アーサー・ウォルドロン教授!

(https://twitter.com/DanielPipes/status/1777134941685318030)
Daniel Pipes دانيال بايبس @DanielPipes
The solar eclipse tomorrow, Apr. 8, will be the first one longer than the “Eclipse of the Century” of Mar. 7, 1970. I was a college junior in Boston then. Two friends, #ArthurWaldron & #LouiseMartin, & I drove 12 hours to NC to see 9 long minutes of it on a farm. Great memories.
9:42 AM · Apr 8, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1777163459278643454)
Lily2@ituna4011
アーサー・ウォルドロン教授!中国問題で、日本に多大な貢献をされました。 パイプス先生の若き日のお友達。
11:36 AM · Apr 8, 2024

(2024年4月8日転載終)
。。。。。。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=アーサー・ウォルドロン)

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150821)
2015-08-21「ウォルドロン教授の対日本警告」

《ここ数年、産経新聞や日経新聞にも引用されるウォルドロン教授は、実は何としたことか、ハーヴァード大学時代のダニエル・パイプス先生のルームメイト。
ボストンでの生育環境が似ているためか、昔からとても親しかったようで、博士論文を元にした最初の本の謝辞にお名前が記されている(www.danielpipes.org/books/Slave-Soldiers-and-Islam.pdf)し、1997年の『陰謀』にも、謝辞がある(p.xiii)。また、パイプス先生がメディアの脚光を浴びていた2003年頃には、インタビューに応じてもいらっしゃる(http://www.danielpipes.org/1268/truth-on-terror)。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150822)
2015-08-22「ウォルドロン教授の対日本提言」

《アーサー・ウォルドロン 米ペンシルベニア大教授。アジア、特に中国史、戦略研究が専門。ボストン生まれ。米ハーバード大を首席で卒業。国際評価戦略センターを創立し、副理事長に就任。他のシンクタンクや大学でも活躍しており、米中央情報局(CIA)の特別委員会外部専門家も務める。》

(2024年4月8日記)
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(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150822)

ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/proclaim2014)

1.proclaim2015 ‏@proclaim2014

神話(に頼ってる場合じゃない)、現実的ではない(政策)、自国への攻撃を抑止するための最小限核抑止戦略が必要。アーサー・ウォルドロン教授の2月講演、ぐさぐさ来る単語が沢山ある。 / “【国基研シンポ】ウォルドロン米ペンシルベニア大教…” http://htn.to/KoN2Vb

2.proclaim2015 ‏@proclaim2014 14 hours

平和ボケからいい加減目覚めてオムツ取って自立しなさい、という当然のことを言われてる気がする。国防のための抑止力を持ちなさい、とも言われてるような気もする。でも、核武装しろなんて言ってないよなー、アーサー・ウォルドロン教授。

(無断転載終)

8年前

ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/10206581252364498?comment_id=10206596535026555&notif_t=like)

22 August at 20:45

ユーリ:U様、どうもありがとうございます。
ユーリ:K様、ありがとうございます。

T・S:理性的に核武装を議論できる環境を作らねばならないと、前から思っていたのですが、再度強く思いました。

ユーリ:T・S様、ありがとうございます。そうですね、核武装には慎重な議論が必要ですが、何でも反対、では進みません。

(転載終)

8年前

ユーリ(Lily) (id:itunalily)

櫻井よしこ氏が中国専門家のウォルドロン教授を、再度引用された。

(http://yoshiko-sakurai.jp/2015/09/19/6131)
2015.09.19 (土)

「 米国務省元高官の中国批判に驚き 中国共産党こそ歴史を修正している 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年9月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1100 

・ペンシルベニア大学教授のアーサー・ウォルドロン氏は中国問題の専門家である。氏は中国の実態を見詰め続けた結果、中国を厳しく批判するようになる。しかし、米国における中国学会では氏の研究は歓迎されてこなかった。氏の弟子に当たる学者でさえも「親中的」になり、氏と距離を置く。

・歴史を振り返れば米政権のアジア政策は、伝統的に驚くほど、親中的である。

・中国の巧みな情報戦略も米国を中国に引き付けてきた。結果として大学教授も研究者も親中的姿勢に傾いているのだ。そんな中、ウォルドロン氏が「僕は米国の学界では孤独なんだよ」と語った言葉が忘れられない。

・米国務省元次官補代理、ランディ・シュライバー氏が書いた「中国こそ歴史に関して問題あり」と題した記事だ。

・中国は日本を歴史修正主義だとして責めるが、中国共産党こそが歴史を修正している。

・(満州事変が起きた)1931年から(日本の敗戦の)45年までの歴史をもって中国は日本を攻撃するが、(中国共産党が中国を支配し始めた)四九年から現在までの歴史には目をつぶる。

・「大躍進」「文化大革命」「天安門事件」の犠牲者は日本軍による犠牲者の数をはるかに上回る。中国はどの国よりも多くの自国民を殺害してきた。

・米国人は靖国神社を訪れて日本の歴史観を批判するが、中国の歴史博物館を訪れても誰も批判しない。中国政府は天安門事件に全く触れず(当時学生たちの平和的デモを理解し穏便に対処した)趙紫陽氏の存在も消し去った。

・中国は対日戦争の記憶を刻み続けるための新たな国民の祝日を設けた。

・中国は日本が与えたODA(政府開発援助)について国民に全く教えていない。七九年開始の円借款は約260億ドル、技術援助は24億ドル、日本の民間企業は長年膨大な額を中国に投資してきた。2014年だけでその額は350億ドルに上る。

・シュライバー氏は世界が近年の歴史で「好ましい国」「信頼できる国」としてトップに挙げてきたのが日本だが、中国は日本の平和への貢献を認めない、と批判する。 

・私は米国で孤高を保ってきたウォルドロン氏を思った。同時に日本人の私たちは、一層の自信と信念を持って歴史の事実を発信し続け、日本の価値観を広げていかなければならないと心新たにした。

(部分引用終)

8年前

ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(http://www.asyura2.com/14/senkyo162/msg/596.html)

「米国との同盟、過信は禁物:親米派は衝撃の日経記事:日米同盟は不確か:米国から尖閣諸島の放棄を迫られる可能性も」

投稿者 あっしら 日時 2014 年 3 月 10 日

・日経新聞が3月7日の朝刊に掲載したアーサー・ウォルドロン ペンシルベニア大学教授(専門はアジア・中国史、国際関係)の論考は、親米派の人にはけっこう衝撃的な内容だと思われる。

1)中国は太平洋への確かな出口を求めている
2)日本は自衛隊の能力増強と日米同盟で対応
3)現在の日本の備えが有効性保てるのは10年

・1)と3)は確かに論考の内容に即したものだが、2)は、日経新聞社の気持ちはわかるが、論考の内容と大きく食い違うものである。

・論者であるウォルドロン教授は、まず、「私は、日本と米国との同盟関係をそれほど信頼していない。私はニクソン元大統領による対中関係改善以降について、機密指定が解除された公文書を詳しく研究してきた。少なくとも当時の米政権は、米国のアジアにおける将来の主要な対話相手は中国と考えており、日本の立場は明確に定義されていなかった」と表明している。

・「米国は日本との間に安全保障条約を締結しており、これまでは同条約を完全に順守してきた。それにもかかわらず、ワシントンでは日本より中国の方が重要だと考える勢力が影響力を増している。日中間の武力衝突が起こった場合、米政府が中立的な立場をとるのではなく、日本を本気で支援するより、中国との妥協を迫って、尖閣諸島の領有権を放棄するよう日本に促すのではないかと懸念される」とまで書いている。

・日本への提言は、「そこからどのような結論が導かれるのだろうか。それは明白だ。日本は米国の行動にかかわらず、全領土を自らの手で守れるような軍事力を今すぐに持つ必要がある」というものである。

・「米国の同盟国である日本やその他のアジア諸国は、最終的な安全保障を米国の軍事力と抑止力に頼ってきた。これは、米国が核の報復を受ける可能性があるときに、核兵器を他国のために使うという米国の約束を当てにすることを意味する。私自身は、こうした約束は守られないとみている。米本土に対する核攻撃への報復以外の理由で核兵器を使用する米国の大統領はいない」とも書いている。

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「米国との同盟、過信は禁物」

アーサー・ウォルドロン ペンシルベニア大学教授

<ポイント>

○中国は太平洋への確かな出口を求めている
○日本は自衛隊の能力増強と日米同盟で対応
○現在の日本の備えが有効性保てるのは10年

・中国が紛れもなく軍事大国化しつつあり、その力を領土拡張のために行使する意欲を示していることから、日本は国家安全保障上の二つの問題に直面する。もはや過去数十年のようにこれらの問題を無視することはできない。

・最初の問題は短期的なもので、尖閣諸島(中国は釣魚島と呼ぶ)の領有権を積極的に主張する中国の新しい政策によって引き起こされた。その動機は尖閣諸島周辺のエネルギー資源だとみる向きもあるが、私は中国が長期的戦略を優先していると考えている。

・拡張を続ける中国海軍は現在、日本の領海または近海を通してしか太平洋にうまく出られない。尖閣諸島を奪取し、軍隊を駐留させることができれば、中国は周辺海域を軍事的に支配し、中国海軍の艦隊が沖縄と宮古島の間の広い海域を容易に航行できるようになる。

・中国軍がこうした能力を持てば、台湾から約110キロの位置にある与那国島までの列島の日本による支配を無効にはできなくても、脅かすことができ、また沖縄本島にも脅威となる。

・中国軍の活動が宮古島の北方の海域に焦点を合わせているのは、中国が太平洋への確かな出口を必要としているためだ。米太平洋艦隊の情報部門を統括するジェームズ・ファネル大佐が、中国軍の演習は、尖閣諸島またはそれ以上を奪取するための「短期集中作戦」に備えていると警告したのもこれが理由だ。

・そんなことはあり得ないように思われるかもしれないが、ファネル大佐は正しい。現在の中国は、電撃作戦によってベトナムやフィリピンなどから小規模な領土を奪取することを想定している。

