学用患者

三浦義彰医学者たちの一五〇年:名門医家四代の記平凡社1996年7月)を読んでいたところ、「学用患者」という懐かしい響きのする語彙を見出した(p.157)。

「患者と医師との信頼関係は、いまのような三分間診療では決して生まれてきません。もう少し余裕のある診療はどうしたら生まれてくるのでしょうか。検査万能の医療に疑問を感じます。」(p.157)

そこで、過去ブログを紐解いて(?)なぜ懐かしい響きがしたのかを明らかにしよう。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071222)
2007年12月22日「前田護郎主筆『聖書愛読』(14)」

・前田護郎主筆『聖書愛読』
第185号1979年(昭和54年)6月「学用患者」(p.1)

難病奇病の場合、おかげでいい講義ができましたとか新しい論文がまとまりましたとかいわれて、医局員から逆にお礼をいわれて退院する人もあるそうです。学用患者はモルモット扱いされる筋合いのものではなく、真理の探究と学術の進歩に寄与貢献するため、治すものと治されるものとが協力する形と考えたく思います。病に苦しみ、人から嘲けられる病者にとって、自分の体が活用されて他の人々の健康への道が学的に明らかにされることはよろこびではありませんか。

(転載終)

「聖書版あしながおじさま」からどっさり譲られた前田護郎先生の著作集。名古屋の眼科医の家のご出身であり、これまた懐かしい。読めるうちに読んで、引用できるうちにブログに転写しておいて、よかったと今も思うところである。

(2024年9月20日記)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

図書館の思い出再掲

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2017年9月19日掲載

ユーリ:学部の卒論で上京した頃は、カードで探していた記憶があります。歳は取るものですね?

ユーリ:2014年4月に私もイエール大学へ行き、朝から閉館まで神学部の図書室にこもって、大量の資料を目を皿のようにして広げ、付箋を貼ったり、デジカメで写真を撮ったり、昼食抜きで夢中になって過ごしました。

ユーリ:便利になったものです。但し、目が疲れ、神経が休まらなくなりました。カード時代には、図書館で箱に並べた手書きやタイプ打ちを見て、時間をかけて作業された方の顔を思い浮かべたものです。偉い先生もご覧になったんだわ、とワクワクしました。パソコンには、その感動がありません。

ユーリ:ありがとうございます。ただ、帰国後はぐったりして、まだ学会で全部を披露できていません。一部のみ研究発表で使いましたが、神学部の先生方は、お口あんぐり状態でした。

(2024年9月19日転載終)

Posted in Japanese culture, Malay studies, research topics, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

ピア・カウンセリング

過去ブログ(https://itunalily.hatenablog.com/entry/2020/09/05/144412)
2020-09-05「投稿が掲載されました」

のコメント欄からの抜粋を、覚え書きとして以下に転載する。過去ブログ「はてな」は、本文しか検索で出てこず、コメント欄が隠れてしまうからである。
既に一ヶ月を切った来月13日のPDコングレスの下準備として、このような作業は自分にとっては必須である。
。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1312183184935710720)
Lily2@ituna4011
Replying to @ituna4011
早朝、主人に手を合わせてくださった阪大病院の教授から、これからは、この病気によって自分達が経験したことを基に、他者のために生きるように、と言われました。 放送大学院の勉強は、それが動機です。30年来のマレーシア関連は、積み上がった資料を整理しながら、別途進めていきます。
9:10 AM · Oct 3, 2020

(2020年10月5日転載)
。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
主人の母校から、いつしか毎月のように冊子が送られてきていた。
訃報により冊子配送は止まったが、何と来月、大学で慰霊祭をしてくださるとの通知が届いた。
身近な家族親族がどうであれ、社会的には、主人は確かに存在を認められていたのだった。
35年以上も前の学生時代、真面目に学業に励んだことが、このように報われているのだと信ずる。

(2020年10月16日記)

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
令和2年(2020年)11月5日の午前中、主人の母校からのお招きで、この一年間に逝去された大学にゆかりのある方々の慰霊祭に出席し、芳名録の埋納と献花式に参列させていただきました。
本学より、主人は昭和59年度の紫紺賞を授与されておりますので、これで二度、大学に銘記されたことになります。
心より感謝申し上げます。故人も喜んでいることと思います。ありがとうございました。

(2020年11月8日記)
。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1308201079989968898)
Lily2@ituna4011
読ませていただきました。義父母様もパーキンソン病でいらしたのですね。しかも、癌も発病されたとは! 大学病院の神経内科の教授の所へ最後のご挨拶に伺った際、パーキンソン病以外にも併発する難しい病気を抱えている方々をブログで知ったと申し上げたら、助手さん方がびっくりした顔を。
9:26 AM · Sep 22, 2020

訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Sep 22
Replying to @ituna4011
こんにちは。ありがとうございました。パーキンソン病は合併症の肺炎や癌で亡くなる方多いですね。癌は気がついた時は手遅れです。高齢だったので延命はしませんでした。 助手さん何故にびっくりされたのでしょううーん

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1308204709325332481)
Lily2@ituna4011
私が想像するに、神経内科なら神経内科の分野だけで博士号を取得して勤務医になるので、他の重病も併発する患者さんが想像外だったのかも?でも、大学病院ならば、それでは困るのです。私の方が驚愕しました。
9:41 AM · Sep 22, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1308307676296749056)
Lily2@ituna4011
ちゃつみさんのブログを昨年末から読ませていただいていたので、勿論、お名前は出しませんでしたが、全盲で若年性パーキンソン病のご主人をお世話している私と同世代の女性もいます、と。パーキンソン病患者で癌の手術をした方もいます、と。フゥッとため息をついて、目を丸くされていました。
4:30 PM · Sep 22, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1308308492948701184)
Lily2@ituna4011
もっと患者の現実を知って欲しいですよね?自分の研究論文のことばかり考えていないで。大学病院なんですから。 失礼いたしました。
4:33 PM · Sep 22, 2020

(2020年10月5日転載)
。。。。。。。。。。
訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Sep 24
Replying to @ituna4011
データがないと病院の信用に関わりますからね。研究と発見と成果なのでしょう。なかなか患者のことまでは考えにくいかもしれません 悲しい。

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1309059907564572673)
Lily2@ituna4011
20年前は、機転をきかせて柔軟に対応してくださる先生がいらっしゃいました。ここ数年は、細かいことにこだわり、肝心なことを尋ねなかったり、毎年のことなのに、診断書を平気で遅らせる若い医師が目立ちました。
6:19 PM · Sep 24, 2020

訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Sep 24
Replying to @ituna4011
やることが多すぎるのかわかりませんが先生セカセカしていますよね。気持ちに余裕がないのかしら。診断書は困りますよね。

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1309228569621483520)
Lily2@ituna4011
聞くところによると、医師の雑務が膨大で、毎日、忙殺されているのだそうです。本末転倒とは、このこと?
5:29 AM · Sep 25, 2020

(2020年10月5日転載)
。。。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1310195535085596672)
Lily2@ituna4011
お風呂、もっと手伝ってあげたかったけれど、自分の方が疲れていた…。ちゃつみさんは、本当によく頑張っていらっしゃいます。
9:32 PM · Sep 27, 2020

訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Sep 28
Replying to @ituna4011
おはようございます。いつもありがとうございます
元々介護医療の端くれだからできるかと思います。突然介護を要するとなれば皆さん疲れてしまうと思います。

(2020年10月5日転載)
。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1310355251182985216)
Lily2@ituna4011
あれから半年くらい経った今、いろいろと思い出しては、反省したり…。薬や介護の制度も、改めて学んでいるところです。本来なら主治医が説明すべきところが、ほぼ全部、こちらに丸投げでしたから。
8:06 AM · Sep 28, 2020

訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Sep 28
Replying to @ituna4011
こんばんは。そうですか
地方からこちらにいらっしゃる先生がこんなに丁寧な調整するの東京だけだよと教えていただいたのは嘘ではないのですね。丸投げって

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1310579426644566017)
Lily2@ituna4011
倒れて入院するまで、2-3カ月に一度の外来投薬だけでしたから。薬が合っていなくても、相談するところもありませんでした。 今から考えると、大変な状況だったんですね?
10:57 PM · Sep 28, 2020

訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Sep 29
Replying to @ituna4011
DBSは必ず調整があるので3ヵ月に一度は通院ですが、普通のパーキンソン病は半年から一年に一度はザラだと。薬が効かなかったり合わなかったりしたら緊急でお願いできます。 ご主人も奥さまも大変でしたね。

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1310769553907970054)
Lily2@ituna4011
ありがとうございます。 今だからこそ気づいたことも多いです。22年間、いろいろありましたが、とにかく、目の前のことで毎日必死でしたから。これからは、勉強しながら形にしていきます。患者会を、これからも応援します。
11:33 AM · Sep 29, 2020

(2020年10月5日転載)
。。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1316943932861878275)
Lily2@ituna4011
主人が入退院を繰り返していた昨年から今年前半にかけて、全く 病院と縁のなかった私には(看護師さんも変わった….)と新鮮な印象だった。 介護職とはまた違い、相当なプロ意識で、テキパキと夜勤もこなす。 院内のポスターを見ていると、看護師にも各種資格があり、働きながらキャリアアップを。
12:27 PM · Oct 16, 2020

(2020年10月16日転載)
。。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1317288578200735745)
Lily2@ituna4011
《障害があったる病気になるとギャンブルや投資を趣味にもつ方が多いようですがくれぐれもお気をつけください。》
←ご指摘、ありがとうございます。投資については、その通りでした。 今も相続手続きや明細書確認が大変です。
11:17 AM · Oct 17, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1317292262099804160)
Lily2@ituna4011
大損したという次元ではなく、人生設計を考えているつもりで「将来用に資金運用しよう」という気になって、投資話に乗ってしまうのです。 「13年後の夫婦の豊かな生活」等と、ありもしない夢物語に期待を寄せて引っかかりそうになりました。 私が厳しく牽引し、解約して事なきを得ました。
11:32 AM · Oct 17, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1317293542750920704)
Lily2@ituna4011
金融機関に対して、私が失礼を承知で厳しく叱責するのは、それが理由だ。 難病患者を支店の窓口まで呼びつけて早口で説明して署名させたり、入院中も電話をかけて新商品を紹介したり、同居家族にまで「個人情報だから教えられない」とメチャクチャなことを言う。
11:37 AM · Oct 17, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1317293911581159424)
Lily2@ituna4011
明細書が郵送されてくる以上、同居家族は開封して目を通している。 それが「個人情報」ならば、独房に住まわせているようなものだ。 あなたの営業成績のためにこちらが存在するのではない! 若いモンを叱り飛ばしてやっている。
11:38 AM · Oct 17, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
Lily2@ituna4011
Replying to @KaigoMassage
いつの間にか電子口座を開いて、スマホで操作して投資したりして。 こちらはパスワードも知らないし、紙の明細書が届くわけでもなく、口座手帳もありません。 相続手続きでは、逐一、金融機関に手紙を書いて、何回も戸籍謄本を取り寄せて、定額小為替を何枚も購入して、ピストン郵送の毎日です。

