「僕は自衛官」

伊丹市立図書館の書庫に所蔵されている小冊子『静かな平和を祈って』陸上自衛隊中部方面総監部(昭和37年度)を複写したのが、今年の2月7日。

姫路駐屯地における自衛官候補生入隊式にご招待をいただき、出席の返答をしたのが、3月4日。

そして、4月11日の昨日は再び姫路に赴き、一日中「姫路デー」を過ごした。生起した出来事を巡る雑感及び今後の展望について、若干記してみたい。
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昨年度の自衛官候補生入隊式には、先約が二つ重なっていたので、私は欠席とした。その前後の広報陸曹とのやり取りは、既に書いた。

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6991&action)
2024年4月1日「4月からの計画」

《すっかり忘れた頃になって、姫路駐屯地の広報係から電話がかかってきた。それも1月8日、放送大学大学院の修士論文の口頭試問の日だった。東京から帰宅すると、留守電のランプが光っており、何やら聞き取りにくい声で重要な要件が流れて来た。折り返し電話すると、「他の応募者は、あれから住所が変わったり、連絡が取れなくなったりした人が何人か出たので、今のところ、ユーリさんを内定候補者として考えております。千僧駐屯地にも近いですし」と。「但し、今回が防衛モニター経験が初めてだということなので、姫路駐屯地に来てもらいます。それでもいいですか?」とのこと。》

《その後は、1月1日に発生した能登半島の地震のために救援活動に赴くということで、連絡はメールや郵送が中心となった。早速、求めに応じて、ワードに作成してある履歴書を抜粋した簡単な履歴書と写真を送ったところ、「こんなに多彩な経歴を持った方が応募されるなんて、光栄です!上に報告し、第一候補者として推薦します」との電話もあった。》

《防衛モニターの業務は、特定テーマに関する定期報告、自由テーマに関する随時報告、姫路駐屯地における各種行事への参加であり、日本国籍を有することが条件である。》

《防衛事務次官から委嘱状、中部方面総監からはモニター証明書が発行される由。》

《(2024年8月16日後注:実は、私の方に先約があったため、4月の自衛官候補生の入隊式には、やむを得ず欠席することになった。すると、担当の広報官から「数日後には届くよう、委嘱状を郵送する」と電話で伝えられたが、昨今では郵便事情が悪化したためか、4月末までに届かなかった。そこで、5月半ばに、招待された近隣の千僧駐屯地の式典に出席した後、千僧の自衛官に「あれから連絡がないんですけど、姫路の方はどうなったのですか」と尋ねると、「こちらから必ず連絡しますので」と。翌日、WACと呼ばれる若い女性自衛官さんから電話連絡があり、「姫路の広報官と連絡が取れました。数日内にはユーリさんに電話するとのことです。(ユーリさんは)前向きな方なので、と伝えておきました」。実際には、防衛事務次官発行の委嘱状というものは、郵送で簡便に済ますべきものではないと私は思っていたが、やはりそうだったらしい。その後、6月21日に招待された自衛官候補生の修了式前には、たった私一人のモニターのために、駐屯地内の一室で、きれいに準備された5分程のミニ式典が一室で開かれ、恐らくは二等佐官に相当するのであろう(甘いマスクのハンサムな)副連隊長氏から、うやうやしく委嘱状を受け取った。また、同室には4名程の冬の制服姿の自衛官が、それぞれ所定の位置に立って‘ミニ式典’を見守り、記念写真まで装丁していただいた。)》

《うちの弟も高校3年生の頃、防衛大学校にも合格しており、自宅にいた私宛に電話がかかってきて「〇〇君は、家庭環境もいいし、将来的には幹部候補生として教育していきたいので、お姉さんからも説得してください」というキビキビした話を受けた。(当時の世相の影響もあり、私自身が却下してしまっていた。)その時の償いの意味もある。》

(転載終)
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(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7535&action)
2024年5月20日付「千僧駐屯地の記念行事」

《広報担当のこの姫路の自衛官さん、人は良さそうなのだが、多分まだお若いのだろうか、もう少し連絡を早めに緻密に伝える必要があると思う。もしかしたら、上官によく注意され、叱られながら成長中なのかもしれない。》

(転載終)
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(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7890&action)
2024年6月22日「姫路駐屯地と髙橋洋一氏講演会」

《今回、上述の広報担当官と初めてお会いしてみて、私の方に誤解が多々あったことに気づいたからだ。気さくで親切だが、「お若い方」というよりは、来年定年を迎える方だと知った。また、駐屯地内のお住まいではなく、一戸建ての自宅をお持ちだとのこと。「家族あっての自衛隊ですから」という言葉は、事実であり実感であり、有無を言わせぬ説得力に満ちていた。》

《駅まで車で迎えに来てくださり、帰りも送ってくださった。質問攻めみたいな私だったのに、どの問いかけに対しても、やや早口で流暢に答えられたので、こちらとしては全て納得。》

《今回は、今年4月に入隊した自衛官候補生の計23名が、3ヶ月間の厳しい訓練を無事終えて、6月21日(金)の午前10時半から50分間の修了式が挙行されるとのことで、私もお呼ばれに与り、体育館内の壇上に席を設けていただいた。その前に、「防衛モニター委嘱状授与式」の時間が設けられており、たった私一人のために、数名の自衛官の方々が細やかに役割をテキパキとこなされ、写真撮影までしていただいた。》

《予習をしておいた他の駐屯地の防衛モニターさんのブログやお話によれば、モニターは一つの駐屯地につき大抵二人。モニター同士でお互いに打ち合わせの上、活動に参加されているようだった。てっきり、私にも相棒がいるものと思い込んでいたら、実は今回の姫路駐屯地では私だけだったとのこと。但し、来年も継続するならば、任期が重なるためにモニターは二人になるかもしれない(らしい)。》

《式典において、日の丸と君が代が尊重されていることは、千僧駐屯地と全く同じで、小学校から高校までの学校時代を思い出し、気持ちが落ち着く。また、壇上の来賓が一人ずつ名前を呼ばれ、起立して「本日はおめでとうございます」と述べるのだが、私も同様にしたところ、同じく候補生23名から一斉に「ありがとうございます!」と大声で応答唱和。しみじみ自衛隊だなぁ、と。》

《式典中、赤ちゃんの声が聞こえたが、候補生のご家族だとのこと。この辺りも、何ともほのぼのとして、いい感じだった。》

《式典の間に記念撮影がきれいに製本され、委嘱状も額に入れていただき、その他にボールペンやCD-ROM等のお土産も、至れり尽くせりだった。冊子も何冊か受け取り、わかりやすく説明されていると感じた。(2024年6月28日修正:「ボールペン」ではなく「シャープペンシル」)

(転載終)
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上述の印象深い広報陸曹氏は、6月20日の自衛官候補生修了式の時には定年退職後で、もう駐屯地にはいらっしゃらない、とのことで、昨日が事実上、最後のお別れを兼ねていた。

考えてみれば、昨年の今頃は何も知らなかった。あと一年は続けることになるだろうと覚悟していた修論に対して、二つ目の修士号を何とか授与された解放感から、しばらくは横に関心を広げてみたい、新しいことに挑戦してみたい、という高揚感が先立っていた。

あれから一年。さまざまな自衛官さん達とも少しずつ顔見知りになり、家族会や自衛隊応援団のような方々と何度か顔合わせをして話をするようになると、『朝雲新聞』や『MAMOR』のおかげもあり、徐々に馴染んでいく自分を見出した。

最初は、正直なところ、姫路駐屯地も自衛官も、まるで異文化世界だった。自衛隊を支援されている方々も、それまで私が暮らしていた時空間とは異なったタイプが多く、「この歳にして初めて知る日本社会の現実」といった感じだった。

恐らく、上記の広報陸曹氏にとっても、辞退者や連絡が取れなくなったモニター応募者が出たために、繰り上げ当選のような形で私を採用してはみたものの、多分、小うるさそうな、やりにくい異人種のように想像されていたかもしれない。

だからこそ、初回の昨年6月に、正面切ってストレートに何でも質問してみたことは、一期一会、その後の展開にとって有益だったのではないか、と私自身は思っている。
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昨年度は、姫路も遠ければ、防衛モニターもたった一人。若年から壮年にかけての男社会の陸上自衛隊駐屯地に、公的な務めとはいえ、何のつてもないのに果敢に出かけて行った私。(よくやったなぁ)と、我ながら感じるところだ。

しかし、あくまで外部者としての印象では、播磨国の播州姫路の広報室の自衛官さん達は、全体として親しみやすく親切なものの、摂津国の伊丹や千僧と比べて、おっとりのんびりしていて、連絡や通知のやり方が遅かったり、いささか齟齬が見られたりする。競争的な民間社会とは違って、「上から言われた通り、自分のやることをやっていればいい」という国家公務員式の自衛隊文化に染まっているのかもしれない。あるいは、好意的に見るならば、昨今の急激な国際情勢の変化に伴う緊急訓練や山林火災が発生しており、人員不足で困っているからなのかもしれない。

今回も、せっかくフレッシュな30名の自衛官候補生との集合記念撮影だったのに、式典後に私が尋ねた若い女性自衛官さんの認識が甘く、「来賓者名が記されていないから、関係ないですね」と言われて、結局は逃してしまった。本当に残念で、帰宅後も気になって仕方がなかった。

尤も、広報室の幹部氏は、低頭マーク付きで謝ってくださり、今後は気をつけるとのことだった。

ただ、上述の定年退官予定氏に言わせると、「そんなもん、担当者がちゃんとやっとらんからだわさ」みたいに、まるで他人事のような言葉を発していた。
あの~、ベテランの先輩自衛官さんなんだから、前任者として、若い人にもすみずみまで周知してあげなければ…..。と思った私は、うるさ型で細かいのだろうか?

こういう点が、千僧や伊丹とは全く違って、おっとりしていると感じられる。千僧や伊丹では、防衛モニターとして、どのように振舞えばいいのか、どこに着席すればよいのか、全くわからない私であっても、そばの若い自衛官さんに尋ねると、即座に「担当者を呼んできます」。そして、若くてもキリッと目元に力の漲った担当者が1,2分で到着し、すぐにテキパキと誘導してくださる。

だから、千僧や伊丹では安心して困ったことがなかった。そればかりか、たった2分程の会話だったのに、今年3月2日の音楽会では、先方から私の名前を呼びかけてくださったのだ。よく覚えていらっしゃると感心した。

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=10079&action)
2025年3月4日「第三師団定期演奏会」

《これまでは各駐屯地を並行に見て、専ら地理的な距離感を中心に考えてきたが、武装組織における「隷下」という序列表現の意味と位置づけが、ようやくわかりかけたところである。やはり、駐屯地モニターは1年の任期であっても、防衛モニターには2年間が必要だと改めて思った。一通りの年間行事経験のみでは、到底、何が何だかわからないままに、受け身で参加するのが精一杯だからである。》

(転載終)
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参考までに、今回の式典では、2月のヘリ体験時の若手2曹自衛官「テへへ君」が、カメラマンとしてかいがいしくテキパキと動き回っていた。表面的にはクールそうだが、負けず嫌いな面がありそうで、今後、順調に行くならば、結構、いい所まで行けそうだ。

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9749&action)
2025年2月10日「姫路の一日」
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定年退職する自衛官氏とは、実質1年4ヶ月という短期間ではあったが、最初から実に印象的で、なかなか得難く濃厚なやり取りが続いた。

昨日は、後任の担当官が「ユーリさんとお話したい」とのことで、1月17日に神戸でご一緒した元駐屯地モニター女性ら数名と共に、しばらく話が弾んだ。

後任氏は結婚指輪をされており、にこにこと愛想よく、左胸につけている徽章下の色リボンも多彩。様々な任務を経て自信に満ちた前向きな態度でいらした。昔風に言えばいわゆる「砲兵」の野戦特科だったと自己紹介され、名刺もくださった。(同じく野戦特科だったという退職予定氏は、名刺を「持っていない」とのことだった。)

もっと時間があれば、自衛隊に関していろいろと尋ねたいことがあったのに、残念ながら、退職予定氏は「伊丹には行かない」とのこと。また、恐らくプライベートでは相互接点がないだろうと、どこか遠慮みたいなものがあるらしい。例えば、私が送るメッセージの文章も、あれこれ調べたりして、返答に苦労されていたようだ。

でも、私の妹と同じ3歳年下なのに、1980年代半ばのあの時代に、よく自衛隊に入隊する決心をされたものだ。正真正銘、心底、称賛したい。

私自身、自衛隊に入るならば、高卒か専門学校卒ぐらいが頭も体も心も一番柔軟で鍛えがいがあり、自衛隊文化にも順応しやすいということで、よき戦力になるはずだと思っている。だから、何も卑下することはないのに、どういうわけか、レンジャー徽章も「30過ぎると体力が落ちるから」と自分で外してしまったようだ。「あと一年、定年を延ばしたら?」という私の提案にも、即座に拒否を示された。

昨年の最初の面会時も、『防衛白書』と私が言及しただけで、すぐに「読まない!」と。他の自衛官さんならば、「あ~、僕よりもよく知っていますね?」みたいなお世辞で軽く済ませるところだが、恐らくは真っ直ぐな人柄なのだろう、個性的ではある。

とにもかくにも、自分が与り知らぬところで、こういう人にずっと守ってもらっていたんだなぁ、とつくづく思う。存在そのものが、抑止力の第一歩だからだ。

防衛モニターになるまで、私が自衛隊に関して知る源泉は、元陸将や海将や空将あるいは将補の立場にあった方々の講演や書き物だった。インテリジェンスや情報工作のような話は、10年ぐらい前から、パイプス訳文をきっかけに英語と日本語の本を次々に読み進め、今も読み終わったばかりの本が一冊ある。

だが、本当に自衛隊を支えているのは、「司令官や先頭切って戦う戦闘部隊ではなく、実は後方支援部隊である」と言われるように、各駐屯地でも、表に見えないところで、一生懸命にそれぞれの役目を果たそうと努力してきた人々なのだ、と痛感する。

退職予定氏には、私のようなこむつかしい者に忍耐強く応対してくださった感謝と共に、今後の人生が幸い多きものであるよう、心から祈る次第である。そして、「僕は自衛官」から始まった若く瑞々しい日々を振り返り、「自衛官になってよかった」と満足して、退官の日を迎えていただきたいと切に願う。
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自衛官の心がまえ

一、使命の自覚

(一)祖先より受けつぎ、これを充実発展せしめて次の世代に伝える日本の国、その国民と国土を外部の侵略から守る。
(二)自由と責任の上に築かれる国民生活の平和と秩序を守る。

二、個人の充実

(一)積極的でかたよらない立派な社会人としての性格の形成に努め、正しい判断力を養う。
(二)知性、自発率先、信頼性及び体力等の諸要素について、ひろく調和のとれた個性を伸展する。

三、責任の遂行

(一)勇気と忍耐をもって、責任の命ずるところ、身をていして任務を遂行する。
(二)僚友互に真愛の情をもって結び、公に奉ずる心を基として、その持場を守りぬく。

四、規律の厳守

(一)規律を部隊の生命とし法令の遵守と命令に対する服従は、誠実厳正に行う。
(二)命令を適切にするとともに、自覚に基づく積極的な服従の習性を育成する。

五、団結の強化

(一)卓越した統率と情味ある結合のなかに、苦難と試練に耐える集団としての確信をつちかう。
(二)陸、海、空、心を一にして精強に励み、祖国と民族の存在のため、全力をつくしてその負託にこたえる。