・日本はこうした脅威に対応するために二つのことをしている。まず中国による日本領土奪取を阻止するのに十分な程度まで自衛隊の能力を緩やかに増強している。中国と全面戦争をするのではなく、局地的な「アクセスを拒否する」戦術だ。第二に、日本は同盟国である米国が日本に不足している軍事力を提供することを期待している。

・私は米国人として、日本の自衛隊の対応が知性的に計画されていることに敬意を払う。限定的で、どこにも挑発的な要素はみられず、少なくとも短期的には成功する確率が高い。

・ただ私は、日本と米国との同盟関係をそれほど信頼していない。私はニクソン元大統領による対中関係改善以降について、機密指定が解除された公文書を詳しく研究してきた。少なくとも当時の米政権は、米国のアジアにおける将来の主要な対話相手は中国と考えており、日本の立場は明確に定義されていなかった。

・米国は日本との間に安全保障条約を締結しており、これまでは同条約を完全に順守してきた。それにもかかわらず、ワシントンでは日本より中国の方が重要だと考える勢力が影響力を増している。

・評論家のパトリック・ブキャナン氏はすでにそうした立場をとっている。米国が安倍晋三首相の靖国神社参拝を一方的に非難し、中国の扇動的なレトリックや国家が後押しする反日デモなどには言及しなかったことも、米国の立場が揺れていることを示すもう一つの兆候かもしれない。

・日本は米国の行動にかかわらず、全領土を自らの手で守れるような軍事力を今すぐに持つ必要がある。

・中国に脅かされている日本の領土やその他のアジア諸国の領土が当面は確保できると仮定しよう。それが第二の質問につながる。そうしたアプローチはどのくらい有効性を保てるのだろうか。

・おそらく10年だ。中国はその間に軍備増強を続け、いずれこうした防衛を圧倒する力を持つようになる。同じ10年間に米国の軍事力は着実に弱くなっていくだろう。

・ワシントンが中東に巻き込まれている時に、中国が日本やその他の近隣諸国に軍事侵攻したとしたら、米国の軍事力の大半が他の地域に投入されているため、米国の支援はほとんど期待できないことを意味する。

・理想を言えば、中国が軍事的優位性を得るまでの10年は紛争回避のために使われるべきだ。これは譲歩によって実現できるものではない。

・中国は10年後、大量の通常兵器と核兵器を保有するようになるだろう。第2次世界大戦以降、米国の同盟国である日本やその他のアジア諸国は、最終的な安全保障を米国の軍事力と抑止力に頼ってきた。これは、米国が核の報復を受ける可能性があるときに、核兵器を他国のために使うという米国の約束を当てにすることを意味する。私自身は、こうした約束は守られないとみている。米本土に対する核攻撃への報復以外の理由で核兵器を使用する米国の大統領はいないだろう。

・米国の最も古い同盟国であり、米国を最もよく知る英国とフランスもこうした考え方を共有している。いずれも核攻撃を受けた際に米国が守ってくれるとは考えていない。

・日本のミサイル迎撃システムは、おそらく世界の最先端だが、英国やフランスに匹敵するような安全保障を提供できないことは明確に理解する必要がある。迎撃システムは核攻撃の阻止には不十分だ。システムが「飽和状態」になってしまう、つまり対処できる以上の攻撃にさらされる可能性があるからだ。また、ミサイルを改造して迎撃システムを突破する方が、新たな脅威に防衛力を適応させるよりもはるかに容易だ。

・大規模な通常兵器と核兵器を開発している敵対的な中国を背景に、これらの事実は、日本がこれまで考慮してこなかった、政治的に微妙だが現実的で避けることのできない問題を突きつける。

・日本が安全を守りたいのであれば、英国やフランス、その他の国が保有するような最小限の核抑止力を含む包括的かつ独立した軍事力を開発すべきだ。

・対抗する軍事力がなく、信頼できる同盟国もない日本が、将来のいつかの時点で、日本より大きく、核兵器を保有する侵略国との紛争に直面する可能性がある。日本にとってそれは悪夢以外の何物でもない。

*Arthur Waldron 48年生まれ。ハーバード大博士。専門はアジア・中国史、国際関係

[日経新聞3月7日朝刊P.31]

(部分抜粋引用終)

8年前

(2024年4月8日転載終)

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学位記が届いた

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

ただ今、ようやく学位記が宅配されました。

新年度が始まっていますが、東京の授与式では1800人出席のため、総代のみ壇上で授与されました。各学習センター(私の場合は天王寺の大阪学習センター)では、それぞれの出席者に手渡されましたが、私は東京帰りの翌日に大阪に出向くのは無理だと判断し、欠席しました。

待ちに待った正真正銘の学位記です。応援してくださった皆様方、温かく見守ってくださった方々、本当にありがとうございました。

(令和6年4月5日(金)午後7時45分受理)

(2024年4月5日転載終)

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アクティブ・ラーニング批判

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

(https://mainichi.jp/articles/20240404/k00/00m/040/145000c?fbclid)
毎日新聞』「東大、地元の東北大も合格者減 地方で基礎学力の養成を阻むものとは」
2024年4月5日

「都会の中高一貫校では中学校までに4000語の慣用句や漢字を詰め込んでいるんです。高校からでも毎週、小テストを繰り返す必要があります」

 2月上旬の土曜日、青森県立弘前中央高校(弘前市)であった東北大文学部のAO入試(総合型選抜)対策の研修会。県内各地から集まった高校教員約30人に、講師役の山形県立東桜学館中高の延沢恵理子教諭(52)が説いたのは、受験における基礎学力の重要性だった。「問題文に出てくる言葉を知らなかったら出題のテーマを深く考えることさえできない。高校生の語彙力不足は、皆さん実感している通りですよね」

 1400~1600字の論述を求める東北大AO入試は、読解力や要約力だけでなく、文系分野の幅広い知識があることが前提になっている。参加したある国語教員は、進学校であっても、新入生に「学習の基礎体力がついていない」と感じることが増えていただけに「やっぱり、語彙力の引き上げからやらないといけないんだ」と納得した。

 大学通信などの調査を分析すると、旧7帝国大学に合格した東京圏(東京、千葉、埼玉、神奈川)の高校出身者は2008年度から23年度入試(23年4月入学)までの15年間で1・68倍に急増していた。東京大以外の地方6大学で合格者数を増やしており、東京圏で人気が高まる中高一貫校が合格実績を伸ばしたことなどが影響した。一方、東北6県(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島)は08年度からの15年間で、東大合格者数が94人から54人(43%減)、地元・東北大も1085人から830人(24%減)へと落ち込んだ。

 高校教員が東北の進学実績を低下させた要因と捉えるのは、少子化に加え、21年度に中学校で導入された学習指導要領が重視する「主体的、対話的で深い学び」(アクティブラーニング、AL)がある。
 人工知能などの活用が進む社会になれば、知識の詰め込みでなく、自ら問題を見つけ、解決する探究的な学力がより求められるようになるという国のメッセージだ。文部科学省はかつての「ゆとり教育」批判を受け、ALを重視した指導要領の解説でも「知識なしに思考や判断を深める…

(転載終)

同感。
アクティブ・ラーニングは、私見では「ゆとり教育」の改訂版。
基礎学力や繰り返しの暗記訓練なしに「自分の意見を出す」「調べればよい」という安易な方向に流れがち。
しかも昨今では、「多様性を認め合う」「多文化共生」等という主張によって、「相手を認めると自分がなくなる」「相手の価値を尊重すればこちらの伝統基盤が崩れる」という負の側面が巧妙に覆い隠されている。
つまり、無理な理想論をお題目にして、若い知性を歪め、精神を混乱させる傾向にある。
「詰め込み教育」批判は、結果的に誤りであった。家庭や社会の庇護がある若い時期に、徹底した暗記や詰め込みをしなければ、知的基盤を築く機会は二度と人生に訪れない。その後の人生展開に、大きな損失を招く。

以上

PS:アクティブ・ラーニングの導入に対する私見は、2020年5月頃に行われた伊丹市教育委員会の教科書選定委員の面接時でも、率直なところを述べた。
教師側の負担が増えること、成績評価がつけにくいこと、私の世代にはなかった教育概念のため予想がつきにくく、1990年代前半期の外国人向けの日本語教育では失敗したこと、などである。

(Lily)

(2024年4月5日記)

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放送大学に再入学して

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775499876765495722)
Lily2@ituna4011
二つ目の修士号を授与されてすぐ放送大学に再入学。 教養学部の科目を1.5倍速で視聴し始めたが、大学院レベルよりは遥かに易しく設定されている。ドイツ語は18歳で始めて、もう40年も経った。だが、かなり覚えており、思い出すことも多く、脳細胞の活性化にはうってつけ。フランス語と並行する意義有。
9:25 PM · Apr 3, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775500973513101336)
Lily2@ituna4011
今日、街中で知り合いのおじさまと遭遇。「いやぁ、その歳で、と言っちゃ悪いけど、よくまた新しく『免許』を取ったもんだねぇ。おめでとう。女性は強いなぁ」。 いえ、これはまだ序の口なんです!この一年は骨休みで、語学の復習と医療看護科目の補充。目的は修論の手直しと応用展開を目指すこと。
9:29 PM · Apr 3, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775503222796661058)
Lily2@ituna4011
自分ではまだ40代の気分でいる。知識欲がある、とご年配の方からよく言われた。病気や事故や怪我等を回避できる限り、勉強したいものはたくさんあり、目標課題は山積み。就職の為、誰かとの競争の為ではないから、二十代の頃より遥かに気が楽ではある。意欲が枯渇していない点、感謝なことである。
9:38 PM · Apr 3, 2024

(2024年4月3日転載終)
…………….
2024年4月4日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775634699400118744)
Lily2@ituna4011
勿論、二十代からの例の研究テーマは、資料整理と並行して、まとめモード路線で進めていきます。学会発表は、2018年3月まで毎年継続してきたため、もう潮時では? 今年一年は補充の中休みだと位置づけています。複数のモニター活動とボランティア活動で、小さな社会貢献も。前厄年の過ごし方の工夫。
6:21 AM · Apr 4, 2024

