ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんに関する過去ブログのリストを以下に。最近では、フランスのラジオからフランス語でインタビューを受けています。結構話されるんですね。かつて、十代後半の頃になされたNHKテレビとのインタビューでは、震えて緊張されている姿が記憶に残っていたのですが….。
【2022年】
2022年3月29日「機を逃さず一期一会で」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2383&action)
2022年9月16日「久しぶりに庄司紗矢香さん」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3392&action)
2022年11月15日「庄司紗矢香&カシオーリ」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3699&action)
【2023年】
2023年3月20日「小菅優さんのピアノ・リサイタル」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4273&action)
2023年4月29日「庄司紗矢香さんの境地」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4676&action)
2023年6月5日「思い出は遥か彼方に」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4992&action)
2023年7月14日「ミラン・クンデラ逝く」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5304&action)
2023年9月26日「共感覚」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5594&action)
2023年11月4日「ユーリ・テミルカーノフ氏」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5846&action)
【2024年】
2024年3月9日「いずみホールの演奏会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6763&action)
2024年4月12日「庄司紗矢香さんのシベリウス」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7118&action)
2024年8月8日「クラシック音楽の雑感」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=8232&action)
2024年8月24日「庄司紗矢香さんへのインタビュー」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=8354&action)
【2025年】
2025年2月14日「庄司紗矢香さんについて」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=9804&action)
(2025年3月27日リスト終)
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~音楽との出会い~ 「ヴァイオリンこそ人生」 庄司 紗矢香 さん
2021年
世界を舞台に活躍されているヴァイオリニストの庄司紗矢香さん。10代でヨーロッパに渡った後、パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで最年少および日本人として初めて優勝され、その後は世界中の指揮者やオーケストラと共演されています。
コロナ禍による演奏活動の制限が徐々に緩和される中、シンガポール交響楽団(Singapore Symphony Orchestra)の公演のため来星された庄司さんにお話を伺いました。
幼少期 イタリアでの出会い
幼い頃、画家である母の仕事の都合で、イタリアのシエーナに住んでいました。そこで感じた空気感や美的感覚、一流音楽家との出会い、そして心を揺さぶるような音楽体験は、その後の私の価値観や人生を決定付けたと言っても過言ではありません。