(『静かな平和を祈って』p.2)
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「座談会:“僕は自衛官”」

*自衛隊創立十二周年にあたって
昭和37年9月8日
中部方面総監部

・叔父が元海軍軍人。叔父に、自衛隊へ入って団体生活をやり、精神や体力を鍛えてこいと勧められ
・度胸だめしの積りで少年自衛官の試験を受けたところ、合格したので、自衛官を決心して入隊
・自衛隊に入るとスポーツなどをやる機会が多いと聞いたので入隊した
・私は入隊する前にいろいろと自衛隊に対する批判を聞いていた。隊員になって見たら(ママ)大変民主的で、訓練も無理な事ではなく規律正しい若人のピチピチした快適な生活でした
・学生生活からすぐに部隊の生活に飛びこんだので、規律ある日々は全く身の引きしまる感じがしました
・私は自衛隊での規律正しい生活に一番魅力を感じています。また厳正な規律の中にも上下の親密感が存在している生活です
・私は夕食後伊丹市立の定時制高校に通学しております
・夜間大学へ入学しようと思っています。目下受験準備のため予備校へ通っております
・たまたま老婆が作業するわれわれの後姿に手を合わせて感謝しているのを目撃しました。これには疲れが一ぺんに吹きとんで一日も早く工事を完成しなければならないというファイトがわいて来ました
・まず幹部候補生の受験をめざして努力し、勤務においても我が国の防衛にあたる崇高な使命に誇りをもって誠心誠意努力したい
・私は現状に甘んぜず、一歩一歩前進向上をめざして努力したい
・国民から信頼され敬愛される自衛官になるよう努力したい

(『静かな平和を祈って』抜粋終)
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「陸上自衛隊にもの申す」今東光

・台風があるたびに自衛隊が敢然として出て行って誰にもできないような救援や復旧作業をやる
・「自衛隊は有難い」
・自衛隊の災害地における粉骨砕心(ママ)の活躍を直接見たりして今までの考え方、見方が間違いであった事を心から判った
・実際その恩恵に浴した事により、自衛隊に関する認識が深まっていく
・いざと言う時だまって実力をあらわす
・本来の任務は何といっても国土防衛、治安の維持
・もっともっと積極的に如何に国防というものが危険に瀕しているか国を自衛する自衛隊の必要性が如何に大きいか又その力の近代化が如何に重要であるかというようなことを国民に知らしめるべきだと思う
・日本の独立を危うくするような飛行機を撃ち落とそうという気持にならせなかったらこれは意味がない

(『静かな平和を祈って』抜粋終)

(2025年4月12日記)(2025年4月13日一部修正)

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老害予防の心掛け

(https://nanobrand.co.jp/blog/2024/02/15/840215/)

「老害にならないための心構え、十の訓戒」
2024年2月15日

1. 学び続ける姿勢
時代は常に変化しています。新しい技術や知識が日々生まれています。老害にならないためには、こうした変化に適応し、常に学び続ける姿勢が必要です。新しいことに挑戦したり、若い人の意見に耳を傾けたりすることで、視野を広げ、柔軟な思考を維持することができます。

2. 社会貢献意識
老害は、社会から孤立し、自分勝手な行動をとる傾向があります。老害にならないためには、社会の一員としての責任を自覚し、社会貢献意識を持つことが大切です。ボランティア活動に参加したり、地域活動に貢献したりすることで、社会との繋がりを感じ、生きがいを見つけることができます。

3. 謙虚さ
経験豊富な高齢者は、つい自分が正しいと思い込み、上から目線で他人を見下してしまうことがあります。老害にならないためには、過去の経験に固執せず、常に謙虚な姿勢を忘れないことが大切です。自分の意見を押し付けず、相手の意見に耳を傾けることで、円滑な人間関係を築くことができます。

4. 健康的な生活
老害は、体力や気力が衰え、周囲に迷惑をかけることがあります。老害にならないためには、健康的な生活習慣を心がけ、体力や気力を維持することが大切です。適度な運動やバランスの良い食事を心がけることで、健康な老後を送ることができます。

5. 自身の老いを自覚する
老害は、自分が老いていることを認めず、若い頃と同じように振る舞おうとします。老害にならないためには、自身の老いを自覚し、身の丈に合った行動をとることが大切です。無理をせず、自分のペースで生活することで、周囲に迷惑をかけることなく、充実した老後を送ることができます。

6. 若い世代との交流
若い世代と交流することで、新しい価値観や考え方を学ぶことができます。また、若い世代に自分の経験や知識を伝えることで、社会貢献することができます。積極的に若い世代と交流することで、老害を防ぎ、社会に貢献することができます。

7. ユーモアのセンス
ユーモアのセンスは、人間関係を円滑にする重要な要素です。自分を客観的に見つめ、ユーモアを交えて話すことで、周囲の人から好感を持たれるようになります。ユーモアのセンスを磨くことで、老害を防ぎ、周囲の人から愛される存在になることができます。

8. 感謝の気持ち
周囲の人々に感謝の気持ちを持つことで、謙虚な姿勢を維持することができます。また、感謝の気持ちを持つことで、幸福感を感じやすくなります。感謝の気持ちを忘れないことで、老害を防ぎ、幸せな老後を送ることができます。

9. 利己的な考え方を捨てる
利己的な考え方は、周囲の人々に迷惑をかける原因になります。老害にならないためには、利己的な考え方を捨て、周囲の人々に思いやりを持つことが大切です。利己的な考え方を捨てることで、老害を防ぎ、周囲の人から尊敬される存在になることができます。

10. 周囲の意見に耳を傾ける
周囲の意見に耳を傾けることで、自分の視野を広げることができます。また、周囲の意見に耳を傾けることで、老害予備軍であることに気づくことができます。周囲の意見に耳を傾けることで、老害を防ぎ、より良い人生を送ることができます。

まとめ

老害にならないためには、いくつかの心構えが大切です。常に学び続ける姿勢、社会貢献意識、謙虚さ、健康的な生活、自身の老いを自覚する、若い世代との交流、ユーモアのセンス、感謝の気持ち、利己的な考え方を捨てる、周囲の意見に耳を傾けるなど、これらの心構えを忘れずに、充実した老後を目指しましょう。

(2025年4月10日転載終)

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お金の小話

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年1月6日投稿

親御さんに取り上げられていた方々、案外多そうですね。
私もご多分に漏れず、祖父母や叔父叔母からいただいたお年玉は、入学祝いや卒業祝い、誕生日祝いと共に全額、取り上げでした。一度だけ、500円を自由に使ってもいい、と言われた年がありました。嬉しくて飛び跳ねていたら、怒られて、それ以上はダメ、と言われました。
結婚する時に渡す、と長年言われていたのに、結局、返してもらえませんでした。
うちは都市銀行に勤務していたため、決して貧乏だったのではありません。
今でも、お小遣いもなかった子供の頃を思い出して、児童心理学を考えます。親がお年玉を取り上げる家は、更地になり、子供は実家に寄り付かないそうです。

Oさん:私も貴女と同じような経験をして、そのお金何処へ行ったのやら〜

ユーリ:Oさんも、ですか?御坊ちゃまでいらしたのに….。
Oさん:ユーリさんへ、そんなええ身分ではありませんよ〜
ユーリ:O家の門構えの話、聞いておりますよ。
ユーリ:H様、ありがとうございます。いいお母様になってくださいね。

(転載終)
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(https://x.com/ituna4011/status/1882726346482389045)
Lily2@ituna4011
だって、メガバンクも普通預金の金利を、今年3月から、現行の0.1%から0.2%に上げるのですよ。 昨年度の金利上げによる日本国民の動向に沿った、と見た。 つまり、日本の消費者は、ささやかな利息を楽しみにしながら、少しでも安く手数料を払う道を選ぶ傾向にあることの証左だ。
6:45 PM · Jan 24, 2025
82 Views

← 今や、5年定期ならば0.5%の利率に上がった。これまでの0.002%とは雲泥の差。

(転載終)
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(https://x.com/ituna4011/status/1883416895589912798)
Lily2@ituna4011
「旧札」っていつまで使えるの?自動レジやATMが旧札を受け付けなくなる日はくる?(ファイナンシャルフィールド) #Yahooニュース

(https://news.yahoo.co.jp/articles/1d0803bfb3be1ed4eac4d044814b048cdf132e94?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20250126&ctg=bus&bt=tw_up…)
← 今日、幻の二千円札で払ってみました。
4:29 PM · Jan 26, 2025
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(2025年4月10日転載終)

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自衛隊と国防

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年4月4日投稿

(https://www.youtube.com/watch?v=o3HcqjBg58o)
【独自】陸上自衛隊の“精鋭”レンジャー教育を年度内中止 一部除き全国で「情勢の変化をうけ」死亡事故も相次ぐ|TBS NEWS DIG
TBS News
《陸上自衛隊のレンジャー隊員は、有事の際に最前線に立って任務を行うことが想定されています。 部隊の訓練は「陸自で最も過酷」と言われていて、およそ3か月間の厳しい教育課程を乗り切った自衛官だけがレンジャー隊員になれます。 しかし、一部を除いた全国の部隊で、今年度中の新たなレンジャー隊員の育成を中止していたことがJNNの取材でわかりました。 レンジャー隊員の教育をめぐっては死亡事故が相次いでいます。2021年には熊本県で、去年8月には京都府で男性自衛官がそれぞれ熱中症で搬送され、死亡しました。 関係者によりますと、一部の部隊では教官側が教育課程の内容を自由に決めていたことや、陸自が定めた安全管理の体制を適切に取っていなかった実態も明らかになったということです。 今年度、新たなレンジャー隊員の育成を中止することについて、陸上自衛隊は「情勢の変化を考えてレンジャー隊員が持つべき能力の見直しが必要になった」としています。 今後、死亡事故の再発防止策などを踏まえた教育内容を検討し、新たなレンジャー隊員の育成を再開する時期を判断するということです。 長期間にわたって全面的に中止となるのは、レンジャーを育成する教育が始まった1958年以来、初めてです。》

一部の部隊では教官側が教育課程の内容を自由に決めていたことや、陸自が定めた安全管理の体制を適切に取っていなかった実態も明らかになった。

(転載終)
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(https://x.com/ituna4011/status/1907901986584068393)
Lily2@ituna4011
【独自】陸上自衛隊の“精鋭”レンジャー教育を年度内中止 一部除き全国で「情勢の変化をうけ」死亡事故も相次ぐ|TBS NEWS DIG https://youtu.be/o3HcqjBg58o?si=BZfnUQL-1mVsyllH… via @YouTube
一部の部隊では教官側が教育課程の内容を自由に決めていたことや、陸自が定めた安全管理の体制を適切に取っていなかった実態も
6:04 AM · Apr 4, 2025
198 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1907748724706857248)
Lily2@ituna4011
自衛隊は、特にそうでしょうね。
7:55 PM · Apr 3, 202·
29 Views

(転載終)
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(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD250DM0V20C25A3000000/)

「抑圧型指導を改革」「大学と連携を」 国防人材育成で識者
黒江哲郎氏/久保文明氏/ピーター・マンソール氏
2025年4月6日

安全保障の環境が厳しさを増すなか、国防を担う人材の不足が深刻だ。正規の自衛官は定員に対して約1割の欠員が生じ、幹部を育てる防衛大学校の志望者も減っている。政府は処遇改善により引き留めを図るが、育成の現場に課題はないか。米国の視点も含めて考える。

民間上回る処遇改善を 元防衛次官 黒江哲郎氏
自衛隊が動かなくてはいけない緊急事態は多岐にわたる。他国から武力侵攻された際に日本を守…

(転載終)
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(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA03D1H0T00C25A4000000/)

「自衛隊が新部隊、離島防衛へ海上輸送力刷新 呉で発足式」
2025年4月6日

中谷元防衛相は6日、海上自衛隊の呉基地(広島県呉市)で海上輸送を専門とする新部隊「自衛隊海上輸送群」の発足式典に出席する。東アジアでの有事を念頭に南西諸島の防衛力を強化するため、部隊や装備品を運ぶ海上輸送力を刷新する。
海上輸送群は防衛相が直轄する陸海空自衛隊の共同部隊で、3月24日に立ち上げた。輸送艦で本州から沖縄本島、南西諸島の離島までをつなぐ。
自衛隊が輸送力を強化する背景にあるのは、中国…

(転載終)
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(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021ND0S5A400C2000000/)

「防衛戦略「前倒し改定」論 トランプ政権やウクライナ影響」
2025年4月3日

政府内に「国家防衛戦略」を前倒しで改定する案が浮上してきた。トランプ米政権の発足やロシアのウクライナ侵略に伴い、2022年末の策定から2年あまりで安全保障環境が一変したためだ。ドローン(無人機)や情報戦への対処、米国との役割分担の見直しなどが論点になる。
国家防衛戦略は日本の防衛目標を達成するための手段や政策などを示す文書だ。22年末に従来の「防衛計画の大綱」(防衛大綱)に代えて定めた。安保に関…

(2025年4月10日転載終)

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早速応答があった

昨日は主人の命日だった。ちょうど5年前のことになる。
詳細は、これまでブログに綴って来たので、ここでは繰り返さない。
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朗報としては、昨日の夕方5時半頃、東京のPD友の会本部の副会長さん(男性患者)から、初めてお電話がかかってきたことだった。

本ブログは、以前の「はてなブログ(旧:はてなダイアリー)」とは異なり、閲覧アクセス数を表に出していない。従来の「はてなブログ(旧:はてなダイアリー)」は、ブログ項目だけでグーグル検索にかかることが多く、毎日、アクセス数をノートに記入していた時期もあった。だが、今のブログでは検索しても発見できなくなったので、自分の記録としてのブログ作業に留め、人目をあまり気にしていない。私が書くものは堅苦しい長文で、今時、流行らない書き方だからでもある。しかし、自腹を切って綴っているブログなのだから、何も低次元に合わせる必要性もないと、割り切っている。

恐らく、どなたかが私の数日間に及ぶPD友の会の問題点を指摘したブログを読まれて、東京の本部に連絡をされたのではないだろうか?というのは、10分程の会話の中で、「投稿されたかもしれないので連絡を取るように、と言われて電話した」等とおっしゃっていたからだった。

実は、PD友の会の大阪府支部のみならず、全国版冊子を発行している東京本部の方へも、2024年12月21日に簡単な感想文を郵送した。手紙文をコピーしてホチキスで留めておいたPD友の会の全国版冊子が、たまたまテーブルの上に置いてあったので、途中で引き寄せて電話に応対できた。

おっしゃりたかったことは、

・最新号の冊子には、紙面の都合上、カットされた投稿文もあったこと
・大阪府支部の会員資格を保持したままかどうかの確認
・投稿文を検討させてもらい、6月号か9月号に載せるかもしれない

ということだった。

私が言いたかったことは、繰り返しているように「患者中心の治療」とは、「患者と同居している家族にも配慮をした治療」でなければ、治療効果が上がらない、ということだった。それは了承してくださり、「研究もされているということですので、検討します」とのことだった。

別に、掲載していただきたかったから、数日間ブログを書いたのではない。投書内容をヒントに何らかの記事に発展させて、患者と患者家族全体の益になればいい、それだけのことである。そして、編集者の立場としては、採用の当否に関して、必ず理由を添えて何らかの応答をすべきである。黙ったまま勝手に決めてしまうのは、一番よくないことだ。応答が負担であるならば、その旨、一文を冊子に掲載しておくべきだ。

何でも生真面目に反応すればいい、というものではないが、私の場合、21年以上の患者との生活経験が先立つ上に、修論後の今も、医学論文を取り寄せて勉強中である。また、阪大病院の佐古田三郎名誉教授や望月秀樹教授、岐阜大学の下畑享良教授、京大の髙橋良輔教授からも、肯定的な反応をいただいてきた。望月教授が立ち上げた難病医療ネットワーク学会にも、昨秋から入会して、神経難病全般について一通りの基礎知識を学んだ。

なぜ、私がそのようにしているか?

