ウクライナ情勢

NHK(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220810/k10013745571000.html)

【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(8月10日の動き)
2022年8月10日

ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が続いています。
ウクライナの各地でロシア軍とウクライナ軍が戦闘を続けていて、大勢の市民が国外へ避難しています。戦闘の状況や関係各国の外交など、ウクライナ情勢をめぐる10日(日本時間)の動きを随時更新でお伝えします。
(日本とウクライナ、ロシアのモスクワとは6時間の時差があります)

G7外相 ザポリージャ原発の安全への懸念で声明

ウクライナ南東部にあるロシア軍が掌握するザポリージャ原子力発電所に砲撃が相次ぎ、原発の安全への懸念が広がっていることを受けて、G7=主要7か国の外相は10日、声明を出しました。
声明では「ウクライナの原子力施設をロシア軍が掌握し、施設の安全に深刻な脅威をもたらし、原発事故のリスクを著しく高めウクライナや周辺国、そして国際社会を危険にさらしていることを深く懸念している」として、ロシアに対して原発をただちにウクライナ側に戻すよう求めました。

また声明では「IAEA=国際原子力機関のスタッフは、ウクライナにあるすべての原子力施設に安全、また妨害を受けずに出入りできなければならない」として、IAEAの専門家チームが現地に入ることが必要だと訴えています。

ロシア軍 ウクライナ東部2町の住宅地攻撃 13人死亡

ウクライナ東部ドニプロペトロウシク州の2つの町が、ロシア軍による夜間の攻撃を受け、これまでに13人の市民が死亡したと10日、地元の州知事がSNSへの投稿で明らかにしました。

それによりますと、ロシア軍が住宅地に80発ものロケット弾を発射し、集合住宅のほか、文化施設や学校などが被害を受けたとしています。

攻撃を受けたのは、ザポリージャ原子力発電所から川を挟んだ対岸の町で、引き続き、激しい攻撃が続いているものとみられます。

南部クリミアの基地爆発 ウクライナ側の関与伝える報道も

ロシアが一方的に併合したウクライナ南部のクリミア半島にあるロシア軍の基地で発生した大規模な爆発について、アメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズは9日、ウクライナ政府高官の話として「ウクライナ政府に忠誠を尽くすパルチザン部隊が関与した」と伝えています。

また、アメリカのシンクタンク「戦争研究所」は9日、爆発の原因は分析中とする一方、「ロシア政府はウクライナから攻撃を受けたと非難する動機がない。ロシアの防空力が機能していないことを実証してしまうからだ」と指摘し、ロシアとして攻撃を受けたとは言わないだろうとの見方を示しています。

米国務省 ウクライナでの地雷や不発弾除去に約120億円相当の支援

アメリカ国務省は9日、ウクライナでの地雷や不発弾の除去のため8900万ドル、日本円にして約120億円相当の支援を行うと発表しました。

除去のための技術指導や装備の提供を行い、ウクライナで約100の専門チームが作業にあたれるようにするということです。

国務省は声明で、ロシアがウクライナの広範囲に地雷や不発弾などの爆発物を残したと非難したうえで「市民の死傷者を出し続け、復興の取り組みや避難した人々の帰還の妨げになっている」と指摘しています。

ロシア軍東部で苦戦 兵力不足か

ロシア国防省は9日も、各地をミサイルで攻撃し、東部ドネツク州や南部のミコライウ州とヘルソン州で指揮所や弾薬庫などを破壊したと発表しました。

戦況を分析するイギリス国防省は9日、ロシア軍が東部ドンバス地域で前進した距離について「過去30日間、最も成功した地域でおよそ10キロ、ほかの地域では3キロしか前進しておらず、計画を大幅に下回っている。前進できるだけの十分な戦闘歩兵が確保できていない」と指摘しました。

また、アメリカ国防総省のカール国防次官は8日の記者会見で、ことし2月に軍事侵攻が始まって以降のロシア側の戦死者と負傷者の数が合わせて7万人から8万人にのぼるという見方を示しました。

カール次官は「侵攻を開始したときの、プーチン大統領の目標を何一つ達成していないことを考えると、注目に値する」と述べ、ロシア側の人的な損害が非常に大きい可能性も出ています。

南部クリミア基地で爆発か

ロシアの国営メディアやロイター通信などは9日、ロシアが8年前に一方的に併合したウクライナ南部のクリミアで複数の爆発音や大きな煙が上がっている様子を伝え、その後、ロシア国防省はクリミアに駐留するロシア軍の基地で爆発があったと発表しました。

爆発があったのは、クリミア半島の西部にある軍の飛行場で、ロシア国防省は、航空機の弾薬の施設が爆発したと主張する一方、攻撃を受けたのではないとしています。また、地元のロシア側の当局者は、ロシアの国営メディアに対し、この爆発で1人が死亡したと説明しています。

これについて、ウクライナ国防省は9日、フェイスブックに「クリミアの飛行場の火災について、国防省は原因を特定できていない。火災の事実が情報戦に利用される可能性がある」などと投稿しました。

ゼレンスキー大統領「クリミアを諦めない」 爆発には言及せず

ウクライナのゼレンスキー大統領は9日、公開した動画の中で「クリミアはウクライナのもので、われわれは決して諦めない」と述べ、8年前にロシアが一方的に併合したクリミアを取り返す考えを重ねて強調しました。

ゼレンスキー大統領は「ロシアはヨーロッパで最もすばらしい場所の1つ、クリミア半島を、最も危険な場所の1つに変えてしまった」と指摘したうえで「ロシアの占領者がクリミアにいることは、ヨーロッパ全体と世界の安定に対する脅威だ」などと述べ、ロシア側を強く非難しました。

一方、ゼレンスキー大統領は、クリミアに駐留するロシア軍の基地で9日、起きたと伝えられる爆発については、今回の動画で直接、言及しませんでした。

IAEA 原発砲撃に改めて重大な懸念

ウクライナ南東部にあるロシア軍が掌握するザポリージャ原子力発電所に今月5日から砲撃が続いていることを巡り、IAEA=国際原子力機関は、9日、声明を発表し、6日の砲撃の被害についてもウクライナ側から連絡を受けたことを明らかにしました。

IAEAはすでに声明を発表し、砲撃による原発の安全への懸念を表明していて、今回の声明では、ウクライナ側から、6日の砲撃で使用済み核燃料の貯蔵施設がある一帯の建物の壁や屋根などが損傷したといった連絡を受けたとしています。

使用済み核燃料の容器には明らかな被害はないということでIAEAの専門家の評価では、原発の安全が直ちに脅かされる状況ではないと説明しています。

しかし、IAEAは、施設の安全など、原発の安全に不可欠だとしている多くの要件が守られていない状況だと指摘し、グロッシ事務局長が改めて重大な懸念を示して原発への軍事行動をやめるよう求めました。そして、原発の安全確保のためにIAEAの専門家チームがすみやかに現地を訪れることが必要だと訴えました。

ロシア産の原油 欧州3か国への輸送停止

ロシア産の原油をヨーロッパに輸送するためのパイプラインを運営する国営の「トランスネフチ」は9日、ヨーロッパの一部の国に向けた原油の輸送が停止されたと発表しました。

「トランスネフチ」の声明によりますと、輸送が停止されたのは、ヨーロッパのハンガリーとチェコそれにスロバキアの3か国で、いずれも、ウクライナを通過するパイプラインを使ってロシア産の原油を購入していました。

「トランスネフチ」は輸送停止の理由について、ウクライナ領内でパイプラインを運営するウクライナの会社に先月、パイプラインの通過使用料を支払おうとしたものの、欧米の制裁によって送金ができなかったためだと主張しています。そして「ウクライナ側への支払いができなくなったため、今月4日以降、ウクライナ経由の供給は止まった」と説明しています。

「トランスネフチ」は、これとは別に運用している隣国のベラルーシを通過してヨーロッパに輸送するパイプラインについては、通常どおり稼働しているとしています。

(2022年8月11日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2022年2月投稿

S・K:どこまでも深読みは出来るものかと思いますが、深読み行為自体が紛争拡大への誘い水にもなってしまう懸念を感じます。

ユーリ:Kさま、ありがとうございます。参考程度にお読みくださいね。

S・K:はい。アフガン撤退は単純にバイデン政権のイデオロギーのように見えましたが、石油備蓄放出はよく分かりませんでした。
これが、プーチンを軍事作戦に誘い出す巧妙な作戦だったとすれば、よくまぁそんな事まで考えるもんだと空恐ろしいですね。
ただ、台湾への飛び火だけは絶対に避けなければなりません。

ユーリ:全くおっしゃる通りです。

S・K:プーチンのマインドに火をつけたとすれば、まぁ素人考えでしょうけど、ゼレンスキー大統領が以前はコメディアンだった?という背景もあったのでしょうか。
大きな力によって世論誘導的な操作があったぞ、というのが仮にもプーチンの目に見えていたとすれば、ベラルーシとウクライナとロシアは兄弟だと言われてますし、不幸にも最後の一線を越えさせてしまったのかなぁ、と思えます。
ただ、ナショナリズムに支えられた人間のマインドを操る「妙な声」があるとすると、かなり面白くないですね。

ユーリ:K様、久しぶりに(?)熱が入っていらっしゃいますね?

ユーリ:しばらく前のことですが、パイプス氏に私から直接、「日高義樹氏の講演で、バイデン大統領はアルツハイマーだと聞いたが、本当か」と質問しました。返答は、「その通り」。資料も添付されていました。以前の映像から奇妙な言動が見られ、心配していたものの、一応は他国のことなので、と思っていたところ、実際にお返事をいただき、言葉もありませんでした。今や米国大統領が認知症のまま、判断力を失って世界情勢を動かしてしまっているのです。今回のウクライナ情勢については、もっと詳しい方がたくさんいらっしゃるので、私は静観です。パイプス氏の言い分は、民主党嫌いとバイデン大統領の機能不全状態から来ているものと、私は考えております。

S・K:基本的には、民主党になると戦争が起こるのでしょう。もちろんネオコンのブッシュ親子時代もですが。
バイデン大統領のアルツハイマー疑惑は、戦争を起こそうとするパワーにとって、シナリオを容易化するんだろなとしか思えないですね。

ユーリ:そうですね。恐ろしいことです。

(2022年8月11日転載終)
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上記のフェイスブックのやり取りは、今年のまだ真冬だった。今の時代、それ程長期に及ぶ戦争は継続できないだろうと思っていたが、半年経っても現状は悲惨なままだ。
「ウクライナ」については、2022年7月11日付の過去ブログ(http://itunalily.jp/wordpress/)もどうぞ。

(2022年8月11日記)

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長崎の原爆記念日を回想

毎日新聞』(mainichi.jp/articles/20220805/k00/00m/040/376000c?fbclid=IwAR2YCZVDXlw8jIRcZMPJZsj39GuMDkrt4gkgDsxgPsmYko7VlA76FEYXjFM)

原爆投下から77年 なぜ長崎は米軍に狙われたのか
2022年8月9日

1945年、長崎市に原爆が投下され、8月9日で77年になります。なぜ米軍は長崎を狙ったのでしょう。そして、なぜ8月6日の広島市に続いて、長崎にも原爆を落とす必要があったのでしょう。【西部報道部・中里顕】

 Q:なぜ米軍は長崎に原爆を落としたの?
 A:重要な軍事拠点を破壊し、太平洋戦争(第二次世界大戦)を続ける日本を早期に降伏させようと考えたのが一つの理由とされています。長崎は戦艦「武蔵」を建造した造船所や製鋼所、兵器製造工場などが集まる日本軍の重要都市でした。
米国は41年12月に日本が米ハワイの真珠湾を攻撃したことをきっかけに、第二次世界大戦に参戦しました。欧州を侵攻するナチス・ドイツが原爆の開発を進めているとの情報を得て研究を急ぎ、45年7月、ニューメキシコ州の砂漠で史上初の原爆実験に成功しました。原爆の投下目標とする都市は何度も変わりましたが、最終的に、広島市、小倉市(現在の北九州市)、長崎市となりました。広島市には同年8月6日に原爆が投下され、人類史上初めて核兵器が実戦で使用されました。

 Q:なぜ小倉市には落とされなかったの?
 A:8月9日の第1目標は小倉市でした。しかし、原爆を搭載した米軍爆撃機「B29」が小倉上空に到達すると視界が悪く、投下できなかったのです。視界不良だった理由は前日の空襲による煙のためと言われていますが、小倉に近い製鉄所で当時働いていた人の「煙幕を張った」という証言もあり、原因は諸説あります。B29はその後、長崎に向かい、午前11時2分、高度9600メートルから原爆を投下しました。

 Q:長崎は原爆でどんな被害を受けたの?
 A:原爆は長崎市松山町の上空約500メートルで爆発し、巨大な火の球が生まれました。街は火の球から放たれた熱線で、鉄が溶ける温度(約1500度)の倍以上に当たる3000~4000度の高熱となり、秒速数百メートルの爆風に襲われました。民家は跡形もなく破壊され、コンクリートで造られた頑丈な建物も崩壊しました。原爆は大量の放射線も放出しました。熱線や爆風の被害を免れて生き残った人も、白血病やがんなど放射線による「原爆症」で次々と命を落としました。人的被害は広島に続いて未曽有の規模となり、長崎市の当時の推定人口約24万人に対し、45年末までに約7万4000人が亡くなりました。
 