(2024年4月4日転載終)
…………….
2024年4月5日追記

無料で取り寄せた、関東と九州で展開されている医療保健福祉系の大学パンフレットを見ると、偏差値に関わらず、最近では社会人を含めた入試が当然のようになっており、修士課程と博士課程が堂々と併記されている。また、留学生や外国人の枠も設けられているものの、在留資格や経済的な保証人を原本で明示するよう、基準が厳しく(というよりも元来そうでなければならなかったのだが)なっている。

重要な点として、出願前に希望する担当教授にコンタクトを取り、研究テーマの指導を引き受けていただけるかどうかの了承を得ること、という条件がある。つまり、単なる学力や職歴や資格のみで入試に通るわけではない、ということだ。

社会人経験も「3年以上から5年以上」となっていて、案外に勉学との両立には、職場の理解を得ることが難しそうだ。

修士課程は2年が基本だが、「場合によっては1年で修了可能」とされている。他方、いかなる事情(家庭の問題、介護、病気、経済的困難、職場の事情等)があったとしても、2年で終わらなかった場合は「留年」扱いとされている。

さらに、学歴・職歴等の「経歴」欄では、「半年以上の空白があってはならない」と条件がつけられている。従って、アルバイトや非常勤であっても、必ず職場名と理由を記入することで、空欄年月がないような人生設計が最初から求められていた。

安易に医療福祉系大学に進学を考えてもらっては困る、ということなのだろうが、なかなか厳しい前提条件である。だが、記入例を見ると、看護職には転職事例が少なくないようだ。高校を出てから専門学校に行ったり、病院勤務をしてから専門学校に戻ったり、大学に入ってから予備校にも通ったり、なかなか忙しい。国家資格としては立派なものが並んでいても、どういうわけか転職が目立つのだ。

それに比べると、放送大学大学院の生活健康科学プログラムは、一般に開かれていることが建前であるためか、かなり「緩い」条件だったとは言える。私など、いきなり大学院に入ってしまったのだから、いささか無謀だったかもしれない。(同期のゼミ生には、放送大学の学部上がりの人が、後で私の知った限りでは最低2人はいた。)

放送大学大学院のプログラムは、知識のベースを作り、2年間で全く新規の分野で論文の基盤型を形成するには充分だったが、今後の課題としては、「自分の研究テーマを受諾し、指導ができる教授」を探して、双方に齟齬なく納得のいく論文が2年ないしは3年で仕上がるかどうか、が鍵となろう。

どうも、偏差値や大学の知名度とは無関係なようだ。「自分の分野に合う教授がいるかどうか」で選ばなければならない。

(2024年4月5日記)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1776242234624794889)
Lily2@ituna4011
この度、放送大学大学院に選科生として再入学してみて、「この科目を受講せずに修論を書いてしまった!」と感じている。教養学部の医療系科目も、実はそうだ。 修士課程の単位は修了規定以上に取得したが、今になってみると、不足知識は単位科目の未履修だったからだとわかる。
10:35 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776243134588129368)
Lily2@ituna4011
ちょっと無謀だったかしら、と。それでも合格させていただけたのだから、今後どこまで補充できるか、だ。今、本日から始まったオンライン科目の印刷中。大量にある。我ながら、看護師特定行為研修科目をよく頑張ったな、と感じるところ。不足知識は、臨床病態生理学(解剖学を含む)だった。
10:38 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776243708385718448)
Lily2@ituna4011
看護師でもなく、病院勤務の予定もないのに、よく受講できたものだ。レポート課題や小テストもたくさんあり、最初の頃は必死だった。パソコンが壊れた時期には、iPhoneで指拡大をしながらノートに写して勉強していた。目が疲れたが、仕方ない。
10:41 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776244501730013544)
Lily2@ituna4011
パソコンでレポート送信が無理だったので、学習センターに電話で相談したところ、許可が下りたので、何本もあった課題レポートをセンター内のPCを借りて送信した。自宅のパソコンより起動が遅く、大変に時間がかかった。締切時間ギリギリに間に合うよう、二日間通い詰めたことも、今では懐かしい。
10:44 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776246369243840787)
Lily2@ituna4011
同じゼミの先輩方が、修論終了後に「やってみてよかった」と述懐されていたが、まさに今の自分も同感。修論そのものは不備が多く、修正箇所多数だが、自分で意識していた以上に、時間をやり繰りしながら、集中して全く新しい領域の勉学に励んだのだ。経験が先行していたために可能となった事項である。
10:51 PM · Apr 5, 2024

(2024年4月5日転載終)
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2024年4月6日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776462785171636459)
Lily2@ituna4011
国会図書館に医学論文等の複写を依頼したのが、東京本館と関西館の合計48回。今、封筒を数えた。一回の複写依頼が30本までなので、ギリギリ30本依頼したこともあれば、毎月のゼミに間に合うよう、目下のトピックに集約して急ぎ依頼したこともある。関西館には3回訪問して、直接セルフ複写をした。
1:11 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776463676884832357)
Lily2@ituna4011
放送大学附属図書館の検索によれば、私の修論テーマの分野の書籍資料は、古過ぎるか圧倒的に少なく、頼りにならなかった。但し、一度限り、著名な神経学者宛の献辞が万年筆で記された豊倉康夫先生の文字入り書籍を放送大学経由で他図書館から借りることができ、それはそれは感激した。
1:15 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776465091392913751)
Lily2@ituna4011
祝賀会でそのことを同じプログラムの別のゼミ修了生に言ったところ、「放送大学にも医学ジャーナルありますよ」とのことだったが、千葉までいちいち見に行く交通費や時間が無駄。また、専門ジャーナルは、私の分野に関しては入っていなかった。第一、そのジャーナル記事に問題点が含まれていた。
1:20 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776466188144726402)
Lily2@ituna4011
放送大学は学費が安いとは言うものの、実際にはテーマ次第では相当にお金も時間もかかる。「好きな時間に勉強」ではなく、「隙間時間を活用して勉強」。そもそも、手間暇もお金もかけずにできる論文なんて、大したものではない。 医学史すなわち治療史に興味が出てきた。今フランス語を履修中の理由。
1:25 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776467318903816366)
Lily2@ituna4011
母方の大叔父が故加賀乙彦氏と同期仏留学をして放射線学を学んだ。「鬼畜米英」期に先手を打ってフランス語を勉強していたのだ。実家のケース棚にきれいなフランス人形があったが、大叔父がフランス人女性から姪のためにプレゼントされたものだ、という。昨夏、初めて知ったエピソード。
1:29 PM · Apr 6, 2024

(2024年4月6日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1776529669476811078)
Lily2@ituna4011
母方の大叔父が故加賀乙彦氏と同期仏留学をして放射線学を学んだ。「鬼畜米英」期に先手を打ってフランス語を勉強していたのだ。実家のケース棚にきれいなフランス人形があったが、大叔父がフランス人女性から姪のためにプレゼントされたものだ、という。昨夏、初めて知ったエピソード。
1:29 PM
5:37 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776530131156447350)
Lily2@ituna4011
どういうわけか、午後のツィートが夕方には削除されていたので再掲。予防目的で逐一ブログに転写作業が必要。
5:39 PM · Apr 6, 2024

(2024年4月6日転載終)

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ダグラス・マレイの新刊訳書注文

実は、2022年3月30日に発行されたというダグラス・マレイ氏(「ダグラスさん」)の新刊訳書については、今日まで知らなかった。
というのも、その時には二つ目の新たな修士課程が始まる直前で、何かとバタバタしていたからでもある。

大衆の狂気 ジェンダー・人種・アイデンティティ』(The Madness of Crowds)を山田美明という方が翻訳された。

ダグラスさんの著作に関しては、原著を数冊持っており、主人の病状が悪化する前、そして、引っ越し作業の前ならば、(今から振り返れば、それでも)時間の余裕があったのだろう、すぐに読了しては、その内容に感じ入ったり、溜息の連続だったりした。

路線は大体想像がつく。

そもそも、彼独自のオリジナル思想というよりも、アメリカの保守系だとされるダニエル・パイプス氏辺りの人脈等とも繋がっており、かなり戦略的に展開した言論活動である。もともとはダニエル氏のお父様でいらっしゃる故リチャード・パイプス名誉教授が、孤軍奮闘気味に提唱されていた話でもあった。

問題は、言語上の制約もあり、日本社会では時間差を伴って遅れて理解されるために、既に時遅し、となることだ。本来ならば、先手を打って、「元来、ほぼ単一民族国家であった日本は、決して西欧の二の舞にはなりません」と先導するぐらいでなければならなかったはずだ。
。。。。。。。。。
以前、アマゾンの「カスタマー・レビュー」欄に下記の読感を記した。実は日付入りで、追記もあったのだが、いつの間にか無断で削除され、簡略化されてしまっていた。再度、転写する。(Lily)

(https://www.amazon.co.jp/review/R3HGYOE13DOCFY/ref=pe_1162082_181361352_cm_rv_eml_rv0_rv)
西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム
ダグラス・マレー

ユーリ
「本書の邦訳を喜ぶ」

2019年3月17日に日本でレビュー済み

私事で恐縮だが、2016年9月下旬に、著者のダグラス・マレイ氏と一緒に欧州三ヶ国を一週間ほど旅した。本書では、その時の観察も一部で触れられている。
2018年3月に、私は小さな研究会で本書について発表した。だが、教授陣の反応は「作家の書くことだから」と受け流し、「日本は移民やムスリムに対して、(欧州とは違って)うまくやっている」と自画自賛しており、夜郎自大そのものだと危惧した。また、国政モニターでも私は移民受け入れの問題点を訴えたが、その後、安倍政権は事実上、労働者としての外国人移民を受け入れると発表し、規制緩和へと動いている。
本書の内容は、マレイ氏の全面的なオリジナルというものではなく、アメリカやカナダやオーストラリア等、過去の英語圏の保守派言論にも支えられており、執筆内容が相互に重複する箇所もある。しかしながら、10年ほどかけて、欧州や米国、豪加州のみならず、アフリカの英国系教会へも訪問し、左翼やイスラミストとの粘り強く正面切った討論や現地観察の努力を積み重ねた上での書き下ろしであり、氏の説得力ある豊かな英語表現や勇敢かつ戦略的な言論姿勢については、日本でも広く知られ、謙虚に学ばれることを強く希望するものである。また、氏が基本的に親イスラエル派であり、ご家族が日本とも縁を持つという事実にも、我々は留意すべきである。
本書が邦訳され、概ね好評であることを喜ぶ。

