《過去ブログ》
「元総理への銃撃(1)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220708)2022年7月8日付
「元総理への銃撃(2)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220718)2022年7月18日付
「元総理への銃撃(3)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220721)2022年7月21日付
「元総理への銃撃(4)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220728)2022年7月28日付
「元総理への銃撃(5)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220730)2022年7月30日付
「元総理への銃撃(6)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220730)2022年7月30日付
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1.『読売新聞』(https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220709-OYT1T50053/)
「これで私も終わりかもしれないね」強気だった安倍元首相、何度か吐いていた弱音…評伝
2022年7月9日
安倍晋三・元首相は、常に物事を戦略的に考える人だった。
銃撃現場は道路となる予定、奈良市長「歴史的事件の場所として記録する必要」
第1次内閣は、教育基本法の改正など自らの政治理念にこだわり過ぎて、短命に終わった。
その失敗を教訓に、第2次内閣以降は、硬軟織り交ぜた政権運営に徹した。集団的自衛権の限定的な行使を容認し、安全保障関連法を整備する一方、働き方改革など野党が主張していた政策にも柔軟に取り組んだのは、その象徴と言える。
労働団体のように経済界に賃上げを迫り、教育無償化を進め、若い世代にも自民党の支持を広げたことが今の強い党の土台にある。
国会では、野党を挑発するかのような攻撃的な答弁が目立ったが、演説で力強く政策を語る姿は、多くの人を引きつけた。
「何事も、達成するまでは、不可能に思えるものである」
安倍氏は2014年の施政方針演説で、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の言葉を引用し、難題に取り組む考えを強調していた。安倍氏の強い信念と情熱を最も表していたと思う。安倍氏は「リーダーは時運をつかみ、絶対に手放してはいけないんだ」とも常々、口にしていた。
ただ、憲政史上最長の長期政権は、常に倒閣の危険と隣り合わせだった。消費増税の先送りには財務省が反発し、「安倍おろし」を画策した。集団的自衛権の憲法解釈変更も、後ろ向きだった内閣法制局との綱引きが続いた。
野党や一部のマスコミには「最悪の内閣だ」と批判されたが、麻生太郎氏や菅義偉氏らと協力し、試練を乗り越えた。気心の知れた首相官邸のチームも安倍氏を支えた。
「これで私も終わりかもしれないね」
強気の安倍氏も取材に、何度か弱音を吐いたことがあった。政権を維持していくことがいかに難しいかを感じた。政治担当の記者として、安倍氏の取材に携わることができたことは、この上ない経験だった。
憲法改正や、北朝鮮による日本人拉致問題の解決が実現しなかったのは心残りだろう。
享年67歳。がんで亡くなった父・安倍晋太郎元外相と同じ年齢だ。昨年9月、誕生日を迎えた安倍氏は「俺もとうとう、おやじが死んだ年になった。本当、体調に気をつけないとな」と語っていた。こんな理不尽な形で命を奪われるとは、悔しくてならない。(論説副委員長 尾山宏)
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2.(https://nordot.app/918799313655398400)
「安倍晋三元首相は、わずかな笑みを残したまま崩れ落ちた」
共同通信の取材記者が記録した、事件発生からの2日間
2022年7月11日
© 一般社団法人共同通信社
奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説する自民党の安倍元首相。この直後に銃撃された=8日午前11時半ごろ
「被害者は、安倍晋三元内閣総理大臣。殺人事件に切り替え、全容の解明に努める所存であります」。7月8日午後、奈良県警が記者会見で発表した内容は、分かっていても衝撃的だった。歴代最長政権を築いた元首相が、1人の男が放った銃弾で命を落とした。享年67歳。誰も予期しなかった突然の死は、国内外に大きな衝撃を与えた。
「総理!頑張れ!」「晋ちゃん、晋ちゃん!」火薬のような臭いの中で飛び交う怒号、血だまりで続いた懸命の心臓マッサージ、恐怖や悲しみに震える人々。民主主義を揺るがす大事件はどのように発生し、誰が何を語ったのか。あふれる情報の中で改めて事実を整理するべく、取材記者たちの記録で振り返った。(共同通信取材班)
▽血だまりの中、必死の心臓マッサージ
8日午前11時半。例年にない猛暑が続いた参院選の最終盤で、安倍氏は奈良選挙区の応援演説に入った。にこやかな顔で元首相が登場すると、集まった数百人の聴衆が沸いた。マイクを握り、軽妙な語り口で話を始めた数分後、一人の男が安倍氏の背後に向かって歩き出す。ポロシャツに茶系のズボン、白いマスクを着けた山上徹也容疑者(41)が、黒い物体を体の前に掲げた瞬間、ごう音が全ての音をかき消した。
「ドーン!…ドーン!」。間隔を空けて、大きな音が2度響き渡った。現場にいた記者が状況を理解したのはその数秒後。聴衆の視線を受けとめるように、表情にわずかな笑みを残したまま、安倍氏はその場に崩れ落ちた。「きゃー」。一斉に上がる悲鳴。周囲には火薬のにおいが立ち込めていた。
「医療関係者はいませんか!」。陣営スタッフが何度も声を張り上げた。現場近くでクリニックを営む中岡伸悟医師(64)は、患者の家族が上げた大声で事件の発生を知ったという。「安倍晋三さんが撃たれた!」。驚いて駆け付けると、あおむけで倒れた安倍氏のシャツは血で赤く染まっていた。周囲からは「銃で撃たれた」という声が聞こえた。かなり出血しているのは間違いない。内臓や大動脈が損傷している可能性もある。「設備の整った病院に搬送しないといけない」。瞬時にそう判断した。
自民党の安倍元首相が街頭演説中に男に銃撃され、騒然とする現場付近=8日午前11時41分、奈良市
救急車が来るまでに、できることは何かないか。持参した自動体外式除細動器(AED)を使ったが、電気ショックは起きなかった。けいれん状態の心臓を正常に動かすための装置で、完全に心停止した場合は作動しない。看護師や選挙スタッフが交代しながら心臓マッサージを繰り返した。背中側には血だまりができていた。どれくらいの時間がかかったかは覚えていないが、中岡医師にはかなり長く感じられた。実際に救急車が到着したのは約5分後。身動き一つしない体に「総理頑張れ。総理頑張れ」という言葉が飛ぶ。多くの人の祈るような声に見送られ、安倍氏は奈良県立医大病院(奈良県橿原市)へと運ばれていった。