 Q:多くの一般市民を殺傷する爆弾を2度も落とす必要があったの?
 A:米国は原爆開発のために多くの科学者や技術者を動員し、当時としては巨額の約20億ドルの費用をつぎ込みました。広島では「ウラン」、長崎では「プルトニウム」と、異なる放射性物質を使った原爆が投下されました。それぞれの威力を確かめる狙いがあったのでは、と指摘する人もいます。この他、大戦後に世界の覇権を争うとにらんでいたソ連をけん制するための投下だったという見方もあります。

 Q:被爆後の長崎はどのような道のりを歩んだの?
 A:戦後の長崎は平和の発信拠点としてのまちづくりが進められました。原爆が爆発した爆心地やその周辺には緑豊かな公園が整備され、55年には長崎県出身の彫刻家、北村西望氏によって「平和祈念像」が造られました。毎年8月9日には像の前で平和祈念式典が開かれ、被爆者ら市民が参列して長崎市長が「平和宣言」を読み上げます。
 「東洋一の大聖堂」と言われた爆心地近くの浦上天主堂も原爆で崩壊しましたが、被爆から14年後の59年に再建されました。天主堂では8月9日、平和への祈りをささげるミサが開かれます。他にも、原爆の爆風で柱が失われて1本柱で立つ鳥居や、焼け残った学校の校舎などが「被爆遺構」として残り、原爆資料館では投下までの経過や被爆後の惨状などを展示で学ぶことができます。
 
 Q:平和への思いは伝わっているの?
 A:スウェーデンにあるストックホルム国際平和研究所は、今年1月時点で世界に計1万2705発の核弾頭があり、多い順にロシア、米国、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の9カ国が保有していると推計しています。核兵器の廃絶を求める広島、長崎の思いと、世界の現実には大きな隔たりがあります。また、今年2月にはロシアのプーチン大統領がウクライナへの侵攻時に核兵器の使用を示唆し、世界に緊張が走りました。核兵器の使用がもたらす悲惨さを直接知る被爆者が年々減少する中、長崎の声を世界にどう伝えていくのかが課題になっています。

(2022年8月10日転載終)
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過去ブログから長崎原爆にまつわるものを抜粋。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120729)
2012-07-29「長崎旅行から帰って」
《今回出かけた所は、原爆投下中心地・平和公園・平和祈念像・長崎原爆資料館・浦上天主堂・カトリックセンター・日本二十六聖人殉教地・眼鏡橋・シーボルト記念館・出島資料館・長崎新地中華街・オランダ坂・孔子廟・グラバー園・大浦天主堂です。市電とバスを使い、日焼けで首から胸にかけては真っ赤になってしまうほど、歩き回りました。》
《長崎では、原爆を投下された場所が、実は主人の勤務先の会社が10ほど密集していた地域だったことが、地図から判明。そして、今では公園になっているものの、広島よりは規模が小さいこと、当時はともかく、現在から思えば、よくこんなところに原爆を投下できたものだ、と驚き以外の何物もない、ということです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150809)
2015-08-09「長崎原爆の70周年」
《意図したわけではなかったのに、ふと思い出してテレビをつけたところ、広島の日も長崎の日も、ちょうど式典が始まるところであった。特に、後者は午前11時2分という時間だったので、我ながら感動した。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160809)
2016-08-09「国の来し方行く末を考える」
《数年前に旅行した長崎の地(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)がテレビ中継され、午前11時2分には共に黙祷した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150809)。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170809)
2017-08-09「長崎原爆投下の日に」
《広島訪問(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)と長崎訪問(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。原爆投下の問題については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)。今日も午前11時2分にテレビ中継と共に黙祷した。》

(2022年8月10日転載終)
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約10年前の主人と一緒の長崎旅行では、案外に多くの場所を訪問できた、と改めて思うところである。長崎市は、地名が有名な割には、比較的、地理的に狭い土地柄で、確か路面電車が走っていたかと記憶する。
この頃は、主人もまだ元気で、結構、歩き回れたのだった。

確か、コルベ神父がいらしたカトリック書店へも行ったはずだ。日本二十六聖人殉教地では、主人と二人の記念写真を撮ってあげようか、と知らないおじさんが声をかけてきて、「結構です」と断ったところ、急に不機嫌になってしまわれたことを思い出す。そして、近くの店に入ると、なぜか血なまぐさい匂いが漂っていた。

カトリックセンターでは、故ヨハネ・パウロ二世が昼食を摂られたというレストランに入った。予想以上にこじんまりした所で、びっくりした。
出島では、セミナリオ、つまり神学校の跡地を見たが、本当に小さい場所だった。

こういう過去の記録は重要である。検索機能が便利なブログの利点だ。

(2022年8月11日記)
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今年の広島については、以下のツィートで。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1555717152367603712)
Lily2@ituna4011
インターネット配信と同時に黙祷しました。 毎年の恒例行事。
9:47 AM · Aug 6, 2022

(2022年8月11日転載終)

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元総理への銃撃 (7)

《過去ブログ》

「元総理への銃撃(1)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220708)2022年7月8日付
「元総理への銃撃(2)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220718)2022年7月18日付
「元総理への銃撃(3)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220721)2022年7月21日付
「元総理への銃撃(4)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220728)2022年7月28日付
「元総理への銃撃(5)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220730)2022年7月30日付
「元総理への銃撃(6)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220730)2022年7月30日付
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1.『読売新聞』(https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220709-OYT1T50053/)

「これで私も終わりかもしれないね」強気だった安倍元首相、何度か吐いていた弱音…評伝
2022年7月9日

 安倍晋三・元首相は、常に物事を戦略的に考える人だった。
銃撃現場は道路となる予定、奈良市長「歴史的事件の場所として記録する必要」
 第1次内閣は、教育基本法の改正など自らの政治理念にこだわり過ぎて、短命に終わった。
その失敗を教訓に、第2次内閣以降は、硬軟織り交ぜた政権運営に徹した。集団的自衛権の限定的な行使を容認し、安全保障関連法を整備する一方、働き方改革など野党が主張していた政策にも柔軟に取り組んだのは、その象徴と言える。
 労働団体のように経済界に賃上げを迫り、教育無償化を進め、若い世代にも自民党の支持を広げたことが今の強い党の土台にある。
 国会では、野党を挑発するかのような攻撃的な答弁が目立ったが、演説で力強く政策を語る姿は、多くの人を引きつけた。
 「何事も、達成するまでは、不可能に思えるものである」
安倍氏は2014年の施政方針演説で、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の言葉を引用し、難題に取り組む考えを強調していた。安倍氏の強い信念と情熱を最も表していたと思う。安倍氏は「リーダーは時運をつかみ、絶対に手放してはいけないんだ」とも常々、口にしていた。
 ただ、憲政史上最長の長期政権は、常に倒閣の危険と隣り合わせだった。消費増税の先送りには財務省が反発し、「安倍おろし」を画策した。集団的自衛権の憲法解釈変更も、後ろ向きだった内閣法制局との綱引きが続いた。
 野党や一部のマスコミには「最悪の内閣だ」と批判されたが、麻生太郎氏や菅義偉氏らと協力し、試練を乗り越えた。気心の知れた首相官邸のチームも安倍氏を支えた。
 「これで私も終わりかもしれないね」
強気の安倍氏も取材に、何度か弱音を吐いたことがあった。政権を維持していくことがいかに難しいかを感じた。政治担当の記者として、安倍氏の取材に携わることができたことは、この上ない経験だった。
 憲法改正や、北朝鮮による日本人拉致問題の解決が実現しなかったのは心残りだろう。
 享年67歳。がんで亡くなった父・安倍晋太郎元外相と同じ年齢だ。昨年9月、誕生日を迎えた安倍氏は「俺もとうとう、おやじが死んだ年になった。本当、体調に気をつけないとな」と語っていた。こんな理不尽な形で命を奪われるとは、悔しくてならない。(論説副委員長 尾山宏)
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2.(https://nordot.app/918799313655398400)

「安倍晋三元首相は、わずかな笑みを残したまま崩れ落ちた」
共同通信の取材記者が記録した、事件発生からの2日間
2022年7月11日
© 一般社団法人共同通信社

奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説する自民党の安倍元首相。この直後に銃撃された=8日午前11時半ごろ

 「被害者は、安倍晋三元内閣総理大臣。殺人事件に切り替え、全容の解明に努める所存であります」。7月8日午後、奈良県警が記者会見で発表した内容は、分かっていても衝撃的だった。歴代最長政権を築いた元首相が、1人の男が放った銃弾で命を落とした。享年67歳。誰も予期しなかった突然の死は、国内外に大きな衝撃を与えた。
 「総理!頑張れ!」「晋ちゃん、晋ちゃん!」火薬のような臭いの中で飛び交う怒号、血だまりで続いた懸命の心臓マッサージ、恐怖や悲しみに震える人々。民主主義を揺るがす大事件はどのように発生し、誰が何を語ったのか。あふれる情報の中で改めて事実を整理するべく、取材記者たちの記録で振り返った。(共同通信取材班)

▽血だまりの中、必死の心臓マッサージ

 8日午前11時半。例年にない猛暑が続いた参院選の最終盤で、安倍氏は奈良選挙区の応援演説に入った。にこやかな顔で元首相が登場すると、集まった数百人の聴衆が沸いた。マイクを握り、軽妙な語り口で話を始めた数分後、一人の男が安倍氏の背後に向かって歩き出す。ポロシャツに茶系のズボン、白いマスクを着けた山上徹也容疑者(41)が、黒い物体を体の前に掲げた瞬間、ごう音が全ての音をかき消した。
「ドーン!…ドーン!」。間隔を空けて、大きな音が2度響き渡った。現場にいた記者が状況を理解したのはその数秒後。聴衆の視線を受けとめるように、表情にわずかな笑みを残したまま、安倍氏はその場に崩れ落ちた。「きゃー」。一斉に上がる悲鳴。周囲には火薬のにおいが立ち込めていた。
 「医療関係者はいませんか!」。陣営スタッフが何度も声を張り上げた。現場近くでクリニックを営む中岡伸悟医師(64)は、患者の家族が上げた大声で事件の発生を知ったという。「安倍晋三さんが撃たれた!」。驚いて駆け付けると、あおむけで倒れた安倍氏のシャツは血で赤く染まっていた。周囲からは「銃で撃たれた」という声が聞こえた。かなり出血しているのは間違いない。内臓や大動脈が損傷している可能性もある。「設備の整った病院に搬送しないといけない」。瞬時にそう判断した。

自民党の安倍元首相が街頭演説中に男に銃撃され、騒然とする現場付近=8日午前11時41分、奈良市

 救急車が来るまでに、できることは何かないか。持参した自動体外式除細動器(AED)を使ったが、電気ショックは起きなかった。けいれん状態の心臓を正常に動かすための装置で、完全に心停止した場合は作動しない。看護師や選挙スタッフが交代しながら心臓マッサージを繰り返した。背中側には血だまりができていた。どれくらいの時間がかかったかは覚えていないが、中岡医師にはかなり長く感じられた。実際に救急車が到着したのは約5分後。身動き一つしない体に「総理頑張れ。総理頑張れ」という言葉が飛ぶ。多くの人の祈るような声に見送られ、安倍氏は奈良県立医大病院(奈良県橿原市)へと運ばれていった。
 一方、銃撃を図った山上容疑者は近くのバスターミナル付近で体を地面に押し付けられたまま、捜査員と淡々と言葉を交わしていた。空を見つめるうつろな目からは、怒りや興奮といった感情は読み取れなかった。

▽「晋ちゃん!」繰り返し名前を呼んだ

 安倍氏が病院に到着したのは午後0時半ごろ。治療に当たった奈良県立医大病院の福島英賢医師によると、安倍氏は搬送時から心肺停止状態だった。首のやや右側には銃創が2カ所あり、心臓の心室には銃弾によるとみられる大きな穴が開いていた。病院は胸部の止血や大量の輸血を行ったが「大量出血で既に血液も凝固する力を失っていた」。
「深刻な状況だ。一命をとりとめることを心から祈る」。午後2時45分ごろ、官邸で記者団の取材に応じた岸田文雄首相は、言葉を選びながら、神妙な面持ちでこう語った。
 厳しい容体だという情報が出回る中、午後5時前に安倍氏の妻、昭恵さんが病院に到着する。搬送から既に4時間半が経過していた。

安倍元首相が搬送された奈良県橿原市の県立医大病院に到着した昭恵夫人=8日午後

 「晋ちゃん、晋ちゃん!」。自民党関係者によると、昭恵さんは安倍氏の枕元で何度も繰り返し名前を呼んだ。福島医師らは昭恵さんに病状と経過を説明した。一度、停止した心臓が再び動き出すことはなかった。最終的に昭恵さんは「蘇生は難しい」と判断し、35年連れ添った伴侶の最期をみとった。死亡時刻は午後5時3分。昭恵さんの到着からわずか数分後だった。