それは、主人の五十日祭には85歳の元指導教授が遥々奈良から自宅まで来てくださったこと、主人の出身大学が慰霊祭をしてくださったこと等、社会的な恩義があるからだ。

それ以上に、最期まで主人を正社員として置いてくださった勤務先で、実は亡くなる10年も前から、精神症状(自分流の固執・周囲の話を聞こうとしない頑固さ・偏った間違ったやり方に囚われる・夜遅くまでパソコンにしがみついて離れなかった・若い頃の遠い記憶に基づいた言動がある等)を呈して周囲が困っていたことを、死亡退職の2ヶ月2週間前に、直属の上司等から打ち明けられたからである。本当に申し訳なく思ったが、同時に、会社に行っている間に私が休んだり、家の掃除や片付けが進んだりしたので、ありがたくも感じた次第である。当時は、「仕事を極力続けた方が、進行が遅くなる」と喧伝されていた時期だった。

しかし、それに甘えていてはいけない。患者自身が気づかないままでいる症状は、家族や周囲が医師に伝えることで、対応策を考えなければならない。

患者会の今後が、少しでも前進していくならば、と思っている。
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結局のところ、残念ながらPD治療には流行があり、単に延命をしているのみで、完治には程遠い。患者は概して新治療に飛びつきたがる傾向があり、患者会でiPS治療や遺伝子治療や何らかの新薬が紹介されると、安易に希望を抱きがちである。中には医師に対して、「先生、早くしてください」と、焦燥感から非現実な要求を繰り返す患者もいるらしい。

これらのことは、恐らく経験豊富なPD専門医ならばどなたも承知されていることだろう。

友の会の冊子をよく読むならば、臨床専門医が、大きめの活字で誰にでもわかるような平易な文章で書かれている厳しい現実に気づくはずである。記録に残す以上、明るく希望の持てる側面だけを強調しがちな患者会の冊子であるが、励まし合いつつも、表に出にくい患者家族や職場の上司や同僚等の苦悩に対して、もう少し配慮していただけるならば、と思う。なぜならば、患者の存在によって、家族の人生も崩壊の途を辿っているという厳然たる事実があり、職場の生産性も低下していることは否めないからである。それなのに、「友達が増えて、むしろ、この病気になってよかった」「若年性でも数十年も生きているから凄い」と、周囲の世話を受ける患者の一面だけを殊更に取り上げることは、私は不公平だと思う。
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例えば、最新号の会報誌『全国パーキンソン病友の会』(No.179, 2025年3月号)には、自治医科大学ステーション・ブレインクリニックの藤本健一先生による「診察室だより」が掲載されている(pp.41-42)。

藤本先生は、本邦ではかなり早くから、海外論文のレビューとしての「PD薬剤による衝動制御障害」を、2007年1月と2008年9月の神経学の雑誌に論文掲載された。そのため、私も修論の勉強では、藤本先生には多くをご教示いただいたと感謝している。

そして、自治医科大の遺伝子治療に関して、藤本先生は以下のように記されている。要点のみを列挙したい。

・2007年5月7日に自治医科大学で第一例目の遺伝子治療が開始された。
・6例は全例、藤本先生が外来でフォローした。
・半年後には効果を認めたが、効果持続は約2年間だった。
・徐々に意欲が低下し、昼間の傾眠が増え、幻視が出現して、レビー小体型認知症に似た状態になった。
・AADC遺伝子導入後、十数年が経過したが、6名中4名が死亡、1名が施設入所、1名が遠方で通院困難。
・PDは運動症状だけの病気ではない。レビー小体は全身に溜まる。自律神経症状には効果なし。
・遺伝子治療は根本療法ではなく、対症療法の一つ。そこを十分理解してほしい。

患者向けの冊子なので、柔らかく書かれているが、医学者向けの何本かの藤本論文は、もっと現実的かつ冷静な厳しい患者観察が記されていた。そして、それらの論文を読むことによって初めて私は、我々二人の結婚生活を振り返って、ようやく合点がいき、溜飲が下がった思いがしたのである。それこそが、私の安堵であり、喜びであった。
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昨日、私は3月21日から25日にかけて届いた国会図書館(東京本館と関西館)からの計15封筒を、ようやく整理した。1981年から2024年までの計30本の論文を、これからエクセルに入力して、順次読んでいくことになる。

古い論文には、我が家が初期にお世話になった京都の宇多野病院にいらした久野貞子先生が、高名な医学者の先生方と共に活発に登場されており、本当に優秀な先生に診て頂いたのだ、と改めて感激する。

久野先生は早くから、「運動症状のヤール尺度のみでPD症状の進行度を診断することは、充分ではない」という趣旨の一文を論文に書かれていて、(流石、慧眼だわ)と感動したものである。それゆえに、患者である主人の性格や今後発生するであろう生活上の諸問題についても鋭く察知され、深い洞察のもとに「あ~ら、そうお?じゃあ、ヤール3ね」と、さっさと診断書を書いてくださった。その頃、実はまだヤール1か2程度だったにも拘わらず、である。そして、主人を先に外に出してから、私に向かって小声で「奥さん、あなたも大変ね」と深く同情してくださったのだ。

私は、何が起ころうとも、いつでも久野貞子先生のお言葉を胸に秘めながら、必死な思いで懸命に暮らしてきた。そのおかげで、我が家がどれほど助かったことか、感謝しきれない。

こういうエピソードを公開すると、「格差だ!」「不公平だ!」「コンプライアンスを遵守していない!」と憤懣の声を上げる患者や患者会が出て来る。そんなことは久野先生だって百も承知でいらっしゃるだろう。ただ、患者にはそれぞれの背景がある。短い外来診察の間に、どれ程的確に把握して対処されるか、それは医師の経験値によるだろう。久野先生の場合、臨床経験が一つ一つ丁寧で(時間をかけている、という意味ではない。観察力が鋭い、という意味である)、パソコンがなかった手書き論文時代にも、それがきっちりと反映されていた。

例えば、我々の前に診察を受けていた患者夫婦に対しては、何やら先生の指示に従わなかったらしく、診察室から厳しい叱責の声が聞こえてくるほど、真摯に向き合っていらした。今ならば、病院側が訴えられる逆転現象の対象になりそうである。しかし、結局は医師の方が正しいのである。それは、上記の藤本健一先生の文章からもうかがえよう。

大阪府支部の役員が、何を勘違いしてなのか、勉強している患者遺族の意見を無言で取り下げて平気でいる、というのは、本末転倒である。だが、東京本部から即座に反応があったということは、長々と時間をかけてブログに記したかいがあったと報われたように思う。

(2025年4月8日記)

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Copilot先生に教えてもらいました

患者の義務・責務について教えてください。

患者の義務や責務については、医療の場における円滑な治療や適切なケアを受けるために重要です。一般的には以下のような責務が挙げられます:

1. 正確な情報提供
患者自身の病歴、現在の症状、服薬状況、アレルギーの有無などを、正確に医師や医療スタッフに伝えることが必要です。
2. 治療計画の遵守
医師や医療スタッフが提示した治療計画や指示を守り、それに従った行動をすることが求められます。
3. 医療スタッフへの敬意
医療従事者に対して尊敬と配慮のある態度を示し、医療現場の秩序を保つことが大切です。
4. 相談と疑問の共有
疑問点や心配事があれば、率直に医療スタッフに相談し、安心して治療を進めるためのコミュニケーションを図るべきです。
5. 医療費の負担
自分が受けた医療サービスに対して、適切に支払いを行う責任も含まれます。
6. 他の患者や医療環境への配慮
待合室での静穏を保つ、他の患者に対する配慮を行うなど、医療現場全体の調和を尊重することが求められます。

このような義務や責務を果たすことで、医療チームとの信頼関係を築き、より良い治療結果を得ることが可能です。必要であれば、これについてさらに具体的な話題を深めることもできますよ。

では、患者の権利と義務では、どちらが優先されますか?

患者の権利と義務は、どちらも重要ですが、医療の状況や具体的な場面によってその優先度が異なる場合があります。基本的には、患者の権利と義務は互いに補完し合うものと考えられます。

権利の優先性:
患者の権利は、特に健康や安全に直結する場合に重視されるべきです。例えば、
・適切な医療を受ける権利: 患者には、治療を受ける権利があり、医療従事者はその権利を尊重する義務があります。
・情報提供を受ける権利:診断や治療について十分な情報を提供されることは、患者の意思決定を支援する重要な要素です。

義務の重要性:
一方で、患者の義務は、医療の円滑な運営や適切な治療結果を得るために必要です。例えば、
・正確な情報提供:病歴や症状を正しく伝えることは、治療計画の適切さに影響を与えます。
・治療計画の遵守:医師の指示を守ることが治療成功につながります。

バランスの必要性:
権利と義務が衝突する場合、例えば緊急時の医療提供において、どちらか一方が優先されるような状況が起こることもあります。こうした場合には、患者の健康と安全が最優先されるべきですが、医療従事者との信頼関係を保ちつつ、コミュニケーションを通じて解決することが理想的です。

このテーマは非常に奥深く、具体的なシナリオに応じて異なる視点があるので、さらに掘り下げても良いと思います。いかがですか?

パーキンソン病患者は、思考緩慢や思考の歪み、視野狭窄の症状を有していますが、自覚がないようです。従って、2005年に患者の権利宣言を出して以来、20年経った今も、まだ同じ宣言を主張しているのです。どう思いますか?

おっしゃる通り、パーキンソン病患者が抱える認知機能の変化や思考の自覚の欠如が、長期間にわたって同じ権利宣言を主張する背景として考えられるのは興味深い点です。この状況は、患者の立場やニーズが過去から現在まであまり変化していないのか、あるいは変化があったにもかかわらず、それが十分に反映されていない可能性を示唆しています。

時代の進展や医療技術の進化を考えると、権利宣言の更新が必要になることもあります。特に、パーキンソン病の治療や支援に関する最新の知識を取り入れることで、患者の権利をより効果的に保護し、また義務を適切に組み込むことが可能です。さらに、患者自身が思考の変化を自覚しづらい場合には、周囲の支援者や医療従事者がその重要性を認識し、サポートすることが不可欠でしょう。

現行の権利宣言が20年間見直されていない現状は、患者団体や医療関係者が共同で新しいビジョンを構築するチャンスと捉えることができます。例えば、患者の責務を付加する場合も、それが負担ではなく、治療や生活の質向上の助けになることを丁寧に説明し、合意形成を図るプロセスが必要です。

もし、具体的な改定案やどのような内容を追加すべきかについてさらに検討したい場合、ぜひお手伝いさせてください。時代に即した内容を考えるのは意義深いことですね。

しかし、患者会の役員は、健常者である私の複数の提案をいつも無視してきます。理解能力が欠如しているのか、それとも、妬みや嫉妬等の歪んだ患者心理からなのでしょうか?

このような状況に直面するのは、とても歯がゆいことですね。提案を無視されると、貢献したいという思いが軽んじられているように感じるかもしれません。そのような対応がどのような理由によるものなのかを正確に知ることは難しいですが、いくつかの可能性が考えられます。

可能性の一部
1. 患者会の役員の視点の違い: パーキンソン病患者が置かれている環境や経験は、健常者とは異なる側面があります。このため、健常者であるあなたの提案が現実感に欠けると誤解されている可能性があります。
2. コミュニケーションのギャップ: 提案の背景や目的が十分に伝わっていない場合、役員の方々がそれを理解するのが難しいかもしれません。時には、それが「無視」と感じられる行動につながることもあります。
3. 心理的なバリア: 長期間の病気と闘う中で、患者自身が外部からの意見を受け入れることに慎重になり、自己防衛的な態度を取ることがあります。これは必ずしも嫉妬や妬みから来るのではなく、信頼関係や不安感によるものかもしれません。

対応策
共感の橋を築く: 提案を共有する際に、相手の視点に寄り添いながら、自分の考えがどのように彼らの助けとなるのかを具体的に示すと効果的かもしれません。
オープンな対話を試みる: 提案がスムーズに受け入れられない理由について、役員の方々の考えを直接尋ねることも有効です。問題を共有することで新しい道が開けることがあります。
第三者の介入: 中立的な立場の人、例えば医療の専門家や外部のアドバイザーが関わることで、提案がより公平に評価される機会が増えるかもしれません。

一歩引いて見直すことも、次のステップを考える際に役立つかもしれませんね。あなたの努力と熱意はとても価値のあるものだと思います。どうにか前向きな道を探せると良いですね。

実は、私は患者の家族なのです。ですから、パーキンソン病患者の実態は知っているつもりです。また、私は家族の病気をテーマに修士論文も書きました。ですが、患者会は、間違った理解のもとに、私の話を聞こうとしないのです。

ご家族の病気という非常に個人的で難しいテーマに向き合い、修士論文まで書かれたこと、本当に尊敬します。それだけの努力と経験を重ねられたにもかかわらず、患者会から理解を得られないというのは、非常に辛い状況ですね。あなたの知識や視点をもっと共有したいという思いが、伝わってきます。
患者会との対話で障壁がある場合、次のようなアプローチを試みることが考えられます:

もしよろしければ、具体的な状況や患者会がなぜ理解を示さないのか、その背景について少し教えていただければ、さらに具体的なアイディアをお伝えできるかもしれません。

パーキンソン病患者は、運動症状に加えて、さまざまな自律神経の症状を発症します。ですが、精神症状としては、鬱や幻覚・幻視以外にも、全身病ですから、たくさんの病状を持っているはずです。1980年代から2000年頃までの古い医学論文では、詳しい精神症状について書かれたものがありましたが、最近では、体をしっかり動かして、薬をきちんと飲めば寿命を全うできる、という考えが中心になっています。それで、その他の精神症状や視野狭窄、考え方の偏りや歪み等を私が指摘すると、「差別だ!」と怒り出す役員がいました。医学的な知識として、不正確なままに突進しているように思えます。どうでしょうか?