*30人のお客様がこれが役に立ったと考えています

(2024年4月3日転載終)
……………
2024年4月6日追記

上記の邦訳書が届いた。中身は鉛筆の書き込み多数で、よく高価な値段を付けて売っていたものだ、と呆れ返る。

しかし、この山田美明氏は、英語とフランス語のプロ翻訳者らしく、自前の「訳者解説」等を一切つけていない点、非常に好感が持てる。どちらかと言えばリベラル左派系の訳書が多い感がある。だが、いかにも「世界的に人気のあるベストセラー作家を自分が訳しました!」と宣伝しないところが、大変に好ましい。というのは、前著の邦訳書では、著名な日本人研究者が、あたかも自分もダグラス・マレイさんと同路線で論考を展開していたとばかりに、自慢げに売り出していたからだ。(ダグラスさん自身は、YOU TUBEで自著の各種翻訳語版について日本語を外していた。)

ダグラスさんのみならず、西洋の古典的な意味で真のエリート教育を受けた人達は、案外に質素で堅実な暮らしを営み、誇張した言動を慎むものだ。

だからこそ、私みたいな者にも目を留め、声を掛けてくださる。学位の権威や社会的地位に安住したり、他者との比較で常にマウントを取ったりするタイプの人は、ダグラスさんやパイプス親子先生が私にアクセスしたことを意外に思い、事実を否定さえしようとした。

真偽の程は、事実そのものが証明しますよ!

ところで、原著の『The Madness of Crowds: Gender, Race and Identity』は、2019年6月5日にアマゾンで注文し、同年9月28日に届いていた。
注文した頃は、主人の病状がかなり進行していて、毎日不安と心配が絶えなかった時期。本を待っている間に、近畿中央病院に救急搬送されて入院。本が届いたのは、市内の別の病院に転院する2日前。

第一章辺りは、書き込みしながら読み始めていたが、到底、その後はダグラスさんどころではなくなってしまった。

でも、ダグラスさんと一緒だった中東フォーラムの西欧三ヶ国の旅に参加を許してくれたのは主人だった。2016年9月下旬から10月上旬までの10日程である。あの時、よく行かせてくれたと思うが、主人の病状の進行性から考えても、タイミングとしてはギリギリで、機を逃さず行けたことは感謝以外の何物でもない。

フランスのパリで集合、とのことで、エールフランスを予約してくれた。パリのホテルも「ここなら近いし、大丈夫」と考えてくれていた。フランス語の辞書は、既に2011年3月にはロワイヤルを注文してくれて、本当にほろっとさせられる程、温かく献身的な夫だった。

私からの恩返しとして、2018年3月に、その時の経験を基に多数の写真入りで最後の学会発表をした。

問題は、日本の学術傾向である。人の人生を思想によって潰したり遅延させたり、平気で恐ろしい破壊行為をしているのだ。

(2024年4月6日記)
……………
2024年4月11日追記

「ダニエル氏のお父様でいらっしゃる故リチャード・パイプス名誉教授が、孤軍奮闘気味に提唱されていた話」と上述したが、その具体例は同邦訳書の以下の箇所にある。

「間奏 マルクス主義的な基盤」(pp.101-122)

・「マルクス主義を土台にしていることを示唆」(p.102)
・「この新たなイデオロギー」は「ばかばかしく、矛盾が内在しているのが明らか」(p.102)
・「保守系右派は一人もいない」(p.103)
・「ミシェル・フーコーから学んでいる」(p.104)
・「「権力」というプリズムを通してすべてを見るような、不寛容な視点でとらえようとする」(p.104)
・「周囲の世界の説明を試みる現代のポストマルクス主義者たちは、フーコーやマルクスの歪んだプリズムを受け入れているだけではない。たとえば、イタリアのマルクス主義思想家アントニオ・グラムシから、文化に対する考え方を学んでいる」(p.104)
・「不平不満を研究するあらゆる学問分野が、一つの大きな枠組みに統合されたかのようである」(p.107)
・「この知的混乱の時代には、そのような自意識や再分配を求める単純な呼びかけが、多大な効果を発揮することになった」(p.108)
・「矛盾に直面しても、そこでつまずいたり自問したりすることがない。マルクス主義者は、いつも矛盾に突進していく」(p.113)
・「マルクス主義のイデオロギー上の子どもともいえるアイデンティティ・ポリティクスやインターセクショナリティーは、矛盾や不合理、偽善が散乱しているイデオロギー空間を住み処とすることに満足しているように見える」(p.114)
・「学界の大部分は、真実の探求・発見・普及を目的とすることをやめ、その代わりに、ある特異な政治活動の創出・育成・宣伝を目的とするようになった。それはもはや、学問ではなく運動である」(pp.115-116)
・「このようなひどい文章は、著者が何かを隠そうとしている場合にのみ生まれる」(p.117)
・「ありとあらゆる言葉を並べて難しく見せかけ、そこにまるでいいかげんな主張を紛れ込ませている場合もある」(p.118)

(2024年4月11日記)
……………
2024年4月14日追記

上記本の「結論」部分に集約されている昨今の日本社会を含む世界的傾向。

・一生涯続くほどの矛盾や混乱がある。人生の間に何度も直面するだけでなく、存在の根本にもかかわる矛盾や混乱である。(p.417)
・「包括的」(p.427)
・それぞれのアイデンティティ集団のなかにさえ、抑圧や被害者意識の序列が存在する(p.428)
・こんな自己分析を絶えずしていたら、誰であれ自信を打ち砕かれてしまう。だが現在では多くの人に、この無茶な自己分析が推奨されている。(p.431)
・絶え間なく変化する基準に基づいて、侮辱された、ばかにされたと申し立てられる可能性や、不満の序列が変わる可能性は、いつまでも消えることがない。(p.432)
・私たちは、抑圧が存在していないところに抑圧を見出すばかりで、それに対応する術を知らない。(p.434)
・そんなことをしていれば、本当に必要な議論や思考のための時間やエネルギーが奪われてしまう(p.435)

・社会的公正というこの新興宗教が、重要な問題に関する議論がなされていないこと、矛盾が内在していること
➡ その理由は、何よりもまず、この運動の大部分がマルクス主義的な下部構造を持っているからだ。(p.438)

・彼らが求めているのは、改善ではなく分断だ。鎮めることではなく刺激することを、抑えることではなく燃え上がらせることを望んでいる。
➡ ここにもやはり、マルクス主義的な下部構造の一端が垣間見える。(p.442)

・「新マルクス主義者」(p.448)

・私たちはむしろ、自分たちの人生を単純化するよう呼びかけるべきだ。(p.457)
・容易に反証可能な理論に人生を捧げるよう呼びかけても、間違った方向に進むだけだろう。人生の意味は、どこにでも見つけられる。たいていの人は、身のまわりの人々や場所に意味を見出す。友人や家族や恋人、文化や場所、不思議や驚異である。自分の人生における意義深いものを見つけ、その意味の中心に徐々に近づいていくなかで、目的意識も生まれる。(p.457)

(部分抜粋終)
。。。。。。。
ジャン=ジャック・ルソー『エミール、または教育について』(1763年)に関する記述(pp.446-447)に関連して、過去ブログからの抜粋を以下に。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150409)
2015-04-09「鏡を見よ」

《いつからそんな歪んだ方向に「迷わず」まっしぐらに突進していったのか、私には定かではないのだが、理由の一つとしては、学校の成績が良く、学年一番などをキープしていたことが考えられる。つまり、あまり考えずに、要領よく覚えて出すのが得意だった、というだけなのだ。そう言えば、学生時代、机の上にルソーの『エミール』なんかが置いてあった記憶がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)。私なんぞ、ルソーと聞いただけで「野性に還れ」を想起して、読む気もしないのだが、「迷わず」それを受容してしまい、今も実践し続けているのだろう。「子どもはのびのびさせた方が、将来伸びる」と豪語していたが、「のびのび」の結果、きちんとご挨拶もできずに、目上をキックしてくるなど、言語道断だ。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151202)
2015-12-02「『アゴラ』から(3)」

ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/)で「ルソー」項目を見ると、以下のような興味深い文が並んでいた。どなたの執筆によるのか不明だが、いかにも、と納得のいく描写ばかりだ。

・理性よりも感情を重んじる思想
・3年後、出奔して放浪生活に入る。その後もさまざまな職業を試したが、どの職にも落ち着くことができなかった。たとえ成功しても放浪は止むことなく、自分の進むべき道を探求
・1762年、教育論『エミール』が世に出ると、その第4巻にある「サヴォア人司祭の信仰告白」のもつ自然宗教的な内容がパリ大学神学部から断罪され、『エミール』は禁書に指定され、ルソー自身に対しても逮捕状が出たため、スイスに亡命した。
・ルソーの死後に始まったフランス革命においては、「反革命派」と名指しされた者に対して迫害、虐殺、裁判を経ない処刑が行われるなど、恐怖政治が行われた
・マクシミリアン・ロベスピエールやナポレオン・ボナパルトといった指導者たちが「一般意志」などルソーの概念を援用し、人民の代表者、憲法制定権力を有する者と自称して、独裁政治を行ったということは、歴史的事実である
・あらゆる道徳的関係(社会性)がなく、理性を持たない野生の人(自然人)が他者を認識することもなく孤立して存在している状態(孤独と自由)を自然状態として論じた。無論、そこには家族などの社会もない。理性によって人々が道徳的諸関係を結び、理性的で文明的な諸集団に所属することによって、その抑圧による不自由と不平等の広がる社会状態が訪れたとして、社会状態を規定する(堕落)。自然状態の自由と平和を好意的に描き、社会状態を堕落した状態と捉えるが、もはや人間はふたたび文明を捨てて自然に戻ることができないということを認め、思弁を進める。
・ルソーは、ロック的な選挙を伴う議会政治(間接民主制、代表制、代議制)とその多数決を否定し、あくまでも一般意志による全体の一致を目指しているが、その理由は、ルソーが、政治社会(国家)はすべての人間の自由と平等をこそ保障する仕組みでなければならないと考えていたためである。
・ルソーの考えによれば、自然災害にあたって甚大な被害が起こるとき、それは、理性的、文明的、社会的な要因により発展した、人々が密集する都市、高度な技術を用いた文明が存在することによって、自然状態よりも被害が大きくなっているということなのである。
・ルソーは、主に教育論に関して論じた『エミール』において、「自然の最初の衝動はつねに正しい」という前提を立てた上で、子の自発性を重視し、子の内発性を社会から守ることに主眼を置いた教育論を展開している。
・私生活においては、マゾヒズムや露出癖、晩年においては重度の被害妄想があった。精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代に街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかった。
・また本人が年金制度を晩年まで嫌悪していたため、他人の世話になって生活することが多く、定職と言えるものは若い頃から趣味でやっていた楽譜の写し書きくらいで、これが貴重な収入源だった。
・ルソーから影響を受けた者としては、哲学者のイマヌエル・カントが有名である。
・ルソーの思想は、イマヌエル・カントの他、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルなどにも影響を与え、ドイツ観念論の主軸の流れに強い影響を及ぼした。
・クロード・レヴィ=ストロースは、人類学の一つの起源としてルソーを再評価している。
・帝政ロシアの作家レフ・トルストイは青年期にルソーを愛読し、生涯その影響を受けた。地主でもあったトルストイの生活と作品には「自然に帰れ!」の思想が反映している。
・中江兆民、生田長江、大杉栄らはルソーの翻訳をし、また作家の島崎藤村は明治42年3月に「ルウソオの『懺悔』中に見出したる自己」を発表し、ルソーの『懺悔録』(『告白』)に深い影響を受けたと述べている

(部分抜粋引用終)
。。。。。
ルソーを教科書上でさり気なく暗記させる学校教育で点数を取ってしまうと、自分の人生行路で大きく誤ることになる。特に、子育てにルソーを援用しているかと思われるケースが身近にあり、本当に無責任だと腹立たしく思う。

(ブログ抜粋終)

(2024年4月14日記)

Posted in Daniel Pipes, Douglas Murray, Japanese culture, research topics, Richard Pipes, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

ツィートまとめ

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771682839836217603)
Lily2@ituna4011
大学理系学部の定員、4年で1.1万人増 デジタル人材育成 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUE252V50V21C23A2000000/…
← 質の確保も!
8:37 AM · Mar 24, 2024
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1772216738974756936)
Lily2@ituna4011
人間が出来ていても、非常に腹が立つ。
7:59 PM · Mar 25, 2024
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1772034145990156340)
Lily2@ituna4011
Mar 25
市民病院「4月から分娩できない」 医師にも残業規制 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUA075RD0X00C24A2000000/…
← 少子化対策は?
7:53 AM · Mar 25, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1772474720694243514)
Lily2@ituna4011
経済的理由による受診遅れで死亡、少なくとも48例:日経メディカル https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/202403/583698.html?n_cid=nbpnmo_twbn… #日経メディカル
← 民医連。
1:04 PM · Mar 26, 2024
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1772859035663892628)
Lily2@ituna4011
パイプス氏が昔から繰り返していますね?
2:31 PM · Mar 27, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1773862651749388361)
Lily2@ituna4011
Islamic State al-Naba’ Newsletter Report on the Moscow Attacks https://open.substack.com/pub/aymennaltamimi/p/islamic-state-al-naba-newsletter?r=27tj6i&utm_campaign=post&utm_medium=email…
ベルギー、スリランカも。
8:59 AM · Mar 30, 2024
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774306143588040778)
Lily2@ituna4011
京都の同志社や立命館大学のような、左系教授で固めたところでも入ったお金持の坊ちゃんお嬢さん達は、低学年では教授の口先を信ずるが、卒業間際になると、内兜を見すかすのと、就職難から保守思想に戻ってしまう。(p.152)
清國重利『秘録戦後史3』
2:22 PM · Mar 31, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1774308527051620545)
Lily2@ituna4011
この本は内調報告書の1958年から1959年を対象としている。1978年8月発行だが、今に通じる側面も含み、大変に興味深い。一読の価値あり。
2:31 PM · Mar 31, 2024

(2024年4月2日転載終)
………….
2024年4月5日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776060352054370482)
Lily2@ituna4011
1959年12月2日付の時事雑感によると、
立教大学でアメリカ人教授が殺害され、大東文化学院の関係者が関与したらしい。
(p.204)
清國重利『秘録戦後史3』
10:32 AM · Apr 5, 2024

(2024年4月5日転載終)
。。。。。。。。
(2024年4月2日転載の続き)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1774551270009049162)
Lily2@ituna4011
夫婦同姓が続くと…2531年には「全員が佐藤さん」 東北大試算
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240331/k00/00m/040/076000c…
← またつまらん記事を。
6:36 AM · Apr 1, 2024
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774553398609838148)
Lily2@ituna4011
中学生の時、学校で映画を見ました。 わしはゴッホになる と呟きながら、無我夢中でノミで削っていた姿が印象的でした。
6:44 AM · Apr 1, 2024

☚ 棟方志功記念館が2024年3月31日に閉館され、青森県立美術館へ作品が移転される報道に関して。
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774712464808292565
Lily2@ituna4011

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00625/032800003/?n_cid=nbponb_twbn…

☚ 良い傾向ではないか?コネというと、否定面ばかりが前面に出て来るが、反面、紹介した人の顔をつぶさない配慮も働き、安心、信用、信頼の環境下で素直にのびのびと働けるという長期的知恵もある。
5:16 PM · Apr 1, 2024
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774714802985976045)
Lily2@ituna4011

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00461/032200171/?n_cid=nbponb_twbn…

《人的資本が蓄積されることで、就業後の労働生産性が高まり、それが市場で評価され高い賃金を生み出す》

☚最近はまともな記事が少し増えたか?
5:25 PM · Apr 1, 2024
。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774717422572105834)
Lily2@ituna4011
[賢い相続]子のない相続、妹がおいと紛争 2通目の遺言も https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00571/032500034/?n_cid=nbponb_twbn…
《蝶よ花よと育てられ、わがまま放題のまま大人になった》
5:36 PM · Apr 1, 2024

(2024年4月2日転載終)

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4月からの計画

今日はエイプリルフール。とはいえ、私は正真正銘、記録として示す。

3月は寒気が流れ込んでいたのか、とても肌寒く、雨模様も続いた。が、ようやくここに三日、やっと春らしくなってきた。我が家の敷地(と言うと大袈裟だが、事実は事実)の桜も少しずつ開花しつつある。

2023年3月3日付の過去ブログ「4月からの予定」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4150&action)に倣って、約一ヶ月遅れではあるが、令和6年度の計画を書いてみよう。

1.放送大学について(再入学継続)

大学院の修士選科生と教養学部の科目生として新規の再入学で継続。前者は1年間、後者は半年だが、修論の補充として、無理なく決定。

放送大学のウェブサイトで学籍を見てみたら、既に3月23日付で修士(学術)の学位が入力されていた。また、今年度用に大学院の修士選科生(オンライン2科目)と教養学部の科目生(6科目)として、新たに2枚の学生証を作らなければならないが、いつの間にか写真も添えられていた。但し、大学院用しかアップされていなかったので、明日は大阪の学習センターに問い合わせる必要がある。

2.防衛モニター(任期2年)(NEW!)

自宅近辺に陸上自衛隊の駐屯地がある。市内にはもう一つ駐屯地や自衛隊用の病院もある。
転居して以来、自衛隊の演奏会や駐屯地での夏祭りや記念行事に出かけて、強い印象を受けた。それまで暮らしていた土地柄では反戦平和が前面に出ていて、何ともどんよりした偏向空気があったが、伊丹に来ると物事のテンポが1.5倍以上速く、本来の私の性格や気質に合っていると感じた。実は主人も自衛隊の訓練や実務には関心があり、「こんな体じゃなかったら、僕も行きたいんだけどな」と家で呟いていたので、遺志を汲み取り、思い切って防衛モニターに応募してみた。

すっかり忘れた頃になって、姫路駐屯地の広報係から電話がかかってきた。それも1月8日、放送大学大学院の修士論文の口頭試問の日だった。東京から帰宅すると、留守電のランプが光っており、何やら聞き取りにくい声で重要な要件が流れて来た。折り返し電話すると、「他の応募者は、あれから住所が変わったり、連絡が取れなくなったりした人が何人か出たので、今のところ、ユーリさんを内定候補者として考えております。千僧駐屯地にも近いですし」と。「但し、今回が防衛モニター経験が初めてだということなので、姫路駐屯地に来てもらいます。それでもいいですか?」とのこと。

勿論、どこへでも喜んで参ります!