▽守れなかった命、「警察人生最大の悔恨」

 その約1時間後、奈良県警が開いた記者会見によって、事件の詳細が徐々に浮かび上がってくる。銃撃に使われた凶器は長さ約40センチ、高さ約20センチの手製の銃だった。

山上徹也容疑者の自宅に、家宅捜索に向かう捜査員ら=8日午後5時13分、奈良市

 自宅からは、手製とみられる銃がさらに数丁見つかった。安倍氏の遊説日程について、山上容疑者はホームページなどで把握していたと供述しているという。
 捜査関係者の話によると、凶器の銃は金属製の筒2本を粘着テープで束ねた構造。弾丸はカプセルのような小さな容器に入れ、それぞれの筒から発射させる散弾銃に似た造りだった可能性がある。山上容疑者が「母親が宗教団体にのめり込み、恨みがあった。その団体と安倍元首相がつながっていると思ったから狙った」という説明をしていることも分かった。事件前日の夜には、安倍氏が演説していた岡山市民会館を訪れた趣旨の供述をしていることも判明。計画性の有無や動機の解明が焦点になりつつある。
 県警は総力を挙げて捜査を進める一方、事件を防ぐことができなかった警備体制の問題点については多くを語らない。
 翌日になって記者会見した県警トップの鬼塚友章本部長は「27年余りの警察官人生で最大の悔恨、痛恨の極み」と絞り出すように話した。山上容疑者が安倍氏の背後数メートルのところまで近づけたこと、1発目の発砲音が鳴るまで不審な動きに気が付いていなかったことなど、警察への批判も出ている。鬼塚氏は「極めて深刻かつ重大な事案。警護警備に問題があったことは否定できない」とした上で、「前日に急に(安倍氏の遊説日程が)入った。計画書に目を通し、承認したのは当日午前中だった」と明らかにした。修正は指示せず、原案通りに警備することになったという。

奈良県警本部で記者会見する鬼塚友章本部長=9日午後6時31分

 会見で鬼塚氏が、時に目に涙を浮かべて天を仰いだり、肩で息をしたりする場面もあった。「事案の全容究明が急務。捜査を指揮するとともに警護の問題を早急に洗い出すのが私の責任だ。捜査を尽くすことが、安倍元内閣総理大臣に対する最大の弔いになる」と述べ、自身の進退については言及しなかった。

 ▽支持者でなくとも…

「安倍1強」と呼ばれる圧倒的な権力体制を確立し、通算で9年近くにわたって政権を率いた安倍氏。その影響力の大きさゆえに、森友学園や「桜を見る会」の疑惑では官僚の忖度を招き、強引な手法には批判も多かった。市民の評価は分かれるが、事件現場の献花台には、政治信条の違いを乗り越え、安倍氏を悼む人たちが集まる。

安倍元首相が銃撃された事件現場近くの献花台で手を合わせる人たち=9日午前11時43分、奈良市

 事件翌日の9日は、朝から途切れることなく人が訪れた。日差しが照りつけたかと思えば、一転、土砂降りになるような不安定な天候でも、時に500人近い人が並び、献花台は手向けられた花束や飲み物であふれた。
 母親と献花した京都市の高校2年の女子生徒は「私の中で、首相といえば安倍さんだった。長い間お疲れさまでしたと伝えたくて来ました」。大阪府泉大津市の男性(71)は「いろいろ批判もあったが、安倍さんが好きだった。本当に無念だ」と涙を拭った。奈良県生駒市の女性(71)は「安倍さんの支持者ではないが、撃たれて亡くなるのはやっぱり違うと思う。まだ若く、したいことがあったでしょうに」と故人をしのんだ。

安倍元首相が銃撃された現場付近に設置された献花台に飾られた写真=9日午後5時27分、奈良市
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3.NHK(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220726/k10013731781000.html?fbclid=IwAR1I-OqhxA21793KqtpvhY6W7kqpwUsN54fSZ72tNwV1AT7HiUkOa8mhnnw)

2022年7月26日
(奈良放送局 記者 金子晃久 バルテンシュタイン永岡海)

安倍晋三元総理大臣を搬送するドクターヘリの機内で、医師は予想外の事態に直面していた。
“背後から撃たれた”にも関わらず、背中に傷が見当たらなかったのだ。
事件当日、現場で、ヘリの機内で、そして搬送先の病院で、5時間半にわたり治療を行った3人の医師。
元総理の銃撃という前代未聞の事件に医師たちはどう向き合ったのか。

叫び声で駆けつけた
「撃たれた 撃たれた」
参議院選挙2日前の7月8日午前11時半すぎ。午前の診療を終えようかという時、叫び声が聞こえた。中岡伸悟医師のクリニックは大阪、京都、奈良を結ぶターミナル駅、近鉄・大和西大寺駅の北口にある。
何が起きたのか確かめようと、中岡医師はビルの外に駆け出した。
横断歩道の中ほどには大勢の人だかり。目に飛び込んできたのは、仰向けに倒れている安倍元総理大臣の姿だった。顔色は白く、意識を失っているようだ。声をかけても反応はない。
一緒に現場に駆けつけた看護師たちとともに、心臓マッサージを行った。持参したAEDを体に取り付ける。しかし、正しい手順で行っているのに作動しない。AEDは電気ショックの効果がある場合には作動するが、すでに心臓が動いていない場合には作動しないという。
胸の動きを観察すると、自発呼吸もないように見えた。

現場に駆けつけた中岡伸悟医師
「かなり厳しい状態だと感じました。目視しただけでは、傷の位置や程度はわかりませんでしたが、銃撃によって大きな血管や臓器が損傷しているのではないかとみられました。一刻も早く医療機関への搬送が必要な状態で、祈るような気持ちで救急車の到着を待ちました」
「背後から撃たれた」「この場から離れて」
「救急車がまもなく到着します」

さまざまな声が飛び交い騒然とする中、中岡医師らは心臓マッサージを続けた。
「至急向かってください」
奈良市消防局の消防無線の記録によると、救急車の出動要請は午前11時32分。
3分後「高齢男性、拳銃で撃たれ現在CPA(心肺停止)状態と思われます」「至急向かってください」などといったやり取りが残されている。
午前11時43分、現場に到着した救急車に安倍元総理が収容された。
気管挿管などの救命措置を行いながら、救急車はドクターヘリと合流できる着陸地点を目指した。

ドクターヘリ出動要請
同じ頃、奈良県のドクターヘリにも出動要請の連絡が入っていた。
ヘリの基地は事件現場から南に約30キロ離れた奈良県大淀町にある南奈良総合医療センター。この日、ヘリ当番として待機していたのは、救急医の植山徹医師だった。
パイロットから伝えられた一報は「高齢男性が銃撃を受け心肺停止」

植山医師は看護師らとともに蘇生処置に使う医療機器を積み込み、ヘリは事件現場から1キロほど離れた着陸地点へ向かって離陸した。

ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「銃創のけが人の搬送は奈良県のドクターヘリが始まって以来、初めてのことじゃないでしょうか。実は、けが人が安倍元総理だということは正式には誰からも聞いていないんです。要人であるからといって、対応を変えることはありません。ヘリの中は、騒音がすごくて聴診も効果的にはできないし、揺れが激しい上にシートベルトで動きも制限されます。難しい対応になることは予想していました」

ランデブーポイントは平城宮跡
午前11時52分。ヘリは着陸地点として指定された、奈良時代の都の跡・平城宮跡に着いた。
世界遺産にもなっているこの場所。周りを見るとふだんと変わらないようすでジョギングや散歩をする人の姿も目に入った。
5分後の午前11時57分、安倍元総理を乗せた救急車が到着した。
植山医師は安倍元総理の状況を確認し、まずは点滴ルートの確保を試みた。
しかし、事態は予想以上に深刻だった。血圧が急激に低下していて、血管に針がうまく入らない。ルートが確保できなければ、蘇生処置に使うアドレナリンなどの薬も投与することができない。

ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「全く意識もありませんし、脈も確認できませんでした。それで、静脈路をとろうとしてもできなかったので、骨髄針といって、骨に針を刺して骨髄の中から輸液する方法をとりました」
傷口が見当たらない
さらに難しかったのは、銃弾による傷の位置を特定することだった。

混乱していた現場からの情報は「安倍元総理は後ろから撃たれたようだ」ということだけだった。

搬送先の奈良県立医科大学附属病院までの距離は20キロ余り。到着までのわずか10分ほどの間に銃創の位置を特定し、病院で待つ医療チームに引き継ぐ必要があった。

ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「その時点で、いったい何発撃たれたのか、どんな銃が使われたのかといった情報は何もありませんでした。背後から撃たれたというので背中側に手を差し入れても、出血はなく、傷口は見当たりません。機内でできることは限られますが、病院に到着すれば手術ができるので、なんとかそれまでに位置を特定して病院のチームの助けになることが一番の仕事だと考えていました」
銃創の治療経験があった植山医師。揺れる機内で全身を観察し、傷を探した。
傷は背中ではなく体の前方にあった。首に2つと、さらに左肩にも1つ。特定できたのは、ヘリが病院に到着する2分前だった。

午後0時20分。ヘリは病院に到着。
治療は病院の医療チームに引き継がれた。
傷は心臓にまで達していた
手術を担当したのは救急医である福島英賢教授をはじめとするチームだった。
ストレッチャーに乗せられた安倍元総理は、エレベーターで病院の1階に降ろされ、高度救命救急センターの処置室に運び込まれた。年間2000人近い患者を受け入れる、奈良県の救急医療の最後の砦だ。

福島医師のもとに受け入れの要請があったのは、午前11時58分。福島医師は、到着までの20分ほどの間に人員と輸血のための血液の確保に動いた。
手術にあたった福島英賢医師
「銃創による心肺停止の状態だという情報が入っていましたので、その時点でかなり厳しい治療になると覚悟しました。とにかく蘇生処置を行わなければいけないので、できるだけたくさんのスタッフと輸血の手配をして手術の準備を始めました」
すぐに集まった10人ほどのスタッフとともに処置室に入った福島医師。出血している部位を特定し、止血しようと開胸手術にとりかかかった。

事件発生からは1時間近くが経過。蘇生のために必要な気道の確保と人工呼吸器の装着はすでに行われていた。
大きな血管や臓器の損傷はどの程度起きているのか。止まっている心臓を再び動かすには、まず、この出血を止める必要がある。
しかし、治療は困難を極めた。胸を開いてみると傷は血管だけでなく、心臓にまで達していた。血圧は急激に低下していて、血液は輸血したそばから失われていった。自動のポンプだけでは追いつかず、医師と看護師が交代しながら手動で血液を送り込んだ。

手術にあたった福島英賢医師
「過去に治療経験があったので、銃創は出血点が大きく、事故でおなかを打撲したようなけがとは損傷の仕方が違うことはわかっていました。今回は撃たれたのが大きい血管のある胸部だったので、止血の処置は非常に難しいものになりました」
手術で使われた血液は、およそ13リットルに上る。成人男性の全身の血液3人分ほどにあたる量だ。大学にあったものだけでは足りず、赤十字血液センターから取り寄せて対応した。
手術に携わった医療スタッフは、最終的に医師20人余りを含む総勢41人になった。大きな血管からの出血にはなんとか対処できたものの、心拍は回復しないままだった。
治療中止の決断
手術が始まってから4時間余りが経過した午後5時前、妻の昭恵さんが病院に駆けつけた。そのころ処置室では、治療を続けるべきかどうか、医療チームが重い判断を迫られていた。

手術にあたった福島英賢医師
「蘇生処置に反応せず、治療を続けても回復の見込みがないと思われる場合、どこかの時点で治療を中止する決断をしなければなりません。中止を決める際には、蘇生の限界点が来ているという医学的な判断だけでなく、家族の理解も得なければならないのです。今回は、病院に家族が来ると聞いていたので、そこまでは治療を続ける方針でした。家族に私から説明をして、理解していただいたうえで中止の決定をしました」
安倍元総理の死亡が確認されたのは午後5時3分。
事件発生からおよそ5時間半がたっていた。

テロを想定した医療態勢を
なんとか命を救おうと奔走した医師たち。事件を振り返り、教訓についても語り始めている。

ドクターヘリで搬送と治療を行った植山医師は、搬送されるけが人や、現場で活動する医療スタッフの安全管理に課題を感じていた。

ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「ヘリで着陸地点に降りた際、周辺には散歩やジョギングをしている一般の人もいて、誰でも近づけるような状況だと感じました。複数人のグループで犯行に及んでいたとしたら、着陸地点をねらわれたり、搬送を妨害されたりするおそれもありました。医療スタッフの安全確保や人の出入りの制限が非常に重要だと思いました」
一方、大学病院で手術を行った福島医師は、銃などの事件やテロを想定した医療態勢が十分、整っていないと実感したという。そして今後、態勢を構築する必要があると指摘する。

今回の事件では、現場近くの駐車場の壁などに銃弾が当たったような痕跡が見つかっていて、演説を聞いていた人の中からもけが人が出ていたおそれがあったからだ。

手術にあたった福島英賢医師
「海外であればともかく、日本では銃撃によって複数のけが人が出るという想定は十分されているとはいえません。そうした場合にどのような医療態勢を作るべきかを今後考えていかなければいけないと思います」
共通する「無念の思い」
3人の医師たちは、命を救おうと手を尽くした人たちの活動を記録したいという私たちの依頼に応えインタビューに応じた。

共通して口にしたのは、1人の尊い命を救うことができなかったことに対する「無念の思い」だった。

社会的な反響も大きく、医師たちはそれぞれ今回の事件に複雑な思いを抱いていた。

それでもカメラの前に立ったのは、この事件に医師としてどう向き合ったのか証言を残すことにはきっと意味があるという思いがあったからではないかと思う。
福島医師は、2時間近いインタビューの最後を、自分自身を納得させるようにこう締めくくった。
手術にあたった福島英賢医師
「非常に残念な結果になりましたが、立ち止まるわけにはいかないので、今後もとにかく前を向いてやっていかなければいけないと思っています」
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4.『毎日新聞』(https://mainichi.jp/articles/20220802/osg/00m/040/001000d?fbclid=IwAR3y7mkwhRN8ymy2PeJWnFvsdTumdlhZ1FWx7hO4rW7Cg9XiFYPqhpqEV_0)
2022年8月2日
事件がわかる 安倍晋三元首相銃撃事件

