感染症問題と薬草

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667485850442289152)
Lily2@ituna4011
?5類移行後に感染した人たちの生々しい本音 https://news.yahoo.co.jp/articles/dd1a89113bf6d46f82076549540df0d7fa7db797?source=sns&dv=sp&mid=art05t3&date=20230610&ctg=dom&bt=tw_up…
⇦ 人によって症状はさまざま。今もマスクに手洗いとうがい励行。毎朝、体温を測り、血圧と体重も記録。栄養バランスと歩くこと、睡眠と水分補給。
7:56 PM · Jun 10, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667755519665373187)
Lily2@ituna4011
もうすぐ七夕。 棚機は禊行事だった。
1:47 PM · Jun 11, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667756824085553152)
Lily2@ituna4011
邪気を払う神聖な笹。
1:53 PM · Jun 11, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667762600464236545)
Lily2@ituna4011
夾竹桃は復興のシンボルとして、広島市の指定花。 但し、アルカロイドを含む有毒草。
2:16 PM · Jun 11, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667763921418338304)
Lily2@ituna4011
赤菊って見たことあったかしら? 一番下に生けるらしい。
2:21 PM · Jun 11, 2023

(2023年6月11日転載終)
………….
2023年6月12日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667852293600055296)
Lily2@ituna4011
昨日は資料館訪問でお世話になりました。家庭薬がとても懐かしく、漢方薬についても、いろいろと勉強になりました。偽薬を見分ける鑑識眼、公のための誠実な働き、人々の健康と世の中の発展等、日々祈り求めたいところです。
8:12 PM · Jun 11, 2023

(2023年6月12日転載終)

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プレゼントの当選!

ツィッターなんて、誰もが自由に身勝手にぴーちくぱーちく煩いこと、この上なし。尤もらしく、偽情報やまやかしも紛れ込んでいる。
と思いつつも、新聞購読を中止して10年程になり、テレビもラジオも全く聞かなくなって3年以上。世間を知るには、それなりの繋がりも得難く….

だが、今回はびっくり仰天。本当に当選したのだ。昨今の皇室問題や日本の国柄を理解するには、まずはこういう基礎勉強から、と思っていただけなのだが…..。
。。。。。。。
(https://twitter.com/messages/437221843-479309628)

(https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScX6C0IWwNmUOYMQi5tRnLVPMV-qrwQ05BaP85uia1Be_wVXA/viewform)

【神社検定キャンペーン当選のお知らせ】 神社検定事務局です。 この度は第11回神社検定フォロー&リツイートキャンペーンにご応募いただきありがとうございました。

厳正なる抽選の結果あなた様がご当選されました。 おめでとうございます! 当選賞品『季刊誌『皇室』95号~98号4冊セット』をお送りさせていただきますので、お手数ではございますが6/11(日)までに下記フォームより必要事項のご記入をお願いいたします。(https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScX6C0IWwNmUOYMQi5tRnLVPMV-qrwQ05BaP85uia1Be_wVXA/viewform)

・期日までにご記入が確認できなかった場合や住所不明で賞品発送ができない場合は当選を無効とさせていただきますので予めご了承ください。
・発送は6月中旬頃を予定しております。
今後とも神社検定Twitterアカウントをよろしくお願いいたします。

2023年6月5日 11:28 AM

この度は、誠にありがとうございます。まさか当選するとは思ってもみませんでした。楽しみにしております。

2023年6月5日 11:39 AM

おはようございます。先程、プレゼントの4冊セットがとてもきれいな状態で届きました。これまでは、市内の図書館で借りて、ノートを取ったりコピーをしたりして勉強しておりましたが、今回は弐級試験に間に合いそうで、感謝しております。大切に読ませていただきます。ありがとうございました。

2023年6月10日 9:15 AM
Seen

(2023年6月11日転載終)
……………..
2023年8月6日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1687986770192093184)
Lily2@ituna4011
新聞購読を止めて約10年。時事問題は、竹田恒泰氏のミニ解説等を参考にさせて頂いている。 生活に支障がないのは、多分、二十代から古典を繰り返し読む習慣があることと、手当り次第、アマゾンの中古本を買って、気になる分野を並行して読んでいるからかもしれない。図書館は、デジタル論文複写が主。
9:39 AM · Aug 6, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1687988405169471488)
Lily2@ituna4011
テレビは4年以上、つまらないので全く見ていない。ラジオも、いつの間にか止めた。アナウンサーの話し方がうるさいからだ。 日々のニュースは、日経新聞のダイジェスト版メーリングリストで何とかなる。 また、ツィッターとフェイスブックで、世論を知ることができる。
9:46 AM · Aug 6, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1687990815111651328)
Lily2@ituna4011
その代わり、自宅に相当溜まったクラシック音楽のCDを、日課として順番に聴いている。購入した日付と場所を書いたシールをケースに貼ってあるため、思い出の復習にもなる。記憶の補強には有益だ。 そして、市内外の各種展示を何かの折に見て回る。美術や江戸から昭和前期の文学資料は、いい勉強。
9:55 AM · Aug 6, 2023

(2023年8月6日転載終)

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シャーロック・ホームズの思い出

毎日新聞(https://mainichi.jp/articles/20230610/k00/00m/030/119000c)

「心霊にはまった近代人 ホームズ生んだコナン・ドイルの数奇な人生」
2023年6月10日

英南西部デボン州ダートムア。最高地点は海抜600メートルという霧深い高地で、ごつごつした岩が点在する荒野の中、放牧の牛や羊が道路をのんびり歩いている。名探偵シャーロック・ホームズを生んだ作家、サー・アーサー・コナン・ドイル(1859~1930年)の代表作「バスカビル家の犬」(1902年)の舞台だ。ホームズ物語は長編4、短編56の計60作品あるが、中でも屈指の人気を誇るのがこの長編である。コナン・ドイルは本来は「複合姓」で、これで一つの名字と言えるが、ここでは便宜上ドイルと記す。
数メートル先も見えない霧の中、突然、道路に巨大な牛が現れた。タクシーの助手席に座っていた私は驚いて絶叫してしまった。運転手もつられて大声を上げた。

英南西部デボン州ダートムア。最高地点は海抜600メートルという霧深い高地で、ごつごつした岩が点在する荒野の中、放牧の牛や羊が道路をのんびり歩いている。名探偵シャーロック・ホームズを生んだ作家、サー・アーサー・コナン・ドイル(1859~1930年)の代表作「バスカビル家の犬」(1902年)の舞台だ。ホームズ物語は長編4、短編56の計60作品あるが、中でも屈指の人気を誇るのがこの長編である。コナン・ドイルは本来は「複合姓」で、これで一つの名字と言えるが、ここでは便宜上ドイルと記す。

(2023年6月11日転載終)
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1667656575962714112)
Lily2@ituna4011

https://mainichi.jp/articles/20230610/k00/00m/030/119000c…

☚ 小学校5年生の頃、私の憧れの男性はコナン・ドイルと勝海舟でした!名古屋市内の区立図書館で、次々に本を借りて読破したものです。
7:14 AM · Jun 11, 2023

(2023年6月11日転載終)

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マレーシア新聞への投稿再掲

2007年2月17日に掲載された『マレーシアキニ』というウェブ新聞への投稿文は、2016年8月24日(@ 14:29)付本ブログ(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=336&action)にも掲載しております。7年ぶりに再掲します。
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1666393316718702593)
Lily2@ituna4011
マレーシア新聞への私の投稿。古いものですが、今も出て来ます。
7:35 PM · Jun 7, 2023
。。。。。。。。
Malaysiakini(https://www.malaysiakini.com/letters/63304)
Natural for monotheistic religions to use certain terminology

Published: Feb 12, 2007 8:49 PM⋅
Updated: Jan 29, 2008 7:21 PM

I refer to the letter High Time to learn about other religions by Animah Ferrar.
There seems to be some irrational and ambiguous discussion in her letter. She confidently admits that ‘we will find many shared principals and values’ by learning other religions. At the same time, she cautions writers and translators ‘to avoid using terminology exclusive to a particular religion’ in order ‘to avoid confusion and suspicion.’
Also, she quotes the classic example of the term ‘Allah’ for Christianity as an attempt ‘to mislead Muslims to believe that the book is about Islam.’
How many times should the Malaysian people repeatedly discuss this issue to reach a consensus and mutual understanding? According to my own research, it was first discussed in the middle of 1980s among some Christian leaders in Malaysia, since the state laws began restricting the use of the term for the non-Islamic religions without consulting with non-Muslim authorities in the country.
For the Christian side, it was significant because this affected especially the work of the translation of the Bible into the national language and Malay-related languages such as Iban.
Before promoting learning about other religions, Animah must understand this: if she truly recognises that there are many shared principals and values among religions, then she must admit it quite natural for the monotheistic religions to share the term itself among them. It is not a misleading attempt but a logical and rational conclusion.
If Muslims may have any confusion and suspicion, it is not a fault of the translators. Rather, it is the responsibility of Muslims not to have such negative impressions of other non-Islamic writings. If one cannot discern the simple difference between the Islamic books and non-Islamic books by the content, then it will be almost in vain for him or her to learn about other religions except for Islam, because he or she will be more confused after knowing about them.
When I visited Malaysia last November, a Muslim scholar told me that Muslims and non-Muslims are not equal at a seminar in Kuala Lumpur. Also, scholars of Islam in Japan officially recognise that Islam is the religion that rectifies the deficits and errors of Judaism and Christianity. I have often heard that Muslims from various countries – who were invited by Japanese universities – claim in public that Islam is the final and complete religion, although most of the audience were non-Muslims.
I wonder what is Ferrar’s intention to support the idea about learning about other religions? If she really expects that people will respect others by doing so, then she must allow the Christian translators to use the term in their religious books. It is the right of Christians to share the term with Muslims. From the Christian point of view, Islam absorbed some of the basic elements from Judaism and Christianity respectfully.

The writer is researcher, Centre for Interdisciplinary Study of Monotheistic Religions, Doshisha University, Kyoto. She was a lecturer at the Ambang Ashuhan Jepun, Universiti Malaya between April 1990 and April 1993, assigned by the Japan Foundation and author of the paper ‘Towards mutual understanding or religious intolerance? Impacts and implications of the recent Iban Bible issue in Malaysia’ in 2003.

(End)
。。。。。。。
(https://twitter.com/praises2014/status/1666462658491564034)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
今も拝読できる点は幸いです 翻って日本メディア、公開時期を過ぎたとの理由で過去発信情報を削除する行為、メディア自らの情報封印行為では? この投稿からイバン聖書問題に繫がり、再度、Lily様の原稿に巡り合う

Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
マレーシア華人による中国語聖書翻訳史の講義: http://jams92.org/pdf/NL35/35%2827%29_tsunashima-miyake.pdf
12:10 AM · Jun 8, 2023

(2023年6月8日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666551103201378305)
Lily2@ituna4011
ありがとうございます。デジタル化の問題は、そこにあります。ホームページもいつの間にか書き換えられているので、必要事項については、逐一、紙媒体への印刷作業が欠かせません。
6:02 AM · Jun 8, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666549901227065346)
Lily2@ituna4011
これについては、どう思われますか?ご意見求む。
5:57 AM · Jun 8, 2023