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1317303465853349889)
Lily2@ituna4011
抗P薬のせいだそうですが、人工的に脳内ドーパミンを出そうとするので、結果的に判断がずれてくるのですよね。 P病は堅実で真面目な人がなりやすいとのこと。人が変わったようになるのが要注意です。 体が動かなくなることばかり強調されますが、本当に大変なのは、こちらの非運動症状です。
12:16 PM · Oct 17, 2020

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1317405560736604162)
Lily2@ituna4011
いつ頃からそうなったかを後付けするのも、この病気を理解するのに大切だと思う。 丸投げ主治医の代わりに、私がやる。
7:02 PM · Oct 17, 2020

(2020年10月17日転載)
。。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1326066381129883648)
Lily2@ituna4011
《少しでもその日が来るのを遅くしたくて日々努力してきた》
← よくわかります。今でも読みながら、いろいろと考えるところです。   ありがとうございます。
4:37 PM · Nov 10, 2020

(2020年11月12日転載)
。。。。。。。。。。
ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1332159184658259968)
Lily2@ituna4011
ちゃつみ様、いつか将来、お時間ができたら、介護記録を冊子にまとめてみては? 若年性特有の悩み等、医療介護関係者や患者家族にも参考になるかと思います。 ご家系にP病の方が多く、医学研究上も役立つかと。
12:07 PM · Nov 27, 2020
(2020年11月30日転載)

ユーリ(Lily) (id:itunalily)
(https://twitter.com/KaigoMassage/status/1332254169575481344)
訪問あんまマッサージ なみき
@KaigoMassage
Replying to @ituna4011
こんばんは。いつもありがとうございます。 そうですね。介護をしている障害のある人たちに参考になればと公開ブログにしておりますが電子図書を出したいなと思っております。まだ夫の了解を得ていません
6:25 PM · Nov 27, 2020

(2020年11月30日転載)

(2024年9月18日記)
……………….
2024年9月19日追記

埼玉県にお住まいのピア・カウンセラー「ちゃつみ」さんの自己紹介から、抜粋を。

(https://www.ameba.jp/profile/general/nakorin615/)
ちゃつみ
夫の介護をしながら訪問あんまマッサージ 業と視覚障害者を中心の相談業務をしています。 夫で視覚障害者、夫はパーキンソン病です。障害者情報とパーキンソン病の情報収集と提供。介護職又はご家族の介護、自身が障害をもちながらご家族の介護をしているケアラーさんへの相談業務ストレスケアをしています。
職業:あんまマッサージ指圧師・介護予防運動指導員


58歳。先天性白内障の弱視から2013年網膜色素変性症となり現在全盲。2009年パーキンソン症候群を発症し 2012年若年性パーキンソン病と診断されました。現在ヤールⅣ。要介護2。
歩行器での室内歩行、外出時は車椅子使用です。医療保険と介護保険給付で自宅療養で訪問看護とリハビリと通所リハビリをしております。
元病院と介護施設の運動指導員兼何でも屋さん。あん摩マッサージ指圧師 ケアマネージャー 介護福祉士の資格を持っていて現在情報機器を用いて医療介護関係の情報収集をしてくれています。
妻(ちゃつみ)
54歳。小児性能性不全麻痺による先天性視覚障害者の弱視です。病名はコロポーマー症候群(視神経 網膜 角膜の三つ巴萎縮 ぶどう脈欠損。脳性麻痺が起因。)
1982年16歳から左の聴力と視力はありません。2015年から右の恒音性難聴が発覚。先天性難聴でもあったそうで補聴器使用をしています。現在視力は右0,01 左0。上下左右の視野狭窄あり 1種1級。外出時は白杖歩行です。

(無断転載終)

うちの主人が「既に終末期に入っている」と救急搬送された宝塚市立病院の救急科で告げられた2019年12月21日の数日後、ちゃつみさんのブログを見つけて読み始めました。ツィッターで応答すると、必ずお返事がありました。
我が家よりもさらに大変過酷な人生を歩まれているのに、本当によく頑張っていらっしゃいます。

御主人とは、視覚障害のために盲学校で知り合ったそうです。もともと、御主人はアスリートでもいらっしゃったようです。但し、ブログでもおわかりのように、御両親もパーキンソン病を罹患して亡くなっており、家族性の可能性も考えられます。

多分、私のツィートは、音声で判読されていると思います。お返事も音声で文字表記されているのではないでしょうか?障害を持っていても、健常者と変わらない日常が送れるように手助けするアプリが開発されたことは、とても喜ばしく思います。

(2024年9月19日記)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

第二回水無瀬離宮シンポジウム

今年5月3日に開催された第一回水無瀬離宮シンポジウムに引き続き、昨日の午後から、大阪府三島郡島本町桜井のふれあいセンター二階和室で開かれた第二回水無瀬離宮シンポジウムに参加した。

第一回水無瀬シンポについては、過去ブログを参照のこと。

2024年5月5日付「水無瀬殿(水無瀬離宮)シンポ」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7394&action)
。。。。。。。。。。
(https://x.com/ituna4011/status/1069585383866810368)
Lily2@ituna4011
史跡が豊かで国宝や重要文化財も多いのだが、図書館同様、知的刺激に欠けるのが気になっていた。隣町の大山崎では学芸員の研究調査が素晴らしい。島本にも考古学調査があったが、冊子で知識を広める努力が少ない。頑張ってください!
10:33 PM · Dec 3, 2018

(https://x.com/ituna4011/status/1069784044353638400)
Lily2@ituna4011
島本町の歴史を学ぶのに、府境を越えて隣町で講演を聴いたが、100名ほどびっしり人が集まっていて、盛況だった。水無瀬神宮の研究も、なぜか大山崎町で冊子が発行されていた。聞くところによれば、「島本は国宝級の歴史に恵まれているのに、展示する施設を持っていない」。
11:42 AM · Dec 4, 2018

(https://x.com/ituna4011/status/1458799328743464965)
Lily2@ituna4011
平成9年秋に島本に住み始めた頃、水無瀬神宮の社務所には、2冊しか解説書がなかった。 自然豊かな名水の湧き出るベットタウンだけでは、地に足がつかない。
11:10 PM · Nov 11, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1502882645214371840)
Lily2@ituna4011
http://itunalily.jp/wordpress/ Lily’s Room (Part2) (http://itunalily.jp) 「水無瀬野を歩く」
2:41 PM · Mar 13, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1591388428838793218)
Lily2@ituna4011
後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬離宮の一部? 詳しく調べぬまま埋め戻す:朝日新聞デジタル https://asahi.com/articles/ASQC96SQQQC7ULZU002.html…
⇦ バッカな島本町。
8:12 PM · Nov 12, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1669586115526012929)
Lily2@ituna4011
明治以来、阪神間で最も発展が遅れた伊丹市
伊丹市史 第三巻 p.715
3:02 PM · Jun 16, 2023
323 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1669590959192182785)
Lily2@ituna4011
伊丹市史には大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮に関する資料や記述が含まれている。 伊丹の人は、わかった上で島本町を笑ったのか、知らずに笑ったのか? 多分、知らないから笑ったと思われ。
3:21 PM · Jun 16, 2023
389 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1669592952027643904)
Lily2@ituna4011
承久の変の後、後鳥羽院は院の離宮のあった水無瀬を過ぎて、西国街道に沿って昆陽野を通り、兵庫へ向かい、隠岐へ流された。
伊丹市史 第一巻 p.477
3:29 PM · Jun 16, 2023
616 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1669595307871731712)
Lily2@ituna4011
小西新右衛門文書 文政七甲申年八月 水無瀬家請書
もあります。
伊丹市史 第四巻 pp.284-285
3:38 PM · Jun 16, 2023
532 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1776475903717187693)
Lily2@ituna4011
後鳥羽上皇が造営した「水無瀬離宮」の実像に迫れるか 有力候補地の発掘調査を検討 
https://sankei.com/article/20240305-W52GHRP6JRMVPL5CCO3LROLHGM/… via @Sankei_news

https://www.sankei.com/article/20240305-W52GHRP6JRMVPL5CCO3LROLHGM/

2:03 PM · Apr 6, 2024
81 Views

(2024年9月16日転載終)
。。。。。。。
(https://x.com/ituna4011/status/1835207049229238348)
Lily2@ituna4011
というわけで、今日は二度目の水無瀬シンポ。すっかり景観の変わってしまった島本町。 名簿によれば、今回の現地参加者は約100名。しかし、町内の参加者は、町外からの参加者より少ないらしい。 だから島本は宝の持ちぐされだったのだ。
3:40 PM · Sep 15, 2024
139 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1835224542614372841)
Lily2@ituna4011
オンライン参加は24名だとの由。 なかなかの盛会。第三弾が期待される。
4:50 PM · Sep 15, 2024
23 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1835227935579816204)
Lily2@ituna4011
約6年後は如何に? 府立島本高校は閉校されて久しい。 我々は、一番良い時に暮らしていたのかもしれない。
5:03 PM · Sep 15, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1835285025694126563)
Lily2@ituna4011
訂正
✕ 閉校されて久しい
→ ◯ 閉校が決まって久しい。
正確には、来年、統合で閉校になる予定。
失礼いたしました。
8:50 PM · Sep 15, 2024

(2024年9月16日転載終)
。。。。。。。。。。
水無瀬神宮に関する学術的なシンポジウムや講演会が、なぜ我々がちょうど6年前まで暮らしていた過去20年以上もの間、開かれなかったのか?