一方、銃撃を図った山上容疑者は近くのバスターミナル付近で体を地面に押し付けられたまま、捜査員と淡々と言葉を交わしていた。空を見つめるうつろな目からは、怒りや興奮といった感情は読み取れなかった。
▽「晋ちゃん!」繰り返し名前を呼んだ
安倍氏が病院に到着したのは午後0時半ごろ。治療に当たった奈良県立医大病院の福島英賢医師によると、安倍氏は搬送時から心肺停止状態だった。首のやや右側には銃創が2カ所あり、心臓の心室には銃弾によるとみられる大きな穴が開いていた。病院は胸部の止血や大量の輸血を行ったが「大量出血で既に血液も凝固する力を失っていた」。
「深刻な状況だ。一命をとりとめることを心から祈る」。午後2時45分ごろ、官邸で記者団の取材に応じた岸田文雄首相は、言葉を選びながら、神妙な面持ちでこう語った。
厳しい容体だという情報が出回る中、午後5時前に安倍氏の妻、昭恵さんが病院に到着する。搬送から既に4時間半が経過していた。
安倍元首相が搬送された奈良県橿原市の県立医大病院に到着した昭恵夫人=8日午後
「晋ちゃん、晋ちゃん!」。自民党関係者によると、昭恵さんは安倍氏の枕元で何度も繰り返し名前を呼んだ。福島医師らは昭恵さんに病状と経過を説明した。一度、停止した心臓が再び動き出すことはなかった。最終的に昭恵さんは「蘇生は難しい」と判断し、35年連れ添った伴侶の最期をみとった。死亡時刻は午後5時3分。昭恵さんの到着からわずか数分後だった。
▽守れなかった命、「警察人生最大の悔恨」
その約1時間後、奈良県警が開いた記者会見によって、事件の詳細が徐々に浮かび上がってくる。銃撃に使われた凶器は長さ約40センチ、高さ約20センチの手製の銃だった。
山上徹也容疑者の自宅に、家宅捜索に向かう捜査員ら=8日午後5時13分、奈良市
自宅からは、手製とみられる銃がさらに数丁見つかった。安倍氏の遊説日程について、山上容疑者はホームページなどで把握していたと供述しているという。
捜査関係者の話によると、凶器の銃は金属製の筒2本を粘着テープで束ねた構造。弾丸はカプセルのような小さな容器に入れ、それぞれの筒から発射させる散弾銃に似た造りだった可能性がある。山上容疑者が「母親が宗教団体にのめり込み、恨みがあった。その団体と安倍元首相がつながっていると思ったから狙った」という説明をしていることも分かった。事件前日の夜には、安倍氏が演説していた岡山市民会館を訪れた趣旨の供述をしていることも判明。計画性の有無や動機の解明が焦点になりつつある。
県警は総力を挙げて捜査を進める一方、事件を防ぐことができなかった警備体制の問題点については多くを語らない。
翌日になって記者会見した県警トップの鬼塚友章本部長は「27年余りの警察官人生で最大の悔恨、痛恨の極み」と絞り出すように話した。山上容疑者が安倍氏の背後数メートルのところまで近づけたこと、1発目の発砲音が鳴るまで不審な動きに気が付いていなかったことなど、警察への批判も出ている。鬼塚氏は「極めて深刻かつ重大な事案。警護警備に問題があったことは否定できない」とした上で、「前日に急に(安倍氏の遊説日程が)入った。計画書に目を通し、承認したのは当日午前中だった」と明らかにした。修正は指示せず、原案通りに警備することになったという。
奈良県警本部で記者会見する鬼塚友章本部長=9日午後6時31分
会見で鬼塚氏が、時に目に涙を浮かべて天を仰いだり、肩で息をしたりする場面もあった。「事案の全容究明が急務。捜査を指揮するとともに警護の問題を早急に洗い出すのが私の責任だ。捜査を尽くすことが、安倍元内閣総理大臣に対する最大の弔いになる」と述べ、自身の進退については言及しなかった。
▽支持者でなくとも…
「安倍1強」と呼ばれる圧倒的な権力体制を確立し、通算で9年近くにわたって政権を率いた安倍氏。その影響力の大きさゆえに、森友学園や「桜を見る会」の疑惑では官僚の忖度を招き、強引な手法には批判も多かった。市民の評価は分かれるが、事件現場の献花台には、政治信条の違いを乗り越え、安倍氏を悼む人たちが集まる。
安倍元首相が銃撃された事件現場近くの献花台で手を合わせる人たち=9日午前11時43分、奈良市
事件翌日の9日は、朝から途切れることなく人が訪れた。日差しが照りつけたかと思えば、一転、土砂降りになるような不安定な天候でも、時に500人近い人が並び、献花台は手向けられた花束や飲み物であふれた。
母親と献花した京都市の高校2年の女子生徒は「私の中で、首相といえば安倍さんだった。長い間お疲れさまでしたと伝えたくて来ました」。大阪府泉大津市の男性(71)は「いろいろ批判もあったが、安倍さんが好きだった。本当に無念だ」と涙を拭った。奈良県生駒市の女性(71)は「安倍さんの支持者ではないが、撃たれて亡くなるのはやっぱり違うと思う。まだ若く、したいことがあったでしょうに」と故人をしのんだ。
安倍元首相が銃撃された現場付近に設置された献花台に飾られた写真=9日午後5時27分、奈良市
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3.NHK(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220726/k10013731781000.html?fbclid=IwAR1I-OqhxA21793KqtpvhY6W7kqpwUsN54fSZ72tNwV1AT7HiUkOa8mhnnw)
2022年7月26日
(奈良放送局 記者 金子晃久 バルテンシュタイン永岡海)
安倍晋三元総理大臣を搬送するドクターヘリの機内で、医師は予想外の事態に直面していた。
“背後から撃たれた”にも関わらず、背中に傷が見当たらなかったのだ。
事件当日、現場で、ヘリの機内で、そして搬送先の病院で、5時間半にわたり治療を行った3人の医師。
元総理の銃撃という前代未聞の事件に医師たちはどう向き合ったのか。
叫び声で駆けつけた
「撃たれた 撃たれた」
参議院選挙2日前の7月8日午前11時半すぎ。午前の診療を終えようかという時、叫び声が聞こえた。中岡伸悟医師のクリニックは大阪、京都、奈良を結ぶターミナル駅、近鉄・大和西大寺駅の北口にある。
何が起きたのか確かめようと、中岡医師はビルの外に駆け出した。
横断歩道の中ほどには大勢の人だかり。目に飛び込んできたのは、仰向けに倒れている安倍元総理大臣の姿だった。顔色は白く、意識を失っているようだ。声をかけても反応はない。
一緒に現場に駆けつけた看護師たちとともに、心臓マッサージを行った。持参したAEDを体に取り付ける。しかし、正しい手順で行っているのに作動しない。AEDは電気ショックの効果がある場合には作動するが、すでに心臓が動いていない場合には作動しないという。
胸の動きを観察すると、自発呼吸もないように見えた。
現場に駆けつけた中岡伸悟医師
