名古屋大学同窓会関西支部

2024年5月18日(土)大阪堂島の中央電気会館にて「はやぶさ」の話(後述)

危機感

www.hayabusa2.jaxa.jp

(後述)
。。。。。。。。。
(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN05F0I0V00C24A6000000/)
「ボーイング有人船、宇宙基地に到着 米の宇宙開発に弾み」
2024年6月7日

航空宇宙大手の米ボーイングと米航空宇宙局(NASA)が打ち上げた新型宇宙船「スターライナー」が米東部時間6日午後1時34分(日本時間7日午前2時34分)、国際宇宙ステーション(ISS)に到着した。新規開発した宇宙船は初の有人宇宙飛行を実施し、NASAの宇宙飛行士2人をISSに送り届けた。米国の宇宙開発に弾みがつきそうだ。
宇宙飛行士はISSに1週間ほど滞在し、スターライナーの機能テストを実施してデータを収集する。14日以降に再びスターライナーに搭乗して地球へ向かう。NASAによると、米国の有人宇宙船は「スペースシャトル」などに続く6種類目となる。
スターライナーは米東部時間の5日午前10時52分(日本時間5日午後11時52分)に打ち上げられた。およそ15分後にロケットから分離し、その後、宇宙船が予定通り軌道に載った。
NASAによると打ち上げ前にヘリウム漏れが確認され、その後、2度のヘリウム漏れを確認したが、いずれも大きなトラブルはなかったとしている。
ドッキングは当初、6日の米東部時間12時15分頃を予定していたが、宇宙船の下部の一部装置に問題が見つかり、1時間程度遅れた。
約1週間後には再び宇宙飛行士を乗せてISSを出発する。大気圏への再突入と安全な着陸を実現できれば、実用化のメドが立つ。
ISSに到着し宇宙飛行士を送り届けたことは、今回の飛行試験で最も難しい課題の一つを乗り越えたことを意味する。ISSへの接続では数十キロメートル離れた場所から宇宙基地を認識し、燃料の噴射で機体の姿勢を微調整する高度な技術が要る。
スターライナーはボーイングが開発を進めてきた宇宙船だ。宇宙飛行士が操縦することなく自動で飛行することができ、緊急時は必要に応じて手動で操縦できる。今回、宇宙飛行士が乗って打ち上げる試験飛行は初めてだった。
19年に実施した無人の試験飛行ではエンジンが正常に動作せず、ISSへのドッキングを中止。22年に実施した2回目の無人の試験飛行では、ISSへのドッキングに成功して地球に帰還したが、機材の一部に問題が見つかり、実用化に向けた最終段階となる有人の試験飛行は当初予定から遅れていた。 
今回の有人試験飛行を経てNASAが承認すれば、スターライナーは運用段階に入り、ISSと地球の間を宇宙飛行士が行き来する輸送手段として使用できることになる。
1998年から建設が始まったISSには、かつては米国の「スペースシャトル」と、ロシアの宇宙船「ソユーズ」で宇宙飛行士を送り届けてきた。
スペースシャトルが2011年に退役するのを機に、NASAは宇宙輸送の商用化を進めてきた。14年にボーイングとスペースXの2社にISSへ物資・宇宙飛行士を送り届ける宇宙船の開発を委託。スペースXは20年に宇宙船「クルードラゴン」の有人飛行に成功した。
米国がスターライナーを加え、自前の2機体制を確立できれば、万が一、片方の宇宙船が使えなくなっても、有人の宇宙開発を続けられる。現在、併用しているロシアのソユーズへの依存度も下げられる。

(ニューヨーク=川上梓、川原聡史)

(2024年6月7日転載終)

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PD友の会 in 大阪 (2)

2024年5月12日(日)の午後、開催された会合で聞いた講演内容は、iPS細胞とPD治療の現状であった。

まずは、私自身が毎日のダイジェスト版ニュース報道を拾い上げた過去ツィッター(X)から、iPS細胞を巡る報道リストを列挙してみよう。

2019年のピックアップ報道は、ちょうど主人が長期入院の第一段階にあった近畿中央病院時代から回復リハビリの伊丹せいふう病院に転院し、途中で強引に自主退院して徘徊や道路での転倒を繰り返していた時期に相当する。

2020年のピックアップ報道は、主人の余命1日と死後半年経った時のものである。

2021年には、山中先生が御退任になった。山中先生は、ノーベル賞受賞者としての責任感から、コロナ感染症対策についても初期から積極的に発信されていた。我が家では、山中先生の奥様の御実家が主人の実家のご近所でもあった関係上、PD治療法としての早期の実現性には期待していなかったものの、時折、話題にはしていた。

2022年には、iPS細胞を使った治療法が徐々に治験の段階に入っている報道が目立ち始めた。

2023年には、金銭面の問題が報じられた反面、iPS医療の進展も見られるようになった。但し、PD治療における展開は、治験段階に留まっている模様である。

2024年(☚ 今ここ)
。。。。。。。
2019年

(https://x.com/ituna4011/status/1167240543811719170)
Lily2@ituna4011
iPS角膜移植 世界3例目、夢の医療実用化着実に – 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190829/k00/00m/040/383000c
10:00 AM · Aug 30, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1173737739860078598)
Lily2@ituna4011
iPS臨床応用、「仲間割れ」の舞台裏は  :日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXMZO49811600T10C19A9000000/…
《理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーが理研を辞め、再生医療界に衝撃》
8:17 AM · Sep 17, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1176271965989961728)
Lily2@ituna4011
余録:iPS細胞を使った再生医療の実用化が着実に進んでいる… – 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190924/ddm/001/070/097000c…
8:07 AM · Sep 24, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1176272182499889154)
Lily2@ituna4011
iPS細胞、安定提供へ 京大研究所、一般財団法人設立 – 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190920/ddm/012/040/078000c
8:08 AM · Sep 24, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1177061279673925632)
Lily2@ituna4011
iPS細胞でミニ多臓器、世界初 肝臓、胆管、膵臓が連結 東京医科歯科大 – 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190926/k00/00m/040/094000c…
《ヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)から、肝臓と膵臓が胆管でつながった「ミニ多臓器」を作ることに世界で初めて成功》
12:24 PM · Sep 26, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1183143137054621696)
Lily2@ituna4011
iPS細胞で創薬、指針づくりへ 効率高め参入促す: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXMZO50924720R11C19A0TJM000/…
7:11 AM · Oct 13, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1196215024877879296)
Lily2@ituna4011·
iPS備蓄事業、予算減額案 山中伸弥氏「非常に厳しい」: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXMZO52219680V11C19A1TJM000/
8:54 AM · Nov 18, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1199615054976450560)
Lily2@ituna4011
iPS細胞で軟骨組織培養し膝関節治療 臨床研究を厚労省に申請 京大 – 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20191127/k00/00m/040/089000c
6:04 PM · Nov 27, 2019

(https://x.com/ituna4011/status/1200200514283040768)
Lily2@ituna4011
京大・山中教授「iPS備蓄、国は支援継続を」: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXMZO52730350Y9A121C1EA1000/
8:51 AM · Nov 29, 2019

2020年

(https://x.com/ituna4011/status/1247039894624456704)
Lily2@ituna4011
Apr 6, 2020
「iPS細胞で新しい医療モデルを世界に」山中伸弥氏: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXMZO57517470R00C20A4I00000/
2:54 PM · Apr 6, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1317395781888872449)
Lily2@ituna4011
iPS視細胞、世界初の移植手術実施 神戸の病院 https://kobe-np.co.jp/news/iryou/202010/sp/0013784067.shtml… via @kobeshinbun
6:23 PM · Oct 17, 2020

2021年

(https://x.com/ituna4011/status/1468520248764952578)
Lily2@ituna4011
山中伸弥氏、京大iPS研究所の所長退任へ 22年3月: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUF084KM0Y1A201C2000000…
《高橋教授は神経難病のパーキンソン病をiPS細胞を使って治療する医師主導の臨床試験(治験)を18年に始めた》
6:58 PM · Dec 8, 2021

(https://x.com/ituna4011/status/1473466864756211715)
Lily2@ituna4011
山中氏が所長退任へ 京大iPS研に待ち構える難路: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQODK161B20W1A211C2000000…
10:34 AM · Dec 22, 2021

2022年

(https://x.com/ituna4011/status/1481834229637865474)
Lily2@ituna4011
慶応大学、脊髄損傷にiPS初移植 治療法に高まる期待: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUC136K00T10C22A1000000
12:43 PM · Jan 14, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1533277326125199362)
Lily2@ituna4011
iPSでパーキンソン病治験 2022年にも国に承認申請: 日本経済新聞
nikkei.com
「iPSでパーキンソン病治験 2022年にも国に承認申請」
京都大学は30日、世界初のiPS細胞を使ったパーキンソン病の医師主導の臨床試験(治験)開始に関する記者会見を開いた。京大病院の稲垣暢也・病院長、高橋良輔・脳神経内科長、京大iPS細胞研究所の高橋淳教授が出席した。主な質疑応答は以下の通り。――治験の意気込みを教えてください。「論文を書くのももちろん重要だが、患者を治してこそという思いがある。その意味でようやくスタート地点に立てた。これから積み
11:39 AM · Jun 5, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1541999462260031488)
Lily2@ituna4011
Jun 29, 2022
iPS医療、実用化へスタートアップが製薬会社と「伴走」: 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUC204GT0Q2A620C2000000…
1:18 PM · Jun 29, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1553004415719964672)
Lily2@ituna4011
機密メモが語る山中iPS細胞事業の危機一髪!(安積明子) #Yahooニュース

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7f6aa25907c74a7be7758d334661dae8f3d2fdf4

10:08 PM · Jul 29, 2022

(https://x.com/ituna4011/status/1559835257826058240)
Lily2@ituna4011
https://nikkei.com/article/DGXZQODK086UF0Y2A800C2000000… 《iPS細胞で劇的な治療効果が得られたという報告はなく》
6:31 PM · Aug 17, 2022

2023年

(https://x.com/ituna4011/status/1624995932927582208)
Lily2@ituna4011
iPS細胞による細胞療法の現状 https://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/ded567d01c6fd735856b01db19330e7b… #gooblog
1:56 PM · Feb 13, 2023

(https://x.com/ituna4011/status/1681876399194525697)
Lily2@ituna4011
iPS細胞研究費、日本は米国の1割 事業化へ「死の谷」課題 – 日本経済新聞
12:59 PM · Jul 20, 2023

(https://x.com/ituna4011/status/1711507516981694511)
Lily2@ituna4011
iPS使う再生医療、近づく実用化 治療法ない病気に光明 – 日本経済新聞
7:22 AM · Oct 10, 2023

(https://x.com/ituna4011/status/1718773193912230139)
Lily2@ituna4011
アステラス、双腕ロボでiPS細胞培養 26年に治験薬製造 – 日本経済新聞
8:33 AM · Oct 30, 2023
98 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1735066397234106806)
Lily2@ituna4011
ES細胞やiPS細胞、2024年にも医療現場へ 肝臓や心臓の病気治療に – 日本経済新聞
7:37 AM · Dec 14, 2023

2024年

(https://x.com/ituna4011/status/1779735230313804091)
Lily2@ituna4011
iPS由来の角膜移植、6月にも治験 大阪大発スタートアップ – 日本経済新聞
1:55 PM · Apr 15, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1794472045658390583)
Lily2@ituna4011
ES細胞やiPS細胞、2024年にも医療現場へ 肝臓や心臓の病気治療に 飛躍する再生医療㊤ – 日本経済新聞
5:54 AM · May 26, 2024