(2023年6月8日転載)
……………
2023年6月9日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666897759868420096)
Lily2@ituna4011
今読むと、偉そうに書いたものですね。

http://jams92.org/pdf/NL35/35%2827%29_tsunashima-miyake.pdf

「マレーシア華人による中国語聖書翻訳史の講義-東京での国際聖書フォーラムから-」

4:59 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666899686278729729)
Lily2@ituna4011
先程、久々に読み返してみました。 書いた当時の勢いに比べて、マレーシアも日本も、学的環境が激変しています。 特に日本の劣化は著しいです、恐ろしいまでに。 あの頃、日本聖書協会のトップは、
日本には経済力がありますから、
と豪語。
5:07 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666900800629768193)
Lily2@ituna4011
最近では、送られてくる冊子によれば、献金額がガクンと一桁下がっています。あのフォーラムの時の賑わい、盛り上がりはありません。 人材も世代交代して、ショボい限り。 何かが間違っている、と思います。
5:11 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666902484462489600)
Lily2@ituna4011
振り返ると、あの頃がピークでしたから、機を捉えて参加し、短文を記しておいて、我ながらよかったと思います。 日本の場合、何でも一周か二周ぐらい遅い、と言われます。イスラム問題も、最近になってやっと、目覚めた感じで、それでは遅いのです。
5:18 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666907715191574528)
Lily2@ituna4011
日本では、大学の先生や研究者の中に、
そんなことを書いたら、ムスリムから反撃が来るから、もっと上手にやりなさい、
と要らぬお世話を焼いた方もいました。が、実は、拙稿は何度もマレーシアの印刷物に問題なく掲載され、ムスリム攻撃もありませんでした。
5:39 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666908532548194306)
Lily2@ituna4011
なぜならば、現地で発生し続けている懸案を、現地リサーチに基づき、現地の当事者に伝わる様式で書いたからです。ムスリム側から、
あんた、よく調べたね。あんたの言う通りだよ。
と、言われたことも何度かあります。
5:42 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666910132859719684)
Lily2@ituna4011
但し、余計な刺激を与えることは厳禁。そこは、長年の基礎勉強とセンスが必要か、と。 マレーシアは難しい国です。日本は、戦時期の占領で身に染みたはずですが。マレーシアのイスラム主義の萌芽研究は、西洋の場合、1950年代に出ています。瞥見の限り、その頃の日本は、何をしていましたか?
5:48 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666947588455809024)
Lily2@ituna4011
大学改革前の日本人の教授陣は、それでも、私の発表を聞いて大変褒めてくださいました。昭和期の残存のような、厳しい学問作法をご存知の先生方でした。 しかし、平成時代の30年、日本は低迷していきました。
8:17 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/praises2014/status/1666818821976625162)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
んんん、始まってしまうと熱く語り出す危険性もあるな 現代でも「文字」が無い民族のために文字自体を創造しながら現地「語」聖書を一から作るというお働き(ウィクリフ)をしている方々を存じており、翻訳の妙についてはここでは語り尽くせぬ思いを持っています
11:45 PM · Jun 8, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666898137926205440
Lily2@ituna4011
そこは、今でもそう思っています。 他宗教がなし得なかったことです。
5:01 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/praises2014/status/1666985714477842433)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
Lily様を通して、また鼓舞され刺激を受け、意見できるほどの何がしらを自分は持っているのか?とも思わされ、圧倒されてもいます 大海原を前にした子供みたいに … 指導的立場のマレーシア出身者キリスト教徒が身近に居ます その人にLily様を通して学んだマレーシア内キリスト教の状況について
10:49 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666988274131378176)
Lily2@ituna4011
どういう方なのかわかりませんが、今日本に来て牧会しようとしているマレーシア人なら、誰であれ警戒すべきか、と。10数年前に聞いた話ですが、シンガポール人が日本人をキリスト教化しようとして、北海道で宣教を頑張っているそうです。華人ですから、日本人を下に見て、日本理解が間違っています。
10:59 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666989133993238528)
Lily2@ituna4011
西洋人からアジア人へとキリスト教宣教の担い手が変わり、低迷した日本を内部から変えようとして、そういうことをするのです。だからこそ、道を踏み外さないためにも基本的な聖書理解は必要であり、しっかりした学術研究が大切なのです。イスラム理解も、世界大宗教の一つである以上、必須の素養。
11:02 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666989791391682560)
Lily2@ituna4011
間違ってほしくないのですが、クラシック演奏家や外国語学習のように、海外の現地研究ではイマ-ジョン作業が必要です。相手の側に立って内部から理解しようとするのです。最終目的は、相手の意図を把握し、自分や自国を守ることです。 西洋人のやり方は、支配するために相手を研究するのだそうです。
11:05 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666990322264739840)
Lily2@ituna4011
キリスト教や聖書が好きだから研究するのではありません。江戸末期の武士達が漢訳聖書を読んで西洋理解に努めたように、日本国を守るためには、まず相手を知る必要があるのです。相手に同化し、相手に靡くためではありません。 そこが根本的に間違っていたのでは、元も子もないでしょうね?
11:07 AM · Jun 9, 2023·

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666990931692900352)
Lily2@ituna4011
インドネシアとマレーシアは、似たような文化で言葉も似ているようですが、専門的に研究したことがあれば、全く異なります。日本に対する態度も、かなり違います。 私がしてきたことは自分や日本を守るための研究戦略としての活動。相手が好きだから、一神教がおもしろいから、では全くありません。
11:09 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666991760973901824)
Lily2@ituna4011
その点が、西洋と日本とでは異なります。
日本(私):自国(自分)を守るために異なる文化を研究する。
西洋人:相手を支配するために異なる文化を調査研究する。
ともかく、まずは居住史および自国史をしっかりと学び、足元を知的に固める努力を続けることです。 以上
11:13 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/praises2014/status/1666992361438855168)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
一方、インドネシアで奉仕している同国出身者の先生が私達向けに現地報告をして下さり、その先生を通してインドネシアについては若干ながら相互理解があります(あくまでも私達のグループ内での話) ところがマレーシアについての発信者は私の身近にはおらず、Lily様のお働きの貴重さ希少さに改めて

Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
気付くわけです そのお働きを巡り、日本のアカデミアの闇も表出する面があり、この点も私にとっては共感するものが大きく、困難な状況でも研究を続け発信し続ける姿勢に励まされ鼓舞されました ダグラスさん含め様々な出会いもあり、Lily様を通して聖書の「神」の導きを見る思いもしています
11:15 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666993097929281536)
Lily2@ituna4011
インドネシア人は、日本人に恩義を感じているらしい面もありますから。ジャワ人は、日本語と似ていると言われるジャワ語を使いますから、親しみを感じているようです。研究上も、インドネシアの方が遥かに面白そうです。
11:18 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666994328101875715)
Lily2@ituna4011
一言付け加えるならば、ダグラスさんやパイプス氏辺りになると、二番煎じの物真似は軽蔑されます。西洋化は向こうにとって有利なため、我々が吸収して理解に努めるべきなのは当然のことです。但し、日本人が日本人らしく、独自性や固有性や唯一性を保持していなければ、関心を持たれません。
11:23 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/praises2014/status/1667010353430155264)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
>日本人が日本人らしく、 本当にその通りだと私も思います 日本は、日本
12:26 PM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/praises2014/status/1667012641569767425)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
…おぉ、私の身近のそのマレーシア人も周囲の日本人とフィリピン人のことも見下しています フィリピン人グループは周囲と親睦し、何よりキリスト教信仰に基づいて日本の介護業界で尽くして下さってます そのマレーシア人は頭脳明晰で優秀な方で華麗な肩書を多く持ち、知識を誇示し続け中…
12:36 PM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666994646617292800)
Lily2@ituna4011
主人(と主人の勤務先)のおかげで、ここまで続けられました。これからも、続けていきます。応援、よろしくお願いいたします。
11:24 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667017015390011392)
Lily2@ituna4011
まだ若かったですし。
12:53 PM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666986385155461120)
Lily2@ituna4011
ありがとうございます。若い方達には、我々の世代ができなかったことや、過去の過ちを克服して前進していただきたいですね。 そのためになるかどうか、わかりませんが、過去ブログを再掲しています。自己表現ではありません。
10:51 AM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666717501152198656)
Lily2@ituna4011
若い時にみっちりやっておくと、後に予想外の事態が発生しても、何とか乗り切れます。甘やかしは禁物。
5:03 PM · Jun 8, 2023

(https://twitter.com/praises2014/status/1667021422835929090)
Praises5783 #IStandWithUkraine@praises2014
こちらこそ宜しくお願い致します。 反応している私以外にも、Lily様の蓄積に気付いて参照されている方々は居ると思われます。 蓄積は1日にしてならず。Lily様の蓄えが一層多くの人の益となりますように。
1:10 PM · Jun 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667036925226795008)
Lily2@ituna4011
再度の御礼を。 フェイスブックやツィッターやはてなブログでは、無料で発信させていただき、アクセス数でお小遣い稼ぎをするようなことも一切しておりません。 WordPressのブログ版のみ、年会費を払って公開しております。但し、こちらはカウント数を出さず、あまり使い勝手がよくありません。
2:12 PM · Jun 9, 2023

(2023年6月9日転載終)
………….
2023年6月12日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668065495785025536)
Lily2@ituna4011
サミュエルツウェーマー! 2000年代前半、よく読んでいた論文誌。 懐かしい限り。
10:19 AM · Jun 12, 2023

(2023年6月12日転載終)
…………..
2023年6月17日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669464583592108032)
Lily2@ituna4011
Asia: Witnessing to the love of God in a multi-religious and multi-ethnic context – https://goo.gl/alerts/7MJgCJ #GoogleAlerts
⇦ マイノリティだからこその貢献。
6:59 AM · Jun 16, 2023

(2023年6月17日転載終)

Posted in Christianity, Daniel Pipes, Malay studies, research topics | Leave a comment

英国の戴冠式を振り返る

(https://twitter.com/ituna4011/status/1663761679963021312)
Lily2@ituna4011
週刊誌ネタを10あれば10喋る元共産党のジャーナリスト
VS
幕末の孝明帝を中心に古文書をたくさん読み解いて、法学もきちんと勉強された皇族のご親戚
1:17 PM · May 31, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666284324277350400)
Lily2@ituna4011
篠原常一郎さん、あなたが言っている「女性天皇が排除された理由」は完全に間違っています。竹田恒泰チャンネル2 https://youtu.be/lGfJ3C-ibKA via @YouTube
☚ 竹田恒泰さんの書斎から雄弁な書物が出てきました。本来、ここから国民議論が始まるべき。
12:21 PM · Jun 7, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1663810697988554754)
Lily2@ituna4011
令和5年5月29日付の新聞記事によれば、竹田恒泰氏の述べた通り。
1. 英国王室から天皇陛下に戴冠式への御招待があった。
2. 既に両陛下へは国賓としての御招待が英国からあった。
3. 戴冠式後、英国御訪問があり得る。
4. 英国側から元首代理の出席が可能との公式説明があった。
4:32 PM · May 31, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1663811537226825728)
Lily2@ituna4011
5. 閣議了解を経て両殿下が御差遣されることになった。
6. 5月6日に天皇陛下が戴冠式の御祝電を発せられた。
以上
4:35 PM · May 31, 2023

(2023年6月7日転載終)
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1654839202520141825)
Lily2@ituna4011
チャールズ英国王が戴冠式 王室新時代への決意表明 https://sankei.com/article/20230506-DUYDLUHIWJJ7RL5JYHWGA53FVM/… via @Sankei_news
⇦ 多様性。
10:23 PM · May 6, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666047254430625793)
Lily2@ituna4011
令和5年6月5日付の神社新報には、元バチカン大使の上野景文氏による記事が掲載された。
多宗教多人種が共存する現代英国社会を反映した新機軸に関しては、お飾りに過ぎない、と断言。
フランスのような政教分離は西欧では特異な少数派で、イデオロギーの突出だけが目立つ。
8:39 PM · Jun 6, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666049052801368065)
Lily2@ituna4011
国教会を擁する国は、デンマーク、フィンランド、アイスランド等。フィンランドはルーテル教会とフィンランド正教会の二つ。 教会税を徴収する国は、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン等西欧十カ国。
8:47 PM · Jun 6, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666050340196851715)
Lily2@ituna4011
イングランドでは、政教一致で国家とプロテスタントが密着している。また、国体の主眼はカトリック教徒排除にある。 日本ならば、天皇即位の儀が、国家行事と神事を分離せず、神官によって一気通貫的に執り行われることを意味する。
以上
8:52 PM · Jun 6, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1666060893720027136)
Lily2@ituna4011
フランスはフランス革命だから。 一方、フランスは カトリック教会の長女 とも呼ばれているらしい。20年ぐらい前に読んだ。
9:34 PM · Jun 6, 2023

(2023年6月7日転載終)
。。。。。。。
オーストラリアの英国国教会司祭のイスラム研究者であるMark Durie先生は、以下のようなエッセーを記していた。

The Coronation of King Charles III:A Christian’s Reflections and Misgivings
12 May 2023
Mark Durie

*Mark Durie is the founding director of the Institute for Spiritual Awareness, a Fellow at the Middle East Forum, and a Senior Research Fellow of the Arthur Jeffery Centre for the Study of Islam at the Melbourne School of Theology.

As a Christian, I have the most mixed of thoughts and feelings about the coronation service which took place on 6 May in Westminster Abbey.
The event was structured as a communion service, including the usual elements of prayers, Bible readings, a sermon, hymns and a final blessing. Woven into that matrix were the specific coronation elements, themselves all deeply Christian.

One of these Christian elements, which framed the whole service, was the theme of the reign of Jesus Christ as King of Kings, juxtaposed with his humble servanthood, culminating in his sacrificial death. This frame was introduced in the initial greeting, when the king was addressed by a child with these words, “Your Majesty, as children of the Kingdom of God we welcome you in the name of the King of Kings”, and the king responded, “In his name, and after his example, I come not to be served, but to serve”, echoing Jesus’ words in Mark 10:45. With these words the king declares his intent to imitate Christ.

Also biblical was the theme of anointing, which ran through the whole service like a golden thread. The word Christ, it must be remembered, means ‘anointed one’. This theme was reflected, not only in the actual anointing with oil of the king and queen, but also in the gospel reading, in which Jesus reads from Isaiah, “The Spirit of the Lord is upon me, because he has anointed me…” (Luke 4:18). In Biblical understanding, prophets, priests and kings were anointed with oil, and it was the act of anointing which appointed the person to their office, but it also signified an impartation of the Holy Spirit – the presence of God – endowing the office bearer with divine power and authority for the task at hand. As the liturgy declared, it is no human hand, but God himself who “consecrated” Charles to be king.