後鳥羽院に関する史的研究が、従来、あまりなされていなかったから、という話も聞く。

だが、私見では恐らく、水無瀬神宮や水無瀬離宮があったとされる「広瀬」の一部地域には、(旧)解放会館、現在の人権文化センターが設置されていることから、あの一帯で学術研究や発掘作業はおろか、文献資料の収集そのものも意図的に阻止する勢力があったためではないか、と。そして、共産党も「差別」を盾に、特に戦後は新しく町を作り変えるべく、「封建的」な天皇にまつわる過去をほじくり出してほしくはなかったのではなかろうか?

例えば、楠木正成ゆかりの「桜井の驛」は『太平記』の記述に基づくとされ、戦前の国民教育では人口に膾炙する勢いだった。JR島本駅前にある通称「楠公さん」公園には、その遺跡が残されている。そして、徴兵された町民達は、あの公園から出兵し、戦死者を出したのだった。だからこそ、戦前戦中にまつわるものを傍流に置き、戦後は大阪と京都の狭間にある自然豊かなベッドタウンとして発展すべく、企業誘致もしたのだった。

伊丹市史で学んだところでは、伊丹の酒米は、実は島上郡と呼ばれた高槻や島本辺りの田で収穫された米を使っていたようだ。良質だとされたからである。そのこともあってか、水無瀬神宮の水無瀬家との往来もあったらしい形跡がある。しかし、肝心の島本では、私が知る限りにおいて、それさえも語られたことがなさそうだった。

To be continued…..Stay tuned.

(2024年9月16日記)
……………..
2024年9月18日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1835551083508224205)
Lily2@ituna4011
知っていますかシリーズの続き。
趣味の検定試験で、神社検定と茶道文化検定には、何と! 大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮やお茶室が、公式テキストや検定試験問題に出ていましたよ。 ブーム再来。
2:27 PM · Sep 16, 2024
164 Views
(再掲終)

(https://x.com/ituna4011/status/1668427111076630528)
Lily2@ituna4011
差別の根源ではない。 自己の存在理由を知る原本。 私の両系に関して、四代前までは戸籍謄本を集めて、平和公園の墓地で確認できました。 主人の母方は、毛筆で和紙に書いた過去帳があり、全部写真を撮らせていただきました。
10:16 AM · Jun 13, 2023
380 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1668463443094167552)
Lily2@ituna4011
家系図の本には、早く戸籍謄本を集めておかないと、廃棄されてしまう、と書いてあるものがありますが、本当ですか? 国民しかも子孫の許可なく、勝手に国が処分するのですか? 自分のルーツを知る権利が侵害されませんか?
12:40 PM · Jun 13, 2023
156 Views

(転載終)
。。。。。。。。
ちょうど6年前の一週間後には、1997年11月から20年以上も暮らした島本町の我が家が、引越し業のお手伝いさん4名の女性達によってすっかり片付いた。そして、翌日の午前中、三台の引越しトラックによって全くの空き部屋となり、島本を出る手はずが整ったのだった。

あの頃は、若いお兄さん達のいいアルバイトでもあったらしく、引越し業が盛んで今よりも活気があり、騒音のお詫びを事前に挨拶回りをする等、とても礼儀正しかった。(最近では、同じ会社なのに、この辺りでも全く挨拶がなく、静かでよろよろした雰囲気である。)2016年1月中旬、主人の実家から義兄が27箱も一気に二回に分けて送りつけて来た主人の全荷物および私の大量の研究資料等から、我が家は結局、トラック三台にもなってしまった。それでも、テキパキと声掛けをしながら、あっという間に作業が進んで行ったのだった。

会社からは、転勤手当として引越し料金が全額支給された。主人は満足そうに「こんな体になっても、会社に要望を出せば、ちゃんと通るんだよ」と言ったが、私は内心、(いつまでもそんなにうまくいくのかしら?)と、不安がますます募っていた頃だった。

実は伊丹は、主人が入社当時の第一希望の勤務地だった。今はなき「中央研究所」があったからである。なぜそんなに高い目標を掲げていたのか、今となっては気にもなるが、若気の至り、血気盛んな誇り高き技術者だったのだろうか。そして、会社の直属の上司や人事部が懸念しつつも、「定年までは働きたい」と執拗に主張し続けた主人が望んだ伊丹でもあった。

もともと主人は、かなり前から時々、伊丹へ出張に来ていた。1990年代の米国留学時も、伊丹空港から羽田まで飛んだ。二度目の米国駐在時には、英語学校で親しくなった若い女性グループが何人も、伊丹空港まで見送りに来てくださっていた写真が残されている。(それにしても悠長な時代だった…..)

とはいえ、私が今でも島本に愛着を覚えるのは、結婚後一年にして若年性神経難病の診断を下された主人と、爆弾のような不安と葛藤を抱えつつも、日々を一生懸命に暮らしてきた土地だからである。チャイコフスキーに『懐かしい土地の思い出』というヴァイオリン曲がある。また、未読ではあるが、英領マラヤの英国官僚が残した“The Land I love most” という手記を彷彿とさせる。まさに、そんな感触だ。

但し、伊丹の暮らしが落ち着き始めると、片道1時間半ぐらいかかる島本は、やはり遠くなったと感じる。それでも、主人の勤務先の方々の中には、まだあの辺りから通勤されているケースもあり、我が家がいかに温情に恵まれていたか、と申し訳なく思うところである。その分、(私もしっかりと生活していかなければ)と常々思っている。
。。。。。。。。。
ともかく、長年希求し続けてきた学究的な地域史シンポがようやく島本町に始まった、という傾向は誠に喜ばしい。

今回の講演者でいらした山中章先生は、今年4月から月一度、京都文化博物館での桓武朝の講義に出席させていただいているが、その昔、向日市の発掘調査をされただけあり、島本史にも造詣が深くていらっしゃる。(詳細は、以下の過去ブログを参照のこと。)

2022年3月13日付「水無瀬野を歩く」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2162&action)
2024年4月26日付「長岡京の講義とモニター活動」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7226&action)

(リスト終)

この度、影の会長こと主催者の前川佳代先生にも、休憩時間に直接お礼を伝えることができた。すると、「1997年から島本在住だったんでしょ?」と、アンケートにいつも書いていることを覚えていてくださっていた。

前川先生は、奈良女子大学で古代の文献等を手掛かりに当時の食材を研究されている。今回は、往時の後鳥羽院が、島本町桜井にある御所ヶ池でお月見をしながら召し上がったであろうとされるお菓子(スウィーツ)をこしらえてくださった。私達参加者も同じ現場で、ススキや小菊のお供えの前でお月見をしながら、お菓子を味わう恵みにあずかった。ほのかに甘く、自然な味わいで、しかもお腹にたまる不思議なお菓子であった。レシピまで配布された。いろいろと大変だろうが、研究の切り口としてはとても興味深い。

実は、伊丹で忙しく暮らしていた私が、遥か彼方の水無瀬殿に関する学究的シンポの開催を知ったきっかけは、前川先生のツィッター(X)だった。いつでもそうなのだが、不思議なようにふわぁっと自動的に目の前に上がってきたのである。思わず危機意識が満開になり、元住民として参加することに即座決定。それが今年の5月3日に開かれた第一回の水無瀬殿シンポだった。

(次は来年かな)と思っていたが、まさか第二弾が今年中、しかも9月の連休中に開催されることになろうとは予想もしていなかった。
。。。。。。。。。。
行きには、よく買い物で通っていた懐かしい小道を踏みしめた。すっかり変化してしまった景観のみならず、今も変わらず謙虚に稲の穂を垂らしている田んぼ等、写真を撮りながら歩いた。いろいろな感慨が蘇ってくるが、あの頃、どういう気持ちでここを歩いていたか、主人のことを想像し、自分を振り返りつつ、二倍の時間をかけて行くのは、悪くはない。(その代わり、遅刻だ!)

あれから6歳は年を取ったのに、気分はより身軽になり、あの頃には慢性的に抱えていた不安感や緊張感は払拭されている。それ故、同じ道を歩いてみても、見えるものや感じるものの幅が格段に広くなり、自然になったと思う。

15分かけてふれあいセンターに到着し、受付を済ませると、和室には既にびっしり人々が集まって、熱心に山中先生のお話に耳を傾けていた。中高年のみならず、案外に二十代ぐらいの若者も交じっていた点が頼もしい。

(途中経過は中略)

無事にプログラムが終わった。5時45分にはふれあいセンターを出て、30名ぐらいのお月見参加者とぞろぞろ歩きながら、ゆっくりと御所ヶ池まで辿り着いた。場所は、待宵小侍従墓と顕彰碑の前である。このお墓と碑は、ちょうど6年前の6月中旬、そろそろ伊丹転勤の話が具体化しつつあった頃、島本の思い出作りとして、暇さえあれば地図片手に自転車を乗り回しながら写真を撮っていた場所の一つでもあった。(まさか、このような素晴らしい再訪の機会があるとは、あの頃は想像だにしていなかった!)

2018年6月24日「住めば都(2)」
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180624)

本来ならば、台風が接近しつつあるという天候だったのに、我々の心掛けが良かったのか、思いが届いたのか、見事、白く丸い月が出ていた。しばらくすると煌々と輝き出し、御所ヶ池に影がうつって何とも幻想的な光景となった。まるで印象派の絵画を目の前にして、ドビュッシーのピアノ曲『月の光』が聞こえてくるような感覚だった。

唯一、残念だったのは、本来ならば男山が見えるはずだったのに、あれから高層マンションが建ってしまって、すっかり隠れたことだった。誠に興ざめである。

男性のギターのアトラクションと若い女性のお月見の解説等があり、最後には、「京都新聞社が取材に来る」というので、お喋りしながら待っていた。(私は他の二人の町内の方と、後ろ姿の写真だけ撮影された。)

8時になるまでには三々五々、帰宅する人が出て来て、私も阪急水無瀬駅まで一人で帰宅の途につくことに。それまでの約2時間、島本の過去を振り返りながら、地域に関する思い出話や住民として感じていたこと等、いろいろと気楽に喋るお話し相手もできて、実にいい時間が過ごせた。過去20年以上も暮らしていて、こんなに話せる50年在住の島本の方なんて、いなかったなぁ…..

と思っていたら、実はそのお相手は、元町議員さんだった!

単に話が弾んだばかりでなく、町の具体的な事柄や経緯に詳しく、やたら明快に年や数値が出てくるので、(しっかりした方だなぁ)と思っていたら、それもそのはず、だった。失礼いたしました!