(2024年5月30日転載終)
………………
2024年9月21日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1836987637787414687)
Lily2@ituna4011
ネコiPS細胞の作製成功、病気の解明に期待 大阪公立大学 – 日本経済新聞

https://nikkei.com/article/DGXZQOUF200ON0Q4A920C2000000/…

← 猫 の拒否する権利は?
1:35 PM · Sep 20, 2024

(2024年9月21日転載終)

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自己紹介(転載)

はてなブログ(https://profile.hatena.ne.jp/itunalily/)

ユーリ(Lily)’s Profile

Hatena ID:itunalily
Nickname:ユーリ(Lily)
Description:まとめモードに移行中です

《自己紹介》
綱島(三宅)郁子(注:( )は旧姓)と申します。 名古屋市生まれの名古屋育ち。名古屋大学大学院文学研究科修士課程(1990(平成2)年3月)を経て、2024(令和6)年3月に医療福祉分野で二つ目の修士号(学術)。父方母方どちらも名古屋っ子。平和公園に両系の曾祖父母の代からのお墓があります。伊丹市在住。

1990(平成2)年4月から1993(平成5)年4月まで、国際交流基金の派遣により、マレーシアのマラヤ大学で教えておりました。滞在中の問題意識が現在に至る研究テーマにつながり、本ブログの当初の目的は、勉強ノートと生活記録でした。

信州大学の第二代眼科学教授で、1973(昭和48)年10月に信州大学の第六代学長に就任した故加藤静一は、私の父方の大叔父(父方祖母の弟)です。また、母方の大叔父である故加藤富三は、故加賀乙彦氏(精神医学専攻)と同期のフランス留学組で、帰国後は日本医科大学で放射線学教授を務めました。加賀乙彦氏の小説には、仮名で大叔父が登場しております。いずれも、昭和天皇と平成期の天皇陛下から受勲されております。両系の祖母達にとっては「一番の出世株」「自慢の弟」達だったようです。それぞれの甥と姪だった両親も、それぞれに可愛がっていただきました。

どうぞよろしくお願いいたします。

1. 2007年6月22日から2018年12月23日末までの丸11年半、日本語版と英語版で「はてなダイアリー」を綴ってきました。2019年2月下旬、投稿内容は同一のまま「ダイアリー」から「ブログ」へ移転いたしました。但し、元のプロフィールは、その後のブログ記述に反映されていますので、削除しました。

『ユーリの部屋』(https://itunalily.hatenablog.com)
“Lily’s Room” (https://itunalily2.hatenablog.com)

*リンクは自由ですが、一言ご連絡いただければ幸いです。なお、最終的な著作権は「はてな」さんにありますが、文中の情報一切に関する無断引用は、固くお断りいたします。

2. 2008年1月6日から2014年6月30日まで、第二弾英語版ブログ“Lily’s Room(Part 2)”(http://pub.ne.jp/itunalily)を立ち上げました。過去の「はてな」投稿には、こちらの引用アドレスが含まれている場合もありますが、プロバイダーの都合で既に閉鎖されています。どうぞご了承ください。

3. 上記2の内容も含めて、2015年3月22日から新たな個人サイトを開設しました。

Lily’s Room(Part 2)(http://itunalily.jp/wordpress/)

4. ツィッターとリンクしています。

・旧(https://twitter.com/itunalily65)(2010年7月4日-2013年9月27日)
・新(https://twitter.com/ituna4011)(2012年1月31日-)

5. フェイスブックもあります。

(http://www.facebook.com/profile.php?id=1667289011&ref=profile&v=info)または(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)(2008年11月-)

6. 米国のイスラム研究者であるダニエル・パイプス博士からのご依頼で、2012年3月より丸6年間、邦訳作業をしました。

(https://ja.danielpipes.org/art/year/all)

以 上
。。。。。。。。。。

(2019年2月21日記/2019年7月28日・9月22日・2021年10月10日追記/2019年8月12日一部修正/2024年1月26日加筆/2024年1月27日部分修正/2024年4月2日加筆修正)

(2024年5月16日転載終)

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無知の知から質問を重ねる

日経新聞』(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA136YW0T10C24A500000)
「介護保険料が最高の月6225円 65歳以上、2024~26年度」
2024年5月14日
《23年度に要介護・要支援認定された高齢者は695万人で、3年前より28万人増えた。21年度の推計では、23年度には715万人となる想定だった。厚労省は「高齢者の健康状態が良くなり、80歳以降の要介護認定率が減少している」と分析する。》

(転載終)
。。。。。。。。
ということは、2023年度の要支援・要介護認定の高齢者数は、2021年度の推計よりも実際には20万人減ったことを意味する。
これには認知症以外の疾病も含まれているかもしれないが、少なくとも「予防策を自覚的に徹底することで、社会負担を減らす可能性が生まれる」とも解釈できよう。

十数年ぐらい前までは、認知症(痴呆)予防には、指先をよく使うこと、本の音読等で脳を刺激すること、よく歩くこと、できれば仕事を辞めないこと等が奨励されていた。但し、現在の(脳)神経内科学の知見によれば、知的水準が高い仕事をしてきた人でも若年性アルツハイマーや若年性認知症に罹患している事例があり、その他の要因を探る必要があるとされている。

(注:認知症系の「若年性」とは、厚生労働省の規定により、働き盛りの50代での発症を指すようである。PDの場合は諸説あるが、40歳以前での発症を「若年性」と呼称する。人によっては「40歳前後の発症」を「若年性PD」だと自称する場合もある。但し、「PDには若年性というものは存在しない」という医学的な主張もある。この辺りについても、この度の修論で書き記しておいた。)

現在では、睡眠時間が少ない生活を継続して来た人、食事嗜好に偏りのあった人、運動量が少ない人、社交的な生活が限定されて孤立していた人等に認知症が発生しやすいという話も仄聞する。

認知症はともかく、私の関心事である若年性PD患者については、これ以上、患者を増やさない方策を考えて行かなければならない。

私が先日のPD友の会大阪府支部での質疑応答で、若い講師の回答に同意できなかった理由は、はっきりしている。

1)修論作成時に、過去の本邦における医学論文を相当数調べた結果から得た知見による。
2)2022年7月下旬に東京で開催されたPDコングレスで、特定テーマのラウンドテーブル参加者に事前選出された私は、担当の岩手医科大学の前田哲也教授に直接質問し、ご意見をうかがった。

2023年2月に神戸での講演会で、私の質問(年齢による面の皮の厚みに伴い、無知の知から、いつでもどこでも私は怖れず果敢に質問する!)に対して、佐古田三郎名誉教授兼院長がおっしゃっていたが、「遺伝子を持っていても発症しない人もいる。それならば、発症しない人のライフスタイルを調べてみたらどうか?」という発想は重要である。つまり、発想の転換、視点を変えて現象を見つめ直す、ということである。

いわゆる家族性PDの事例でも、遺伝子は確定できたものの、家系図を作成すると、必ずしも全員がPD発症ではないことは明らかである。従って、佐古田教授のアイデアに私は全面同意し、今後の考察に繋げたいと思っている。

(後に続く)

(2024年5月15日記)
……………
2024年5月16日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1791108505891672324)
Lily2@ituna4011
放送大学の疾病薬の講義には3課分、順天堂の服部信孝先生が担当されている。ご熱心で素晴らしい内容が盛りだくさん。ところで、アルツハイマーになりやすい人は「学歴の短い人」と、パネル表示。「低学歴」と言わず、「短い」と配慮の程を示していらっしゃる。私は密やかな服部先生のファンです!
11:08 PM · May 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1791109350863606193)
Lily2@ituna4011
「放送大学で講義を聞いている人は(アルツハイマーに)なりにくい、ということですね」とも付け加えられた。先生、本当ですか?エビデンスはどこに?
11:12 PM · May 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1791110152382448070)
Lily2@ituna4011
「そうです、生涯勉強です。そのために是非、放送大学の講義を聞いてほしいと思いますね」と服部先生。 服部先生!PD専門の神経学者から、いつの間に放送大学の広告塔へ?
11:15 PM · May 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1791111482324980013)
Lily2@ituna4011
修論のために、過去2年間、服部信孝先生の過去の医学論文や厚生労働省へ提出された分厚い文献等、かなりたくさん拝読した。2022年7月下旬の東京でのコングレスで初めてお目にかかった。お人柄は気さくで鷹揚で、結構おもしろい方だとお見受けした。温かい感じのお医者様でもいらっしゃる。
11:20 PM · May 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1791112509862416826)
Lily2@ituna4011
修論作業で一番おもしろかった側面は、個性豊かな神経学者の哲理に触れられたこと。医学史とも関連がある。今後は「楽しみとしての勉強」になりそうだ。
11:24 PM · May 16, 2024

(2024年5月16日転載終)
………………..
2024年9月25日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1838822599436161357)
Lily2@ituna4011
エビデンスは統計処理。
evidence は、根拠、証拠。
次はランセットに載せるぞ、オー!
かしら?
3:07 PM · Sep 25, 2024

(2024年9月25日転載終)
………………..
2024年10月22日追記

服部信孝先生には、2022年7月24日の第4回日本パーキンソン病コングレスと2024年10月13日の第5回日本パーキンソン病コングレスでお目にかかった。
私が会釈すると、先生も会釈された。
名刺もいただきましたよ!「放送大学の教養学部で先生のPD講義を拝聴いたしました。感動しました」と申し上げた。

ところで、気になる展開が報道されている。
。。。。。。。。
日経新聞』(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG210R50R21C24A0000000/)

「パーキンソン病、腸内細菌で治療 順天堂大が患者移植へ」
2024年10月21日

順天堂大学は21日、2024年中にもパーキンソン病の患者に健康な人の便から取った腸内細菌を移植すると発表した。腸内細菌の乱れとパーキンソン病の発症リスクが関連するとの研究があり、今回の臨床研究で移植の治療効果や安全性を確かめる。
パーキンソン病は手足の震えなどの運動障害が起きる難病で、進行すると認知症になることもある。病気の仕組みに作用して進行を抑える薬はまだない。順天堂大の服部信孝主任教授は21日の記者会見で「腸内細菌移植でパーキンソン病の進行を緩やかにできれば、認知症の発症を抑えられるかもしれない」と期待を語った。
スタートアップのメタジェンセラピューティクス(山形県鶴岡市)と共同で、パーキンソン病進行期の患者約30人を対象に臨床研究を実施する。抗菌薬で患者の腸内細菌をいったん除き、半数には健康な人の腸内細菌を含む溶液を内視鏡で投与する。残り半数には細菌を含まない溶液を投与する。
投与から約2カ月後、パーキンソン病の症状を示すスコアの改善の度合いなどを調べ、細菌を投与しなかった患者と比べて治療の効果を検証する。近年の研究により、パーキンソン病患者は腸内細菌のバランスが大きく変化していると分かってきた。腸内細菌の乱れが一因となる腸炎により、パーキンソン病の発症リスクが高まることも判明した。
人の腸内には1000種類以上、約40兆個の腸内細菌がすんでおり、代謝物などを通して人体と密接に関係している。腸内細菌を移植する治療法の研究はパーキンソン病以外でも進む。
23年には順天堂大などが潰瘍性大腸炎患者を対象に先進医療を始めた。24年8月には国立がん研究センターと順天堂大、メタジェンセラピューティクスが、がん患者に腸内細菌を移植してがん免疫薬の効果向上を狙う臨床試験を始めると発表した。米国では22年、病原性の腸内細菌による大腸炎の治療法として承認された。