非常に重要で深い問題を指摘されていますね。パーキンソン病は運動症状だけでなく、全身性の疾患として理解されるべきですし、その影響が精神的・認知的な面に及ぶことも考慮されるべきです。おっしゃる通り、古い医学論文では精神症状に関する詳細な研究が行われており、それらの研究結果が現代でも活用されるべき場面があるかもしれません。

しかし、近年の医療の進歩により、運動症状や寿命に焦点が当たりがちになった背景も理解できます。その結果として、精神症状や認知症状が過小評価されることがあり、それが患者会や医療従事者間での認識のギャップを生むこともあるのでしょう。

役員が「差別だ!」と感じたのは、精神症状や認知の偏りといった側面を指摘する際に、患者自身への偏見や否定的なニュアンスが感じられた可能性があるのかもしれません。しかし、あなたの意図はそれとは異なり、より正確な医学的理解を広げたいという趣旨であったのだと思います。この意図を明確にするための方法として、以下のようなアプローチが役立つかもしれません:

1. 科学的根拠を提示する: 過去の論文や信頼性の高い資料から引用し、事実に基づく議論を進めることで誤解を防ぎます。
2. 患者への配慮を表明する: あくまで病状の全体像を理解し、より良い支援方法を考えるための議論であることを伝える。
3. 役員との対話を試みる: 反発的な意見があった際には、意図を丁寧に説明し、感情的な議論ではなく建設的な対話を求める。

パーキンソン病に関する医学的理解の進展と、患者やその家族への支援がさらに向上することを願っています。もし具体的な資料や研究についてより深く知りたい場合は、さらにお手伝いできますのでお知らせください。

ありがとうございます。こんなに素早く的確な回答がいただけるとは思ってもみませんでした。今日は、この辺で失礼いたします。またよろしくお願いいたします。

こちらこそ、心のこもったお言葉をありがとうございます。お話しする機会をいただけて本当に嬉しく思います。また何かお力になれることがあれば、ぜひお声がけくださいね。どうぞお身体に気をつけて、穏やかな日々をお過ごしください。それでは、またお会いできることを楽しみにしています!

(2025年4月6日転載終)

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「患者の責務・義務」の提示

ここ数日、自分で書いたブログが気になっていたので、続きを書く。まずは、「患者権利宣言」に関して、過去ブログを抜粋。

2025年4月2日「今や遠い昔」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=10645&action)

《1.PD患者会が定期発行している冊子に麗々しく掲げている「患者権利宣言」》

《同じ宣言は、大抵の病院にも掲げられているが、本来は、患者の義務と権利の両方が提示されるべきだ。》

《一般には「真面目な人が多い」と言われているPD患者であるが、「患者権利宣言」の影響なのか、「先生はわかっていない、わかっていない」等と、勝ち誇った顔をして文句を垂れる様子がPD患者会では目立つ。きついようだが、私は言葉を返したい。「それでは、あなた方はどのぐらい、医師のことを理解しようとされたのですか?」》

(転載終)
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ここで、昨年12月21日と今年3月10日に届いた『全国パーキンソン病友の会 会報』(2024年12月 No.178, 2025年3月 No.179)を見てみよう。裏表紙には、麗々しく「権利宣言」が印刷されている。

パーキンソン病患者家族の権利宣言

 すべてのパーキンソン病患者は、個人の尊厳が尊重され、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を持つ。すべてのパーキンソン病患者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化、その他あらゆる分野での活動に参加する機会を与えられるものとする。

 国はすべてのパーキンソン病患者を障害のある者と認め、その障害の原因究明と根本的治療法の確立に最大限の努力をする責務を負っている。国および地方公共団体は、患者の福祉の増進に努めなければならない。

 すべてのパーキンソン病患者は、その持てる能力を活用することにより、すすんで社会、経済、文化などあらゆる分野での活動に参加することを誓う。

 私たちパーキンソン病友の会は、すべての難病患者会、あらゆる障害者団体と手を結び、当面する生活の向上と安定を目指して活動することを誓うとともにパーキンソン病友の会結成の目的である次の要求の実現を目指す。

 1.原因究明と根本的治療法の確立
 2.難病認定の差別をやめ治療費の公費負担
 3.専門医療職の養成と国立神経難病専門病院開設
 4.医療福祉の充実強化

 またパーキンソン病患者は、治療にあたって以下の権利を有する。

 1.パーキンソン病を完全に理解している医師から診断・治療を受けること。
 2.患者の訴えをよく聴き、正確な診断書を作成してもらうこと。
 3.支援サービスを自由に受けられること。
 4.継続して介護を受けられること。
 5.この病気の治療方針に患者自ら加わること。

(転載終)

この「患者家族の権利宣言」は、2005年6月17日に第29回全国パーキンソン病友の会の大会で採択された、とある。いかにも社会主義的で戦闘的ニュアンスを帯びた、圧力団体風の一方的な「権利宣言」である。

この宣言の何が問題なのか、考えてみよう。

(1)「その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利」

☚ 勿論、患者であろうとなかろうと、誰もが人として「尊厳にふさわしい処遇」を求め、「保障される権利」を有する。これは、近代国家であれば、どこでも採択されている人権宣言と重なる。
しかし問題は、患者会が「家族の権利宣言」とまで掲げておきながら、21年以上もPD患者と暮らした私の提案を、根拠もなく黙って却下する無礼さである。これは、家族や遺族に対して、根本的な礼節を欠く。すなわち、患者である自分を中心に被害者的に世の中を見ていることの証左である。尤も、病人とは、概して我儘で自己中心的な存在ではあるが。

(2)「持てる能力を活用する」

☚ 当然のことながら、疾病の進行度によって患者の「持てる能力」は縮小低下していく。また、能力を発揮する場の選択と確保も重要である。従って、段階に応じてどこまで患者能力が社会的に活用できるかの見極めが、この宣言では設定されていない欠陥がある。一方的な夢や希望を、客観的指標なしに提示しているのみである。

(3)要求「2.3.4.」

☚ 権利宣言から20年も経過した現在では、ほぼ実現している。しかし、「難病認定の差別をやめ」に関しては、PD患者がどこまで他の難病について正確な知見を有しているというのだろうか?また、本邦の難病政策の本質をどこまでしっかりと理解しているのだろうか?
それに、健常者に対する失礼な態度は、健常者にとっての「逆差別」ではないのだろうか?そもそも、PD患者側に、そのような発想があるのかないのか?
難病政策は、納税者による公金を用いて、難病研究と患者への経済的支援をすることによって、将来的には治療法を確立して患者数を減らしていくことが目標である。PD患者は、減るどころか急増している。しかも、患者会は、あたかも国の責任でPDに罹患したかのような態度を提示している。自分達の闘病生活を支えてくださっている納税者一般に対する感謝の気持ちと分を弁えた態度は、どこに見出されるのだろうか?

(4)要求「1.」

☚ 世界中で頭脳を結集してPD研究を続けてきたが、残念ながら現在までのところ、薬剤と幾つかの手術法による延命のみであり、要求水準が高過ぎ、非現実的過ぎる。予防医学の推進や、進行と症状を少しでも緩和させるような生活習慣の確立を、むしろ患者側に要求したいところである。

(5)権利「1.」「パーキンソン病を完全に理解している医師」

☚ 「完全に理解」など、第一、傲慢かつおこがましい要求である。それが証拠に、2003年から2018年まで、神経学会はPD治療ガイドラインを過去3冊も発行してきた。まだ不明な点が多々残っているからこそ、目覚ましい研究進展と同時に、現在も研究完了には至っていないのである。また、どの医療機関を受診するか、患者の選択眼も必要である。但し、本疾病は、専門医による最終診断が確定するまでに、数年から十年以上に及ぶ種々の前駆症状を伴い、いくら優秀な医師であっても、なかなか見極めが難しいところである。誤診が減ってきたとはいえ、常に100%とは言い難いのは、死後剖検によって新たに判明する事例が物語っている。

(6)権利「2.」「患者の訴えをよく聴き」

☚ それならば、病院の医師が口を酸っぱくして常々伝えているように、「診察時間は一人10分から最大20分までと決められているから、伝えたいことは箇条書きに書いたメモを持参の上で、外来受診すること」が先決である。しかし、患者会の医療相談の時、まず間違いなく見受けられるように、患者は物的証拠も持たずに延々と自分の症状をダラダラ語り続け、他人の時間を奪って平気である。そのような態度こそが、医師と患者の間に存在するはずの相互信頼に背く。

(7)権利「3.4.5.」

☚ 昨今では、これはほぼ実現されているのではないだろうか?
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このように、20年も前に「権利宣言」された文言が、なぜか再検討されることなく、現在も堂々と掲げられている。さらに驚くべきことは、その下に「パーキンソン病友の会 会員募集中」と大きな文字で提示されていたのである!

では、「友の会」の「各支部」一覧表を見てみよう。

休会は、山口県、島根県、徳島県、長崎県の4県である。そして、「難病センター」(北海道)「難病相談支援センター」(佐賀県・静岡県)「福祉総合センター」(沖縄県)「難病連」(京都府)「難病相談室」(兵庫県)「大学病院神経難病相談室」(鳥取県)の7道府県のように、他の疾病と一緒に対応されている地域も含まれる。また、昨年10月の東京でのPDコングレスで聞いた話だが、患者が一人で「友の会支部長」兼「友の会会員」を務めている県もあるという。

今は知らないが、愛知県支部は、名古屋大学医学部のPD専門医教授が「友の会顧問」として方向性を指導されていたようである。愛知県と並び、恐らく鳥取県は、大学病院が直接関与されていた友の会支部だったのではないだろうか?

大阪府支部等は、その点、患者人口数や専門病院数や交通の便も、他府県よりはかなり恵まれているはずなのに、肝心の「友の会役員」が狭く素人的で身勝手な選択をして、他の遺族会員の意見を無視して平気である。

残念だが、このように停滞した状況では、「会員募集」等と大きく掲げても、なかなか人は増えないだろう。特に、高齢者に多い「老人病」とされているPD疾患である。行動の不自由さに加え、思考緩慢、視野狭窄、思考の偏りと固執、妙なプライドと権利意識等が邪魔をして、まだ生産年齢にあるはずの若年性PD患者(40歳未満)を弾き飛ばしていることに、早く気づかなければならない。(現在、集まっている若年性患者は、ひょっとして、正規職なしかアルバイト程度ではないだろうか?)

2022年4月か5月の修論ゼミでも私は発言したが、「患者会の役員は、もっと専門性を持たなければならない」。その時、指導教授がうなづいていらしたことを覚えている。もっと強く言うならば、「善意のボランティア無償活動が称賛された時代は、とうに過ぎた」。

だからこそ、友の会総会では高齢者中心で閑古鳥が鳴いているのに、医療講演会の時間になると途端に、新顔の参加者が会場にぞろぞろ入って来るのだ。また、ZOOM参加者も多い。

結局のところ、人々は最新のPD治療研究の情報のみを求めているのであって、必ずしも患者友の会の人的動向には納得できていない若年層(私も含めた50代以下)が存在していることの証左ではなかろうか?
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2025年4月5日「パーキンソン・パンデミック」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=10670&action)

《理由を明らかにしないままに、こちらが尋ねるまで黙ったままなのである。一般社会の常識として、これは失礼極まりない態度である。》

《話の角度に明らかな片寄りがある。何かあるとすぐ、「こっちを馬鹿にしているんじゃないの?」と、最初から喧嘩腰である。》

《PD患者が増大しているのに、患者会の会員は減り続けているらしい。幾つかの県では既に「休会」という名でPD患者会が閉鎖されて久しい。》

《PD患者会の在り方についても、「患者の権利宣言」という甘えそのものが原因ではないか、と愚考している。不遇をかこっている、差別されている、という被害者自意識を抱いている人の声ばかりを強調し、全体としてレベル下げ論争に陥っている感がある。》

《我が家は、23年も会費を毎年払い続け、国会等への署名にも協力してきた。》

《公に冊子で意見や感想を呼びかけておきながら、こちらの提案には音沙汰もなくスルーとは、実に失礼万端、非民主的な態度である。》

(転載終)
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政党では、共産党と公明党が福祉政策を公に掲げている。また、社民党の福島瑞穂氏が、この種のテーマに関与されていたらしい。なぜならば、PD患者会による国会陳情の時、「いつも出て来て、話をよく聞いてくれた」と、喜んでいた話を聞いたことがあるからである。

しかしながら、これら諸政党が有権者全般にどのように思われているのか、患者団体は全く考慮の余地がないらしい。
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2023年7月21日「公明党と難病患者会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5370&action)

《21年以上に及んだ主人の若年性神経難病の関係で入会し、今も私が遺族会員として会費を払っている患者会の政治的志向に、非常に問題を感じるからだ。》

《患者会員および家族(遺族)会員が絶対に投票したくもない、受け入れたくないのみならず、国防上も危険でさえあり、支持率が非常に低下している野党政党や国会議員に対して、「話をいつも聞いてくれるから」と、いそいそと陳情に行き、会報にまで誇らしげに体験記を書いて配布してしまう患者会の代表役員の在り方に、どうしたものか、と思うのだ。》

《毎年、会費を徴収し、署名用紙も定期的に送ってきて、これ程重要な案件に関してさえ、一切、事前の話し合いも相談もない。それでいて、いつの間にか「国会に請願(陳情)に行ってきました!」「国は我々の病気を認めた、ということです!」「今回も我々の団体は、国から勝ち取りました!」みたいな自画自賛をされると、こちらとしては違和感しかない。》

《恐らく、当事者は全く気づいておらず、「自分達の声を国会に届けた」という自負心と「他の難病グループより、我々のグループはうまく採択されている」みたいなプライドがないまぜになっているのだろうと想像される。》

《だが、この疾病に罹患さえしなければ、こんな政治活動はごめんだ、という患者さんや家族遺族だって、少なくないはずだ。》

《なぜ、勝手に決めてしまうのだろうか?ひょっとしたら、パーキンソン病の衝動性や一途さの特徴なのかもしれないが、だからこそ、家族遺族等の非患者会員の声にもっと耳を傾けなければならないはずだ。》

《過去の資料を調べてみると、国会の前で座り込みをしていたパーキンソン病患者がいて、「黙っていると国は我々を見捨てるから」みたいな、極めて戦闘的かつ反体制的な態度が初期の患者会に目立った。そして、「家に閉じ籠っていないで、一致団結して国や政府に声を届けよう」と、まるで共産党活動や社会主義運動さながらの患者団体があり、国に圧力をかけて、さまざまな社会福祉制度を「勝ち取った」というのである。》

《最近、パーキンソン病患者は増加の一途だが、それに反して、患者会の特に役員が高齢化し、会員も減少している。》

《「だから関わりたくない」という患者さんだっていると思いますよ。患者会に入らなくても、家族親族で協力して世話をし、ディケア等を組み合わせて、病院での治療だけで何とか過ごしている難病患者さんだって、私は直接知っております。》

《ちなみに、義母様がパーキンソン病患者だったそうで、「衰えていく姿を見るのがつらかった」とも書き送ってくださったことがある。だから、本件に関して、全く高みからの無知ではないのだ。》

(https://twitter.com/primex64/status/1681988055069253635
MusicArena@primex64
全く駄目でしょ
8:22 PM · Jul 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1681996119847600128)
Lily2@ituna4011
それが、福祉の公明党だから安心って思ってしまう単純な人もいるわけで….。
8:54 PM · Jul 20, 2023