幼少期は、オペラやカンツォーネに憧れて声楽家になりたいと思っていました。しかし、私の声はあまり声楽家むきではなかったため諦めることにしました。そんな時、ヴァイオリニストのウート・ウーギ氏の演奏を聞く機会があり、その素晴らしさに深い感銘を受けました。それがきっかけとなりヴァイオリンをはじめたのです。お稽古では、歌や踊りも学びながら、最後にお菓子をもらってとても嬉しかったことを覚えています。いわゆる「英才教育」ではなく、自然な流れの中でヴァイオリンを楽しんでいました。
「辛い練習から逃げたくなったことは?」「ヴァイオリンを辞めたいと思ったことは?」と聞かれることがありますが、私は一度もありません。声楽家に憧れていた私にとって、ヴァイオリンは「声」であり、元気になれる「薬」でもあります。また、どちらかというといつも一人でいることが多かった私にとって、ヴァイオリンは「全てを分かち合える親友」であり、瞬時に別の世界に連れて行ってくれる大切な存在でした。シエーナで出会ってから今日までずっと、私の人生の喜びであり続けています。
恩師の言葉がきっかけでドイツへ
両親は音楽の道に進むより、普通に勉強をして進学することを望んでいました。そのため、ヴァイオリンの道に本気で進みたいことを理解してもらうために、コンクールで一位を取り続けるなど努力を重ねました。
そんな時、ドイツ人の先生、S.ガヴリロフ氏から「君には特別な才能がある。できるだけ早くにドイツに来て私の元で学びなさい」と声を掛けられたのです。その言葉がきっかけとなり、私はドイツ行きを決意しました。両親は日本で義務教育を受けることを望んでいたため、15歳頃までは長期休暇の度にドイツと日本を往復する生活を送っていました。
コロナ禍での新しい気付き
コロナの影響が出る以前は、ヴァイオリニストとして演奏活動で世界中を飛び回る生活を送っていました。ところが、コロナ禍では演奏会の予定が半年先まで無くなり、先が見えない不安な時期が続きました。そのような状況下でも、心を落ち着かせることができたのは、やはりヴァイオリンの存在でした。ずっと忙しい日々を送っていた私にとって、少し立ち止まる時間を持てたことは良かったと感じています。私にとって、「幸せ」はヴァイオリンとともにあるということに改めて気付いた貴重な期間でした。
「生」の音楽に触れる大切さ
オーケストラでは、さまざまな国籍の人たちと一緒に演奏をしますが国籍を意識することはありません。それは、一人ひとりが国籍を超えた「音楽家」だからです。
演奏会では同じ空間や瞬間、体験を聴衆と共有できるという醍醐味があります。そして何より「生」で聞く音楽は、マイクを通して聞く音楽とは全く異なります。皆さんにはぜひ、演奏会に足を運び、音楽家たちがどのような音を出しどのように心に伝わるのかを体験し、「生」の音楽に触れる大切さを肌で感じていただきたいと思います。
海外で生活するご家族へのメッセージ
海外での生活には、言葉の壁などさまざまな不安があることでしょう。不安や恐れる気持ちを持つことは普通だと思います。どのような状況でも、自分の信念をしっかりと持ち、堂々と走り続ければ、道は開けるに違いありません。日本人には細やかさや思いやりがあり、尊敬の念や秩序・伝統を重んじる素晴らしい国民性があると感じます。それらを大切にしながら、皆さんには新しい信念と価値観、勇気を持って世界で活躍していただきたいと思います。近頃の若い皆さんはしっかりとした考えを持っている人が多いと感じます。皆さまを頼もしく感じているとともに、今後の活躍を楽しみにしています。
(2025年3月27日転載終)
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音楽との出会い「ヴァイオリンこそ人生」part 2
~子ども時代・本・言葉・日本人としての美徳~庄司 紗矢香 氏
2024年
世界を舞台に活躍されているヴァイオリニストの庄司紗矢香さん。10代でヨーロッパに渡った後、パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで最年少および日本人として初めて優勝され、その後は世界中の指揮者やオーケストラと共演されています。
シンガポール交響楽団(Singapore Symphony Orchestra: SSO)※の公演のため、3年ぶりに来星された庄司さんに再びお話を伺いました。
※コロナ・パンデミック後初となる、SSOの京都公演は2024年10月に予定。
SSO との再共演の感想をお聞かせください。