「かなり厳しい状態だと感じました。目視しただけでは、傷の位置や程度はわかりませんでしたが、銃撃によって大きな血管や臓器が損傷しているのではないかとみられました。一刻も早く医療機関への搬送が必要な状態で、祈るような気持ちで救急車の到着を待ちました」
「背後から撃たれた」「この場から離れて」
「救急車がまもなく到着します」
さまざまな声が飛び交い騒然とする中、中岡医師らは心臓マッサージを続けた。
「至急向かってください」
奈良市消防局の消防無線の記録によると、救急車の出動要請は午前11時32分。
3分後「高齢男性、拳銃で撃たれ現在CPA(心肺停止)状態と思われます」「至急向かってください」などといったやり取りが残されている。
午前11時43分、現場に到着した救急車に安倍元総理が収容された。
気管挿管などの救命措置を行いながら、救急車はドクターヘリと合流できる着陸地点を目指した。
ドクターヘリ出動要請
同じ頃、奈良県のドクターヘリにも出動要請の連絡が入っていた。
ヘリの基地は事件現場から南に約30キロ離れた奈良県大淀町にある南奈良総合医療センター。この日、ヘリ当番として待機していたのは、救急医の植山徹医師だった。
パイロットから伝えられた一報は「高齢男性が銃撃を受け心肺停止」
植山医師は看護師らとともに蘇生処置に使う医療機器を積み込み、ヘリは事件現場から1キロほど離れた着陸地点へ向かって離陸した。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「銃創のけが人の搬送は奈良県のドクターヘリが始まって以来、初めてのことじゃないでしょうか。実は、けが人が安倍元総理だということは正式には誰からも聞いていないんです。要人であるからといって、対応を変えることはありません。ヘリの中は、騒音がすごくて聴診も効果的にはできないし、揺れが激しい上にシートベルトで動きも制限されます。難しい対応になることは予想していました」
ランデブーポイントは平城宮跡
午前11時52分。ヘリは着陸地点として指定された、奈良時代の都の跡・平城宮跡に着いた。
世界遺産にもなっているこの場所。周りを見るとふだんと変わらないようすでジョギングや散歩をする人の姿も目に入った。
5分後の午前11時57分、安倍元総理を乗せた救急車が到着した。
植山医師は安倍元総理の状況を確認し、まずは点滴ルートの確保を試みた。
しかし、事態は予想以上に深刻だった。血圧が急激に低下していて、血管に針がうまく入らない。ルートが確保できなければ、蘇生処置に使うアドレナリンなどの薬も投与することができない。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「全く意識もありませんし、脈も確認できませんでした。それで、静脈路をとろうとしてもできなかったので、骨髄針といって、骨に針を刺して骨髄の中から輸液する方法をとりました」
傷口が見当たらない
さらに難しかったのは、銃弾による傷の位置を特定することだった。
混乱していた現場からの情報は「安倍元総理は後ろから撃たれたようだ」ということだけだった。
搬送先の奈良県立医科大学附属病院までの距離は20キロ余り。到着までのわずか10分ほどの間に銃創の位置を特定し、病院で待つ医療チームに引き継ぐ必要があった。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「その時点で、いったい何発撃たれたのか、どんな銃が使われたのかといった情報は何もありませんでした。背後から撃たれたというので背中側に手を差し入れても、出血はなく、傷口は見当たりません。機内でできることは限られますが、病院に到着すれば手術ができるので、なんとかそれまでに位置を特定して病院のチームの助けになることが一番の仕事だと考えていました」
銃創の治療経験があった植山医師。揺れる機内で全身を観察し、傷を探した。
傷は背中ではなく体の前方にあった。首に2つと、さらに左肩にも1つ。特定できたのは、ヘリが病院に到着する2分前だった。
午後0時20分。ヘリは病院に到着。
治療は病院の医療チームに引き継がれた。
傷は心臓にまで達していた
手術を担当したのは救急医である福島英賢教授をはじめとするチームだった。
ストレッチャーに乗せられた安倍元総理は、エレベーターで病院の1階に降ろされ、高度救命救急センターの処置室に運び込まれた。年間2000人近い患者を受け入れる、奈良県の救急医療の最後の砦だ。
福島医師のもとに受け入れの要請があったのは、午前11時58分。福島医師は、到着までの20分ほどの間に人員と輸血のための血液の確保に動いた。
手術にあたった福島英賢医師
「銃創による心肺停止の状態だという情報が入っていましたので、その時点でかなり厳しい治療になると覚悟しました。とにかく蘇生処置を行わなければいけないので、できるだけたくさんのスタッフと輸血の手配をして手術の準備を始めました」
すぐに集まった10人ほどのスタッフとともに処置室に入った福島医師。出血している部位を特定し、止血しようと開胸手術にとりかかかった。
事件発生からは1時間近くが経過。蘇生のために必要な気道の確保と人工呼吸器の装着はすでに行われていた。
大きな血管や臓器の損傷はどの程度起きているのか。止まっている心臓を再び動かすには、まず、この出血を止める必要がある。
しかし、治療は困難を極めた。胸を開いてみると傷は血管だけでなく、心臓にまで達していた。血圧は急激に低下していて、血液は輸血したそばから失われていった。自動のポンプだけでは追いつかず、医師と看護師が交代しながら手動で血液を送り込んだ。
手術にあたった福島英賢医師
「過去に治療経験があったので、銃創は出血点が大きく、事故でおなかを打撲したようなけがとは損傷の仕方が違うことはわかっていました。今回は撃たれたのが大きい血管のある胸部だったので、止血の処置は非常に難しいものになりました」
手術で使われた血液は、およそ13リットルに上る。成人男性の全身の血液3人分ほどにあたる量だ。大学にあったものだけでは足りず、赤十字血液センターから取り寄せて対応した。
手術に携わった医療スタッフは、最終的に医師20人余りを含む総勢41人になった。大きな血管からの出血にはなんとか対処できたものの、心拍は回復しないままだった。
治療中止の決断
手術が始まってから4時間余りが経過した午後5時前、妻の昭恵さんが病院に駆けつけた。そのころ処置室では、治療を続けるべきかどうか、医療チームが重い判断を迫られていた。
手術にあたった福島英賢医師
「蘇生処置に反応せず、治療を続けても回復の見込みがないと思われる場合、どこかの時点で治療を中止する決断をしなければなりません。中止を決める際には、蘇生の限界点が来ているという医学的な判断だけでなく、家族の理解も得なければならないのです。今回は、病院に家族が来ると聞いていたので、そこまでは治療を続ける方針でした。家族に私から説明をして、理解していただいたうえで中止の決定をしました」
安倍元総理の死亡が確認されたのは午後5時3分。
事件発生からおよそ5時間半がたっていた。
テロを想定した医療態勢を
なんとか命を救おうと奔走した医師たち。事件を振り返り、教訓についても語り始めている。