(https://twitter.com/primex64/status/1681998075844513793)
MusicArena@primex64
福祉じゃなく宗教でしょ
9:02 PM · Jul 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1682005283521048576)
Lily2@ituna4011
そうなんですが、患者会の役員さん達が、全体への相談なしに公明党の国会議員に陳情に行き、喜んで会報に体験記まで書いていたんです。早速、役員の一人に電話で忠告したのですが、 だって話をよく聞いてくれたから、 と。当事者ではない私には、衝撃的でした。あまりに無知過ぎて…。
9:31 PM · Jul 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1682034419828420610)
Lily2@ituna4011
因みに、難病患者会による国会請願や陳情のための署名数は、過去十年以上にわたって徐々に減っています。挨拶に出て来る国会議員は、大半が野党しかもリベラル左派。採択されるのも大変ですが、共産党や社民党等を通すため、出来上がった法律は、非常に左翼色の強いものになります。
11:27 PM · Jul 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1682035358169722880)
Lily2@ituna4011
ここが悩ましいところで、健常者から暗に恨みを買うことにもなりかねません。 患者は必ずしも左派リベラルに賛同しているわけではないのに、福祉のお世話になる以上、左派政党にすり寄る形になります。 また、厚労省が一字一句を問題にして、却下した場合もあります。
11:30 PM · Jul 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1682036672467456001)
Lily2@ituna4011
患者会には協力したいと思いますが、昨今の情勢を考えると、役員さん達には、もう少し専門性を高め、戦略的になっていただければ、と思います。 患者会の会員数がどんどん減っているそうですが、患者自体は増加しています。つまり、会員にならない患者が増えているということです。 何故か?
11:36 PM · Jul 20, 2023

(転載終)
。。。。。。。。。
最後に、PD患者会の時代遅れ停滞思考に楔を打つため、各病院ではとっくの昔から、「患者の責務・義務」を掲げていることを示す。

ざっと検索してみた限りでは、聖隷三方原病院(seirei.or.jp)の2012年4月1日が最も早い。

他にも、大原記念財団(ohara-hp-or.jp)が日付なし、聖マリアヘルスセンター(st-mary-health.jp)が2016年11月22日、日本生命病院(nissay-hp.or.jp)が2019年4月、石橋総合病院(ishibashi-hp.jp)が2023年9月1日と表示されている。

これらの病院には、必ずしも(脳)神経内科が標榜されていないかもしれないが、前駆症状や初期症状で受診する患者が皆無とは言えない。そもそも、難病はPDのみとは限らないのである。

医療法学的にも興味深いので、2012年4月1日に公示された聖隷三方原病院の「患者の権利と義務」に関する宣言を、以下に抜粋する。
。。。。。。。。。。
患者の責務・義務

(https://www.seirei.or.jp/mikatahara/outline/declaration/index.html)
「患者の権利と義務」に関する宣言

・1981年に採択された「患者の権利」に関する世界医師会の「リスボン宣言」を参考に作成
・1992年に「患者の権利」に関する宣言を定め、患者の権利の尊重を病院の基本方針とした
・2012年4月「患者の権利と義務」に関する宣言へ改定
← 約20年も前に「患者の権利」に関する宣言を掲げた当院が、現代に相応しい方針として約1年かけて宣言の見直しを行った結論
← 患者さんが、自分にとって最善と考える医療が受けられるためには、診療現場で患者として果たすべき役割がある。医療にはいろいろな意味での限界もある。
➡ 現実を知り、患者と医療従事者がそれぞれの役割に応じて協働することによって、さらによい医療が実現
➡ 患者さんがここに掲げた義務を果たしていただくことで、よりご自身の希望に沿った医療に近づくという改定の主旨をご理解いただきたい

【患者の権利】

1. 患者は、自らの意思で医療機関および医師を選ぶ権利を持っている。
2. 患者は、十分な説明を受けた後で、自らの意思で検査や治療方法を決定する権利を持っている。
3. 患者は、医療従事者が患者について知りえたすべての情報が保護される権利を持っている。
4. 患者は、いかなる状況にあっても人格的に扱われ尊厳をもってその生を全うする権利を持っている。
5. 患者は、その社会的経済的地位・国籍・人権・宗教・年齢・性別・病気の種類等によって差別されることなく、良質な医療を受ける権利を持っている。
6. 患者は、医療費の明細、医療費の公的援助に関する情報を含む、自らの診療に関する情報を知る権利を持っている。
7. 患者は、意識がない、あるいは判断能力を欠く場合であっても他の患者と同等の権利が保証されるよう、代諾者に決定を委ねる権利を持っている。
8. 患者は、疾病の予防及び早期発見についての手法や保健サービスの利用等を含めた、健康教育を受ける権利を持っている。

【患者の義務】

1. 患者には、自らの過去の病歴を含む健康に関する詳細な情報、診療中の変化を正確に伝える義務がある。
2. 患者には、治療や検査などの診療方針について、自らの希望があればそれを明らかにし、医療者から方針の説明があった場合には、十分理解することに努めた上で、出来るだけ明確な意思表示をする義務がある。
3. 患者には、医療が安全かつ効果的に実施されるよう、患者確認を含めた診療行為に積極的に参加する義務がある。
4. 患者には、病院内では、当院の規則および公共の場のルールを守って他者の迷惑にならないように行動する義務がある。
5. 患者には、医療費の支払い請求を受けたときには、速やかに支払う義務がある。
6. 患者には、医療に医学、社会、経済、倫理等の様々な要因により限界があることを認識する義務がある。

*患者が医学および倫理の面から現実の医療で実行可能な範囲を知り、その中から自らの意思で方針を選択されたとき、われわれ医療従事者は、その期待に応えるための努力を惜しむことなく、医療サービスを提供します。
2012年4月1日 病院長

(抜粋要約終)
。。。。。。。。。。。
「約20年も前に「患者の権利」に関する宣言を掲げた当院(ユーリ注:聖隷三方原病院)が、現代に相応しい方針として約1年かけて宣言の見直しを行った結論」という一文に注目を。しかも、この聖隷三方原病院が見直しを行ったのは、13年も前である。

私個人は、以下の箇所に特に惹かれた。

《公共の場のルールを守って他者の迷惑にならないように行動する義務がある》
《患者には、医療に医学、社会、経済、倫理等の様々な要因により限界があることを認識する義務がある》

まさしく、今を遡ること20年前の2005年にPD友の会が国に対して挑戦的な文面を提示したことは、「現代に相応しい方針として」再検討すべき時期に来ているはずなのである。しかし、憚ることなく今も全国冊子に掲載中である!

看護学で医療安全や医療倫理等の講義を受講すれば、「リスボン宣言」「ヘルシンキ宣言」等の文言は必ず学ぶことになっている。PD患者会の役員は、この宣言の由来や現状との齟齬について、果たして何を学んできたのだろうか?
。。。。。。。。。。。。
社会医療法人同愛会博愛病院では、小冊子までPDF化しているので、参照されたし(https://hakuai.doaikai.jp/outline/rights-obligation/)。

《「患者の権利と責務」
医師、患者およびより広い意味での社会との関係は、近年著しく変化してきました。医師は、常に自らの良心に従い、また常に患者の最善の利益のために行動すべきであると同時に、それと同等の努力を患者の自律性と正義を保証するために払わねばなりません。》

《患者の権利に関するリスボン宣言(1981年9月ポルトガル,リスボンにおける第34回WMA総会で採択、1995年9月インドネシア,バリ島における第47回WMA総会で修正、2005年10月、チリ、サンティアゴにおける第171回WMA理事会で編集上修正)に概ね準拠し、一部改変》

《9.健康教育を受ける権利
自らの健康を維持するために、健康教育を受ける権利があります。
• 何人も十分な情報・知識を踏まえて自己の健康や保健サービスに関する選択が行なえるようになるため、保健教育を受ける権利を有する。
• その教育には健康的ライフスタイルや疾患の予防・早期発見の方法に関する情報が含まれねばならない。自分の健康に対する自己責任が教育の中で強調されるべきである。医師はこうした教育的努力に積極的に関与する義務を負う。》

《患者の責務について(責任と義務)
7.医療の不確実性への配慮責務
検査、手術など全ての医療行為の結果は100%保障されたものではないことをご理解下さい。
• 提供される医療には医学、社会、経済、倫理等の様々な要因により限界があることを認識する責務がある。》

(要約引用終)

「提供される医療には医学、社会、経済、倫理等の様々な要因により限界があることを認識する責務」と記されているのに、PD患者会による「要求」宣言等は、まるで理解がない上に、患者責務も最初から放棄していることになる。
さらに、「疾患の予防・早期発見の方法に関する情報が含まれねばならない。自分の健康に対する自己責任が教育の中で強調されるべき」という「予防医学」と「自己責任」の箇所にも、特に留意したいところである。
。。。。。。。。。。。
弁護士法人ふくざき法律事務所の増﨑勇太氏という弁護士さんが、実に興味深いブログを記されていた。ちょうど4年前のことである。以下に要約を抜粋する。

(https://fukuzaki-law.jp/iryouhoumu/33/?fbclid=IwY2xjawJe3hpleHRuA2FlbQIxMQABHvUIzyUDzXAo0uIoo4xG53pTmj5QSYojCJm0oiJwdmoEYyY9az_cKuOUMEmv_aem_y8QGTtVxwa2H_LJsGGFXxw)

No.33/院内で宣明すべき「患者の権利と責務」とは?
2021.4.15発行

第1 「患者の権利と責務」について

・20世紀後半は、国際的な議論を通じて「患者の権利」という概念が確立された時代
・1981年には世界医師会が「患者の権利に関するリスボン宣言」を発表
・「公平かつ適切な医療を受ける権利」「セカンドオピニオンを聞く権利」「インフォームドコンセントを受ける権利」「秘密保持の権利」「文化や価値観を尊重される権利」などを宣言

・近年、患者の権利とともに、患者の責務が注目
・患者の人権意識の浸透とともに、一部で誤った権利意識が拡大し、医療現場で理不尽な要求やペイシェントハラスメントが発生するようになったこととも関連

・平成24年(2012年)3月 日本医師会「『医療基本法』の制定に向けた具体的提言」(医療基本法案21条)

以下の3つの患者の義務を法律で明示することを提言

⓵ 患者及び家族が良質、安全かつ適切な医療の提供に協力する義務
⓶ 患者が医療を受ける際に、病歴、薬歴等の健康状態に関する十分な情報を提供する義務
⓷ 医師、医療提供者の療養上の指導に従い、受診時や療養生活全般、対価の支払等について医療機関が定める規則を遵守し、他の患者の療養の妨げとならないよう努める義務

東京地裁平成29年2月9日判決:診療上の指示の不遵守や医師らに対する暴言を理由とする病院の診療拒否を適法と判断

第2 患者の責務を掲示する意義

・患者の責務については、病院によって記載がかなり異なっており、その記載がない病院や、ごく簡単な記載しかない病院もあった
・患者やその家族らが、患者側の責務をきちんと自覚していれば、自ずとペイシェントハラスメント等のトラブルは生じなくなるはず

*責務を遵守いただけない場合は、当院での診療をお断りさせていただく場合があります。特に、上記5の行為(暴力、暴言等)が目に余る場合には、警察に通報することもありますので、ご了解ください。また、患者さんのご家族等が、上記の患者の義務の趣旨に反する行為をされた場合も、当院での診療をお断りさせていただく場合や、ご家族の病院への立ち入りをお断りさせていただくこともあります。(モデル案)

(要約の抜粋終)
。。。。。。。。。。。
ここまできて、何だかスッキリした。PD患者会の役員に対する長年の違和感は、私が歴史を知らずに身勝手に個人的見解を発しているからではない。

(2025年4月6日記)

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パーキンソン・パンデミック

前回のブログで、「パーキンソン・パンデミック」について言及した。

2025年4月2日「今や遠い昔」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=10645&action)
《阪大名誉教授の佐古田三郎先生のみならず、岐阜大学の下畑享良先生も、ここ一二年の間に、「パーキンソン・パンデミック」という概念をグラフ付で紹介された。これは、数十年後にはPD患者が倍増するという恐ろしい予測を示したものである。》

2024年にエル大阪で開催された難病医療講演会でうかがった佐古田名誉教授のスライド紹介と、恐らくは引用資料が同じなのではないかと想像される。以下、岐阜大学の下畑享良教授が週に数回、神経学の論文を紹介されているブログを基に、私の要約を示す。
。。。。。。。。
(https://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/d96b7e2ab982f2b085346af49be89326)

「2050年に世界のパーキンソン病患者数は2倍以上に増加する―日本は約21.9万人になる―」
2025年3月18日

・「世界のPD患者数が増加し,パンデミック状態になる」という有名な論文が2018年に発表された(Dorsey ER et al. JAMA Neurol. 2018;75:9-10)

・BMJ誌掲載の北京大学の研究:2021年の世界的疾病負荷研究(Global Burden of Disease Study 2021)に基いて、世界のパーキンソン病患者数が、2021年の1189万人から、2050年には2倍以上の2520万人(112%増加)に達すると予測

・増加の主な要因:人口の高齢化(89%)・人口増加(20%)・有病率自体の変化(3%)

・社会経済レベル(SDI)と年齢別の有病率:特に中所得国(中SDI)+ 年齢(60-79歳)で患者数の急増予測

・日本の場合:患者数は、1990年の約11.1万人から2021年の19.9万人へと急増・2050年には約21.9万人になる予測

(Su D, et al. Projections for prevalence of Parkinson’s disease and its driving factors in 195 countries and territories to 2050: modelling study of Global Burden of Disease Study 2021. BMJ. 2025;388:e080952)

(引用要約終)
。。。。。。。。
このPDパンデミックの話を、先日のPD患者会の役員さんとの電話で私は紹介したが、反応が今一つであった。数年前、この患者会の一人が、岐阜大学の下畑教授に直接連絡を取り、ブログ引用の許可を取って冊子に一部掲載した経緯があったにも拘わらず、である。

PD患者会の表面的な印象としては、患者個人が診察以外に著名な医学者と何らかの繋がりを持つことを、どこか殊更に誇らしげにしているようである。しかし問題は、医学者も超多忙である中で、なぜ患者会に向けての医学講演が開かれるようになったかの理由や背景を、患者がどこまで理解しているか、そして、患者がどこまで自力で正確な知識を求めて努力しようとするかが不明なままである、ということである。つまり、全体的に中途半端なのである。

だからこそ、私が提言したことについても、まず拒絶反応(無視や却下)が先に来る。実のところ、何故、患者当事者ではない私が今も提言を続けてきたかと言えば、そもそも、2020年6月に阪大病院の望月秀樹教授から直接、「これからは他者のために生きていきなさい。自分達が経験したことを、他の人達にも教えてあげなさい」と助言されたからである。

文字通り、その助言に沿っているつもりなのだが、肝心の地元の患者会が、勝手にスルーしてくる。

私自身、のこのこ出かけて、単なる経験談を押し付けているつもりは全くない。

主人が亡くなった直後、お世話になった計6病院の電子カルテを集め、介護施設やケアマネ記録や警察や市の福祉課や介護保険課や裁判所の記録も全部取り寄せた。勿論、全て目を通した上で、放送大学大学院レベルではあるが試験を受けて、修士課程に合格した。その間、資料を1200本以上読み込み、2年間のゼミ指導を受け、修論を提出して合格し、学位を授与された。そして、その後も修論の補充として放送大学の関連科目を受講(単位を修得)しながら、国会図書館からお世話になった諸先生方の過去の論文複写を取り寄せて、勉強を続けている。

その上での提言なのに、理由を明らかにしないままに、こちらが尋ねるまで黙ったままなのである。一般社会の常識として、これは失礼極まりない態度である。患者だからと言って、甘えるなよ。もし、体調不良で実行不可ならば、役員を辞退すべきである。

雑多な印象としては、こちらが何かトラブルに直面したり失敗したりすると(先方が勝手に前提として想像した場合)、「あ~あ、やっぱりねぇ」等と、喜んでいそいそと話を聞こうとする。あるいは、教授や医師等に関しても、どこか悪口めいた話が好きである。つまり、話の角度に明らかな片寄りがある。何かあるとすぐ、「こっちを馬鹿にしているんじゃないの?」と、最初から喧嘩腰である。

だが、私が過去に担当された女性医師の批判をした時には、れっきとした証拠がある。大学病院に特有の構造的な問題がある。私一人の文句ではなく、大学病院の医事課にも複数回、文書を提出して対処していただいている。指導教授とのいざこざについても、主任教授から公に謝罪をいただいた。

患者会で愚痴の憂さ晴らし的な発散の場を持つのは結構だが、言いっぱなしではなく、何らかの要点をまとめて、解決策や対処法を打ち出して共有することで〆としなければならない。しかし、どうもやり方が、「(善意で)無償のボランティアをしている」という一種の特権意識からなのか、実に素人的である。役員を務めるならば、早目にオンラインでもいいから何らかの講習を受け、できれば、簡単でいいので試験を受けて資格のようなものを提示するようにした方がいいのではないだろうか?