 安倍晋三元首相(67)銃撃事件は2022年7月8日、奈良市で参院選の街頭演説中だった安倍氏が、同市内に住む無職の山上徹也容疑者(事件当時41歳)に手製の拳銃で撃たれて死亡した事件である。首相経験者が銃撃されて死亡した事件は戦後では例がない。多くの聴衆の前で白昼、要人が狙われた事件だったこともあり、国内外に大きな衝撃が広がった。

事件名:安倍晋三元首相銃撃事件
発生日時:2022年7月8日午前11時半ごろ
場所:奈良市
被害者:安倍晋三元首相
容疑者:山上徹也容疑者
動機:母親が破産するきっかけとなった宗教団体を国内で広めたのが安倍氏だったと考え、安倍氏を狙ったなどと供述
影響:事件を機に要人警護の見直しが進む

事件が起きたのは第26回参院選の投開票日2日前の7月8日午前11時半ごろだった。奈良市の近鉄大和西大寺(やまとさいだいじ)駅前で演説中だった安倍氏が背後から銃撃され、心肺停止状態で奈良県立医科大付属病院に運ばれたが、同日午後5時3分に死亡が確認された。
 山上容疑者は安倍氏の後ろから近づき、約7メートルの地点で最初の発砲をした。しかし、弾が命中しなかったことからさらに接近し、今度は約5メートルの距離から2回目を撃った。1回目の銃声を聞いた安倍氏は後ろを振り向き、数秒後に放たれた2回目が命中したとみられる。
山上容疑者は現場で警察官に取り押さえられ、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された(殺人容疑に切り替えて送検)。周囲には多くの聴衆がいたこともあり、銃撃や事件直後の混乱した様子を撮影した動画がツイッターに複数投稿された。

安倍晋三元首相が搬送される様子=2022年7月8日午前11時半ごろ、久保聡撮影
 司法解剖の結果、安倍氏の死因は失血死と判明した。左上腕部から入った銃弾が左右の鎖骨付近の動脈を損傷したことが致命傷だった。

山上容疑者の供述
 事件を受け、奈良県警は奈良西署に捜査本部を設置して事件の解明に乗り出した。捜査関係者によると、山上容疑者は動機について、特定の宗教団体の名前を挙げ、「母親が団体にのめり込んで破産した。安倍氏が、この団体を国内で広めたと思って恨んでいた」などと供述したという。
 この宗教団体は韓国発祥の世界平和統一家庭連合(旧統一教会、日本では2015年に名称変更)。山上容疑者は、母親が宗教団体に少なくとも約1億円を献金して破産し、家庭が崩壊したとした上で、当初は団体の最高幹部を襲撃しようとしたものの接触が難しかったことから、団体と関わりがあると思った安倍氏を狙ったという趣旨の供述をしている。
 安倍氏の祖父にあたる岸信介元首相(故人)の名前も挙げ、「そもそも団体を日本に招いたのが岸氏で、その孫の安倍氏を狙うようになった」とも話したという。
 山上容疑者は、事件前日の7日夜に安倍氏が選挙応援に駆けつけた岡山市の演説会場に入ろうとしていたことも奈良県警の捜査で判明した。だが、受付で氏名や住所の記載を求める対応が取られており、襲撃を断念したとされる。
 19年10月には愛知県内であった世界平和統一家庭連合の集会で、来日した最高幹部、韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁を火炎瓶で襲撃しようとしたが、会場に入れず断念したという。
 山上容疑者は当初、団体幹部の襲撃を考えていたが、新型コロナウイルスの感染拡大で団体幹部の来日が難しくなり、襲撃のタイミングを失っていたとされる。そうした中で今春、団体の友好組織が開いた行事に安倍氏が寄せた動画メッセージを視聴した。奈良県警は、この動画視聴がきっかけで安倍氏にも強い反感を抱くようになったとみている。
 奈良地検は7月22日、山上容疑者の事件当時の精神状況を調べるため鑑定留置を奈良地裁に請求し、地裁は同日付で認めた。留置期間は11月29日までの約4カ月間。

凶器の拳銃

山上徹也容疑者が発射した場所から約90メートル北にある立体駐車場の壁に、弾丸のような金属片が埋まっていた=奈良市で2022年7月13日午前6時58分、林みづき撮影
 捜査関係者によると、事件に使われた手製の拳銃は銃身が約40センチあった。銃身の金属筒2本をテープで巻いて固定していた。山上容疑者の供述によると、一つの筒から一度に6発の弾を同時に発射できるという。県警が流れ弾を捜したところ、現場から約90メートル先の立体駐車場の壁に弾痕とみられる穴が複数発見され、弾丸のような金属片も確認された。
 山上容疑者は2021年春ごろから手製銃の製造を始め、22年2月ごろまでに完成させたとみられる。事件後の家宅捜索では、自宅から複数の手製銃のようなものなどが見つかった。
 「約1年前から、銃を作るたびに山の中で試射をしていた」という趣旨の供述もしているという。県警が奈良市南部の山中を捜索したところ、建設会社の資材置き場周辺に木製の板やドラム缶が見つかり、拳銃の弾が打ち込まれたような痕が確認された。
 山上容疑者は「団体の関連施設で手製銃の試し撃ちをした」とも供述している。試射は事件前日の7月7日未明だったとみられ、奈良市内の団体関連施設と隣接するビル付近で、銃で撃たれたような痕が確認された。

容疑者の人物像と家族

奈良県警奈良西署から送検される山上徹也容疑者=奈良市で2022年7月10日午前8時59分、滝川大貴撮影
 山上容疑者は3人きょうだいの次男として生まれた。1999年、奈良県内で有数の進学校として知られる県立高校を卒業。高校時代は応援団に所属し、おとなしい性格だったとの証言がある。教員だった女性は「非常に真面目で、甲子園に出る野球部の壮行会で懸命に激励する姿を覚えている」と話した。
 山上容疑者の伯父によると、山上容疑者の母親は山上容疑者が小学生だった91年、旧統一教会に入った(団体側は98年ごろに入信と説明)。
 父親は山上容疑者が4歳の頃に自殺し、一つ年上の兄も2015年ごろに自殺した。一方で、母親は宗教活動にのめり込んでいったという。父親の生命保険金を含めて少なくとも約1億円を献金し、02年に自己破産した(団体側は14年までの約10年間に計5000万円を返金したと説明)。
 伯父は生活に困窮した一家に経済的な支援を続けたが、母親は献金をやめなかったという。山上容疑者が大学進学を断念したのは経済的な理由からだったとされる。
 防衛省関係者によると、山上容疑者は02年8月から3年間、海上自衛隊の任期制自衛官として広島県呉市の呉基地などで勤務した。
 自衛官は原則として1年に1回程度、小銃を取り扱う訓練を受ける。1回あたりの訓練は約30時間。実弾射撃のほか、小銃の一部を分解して組み立てたり整備したりして銃の構造を学ぶ。山上容疑者もこうした訓練を受け、銃に関する知識を得た可能性がある。
 伯父によると、山上容疑者は海上自衛隊在籍中の05年1月に自殺未遂を起こしている。当時は24歳で、この7カ月後に海上自衛隊を退職した。
 その後は職を転々とした。近年は大阪府内の人材派遣会社に登録し、20年10月からは京都府内の工場に派遣されていた。フォークリフトで荷物を運ぶ業務を担当。平日の週5日働き、約20万円の月収を得ていた。22年3月、同僚から業務の手順違反を指摘され、同僚を怒鳴りつけるトラブルを起こした。
 これ以降、無断欠勤が目立つようになり、有給休暇を消化した上で5月15日に仕事を辞めた。直後に再就職した大阪府内の会社も約3週間で辞め、事件当時の所持金はほぼ底をついていたとみられる。生活費を工面するため、消費者金融などから借金を重ねていたことも捜査関係者への取材で判明した。
 山上容疑者は県警の取り調べに対し、「生活が行き詰まる前に殺害計画を実行する必要があった。7月に入って最終的に決心した」という趣旨の供述をしているという。
 人材派遣会社によると、山上容疑者の履歴書にはフォークリフトのほか、宅地建物取引士など多数の資格が書かれていた。趣味は「映画鑑賞、読書、PCゲーム」。工場の責任者は「当初は遅刻や欠勤もなく真面目だったが、急に口調が荒くなり、反抗的な態度を取るようになった」と語った。

事件を示唆する手紙、SNS

鑑定留置のため移送される山上徹也容疑者=奈良市で2022年7月25日午前10時13分、滝川大貴撮影
 山上容疑者が事件直前、安倍氏殺害を示唆する手紙を松江市の男性に送っていたとみられることが明らかになった。
 この男性は旧統一教会を批判する内容のブログを運営。封筒の消印から、事件前日の7月7日に岡山市内から投函(とうかん)されたとみられる。
 手紙には、旧統一教会との因縁は「約30年前」として「母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の10代は過ぎ去りました」と記されていた。自分の一生を「歪(ゆが)ませ続けた」と教会を強く批判する内容が印字されていた。
 安倍氏については「苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない」とし、「最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません」と位置付けていた。
 「安倍(元首相)の死がもたらす政治的意味、結果、最早(もはや)それを考える余裕は私にはありません」と結ばれていた。
 また、山上容疑者は2019年ごろからSNS(ネット交流サービス)で、母親が信仰する宗教団体を恨む投稿を続けていたとみられる。「恨むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知った事ではない」(19年10月)、「オレが14歳の時、家族は破綻を迎えた。統一教会の本分は、家族から巻き上げさせたアガリを全て上納させることだ」(20年1月)などと投稿されていた。
旧統一教会が会見

記者の質問に耳を傾ける世界平和統一家庭連合の田中富広会長=東京都新宿区で2022年7月11日午後2時16分、佐々木順一撮影
 事件を受け、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の田中富広会長が7月11日に東京都内で記者会見した。田中会長は、山上容疑者の母親は1998年ごろから会員になり、2002年に破産したとみられると説明。「(山上容疑者の母親が)破綻したことは分かっているが、事情は分からない。高額献金を要求したかどうかは記録上、一切残っていない」と述べた。
 また、田中会長は団体と安倍氏との関係について「会員や顧問ではない」としつつ、「友好団体が主催する行事にメッセージが送られてきたことがある。(同連合などが進める)世界平和運動に関しては賛意を表明してくれた」と語った。
 旧統一教会は80年代以降、不安をあおって高額のつぼなどを売りつける「霊感商法」との関わりが指摘された。また、創始者の文鮮明(ムン・ソンミョン)氏(2012年に死去)が決めた信者同士の組み合わせによって大規模な合同結婚式が行われ、日本の有名歌手らも参加したことで社会問題になった。09年には特定商取引法違反などの容疑で警察の摘発が相次いだ。
 「全国霊感商法対策弁護士連絡会」によると、連絡会結成から21年末までの34年間で受けた相談は3万4537件、被害総額は約1237億円に上る。団体側は「09年以降はコンプライアンスを徹底し、トラブルはない」と説明するが、同連絡会には09年以降も相談があるという。

奈良県警本部長が謝罪

記者会見で唇をかむ鬼塚友章・奈良県警本部長=奈良市で2022年7月9日午後6時27分、中川祐一撮影
 奈良県警の鬼塚友章・本部長は事件翌日の7月9日に記者会見し、「警護、警備に問題があったことは否定できない。本部長として痛恨の極み」などと謝罪した。安倍氏の警護計画書は自ら承認したと説明し、「さまざまな問題点を早急に確認し、対策の見直しを図る」と述べた。
 安倍氏は、近鉄大和西大寺駅北口のロータリーで演説中に銃撃された。周囲には警視庁のSP(セキュリティーポリス)を含む複数の警察官がいた。
 現場にいた記者によると、警察官が2発目の被弾を防ぐために安倍氏を押し倒したり、覆いかぶさったりする動きは見られなかった。
 捜査関係者によると、安倍氏の後方の警護を担当していた警察官は「道路を走る自転車などに気を取られ、容疑者に気付かなかった」と奈良県警などの調査に説明しているという。
警察庁長官も責任認める
 警察庁の中村格(いたる)長官は7月12日、臨時の記者会見を開き、「警察としての責任を果たせなかった。極めて重く受け止めている。慚愧(ざんき)に堪えない」と述べた。全国の警察トップの警察庁長官が個別の事件で責任を認める発言をするのは異例だ。
 警察庁は同日、警備の問題点と改善すべき点を調査する「検証・見直しチーム」を発足させた。
 警察幹部によると、近年の遊説中の警備は、聴衆がヤジで演説を遮るトラブルを警戒することに重点が置かれていた。強固な殺意を持った人物が離れた場所から銃器で攻撃することを念頭に置いた警備体制の確立が課題となる。
 警察庁は1992年に当時自民党副総裁だった金丸信氏が演説中に右翼団体構成員から銃撃された際、要人警護のあり方を見直した。今回はより抜本的な見直しを進める方針だ。

過去の主な要人襲撃事件

 首相経験者が襲撃されて死亡した事件は戦後、例がなく、戦前の1909(明治42)年に伊藤博文元首相がハルビン駅で銃撃され、死亡した。
 このほか原敬首相が21(大正10)年に東京駅で刃物で刺されて死亡したほか、浜口雄幸首相は30(昭和5)年に東京駅で銃で撃たれた後、翌31年に死亡した。また、5・15事件(32年)や2・26事件(36年)でも犬養毅首相や首相経験者らが亡くなった。
 戦後に首相や閣僚経験者、政党幹部が狙われたケースとしては、安倍氏の祖父にあたる岸信介首相(当時)が60年に首相官邸で右翼活動家に刺されて重傷を負った。同じ年には、浅沼稲次郎・社会党委員長が17歳の少年に刺殺された。

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5.『毎日新聞』(https://mainichi.jp/articles/20220803/k00/00m/040/276000c?fbclid=IwAR0_xXl2cTJAvxO2BLX7Wde3B-zoqQkJ-JJq-VHwFa5AWMQ0mlDUvx2106A

安倍元首相銃撃 3人が後方警戒していたが…奈良県警警備の詳細判明
2022年8月3日

安倍晋三元首相(67)が街頭演説中に後方から銃撃されて死亡した事件で、当時の奈良県警の警備体制の詳細が捜査関係者への取材で判明した。主に3人の警察官が安倍氏の後方を警戒していたが、人数が急増した安倍氏の聴衆を注視するなどしたため山上徹也容疑者(41)=殺人容疑で送検=の動きに気づかなかったという。もともと奈良県警の警護計画では後方から銃撃されることへの危機感が薄く、警察官の数や配置に問題があったとみられる。警察庁は今月中に検証結果をまとめ再発防止策を作る方針。
 事件は7月8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口の交差点で発生した。安倍氏の右後方の歩道にいた山上容疑者は、演説開始後にバスロータリー沿いの歩道を移動。鉄柵の切れ目からロータリーに出て手製の銃を2度にわたって発砲したとされる。
捜査関係者によると、現場で警備に当たっていた警察官は十数人。そのうち、安倍氏が演説していたガードレール内には警視庁から派遣されたSP(セキュリティーポリス)を含む4人の警察官がおり、うち1人が後方警戒を担当していた。
また、山上容疑者が演説開始時に立っていた歩道のそばには統括役の警察官1人が配置されていたほか、別の警察官1人がロータリー内を動きながら警戒を続けていた。この2人は後方だけでなく、前方を含めた全体を警戒する役割だった。
ガードレール内で後方を警戒していた警察官は、安倍氏の前方右側の聴衆が増えてきたため、突発事案に備えようと後方だけでなく聴衆側の動きも追うようになった。さらに事件直前、後方の道路を通過する自転車や台車にも気を配っていたこともあり、1度目の発砲まで山上容疑者を把握できなかった。
 統括役の警察官も事件直前、安倍氏の聴衆が増加しつつあったことを受け、後方よりも前方を重点的に警戒するようになり、山上容疑者の動きに気づかなかったという。ロータリーにいた警察官も同様だった。
事件当時、安倍氏の前方には約300人の聴衆がいたが、後方にはほとんどいなかった。また、安倍氏の後方の車道には複数の車両が通過していたことなどから、奈良県警は不審者が近づきにくい環境にあると判断していたとみられる。また、配置されていたのはいずれも私服警官で、制服を着た警察官は一人もいなかった。
 自民党の茂木敏充幹事長が同じ場所で6月25日に街頭演説した際も同じ配置だったがトラブルはなく、こうした判断につながった可能性がある。警察関係者は「銃撃を想定した計画とは到底言えない」と指摘する。
 警備の問題点などを調査する警察庁の「検証・見直しチーム」が、警護計画の策定に携わった奈良県警幹部や、現場にいた警察官への聞き取りをするなどして詳しい経緯を調べている。【松本惇】
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6.(https://news.yahoo.co.jp/articles/946a9a8a79c742710fe18c175072ff4002439833?fbclid=IwAR21t3JsHTo8A16C4DmeU9Sw8NuTcv94OY8JhOqit14P0QF10DKVRyiSWqc)
安倍元首相の警護計画 銃撃数時間前に「ドタバタ決裁」 奈良県警
2022年8月4日

 安倍晋三元首相(67)が街頭演説中に銃撃されて死亡した事件で、現場で警護を担当した複数の警察官が1発目の発砲について、「タイヤの破裂音やパーティークラッカーの音と勘違いして反応できなかった」と警察庁の調査に証言していることが関係者への取材で判明した。安倍氏を退避させる前に2発目が発砲され、安倍氏に命中していた。  また、奈良県警が策定した安倍氏の「警護警備実施計画」について、警護の統括責任者だった警備部参事官が報告を受けたのは事件当日の朝だったことも明らかになった。計画の内容や警護員の練度を疑問視する指摘も出ており、警察庁は8月中にも検証結果と再発防止策を公表する見通しだ。  ◇1発目「銃声と考えることができず」  安倍氏は7月8日午前11時29分ごろから、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口で演説を始めた。県警は、県警本部や奈良西署で指揮する幹部を含め約25人態勢の計画を立て、このうち十数人を現場に派遣。演説場所のガードレール内では警視庁から派遣されたSP(セキュリティーポリス)を含む4人が警戒していた。  山上徹也容疑者(41)=殺人容疑で送検=はこの時、安倍氏の約15メートル右後方の歩道上で銃撃の機会をうかがい、ショルダーバッグに手製銃を隠し持っていた。演説開始から約2分20秒後。山上容疑者は車道を横切ってゆっくりと安倍氏の背後に向かい、約7メートル手前から1発目を発砲した。さらに、約5メートル手前まで前進しながら約2・7秒後に2発目を発砲。この2発目が安倍氏の左肩付近に命中した。  警察庁は事件後、警護の問題点を洗い出す「検証・見直しチーム」を県警に派遣。警護に関わった複数の警護員が聞き取り調査に対し、1発目の発砲音について「タイヤが破裂した音かクラッカーの音だと思い、銃声と考えることができなかった」と説明したという。  SPや警護員は安倍氏に飛びついて地面に伏せさせたり、防護板をかざして自らが盾となったりする動きが求められる。しかし、現場を録画した動画には1発目の発砲音後、警護員らが動き出すような様子は映っていない。2発目の直後にSPらが慌てて防護板を広げる姿は確認できるが、発砲時は間に合っていない可能性が高い。  一方、安倍氏の警護計画は演説の数時間前に警備部幹部や県警本部長が決裁し、ドタバタの中で策定されていたことも新たに分かった。  安倍氏の奈良入りが決まったのは事件前日の7日夕だった。県警は自民党側から連絡を受け、直後に演説場所を下見する「実査」を実施。関係者によると、県警本部の警備課を中心に原案が作成され、警備部参事官に提出したのは8日朝になった。警備部長、鬼塚友章本部長の順に決裁され、この過程で異論は出なかったという。  6月25日には、自民党の茂木敏充幹事長が同じガードレール内で街頭演説し、この際と同様の配置案が組まれたとされる。ある警察幹部は「何も起きなかったという慢心から前例踏襲で検討してしまったのではないか。時間が限られていたという事情はあるが、注目度の高い安倍氏の『脅威評価』も不十分だ。都市、地方問わず警護員の練度を高める対策も重要になる」と指摘した。【林みづき、吉川雄飛、高良駿輔】
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7.『産経新聞』(www.sankei.com/article/20220806-OMVBG7NHIJINTCVEQG5H62HPCM/)

<独自>安倍氏国葬、参列者6千人で調整 吉田茂元首相と同規模
2022年8月6日

政府が、9月27日に東京・北の丸公園の「日本武道館」で営む安倍晋三元首相の「国葬」(国葬儀)の参列者数について、昭和42年の吉田茂元首相の国葬と同規模の約6千人を軸に調整していることが分かった。6日、複数の政府関係者が明らかにした。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大「第7波」が収束しない場合、参列者数を縮小する可能性も見込まれており、感染状況も踏まえた上で8月末には人数を確定する見通しだ。
55年前に行われた吉田氏の国葬では当初、会場となった武道館の収容能力を踏まえ、参列者数は吉田氏の遺族や国会議員、外交団など6220人と想定し、実際に6千人余りが参列した。今回の安倍氏の国葬でも会場は同じ武道館が使用されることから政府は参列者数も同規模の約6千人を目安として警備体制などの準備を進める。
ただ、吉田氏の国葬でも70カ国を超える外交団が参列したが、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げ、国際的に存在感を示した安倍氏には、すでに米国のバイデン大統領をはじめとする260の国や地域などから1700件以上の弔意が寄せられている。外交団の参列希望も吉田氏を上回ることが予想される。岸田文雄首相も安倍氏がこれまで築き上げた外交面でのレガシー(政治的遺産)を継承する弔問外交に意欲を示す。
一方、国内は新型コロナの「第7波」に直面している状況だ。
令和2年に東京都内のホテルで営まれた中曽根康弘元首相の内閣・自民党の合同葬も当初は数千人の参列を見込んでいたが、コロナ対策の必要性から最終的に政界関係者や近親者ら644人に規模を縮小した。例年、8月15日に同じ武道館で行う全国戦没者追悼式も令和元年以前は約5~6千人を集めていたが、新型コロナ感染拡大以降は数百人程度に絞っている。
政府関係者は「現状では6千人を目安としてコロナの感染状況などを踏まえたい」と説明する。政府としては国内外の参列希望者数や今後の感染状況を慎重に見極めたい考えだ。
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8.『日経新聞』(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE04DKL0U2A800C2000000/?n_cid=NMAIL007_20220809_A&unlock=1)

安倍氏の後方警戒、銃撃前「ゼロ」に 配置変更報告なく
2022年8月9日

安倍晋三元首相が奈良市での街頭演説中に銃撃され死亡した事件で、銃撃直前に安倍氏の後方を主に警戒する警護員が1人もいなくなっていたことが警察庁の検証チームの調べで分かった。前例踏襲で後方警戒が甘かった警護計画に加え、現場での指揮や連携が不十分で配置変更の情報が共有されていなかった。同庁は警備の不備は「組織的な問題」との見方を強め、訓練強化などの見直しを急ぐ。
事件発生から8日で1カ月。警察庁は8月下旬に検証結果をまとめ、警護体制を大幅に修正する方針だ。国家公安委員会規則で定めた「警護要則」の改定も検討している。
警察庁の検証チームはこれまでの調査で、主に計画段階と現場対応の2つの点で不備が重なったとみている。

まず警護計画で浮上した不備は、リスク評価の甘さにある。

奈良県警に安倍氏の応援演説の連絡があったのは事件前日の7月7日夕方。本部長が計画を最終承認したのは銃撃の数時間前に当たる8日午前だった。警察関係者によると、現場の下見は行われたが、6月25日に同じ場所で自民党の茂木敏充幹事長が演説した際の計画をベースにしたという。
現場は360度開けた場所だったにもかかわらず、計画は「前方重視」で検討された配置のままだった。銃による襲撃を具体的に検討した形跡はなく、犯罪抑止に一定の効果があるとされる制服警察官も選挙遊説の慣例で配置していなかった。
県警担当者は検証チームの調査に「茂木氏のときより増員したので大丈夫だと思った」との趣旨の説明をしているという。警察庁幹部は「人数はわずかに増やした程度。前例を安易に踏襲し、事前に十分な検討がなされなかった」とみる。
現場対応の不備は、警察官の不十分な意思疎通にある。
警察関係者によると、警護計画の事前の検討に基づき、安倍氏の後方に広がるスペースに配置された警察官は2人。いずれも専従で後方を警戒する役割ではなく、1人は現場全体で十数人配置された警察官を指揮する統括役、もう1人は動きながら警戒する役回りだった。現場映像などから、動きながら警戒する警察官は安倍氏の演説が始まったころには駅前ロータリーに遠ざかる形で移動していたとみられる。
安倍氏が演説したガードレール内にいた4人のうち、主な任務として後方を警戒していたのは1人だけだったが、演説直前に安倍氏の右前方の聴衆が増えてきたため、統括役とは別の警察官からの指示で前方警戒のため立ち位置を変えていた。結果的に主な後方警戒担当が誰もいなくなる「穴」が生じ、安倍氏はこの間に襲撃された。

警察庁が特に問題視しているのが、この位置変更が統括役に報告されていなかったという情報共有の不十分さだ。本来であれば、統括役が全体のバランスをみて態勢の補強を指示するのが原則で、同庁は現場の指揮や連携の不足が、襲撃を許した結果につながったとの見方を強めている。
検証過程では、安倍氏周辺の警察官4人が1発目の銃声を発砲音と認識していなかったことも判明。「花火のような音だった」などと説明しているという。4人は安倍氏との距離が約2~5メートルあり、1発目の発砲後に安倍氏をかがませるなどの退避措置が取れなかった。
各地の地方警察はセキュリティーポリス(SP)を抱える警視庁に警察官を一定期間、派遣して要人警護の訓練を積ませている。事件を受け、地方の警察官の経験不足を指摘する声も出ている。警察庁は警視庁と連携し、訓練の受け入れ人数の拡大などを視野に見直しを進めるとみられる。

安倍晋三元首相の銃撃事件 7月8日午前11時半ごろ、奈良市で参院選の応援演説中だった安倍晋三元首相が背後から近づいた男に銃撃され死亡。奈良県警は現行犯逮捕した山上徹也容疑者(41)=鑑定留置中=を殺人容疑で送検した。
山上容疑者は母親が入会し献金を繰り返していた宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に「恨みがあった」と供述。安倍氏が「団体とつながっていると思い狙った」などと話している。
事件で使われた銃や火薬はインターネットで調べた情報などをもとに自作したという。容疑者の自宅からは作製途中を含め手製銃が少なくとも6丁以上押収された。
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9.『日経新聞』(https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00002030V00C22A8000000/?fbclid=IwAR3Q45t5HsDdOL1I7aIXgZQEOMISW6us8uYqrIR1bTh_9EhU_oeXsfeZyp4)
2022年8月7日
淡嶋健人、山本博文、小園雅之、斎藤一美、山田薫

参院選の応援演説中に安倍晋三元首相が奈良市で銃撃され死亡した事件で、安倍氏の選挙期間中の応援演説を記録した画像や映像などから、事件現場の「特異性」が浮かび上がった。会場の様子が確認できた全47回の演説のうち、屋外の市街地で選挙カーを使わず、かつ背後の警備が手薄だったのは今回だけ。「たった1回」の警備態勢の明らかな不備を、安倍氏をつけ回していた容疑者に狙われた。

全国を飛び回っていた安倍元首相

6月22日の参院選公示後、7月8日に銃弾に倒れるまで、確認できた限り安倍氏は20都道府県で47回、応援演説に立った。通算で8年を超える長期政権を担った安倍氏の人気は高く、選挙期間中、1日に複数の会場を回っていた。
安倍氏の公式ツイッターや応援に立った候補者の公式SNS(交流サイト)に残る画像や映像などから、演説会場には大きく3つの特徴がみられた。

特徴① 選挙カーの上

第1が選挙カーの上に立っての応援演説だ。47回のうち最も多く、計24回が確認できた。
離れた聴衆にも姿を見せることができ、警護する側も近づいてくる不審者を早期に発見しやすく、万が一狙われたとしても角度的に防ぎやすいとされる。

警視庁OBの松丸俊彦氏
「選挙カーの車上は狭いため警護対象者のそばに警察官を配置でき、近くに立つのを嫌がりがちな選挙陣営の理解も得やすい。周囲の状況把握も比較的容易で、警備的に最も理にかなった演説形式のひとつだ」
(松丸氏は国内外で要人警護に携わった経験を持ち、現在は危機管理会社「オオコシセキュリティコンサルタンツ」に在籍)

特徴② 屋内会場

第2が屋内の会場だ。街頭と異なり、不特定多数にアピールできない一方で手荷物検査や入場者の確認を実施でき、手厚い警備態勢を敷くことができる。

警視庁OBの松丸俊彦氏

「屋内は屋外よりグッと警備がしやすくなる。入り口を1カ所に絞るなどして事前にチェックした聴衆を入場させられるうえ、聴衆も固定された位置に座るため監視もしやすい。仮に不規則な動作を取られても前方のため気付きやすい」

特徴③ 後方に壁や警備

第3が屋外会場で、選挙カーの上には乗っていないが現場の警察官の配置などに工夫して背後を十分に警戒していたケースだ。計9回あり、会社や工場など一般人が出入りしにくい建物を背後に立ったり、後ろの空間に選挙カーを置いて「壁」をつくったりしていた。

愛媛県西条市の会場では、選挙カーを背後に置いているだけでなく、安倍氏の周囲に立つ3人のうち1人は後ろを向いて警戒している様子が見てとれる。

警視庁OBの松丸俊彦氏
「愛媛の会場では3人の警護員が安倍氏の周囲を固め、1人は後方専従とみられる配置だ。さらに選挙カーも置いて安倍氏の背後に『二重の盾』をつくっており、セオリー通りの警戒と言える」

唯一手薄だった奈良市

銃撃事件の当日、佐藤啓氏の応援演説をする安倍元首相(7月8日、奈良市)=目撃者提供

こうした3つの特徴がある演説会場に対し、画像や映像で確認できた47回の演説のうち、安倍氏の背後にスペースが確認できたのは奈良市と山口県長門市の2カ所のみだった。

江島潔氏の応援演説(6月25日、山口県長門市)=安倍元首相のツイッターより

だが、長門市の演説会場は漁港で、映像で見る限り人の往来はみられない。安倍氏の後ろに立って周囲を警戒する警護員らしき人影も確認できる。
一方、事件現場となった奈良市の会場は駅前で、多くの人が行き交っていた。選挙カーを置くなどして「壁」を作っていないにもかかわらず、背後の警備は明らかに手薄だった。

なぜ奈良市の会場だけ、手薄だったのか。警察関係者によると、現場に配置されていた警察官は全体で十数人。このうち、安倍氏が立っていたガードレール内の後方に広がるスペースに配置された警察官はわずか2人だった。
その2人も専従の後方警戒担当ではなかったとされる。うち1人はロータリー付近を巡回しながら警戒する役回りで、当初は安倍氏の真後ろにあたるバス停付近にいたが、安倍氏の演説が始まったときは画像や映像から姿が見えなくなった。
結果的に安倍氏の背後に大きな空白が生じていた。この隙を、山上徹也容疑者(41)=鑑定留置中=は見逃さなかった。

街頭演説中の安倍元首相が銃撃された現場(7月8日、奈良市)

捜査関係者によると、山上容疑者は安倍氏の遊説先を「つけ回していた」と供述。事件前日の7日には岡山県内の会場に手製銃を隠し持って現れたが、屋内の会場で警備が厳しかったため襲撃を断念したという。
警察庁の検証チームは、奈良県警の警護計画に加え、前方の聴衆への警戒を重視するあまり後方警戒がおろそかになっていた現場の警備指揮や連携にも問題があったとみて調べている。関係者からの聞き取りなどを進めており、検証結果は8月下旬にまとまる見通しだ。

(2022年8月11日転載終)

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アル・ガザーリーの思想

(https://twitter.com/DanielPipes/status/1553090444040359936)
Daniel Pipes دانيال بايبس
@DanielPipes
I have posted my 1971 undergraduate thesis, prepared for the Committee on History and Science, on a philosophical issue among Muslims that al-#Ghazali effectively brought to a close. It’s titled “A Medieval #Islamic Debate: The World Created in Eternity?” https://danielpipes.org/rr/1971-a-medieval-islamic-debate—the-world-created-in-eternityharvard.pdf
3:49 AM · Jul 30, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1553307799102566400)
Lily2@ituna4011
80ページタイプ打ちのハーバード大学の学部卒論。 アル・ガザーリーの思想に関する考察。 学生運動が激しかった頃のため、今の基準では単純に測られない。 このような分野を卒論に選択すること自体が、一つの能力でもある。当時の日本の大学は、当該分野で何をしていたか?
6:13 PM · Jul 30, 2022
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上記のツィートに関連して、過去ブログで、ダニエル・パイプス先生のハーヴァード大学の学部卒論について言及したものを以下に。

(1)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140704)

《僕の論文題目は「中世のイスラーム討論:世界は永遠のうちに創造されたのか?」だ。純粋に哲学的な問いの一分析だ。ここに序文がある。
「古代ギリシア人は、決して新たに作り直されず、ただ伝達されただけの発想の知見を考えた。初期イスラームは、ヘレニズム環境で中心を持つという美徳によって、これらの識見を受け取った。だが、ギリシア哲学風で科学的な伝統によって深く影響されたものの、イスラーム内部では外来要因のままであり続け、事実上、滅びた。それ故に、実際の到達に関する問いを別として、二つの大問題がこの伝統の研究を占有したのだった。それはどこから来て、どこへ行ったのか?》

《本稿は、イスラームにおけるギリシア遺産の展開の一つの問題を見ることによって、後者の問いに対して部分的な回答を求めるよう提案する。イスラームにおいて起こったことは、あまりにも険しい哲学低下を引き起こしたのだろうか?この低下を巡るいかなる一般説明も、知的理由のみならず、軍事的、経済的、政治的、社会的な理由を扱いつつ、非常な複雑さを必要とするだろう。だが、これらの領域全てのうち恐らく知的分野が、最も直接的に関連するので、最も実りある研究の一つである。哲学者達に提示された一つの格別な問題−世界の起源−に焦点を当てることによって、彼らが到達した高さ、そして、より重要なことには、その後まもなく続いた低下の一側面を示唆することを希望する」。》

(2)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160206)

《2019年9月16日ユーリ追記:過去ブログ(https://itunalily.hatenablog.com/entries/2014/07/04)参照。ハーヴァード大学の卒論で哲学思想家としてガザーリーを扱ったダニエル・パイプス氏から、具体的に何を論じたかについてご教示いただいた経緯を綴った。》

(3)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170809)

《ガザーリーは、ダニエル・パイプス先生が学部時代に卒論で扱った方!
数年前、何を書かれたのかと質問したところ、卒論の一部を切り取って、私に教えてくださった。》

(2022年7月30日転載終)

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インテリジェンス

インテリジェンス、すなわち情報分析の重要性については、過去ブログでも度々言及してきた(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=インテリジェンス)(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=インテリジェンス&page=1393513200)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170410)。
個人的に、私の好きなトピックでもある。

最近のメーリングリストから、転載を。

手嶋龍一公安調査庁

・想像を絶するような事態を覚悟して、備えておけ。
・インテリジェンスとは、国家が生き残るための選り抜かれた情報なり。
国家指導者は、分析し抜かれたインテリジェンスを拠り所に、国家の針路を決める。
・独自のインテリジェンスこそ、ニッポンの生き残るパワーとなる。
・マレーシアは、北朝鮮のダミー会社やフロント企業がたくさんあり、北朝鮮情報に極めて強いといわれる。
・「インテリジェンス・オフィサーは語らず」といわれる。彼らは、自分の功績などを口にしない。
・公安調査庁の「コリント」、つまり国際的な諜報協力は、なかなかのものである。
・海外に情報要員を配して、情報源を涵養して、極秘のヒューミントを入手する、という情報機関が日本に必要。
・公安調査庁は、全国の8ヶ所に公安調査局が置かれている。主要都市に公安調査事務所がある。さらに外国人労働者が多くいる都市には、出張事務所も構えている。
・公安調査庁は、人員1660名。予算は150億円くらい計上されている。
・「いいネタは、これといった特別なお客さんにしか出さない」と寿司屋さんは言っている。諜報の世界でも同じである。
・あらゆる手立てを尽くして、正確な情報をつかむ。入手した情報をしかるべき場所に伝える。
・「インテリジェンス機関は、政策の決定に関与せず」これが世界の情報機関のグローバルスタンダードなり。
・内閣情報調査室(内調)の生命線は、各機関から上がってくる情報の取捨選択と加工なり。
・内調は、尾行などをやる余裕はない。地方の公安調査官が、地道な情報活動の末に、第一級の情報を入手することがある。公安調査庁こそ、実動部隊なり。
・在日外国人を監視の対象と見るのではなく、逆に情報提供者として協力してもらえる存在だと認識することが大切。つまり、日本に暮らしている外国人たちの知識や経験を活かして、彼らを重要な情報源として育成するという発想である。
・そういう人たちが、やがて母国に帰ったとき、そこで地道に情報収集活動をしてもらう。何らかの形で知らせてもらえれば、貴重な情報が入手できる。
こういう現地のエージェントを育てているのが、公安調査庁なり。
・自衛隊の情報関係の学校では、記憶力と再現力の訓練を徹底的にやる。
聞いた話を正確に記憶する訓練を徹底する。たとえば、50分の講義を受けて、10分でそれを再現する。
・陸軍中野学校では、メモを一切取らずに聞き、ひたすら相手の話を聞いて、
それを復元することを徹底して仕込んだ。軍事の情報活動は、とにかく自分の目で見たものを記憶に刻み、聞いた話を覚えておくことが重要になる。
・1950年代にできた公安調査庁の設置目的は、社会秩序の維持にあった。
最大の責務は、「共産革命の阻止」、そのひと言に尽きる。
・公安調査庁の前身である特審局に、特高などで諜報活動の腕を磨いた人たちが、たくさん流れ込んでいる。陸軍中野学校出身者も、多数入った。
・情報機関の活動について、国民の理解を得るために、活動をある程度知らせることが必要だ。それをあざといくらいやっているのが、「老情報大国」のイギリスである。
・ビジネスの成功にとって、新聞やネットに出ている公開情報に依拠した「オシント」も重要なり。まずは基本に忠実に、公開情報をじっくり読み込むべし。
・公開情報で裏を取り、できるだけ状況証拠を固めておく作業をやる。これを面倒臭がらずにやることが大事なり。
・内外に情報のアンテナを張り巡らした情報機関なくして、国家は生き残れない。
・公安調査庁で強いのは、ヒューミントとオシントだ。つまり、人からの情報収集と公開情報諜報のこと。
・MI5もMI6も、それとなくネタを提供して、BBCのドラマ制作に内緒で協力している。BBCも、情報機関を役立たずの税金泥棒として描かない。
情報機関のオフィサーとBBCの制作スタッフは、オックスフォード大学の同じ教授のもとで学んだ人もいる。

(転載終)
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2022年7月31日追記1

(www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202207/0015512101.shtml)
神戸新聞NEXT
2022年7月29日

兵庫医大が「孔子学院」閉鎖 中国と共同運営の研究機関 海外では「スパイ拠点」疑惑も

兵庫医科大(兵庫県西宮市)が、東洋医学の教育・研究拠点として中国の大学と共同運営していた「中医薬孔子学院」を閉鎖したことが分かった。「孔子学院」は中国政府が約20年前から各国の大学内に設立し、日本でも15大学に開設されたが、文部科学省が活動の不透明さを問題視し、欧米を中心にスパイ活動や政治宣伝機関の拠点とも疑われている。閉鎖は国内2例目で、同様の動きが相次ぐ可能性もある。

孔子学院は2004年以降、中国語や中国文化を広げるため、中国政府の出資で設立。中国側の報道によると、160超の国・地域で約550カ所が開設されている。現地と中国の教育機関が共同運営する形を取り、中国側が中国人教師を派遣している。

文科省によると、日本では05年に立命館大が初めて開設。早稲田大や関西外国語大などが続き、19年までに計15大学に広がった。

一方、近年になって米国では、孔子学院が中国のスパイ活動に利用されている疑いがあるとして、米連邦捜査局(FBI)が捜査。英国では今年9月に首相の後任を決める与党・保守党の党首選で、孔子学院を一斉閉鎖させることの是非が争点に浮上している。

関係者によると、兵庫医科大は12年11月、中国の北京中医薬大学と共同で「中医薬孔子学院」を設立。日本で漢方薬として普及している「中医薬」の研究や人材育成を進めるとうたい、医療系の孔子学院はアジア初だった。

日中の研究者や学生が相互に訪れ、シンポジウムや市民講座も開いてきた。ただ、学院長は兵庫医科大の教授が務める一方で、中国人とみられる副学院長にも「中国側学院長」との肩書があり、どちらが事実上のトップで意思決定の権限を持つのかが見えにくいとの指摘もあったという。
 閉鎖は2月28日付。兵庫医科大は理由について「運営母体の中国国際中文教育基金会との協定期間が満了したため」とのみ説明。閉鎖の経緯▽運営に絡んで中国から資金提供を受けていたか▽教育活動への介入があったか-などについては「お答えできない」としている。

国内では昨年3月に工学院大学(東京)が閉鎖。文科省によると、現在は13大学が運営している。

(転載終)
……………..
2022年7月31日追記2

「孔子学院」についての過去ブログは、以下に。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20131121)
《「日本国内に孔子学院(中国語の教育機関)を設立」「各大学に中国研究センターの類が非常に増えて」「文書に書かれている戦略そのもの」(p.348)》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150120)
《中国政府が促進しているアメリカでの孔子学院の問題についても、パイプス先生は気づいていらっしゃいました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20181020)
《中国の駐日大使が釧路を訪問し、「釧路を北のシンガポールにしましょう」「孔子学院を作って欲しい」などと要望。》

以 上

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日本の中東援助を振り返る

(https://twitter.com/praises2014/status/1552818671138922496)
(((Praises5782))) #IStandWithUkraine
@praises2014
功罪あります 「キャッチ―だから」ということで某難民のネーミングしたのは氏でした 何故、そう呼ぶのか直接伺ったことがあります 絶句しました

(https://twitter.com/ituna4011/status/1552819485828325377)
Lily2@ituna4011
もっと教えてください。
9:53 AM · Jul 29, 2022
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(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150519)
2015-05-19
JICAと「ニコニコ援助」
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1552856789125070852)
Lily2@ituna4011
日本の上流階級のカトリック人脈は、何かに利用されてはいなかったか?
12:21 PM · Jul 29, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1552860274264543232)
Lily2@ituna4011
その話は、犬養道子さんが書いていますね? 犬養木堂の掛け軸、真筆かどうかは不明だが、主人の実家にあった。
12:35 PM · Jul 29, 2022

(転載終)
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2022年7月31日追記

(http://twitter.com/praises2014/status/1553370397210316800)
(((Praises5782))) #IStandWithUkraine
@praises2014

16年、ブログ『ユーリの部屋』さんより抜粋
”トルコが親日的だと喜んでいる人は、自己中心的か無知か、ともかく何かいかがわしさが漂うと思っていた。この論文は、トルコのクリスチャン殺害の伝統について。教皇ベネディクト16世の時代までは、ヴァチカン発の文書で、

@praises2014
Replying to @praises2014
世界各国のクリスチャン迫害について細かく記録されていた。今の教皇は、反対にムスリムを擁護し、クリスチャン迫害については何も言わないと批判されている文献を、昨日読んだばかり。”

(http://twitter.com/ituna4011/status/1553600230171774976)
Lily2@ituna4011
再び、ありがとうございます。 2018年2月、東京ジャーミーを見に行ったところ、入口近くに、立派なトルコの国旗と日章旗が交差して立て掛けてありました。 外交は外交、しかし、国内の内実を知ってから。
1:35 PM · Jul 31, 2022

(http://twitter.com/ituna4011/status/1553600461818982400)
Lily2@ituna4011
はい、その通りです。 ベネディクト16世までですね、カトリック文献が読めたのは。
1:36 PM · Jul 31, 2022

(2022年7月31日転載終)

上記の抜粋された拙ブログ『ユーリの部屋』は、こちら(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20160803)。

個人的に、我ながらおもしろいことを書いていた、と思ったのは、以下の箇所。

《ユーリ:風呂敷をアメリカやイスラエルへお土産に持って行ったら、バンダナだと思って娘さん達が頭に巻いていたという話。》

《風呂敷のお土産については、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)。その翌年、エルサレムからも、可愛いお嬢さんがおすまし顔で、鳥獣戯画を描いた和風風呂敷を頭にきれいに巻いて立っている写真が送られてきた。》

余談。
上記の写真をパソコンに保存しておいたはずだが、2021年1月初旬、一気に自宅のパソコン4台が壊れてしまい、修理を依頼したのが3月末。そして、5月頃から修理を開始し、大半は8月頃までかかったが、最終的に工場でデータ復帰が終わったのが、10月頃。それでも、開かない修復不能のデータもあったと言われた。計150万円ぐらいかかった。

まだ、完全に確認が終わっていない。間違って、データ1ボックスを写真に撮ってから処分してしまったものがあり、残念。

このように、デジタル化には脆い面がある。面倒でも、重要な保存書類は極力紙媒体にしているのは、そのためである。

以 上
………………
2023年3月13日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1634688618114727936)
Lily2@ituna4011
イランとサウジの国交回復は大変な難題。イスラエルにとっては、一難去ってまた一難。 最初から私は、アラブとイスラエルの国交樹立に疑念を抱いていた。
7:51 AM · Mar 12, 2023

(2023年3月13日転載終)

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放送大学大学院の社会評価

放送大学について、単位認定試験の後、私見愚考のツィートを時系列に並べたブログを書いた(http://itunalily.jp/wordpress/28Jul2022)ところ、地味な私のツィッターにしては珍しく、大変なアクセスの応答があった。

また、放送大学大学院を経由して、今は私立大学の教授になっている方が、5つのツィートに対して「like」を押してくださった。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1553303937494593536)

こちらで御礼を述べた。
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(https://ja.wikipedia.org/wiki/並木浩一)

並木 浩一(なみき こういち、1961年 – )は、日本の評論家、腕時計評論家、桐蔭横浜大学教授。ギャラクシー賞選奨委員(テレビ部門、2022〜)。
横浜市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校、青山学院大学文学部フランス文学科卒業、放送大学大学院修了、琉球大学大学院中退。京都造形芸術大学大学院博士課程修了、「モーリス・ベジャール研究 メディアと芸術の関係を軸として」で博士号を取得。ダイヤモンド社を経て2010年に大同大学教授、2012年に桐蔭横浜大学教授。表象文化論(芸術論)、メディア論、教育評論。

(部分転載終)
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私とは全く分野も傾向も違うが、世代がほぼ同じの年上の先輩なので、社会勉強にもなる。まず、青学卒業の後、確かに「放送大学大学院修了」と列挙されている。但し、そこで終わって大学への就職にストレート、というわけではなく、恐らくは非常勤講師をなさりながら、京都造形芸術大学大学院博士課程で学位論文を書いて、現在に至っているのであろう。

私から見れば、何ら不思議はない。

だからこそ、けなげに頑張っている気持ちを配慮せずに、「放送大学を卒業したことは、恥ずかしいから履歴書に書くな」みたいなことを平気で言って子供を追い詰めるお母さんは、どういう家庭環境で子供をズタズタにしているか、いかに狭く偏った価値観で子育てをしてきたか、是非とも猛省が必要である、と思う。「親の顔が見たい」とは、こういう時に言うのであろうか。
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(https://twitter.com/namikikoichi/status/1551746275988877312)
並木浩一 桐蔭横浜大学 現代教養学環 教授
@namikikoichi
放送大学大学院で所属したゼミは7人で、私を含めた3人がのちに大学教授になりました。ひとりは非常勤から短大の教授、もうひとりは東大の博士課程に進学ののち、私立大学の教授に。
10:48 AM · Jul 26, 2022

@namikikoichi
実務家の非常勤講師ならば学部卒だけでいいけれど、専任を目指すのなら修士はほぼ必須です。そういう意味で放送大学大学院はすべての大学(学部)の上にあるんだ、と、公募に応募して実感しました。
11:13 AM · Jul 21, 2022

(https://twitter.com/namikikoichi/status/1549221514301517824)
並木浩一 桐蔭横浜大学 現代教養学環 教授
@namikikoichi
放送大学の大学院で修士号を取ると、ほぼ全ての大学で「非常勤講師の応募資格」になります。私はそれが大学教授へのスタートでした。
11:36 AM · Jul 19, 2022

(転載終)
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上記は、放送大学の大学院の話だが、大学の次に大学院が位置づけられているのだから、充分、経歴として世間で認められている証左であろう。但し、この先生の場合は、実務経験が豊富なのではないだろうか。そこが評価されて、現在の大学教授の職に至ったのではないか、と愚考する。

いずれにせよ、世間知らずの私には、せっかく喜んで勉強している人々の多い放送大学に対して、非常に腹が立ったウェブ上の事例だったので、このように時間をかけてブログで詳細を明らかにした。

お母さん、あなた、そんな変なことを言っている合間に、まずはご自分で勉強されてはいかがでしょうか?

フェイスブック上で知り合った同世代の男性は、大手出版社に勤務していたが、病気で退職し、今は自宅で自営業。放送大学の科目を受講して、「学割がきく」と、喜んで旅行をしている。また、文筆で著名な先生の科目を受講して、レポートを提出したところ、「赤ペンで肯定的なコメントが返ってきた」と、喜んで写真に掲載していた。
「師」とまで呼称して、「自分の先生ができた」と喜んでいるのだ。

こういう多様な事情や背景を有する受講生を惹きつけている放送大学について、何という非常識な発言をしているのであろうか?

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元総理への銃撃 (6)

《過去ブログ》

「元総理への銃撃(1)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220708)2022年7月8日付
「元総理への銃撃(2)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220718)2022年7月18日付
「元総理への銃撃(3)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220721)2022年7月21日付
「元総理への銃撃(4)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220728)2022年7月28日付
「元総理への銃撃(5)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220730)2022年7月30日付
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(https://sakisiru.jp/32881?fbclid=IwAR0h8aHNAh5hWRZ2J73zLhI3_VW1PTZ47joSa6BHcutXlCmnTZ9Hosea0QQ)

共同親権、安倍元首相が急死の3週間前に語っていた「問題の本質」
【追悼スクープ特集】親権問題 〜 安倍晋三、知られざる「次の挑戦」#1
西牟田 靖
2022年07月30日

参議院選挙戦が終盤を迎えていた7月8日、悲劇は突然訪れた。奈良県で応援演説をしていた、安倍晋三元首相が凶弾に斃れたのだ。享年67歳。

まさに道半ばの死であった。というのも2020年に辞任した後も、安倍氏はやり残した宿題の解決に意欲を見せていたのだ。憲法改正や安全保障については広く世間に知られていた。その他、安倍氏はある問題の解決のため、密かに布石を打ち始めていた。それは国家を構成する最少の組織である、家族に関する問題の解決を目指すものであった。

安倍氏が亡くなる直前に取り組んでいた親権問題の解決、その挑戦について3回に渡って記してみたい。(第1回)
。。。。。
安倍氏が亡くなるちょうど3週間前の6月17日、2人の男性が安倍氏の事務所を訪れた。ともに日本の親権制度に問題意識を持ち、法改正のため、精力的に動いていた弁護士だ。

現行の家族法では、離婚した夫婦の1人しか、親権を持てない離婚後単独親権制度となっている。この制度をとっているのは先進国では日本だけ。そのため国際結婚が破綻し、日本人の親が子供を連れて勝手に帰国したということで、日本人の親が国際手配されたり、欧州議会で日本が非難決議がなされたりしている。また国内においても、突然、わが子に会えなくなり、喪失感に苛まれる人が少なくない。自死を選ぶ人も中にはいる。

21世紀に入る頃から、男女のあり方が変わってきた。男女双方が働き、そして子を育てるという家庭モデルが当たり前となってきた。しかも、3組に1組が離婚する現代だけに、子連れで離婚すると揉めることが多い。

離婚=親子の別れとなり、親権も持てない、というそれまで当たり前とされていた、親権制度が社会の実情にあわなくなってきたといえるだろう。

だからこそ、離婚する際、子供の監護権(子育てする権利)という最も重要な権利を含む親権を求める人が近年は増え、共同親権法制化の機運が高まるようになった。

話を6月17日に戻す。2人は、安倍氏に、家族法の問題を話した。それは昨年春に出版された『実子誘拐ビジネスの闇』(飛鳥新社)にもとづくものであった。

別れようとしている夫婦のうち、どちらかの親が、もう一人の親の許可なく、子供を連れて出る(実子誘拐)という行為。それが離婚弁護士の収入源になっている。証拠がなくてもなんでもDVがあるとして、離れて暮らしている親に会わせなかったり、養育費から一部をピンハネして不労所得を得る……といった弁護士のやり口を紹介し、問題視するというものだ。