ドクターヘリで搬送と治療を行った植山医師は、搬送されるけが人や、現場で活動する医療スタッフの安全管理に課題を感じていた。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「ヘリで着陸地点に降りた際、周辺には散歩やジョギングをしている一般の人もいて、誰でも近づけるような状況だと感じました。複数人のグループで犯行に及んでいたとしたら、着陸地点をねらわれたり、搬送を妨害されたりするおそれもありました。医療スタッフの安全確保や人の出入りの制限が非常に重要だと思いました」
一方、大学病院で手術を行った福島医師は、銃などの事件やテロを想定した医療態勢が十分、整っていないと実感したという。そして今後、態勢を構築する必要があると指摘する。
今回の事件では、現場近くの駐車場の壁などに銃弾が当たったような痕跡が見つかっていて、演説を聞いていた人の中からもけが人が出ていたおそれがあったからだ。
手術にあたった福島英賢医師
「海外であればともかく、日本では銃撃によって複数のけが人が出るという想定は十分されているとはいえません。そうした場合にどのような医療態勢を作るべきかを今後考えていかなければいけないと思います」
共通する「無念の思い」
3人の医師たちは、命を救おうと手を尽くした人たちの活動を記録したいという私たちの依頼に応えインタビューに応じた。
共通して口にしたのは、1人の尊い命を救うことができなかったことに対する「無念の思い」だった。
社会的な反響も大きく、医師たちはそれぞれ今回の事件に複雑な思いを抱いていた。
それでもカメラの前に立ったのは、この事件に医師としてどう向き合ったのか証言を残すことにはきっと意味があるという思いがあったからではないかと思う。
福島医師は、2時間近いインタビューの最後を、自分自身を納得させるようにこう締めくくった。
手術にあたった福島英賢医師
「非常に残念な結果になりましたが、立ち止まるわけにはいかないので、今後もとにかく前を向いてやっていかなければいけないと思っています」
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4.『毎日新聞』(https://mainichi.jp/articles/20220802/osg/00m/040/001000d?fbclid=IwAR3y7mkwhRN8ymy2PeJWnFvsdTumdlhZ1FWx7hO4rW7Cg9XiFYPqhpqEV_0)
2022年8月2日
事件がわかる 安倍晋三元首相銃撃事件
安倍晋三元首相(67)銃撃事件は2022年7月8日、奈良市で参院選の街頭演説中だった安倍氏が、同市内に住む無職の山上徹也容疑者(事件当時41歳)に手製の拳銃で撃たれて死亡した事件である。首相経験者が銃撃されて死亡した事件は戦後では例がない。多くの聴衆の前で白昼、要人が狙われた事件だったこともあり、国内外に大きな衝撃が広がった。
事件名:安倍晋三元首相銃撃事件
発生日時:2022年7月8日午前11時半ごろ
場所:奈良市
被害者:安倍晋三元首相
容疑者:山上徹也容疑者
動機:母親が破産するきっかけとなった宗教団体を国内で広めたのが安倍氏だったと考え、安倍氏を狙ったなどと供述
影響:事件を機に要人警護の見直しが進む
事件が起きたのは第26回参院選の投開票日2日前の7月8日午前11時半ごろだった。奈良市の近鉄大和西大寺(やまとさいだいじ)駅前で演説中だった安倍氏が背後から銃撃され、心肺停止状態で奈良県立医科大付属病院に運ばれたが、同日午後5時3分に死亡が確認された。
山上容疑者は安倍氏の後ろから近づき、約7メートルの地点で最初の発砲をした。しかし、弾が命中しなかったことからさらに接近し、今度は約5メートルの距離から2回目を撃った。1回目の銃声を聞いた安倍氏は後ろを振り向き、数秒後に放たれた2回目が命中したとみられる。
山上容疑者は現場で警察官に取り押さえられ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された(殺人容疑に切り替えて送検)。周囲には多くの聴衆がいたこともあり、銃撃や事件直後の混乱した様子を撮影した動画がツイッターに複数投稿された。
安倍晋三元首相が搬送される様子=2022年7月8日午前11時半ごろ、久保聡撮影
司法解剖の結果、安倍氏の死因は失血死と判明した。左上腕部から入った銃弾が左右の鎖骨付近の動脈を損傷したことが致命傷だった。
山上容疑者の供述
事件を受け、奈良県警は奈良西署に捜査本部を設置して事件の解明に乗り出した。捜査関係者によると、山上容疑者は動機について、特定の宗教団体の名前を挙げ、「母親が団体にのめり込んで破産した。安倍氏が、この団体を国内で広めたと思って恨んでいた」などと供述したという。
この宗教団体は韓国発祥の世界平和統一家庭連合(旧統一教会、日本では2015年に名称変更)。山上容疑者は、母親が宗教団体に少なくとも約1億円を献金して破産し、家庭が崩壊したとした上で、当初は団体の最高幹部を襲撃しようとしたものの接触が難しかったことから、団体と関わりがあると思った安倍氏を狙ったという趣旨の供述をしている。
安倍氏の祖父にあたる岸信介元首相(故人)の名前も挙げ、「そもそも団体を日本に招いたのが岸氏で、その孫の安倍氏を狙うようになった」とも話したという。
山上容疑者は、事件前日の7日夜に安倍氏が選挙応援に駆けつけた岡山市の演説会場に入ろうとしていたことも奈良県警の捜査で判明した。だが、受付で氏名や住所の記載を求める対応が取られており、襲撃を断念したとされる。
19年10月には愛知県内であった世界平和統一家庭連合の集会で、来日した最高幹部、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁を火炎瓶で襲撃しようとしたが、会場に入れず断念したという。
山上容疑者は当初、団体幹部の襲撃を考えていたが、新型コロナウイルスの感染拡大で団体幹部の来日が難しくなり、襲撃のタイミングを失っていたとされる。そうした中で今春、団体の友好組織が開いた行事に安倍氏が寄せた動画メッセージを視聴した。奈良県警は、この動画視聴がきっかけで安倍氏にも強い反感を抱くようになったとみている。
奈良地検は7月22日、山上容疑者の事件当時の精神状況を調べるため鑑定留置を奈良地裁に請求し、地裁は同日付で認めた。留置期間は11月29日までの約4カ月間。
凶器の拳銃
山上徹也容疑者が発射した場所から約90メートル北にある立体駐車場の壁に、弾丸のような金属片が埋まっていた=奈良市で2022年7月13日午前6時58分、林みづき撮影
捜査関係者によると、事件に使われた手製の拳銃は銃身が約40センチあった。銃身の金属筒2本をテープで巻いて固定していた。山上容疑者の供述によると、一つの筒から一度に6発の弾を同時に発射できるという。県警が流れ弾を捜したところ、現場から約90メートル先の立体駐車場の壁に弾痕とみられる穴が複数発見され、弾丸のような金属片も確認された。
山上容疑者は2021年春ごろから手製銃の製造を始め、22年2月ごろまでに完成させたとみられる。事件後の家宅捜索では、自宅から複数の手製銃のようなものなどが見つかった。