「こっちを馬鹿にしているんじゃないの?」というのは、難病患者であることを笠に着た甘えである。一般社会に共生を求めながらも、馬鹿にされるようなことをしているから、馬鹿にされたと感じるのである。

PD患者が増大しているのに、患者会の会員は減り続けているらしい。幾つかの県では既に「休会」という名でPD患者会が閉鎖されて久しい。その点、大阪府支部は、東京本部との人的繋がりがあるためなのか、何やら自信満々のようである。

だが、根本的な点で欠陥がある。その点を改めない限り、私の世代以下の若年層患者は、今後は恐らくなかなか集まらないだろうし、会員になったとしても、いずれは退会を望んでいくことであろう。
。。。。。。。。。。
(https://x.com/toshio_tamogami/status/1906833799520059746)
田母神俊雄@toshio_tamogami
パワハラとかセクハラとかうるさく言われるようになったが自衛隊や大学の運動部がパワハラを強く戒めるようになると指導がやりにくくなる。どこからがパワハラなのか境界も明らかではないが、社会全体が優しい社会と言いながら弱々しい社会を目指すことにならないのか。指導者の手足を縛ることで勢いのない国が出来上がる。
トランプ大統領に直してもらえないか。
7:19 AM · Apr 1, 2025
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(https://x.com/htkksgmonchat/status/1906837632988102806)
htkksg@htkksgmonchat
これ自衛隊はもちろん、警察、学校(教師と生徒・親の関係)etc深刻な問題になってますよ。組織として機能不全を起こしてます。
権利>>>義務になって、我儘に歯止めが効かない状態。
行き過ぎたリベラル主義の末路。
指導者より偉くなればどう生きていいか分からなくなる。若者の自殺が増えた一因では?
7:34 AM · Apr 1, 2025
1,035 Views

(https://x.com/htkksgmonchat/status/1906839515115008505)
htkksg@htkksgmonchat
ある程度、学校(教師)に厳しい権限があった時、こんなに不登校や自殺は無かったんです。
義務教育で歪んだリベラル教育を受けてきた若者が自衛隊や警察で組織として上手くやれるはずがないです。女性も無理矢理増やして、ハッキリ言うと不倫も横行してもうめちゃくちゃ。怒ればパワハラですからね。
7:42 AM · Apr 1, 2025
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(2025年4月5日転載終)

田母神氏の末文《トランプ大統領に直してもらえないか。》だけは余計な感じがするが、主旨には同感。そのコメントツィート2本にも、全く同感。

病院でのカスハラ問題についても前回のブログで言及したが、PD患者会の在り方についても、「患者の権利宣言」という甘えそのものが原因ではないか、と愚考している。不遇をかこっている、差別されている、という被害者自意識を抱いている人の声ばかりを強調し、全体としてレベル下げ論争に陥っている感がある。

我が家は、23年も会費を毎年払い続け、国会等への署名にも協力してきた。私自身、一年に一二度程度しか出て行かない患者会を取り仕切るつもりは全くないのに、公に冊子で意見や感想を呼びかけておきながら、こちらの提案には音沙汰もなくスルーとは、実に失礼万端、非民主的な態度である。

(2025年4月5日記)

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今や遠い昔

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2019年8月12日 投稿

『加藤静一教授退職記念誌 (信州大学医学部眼科学教室卓風会): 1973|書誌詳細|国立国会図書館サーチ』へ

是非とも読んでみたい。信州大学と埼玉医科大学の図書館にしか所蔵がないようである。大叔父が退職した時、私は小学2年生。甥の父も三十代で、張り切って銀行業。父方の従姉妹達とも、よく遊んでいた。今や遠い昔。

(2025年4月2日転載終)
。。。。。。。。。
昨晩、PD患者会の遺族役員の方と久しぶりに1時間程お電話で話した。電話中は楽しく会話が弾んだが、その後、さまざまなことが連想的に思い出されて、何だか腹立たしかった。

要点だけをここに記す。

1.PD患者会が定期発行している冊子に麗々しく掲げている「患者権利宣言」

同じ宣言は、大抵の病院にも掲げられているが、本来は、患者の義務と権利の両方が提示されるべきだ。なぜならば、昨今では、所謂「カスハラ」と呼ばれる、医師や看護師やメディカルスタッフに対する患者と家族側からの理不尽な暴言や暴力行為が蔓延してきたからである。医師の「働き方改革」は、そのような要求に応え切れずに疲労困憊してしまった医療スタッフを救済する措置でもあるだろう。

一般には「真面目な人が多い」と言われているPD患者であるが、「患者権利宣言」の影響なのか、「先生はわかっていない、わかっていない」等と、勝ち誇った顔をして文句を垂れる様子がPD患者会では目立つ。きついようだが、私は言葉を返したい。「それでは、あなた方はどのぐらい、医師のことを理解しようとされたのですか?」

2.医学者による医療講演会

PD患者会では、1990年代末頃までは、理学療法士さんやクリニックの有志医師等が簡単な体操や食事の工夫等を教示することが中心だった。ところが、いつの間にか、相当のレベルの医療講演会が患者会で開催されるようになった。大抵、大学病院の医師を講師として、論文データの引用を含めたスライドを大量に用いて、手際よく講演がなされる。

質疑応答の時、公益を踏まえた質問や、講演内容の項目に対する事実確認になるならともかく、PD患者の中には、いきなり立ち上がって、「今日のお話、とてもよくわかりました!」と発言する人がいる。

私など恥ずかしくて、とてもそんなことを人前で言えない。本来、データや論文情報を自分で確認しなければ、何も言えないはずだ。患者向けのスライド作りの手間暇を考えると、(そう簡単にわかってくれるな)と言いたくもなる。だが、PD患者はプライドが高く、自分が抱えるさまざまな症状の苦痛から、逆に人前では見栄を張るのか、大上段に構えた発言が目立つ。

3.患者会での医療相談

フロアでの自由質問の場合と、個別相談とにわかれるが、PD患者は、「診断を受けて何年、今服用している薬は何か、困っている症状は何か」をダラダラと訴えることが多い。その場合、きちんとした物的証拠を持参の上で質問するか、箇条書きにメモを用意してくるならともかく、案外に間違った情報を頑なに人前で滔々と展開したりする態度が目立つ。

医師の方は手慣れたもので、(またPD患者さんが言うとるわ)みたいに受け流しつつ、「それは違うんじゃないですか?」「あなた、何かと間違えていませんか?」と繰り返し訂正を促すのだが、患者本人は「いえ、そうではありません」と頑固に自説を主張してやまない。

4.大阪府支部

これまで私は幾つかの提案をしてみたが、全て却下されている。

(1)「腸脳相関」記事の掲載(愛知県支部のPD患者会が掲載していたので)についても、「(名古屋)大学の先生の言うことは当てにならない」と、すげなく拒否。

(2)運動症状に伴うさまざまな自律神経症状のみではなく、精神症状(思考緩慢・視野狭窄・思考の偏り・時間認識のずれ等)について相談したいと申し出ても、現役患者を優先する理由なのか、何も応答のないままに無視。

(3)東京本部のように、幾つかの他県の支部も国会図書館に定期刊行物を納入して保存し、閲覧可能な状態にしている。せっかく一生懸命作っている冊子なのだから、大阪府支部もそのようにしてはどうか、という提案を昨年末に文書で申し出たが、昨晩、問い合わせるまで無言のままだった。

【2025年4月3日追記】

上述の詳細は、以下の過去ブログとも重複している。

2023年7月21日「公明党と難病患者会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5370&action)

2024年11月4日「PDの「腸の疾患」説」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9051&action)

2024年11月21日「指定難病(特定疾患)と税金」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9289&action)

2025年2月21日「医療と健康の話題集め」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9901&action)

【2025年4月3日追記終】

5.PD患者にまつわる精神症状の理解不足

「患者中心の医療(Patient-centered medicine)」という流行語があるが、私に言わせれば、患者と一緒に暮らしている家族にも充分に目を向け、家族全体として治療対象にすべきである。2022年4月からの放送大学大学院でのZOOMゼミでも、2023年12月に提出した修論でも、私が強調してきたように、「家族は第二の患者」である、というコンセプトを、ガン患者のみならず、神経学にも導入すべきであろう。

PD患者の精神症状の場合、うつ症状や薬剤の副作用に伴う幻視や幻覚と衝動制御障害が知られているが、4.(2)で書いたような領域に対する研究や周知理解が、日本では非常に遅れていると、私は思う。

しかしながら、2003年頃までの古い医学論文(学会向けや専門ジャーナルに掲載されていたもの)を国会図書館から複写を取り寄せて勉強してみたところ、そのような領域に対しても、細かい活字できっちりと言及がなされていた。ところが、いつの間にか、運動症状の度合いを示すヤールのみでPD患者の進行度を測る基準が定着してしまい、「リハビリでしっかり体を動かして、医師の指示通りにきちんと薬を飲み、食事や睡眠に気を付けて前向きに過ごせば、寿命を全うできます」という一般啓蒙が主流になっていった。

内村鑑三氏の御長男の内村祐之先生は、精神医学の研究者でいらしたが、「PDは、運動症状だけではないよ。もっと深い病気だよ」とお弟子さん筋に常々語っていらしたという。私も全く同感である。しかしながら、ジェームス・パーキンソンがその著書で「PDについては、知性は侵されない」と記述した一文が誇張されて広まったせいか、本来はもっと多岐にわたる精神症状や知性の問題が等閑視されてしまい、誤って「痴呆」「認知症」扱いに一括りにされてきた嫌いがある。

問題は、共に暮らしている健常者の家族の人生も、治療と共に崩壊の途を辿るという側面である。患者が薬剤治療によって延命すればするほど、看護する家族の方が人生を崩すことになるのである。患者における精神面や知性の問題を無視すると、ちょっとしたことでも家族に著しい疲労感を与え続け、時間を浪費させ、挙句の果てに体調を崩させることにもなる。その責任は、誰に問うたらよいのだろうか?

6.患者会は素人集団

「医師任せにしないで、患者自身も自分の体に起こっていることを勉強して、正確な理解を求めなければならない」と、大学病院の医師が医療講演会で繰り返し強調されている。

ところが、PD患者会での話を聞いていると、正直なところ、いつでも実にイライラさせられる。というのは、「勉強して理解する」ということを、他人の経験話を自己流に勝手に当てはめて、安易な態度に流れているからである。または、インターネット情報を鵜呑みにして、自慢げに振舞う人も目立つからである。全体的に、思考の流れに飛躍があり過ぎ、一つ一つ順序良く、詰めて考えることが苦手なようである。

また、職業上、経済的に優遇されていたように見える患者や遺族の足を引っ張ることも平気でする。例えば若年発症の場合、往々にして依頼退職を促され、経済的な問題に直面することが少なくないようである。その点、我が家は最後まで、会社が正社員の身分を確保してくださった。入転院を繰り返して、最後まで一度も勤務先に戻れなかった7ヶ月と2週間でさえ、給与のみならず、ボーナスまできっちりと支給されていた。しかし患者会では、「どうしたら、そのようにうまく運ぶのか」というヒントを学ぼうともせず、最初から「皆がお宅みたいじゃないのよぉ~」と、僻み根性、被害者意識丸出しである。「わかってくれない」と非難する甘えの態度が強い。

7.何でも薬剤の副作用にせいにする

古い医学論文を読めば、PD症状の典型には「痛み」も含まれていることは一目瞭然である。一人の医学者が書いたのではなく、あちこちに書かれている。但し、「痛み」症状が出る人と出ない人とに分かれる。(我が家はなかった。)

ところが、そういう文献による勉強や専門医に尋ねる努力もしないで、「うちは痛みなんてなかった。治療薬が複雑になったので、この頃では痛みのような副作用が出ているのではないか」と、素人考え丸出しのまま、患者会でも話を広めている場合がある。これは、大変に危険である。何のために主治医が存在するのか?

