的な不寛容」があるとみて、他の研究者も極左から攻撃され職を追われている実態を明かした。多くの有名大学の人文系で、民主党支持の教員が共和党支持を圧倒している実態をデータで検証し、学術界の政治的偏向に警鐘を鳴らした。》
10:39 AM · Sep 2, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1830491428574863482)
Lily2@ituna4011
慰安婦国際シンポ詳報 ラムザイヤー教授の告発 https://sankei.com/article/20240902-P2TNWGLJ4NLUXLRDDNZJB7KXQU/… via @Sankei_news
← ダニエルパイプス博士も。
3:22 PM · Sep 2, 2024

(2025年3月27日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

髙橋 眞人
2025年2月22日

【今日の名言】ダグラス・マッカーサー2世(駐日米国大使)

(1960年4月27日、パーソンズ米国務次官補に宛てた公電で)李承晩政権は、韓国人に対して権威主義的な警察支配を敷くことで民主主義の精神を蹂躙しただけでなく、李承晩ライン周辺の韓国領外の公海上で実力行使をもって海賊行為を働き、日本人の漁民たちを政治的人質として拘束、投獄し、韓国領外のエリアを力づくで獲得することによって、国際行動のもっとも基本的な原則と道徳を冒した。

(李承晩辞任表明を受けて)韓国で新たな体制が整い次第、我々の影響力を行使して、次のことを説得することを進言する。

(1) 李承晩の残酷で野蛮な弾圧を受けて苦しんだすべての日本人の人質全員を解放する(刑が確定していない者も含む)
(2) 日本の漁船を公海上で拿捕する習慣をやめさせる。

竹島問題は、日韓関係において非常に深刻かつ永久に悩ましい問題であり、この島が日本に返還されるまで、日韓問題全体が解決することはない。
日本人は8年間、李承晩の領土拡張政策で苦しんできたうえ、後継政権からもそのような許しがたい扱いをされれば、受け入れることはないだろう。
野蛮な人質外交は、共産主義中国に対して我々が厳しく批判していることの一つであり、それを韓国が継続するならば、韓国の新しい民主主義体制の足かせとなり得る。
韓日関係は、単に日本と韓国の政府の二国間関係だけではなく、米国とその北東アジアにおける不可避の責任に深く直接的に関わっている。
それゆえ、我々米国は、韓国の新政権に竹島を日本に返還するよう圧力をかけなければならない。
我々が竹島を日本に返還するように強く圧力をかけても、万一、新しい政権が同意する気がなければ、我々は最低限、この件を国際司法裁判所に付託して仲裁を求めることに合意するよう主張すべきである。

※2月22日は「竹島の日」です。1905年(明治38年)のこの日、閣議決定を受けて島根県知事が竹島を同県に編入する告示を行ったことにちなんでいます。

(2025年3月27日転載終)
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髙橋 眞人
2025年2月24日投稿

【今日の名言】ウィリアム・ローガン(極東軍事裁判の米国人弁護人)

《私は最初、日本に着いたとき、これはとんでもない事件を引き受けたものだと後悔しないでもなかった。しかるにその後、種々調査、研究しているうちに、私たちが米国で考えていたこととは全然逆であり、日本には20年間、一貫した世界侵略の共同謀議など断じてなかったことに私は確信を持つに至った。したがって、起訴事実は全部無罪である》

《弁護人である私が2年半を費やし、あらゆる検討を加えてようやくここに到達し得た結論である。したがって、裁判官や検事はまだなかなかこの段階に到達していないだろうと想像される》

《日本の諸国策が樹立されたのは、軍事的諸事件が発生した後のことであり、その前ではなかったことを私は立証する》

《日本は生存上、大量の輸入を必要とする国であり、したがってその外国貿易は、昭和7年のオタワ会議による「英帝国優先」の決定により、とくに損害を被った。太平洋戦争以前の日本の対外貿易はその8割までを英国、オランダ、米国を相手としていた。これにより、法廷はABCD包囲網による禁輸令と資産凍結令が日本経済に対していかに甚大な打撃を及ぼしたかがお分かりになるだろう》

《日本の中国における降服を余儀なくさせるほど、差し迫った脅威を伴っていた。これらの証拠は、日本に対する経済的包囲、制限及び制裁が日本経済に及ぼした惨憺たる結果を示している。さらに、侵略戦争と主張された戦争遂行のためのこれら被告による予備的経済侵略及び共同謀議がなかったことを示している》

《日本が世界の諸列強により経済的かつ領土的に徐々に包囲され、日本の存続が危機に直面したことを地図と図表によって立証する》

《対米戦争だけは何とかして避けたいと日本政府側が賢明な交渉を続けていた1941(昭和16)年7月の段階で、米軍首脳とルーズベルト大統領はさらなる対日経済制裁が日本の南進を促すことになることを承知していたにもかかわらず、それでも制裁に踏み切った》

《米政府から対日戦争行為に匹敵する経済封鎖を受けておきながら、それでも忍耐強く平和的解決を図ろうとした日本政府の態度は、永遠に日本の名誉である》

※1947年2月24日、極東軍事裁判(東京裁判)で弁護側の反証が開始されました。

(2025年3月27日転載終)
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最近、伊丹市立図書館から借りた本のうち、下記の二冊が、上記の三つの記事と関わり合っていると思われる。

佐々木太郎革命のインテリジェンス勁草書房2016年2月
佐藤雅俊・上田篤盛情報戦、心理戦、そして認知戦-サイバーセキュリティを強化する-並木書房2023年12月

(2025年3月27日記)

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