私がいた頃は3万人を切るか超えるかだった町民人口が、今や3万2千人の住民数になったという。また、マンションは個人の地主さんの意向であったらしく、JR島本駅ができた2008年の時点で既に、遺跡調査抜きで高層マンションを駅前のあちこちに建設する話が整っていたのだそうだ。だから、「本当はその頃から反対運動を繰り広げておかなければならなかったのに」という話であった。

ところで、伊丹市では、そのような都市開発の潮流は、一部は戦前から、戦後になると昭和30年代ぐらいから始まっていた上、平成7年1月17日の阪神淡路大震災による家屋倒壊で、全面的に景観が変貌した。だが、伊丹市の場合は、風化しそうな過去をきっちりと文献に残そうとする(意識の高い)人材に恵まれていた上、発掘調査も精力的に行なって記録に残した。私が転入した頃にも、盛んに講演会や講座を開いていたので、極力出席するようにしていたところ、いともすんなりと伊丹ライフに馴染むことができたのである。

例えば、有岡城という今や城壁しか残っていないお城について、文献調査等を通して今でも研究している一般市民グループがある。また、無味乾燥で機械的な町名に変えようとした自治体行政に対して、「鋳物師」という地名を住民パワーで残すこともできた。新興住宅地にも力のある富裕層が暮らしており、エンジニア等も多く住んでいるためか、よろず機転が利くという印象がある。

方や島本町の場合は、住むには程よくのんびりとして居心地が良く(良過ぎて)、名水が湧き出て自然がこんもりと豊か。海以外は全部揃っており、大阪へも京都へも2,30分もあれば乗り換えなしに電車一本で到着する便利さ。日常的には自分達の暮らしに忙しくも満足していたせいか、住み始めてすぐに「平安貴族の別荘のあった土地柄」だという話は聞いたものの、肝心の記録保持や学術調査が広く周知されていなかった。だからこそ、無関心層にやられてしまったのだと、私は思う。

そこで行政にいくら働きかけてみたところで、「計画決定済である」と言われてしまえば、時すでに遅し、である。それに抵抗するには、長い間、住民側が小さくとも啓蒙を積み重ねて一般の意識を高めておくことと同時に、文献収集や学術研究をきっちりと固めておく必要がある、と私なら考える。そして、一人だけでも有力な研究者がいれば、メディアにもわたりをつけて記事にしてもらい、行政を黙らせることは可能である、と思う。

「中に住んでいると当たり前過ぎて価値に気づきにくいため、外に出た元住民や外部の人が声を上げていくことが大切」と、前川先生が私に仰った。

(2024年9月18日記)
………………
2024年9月19日追記

備忘録として、前川先生が作って分けてくださったお菓子のレシピを簡略にメモ書き。

《椿餅と粉熟(ふずく)》

・椿餅
【典拠】『源氏物語』若菜上巻
光源氏の六条院で蹴鞠をしていた公達が、椿餅、梨、蜜柑等をはしゃいで取り、食べている様子が描かれている、という。

【材料】道明寺粉、あまづら風シロップ、椿の葉

・粉熟(ふずく)
【典拠】『源氏物語』宇治十帖の宿木の巻
*光源氏の孫の匂宮と中の君の間に生まれた男児の産養の儀である五日夜の宴会
*光源氏の子の薫に降嫁した女二宮の父帝が主催した藤の花の宴

【材料】あまづら風シロップ、米粉、苺ジャム、すり黒胡麻、きな粉、粉茶、ヨモギ粉
☚赤色には苺ジャム、黒色には黒胡麻、黄色にはきな粉、青(緑)色には、ヨモギ粉を使う。

作り方は、前川先生の特許!ヒ・ミ・ツ ♡♡
和菓子なので、シンプルで素朴な仕様ではあります。

以 上

(2024年9月19日記)
……………..
2024年10月22日追記

(https://x.com/nwu_amazura/status/1848609866233090260)
前川佳代@奈良女子大学甘葛煎再現プロジェクト・古代スィーツ研究者@nwu_amazura
『日本史研究』746(10月号)最新号に、髙橋昌明先生が、 水無瀬離宮(新御所)推定跡地の調査保存を求めて という時評を書かれてます。 ぜひご一読くださいください。
#水無瀬離宮 #後鳥羽上皇 #島本町 #水無瀬離宮を未来へつなぐ実行委員会 #新御所推定跡地
3:18 PM · Oct 22, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1848660949991137716)
Lily2@ituna4011
ありがとうございます。拝読致します。
6:41 PM · Oct 22, 2024

(2024年10月22日転載終)
……………….
2024年12月18日追記

今年はピッチが速く、第三回水無瀬シンポが12月15日に予定されていた。講師は、私にとっては懐かしくもお馴染みの大山崎町歴史資料館の福島先生だった。
ところが、朝9時台にはメーリングリストで「まだ空席がありますので」と連絡が入ったのに、その12時間後には「講師の体調不良で延期」という通知が来た。

島本に行ったならば、帰りに高槻の松坂屋で黒スーツやコート等を新調しようかと思っていたが、考えてみれば、次々と用事が入る日々は、年の暮れには似つかわしくもない。

福島先生におかれましては、どうぞ速やかなご回復を祈念申し上げます。

(2024年12月18日記)

Posted in Japanese culture, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

神道とキリスト教

(https://x.com/ituna4011/status/1410348616204439553)
Lily2@ituna4011
昨日の茅の輪くぐりの夏越祭は、いずれも盛況。 みるみるうちに人が吸い寄せられるかのように集まってきた。 GHQの神道指令と、戦後のマルクス主義史観や社会主義的な合理性の流行で、神社神道は打撃を受け、一部を除き衰退していった。 御利益信仰だと批判した、キリスト教宣教師達。
6:24 AM · Jul 1, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1410349855298310149)
Lily2@ituna4011
しかし、私の知る範囲では、キリスト教会やユダヤ教でも、御利益を堂々と祈っていた。 神社行事の代わりに、公民館や自治会の活動、学校の部活動が中心となった。神社は文化財として、歴史的遺物のように観察され、分析され、都合良く扱われるように。 その結果、何が起こったか?
6:29 AM · Jul 1, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1410350994353885186)
Lily2@ituna4011
最近、日本のキリスト教会は多くがさびれている、と聞く。 一方で、神社参拝者が若者を中心に急増しているらしい。 永遠の命とは、キリストを信じたら即座に与えられるものではなく、永遠に祓い続ける努力のうちにある、と神道では説く。
6:34 AM · Jul 1, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1410352328595501057)
Lily2@ituna4011
人類に与えられた神からの手紙であるはずの聖書には、日本や日本人に関する記述が一切ない。季節感も合致しない。 神道は、日本古来からの素朴な伝統習俗による唯一性、独自性、土着性を有する。 本来なら、相互に抵触するはずもなかった。
6:39 AM · Jul 1, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1410354196348510211)
Lily2@ituna4011
神道指令の理論的根拠となったホルトムは、日本滞在が長く、神道観察も鋭い。 だが、彼はバプテスト系だった。 日本を自分達の都合の良いように変えようとしても、根底に神道の思想や実践が根付いていたならば、一時の表層に終わるだろう。 最近、一般国民に気づきが芽生え始めている。 産土を!
6:46 AM · Jul 1, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1450075409962258440)
Lily2@ituna4011
私は言いたい。 まず、神社検定試験の壱級に合格してから人様に聖書を勧めなさい。勝手に思い上がって自己陶酔するな。日本人としての素養である。 嫌ならキリスト教圏に移住を。
9:24 PM · Oct 18, 2021

(2024年9月16日転載終)

Posted in Christianity, Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

検定試験シリーズ

(https://x.com/ituna4011/status/1141873498672910340)
Lily2@ituna4011
以前、ここで宣言したように、先日、神社検定を受けてきました。自己採点では合格!竹田恒泰氏は、「古事記を読む時、神様の名前は全部覚えなくてもいい」とおっしゃっていましたが、かなり出題されていましたよ。
10:00 AM · Jun 21, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1166856131865505792)
Lily2@ituna4011
京都文化検定を受けてみて、神社や寺院の近くで売っているお菓子の深い意味を改めて学びました。
8:32 AM · Aug 29, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1167059088632467461)
Lily2@ituna4011
そして、6月に神戸で受けた神社検定の合格通知が、今日届きました。絵馬付。広告チラシ付。頑張るぞ~!#神社検定
9:59 PM · Aug 29, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1193854317809164290)
Lily2@ituna4011
昨日、茶道文化検定試験を受けましたが、そういう出題はなかったですねぇ。もちろん、利休と朝顔の話は有名で、テキストにもありますが。発想が突飛?いつか、皇室警護の人に尋ねてみたいですね。
8:33 PM · Nov 11, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1260416507416383491)
Lily2@ituna4011
私も京都文化検定に合格しました。茶道文化検定も神社検定も合格!認知症予防と履歴書の趣味欄が埋まる一石二鳥!そして、私も愛知県出身。
12:48 PM · May 13, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1281564204470726656)
Lily2@ituna4011
私も合格しました。テキストは、Amazonの中古で必要なものだけお値打ちに揃えました。皇室の冊子4冊は図書館で借りて、ノートしたりコピーしたり。毎晩、寝る前にページを決めて読みました。合格証が絵馬だったのが、おもしろかったです。入院中の主人も喜んでくれました。
9:21 PM · Jul 10, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1281772597613522944)
Lily2@ituna4011
京都文化検定や茶道文化検定は、予想以上に、定年後のおじさま方も受けに来ていました。いい兆候!博物館友の会も、おじさま集団さながら。活発な質問もありました。古い伝統や地域史を学ぼうとする人達は、やはり違います。刺激になります。
11:09 AM · Jul 11, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1281760431720116226)
Lily2@ituna4011
介護予防にもなる、検定試験。世のため人のため、そして自分のためにも。前向きに学び続けることは、小さな社会貢献の一つ。これ以上、高い介護保険料を払いたくなければ、自分レベルで、若いうちから心がけよう!
10:21 AM · Jul 11, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1323262288401367040)
Lily2@ituna4011
合格証が絵馬というのも面白い。 神社史は地域史でもある。 今の価値観や表面的な情報では見えない歴史の奥深さに遭遇 できますよ。
10:54 PM · Nov 2, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1324640662747148288)
Lily2@ituna4011
主催する側も試験を続けていくための模索を続けています。資格試験はこれからどう変わっていくのでしょうか。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201106/k10012696591000.html