(転載終)
。。。。。。。。
これは、腸内細菌そのものの注入なのか?数年前の佐古田三郎名誉教授のYouTubeでは、既に「便移植」として米国の実験を紹介されていたが、患者が死亡したために中止になった、とのことだった。
そもそも、カプセルであろうとなかろうと、他人の腸の細菌を移植するなんて……。それでも、少しでも症状が緩和するならば、という患者もいるのだろう。

(https://x.com/ituna4011/status/1848317650818203955)
Lily2@ituna4011
この話、アメリカかどこかが実験して、死亡事故になったと聞いたが?
7:57 PM · Oct 21, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1848684702317850779)
Lily2@ituna4011
この路線でいくと、名古屋大学の平山正昭教授らの2011年頃からのゲノム研究の応用編ということになるか?但し、その頃、順天堂大学では、PDは脳神経の病気だという話が大半ではなかったか?
8:15 PM · Oct 22, 2024

(2024年10月22日転載終)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

PD友の会 in 大阪 (1)

昨日の午後、大阪駅前第2ビル5階の大阪市立総合生涯学習センター研修室で開催されたPD友の会大阪府支部の会合に行って来た。送られた会報を見て、4月25日か26日の夕方、電話で参加を申し込んでおいたものである。

比較的遅れて連絡したにも拘わらず、受付にあった名簿にはきちんと「あいうえお順」に名前が掲載されていて、そういう点、(さすがは大阪府支部)と思った。(修論作成の時に、全国のPD友の会の支部活動の様子を調べてみたが、地域差と人的流動が大きい。殆ど開店休業状態のところもあれば、病院内か公的施設に所属している県もあった。また、休会中の地域が増加してもいる。)

大阪府のPD友の会の会場は、会合の目的に応じて、難波や阿倍野等、毎回いろいろと変わる。今回の大阪駅前ビルは、PD友の会の定例行事用に確保されている。修論のリサーチも兼ねて、これまで二回程行ったが、この頃では駅周辺の大規模開発のために高層ビルがニョキニョキと立ち並び、景観が悪くて到着までに時間もかかる。

昨年は大学院のゼミと修論作成に集中していたため、全部お休み。この度、2年ぶりにお目にかかった知己の患者さん達が、一様に進行していて姿勢傾斜がひどくなり、目が真っ赤に充血して形相が変わっている人までいて驚いた。2022年7月下旬には東京でのPDコングレスにも元気に参加されていたのに、である。但し、この方々は記憶力が保持されていて、私が名前を名乗るとすぐに思い出して会話ができる。外見の大変さと内面の記憶コミュニケーション力とのギャップ、これもPD患者の特徴かもしれない。

講演内容の詳細は後程。まずは、メモ書き程度に雑多な感想を。
。。。。。。。
1)当時購読中だった『朝日新聞』の家庭欄でPD友の会大阪府支部の記事を見て、進行性疾患である将来を考えて、私が入会を申し込んだのは、2002年5月のこと。会員歴は丸22年になるが、遺族会員としては4年になる。

最初は主人一人が果敢に出かけて行った。「僕がこんな病気になったから、家内はすっかり変わってしまった」等と、私のことばかり話していたそうで、「(どんな奥様かしら?)と思っていたのよ」と、ずっと遺族役員をされている今は80代の女性(御主人が若年性PDだった)が笑いながらおっしゃったことを、時々思い出す。

2)(終了後に受付で尋ねたところでは)会場参加者が78名。それに加え、今回初めて試みたZOOMの視聴者が32名だったという。合計110名の参加者(大阪府支部会員の五分の一程度)ということになるが、支部総会の後から入室した人々も多かった。

ZOOMに関しては、講演を聞きたくてもなかなか会場まで出て来られない人を配慮してのことであるが、昨今増加中の若年層会員からの知恵でもある。そこは、一歩前進ではあった。(一般に高齢者に多い疾患とされているPDでは、会合を継続しているうちに、どうしても発想がマンネリになりやすい。)怪我の功名ではないが、2020年1月以来のコロナ感染症問題のおかげではある。

但し、「患者の中にはZOOMの使い方がわからない人もいるので、何とか工夫してほしい」という挙手が、比較的若い中年女性から上がった。
この種の発言が自由にできるのは大阪府支部の良い点だが、主人や私のような者からすると、「だから患者会には行きたくない」ともなってしまう。なし崩しに話のレベルが低下していくからだ。一人暮らしで孤立している患者や、PD患者特有の我儘や視野の狭さ(拘りが強く、几帳面でプライドが高い)に対する配慮の必要はあるものの、「全ての人が満足できる」ような御託を文字通り受け留めて実践しようとすると、とんでもないことになってしまう。

・ZOOMは、パソコンさえあれば、操作手順に慣れるのは簡単だ。受信する側なのだから、操作手順を紙に書いてもらって、何度か事前に練習する他ない。
・講演内容を録画されているならば、講師の許可を得て、操作に手間取って遅刻した人でも参加できるような仕組みにすればよい。
・パソコンを使わないか、持っていないないならば、月遅れで(講演者たる神経内科医のチェックを通して)会報に要旨が掲載される(予定な)ので、それを読んでいただきたい。
・それも不可能な状態ならば、恐らくケアマネさんがついているはずなので、ケアマネさんの采配次第、ということになる。

今回のような専門性の高い講演内容を理解したいと願う程度の患者ならば、最低限それぐらいの生活力は自分で保持しなければならない。それも「精神面でのリハビリ療法だ」と、私は思う。
(国会図書館から集めた多数の医学論文を含め、計1256本の資料を使って修論を書き、今春、若年性PD患者をテーマに修士号を授与された途端、自分のPDに関する所見に活力のような自信が漲って来た。これはありがたい効果である。従来の患者会では、「みんながあなたのような恵まれた立場ではないのよぉ」「大学の先生の言うことなぞ、当てにならん」等と、妙な平等意識から、抑えつけられる雰囲気が少し漂っていたからだ。(参照:2023年7月21日付「公明党と難病患者会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5370&action))

3)講演内容は、恐らく私の想像では、京都大学医学部かどこかのPD導入講義で使ったものの組み合わせではないだろうか?

というのは、今回の講師謝礼は「先生ご自身が辞退され、ボランティア講演となりました」ということで、会場から拍手されていたからである。
私が修論で使ったような、あるいは、修論作成のために見かけたような、英語による海外論文が多数引用されてもいた。「ちょっと難しい話になりますけど」と前置きされながらも、確かに専門性の高い内容ではあった。逆に言えば、私の修論でさえも、全くの素人(患者家族)の割には、修士レベルなりに「専門性が高い」ものだったのかもしれない。(今の医療福祉の博士論文は、「昔なら卒論レベルである」と言われている。)

若い医師は往々にして、詳細なところも一気に患者会に伝えようとする。まだ匙加減が手探りだからでもあろう。あるいは、患者会の役員が講師にどのように事前伝達したか、でもある。それに昨今では、会合内容が、(今私がしているように)電子空間で一瞬のうちに口外されてしまう。それは止めようのない現代社会の宿命ではある。そうすると、神経内科専門医の間で一種、情報伝達上の競争にもなり得る。

但し、会場の患者さんが挙手して「今回の講演内容、とてもよくわかりました」と公言する度に、私は内心(プライドが高過ぎる)と、いつでも思っている。その患者の病前の人生経歴を察するに、それほどの知的生活をされていたとは、態度全体から(失礼ながらも)到底思えないからだ。闘病生活で患者が抱えている種々の悩みと、「専門性の高い」講演を聞いた直後の「理解できました!」発言の間で垣間見えるギャップの大きさが、私をしてそのように感じさせる。

恐らく、主人も特に進行期に入ってからは、会社(先端総合技術研究所)でそのような態度だったのだろうと、私は想像している。病状の進行に伴い、身体の苦痛は増す一方で、意識そのものは、どういうわけか、若くて‘健常’だった頃のまま止まっているからだ。実際にはできないことでも「頑張ればできる」と思い込んで、仕事でも「できます」と公言してしまい、その結果、依頼退職になるというケースも以前からよく耳にしている。

ただ、我が家の場合は、若い頃の業務内容から、周囲が上手に本人を傷つけないように守ってくださっていたのだ、と私は考えている。だからこそ、周囲の心配をよそに、他の同僚と一緒に伊丹への転勤を自ら強く希望したのだ。そして、転居後は、伊丹での環境の変化に戸惑い、現実に直面したことから急激に精神症状が悪化したのだとも考えられる。勿論、長年、体内で蓄積された薬剤の副作用が発現した時期とも重なっていたのだろうが。

同時に、患者心理として、「自分はPDなんかに負けるもんか!」みたいな勝ち気な面もあるとは思う。全国版PD患者会の冊子を見ると、わざわざそういう患者態度を「前向き」だとして奨励しているケースがあった。

我が家の場合も、「PDのこと以外は通常の社会生活を営んでいる」と、自他共に認められたい気持ちがあったことは確かである。振り返ってみても、患者としての主人は、実際、家庭的にも社会的にも本当に長い間しっかりと頑張っていた、と思う。

とはいうものの、2022年4月から2年間の大学院ゼミでも、その他の場所でも、私はいつでもどこでも、「私は素人です」「何も知りませんでした」「知らなかったんです」とバカ正直に答えていた。「初期の頃の複数のベテラン医師を除けば、進行期から終末期にかけての大学病院外来の女性主治医から、それについて具体的に教えられたことはありませんでした」「知らなかったので、次々と目の前で出現する事態に、びっくりしながら一つ一つ対応する他、方法がなかったのです」と繰り返していた。「わかります!」「よく理解できました!」等、口が裂けても専門家に対しては言えない。

というのは、主人もそうだったが、私自身、一応はリサーチ研究者だ(った)という意識があるからである。自分が知っていることと知らないこと、理解できたこととできないことの正直な判別が研究の出発点である、という基本中の基本だけは、20歳前後から大学で叩き込まれて来た。

従って、「脳の病気=知的理解の低下」と他人に思われるのが嫌で、「私は認知症ではなく、PDによる運動症状が主訴で、知的には問題ないんです」とわからせたくて、「理解できます」「よくわかりました」と、患者が安易に人前でも言ってしまうのではないだろうか。そのような背景は、周囲も充分に弁えておく必要があるかもしれない。

4)パワーポイントを使っての講演は、iPhoneで写真を撮ったので、後で整理して文章にまとめる。
。。。。。。。。
質疑応答の時間になり、私は3番目に挙手した(後述)。

その前に質問した女性患者は、「後期高齢者」だと自称することもあってか、だらだらと自分の多彩な症状を訴えて「先生の助言をいただきたい」。

この種の患者会合で目立つ、いつもながらのパターンであった。一人当たり5分から15分程度の外来診察時間内におさめきれない程のPD特有の日常生活の困難に関して、自分の主治医と充分に話ができないため、不満が残存していることの反映である。但し、悩みそのものは既に傾向として集約されている感があり、手引集のようなものを作って患者会で配布するという方法も考えられよう。しかしながら、個人差が大きいのもPDに特有とされており、全てを網羅することは不可能である。