The acclamations in the service of “God save the King”, “May the King live forever”, are also Biblical echoes, as is the national anthem “God save our gracious King!” which is a prayer, and an act of Christian worship, affirming that, as powerful as a king may be, his success is dependent upon God’s favour.

The coronation was constructed as a public enactment of a Biblical covenant between God and the monarch, during which King Charles made a series of solemn commitments to God, including to uphold the Protestant reformed faith as established in England. When he was presented with his ring, the Archbishop of Canterbury said to him, “Receive this Ring, a symbol of royal dignity, and a sign of the covenant sworn this day between God and King, King and people”.

Note the twofold covenants: between God and king, and between king and people. In effect, from a Biblical and Christian perspective, the service was not only a covenant between God and King, but also between God and nation, as on the one hand the king promised as a self-confessed follower of Jesus Christ to guide his nation on Christ’s behalf and in accordance with Christ’s agenda, and on the other hand the nation promised to support and honour the King as one set apart by God for his God-given task.

As I watched celebration of power subordinated to service unfold, I was struck by how profoundly Biblical it all was, formed over centuries by Christian understandings of God’s holiness and sovereignty. None of it was uniquely Protestant: the English tradition of Christian coronations commenced centuries before the Reformation.

If you disbelieve in the Christian message, all this might leave you cold. It might seem ridiculous. It would surely seem but empty pageantry: an eccentric, if splendid, spectacle reflecting pride and pomp. No doubt many disbelievers who watched it all unfold were incited to the republican cause.
On the other hand, if you believe, as I do, then the ceremony is both very meaningful in a way that is true, and it must be seen as spiritually binding for Charles, and indeed for his nation. If Christ is indeed King of Kings, and ruler of the universe, then to promise him service, in such an elaborate, public and explicit way, is to bind oneself irrevocably to Christ’s example, his cause and his authority. This was the whole point of the liturgy: to put the king in his place as a servant of Jesus. Generations past thought it good for the nation to dedicate sovereigns to this calling.

This is not an arrangement to enter into lightly. Based on these promises, a God who actually exists – far from being, as the atheist may believe, a figment of the imagination – would expect faithful obedience from a king. The Bible’s understanding of such covenantal agreements is that they come with blessings to those who keep faith, and curses for those who do not, so making such promises is a solemn and potentially dangerous act.

As I watched and pondered on all this, two dissonant misgivings preyed on my thoughts. One is that King Charles’ power is not actual, but symbolic and ceremonial. Well may he “reign over us” but he does not actually rule. That prerogative belongs to Parliament and its ministers.

The King has, on behalf of his nation, made most solemn promises to God to be a servant to all, but he does not hold in his own hands the power to fulfill these promises. The vows he made are inherited from an ancient ceremony, and drawn from another era, when sovereigns did actually reign, and the nation was united in professing the Christian faith. Is it prudent to make promises to an almighty God which one does not have have power to keep? How, for example, is Charles in a position to defend the faith of the Church of England?

In reality, King Charles does not rule, even over the Church of England, despite being known as the head of that church and the “defender” of its faith. If the King of England ruled over the Church of England, he would appoint its bishops, but he only does so in name only, without any power of choice.

English bishops are appointed in a complex process involving a series of church committees. At the end of this process, two names are forwarded to the prime minister, who choses one. The convention is that the prime ministry will appoint the first nominee on the list of two given to him; the last prime minister to opt for the second name was Margaret Thatcher.

If the nominee then indicates their acceptance, the prime minister informs the king, who formally nominates the prime minister’s choice.

In the search and selection process the hierarchy of the church plays an influential role, especially the Archbishops and bishops, and those clergy and lay people who are involved in General Synod. But in the end, the real power to appoint the bishops of the Church of England – and everyone involved in the process knows this – lies in the hands of the prime minister. At present, this Prime Minister Rishi Sunak, a Hindu.

This complex system has in recent times delivered to the Church of England a majority of theologically liberal bishops. English bishops are, are on the whole, more liberal than both the clergy and the laity. This was apparent in recent voting at Church of England General Synod earlier this year, in which 90% of Bishops supported blessing of same-sex unions, but only 57% of clergy and 53% of the laity. These figures beg the question of whether Church of England worshippers are getting the bishops they need, or the ones the hierarchy wants.

No matter how passionate the King may be in defending the “protestant reformed faith” of the Church of England, which he is required by English law to profess and defend, the key decisions shaping the future of the Church of England are in the hands of others.

It troubled me, as a far-off observer, that the King has made solemn oaths which it is not in his power to fulfill. It bothered me too that the nation as a whole, including the Church’s leaders, has stood by as witnesses to these promises. And what does it signify that a Hindu Prime Minister was declaiming the words from Paul’s letter to the Colossians, which state that Jesus Christ stands over all political powers and authorities, for they were all created by him and for him?

My second misgiving concerned the office of the Archbishop of Canterbury, who, as the senior bishop of the Church of England has, from ancient times, presided over this service, anointing kings and queens, and administering their coronation vows.

As I watched the coronation I was reflecting that, just a few weeks past, a global gathering of church leaders representing an estimated 85% of the world’s Anglicans resolved to reject the leadership of the Archbishop of Canterbury. The Anglican Communion had previously accepted the unelected headship of the Archbishop of Canterbury as – who was himself appointed, it must be remembered, by the British Prime Minister of the day – but now it is in revolt against an ecclesiastical hierarchy which they claim no longer meet the needs of Anglicans. There was something troubling about someone whose leadership has been rejected by the majority of global Anglicans administering solemn coronation vows which King Charles has no real power to fulfill.

I was of two minds watching the magnificent spectacle of the coronation. On the one hand I was attracted to the theological vision which informed the king’s oaths, of a nation and its sovereign under the lordship of Jesus Christ, pursuing justice and love in accordance with the guidance of holy scriptures, and of a king bound to serve his people. This is a truly splendid, and for me heart-warming vision, and it was made manifest in the midst of beautiful acts of worship.

Yet at the same time the whole enterprise seems spiritually perilous, for both king and country. As a believer, I wonder how God sees these human enactments, formally designed to honour him in holy covenant, but not backed by real power. Will God look with favour on the coronation ceremony as a heartfelt prayer, made on behalf of a nation by its spiritual leaders, to be faithful to a Biblical vision of a nation under God, and respond by bringing his blessings upon a grateful people? (I write as a believer.) Or did this ceremony represent a hollowed out remnant of past convictions, no longer widely held, and even ridiculed by people inhabiting a secular, post-covenantal society? Did it subject King Charles to impossible vows, which only others – elected and appointed representatives of the people – have the the real power to fulfill, whether for the nation of the church?

I believe King Charles is a person of prayer, as his mother, Queen Elizabeth, undoubtedly was. That is good, for he will need the supernatural anointing of the Holy Spirit, which his coronation called down upon him, to live out the grand vision this ancient service promised. I hope – indeed I pray – that God will honour and bless King Charles, as he seeks to be true to these profound vows. May God indeed save the King!

(End)

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ヒラリー・ハーンのイザイ

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/
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2023年6月3日投稿
Ysaÿe: 6 Sonatas for Violin Solo, Op. 27 / Sonata No. 2 in A Minor – I. Obsession. Prèlude
Hilary Hahn

7月14日の発売が楽しみ。買いますよ、絶対に。
ヒラリーさんらしくメリハリがはっきりした演奏で、聴き応え満点。

6月7日コメント:

T・S:面白い演奏家を教えてくだすってありがとうごぞいます。イザイは僕にはわからないなー。シャコンヌを聴きましたがしっとりと素敵な演奏、気に入りました。

ユーリ:S様、ありがとうございます。シャコンヌ、本当に素晴らしいですね。25年ぐらい前、千住真理子さんがNHKテレビで、イザイ弾きと呼ばれたい、等と放言され、実際の演奏では顰蹙を買っていました。CDでも、よく発売したな、という出来栄え。あの頃から、日本人のクラシック耳は随分肥えた、と思います。

T・S:Apple Musicで発売前のアルバムの一曲が聴けたのですが、イザイは難しいです〜 弾くのもでしょうが、聴くのも(笑)

ユーリ:慣れないうちは、そうかもしれませんね?私のイザイとの出会いは、25年前の千住さんでした。何だか難しそうに弾いているのに、言葉だけは美しく飾っていて、酷い経験でした。千住さん、無理しなくてもよかったのに、です。あの頃から、NHKは劣化が始まっていました。

(2023年6月7日転載終)
。。。。。。。
1998年12月の神戸での千住真理子さんの「イザイ・リサイタル」を一人で聴きに行ったことは、今でも記憶に鮮明だ。

その2ヶ月ぐらい前、まだ30代だった主人が若年性パーキンソン病の診断を下されて、物凄く落ち込んでいた頃だった。
「左手くんが動きにくい」と言い出し、あちこちの病院で調べてもらっても「疲れじゃないか?」「パーキンソンなら両方から始まる」等と、誤診に次ぐ誤診で、たらい回しされていた挙句のことだった。

結婚後一年という時期だったため、相当にショックだったのは私も同じだった。だが、進行性ならば時間を無駄にはできない、と思い、ひたすら気分転換を図る気持ちで、その頃NHKテレビに頻繁に出演されていた千住真理子さんの話をして、何とか気晴らしをするよう努めていた。

あまり意味がなかったかもしれないが、そうでもしなければ、二人で病気と仕事のことだけで視野狭窄になり、精神的にもよろしくなかったと思う。無理やりにでも気持ちを引き立てる上では、私が好きなクラシック音楽が効果的なのでは、という自然な流れになり、そのうちに何と、神戸の演奏会を見つけた主人が、いつの間にか「チケットぴあ」に電話して、チケット一枚を購入してくれたのだった。

5歳から23歳まで音楽学校に通ってピアノを習っていた私よりも、1990年代初期の2年間、留学先のボストンで超一流の生のクラシック音楽に触れていた主人の方が、不思議なことにチケット購入は堂々としていた。「千住真理子、イザイ・リサイタル、一枚」と、余裕しゃくしゃくで注文していた。

その千住さんが、「難しい曲だからイザイを弾くのではないんです。イザイが好きだから弾くんです」とか何とか、テレビでわけのわからない発言をしていたのが腑に落ちず、思わず、N響の第二ヴァイオリニストの根津昭義先生にメールで問い合わせをした。

根津先生のお返事は、「そんな寝ぼけた発言を公共の電波で許す放送局も、かなり問題ありです」と同意され、「誰のことかはわかりませんが、大体、わかります」とのこと。「これ以上書くと、自分に返ってきますので」と、用心深い慎重な回答で〆となった。

その後、神戸の演奏会に出かけたところ、無伴奏なので一人舞台だったが、途中で弦が切れて止まってしまい、何とも不完全燃焼の演奏会となった。

それからは、一度も千住さんの演奏会に行ったことはない。これが生演奏の恐ろしいところだが、プロの演奏家ならば、第一印象で全部が決まってしまうことは、仕方のないことだ。

何とも弾きにくそうな演奏ぶりで、はっきり言えば、力量と合っていなかった。記念に買ったCDを聴いただけでも、何を伝えたいのかわからない弾き方だ。難曲だということはわかるが、もっと弾き込み、自分の手の内に入ってから録音して(修正を加えて)販売するものではないだろうか?と言いたくもなる。

それからしばらくして、名前は失念したが、欧州の著名な演奏家のイザイをラジオか何かで聴く機会があり、初めて(こういう曲なのか)(こういうテンポで弾くのか)と納得がいった。

教訓:パンフレットやプログラムを見て、直観的に(聴きたい!)と本心で思った演奏会には、決してチケット代をケチらず、時間をこじ開けてでも聴ける時には聴いた方がよい。感じたままを素直に記憶に留め、その感動を繋げていく経験が人生では大切だ。人気の有無ではなく、仮に自分にとって多少背伸びすることになったとしても、本当に一流の演奏家に触れることは、絶対に必要だ。

(2023年6月7日記)
。。。。。。。。
久しぶりに千住さんの話題が出たので、千住さんに関する引用の過去ブログ一覧を。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070925)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071012)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080923)
《クレーメル氏をこの目で拝見できて、実に忘れがたい日です。と思ったら、二回のカーテンコールの後でアンコール。イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタOp.27より第5番ト長調。3分ぐらいの、これも枯淡の域に達した演奏でした。こちらは、ピチカートの多い初めて聴く曲。(後注:実は、自宅にある千住真理子さんのCDに入っていました。でも、申し訳ないけれど、10年ぐらい前の千住さん、「イザイ弾きと呼ばれたい」と書いていた割には、リサイタルではミスの多い演奏だったんですもん。それ以来、ラジオを除いてイザイを聴かなくなってしまいました。)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20130211)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20131007)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150225)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20181218)

(2023年6月7日記)
…………….
2023年6月10日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667265575041798144)
Lily2@ituna4011
早速出ました。楽しみです! ところで、先日の西宮でのホールにおける7年ぶりの生演奏、今も耳に木霊しています。
5:21 AM · Jun 10, 2023

(2023年6月10日転載)
…………
2023年7月14日追記

今日発売予定のイザイのCD、早速注文しました!