6:11 PM · Nov 6, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1324640663749619712)
Lily2@ituna4011
神社検定も来年まで延期に。茶道文化検定も今年は中止。 就職云々のためではないが、国風文化に関する趣味と実益を兼ねている。 履歴書の趣味欄に列挙すると、人となりを判定されるだろう。悪くはない。
6:11 PM · Nov 6, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1324997305380990977)
Lily2@ituna4011
神社検定の万葉集のテキストは、なかなか奥深い。伊丹で万葉集の講座に出ていたが、国文学科の卒業生なのに、新たに知ることがたくさんあった。 学びは祈りだと、ユダヤ教では言うらしい。日本でも同じでは?
5:49 PM · Nov 7, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1410385657998962689)
Lily2@ituna4011
以前、20年以上暮らしていた町の古い神社は、文徳天皇の親王のご子孫が宮司さんだ、と聞いた。 長らく不機嫌そうな応対だったが、2017年頃から、ニコニコと愛想良くなられた。参拝者がどんどん増えてきたからだ。 ちょうど、その頃から、私も国風文化に回帰しつつあり、神社検定の勉強を始めた。
8:51 AM · Jul 1, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1450074656241643521)
Lily2@ituna4011
日本人の勉強好きな性格と向上心がよく現わている、合格者体験記。 私の学生時代には、英語やフランス語の検定試験が人気だったが、今や私も含めて、国風文化に先祖返り。 神社を偶像崇拝だと蔑視し、本の中の本である聖書を読め、と言う人へ。
9:21 PM · Oct 18, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1460607438575456261)
Lily2@ituna4011
コロナのせいで、昨年4月以降、社会変化が発生。私の生活範囲では、学会がZoomになり、資格試験が延期や中止、そしてWeb版に変更へ。 神社試験のWeb版弐級は様子見で今年はパス。茶道文化検定は、昨年コロナで中止の後、今年からWeb版第一回。一発で無事合格。但し、自宅受験は物足りない。
10:55 PM · Nov 16, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1470180914919796737)
Lily2@ituna4011
今年は、薬膳漢方試験と茶道文化検定の一つ上の級に合格した。 昨日の検定を自宅で自己採点してみたが、途中で疲れて止めた。ギリギリでもいいから、合格しているといいな。 今日は、献血の日。半年に一度の恒例行事。 主人の分も頑張ります。
8:56 AM · Dec 13, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1470179700169670656)
Lily2@ituna4011
昨日は京都で検定試験。 ここ数年の恒例行事。三級は既に合格しているが、英語検定のように順調に進んでいかない点、奥が深い。 従来は同志社大学の会場だったが、昨年はコロナで国際会館に。今年は太秦の新しいキャンパスの大学。 中高年の男性が多い。80人ほどの満席。
8:52 AM · Dec 13, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1513841760149307392)
Lily2@ituna4011
昨年、Web版で茶道文化検定を受けて、あっさり合格。直前までテキストと格闘したかいがあった。本音を言えば、試験会場まで出向いて、他の受験者の様子を感じながらの検定が、やはり懐かしい。
8:29 PM · Apr 12, 2022

(2024年9月16日転載終)

Posted in Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

「知っていますか?」シリーズ

(https://x.com/ituna4011/status/1156207331476029441)
Lily2@ituna4011
もう行きたくなくなった….. 知っていますか?
お隣の大山崎町の資料館、大きなマスコットぬいぐるみを、「かわいくない」と私がブログに書いたら、後方に隠したのを….。 #島本町
11:18 PM · Jul 30, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1582379283607326722)
Lily2@ituna4011
知っていますか?
イスラエルでは、割礼儀式から多発性硬化症の治療薬が出来たことを。1979年のことです。 日本も、古事記の知恵からイノベーションを!
11:33 PM · Oct 18, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1583429737959272449)
Lily2@ituna4011
知っていますか?
キケロ、アウグスティヌス、トマスアクィナスの正戦論の根拠は、新約聖書ではなく、旧約聖書だった。
9:07 PM · Oct 21, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1625061315894190082)
Lily2@ituna4011
知っていますか?
神社のお焚き上げに、位牌を持ち込む馬鹿者がいることを。 また、神棚に供えた鏡餅を捨てる人が年々増えていることを。 今日届いた新聞に書いてありました。 気を付けましょう!
6:16 PM · Feb 13, 2023

(https://x.com/ituna4011/status/1638472323740344320)
Lily2@ituna4011
知っていますか?
日本国内のゲリラ活動家が神社荒らしを狙っていることを。 名古屋市内の織田家ゆかりの城址神社には 、そんな立札がありました。 防犯カメラがいろいろな神社に設置されている理由がわかりました。お賽銭泥棒探しか、と誤解していました。
6:26 PM · Mar 22, 2023

(https://x.com/ituna4011/status/1671453167677239301)
Lily2@ituna4011
知っていますか?
名古屋での人物評価は、学歴や職位職階の高さではありません。ましてや、居住地や家の大きさでもありません。 間に合う人かどうか、この一点に絞られます。 間に合わん人はお呼びでないわけです。
6:41 PM · Jun 21, 2023

(https://x.com/ituna4011/status/1835551083508224205)
Lily2@ituna4011
知っていますかシリーズの続き。
趣味の検定試験で、神社検定と茶道文化検定には、何と! 大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮やお茶室が、公式テキストや検定試験問題に出ていましたよ。 ブーム再来。
2:27 PM · Sep 16, 2024
164 Views

(2024年9月16日転載終)(2024年9月18日一部追記)

Posted in © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

不思議なご縁

2024年9月8日付ブログ「研究活動あれこれ」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=8518&action)の派生で、久しぶりにマレーシア関連の過去の出来事を振り返ってみたい。

返す返すも、本当に今でも不思議なのは、なぜ主人があんなに応援してくれていたのか、ということだ。
こんなテーマを仕上げてみたからとて、全部自腹を切ってやっていることであり、いわゆる社会的地位にも収入上昇にも繋がることはないのに、である。

但し、昨今、日本でもSNSで拡散されている外国人労働移民、ムスリム墓地、イスラム過激派の事件、欧米のキリスト教文化の崩壊等は、実はかれこれ二十数年以上も前から、私のテーマと間接的に繋がっている諸問題でもあった。ようやく日本で周知されるようになってきたか、というところである。だから、目の付け所としては悪くはなかった。

尤も、主人がそこまで意識していたかどうかは不明である。

かれこれ27年程も前になる。初めて名古屋で出会った日、朝10時から夕方6時までの8時間(正確には、実は私が10分遅刻したので、7時間50分ぐらい)があっという間に過ぎて行った。名古屋駅から栄までの地下鉄二区をまっすぐ歩き、テレビ塔に上って、今は取り壊された中日ビルの回転レストランでずっとお話をした。

それから名古屋駅に戻り、地下街で「味噌カツ定食」を食べた。「僕、食べるの早いんです。ゆっくり食べてください」と言いながら、その頃、京都の桂にあった社員寮に住んでいたので、「これから新幹線で京都まで帰ります」。そして、私が食べ終わった頃、改めて背筋を真っ直ぐにして「今日は本当にありがとうございました。これからも、ご連絡させて頂いてもよろしいですか?」と言ってくれた。(来た来た!)と、私は内心思った(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080320)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091214)。

だが、私にとっては、まずはマレーシアのリサーチが終わっていなかったことが気掛かりだった。
「あのぅ、私、本当は結婚前にマレーシアの研究テーマを終わらせたかったんですけど、資料不足でまだ終わっていないんです。もしよろしければ、結婚してからも、続けさせていただいてもいいでしょうか?それが条件なんですけど」と、半ば賭けのような気分で言ってみた。すると、さっと顔が明るくなり、「あ、女性はむしろ、それぐらいの方がいい。僕、勉強する女性が好きなんです。マレーシアなら近いし、一ヶ月でも半年でも、何なら一年でも行って来たらいい。僕だって、勉強したくてアメリカに行ったんだから、自分の妻になる女性にやらせないという筋合いはない」と、勢い込んで言ったのである。

その言葉に嘘はなかった。二ヶ月後、同じく名古屋駅で父が会ってくれたが、「結婚前提の交際を認めていただけないでしょうか」との後で、「僕、勉強する女性が好きなんです」と、大真面目に言っていた。父は「結婚するのに勉強なんて….」と不思議がっていたが、「ま、真面目そうな男じゃないか。自分がよければ、お父さんは反対はしないよ」とあっさり許可が出た(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170828)。

それからも、(もう、こんなめんどくさいテーマ、やめようかな)と躊躇する私をいつでも鼓舞してくれたのは、主人だった。

先のブログでも書いたように、あの当時のマラヤ大学博士課程は、最大でも十年間は在籍することができ、しかも、マレーシアに住む必要もなかった。つまり、(あの頃は国際郵便を通して)通信のみの指導で、論文さえ仕上がればいい、という(安直な)仕組みだった。それで、政府の仕事でレッキとした所属があった間に、マラヤ大学に書類を申請してあっさり合格し、その後の十年間を、センシティブで神経をすり減らすばかりの「リサーチ」に費やしたのだった。

今ならインターネットがあるので簡単だが、あの頃は、現地に行かなければ何もわからず、現地資料が入手できただけでも、学会で拍手喝采、という時代だった。だからこそ、現地の協力がなければ、日本の肩書を振り回したって、うまくいくはずがない、と見込んでいた。そのためにマラヤ大学の所属を決めたのである。

指導教官は二人とも女性だった。なかなかのやり手で、受賞歴もあり、その後も素晴らしく出世された(http://jams92.org/pdf/NL28/28(31)_tsunashima.pdf)。

私が学んだのは、途上国と呼ばれている国の人々が、個人としていかにしたたかに立ち回るか、ということだった。むしろ、途上国の方が、出身階層によるが、日本人よりも有利に扱ってもらえるルートが欧米諸国との間にできていた。

ともかく、リサーチ協力を依頼する指導教官からの「レター」をあちこちの関係者に見せて、身元を明らかにし、こちらを信用していただいて、文献資料を集めたり、機密文書のコピーをいただいたり、指導者層との面談を許可していただいたりしていた。