薬と食事(バナナやヨーグルト)の飲み合わせ時間やタイミング等は、自分の体調を観察しながら自分で工夫していく他ない。また、年齢が上がって症状が進行するにつれて投薬数も増えていくが、そのために複数科を受診しなければならない不便さやポリファーマシーの害については、講師そのものに訴えるよりも、直近では薬剤師に訴え、広範囲には患者会で意見をまとめて、厚労省なり医師会なりに直訴するしか方法はない。「連携してほしい」と訴えるものの、連携に伴う新たな問題の複雑さについて、質問した患者は全く想像外のようである。

私からの意見としては、「禁忌事項以外は、主治医に指示されたことを基に、自分で自分の体に責任を持つべきである」。

その点、我が家の夫患者は、私にとって大変に楽であった。例えば、1998年秋に診断を下された後、2005年頃から早々と「介護用パジャマ」を自分で探して買ってきた。朝食メニューも、「仕事が長く続けられるように」と、自分で本やインターネットでアイデアを探して食材を買ってきた。(私に作ってほしいものも、さり気なく台所や冷蔵庫に置いてあった。)各地で産出されている玄米の注文も、家事分担として、進んで自分でやってくれていた。毎朝、私よりも先に起きて自分で「朝食」を作って、NHKラジオでニュースを聴きながら食べて、一人で着替えて出勤準備をしていた。これは、伊丹に転勤および転居するまで、少なくとも2018年秋頃までは続いていた。私が作る食事には一言も文句も言わずに、いつでも信じ切って全部食べようとしていた。

こうしてみると、若年性ではあってもかなり軽度ではあった上、自律性の高い患者タイプではあったかと、今振り返っても感じる。

命取りになったのは、アゴニスト系のPD薬剤を、阪大病院の(よそから出向していた)外来の若い女性主治医が、(付き添いの私の話も聞かずに)グローバル基準で最大限投与し続けた結果の精神症状(衝動制御障害)であった。(これが今回、学位授与された私の修論テーマである。)家庭で見ている私以上に、会社の同僚や上司の方が遥かに早くから、「薬が合っていないんじゃないか」と心配されていた。(だから、医原病ないしは医療社会問題であろう。)

患者会では、「うちは玄米なんてダメ。せいぜい発芽米かな」「夫とは好みの違う子供達のメニューを二通り作らないといけなくて、毎日が大変」「若年性患者の夫に対して、子供達三人とも一切関わろうとしない」「子供の受験と夫の介護入院が重なった」「配偶者の介護に親の介護も重なった」等、三重苦、四重苦のような問題蓄積を聞く。私の関心事でもあるせいか、特に若年性患者に目立つ。つまり、高齢者のPD患者とは、抱える悩みが本質的に異なる。

PDと診断された直後にではなく、ある程度、時間が経ってから患者会に入会することが少なくなさそうで、私が2022年の5月と6月に参与観察した「若年性家族会」では、50代の患者配偶者が数名揃っていた。自己紹介から換算すると、働き盛りの40歳前後で診断を下されて、最短でも数年は経っている。症状も配偶者の抱える悩みも、それぞれであった。(今回の会合には、その時お会いした方々は出席されていなかった模様である。)
。。。。。。。
ところで、私が入会した頃には「若年の会」が存在していなかった。上述の女性役員さんが、たまたま、42歳でPD診断を下された夫を持ち、和歌山の大学病院で定位脳手術を施されたものの、経過15年で、自宅に戻ったら椅子から転げ落ちて亡くなっていたのを発見したという経験を持つ方だったため、我が家は最初から何かと個人的にも支えられたのである。

以前、電話で聞いていた話では、私の記憶に間違いがなければ、発病後何年か経って御主人が会社を依頼退職になった。それでもハローワークに行って「仕事する、仕事する」と執拗に言い張り(これはPD患者によくある頑固さと拘り、そして夫あるいは男性としての社会的生き方の問題)、毎日喧嘩に。そこで、それまで働いたことのなかった奥様だったその女性役員さんは、「だったら私がパートに出る」と出かけて、帰宅したところ、御主人が変わり果てた姿だった、という。「長い間、なかなか人には話せなくてねぇ」ともおっしゃっていた。

だからこそ、患者会のボランティア役員として長年、活動されているのだ。亡くなった御主人に対する最大の供養であり、未亡人としての生き甲斐にもなっているからであろう。

お話を伺った後は、ありがたい教訓として受け留め、主人が在宅中に自分が外出したり外泊(学会等)したりする時、私なりにいろいろと気をつけるようにしていた。

ところが、後に私がその話を持ち出したところ、その女性役員さんは、「ううん、うちは会社、辞めさせられなかったわよ」「主人が亡くなった頃は、娘の結婚や出産が続いて、それどころじゃなくてね」と、話がすり替わっていた。

以前から繰り返しているように、私はいつでも電話の会話をメモしながら聞く。そして、自分の備忘録か家計簿に記録する習慣がある。几帳面な性格だからではなく、自分の記憶力にそれ程自信があるわけでもないからである。そして、周囲から騙されないようにするための防衛策である。

それ故、私の勘違いでない限り、恐らくは最初に聞いていた話の方が事実に近いだろう。それでは、なぜ話がすり替わったのか?
多分、我が家が最後まで会社に籍を置かせていただいていたこと、長期入院中も毎月給与が充分に支払われ、なんとボーナスまで支給されていたこと(これは阪大病院の主任教授もびっくりされていた)、出身大学の成績(首席卒業)や会社で主人が若い頃に築いていた人間関係や業績(社費による米国留学と米国駐在経験、そして特許論文数)のお陰で、その後も私自身が何かと助けられ、特に経済面では大きく支えられていること等を、私が話したからであろうかと思われる。(2024年5月14日後注:主人の母校は、7ヶ月後に荘厳な慰霊祭までしてくださった!)

この女性役員さんは私の母親と同じ世代。当時は介護保険等もなく、PD患者の診断そのものにも時間がかかっており、高価なPD薬のために医療費負担がとんでもなく大きかった時代である。ケアマネさんに頼ること等、考えもつかない頃で、家族が丸抱えで世話をし、面倒を見なければならず、しかも、献身的に尽くすのが美徳だとされていた時代であった。

つまるところ、同じ疾病ではあっても、皆が同じ経験をするわけではない。結局は、患者自身が発病前までにどのような体質や生活習慣(食事や睡眠や運動等の自己規制)をしてきたか、その人が本来有している素質(人となりや人間関係の構築力や仕事に対する姿勢と成果、そして職場の理解等)がどのようなものであるか、三世代前からの両系の家族親族関係はどうであったか等が、闘病過程を大きく左右するのである。

我が家が入会した頃の支部長さんも、やはり若年性発症であった。家族関係の密な方のようで、御主人が会社を辞めさせられた後、娘さんが「リベンジ」として同じ会社に入社したらしい。我が家よりも早く診断を下され、一度、お電話でお声を聴いた限りではかなり進行していたが、我が家よりも長生きされている。(が、最近の様子は全くわからない。)

さまざまな人間模様であるが、大阪府支部で話を見聞する限りにおいて、我が家は相当に恵まれた部類に属するようではある。

衝動制御障害の精神症状も、最も深刻で社会的にも本当に大変だった期間が、実質1ヶ月1週間と比較的短かったことが大きい。また、終末期近くに差し掛かった頃、突然、「弟ですから」「母が心配しているので」を口実に、病院や施設や警察や家庭裁判所等、どこにでも決然たる顔つきで出没し、あちこちでトラブルを起こしていた義兄のバカげた振舞い(私に言わせれば、未必の故意に相当する殺人未遂もどきである!)についても、第三者たる公的機関の全てが私の味方であり、全面的に私を擁護する側に回ってくださった。

他方、義母の精神的な依存心や鬱的傾向、義兄のバカげた非常識な行動等の傍迷惑な態度が、患者にとって長らく精神的物理的に大きな負担と心理的社会的な負い目になっていたことも確かだ。PD予後を左右するのは患者の血縁家族次第という点があり、発症由来には家族にも責任がある。その点に関しては、医師や看護師や保健師やケアマネ等の専門家が、充分な配慮の上で、最初から個々人に警告を発することが必要ではないか、と再度ここで繰り返しておく。

(2024年5月14日後注:義兄のことは、義母が2017年秋にも「クリスチャンは非常識だ。非常識なのがクリスチャンだ」と私の目の前で何度もぼやいていたが、当時はその含意するところがよくわかっていなかった。後になって終末期の一連のトラブルを振り返ってみると、「弟は小さい頃、元気いっぱいだったのに、結婚してからあんな病気になった。それは嫁が悪い」と私の悪口(というよりも、あることないこと一切合切)を血相を変えてどこでも言い触らして回っていた。言うまでもなく、救急科のドクターも若いケアマネさんも看護師も介護施設の職員も警察も、誰もが信じようとしなかった。当たり前だ!むしろ「そんな対応でいいんですか!」と警察が厳しく追及したところ、ガチャンと電話が切れた、という。)

だからこそ私は、一症例としての患者の実態を、入院した全ての病院から集めた電子カルテ(6病院)と、二冊のお薬手帳と、家計簿や健康ノートや患者会の冊子(入会以来の全冊)や相談会の記録等から抜粋して、二部立てで修士論文に含めることができたのである。勿論、義兄の愚かな振舞いもしっかりと書き込んだ。再発防止の社会啓蒙意識からである。(こんなところで「個人情報保護法」なんか持ち出すなよ、馬鹿もん!)
。。。。。。
すっかり長くなったが、私が今でも患者会に連なっている理由は、お世話になったことの恩返しに加え、この度の修士論文に関するテーマ補強とその発展を願っているからでもある。(このブログ書きも、経験と思考の整理を目的としている。)

今年3月23日の東京での学位授与式に、義母から譲られた色無地の和装で出席した写真数枚を、休憩時間にその遺族役員さんに見せたところ、「喜んではるわぁ」と言われた。そして、藤原市長様から任命された「伊丹市保健医療推進協議会」(参照:2024年2月29日付「伊丹市保健医療推進協議会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6638&action))の任期2年の委員についても、「すっかり伊丹の人ね」と。

誰が「喜んでいる」のか?義母を含めているかもしれないが、恐らく主人を指しているのだろう。結婚してから26年以上の月日に、私がしてきたこと、今していること、今後する予定である事柄全ては、出会った初日から主人が全面的に賛成し応援し、いつでも励ましてくれたことであり、今でも主人が喜びそうなことの路線上にある。何事もそれに沿うことは、私にとって最も無理なく自然であり、社会倫理上も経済的にも安全だからだ。

「介護が終わったから、これからは私の人生よ!」と、リベラル左派の『朝日新聞』や『毎日新聞』の家庭欄や『婦人公論』等が、軽薄にも勇ましく掲載し続けているが、こんな「女の(身勝手な)生き方推進プロパガンダ」は真っ平ご免である。逆に「今後は、ゆったり楽しく好きなことをすればいい」という、ありがたくも傍迷惑な助言は、これまた私に合わない。
。。。。。。
遺族役員さんに尋ねられた主人の母については、卒寿を超えているが長らく寝たきり。昨日はちょうど母の日だったので、3月14日に郵便局のカタログからお花を送っておいた。義母には、年に5回(誕生日、母の日、お中元、敬老の日、お歳暮)と、ちょうど2ヶ月おきぐらいに、カタログを通してプレゼントを送っている。