英語の興味深いインタビューを以下に転載いたします。

(https://www.violinist.com/blog/laurie/20237/29684/?fbclid=IwAR2KKYqv49Xxq93qjMxTMqd8cMfi4T-vBHuWvX9aX-gcypoSnfmkYhwO8w4)

Laurie Niles
Interview with Hilary Hahn: 100 Years of the Ysaÿe Sonatas

10 July 2023

Violin-playing today owes a lot to one important man of yesterday: Eugène Ysaÿe – who lived from 1858 to 1931.

For one, he wrote the Six Sonatas for solo violin – beautiful and groundbreaking pieces that follow in the footsteps of Bach’s Sonatas and Partitas. But also, there is the direct teaching lineage that so many people can claim to Ysaÿe, who taught Joseph Gingold, William Primrose, Matthieu Crickboom, Oscar Shumsky, Nathan Milstein, Jascha Brodsky and Louis Persinger, among others. Ysaÿe’s pedagogy is connected to anyone whose teachers descend from that line, and there are a great many. (Even I can make the connection – several of my teachers were proteges of Gingold.)

Hilary Hahn has always treasured the direct musical lineage she had through her teacher at the Curtis Institute. When she realized last October that the Six Sonatas were coming up for their 100th anniversary in 2023, she felt a sudden compulsion to do something about it.

“These pieces are iconic, generation-defining, and a beautiful celebration of the instrument. Could I find some way to mark their centenary?” she said. “My concert schedule was completely full. There was one other possibility, but it would be a massive undertaking: recording this opus.”

That’s how Hilary came to record the entire set in a creative whirlwind that lasted for the next seven weeks – recording them in chronological order, in between concert tours. That recording, Eugène Ysaÿe’s Six Sonatas for Violin Solo, Op. 27, officially will be released this Friday.

Last month I spoke with Hilary about this breathtaking project, her connection to Ysaÿe, and Ysaÿe’s connection to all violinists.

“I’ve always put a lot of value in being ‘one-generation-removed’ from a man who was born in the 1850s and was hugely influential,” Hilary said, “I take great pride in being a ‘musical grandchild’ of Ysaÿe.”

That said, when it comes to the Sonatas, the influence a little more indirect – Hilary did not study them all with her teacher. “I taught myself all of them, except for number six,” she said. “Number six, I learned while I was still a student; the rest I taught myself after graduating. So it’s music that is in my soul, in my musical DNA, but I don’t have particular pedagogical stories about it.”

When it comes to repertoire for violinists, the Ysaÿe Sonatas are a solid part of the canon. “You learn the Bach as a younger student, and then you add the Ysaÿe for some variety, to learn some slightly different techniques,” Hilary said.

It is clear that Ysaÿe was inspired by Bach’s Sonatas and Partitas. “The seed of the project for him came from a performance by (Joseph) Szigeti, who was playing Bach,” Hilary said. “I don’t think Ysaÿe intended for it to be the series of six it became – he probably discovered more ideas and just kept writing.”

The sheer audacity of Ysaÿe’s Six Sonatas is part of its charm and challenge. Not everyone would take on the task of writing a follow-up to Bach’s works for solo violin, but “Ysaÿe heard his colleague playing Bach and thought, ‘Hmmm, this could use an update, let me modernize this. How about six-note chords on a four stringed instrument?'” Hilary laughed, “And he did it!

A composer who wasn’t violinist – or who wasn’t a violinist at Ysaÿe’s proficiency level – simply would not have been able to find the possibilities that Ysaÿe did. “In these pieces there is an informality and also an exuberance,” Hilary said. “The way he writes through the expressive freedoms – it’s from a very deep knowledge of the instrument. Where other composers hit a roadblock, he sees a path. Or he just bursts right through the wall – as if saying, ‘Oh, this is not made of brick, this is made of Styrofoam!'”

“So it’s this niche, but super-important set of pieces for a violinist,” she said.

Ysaÿe also wrote the Sonatas with particular violinists in mind – dedicating each one of them to a violinist who was his contemporary. Of course, he dedicated the first to Joseph Szigeti, who inspired the entire project. Then he dedicated the second to Jacques Thibaud, third to George Enescu, fourth to Fritz Kreisler, fifth to Mathieu Crickboom and sixth to Manuel Quiroga.

“You have a lot of inner messages in these pieces, from Ysaÿe to the dedicatee,” Hilary said. “You just sense that there are stories being told, and references – to parties they were at together, or some conversation, or a concert Ysaÿe went to. The closer the dedicatee and composer were, the more personalized and sort of hidden-message-y the piece ended up being. I was really interested in all of those dynamics.”

For Hilary, this recording project generated a series of revelations – about connections to Bach, or to Ysaÿe’s dedicatees, or to other aspects of the music – which deepened her personal relationship with this music.

“The first revelation for me was in the first Sonata,” she said. “I realized that the more I played it like Bach, but like ‘organ Bach’ (she laughs), the more it worked. It’s a little choppy if you play it like ‘violin Bach,'” Hilary said. “But if you look at the (first-movement) Grave as something you might hear in a meander-y organ improvisation, with some powerful jolts,” then it works. Making that connection to Bach’s organ music gave her a perspective on “how Ysaÿe takes an influence and distills it,” and that served as a basis for connecting to the rest of the sonatas. The Fugato in the first sonata “is very much a combination of references to the three Bach fugues in the Sonatas and Partitas, and to Bach’s organ music.”

“I love Sonata No. 2 for so many reasons,” Hilary said. Sonata 2, called “Obsession,” begins with a quote from the Preludio from Bach’s Partita No. 3. “So there’s clearly the Bach reference, but I also love the idea that it’s a reflection of how Thibaud (its dedicatee) practiced,” she said. “He would just practice these little blips – he would play a little bit of this, a little bit of that… And Ysaÿe knew this, and so he wrote that first movement as such.”

“And then in many places, Ysaÿe is juxtaposing different messaging,” Hilary said. “There is the Dies irae in the second Sonata, and that whole Sonata is connected to Bach as well.” The Dies irae is musical sequence that relates to the Day of Wrath, from the Catholic Requiem Mass. But “it’s also a mood cue in a lot of repertoire from around (Ysaÿe’s) era,” she said.

Of course, Bach was deeply religious and served the Lutheran church for most of his professional musical life. “There are elements of Bach chorales in that Sonata that are hymns – the old Lutheran hymns,” she said. Hilary grew up going to the Lutheran church, singing from the old hymnal, and as she was recording, she kept associating the music with a certain hymn. “I wouldn’t want to say for sure that it is that hymn, but for me, the message in that hymn is the total opposite of the message of the Dies irae, and it’s immediately juxtaposed inside this sonata,” she said. “For me, that was a moment of feeling even more at home in the music, like there are insights that I can also access that are personal to me, even though the music wasn’t dedicated to me. That was a beautiful realization: that I had some insight that I didn’t even know lived in me. And I don’t know if it’s an insight into Ysaÿe or just an insight into my relationship with the piece.”

Sonata No. 3 has a little insider message as well. “Enescu’s Third Sonata is the biggest piece by Enescu that you’re likely to play if you’re a violinist – and this is Sonata ‘No. 3,’ of Ysaÿe’s, dedicated to Enescu! It has that sort of same flair and style that you feel when you really get comfortable with Enescu’s writing. So Ysaÿe is just playing with all these inside references.”

But Hilary’s biggest moment of realization came when recording Sonata No. 5, “L’Aurore,” dedicated to Crickboom. It brought her back to a project she did a number of years ago – working with composer Antón García Abril. He wrote her Six Partitas for Solo Violin, which she recorded and released in 2019. “When I was recording Ysaÿe’s Number Five, it felt like everything I’ve learned was coming together, because the García Abril Partitas feel similar to what Number Five feels like.” she said. “The opening of Number Five is pushy and laid back at the same time, and it’s sporadic but also directional, and that’s very much what the García Abril Partitas feel like.”

Those insights held, as she went on to record Ysaÿe’s Sonata No. 6, dedicated to the Spanish violinist Manuel Quiroga.

“When we got to Number Six, I felt like, ‘Oh, I know these rhythms so much better now than I did, back when I first learned this piece’ – because Anton taught me the Spanish rhythms,” she said. The sixth Sonata quotes Spanish folk rhythms – “the same rhythms that Antón was so proud of in his heritage,” she said. “Antón taught me things he didn’t even know he was teaching me, in his sense of rhythm that he was developing, things that I later recognized in the Sixth (Ysaÿe) Sonata.” All those things together helped her develop her own new relationship to that piece, which is the first Ysaÿe Sonata she had ever learned.

“Ysaÿe was living during very pivotal time,” Hilary said. These sonatas were written right before a historical period that brought about music that sounds to us, even today, very radical. “A lot of the composers in his time were experimenting with form, experimenting with where tonality could go, questioning what the role of an individual instrument could be.” And for his part, Bach was also ahead of his time – “Things that he did in the Sonatas and Partitas are more experimental than I’ve seen from many composers today,” Hilary said.

Many of the things we take for granted today when it comes to technical options on the violin, “were still being experimented on and developed as Ysaÿe was growing up,” she said. He lived at a moment when recordings started connecting musicians. Cars were just being invented – now people were starting to have more access to each other. All of the things that kept people apart were becoming less of a barrier.

“Ysaÿe was in the eye of the storm,” Hilary said. “All these ideas were swirling around, and he was somehow in the middle – sort of a hub. If you think about a wheel, there are all these spokes – and he was the hub for so many things that were both past and future.”

“I discovered so much about the pieces that made me fall in love with them all over again – but in a different way,” she said. Recording them “made me understand my own sense of expressiveness even better.”

(End)
…………….
2023年7月15日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2023年7月15日投稿

悪いけど、千住真理子さんとは比較にならない。千住さん、「イザイ弾きと呼ばれたい」なんて、言わない方がよかったのでは?
それに、「シゲティとティボーが憧れで、(死ぬまで)追いかけて終わりたい」とも記録に残る公共の場でおっしゃっていました。あまりそういうことを公言しない方がよかったのではないか、と今でも思います。
ヒラリーさんが奏でると、全く違う曲のように聞こえます。パワフルで、リズム感もアップされ、細かい音もよく響いています。
千住さんが神戸のホールで演奏した1998年12月、「何だか止まりそうな難しそうな曲だなぁ」とハラハラさせられたのですが、本当に弓の糸が指に引っかかって止まってしまいました。
あれ以来、千住さんの演奏は一度も聴いていません。プロの演奏家とは、本当に厳しいものです。
ヒラリーさんのCD、約束通り発売日に注文しました。とっても楽しみにしています!

(2023年7月15日転載終)
。。。。。。。。。
(https://www.npr.org/sections/now-playing/2023/07/14/1187533061/hilary-hahn-sonata-no-3-ballade)

Hilary Hahn, ‘Sonata No. 3, Ballade’
The intrepid violinist undertakes some of the most challenging solo violin music
14 July 2023
by Tom Huizenga

In the classical violin world, there are three great mountains to climb for the solo fiddler: J.S. Bach’s six Sonatas and Partitas, from 1720; Paganini’s 24 Caprices, completed in 1817; and the Six Sonatas by the Belgian master Eugéne Ysaÿe, who was busy composing them exactly 100 years ago.

To mark the centenary, Hilary Hahn has trekked to the peak, releasing a new album of all six of Ysaÿe’s thorny works, each with a distinct personality, each reaching treacherous and sublime heights. Ysaÿe is credited with ushering in the modern mode of violin playing that emphasized virtuosity (but not empty exhibitionism), bold sounds and free-wheeling imagination.

All of that is rigorously packed into the Third Sonata, subtitled “Ballade.” Just getting to all the notes is a major feat, but Hahn, with a big, burgundy tone and pinpoint accuracy, finds a narrative arc amid the composer’s thicket of double stops and broadly colored harmonies. The piece opens with a sober plea, rising upward, braking suddenly, as if delivering a warning. A jagged theme emerges, worked out in passages calm as a whisper or turbulent as a gale force cri de coeur. Ysaÿe closes with a daredevil finish that would make Paganini tremble.

While the music was once considered mainly grist for violin geeks, over the decades Ysaÿe’s sonatas have slowly secured a foothold in the repertoire. Hahn’s new performances guarantee the fascination with these beautiful, inscrutable pieces will not soon fade.

(End)
……………..
2023年7月21日追記

「作曲から100周年にあたる今年、孫弟子にあたるハーンが待望の全曲録音!」
というプロモーション・メールを受信しました。

そうなんです。ヒラリー・ハンちゃんは、イザイの「孫弟子」さんなのでした。

実に戦略的なやり方ですね。

(2023年7月21日記)

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思い出は遥か彼方に

2008-10-18 ただ今、人生の第二楽章?