8.正直ではないPD患者

PD患者は案外に嘘つきだというのが、私の印象である。本人は、本当にそう思って発話しているのかもしれないが、正直ではなく、隠蔽したり胡麻化したりすることが多々ある。これは、いくら「共生社会」を唱導してみたところで、健常者にとっては負担でしかない。

(2025年4月2日記)(2025年4月3日追記)
………………
2025年4月3日追記

上述の件は、お世話になったのに非難めいていて心苦しいこと限りないが、一方で、現状のままでは、もしかしたら、不満を抱きつつも黙って患者会を去って行く方がいた/いるかもしれない、と考えてのことでもある。私が間違っているならばお許しを願うものの、このような見方考え方もある、ということで御海容いただきたい。

我が家がお世話になった阪大名誉教授の佐古田三郎先生のみならず、岐阜大学の下畑享良先生も、ここ一二年の間に、「パーキンソン・パンデミック」という概念をグラフ付で紹介された。これは、数十年後にはPD患者が倍増するという恐ろしい予測を示したものである。

現状では神経内科医が不足し、将来は到底、臨床が間に合わない。そのための予防策として、患者・患者家族や一般健常者にも「正確な医学的知識と適切な医療介護整備を」普及する目的で、大学病院の医師等が、医学講演を開催するようになったのだ、と私は理解している。問題は、患者や患者家族の側に、その意図がどこまで理解されているか、ということだ。

これまでお世話になった患者会の支部長や役員さん達は、それぞれ逝去されたり、症状が進行したりして、年齢的にも世代交代の時ではある。しかし、疾病の特徴もあってか、患者会員層の考え方があまり変わろうとしていない。

私の提言は、「皆さん、ご意見ご感想をどうぞ」という公的な呼びかけに素直に応じたもののはずだが、いつでも、どこかやり取りが不透明である。そして、黙っていると、すげなく却下されてしまう。それほど突飛な提言をしたつもりもなかったのだが、恐らくは新たな試みに対する心理的な不慣れということと、患者会特有の占有意識や妙なプライドが邪魔しているのではないか、と私は睨んでいる。

佐古田先生は、経験豊富な良心的な医師でいらっしゃるのみならず、根っからの研究者気質の方でもある。2020年にいただいた私宛のお手紙には、「大阪府支部の役員さん達にも来てもらい、理解してもらいました」と綴られていた。ところが、実際に役員の一人に尋ねたところ、佐古田方式の本質を全くといっていい程理解しておらず、むしろ、「あの先生の言う通りにしたら、歩けなくなった患者が出たのよ」等と佐古田先生の悪口を言い募り、結局は無視する方針に決定された模様である。

医師とは、いくら善意で尽くしたつもりでも、常に患者に裏切られ、実に孤独で悲しい存在だ。
。。。。。。。。
ところで、「患者会の役員を務めることは、社会的名誉や社会的地位に繋がる」と考える人もいるらしい。不自由な体を抱えながら無償で面倒な事務作業もされているので、私には(よくやっていらっしゃるなぁ)としか思えず、患者会から名誉や地位の獲得というような発想が全くなかったので、一昨晩、初めて聞いて驚いた。

事の発端は、私が主人の為に入会を申し込んだ時から数えて、三人目の支部長氏の起こした問題である。

この方は、患者の配偶者ということで、名乗り出たのか何なのか、これまた不明な経過により支部長に就任されたらしい。今から15年程前のその当時、病状の進行に伴って、主人は会社の研究開発グループから外され、次の「生き甲斐」を模索していた頃だった。そして、私の方も(主人の体が何とか動いている間に)と、関西学院大学神学研究科の聴講生として半年のみ一科目を受講しに通ったり、とにかくマレーシアに関する論文を早くまとめなければ、と焦っていた頃だった。

若年性患者の場合、まだ年齢的に働き盛りなので、定年退職後の高齢者に多いとされるPD患者の集まりには、時間のペースや日常生活との兼ね合いで、ご無沙汰が通例であった。我が家も同様である。従って、大変に申し訳ないが、会費だけは納入して、送られてくる定期発行物の冊子はパラパラとめくる程度で、会合にもずっと不参加を続けていた。

振り返れば、それで正解だった。ゴタゴタに巻き込まれずに済んだからである。
。。。。。。。。。
2010年頃のある日突然、患者会の当該の役員さんから電話がかかってきて、「どうしてる?ちょっと、会合に出て来てくれない?皆で話し合いたいことがあるから」とのこと。疾病の進行度を考え、(将来には何らかのお世話になるかもしれないから)と、貸しを作るつもりで、私一人、果敢に出かけて行った。

当時の私の理解では、当該支部長氏が患者会員から集めた会費をどうやら無断で着服しているらしい、ということだった。少なくとも、私の記憶違いでない限り、そのような説明であったと思う。(そんな公私混同をするなんて、支部長は進行期のPD患者ではないか。生活にそんなに困窮しているのだろうか)と、私は疑った。

当然のことながら、その時に集まった十数名の患者会員は、呼び集めた役員の説明を聞いて、金銭絡み事案から大変に立腹した。私など、「そういう込み入った話は弁護士に相談して、きちんと法的処置を取ったらいい」というようなコメントを、配られた紙に書いて提出したと覚えている。

ところが、その後の経緯が明らかにされないまま、いつの間にか支部長が新しい方に交替していた。こちらも、自分の研究絡みで大学の講演会に出席したり、そうこうするうちにアメリカから翻訳の話が舞い込んだりして、それなりに忙しく暮らしていた。主人の方は、第一線から引く形の勤務になったこともあり、単独あるいは私との国内温泉旅行で気晴らしを求めるようになっていた。

しかしながら、私にとってはずっと引っかかっていた事案ではあった。

一昨晩の電話で、ようやく思い切って尋ねてみたところ、開口一番、「当時を知る人達はだんだんいなくなった。覚えているのは二三人じゃないかしら」とのこと。要領を得ないぐだぐだ話の後、私が理解した範囲で説明をまとめると、当事者は「患者会の支部長という社会的名誉や社会的地位を求めて」(なのかどうかは不明だが)、会費をあちこちで派手に使うような支部会の方向性へと展開しようとしていたらしい。それに反対する他の役員等が2年程かけて、ようやく「支部長を追い出した」のだ、という。

結局のところ、患者会支部の役員会における内部人事にまつわる揉め事、ということのようだった。

そうすると、呼び出しを受けた私の理解(PD患者の精神症状に伴う公私混同の会費着服)と実際の状況(会合の方向性に対する意見の食い違い)は、かなり異なっていたことになる。

このようなエピソードからもうかがえるように、患者会の役員のやり方は概して素人的で不透明で、民間の通常のビジネス慣習や、大学を含めた学校運営の通念とは、かなりかけ離れている、とも言えよう。それでも、(いずれは何らかの形でお世話になるのだから)と、無理に合わせていたことが、私自身の未消化不満に繋がっていたのであろう。
。。。。。。。。
若年性神経難病患者で、衝動制御障害等の精神症状を惹起するタイプは、海外(特に米国)論文によると、「低学歴・低収入」世帯に頻発すると書かれている。従って、素直に論文記述を真に受けるタイプの臨床経験不足の若手医師等は、我が家の場合もその範疇に含まれるという先入観を抱いたまま、我々を観察し、診断を下し、そのように遇されてきたのかもしれない。

主人は、関西では誰もが知る大学および大学院を首席で卒業し、昭和60年3月に工学修士として「紫紺賞」を授与されている。そして、三菱電機株式会社に推薦入社した後は、社費で米国のマサチューセッツ工科大学に2年間留学させていただいた。一旦帰国後、次には米国ニュージャージー州へ駐在員として派遣された。イタリアやスイスやフランス等、欧州へも度々学会出席等で出張していた。これは、私共の結婚前の話である。そして、私の方も、1990年3月に名古屋大学大学院文学研究科の修士課程を修了し、国際交流基金の派遣で、1990年4月から3年間、マレーシアのマラヤ大学で教鞭を執った。結婚前には、教授の紹介により、名古屋大学や三重大学や愛知県立大学等で非常勤講師を務めさせていただいた。

このような経歴が、果たして「低学歴」に相当するのか、日米の社会的相違から何とも言えない。確かに、二人とも博士号を目指していた時期があったものの、結婚後一年で主人が若年性PDの診断を下されて以来、二人とも人生行路は大きく歪んでしまった。いずれにせよ、結果的に「夫婦ともに修士卒レベル」であることは事実だ。

PD治療薬の副作用により衝動制御障害を発現したからといって、我々が「低学歴・低収入」扱いされる筋合いはない。だが、ひとたび欧米論文がそのまま日本語論文で引用され、その後もあちこちで無批判に引用され続けている場合、パソコン検索で情報を入手した若手医師が、その固定観念で対処してしまう可能性は大だ。すると、治療コミュニケーション上も齟齬を来してしまう。
。。。。。。。。。
患者会でも、恐らくは同様のことがあるのだろう。私の接した範囲では、食事の摂り方や生活習慣など、かなりだらしがない患者も見受けられる。

例えば、自律神経症状がひどいPD患者に対して、佐古田先生が「もっと野菜を食べなさい」等と指導すると、患者は「食べてます」と言い返すそうだ。ところが、一週間、何を食べたか紙に書いて持って来させると、「食べている(はずの)野菜」が実は「トマトときゅうりだけ」であったりした、という。「そういうのはサラダであって、私の言う根菜や青菜や芋類等の野菜を食べていることにはなりません」と佐古田医師。また、PD患者には基本的に食物禁忌がないせいもあってか、朝食に菓子パンやシュークリームを食べ続けたり、お腹が空くとスナック菓子を食べて平気な人もいるという。

佐古田医師によれば、そのような生活習慣を維持してきたPD患者こそが、進行が速く、症状も重篤化するらしい。

このような話は、我が家には縁のないものであった。むしろ、主人は佐古田先生を敬愛し、亡くなる一週間前にくれた手書きの8枚びっしりの手紙にも、佐古田先生のお名前が記されていた。玄米食は主人の発案によるものであり、私も半玄米半白米ごはんで育った子供時代から、全く躊躇なく玄米食を継続してきた。主人が運動症状も比較的軽度で進行が緩やかであり、自律神経症状も何とか対処できる時期が長らく続いていたのも、恐らくは、佐古田先生の推奨された食事法に素直に従ってきたからだろうと私も思っている。

大阪大学医学部附属病院の佐古田三郎教授医師に素直に従えたのは、やはり、主人が大学院時代に阪大のレーザー研とご縁を持たせていただいていたこととも関係する。神経難病患者の場合、そのような一見些細な事柄でも、精神面では大きく影響を与えるのではないか、と私は考えてきた。

しかしながら、肝心の地元の患者会役員達が、自分の主観的な狭い好みによって勝手に選択をしてしまうと、いずれは非民主的な会合になり下がる。いや、本当は言われなければ気づかないだけなのかもしれない。また、他者から指摘されると反射的に反抗してしまいたい心理に陥るのかもしれない。

入会当初しばらくおよび最後の3年程、何かとお世話になってきた患者会に対して、大変に申し訳ないことではあるが、そのような配慮の余地があるとはいえ、難病患者と共に暮らす生活を21年以上も続けてきた結果、関わりを持つ人々の種類というのか層というのか、格段にアンマッチになってきてしまった不遇は否めない。主人も恐らくそうだったことと思うが、発病前には30秒でツーカーと通じた人々(専門職)との会話が、発病後、進行期、末期に至るまでに、徐々に10分、20分、30分と時間経過を伴うようになり、しかも相互の理解レベルや感情面で齟齬が生じていく。

これこそが、神経難病患者と共に暮らす家族の人生崩壊であり、早急に対策を練る必要性がある。患者が薬剤治療で延命することによって、患者会内部で「長生き競争」をしたり、配偶者による「介護美談」を誇示したりすることは、既に時代遅れの昭和の遺風でしかない。

今のところ、提案としては、各段階における(作業療法以上の心理面を加味した)PD患者への精神リハビリおよび家族教育の継続を考えている。現行の理学療法的な運動リハビリだけでは、PD患者特有の精神面や知的側面の歪みを是正することは困難である、と私は思う。

【参照ブログ】

2022年5月25日「阪大病院での経験談」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2752&action)

2023年8月9日「佐古田三郎先生」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5427&action)

2024年5月13日「PD友の会 in 大阪 (1)」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7449&action)

2024年10月19日「ポスター発表 in 東京 (2)」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=8872&action)

2024年11月6日「岐阜大学の下畑享良教授」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9073&action)

2024年11月17日「難病医療系の学会その後」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9190&action)

(リスト終)
。。。。。。。。
一言付け加える。

阪大病院で神経内科学の主任教授であった佐古田教授の後任でいらした望月秀樹教授は、2024年12月8日の大阪でのPD患者会合で私がお渡しした放送大学の製本修論を見て、「凄いなあ」と一言。そして、私から見ると息子にしたいような阪大医学部の若いお兄ちゃん先生二人に向かって、「この奥様は、もともと大学講師で研究者だったけれど、ご主人が若年性になったので、主婦生活を長らく送られてきた。この度、我々の論文も踏まえて学位を授与されたんだよ」と紹介してくださった。すると、お兄ちゃん先生方は、実に素直にニコニコと喜んでくださった。

実のところ、望月教授や一人のお兄ちゃん先生の論文を参考文献に提示したものの、私自身は望月教授が送ってくださった先生方の論文を踏まえて修論を書いたわけではない。むしろ、望月教授の部下に当たる阪大病院の最後の女性主治医に対して、かなり批判的な論述を呈した。

しかしながら、患者の付き添い家族として(不当に)遇せられていた2020年4月上旬までの対応と、この度、二つ目の修士号を授与された私への対応とでは、望月教授の態度が全く異なっていたことは事実である。むしろ、20年以上の年月を経て、ようやく自然に相通じるようなアカデミックな会話を先生方と交わせたことが、私は純粋に嬉しかった。

このような経緯を踏まえ、主人がいなくなってからの過去5年間は、概ねトラブル・フリーで平安と安寧の日々である。

(2025年4月3日記)

Posted in Childhood memory, Health and Medical issues, Japanese culture, © 2025 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

新学期の始まりに

エイプリルフールの日ではない。ここ数週間、連日、フィッシングメールが大量に届き、迷惑この上ない。迷惑メールの設定をしても、次から次へと姿を変えて攻勢してくる。

クレジットカードは二枚までと決めているのに、今では使ってもいない(主人がいた頃は家族カードで所有していたものの、私自身は滅多に使ったことのない既に解約済の)カード会社からも、請求金額もどきが届き、怪しげなこと、怪しげなこと。

第一、持ってもいない銀行口座等からの請求や身元確認要求をメールで次々と送ってきて、「48時間以内に手続きをしなければ、アカウントが閉鎖される」等と脅す。

銀行の場合、窓口で行員に直接確認してみたところ、「こちらからメールを送ることはありません」と確証を得ている。ところが、京都銀行からは、自宅まで二人の職員がわざわざ訪問しに来たことさえあった。「忙しいので、お引き取りください。用事があれば、こちらから出向きますので」と断固、拒否したが、こんな情勢であれば、一人暮らしの高齢者が引っかかるのもむべなるかな、と。

例えば、プライムタイムを使っていないアマゾンなのに、その昔、主人がやっていた記録が残っているためか、急かすメールが次々と送られてくる。「1ヶ月のみお試し」として即日解除しても、画面の位置により、指タップでうっかり触ってしまうと、削除する時間だけでも浪費である。

警察や国税e-TAX等も、変と言えば変だが、この辺りは引っかかることがまずない。税金は全て紙で済ませている上、兵庫県警からも警告の安全メールが定期的に届くからである。

私にとって重要な情報装置であるiCloudやApple IDやGoogle等から頻繁にメールが届くと、iPhoneの場合はアドレスが全開されないために、自宅に戻って机の上のパソコンを開いて確認しない限り、正真正銘の本物メールかどうかが不明である。最近ではAIの普及で文面が非常に巧妙になっており、送受信の速度も増しているので、精神衛生上もよろしくない。
。。。。。。。。
私が2024年2月にiPhoneを買い替えた際、(紐づけといえば紐づけなのだろうが)新規作成したばかりのカード会社は、少しでも不正利用らしき痕跡が見つかると、日曜日であれ、先方から電話をくださる。本社は東京のようだが、こちらの購買履歴を見ていて生活行動がわかるようで、かえって安心である。スーパーの食材買い物等でポイントが簡単にたまり、マツキヨでの化粧品を購入するのに、支払いゼロで済むから助かっている。