「約1年前から、銃を作るたびに山の中で試射をしていた」という趣旨の供述もしているという。県警が奈良市南部の山中を捜索したところ、建設会社の資材置き場周辺に木製の板やドラム缶が見つかり、拳銃の弾が打ち込まれたような痕が確認された。
山上容疑者は「団体の関連施設で手製銃の試し撃ちをした」とも供述している。試射は事件前日の7月7日未明だったとみられ、奈良市内の団体関連施設と隣接するビル付近で、銃で撃たれたような痕が確認された。
容疑者の人物像と家族
奈良県警奈良西署から送検される山上徹也容疑者=奈良市で2022年7月10日午前8時59分、滝川大貴撮影
山上容疑者は3人きょうだいの次男として生まれた。1999年、奈良県内で有数の進学校として知られる県立高校を卒業。高校時代は応援団に所属し、おとなしい性格だったとの証言がある。教員だった女性は「非常に真面目で、甲子園に出る野球部の壮行会で懸命に激励する姿を覚えている」と話した。
山上容疑者の伯父によると、山上容疑者の母親は山上容疑者が小学生だった91年、旧統一教会に入った(団体側は98年ごろに入信と説明)。
父親は山上容疑者が4歳の頃に自殺し、一つ年上の兄も2015年ごろに自殺した。一方で、母親は宗教活動にのめり込んでいったという。父親の生命保険金を含めて少なくとも約1億円を献金し、02年に自己破産した(団体側は14年までの約10年間に計5000万円を返金したと説明)。
伯父は生活に困窮した一家に経済的な支援を続けたが、母親は献金をやめなかったという。山上容疑者が大学進学を断念したのは経済的な理由からだったとされる。
防衛省関係者によると、山上容疑者は02年8月から3年間、海上自衛隊の任期制自衛官として広島県呉市の呉基地などで勤務した。
自衛官は原則として1年に1回程度、小銃を取り扱う訓練を受ける。1回あたりの訓練は約30時間。実弾射撃のほか、小銃の一部を分解して組み立てたり整備したりして銃の構造を学ぶ。山上容疑者もこうした訓練を受け、銃に関する知識を得た可能性がある。
伯父によると、山上容疑者は海上自衛隊在籍中の05年1月に自殺未遂を起こしている。当時は24歳で、この7カ月後に海上自衛隊を退職した。
その後は職を転々とした。近年は大阪府内の人材派遣会社に登録し、20年10月からは京都府内の工場に派遣されていた。フォークリフトで荷物を運ぶ業務を担当。平日の週5日働き、約20万円の月収を得ていた。22年3月、同僚から業務の手順違反を指摘され、同僚を怒鳴りつけるトラブルを起こした。
これ以降、無断欠勤が目立つようになり、有給休暇を消化した上で5月15日に仕事を辞めた。直後に再就職した大阪府内の会社も約3週間で辞め、事件当時の所持金はほぼ底をついていたとみられる。生活費を工面するため、消費者金融などから借金を重ねていたことも捜査関係者への取材で判明した。
山上容疑者は県警の取り調べに対し、「生活が行き詰まる前に殺害計画を実行する必要があった。7月に入って最終的に決心した」という趣旨の供述をしているという。
人材派遣会社によると、山上容疑者の履歴書にはフォークリフトのほか、宅地建物取引士など多数の資格が書かれていた。趣味は「映画鑑賞、読書、PCゲーム」。工場の責任者は「当初は遅刻や欠勤もなく真面目だったが、急に口調が荒くなり、反抗的な態度を取るようになった」と語った。
事件を示唆する手紙、SNS
鑑定留置のため移送される山上徹也容疑者=奈良市で2022年7月25日午前10時13分、滝川大貴撮影
山上容疑者が事件直前、安倍氏殺害を示唆する手紙を松江市の男性に送っていたとみられることが明らかになった。
この男性は旧統一教会を批判する内容のブログを運営。封筒の消印から、事件前日の7月7日に岡山市内から投函(とうかん)されたとみられる。
手紙には、旧統一教会との因縁は「約30年前」として「母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の10代は過ぎ去りました」と記されていた。自分の一生を「歪(ゆが)ませ続けた」と教会を強く批判する内容が印字されていた。
安倍氏については「苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない」とし、「最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません」と位置付けていた。
「安倍(元首相)の死がもたらす政治的意味、結果、最早(もはや)それを考える余裕は私にはありません」と結ばれていた。
また、山上容疑者は2019年ごろからSNS(ネット交流サービス)で、母親が信仰する宗教団体を恨む投稿を続けていたとみられる。「恨むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知った事ではない」(19年10月)、「オレが14歳の時、家族は破綻を迎えた。統一教会の本分は、家族から巻き上げさせたアガリを全て上納させることだ」(20年1月)などと投稿されていた。
旧統一教会が会見
記者の質問に耳を傾ける世界平和統一家庭連合の田中富広会長=東京都新宿区で2022年7月11日午後2時16分、佐々木順一撮影
事件を受け、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の田中富広会長が7月11日に東京都内で記者会見した。田中会長は、山上容疑者の母親は1998年ごろから会員になり、2002年に破産したとみられると説明。「(山上容疑者の母親が)破綻したことは分かっているが、事情は分からない。高額献金を要求したかどうかは記録上、一切残っていない」と述べた。
また、田中会長は団体と安倍氏との関係について「会員や顧問ではない」としつつ、「友好団体が主催する行事にメッセージが送られてきたことがある。(同連合などが進める)世界平和運動に関しては賛意を表明してくれた」と語った。
旧統一教会は80年代以降、不安をあおって高額のつぼなどを売りつける「霊感商法」との関わりが指摘された。また、創始者の文鮮明(ムン・ソンミョン)氏(2012年に死去)が決めた信者同士の組み合わせによって大規模な合同結婚式が行われ、日本の有名歌手らも参加したことで社会問題になった。09年には特定商取引法違反などの容疑で警察の摘発が相次いだ。
「全国霊感商法対策弁護士連絡会」によると、連絡会結成から21年末までの34年間で受けた相談は3万4537件、被害総額は約1237億円に上る。団体側は「09年以降はコンプライアンスを徹底し、トラブルはない」と説明するが、同連絡会には09年以降も相談があるという。
奈良県警本部長が謝罪
記者会見で唇をかむ鬼塚友章・奈良県警本部長=奈良市で2022年7月9日午後6時27分、中川祐一撮影
奈良県警の鬼塚友章・本部長は事件翌日の7月9日に記者会見し、「警護、警備に問題があったことは否定できない。本部長として痛恨の極み」などと謝罪した。安倍氏の警護計画書は自ら承認したと説明し、「さまざまな問題点を早急に確認し、対策の見直しを図る」と述べた。
安倍氏は、近鉄大和西大寺駅北口のロータリーで演説中に銃撃された。周囲には警視庁のSP(セキュリティーポリス)を含む複数の警察官がいた。
現場にいた記者によると、警察官が2発目の被弾を防ぐために安倍氏を押し倒したり、覆いかぶさったりする動きは見られなかった。
捜査関係者によると、安倍氏の後方の警護を担当していた警察官は「道路を走る自転車などに気を取られ、容疑者に気付かなかった」と奈良県警などの調査に説明しているという。
警察庁長官も責任認める
警察庁の中村格(いたる)長官は7月12日、臨時の記者会見を開き、「警察としての責任を果たせなかった。極めて重く受け止めている。慚愧(ざんき)に堪えない」と述べた。全国の警察トップの警察庁長官が個別の事件で責任を認める発言をするのは異例だ。
警察庁は同日、警備の問題点と改善すべき点を調査する「検証・見直しチーム」を発足させた。
警察幹部によると、近年の遊説中の警備は、聴衆がヤジで演説を遮るトラブルを警戒することに重点が置かれていた。強固な殺意を持った人物が離れた場所から銃器で攻撃することを念頭に置いた警備体制の確立が課題となる。
警察庁は1992年に当時自民党副総裁だった金丸信氏が演説中に右翼団体構成員から銃撃された際、要人警護のあり方を見直した。今回はより抜本的な見直しを進める方針だ。
過去の主な要人襲撃事件
首相経験者が襲撃されて死亡した事件は戦後、例がなく、戦前の1909(明治42)年に伊藤博文元首相がハルビン駅で銃撃され、死亡した。
このほか原敬首相が21(大正10)年に東京駅で刃物で刺されて死亡したほか、浜口雄幸首相は30(昭和5)年に東京駅で銃で撃たれた後、翌31年に死亡した。また、5・15事件(32年)や2・26事件(36年)でも犬養毅首相や首相経験者らが亡くなった。
戦後に首相や閣僚経験者、政党幹部が狙われたケースとしては、安倍氏の祖父にあたる岸信介首相(当時)が60年に首相官邸で右翼活動家に刺されて重傷を負った。同じ年には、浅沼稲次郎・社会党委員長が17歳の少年に刺殺された。
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5.『毎日新聞』(https://mainichi.jp/articles/20220803/k00/00m/040/276000c?fbclid=IwAR0_xXl2cTJAvxO2BLX7Wde3B-zoqQkJ-JJq-VHwFa5AWMQ0mlDUvx2106A
安倍元首相銃撃 3人が後方警戒していたが…奈良県警警備の詳細判明
2022年8月3日
安倍晋三元首相(67)が街頭演説中に後方から銃撃されて死亡した事件で、当時の奈良県警の警備体制の詳細が捜査関係者への取材で判明した。主に3人の警察官が安倍氏の後方を警戒していたが、人数が急増した安倍氏の聴衆を注視するなどしたため山上徹也容疑者(41)=殺人容疑で送検=の動きに気づかなかったという。もともと奈良県警の警護計画では後方から銃撃されることへの危機感が薄く、警察官の数や配置に問題があったとみられる。警察庁は今月中に検証結果をまとめ再発防止策を作る方針。
事件は7月8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口の交差点で発生した。安倍氏の右後方の歩道にいた山上容疑者は、演説開始後にバスロータリー沿いの歩道を移動。鉄柵の切れ目からロータリーに出て手製の銃を2度にわたって発砲したとされる。
捜査関係者によると、現場で警備に当たっていた警察官は十数人。そのうち、安倍氏が演説していたガードレール内には警視庁から派遣されたSP(セキュリティーポリス)を含む4人の警察官がおり、うち1人が後方警戒を担当していた。
また、山上容疑者が演説開始時に立っていた歩道のそばには統括役の警察官1人が配置されていたほか、別の警察官1人がロータリー内を動きながら警戒を続けていた。この2人は後方だけでなく、前方を含めた全体を警戒する役割だった。
ガードレール内で後方を警戒していた警察官は、安倍氏の前方右側の聴衆が増えてきたため、突発事案に備えようと後方だけでなく聴衆側の動きも追うようになった。さらに事件直前、後方の道路を通過する自転車や台車にも気を配っていたこともあり、1度目の発砲まで山上容疑者を把握できなかった。
統括役の警察官も事件直前、安倍氏の聴衆が増加しつつあったことを受け、後方よりも前方を重点的に警戒するようになり、山上容疑者の動きに気づかなかったという。ロータリーにいた警察官も同様だった。
事件当時、安倍氏の前方には約300人の聴衆がいたが、後方にはほとんどいなかった。また、安倍氏の後方の車道には複数の車両が通過していたことなどから、奈良県警は不審者が近づきにくい環境にあると判断していたとみられる。また、配置されていたのはいずれも私服警官で、制服を着た警察官は一人もいなかった。
自民党の茂木敏充幹事長が同じ場所で6月25日に街頭演説した際も同じ配置だったがトラブルはなく、こうした判断につながった可能性がある。警察関係者は「銃撃を想定した計画とは到底言えない」と指摘する。
警備の問題点などを調査する警察庁の「検証・見直しチーム」が、警護計画の策定に携わった奈良県警幹部や、現場にいた警察官への聞き取りをするなどして詳しい経緯を調べている。【松本惇】
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6.(https://news.yahoo.co.jp/articles/946a9a8a79c742710fe18c175072ff4002439833?fbclid=IwAR21t3JsHTo8A16C4DmeU9Sw8NuTcv94OY8JhOqit14P0QF10DKVRyiSWqc)
安倍元首相の警護計画 銃撃数時間前に「ドタバタ決裁」 奈良県警
2022年8月4日
安倍晋三元首相(67)が街頭演説中に銃撃されて死亡した事件で、現場で警護を担当した複数の警察官が1発目の発砲について、「タイヤの破裂音やパーティークラッカーの音と勘違いして反応できなかった」と警察庁の調査に証言していることが関係者への取材で判明した。安倍氏を退避させる前に2発目が発砲され、安倍氏に命中していた。 また、奈良県警が策定した安倍氏の「警護警備実施計画」について、警護の統括責任者だった警備部参事官が報告を受けたのは事件当日の朝だったことも明らかになった。計画の内容や警護員の練度を疑問視する指摘も出ており、警察庁は8月中にも検証結果と再発防止策を公表する見通しだ。 ◇1発目「銃声と考えることができず」 安倍氏は7月8日午前11時29分ごろから、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口で演説を始めた。県警は、県警本部や奈良西署で指揮する幹部を含め約25人態勢の計画を立て、このうち十数人を現場に派遣。演説場所のガードレール内では警視庁から派遣されたSP(セキュリティーポリス)を含む4人が警戒していた。 