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20081018

《来年1月には、ヒラリー・ハーンと庄司紗矢香さんのヴァイオリン・リサイタルに行きます。チケットが届きました。同じ週に二回も演奏会となると、今年の5月から6月にかけてのように忙しくなります》

2009-01-12 読書リストと演奏会の予定

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090112

《今日はこれから、主人と一緒に西宮に出掛け、ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルを堪能する予定です。知らない曲目も入っているので、これまた楽しみです。主人は、ヒラリー・ハーンが好きなようで、前から「これ、行こうよ」と言い出しては私に却下されていました。》

2009-01-13 ヒラリー・ハーンのリサイタル(1)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090113

《さすがは世界中で評価が高い方だけあって、目に強い力がこもった愛らしい顔立ちでありながらも、非常にゆったりと落ち着いて安定感のある温かく深い演奏でした。パフォーマンスばやりの昨今ですが、それとは全く対照的に、わくわくした高揚感や体内で音が跳ね返るような感覚というのではなく、静かに耳の奥でいつまでも音色が繰り返し響いているような体験を与えてくださった演奏会だったと思います。
衣装がまた気品にあふれていて、舞台の上では髪の色と同色に映るような、茶色のシンプルなオーソドックス・スタイル。太めの同色のリボンをウエストの右前で蝶結び。フレアースカート全体にちりばめられたラメ入り刺繍のような模様飾りが、照明に当たってキラキラ輝くすてきなドレス。彼女のCDジャケットは、正直なところ、あまり好きではなかったのですが、これなら、年齢的にも雰囲気の上でもよく合っているのではないか、と思いました。》
《サインをいただく番が来ました。アシスタントの日本人女性が、「お二人のサインですか、一人ですか」とわざわざ尋ねられたので、思わず、「お二人です」と、ピアニストにはプログラムを、ヒラリー・ハーンさんにはバーバーと彼女のために作曲されたエドガー・メイヤーの協奏曲(世界初録音)が入ったCDのご本人の解説欄(日本語訳)を、と差し出したつもりでした。ところが、気づいた時には….
どうしてそういう成り行きになったのか、手がすべってしまったのか、ピアニストのヴァレンティーナ・リシッツアさんが、見かけによらず、とてもかわいらしい細く高い声で、うれしさ満面の笑みをたたえながら“Thank you!”と、ヒラリー・ハーン自身による解説書の方に、自分の名前を書いてしまったのです。(あら!)と思った時には、後の祭り。隣に座っていたヒラリー・ハーンさんに、言葉を交わす余裕も失せてしまい、慌てて、後ろの白紙ページにサインをいただき、“Thank you very much”と言うのが精一杯。
じっと顔を上げてまなざされましたが、普段の私だったら、そこで何かお礼を述べていたのになあ。》

2009-01-14 ヒラリー・ハーンのリサイタル(2)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090114

《何年か前の夕方のFMラジオで、ヒラリー・ハーンの協奏曲を中継していた時、ゲストの日本人音楽評論家が、「彼女はとても愛らしい容貌だが、とにかく練習の虫で、完璧主義だ」と言っていたのを思い出します。演奏旅行でも、ホテルの部屋に荷物を置いた途端、練習を始めるのだそうです。》

2009-01-20 若い音楽家の人生から学ぶ

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090120

《ここまで、ヒラリー・ハーンさんに1月12日の演奏会で紹介していただいたアイヴズのヴァイオリン・ソナタを聴きながら書きました。週末に、主人が購入してくれたものです。》

2009-01-23 いずみホールでのリサイタル(2)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090123

《「16歳になったとき、私が師事していたヤッシャ・ブロツキー先生から、シベリウスを勉強する時期がきたと言われました」
「何カ月か練習し、何度か予備コンサートで演奏したあと、私はシベリウスの協奏曲をオーケストラとの長期ヨーロッパ・ツアーにもっていきました」
「そして数年間折にふれ演奏したあと―自分がいつもそうするように―しばらくこの曲から遠ざかりました」》

2009-01-30 風邪ひきの効用

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090130

《ヒラリー・ハーンがネット公開のジャーナルで、おもしろい観察を書いていました。私が行った演奏会のちょうど一週間後、日本のある場所での演奏会では、聴衆の3割かが皆メディカル・マスクをしていたこと、中には非常に用心深く、ティッシュかハンカチを当てて遠慮深く咳をしていた人もいたらしいこと》

2009-06-15 音楽と騒音

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090615

《シュポアの名を知ることができたのは、ヒラリー・ハーンのおかげです。彼女が、「シュポアが演奏されないのは、演奏家が演奏しないからです」と発言しているのをどこかで読み、それなら聴いてみたいものだと願っていました。それから数ヶ月たったのですが、確かに懐かしい印象のある美しいヴァイオリン曲がたくさんあることを知りました。よい演奏家が紹介してくださらないと、一般には知られずに埋もれたままの曲が、世の中には多いのかもしれません。ありがとう、ヒラリー・ハーン!》

2010-01-14 誰からも学べる円満の秘訣

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100114

《サロネン指揮、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲およびシベリウスの交響曲第2番など、もうチケットも購入してあります。》

2010-05-31 5月の終わりに

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100531

《特筆すべき出来事としては、5月29日のヒラリー・ハーンをソリストに招いてのサロネン指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏会。
兵庫県立芸術文化センターの大ホールで初めてヒラリー・ハーンを堪能したのが2009年1月12日(参照:2009年1月13日・14日付「ユーリの部屋」)。この時はリサイタルで、ピアニストはウクライナ出身のヴァレンティーナ・リシッツァでした。ですから、同じホールでのご面会は、これで二度目ということになります。彼女の来日はこれで7回目ということなので、恵まれた出会いだとも言えます。(5回目の来日の広告を見て、主人が「安い席でもいいから行きたい」と言ったのを私が却下したことが、今更ながら悔やまれます。もっとも、NHK-FMラジオでは、東京での来日公演を聴いていましたが。)
ヴァレンティーナ・リシッツァとは、お互いにすばらしい音楽の才能を有していながらも、相性が今一つではないか、と当時は感じたのですが、どうやら、ヒラリー・ハーンとはペアを組んで海外演奏旅行を続けている仲だそうです。》
《今日は一日中、ヒラリー・ハーンの英語インタビューを読んだり、彼女が「観客獲得のためではなく」と断りながら、個人としての楽しみで開設しているというYou Tubeの「ヒラリー・ハーン・ビデオ」を覗いたり、ヴァイオリン・ケースが語るという設定のTwitterを見たりして過ごしました。》

2010-06-01 サロネン&ヒラリー・ハーン演奏会

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100601

《ヒラリー・ハーンの場合は、コンチェルトのCDで、曲の組み合わせ方がおもしろいと思います。他の人とは一風変わっていて、私にとっては、片方は知っていても、もう片方は彼女に紹介してもらって聴く、という形になります。これはいいことで、昨年も、彼女のおかげで、アイヴズやシュポアなどの作曲家を知ることができたのです。あの後、早速、曲を探し出してHDDに録音し、時々は演奏会のことを思い出しながら聴いていました。》

2010-06-02 ヒラリー・ハーンの演奏とサイン会

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100602

《4日に一度の割合で演奏会のためにあちらこちらを移動し、ホテルに到着するとすぐに練習を始め、同時に彼女のために書かれた新譜なども勉強し、リハーサルはもちろん必須。生演奏ではほぼ完璧に手を抜かず、しかも、聴きに来た観客との出会いが好きだといって、どこでもサイン会に気さくに応じる。当然のことながら、合間にCD録音や舞台衣装作りもあるでしょう。CDのジャケットや演奏会のパンフレットやちらし用の写真撮影も、小菅優さんの著作によれば、こちらが想像する以上に一日がかりなのだそうです。》

2010-06-03 ヒラリー・ハーンの演奏会の後に

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100603

《ヒラリーさんも、3歳ぐらいのほんの幼い時に、ヴァイオリン演奏の様子をお父さんに連れて行ってもらい、「お前のやりたいことはこれかい?」と尋ねられて、「そうよ(sure)」ときっぱり。さすがは、16歳で大学の学位取得に必要な単位をすべて修得してしまったものの、19歳まで自発的に卒業を伸ばしたという才媛だけあります。ただし、「私のヴァイオリンのために、両親は人生を犠牲にした」とも、英語インタビューで述べていました。確かに、小学校低学年以降は、一般学校に通うのではなく、ホーム・スクーリングで勉強したようです。メガネ顔の写真もあり、単に天才肌というのではなく、相当、勉強も頑張り屋さんなのでしょう。》

2010-07-24 猛暑の中で….

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100724

《ヒラリー・ハーンのツィッターで(http://twitter.com/violincase)、「仕事、仕事」「暑い、暑い」「練習、練習」と書いてあるのに励まされ》

2010-11-06 庄司紗矢香&カシオーリの演奏会

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101106

《ただ今入ったばかりのヒラリー・ハーンのドイツでのインタビュー、とてもおもしろいですよ(http://www.ndr.de/fernsehen/sendungen/das/media/dasx939.html)。彼女はドイツ系アメリカ人ですが、家ではご両親とドイツ語を話さなかったようです。なぜか、大変わかりやすいドイツ語です。Viel Spaß!》

2011-02-18 旅の後に

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110218

《来月も、ヒラリー・ハーンの演奏会が西宮で開催される予定です(参照:2009年1月13日−1月14日・2010年6月1日−6月3日付「ユーリの部屋」)。》

2011-04-15 希望はどこにあるか

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110415

《昨日は、少し前に録画しておいた『ヒラリー・ハーンのポートレイト』を見ながら、震災前に新しく入った二重システムの本棚(参照:2011年1月10日・2月28日付「ユーリの部屋」)に、畳三畳分に積み上がった資料やファイルの山を整理し直していました。》

2012-04-22 諏訪内晶子&イタマール・ゴラン

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120422

《ヒラリー・ハーンの時も、ロシア出身の女性ピアニストのリシッツァが間違えてサインしてしまったことがあり(参照:2009年1月13日付「ユーリの部屋」)、たかがサイン、されどサインで、何だかいつも、予期せぬハプニングが起こります。》

2012-04-23 諏訪内さんとイタマール・ゴラン氏

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120423

《バルトークのルーマニア舞曲は、人口に膾炙した、短い6曲。しかし、ヒラリー・ハーンも西宮でプログラムに入れていましたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090114)、どの演奏家にとっても、思い入れの深い曲なんでしょうねぇ。》

2013-05-17 ヒラリー・ハーンの演奏会の前座

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20130517

《昨晩は、平日だったにも関わらず、ヒラリー・ハーンのリサイタルに西宮まで行ってきました。このチケットは、昨年12月のマレーシア滞在中に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)、主人が見つけて確保しておいてくれたものです。》

2013-05-21 フェイスブックの効用

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20130521

《現代曲を散りばめたヒラリー・ハーンの演奏会の感想(5月17日)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130517)のブログ》

2015-03-18 餅は餅屋・蛙の子は蛙

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150318

《(本当は、3月1日のヒラリー・ハーンの演奏会について、彼女自身が昨日付で公表したおめでた情報も加えて書く予定だったのだが、どうやらずれ込んでしまいそうだ。とにかく、彼女には本当に幸せになって欲しいと、遠くから願っている。)》

2015-04-19 サロネン&ヒラリー・ハーン

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150419

《ヒラリー・ハーンさんが、3月1日と全く同じ衣装で登場されたが、その後フェイスブックで自ら公表されたように、テレビの画像でもお腹がふくらんでいた。左手の薬指に結婚指輪をはめ、夏にご出産とのこと。
前回までは、まだ初々しい少女らしさが漂っていたのに、今回は、何だか急にむっちりされたし、腕も太くなった感じで(あれ?)と》

2016-06-22 彼我の差違から学ぶ(2)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160622

《ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタル(兵庫県立芸術文化センター)と充実していた。》

(2023年6月5日転載終)
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2016年6月、一緒に西宮の芸文ホールへヒラリーさんのリサイタルに行ったのが最後となった。

この時には、確か向かって右側の3階のバルコニー席だったが、隣の60代ぐらいの女性が「この人、途中でもたれかかってくるのよ」と迷惑そうに私に言った。
「すみません、病気なので….」と謝ったら、即座に「それなら、いいのよ」と許してくださったが、主人は怒って「もう、このホールには来ない」と宣言。
本当にその通りになってしまった。

車椅子の人や補聴器をつけた人も会場には含まれているらしく、ホールの案内係がいつも気を使っていらっしゃる。だが、若年性神経難病で体が途中で傾いてくるのまでは、何とも仕様がない。

もともと、私がクラシック音楽好きだったことがきっかけである。
主人の方は、1990年代初期に2年間、社費留学でボストンにいた頃、ボストン交響楽団の演奏会やタングルウッド音楽祭にまで誘ってくださった方(後に三菱電機株式会社の常務執行役さん)がいらして、それは主人の人生にとって最も輝かしいプライム・タイムだった。その頃の思い出をいつでも繰り返し話していたが、若く優秀なアメリカ人演奏家が来日公演されるなら、何かが現実として何とか繋がるような気がしていたのだろう。