前回はシューマンの協奏曲を共演しました。SSOの音楽監督であるグラフ氏とは今回はブラームス協奏曲について直筆のファクスでやりとりを行い、ヨアヒム※の注意書きを熟読し直して準備しました。グラフ氏とはドイツ音楽の音楽言語をとても自然に共感することができます。
※今回SSOと共演したブラームスのヴァイオリン協奏曲は、ブラームスの友人で天才ヴァイオリニストだったヨアヒムとの共同作業で完成したと言われている。
前回は2021年に取材させていただきました。 コロナの期間を経て、変化は。
パンデミックで思いがけず時間ができたのは本当に幸いでした。毎朝5時半に起きて練習の前に勉強の時間を作りました。お陰で学生時代に読みきれなかった レオポルド・モーツァルト、テュルク、クヴァンツ、CPEバッハなどの教本を一通り読むことができました。18世紀の演奏法を学ぶことで、楽譜には書いてなくても当時は当たり前だった奏法なども明確になり、自分のインタープレテーションに確信を持つことができました。 また、パンデミック直前にこれもタイミング良く田舎に移ったので、都会の騒音や社交から逃れ、落ち着いた環境でまとまった時間を練習に割けたことは、音楽的にもベストな選択だったと思っています。
子ども時代について教えてください。
本と音楽が大好きで一番の支えでした。日本の学校では、発言の自由が限られていることが苦手でした。自分1人だけが違う意見を言ったり、テンポ感が周りとズレていると皆から白い目で見られるのが辛かったです(笑)。母には「他人と違うのが良いのだ」と慰めてもらいました。環境が肌に合うか否かは人それぞれなので、周りの大人のサポートは本当に大切です。
4歳の時オペラ歌手になりたいと憧れを持つも、声が枯れているので即周りに反対されました。ヴァイオリンを始めた後も、画家であった母は芸術家としての苦労を知っていたためか、私には自立した女性になってほしいと願っていたようです。音楽はあくまでも趣味として嗜む程度で、将来は医者か弁護士のような職業についてほしいと常に言っており、小学校高学年からは放課後毎日厳しく勉強を強いられていました。そんな中、鶴亀算や追い越し算から逃れられたのはヴァイオリンを弾いている時だけだったのです。学校での友人も少なかったので文学と音楽が唯一の慰めというか、夢の世界に連れて行ってくれる希望の扉でした。
ヴァイオリンのお稽古はどのようにされていましたか。
ピアノは習いごととして通わせてもらいましたが好きになれず、人の声に似ているヴァイオリンが良いとお願いしました。しかし、教本は退屈で真面目にやらなかったので、みなさんの模範にはなれません。初めて真剣に練習しようと思ったのは8歳で大好きなモーツァルトのコンチェルトを課題にもらった時です。それまでは、ヴァイオリンの先生に「家でも20分くらいは楽器に触ってね」と諭された記憶があります。音階は音大の中間試験のために、初めて真面目に取り組みました。今では毎朝音階の練習は欠かせません。しかし大きくなってから学ぶのは大変なので、若い皆さんには小さい頃から基礎をきちんと練習されることをお勧めします。
6ヵ国語も堪能でいらっしゃるそうですね。
イタリアの幼稚園時代と夏期講習でイタリア語を少し、日本の中学と14歳の時受けたイスラエルの夏期講習で英語に親しみました。13歳からドイツのケルンでご指導いただいたガヴリロフ先生のレッスンや、その後通ったギムナジウム(高校)と音大でドイツ語を習得しました。また、お世話になったブロン先生と生徒たちに囲まれてロシア語をカタコト話せるようになり、その後フランスに移り19年目になります。普段の生活はフランス語がメインで、国外の仕事に英語とドイツ語を使います。
人生で影響を受けた本について教えてください。
シェークスピアやダンテの短い詩、ドイツ語やフランス語の詩はできる限り原語で読むようにしていますが、小説は基本的に日本語で読みます。
人生で影響を受けた本として、カミュがあります。物ごとの真意をつき、この世は不条理な出来事で溢れていること、どうにもできない状況にそれでも立ち向かう人間の姿を力強く描いている点に惹かれます。
世界各国で演奏を続けられる中で、日本や日本の文化についてのお考えは。
私は海外での生活の方が長いですが、日本人の美徳や文化を大切に思っています。
「一期一会」や「ありのまま」、「真心」、「無心」、「脱自」と言った感覚は、音楽に身を捧げる演奏家に通じるものも大きく、日本人で良かったと思うことがよくあります。
特に自然を尊く厳かに祀るアニミズムには強い関心を持っています。科学やAIが支配するようになってきた世の中、「何をして人間であり続けるか」を世界に問えるのは、科学では説明しきれない自然や魂の存在を尊重して生きてきた私たち日本人の使命ではないでしょうか。