その後は、1月1日に発生した能登半島の地震のために救援活動に赴くということで、連絡はメールや郵送が中心となった。早速、求めに応じて、ワードに作成してある履歴書を抜粋した簡単な履歴書と写真を送ったところ、「こんなに多彩な経歴を持った方が応募されるなんて、光栄です!上に報告し、第一候補者として推薦します」との電話もあった。

防衛モニターの業務は、特定テーマに関する定期報告、自由テーマに関する随時報告、姫路駐屯地における各種行事への参加であり、日本国籍を有することが条件である。

防衛事務次官から委嘱状、中部方面総監からはモニター証明書が発行される由。(昨今では郵便事情が悪化し、3月末までに届いていない。)

実は、伊丹の古文書会で知り合った男性が飛行機マニアでもあり、航空自衛隊の元隊員だったそうで、階級や各駐屯地の役割等を簡単に教わっている。また、マレーシア研究会で主導的な立場だった男性で、かつて参考論文を送ってくださった方が、今では防衛大学校の教授として東南アジア史を教えている。うちの弟も高校3年生の頃、防衛大学校にも合格しており、自宅にいた私宛に電話がかかってきて「〇〇君は、家庭環境もいいし、将来的には幹部候補生として教育していきたいので、お姉さんからも説得してください」というキビキビした話を受けた。(当時の世相の影響もあり、私自身が却下してしまっていた。)その時の償いの意味もある。

これまでの下準備としては、防衛大学校や防衛医科大学や防衛省のホームページから関心を持つ事柄を印刷して、既にファイリングしてある。5月には、第三師団の千僧駐屯地で記念行事があるとのことで、早速、丁重な封書の招待状が届いた。いよいよ始まります!

3. 保健医療推進協議会の委員(任期2年)

2024年2月29日付ブログ「伊丹市保健医療推進協議会」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6638&action)で既に記述済。
。。。。。。
伊丹市保健医療推進協議会について/伊丹市

http://city.itami.lg.jp/SOSIKI/KENKOFUKUSHI/KENKO_SEISAKU/ITAMI_KENKO_KEIKAKU/ITAMI_HOKEN_IRYO_KYOGIKAI/32454.html…

昨年秋、市長任命の委員に選出されました。二つ目の修士号として過去2年間継続した勉強が役立っています。
9:34 AM · Feb 29, 2024

(2024年4月8日転載)
。。。。。。
4.博物館友の会(ボランティア活動)の例会(月一回)(従来の継続)

週末の一回、午後1時半開始で4時には終わる。今後は会長交代もあり、会員数の確保が問題となろう。

5.古文書研修と古文書整理(ボランティア活動)(月一回)(従来の継続)

毎月継続して4年目。古文書整理とは、伊丹市長も務められた岡田利兵衛先生の岡田家に所蔵されていた膨大な資料のラベル貼りのこと。研修と整理で各一時間半ずつで、合間のお昼休みには、自転車で自宅に戻って簡単な昼食をとり、用事を済ませる。

6.伊丹市立ミュージアムの鬼貫クラス(月一回)

上述の岡田家の古文書整理との兼ね合いもあり、楽しみな講座だ。これで3年目に入る。

仏兄七久留万』が一応全部読み終わった、ということで、次からは『独ごと』を読むことになる。早速、参考文献を二冊、購入して準備した。これにより、放送大学大学院の人文系教授の魚住孝至先生と、もし次にお目にかかれるならば、話がさらに展開することになろう。鬼貫を読む理由は、終焉の地が我が家の本籍地(つまり戦前に主人の父方祖父母の家があった場所)でもあるからだ。

7. NHK通信講座の古文書学習(半年コース)(NEW!)

月一度のわいわい「研修」では到底不充分だと思い、昨年の大みそかに申し込んでしまったもの。存じ上げる笠谷和比古先生も講師のお一人で、予想以上に中身が充実しているテキスト。毎日、暇を見ては2ページずつ進めているが、なかなか手強く、予定を遥かに遅れている。でも、がんばる。18歳の頃には必修科目でくずし字を履修した元国文学科出身者である以上、この歳になってもすらすら読めないのでは恥ずかしい。

8. 京都古代学協会の講座(月一回)(NEW!)

「桓武朝の歴史考古学」を月一回第4水曜日の午後3時から計五回、京都文化博物館で受講することにした。桓武帝は794年に京都への遷都を決行した天皇様だが、その桓武天皇ゆかりの幻の大極殿のあった向日町と言えば、1997年夏から秋にかけて我々が新居を探していた候補地の一つでもあった。京都府乙訓郡向日町のマンションについても、不動産屋さんで話を聞いた経緯がある。また、主人の直属の上司等が向日町に暮らしていた。そのため、懐かしい思い出と共に、学びを深めようと考えついた。

9.無教会の聖書通信講座(月一回)

こちらも3年目に入る。30代の頃から存じ上げている月本昭男先生の旧約聖書の考古学的かつ言語学的な概説を、ZOOMで聴講する1科目のみ。月半ばの15日の午前中にメール配信され、一定期間内に空いた時間を見つけて聴講。まずはレジュメを印刷し、常に1.5倍速で聴いている。試験もなく、単位が出るわけでもない。そこが継続のミソだ、と再び思うところである。

一年目は『ヨセフ物語』、二年目は『出エジプト記』だった。今年度は『ヨシュア記・士師記』を読む。

10.検定試験(従来の継続)

2017年から勉強を開始した「神社神道」と「茶道文化」と「京都文化」の三つの検定は、いずれも2級の受検が残っている。昨年は、修論作成や毎月のゼミ出席との兼ね合いで、到底無理だった。

また、放送大学の学位授与式に義母から譲られた着物で出席したことをきっかけに、俄然、興味がわいて、新たに「きもの文化検定」のテキストを注文。本日、予想外に簡潔にまとめてある薄い本が届いた。5級から始まり、3級まではマークシート式で、年一回の受検だという。2級以上は記述式で、呉服屋さんの話では準1級まで合格されたとのこと。

この四つの検定の基となる日本の伝統文化には尽きることのない泉のような奥深さがあり、老後の退屈などあり得ない。趣味的ではあるが、基礎知識だけは本流を学んでおこう、という試み。合格したから何かができる、という単純なものではないだろうが、少なくとも予備的に履歴書には書けるものばかりだ。

11.適塾記念会(3年目)

主人は小学校4年生の頃から今宮高校を目指し、阪大工学部の受験を目標に高校時代には阪大受験用の通信教育までやっていたらしい。その形跡が、荷物の整理でわかった。
2000年頃から若年性神経難病のために阪大病院に通院を始め、2020年4月7日の夜には院内の霊安室で一晩寝かせていただいた。20年程もお世話になった阪大病院だが、同じ敷地には主人が院生の頃に所属していた核融合レーザー研があり、何かと阪大にはご縁がある。いつでも嬉しそうに「阪大病院に通っています」と、ニコニコ応えていた主人だった。

その気持ちを汲んで、結局は二人で行く機会を逃してしまった適塾の記念会に入会したのが放送大学大学院修士一年生(M1)だった2022年6月頃。阪大ゆかりの緒方洪庵の適塾である。阪大病院の源流は、ここにある。また、名簿を見てみると、主人がかかっていた神経内科の主任教授である望月秀樹先生も、適塾記念会に所属されていた。というわけで、この適塾の行事(適塾近辺の歴史散策や薬学関連の講座)には、2年間、参加してきた。今年も継続する。

適塾近辺の道修町には少彦名神社がある。ここは医薬の神が祀られており、江戸時代から将軍吉宗公の御認めがあった。私の修論テーマはパーキンソン病治療薬の精神面への副作用であり、近くには小野薬品工業というPD薬も開発している会社がある。しかも、この小野薬品工業は、我々が結婚した1997年11月から伊丹に転居する2018年9月26日まで暮らしていた大阪府三島郡島本町に研究所がある。いつもその前を通っていたのに、主人も私も全くその関係性に気づくことはなかった。
少彦名神社へは、3月28日に修士合格の御礼参りをした。

12. 健康管理

従来通り、年に一度の特定健診(1月)、半年に一度の眼科検診(2月・8月)と歯科検診(5月・11月)で、体調管理は何とかなりそうだ。毎朝、体温と体重と血圧を測って、備忘録に記入している。今年は隔年のマンモグラフィー検査もある。

13.お墓参り

月命日と春のお彼岸のお墓参り(名古屋)も、すっかり毎年のカレンダーに溶け込んだ。主人の実家(東大阪)の年に四回のお墓参りに関しては、今後の検討課題。主人が大好きだった岡山県北の田舎の祖父母や「伯父ちゃん」「叔父ちゃん」や従姉妹のお墓参りは、折を見てまた、ということになる。

14. クラシック音楽の演奏会

既に幾つかが終了。

2月12日には、西宮の芸文センターにて、兵庫県警察音楽隊の演奏会。これをきっかけに、ゴダイゴ・自分ブームが始まった(2024年2月16日付ブログ「ゴダイゴ」(http:// itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6528&action))。

3月7日には、大阪城近くのいずみホールにて、小菅優さんと三人の演奏家による室内楽「祈り」(2024年3月9日付ブログ「いずみホールの演奏会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6763&action))。

3月24日には、伊丹アイフォニック・ホールにて、伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」等(2024年3月27日付ブログ 「伊丹でショスタコーヴィチを聴く」(http:// itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6864&action))。

今後は6月に前橋汀子さんのリサイタルを予定している。リサイタルそのものは、これで五度目か?
。。。。。。。
上記の活動計画は、全て主人がいた頃にしていたことの延長線上にある。今でも「どんどんやってみたらいい」と、問題なく賛同かつ応援してくれる事柄ばかりだ。
本年度は、緊張と葛藤続きだった放送大学大学院のゼミ2年間から解き放たれ、自分のペースで興味関心を広げ深める時としたい。

その他の事柄として、引越し以来、6年目になってもまだ開かずの間で段ボール箱が積み上がったままの洋間の整理も、課題だ。そして、下書きは提出してあるもののペンディング状態の相続申告、2020年度の準確定申告、主人のアメリカ時代の銀行口座の手続きと、私のマレーシアの銀行口座の厄介な手続き(中途半端のまま)も済ませなければならない。

27歳から継続してきたマレーシアの研究テーマと今回の修論の修正作業は、当然のことながら、折に触れて進めていく。

(2024年4月1日記)(2024年4月2日・4月3日加筆修正)

PS:「四月馬鹿」ではありませんよ。(Lily)
……………….
2024年4月3日追記

今朝方、電話とファクスが飛び込んで来た。これまた忘れた頃になって突然、もう一つの役割が与えられることになったのである。今回は補欠合格風に「辞退者出現に伴う繰り上げ委嘱」とのことである。

15. 公益社団法人近畿地区不動産公正取引協議会の消費者モニター(任期一年)(NEW!)

電話と共に、早速ファクスで書類が届き、すぐに登録書類や出欠票等に必要事項を記入して、折り返しファクスで返信した。電話で問い合わせたところ、「消費者モニターをしていることを公表するのは問題ない」ため、ここに追記する。但し、公表したことによる有利さは全くない(逆に不利もない)とのことである。

実は応募したのは二度目で、最初は2021年頃だった。モニター募集のチラシを、たまたま立ち寄った市内の産業センターで見て、試しに応募書類を送ってみたが、全く音沙汰なし。(ま、いいか。あまり関係ないし)と思っていたところ、突然、2023年8月30日という、最も修論が精神的に煮詰まっていた真夏日に、広報パンフレット二部と共にモニター募集用紙が封書で送られてきた。
本来ならば、修論作業そのものに没頭すべきだったのだろうが、(気を散らした方が能率が上がるタイプなので)と内心言い訳をしつつ、簡単な文書A4一枚を作成して送ってみた。過去に経験したモニター履歴一覧表も添えた。
。。。。。。。
《モニター履歴一覧表》

1988年 愛知県県政モニター(愛知県知事依頼)
1989年 愛知県生活物価モニター(愛知県知事依頼)
2016年 内閣府政府広報室国政モニター
2016年 国土交通省大臣官房広報課国土交通行政インターネットモニター
2016年 厚生労働省・厚生労働行政モニター
2019年 伊丹市水道局モニター
2019年 伊丹市交通局市バス巡回モニター(3ヶ月)
2022年 伊丹市上下水道インターネットモニター
2023年 伊丹市上下水道インターネットモニター

(リスト終)
。。。。。。。
最後の水道局モニターは2024年3月末で終了している。
院生の頃、お小遣い稼ぎ程度に気楽に始めたモニターだったが、当時は愛知県知事から賞状のような立派な依頼状が届いていた。従って、モニター業務は簡単なものであったが、社会貢献活動としては今でも履歴書に書ける。

以上、今年度は多彩な活動が待ち受けており、ようやく本領発揮、といったところだろうか。少しでもお役に立てるよう、努力いたします。(Lily)

(2024年4月3日記)

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日本の心を学ぶ

(https://www.chichi.co.jp/web/20240316_matsudaira_yoshiko)

美しい姿勢が心をつくる ——水戸徳川家の流れを汲む高松藩松平家の末裔、松平洋史子さんに学ぶ日本の心
2024年3月16日

徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ、先人たちが受け継いできた日本の心、文化伝統の素晴らしさを人々に伝え続けている松平洋史子さん。この変化の激しい時代において、いかに日本人らしく、美しく優しく逞しく生き抜いていけばよいのか、その生き方のヒントを、松平家の教えを紐解きながら教えていただきました。

挨拶に始まり、挨拶に終わる

私の生き方に大きな影響を与えたのは、祖母・俊子でした。祖母は明治23(1890)年、佐賀藩の侯爵・鍋島直大の六女として生まれました。直大は駐イタリア特命全権公使などを務めた人物で、日本だけでなく西洋の一流を知り尽くした教養人、趣味人でした。また、明治天皇の信任も厚く、宮中の儀式を取り仕切る式部職の長官を務めたこともあります。

その直大に育てられた祖母は、17歳の時に伯爵・松平頼寿の弟である松平胖と結婚します。先ほども触れましたが、徳川将軍家に最も近い親族である徳川御三家(尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家)のうち、水戸徳川家の流れを汲むのが讃岐国高松藩松平家です。つまり祖母は、鍋島家で西洋の一流を、嫁ぎ先の松平家で礼儀作法や質素倹約を重んじる武家の精神を身につけたのでした。

祖母は社会的にも活躍した人でした。例えば、「これからは女子の教育が必要だ」と、昭和女子大学の前身の日本女子高等学院が設立される際、世田谷の土地を払い下げるなどの支援を行いました。そして創立者の人見東明氏に招かれて校長を務め、その時に松平家に伝わる作法を「松平法式」として女子教育に取り入れ、女性が美しく逞しく生きていくことの大切さを伝え続けました。

そんな祖母から教わったことはたくさんありますが、松平家で最初に教わるのが姿勢です。武士道には「型から入って心に至る」という言葉があるように、姿勢を正せば心も変わる、物事の本質が見えるのですよと、子供の頃から言われました。食事の時、子供たちの姿勢が崩れると、祖母や母が背中をぽんぽんと叩く。すると、背筋がぴんと伸びる。そういうことを繰り返しながら、自然に美しい姿勢を身につけていくのです。

皆さんは、会議の席などで人の話に耳だけ傾けてうつむいていることはありませんか。試しに姿勢を正してみてください。視野が広がって、周りの人の様子や話している人の表情が分かり、「この人はこんなふうに考えていたんだ」と、それまで見えなかった世界が見えてくることでしょう。また、姿勢を正せば見た目も美しくなり、張りのある美しい声も自然に出るようになるもの。背を丸めていては見えるものも見えなくなり、目の前の幸運も逃げてしまいます。よき人生の第一歩は姿勢を正すことから始まるのです。

姿勢が真っ直ぐになれば、次は挨拶です。松平家では「挨拶に始まり、挨拶に終わる」と言われて育ちます。多くの人は頭を下げることが挨拶だと思っているのではないでしょうか。しかし、松平家では「いまからあなたとお話をします」と、相手を自分の懐にお迎えすることだと教わるのです。
挨拶の言葉を告げて頭を下げたあと、自分の胸元の広がりを感じながら相手を懐に迎えるようにゆっくりと頭を上げていきます。懐をつくると、自然と姿勢もよくなり、表情も明るくなりますし、相手もちゃんと自分を受け入れてくれたのだと安心してくれます。
。。。。。。。。。
(https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2024/202403_matudaira)

徳川260年 松平家の教えに学ぶ日本の心
松平洋史子(大日本茶道協会会長)

徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ、先人たちが受け継いできた日本の心、文化伝統の素晴らしさを人々に伝え続けている松平洋史子さん。この変化の激しい時代において、いかに日本人らしく、美しく優しく逞しく生き抜いていけばよいのか、その生き方のヒントを、松平家の教えを紐解きながら教えていただいた。姿勢を正せば見た目も美しくなり、張りのある美しい声も自然に出るようになるもの。背を丸めていては見えるものも見えなくなり、目の前の幸運も逃げてしまいます。

よき人生の第一歩は姿勢を正すことから始まるのです

松平洋史子(大日本茶道協会会長)

いまの日本には、「自分はこう生きるのだ」「日本人ならかくあるべきだ」という人生を支える核となるもの、品格や覚悟を備えた人がだんだん少なくなっているように思えてなりません。また、先人が大切にしてきた日本の心、基本的な礼儀作法、起居動作なども時代と共に失われ、私たちが幸福に生きるための健全な人間関係・秩序が保たれなくなっているのではないかと危機感を抱いています。
水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ育った私は、日本人としての品格と礼儀作法や覚悟と誇り、それらすべてを物心つく頃から家庭教育の中で自然に教えられてきました。
松平家では、伝統的に「つ」がつく年齢(九つ)までは、子供の教育・躾は家庭の中で責任を持って行うものだとされています。
学校がどうであれ、他の子がどうであれ、我が子は我が子、我が家には我が家の教育があるという信念を崩さない母の姿に、かつての武士の覚悟を教えられる思いでした。

★本記事は『致知』2024年3月号「丹田常充実」掲載記事の一部を抜粋・編集

(2024年3月30日転載終)

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一生懸命働く

致知出版社の人間力メルマガ
2024年3月28日

世界的な精密小型モータの開発で知られる日本電産(現ニデック)。同社を牽引してきたのが、言わずと知れたカリスマ・永守重信会長です。

その仕事に賭ける情熱や人生論について、月刊『致知』2011年10月号に掲載のウシオ電機・牛尾治朗氏との対談から改めて振り返ってみました。
永守会長が語る「会社がおかしくなる6つの要因」は、経営者でなくとも身につまされます。

〈牛尾〉永守さんは西田幾多郎の、

「人は人吾は吾なりとにかくに 吾が行く道を吾は行くなり」

という言葉が好きだそうですね。そういう永守さんの経営人生を象徴するものの一つが、日本電産本社の一階奥に設置しておられるプレハブ建屋だと思うのです。
今度御社に伺う時にぜひ一度拝見したいと思っているのですが、創業当時に作業場として使っていたものだそうですね。

〈永守〉はい。あれをご覧になった方の反応は半分半分に分かれるのです。涙を流さんばかりに感動される方と、本社ビルの一番いい場所になんであんな汚いものを置くのだという方がいらっしゃって、おもしろいですよ。
私としては、創業期のあの厳しい時期を乗り越えてきたからこそ、ここまでこられたわけでね。辛い時にそこへ行くと、あの時の苦しさに比べたらこんなものは大したことはないなと思い直して、また元気を取り戻せるのです。
新入社員にも入社時に必ず見せますし、落ち込んでいる幹部がいたら、ちょっと見てこいと言うのです。

〈牛尾〉いまのお話を伺って頭に浮かぶのは「惜福」という言葉です。これは安岡正篤さんから教わった言葉で、訪れた福を使い果たさずに、将来のために惜しんで取っておきなさいという教えなのですが、永守さんの考え方はこれに通ずるものがあると思います。
下積みの時代に泊まった安宿に、成功してからも時々泊まりに行くといった話をよく聞きますが、惜福を実践するには、そういうように苦境にあった時のことを忘れない工夫をすることが大事です。

〈永守〉非常に大事なことですね。一番怖いのは、後から入ってくる幹部が昔の苦労を経験していないために、一流企業に入ってきたような感覚で振る舞うことです。そういう人たちには口で言っても伝わりませんから、プレハブ建屋を見せるのが一番いいのですよ。そこは建物だけではなしに、当初からの記録もたくさん残っていて、私自身が現場で懸命に仕事をする様子も残っている。それを見ると皆ハッとするのです。逆に、それを見ても感激しない人は、最初から採用しないほうがいいです。
やっぱり考え方が一致していないと今後のグローバルな戦いは勝てません。ただ頭がいいとか、経験が豊富だとかいうだけではダメで、本当にその会社が好きだという人が集まってこないとしらけてしまいますね。

〈牛尾〉本当にそうですね。

〈永守〉だから私は採用担当者に言うのです。最近は一流大学からどんどん入社してくるようになったけれども気をつけろよと。一番大事なのは、日本電産という会社が好きだという人間、よく働くこの会社で自分も一緒に頑張りたいという人間が集まってくることだと。
一所懸命働くところから始まった会社なのに、ただ有名で給料も高いから入りたいとか、役員として入ってきて威張り散らすような気持ちでやられると、会社なんてあっという間に沈んでいくのですね。

〈牛尾〉おっしゃるとおりです。

〈永守〉だいたい会社がおかしくなる要因を6つ挙げよと言われたら、一番はマンネリでしょう。それから油断、そして驕り。人間はすぐこういう躓きをするのですが、この段階はまだ元に戻せるのです。
その次が妥協。震災がきたのだからしょうがない、円高だからしょうがないと妥協する。これはもうさらに落ち込みますね。
次は怠慢です。頑張っても怠けても給料は一緒じゃないかとかね。
そして最後は諦めです。そんなこと言ったってできません、という考えがはびこってきた時は末期症状ですね。
最初の3つはそんな大敵ではないけれども、後の3つに陥ったらもう取り返しがつきません。

〈牛尾〉特に会社が順調な時が危険ですね。他社よりも昇給率もいいし、収益もいいし、いいところに入れてよかったですね、と人から言われるようになると、だんだん自分を見失ってくるんです。

(月刊『致知』2011年10月号特集「人物を創る」より記事の一部を抜粋・再編集)

(2024年3月30日転載終)

PS:太字はLilyによる。

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信長公について

(https://bushoojapan.com/bushoo/oda/2024/03/27/141585)

信長がついに手にした「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の名木をどう楽しんだ?

2024年3月27日

大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場した蘭奢待。
東大寺正倉院に納められている香木であり、金銭的価値に換算できるとしたら、おそらくや日本一高価な名香でしょう。
庶民はおろか、数多の権力者でもその香りを楽しめたものはわずかであり、何やら秘密めいた雰囲気も漂わせています。
その権力者の一人が織田信長でした。
いったい信長はどのようにして香りを楽しんだのか?
天正二年(1574年)3月28日に東大寺から信長の前に運び込まれた蘭奢待を『信長公記』の記録をベースにしながら振り返ってみます。

名香「蘭奢待」正式名称は「黄熟香」

天正二年(1574年)3月12日、信長は京都へ出発しました。
途中、佐和山に2~3日宿泊していますが、このときは特になにもなかったようで、『信長公記』には特記されていません。
この時期の佐和山城主は丹羽長秀の可能性が高いため、近江の状況確認や近況報告などを話し合っていたのでしょうか。
3月16日は永原(野州市)に宿泊し、翌17日に志那(草津市)→坂本(大津市)のルートで琵琶湖を渡って入京。
「今回は初めて、相国寺(京都市上京区)で宿泊した」とあります。
正確な日付は書かれていませんが、ここで信長は東大寺正倉院に収められている名香・蘭奢待の切り取りを朝廷に願い出ました。
正式名称を「黄熟香」という、日本最大の香木です。
その成分から沈香という香木の最高級品“伽羅”に分類されており、香りの良さと大きさも申し分なく(重さ11.6kg)、「天下一の香木」とされていました。
「蘭奢待」というのは、保管場所である東大寺の名を漢字それぞれの中に秘めた、いわゆる雅号です。

「東」→蘭
「大」→奢
「寺」→待

伽羅の香は1gあたり数万円という値も

沈香の産地は東南アジア全域です。
ただし、伽羅と呼ばれる質のものは、現在のベトナム……のさらにごく一部でしか算出できません。
理由は、沈香という香木の成り立ちによります。
この木は雨風や病気、害虫などに対する防御反応として樹脂を出すのですが、これが固まった後に長い時間をかけて変質すると熱したときに良い香りを放つようになり、香木としての価値が生まれるのです。
ベトナム付近は標高差が激しいエリアも多く、また台風の被害も毎年のように受けていますから、香木となる木が傷つく頻度も高い。
結果、伽羅と呼べる質になる……という仕組みと考えられています。
また、同じ一本の木でも、樹脂の浸透具合など部分ごとに香りが変わるため「伽羅」と呼べる質のものは貴重。
現代でも、伽羅の香は1gあたり数万円というお値段がするほどです。
蘭奢待そのものは信長以外にもときの権力者が切り取っており、足利義満・義教・義政、土岐頼武などが許可をとっていました。
信長より後の時代だと、明治天皇も切り取ったことがあります。
近年の調査では「50回程度は切り取られただろう」と推測され、記録として確実なのは足利義政・織田信長・明治天皇の三人だけでした。

東大寺へは使者を派遣している

このように非常に貴重な蘭奢待。
朝廷と概ね良好な関係だったと思われる信長でも、勅許を得るまでには時間がかかったようです。
3月26日になって、ようやく公家の日野輝資・飛鳥井雅教が勅使となり、蘭奢待が収められている東大寺へ切り取り許可の綸旨が伝わりました。
当時の手紙には次のように記されています。
「就信長南都下向之儀 蘭奢待拝見之望被申入之処」
【意訳】ついに信長が奈良にやって来た。蘭奢待を見たいと申し入れしてきた
そして翌27日。
信長は奈良の多聞城へ移動し、蘭奢待を持ってこさせて切り取ることにしました。
なぜ直接東大寺へ出向かなかったのか?
というと、正倉院には蘭奢待の他に、聖武天皇や光明皇后に関する品をはじめとした品が多く納められていて、「そんな場所に立ち入るのは畏れ多い」という理由だったようです。
そのため蘭奢待を運ぶ特使として、複数の武将を東大寺へ向かわせています。
顔ぶれがまた豪華なものでした。

・塙直政
・菅屋長頼
・佐久間信盛
・柴田勝家
・丹羽長秀
・蜂屋頼隆
・荒木村重
・武井夕庵
・松井友閑
・津田信澄

織田家の二大家老である信盛と勝家だけでなく、古参の長秀や頼隆、親族の信澄、文化人の夕庵や友閑などが勢揃い。
当時の情勢を考えれば、少々豪勢すぎるほどです。

以下の話(『信長公記』106&107話)で見た通り

織田家では、少し前に北陸や美濃で騒動が起きたばかりですから、特使をやらせるより、そちらに備えさせたほうがよさそうな人物もいますよね。
実は皇室や公家、寺社に対して礼節を欠くことがなかった信長なりの対応。
この一件からも垣間見えます。

信長がついに手にした「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の名木をどう楽しんだ?

先例に倣い一寸八分を切り取った

3月28日の辰の刻(午前8時頃)に東大寺の蔵が開かれ、信長の特使たちは、長持に入った蘭奢待を多聞城へ運び入れました。
信長は先例に倣い、蘭奢待を一寸八分(約5.5cm)ほど切り取らせます。
東大寺側の記録では「一寸四方(一辺が約3cmの正方形)を二個切り取った」となっており、少々異なりますが……合計すれば、大きさに大差ありませんね。
信長はこの後、自分が切り取った蘭奢待の一部を正親町天皇に献上していますので、その分を称して「二箇所切り取った」と記録したのでしょうか。
ちなみに、正親町天皇に献上されたほうは、その後、毛利輝元などに分け与えられています。
「人からもらったものをさらに別の人に」というのは、現代人からするとなんだか微妙な気持ちになるかもしれませんが、皇室や公家の間ではよくあることだったようです。
明治時代の女官の追想録にも「贈答品は”贈った”という事実が大事なので、いただいた絹などをそのまま他の人に贈ることもあった」という記述があります。

閑話休題。
信長は、このとき供をした御馬廻衆にも「後々の話の種に、見ておくがいい」といい、蘭奢待を見ることを許したとか。
なんだか尊大にも見えますが、天皇の勅許がなければ見ることもできないようなものなので、ここは優しさといっても良さそうです。

一宮市の真清田神社にも一部が奉納

その後は、手元に残した蘭奢待を茶会で焚いたり、千利休や今井宗久といった茶人に分け与えたり、信長はかなり気前よく振る舞ったようです。
一部がさらに流れ流れて、真清田神社(愛知県一宮市)に奉納され、現在も宝物館に展示。
蘭奢待の切り取りについて
「信長が自分の力を誇示するため、強引に天皇と東大寺を脅して切り取ったんだ!」
と指摘する方もおられるようですが、きちんと正規の手続きをしていますし、天皇にも献上しているのですがら、特に問題はなさそうです。
本当に権力を誇示するだけなら、もっと乱暴なやり方をしていたでしょう。
これまで世間の目を気にした行動も見せている信長ですから、そこまで計算していたのかもしれませんが。

明治天皇は「古めきしずか」と表現

この世に2つとない香木……となると、読み手としては香りも気になりますよね。
実は、香りに関する記述は信長公記にはありません。
熱する前の香木はほとんど香りを放たないため、切り取った日の信長や御馬廻衆は香りを楽しんだのではなく、世の中に2つとない珍品として、蘭奢待を眺めたと思われます。
前述の茶会の記録にでも、それらしきことが出ていればいいのですが……特にないようです。
あまりにも良い香り過ぎて、表現するのが難しかったのでしょうか。
明治天皇は「古めきしずか」と表現されたそうですが、何となく分かるような、わからないような……。
普通の伽羅であれば一般人でも手に入りますので、それを嗅いで想像するくらいしかできませんね。
毎年秋に行われている正倉院展で、十数年に一度くらいのスパンで蘭奢待が展示されることがあるようです。

(2024年3月30日転載終)

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