山上徹也容疑者(41)=殺人容疑で送検=はこの時、安倍氏の約15メートル右後方の歩道上で銃撃の機会をうかがい、ショルダーバッグに手製銃を隠し持っていた。演説開始から約2分20秒後。山上容疑者は車道を横切ってゆっくりと安倍氏の背後に向かい、約7メートル手前から1発目を発砲した。さらに、約5メートル手前まで前進しながら約2・7秒後に2発目を発砲。この2発目が安倍氏の左肩付近に命中した。 警察庁は事件後、警護の問題点を洗い出す「検証・見直しチーム」を県警に派遣。警護に関わった複数の警護員が聞き取り調査に対し、1発目の発砲音について「タイヤが破裂した音かクラッカーの音だと思い、銃声と考えることができなかった」と説明したという。 SPや警護員は安倍氏に飛びついて地面に伏せさせたり、防護板をかざして自らが盾となったりする動きが求められる。しかし、現場を録画した動画には1発目の発砲音後、警護員らが動き出すような様子は映っていない。2発目の直後にSPらが慌てて防護板を広げる姿は確認できるが、発砲時は間に合っていない可能性が高い。 一方、安倍氏の警護計画は演説の数時間前に警備部幹部や県警本部長が決裁し、ドタバタの中で策定されていたことも新たに分かった。 安倍氏の奈良入りが決まったのは事件前日の7日夕だった。県警は自民党側から連絡を受け、直後に演説場所を下見する「実査」を実施。関係者によると、県警本部の警備課を中心に原案が作成され、警備部参事官に提出したのは8日朝になった。警備部長、鬼塚友章本部長の順に決裁され、この過程で異論は出なかったという。 6月25日には、自民党の茂木敏充幹事長が同じガードレール内で街頭演説し、この際と同様の配置案が組まれたとされる。ある警察幹部は「何も起きなかったという慢心から前例踏襲で検討してしまったのではないか。時間が限られていたという事情はあるが、注目度の高い安倍氏の『脅威評価』も不十分だ。都市、地方問わず警護員の練度を高める対策も重要になる」と指摘した。【林みづき、吉川雄飛、高良駿輔】
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7.『産経新聞』(www.sankei.com/article/20220806-OMVBG7NHIJINTCVEQG5H62HPCM/)
<独自>安倍氏国葬、参列者6千人で調整 吉田茂元首相と同規模
2022年8月6日
政府が、9月27日に東京・北の丸公園の「日本武道館」で営む安倍晋三元首相の「国葬」(国葬儀)の参列者数について、昭和42年の吉田茂元首相の国葬と同規模の約6千人を軸に調整していることが分かった。6日、複数の政府関係者が明らかにした。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大「第7波」が収束しない場合、参列者数を縮小する可能性も見込まれており、感染状況も踏まえた上で8月末には人数を確定する見通しだ。
55年前に行われた吉田氏の国葬では当初、会場となった武道館の収容能力を踏まえ、参列者数は吉田氏の遺族や国会議員、外交団など6220人と想定し、実際に6千人余りが参列した。今回の安倍氏の国葬でも会場は同じ武道館が使用されることから政府は参列者数も同規模の約6千人を目安として警備体制などの準備を進める。
ただ、吉田氏の国葬でも70カ国を超える外交団が参列したが、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げ、国際的に存在感を示した安倍氏には、すでに米国のバイデン大統領をはじめとする260の国や地域などから1700件以上の弔意が寄せられている。外交団の参列希望も吉田氏を上回ることが予想される。岸田文雄首相も安倍氏がこれまで築き上げた外交面でのレガシー(政治的遺産)を継承する弔問外交に意欲を示す。
一方、国内は新型コロナの「第7波」に直面している状況だ。
令和2年に東京都内のホテルで営まれた中曽根康弘元首相の内閣・自民党の合同葬も当初は数千人の参列を見込んでいたが、コロナ対策の必要性から最終的に政界関係者や近親者ら644人に規模を縮小した。例年、8月15日に同じ武道館で行う全国戦没者追悼式も令和元年以前は約5~6千人を集めていたが、新型コロナ感染拡大以降は数百人程度に絞っている。
政府関係者は「現状では6千人を目安としてコロナの感染状況などを踏まえたい」と説明する。政府としては国内外の参列希望者数や今後の感染状況を慎重に見極めたい考えだ。
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8.『日経新聞』(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE04DKL0U2A800C2000000/?n_cid=NMAIL007_20220809_A&unlock=1)
安倍氏の後方警戒、銃撃前「ゼロ」に 配置変更報告なく
2022年8月9日
安倍晋三元首相が奈良市での街頭演説中に銃撃され死亡した事件で、銃撃直前に安倍氏の後方を主に警戒する警護員が1人もいなくなっていたことが警察庁の検証チームの調べで分かった。前例踏襲で後方警戒が甘かった警護計画に加え、現場での指揮や連携が不十分で配置変更の情報が共有されていなかった。同庁は警備の不備は「組織的な問題」との見方を強め、訓練強化などの見直しを急ぐ。
事件発生から8日で1カ月。警察庁は8月下旬に検証結果をまとめ、警護体制を大幅に修正する方針だ。国家公安委員会規則で定めた「警護要則」の改定も検討している。
警察庁の検証チームはこれまでの調査で、主に計画段階と現場対応の2つの点で不備が重なったとみている。
まず警護計画で浮上した不備は、リスク評価の甘さにある。
奈良県警に安倍氏の応援演説の連絡があったのは事件前日の7月7日夕方。本部長が計画を最終承認したのは銃撃の数時間前に当たる8日午前だった。警察関係者によると、現場の下見は行われたが、6月25日に同じ場所で自民党の茂木敏充幹事長が演説した際の計画をベースにしたという。
現場は360度開けた場所だったにもかかわらず、計画は「前方重視」で検討された配置のままだった。銃による襲撃を具体的に検討した形跡はなく、犯罪抑止に一定の効果があるとされる制服警察官も選挙遊説の慣例で配置していなかった。
県警担当者は検証チームの調査に「茂木氏のときより増員したので大丈夫だと思った」との趣旨の説明をしているという。警察庁幹部は「人数はわずかに増やした程度。前例を安易に踏襲し、事前に十分な検討がなされなかった」とみる。
現場対応の不備は、警察官の不十分な意思疎通にある。
警察関係者によると、警護計画の事前の検討に基づき、安倍氏の後方に広がるスペースに配置された警察官は2人。いずれも専従で後方を警戒する役割ではなく、1人は現場全体で十数人配置された警察官を指揮する統括役、もう1人は動きながら警戒する役回りだった。現場映像などから、動きながら警戒する警察官は安倍氏の演説が始まったころには駅前ロータリーに遠ざかる形で移動していたとみられる。