海外で暮らすご家庭へのアドバイス をお願いします。
海外にもいろいろありますが、私は旅をする際それぞれの国の文化を尊重しつつ、「日本人としての誇り」を持って人々と接していくようにしています。また、予想外の困難に出会う時ほど「ユーモア」を忘れないように心がけています。
(2025年3月27日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2024年9月8日投稿
(https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230203-OYT1T50255/?fbclid=IwY2xjawIz2d1leHRuA2FlbQIxMQABHQ6r8RMGmvpn3Wq9_wAYS4T3L_-tQo72EvoRjlTse1-OSNi-OZhNi7cJHA_aem_NYC8oHgjEA6W25-KI1M0ag)
「庄司紗矢香、真に迫るモーツァルトのバイオリン・ソナタ…当時の奏法を徹底的に追究」
2023年2月11日
ヨーロッパを拠点に活躍するバイオリニストの庄司紗矢香が、新しいモーツァルトのバイオリン・ソナタ集(ドイツグラモフォン)で、真に迫った音楽を聴かせている。作曲当時のスタイルを徹底的に追究したピリオド演奏は、作曲家の精神の躍動を「本能的に」受け止め、共鳴している。(松本良一)
コロナ禍でコンサートがなかった時期、18世紀のバイオリン演奏に関する本を大量に読み込んだ。「楽譜の読み方から楽器の構え方まで現代とはまったく違う。最初は戸惑ったけれど、やがてこれこそモーツァルトの音楽の真の姿なんだと確信しました」。そしてバイオリン・ソナタ3曲(K304、379、526)の録音に臨んだ。
スチール弦を羊の腸から作ったガット弦に張り替え、弓も当時のものを使った。音はより繊細で陰影に富み、親密なニュアンスを帯びる。旋律の歌わせ方や強弱の付け方もおのずと変わり、「繰り返しの際には短い技巧的なパッセージを自分で書いて付け足した」。当時、それは珍しいことではなかったからだ。
共演するイタリアのピアニスト、ジャンルカ・カシオーリも18世紀のフォルテピアノを弾く。縦横無尽に駆け回る典雅な響きがバイオリンの音色と溶け合い、作曲家が音符に込めた深い思いを紡いでいく。
「K304、ホ短調の第1楽章冒頭はさりげない装いながら、その奥底に深い悲しみをたたえたレチタティーボ(語るような歌い方)。恐ろしい音楽だと思う」
ピリオド・スタイルの演奏は、現代のバイオリンとピアノに比べてずっと小さな音量のため、大きなコンサート会場には本来向かない。ところが昨年12月、2人の演奏会を東京のサントリーホールで聴いて驚いた。2000席の大ホールが音楽で満たされ、舞台上で奏でられる感情が波のように客席に伝わってきた。
「説得力ある演奏は『音楽はこうあらねばならない』という強い確信から生まれます。スタイルや知識は本質的な問題ではない。自分自身がどれだけ作品の核心に近づけるかが大事なんだと思う」
ピリオド・スタイルの演奏は、現代のバイオリンとピアノに比べてずっと小さな音量のため、大きなコンサート会場には本来向かない。ところが昨年12月、2人の演奏会を東京のサントリーホールで聴いて驚いた。2000席の大ホールが音楽で満たされ、舞台上で奏でられる感情が波のように客席に伝わってきた。
作品に誠実に取り組むその姿勢が、聴衆に音楽への集中を促し、大空間に静寂を生み出した。音楽家としてこれほど名誉なことはない。「今後はモダン・スタイルでモーツァルトを弾くことは、ないかもしれない」と話すだけに、次のモーツァルトの録音が楽しみだ。
(転載終)
ユーリ:そうですね。実は私、カシオーリ氏ご夫妻がお食事をされている隣のテーブルに偶然いたことがあったのですよ。勿論、大阪での紗矢香さんとのデュオ・リサイタルの直前でした。紗矢香さんの勉強熱心なところ、音楽へのひたむきな追求心は、本当に刺激になります。
長谷川 哲:ピアノにしても現在のスタインウェイの音は好きになれない、庄司さんの試みは勿論大きな価値があります。現在の僕の聴力の衰えは実に残念だけど4khあたりからかなり減衰します。10年前と比べると別の世界にいる気がします。残念ですけどね。
ユーリ:まぁ、そうおっしゃらずに。心の耳にも届く演奏というものもありますよね?
ユーリ:田中様、ありがとうございます。紗矢香さん、いい表情されていますね?
(2025年3月27日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年2月19日投稿
・のびやかでつやつやした音色が、本当に新鮮でした。
・この映像も何度も……
・懐かしい映像。繰り返し見ていた時期がありました。
・この新鮮かつ真摯な姿を何度も映像で見て、当時の私は多大な励ましを受けていました。
(2025年3月27日転載終)
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今年に入ってフランス語で聴いたフランス・ラジオのインタビュー「ヴァイオリンの翼の下で、庄司紗矢香」の要約を以下に。
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(https://www.radiofrance.fr/francemusique/podcasts/serie-sayaka-shoji-sous-l-aile-du-violon)
ジュディス・チェイン
・1983年に東京で芸術家の家庭に生まれた庄司紗矢香は、ポップ、70年代のロック、フランスのバラエティ、ジャズなど、あらゆる形式の音楽に囲まれて育った。母親のおかげで溝口健二の映画に出会って、それが今でも彼女のパフォーマーとしての活動にインスピレーションを与え続けている。
・彼女は3歳の時に日本を離れ、母親が絵画を学んでいたイタリアへ渡った。最初の音楽の思い出は、キジアーナ音楽アカデミーがシエナの大きな広場で開催した野外コンサートだった。
・内向的な子供にとっての夢の表現方法として、5歳の時にバイオリンを発見した。
・5歳で日本に戻り、音楽学校でバイオリンのレッスンを始めたところ、ウート・ウーギに見出され、11歳でウート・ウーギのクラスに参加するようになった。
・3年後、彼女はリピンスキ=ヴィエニャフスキ音楽コンクールの審査員でヴァイオリニスト兼教師のザハール・ブロンと出会い、ケルンで彼の弟子として迎え入れられた。
・この頃は演奏家としてデビューした時期でもあった。特にルツェルン音楽祭の一環として、ルドルフ・バウムガルトナーの指揮のもと楽友協会で演奏した。
・わずか16歳で、ジェノバで開催された権威あるパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝し、同コンクールの最年少優勝者となった。
・国際的に著名なオーケストラと共演し、すぐにズービン・メータ、ロリン・マゼール、ユーリ・テミルカーノフなどの指揮者から支持を受けるようになった。
・2005年からパリに在住し、ダンサー(勅使川三郎)、建築家(安藤忠雄)、ビデオグラファー(パスカル・フラマン)とコラボレーションし、音楽作品の幅を広げている。
・幼い頃から文学に熱中しており、ドストエフスキーやカミュの小説は彼女のお気に入りの作品の一つである。
(2025年3月27日転載終)
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“Je crois à la part spirituelle dans la musique”
2025年1月27日公開
ジュディス・チェイン
「私は音楽の精神的な部分を信じています」
・庄司紗矢香は1983年東京生まれ。芸術家の家庭で育ち、母方の祖母は日本の古来の詩である短歌を書いた。「このタイプの詩は、限られた文章に全宇宙を含んでいます。それは私に大きなインスピレーションを与えてくれたものです。」
・彼女は、一定の評判を持つ画家である母親が、油絵の技術を娘と共有していることを私達に話してくれる。「残念ながら、私が生まれたとき、母は絵を描くのをやめました。でも、子供の頃に絵の描き方を教えてくれました。それは私を惹きつけたものですが、彼女はいつも私よりも上手だったので、私は落胆し、何か他のことをすることにしました」
・自宅では、クラシック音楽はほとんど存在しなかった。70年代のポップスからロック、そして60年代、70年代のフランス人シンガー(ブレル、バーバラ、イヴ・モンタンなど)まで、ジャズも忘れず、非常に複雑な音楽の世界に生きている。
・子供の頃、彼女は母親のおかげで第7の芸術(フェリーニ、ヴィスコティ)を探求し、非常に若い年齢で、小津や黒沢と並ぶ日本映画の巨匠である溝口の世界を発見した。
・これら最初の経験から、この学際的なアーティストのアプローチを示す非常に強いイメージが残る。「音楽を聴くと、イメージが浮かびます。色や音だけではありません。これらは、私の子供時代の経験から生まれた強いイメージです。」
・3歳のとき、少女は日出ずる国を離れてイタリアに渡った。母親はそこで2年間絵画を学んだ。イタリアとの初めての出会いから、彼女は音楽の遍在性を覚えている。「みんなが歌っていました。オペラは日常生活の一部でした。シエナのメイン広場で、キジアーナ音楽アカデミーが主催した野外コンサートを覚えています。それが私がクラシック音楽に出会った方法です。」
(2025年3月27日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2025年1月28日投稿
ユーリ:フランス語で25分間のインタビューです。演奏の抜粋を含みます。
(https://www.radiofrance.fr/francemusique/podcasts/les-grands-entretiens/sayaka-shoji-violoniste-1-5-)
“Je crois à la part spirituelle dans la musique” via @francemusique
・パガニーニでのデビューから24年、日本人アーティストの庄司紗矢香がイタリアの巨匠に復帰し、12月にフランス国立ディル・ド・フランス管弦楽団と共演する。
・16歳の時、庄司紗矢香はパガニーニ・コンクールで優勝し、ズービン・メータの指揮のもとで作曲家を録音した。
・その24年後、フランス国立管弦楽団と並んでヴァイオリン協奏曲第1番を再演した。
・2025年2月にリリース予定のモーツァルトのヴァイオリンとフォルテピアノのためのソナタを収録した次のアルバムも発表する。
・東京で生まれ、トスカーナで育ち、ドイツで学び、現在はフランスに住んでいるバイオリニストは、「ズービン・メータとファーストアルバムをレコーディングしたのは17歳のときでした。彼は私に、若い頃は大都市に住まなければならないと言いました。パリに住んでいる自分は、自分が興味を持っている視覚芸術、フランス語を学ぶために、文化や視覚芸術のために生きている自分を想像することができました。そこに定住するのは1年か2年だけだと思っていたのに、結局はここに留まりました。」
・現在、庄司紗矢香は田舎に住んでいる。「私はいつも自然とつながり、静かに仕事をする必要がありました。幸運にもパリから1時間ほどのところにこの場所を見つけたので、いつでも気が向いたときに来ることができます」
・パガニーニのヴァイオリン協奏曲の24年後のリバイバル パガニーニ・コンペティションで優勝した直後の2000年に録音されたファースト・アルバムで、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と共演した。
・「それについては良い思い出がありますが、私は音楽家の家系ではないので、クラシック音楽のビジネスについて何も知らなかったので、大変な時期でもありました。たくさんのチャンスがあったと感じ、とても嬉しかったです。どのコンサートも挑戦的で、美しい時間でした。」
・この始まりは、作品に長い間関連付けられてきたバイオリニストのキャリアの始まりを強く示した。
・「当時、私はコンクールで優勝していたので、当然のことながらパガニーニの協奏曲を演奏するようにたくさん頼まれました。10年間、激しく弾いてきたので、その後は一歩下がってみたかったんです。音楽は本当に好きでしたが、必ずしも好きなレパートリーではありませんでした。しかし、フランス国立管弦楽団から依頼された後、今日戻ってくることができてうれしいです」と彼女は説明する。
・パガニーニからモーツァルトまで…ビジュアルアーツへ。最近、モーツァルトのヴァイオリンとフォルテピアノのためのソナタ全集の録音を開始した。2022年にこれらの作品に捧げられた最初のアルバムをすでに録音し、2025年2月14日にアルカナレーベルからリリースされる次のアルバムを発表し、プロジェクトの2番目の作品になる。
・録音の特殊性は、ガット弦で作られたピリオド楽器で録音している。「私はいつもガット弦を演奏することに興味を持っていました。パンデミックがきっかけで、それを試す時間が増えました。ただ、その音の美しさに囚われてしまったのです」と言う。
・「ピアニストのジャンルカ・カシオーリとの最初のコンサート以来、一緒にモーツァルトに取り組みたいと思いました。私は、レパートリーを再発見するために、新しい方法で作り直し、物語を語るのが好きです」
・ビジュアルアーティストでもある彼女は、12歳の頃から絵を描き始め、2007年からショスタコーヴィチやバルトークの作品を含む彼女の作品をビデオ形式で展示し始めた。「私の作品はどちらかというと実験的で、私の無意識から生まれています。音楽を聴くときに何を視覚化するかを示すことについて、非常に興味深いプロセスです」。
・12月13日から21日までフランス国立管弦楽団と共演し、12月15日にはパリ・フィルハーモニー管弦楽団でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番を聴くことができる。4月17日にはコルマールでプラハ・フィルハーモニー管弦楽団と、5月20日にはシャンティイでスティーヴン・コヴァチェヴィッチと共演する。
(2025年3月27日転載終)
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(https://www.radiofrance.fr/francemusique/podcasts/les-grands-entretiens/sayaka-shoji-violoniste-4-5-je-suis-devenue-violoniste-en-faisant-des-concerts-9394039)
エピソード「コンサートをすることでバイオリニストになった」
2025年1月30日
ジュディス・チェイン
・ルツェルン音楽祭の一環としてルドルフ・バウムガルトナーと共演し、ムジークフェラインでデビューした時、彼女は14歳だった。
・ジェノバで開催される権威あるパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで一等賞を獲得するために、「私は音楽院のリハーサル室に閉じこもって日々を過ごしました」。技巧性だけでなく、音楽性でも審査員に注目され、16歳でこのコンクールの最年少優勝者となった。
・「パガニーニは単なるテクニックの人ではありません。歌と音楽の精神をもってオペラのように解釈するウート・ウーギのおかげで、私はこの作曲家が好きになりました。」
・指揮者のズービン・メータの目に留まった。この出会いは、自分の殻から引きずり出し、ミュージシャンとしてのプロ生活の渦に巻き込むことになる。すぐに一流オーケストラと共演し、ロリン・マゼール、ユーリ・テミルカーノフなどの指揮者から支持を受けた。
(2025年3月27日転載終)
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(https://www.radiofrance.fr/francemusique/podcasts/les-grands-entretiens/sayaka-shoji-violoniste-5-5-7897870)
エピソード「音楽の時間は日常生活の時間とは違う」
2025年1月31日
ジュディス・チェイン
・ミュージシャンは、自身の仕事のやり方、想像力が果たす役割、そして演奏家としてのアプローチにおいて直感を重視する重要性について語る。
・2005年にパリに移り、自分の分野以外のアーティストと出会った。特にビデオアーティストのパスカル・フラメントと出会い、音楽がイメージの伴奏ではないプロジェクトで一緒に仕事をした。「Synesthesia」(2009)では、イメージが音楽に根付き、音楽を運ぶ。
・多分野にわたるアーティストである共感覚のバイオリニストは、さまざまな芸術形式からインスピレーションを得ている。建築家・安藤忠雄の作品に興味を持ち、ダンサー・振付師の勅使川三郎とバッハやバルトークを中心としたプログラムでコラボレーションした。
(2025年3月27日転載終)
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フェイスブックのメッセージ交換から。
2025年1月28日 22:07
ユーリ:いつも何度もPokeをありがとうございます。今、庄司紗矢香さんのフランス語の二つのインタビューを聴きました。内容は、既に日本でも知られていることでしたが、驚いたのは、2019年頃に出産されていたのですね?(多分、男の子)あれほど忙しいのに、いつの間に生物学的な生産まで…..。フランスの田舎に暮らしているそうですが、何だか皆さん、生産的なのですねぇ。
Y・T:そうですか…、それは喜ばしいお話ですねー。彼女は幼少期からVnを弾いて、それしか印象がなかったですが、そりゃ年を重ねればそういった人生だってあるでしょうねー。安寧で暖かい家庭を続けていって欲しいですね。
ユーリ:彼女のフェイスブックの大量の写真の中に、一枚だけ、森のような場所を小さな男の子(多分)と手をつないで歩いている後ろ姿がありました。2021年頃に「もう2年…..motherhood」とあり、知る人ぞ知る、だったようです。歌人だったお祖母様や画家だったお母様の話はよく出てきますが、コンピュータ技師だと紹介されていたお父様の話が全然出てきませんね?ところで、諏訪内晶子さんは、しばらく前に博士号を授与されたそうです。学術博士ですが。この方も実に生産的ですねぇ。
Y・T:博士号とは。。凄いですねー! いや、素晴らしい 今後も応援して行きますよ。
(2025年3月27日転載終)