2人はそうした「実子誘拐ビジネス」のカラクリを安倍氏にレクチャーした。すると安倍氏は意外にも次のように言った。
(中略)
「ビジネスというより、私は思想対立だと思っている」。
いきなり、本質を喝破する安倍氏に2人はあっけにとられた。安倍氏は続けた。
「報酬を度外視して、貧乏でも戦う共産党活動やゲリラ活動をしている人間もいる。だからこれ(実子誘拐に関係する弁護士と連れ去った側の当事者の動き)をもって、ビジネスとか、お金儲けをしてるというのは、あんまり説得力ないんじゃないの? 私は、ビジネスというのを強調しすぎるのはどうかと思う」。
(中略)
ウェブサイトに掲載する離婚弁護士の中には、“流れ作業”で親子を引き離していく弁護士もいる。しかし、一方で強固な左翼思想を元に、採算度外視で、活動している弁護士もいることに、彼は思い当たった。そして、安倍氏が思いのほか、この問題に詳しいことに驚いた。
(中略)
その3日後である6月20日、毎日新聞に見出しが躍った。
『離婚後の共同親権を提案へ 法務省、法制審部会に 8月にも試案』

記事の中には、「離婚しても子が普段は同居親と生活し、休暇中は別居親と過ごすといった良好な親子関係もあるため、共同親権を前提に、両者が監護者になる「離婚後の共同監護」も選択肢として示される見通し」とあり、これまでの単独親権以外も選択肢となることが示された。

さらに翌21日には『自民が古川法相に離婚後の共同親権・共同監護を提言』(産経新聞)と報道された。これは自民党法務部会による提言で、北村晴男弁護士らが立ちあげた民間法制審の案を元にしたもの。法務省の法制審案より、さらに踏みこんでおり、原則共同親権を謳っていることが特徴となっていた。
前日の法務省に関しての報道があったばかりなのだ。自民党法務部会の提言は、法務省案を後押しするものだという印象を世の中に与えた。共同親権法制化の動きはこれでまちがいない。
(中略)
しかし、実態はまったく違っていた。一筋縄で行かない複雑な事情が実は存在していた。
1つは、法務省法制審議会の案と自民党法務部会の案(実質的な民間法制審案)が対立しているということだ。
(中略)
民間法制審案の作成に関わった関係者は言う。
「女性の味方と称して法務省の顔色をうかがっている複数の議員がいる。彼らは完全に法務省寄りのロビイストだ」。
安倍氏は事情を把握していた。法務省法制審議会と自民党法務部会の案が対立していること、さらには自民党の中に法務省と繋がっている議員が複数いることを。そして彼は法務省案が採用されないように、事前に布石を打ち始めていた。

(#2に続く。8月初週に掲載予定)

(部分抜粋転載終)

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ツィッターのよもやま話

(https://twitter.com/ituna4011/status/1550334201958113281)
Lily2@ituna4011
以前から疑問に思っていましたが、CO2は、樹木が吸収して酸素を出すのでは? 緑の植物を増やせばいいか、と。
1:17 PM · Jul 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1550683023339028480)
Lily2@ituna4011
「土用の丑」にアナゴの資源も考える 伝統漁法に両立する仕組み | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20220722/k00/00m/020/140000c…
⇦ 鰻は鰻、アナゴはアナゴ。
12:23 PM · Jul 23, 2022
……………..
(https://twitter.com/ituna4011/status/1550456770895953920)
Lily2@ituna4011
清水憲男先生(上智大学名誉教授) http://newspanishbooks.jp/node/23010
⇦ スペイン語なら、この先生。 清水先生、情熱的な講義をありがとうございました。
9:24 PM · Jul 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1552230364227444736)
Lily2@ituna4011
私事。 明治生まれの父方の大叔父は、ドイツ医学を学び、眼科学専攻の医学者。 大正生まれの母方の大叔父は、フランス医学を学んだ放射線学の医学者。 私、もっと頑張らないと。
6:52 PM · Jul 27, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1552494949094260736)
Lily2@ituna4011
戦時中は鬼畜米英で、英語が禁止された、と学校で習った。 だが、ドイツ語やフランス語は禁止されていなかったはず。 だから、戦時中には、田舎で密かにフランス語を学習。戦後は、政府留学生としてフランス留学した、と聞いた。 先見の明あり。
12:23 PM · Jul 28, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1552495721450196992)
Lily2@ituna4011
やはり、情報操作されていた。 英語ばかり、強調。 実家には、英語、フランス語、ドイツ語の辞書が本棚にあった。 その理由が明白になったのは、つい最近のこと。
12:26 PM · Jul 28, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1552516207655669761)
Lily2@ituna4011
訂正 戸籍謄本を見たところ、大正生まれの母方の祖母の弟は、昭和一桁生まれでした。戦時中にフランス語を学んだようですが、場所は不明です。 失礼いたしました。
1:48 PM · Jul 28, 2022
……………….
父方の大叔父については、過去ブログに度々書いてきた((http://itunalily.jp/wordpress/4Jun2022)「大叔父の記録をまとめる(1)(2)(3)」)。

(注:ウィキペディアは、誰が書いたのか知らないが、逝去年が間違っている。拙ブログ(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20080422)の末尾は、当時、信濃毎日新聞の編集局にメールで問い合わせてご教示いただいたものを記している上、私の記憶の年とも一致する。)

今、酒造家(過去ブログ「曾祖父母の家業」(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20170611)(http://itunalily.jp/wordpress/25Jun2022))の出身だった母方の大叔父について、研究業績を一覧にしている。いつか博士論文その他を読んでみたい。

この大叔父のことは、私が学生の頃から、祖母が「フランスへ行った」と言っていた。

また、年下の従妹が結婚前に大学の助手をしていた頃、名簿で名前を見つけて、「この人知っています」と研究室で言ったところ、即座に教授が調べて、「あんた、偉いおじさん持っているんだねぇ」と言われた、と祖母が私に話してくれたことがある。

「ほらね、自分だけで生きていると思ったら大間違い。ご先祖様のお蔭で自分がある」「だから、あんたもいつもきちんとしていなさい」と。

従妹にとって「偉いおじさんがいる」なら、私にとっても「偉いおじさん」である。大叔父に傷をつけるような生き方をしてはならない、と身の縮むような思いがする。この歳になっても、ひたすら刻苦勉励、これしかない。

祖母と同じ2011年に亡くなったそうだが、これからの私は、まだやることがたくさんある。主人の三家系と自分の四家系の家系ルーツを調べて、訪ね歩くことだ。そして、両系の大叔父達の医学論文や著作を読み進めていくことだ。
……………..
(https://twitter.com/ituna4011/status/1552463623070846976)
Lily2@ituna4011
そうですね。 昭和50年頃までのアマチュア無線技士向けの説明書も、そうでした。
10:19 AM · Jul 28, 2022
……………..
7月29日は、アマチュア無線の日。太平洋戦争中には禁止されていたが、70年前の1952年7月29日に解禁。そして、1973年にはJARLつまり日本アマチュア無線連盟の制定となった。

中学生でアマチュア無線の資格を取った主人の記念日でもある。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151220)

《この頃、主人の若い時の荷物などが少しずつ届いているが、アマチュア無線士だった中学時代の写真や説明書などを見ていると、とても懐かしい。将来、技術者として身を立てようとした素地ができていて、家族に見守られながら、そのまま進んできたことがわかる。また、この方面に興味と能力のある少年達を大切に育てようとした、技術立国日本の誇りと心意気を感じる。(無線の機械を買うために、義父と自転車で日本橋まで出掛け、道具を荷台にくくりつけて帰ろうとしたら、「将来はお医者さんにでもなるんですか?」と聞かれたとのこと。無線のアンテナは、大黒柱の同居の父方の祖父が屋根に登って取り付けてくれたという。)》

以 上

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元総理への銃撃 (5)

《過去ブログ》

「元総理への銃撃(1)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220708)2022年7月8日付
「元総理への銃撃(2)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220718)2022年7月18日付
「元総理への銃撃(3)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220721)2022年7月21日付
「元総理への銃撃(4)」(http://itunalily.jp/wordpress/20220728)2022年7月28日付
……………………….
1.(https://mainichi.jp/articles/20220728/k00/00m/040/213000c)

毎日新聞
2022年7月28日
救急隊員ら6人がPTSD疑い 安倍氏銃撃時の救命記録を公開

安倍晋三元首相(67)が街頭演説中に銃撃されて死亡した事件で、奈良市消防局は28日、現場に出動した救急隊員らの救命活動記録を公開した。救急車は119番から10分後に到着し、CPA(心肺停止)状態だった安倍氏にあらゆる応急処置が講じられた緊迫の様子が記載されていた。一方、現場で活動した計24人のうち6人が事件後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が疑われる症状を訴えていることも市への取材で判明した。

事件は7月8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口で発生。無職の山上徹也容疑者(41)=殺人容疑で送検=が安倍氏を背後から手製銃で撃ったとされる。毎日新聞は市消防局に当時の活動内容について情報公開請求し、現場での救命活動や安倍氏の容体がまとめられた救急出場報告書などを入手した。

最初の119番は午前11時31分で、市消防局は32分9秒に「加害事故 出動せよ」と救急指令を出す。安倍氏が銃撃されて心肺停止状態になっているとの情報も寄せられる中、現場支援の消防隊員が37分に先着し、救急車が到着したのは41分だった。

報告書などによると、救急隊員らが急行した際、安倍氏は道路のアスファルト上にあおむけの状態(背臥位)になり、警備関係者らに付き添われていた。頸部(首元)には銃創が確認された。心肺蘇生や気管挿管、酸素吸入、心電図の確認などの応急処置が繰り返されたが、「初期波形は心静止」とされ、容体が全く改善しない状況が書かれていた。

事件は大勢の聴衆が見守る中で発生し、現場は大混乱していた。報告書には「群衆多数で、現場騒然としており衆人環視下であるため収容を優先」との記述も。最悪の事態が想定される中、市消防局はプライバシー保護の観点から、安倍氏を人目に触れない場所へ速やかに移動させることが必要と判断。安倍氏は救急車が到着した2分後の午前11時43分には車内に収容され、救急車は45分にドクターヘリとの合流地点に向けて出発していた。

一方、奈良市は、現場に駆け付けた24人のうち6人が不眠などPTSDとみられる症状を訴え、産業医の診察を受けたことを公表した。PTSDは生死に関わる体験をすると、不安や動悸のほか、自らの意思と関係なく記憶がよみがえる症状が出ることもある。

現場での作業は現場指揮や支援、群衆を整理する危険排除なども含まれるが、市は個人情報を理由に6人の所属や当時の担当は明らかにしていない。
市消防局総務課は「隊員らは事故や火災の現場に出動する中で心の鍛錬も重ねているが、銃撃事件は特殊で銃創を普段から目にすることはない。衝撃的な事件で隊員らもショックを受けており、心のケアに努めていきたい」としている。

【林みづき、村瀬達男】

(転載終)

2.(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00141/072700030/?n_cid=nbpnb_mled_mpu)

日経ビジネス
2022年7月29日
田村 賢司(日経ビジネス編集委員)
安倍時代とは何だったのか アベノミクスだけではない元首相の政策

政府が9月27日に東京で安倍晋三元首相の国葬を行うことを決めた。元首相の事績は在任中にも退任後にも評価が繰り返され、亡くなった後の論評も大同小異と言っていい。だが、大半は元首相が主導したアベノミクスに対するものだ。「道半ば」「成果はあるが、未達も少なくない」……。それはそれで否定できないが、安倍政治、そして日本の政治状況に視野を広げれば、別の姿が浮かんでくるように感じる。突然の死去から約3週間、改めて安倍時代を振り返りたい。

Buy my Abenomics.(アベノミクスは『買い』です)」。2013年9月25日、米ニューヨーク証券取引所でのセレモニーに出席した安倍晋三元首相が、日本経済の復活を宣言するかのように述べたこの言葉は有名なものだ。安倍氏の後ろには「JAPAN IS BACK」「INVEST IN JAPAN」の言葉も並び、日本経済は世界経済のけん引役になるとアピールした。

12年末に政権の座に復帰した安倍氏が翌年春に打ち上げたアベノミクスは、日本経済の復活を狙う成長志向の政策だった。その前、09年9月から3年余りの民主党政権は、08年秋のリーマン・ショックと11年3月の東日本大震災に直撃された。IMF(国際通貨基金)によると、09年の実質GDP(国内総生産)成長率は、前年比5.7%の大幅減。名目GDPの規模は07年の539兆円から大きく落ち込み、09~12年は500兆円前後で停滞を続けた。

当時、経済界が繰り返し発したのが、「円高」「高い法人税率」「厳しい労働・解雇規制」「海外との経済連携協定の遅れ」「厳しい環境規制」「電力不足」という「6重苦」が日本経済の巨大な重しとなっているという悲鳴だった。

アベノミクスが打ち出した「3本の矢」は、1本目の「大胆な金融政策」で日銀による異次元の金融緩和によって円高を修正しようとするものだった。09~12年は、1ドル100円を割り、70円台に達する超円高に見舞われ続けた時代だった。欧米が大規模金融緩和で先行し、インフレ目標も高く設定したのに対し、日本は遅れ、当初はその目標も低かったことに要因があったとされる。アベノミクスはそこに思い切った金融緩和を促した。
2本目の「機動的な財政政策」は、文字通り財政出動で需要を生み出そうとするものだった。約10兆円の経済対策を実施し、震災からの復興や企業の設備投資促進など実需を創出しようとした。いずれも停滞した日本経済をまずは短期的に押し上げようというものだ。

そして3本目が「民間投資を喚起する成長戦略」であり、眼目は民間需要を生み出し、それによって生産性を高め、雇用や報酬を増やしていくというものだった。短期で経済をブーストし、中長期的に民間サイドが投資と生産性向上をしていくというシナリオである。

(転載終)
…………
「日本は三等国にはなりません!」と断言された姿が、今も鮮明だ。

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