安倍氏が演説したガードレール内にいた4人のうち、主な任務として後方を警戒していたのは1人だけだったが、演説直前に安倍氏の右前方の聴衆が増えてきたため、統括役とは別の警察官からの指示で前方警戒のため立ち位置を変えていた。結果的に主な後方警戒担当が誰もいなくなる「穴」が生じ、安倍氏はこの間に襲撃された。
警察庁が特に問題視しているのが、この位置変更が統括役に報告されていなかったという情報共有の不十分さだ。本来であれば、統括役が全体のバランスをみて態勢の補強を指示するのが原則で、同庁は現場の指揮や連携の不足が、襲撃を許した結果につながったとの見方を強めている。
検証過程では、安倍氏周辺の警察官4人が1発目の銃声を発砲音と認識していなかったことも判明。「花火のような音だった」などと説明しているという。4人は安倍氏との距離が約2~5メートルあり、1発目の発砲後に安倍氏をかがませるなどの退避措置が取れなかった。
各地の地方警察はセキュリティーポリス(SP)を抱える警視庁に警察官を一定期間、派遣して要人警護の訓練を積ませている。事件を受け、地方の警察官の経験不足を指摘する声も出ている。警察庁は警視庁と連携し、訓練の受け入れ人数の拡大などを視野に見直しを進めるとみられる。
安倍晋三元首相の銃撃事件 7月8日午前11時半ごろ、奈良市で参院選の応援演説中だった安倍晋三元首相が背後から近づいた男に銃撃され死亡。奈良県警は現行犯逮捕した山上徹也容疑者(41)=鑑定留置中=を殺人容疑で送検した。
山上容疑者は母親が入会し献金を繰り返していた宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に「恨みがあった」と供述。安倍氏が「団体とつながっていると思い狙った」などと話している。
事件で使われた銃や火薬はインターネットで調べた情報などをもとに自作したという。容疑者の自宅からは作製途中を含め手製銃が少なくとも6丁以上押収された。
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9.『日経新聞』(https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00002030V00C22A8000000/?fbclid=IwAR3Q45t5HsDdOL1I7aIXgZQEOMISW6us8uYqrIR1bTh_9EhU_oeXsfeZyp4)
2022年8月7日
淡嶋健人、山本博文、小園雅之、斎藤一美、山田薫
参院選の応援演説中に安倍晋三元首相が奈良市で銃撃され死亡した事件で、安倍氏の選挙期間中の応援演説を記録した画像や映像などから、事件現場の「特異性」が浮かび上がった。会場の様子が確認できた全47回の演説のうち、屋外の市街地で選挙カーを使わず、かつ背後の警備が手薄だったのは今回だけ。「たった1回」の警備態勢の明らかな不備を、安倍氏をつけ回していた容疑者に狙われた。
全国を飛び回っていた安倍元首相
6月22日の参院選公示後、7月8日に銃弾に倒れるまで、確認できた限り安倍氏は20都道府県で47回、応援演説に立った。通算で8年を超える長期政権を担った安倍氏の人気は高く、選挙期間中、1日に複数の会場を回っていた。
安倍氏の公式ツイッターや応援に立った候補者の公式SNS(交流サイト)に残る画像や映像などから、演説会場には大きく3つの特徴がみられた。
特徴① 選挙カーの上
第1が選挙カーの上に立っての応援演説だ。47回のうち最も多く、計24回が確認できた。
離れた聴衆にも姿を見せることができ、警護する側も近づいてくる不審者を早期に発見しやすく、万が一狙われたとしても角度的に防ぎやすいとされる。
警視庁OBの松丸俊彦氏
「選挙カーの車上は狭いため警護対象者のそばに警察官を配置でき、近くに立つのを嫌がりがちな選挙陣営の理解も得やすい。周囲の状況把握も比較的容易で、警備的に最も理にかなった演説形式のひとつだ」
(松丸氏は国内外で要人警護に携わった経験を持ち、現在は危機管理会社「オオコシセキュリティコンサルタンツ」に在籍)
特徴② 屋内会場
第2が屋内の会場だ。街頭と異なり、不特定多数にアピールできない一方で手荷物検査や入場者の確認を実施でき、手厚い警備態勢を敷くことができる。
警視庁OBの松丸俊彦氏
「屋内は屋外よりグッと警備がしやすくなる。入り口を1カ所に絞るなどして事前にチェックした聴衆を入場させられるうえ、聴衆も固定された位置に座るため監視もしやすい。仮に不規則な動作を取られても前方のため気付きやすい」
特徴③ 後方に壁や警備
第3が屋外会場で、選挙カーの上には乗っていないが現場の警察官の配置などに工夫して背後を十分に警戒していたケースだ。計9回あり、会社や工場など一般人が出入りしにくい建物を背後に立ったり、後ろの空間に選挙カーを置いて「壁」をつくったりしていた。
愛媛県西条市の会場では、選挙カーを背後に置いているだけでなく、安倍氏の周囲に立つ3人のうち1人は後ろを向いて警戒している様子が見てとれる。
警視庁OBの松丸俊彦氏
「愛媛の会場では3人の警護員が安倍氏の周囲を固め、1人は後方専従とみられる配置だ。さらに選挙カーも置いて安倍氏の背後に『二重の盾』をつくっており、セオリー通りの警戒と言える」
唯一手薄だった奈良市
銃撃事件の当日、佐藤啓氏の応援演説をする安倍元首相(7月8日、奈良市)=目撃者提供
こうした3つの特徴がある演説会場に対し、画像や映像で確認できた47回の演説のうち、安倍氏の背後にスペースが確認できたのは奈良市と山口県長門市の2カ所のみだった。
江島潔氏の応援演説(6月25日、山口県長門市)=安倍元首相のツイッターより
だが、長門市の演説会場は漁港で、映像で見る限り人の往来はみられない。安倍氏の後ろに立って周囲を警戒する警護員らしき人影も確認できる。
一方、事件現場となった奈良市の会場は駅前で、多くの人が行き交っていた。選挙カーを置くなどして「壁」を作っていないにもかかわらず、背後の警備は明らかに手薄だった。
なぜ奈良市の会場だけ、手薄だったのか。警察関係者によると、現場に配置されていた警察官は全体で十数人。このうち、安倍氏が立っていたガードレール内の後方に広がるスペースに配置された警察官はわずか2人だった。
その2人も専従の後方警戒担当ではなかったとされる。うち1人はロータリー付近を巡回しながら警戒する役回りで、当初は安倍氏の真後ろにあたるバス停付近にいたが、安倍氏の演説が始まったときは画像や映像から姿が見えなくなった。
結果的に安倍氏の背後に大きな空白が生じていた。この隙を、山上徹也容疑者(41)=鑑定留置中=は見逃さなかった。
街頭演説中の安倍元首相が銃撃された現場(7月8日、奈良市)
捜査関係者によると、山上容疑者は安倍氏の遊説先を「つけ回していた」と供述。事件前日の7日には岡山県内の会場に手製銃を隠し持って現れたが、屋内の会場で警備が厳しかったため襲撃を断念したという。
警察庁の検証チームは、奈良県警の警護計画に加え、前方の聴衆への警戒を重視するあまり後方警戒がおろそかになっていた現場の警備指揮や連携にも問題があったとみて調べている。関係者からの聞き取りなどを進めており、検証結果は8月下旬にまとまる見通しだ。
(2022年8月11日転載終)