但し、義兄の起こした連続トラブルと振舞い(事実無根の嘘ばかりの反論書)を理由に、2020年7月30日に調停が開かれた大阪家庭裁判所から、私は今後一切、義母の面倒をみる必要はない、と法的効力を持つ文書にまとめられている。従って、誰からも私の生き方に関して疑義を問われることはない。

こんなことを書き記すのも、男女問わず、(PDや認知症等を含む)神経変性疾患や脳梗塞や精神病等、脳の病気だとされている患者を取り巻く人間関係について、不当に貶められ、一方的に負担をかけられている人々に対する何等かの助けになればと願っているからである。

幸いなことに、ここ2,3年の間に、地域医療を担っている神経内科の専門で先進的あるいは献身的なお医者さんの中には、ただ患者のみを診るだけでは終わらなくなってきた、という方も現れている。そして、日常的に世話をしている配偶者すなわち「介護者」(‘caregiver’の直訳語)の対応に問題があれば、厳しく注意をされるようにもなっている、とご自分でおっしゃっている。あるいは、遠方から突然やって来る「患者よりも困った家族(特に「東京娘」)」についても、はっきりと具体的に言及され、時には叱責もされるらしい。さらに、十人十色であるケアマネの資質についても、現場評価が最も重視され、医療福祉の会議等で噂となって広まるという、(私にとっては誠に)好循環が芽生えているようである。

つまるところ、細かな法的問題を整え、社会全体で患者負担を担っていくという社会主義的な手法が20年以上経ってほぼ定着した昨今、やはり結局は、原点である人間の習性に回帰して闘病経過が決まっていくという、ある意味では常識的なところに集約されつつあるか、ということである。

うちの主人は、最期は人が変わったように精神症状で滅茶苦茶になった。しかも義兄のせいで、患者本人の人的評価まで「厄介な人」扱いにされてしまっていた。

居たたまれなくなった私が主人の来歴を手短かに伝えると、入院していた療養型病院の主治医が「そんなに‘レベルの高い’患者だったんですか?」と仰天。そして、「では、自分の手には負えないから、もっと‘優秀な先生’のいる病院に転院させる」とおっしゃった。

ただ、当時はコロナ問題が緊張のピークだった2020年3月であり、病院の手続きそのものを新しく繰り返すのも過重負担だったため、患者会の上記の遺族役員さんと電話相談の上、私自身がこれ以上の転院を断った。(昨今では「介護者が倒れたら、みんなが困る」を合言葉に、不治の患者よりも(一応は健康な)介護者を重視する、換言すれば「命のトリアージ」の傾向がある。)

ところで、今年1月8日に行われた東京での修論口頭試問では、プログラム長である副査の教授(その時、私が初めて知ったことには、教授自ら「実は神経内科医」だと言われた!)が「我々神経内科医は、家族も見ています」とおっしゃった。

しかし、どこまで家族問題に踏み込めるかはケースバイケース。熟練した医師でなければ、逆に患者家族から訴えられかねない。また、我が家の事例のように、若い医師は、患者以前にパソコン画面を見ている傾向がある。あるいは、患者を診ているつもりでも、付き添い家族とは目も合わせないケースがある。パソコンへの入力内容も、果たしてどこまで正確なのか、私は相当に疑っている。(そのことも、電子カルテと書類のコピーを貼り付けた健康ノートを証拠に、我が家の誤記内容と医事課への苦情申し出を、修論に具体的に書いておいた。)

それを踏まえた上でなおかつ、自分自身の経験に基づく私見では、無茶で非常識な患者家族や親族から医療福祉関係者を守る法的措置を整えた上で(実際には、病院や医師を守る立場にある医療弁護士が存在するはずだ)、やはり、社会的専門的権威をフルに行使して、馬鹿げた非常識な家族については、医師がはっきりと社会医療上の警告をすべきだろうと思っている。その方が、無暗な問題の拡大を防止できる可能性もあるからだ。そのために、メディアや学校や大学は、憲法の個人の権利ばかり主張せず、民法の義務行使もドッキングさせて、国民としての一般教育に努めるべきであろう。そして、違反した場合の罰則も定めておくべきだ。それが抑止剤にもなろう。
。。。。。。。
さて、講演の後、質疑応答の三番目に挙手して私が質問した事柄は、若年性PD患者についてであった。

問い:「ありがとうございます。私の夫は38歳で若年性PDの診断を受け、4年前に亡くなりました。最近では、この患者会でも若年性患者が増えていると聞きます。先生は、その原因を何だとお考えでしょうか?」

私が質問することについては、事前に上述の遺族役員さんにも了承を得ておいた。その方が何かとスムーズに運ぶ。PD患者がいなくなった今や、自分が馴染んでいた元の日本社会の通念実践(根回し)が取り戻せているか(と思う。)個人差があるとはいえ、PD患者には概して、発言にも思考にも行動にも、突発的な突進状況が時折、観察される。我が家の夫も、今振り返ると、(結構、大胆だったな)と思う面がなきにしもあらずだ。とりあえず、私に関しては問題なく済ませられた点、感謝以外の何物でもない。

そして、話は前後するが、終了後の挨拶で、その遺族役員さんが「いい質問だった。聞いてくれてよかった」と褒めてくださった。(やはり、放送大学大学院から修士号を授与された経緯が効力を発したと、私は思う。)

ところが、講師の応答は、私にとっては古臭く定型的で、あまり発展性がないと感じられた。(ここでも、修論作成のプロセスがモノをいう。)それ以上に、そのような答えでは、参加している患者と患者家族を心理的袋小路に追い詰めるようなものでさえある。(ここは学会じゃないんですから、気をつけてくださいね、先生!)

答え:PD罹患率を調べた2015年のノルウェーの論文を引き合いに一言、「若年性は遺伝的原因ですね」。

私に言わせれば、「それは古い回答だ」。

第一に、海外論文の引用に関しては、果たしてどこまで日本人の体質や病態に合致するかの充分な検討なしに、簡単には適用できないはずである(グローバル基準の弊害)。
第二に、随分昔、順天堂大学の水野美邦先生や服部信孝先生らが精力的に研究されていた遺伝性PDは、結果的に主に家族性発症の場合を指すとされた。家族歴のない孤発性の若年PD発症は、恐らく(未確定の)幾つかの環境要因が複合的に重なっているのではないか。

以上の二つの理由は、私が勝手に考えているのではない。阪大医学部名誉教授で、主人が最後まで最も信頼していた阪大病院の外来主治医の佐古田三郎先生も、2023年2月に開催された神戸での講演会で、私の質問に対しておっしゃっていた回答である。

患者会なので、そこでは「ありがとうございます」と、私はあっさり引き下がった。

帰りがけに、偶然にも講師の先生とエレベーターで一緒になってしまった。愛嬌のある若い眼鏡のお兄ちゃん先生、といった感じで、今でもインターンとして充分に通りそうな風貌である。そこで念押し気味に、私の方から「先生、先程はありがとうございました。やはり、若年性は遺伝が原因ですか?環境要因ではなくて?」と尋ねてみたところ、キョトンとしたように、それでも「遺伝でしょうねぇ」と一言。そして、ペコリと頭を下げて、そそくさと出て行かれてしまった。

何か先生、どこかにやましいものでもあるのでは?
2022年5月に若年患者の夫を持つ奥さんの話を聞いて以来、私はどうしても北野病院にいい印象を持てない。後半期の外来女性主治医は問題外としても、我が家は阪大病院でよかった….。

講演内容については、項を改めて後に記す。

(2024年5月13日記・2024年5月14日部分加筆修正)
……….
2024年5月16日追記1

恐らく、新入会員以外の総会出席者は、上記の私の見解に同意されることだろう。

その理由は、年4回程発行される『全国パーキンソン病友の会会報 大阪府支部だより「きずな」』No.126(2023年9月)にある。
お名前は伏せるが、病歴27年の若年性PD患者で50代前半の女性に関する記事が掲載されていた(p.26)。

彼女には御主人と娘さんとお父様が一人ずつ、妹さんが二人の家族構成。大変に前向きな性格らしく、病歴経験を振り返りながら『パンダ通信』(第一号のみ)を発行された。自ら患者会に応募されたので、若年患者の参考になればと、会報の1ページを使って紹介されていたのだ。

記述は、よく調べた上で簡潔にまとめられている。私には正確な内容だと感じられる。
*****
【若年性パーキンソン病】

・現在1000人に一人、65歳以上では100人に一人が発症。
・PD患者全体の10%程度は40歳以下で発症。
・親からの遺伝性(家族性)は5%程度で、遺伝子異常が原因。
・若年性は、一般的に進行が緩やかな特徴がある。
*****
そして、「進行は20~30年、50年以上かけてゆっくりと進行する」と付記されていた。50年以上というのは初耳だが、30年以上の病歴という記録は、本邦の古い論文にも記されていたので、私でも知っている。その場合、患者の身体的心理的精神的および社会的苦痛と不安、長引く介護をする家族への充分な配慮と経済面の支援の両方が必須であろう。

ともかく、若年性PDはPD患者数全体の1割しか存在せず、その中の5%のみが家族性つまり遺伝子原因のPD発症である。これは、私の理解とほぼ一致する。

先生、おわかりでしょうか?

彼女はこの度、DBS(深部脳刺激療法)の手術をされたそうだ。だからこそ、いそいそと『パンダ通信』を発行する決心に至ったのであろう。

実は我が家も一度、女性主治医からDBSを勧められたことがある。いつもは本を見ながら、おずおずとした様子で「診察」されていたのに、その時になって突然、生き生きと語り始めた姿が印象的だった。まるで、「(待ちに待った)研究データがこれで一つ増える!」と期待していたかのように、である。しかも「皆さんやっていますよ」と、単純にプラス面のみ強調していた。さっさと診察室の机上の電話を取り、職員に連絡までされたスピードの速かったこと、速かったこと。今思い出しても恐れ入る。

だからこそ、私は不信感がますます募ったのである。その後の説明会では「阪大ではなく大阪市立大」が手術を担当されるとのことで、主人も私も挙手して、それぞれに質問をした。その結果、主人自身が「頭に穴を開けてまで手術をして、会社なんかには行けない」と拒否した。私も、無理な細工を施して悪化した場合の責任は一体誰にあるのか等と考えて、結局は辞退した。

電子カルテには、我々夫婦が共にDBSを拒否した、と簡潔に記されていたのみだった。た、我々が拒否した理由さえ問われたことはない。

2022年の春から2年間かけて、修論作成のためにDBSに関する神経内科学会の論文を集めていたところ、愛知県の大学病院の先生が、「手術のメリットとデメリットの両方を患者の納得のいくまで説明しなければならない」「安易にDBSを勧め過ぎている医師や病院が存在することの危惧と懸念」を滔々と綴っていらしたのを発見した。DBSの結果、自殺者が出た事例もあり、精神症状がむしろ悪化した事例が少なくない、とのことだったからである。

手術は体のどの部位であっても恐ろしいものだ。脳内ならば、なおさらである。やはり辞退して正解だったと思った。

女性主治医は、いつでもメモを用意して診察室に一緒に付き添っていた私と滅多に目を合わせようとせず、従って、患者本人が自分では気づいていない日常的な衝動制御障害について、私からの話を聞こうとせず、安易に受け流して同じ薬を投与し続けた。そんな医師が、やたら生き生きと一方的に夢を持たせるような手術を勧めるなんて、と今でも腹立たしく思うところである。(その点も、修論で触れておいた。)

PDに関しては、メディア報道と医学上の国際競争もあるために、やたら肯定的な側面ばかりを前面に出した「治療法」を喧伝しがちである。遺伝子治療しかり、iPS細胞しかり、疾患修飾薬しかり、である。苦痛から逃れたい一心で、少しでも新薬や新しい治療法(といっても完治は見込めない)を耳にすると、患者はすぐに飛びつく。情報に接するだけでも、あたかも治るかのような期待と夢を過大に抱いてしまうのだ。

外来診察でも「先生、どうにかなりませんか?」と問う患者が少なくないそうだ。中には、最新の海外論文を持参して、外来担当主治医と1時間も討論までする患者がいるそうだ。その場合、多忙な医師の負担や他の患者への迷惑を全く顧みる余裕さえないようである。こういう「場違いな前向き」患者を会報に掲載してしまう患者会にも、問題がある(が、今までのところ、私以外、不満の声を上げた人は皆無のようである。)

私に言わせれば、患者適用まで相当に時間がかかり、新たな副作用も懸念され、単なる生命時間の引き延ばし術に過ぎないものを「治療法」と名付けているのは、罪悪でさえある。

もっと確実な方法は、出来る限りPD薬の量を安易に増やさない期間を少しでも延長する工夫をすることだ。また、よく体を動かし、お菓子や片寄った食材を減らして、玄米食や野菜果物等を増やすようにし、充分な睡眠を確保することで、進行を緩やかに、遅くする。そういうことに専念した方が、余程かましである。そして、生き長らえて何をすべきなのか、よく考えることである。

(2024年5月16日記)
………….
2024年5月16日追記2

今年の4月からは放送大学教養部の計6科目を受講しているが、その中の1科目である2021年開講の「疾病の回復を促進する薬」講座には、計3課分をPD研究専門で高名な順天堂大学大学院教授の服部信孝先生が担当されている。精神疾患(鬱病・躁鬱病・統合失調症・てんかん等)と神経変性疾患(パーキンソン病・認知症)のような末梢神経や中枢神経に作用する薬と副作用について、大変詳しく、印刷教材(「テキスト」と先生は仰っている)を読み上げる形式ではなく、聞き手の若くて綺麗で意欲的な女性との当意即妙のアドリブを加えて説明されている。

(2022年7月下旬に東京で開催された第4回PDコングレスにて、初めて私は服部信孝先生にお目にかかった。前日までの数日間、神経内科学の学会があった後だそうで、ラフなシャツ姿で、壇上にて挨拶と司会のようなことをされていた。「ここからコロナを一人も出さないようにしよう」とリーダー格のお医者様らしく宣言されていたことと、若年発症でPD歴37年の車椅子の首下がり男性患者に対して、親しみを込めて何かにこやかに話しかけていらした姿が印象的だった。勿論、修論のために服部先生らがその昔、厚生労働省に提出された研究論文や医学講演等の文献は、相当数、集めて読み込んだ。順天堂大学の先生方は恐れ入る程、こちらが知りたいと願っていた事柄に関して、おさおさ怠りなく隈なく調べ上げて論文に言及されている点、あっぱれといった感じだった。ちなみに、『国民のための名医ランキング』という本には、毎回連続して神経内科学の名医として服部信孝先生が掲載されている。)

さて、その講義の中で、先生は「若年性PD」を「20歳前後」と明言されていた!人生100年時代と言われる現代を踏まえて、「80年も薬を飲み続けなければならない」と。
本邦の振戦麻痺患者(現在の診断基準によれば、必ずしもPDとは限らない)には、6歳や10代、20代の人が含まれていた古い論文を私も入手している。従って、服部先生の「20歳前後で発症するPD患者」言及そのものには全く問題はない。但し、100歳まで生きるPD患者が本当に存在し得るかどうかは、かなり怪しい。

(2024年5月16日記)

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若PD患者の嚥下問題

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787774864423534896)
Lily2@ituna4011
確かに、喉によくつかえて咳込んでいました。今頃になって、トロミをつけたり、水に溶かして飲ませたりすればよかったかしら、と反省。 私達の頃は、そういう指導さえ、主治医から全くありませんでした。修論のために文献を調べてみて、ペットボトルに水を入れ、PD薬を溶かして少しずつ飲んでもいい、
6:21 PM · May 7, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787775103314641136)
Lily2@ituna4011
と書かれたものを見つけました。 主治医か薬剤師に尋ねてみてくださいね。
6:22 PM · May 7, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787775724306505986)
Lily2@ituna4011
ストローで少しずつ飲んでもいい、とも書いてありました。 当時は全く思いつきませんでした。
6:25 PM · May 7, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787801946260480365)
Lily2@ituna4011
自宅で砕くのは止めた方がいいようです。薬を小さくすれば喉に引っかからないかといえば、そうとも言えません。また、薬剤が変質して効果薄になる可能性もあるそうです。「水に溶かして飲んでもいい」と書いてあった資料は、L-dopaについてでした。順天堂の水野美邦先生の教えです。
8:09 PM · May 7, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787802741575925976)
Lily2@ituna4011
トロミ剤は、主治医ではなく、毎年の特定疾患受給証の更新期に、保健師さんから勧められました。ですが、その頃はまだ普通にどんな食事も何とか食べられていたので、リハビリのつもりで、私がトロミ剤を使わなかったのです。回復リハ病院に入院していた時、理学療法士さん達が、水にもトロミ剤を入れて
8:12 PM · May 7, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787803434781208945)
Lily2@ituna4011
いて、びっくりしました。入院すると、細かいリハビリ訓練のために体は多少動くようになりますが、院内で甘やかされて精神がダメになっていきます。食事も、柔らかいものばかり食べさせるために、どんどん我儘になっていきました。この辺りの微調整は、今でもPD治療法の課題だと思っています。
8:15 PM · May 7, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1787804527363764340)
Lily2@ituna4011
ちゃつみさん、修士論文が終わった今でも、私は看護学や疾病と薬について、放送大学の講義を受けて勉強していますよ。主治医は、付き添いの私と目を合わせようともせず、何も教えてくれませんでした。大学病院は研究データが欲しいだけなので、あまり当てになりませんでした。患者はモルモットです。
8:19 PM · May 7, 2024

(2024年5月8日転載終)

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老舗の訓えと神宮大麻

『致知出版社の人間力メルマガ』より

1)2024年5月8日

以前、『致知』で連載されていた「三百年続く老舗の訓え」。歴史の荒波を乗り越え、今日まで守られてきた訓えを紹介する連載
日本の饅頭の元祖・塩瀬総本家の川島英子氏
。。。。。
塩瀬の商売を支える家訓として守っているのが、「今日一日の事」と「崋山先生の商人に与へたる教訓」。いずれも、三十一代の渡辺利一が以前より聞かされていた渡辺崋山先生の遺訓を教訓として、家訓としたもの。

特に大切にしているのが「買人が気に入らず返しに来たら売る時よりも丁寧にせよ」というもの。クレームがあった時の対応は売る時よりも丁重にしなければなりません。どのようなクレームがきても言い訳をせず、不快な気持ちにさせたことに対してひたすら謝る。どれだけ遠方であっても、お客様の元まで即刻謝りに行くように。

また、菓子一筋に生き抜いた父の「材料落とすな、割り守れ」の訓え。材料が足りなければ代用するのではなく、売り止めにせよ、また素材の分量は決して崩してはならない、
というのが父の考え。そして戦後の物資不足の時でも「まがい物は作らない」と、その信念を頑なに守り通した。

塩瀬は、歴代の店主の方が暖簾だけはおろさないようにと言って、代々守ってきたお店。しかしいくら暖簾をおろさないと頑張ってみても、いい物を作ってお客様に可愛がっていただけなければ、店は続いていきません。
たとえ歩みは遅くともお客様を裏切るようなことはせず、「塩瀬のお饅頭はおいしいね」と言われるものを、正直に、真面目に作っていく。それが今日まで暖簾を守り続けてこられた理由ではないか。
…………………………
塩瀬総本家の家訓

◆今日一日の事
一、今日一日三ツ君父師の御恩を忘れず不足を云ふまじき事
一、今日一日決して腹を立つまじき事
一、今日一日人の悪しきを云はず 我善きを云ふまじき事
一、今日一日虚言を云はず無理なることをすまじき事
一、今日一日の存命をよろこんで家業大切につとむべき事

右は唯今日一日慎みに候。翌日ありと油断をなさず、忠孝を今日いち日と励みつとめよ。

◆崋山先生の商人に与へたる教訓

一、先づ朝は召仕より早く起きよ
一、十両の客より百匁の客を大切にせよ
一、買人が気に入らず返しに来たら売る時よりも丁寧にせよ
一、繁盛するに従つて益々倹約せよ
一、小遣は一文よりしるせ
一、開店の時を忘るな
一、同商売が近所にできたら懇意を厚くし互に励めよ
一、出店を開ひたら三ヶ年食料を送れ
。。。。。。。。。
2)2024年5月7日

大麻と聞くと、違法な薬物のことを思い浮かべる方が多いかと思います。
しかし、ヘンプイノベーション社長の菟田中子さんは、日本人が古来大事にしてきた大麻文化こそ日本、そして地球課題を救う大きな可能性を持っていると語ります。

菟田:「大麻」と聞くと、多くの方が「違法な薬物」「危険なもの」というネガティブなイメージを思い浮かべることでしょう。
しかし主に繊維採取を目的として栽培されてきた日本の大麻草には、マリファナのような麻薬成分はほとんど含まれておらず、古来、日本人は麻と共に生きてきた民族で、日本人の生活には衣食住あらゆるものに麻が使われていました。例えば、衣服。大麻草は3か月ほどで高さ3~4メートルまで成長しますが、その茎を剥いで取れる繊維は非常に丈夫で、日本人は麻の繊維から麻糸を績み、麻布を織り、着物を仕立てるのです。

福井県三方郡の縄文時代草創期(1万5千年~1万2千年前)の鳥浜遺跡から、麻縄を人の手で編んだとされる遺物が出土しています。1万年以上前ですから、なんと稲作が入ってくる前から日本人は麻を道具として活用していたのです。

それから、住居にも麻は欠かせません。麻茎から繊維を剥いだ後に残る木質部を麻殻(オガラ)と呼びますが、これは丈夫なだけではなく非常に軽く、中が空洞になっているため、
空気層ができて保温効果も高いのです。ですから、日本の伝統的な住居である茅葺屋根の最下層に大量のオガラを使用してきました。
麻は壁材にもなります。漆喰壁は消石灰と麻スサ(繊維を剥いだ後のクズ)を水で練ったものです。オガラやクズまで捨てずに有効活用する。ここに、自然と共生する日本人の知恵を見る思いがします。

また、麻は日本人の食と農とも密接に関わってきました。あまり知られていないかもしれませんが、七味唐辛子に入っている一番大きな粒は、麻の種子「麻の実」なのです。麻の実は八穀(稲、きび、大麦、小麦、大豆、小豆、粟、麻)の一つに数えられるほど日本人にとって身近な食材です。近年、麻の実はオメガ3や必須アミノ酸、タンパク質などが豊富に含まれる「スーパーフード」として注目を集めていますが、日本人は昔から当たり前のように食べていたのです。