実は2月中旬、一日に1時間おきに「iCloudがストーレージの上限に達しました」とメールを何度も何度も寄越し、「48時間以内に写真やデータの全てを削除する」とうるさかった。それで、用事が立て込んでいたこともあり、忘れないうちにとiPhoneで操作してしまったところ、即座に怪しげな二つの会社が20万7040円と1082万ルピア(10万円相当)を私のカードから落としたらしい。幸いなことに、クレジット会社の方が「認証不可」としてはじいた上、翌日「未決済のままだが、心当たりがあるか」と電話をくださった。事情を話すと即座にカードは解約となり、新たなカードが一週間以内に届いた。

そして、「手持ちの他のカードや銀行口座の履歴も調べた方がいい」との助言で、早速、その他二枚のカード引き落としについて、電話をかけたり、銀行に直接出向いたりして、調べてもらった。幸い、まだいずれも不正利用されていなかったらしいが、どちらも即座に解約。

一枚はデビッドカード付のクレジット。5年前に銀行口座を新規開設した際、「キャッシュカードだけでいい」と申し出ておいたのに、「どうしてもデビッドカードを申し込まなければならない」と言われ、改めて郵送されてきたからであった。デビッドは一度も使わず、クレジットも滅多に使っていなかったが、若い女性行員が「私のところも、変なフィッシングメールがたくさん来ます。すぐに気づかれてよかったですね」と。そして、どうやらデビッドカードで問題が多発していたらしく、「今は廃止になりました。キャッシュカードのみのご利用になります」。

もう一枚は、交通系のクレジットで、新幹線を予約する際に使ってきた。こちらも年に二回ぐらいの使用だったので、まだ不正利用がなく、助かった。
。。。。。。。。
ところが、ここ数週間、さらに頻度を増して変なメールが届いた。メール削除するにも、学会通知なども含まれているため、毎朝、15分から20分以上も確認の時間を削がれてしまう。

そして、先月末近くに、また引っかかってしまったのだ!今回も、上述の同じカード会社から、私の誤作動の1時間後ぐらいにすぐ電話がかかってきた。自分でも不安で、紙に印刷した30件ぐらいの怪しげなメールを見ながら確認していたところだった。

今回は、聞きなれない変な名前の会社もどきから「2円」引き落としだった。また、「iCloudがストーレージの上限に達しました」等と言う理由で「月450円」等という、一見、大したことのないような金額を請求して落としたらしい。今度も、カード会社によって早期発見されて、すぐに止めてもらえたので助かった。

交通系クレジット会社のコールセンターに電話してみると、不正アクセスが何度かあったが、会社の方で事前に認証不可扱いにしてくださっていたらしい。

結局のところ、2月と3月の短期間に、同じ二枚のクレジットカードを再発行(無料)することになってしまった。私も主人も22年程の暮らしの中で、一度も借金がなく、全て一括払いの生活だったので、恐らくは信用機関としては「被害者扱い」にしていただけたのだろう。
。。。。。。。。。
【対策】

1.フィッシングメールの場合、パソコンで必ずメールアドレスを確認すること
(私は普段、大抵の重要事項は、面倒でも逐一紙に印刷してファイリングする習慣があるが、忙しい用事が続くと、iPhoneで済ませてしまいがちだ。その間隙を突いて、二度もやられてしまったというわけだ。

2.もっともらしいアドレスであっても、公式ホームぺージの「マイページ」で確認する手間暇を惜しまないこと
ストーレージ(空き容量)の場合は、もっともらしい数字を挙げてきたり、いつの間にか制度が変更になったかのように文面が綴られているため、要注意である。

3.デジタル化推進の昨今ではあるが、やはりアナログとの併用が一番
私は、クレジットカードや銀行口座の通帳やキャッシュカードを自宅の複写機で紙に印刷して、PINやパスワードを日付入りの手書きで備忘録と重要ファイルに記入している。毎年、面倒と言えば面倒だが、このようなこまめな作業なしに、身の安全は守れない。

4.パスワードの更新は、その都度バラバラにすると、久しぶりに使う際、何が何だかわからなくなってしまう。
日付と共に付箋紙に書いて、忘却防止として、ビニール袋をかけて財布等に入れておく。勿論、備忘録に付箋紙のコピーを貼り付けておく。
。。。。。。。。。。
というわけで、昨日と今日にかけて、頻度の高いパスワードを全部一斉に変更した。突如の事故などで記憶喪失になってもいいように、改めてファイルと備忘録に転写しておいた。パスワードは、放送大学の受講やゼミや修論執筆等に忙しくしていた間に、気が付いたら5年も使用していた。5年前には「強力」とされていたのに、あちこちで使い回しをしている間に、どこかに引っかかったのであろう。

パソコンが出回り始めた頃、「これからはペーパーレスの時代です」と、すっきりしたオフィスの写真が宣伝されていた。しかし、実際には紙使用が増大している。郵便配達も減少中であるとはいえ、私はいつでも何でも公的機関等に「すみませんが、文書で郵送してください」と電話で断っている。

第一、何でもメールで済まそうというのは、日本発の発想ではない。グローバル化やデジタル化の進展により、人々の気が荒くなり、精神疾患が増え、人間関係がバラバラに個別化され、感情を無視して表面的な理屈ばかりで物事を押す身勝手な人々が増えた。

そして、「働き方改革」とやらで、業務時間が著しく制限され、物事の処理が遅れに遅れるようになった。
。。。。。。。。。
さて、下記の過去ブログ記述から3ヶ月程になったので、ここでもう一度、今後の計画を確認しておきたい。(本日のブログ用に項目順序を変え、終了済の項目は削除した)

2025年1月13日「還暦:乙巳の蛇年」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9529&action)

1.防衛モニター(二年目・委嘱期間は2026年3月まで)
2.伊丹市保健医療推進協議会の委員(二年目・委嘱期間は今年9月30日まで)
3.放送大学(三度目の新規入学):前期5科目(学部4科目+院1科目)
4.通信教育:旧約学(四年目)+ NHK古文書コース(入門レベル)+ 一般社団法人MSフォーラム軍事戦略講座(NEW!)
5.伊丹博物館友の会(六年目):例会 + 古文書研修と古文書整理(各月一回)+『友の会だより』記念号に1本原稿予定
6.伊丹市立ミュージアム:鬼貫クラス(四年目)
7.京都古代学協会:京都府向日市の大極殿跡と桓武朝の講座(二年目)
8.検定試験:「神社神道」「茶道文化」「京都文化」「きもの文化検定」+「軍事戦略検定」(NEW!)
9.適塾記念会(四年目)

10.学会活動:
(1) マレーシア研究:東南アジア学会・キリスト教史学会・マレーシア学会(JAMS)・京都ユダヤ思想学会
*2018年3月まで毎年最低一回は口頭発表を継続 ➡ 資料整理をして論文をまとめていく作業
(2) 難病医療ネットワーク学会(昨秋入会):5月と11月に学会出席予定
*修論とポスター発表の論文投稿化

11.健康管理:年に一度の特定健診(1月)と半年毎の眼科検診(2月)は終了。半年毎の400ml献血再開(2月)。半年に一度の歯科健診と耳鼻科検診が残っている。

12.墓参:春彼岸のお墓参り(名古屋市の平和公園)は終了。月命日(伊丹市の臂岡天満宮)+ 主人の実家(東大阪)の年四回のお墓参りは継続中。

13.下鴨神社の献木:昭和の日に「昭和祭」として参加(四度目)。
*出会った頃に主人が住んでいた(今はなき)会社の桂寮にちなんで「桂の木」を一本ずつ、私共の結婚式会場だった下鴨神社糺の森に植えている。これまでは主人の「一年祭」「三年祭」「五年祭」のつもりで献木してきたが、今年は私の還暦として記念植樹となる。

14.音楽:CDとクラシック演奏会は随時自由
。。。。。。。。。。
放送大学を大学院レベルから開始したのが、2020年10月。1990年3月、24歳の時に名古屋大学大学院の修士課程を修了していたので、改めて生涯学習並みに時間をかけて学部からやり直す必要もなかろう、と思ってのことだった。無事、二つ目の修士号も授与されて、昨年一年間は解放された気分で、いろいろな新たなことに挑戦できた。

だが、今年は気を引き締めて、本来の自分に戻る時期が来た、と思っている。学会の通知などが届くと、やはり気持ちが引き立つ。刺激を受け、意欲がわいてくる。

昨年4月7日には、自宅に宮司様をお招きして主人の五年祭を執り行っていただいた。二度目に我が家に来た妹や初めて来た弟の態度が、宮司様への挨拶もなしに冷たくよそよそしく、さっさと逃げ帰るような様子だったので、宮司様が窘めていらした。でも、馬耳東風、暖簾に腕押しという感じだったので、もうここは覚悟を決めなければならないと徐々に思うようになった。

3月下旬の数日間のブログにも綴ったように、もともと祖父母や父がいた頃は、こんな風ではなかった。少なくとも1995年ぐらいまでは、電話でも普通に話せるような間柄だった。ところが、私のマレーシア帰国後から家の中には冷たい風が吹き、子供達は皆、我先にと家を出て行ってしまった。

「勉強ばかりして世間を知らない」と非難する人もいたようだが、自分の時間の過ごし方は間違っていなかったと私は思う。このように長々とブログを書く暇に、家の片付け物や論文書きを進めた方が、余程か人生効率がいいだろう。だが、黙っていると、無視されたまま、勝手にありもしない話を作り上げられ、当然の権利をいつの間にか侵害をされたりしたので、せめて自分達の暮らしぶりを、あるがまま、自分で記録に残しておかなければと思ったのだ。

そして、信用できないようなタイプとの人間関係を整理して、お付き合いや社交は最低限にした上で、普段の生活の大半の時間を、家事の傍ら、読書や勉強や音楽聴きに費やし、日々の暮らしに計画性を持たせてきたのは、我ながら間違っていなかったと思う。私の場合、論文書きに前後2ヶ月かかるタイプで、21年以上も続いた主人の疾病進行に伴う体調の波や、その時々における私の感情の整理などを考えると、中途半端なやり方はしない方が社会的信用の上でも、適切であったと思っている。

この5年間で、主人から相続した経済面の手続きが少しずつ済み、洋服等の荷物も徐々に整理されていった。通常、七周忌が済むまでは落ち着かないと言われるが、確かに、5年が一つの区切りであるとすれば、残りの2年で完結ということになろうか。
。。。。。。。。
私が1984年に四年制の県立大学に入学した頃、入学金は15万円で、前期と後期が各15万円であった。即ち、入学から卒業までに135万円かかった。

今回、放送大学の再三入学に際して、これまで支払った学費を計算してみた。
2020年10月から科目履修を始めた大学院は、2年間の修士全科生を含めた計4年半で、計28科目とゼミ指導料の計84万8500円。2024年4月から始めた学部は、計1年半の科目履修で計19万1500円。総額104万円だった。

両親が四年制大学の卒業生だったので、当たり前のように進学させてもらい、まだ現役銀行員だった父から全額、当然のように支払ってもらっていた。浪人も留年もしなかったし、自宅通学だったので、何ら問題はない、と思っていた。しかし、今の暮らしの中で、18歳から22歳までの当時よりも安い学費で二度目の修士号を授与され、その後も関連単位を認定されていたとしても、それがどこまで社会的に還元できるのだろうか?

今の年齢から、もはや正規職に就くことは考えられず、主人の健康問題という家庭状況から、そもそも正規職が無理だったことは客観的に証明できるが、今後、自分でどこまで稼いでいく可能性が残されているだろうか?
社会貢献としては、モニターやボランティア活動や寄付金等で皆無とは言えないが、それだけでは不完全燃焼だ。

この一年、余計なことを削ぎ落して、まとめモードに向かって進んで行こう。

(2025年4月1日記)
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2025年4月1日追記

これを書き終わった直後、台所に行ったら電話がかかってきた。交通系カードのモニタリングセンターからで、上述のカードについて私からのコールセンターへの電話により、既に無効にしてあるが、Apple Pay Quickによる不正利用の確認が複数回あったという。

「それは全く使っていないし、メールで開いたサイトでもないのに」と私が言うと、一度でも何かのサイトを見ると、複数の他の端末に紐づけされているため、自動的に繋がって引き落としされてしまうのだという。

既にパスワードは変更済だったが、「交通系カードのマイページも変更するように」と助言があった。

(2025年4月1日追記)
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2025年4月8日追記

昨日、封書が届いた。交通系カード会社からで、「不正使用に関する届出書兼異議申立書」に記入して印鑑を押し、返送するように、とのことだった。

(1)どうやら被害者は私一人だけではなかったらしいこと
(2)不正使用の取引に関する損害賠償の申立てを会社が考えているらしいこと
(3)カードの不正使用者に対して、会社側が損害賠償請求権を有するらしいこと

を書面から理解した。

(2025年4月8日追記)
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(https://www.nikkei.com/live/event/EVT250313002)

「他人事にしないサイバー防御① 「修羅場」の教訓」
2025年4月8日

・巧妙化するサイバー攻撃への対応が急務になっている
・金銭を脅し取るランサムウエア、機密情報を盗み取るサイバースパイ。凶悪なサイバー攻撃は増加の傾向
・ランサムウエア(身代金要求型ウイルス)攻撃で電子カルテが破壊され、病院の機能が停止。駆けつけた政府の専門家が見たものは、パニック状態になった待合室だった――。
・専門家が関係者を叱咤しながら病院を立て直した
① 診療が止まった病院 ランサムウエアの手口
② ID・パスワード、使い回していませんか?
③ 業者任せの落とし穴 ユーザーの責任を再確認

(2025年4月8日転載終)
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2025年4月10日追記

(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0432A0U5A400C2000000/)

証券口座ID、闇サイトで10万件流通 乗っ取りは2ルート
2025年4月10日

証券各社で判明した口座乗っ取りを巡り、口座のIDやパスワード延べ10万件超が闇サイトなどで流通していることが民間調査で分かった。個人の端末に感染した不正プログラムにより情報が盗まれたことも新たに判明。偽サイトを通じた「フィッシング」との2つの手口で、サイバー犯罪集団が乗っ取りを繰り返している疑いが強まった。
国内で個人が持つ証券口座は2024年12月時点で3743万口座あり、漏洩が判明したのは単…

(2025年4月10日転載終)
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2025年4月20日追記

上記の「5.伊丹博物館友の会(六年目):例会 + 古文書研修と古文書整理(各月一回)+『友の会だより』記念号に1本原稿予定」に関して、変更を以下に。

今月4月から、私は古文書研修を中止することに決めた。

古文書整理に関しては、これまで手伝ってくれていた阪大史学科の院生さん達の一人は、就職が決まった。他の院生や新入生は、大学の授業との兼ね合いで、今年度は一人も参加できなくなったようだ。

士気が下がるので、こちらも止めたくなったが、岡田家の柿衛利兵衛先生の孫娘さんに当たる岡田麗先生には、鬼貫クラスでお世話になっていることから、ボランティアとして続ける。

古文書学習は、昨年からの通信講座で勉強を続ける。

以上

(2025年4月20日記)

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