何よりも、広い意味での音楽療法になった上、私にとっては、マレーシア研究で常に鬱屈していた気分を晴らすには、とても得難いチャンスだった。

いい演奏会に行くと、ホールを出る時の聴衆の皆さんの表情が明るく穏やかで、心地よい雰囲気に浸れる。

同じ演奏会場でヒラリー・ハーンさんという同じ演奏家の音楽を共有する時を、2009年1月から2016年6月まで7年間も紡いできたのに、3年前、一人はいなくなってしまった。

(2023年6月5日記)
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こんな時もあった。当時は、2018年9月末の転勤に伴う環境の変化がたたったのか、徐々に会話が成り立たなくなり、本当に毎日、時間がどんどん潰れて行く感じだった。会社ではどんな調子なのだろう、いつまで勤務が許されるのだろうか、新しい土地で知り合いもいないのに、どうしようかと、気が気ではない日々だった。そういう時、過去からの延長であるクラシック演奏家との触れ合いの積み重ねが、自分にとっての大きな支えになっていた。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1135471887843115008)
Lily2@ituna4011
ヒラリーさん、これは舞台衣装なのでしょうか?それにしても、汚い水によく飛び込めるものですね?また西宮の芸文センターにいらしてください。
6:02 PM · Jun 3, 2019

(2023年6月5日転載終)
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2023年6月3日(土)に開かれた兵庫県立芸術文化センター大ホールでの演奏会プログラムを以下に。ピアニストはアンドレアス・ヘフリガ-氏。

早目に家を出たのでスムーズに余裕で到着。1時15分開場だが、着席する前にCD販売を見に行き、先に『SILFRA』(2012年)を購入。今回は4階席の中央右寄りの、舞台を見下ろす席(B席 6000円)を取った。座席に着いて、まず英語で『SILFRA』の解説を読み、次に独逸語で読み、フランス語は飛ばして日本語の翻訳を読んだ。この順番だと、頭に入りやすい。そして、開始前にはちょうど読み終わる、というグッド・タイミング。

午後2時きっかりに客席が静まり、ヒラリーさん達が登場。黒地に金色の大胆な模様が入った上品なドレスで、右肩から床まで流す姿が華やかだった。途中で20分の休憩を挟み、3時48分にはアンコール三曲が終了。サイン会はホール玄関外に並ぶ人がぐるりと二重の列となり、私もその中で1時間立ったまま待っていた。

ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ 第9番イ長調 op.47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ 第10番ト長調 op.96

《アンコール》
J.S.バッハ:パルティータ第2番より「サラバンド」
ワーグナー=リスト:イゾルデの愛の死(ピアニストのソロ)
佐藤聰明:「微風」

(終了)

「クロイツェル」は人口に膾炙した有名な曲だが、パンフレットの説明が初めて知る内容でおもしろかった。「微風」は、確かギドン・クレーメルも、以前どこかで演奏してくださった記憶がある。

買ったCDを自宅で早速聴いてみた。なかなか耳に心地よく、ヒラリーさんらしい選曲と演奏だと感じた。

(2023年6月5日記)
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2023年6月6日追記:ツィッターに応答コメントが連続した。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665710282751213568)
Lily2@ituna4011
そうですね。基本がきっちりしているのに加えて、新しいものにオープンで、おっしゃる通り、柔軟性があります。毎回、新鮮な演奏だと感じます。
10:20 PM · Jun 5, 2023

(2023年6月6日転載終)
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2024年10月6日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1843254191822868687)
Lily2@ituna4011
諏訪内晶子(AKIKO SUWANAI) LIVE1990「ジャコンヌ」(バッハ) https://youtu.be/9EyI0cXxncw?si=SJHdG4KLnPVEwzZr… via
@YouTube
ドレスも髪型も、時代ですね。
8:36 PM · Oct 7, 2024

(2024年10月8日転載終)

Posted in Japanese culture, Violin, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

対照的な人生の明暗

10年以上前は、ヒラリーさんの「violincase」と題されたブログ日記を時々読んでいました。話題の全てについていけたわけではありませんが、物の見方や感じ方、表現力から学んだことは少なくありません。また、フェイスブックでも発信を見ていました。

気が付いたら、最近ではツィッターのフォロワーになっていました。特に「100日練習」プロジェクトで、自宅やホテルその他で、さまざまなパッセージの練習を毎日繰り返す姿に、何だか励まされるような思いがしました。
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(https://twitter.com/violincase/status/1645579551924166657)
Hilary Hahn@violincase
(8/9) I’ll leave you with some thoughts to tide you over: Take care of yourselves and each other. Keep your inner critic constructive, not destructive. Include compassion and creative freedom in your daily musical practice.
9:08 AM · Apr 11, 2023

(2023年6月5日転載)

この助言は、ヒラリーさんの人生訓のようでもあります。「内面の批評を建設的なものに保ちなさい。日々の音楽練習では、共感と創造的な自由を含みなさい。」
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(https://twitter.com/violincase/status/1662757965559136257)
Hilary Hahn@violincase
Anyone else excited for June? Beethoven sonatas 9&10 with Andreas Haefliger:
May 31: Seoul
June: 1 – Daegu
3 – Hyōgō
4 – Nagoya
5 – Tōkyō Opera City Concert Hall
6 – Mito

20- London @wigmore_hall with Kaleidoscope
29 – Taipei: Brahms with the @nyphil& Jaap van Zweden
6:49 PM · May 28, 2023

(2023年6月5日転載)
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ということで、6月3日の土曜日、午後2時開演のリサイタルに行ってきました。西宮の兵庫県立芸術文化センターの大ホールで、ヒラリーさんにとって7年ぶりとのこと。私にとっては、同じ会場で7回目のヒラリーさんの演奏会ということで、3月3日にチケットを入手して楽しみにしていました。本当にこの7年間、ヒラリーさんには二人増え、私は一人を失い、お互いの人生の明暗がはっきりと対照化されたというのか、いろいろありましたねぇ、という….。

ご本人のツィッター発信によれば、今年の5月10日から22日まで、病気のためにサンフランシスコでの演奏会は中止された模様。方やこちらでは、前日の午前中、台風の影響で警報が出ていたので、来日初日にうまく到着できるかどうか、心配でした。

(2023年6月5日記)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1664891990172143616)
Lily2@ituna4011
今、サイン会の長蛇の列に並んでいます。7年ぶりに西宮に来てくださいました。
4:09 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664893078212075520)
Lily2@ituna4011
昨日の警報でキャンセルが危ぶまれたものの、流石はヒラリーさん、晴れ運ですね?
4:13 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664913237475983360)
Lily2@ituna4011
私の番は5時7分。 2012年発行のCDシルフラにサインしていただきました。お礼を英語で述べると、じっと見上げて温かく人なつこい笑顔で
Thank you!
と、返してくださいました。
また来てくださいね!
5:33 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664915029324341248)
Lily2@ituna4011
可愛らしく愛嬌があって気さくな人柄に加えて、アメリカ人らしい合理性と緻密な計算。演奏は冷静かつ、みずみずしく艶やか。練習の虫で、100日練習プログラムをツィッターで公開。 久しぶりの来日公演の初日、幸先よく、大ホールは満席。ブラボー解禁直後、早速出ました。
5:40 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664949077845635072)
Lily2@ituna4011
ヒラリーさん、明日の名古屋は大丈夫でしょうか? 昨日今日あたり、大変だったそうですが。
7:56 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664952163595067392)
Lily2@ituna4011
実は今回のピアニスト氏も音が大き過ぎたように思います。ご自分のアンコール曲の前、日本語で「ピアノの音が大きい」とか何とかおっしゃっていたようなのですが、よく聞き取れませんでした。 強い音を出すピアニストがヒラリーさんの好みなのか、マネージメントのペア調整が下手なのか…..??
8:08 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664981853223174144)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/K3Ks4ejd2cY via@YouTube
☚ ヒラリーさんらしく、メリハリがはっきりした演奏。7月14日の発売が楽しみ。買いますよ、絶対に。
10:06 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664991991783116801)
Lily2@ituna4011
みどりさんの演奏中、二度も弦が切れたのに即座にオケから借りたヴァイオリンで見事に乗り切ったバーンスタインの曲を、最近、ヒラリー・ハーンさんが演奏したそうです。みどりさんを観客にして…..。ヒラリーさんの方が、さらりと涼しい顔で弾き切っていました。
10:46 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665000806897049600)
Lily2@ituna4011
私もそう思います。 ヒラリーさんの場合、どうも組み合わせが今一つのような気がしてならないのですが、そこはプロ中のプロ、ご自分では動じず冷静に伸びやかに演奏されていました。今回は、一楽章の後で、ピアニストに何か話しかけていたので、「もっと抑えて」と注意されたのかもしれません。
11:21 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665001856299581440
Lily2@ituna4011
この映像は、そうですね? 大阪のシンフォニーホールで何度かサインをいただきました。今やすっかり貫禄のあるお年頃になられましたね。日本向けには、いつも同じような話が出てくるのが、残念です。もっと新鮮な感性のはずなのに。
11:25 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665006813736050688)
Lily2@ituna4011
それに相互の日程調整もあるので。ヒラリーさんは西宮の芸文ホールが気に入っているらしく、その場で次の契約を結んでいた時期もありました。ここ数年、コロナでキャンセルになってしまいましたが、今回は7年ぶりということで、満席の大人気でした。若い子もバイオリンケースを背負って来ていました。
11:45 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665009378087272449)
Lily2@ituna4011
芸文ホールの小ホールでは、コロナ期にも小菅優さんや児玉桃さん等、ソロ・リサイタルが開かれましたが、残念ながら、白髪頭ばかりで…..。私でさえ、若い方でしたよ!今回は小学生等も来ていて、本当にヒラリーさんの集客力や戦略には感銘を受けました。演奏には決して手を抜かないのに、凄い!
11:55 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665024934265909249)
Lily2@ituna4011
あのサイン会の後、名古屋へ?凄い体力とバイタリティですね。どうぞくれぐれもご自愛を。
12:57 AM · Jun 4, 2023

(2023年6月5日転載)
。。。。。。。
訂正:

「芸文ホールの小ホール」➡「芸文センターの小ホール」

お詫びして訂正いたします。

(2023年6月5日記)

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ヒラリー・ハーンの映像

ところで我が家では、長らく「ヒラリー・ハンちゃん」と呼んでいました。ギリシャ風のお人形のような小柄なアメリカの少女が、15歳ぐらいの時、欧州の演奏会で難曲を堂々と弾きこなし、アンコールで「バッハ。ジーク。d-moll」と怒ったような緊張感のある声で紹介した様子に、「天才少女」と無責任にもて囃して潰すのでは、と。

その後、アメリカ人らしく合理的で誰にも気さくに振舞い、古典曲とモダンな新曲を組み合わせたユニークな演奏活動と、うまく上昇。よかったな、と思います。
。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1664989727525576706)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/MeyUxbUTVEk via @YouTube
10年以上前、よく見ていました。好きな映像の一つ。 これはスペイン語翻訳版ですが、意味が取れるので助かります。
10:37 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664992183504519175)
Lily2@ituna4011
オリジナル版は2005年に公開されました。
10:47 PM · Jun 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665217717148819462)
Lily2@ituna4011
KlickKlack – 25.05.2022 – Sol Gabetta und Hilary Hahn – BR-KLASSIK https://youtu.be/FE9P6DeQamc via @YouTube
☚ 独逸語ですが、面白い映像です。
1:43 PM · Jun 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665233524037763073)
Lily2@ituna4011
HILARY HAHN – MUSIC, LIFE AND STRINGS by Thomastik-Infeld https://youtu.be/3Gbhnz91Iwc via
@YouTube
☚ こちらも興味深いです。英語でどうぞ。
2:46 PM · Jun 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665249076978536449)
Lily2@ituna4011
14:32から独逸語の話が出てきます。ドイツ系アメリカ人のヒラリーさん、音楽を通して独逸語も学んだそうですが、とってもわかりやすい独逸語です!16:18から日本語も学んだと言っています。日本人の作曲家との関わりからだそうです。
3:48 PM · Jun 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665263923317145601)
Lily2@ituna4011
HILARY HAHN – EVOLUTION OF AN ARTIST
https://youtu.be/hfWWs7slk9c via @YouTube
☚ これも面白い映像です。お勧め。
4:47 PM · Jun 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1665288582368727040)
Lily2@ituna4011
ヒラリー・ハーン、長期休暇を経て生まれた新作『エクリプス』について語る

https://udiscovermusic.jp/classical-features/hilary-hahn-new-album-eclips-interview…

⇦ 興味深いインタビュー。ヒラリーさん、今や二人の娘さんのお母さんです。
6:25 PM · Jun 4, 2023

(2023年6月5日転載終)
。。。。。。。。。
以下にそのインタビュー記事を日本語で。

(https://www.udiscovermusic.jp/classical-features/hilary-hahn-new-album-eclips-interview)

「ヒラリー・ハーン最新インタビュー:長期休暇を経て生まれた新作『エクリプス』について語る」
2022年10月26日
Interviewed & Written By 門岡明弥

21世紀を代表するヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーン。これまでにグラミー賞を3度受賞し、圧倒的な技術・音楽性で人々を魅了してきた彼女だが、2019年よりサバティカル(長期休暇)を取っていた。

そんな休暇に入った直後、新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中で猛威を振るう。
当初は2020年の秋に活動を再開する予定だったところ、感染症の影響で「休暇が予想以上に伸びてしまった」と語るヒラリーは、約2年に渡る長期休暇を経て2022年10月7日に新アルバム『エクリプス』を発売。本アルバムは長期休暇明け初の録音となる。
予定していたプロジェクトや公演がキャンセルになってしまった日々。そのような状況の中でどのように過ごし、何を感じていたのか。音楽人生の節目となるアルバム『エクリプス』を通し、彼女の持つ音楽観や人間性に迫る。門岡明弥さんによるインタビュー。

予定より長引いた休暇を経て得られたもの

――今回長いお休みを取ろうと思ったきっかけを教えてください。

演奏会を始めとした音楽活動は何年も先まで決まっていましたが、やはり日常生活の中でもエキサイティングなことは一杯あって、これまでも約10年ごとに長めのお休みを取るようには心がけていました。
私自身の個人的な関心に思いを馳せて、自身を見つめ直す時間を持つこと。それによって、新しい角度から物事を見られたり、新しい考えやアイデアと出会えたりすることがあるんですよね。そのようなことを見つけ、私自身のこれからの道をクリアにするためにも、今回お休みを取ろうと思いました。

――新型コロナウイルスの影響で、お休みが予定よりも長引いてしまったかと思います。その中で何を感じ、どのようなことに取り組んで過ごされていたのでしょうか。

長期休暇の間は毎週のように友人のコンサートに行きましたし、何かしら文化的なものに関わり続けるようにはしていたのですけれど、やはりコロナ禍になってからは外に足を運ぶことが難しくなってしまって。
ただ、会場に足を運べないからこそ、自分が観客になった立場で音楽とどう向き合うことができるのか。そんなことを意識して音楽と繋がるようにしていました。コロナ禍でも、オンライン配信で聴けるコンサートはたくさんありましたし!
また、その間に自分の国の歴史についても学ぶようになりました。当時はさまざまな社会的問題もあった時期でしたので、この国の成り立ちについて深く知り、考え、その中で今後私がどんなプロジェクトを作り上げていくのか……。そして、私がどんな声を発して、世の中に何を伝えられるのか、この長期休暇を経て見つめ直せたと思っています。

――長期休暇中は、音楽以外のことに触れる機会もありましたか。

いわゆる芸術(アート)と人々がどのように繋がっているか、アートとはそもそも何を目的に存在し、表現しているものなのか。深く探求する楽しさを覚えましたね。
それはもちろん本や映画であったり、SNSや人との会話だったりするのですが、アートそのものの存在意義を考えて生活する中で、そもそも私は「なぜ音楽をやっているのだろう」とふと思ったときがありました。音楽のどんな部分を特に重要だと感じ、演奏しているのか……と言うか。

――ヒラリーさんのような方でも、演奏する理由について立ち止まって考えることがあるのですね。

今までも演奏することは大好きだったけど、「なんのために、なぜ音楽をやっているのか」はイマイチ分かっていなかったんです。しかし、今回実際に演奏ができなかった期間を通して、やはり演奏する場所というのは私にとって非常に心地がいい場所だったことにも気付けました。
考えていることや感情を形にして、自分を伝えること。それができることによって、自分自身が前に進むわけで。そんな自分の内面を表現するために私は演奏していたんだなと、改めて分かりました。私にとって音楽がどんな存在か、そして私自身が演奏する目的や意味についても再発見できた期間だったとも感じています。

異なる3人の作曲家を選んだ理由

――『エクリプス』には、ドヴォルザーク、サラサーテ、ヒナステラの作品が収録されていますね。特にヒナステラのヴァイオリン協奏曲が収録されていたことには驚きました。

まずヒナステラに関しては、本当にある日突然思いついて演奏することに決めました。舞い降りてきた、とでも言うのかな(笑)。
ヒナステラの作品はスタンダードなものから特殊なアレンジが施された作品も多いんですね。パワフルで混沌としたフレーズがありつつも、感情に深く入っていくようなフレーズも存在する、そんな緊張感と解放感のバランスが私に合っていたように感じました。
初めてヒナステラのヴァイオリン協奏曲を聴いたときに、これは私のために書かれた音楽ではないか?と思うほどに感情が入っていったことも覚えています。

――初めて聴いた瞬間から、惹かれる部分があったと。

世の中いろんなことが平行して起きていますよね。素敵なことがあれば気持ち悪い出来事もあるように、ヒナステラの曲の中にもそんな両面が存在していて、それがとてもリアルに感じられて。また、技術的にも素晴らしく魅力的な作品でもあるため、「ヒナステラは天才だ!」と感じて彼の作品に取り組みました。ヒナステラは今後、私の人生とともに歩いていく作曲家であると感じています。
そして、そんな彼の作品を演奏するにあたって、共演するのはどんなオーケストラ、指揮者が合うのだろう……と思ったときに浮かんだのがフランクフルト放送交響楽団、指揮者アンドレス・オロスコ=エストラーダでした。彼らとは長いお付き合いがありましたし、一緒に素晴らしい演奏を追求できるのではないかと思ったのです。

――ドヴォルザークはどのようにして決まったのでしょうか。

私とオーケストラ、アンドレスの強み、それらを3つの円としたときに全てが重なって交わる部分はなんだろうと考えた末に決まったのが、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲だったのです。フランクフルト放送響とアンドレスはドヴォルザークのフレーズ感や色彩感、形式に対してお互いに共通理解を持っています。それを主導するアンドレス自身もまた、ドヴォルザークへの深い理解を持つ方なので、ピッタリだと感じました。
ドヴォルザークの音楽はそう簡単に理解し切れるものではありませんが、それを踏まえたうえで、ドヴォルザークに深い理解を持つ彼らと共にドヴォルザークの音楽を愛し、疑わずに演奏すること。それは私にとって非常に大きな力になると感じ、今回演奏しました。

――サラサーテの作品の中でも、あえて《カルメン幻想曲》を選んだ理由も気になります。

この曲にはヴァイオリンの超絶技巧的なフレーズがたくさん盛り込まれていて、実はずっと前から弾いてみたいと思っていたんです!
今回初めて取り組むにあたって、やはりオペラ《カルメン》をよく知っているオーケストラ、指揮者と一緒に演奏したいと考えていたのですが、アンドレスは指揮者としてこのオペラを何回も指揮していましたし、彼はもともと歌のトレーニングも受けていたので、オペラに対して造詣が深くて。
もちろんオーケストラの皆さんも、カルメンは何回も演奏したことがあったため、作品のことを十分に知っていました。

――実際に音源を聴かせていただいたのですが、言葉がないにも関わらずまるで“歌”を聴いているかのような感覚がありました。

元々はオペラ作品なので、カルメンの女性としての性格であったり、歌い方や歌詞の意味であったり……。歌や言葉の持つ繊細さや音楽性をヴァイオリンで表現できるよう工夫したところも、感じていただけたなら嬉しいです。

時代に合わせて変化する表現の形

――最近ではSNSを活用した発信活動も精力的に行っていると思います。TwoSetViolinのおふたりとフラフープを回しながら演奏する動画も拝見しました。

彼らとは何度か動画でも共演させていただいたことがあったのですが、ある演奏会でゲスト出演する際に、1番盛り上がる企画はなんだろう……とあれこれアイデアを練っていました。そのとき、ふと私が「フラフープを回しながら演奏できるんだけど、あなたたちはできる?」って彼らに言ったら、「できないけど頑張って練習します!」と言ってくれて(笑)。
その結果、一緒にフラフープを回しながらパガニーニの《24のカプリース》を演奏することになりました。

――ヒラリーさんのひとことによって実現した企画だったとは!

チェロだったらさすがにできませんでしたが、ヴァイオリンだからこそできたことだなって(笑)。
それに、TwoSetViolinのふたりは本当に素敵な人達で、世のために何か貢献できないかな?といったことを常に考えているんです。彼らはクラシック音楽の素晴らしさを世界中に教え、広めてくれていると言うか。まるで一般の人をクラシックの世界に招待してくれているようなね。そんな素晴らしい側面を持ったアーティストと一緒だったからこそ、実現した企画だと感じています。

――最後に、今後の展望を教えてください。

まず何よりも、今は『エクリプス』の発売が本当に嬉しくて! 発売日の朝、子ども達が起きる前にストリーミング・プラットフォームを見てみたら、「ああ、自分のアルバムが現実の世界に存在するんだ!」と思って興奮しました。そんな“今”を、まずは大切にしたいと思っています。
しかし、そのうえで『エクリプス』の指揮者であるアンドレスと、今回共演したフランクフルト放送響とは今後も共演する予定がありますし、各地のホールのアーティスティック・チームとも協力して、コンサートよりも大きなものを作り上げることにも力を入れていて。これから実現するさまざまなプロジェクトやコンサートも、とても楽しみです!
音楽には“継続性があるからこそ生まれる何か”があると、私は思います。このような関係を大切にして、これからも演奏を続けていきたいです。

(2023年6月5日無断転載終)
…………
(https://twitter.com/ituna4011/status/1669263046643167234)
Lily2@ituna4011
キリリとした知的で若々しいヒラリーさん、いいインタビューです。
Reiziger in muziek: Hilary Hahn & Buena Vista Social Club (1997) https://youtu.be/iegG1GWNMSs via @YouTube
5:38 PM · Jun 15, 2023
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1669270330941243392)
Lily2@ituna4011
Martha Argerich
Chopin: Piano Concerto No. 1 (1970) https://youtu.be/5V8XazLfPWk via @YouTube
この頃のアルゲリッチさん、一番好きです。
6:07 PM · Jun 15, 2023

(2023年6月17日無断転載終)
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2023年6月18日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1670033571556499456)
Lily2@ituna4011
Hilary Hahn on music, life, food (+ playing Sibelius Concerto with NZSO) https://youtu.be/PuYf-c01Ao0 via @YouTube
演奏が素晴らしく、衣装も北欧の曲に合う水色で、際どくて魅惑的です! 結婚前のヒラリーさんがぞっこんだったシベリウスですから。 インタビューがおもしろい。
8:40 PM · Jun 17, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1670319871815749632)
Lily2@ituna4011
ポット持参で野菜たっぷりの簡単スープを作って健康管理されているのですね? 野菜ジュースと野菜スープの栄養価の比較を述べよ。
3:37 PM · Jun 18, 2023

(2023年6月18日無断転載終)
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2023年6月21日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
ヒラリーさんの曲の解説は、いつでも生き生きとしていておもしろい。
出だしから強烈なメッセージ!
大好きな曲。ヒラリーさんの解釈、いいですね。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671006449810702338)
Lily2@ituna4011
いかにもソヴィエト音楽らしい郷愁の漂う難曲。
1:05 PM · Jun 20, 2023

(2023年6月21日転載終)
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2023年7月8日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1675863428790128647)
Lily2@ituna4011
こういうところが、ヒラリー・ハンちゃん。

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2023年7月2日投稿
Khatia Buniatishvili   “Gymnopédie No.1” by Erik Satie
エリック・サティのこの曲、私も練習したことがありますが、こんなに物憂げな音やテンポの揺らし方はできませんでした。何よりも、彼女の顔の表情が音以上に…..。

(2023年7月8日転載終)
………….
2024年2月29日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

可愛らしい!
カーティス音楽院で勉強されたヒラリーさんが、西宮の芸文ホールに何度も演奏に来られ、毎回、サインをいただいてきた。
大変な努力家であり、発想がみずみずしく、日本に対する好感度が素晴らしい。

(2024年2月29日転載終)

Posted in Japanese culture, Violin, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

ヒラリー・ハーンの演奏会

まずは、興味深いインタビュー記事から。太字はユーリ(Lily)による。

ヒラリーさんの最初の基礎固めをした鈴木バイオリンの鈴木メソード。彼女が日本語を学び、ある意味で日本を特別に感じてくれているのも、信州松本で音楽教育を施された鈴木鎮一氏のおかげである。

鈴木バイオリンの全音楽譜は実家にもあった。三歳年下の妹が私よりも器用だと思った親の勧めにより、バイオリンを習い始めたからだ。私にはなぜか「ピアノだけでよろしい」ということになった。仕方なく、中学から高校にかけて、暇さえあれば鈴木バイオリンのSPレコードを一人で繰り返し聴いていた。

その影響なのかどうか、世界一流のバイオリン演奏家のコンサートやリサイタルのために、25年以上、年に数回はホールへ足を運んでいるのは私の方である。買い求めたCDやパンフレットやプログラムやラジオ・テレビ等からの録音も相当数たまった。

ヒラリーさんがバッハを特別視していることは、私も共感できる。
鈴木バイオリンの二つのバイオリンの合奏曲をレコードで聴いた時が典型的だった。ピアノでも毎日、ハノンの次にバッハを練習すると、学校や家庭内でどんな嫌なことがあっても、すっと落ち着くことができた。このような経験は、成長期において非常に貴重である。

(2023年6月5日記)
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(https://www.violinist.com/blog/laurie/202010/28517/)

Interview with Hilary Hahn: Recording Suzuki Books 1-3 and Returning from Sabbatical
29 October 2020
Laurie Niles

Superstar violinist Hilary Hahn began her great violin journey as an almost-four-year-old Suzuki student who went to Saturday group classes at the Peabody Institute’s Suzuki program in Baltimore.

“That was such a positive situation for me, and I think it’s a good way for anyone to start an instrument,” Hilary told me in an interview last week – the first interview she’s given since emerging from a year-long sabbatical from performing.

During that sabbatical, Hilary’s new recording of the Suzuki Violin School recordings for Books 1, 2 and 3 was released in July by Alfred Music – a release that was met with downright elation in the Suzuki community (a group to which I belong, as a Suzuki teacher of 25+ years — see the bottom of this article for links to get those recordings.) Hilary performed the pieces with a longtime collaborator, pianist Natalie Zhu, and the new recordings make for pleasant listening, whether you are a Suzuki student or not.

“I have very fond memories of the Suzuki group classes, the Suzuki method, and going to the Peabody Prep, as I did when I was a kid for my Saturday group classes,” Hilary said. Not only that, but in her travels as a soloist, she also has encountered Suzuki on many occasions. Once while performing in Sweden, “a Suzuki group from hours away drove to the concert, as their special field trip,” Hilary said. “Beforehand they all played for me, and the parents played with them, as their support orchestra, using all kinds of different instruments. It was so sweet. So I’ve seen examples of Suzuki teaching around the world, and I’ve seen how it fits culturally into different societies. I find it such an interesting, beautiful, global method, that I just really wanted to be part of it again.”

Being invited to record Suzuki Violin Books 1-3 was yet another chance for her to connect with this community. “I still love these pieces that I started with – so these recordings were made with lots of love.” She also felt honored to make the recordings that will become such a part of the lives of students and their families. “I remember what it’s like to be a kid and to listen to recordings as part of your daily routine. For me, it started a habit of listening to music as I was getting ready for bed, as I was falling asleep, as we were in the car, at home. I was thinking of all of the people who would be listening to these recordings, and it was very touching for me to be part of that cycle.”

What exactly is the purpose of these recordings? Listening to recordings was a crucial part of Shinichi Suzuki’s “Mother Tongue” approach to learning an instrument. Following the idea that all children learn to speak their own language, in large part because they are immersed in an environment full of their native language, Suzuki (1898-1998) wanted music students to immerse themselves in the music they were going to learn. That meant listening to that music repeatedly — thus the “Suzuki recordings” were made to help foster a home environment full of music.

That habit of listening to recordings has stayed with Hilary since early childhood. It remains an important part of her preparation process, when she is studying a piece for future performance.

“The first thing I tend to do, when I’m working on a piece that I haven’t played before, is to listen to recordings,” Hilary said. “I listen to get a feel for the scope of the piece, and to experience it as a passive listener, so that I know what I want to provide for the audience as an active performer. And I listen actively as I learn the piece.”

“It’s interesting, when I play new music, I miss having the reference recording,” Hilary said. “So when I play a piece that’s written for me, I create my own listening guide. I record myself practicing, and I listen back.” Creating those recordings for herself allows her to test her ideas about interpretation, phrasing and pacing. “I just can’t hear it all while I’m playing. So instead of simply playing it over and over, I’ll record a practice play-through and listen to it while I’m making dinner or doing something else. I just get it in my ear, so that I know, as a listener, what comes next. The listening exercise is the best way to get the music inside your system.”

Hilary and Natalie recorded the Suzuki Books in July 2019 at Alfred studios in Indianapolis.

Over the years, the International Suzuki Association has been notoriously fastidious about exactly how the pieces in the books are to be played. So I had visions of Hilary having to play the recording sessions in the presence of a large panel of persnickety teacher-types.

“There is, as you say, a large committee in the Suzuki world,” Hilary said, laughing, “and I did not wind up in a room with the whole committee!”

Longtime New York-based Suzuki teacher Allen Lieb was there to answer any questions and represent the committee — Lieb is CEO of the International Suzuki Association.

“I had a lot of questions in the process,” Hilary said. “I would try different things sometimes, and ask, ‘Allen, do you think this would work for the student?’ and he’d say, ‘Um, that was great…’ — always positive, I never got a negative piece of feedback during the whole session. It was very in-the-method, like I was being coached by the terms of the method as I did the session. That also was very enlightening. So he’d say, ‘That was great! But for our students…we’d really like to attain a consistent tempo through all the Twinkle Variations. So we would really love, at some point, if it’s possible and comfortable, to try to aim for a consistent tempo, beat-by-beat.’ That kind of thing. And that was really helpful.”

Hilary also realized that many of the traditions were still with her, all these years later.

“There were a couple of places where I would say, ‘I don’t know why, but I feel like I’m supposed to hold this note…’ and then Allen would say, ‘That’s exactly right!’ The timing in the recordings was so deeply embedded in me, from my subconscious from when I was five years old, that I remembered where you take time.”

Recording in the order of the books, she added new playing elements as the pieces progressed. “I added a little bit of vibrato halfway through Book 1, as a goal or something to start to appreciate; and I started doing slightly different articulations, slightly different phrasing. As we got through Book 3, I was able to take more freedom. And I enjoyed revisiting some of my favorite pieces — those pieces that, as a kid, I looked forward to learning some day.”

What were those?

“The Waltz by Brahms and Humoresque by Dvorak are the two that, as a kid, I listened to and loved so much,” Hilary said. “Also, it was interesting for me was playing the Bach arrangements, because it’s different playing one line and working with piano.”

To keep the piano and violin tracks separate, Hilary and the pianist, Natalie Zhu, recorded in different rooms. “I had headphones on to hear Natalie, and she had headphones on to hear me. I could see her through a window, but we were probably 30 feet away from each other, and I could see just her face.” For that reason, Hilary was grateful that they had worked together often before. “We’ve played together for so many years, and in so many places — she could tell what I was about to do and vice-versa, so it was really nice that we could do that together.

So did she learn anything new about Suzuki? In some ways, she said, it was like “crash course in how the method is structured.”

“It was fascinating to me, as I thinking about the students’ learning trajectory: in Suzuki you have to learn certain things early on that you may not use immediately, but that set you up for later things that you learn,” Hilary said. “You start by learning your A major notes – Twinkle is like a reduced A major scale. And then you learn most of the rhythms you’re going to need, in the Twinkle Variations.” The six Twinkle variations, all with different rhythms, help get your bow technique in order. “In the triplets you learn that not every beat is on a down-bow – but you don’t know you’re learning all this. You also learn syncopations. There are all these different words that go with the variations, and each Suzuki group might have its own take on those words – it can be so personalized.”

“It’s fascinating to me, all the seeds that are planted early on, and that aren’t obvious — they develop later,” she said.

I pointed out that the very first Twinkle variation uses the opening rhythm for the Bach Double – something Suzuki specifically planned with that goal in mind for the student.

“Exactly, that’s the kind of thing I’m talking about!” Hilary said. “You have no idea, when you are playing ‘Taka-Taka-Stop-Stop,’ or in my day, ‘Johnny Had a Hot Dog,’ that it’s anything except for that. But then however many pieces later, you realize, ‘What? I learned that, in my first piece?'”

“Also, I’m so impressed that Dr. Suzuki found pieces that were already in the repertoire that he knew, and he was able to put them together in this developmentally gradual way,” Hilary said. “From the very beginning, you’re playing pieces by composers who lived a long time ago, and if you’re curious, you can look up their music. Of course, it doesn’t cover all of music – it was what he was aware of, culturally, as the leading music of his time. So there are some restrictions in what is represented.”

“When people think about the Suzuki method, they think about things like the ‘rules’ around the method, but in fact, it’s a structure in which so many things can be personalized,” Hilary said. “I’m so impressed by how teachers coordinate with each other for ideas and how they work with students of all ages.”

And the method involves not only a teacher, but it brings in the parent to help, creating a “triangle” of student-teacher-parent.

“Involving a practice coach, which is the third person present in the ‘triangle,’ is so helpful, because then you have this little pod of people moving through this experience together,” she said. “It demands a lot of families, and it’s difficult to put in that time. But the families who are involved in Suzuki are all-involved in it. It’s a whole-family operation! The teacher becomes an extension of both the Suzuki method and the family. As a non-Suzuki trained, non-teacher, that is my perspective. But I’ve observed so much Suzuki, from different angles and different places and different experiences.”

Hilary created the Suzuki recordings a few months before going on a year-long sabbatical, which she started Sept. 1, 2019. Now that her sabbatical is over, what it next?

“Well, that’s a good question! I actually don’t know what’s really happening in my season,” Hilary said. “I’ll just say that it’s weird to come back from a sabbatical where the world of performance looks 100 percent different from how it did when I stopped. In September of 2019, I had no clue what was coming, and I am now experiencing the emotional impact of cancellations, changing schedules — I’m starting to deal with things now that people have unfortunately gotten used to, from March.”

Back in March, Hilary had settled into being a member of the audience for a while. “Until the pandemic started, I was going to events almost every week as a listener or an audience member. All of that stopped for me, so I first experienced the loss of the live arts as an audience member.”

During the beginning of her sabbatical, “I was just processing everything that had happened to me in the past 10 years that I hadn’t really stopped to process,” she said. “The prior sabbatical that I took was 10 years before that, and it was for six months.” This time, with small children, she decided she might need a bit longer. “I think a year allowed me to figure out where I fall in the spectrum of work right now, when I don’t have deadlines coming up. What is my natural engagement with my work, when it’s just for me?”

In January, she had started taking some classes – and then they were cancelled in March. And that’s when those “structures” life truly started changing, in ways that no one could have anticipated.

“It was frustrating, because I had a sort of sabbatical curriculum,” she said, laughing. “But it was interesting, because the process of being forced to change everything about how you structure your day, live your life, and all of the ways you structure your life around your kids going to school, or with the care or work or anything that you have built for your family structure — it’s really a challenge to what you think you know. That was the sabbatical’s purpose, but it happened in a way that I never would have predicted.”

“It gave me a chance to think,” she said. “Since March, I’ve been thinking a lot about the purpose of art and where it falls, when there are other big things happening in the world. How can we hear all of the voices that we’ve been missing, and how can we include people in an art form, without asking them to work for free, when concerts aren’t happening? I’ve seen so much voluntary offering of art at the same time that people aren’t able to work, and it’s challenging to think through. Is the art form serving the artist the way it could be? And what would it look like, if it did? That became the whole point of my sabbatical as soon as April hit. I just dropped everything else, and thought about: What can it look like, if we do things better? I learned so much about my own feelings about the place art can have in society and my own values within art.”

And what is next for Hilary?

While she is feeling the impact of cancellations and the reduction of artistic connection as a performer, she said she also is looking at ideas and formats she would not have previously explored, such as making videos at home, or doing a guest artist teaching residency from a distance.

“I’m commissioning solo repertoire that I can premiere by video, or for a small group of people when I might be able to perform,” she said.
While it’s hard to know which of her planned concerts will happen, she plans to play all the concerts that she is able to do, and “the ones I can’t, I’ll do in some other way,” either rescheduled or reimagined. “And I think people will be seeing some new explorations from me, within the knowledge that I’ve gained over the years and within the projects I started before the pandemic that are now wrapping up post-production.”

In the near future, she will play a number of concerts as “Virtual Artist-in-Residence” for the Philharmonic Society of Orange County, which has also commissioned her to write new cadenzas for Mozart’s Concerto No. 5 for a November 14 performance. “It’s my first commission as a composer, so I’m excited about that!” she said.

If you want to know what Hilary will be doing, she advised keeping an eye on her social media (she’s very active on Instagram, Facebook YouTube and Twitter. “That’s where I’m announcing the things that are coming up for sure. And if there is anything big, we’ll let people know. It’s going to be an exciting, full year, and it’s going to be tailored to what people are experiencing. So I’m really happy to be able to walk that line and incorporate those projects that I’ve been thinking about for long time with this new situation that we are all in.”

“There are ways to learn during this time,” Hilary said. “If I’m looking for the greater purpose – it doesn’t have to be more than five minutes a day – or some kind of new pattern that can lead into that greater purpose, for me that brings hope, and it helps me think beyond the immediate situation and beyond the possible frustration of learning something new.”

(End)
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2023年10月11日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2023年10月11日投稿
妹が鈴木バイオリンで習っていた曲です。この曲を聴く度に、私は小学校低学年の頃の雨降りの日を思い出します。
イスラエル・フィルの音色は深く、重厚性があります。一度でも生演奏を聴いたら、忘れられません。

(転載終)

Posted in Japanese culture, Piano, Violin, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment