女パターナリズム

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671815279368876032)
Lily2@ituna4011
女性管理職増やすなら、「優しさの勘違い」正すべし – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXMZO76160710W4A820C1000000/…
⇦ 女パターナリズム。
6:39 PM · Jun 22, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671761457296584707)
Lily2@ituna4011
私の経験では、男性医師よりも女性医師、しかも私より若そうな女性医師の方が大学病院で偉そうに振る舞っていた。靴を半脱ぎにして、足を開いて座って診察したり、等。 パターナリズムは女性医師の方が強い、と思う。男に伍して働くと、女男みたいになるよ。 マターナリズムと呼ぶ?
3:06 PM · Jun 22, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671763344674668544)
Lily2@ituna4011
あ、違った! 女版パターナリズムだ。 靴を半脱ぎのまま、足開いて診察するの、やめてほしい。特に男性患者に対して。 一般教養と一般常識に欠ける女性医師ほど、使えない医者はない。
3:13 PM · Jun 22, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1672148642311049216)
Lily2@ituna4011
足開いて診察する女医は、もともと育ちが悪い、らしい。 神経内科医ですよ! 専門医資格、剥奪予備軍?
4:44 PM · Jun 23, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1672232390507532288)
Lily2@ituna4011
そんな女医さん、嫌だよぉ!
10:17 PM · Jun 23, 2023

(2023年6月23日転載終)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1672560423789539330)
Lily2@ituna4011
はびっ!ちゃつみさん、それ、業界の闇ですね?
8:00 PM · Jun 24, 2023

(2023年6月26日転載終)

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我らが天皇陛下

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671736307863937024)
Lily2@ituna4011
【天皇陛下】ボロブドゥール寺院視察を終えてコメント https://youtu.be/rQ8QO7yhrgE via @YouTube
珍しく、たくさん丁寧にお話になられました。気遣い万全の天皇陛下でいらっしゃいます。
1:26 PM · Jun 22, 2023

(2023年6月23日転載終)

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主婦研究者のひと工夫

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669814086941679618)
Lily2@ituna4011
学会発表やリサーチ旅行のために二泊三日で外泊する時、お留守番の主人のために、常備菜を作った。
a. おかかやじゃこを混ぜ込んだ玄米の梅干しおにぎり数個
b. 人参や油揚げ入りひじき煮
c. 圧力鍋で作った薩摩芋と林檎の蒸しデザート
d. 大蒜を多めに入れた野菜たっぷりの鶏肉カレーか肉じゃが
6:07 AM · Jun 17, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669814812560457728)
Lily2@ituna4011
夏場は缶詰を使ったフルーツゼリー数個も添えた。 それに、お手紙メモをつけて、テーブルの上に置いた。 こもマークを描いて時間を記入。 帰宅すると、冷蔵庫の中は綺麗に平らげてあった。おしまい。
6:10 AM · Jun 17, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669815663245008896)
Lily2@ituna4011
みるくぷりん。 料理を作りながら、発表レジュメの校正を広告の裏や台所のホワイトボードに書き散らし、まとめて後からパソコンに向かった。 レジュメ印刷はコンビニかスーパーのコピー機で準備。 頑張りました!
6:14 AM · Jun 17, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669830104342753280)
Lily2@ituna4011
お礼として、洗濯物が取り込んであり、ふんわりとたたんで置いてありました!
7:11 AM · Jun 17, 2023

(2023年6月17日転載終)

たのしかったよ。
…………
2023年6月21日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671453167677239301)
Lily2@ituna4011
知っていますか? 名古屋での人物評価は、学歴や職位職階の高さではありません。ましてや、居住地や家の大きさでもありません。 間に合う人かどうか、この一点に絞られます。 間に合わん人はお呼びでないわけです。
6:41 PM · Jun 21, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671454007645327361)
Lily2@ituna4011
間に合うとは、気働きが利き、まめに動き、一を聞いて十を知る聡さがあり、相手の欲することを察して、期待を上回ることができる総合能力を指します。 間に合わない人は、名古屋で困るよ。
6:44 PM · Jun 21, 2023

(2023年6月21日転載終)
…………
2023年7月3日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1675656657681125376)
Lily2@ituna4011
人口に膾炙した話だが、名古屋生まれ育ちの者が関西でしばらく暮らしてから久しぶりに名古屋に戻ると、妙に納得するのは、名古屋発祥の喫茶店のモーニングセット。 出勤前の忙しい中、ゆっくり朝御飯どころではない猛烈サラリーマンのために考案。
9:04 AM · Jul 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1675658565808422917)
Lily2@ituna4011
コーヒーか紅茶にバターをのせた トースト食パン。
だけでは栄養が偏り、一日中戦えない、と気付いた名古屋人。早速、茹で卵一つに塩瓶+レタス と胡瓜 とトマト のサラダを添えて出すことに。 おしぼりも忘れず、清潔感をプラス。 やっぱり間に合うねぇ!流石は、ということでした。
9:11 AM · Jul 3, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1675666495056252928)
Lily2@ituna4011
これは勿論、昭和時代の話。当時は高度経済成長期で、まだ多くの人が、朝食には、ご飯にお味噌汁、焼き魚にお漬物を定番としていた頃。 トーストにサラダとコーヒーの組み合わせが、何となく洋風で新鮮に感じられたから、名古屋発ヒットだった。 今なら、おにぎりカフェの方が、遥かに健康的。
9:43 AM · Jul 3, 2023

(2023年7月3日転載終)
……………
2023年8月13日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1689849044762546176)
Lily2@ituna4011
スイスチャード、初耳です。この辺では売っていないような…..。さすがは横浜ですね!
12:59 PM · Aug 11, 2023

(2023年8月13日転載終)
…………
2023年11月1日追記

日本経済新聞(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD1702I0X11C23A0000000/)

「喫茶店のモーニング、発祥は愛知か広島か 東京源流説も」
なるほど!ルーツ調査隊
2023年10月30日

朝の喫茶店でコーヒーとトースト、ゆで卵などの朝食がセットでお得に食べられる「モーニング」。名古屋が有名だが、戦後復興の中で市民を支える活力として各地域で同時期に発祥し、全国に広がった様子が見えてきた。
東京近郊にある日曜朝のコメダ珈琲店。駐車場は満車で客足が途切れない。客の目当ては午前11時まで提供するモーニング。コーヒー1杯の値段でトーストとゆで卵も食べられる。家族連れや老夫婦、一人客が思い思い…

(2023年11月1日転載終)
。。。。。。。。。
(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD173D20X11C23A0000000/?fbclid=IwAR3XFv7nFTkaPGgVLvjbDC_-dwyg_zqmZp07133qPHyKKCwQgkbrSFRac1I)

「東海道新幹線でついに終了… 車内販売、揺れ動いた歴史」
鉄道の達人 鉄道ジャーナリスト 梅原淳
。。。。。。。。。
(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE279IH0X21C23A0000000/?fbclid=IwAR3oMb3GMFVTzvGUurAbbQIWccMTRjAYO20MuMxk_BBro9OCU76LSJGUfY4)

さよならワゴン販売 新幹線、東京―新大阪で31日終了
2023年10月30日

東海道新幹線(東京―新大阪間)の車内ワゴン販売が31日で終了する。駅構内のコンビニなどの利用者が増え、売り上げが伸び悩んでいた。出張や旅行で愛用した人らは旅の思い出を振り返り、サービス終了を惜しんだ。
JR東海によると、車内販売は1964年の開業当時から続いていた。当初は販売員が弁当やお茶などを売り歩き、その後ワゴンの形式が定着。飲み物や菓子のほか、ワゴン販売中に溶けないよう硬く凍らせたアイスクリームも人気だった。
「新幹線の思い出。少し寂しい」。年数回の出張で乗る名古屋市の40代の男性会社員は残念そうに話す。小学生のころの家族旅行で車内販売のアイスを買ってもらった。今も出張帰りにアイスやビールを購入している。
千葉県在住の女性(60)も子育てが忙しかったころに家族で新幹線に乗り、「優しい声かけでホットコーヒーを提供してもらった」ことを思い起こす。30日は故郷の大阪府へ帰省。「自動販売機には無い、人の温かさがよかった。今日も必ずコーヒーを頼みます」と話した。
ワゴン販売は1990年前半に売り上げがピークに。その後は駅構内のコンビニや売店で購入し持ち込む人が増え、利用者が徐々に減った。2008年度以降の10年間で売り上げは半減した。
ワゴン販売に携わってきたチーフパーサーの川尻真富果さんは「お客様の気持ちに寄り添いながら取り組んできた」と振り返った。
11月からは代わってモバイルオーダーサービスをグリーン車で導入。食べ物や飲み物をスマートフォンで注文し、パーサーが届ける。このほか、人気商品だったアイスやコーヒーを販売する自販機を主要駅のホームに設置する。
車内販売は各地の新幹線や特急からも姿を消しつつある。JR西日本の長谷川一明社長は25日の記者会見で、山陽新幹線でのワゴン販売について「いずれはサービスの限定や廃止をせざるを得ない。まだ販売できる状況だが、今の販売体制を続けるのは難しくなってくるだろう」と述べた。

(2023年11月1日転載終)
。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2023年10月25日投稿

大学生の頃、アルバイトをしてみたかった。
接客によって世間を知りたかった上、日本各地の遠方まで無料で行けることが魅力だと思っていた。
が、容姿端麗テストで落ちると思い、断念。

(2023年11月1日転載終)
………….
2024年2月11日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1756108317687218324)
Lily2@ituna4011
みるくぷりん。
9:10 AM · Feb 10, 2024

(2024年2月11日転載終)

「みるくぷりん」とは、主人の母方祖母の出身地である岡山県蒜山が育てていたジャージー牛から搾った、おいしい牛乳で作ったプリンのこと。主人は「みるくぷりん」が大好きでした。田舎のおばあちゃんのことも大好きで、おばあちゃんなしに、主人があそこまで育たなかったのでは、と思うぐらいです。

岡山県新見市の武家の出身のおばあちゃんでした。「男を何人も従えていた家の出」と、田舎の親戚の方はおっしゃっていました。

鳩山一郎元首相の正妻である薫子さんの縁戚に当たるのが、おばあちゃんの実家です。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100108)
2010-01-08「由縁の所以」
《おばあちゃん(つまり、義母の母)もまだお元気で、鳩山家がお仕えした三浦家の神社(義母も子どもの時、おじいちゃん(つまり、義母の父)に連れられてよく行ったという、勝山の奥地にある小さなお宮さん)の話や、おばあちゃんと薫子さんとの関わりについても、いろいろうかがえただろうに。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100201)
2010-02-01「居場所と出番」
《今、例のファイル作りの傍ら、『鳩山一郎・薫日記』伊藤隆・季武嘉也(編)中央公論新社(1999年)を読んでいるところです。今は上巻ですが、もちろん下巻も。
もっとも、公刊された日記ほど怪しげなものはないという条件付きですが、一つの重要な資料であることは間違いありません。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100202)
2010-02-02「不思議な光景」
《田舎のおじいちゃんやおばあちゃんから薫子さんの話を時々聞かされていただけあって、「鳩山の家は、そうじゃないと思うよ」などと言っています。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100324)
2010-03-24「シンポ・鳩山会館・谷中霊園 (2)」
《一郎氏の妻であられた薫(子)さんの存在ゆえです。(本名および戸籍上は「薫」で、「通名」として「薫子」としたようですが、夫の母方の実家では通名の方が本名として伝わっていたらしいです。)
以前にも書きましたが(参照:2009年11月16日・12月10日・12月17日・12月31日・2010年1月2日・1月3日・1月4日・1月8日・2月1日・2月2日・2月5日・2月13日付「ユーリの部屋」)、どうやら夫の母方の祖母と縁戚関係がある(単に「おまんじゅう」ではなく、「羽織」が配られる程度には近い間柄)ということなので、我が家のルーツを探っておくには今が一番、とにらんだわけです。》
《「薫子さんの話は、子どもの頃からよく家の中で祖母や母から聞いていたけれど、自分には興味がなかった」「鳩山家とルーツ上、何か関係があることについては、何とも思っていない」という程度で話を済ませてしまい、「それを調べるには、どの資料を見ればわかりそうだ」とか、「そういう話なら誰それに聞いてみては」という前向きな方向に進まないのです。》
《おじいちゃんや伯父さんは、その点、何事もこまごまとメモにとって、古い資料も調べていたそうですが(どうやら、司馬遼太郎氏にも、「作品中で、うちの家系に関して間違いがある」と手紙を出したこともあるらしいです。もっとも、司馬氏からはお返事がありませんでした)、そういう作業そのものを軽視する傾向が、どうやら生き残りの人々には目立ちます。》
《主人だけは、さすがに私が乗り気なので影響されてなのか、「おばあちゃんの何かの何か、という間柄だ」というところまで記憶が蘇ってきたようです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110105)
2011-01-05「お正月休みも明けました」
《義母の母方の祖母、つまり主人の母方の曾祖母が薫子さんと縁続きだったことを再確認。でも、孫の由起夫氏などのことは、全く評価に値しないようなそぶりでした。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160315)
2016-03-15「世論の是正が始まった(1)」
《1956年に日ソ国交回復をした鳩山一郎氏については、社会党が応援していて、米国での評価は低いとの由。孫の由起夫氏の迷走した政治舵取りから、今や鳩山批判は当然のことであるが、しかし、一郎氏の妻の薫子さんが、主人の母方のルーツに関係のある家系だったことから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B7%B0%BB%D2%A4%B5%A4%F3)、知る立場にある私としては、黙ってはいない。後世が批判することは簡単だが、当時の事情を鑑みるにやむを得ず、熟慮の末に勇断し、生きて戻って来られないという覚悟で夫妻でソ連に赴いたのだった。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170828)
2017-08-28「奇妙な符合」
《主人の母方祖父は戦前の校長を務め(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)、鳩山由紀夫氏の父方祖母の薫子さんと縁続きだという家から嫁に来た祖母に育てられ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B7%B0%BB%D2%A4%B5%A4%F3)、田舎に行けば、過去帳も藤原氏から記されていたという(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070816)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170729)。同居の父方祖母も神職の娘として明治に生まれ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)、女学校卒業だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150215)。
戦時中に家が全焼してしまい、一文無しになったので、ようやく探し当てた土地に家を建てて暮らしていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)。本籍地は元の家のあった場所のままなので、新聞に掲載されている今の時価を見れば、家柄だってよくわかるだろう。》
《大学院まで、奨学金も借金もなしで、一括払いで卒業した。浪人も留年も編入もしていない。勿論、塾にも予備校にも通ったことはなく、親から強制されたことも一切なく、子供の頃から自分の得意とする道をひたすら進んできた。
披露宴の時に、首席卒業だったと大学時代の恩師が言ってくださり、(ほう〜!)と会場からため息が聞こえた。言うまでもなく、主人から言い出したことではない。》

(2024年2月11日記)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, research topics, Studies related, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

旧摂津国の伊丹と水無瀬(島本)

2021年11月11日付の過去ブログ「伊丹と島本-むかしのくらし展を機縁として」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1290)の続きトピックを以下に。
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1669586115526012929)
Lily2@ituna4011
明治以来、阪神間で最も発展が遅れた伊丹市
伊丹市史 第三巻 p.715
3:02 PM · Jun 16, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669590959192182785)
Lily2@ituna4011
伊丹市史には大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮に関する資料や記述が含まれている。 伊丹の人は、わかった上で島本町を笑ったのか、知らずに笑ったのか? 多分、知らないから笑ったと思われ。
3:21 PM · Jun 16, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669592952027643904)
Lily2@ituna4011
承久の変の後、後鳥羽院は院の離宮のあった水無瀬を過ぎて、西国街道に沿って昆陽野を通り、兵庫へ向かい、隠岐へ流された。
伊丹市史 第一巻 p.477
3:29 PM · Jun 16, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669595307871731712)
Lily2@ituna4011
小西新右衛門文書
文政七甲申年八月 水無瀬家請書
もあります。
伊丹市史 第四巻 pp.284-285
3:38 PM · Jun 16, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669613364417536000)
Lily2@ituna4011
昔は同じ摂津国だったため、特に珍しいことではない。 西国街道の意味に注目を。
4:50 PM · Jun 16, 2023

(2023年6月17日転載終)
…………..
2023年6月26日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2023年6月26日投稿

知っていますか?
昨日の午後行われた神社検定試験の弐級の出題に、大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮が出題されていました!
摂津國の伊丹酒造は、その昔、上質米とされていた島上・島下郡からのお米を使ってお酒を造っていたそうですよ。
島本侮るべからず!

(2023年6月26日転載終)
……………
2024年4月6日追記

朝日新聞』(https://www.asahi.com/articles/ASQC96SQQQC7ULZU002.html)

「後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬離宮の一部? 詳しく調べぬまま埋め戻す」
2022年11月11日
編集委員・宮代栄一

後鳥羽上皇(1180~1239)ゆかりの水無瀬離宮の一部の可能性がある、大阪府島本町の越谷遺跡。開発事業者によって「岬状の州浜地形」の一部が調査前に破壊された問題で、発掘調査を行った町教育委員会が「自然堆積の可能性が高い」と判断し、埋め戻していたことがわかった。保存運動をしてきた研究者や町民は「十分な調査が尽くされていない」と反発している。

開発事業者が遺跡の一部を破壊

 越谷遺跡はJR島本駅の西側、御所池という池に隣接する縄文~室町時代の遺跡。一角に研究者らが「庭園の池に突き出した岬状の州浜ではないか」と考える地形が確認されていたことから、2020年以来、日本庭園学会などが町に詳細な調査を要望してきた。

 越谷遺跡を含む島本町は、歌人・藤原定家の日記「明月記」にも記された水無瀬離宮があった場所。13世紀初めに、現在の水無瀬神宮がある場所に後鳥羽上皇が「本御所」を建てたのを皮切りに、承久の乱が起こった1221年ごろまで複数の御所や庭園の造成が行われ、「関連遺跡の範囲は御所のあった中核区域だけでなく、そこから1・5キロ離れた地域まで及んでいたと推定されている」(国際日本文化研究センターの豊田裕章客員教授)。これまでも、庭園跡の遺構が発見された西浦門前遺跡や建物跡が確認された広瀬遺跡など、離宮に関わる可能性がある遺跡が複数確認されており、そのつど発掘が行われてきた。
 越谷遺跡について町は、遺跡のある地区に開発計画が持ち上がったことから、昨春、遺跡の一部で排水管設置に伴う立ち会い調査を実施。その際、州浜地形の一部で13世紀前半の遺物が含まれる土の層などを確認したが、その後、開発事業者が側溝や排水管を設置した際に、遺跡の一部を破壊していたことが今年7月に判明。工事と発掘を一時中断していた。
州浜地形 専門家らは「自然堆積とは考えにくい」
 発掘が再開されたのは9月中旬。州浜地形を中心に、数百平方メートルの発掘区を設置し、地形などの土の層の観察を実施した。島本町教育委員会生涯学習課は「その際、複数の専門家から(地形は)自然堆積であるとの助言をいただいた。また、土層堆積中から出土した土器も13世紀後半のもので、水無瀬離宮の時期より新しいとわかった。そこで調査を終え、10月20日から遺跡の埋め戻しを行った」と説明する。
 問題は、実際に現地を訪問したやはり複数の専門家が、州浜地形について「純粋な自然堆積とは考えにくい」との見解を示していることだ。

(2024年4月6日転載終)
。。。。。。。
産経新聞』(https://www.sankei.com/article/20240305-W52GHRP6JRMVPL5CCO3LROLHGM/)

歴史シアター「後鳥羽上皇が造営した「水無瀬離宮」の実像に迫れるか 有力候補地の発掘調査を検討」 
2024年3月5日
上坂 徹

鎌倉幕府の打倒を目指し、「承久の乱」(1221年)を起こして敗れた後鳥羽上皇が、造営した水無瀬離宮(水無瀬殿)。これまで確認されていない離宮中枢部の有力候補地との指摘がある大阪府島本町の一角で、マンション開発などが計画され、その開発予定地に対する発掘調査の実施が検討されていることが、明らかになった。島本町は「正式な書面提出を待って、実施するかの判断をしたい」との姿勢だが、事業者側は「島本町と協議を行い、試掘調査等の対応を実施する予定です」とコメントしている。この場所には大正時代に大阪府が「水無瀬宮址」の石碑を建てているうえ、近年の調査などにより、水無瀬離宮の新御所の所在地との指摘がある。発掘調査の動向に注目が集まる。

洪水で新御所に

水無瀬離宮は鎌倉時代初めの内大臣、源通親の別業(別荘)だった「水成瀬山荘」を、後鳥羽上皇の御所(御在所)としたことに始まる。元久2(1205)年には、大改修が行われた。

「新古今和歌集」を編纂した公家で歌人の藤原定家の日記「明月記」では、正治元(1199)年以降、後鳥羽上皇がしばしば水無瀬離宮を訪れ、和歌の優劣を競う「歌合」や白拍子の舞、蹴鞠などを催していた、としている。

鎌倉時代末期に編纂された同時代の通史「百練抄」などによると、淀川と水無瀬川の合流付近の低地にあった水無瀬離宮は建保4(1216)年に、大洪水に見舞われて、建物は倒壊、流失。そのため翌年、別の場所を選んで、新御所が造営された。「明月記」には、同年に、山上に新たな御所(山上御所)が建てられ、川をせき止めて、水を引き入れ、滝に大石を立てた庭園を整備した、とある。

(2024年4月6日転載終)
。。。。。。。。
島本町には1997年11月から2018年9月まで暮らしていた。
当時は自然豊かなベッドタウンのようで、名水が湧き出て静かで空気の澄み切った、大変に暮らし心地のよい土地柄だった。

しかし、辻元清美氏らのオルグ活動がマンション住民や町立図書館を中心に盛んであり、女子供と老人福祉を重視する未来志向のリベラル左派思想を実践すべく、かつての貴重かつ豊穣な歴史を軽視して、役場まで古文書研究等の妨害に出たりしていたらしい。

だからこそ、衣食住の生活そのものには不満がなくとも、何となく地から足が浮いたような生活感覚だった。

地域史を知りたくとも、『島本町史』の分厚い本は、翌日、続きのコピーを取ろうとして町立図書館に赴くと、いつの間にか隠されていたり、家紋や地名や人名等のルーツや歴史を知る事典等をちょっと見ているだけで、「そういう本は一時間以上、見てはいけません」とカウンターの女性職員がのこのこ注意に来たりしていた。

「あなた、それは越権行為ですよ!図書館法を知らないんですか?住民の知る権利を蹂躙しているんですよ!」ぐらいは言い返してもよかったのだが、大阪府立図書館から毎度6冊ずつ借りていた本の返却に遅れ気味だったことから、つい遠慮がちに….。

こんな調子なので、いざ土地開発という話になると、軋轢が生じるのだ。

普段から街歩きや文化財保護の啓蒙活動や地域史学習が継続的に行われていたならば、いくらディベロッパーが来たとしても、断固、住民力によって跳ね返すことができよう。

島本の弱みは、ここにある。若山神社の宮司さんや禰宜さん等、気づいている人々は少なくないが、外部から活動家や工作員につけ込まれたのだ。安易に乗る若年中年女性達にも、相当な問題がある。共産党の町会議員が、もっともらしく、自然保護だとか歴史散策を言い出すのも、要注意だ。

(2024年4月6日記)

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ダグラス・マレイさん

以前、アマゾン・コメントを入力したが、日付入りで追記した事項が、いつの間にか何者かによって許可なく削除されていた。
従って、こちらに複写しておく。
。。。。。。。
(https://www.amazon.co.jp/review/R3HGYOE13DOCFY/ref=pe_1162082_181361352_cm_rv_eml_rv0_rv)

西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム』2018/12/14
ダグラス・マレー (著) 中野 剛志・町田 敦夫 (翻訳)

5つ星のうち5.0 本書の邦訳を喜ぶ

2019年3月17日に日本でレビュー済み

私事で恐縮だが、2016年9月下旬に、著者のダグラス・マレイ氏と一緒に欧州三ヶ国を一週間ほど旅した。本書では、その時の観察も一部で触れられている。
2018年3月に、私は小さな研究会で本書について発表した。だが、教授陣の反応は「作家の書くことだから」と受け流し、「日本は移民やムスリムに対して、(欧州とは違って)うまくやっている」と自画自賛しており、夜郎自大そのものだと危惧した。また、国政モニターでも私は移民受け入れの問題点を訴えたが、その後、安倍政権は事実上、労働者としての外国人移民を受け入れると発表し、規制緩和へと動いている。
本書の内容は、マレイ氏の全面的なオリジナルというものではなく、アメリカやカナダやオーストラリア等、過去の英語圏の保守派言論にも支えられており、執筆内容が相互に重複する箇所もある。しかしながら、10年ほどかけて、欧州や米国、豪加州のみならず、アフリカの英国系教会へも訪問し、左翼やイスラミストとの粘り強く正面切った討論や現地観察の努力を積み重ねた上での書き下ろしであり、氏の説得力ある豊かな英語表現や勇敢かつ戦略的な言論姿勢については、日本でも広く知られ、謙虚に学ばれることを強く希望するものである。また、氏が基本的に親イスラエル派であり、ご家族が日本とも縁を持つという事実にも、我々は留意すべきである。
本書が邦訳され、概ね好評であることを喜ぶ。

30人のお客様がこれが役に立ったと考えています

(2023年6月15日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1107420333420638208)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1107457098646872064)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170715)
出版された邦訳書の題名について、「自死」とされたのも一つの選択だと思われる。私は、昨年3月にした某学会の研究会でも、自分がなぜ「奇妙な」としたのかを口頭で説明した。だが、それが出版物として商業的に受けるかどうかは、全く別問題である。
10:42 AM · Mar 18, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1107460190364798976)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170715)
George Dangerfield に“The Strange Death of Liberal England”という本がある。以前のインタビュー映像で、著書の題名の由来と理由を尋ねられたダグラス・マレイ氏が「よくある用語ですよ」と、さらりと交わしていた。(部分転載終)
10:54 AM · Mar 18, 2019

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170715)
ダグラス・マレイ氏のベストセラー”Strange Death of Europe”には、’Europe is committing suicide’という一文が冒頭に出てくるが、実は、パット・ブキャナン氏の数年前の本には既に類似の表現が用いられていたのであった。
28 Apr 2018
(転載終)
11:05 AM · Mar 18, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1122329994221350912)
ダグラスさんの邦訳書が日本の大学図書館と公立図書館に三桁入ったのは喜ばしいが、肝心の原書版が11の大学図書館にしか蔵書されていない。小学校から英語を始めて未だこの状態。気になるのは、情報時差のみならず、日本語で読むことによって、自分の状況に引き寄せて狭く解釈する層の存在である。
11:41 AM · Apr 28, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1125913625506410496)
(https://twitter.com/DouglasKMurray/status/1125444785991507968)
Douglas Murray @DouglasKMurray
5月6日
Video of my recent speech in Berlin on ‘Der Selbstmord Europas’ has just been posted online here:
1:58 – 2019年5月7日
9:01 AM · May 8, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1125913782704791552)
Lily2@ituna4011
冒頭で、自著が「ほぼ全ての欧州言語に翻訳され、他に韓国語、中国語、ヘブライ語、そしてアラビア語もある」と述べている。アラビア語のところで笑いが聴衆から起こったが、肝心なのは、「日本語の翻訳」についての言及が欠けていたこと。私は関与していないが、邦訳の存在は原著者に伝わっている?
9:02 AM · May 8, 2019

Lily2@ituna4011
ちなみに、日本人の存在は、26分47秒辺りで言及されている。
10:04 AM · May 8, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1136013516693954560)
Lily2@ituna4011
ダグラスさんの新著出版予定は9月17日。内容は、ジェンダー、民族、アイデンティティ。ジェンダー問題を除けば、1990年代初頭からの私のリサーチ・テーマや関心事とピッタリ重なる。このようにして、彼は今後も次々と書き続けることだろう。
5:55 AM · Jun 5, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1149843410267672576)
Lily2@ituna4011
図書館で借りた『WiLL』2019年4月号には、ダグラスさんが2回引用されている(pp.150-151, 226)。詳細は本書を手に取って確認すべし。#ダグラス・マレイ
#DouglasMurray
9:50 AM · Jul 13, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1164672670752882688)
Lily2@ituna4011

独訳が来月に出るという。用意周到とはこのこと。邦訳はどなたが担当?
《‘Wahnsinn der Massen’. The German translation of ‘The Madness of Crowds’ will also be released next month. 17th September.》#ダグラス・マレイ
7:56 AM · Aug 23, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1181081816712675328)
Lily2@ituna4011
早速、堂々6位。
なお、新著の日本記述は、ゲイに関するもので、極僅か。
2:40 PM · Oct 7, 2019

(https://twitter.com/ituna4011/status/1183731897353900038)
Lily2@ituna4011
今、読んでいる最中だが、おもしろいと感じ、またもや表現が上手だと思った箇所は、アカデミアと「社会正義」という新イデオロギーの連関について。この「社会正義」は、実はイスラーム主義者がよく使っている。マレーシアでも、日本でも…..いずこも同じ秋の夕暮れ。
10:10 PM · Oct 14, 2019

(2023年6月15日転載終)
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備忘録ツィッター

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668205438322741248)
Lily2@ituna4011
京都の三大火災
応仁の乱  1467-1477
天明の大火 1788
元治元年  1864
さも見てきたかのように語る京都人
7:35 PM · Jun 12, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1668351318002663424)
Lily2@ituna4011
コロナ問題のおかげで、清潔と衛生にもっと留意するようになって3年以上。 台所の手洗いには、街で配られた試供品や居住地の自治会でいただいた固形石鹸を、玉葱の入っていた網に入れて、蛇口にぶら下げる。 網の刺激で汚れが簡単に落ち、手荒れもない。
5:15 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668352536858992642)
Lily2@ituna4011
泡立てのプラスチック容器の液体石鹸だと手荒れするかもしれないが、昔ながらの固形石鹸は、持ちがよく、安価で使い勝手が良い。 スーパーの玉葱ネットも再利用できる。手のマッサージにもなる。 一石二鳥。いや三鳥。
5:20 AM · Jun 13, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1668401216299352064)
Lily2@ituna4011
パンツの会社として有名なグンゼの創業者はキリスト教の洗礼を受けていた。
文藝春秋 2022年9月号 p.554
8:33 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668405109414584322)
Lily2@ituna4011
国是、府是、県是、郡是、町村是を説いた元官僚の遊説に感銘を受けて、社名を
郡是
つまり
グンゼ
とした、という。
8:49 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671506948754378759)
Lily2@ituna4011
昭和22年6月、伊丹に昭和天皇の行幸あり。全国巡幸の一環として、郡是製絲つまりグンゼに臨幸遊ばされた由。 グンゼは尼崎にあった。
10:14 PM · Jun 21, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1668427111076630528)
Lily2@ituna4011
差別の根源ではない。 自己の存在理由を知る原本。 私の両系に関して、四代前までは戸籍謄本を集めて、平和公園の墓地で確認できました。 主人の母方は、毛筆で和紙に書いた過去帳があり、全部写真を撮らせていただきました。
10:16 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668428258294272001)
Lily2@ituna4011
それによると、天児屋根命に始まり、藤原北家の系統だとのこと。 明治生まれのおじいちゃんが和紙を貼り継いで書き、昭和生まれのおじちゃんが古文書を調べて別冊の家系図を書きました。
10:21 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668429172006621185)
Lily2@ituna4011
おじいちゃんが、ご先祖様について司馬遼太郎の記述は間違っている、との手紙を送ったのに、返事が一向に来なかった、という。 その司馬遼太郎が取材旅行でお茶を飲んだ名古屋の喫茶店に、主人と入った。6年前のこと。
10:24 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668463443094167552)
Lily2@ituna4011
家系図の本には、早く戸籍謄本を集めておかないと、廃棄されてしまう、と書いてあるものがありますが、本当ですか? 国民しかも子孫の許可なく、勝手に国が処分するのですか? 自分のルーツを知る権利が侵害されませんか?
12:40 PM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668466655083794433)
Lily2@ituna4011
80年、100年、150年と規定されているようだが、江戸時代の戸籍謄本まで遡りたい場合は? 空襲で燃えた場合は?
12:53 PM · Jun 13, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1668432061403922432)
Lily2@ituna4011
昭和46年の論文によると、 GHQの神道指令を謳歌した少数の反神道派は、現行憲法を守るために猛反発。少数派だが、大学以下の教育機関、言論報道のマスコミの指導権を独占。政府官僚にも強大な影響力を保有。 今は令和5年。酷似している?
10:36 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668433927420391425)
Lily2@ituna4011
1907年のハーグ陸戦法規慣例に関する条約及び規則の第46条には
家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及ソノ遵行
を尊重すべし、とある。
家の名誉を潰すな!
10:43 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668435859350384640)
Lily2@ituna4011
身を立て名を上げ、尚励めよ
♪♪♪
仰げば尊し
私の世代は卒業式の定番だった。
10:51 AM · Jun 13, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668439100825952256)
Lily2@ituna4011
昭和21年3月 宣伝用出版物の押収リスト
有田八郎 米英挑戦の真相
西川平吉 国体の話
細川亀市 日本固有法の精神

11:04 AM · Jun 13, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1668791073421017088)
Lily2@ituna4011
子育て支援をしたいのか、女性を男並みに働かせて人口を減らしたいのか?
10:22 AM · Jun 14, 2023

(2023年6月14日転載終)
…………..
2023年6月15日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1655515492214505472)
Lily2@ituna4011
島田雅彦はテロを肯定した!大学の教授として適しているのか?法政大学の責任は? https://youtu.be/a0zb3gUIZz8 via
@YouTube
☚ 左派リベラルは、保守派言論人が何か言うと、大学に電話して「降ろせ、降ろせ」とさんざんやってきた、 とのこと。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668102215805071361)
Lily2@ituna4011
今後、こういうケースが増えそうだ。
12:45 PM · Jun 12, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668100427911675906)
Lily2@ituna4011
樹木高齢化、倒木相次ぐ 自治体はアプリ・補助金で対策 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUE113XL0R10C23A5000000/…
⇦ では、樹齢数百年の木はどうなる?
12:38 PM · Jun 12, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668884621323538433)
Lily2@ituna4011
このような記事に関して、当事者の側のみならず、雇い主の負担や責任義務についても公平に書いて頂きたい。 何かあったら、誰がどのように対処すべきなのか?
4:34 PM · Jun 14, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669228114285854721)
Lily2@ituna4011
一昨年と去年、いただいた赤と黄のカランコエ2鉢。 確かに生命力が強く、花殻を切って別の鉢に積んでおいたら、いつの間にか芽を出して花まで付けた! ずうずうしい程、生きる力が逞しい。 見習わなくては、私。
3:19 PM · Jun 15, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669242838952067072)
Lily2@ituna4011
かつて猛威を振った天然痘。バタビアからワクチンの牛痘苗が長崎、京都、大坂に届いたのは嘉永2年。大坂に除痘館を11月に設立。 だが、種痘すると牛になる、と噂が立った。 ところで、昭和時代、昼ご飯を食べて昼寝すると牛になる、と言われていた。 ほんとだよ!
4:18 PM · Jun 15, 2023

(2023年6月15日転載終)
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2023年6月17日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1669297671688044544)
Lily2@ituna4011
天皇皇后両陛下ご結婚30年の特別展で“抜け落ちていたもの”…愛子さまへの“過度な期待”はなぜ避けるべきか #文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/63489?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink…
⇦ 何だか嫌みな文章。自然で仲良く天真爛漫のどこが悪い?
7:55 PM · Jun 15, 2023
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1669308581869662209)
Lily2@ituna4011
「くずし字」解読アプリ1月公開へ 実家に眠る古文書読めるかも | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20221228/k00/00m/040/165000c…
⇦ くずし字が読める日本人は0.1パーセント? もっといるはずだ。
8:39 PM · Jun 15, 2023
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1669533680828846080)
Lily2@ituna4011
視野は広がりました。手の内がわかった、というのか。
11:33 AM · Jun 16, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1669533861443952640)
Lily2@ituna4011
ライプツィヒ。東独だった。
11:34 AM · Jun 16, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1669324681902690304)
Lily2@ituna4011
毛糸のパンツは健康に良い。 ほんとだよ!
9:43 PM · Jun 15, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1669844040123318277)
Lily2@ituna4011
日本型雇用形態こそ、マレーシアのマハティール首相が称賛していた。 日本は、一周か二周遅れで検討を始めるため、グローバル競争に負ける。世界が日本のやり方を真似ようとしている時に、自己批判したり。 人生、何が起きるかわからない。先を見据えた日本株式会社だったはず。
8:06 AM · Jun 17, 2023

(2023年6月17日転載終)
…………….
2023年6月21日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671118623124103168)
Lily2@ituna4011
おっしゃる通り。 だから、日本は欧州の真似をしてはいけない。
8:31 PM · Jun 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1670972442620338176)
Lily2@ituna4011
学力が水準以下の定員割れ私学は全部閉鎖し、即座に倒産して欲しい。国力低下は皆の迷惑だ。 技術や技を身につけて、早く手に職を持った方が世のため人のため自分のため。以上
10:50 AM · Jun 20, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671274404251308033)
Lily2@ituna4011
確かに、成績が多様なクラスで、皆で話し合って授業を進める教育法よりも、個別にドリルや課題をこなす学習法の方が、学力としては伸びやすい。 グループ学習では、公共心や協調性を育てることができるが、学力に差があり過ぎる場合は、成績の良い人が犠牲になりかねない。
6:50 AM · Jun 21, 2023

(2023年6月21日転載終)
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2023年6月23日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671731050052198401)
Lily2@ituna4011
プライムタイムは、数年前までは「一ヶ月で解約すれば大丈夫」と利用していたことがあったが、結局のところ、配達業者の労働損益を考えると、とても許しがたいことに気づき、一切使っていない。 ところが、パソコンで何度も何度も誘導が入り、時間も無駄で迷惑万端。
1:05 PM · Jun 22, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671732073588195328)
Lily2@ituna4011
昔のアマゾンはもっと良心的だった。
1:09 PM · Jun 22, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671732400462897152)
Lily2@ituna4011
途上国の貧者がおねだりをせがんでしつこく絡んでくるかのようなメールが何度も何度も入ってくる。
1:10 PM · Jun 22, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1671732547578138624)
Lily2@ituna4011
一切無視するに限る。ビジネスは公明正大に。
1:11 PM · Jun 22, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1672141308352401408)
Lily2@ituna4011
同意。 目には目を、歯には歯を。 ハンムラビ法典は現代法学の基礎、のはずだ。
4:15 PM · Jun 23, 2023
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1672132562016423937)
Lily2@ituna4011
お、珍しくやるねー、韓国与党さん。
3:40 PM · Jun 23, 2023

(2023年6月23日転載終)
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2023年6月29日追記

(http://twitter.com/ituna4011/status/1674314139060297729)
Lily2@ituna4011
難しい案件に対して、勇気ある発言だと思います。
4:09 PM · Jun 29, 2023

(http://twitter.com/ituna4011/status/1674363201868406785)
Lily2@ituna4011
エリート校ほど、やられ易い。
7:24 PM · Jun 29, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1674403676000227331)
Lily2@ituna4011
そして、キリスト教系学校も。
10:05 PM · Jun 29, 2023

(2023年6月29日転載終)

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美作勝山藩

(https://ja.wikipedia.org/wiki/)

美作勝山藩

勝山藩は、美作国真島郡勝山(岡山県真庭市勝山)に拠点を置いた藩。藩庁は勝山城に置かれた。高田藩、美作高田藩とも称される。藩主家は三浦家。

藩史

江戸時代中期の明和元年(1764年)、譜代大名の三浦明次が三河国西尾藩より転封してきた。真島郡内の96村と大庭郡内の1村を与えられ2万3千石で立藩した。真島郡高田村の高田城を藩庁としたため、当初は高田藩などとも称されるが、しばらくして、高田城を勝山城に改称し、これを受けて勝山藩と称されるようになる。
2代矩次は真島郡新庄村(現・真庭郡新庄村)にある鉄鉱山経営を奨励し財源確保に努めた。幕末には鉄鉱山は藩営となった。
明治2年(1869年)真島藩と改称。明治4年(1871年)廃藩置県により真島県となる。北条県を経て岡山県に編入された。
戦後、岡山県により勝山町並み保存地区に指定された。

三浦家:譜代 2万3千石(1764年 – 1871年)

1.明次
2. 矩次
3. 前次
4. 毗次
5. 誠次
6. 峻次
7. 義次
8. 朗次
9. 弘次
10. 顕次

家老など

・戸村家- 佐竹氏の一族で、佐竹義人の三男義倭を祖とする。愛茂―愛治―愛忠―愛正―愛広―愛教―愛則(荘嶽)―愛重―愛之―益郎
・九津見家-足利氏の一族で、足利義視の子と言われる恒視を祖とする。定利―定深―定春―典定―定羽=相休―定穀=定之=範陳―鏞太郎
・その他- 内閣総理大臣の鳩山一郎、鳩山邦夫や由紀夫を輩出した鳩山家は勝山藩士の家系

幕末の領地

・美作国
真島郡の107村(全112村中)
大庭郡の1村

(参考文献)『落合町史 地区誌編』勝山町史編集委員会(編)勝山町(1982年)

(2023年6月12日無断掲載終)
。。。。。。。
(https://ameblo.jp/inaba-houki-castle/entry-12394152402.html)

勝山城 旧真庭郡勝山町(真庭市勝山)
2018年10月3日

天保書上五四城の一で、「古城之覚」は真島郡高田村の「高田山」として、城主を三浦駿河守貞連とし、「後太平記」を引いて永禄末期の高田城を巡る交戦に触れるなどしている。「作陽誌」は「大総山として、本城を如意山、山へは一二○間、周り一六町、その南は「二廓」で勝山といい、合わせて大総山城と記す。天保国絵図に「勝山城」とある。「美作鏡」は「勝山城」とし、『真庭郡誌』は、勝山城(高田城・大総山城)として現在、大佐分利・小佐分利といい城山と総称、一名を津府山・大顆山とする。

高田城の城主は三浦貞連に始まり、子の貞国、孫の貞久と代々継続したとされる(「作州高田城主覚書」)。享禄五年(1532)、尼子氏は美作国への侵攻にあたり、備中国の新見氏を高田城の在番としており(東寺百合文書)、また天文十三年(1544)十一月、尼子国久・誠久・敬久父子は備後国を経て美作国に討ち入り、浦上氏が軍勢を籠める「高田」など三ヶ城を落とし、出雲国に帰陣したとされる(「安西軍策」)。同十七年九月に城主の三浦貞久が籠城のなか病死したのち、城には尼子氏の家臣宇山飛騨守が在城したとされる(「作州高田城主覚書」「作陽誌」)。永禄二年(1559)二月、貞久の弟貞勝を擁立した牧河内らは合戦のすえ、宇山氏を駆逐、貞勝が高田城に入ったが、同七年(八年とも)十二月、家臣の金田氏によって自刃した。まもなく牧氏は貞広・貞勝の「祖父」とされる三浦貞守を擁立、高田城へ戻ったといい、貞広も永禄八年の九月には高田城へ回復した(「作州高田城主覚書」、岩見牧文書、美作美甘文書など)。

しかし同十一年二月、毛利氏に対して反抗した「三浦衆」らが「高田表」で討ち果たされ、同月十九日には毛利方の長・香川・宍道氏は謀って三浦貞守に切腹させたとされ、以降、毛利方の兵が在番した。難から逃れた牧氏は翌同十二年に三浦貞広を擁立し、十月には高田城を攻撃し回復、貞広は入城を果たしたとある。しかし天正二年(1574)以降、三浦氏は宇喜多方の侵攻を受け、さらに翌同三年以降の毛利勢の攻囲に九月十一日、貞広は宇喜多直家の仲介により下城、高田城は落去し、城には毛利方の楢崎元兼が入城したとされる(「吉川家中并寺社文書」、香川家文書、「閥閲録」、「作州高田城主覚書」、「作陽誌」)。以降、毛利方の拠点として推移し、毛利氏と羽柴氏の和睦ののち同十二年正月、安国寺恵瓊は児玉元良らに対し、「高田・岩屋・宮山・高仙」の城へ国元からも退去を言い聞かせるように要請している(毛利家文書)。

楢崎元兼が退去した跡には、牧藤左衛門を始めとした三浦氏旧臣が在番しまが、まもなく服部隠岐守も交代となったといい、篠向城(真庭市三崎・大庭)の城主江原親次の家臣中島本政は走者を討った功により「高田城主服部隠岐」から脇差を与えられたという(高田城主覚書、美作勇山寺文書、美作岡田家文書、中島本政覚書)。

一説には宇喜多氏の家臣不破内匠が城を抱えたともいう(「武家聞伝記」)。また慶長三年(1598)九月に戸川達安は宇喜多秀家から「山内・高田近辺」五千百石を預け置かれ、達安組の岡市丞も同年に「高田城領」として千石を加増されている(秋元興朝所蔵文書「宇喜多秀家家士帳」)。同五年八月、関ヶ原合戦に先立ち、宇喜多秀家は領国内の城の在番に対し人質の差出を求めており、その内に「高田中務」として小瀬中務がみえる(新出沼元家文書)。

宇喜多氏の没後、慶長六年(1601)からは小早川秀秋の陪臣木下斎之助が城を抱えたという。慶長八年からは各務四郎兵衛が、同十四年春以降は大塚丹後とその子息が五代、相次いで城を抱えたという(「武家聞伝記」)。

(美作国の山城より)

(2023年6月12日無断掲載終)
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(http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mi_miura.html

美作三浦氏(桓武平氏三浦氏族)
丸に三つ引両

 三浦氏は関東の豪族三浦義明の後裔と伝えられる。すなわち三浦義明の子義澄の弟に佐原義連がおり、義連の子横須賀時連の子に杉本下野守宗明がいた。そして、宗明の次男貞宗が美作三浦氏の祖になったという。しかし、貞宗の美作入部の時期については、諸説あってよく分からない。美作に入部した貞宗は高田城を築き、随慶寺・化生寺を建立した。その後五代にわたり、在地豪族として勢力を築き、貞連のときに全盛期を迎えるのである。

 貞宗の子行連について、暦応二年(1339)十月の天龍寺創建に際して、随兵として三浦遠江守行連の名が見え、その後、貞和五年(1349)、高師直と足利直義が不和となった「観応の掾乱」のとき、行連は師直方となって、直義邸を三浦駿河次郎左衛門藤村とともに襲撃している。さらに、同四年、応安元年(1368)に、越後奥山庄についての近隣土豪の領内侵入を幕府に訴えていることが、三浦和田文書に見えていることから、行連は父貞宗とともに横須賀に在住し、いまだ、美作高田には下向していなかったようだ。

 長亨元年(1487)、足利将軍義尚の江州在番衆に三浦駿河守貞連の名がみられる。すなわち、足利義尚が、近江守護佐々木高頼を討伐した際に、貞連は佐野貞綱、有元民部丞、安威新左衛門らとともに、将軍に従って、近江坂本に出陣したのである。

乱世と三浦氏

その後、応仁の乱が勃発し、美作の守護は赤松、山名の両氏が交互に争奪するところとなり、文亀年中、当時の守護山名氏の篠向城を攻略、家臣福島・金田等にこれを守らせた。『作陽誌』に、「貞連恒に篠向城を伺う、一日攻めて城将山名右京亮を殺し、その将福田、金田、近藤等をして之を守らしむ」とある。このころから、三浦氏も戦国時代の争乱の中に巻き込まれていった。そして、この頃までに福島・金田・牧・船津等の在地土豪を家臣団に編成したものと考えられる。

 天文元年(1532)七月、三浦貞国が没し、その子貞久が家督を継いだ。貞久の代、天文四年のころには、本庄・建部郷を勢力下に収めている。このころ、出雲の尼子晴久は伯耆、稲葉を攻略し、天文十三年(1544)、美作の久米郡、苫田郡、勝田郡の諸城を陥し、その部将宇山久信は二千余騎で高田城に迫った。これに対し、貞久はよく城を守り、尼子軍を撃退した。その後、尼子氏との戦いは天文十六年(1547)にもあったが、このときも尼子軍をよく撃退した。ところが、同十七年、貞久が病死し、嫡子貞勝が十一歳で家督を継いだ。そして、幼少の貞勝を叔父の忠近・貞尚・貞盛らが後見した。

 貞久の死を知った尼子氏は、その機に乗じて攻撃を開始した。これに対した三浦氏の浦山城、沢の城、美甘、大料の諸城は陥され、尼子軍は高田城に迫った。尼子方の大将は宇山飛騨守であった。三浦城はよく防戦したものの宇山氏の猛攻に、ついに高田城は落城した。

 落城後、貞勝は叔父貞尚に扶けられ、浦上氏の部将で久米郡岩屋城主の中村五郎左衛門を頼っていた。そして、永禄二年(1559)、尼子氏が安芸の毛利氏の攻撃を受けている隙を突いて、貞久の旧臣牧兵庫助・金田加賀守等が高田城を奪回し、貞久の嫡男貞勝を城主とした。
しかし永禄の初め、尼子氏の勢力が衰えてくると、西より毛利方に属していた備中松山城主三村家親が毛利軍の先鋒となって、永禄四年(1561)、同八年と美作の諸城を攻撃し、永禄八年十一月、高田城を攻撃した。攻防一ケ月、高田城は猛攻に耐えかねて、貞勝は自刃、城はふたたび落城した。

三浦氏の興亡

 落城のとき、貞勝の妻お福の方は、子の桃寿丸とともに城を脱出し、備前津高郡下土井村に隠れた。その後、三村家親は、当時、美作久米郡を領有する宇喜多氏を攻撃したため、宇喜多氏により永禄九年(1566)暗殺されるという事件があった。三村家親が暗殺されると、この虚に乗じ、三浦家旧臣の牧・玉串・市氏らは、貞久の末弟貞盛を大将として、高田城を攻撃し、城将の津川土佐守を討って、城は再び三浦氏の手に戻り貞盛が城主となった。

 しかし、貞盛の在城も永くな続かなかった。当時、毛利氏に降った尼子氏の再興を図り、山中鹿介らは尼子勝久をかついで毛利氏に対抗しようとしていたのである。これを知った毛利氏は、尼子勝久攻略を開始し、高田城もその攻撃の対象となった。永禄十二年(1569)、毛利の部将香川晴継、牛尾、三沢、三刀屋等の軍が高田城を攻撃、城は落ち、貞盛は討死した。

 落城当時、備中に出陣して合戦に参加していなかった貞盛の甥、貞勝の弟貞広が三浦氏の家督を継承し、備前の宇喜多直家に加勢をたのみ、直家から四千の援軍を得て、高田城奪還の攻撃を開始した。このころ、貞勝の死後、備前に逃れていたお福の方は、宇喜多直家の室となっており、その子桃寿丸を直家は我が子同様に養育していた。直家からの援軍はその縁故によるものであったろう。

 貞広の攻撃に対して、毛利方の護りは堅く、城はなかなか落ちなかった。そのうち、城中の尼子氏の旧家臣が毛利方を寝返るという事件が起こり、毛利元就は、当時九州攻めの兵の一部を割いて高田城救援に駆けつけさせた。そして、激しい合戦が繰り返されたが、城は落ちず、宇喜多勢はあきらめて兵を引いてしまった。やむなく、貞広は尼子の大将山中鹿介に援軍を求めた。鹿介は、これを容れて千余の軍を率いて援軍にきた、ここに至ってさすがの毛利方も敗れて、高田城は落城した。時に元亀元年(1570)十月、高田城は三度、三浦氏の手に帰した。

流転、そして滅亡

 しかし、その後も毛利氏の美作侵略は続き、天正元年(1573)、同二年、同三年と連年、三浦氏の属城を攻撃している。さらに毛利氏のみではなく、宇喜多氏も、高田城を攻略しようと、その属城を攻め始めた。ここに、三浦貞広は、毛利氏、宇喜多氏の二大勢力にはさまれ、孤立無縁となった。天正四年(1576)春、宇喜多氏は、老臣花房助兵衛を城に入れて、毛利氏との和議を貞広に説いた。結局、貞広はころを容れる以外になく、城を開いて、毛利氏の軍門に降った。

 一方、直家のもとで養育されていた貞勝の遺児桃寿丸は、天正十二年(1584)京都に上ったとき、地震に遭い圧死するという悲運に見舞われた。そして、ここに三浦氏再興の途は絶たれ、美作三浦氏へ滅亡にいたったのである。

(2023年6月12日無断掲載終)
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上記の三つの引用の動機となる過去ブログは、こちらを(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100108)。

鳩山一郎氏の本妻である薫子さんが、うちの主人の母方の祖母と縁戚だったという話です。つまり、三浦家の家臣として、昔は鳩山家と同僚士族でした。
孫の邦夫氏や由紀夫氏とは関係ありません。

今は昔の物語。おしまい。

(2023年6月12日記)
……………
2024年2月11日追記

上記の話の詳細は、過去ブログに掲載しておいた。(Lily)

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5136&action)
2023年6月12日付「美作勝山藩」

伊丹市立ミュージアムで開かれている月一回2時間の古文書研修会(旧伊丹市立博物館からの継続)では、午後になると1時間半、地域の岡田家から寄託された大量の古文書整理のボランティアをしている。阪大史学科の院生さん達数名がお手伝いに来られるのだが、その中に一人、美作の出身だという綱澤君と知り合いになった。

主人の母方の実家が「三浦家の家臣だった」ことを伝え、どのように資料を探したらよいかと尋ねると、即座に「勝山の云々」を教えてくれた。

2024年4月から、彼は津山で学芸員になる予定(内定)だそうだ。早速、「今度、お墓詣りに行ったら、帰りに立ち寄るわね」と口約束。メールの交換もしたので、これからはもっと調べが進みそうだ。

(2024年2月11日記)

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「どん」「ちゃん」「さん」

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667830565226319873)
Lily2@ituna4011
丁稚奉公の間、丁稚の仲間同士では互いに ○○どん と呼び合っていたそうだ。
時は戦後のバブル期、クラスメイトが私ともう一人の女子学生を呼ぶのに、
○○どん
と言っていた。彼女は番頭さんになったつもりだった?
6:46 PM · Jun 11, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667978686950424577)
Lily2@ituna4011
ところで、
○○どん
だったのに、いつの間にか気がつくと 私の苗字を○○に入れて、
○○ちゃん
に変わっていた。
4:34 AM · Jun 12, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667979005105172481)
Lily2@ituna4011
もう一人は、卒業まで
○○どん
のままだった。 なぜ?
4:35 AM · Jun 12, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668002024552824833)
Lily2@ituna4011
どん付けで呼んでいた彼女のことを 私達は入学した最初から卒業する最後まで
苗字の上半分+さん
と呼んでいた。 身分制度の名残り?
6:07 AM · Jun 12, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668002276194279424)
Lily2@ituna4011
どん ちゃん さん
の身分の違いを述べよ。
6:08 AM · Jun 12, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1667831501512404992)
Lily2@ituna4011
昔は、階級によって、名前や呼び名が細かく分かれて決まっていた。 髪型や着物の着方が階級や年齢や目的によって決まっていた。 その方が外見で判別できる利点があった。
6:49 PM · Jun 11, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1668023499959726080)
Lily2@ituna4011
でも、三人とも仲良くしていたんですよ、誤解なきよう。 身分差があるから、かえって安定することもあり、分を守る限り、平和に共存できる。 違いをなくして平等にしようとすれば、逆にトラブルが起きる。
どん、ちゃん、さん、の教訓でした。
以上
7:32 AM · Jun 12, 2023

(2023年6月12日転載終)
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私達三人とも、18歳で愛知の国文学界に「丁稚奉公」していたんです。
卒業する4年後には、お互いに随分成長しました!

名字の上半分で「○○さん」と呼ばれていた「番頭さん」は、卒論発表会に選ばれ、万葉集における鳥の現れ方について堂々と研究発表しました。
名字に「ちゃん」をつけて呼ばれていた私は、その後、教授の勧めで大学院に進学しました。
名前の上半分で「○○どん」さんは、早くに結婚され、文字通り良妻賢母になりました。
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大阪船場の商家に住み込み、丁稚奉公していた地方出身の少年達。最初は丁稚から始め、手代➡番頭➡別家独立(暖簾分け)と進む。屋号は同一だった。
呼び名は、「●●どん」の丁稚名に始まり、昇格するにつれて、「●造」「●蔵」や「●三」「●吉」そして「●七」「●助」と名前が変わっていった、という。
船場がどうだったのかわからないが、ご奉公は必ずしも固定化された身分制度ではなく、ある意味で実力主義でもあり、昇進の早かった男の子は、十代で早くも暖簾分けで一家の主となった、と聞いている。衣食住や礼儀作法から読み書き算盤の教育まで面倒を見ていただけて、気働きができて勤勉で賢く「見どころがある」と評価されれば、良い家からお嫁さんをもらえるし、頑張り甲斐があったことだろう。
旦那衆は、それだけの身代を有していなければならず大変だったが、世の中の仕組みとしてはうまくできていた、と思う。

(参考:大阪市の少彦名神社の社務所3階にある「くすりの道修町資料館」+ 岡山県津山市にある森本慶三記念館(旧津山基督教図書館)の説明)

ちなみに、2021年8月に立ち寄った津山の記念館は、1926(大正15)年に建築された木造三階建で、基督教文書伝道を目的として設立された日本唯一の「基督教公共図書館」だそうです。創設者は内村鑑三の門下だった森本慶三で、内村が講演した説教台も残っていました。今は「歴史民俗館」として、江戸期の富裕商人の暮らしを中心に展示しています。そこに、丁稚制度が法被や暖簾も添えて説明されていました。

戦後教育のマルクス主義史観では歪められてしまった、古き良き遺産でした。

(2023年6月12日記)
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2024年2月11日追記

大阪市の少彦名神社について。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1755735636584399354)
Lily2@ituna4011
ここの神社の宮司様は、毎日とても忙しいです。
8:29 AM · Feb 9, 2024

(2024年2月11日転載終)

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医道

以下の内容は、緒方洪庵の適塾に連なることであろうし、大阪大学で医学概論を講じられた澤瀉久敬氏が述べていたこととも共鳴する。医師が病を癒すのは当然のこととして、人々の健康を保持し、増進するよう指導すること、それによって社会の健全化を図ること、これが医道である、という。なお、下記の文面は、レイアウトの関係上、引用ページ数の位置を見やすく変えた。(Lily)
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国際派日本人養成講座 (http://jog-memo.seesaa.net/article/495487796.html)

No.0463 北里柴三郎 ~ 大医は国を治す
2006年9月17日

「医の真道は人民の健康を保ち、その業を務めしめ、もって国家を興起富強ならしむるにあり」

H18.09.17 ■ 34,351 Copies ■ 2,218,241 Views■

1.「日本の大学者北里来る」

 明治25(1892)年3月、パリに着いた翌朝、北里柴三郎は新聞を見てびっくりした。どの新聞も「日本の大学者北里来る」と大見出しで報道していたからである。
 北里はその6年前から、細菌学の確立者、ベルリン大学のロベルト・コッホ教授のもとで研究に打ち込み、破傷風菌の純粋培養などに成功して、「コッホの四天王」の一人と呼ばれる存
在になっていたのである。
 パリでは念願のパスツール研究所を訪問し、師匠のコッホ博士と並び立つ細菌学者ルイ・パスツールと親しく歓談して、「北里博士へ、すばらしい研究に敬意と祝福をこめて」と書いてサインした写真を、この巨人から贈られた。
 その後、アメリカに渡って2週間ほど滞在したが、ペンシルバニア大学やブルックリン市立病院(ニューヨーク州)などから、「年額40万円の研究費のほかに、年額4万円の報酬を支給する」という、とてつもないオファーがあったが、北里は断固として拒否した。
 北里はすでにドイツで研究していた頃に、ケンブリッジ大学から、細菌学研究所を設置するのでその所長として来て欲しい、との要請を受けていたが、断っている。断りの返事に彼はこう書いている[1,p28]。

(明治天皇から)帰朝の上、我が帝国臣民の民の概病(結核)に罹るものを療せよとの恩命あり。生(自分)は目下他事を顧みずこの研究に従事し、明年帰朝の上は、我が学び得たるところの術をもって我が同胞の疾苦を救い、聖恩(天皇の御めぐみ)の万分の一に酬い奉らんとの微志に候。

2.「医の真道」

 北里柴三郎は明治維新の15年前、嘉永5(1853)年、肥後の国(熊本県)阿蘇に生まれた。北里家は清和源氏の流れを汲む武家であり、柴三郎は幼少の頃から「自分は由緒正しい武家の血を引いているのだから、立派な武士となって祖先の名を顕揚しよう」と決意していた。
 明治2(1869)年、17歳にして入寮した熊本の藩校・時習館は、廃藩置県を前にして、廃止されてしまった。やむなく、開明的な藩主だった細川護久が設立した「熊本医学校」に入学し、御雇い外人であるオランダの軍医ゲオルゲ・ファン・マンスフェルトから医学を学んだ。しかし、北里は内心では軍人か政治家になりたいと思っていた。
 ある日の実習で、柴三郎は顕微鏡で拡大した身体の組織を見て、言うに言われぬほどの感激を覚えた。柴三郎は、この時初めて「医学もまた学ぶに値するかもしれない」と思った。
 明治8(1875)年には東京医学校に入学。後の東京大学医学科である。十数名の仲間を誘って、「同盟社」と称するクラブを結成し、政治、外交、軍事などの演説会を開いた。北里は「医学道」と題した演説でこう述べている。

古人言う、医は仁の術なり、また言う大医は国を治すと。医の真道は天下の蒼生(人民)をして各その健康を保ち、その職に安んじ、その業を務めしめ、もって国家を興起富強ならしむるにあり。

 明治16(1883)年に医学士として卒業した北里は、内務省衛生局に入った。医学の政治、国を医する衛生事業を司ることこそ、自分の素志に近い、と考えたからである。

3.「私は世界的な学者になるつもりで勉強している」

 明治18(1885)年、ドイツ留学の辞令を内務省から受けて、北里はベルリン大学の衛生学主任教授ロベルト・コッホを訪れた。コッホは炭疽菌、結核菌、コレラ菌などを発見して、これらの細菌が伝染病の病原である事をつきとめた人物である。
 下宿と教室の間の道よりほかには知らないほど、研究に打ち込む北里の姿にコッホは注目した。北里は内務省に次のように書き送っている[1,p13]。

日本では開国してまだ日が浅く、何一つとして欧米文明諸国と肩を並べられるものがない。世界的に評価されている学者もいない。だから私は世界的な学者になるつもりで勉強している。

 こうした努力の成果、北里は世界的な水準の論文を次々と発表していった。その中でも画期的だったのは、破傷風菌の純粋培養に成功した事であった。当時の代表的な細菌学者たちが何年研究しても成功せず、サジを投げていた難題を北里は解決して見せ、学界を驚かせた。北里は破傷風菌が酸素があると活動が悪くなる「嫌気性菌」であることを発見し、無酸素状態を作る「北里式亀の子コルベン」という器具を考案して、培養に成功したのだった。

4.血清療法の開発

 さらに北里を「世界的な学者」と認めさせたのは、伝染病予防の特効薬とも言うべき血清療法を開発したことである。
 北里は破傷風という病気は、菌そのものではなく、菌が作り出す毒素によって起こること、その毒素を少量づつ動物に反復注射すると免疫が出来て、致死量以上の毒素注射にも耐えるようになる事をつきつめた。そして、その血清(血液の上澄み部分)中に毒素を無害化する物質が出来ていることを発見し、これを「破傷風抗毒素」と名づけた。この抗毒素を含む血清を別の健康な動物に注射すると、破傷風菌に感染しても発病しなかった。コッホは次のように語っている[1,p24]。

そのころは未だ伝染病に対する原因療法は一つもなかったのであるが、実に北里の研究によって血清療法が創始されたのである。当時自分のもとでベーリングがジフテリアの免疫について研究していたが、つねに北里の破傷風の研究に導かれて漸次進められた。・・・・これは、破傷風の研究が近世の治療医学で一新紀元をなしたものと認められる所以である。

 コッホは北里を助手として、結核の治療薬「ツベルクリン」を開発したことを発表。そのニュースは世界を駆けめぐり、それによって、北里の名も知られるようになった。パリで「日本の大学者北里来る」として迎えられたのは、この為である。
 なお、コッホの発言にあるベーリングは、当時ヨーロッパで大流行していたジフテリアに対して、化学薬剤による殺菌療法を研究していたが、北里の免疫血清療法に導かれて、共同研究を行った。ベーリングは「血清療法、特にジフテリアに対する血清治療の研究」を理由として、第一回のノーベル生理学医学賞を受賞しているが、コッホの言葉を信じれば、北里こそノーベル賞にふさわしい業績を残した、という事もできる。
 なお、北里が血清療法を発見した留学最後の一年は、明治天皇からの特別の恩賜金によって延長されたものであった。「(明治天皇から)帰朝の上、我が帝国臣民の民の概病(結核)に罹るものを療せよとの恩命あり」という言葉はこの事を指す。ケンブリッジ大学やペンシルバニア大学からいくら札束を積まれても、北里の報国の志は動かなかったのである。

5.日本最初の伝染病研究所

 ドイツ留学を終え、フランス、イギリス、アメリカを経て、明治25(1892)年5月に帰朝した北里を追うように、ドイツ皇帝ウィルヘルムから託されたメッセージが陸奥宗光外務大臣から、明治天皇に伝えられた[1,p61]。 

陛下の臣民北里柴三郎は、久しくわがドイツ帝国にあって伝染病の研究に尽し、医学の発展に貢献してきました。このような人物をわがドイツ帝国において養成できましたことはこの上ない喜びであり、また、日本の陛下の臣民よりこの人物を出したことは陛下のお考えに適うところにちがいなく、心より祝意を呈する次第であります。

 帰朝後の北里は、大車輪で「陛下のお考え」に適う活動を始める。その第一は、コッホにならって、日本にも伝染病研究所を設立することであった。日本には日本特有の伝染病があり、その予防・治療の研究は、国家的要請であった。
 しかし、次年度に予算を申請しても、設立は2年後になってしまう。この時、乗り出したのが福沢諭吉であった[1,p65]。

すぐれた学者を擁しながらこれを無為に置くのは、国家の恥ではないか。つまらん俗論にこだわってはいけない。この際、資金を集めてから仕事にかかるよりは、まず仕事を始め、それから方策を立てたらいい、私から行動を起こそう。

 と言って、福沢は土地を提供し、2階建て6室の建物を建ててくれた。福沢の友人・森村市左衛門が研究設備や機器の購入代金を寄付した。内務省は北里を技師に任命し、この研究所で自由に研究することを許可した[a]。こうして日本最初の伝染病研究所は民間の力によってスタートしたのである。やがてこの研究所は、コッホ研究所、パスツール研究所と並んで、世界3大研究所の一つと称されるようになっていく。

6.血清療法の事業展開

 伝染病研究所は、研究部門だけでなく、伝染病患者の治療部門、地方各府県の衛生担当者を対象にした講習会部門、そして免疫血清の製造部門があった。
 製造部門で生産したジフテリアの免疫血清を、治療部門に入院した患者353人に注射してみると、実に90パーセント以上の治癒率をあげた。
 明治28年はコレラが流行し、5万5千人が罹病して、うち4万人が死亡した。死亡率73パーセントである。北里は自ら開発したコレラ用血清を193人の患者に施した所、死亡率を33パーセントに抑えることができた。
 このような特効薬を独占販売すれば、莫大な利益を上げることができるが、政府は民間の業者が粗製濫造することを憂慮し、北里に官業にしたいと申し入れた。北里は、国民国家の利益になる以上、快くこれを国家に献上することは本懐だとして、申し入れに応じた。
 明治29(1896)年10月、国立の「血清薬院」が事業を開始したので、北里はただちに研究所での血清製造を中止し、その設備一切を献納した。さらに血清の製造技術にもっとも習熟していた高弟・高木友枝をその院長として派遣し、自らも顧問を引き受けた。
 ちなみに、免疫血清療法の共同研究者で、ノーベル賞を受賞したベーリングは製薬会社から権利料を受け取っていたという。

7.ペストと赤痢の病原菌発見

 伝染病研究所所長として国全体の衛生事業を展開しながらも、北里は研究面においても、ペスト、および赤痢の病原菌の発見という世界医学史上にのこる偉業を成し遂げた。
 明治27(1894)年3月に、香港でペストが流行し、数百人の死者が出た。北里は政府の命令で、帝国大学医科大学教授・青山胤道らとともに、香港に渡り、患者のリンパ腺などから試料を採集して、ペスト菌を発見した。しかし、青山はペストに罹り、重態に陥ってしまった。
 心配した福沢諭吉は、「北里は日本の宝だから絶対に死なしてはならん。早く呼び戻してくれ」と政府にかけあって、帰国させた。北里は明治天皇から「旭日中綬賞」を賜り、幸いにも全治して帰国した青山とともに、千名を超す名士による帰国歓迎会が開催された。
 もう一つの赤痢菌の発見は、明治29(1896)年12月に帝国医科大学を卒業し、伝染病研究所に入所した志賀潔によってなされた。この頃、赤痢が大流行し、明治26(1893)年には罹災者16万7千人、死者4万1千人もの被害が生じていた。
 志賀は北里から細菌学の手ほどきを受けた後、その指導のもとで、赤痢菌の発見を目指した。そして明治30年12月、「赤痢菌病原菌報告」と題する最初の、そして世界医学史上画期的な論文を発表した。志賀自身はこう語っている[1,p88]。

私は大学を出たばかりの若僧だったから、先生の共同研究者というよりも、むしろ研究助手というのが本当であった。しかるに研究が予期以上の成果をあげて論文を発表するに当り、先生はただ前書きを書かれただけで、私一人の名前で書くように言われた。普通ならば当然連名で発表さ
れるところである。・・・発見の手柄を若僧の助手一人にゆずって恬然としておられた先生を、私はまことに有り難きものと思うのである。

8.「大医は国を治す」

 北里の志は、あくまで国民の健康を保って、その業を務めしめ、もって国家を興起富強ならしむる所にあった。それに比べれば、自分一身の名声などはどうでも良いことであったろう。ノーベル賞を逃したのも、こんな姿勢の故ではないか。
 志賀と並んで、北里が育てた医学界の巨人が野口英世である。野口は明治31(1898)年4月に、「細菌学を研究したいので、どうしても入所したい」と頼み込み、図書係兼見習い助手として採用された。野口は医術開業試験に合格した正式の医師であったが、ほとんど学歴がなかったので、正式所員としては採用できなかったのである。野口は一年後正式の助手となり、研究所を視察したアメリカのジョン・ホプキンス大学のサイモン・フレキシナー教授の通訳をした縁で、翌々年に渡米し、世界的な業績を上げるのである。
 北里は、その後、福沢への報恩を兼ねて慶応大学医学部の創設を行い、さらに北里研究所・日本医師会・日本結核予防協会の設立、伝染病予防法の制定、恩賜財団・済生会初代病院院長としての救療済民事業などに尽力した。わが国の近代的な公衆衛生の確立において、北里柴三郎の貢献は計り知れない。
 北里は昭和6(1931)年6月、78歳にして逝去した。20代で立てた「大医は国を治す」との志そのままに生きた人生であった。

砂川幸男「北里柴三郎の生涯」NTT出版 H15 

© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.

(文責:伊勢雅臣)

(2023年6月11日無断転載終)
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2023年9月5日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1698500612621545631)

Lily2@ituna4011
25年前を思うと隔世の感。
澤潟久敬先生の著作が今再び、新たな光の下、重みを持つ。
ソビエト医学、エジプト医学、ローマ医学等と共に、漢方医療にも真剣な眼差しを注がれた。
西洋医学万歳の潮流の中、漢方治療の正当な位置づけを主張された。
9:57 AM · Sep 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1698498515834388720)

Lily2@ituna4011
漢方では、蝉の抜け殻まで使うらしい。
夏の終わりに道端にひっくり返っている蝉。
製薬化するには、どれほどの蝉の抜け殻をかき集めたことか。
最近では、統合医療が先端研究。日本でも、ようやく起動。西洋医学と日本の伝統芸である漢方医療との融合の試み。論文はリジェクトで大変らしいが。
9:49 AM · Sep 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1698496981767708687)

Lily2@ituna4011
失礼。ガマガエルではなく、ヒキガエルでした。
誰がどのように解剖して部位を取り出したのか?
誰が人体実験台になったのか?
失敗事例は?
興味は尽きない。
9:43 AM · Sep 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1698496276675928210)

Lily2@ituna4011
長らく自分にはご縁のなかった薬の話。健康であるように心掛けてきたために、知らなかった話が満載。
救心製薬は昔からCMでお馴染みだったが、初めに薬の調合を考えた人は凄いと圧倒される。
ガマガエル、鹿、牛、豚を見て、薬として使ってみよう、と思い立つところが意表を突いている。
9:40 AM · Sep 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1698486313509363996)

Lily2@ituna4011
鹿さん、ヒキガエル君も。
9:01 AM · Sep 4, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1698485976002068687)

Lily2@ituna4011
救心の効果|飲むと危険?注意点は?副作用についても解説 https://minacolor.com/blogs/articles/953
← 豚さん、牛さん、貝の真珠さん等から作られたお薬。
8:59 AM · Sep 4, 2023

(2023年9月5日転載終)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture | Leave a comment

Jewish attack against Christians

Herald Malaysia(https://www.heraldmalaysia.com/news/wcc-condemns-attack-against-christian-rally-in-jerusalem/71338/1)

WCC condemns attack against Christian rally in Jerusalem

1 June 2023
by Lisa Zengarini

The General Secretary of the World Council of Churches (WCC), Rev. Jerry Pillay, expresses concern over a violent protest by Jewish extremists against an Evangelical Christian event in Jerusalem, upholding that Jerusalem is a shared Holy City of three religions.

The World Council of Churches has joined in condemning a violent protest by far-right Jewish activists against an Evangelical Christian event in Jerusalem on 28 May, the latest in a number of acts of intolerance and harassment against Christians in the Holy Land.

The incident took place at the Jerusalem Archaeological Park – Davidson Center, adjacent to the Western Wall and the Jewish holy site of the Temple Mount, where hundreds of Christians, including Evangelical supporters of Israel, had gathered for a prayer rally.

The worshippers were met by dozens of far-right Israeli protestors insulting and spitting on them, destroying windows, and shouting at them to leave. Among them Rabbi Zvi Thau, the spiritual leader the far-right Noam Party, the chairman of the Ateret Cohanim organization, Matiyahu Dan, and the deputy mayor of Jerusalem, Arieh King, who was reported as saying to the crowd: “Let them pray in their churches, not at the holiest place to Jews, at the south entrance to the Temple”.

Ten of the protesters were reportedly arrested by the police.

Anti-Defamation League: a despicable hate speech by Jewish extremists

The violent protest has sparked an outcry of condemnation, including that from Israel’s Anti-Defamation League which described the protestors’ actions as “Despicable hate speech by Jewish extremists against Christian worshippers in Jerusalem.”
The Secretary General of the World Council of Churches, Rev. Jerry Pillay, also condemned the incident on Tuesday, upholding – once again – that “Jerusalem is a shared Holy City of three religions: Judaism, Christianity, and Islam”.

WCC: Violations to the Status Quo bring violence

“Violations to the Status Quo bring division, hardship, and violence,” he said, urging the support of the international community and all people of good will “to keep Jerusalem as a city that respects the rights of all the people in the Holy Land”.
While not referring to the protest explicitly, the Israel Foreign Ministry said in a statement that it condemned “any violation of freedom of religion and worship in Jerusalem and any violence against religious officials in the city”.

Christian community under increasing attack

Churches in the Holy Land have repeatedly raised concerns about attacks and harassment by extremist elements in Israeli society, and the grave threats posed to the Christian presence in the region.
Attacks targeting churches and Christian properties, in addition to physical and verbal abuse against Christian clergy have become a regular occurrence in recent times, with the most right-wing government in Israel’s history emboldening extremists.
In a recent statement commemorating the Palestinian al-Nakba, on May 15, the Patriarchs and Heads of the Churches in Jerusalem called again upon the international community to play a greater role in supporting the protection of all communities and in preserving holy places as established by the “Status Quo” rules.

Vatican News

(End)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1664174637574651905)
Lily2@ituna4011
右派ユダヤ系がクリスチャンを攻撃。
4:38 PM · Jun 1, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1664175492071817216)
Lily2@ituna4011
イスラエルを讃えている人は、どう反論を?
4:42 PM · Jun 1, 2023

(2023年6月11日転載終)

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