さらに、神道や仏教においても……。

(以下省略)

(2024年5月8日転載終)

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水無瀬殿(水無瀬離宮)シンポ

5月3日の憲法記念日には、1997年11月上旬から2018年9月26日まで、約20年10ヶ月暮らしていた大阪府三島郡島本町にある水無瀬神宮にまつわる水無瀬殿(水無瀬離宮)に関するシンポジウム「後鳥羽上皇が造った都市:水無瀬離宮を考える」に参加した。

会場は、JR島本町駅から徒歩10分程にあるケリアホール(ふれあいセンター1階)で、午前の部で(受付で尋ねたところ)80名、午後の部で(目算して)65名ぐらいが参加し、それに加えて全国でZOOM参加が40名いる、とのことだった。参加費は、島本町民は1000円、島本住民以外は1400円であった。シンポジウムは、午前10時に開始され、昼休みを挟んで、午後4時35分に終了した。

この企画については、4月5日の午前中、twitter(X)を見ていたところ、本当に不思議なことに、偶然ふわぁっと浮上してきたので知った。

このようなことは、過去にもある。Facebookでもそうだが、特にその話題について考えていたりしたことは全くないのに、なぜか突然、しばらく音信不通だった知り合いのアカウントがトップに上がって来る。その場合、実はその方が急逝した通知だったりすることが多い。例えば、マレーシアのリサーチでお世話になっていたEddie Ho先生、国会議員のEdward Leeさん、Kadazandusunのマレー語聖書翻訳者であったStemmah Sariauさん、そして芦屋の女性漢方医だった松本有紀先生等である。

今回は訃報ではないが、私の関心事の一つであることは事実で、なぜ自動的に教えてもらえたのか、気になるところでもある。
。。。。。。。
とにかく、島本町に暮らしていた月日は今も忘れることなく、京都に用事があってJRと阪急を利用する度に、駅名や風景を写真に撮っては記憶を再確認している。興味深いことには、伊丹に住むようになってからの方が、島本町や大山崎町や高槻市や茨木市や長岡京市や向日市等、我々夫婦に縁の深い土地に関する史的知識が急に増えたのである。それは、伊丹の歴史好きな住民気質の反映であり、文化財保存協会やボランティアの街歩きガイドや市の社会教育担当職員らの尽力の成果でもある。

あのままずっと島本町に暮らし続けていたとしたら、知的刺激が殆どなく、恐らく精神的には、もっとまったりした平板な人生であり、話の合いそうな顔見知りも極端に少ないままで終わっていただろう。バドミントンクラブ(エポック)やスポンジテニス(バンブークラブ)のようなスポーツにも参加し、町立図書館経由で大阪府立図書館の本をかなり頻繁に借りていたにも拘わらず、今一つ、親しく話が通じ合う関係にはなり得なかった。

大抵は、COOPで日常の買い物をする程度で、他は家事。日中は、毎年の学会・研究会発表の準備、読書、ブログ書き、ウェブ翻訳作業(6年間)、CDクラシック音楽で過ごし、たまの休日には、演奏会に行くか、博物館や美術館の展示を見に行くか、治療の一環として主人と国内旅行(温泉がメイン)であった。

結婚後1年で診断を下された主人の若年性神経難病のために、気分が重苦しく滅入ることが少なくなかったので、気分転換には、よく近くの小高い山にある若山神社へ散歩に出かけていた。あるいは、住居のある敷地全体をぐるぐる歩き回っていた。神社だけなら往復30分で、自宅に戻ると頭がすっきり爽快になっているのを毎回実感できた。また、敷地の散歩は大抵1時間半から2時間程で、これまた足腰の鍛錬にはうってつけだった。

但し、いくら自分で気持ちを引き上げようにも、変わらない環境はどうしようもなかった。
。。。。。。。
我々が定めた住居は、緑がこんもりと多く、空気も澄んでいて、物音一つしない静かで落ち着いた環境のよい場所にあった。名水が日常の飲み水という水質の良さも恵みではあった。ベッドタウンとして交通網が非常に便利であり、阪急でも、後に駅が開設されたJRでも、乗り換えなしで、京都まで30分(今なら短縮されて17分)、大阪まで40分(今ならもっと短時間)で済んだ。兵庫県伊丹市のように乗り換え必須の土地に馴染んだ今では、島本町がいかに便利で楽だったかと思うところである。だが、住み始めた30代の当初、「自分が動けばいい」という仮住まい意識だった。

30代から40才前後の頃は、マレーシアのリサーチで必要な文献を探し求めて、京都大学東南アジア研究センターの図書室や研究会によく行っていた。または、京都府立図書館もカードを作って利用していた。他には、国立民族学博物館の図書館へ時々行っていたし、2004年から3年程は、同志社大学の今出川図書館を最大限活用させていただいた。国際日本文化研究センター(西京区)へも、講演会の案内に興味があれば出かけていた。

主人は三菱電機株式会社の京都製作所にあった先端技術総合研究所(2018年10月からは、尼崎市の伊丹製作所内に統合されて消滅)に勤務。通勤ラッシュもなく、片道40分程という便利な場所だった。神経を使う頭脳労働者なので、自宅ぐらいはほっとくつろげる静かで落ち着いた所がいい、ということで、京都市西大路や滋賀県野洲にあった借り上げ社宅、宇治市槙島や高槻市阿武山の旧公団、京都市の洛西ニュータウン、桂、東向日、長岡京市、茨木市のマンション等を探し回って、10ヶ所目に選んだのが島本町の住まいだった。

それに関しては全く不足はないが、どういうわけか、長らく地に足のつかない暮らしという感覚が続いていた。その理由は、恐らく、今回のシンポジウムのきっかけとなった歴史感覚の欠如ではないだろうか?
。。。。。。。
以前から発掘調査が進められていることは知っていたが、歴史遺産を保存して守り伝えていくことの重要性がわかっていない行政側やディベロッパーによって、開発が急激に進み、景観が相当に変化してしまっている。そのことについては、これまた伊丹で知ったニュースだったが、2022年11月13日付ブログ「文化財が破壊された島本町」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3671&action)に、簡略ながら列挙した。

その強い危機感から、今回は住民を巻き込み、各専門分野からなる歴史研究者が5名、基調講演や関連報告をされたのである。

水無瀬殿(水無瀬離宮)そのものに関しては、国際日本文化研究センター客員教授の豊田裕章氏が、2008年から発掘や文献を中心とした研究を進め、論文も何本が出されている。また、特別にホームページを作成して、順次、研究成果を蓄積していく予定とのことである。そして、水無瀬離宮を含めた島本町の歴史文化遺産の貴重な位置づけを浮き彫りにするために、「都市構造」という切り口で、馬淵和雄氏と前川佳代氏が、それぞれ鎌倉と平泉について語られた。
。。。。。。
非常に充実した講演内容であったが、元住民である私としては、「なぜ従来は、このレベルの会合が町内で開催されなかったのか?」という問いを最も強く投げかけたい。

そこで、アンケートには、率直に以下のように書いて提出した。

1.どのように知ったか?
偶然、ツィッターで浮上してきたので知った。

2. どこから来たか?
兵庫県

3. 後鳥羽上皇や水無瀬離宮について知ったこと
以前、宇治市のミュージアムや京都市内で、後鳥羽院や水無瀬神宮について講演を聞いた。水無瀬家についても、現在暮らしている兵庫県伊丹市の『伊丹市史』で読んだことがある。このように、島本町以外の場でそれなりに知られている事柄が、なぜ、下記に示したように、長らく島本町内で活発な講座や学術活動がなかったのか、疑問に思う。

4. 自由に意見を
1997年11月上旬から2018年9月下旬まで島本町民でした。緑が多くて静かで、水質も良く、物価もほどほどで、暮らすには充分環境の良い土地柄でした。しかしながら、土地の来歴などを知ろうとしても、資料が不充分で、図書館(町立)の本も少なく、地に足の着かない生活でした。
久しぶりにJR島本駅に降り立ったところ、景観が全く変わっており、淋しい気がしました。島本の歴史を学術的に知るには、向日町の学芸員さんの話を聞かなければならず、残念に思います。政治的にも不満が残ります。

(転写終)
。。。。。。。
最後に、馬淵和雄氏から「島本の地下の宝を活用しよう」という提案をいただいたので、共感した箇所を抜き書きする。

・バブル時代に大いに賑わった避暑地やリゾートや観光施設は、日本経済の縮小化と共に衰退
➡ 歴史性の欠如した町は、人気が一過性で終わる

・奈良で作業員として遺跡発掘に携わる地元人の誇り
➡ 自分の住んでいる土地が豊かな歴史を持っていることを知った時、誇りと自負が生まれる

・開発行為で作られたものは、半世紀ほどで寿命を迎える

・島本町の至宝
1)悲劇的な終末を迎える後鳥羽上皇が愛した土地
2)承久の変に関わる場
3)新古今集と定家と水無瀬の歌会
『水無瀬釣殿当座六首歌合』
『桜宮十五撰』を水無瀬御所の若宮に奉納
4)風水に適う土地
「見渡せば山もと霞む水無瀬川 夕べは秋となに思いけん」
5)歴史的空間に接続する勝地

➡豊かな歴史性を活用して歴史文化都市を目指す島本町を
。。。。。。。。
昨年、遺跡のあるところに高層マンションが建設される計画が発覚し、工事が既に始まっているという。充分な調査もされず、保護もされず、不十分な記録のまま消滅していく運命にある。そこで、843筆の署名を集め、今年3月5日に島本町へ提出した。そして、町長には4回面会して説明をし、理解を求めている。これが、今回の町内でのシンポジウムに繋がった模様である。

「文化財や遺跡がたくさんある島本は、消滅する町ではないはず」「左っ側の人間からいろいろ言われるけれど」「何の特色もない工場や住宅地だけの土地だとすると、今の行政なら、高槻市と合併して島本が消える、なんてことをやりかねない」等と、やっとこの時期に及んで、長らく聞きたかった本音が聞けた。それでも島本町のみでは限界があり、大阪府と文化庁に対して圧力をかけるべきである、との意見も聞かれた。それには、何よりも発掘調査が重要である、という。

「後鳥羽上皇が流された隠岐の島の人々は大切に弔い続けているのに、後鳥羽上皇が楽しんだ水無瀬である島本町の住民が無視しているのは、勿体ない上に失礼である」という声も聞かれた。

後鳥羽上皇の置き文には、「関東から地頭が入ってきたらとんでもないぞ!」という内容が記されていた、ともいう。「「空の上から水無瀬の地を見守る」と後鳥羽院が遺言を残されたことは、ここ最近の島本町のことを心配されていたのではないか?」という発言もあった。
  
繰り返すように、こういう話は、本来もっとずっと前から公に語られ、文書にまとめて発行し、継続して住民啓蒙に努めるべきであったはずだ。なぜ今まで、「豊かな自然に恵まれたベッドタウン」ばかりが強調されていて、肝心の歴史文化遺産を忘却の彼方に置き忘れていた、あるいは意識的に無視をしてきたのだろうか?

その責任は、誰に問うべきなのだろうか?
。。。。。。。。
水無瀬に関する過去ブログの抜粋を再掲しよう。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100214)
2010-02-14「和歌はしみじみ」

《水無瀬山 ほどは雲井に遠けれど 匂ひばかりは君がまにまに 
(藤原定家)
ことに出でて いはぬばかりぞみなせ河 しもにかよひてこひしきものを 
(紀友則)
春になれば 梅に桜をこきまぜて ながうみなせの川のかぞする 
(紀貫之)
うらぶれて物は思はじ水無瀬川 ありても水はゆくといふものを
(柿本人麻呂)
水無瀬山 せきいれし滝の秋の月 おもひ出づるも涙なりけり
(藤原家隆)  
みなせ山 木の葉まばらになるまゝに 尾上の鐘の声ぞ近づく 
(後鳥羽院)
見渡せばふもとかすむ水無瀬川 夕べは秋と何思ひけん
(後鳥羽院)》
。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170723)
2017-07-23「歴史感覚は空気の如く」

《(http://d.hatena.ne.jp/amanokakeru/201211)
2012-11-25 水無瀬離宮址

 後鳥羽上皇の水無瀬離宮では、建仁二年九月十三夜の水無瀬殿恋十五首歌合に代表される歌会や白拍子、遊女などを上げての乱交騒ぎまでがあった。後鳥羽院の気ままな振る舞いについては、藤原定家の『明月記』に詳しい。》

《後鳥羽上皇水無瀬離宮跡という石碑を探したが見つからなかった。広瀬遺跡として発掘調査が行われているらしい。だが尋ねた付近ではそんな場所は見えなかった。離宮は1199年ごろに築かれたが、1216年の洪水に遭い、改めて近くに再建されたらしい。少し離れたところにある水無瀬神宮が離宮の跡という説もある。》

《[追伸]水無瀬川は、古来歌枕として知られ、万葉集以降数多く詠まれている。後鳥羽院が水無瀬の情景を詠んだと思われる有名な次の歌が、『新古今集』に載っている。
見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ》
。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180624)
2018-06-24「住めば都(2)」

《結構、文学的にも歴史的にも重要な史跡があちこちに散在しているのが、我が町なのである。但し、私の実感としては、その意味づけや意義が、二十年前と今とでは、町全体の雰囲気として異なってきたように感じる。つまり、「町内にある豊かな史跡をもっと大切にしましょう」という呼び掛けが、最近では意識されてきたということである。》

《上記の女流歌人について、帰宅後に調べた事柄から追記を。

・『平家物語』『源平盛衰記』『千載和歌集』『新古今和歌集』等にも登場する。
・女房として、二条天皇(第78代)や高倉天皇(第80代)にもお仕えした。
・秘め事の懺悔会で、後白河院(第77代)と一夜の関係を持っていたことを告白。
・後鳥羽院(第82代)の落胤である男児を産んだが、その子は後堀河院(第86代)より領地を賜り、星野氏の始祖となったという伝承が筑後に残っている。
・藤原俊成や藤原定家や西行と交流があった。
・鴨長明が、華やかで人を驚かせる女流歌人の一人として名を挙げている。切り返しの上手な返歌の詠み手だったようである。
・町内に残っている複数の古い小字から、この辺りには当時、貴族の別荘があったらしい。
・今回訪問した町内の地域に、晩年、天台宗系の寺庵である真如院を建てて住んだが、約265年後の応仁の乱で廃絶となった。
(終)
小柄な女性だったようだが、なかなか情熱的かつ知的で魅力的な歌人だったのだろう。》
。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180802)
2018-08-02「これが私の歩む道」

《先月中旬より、近所の図書館から借りたり複写したりした読み物を、以下に。

・中村直勝『水無瀬・山崎附近』京阪電気鉄道(1939年)
・田巴二枝『隠岐の後鳥羽院抄』海土町役場(昭和46年/平成17年 9刷)
・大山崎史談会『山崎・水無瀬−懐古と巡歴』(発行年不明)
・島本町文化の会短歌部『短歌みなせ野』第二巻・四巻・六巻(昭和54年)
・奥村寛純『水無瀬野をゆく−島本町の史跡をたずねて』郷土島本研究会(1988年)
・島本町教育委員会『わが町島本−目で見る歴史』(1996年)
・奥村寛純『水無瀬野の伝説と昔話』郷土島本研究会(2001年)》

《この地に移り住んで三ヶ月目の1998年2月中旬、自転車に乗って社務所で買ったことを思い出す。

・『水無瀬神宮と周辺の史跡』水無瀬神宮社務所(昭和54年)
・水無瀬忠寿『水無瀬神宮物語』水無瀬神宮社務所(平成4年)

夕食の時、主人に見せたところ、「学会で発表したら駄目だよ」と冗談を言った。》

(転載終)

(2024年5月5日記)
……….
2024年5月5日追記

恐らく、私の問いへの解は、下記の過去ブログに集約されているのではないだろうか。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161209)

《先月下旬と今月上旬の二回、町内の歴史資料館を会場に、教育委員会が後援し、退職教職員の会が主催した、蔵書の無料頒布会でいただいた本のリストを列挙する。計28冊だが、希少本も含まれているだろう。古本屋さんで購入したら、かえって高くつくだろうに、町内で私達がいつも選挙投票に行く小学校で元校長だった故人の所蔵だとのことで、全部そのまま自由に選んで持って帰ってきた。》
《天皇制、共産主義、マルクス主義、反戦平和、部落問題、女性問題、歴史などの種類が目立ったのは、この小学校の教員の傾向を表しているとも言える》

(転載終)

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建築家・安藤忠雄氏

致知出版社の人間力メルマガ
2024年2月13日

日本を代表する建築家・安藤忠雄さん。多くの人々を惹きつけてやまない、その比類ない建築が世に知られるまでは〝負け戦〟の連続だったといいます。なぜ度重なる逆境を乗り越えてこられたか、自身の勝負哲学を語っていただきました。

*対談のお相手は、(当時)ウシオ電機創業者・牛尾治朗さん

〈牛尾〉あなたは負けた時に、なぜ負けたかということを徹底的に分析して次に生かしているそうですね。自分がなぜ負けたか、相手のどういうところがよかったかというのを分析して、努力してそれを自分のものにしていると。そういうところはすごく素晴らしいと思うんです。

〈安藤〉コンペには日本はもちろん、パリやニューヨークやロンドンでもよく参加するんですけど、美術館なんかの公共建築はほとんどコンクール・コンペなんですね。ですから大体200人くらいの参加者の中から経歴や実績で10人くらいに絞って、その人たちに絵や模型を作らせて競うわけですが、まぁよく負けるんです。
けれども、負けてから相手の作ったものを研究すると、やっぱり相手のほうがわれわれ以上にいろんなことを考えていることに気づくわけです。相手に比べたらやっぱり努力も足らん、創造力も足らん、次はこの部分はこういうふうにうまくやらなければいかんなと。
そういうふうに、いろんなことに気づいて少し実力がつくけれども、次のコンペでもまた負ける。また少し実力がついて、それでもまた負ける。だけどやっていくうちにいろんなことを覚えて、そのうちに勝つわけです。
ところが、勝つと当然相手の研究はしないですね。これはまずい。勝った時にも相手のことを研究すればもっといいわけですけれども。

〈牛尾〉なるほど、負けた相手の作品も研究しろと。

〈安藤〉そうです。だけど大体しない。勝っても負けても、相手を研究して自分たちのまずかったところを集めていくと、次の機会にもっと役立つんです。
この10数年、日本は世界から駄目だ、駄目だと言われ続けていますね。しかし、1980年代に欧米の講演会に行った時に向こうの人は、日本の企業のあり方も、社会のあり方も、そして教育のあり方も、全部素晴らしい。そして、いかに日本に学ぶかが一番大きな課題なんだ、と言っていたんです。
その結果、日本と欧米の立場は逆転しました。それでこの10数年は、アメリカでもヨーロッパでも、日本はどうなっているのか、いつ立ち上がるのかと。いまの日本は、企業のあり方がまずい、教育はもうまったくまずい、何もかもまずいと言われているんです。

〈牛尾〉おっしゃる通りです。

〈安藤〉でも、そうは言われながらも、実は日本人はそれほどレベルの低い民族ではないと僕は思っているんですね。
1995年の阪神淡路大震災の日に、僕はちょうどロンドンにいたんです。次の日に日本に帰ってきて被災地を見た時に、これはもう復旧も復興もとんでもないと思いました。ところが、半年くらいの間に倒れた高速道路は起こし、新幹線は走らせ、倒壊した建物もある程度整理ができて、日常生活にはほとんど問題がないくらいまで回復させました。この姿を見て、日本人はやっぱりいざとなったらすごいなと実感しました。
緊張感を持ち、企業と行政と民間人が垣根を越えて力を合わせると、すごい力を発揮する。ギリギリの状態まで追い込まれて本気を出したら、日本人はやっぱり立ち直るんだなと思ったんです。ですから、世界中から大変だと言われながら日本がなかなか立ち直れないのは、まだ結構余裕があるからだと思うんですね。余裕があるから緊張感も出ないんです。

〈牛尾〉なるほど、おっしゃる通りです。

〈安藤〉僕自身も、最初からチームは小さい、学歴はない、社会的ネットワークもないという状態からスタートしましたから、とにかく自分の力だけでやるしかなかった。そのためには、負けても決して諦めないように、精神的に頑丈でなければならないし、体力もできたら30代のままで75歳くらいまで仕事ができるように鍛えておかなければいかんと。その気持ちでずっとやってきましたから、負け戦もそれほど気にならずにきたんです。ですから、日本人はもっとギリギリの状態に置かれているほうがいいと思うんです。

〈牛尾〉同感ですね。

〈安藤〉その点、日本の経営者はものすごく闘っているんですが、学生はぬるま湯の中を泳いでいますから、彼らにはもう少し、この国は大変なんだぞということを言ってもらったほうがいい、と思いますね。

(『致知』2003年11月号特集「仕事と人生」より一部を抜粋・編集)

注)太字はLilyによる。

(2024年4月30日転載終)

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楠木正成公「和の国」

JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル

楠木正成公が示した「和の国」の根っこが、我が国の歴史を変え た。
No.3415 R6.2.5  4,183部

1.「有為の人物を動かさずにはいない」

 正月休みに大阪府南河内郡の千早城跡に登ってみた。後醍醐天皇が隠岐に流された後、元弘2(1332)年9月に楠木正成が挙兵した山城である。当時の世の乱れた様は、歴史学者・植村清二氏によれば、以下のようであった。

一般に諸国の御家人の生活が窮迫しているのに反して、北条氏の一族は権力と富とを独占して、羨望と不平とを招き、それでいながら彼ら自身の政治は公正を失い、その実力は衰弱しつつあった。その権威は失われ、民心は離反した。この人民の動揺と革命への期待は、有為の人物を動かさずにはいない。

[植村 p46]

 まさにこの「有為の人物」として立ち上がったのが、正成であった。正成は、千人足らずと言われる軍勢に次のように呼びかけた。 

この城(千早城)において二年間は戦おう。そうすれば、そのうちに高時(鎌倉幕府の執権・北条高時)に背く者はいくらでも出て来るだろう。

[家村 p83]

 正成の見通しは、わずか半年で実現した。この山城に幕府の兵数万を引きつけている間に、後醍醐天皇は隠岐を脱出され、鳥取の船上山から倒幕の綸旨を出された。それに応えた新田義貞、足利高氏(後の尊氏)らが叛旗を翻して、鎌倉幕府は1か月のうちに滅びてしまう。

【YouTube版】https://youtu.be/_IUcwgCAz78

(転載終)

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