結婚後、マレーシアへ行ったのは単独で、主にリサーチ目的であった。1998年から2003年までは毎年6月に、大学の登録更新手続きを兼ねていた。大抵、往復を含めて、五日間から一週間、あるいは最大、十日間の滞在だった。

2000年には一ヶ月半、クアラルンプールの中流ホテルを仮宿にして、集中してリサーチを進めた時期があった。
その時に集めたものを元に、2004年から教授の突然のご依頼により、同志社大学神学部神学研究科でマレーシア事情を教えることになった際、英語で論文も出せた。自分で和訳した版はこちらにある(https://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2014/01/JISMOR1_tsunashima.pdf)。ちょうど9.11同時多発テロの前だったので、時期的にも最初で最後のリサーチ滞在だった。(9.11テロの秘密会合はクアラルンプールで開かれていた。)

2003年以降は三年に一度、2006年、2009年、2012年の三回、マレーシアを訪れた。この辺りの記録は、過去ブログ(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=マレーシア)に詳細が綴られている(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091028)。なぜ三年毎だったかと言えば、マラヤ大学で教えていた頃の給与を貯金してあった、今はなき東京銀行(Bank of Tokyo)の定期預金の手続きが、「三年に一度は来店すること」という規定だったからだ。

銀行手続きだけなら日帰り強行ということもあるのかもしれないが、第一、気候が異なるため、余裕を見て、一回につき十日から二週間程度の滞在であった。せっかくの訪マなら、研究会や学会での発表用にリサーチも詰め込んで予定を立てなければ勿体ないし、行かせてくれる主人に申し訳ない、という気分だった。

マレーシアは日本と違い、定期預金の利率が6%と高かった時期もあって、それなりにまとまった金額でもあった。また、日本にいながらにして、リサーチに必要なマレーシアの現地文献を入手するにも、マレーシアの銀行の小切手をフル活用していた(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071004)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071220)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140519)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171128)。だから、大切な預金口座であった。

2012年になると、「これからは、三年後ではなく七年後の手続きでよろしい」と、クアラルンプールの銀行から通知された。その頃の主人の病状の進行状況を思うと、期間が延びてホッとした。

実際のところ、七年後の2019年には、1月の阪大病院での検査入院、8月23日からの近畿中央病院の救急搬送、9月30日からの伊丹せいふう病院(回復リハビリ)の入院等、ドタバタと続いていたので、気が気ではなかった。海外どころではない。

ところが、偶然にしては出来過ぎな程、2019年秋に入った頃、先方の東京三菱UFJ銀行クアラルンプール支店から電話と郵便の連絡があり、「今後は邦人口座を閉じることになった。預金全額は円建てにして日本の口座に送金する」。つまり、入院中の主人を置いたまま、飛行機に乗ってマレーシアで銀行手続きをしなくてもよくなったのだ。

願ってもみなかった幸運である。やり取りにはもどかしい日本語であったが、無事に全額、日本に戻って来た。入院中の主人に伝えると、ほっとしたように喜んでいた。

この辺りの経過を振り返ると、つくづく不思議である。

最初に名古屋で出会った頃、主人は一ヶ月か二ヶ月に一度ぐらいの割合でアメリカ出張に行っていた。最先端のデジタル技術を扱っていたので、やりがいもあっただろうし、内なる自信を秘めて落ち着き払い、かつ意気揚々としていた。本人は自分がまさか神経難病に罹患しているとは、つゆ思ってもいなかった時期だった。京都の北山での結婚披露宴では、会社の同僚の方達が、「人遣いの荒い職場だ」「アメリカ出張の合間に、名古屋でデートしていたのか?」と冗談を言い、笑いを取っていたぐらいだったが、本人は嬉しそうにニコニコしていた。

「自分だってやってきたのだから、やれる間にユーリにもやれることをやらせたい」と、いつでも言っていた。ある場合には、リサーチ協力者へのお土産として、おしゃれなボールペンやサリーのブラウス用の布まで、どこで見つけたのか、主人が買ってきてくれていた。

「私を一人マレーシアに行かせて、心配じゃないの?」と尋ねてみたことが何度かあったが、「リスクを気にしていたら何もできないよ。何かあったら、僕が助けに行くよ」と鷹揚としていた。それに、「ユーリの暮らしぶりを家で見ていたら、わかるよ。家事もやっているし、本当によく勉強するし、ちゃんとした場所で仕事もやってきたんだろう?現地リサーチと言ったって、大学に繋がっていて、図書館で資料を調べたり、教会の指導者層に話を聞いたり、後は昔の知り合いに会ったりしているだけだろう?」と、信頼し切ってくれていた。だからこそ、こちらも一生懸命、裏切らないように、時間や機会を無駄にしないように、事故や病気に遭遇しないように、と必死で過ごしてきた。

また、帰国後は、大量に撮った写真の現像や焼き増しの手続きを主人にやってもらい、私がどのように現地で過ごしてきたかをわかってもらうようにしていた。

私の場合、論文を書くとなると二ヶ月ぐらいは集中する癖があるので、家庭の事情から口頭発表だけは先にしておこうと思っていた。その研究会や学会での発表でさえ、主人はいつでも喜んでいた。カレンダーに日程を書いておくと、さり気なく、必要なものを買っておいてくれたりした。

こうしてみると、本当に私には勿体ないようなできた夫だったと、つくづく思う。

この辺りの事情は、実はダニエル・パイプス氏が見抜いていた。太平洋を超えて時差もあるのに、2020年4月10日の主人の葬儀のジャスト一時間前に、メールがピンと届いたのである。ご丁寧にも、ツィッターのメッセージで、「メール送っといたよ」と。メールを開くと、「僕は〇〇〇に会ったことはない。でも、僕は〇〇〇を知っている」という書き出して、主人がいかに私を信じていたか、私のすることを全面的に支援し続けてきたかを称える文章だった。

なぜ、このような展開になったのか?

私が1990年4月から三年間、国際交流基金の派遣でマレーシアにいた同時期に、主人の方は、三菱電機の社費で米国のマサチューセッツ工科大学に二年間留学していた(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120404)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170804)。そのため、パイプス氏のご実家のあるボストン周辺になじみがあったようである。そして、パイプス氏自身も、日本通とまではいかなくとも、密かに日本に短期調査留学に来ていたこともあって(1986年に三ヶ月)、私家版日米同盟みたいな関係が成立していたからでもあろう(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120122)(https://itunalily.hatenablog.com/entries/20120123)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120321)。

2012年の頃までは、インターネット上で「中東フォーラム」や「ダニエル・パイプス」と検索すると、日本語でも悪口散々だった。そのために訳業を依頼されても長らく躊躇っていた私だったが、「アメリカ人なら、はっきり返事しないとダメだよ。それに、パイプス氏、そんなに悪い人じゃないと思うよ」と押してくれたのは主人だった。

パイプス氏が私を「発見」したのも(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20120113)、そもそも、主人が何度も勧めてくれていたブログ書きのお陰だった。そして、パイプス氏のお陰で、私はダグラス・マレイ氏(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171001)や Dr.Aymenn Jawad Al-Tamimi(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150413)のような優れた文筆家や研究者であり、昨今のイスラム問題や文明に関する勇敢な発信者と巡り会うこともできたのだった。

フェイスブックに載せた外国人との写真の何枚かは、実はパイプス旅団で知り合った方々である(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/photos_by)。それも、先方の都合で「日本に行くから会わない?」と連絡が来た時期は、これまた不思議なように、偶然にもこちらの予定が空いていた時だった。

閑話休題。

リサーチ関連に話を戻すと、マレー半島のみならず、ペナン島やシンガポールやサバ州にも立ち寄っていたことがある。そのサバ州だが、今では日本政府から渡航中止勧告が出されている。私が行ったのは2006年の一回きりで、コタ・キナバルにあるサバ神学院のマレー語聖書翻訳者と面会するためであった(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070713)。観光というわけでは、全くない。勿論、その後は研究発表をした(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070822)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070904)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070928)。

だが、今にしてみると、あの時よく行けたものだ、と我ながら思う。五年後の2011年3月11日に発生した東日本大震災の時には、何とサバで一度きり会っただけの関係者から、安否を問うメッセージが届いた(https://itunalily.hatenablog.com/archive/2011/03/23)。

ある方が、「それは幸せな結婚をしたよ。そこまでしてくれる御主人なら、是非とも研究を完成させないと、御主人がかわいそうだよ」と言ってくださった(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071203)。言われなくても日々実感していたが、本当の実現は、今後の課題でもある。

まずは、来月のコングレス、頑張らなきゃ!

(2024年9月10日記)
。。。。。。。。
PS1:こうして古いブログを検索しながら、アドレスのリンク付きで思い出を綴れるのも、主人が若い頃に取り組んでいたデジタル革命のおかげである。そして、主人が長年蓄えてくれていたもののお蔭もあり、何とか自由に過ごせる環境に置かれている。

結婚後一年で診断を下されたので、私は主人が日々衰えていく姿しか知らない。最初は5秒ぐらいでできたことが、10秒、30秒、1分、5分、10分、30分、一時間、それ以上、と動作が緩慢になっていき、併行してこちらの時間も押されていく。たった一つの行動にも、やたらと時間や心的エネルギーが消耗される日々が、いつまで続くのかと思うほど、永遠に続くのである。その上、さまざまな自律神経症状も増えていく。できたことが徐々にできなくなっていく悲しみや苦しみを抱えている患者と一緒に暮らす家族も、心理的精神的に、平板かつどんよりと、低迷を辿っていく。

若かった頃の主人の勉強ノートや会社の会議メモなどを整理していると、あの当時、将来を生き生きと展望しながら、どのように仕事に励んでいたかがうかがえる。そして、よくこんな細かい計算式を几帳面に書いていたものだ、と驚かされる。だからこそ余計に、改めて不憫だったと思うと同時に、それでも精一杯、私との暮らしを頑張ってくれていたんだ、としみじみ感じる。

三世代同居で育ったためか、今でもご年配の方々から、「エンジニアとして優秀だったのみならず、人間的にもできた人だった」「印象に残る人で、良く覚えている」と言われる。曲がりなりにも最後まで会社に籍を置かせていただけたのも、上司の中に主人の若い頃を覚えている方々がいて、いつでも主人を庇い、人事部とも掛け合って、何かと便宜を図ってくださったからだった。

私との生活も、伊丹に来る2018年の前後三年間ぐらいは、精神症状で崩れに崩れ、突発的な行動異常や会話の不成立で、こちらも疲労困憊と心配や不安の連続だった。それに輪を掛けて、義兄の不可解な未必の故意まがいの意地悪な言動で、生活は滅茶苦茶になってしまった。

だが、周囲の第三者のさまざまなお助けもあり、ギリギリのところで、いつも主人は救われてきた。勝手に家を飛び出して道路で倒れているところを、通りがかった「親切な人」が救急車を携帯で呼んでくださったり、夜中に倒れているところを、どなたかがホテルを探して連れて行ってくださったり、持ち金もないのにレストランでただ食いしてしまったところを、「もう、お代は結構です」と許してくださった店主さんなど、名も告げずに助けてくださった多くの方々に、この場をお借りして心より御礼申し上げたい。

いつでも、私は家でイライラしながら待っているしか方法がなかった。(気分転換に寝転んで本を読んだり、検定試験のテキストを眺めたりしていた。)

繁華街にフラフラ出て行って、一歩間違えたらポケットのお財布や鍵やカード等も盗まれていたかもしれない。たくさんのデータを詰め込んでいた携帯も落としていたかもしれない。線路から足を滑らせて落ちていたかもしれない。階段から崩れ落ちて重傷を負っていたかもしれない。寒い中を凍死したかもしれない。それなのに、すんでの所でいつでもどなたかに助けていただいたのである。まさに、奇跡的であった。

2020年春以降、私は身の回りの小さな事項を一つ一つ積み重ねながら、ゆっくりと日常を取り戻すように専念しつつ、必要な手続きや片付け物等を少しずつ進めてきた。まだ全部は終わっていないが、カレンダーや備忘録にリスト化して、できる時、思い立った時に、その都度、処理していくようにはしている。同時に、できる限り新しいことにも関心を広げつつ、本来の自分自身を取り戻すように心がけてはいる。

主人との約束通り、二つ目の修士号を授与されて五年祭を経た今年、ようやく過去を鳥瞰的に振り返る気持ちの余裕が出てきた。「過去を振り返るのではなく、前を見つめて」というありがたい助言もあるが、自分が膨大なエネルギーや時間やお金を費やしてしてきた事柄を、あっさりと忘却の彼方に押しやるわけにもいかない。折に触れて振り返ることで、足元を固めることもできるし、記憶を補強することもできる。ブログに書き留めておかなければ忘れてしまったことも、何とか思い出せる。それによって、今後の選択にも曇りなき指針が与えられよう。

それにしても、あっという間の22年4ヶ月と3週間だった。主人方の過去帳も戸籍謄本も全部集めた。最初は、温かくて真面目で堅実な雰囲気が漂い、安心感があった。そのままの調子でいけば、地味でも穏やかで充実した生活が送れるはずだった。

しかしながら、結果的に、我々の暮らしのみならず、社会の環境も徐々に激変してしまっている。

・2022年3月2日付「三菱電機「京都製作所」」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1976)
・2022年3月13日付「そして長岡京を歩く」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2183)
・2022年10月20日付「三菱電機の不正報告書」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3527&action)
・2023年2月6日付「生きた証の消滅」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4045&action)

だから、過去の一つ一つの時について、それはそれでよかったのだと思わざるを得ない。あの時、しておかなければ、今がなかった。当時は、その他に選択肢がなく、精一杯だった。

主人がいなくなってからの4年5ヶ月で私が成し遂げた履歴は、実は主人と一緒に暮らしていたならば、せいぜい半分程度しか達成できなかっただろうと想定される。というのは、動作に時間がかかり、精神面でも思考緩慢や視野狭窄に陥る患者との暮らしだからだ。

パーキンソン病は、薬をうまく調整して、リハビリをしっかりやれば平均寿命まで生きられる、と一般には言われている。できる限り仕事を続けた方が進行が遅くなる、とも言われる。また、旅行も療法の一種になり、音楽療法も有効だ、とされていた。我々は、(院内でのリハビリを除いて)言われた通り、全てやってきたつもりだ。

恐らく、患者を励ます意味で仰っているのだろうが、共に暮らす家族の人生まで、崩したり奪ったりしてはならない。その辺りの医療福祉の指導が、今一つうまくいっていないのではないだろうか?

ということを、来月のコングレスの発表では訴えたい。

(2024年9月10日追記)
。。。。。。。。。。
PS2:マレーシアのリサーチに関して、道が見えかけて来たのは、9.11同時多発テロの一年前、2000年の一ヶ月半の滞在期だった。やはり、一週間程度では、予定していた項目のよくて7割強、大抵は半分ぐらいしか済ませることができないお国柄だった。ある程度、まとまった日程を取らなければ全貌をつかむどころではなかった。

それに、マレーシアの国立図書館と言えば、見かけは立派で聞こえはいいが、何台もあったコピー機も殆どが壊れて使い物にならなかったし、途中で止まってしまったりして、常に図書館の閉館時間ギリギリ前におさまったことがなかった。マイクロフィッシュも使いにくかったし、本や新聞の資料等も乱雑そのもの。ぐちゃぐちゃに置いてあり、調べるにも一苦労だった。

その点、マレーシアのキリスト教神学院のオフィスは、カトリックでもプロテスタントでも、かつての西洋人宣教師の指導が入っていたためか、あるいは、華人が多いためか、ごく整然としており、スタッフと顔見知りになって話さえ繋がれば、簡単に資料を入手することができた。さらに、シンガポールに立ち寄れば、二日程で大半の資料が手に入ったのである。

こういう話を、帰国後、私が自宅で夕食の時に夢中になって話すと、主人はおもしろそうに聴いてくれていた。「もう、そんな変な研究なんて止めてしまえ!」等と、一度も言ったことはなかった。むしろ、「人が何と言おうと発表するんだよ」と励ましてくれていた。(それも不思議と言えば不思議である。)

今、洋間の二部屋に積み上がっている段ボール箱には、あの頃、夢中になって集めていた資料が眠っている。早く整理しなければと思いつつも、いろいろな思い出が錯綜して、いわば思い出に圧倒されて、なかなか進まなかったのだ。

あの大量の書籍や資料等は、マレーシアでキリスト教の果たした役割等について、さまざまな文献資料を読み、メールで関係者に質問を繰り返しながら過ごしていた証である。主人の進行性難病のことがあったからこそ余計に、主人が会社に行っている昼間は私一人の自由時間として、思い切って気分転換とした証拠でもある。

2004年から三年間の同志社大学での一連の経験は、日本人イスラミストのN教授の下でひどく緊張を強いられて大変だった(https://itunalily.hatenablog.com/entries/20141010)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20141011)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20141012)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161205)。

だが、その後の2006年から2009年ぐらいまでは、焦りもあったが、今思えば、私にとって最も張り切って、充実した楽しい時間ではあったのではないか?治療薬を飲みながらも、主人が何とか開発研究グループに所属が許されていたのは、その頃までだった。(このまま進行が止まってくれたらいいのにな)という気持ちで、毎日を過ごしていた。研究会や学会でも、「今しか、ない」という気持ちで、夢中になって発表をしていた。

自分を鼓舞するものに触れられた喜びもあった。主人に勧められてブログも書き始めたし、長岡京のプールにも通い始めた。イスラエル旅行にも行かせていただき、中東のキリスト教やユダヤ史の方にも手を広げ、クラシック音楽の一流以上の演奏会に行くようになった。

そして、あの期間には最盛期であった日本聖書協会のセミナー事業からも、たくさんの貴重な知識や情報が得られた。(兵庫県に転居した2018年秋以来、全く行くこともなくなった神戸バイブルハウスは(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=神戸バイブルハウス)、連絡も途絶えており、統計を見ても、今や金銭的にかなり落ち目である。)

あの頃、ムスリムとの国際結婚で密かに悩んでいる日本女性達のことも、ウェブ上で知ることができた。(だから今の状況に、むしろ落ち着いていられる。)

…..こうしてマレーシアのリサーチを巡る思い出を振り返ると、何とかやっていた頃の日々が呼び起こされて、それなりに元気づけられる。ちょうど、放送大学教養学部で、二十代の頃に学んでいた古典文学やドイツ語、その後に始めたフランス語を、復習がてら履修していると活気づけられる今と重なる。

(2024年9月10日続記)
。。。。。。。。。。
PS3:今日、2018年3月以来、6年ぶりでもあり、初めての分野でもある学会(コングレス)発表となる来月の下準備として、注文した名刺が届いた。自分で印刷業のホームページを探して、レイアウトを考えて申し込んだだけだ。一番シンプルな形にしたので、作業は年賀状並みだった。

名刺入れケースを探していたところ、伊丹市に引越後の2018年10月中旬に「未整理」と付箋をした名刺類が出てきた。

すっかり忘れていたが、転居前に21年程暮らしていた大阪府島本町で二つ目の住所を記した名刺が、四種類も見つかった。その中の三種類は、主人が「かえるちゃん」「若葉マーク」と言いながら、リサーチ途上で知り合った方々に渡せるように作ってくれていたものだったことを思い出した。

同志社大学で教えていた頃にも、肩書をつけたシンプルな名刺を作ってくれていた。そういうことが好きだったのかもしれないが、あの頃は、いっぱしの「研究者」として私の「売り込み」を手伝いたかったのだろうか?

メールアドレス、「はてなダイアリー」の英語版と日本語版のアドレス、そして、今のWordpressに変わる前の個人のホームページのアドレスまでついていた。裏側には、アルファベット表記もつけた。若葉マークの方は少ないが、青いラインの入った名刺は相当余っているので、あまり使わなかったようだ。

家計簿を調べないと正確なところは不明だが、恐らくは2010年より前に作ったものだろう。つまるところ、上述のPS2のように、リサーチや勉強に熱の入っていた2006年から2009年頃までに作った名刺に違いない。確かに、同志社にいた頃、日本聖書協会のフォーラムでも、盛んに名刺を渡していた。本当に必死で、何とか自分の居場所を作らなければと思い詰めていた。

2012年3月からはパイプス訳業が始まり、国内での必死な名刺配りにはすっかり熱が冷めてしまった。その後は、名刺を受け取るばかりになっていった。

主人亡き後の4年5ヶ月で、私が履歴書に書き加えることができたのも、一つは伊丹市のテンポが私自身に合っているということが挙げられる。以前の島本町は、静かで空気も良く、名水も出て環境は抜群だったが、よろずテンポが緩やかで、知的刺激に欠けていた。伊丹への転居は、以前にも書いたように、主人の勤務先の統合によるものであったが、何よりも主人自身が希望したことでもあった。結果的に、益したのは私自身であった。

もう一つは、放送大学のお蔭である。インターネットで隙間時間に勉強するといううたい文句だが、案外に印刷教材とは異なる内容を講師が語ったり、ロケのビデオを見せたりする講義(授業)もある。一瞬止めてテキストに書き込んだりしていると、1.5倍速で30分程度だったはずが、あっという間に一時間半から二時間もかかってしまうことがある。また、インターネットで試験があるため、時間や締め切りには敏感にならざるを得ない。これが、自宅で過ごす時間の長い還暦前の私のような女性には、必要な訓練ともなっている。

名刺から、忘れかけていたさまざまなことを思い出した。

(2024年9月10日続々記)
(2024年9月11日一部修正)
…………….
2024年9月26日追記

「2000年には一ヶ月半、クアラルンプールの中流ホテルを仮宿にして、集中してリサーチを進めた時期があった。」と上記に述べた。ところが今、別件で過去ブログを調べていたところ、正確な事実が判明した。

正確には、2000年には3月と6月と10月から12月までの計3回、マレーシアを訪問。最後の晩秋に、一ヶ月半のリサーチ滞在もしたのだった。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080307)

《2000年には、3月、6月、10月から12月までと、3回もマレーシアに滞在したのでした。ところが当時、いくらこちらが頑張ってみたところで、少なくとも首都圏では、責任者の一部のみが密かに議論して対処していた様相だったので、大司教にまで面会を許されたにもかかわらず、目指す結果を出すことがそもそも困難でした。》

この間、主人が用意してくれたミニ・ノートパソコン(ちょうどこの追記を書いている日からちょうど6年前の2018年9月26日が居住の最終日だった島本町で処分)を駆使して、それまで連絡が不自由極まりなかったマレーシアでの指導教官との連絡にも活用できた。

今、私が使っているメールアドレスは、実はこの時、主人が申し込んでくれたものである。かれこれ24年にもなろうか。それ以前には、feemailやanet等を使っていた。あの頃は、自宅でのパソコンもプリウスを使用していたのではなかったか?勿論、主人が設定から接続から何でも、得意げにやってくれていた。

一ヶ月半の滞在中、主人との連絡は、電話以上に、その頃はまだ普及していた国際簡易書簡を使っていた。便箋一枚程度しか書けないが、三つ折りにたたんで糊付けすれば、切手も印刷されていたので楽だった。日記代わりにその日の細々したことを書き連ねて、クアラルンプールの中央郵便局から投函していた。途中の紛失を恐れて、カーボン紙にコピーを取り、投函順に番号を振っていた。一種のリサーチ記録のつもりでもあった。

主人にとっては、仕事が終わって帰宅しても、郵便受けに私の手紙が入っていれば、それなりに安心したようだ。

帰国後、尋ねてみると「うん、よく書けていると思うよ」と言ってくれた。そして、家計簿をつけている私のために、留守中の買い物レシートは空き箱に入れてあった。

2001年9月11日に米国同時多発テロが発生したことを思えば、あの時に三回も訪マできたことは、実にタイミングとしてはよかった。最後のギリギリのところだったと今でも思う。

実は、テロのためにハイジャックされた4機のUnited Airlineの一つは、うちの主人が米国出張でよく利用していた路線だった。「よかったじゃない?病気のために出張がなくなったから、今でもこうして暮らせる。病気じゃなかったら、テロに遭遇して、私がアメリカまで行かなければいけなかったじゃない?」と私は言ったが、どこかで未練があったのだろうか、主人は無言のままだった。

(2024年9月26日追記)

Posted in Christianity, Daniel Pipes, Japanese culture, Malay studies, research topics, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

10月7日の悲劇その後

(https://x.com/ituna4011/status/1832808119556259909)
Lily2@ituna4011
www.youtube.com/watch?v=O7F7Pq-XI40
One Year Since October 7th – with ‪@douglasmurray‬
Sep 8, 2024 Call me Back – with Dan Senor
凄く白髪が増えましたね….。
12:48 AM · Sep 9, 2024
。。。。。。。
Since October 7th, on this podcast we have tried to present Israel’s dilemmas and challenges as Israel responded to a genocidal attack from Gaza and what is now a multi-front war. We have tried to do this by talking to Israelis – Israeli journalists, political figures, historians and other thought leaders, and different people from Israel’s civil society. We have tried to provide historical context and perspectives from various actors in the U.S.-Israel relationship from both sides of that relationship.

We did not think we would still be recording these episodes – with this focus – for one year. And yet, here we are — approaching the one-year anniversary of October 7, which will be regarded as one of the darkest days in Jewish history (and one of the darkest days in the history of Western Civilization).

Most of our episodes have been shaped by weekly and daily news developments. But as we approach the one-year anniversary, we wanted to take a step back, and spend extended time with a few of our previous guests and thought leaders who are not our go-to analysts.

We asked each one of them to take a longer horizon perspective, to look back at this past year and the year ahead. In each conversation, we will try to understand the larger lessons these guests have learned as we approach this grim milestone. If you are listening to this episode on a podcast app, please note that this series was filmed in a studio and is also available in video form on our YouTube channel.

We begin this series with a conversation with Douglas Murray – war journalist, columnist, and bestselling author. We will be dropping one of these long-form conversations with a different guest each week between now and the first couple weeks after 10/07.

LINKS:

On Sunday, September 8, Douglas Murray will kick off his first ever US Tour with Live Nation. Long before Oct 7, Douglas was a widely read journalist, bestselling author, and one of the most prescient intellectuals in the world. Since Oct 7, he has also become one of the strongest voices for Israel and the Jewish people. Douglas will be sharing experiences from his time in Israel post October 7, including never before seen footage from his time in Israel. On September 8, he will be at the Parker Playhouse in Fort Lauderdale. On September 10, he’ll be at the Fillmore Miami Beach. On September 11, the Warner Theatre in Washington DC. On September 23, The Wiltern in Los Angeles. On September 29, the Beacon Theatre in New York City. And on October 13, Paramount Theatre in Denver. The evening will be filled with great pride for am yisrael and hope for the future. Some shows are sold out or very near sold out. Tickets can be purchased through Live Nation’s website: https://shorturl.at/yilaw

NEW YORK CITY — September 24 — Join us for the first major live recording of Call Me Back, held at the Streicker Center, co-sponsored by UJA Federation of NY, and featuring Amir Tibon on the official launch date of his book The Gates of Gaza: A Story of Betrayal, Survival, and Hope in Israel’s Borderlands. In his new book, Amir tells the gripping story of the Tibon family’s ordeal at Kibbutz Nahal Oz on October 7 and the heroic rescue by Amir’s father, retired General Noam Tibon. Woven throughout the book is Amir’s own expertise as a longtime journalist in Israel and in Washington, the history of Kibbutz Nahal Oz, and the conflict between Israel and Gaza. We are excited to bring this program – with our partners at The Streicker Center and UJA Federation of NY – to the Call Me Back audience. To register, please go to: streicker.nyc/events/tibon-senor

PHILADELPHIA-AREA — September 9 — Join us this Monday night in Lower Merion, just outside of Philadelphia, for a discussion about Israel, the Middle East and the U.S.-Israel relationship with combat veteran and national security expert Dave McCormick, who is running for U.S. Senate in Pennsylvania. Dave grew up in Bloomsburg, PA, attended West Point, fought in the Gulf War with the 82nd Airborne, then ran a tech software business in Pittsburgh before becoming CEO of Bridgewater Associates. Dave has emerged as one of the strongest pro-Israel voices and allies of the Jewish community this election cycle; his wife Dina was a deputy national security advisor in the White House and one of the architects of the Abraham Accords. We are going to have a fascinating conversation about his trip to Israel in January, what he’s seen on the campaign trail and how his experience as a combat veteran informs his perspective on the war in Israel and America’s role in the region. To register, please go to: Dan-and-Dave.eventbrite.com

(2024年9月9日転載終)

Posted in Douglas Murray, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

もー、パイピシュ先生ったら!

噂をすれば何とやら、ですよ!
今日は重陽の節句ですが、ダニエル・J・パイプス氏の75回目のお誕生日でもあります。

元訳者として、短い定型のお祝いをツィッターのメッセージで朝8時25分に送ったところ、約3時間半後には早速、「ありがとね」。それだけではなく、こんなリンクまでくっついていました。

(https://www.danielpipes.org/22349/at-75-staying-healthy-is-my-new-career)
At 75, Staying Healthy Is My New Career
Financial, emotional, mental, nervous and physical requirements lie ahead
by Daniel Pipes
Washington Times
September 9, 2024

全くもう、抜け目がないというのか何というのか…..。

但し、書いてある内容は、長寿国の日本人の大半にとっては至極常識的な内容で、何ら目新しいものはありません。(エヘン!)

お父様のリチャード先生が94歳、お母様のアイリーンさんが98歳とご長寿だったので、自分も「新しいキャリアとして」、従来の活動の比重を転換させて、今後ますます意気盛ん、といったところでしょうか?お父様の生まれ変わりだと自他ともに自負されていただけあり(参照:”Vixi“)、お父様の最後の執筆が93歳だったことから、「あと18年ある」と。(頑張ってね!)
ヘブライ語の読める方ならご存じであろう、数字の「18」には“chai”(「生きる」の意味)が込められている、とも付言されています。

新情報としては、1971年7月20日付で、カイロ在のスペイン大使館経由で、米国の権益部から「イスラム史の学徒である」という証明書をいただいた証拠が掲載されていたことです。

(2024年9月9日記)
…………….
2024年9月11日追記

(https://x.com/DanielPipes/status/1833331208807502243)
Daniel Pipes دانيال بايبس @DanielPipes

On my birthday today, I offer a personal reflection, “At 75, Staying Healthy Is My New Career.” “I mark this birthday by starting a new career: that of extending my health-span. This goal may sound obvious, even banal, but this new career has its own distinct character, with specific challenges.” https://danielpipes.org/22349/at-75-staying-healthy-is-my-new-career
11:26 AM · Sep 10, 2024

(2024年9月11日転載終)

Posted in Daniel Pipes, Health and Medical issues, Richard Pipes, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment