日本保守党は疲れる

(https://twitter.com/ituna4011/status/1785287494071984221)
Lily2@ituna4011
疲れます。
9:38 PM · Apr 30, 2024

(2024年5月1日転載終)
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1784577506697527518)
Lily2@ituna4011
いくら正論であっても、もう少し戦略が必要か、と。 応援ツィッターを一方的にブロックしたり、UNRWA問題を日本で指摘したのは自分だけだと強調したり、20年も前に既に大学内で発生していた公の事柄を無視したり等、世間では通りません。一般向けの本が売れたからといって、選挙も同じとは限りません。
10:36 PM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784578582439956767)
Lily2@ituna4011
第一、事実に悖るからです。そして、失礼でもあります。「選挙に勝つ」には、そういう基本的なことも全部クリアしてからですよ。
10:41 PM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784691041112920433)
Lily2@ituna4011
もっと戦略を練っていただきたかったです。あれでは、私なら投票できません。失礼ながら、過去の事実を無視して内輪で突進されているからです。 もっとスタッフを増やして、ウェブ情報や過去論文をしっかり分析していただきたいです。 有本さんも、発言の一部に私の経験とは異なることがありました。
6:07 AM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784721369126813859)
Lily2@ituna4011
パッと判断されて、間違った方向に振り分けられたら、こちらはたまったものではありません。怖いことです。
8:08 AM · Apr 29, 2024

(2024年4月30日転載終)
。。。。。。
日本保守党から東京15区の区議員補欠選挙で、急遽突撃のように出馬を決めて落選したイスラム研究者の飯山あかり氏について。

「組織票もないのに得票できた」という肯定的な見方もあるが、私は違う見方をしている。

少なくともイスラム研究で東大博士号の権威を自負されている上、あそこまでYou Tubeで毎日おもしろおかしく内部告発のように発信していて、一般向けのイスラム本も売れているならば、ある程度まではいくだろうと予想していた。但し、本当に政治家として転身するならば、あまりにも短絡的で危ういと思っていた。

その点、昔の自民党や今の立憲民主党は、政策は別としても、さすがに選挙対策を練り、時間をかけて人材養成するノウハウを兼ね添えてはいた、と言える。

東京15区には行ったことがないが、現実に暮らしている人から話を断片的には聞いていた。あの辺りは住開発が進んで暮らしやすい反面、比較的、立憲民主党系の考え方が広まっているのではないだろうか?少子化時代には、助産婦(であっていただきたい)や保健師(男性の「保健師」は今まで見たことがない)等のような肩書が案外モノをいうのかもしれない、という点は新鮮だった。東京15区とは、元格闘家や女性防災士や冒険家等、おもしろい肩書の人々が立候補している土地柄であった。
。。。。。。。
新しく立ち上がった日本保守党の動向について、昨年秋頃からYou Tubeと本(数冊)でフォローしていた。

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5913&action)
2023年11月14日付 「日本保守党・中東情勢その他」

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6724&action)
2024年3月6日付「日本保守党その後」

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7206&action)
2024年4月22日付「イスラム小話と電子空間」

(リスト終)
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というのは、1990年代初頭からの自分自身のマレーシア研究をどうまとめていくか、毎日のように気になってかれこれ30年程。2004年から3年間、同志社大学神学研究科で私の直属の上司であったイスラミストのハサン中田考氏とも対談(対決?)本を出し、京都時代には評価の高かった中東イスラム研究者の池内恵氏を糾弾し続けていた飯山陽(飯山あかり)氏のことが、気にはなっていたからである。

ところで、2022年8月27日に、私は伊丹市立図書館(ことば蔵)の地下1階多目的室で開催された博物館友の会例会で「相互理解か宗教的不寛容か?」と題して研究発表をさせていただいた(2023年3月3日付「博物館『友の会だより』古稀号」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4170&action))。
これは二度目の研究発表で、当時のN会長さんからのご依頼によるものであった。(余談だが、今振り返ってみると、放送大学大学院の毎月のゼミが始まって4ヶ月目だったのに、よくもこんな発表ができたものだと、我ながら時間管理に呆れ返る。)伊丹市内でもいつの間にか増加している外国人労働者の宗教的背景について、我々住民側がどの程度、本当の理解をした上で受け入れて「共存」しているのか、マレーシアでのリサーチ経験を題材に、注意を喚起したものである。その際、イスラム理解の一手段として、飯山陽さんの本を一冊紹介して出席者全員に回覧していただいた。

その責任もあり、今回の東京15区での補欠選挙のなりゆきを、断片的ながらも観察していたのである。

選挙結果については、初戦にしては善戦とも言われる第4位の落選。但し、今後も遠方から応援できるかと言えば全く逆で、正直なところ、(非常に疲れた)というものであった。最初から、プロの目で見ていれば当然の成り行きとも言えるのだろうが、私は政治に全く疎い。単に、かつて知り合いだったイスラム研究者との関連で、個人的な義務心や責任感から眺めていたに過ぎない。

気になっていたのは、強気の「正論」ではあっても一方的な話が多く、相手を立てるとか謙譲の美徳というものをまるで無視して突進する飯山さんの姿であった。そこがYou Tubeでは売り物にもなり、鬱屈した気分でいる若い層には受けていたのかもしれない。「学術界では差別され、排斥されている私」(美人であり、学歴も申し分なく、子持ち既婚者であることには、相当の計算と自負心が見え隠れしている)という立場で、「長年孤軍奮闘してきた」と主張。確かに、語りにくく、誤解されやすいイスラム事情に関して、何冊か出版されてきた一般向けの本は「わかりやすい」と評判で、よく売れていたようである。

しかし、「東大博士」がいつまでも非常勤だとか、正規の学術論文がなかなか通らないのは肩身が狭かったのであろう。猛烈な負けず嫌いから、「保守」イデオロギーの時流にうまく乗って世間に躍り出た、という印象である。事実、自分で開設した(のかどうかは不明だが)You Tubeでも「私は勝った」等と自ら語っていた。

この時点で、政治家に転身するつもりにしては「素人くさい」と感じさせられた。それが今回の結果となって表れている。

事実、昔のモロッコ時代には真っ黒に日焼けしていた写真が出ていた記憶があり、以前には煙草も吸っていたらしい話もあった。ご年配の良識的な教授がまだ御健在だった2003年の大学改革以前には、このようなタイプの女性は、大学の研究会や学会等では表立って出て来なかった。私よりも10歳年下だが、明らかに世代ギャップを感じさせる。

但し、もしも本当に研究者や言論人としての立場を捨てて、今後、政治家として身を立ててうまくいきそうなら、飯山さんにはムスリム移民やイスラム研究の学術界の左傾化を是正していただきたい、と願っていた。だが、今回の経過を瞥見の限りでは、主張項目が右か左かの違いだけで、根っこでは合わせ鏡のような同一性を感じた。むしろ、恐ろしさを感じる。

それは、下記のツィッター(X)にも表れている。
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(https://twitter.com/Jh8UrRhhDyIh1ud/status/1784890009298129157)
maku@maku94483
Apr 29
日本保守党の飯山あかり氏 記者「日本保守党と飯山さんの今後について教えてください」 飯山「自分の今後の政治活動については全く考えていない」「私は党の人間ではないので、党の方針を決める立場にない」 終わったら政治も日本保守党も無関係?なんのために出馬したんですか?

(https://twitter.com/Jh8UrRhhDyIh1ud/status/1784890009298129157)
風船の寅三郎@Jh8UrRhhDyIh1ud
この人に投票した人たちはこの言葉をどう受け止めるんだ? 「善戦した」とかいう評価もあるみたいだがそういった肯定的な評価も自分から台無しにしてる 百田もそうだがこういう自己のプライドを最優先し大義や信念が全く感じられない思考回路が滲み出ちゃってるので自分はこの人たちを支持できない
7:18 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/stonepony_japan/status/1784849458309792119)
うえの@stonepony_japan
この人に投票した有権者に対しての感謝の気持ちとかがあればこういう態度と発言にならないと思います。 目線をそらしながらしゃべるクセがありますが、嘘を言っているのを誤魔化す心理だと近所のおじさんのともだちの親戚の知り合いのフォローワーさんが言ってました。証拠はないけど。
4:37 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/SeiraTakeshita/status/1784859903737336048)
せいらママ@SeiraTakeshita
同じく落選した他党の候補は翌朝から辻立ちして一から政策訴えるとこから始めてますけど、この人は全くその気は無いってことですね ホントよかった! 勢いだけでこんな人が選ばれなくて。
5:18 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/daimaki3/status/1784864145843630395)
phi@daimaki3
がんばりましたがチカラ及ばず、すみませんでした。 だけでいいのに、私は研究者ですから、とか要らないな←じゃなぜ立候補?とか詰められる呼水撒くのやめればいいのに。ていうか研究の場に戻れるのかな、あんだけ四方八方敵にして、と感じております。
5:35 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/BodhitreeKusha/status/1784865623316582652)
菩提樹 -Bodhitree-@BodhitreeKusha
飯山氏本人は自身を在野の研究者であると自覚しているはずなので、党幹部になってしまったら研究者の独立性が失われてしまうと一応は考えているのかもしれない。あとは、ただ単に党の運営に関わるのが面倒なのかも。国会議員になって、劣等感の対象の学会の学者を見返すことはしたかっただろうけども。
5:41 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/v4KWounBfhEpyDz/status/1784893489198633042)
中平隆夫@v4KWounBfhEpyDz
そうそう、負けましたが自分に投票してくれた方がいる訳ですからね。 誰が投票してくれたのかは特定出来ませんが、色々なところにお礼に行ったり、不特定多数の人に感謝の意を伝えたり。それが次回立候補した際に繋がっていくでしょう。 嫌悪感を持たれるか、好印象を与えれるか。雲泥の差ですからね。
7:32 PM · Apr 29, 2024

(転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1785286619320512640)
Lily2@ituna4011
ネットだけの人気に限界も…一枚岩ではない日本保守党の将来-岩盤保守の内情【衆院東京15区補選】(古谷経衡) #Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2968cce475c2c18b5435e61e3ec8053da9ef3b49…
← この分析は私見に最も近い。
9:34 PM · Apr 30, 2024

(転載終)
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古谷経衡氏については、2016年頃だったか、主人が「このお兄ちゃん、見かけはあんな感じだけど、本の中身は割としっかりしているね」と新書を買ってきたことがあった。その頃は、「左翼も右翼もどっちもこっち」という醒めた見方をする印象だった。もともと、左派リベラルがメディア上では席捲していた頃に、保守の担い手としての若手論客で登場したかのような記憶があるが、それほどよく知っているわけではない。今では、いつの間にか左派に近い立場に旋回しているとも他者によって書かれていた。
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(news.yahoo.co.jp/expert/articles/2968cce475c2c18b5435e61e3ec8053da9ef3b49?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR0xCvKIz0wfL3orGnOr797U-N3goNkEQ7qBfS5I9qJaNQJ4FrZqp8xgrXg_aem_ATwMNR9wI3AnS9Dk3jjrwXAKGmyuErPtocfmIYjeRyF_VJUdwijudGCm5qc6yQOKDX8FD-MyviSEuqXssOHVkW0R)

「ネットだけの人気に限界も…一枚岩ではない日本保守党の将来-岩盤保守の内情【衆院東京15区補選】」
古谷経衡(作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長)
2024年4月29日

 東京15区補選は、我々にあまりに多くの示唆を与えてくれた。自民党と公明党が公認・推薦・支持する候補が存在しない場合、有権者の投票行動はどうなるのか―。従来「思考実験」でしかなかったものが、実際の小選挙区で実証されたのだ。
 結果は既報の通りで、立憲民主党の酒井菜摘氏が当選した。落選したものの、2位につけたのは参議院議員を辞職して臨んだ須藤元気氏であった。選挙は当選した人の票分析をしていればそれで終わりというものではない。
 重要なのは負け方である。(中略)

・日本保守党公認、飯山あかり氏の得票は4位

 さて私が従前からきわめて注目していたのは、2023年9月に結成された日本保守党の公認を受けた飯山陽氏の得票動向である。結果、同党公認の飯山氏の得票は24,264票で4位に終わった。
 日本保守党は岸田政権におけるLGBT理解増進法に反発する形で、作家の百田尚樹氏を代表として設立され、当初は「百田新党」などと呼ばれた。同党は有権者の約2%と推計される、いわゆる「岩盤保守」の一部から絶大な支持を得る形で、今次東京15区補選で初めての国政選挙を戦うことになった。
 ネットでは主にX(旧ツイッター)で #日本保守党 #飯山あかり が連日トレンド入りし、その盛り上がりは公示前からすでに最高潮にあったといってよい。また同党支持を明確にする『HANADA』などの保守系論壇誌も、毎号日本保守党への全面支援を明確にする紙面構成で、雑誌媒体もこれに加勢した。
 日本保守党が結党して約8か月。乾坤一擲の大勝負に、日本保守党は岩盤保守を巻き込みながら臨んだのである。その結果として飯山氏の4位落選をどうとらえるのかが、本稿の主目的である。

・日本保守党結党に至る前史をふりかえる

 東京15区の岩盤保守の動向を分析する前に、日本保守党が今次選挙に至る前史を簡単に紐解きたい。(中略) 
 同年11月には、岩盤保守のプラットフォーム的存在であったネット番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』が突然終了となる。背景には運営会社であったDHCがオリックスに買収されたことで、オ社側のブランドイメージへの配慮があったと思われる。
 このとき、同番組の二大看板であった作家の百田尚樹氏とジャーナリストの有本香氏はすぐさま『ニュースあさ8時!』(略称・あさ8)の配信を開始する。一方、『真相深入り!虎ノ門ニュース』の旧スタッフらが中心となって、翌2023年3月には『帰ってきた 虎ノ門ニュース』が事実上の後継番組としてネット配信がスタートした。

・日本保守党は「岩盤保守層」を固めきれていない~岩盤保守の内部分裂

 実は現在、岩盤保守界隈には百田氏らが代表を務める日本保守党と、それに反目するグループが存在する。便宜上、前者を百田派、後者を反百田派とする。(中略)現在、反百田派の中心的存在とみなされているのは、経済評論家の上念司氏、政治アナリストの渡瀬裕哉氏、元早稲田大学教授の有馬哲夫氏、経済評論家の渡邉哲也氏、ほかに一部の政治系ユーチューバーなどであり、これに最近ではその発言がヘイトスピーチとされ、訴訟になっている大阪府泉南市議会議員の添田詩織氏などが加わっているとされる。さらに中堅から比較的新人の保守系言論人や文化人などの一部も反百田派に親和的な姿勢を見せており、反百田派は決して小さいグループではない。(中略)
 本稿冒頭に、「(日本保守党は)有権者の約2%と推計される、いわゆる「岩盤保守」の一部から絶大な支持を得る」と書いたが、あえて”一部”と留保したのは、日本保守党を巡ってすでに岩盤保守内部で分裂が起こっているからだ。(中略)
 つまり日本保守党は岩盤保守の全部を代表するものではない。当然岩盤保守の圧倒的大多数が日本保守党を支持しているわけでもない。(中略)
 現在の勢力関係では、百田派が主流で、反百田派が非主流・傍流ということになるが、それぞれ各個人に固定ファンがいることを考えると、私の感触的には主流派7対非主流派3くらいというところではないか。

・保守系論壇誌も日本保守党を巡って温度差
 
 さて以上のような岩盤保守内部の分裂を受けて、日本保守党を巡る保守系論壇誌の論調も微妙に異なっている。前掲した『HANADA』は百田氏や有本氏と伝統的に距離が近く、紙面において全面支援を明確にしている一方、『WILL』は原則支援はするものの全面的というほどではなく、やや距離を置いている印象である。他方、保守論壇誌の老舗である『正論』は是々非々ではあるが、基本的には応援する、という風に分かれている。
 特に『HANADA』と『WILL』の日本保守党に対する論調の違いは、2016年に編集方針の違いなどから当時『WILL』の編集長であった花田紀凱氏が版元であるWAC社の鈴木隆一社長から解任されたため、編集部員の一部を伴って飛鳥新社に移籍し、新雑誌『HANADA』を創刊して分裂したことが影響していると思われる。(中略)
『HANADA』が日本保守党推しなら、『WILL』はそこまではいかない、という温度差の背景にはこのような確執があると予想されるが、そこで登場してきたのが今次補選で立候補者となった飯山陽氏である。飯山氏はイスラーム研究者としての実績と、鋭敏な野党批判、進歩的メディア批判で知られ、岩盤保守界隈ではここ数年知名度がにわかに上昇してきた人物である。
 この界隈に疎いクラスタからすれば「無名」と映るが、飯山氏の界隈での知名度は充分であった。飯山氏はイスラーム研究という、岩盤保守界隈にはなじみの薄い分野から頭角を現してきており、一方で保守界隈での言論実績はまだ数年というところでもある。よって基本的には前掲した反百田派からも、これまでの言動に基づく来歴を勘案して、大きな批判にさらされる理由は薄い。つまり飯山氏は百田派と反百田派のブリッジとして適役というわけだ。
 日本保守党初の国政選挙に、百田氏や有本氏ではなく飯山氏が公認候補者に選ばれた背景には、このような岩盤保守内部の”複雑な事情”がうかがえよう。

・日本保守党公認、飯山あかり氏の基礎票は10,000票~12,000票

 このような前史を踏まえたうえで、同党公認の飯山氏の得票24,264票の分析に進もう。東京15区を構成する東京都江東区における有権者数は約43万人。これに対し素直に(前掲推測の通り)2%を掛けると同区における岩盤保守のおよその実数がわかるのである。すると、
430,000×0.02=8,600
 が江東区における岩盤保守の推計値であり、この8,600票がそのまま飯山氏の基礎票になるはずだが、私の推計によると岩盤保守は首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)に大きく集積しており、2%というのは北海道から沖縄までの全国平均であるからこれよりも上位(3%~)に推測しなければならない。仮に3%として計算すると同区でのそれは12,900票になる。3.5%と推計すると15,050票になる。4%とすると17,200票だが、これはやや高すぎるであろう。
 しかし前史で述べたようにそもそも岩盤保守が百田派と反百田派に分裂しているのだから、日本保守党は岩盤保守層の100%を掌握できているわけではないのだ。
 そうすると雑駁な概算で、日本保守党が「身内票」つまり、岩盤保守票の最大推計のうち7割を固めたとして約10,000票~12,000前後というのが飯山氏の基礎票ということになる。結果として今次補選において飯山氏はこれの約2倍程度(約24,000票)を獲得した。有権者全体からすると、約5.6%を飯山氏は獲得した。
 では氏の得票の24,264票から仮に10,000票~12,000票前後を引くとして、残りの10,000票強余りはどこから来たのであろうか。これはまさしく、自民党不在の選挙である本区特有の事情であって、自民党支持者の一部が流れたためである。

・自民党支持層のうち、約2割が日本保守党の飯山氏に流れる―飯山氏の得票を分析する

 東京都選挙管理委員会によると、東京15区での全体投票率は40.7%の稀に見る低率であった。この背景は公明党支持者の棄権や、同区で問題となった選挙妨害等により、投票行為そのものへの無関心・政治活動への嫌悪などが影響したと思われるが、同委員会によると、期日前投票の割合は13.01%(不在者投票を入れると約57,000人)ある。江東区の有権者における投票者数は、選管発表により約175,000人である。よって投票日当日の投票者数は、
175,000-57,000=118,000
 ということになる。NHKの当日出口調査によれば、このうち自民党支持と答えたものは、約24%である(下図)。とすれば、118,000×0.24=28,320 が自民党支持者の票ということになる。
 朝日新聞の報道によれば、自民党支持者のうち、1割台半ばを飯山氏は獲得したという出口調査がある。一方時事通信社は、自民党支持者の23.5%が飯山氏に流れたとする。両者の真ん中ほどを取ってこれを2割とすると、
28,320×0.2=5,664
 となり、約5,700票前後の自民党支持票が投票当日に飯山氏に流れたと推測される。このほかに無党派層の動向がある。前掲朝日新聞の報道によれば、飯山氏は無党派層(支持政党が特になしの回答)の約1割台半ばを獲得したとある。これを仮に15%とする。無党派層は投票者全体の約4割(前掲NHKの政党支持別割合に基づくと)ということになるが、こうなると118,000×0.4=47,200票である。これの15%とすれば、7,080票(約7,000)が飯山氏に流れたと類推することもできる。
 また若干の期日前投票における自民党支持層からの流入も加味しなければならない。期日前投票の総数は選管によると約57,000票であるが、このうち約2割が飯山氏に投票(約11,000票)したとNHKが報道している。この多くは熱心に日本保守党を支持する岩盤保守が事前投票を行った結果とみるべきである。ここでは無党派層からの流入を7,000、期日前における自民党支持者からの流入を1,000として考える。
 これらをすべて合算すると飯山氏の得票は以下のように分解できるのである。
12,000(岩盤保守の基礎票)+5,700(当日投票の自民党支持者の流入票)+1,000(期日前投票の自民党支持者の流入票)+7,000(無党派層からの流入票)=25,700
 よって日本保守党公認候補の飯山氏が獲得した24,264票の、近似値になるのは自明なのである。当然、いかに政治的に熱心な岩盤保守層とはいってもその投票率が100%になるということはありえないから、25,700票からやや下がったところ、約24,000票でピタリとなろう。

・オール岩盤保守ではなかった日本保守党

 つまり日本保守党は、本来の基礎票から別に10,000票強を自民党支持層などから「仕入れていた」と分析することができる。これは岩盤保守層における日本保守党の猛烈な盛り上がりに対照すれば、やや不振と言うべきではないか。(中略) 
 日本保守党はこうした「オール岩盤保守」であった次世代の党とはまるで事情が違っている。前提的に岩盤保守界隈の分裂がある以上、「身内の票」すら固めきれておらず、そして今次東京15区にあっては、自民党が不在という特殊条件が作用してもこの結果なのである。(中略) 
 自民党支持層のなかで政治的思想傾向が類似するのはあきらかに飯山氏のはずだが、その中で最も票が流れたのが「消費税全廃」や「原発再稼働慎重」を掲げた須藤氏であったのは興味深い。
 これはひとえに、日本保守党が前述の理由により猛烈な「反岸田・反岸田自民」だからである。自民党支持層としても、手放しで飯山氏に助力することはできない情勢なのであった。結局、日本保守党は自民党支持層の受け皿になった、とはまったく言えない。
 また無党派層から仮に前掲計算のごとく約7,000票が流れたとしても、それは自民党の公認や推薦候補が存在しないことを前提にしたものであり、昨今の無党派層に対する自民党候補者の食い込みを考えると、この部分についての将来にあっての弾力性は乏しいと考えてよいのではないか。

・日本保守党は次期衆院選挙で議席を獲得できるか?

 インターネット上やSNSで日本保守党が連日取り上げられ、トレンドに飯山氏の名前が挙がり、街頭演説ではかなりの人だかりができたことは事実だ。しかし、現実的にはその中の何人が江東区の有権者であったのか疑わしい。ネットのインフルエンサー、特に特定の政治的クラスタで人気のある人物は、リアルの場になると局所的に多くの人々が集まり、まるで多数から支持を受けているように思えるが、それは錯覚に近い。
 当たり前だが地域の人々と密に会話し、路地裏で政策を訴え、周知を図るという地道などぶ板しか勝つ道はないのである。ネットでの盛り上がりや人気だけでは、少なくとも小選挙区において優勢を確保することは難しい、という現実が改めて浮き彫りにされた選挙であった。
 このような現状を考えると、今後も日本保守党が国政選挙の小選挙区において議席を確保することは極めて難しいと見るべきであろう。飯山氏は全体得票においての割合では14.2%であった。他の候補(今回で言えば乙武氏など)が立候補を取りやめ、日本保守党に一本化し、かつ自民党の公認・推薦候補が存在しなければ可能性はないわけではない。
 しかしこれは理論上のお話であり、自民党が存在しない小選挙区という「きわめて特殊な」選挙局面は今後、そうないと思われることから、少なくとも来る衆議院総選挙での日本保守党の議席獲得は難しいであろう。参議院全国比例ならば、かつての参政党がそうであったように1議席の可能性は残されているが、前述したような「岩盤保守分裂」の背景にあってはその道のりは一筋縄にはいかないだろう。
 むろん、現在百田派と反百田派に代表される岩盤保守分裂の状態が解消され、岩盤保守の基礎票をほぼすべて固めることができる統一候補が生まれるとすれば、議席獲得の可能性はないわけではない。が、私が観測するに両派の溝は相当深く、骨肉の争いは将来も継続されるとみている。
(中略)
結局、「ネットで影響力があることと、実際に日々を生活する人々の心を動かすのは別モノ」 という当たり前のことを我々に突き付けたのかもしれない。(了)

(部分抜粋転載終)

注:太字はLilyによる。

(2024年5月2日記)
…………
2024年5月5日追記

(https://www.youtube.com/watch?v=lLPtswKkduE)
東京15区、負けたのは小池百合子!そして日本保守党、飯山あかり氏の4位をどう見る?
竹田恒泰チャンネル2
105,596 views
May 4, 2024
#竹田恒泰 #竹田恒泰チャンネル #衆院補選

(https://twitter.com/ituna4011/status/1786963222417023360)
Lily2@ituna4011
竹田氏は優しい言い方をされているが、「選挙区でどういう人間関係を築いてきたか」が肝心。選挙区以外でも、過去20年の経緯を無視しては、いかにも失礼。ネット上でバズっていただけでは、4位で終わってしまう、という指摘は、良くも悪くも選挙制度の本質ではある。
12:36 PM · May 5, 2024

(2024年5月5日転載終)

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伊藤貫『歴史に残る外交三賢人。ビスマルク、タレーラン、ドゴール』

・本書は、過去三世紀間の国際政治史において重要な仕事を成し遂げた三人の外交家。ビスマルク、タレーラン、ドゴールの思想と行動を説明することにより、リアリズム外交の実態を読者に理解していただくことを目的として書かれたものである。

・リアリズム外交は、バランス・オブ・パワー外交(勢力均衡外交)とも呼ばれる。この外交のパターンは、紀元前5世紀にギリシャのトゥキュディデス将軍が「ペロポネソス戦記」を書いた時から現在まで、基本的に変わっていない。

・『歴史に残る外交三賢人』として本書で採り上げるビスマルク、タレーラン、ドゴールは、国際政治におけるバランス・オブ・パワーの維持を目的として、自国の外交政策と軍事政策を運営した人物である。

・彼らは個性的でダイナミックな人であり、知的・文化的にも洗練されていた。

・三人とも頭が良くて討論能力に長けており、しかも深い思考力を持つ人物であった。しばしば同時代の「思想の潮流」や「圧倒的な世論」や「既成の政治勢力」に対抗して、バランス・オブ・パワー外交を実践するために孤立を恐れず奮闘した勇敢な外交家であった。

・これら三人のうちで、最もエンターテインメント・ヴァリュー(娯楽的な価値)が高いのは、タレーランであろう。

・ヨーロッパには、ピカレスク・ロマン(悪漢小説)と呼ばれる文学のジャンルがある。あぜんとするような悪事をしでかす悪者を主人公として、その人物の大成功と大失敗を描く波瀾万丈の物語である。

・タレーランも、スリル満点で波瀾万丈の人生を送った悪人であった。彼は、自分が悪党であることを世間から非難されても平然としていた。そのような「悪辣な政治家」が、ナポレオン戦争後の混乱した敗戦国フランスを救うために大胆な忠国外交を実行したという史実が、まるでピカレスク・ロマンのように面白いのである。

(2024年4月30日転写終)
。。。。。。。。。
【今日の名言】アルベルト・アインシュタイン(ドイツ生まれの理論物理学者)

失敗したことのない人間というのは、挑戦をしたことのない人間である。
成功者になろうとしてはいけない。価値のある男になるべきだ。
だれかのために生きることにのみ、生きる価値がある。

私は賢いのではない。問題と長く付き合っているだけだ。
私は未来のことを考えたことはない。すぐに現実になるからだ。

常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない。

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。
学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ。

賞賛による堕落から逃れる方法はただひとつ。仕事を続けることである。

自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。
どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか。

一見して馬鹿げていないアイデアは、見込みがない。

天才とは努力する凡才のことである。
成功という理想は、そろそろ奉仕という理想に取って替わられてしかるべき時だ。

悪に感化される人がいることよりも、悪を看過する人がいることの方が危ない。

何かを学ぶのに、自分自身で経験する以上に良い方法はない。
いつだって、偉大な先人達は凡人達の熾烈な抵抗に遭ってきた。

情報は知識にあらず。
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。

人間性について絶望してはならない。なぜなら我々は人間なのだから。

神は絶対にサイコロを振らない。

物事は全て、できる限り単純にすべきだ。
調べられるものを、いちいち覚えておく必要などない。

私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。
6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。

可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである。
男は結婚するとき、女が変わらないことを望む。女は結婚するとき、男が変わることを望む。お互いに失望することは不可避だ。

科学はすばらしいものだ。もし生活の糧をそこから得る必要がないのなら。

たとえ国家が要求しても良心に反することをしてはいけない。

人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。

優れた科学者を生み出すのは知性ではなく、人格である。

ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。本をたくさん読みすぎて、自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る。
シンプルで控えめな生き方が、だれにとっても、体にも、心にも、最善であると信じています。

※4月18日はアインシュタインの命日(1955年)です。

(2024年4月30日転載終)

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V・フランクルのインタビュー

恐らく1994年頃にNHKテレビで放映された番組を二本立てにしたものであろう。You Tubeで再現されることは、素人の私にとってはありがたい。
コメント欄を見ると、この時期にはテレビ番組の質が保持されていたことを反映している。

4月28日(土)の午後4時から6時にかけて、京都ユダヤ思想学会(2007年から教授の勧めで入会)のZOOMティータイムに参加した後、ふと気になって見つけた映像だった。
フランクルは、「精神科医である」と日本では紹介されていることが多かった(と記憶する)が、インタビューによれば、哲学と神経精神医学が専門だとのことである。

2022年4月から二年間の修論作業で、明治以来の日本の神経学について古い文献で調べてワード要約を作ってみた。

日本では、神経学と精神医学の相互領域に学的人脈と政治的な問題があったらしく、今でもそれが尾を引いているらしいことを初めて知った。ドイツ医学とフランス医学では、やり方や潮流が異なる上、戦後、優秀な欧州の神経学者は、米国に移住して研究を発展させた。しかしその一方で、何事も合理的かつ簡易にまとめる傾向にある米国医学に不満を持つ神経学者も米国には確かに存在する、ということのようである。

とするならば、フランクルの理解受容にも、日本側の一方的な思い込みや片寄りが含まれるのかもしれない。そんなことを思いながら、映像二つを見ていた。

【ヴィクトール・フランクル インタビュー 1/2】 「夜と霧」を越えて
(https://www.youtube.com/watch?v=c5gq7b47cL0)

【ヴィクトール・フランクル インタビュー 2/2】 それでも人生にイエスと言おう
(https://www.youtube.com/watch?v=opm8tvyZLdU)

その断片をフェイスブックに掲載したところ、下記のコメントを頂戴した。
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

【ヴィクトール・フランクル インタビュー 1/2】 「夜と霧」を越えて
(https://www.youtube.com/watch?v=c5gq7b47cL0)
ヴィクトール・フランクル インタビュー 第1回 「夜と霧」を越えて
フランクルが89歳の時のインタビューです。 インタビュアは野田正彰氏。

T・H:実に重いテーマです。やはりユダヤ人で収容所経験のある、政治哲学者のハンナアーレントはゲシュタポの中心にいてユダヤ人虐殺の重要な役割を担い、アルゼンチンに潜伏していてイスラエルのモサドにより発見、拉致されイスラエルに護送されたアイヒマンの裁判を傍聴してレポートを書いたが、彼女はアイヒマンがどこにでもいる、実に凡庸な人物であったことに強いショックを受けた。悪の属性は凡庸なる我々とは別の、いわゆる悪魔、サタンと言われる特殊な人物の属性ではなく、まさに我々の属性であることショックを受けたのでした。何も考えない、ルーティン化された思考のままに行動して、そうすることこそが正しいのだと言って憚らない。アイヒマン裁判のあて、ハンナアーレントは思考とは何かについて、その考え、思考に集中した。精神と生活、上下2巻がアーレントの遺作となったわけです。つい二日前に自分の書棚からこの2冊を引き出したところでした。

ユーリ:H様、長文のコメントを誠にありがとうございます。アーレントについては、何年も前から学会等で聞いております。今日もまた、小さなティータイムでユダヤ問題について専門的な話をうかがいました。簡単には言葉にできません。いつも深く考えさせられます。政治的には保守的な世俗派ユダヤ人の知人が何人かいますが、唯一、自分にできるかもしれないことは、考えることをやめないことか、と思います。単に上の命令に従ったまでだというアイヒマンの凡庸さについては、日本でもよく語られますが、この自分もそうなのだと、どこまで自覚でき、実践できるかが問われていると思います。

(転載終)
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フランクルは、ユダヤ人であるという理由で、ナチによって家族共々、収容所に送られた。
それにも拘わらず、„Trotzdem sage ich Ya zum Leben” だったか、強靭な精神力と「とどのつまり人生には意味がある」という希求を抱いて見事に生還されたことは、今でも我々一般人に並々ならぬ驚嘆と勇気を与え続けている。ただ、日本で表向き殆ど語られていない側面は、「なぜ、それが可能になったか?」の根源である。

フランクルが戦後、収容所から‘解放’されて最初に没頭したことは、精神科医としての職を確保するために論文を書く作業だった、という。そして、病院で確固たる職を得て、再婚し、新たに家族を形成された。家族がバラバラになって死別したにも拘わらず、この凄まじい生への執念は、一体どこから来るのだろうか?

その辺りの歴史的考察が浅い点、日本の報道には不満が残る。

(2024年4月30日記)
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(https://www.youtube.com/watch?v=osT2UWXItUs)
Hitler über Berlin – Der Aufstieg des Nationalsozialismus von der Weimarer Republik bis 1939 (1/5)
CHRONOS-MEDIA History
(51:44)

(https://www.youtube.com/watch?v=kOIHRQlQqwU)
Liberators and Survivors: The First Moments
Yad Vashem
(15:26)

(https://twitter.com/ituna4011/status/917641940933287937)
Lily2@ituna4011
“Stefan Zweig” (Folio Biographies)Catherin Sauvat(https://amazon.co.jp/dp/2070308359/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_BVg3zbBGTKVNW…)
2016年9月24日に巴里のホテル近くの駅構内の本屋さんで見つけて買ったフランス語のシュテファン・ツヴァイク。ドイツ語ではない。
3:44 PM · Oct 10, 2017

(2024年4月30日転載終)

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再入学した放送大学その後

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784336918974718127)
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世界の新薬が使えない 「治験後進国」日本の課題 Inside Out – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUF12ABP0S4A410C2000000/…
← グローバル基準で副作用が増えた現実は?
6:40 AM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784337388317343773)
Lily2@ituna4011
振戦のみがPDではないのは常識。
6:42 AM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784873414852763724)
Lily2@ituna4011
機能性神経障害「La Lésion Dynamique(動的病変)とは何か?」Mark Hallett教授の講義より https://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/0debf99d5de1bbc79b852745b82ca801… #gooblog
← シャルコー先生!今年度、フランス語を12年ぶりに再開した理由。
6:12 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784874878870376690)
Lily2@ituna4011
レカネマブは標準治療と比較し費用対効果が優れているとは言えず,価格が年間5100ドル未満とならなければ費用対効果は低い https://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/414146fd6f7d918deab84196e1ccd4b4… #gooblog
← 問題の多いレカネマブ。
6:18 PM · Apr 29, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1785058729034924409)
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今年1月上旬の修論口頭試問でも副査の教授から「認知症でも今後問題になる薬がありますね?」と問われ、即座に「はい、レカネマブ」と即答いたしました。 神経内科学がご専門の下畑享良教授(岐大)と長谷川嘉哉医師(岐阜県)の両先生には本当に感謝しております。今後とも刻苦勉励いたします。
6:29 AM · Apr 30, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1784395184106766796)
Lily2@ituna4011
下記の簡単過ぎた科目、今日中に終わる。2019年の教材なのに明らかな誤記が含まれていたので、申告もした。 インターネット講義は全部、1.5倍速か1.25倍速で聴いている。最近では世の中が万事、ゆっくり丁寧過ぎるので、時間が無駄。放送大学以外にもオンライン通信講座は全部、そのようにしている。
10:32 AM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784395517000343941)
Lily2@ituna4011
高度さや深化が望めないならば、幅を広げるしかない。 限られた範囲内での苦肉の策。
10:33 AM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784398119079498043)
Lily2@ituna4011
高校の頃、ノートもあまり取らず授業を聴くだけで、全科目平均して素晴らしい成績だった人がいた。体育系部活でも活躍し、楽器も習い、人柄も鷹揚で余裕綽々。方や私は、まめまめしくメモを取り、宿題と予習復習だけで精一杯。水泳部とピアノ練習で毎日眠かった。家事もやっていたけれど。人生格差?
10:43 AM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784406940543782945)
Lily2@ituna4011
逐一、余計な話を入れ込んだり、当たり前の話を繰り返したり。聴いている方が疲れることこの上ない。ついでに活字も大きくなって、読む情報量が著しく減った。昔の高齢者は、自らルーペを持って新聞を静かに読んでいた。今は、自分中心に要求を社会に突きつける。
11:19 AM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784417649151365140)
Lily2@ituna4011
ただ今、ジャスト正午前に全部終了。最終テストは満点。レポートは数日前に提出したが、率直に辛辣なコメントを書いたので、減点される可能性あり?
12:01 PM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784437380776362334)
Lily2@ituna4011
せっかく4月中の科目終了の内祝いとして、野菜炒めを作ったのに、テーブルに運んで食べようとしたら、手前でいきなりパリンと割れた。油で床掃除が大変。 放送大学の科目批判をしたバチかしら? と思いきや、吉兆の前触れらしい。
1:19 PM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784438198246224154)
Lily2@ituna4011
語学は倍速がお勧め。聴解訓練になる。但し、既習言語に限る。私は、英語とドイツ語がいつも倍速。
1:23 PM · Apr 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1784549546342957472)
Lily2@ituna4011
今年度の再入学で気になるインターネット講義のフォーマット。以前は1分でも閲覧したらすぐに日付入りで「閲覧印」が表示されていたのに、今は最後まで視聴しても日付が入らない。オンライン講義は、作業や課題の一覧リストがあり、一つでも終わると自動的にマークがついたのに、今は入らない。不便。
8:45 PM · Apr 28, 2024

(2024年4月30日転載終)
………….
2024年6月24日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1804808664248995988)
Lily2@ituna4011
やはり会場受検の方がいいです。 自宅でのパソコン受検では、途中で電話がかかってきたり、ドアベルが鳴ったりして、集中できません。また、当日突然、パソコンが起動不能になったり、途中でフリーズしたりしたら、全てが無効になってしまいます。
6:28 PM · Jun 23, 2024

(2024年6月24日転載終)

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植樹祭に三度目の献木

2年前には、2022年5月5日「長寿考-卒寿と白寿と」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2551&action)というブログを書いた。この時には、2021年4月29日の初回に引き続き、私共の挙式会場であった京都の下鴨神社にある糺の森での二度目の植樹祭のことを記した。

昨年は主人の「四年祭」に相当したが、神道では何もしないのが通例。ちょうど大学院修士課程の2年目に入った頃で、毎月のゼミ発表もいよいよ山場を迎える時期だったため、見送った。いろいろな用事もたまっており、その疲れもあって、休んだことは正解だったと今でも思う。

今年の4月29日には、三度目の植樹祭に参加した。ちょうど主人の五年祭を4月7日に自宅で行ったばかりである。伊丹市内でずっとお世話になっている天満宮の宮司様をお招きして、ごく簡素ではあるものの最低限のことはできたと思っている。

そのことと兼ね合わせて、今回の献木でも、従来と同じく桂の木を一本植えた。一度目と二度目は15万円だったが、今年は20万円である。

第一回目の時はまだコロナ問題が緊張感を帯びており、京都市内も殆ど人出がなく、タクシーの運転手さんも「商売あがったり」で元気がなかった。その代わり、実にスムーズに現地に到着できた。コロナを理由に式典はなく、参加者が順にスコップで苗木に土をかけて終わった。参加の御礼として、鉢植えの黄色いカランコエをいただいた。

第二回目の時は大雨で、式典はあったものの参加者は少なめだった。冒頭のブログで記した通り、裏千家の「鵬雲斎御家元」とお呼びしていた大宗匠様が直接、献木者の名前を順に読み上げられ、じっと見つめられた私もその中に含まれていた。参加の御礼には、鉢植えの赤いカランコエをいただいた。

二つのカランコエは、今もベランダですくすく育っている。一時期、うっかり放置したままだったところ、花も枯れ、赤茶けて萎びた茎と葉しかなくなってしまった。その後は毎朝、祭壇の御神酒を替える時に、榊の前に置いた水を鉢植えにかけ続けたところ、今では生き生きと、彩りよく見事な黄色と赤の花を咲かせている。きちんと手入れをすれば、それなりに長持ちするものだ。

今年は、曇天。これがちょうど適切だったようで、式典も滞りなく行われた。糺の森保存会の理事長を務めていらっしゃる千玄室氏こと鵬雲斎大宗匠様は、今年で101歳を超えられ、さすがに腰が傾き、首も前下がり気味になられた。だが、今でも前に立ってのご挨拶は、大きな声でフレッシュな内容を語られた。このお元気さにはびっくり。理事長としての責任感と、戦前の軍事鍛錬の賜物であろうか。

今回は、神職の方が祭壇で、献木者34名の住所(居住地の県と市のみ)と氏名を祝詞の節をつけて読み上げられた中、私も8番目に含まれた。スコップで一人ずつ土をかけに行く時、またもや鵬雲斎大宗匠様にじっと見つめられたが、一昨年と同様、本当に不思議な気がする。千利休から数えて15代目の裏千家御家元という京都でも名高く高貴な家柄の方に、何も肩書もない私が名前を呼ばれて、しっかりと見つめられたのだ。名古屋で裏千家のお茶を習っていた結婚前には、雲の上の方とご面会の機会があるはずもないと信じ込んでいた私だったのに、である。

国民民主党の前原誠司氏と自民党の伊吹文明氏から、この植樹祭典のために祝電を頂戴しているとのご挨拶もあった。

今年は、カランコエはないとのことで、代わりにベゴニアの鉢植えをいただいた。ところが、その後、歩き回っているうちに、どこでも花びらがあちこちに散って落ちてしまったのは残念だった。カランコエなら、そういうことはなかったはずだ。

一時間程で式典と土掛け記念撮影は終了。

その後、自分が以前植えた桂の木の二本は、どこにあるのだろうか、どの程度成長したのだろうか、と思いながら歩いてみた。会場近くの「あけ橋」の標識に目をやり、何とはなしにその近辺へ近寄ってみたところ、なんと、あったではないか!まだ背丈は高くはなく、どちらかと言えばひょろっとした感じではあったものの、確かに私の名前が書かれた白いプレートを掛けた「桂の木」が一本、植え替えてあったのだ!

写真を撮った後、(あと一本はどこだろうか?)と探し回りながら歩いていると、シャベル入りのベゴニア鉢植えをぶら下げていたせいか、たまたま出くわした園芸係の男性が親切に説明してくれた。桂の木を集団で移植した場所は、地図では本殿方面の北にある、という。社務所に行けば、毎年、献木者の名前を場所毎に記した地図が作成されているので、一枚もらって探せば見つかるだろう、とのことだった。

(2024年5月2日記)
………….
2024年5月6日追記

上記の4月29日には、糺の森の植樹祭の時、千玄室理事長と宮司様からうかがった話には、「しっかりと根を張ること」「根っこが大切であること」「種子根で立派に生きる」という言葉が含まれていた。

自分なりに応用的に考えてみると、それは自分の家系ルーツ(血縁)をしっかりと把握しておくこと、自分が暮らしてきた/暮らしている土地の来歴(地縁)をきちんと理解すること、自分の過去履歴を整理しておくこと、毎日の食事と睡眠と運動という生活習慣に加え、掃除、整理整頓、清潔、衛生等、目に見えないものを整えておくことか、と思われる。そして、自分が属する国柄についても現状のみならず、過去を踏まえた上で直視する勇気をもつことではないだろうか。

植樹祭の祭事そのものは20分程で終わり、スコップシャベルで土掛けと写真撮影が済むと、11時には式典全体が終わった。

その後は、双葉葵のお菓子をいただいて休息。しばらくは境内の中をぶらぶらと散策してみた。

伊丹の小西家による清酒「白雪」が奉納されているのを確認したり、本殿の四言語(英語・簡体字・繁体字・ハングル)による参拝手順の説明看板をメモしたりした。「神」はGodではなく「Kami」とされていた点、さすがに昭和時代とは異なると感じた。

そして、鴨長明ゆかりの河合神社には12時42分から1時2分まで。十数年も前に主人と見た鴨長明の再現住居は移転されているとのことで、二度目の資料館を覗いてみた。『方丈記』の江戸時代の写本数種は、5年目に入った伊丹での古文書クラスおよび今年1月から受講を始めた通信講座のおかげで、何とか少しでも読めるようになったのは、我ながら前進だ。意味がわかってくると、確かにおもしろい。

続いて、糺の森を南下した境内の先にあった秀穂舎資料館へ。
平成28年(2016年)10月1日に開かれた資料館だが、確か主人が入院中だった2020年3月中旬にも来ていたかと記憶する。その時には、中年女性のガイドだったが、時間が押していたので、あまり詳しくは覚えていない。その後は、いつでも時間切れで、なかなか中には入れなかった。今回は、1時9分から2時6分と、ほぼ1時間の閲覧が可能になり、しかも丁重なボランティアガイド氏の親切な解説付きでもあった。

案内ガイド氏の説明から学んだことのメモ箇条書きを。

・下鴨神社には340軒の社家があり、それぞれの職分を担っていたが、明治期に入って閉鎖された。
・今では、浅田家(五位)と鴨脚(いちょう)家の二軒のみ残ったが、前者が資料館となり、後者は現在もお住まいである。
・浅田家は賀茂社の画工司で、絵と文字の記録係であった。
・伊勢の神宮の遷宮と異なり、下鴨神社の遷宮は修理のみである。
・この浅田家には、かつて京都市長が住んだこともある。
・玄関先の石人文官の石柱は、朝鮮半島由来である。
・華表門(かひょうもん)は、鳥居の型である。
・玄関入口にある歳木(としぎ)は、「たもらぎ」ともいう。竹で48本編み、門松に近い。
・玄関には武器と蓑笠が掛けてあった。
・御井戸(みいど)は、神水を汲むためのものである。
・待合は、荷物持ちの付き人が御主人の出勤前、待機する場所であり、煙草入れも置いてある。
・玄関の黒い靴は儀式用、白い革靴は雪の時に用いる。
・庭の双葉葵は繊細で育てにくく、枯れないよう大切にしなければならない。
・庭の中には、泉川から御手洗
・下鴨神社は通称であり、賀茂御祖神社とは、おじいさまとお母様をお祀りしている意味。

1時35分にガイドが終わると、残りの25分程、一人で古文書や屏風絵が並べてあった二部屋を閲覧。

・東遊歌:東向きの歌舞で、御神霊を慰める芸能を「あそび」と称した。
・『御堂関白道長公記』『関白賀茂詣絵巻』『小右記』
・葵祭の起源は、『山背国風土記』によると、欽明天皇5年(544年)の不作と疫病は賀茂大神の祟りではないかとのことから。
・賀茂の斎王制度は、薬子の変に始まる。
・式子内親王(1149-1201年)

続いて、すぐ近くに旧三井邸があったので、2時7分から2時44分まで閲覧させていただいた。非公開文化財の行事でよくリストに載っていたが、今までは、ここだけのためには来られなかった。小雨が降りかけていたが、ちょうどタイミングが合い、静かでしっとりと落ち着いた素晴らしい庭園やお住まいを見せていただけた。記念に葉書も買い求めた。
この邸宅は、三井家が下鴨神社に参拝する際に利用したものらしい。また、三井家が代々心得としていた商業倫理を書き記した古文書も展示されており、信用第一、顧客を大切に、金銭は正確に大切に用いること、という原則を守り通すことが、今も昔も繁栄の基のようである。

その後は10分程、近くの公園で下鴨神社境内と近辺の説明板の部分写真を撮って、半日の復習をした。

京阪の出町柳駅から祇園四条駅まで特急電車で。

四条の南座近辺には、外国人観光客がたくさんひしめいていた。四条大橋と五条近辺は、京都でも最も嫌な場所である。
特に、観光用に崩した下品なケバケバしい着物もどきを、まるで大見栄を切っているかのように胸を反らして堂々と歩いている白人女性や中国人等が、不愉快で仕方がなかった。なんと、最近では白いフリルのレースを襟元からのぞかせるおかしな姿が増えていた。

いくら自分ではキモノを着ているつもりでも、ごく普通の日本育ちの我々日本人の目には、態度や物腰からおかしさがすぐにわかってしまう。洋服とは違い、普段の日常生活習慣や内面から滲み出るものがそのまま表出されてしまうのが、着物。「ここはどこの国なんだ?」と思わせてしまう。
後日、呉服屋さんでその話をすると、やはり業界でも嫌がられているようで、四条の老舗の呉服屋さんは口を閉ざして付き合わないようにしている、とのこと。

ところで、南座の歌舞伎は一度も見たことがないし、今後も見ることは決してないだろう。テレビで昔放映されていたのを見た限りでは、お能はいいが、歌舞伎はどうも相性が合わない。
1998年頃、関西の地理を覚えようと思って、手当たり次第に集めた本の中には、「歌舞伎とは「かぶく」を意味しており、被差別部落の人々が生業としていたものである」云々と書かれてあった。今回驚いたことには、「出雲の阿国」は「出自未詳ではあるものの、出雲大社の巫女である」らしい、という説明書きが川べりに提示されていた。

一体、どちらが事実なのだろうか?

(2024年5月6日記)
………………….
2024年8月22日追記

(https://www.chichi.co.jp/web/20230419_senn/)

【101歳】裸足になってひたすら前進を続けよ——茶道裏千家前家元・千玄室が悲哀の中で掴み取ったもの
2024年7月30日

茶道裏千家前家元の千玄室さん。101歳となったいまなお茶の道を究める一方、「一碗からピースフルネス」を志として半世紀以上、国内外に和の心を伝え続ける原点には、過酷な戦争体験、肉親の死など、数々の困難があったといいます。そんな千さんの半生に迫るエピソードをご紹介いたします。※対談のお相手は、宗教学者の山折哲雄さんです。
毎日死ぬことばかり考えていた
〈千〉
戦争中は、自分がいつ死ぬか分からないという思いで生きてきたわけですが、大事な家族を失うのはまた違う辛さがあります。10年前に家内、7年ほど前に二男に相次いで先立たれましてね。この時は特攻で死ぬこと以上に辛うございました。 
家内が亡くなった後、無常観と申しますか、半泣きになりながら毎朝の散歩を続けているような状態でございました。過ぎ去りし家内との思い出の中に入り込んでいる自分の姿がよく分かるのですね。けれども、どうしても切り捨てることができない。
「おまえは一体何なのだ。戦争で死に損ない、大徳寺で瑞巖老師に学び、半世紀以上お茶の心を海外に伝えてきたのは一体何だったのか」と。
毎日、毎日死ぬことばかりを考えておりました。すると顔に死相が出てくるのですね。ある時、当時小学生だった孫娘が「お祖父ちゃま、どうしてそんな顔しているの」。そう言われてハッとしました。鏡を見たらなんとも情けない顔なのですね。「こりゃあかん。もう一度、立ち直らなくては」と。
ちょうど海外普及も50周年の節目を迎え、家内が「これからは好きな茶の道をされてはどうですか」と言ってくれたのを思い出しましてね。長男に家元を譲る決意をしたのです。
裸足になってひたすら前進を続けよ
〈千〉
そうしてだんだん立ち上がったところに、今度は二男が病に倒れてしまいました。見舞いに行くと、私の手を握って「僕はもう駄目かもしれない。兄さんが16代を継いでくれるのを見届けたかった」と申しまして……。
〈山折〉
そうでしたか。
〈千〉
長男が家元を継承するのを見届けたように、二男は亡くなって、私もまたどん底に突き落とされた気持ちでございました。
しかし、家元の重責に前向きに立ち向かっている長男の顔を見たら「ここで自分が負けてはいかん」と心を奮い立たせました。人間再生です。
山折先生ね、瑞巖老師から私が最後にいただいた公案(禅の師匠から与えられる課題)が「破草鞋(はそうあい)」、破れ草鞋だったのですよ。
最初に老師に「はそうあい」と言われた時は、何のことだかさっぱり分からなかった。お伺いするわけにもいかないし坐禅をやっていても浮かばないのですね。 
ある時、玄関の入り口に掛けていた托鉢用の編み笠と草鞋を見た時、ハッと思ったのですね。「そうや、草鞋のことや」と。
しかしそれでも破れ草鞋がどういうことかがまた分からないのです。
〈山折〉
答えは見つかりましたか。
〈千〉
それが、最近ようやく分かりました。破れ草鞋は何も役に立ちません。自分の草鞋が破れている。それすら忘れて、裸足になってひたすら前進を続けよと。いつまでもうつむいていないで前進を続けよと。この年になって一つの疑問が解けてきました。
これがいまの私の心境です。
〈山折〉
なるほど。お話を伺っておりまして、私のような門外漢から見ましても、それは実に見事な引退、そして新たな再生という人生の区切りではなかったかと拝察いたします。
おそらく気力、体力ともに充実していらしたはずです。その段階で身を引くのは、よほどの決意がないとできないことだと思います。
そして家元を譲られることで、また大きな心境を開かれたのですね。
________________________________________
(本記事は月刊『致知』2010年1月号 特集「人生信條」より一部抜粋したものです)

(転載終)

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岡田家の音楽環境

4月28日(日)の午前中、今年再入学して登録した放送大学の計8科目のうち、1科目を全部終了した。これで、5月以降は、残りの7科目(その中の大学院レベルはオンライン2科目)を計画に沿って着々と進めていけばよい。

午後2時からは、伊丹市宮ノ前にある旧岡田家の酒蔵内の小ホールで、岡田利兵衛先生のお孫さんに当たる岡田暁生氏のレクチャー・コンサート「戦前阪急沿線と音楽と岡田家」と題するお話をうかがった。これは、旧岡田家住宅・酒蔵築350年記念プログラムの一環である。私にとっては、4月13日に聞いた講演会に続き(2024年4月14日付「地域文化史を学ぶ」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=7132&action))、これが第二弾。

岡田暁生氏のお父様、つまり岡田利兵衛先生のご子息は岡田節人(ときんど)氏。4月16日の午後、ミュージアム内の展示を見に行った時、奥の小さなコーナーで生物学者の節人氏がにこやかに語る10分程度のビデオが流されていた。

裕福な家に生まれると、このように鷹揚な人柄が培われるのだろうかと、すっかり平板化し、左派リベラル風潮の影響で一種、抑圧的な社会になっている現在では懐かしく思うところである。ちょうど私がマレーシア勤務から帰国した1990年代前半期に、そのビデオ対談がなされていた。あの頃までは日本に競争力が残っており、経済的にもまだ余裕があった。

岡田暁生氏は京大教授で音楽学者。お父様には膨大なレコード収集があり、阪神間モダニズムの時代背景と岡田節人家を取り巻く音楽環境、というお話だった。「岡田家なんて、人様に来ていただけるようなネタ、あるんかなぁ」と謙遜されていたものの、酒蔵には目算で50名以上もの人々が集まっていた。尤も、例によって例の如く、この種の話に若い人が殆どいなかったのは、昨今の情けない傾向である。

以下、当日のメモを頼りに、お聞きした話の要点を抜粋して記録する。
。。。。。。。
江戸時代から酒造で栄えた伊丹の町。江戸で人気を博した清酒造りで経済的に繁栄すると、文化的興隆と広がりが阪神間に生まれる。ただ、お父様の時代になると京都へ引っ越し、核家族として暮らしていたそうである。そして、「全くお金持ちでもない」。祖父の家であった岡田家住宅は、後に国宝とされたが、自分にとってはエキゾチックな「異文化体験」。蔵は薄暗く怖いところで、まさに‘wonderland’。「座敷童」のような妖怪の世界で、お酒の匂いも漂っていた、という。

近松門左衛門のような元禄文化が栄えた時代、旧岡田家は資産家であったが、「今ではあり得ない」。豪商ということは、文化の交差点として、文化集約される発酵の場。但し、それは腐敗と表裏一体でもあった。

2018年秋に伊丹に転居して以来、酒造の町としての伊丹が、極めて洗練されて綺麗な側面ばかり表向き語られることが不思議で、ある時、私は市の女性職員に尋ねてみたことがある。「普通、お酒といえば金と女がつきものなのに、どうして伊丹の展示では、女が出て来ないんですか?」
すると、「もちろん、ありますよ。お教えいたしましょうか?」と即答。でも、話はそこで途切れたままだった。

どうなったのだろうか、と長らく密かに思っていたところ、さすがは岡田先生自ら、「生前の父に尋ねたことがあります」。「芸者遊び、せえへんかった」。つまり、岡田家は代々、大変真面目なご家系でいらしたということである。裏返せば、お酒で裕福になった豪商は、芸者に入れられたのが通例だったが、そういう家は戦前に没落していった、ということらしい。

この「真面目なご家系」については、勿論、岡田利兵衛先生の鬼貫研究でも窺い知ることができる。戦後、カトリック信者になられた篤信の利兵衛先生は、鬼貫も「まことの人であった」と、律儀な側面を強調して解釈されている。

話を節人先生に戻すと、「物凄く音楽好きだった」そうで、暁生先生もその影響を受けて今に至っているようである。また、岡田家には戦争に行った人がいない。母方は山口の造り酒屋の御出身で、官に近く、真面目な家柄であり、娘さん方は4人とも全員ピアノを習っていたという。(そして、かなりお上手でもあった。)

また、岡田家の世代は、日本が初めて音楽を学ぶために欧州留学を開始した時代に相応する。例えば作曲家の山田耕作は資産家の出身で、花柳界に近く、三味線が家の中でいつも流れていた環境だったという。

今回のお話のキーワードは、上方の造り酒屋の豪商文化は、東京の立身出世が嫌いで、官製や教養主義も嫌い、「ええなぁ、おもろいなぁ」という感性中心主義とのことだった。

明治に入り、欧米列強と対峙することになった日本は、文明国あるいは一等国であると見なされるために、バッハやモーツァルトやベートーヴェン等の洋楽を国策として国が輸入した。その際、モデル国をドイツと決めて、ドイツ人をお雇い外国人教師として音楽学校に招き入れ、例えば「蛍の光」のような小学校の唱歌が導入された。関西学院や神戸女学院のようなプロテスタント系教会も、そこでは大きな役割を果たした。同志社も、牧師養成としてオルガン音楽が導入された。

造り酒屋の芸事は町人文化で、すなわち、官が嫌いだということを意味する。勲章をもらうことも嫌いで、説教も嫌。だから、岡田利兵衛先生は戦後カトリック信者になられ、ローマ教皇から勲章をいただいた。プロテスタントは「くそ真面目」で、裏表があってはダメ。そもそもカトリックに対する対抗運動として始まったプロテスタントなので、質実剛健を基とする。対するカトリックは、告解すればチャラになり、ある意味いい加減である。暁生先生は、小中高とカトリック系の学校で学ばれた。

お父様の節人先生は、生物学者とはいっても実は多趣味。御祖父様の利兵衛先生も、鳥や写真や芭蕉等、多趣味。その中の一つを「本職」とされたようである。「偽物か本物か」については、「感性的にピンと来たのでは?」との由。

ウィーンは絢爛豪華のスぺクタルである。また、カトリックの作曲家は、ハイドン、モーツアルト、シューベルト、シュトラウス、ベルリオーズ、ロッシーニ、ヴェルディであり、お説教なしの小粋を特徴とする。

ここで、第一曲目として、節人先生がお好きだったというシューベルトの連弾曲を。ウィーン民謡でウィーンなまりの„Wien bleibt Wien”が流された。

大正リベラリズムは教養時代。1901年には、尼崎港と伊丹をつなぐ福知山線が箕面への接点ともなった。1907年(明治40年)6月には、箕面有馬電気鉄道が開始され、1914年には、阪急沿線沿いの新興住宅に住む人の娯楽として、宝塚歌劇団がオープンした。神戸線等の建設も始まり、1929年には小林一三翁による阪急百貨店が開店し、有馬の六甲ホテルも開かれた。この時期は、1892年生まれの岡田利兵衛先生が成長された頃に相当する。阪急百貨店でおもちゃを買ってもらった、という記述に関しては、「相当裕福だった」ことを示す。

ところで、伊丹酒は度数が高いため、割って飲むのが普通だそうである。

東京の成城学園を中心として新自由教育が始まり、子供はお世継ぎや労働力ではなく、子供としての人権を認める風潮が始まった。例えば、童謡の「赤い鳥」が象徴的である。

神戸港からの酒の運び出しを通して、東南アジアの鳥を入手した。氷ノ山で昆虫採集?箕面動物園。

レコード技術は1920年代頃から発達し、レコードを聴く習慣が確立された。明治期には洋楽は演奏するものであったのに対し、大正期に入ると、町人文化から「自分達の音楽を作ろう」という機運が生まれた。これは、家元しか作曲が許されなかった官製音楽学校の発想ではない。例えば、1879年生まれの永井荷風、1886年生まれの山田耕作等が、それに相当する。

1893年生まれの太田黒元雄は「東芝の息子」であった。関学を中退し、1910年に岩崎小弥太の援助でベルリンへ留学した。私費留学は、当時、私大か東大の出身者だった。その頃、グランドピアノ一台あれば、家が二軒建ったという。東京芸大は国策の官製芸術大学で、日本人に洋楽をマスターさせる動機があった。

1901年生まれの薩摩次郎人は「木綿王の孫」で、藤田嗣治らのパトロンでもあった。同志社大学や関学や慶応大学は町人文化であり、御公家様の子弟が行くところではなかった。

宅孝二(1904-83年)は堺の造り酒屋の出で、私費でパリ留学をした。琴や三味線をたしなみ、ピアノも弾いていたが、同志社大学を中退している。戦後は東京芸大の教授になり、60歳からジャズを学び、池袋のキャバレーに出演もした。何度も結婚しているため、係累関係が不明である。あちこちに子供がいて、面倒を見ていたらしい。根っからの遊び人であるが、NHKのバックミュージックとして採用された「花火大会」は、なかなか洒脱で洒落たモダン曲である。

大澤壽人(1906-53年)は「神戸製鉄の技術者の息子」であり、関学出身のプロテスタントだった。1930年に渡米し、1933年にはボストン交響楽団で指揮をさせてもらった。これは「お金を渡して演奏させてもらった」という意味で、現在でも行われていることである。帰国後は、神戸女学院の教授になった。

九鬼周造は三田のお殿様の出身だが、『粋の構造』で有名である。ドイツではハイデッカー、フランスではベルクソンのもとで、哲学を勉強した。フランスでは、サルトルが家庭教師であり、九鬼周造とは、「芸者を哲学した人である」と言える。

1938年パリ初演の『カミカゼ』は、日本人の手になるものと思えない程、前衛的で洒脱であり、官製文化にはない、いかにも新しもの好きである。

貴志康一(1909-37年)は男前で、最近有名になっている。祖父がメリヤス業者であり、松花堂弁当の考案者か、とも言われている。芸者女の三味線が聞こえる都島で育ち、芦屋へ移住したが、1929年、甲南を中退して渡欧。(ちなみに、父親も甲南を出ている。)1934年には、ベルリン・フィルで自作を指揮した。1936年には、日本初でベートーヴェンの第九を暗譜で指揮した。また、ストラディバリウスを所有していたらしく、フルトヴェングラーにレッスンを受けて、作曲したヴァイオリン協奏曲もある。この演歌風の曲は「えらく土着的でええですねぇ」。この時代に私費留学した日本人は、遥かに自由に交遊関係を持っている。

なお、節人先生は「変わり者」で、本当かどうかは定かではないものの、「貴志康一の姪に振られた」という。

シュトラウスについては、俗受けする「美しき青きドナウ」のワルツ王ヨハンではなく、43歳で亡くなった兄弟のヨーゼフの方がお父様のお好みで、「わが人生は愛と喜び」(„Mein Lebenslauf ist Lieb und Lust” op.263)以外は興味なし、だったそうである。そのものだけを見て、あとは「スルー」。

大正から昭和前期にかけての日本でのクラシック音楽の受容形態については、吉田秀和や小林秀雄等の大評論家による音楽批評とのドッキングであった。教科書的にはシューベルトの「未完成交響曲」が代表的だったのに対して、お父様は権威主義の無粋さを嫌い、信用もしていなかった、という。
。。。。。
以上、パソコンから投影されたスクリーンを通して数曲を聴かせていただきながら、メモを取りつつ3時25分までお話をうかがった。質疑応答の時間はなかったが、ミュージアムの館長氏が、マーラーについて質問された。岡田先生はうまく話を乗せて応じていらしたが、どこか館長の意図とは微妙に食い違っていたのではないかとも感じられた。

音楽の話はついていけたのだが、文化面の解釈に関しては、名古屋出身の私には些か「いてはいけない」場違い感を覚えさせるものであった。尾張徳川の名古屋は、殿様文化というのか、官製そのものであったのだろう。

3時35分には会場を出た。例によって顔見知りの方も二三人いらしたが、4時からのZOOMによる京都ユダヤ思想学会のティータイムに間に合わせるべく、簡単な会釈のみで済ませた。

朝から三つの知的空間に浸ることとなり、さすがに夜はぐったりとした。従って、このブログ書きも4日目の今日になって、やっとできた次第である。

(2024年5月2日記)

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致知出版社でさえ……

致知出版社は、概して良い内容が含まれているとは思うが、時々、明らかな間違いや偏向記事が含まれることがある。
以前にも、カール・ヒルティの引用に関して、過去ブログで言及した(2023年7月9日「致知雑誌とヒルティ」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5274&action))。
もしかして、内部活動家がこっそりと流している疑似情報なのかとも思ってしまうが、下記に第二弾の一例を。この内容は、明らかに極めて古くさい偏向情報に基づいている。逐一、指摘修正に価しない。現地経験の長い日本人には時々この種の典型例が見出されるが、要注意。
。。。。。。。。
『致知出版社の人間力メルマガ』2024年4月23日

イスラエルとハマスの戦闘が激化の一途を辿り、その成り行きを世界が固唾を飲んで見守っている中東。
石油などのエネルギーを通じて国際情勢・経済の大きな影響力を持つ中東でいま何が起こっているのか――

現地で長くビジネスや文化交流に携わり、「越境3.0チャンネル」などSNSを通して中東情勢の現実を発信してきた石田和靖さんに、ガザ紛争の内情、中東でいま起こっている大変化についてお話いただきました。
─────────────────
(石田):

2023年10月7日、パレスチナ暫定自治区のガザ地区を実効支配しているイスラム組織・ハマスが、イスラエルに対して大規模な奇襲攻撃を行いました。それに対してイスラエル側も激しい報復攻撃を行い、多くの民間人を巻き込んだ戦闘がいまなお続いています。

日本の主要メディアの報道を見ると、過激なテロ組織であるハマスが突然奇襲攻撃を仕掛け、あくまでもイスラエルはそれへの報復として攻撃を行っているという論調がほとんどです。もちろんハマスが行った民間人の拉致・殺害は許されることではありません。しかしそれではそもそもなぜハマスは奇襲攻撃を行ったのか、いま中東全体で何が起こっているのか、物事の本質が全まったく見えなくなってしまいます。

いま必要なのは「10月7日」以後でなく、むしろ「10月7日」より前の情報なのです。

私は長く中東・東南アジア地域のビジネス、文化事業に携わってきた経験をもとに、テレビやラジオ出演、講演、SNS投稿、書籍の出版等を通じ、現地の生の情報を発信してきました。主宰するYouTubeチャンネル「越境3.0チャンネル」では、毎日夜の8時に最新の世界情勢の解説を行っており、再生回数4000万回、20万人に登録していただいています。

今回のイスラエルとハマスの武力衝突に関しても、私はその1年ほど前から、近いうちに「イスラエル側」が大きな戦争を引き起こすだろうと警告してきました。
詳しい経緯はとても紹介し切れませんが、パレスチナ問題の根本は、イギリスの「三枚舌外交」によって1948年にイスラエルが現在の地に建国されたことに始まります。

以後、イスラエルはパレスチナ人の住んでいた地域に入植を進め、何度か和平の機運は高まったものの、イスラエルとアラブ諸国、パレスチナは現在に至るまで対立を続けてきたのでした。ところが、2020年8月、当時のアメリカのトランプ政権の仲介によって「アブラハム合意」が締結され、イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)が国交正常化。この動きにバーレーン、スーダン、モロッコが続いたことで中東情勢は安定へと向かっていました。

しかし2022年12月、過激な極右勢力(シオニスト)と連立を組む第六次ネタニヤフ政権がイスラエルに誕生したことによって、状況が一気に変わります。パレスチナへの入植活動が
どんどんエスカレートしていったのです。例えば、武装したイスラエル軍が、突然パレスチナ人の自宅に上がり込み、強制退去させる。女性や子供が抵抗すればその場で射殺するということが日常的に行われるようになったのです。実際、アラブ圏のメディアでは、「きょうは何人殺害されました」というニュースが毎日報道されていました。

そのような過激な入植活動に対し、ハマス側は何度も警告を発していましたが、ネタニヤフ政権は全く耳を貸しませんでした。ですから、10月7日の奇襲攻撃はこの鬱積が爆発したとも言えます。
また、ネタニヤフ政権は、イスラム教シーア派を国教とし「反イスラエル」を国是とするイランに対して、新たな軍事教義「オクトパスドクトリン」を策定・公表しました。
イランは核開発、レバノンのヒズボラやイエメンのフーシ派などのシーア派民兵組織、スンニ派のハマスにも支援を行っているとされ、イスラエルと対立してきました。つまり「オクトパスドクトリン」とは、タコの足であるヒズボラやフーシ派と戦っても意味がない、その足を操るタコの頭であるイランを叩かなければならないという軍事教義なのです。

ここに、私が「イスラエル側が大きな戦争を起こすだろう」と警鐘を鳴らした理由があります。それから、ネタニヤフ政権が進めている司法制度改革にも……

(無断転載終)
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1782307097604141197)
Lily2@ituna4011
日本だけではなく、イスラエルでも米国でも欧州でも、そのような傾向はあると聞いております。
4:15 PM · Apr 22, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782548848499736616)
Lily2@ituna4011
コロンビア大学とかけてエドワードサイード。その心は?
8:15 AM · Apr 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782547395961872710)
Lily2@ituna4011
過越祭りに拉致被害者を覚える。
8:09 AM · Apr 23, 2024

(2024年4月27日転載終)
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付録

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782756807141929290)
Lily2@ituna4011
Super rare video of 80’s tokyo street #207 https://youtu.be/D0EAn1Q81MY?si=-DWbbEDJytYA2b9T… via
@YouTube
☚ 全体的に活気が感じられ、人々の服装もきちんとしている。
10:01 PM · Apr 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782914669692551223)
Lily2@ituna4011
小学校では、ポプラ社の本が目立っていた。
8:29 AM · Apr 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1783649616476676567)
Lily2@ituna4011
マレーシアにいた1990年代初頭、イギリス発行の薄い本で読みました。
9:09 AM · Apr 26, 2024

(2024年4月27日転載終)
。。。。。。
致知出版社が掲載した石田和靖氏の文章中で「イスラエルはパレスチナ人の住んでいた地域に入植を進め」とあるが、これは表面的断片的な一時的観察に過ぎない。こんな程度で中東解説を拡散しているから、問題の根源が解決しないのだ。(Lily)

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160423)
2016-04-23「セデルの恵みはいつまでも」
《ネゲブやガザ国境近くのキブツや西岸のアリエル大学やエイラート》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171211
2017-12-11「エルサレムのこと」
《ユダヤ系イスラエルが支配すると、ムスリム全員が追放されるなどということはない。ムスリムがイスラエル支配を受け入れるかどうかが鍵なのだ。うかうかしていると、本当に先を越されてしまう。》
《西岸で入植地が国際法に反して拡大していることを非難する声があるが、2015年の春、西岸のある場所を訪問したところ、ユダヤ人の支配下で喜んで働いているアラブ人が本当に目の前に現れた。やらせではなく、安心して働けることと、給料がいいことを、自ら我々に話していた。
また、アリエル大学ではアファーマティブ・アクションは一切なく、実力主義のみで学生を募集して教育しているが、アラブ系や台湾その他のアジア系の学生達も喜んで勉強しに来ていて、成果が上がっているとのことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160423)。
こういう話を目の前で聞かされると、日本で見聞していた話が相当に出遅れているように感じられ、屈辱的でさえあった。》

(2024年4月27日転載終)

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通訳者小松達也氏のこと

(https://twitter.com/praises2014/status/1782747988403900484)
勝利 #IStandWithIsrael ,Ukraine @praises2014
今日、「古く」ならず色褪せることも無い12年前の小松達也先生の動画を投稿したんだけど、 参照させて頂くことがあるこちらのブログにも12年前の考察のリンク(放送大学の某教授について)があり、懐かしく拝読 ブログを開くたび勉強させて頂き、良い刺激を受けて鼓舞される
9:26 PM · Apr 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782898718360105269)
Lily2@ituna4011
名古屋港の会場で小松達也氏の講演を聞いたことがあります。全く偉ぶらず、自らドアを開けて、颯爽と歩かれる姿が、当時まだ三十路前だった私には非常に印象的でした。マレーシアでの同僚には、『小松専務』と一緒に仕事をした方がいました。発音よりも語彙選びが的確で、凄かった、とのことでした。
7:25 AM · Apr 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1783145884236292117)
Lily2@ituna4011
あの当時は、本当に新鮮でした。
11:48 PM · Apr 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1783146795801190852)
Lily2@ituna4011
いえ、あの頃の私にとっては、いささかカタカナ発音に近いように思えたため、そう口走ったところ、同僚から嗜められた、という文脈です。
11:51 PM · Apr 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1783171951588217058)
Lily2@ituna4011
あの講演でうかがったのは、 帰国子女は、発音はネイティブ並だが日本語ができない、是々非々がわからないんですよ、それでは通訳はできません。 という話。日本で英語を勉強した自分は、まだ若いもんに負けません、とも仰っていました。タケカワユキヒデ氏にも通じる英語学習の要諦でした。
1:31 AM · Apr 25, 2024
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(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120314)
2012-03-14「小松達也氏(英語通訳者)」

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120315)
2012-03-15「使える通訳・使える翻訳とは?」

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120916)
2012-09-16「ユダヤ暦の新年に向けて」

(リスト終)

(2024年4月27日記)

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JR尼崎駅

(https://twitter.com/ituna4011/status/1783393303469453716)
Lily2@ituna4011
JR福知山線脱線事故 仲間失った教諭、教え子に「今に全力を」 – 日本経済新聞

https://nikkei.com/article/DGXZQOUF01B060R00C24A3000000/…

← 車内アナウンスがありました。
4:11 PM · Apr 25, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1783454110421053795)
Lily2@ituna4011
JR福知山線脱線事故19年 現場で追悼式、事故なき社会へ祈り – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUF23BT90T20C24A4000000/…
← 当時、13年後には尼崎駅をよく利用することになるとは想像していなかった。今日は行きも帰りも車内アナウンスがあった。
8:12 PM · Apr 25, 2024

(2024年4月27日転載終)
。。。。。。。
2019年8月23日の夜、主人は救急搬送されて伊丹市内の近畿中央病院に入院することになった。

検査結果が出る待ち時間に小さな控室に一人で座っていたところ、ふと見上げた壁には賞状が貼ってあった。近畿中央病院は、2005年4月25日に発生した上記事故で多数の負傷者を献身的に手当てした、ということで、大臣から表彰された由。

入院直後の主人にそのことを伝えると、ほっとしたように安心した表情を見せた。

(2024年4月27日記)

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長岡京の講義とモニター活動

2024年4月1日付ブログ「4月からの計画」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6991&action)では、今年度の活動予定を記した。

多岐にわたっているが、今までの延長線上にある。今年は教養学部の科目生と大学院の選科生という気楽な身分に戻っているので、正規のゼミ生の2年間ではできなかったことに挑戦してみたい、という気分でもある。
それに、結婚後1年で診断を下された主人の若年性神経難病が長期に及ぶ緩慢な進行性であり、精神的にも鬱屈した平板下降気分で21年以上を過ごしてきたので、エネルギーや時間やお金を残してくれたのだと思えば、活用しないわけにはいかない。

神道の「ケガレ」とは、「穢れ」のみならず「気枯れ」という意味もあるそうで、生気に満ちて生き生きと過ごすことが、人としてのあるべき姿のようだ。それならば、日々を明るく前向きに過ごさなければ勿体ないどころか、罪悪ですらある。(そこが、一神教とは異なる所以だ。)

さて、一昨日と昨日は、下記の二つの新しい活動に参加した。

(1)一昨日の午後は、「8. 京都古代学協会の講座(月一回)(NEW!)」と記した「桓武朝の歴史考古学」である。

場所は、三条通高倉にある久しぶりの京都文化博物館の別館だった。

過去の記録によれば、2007年10月8日「トプカプ宮殿展」、2010年3月21日「古代カルタゴとローマ展」、2018年11月12日「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美」、2022年11月23日「近衛家王朝のみやび 陽明文庫の名宝十二」の計4回訪れたことになっているが、いずれも本館ばかりだった。

ここはもともと日本銀行京都支店だった建物。別館は本館と異なり、一種薄暗くどっしりした木造風の内装で、何とも奥ゆかしい。最近のポスト・モダンの建物は、「誰にとっても違和感なく」という目標があるためか、どこへ行っても均一的で面白みに欠ける。だが、辰野金吾氏と長野宇平治氏によって設計され、明治36年9月に着工し、約3年後に竣工されたこの古い建物は、昭和44年3月に国の重要文化財に指定されている。

昭和42年4月からは、財団法人古代学協会が所有し、平安博物館として使用されていた。京都府京都文化博物館の別館として一般公開されたのは、昭和63年10月のことである。

今回の講座は、やや狭いが懐かしい雰囲気の漂う一室で勉強させていただけるのだ。初めての場所だったので、到着してからも受付の複数の若い人に何度か尋ねながら、あちこち迷っていたが、若い人も本館しかわかっていなかったらしい。到着はギリギリになってしまったが、私よりも遅れて来た人もいたので、ほっと安心。

講師は、三重大学名誉教授の山中章先生(76歳)で、2022年3月13日付の過去ブログ「水無瀬野を歩く」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2162&action)でもお世話になった。何となく、2024年1月29日付「恩師とのお別れ」ブログで記した故戸谷修先生を彷彿とさせる風貌と話し方で、やはり伊勢の神宮が近いからなのか、三重大学の教授には共通するものがあるのだろうか、と思いながら講義を聴いていた。

山中先生は、水無瀬野の時には体調不良とうかがっていたが、あれから2年以上経った今ではすっかり回復されたようで、お元気。マイク片手に1時間半も滔々とレジュメとノートパソコンのスクリーンでお話をされた。桓武朝の長岡京の考古学的見解で、本当に懐かしかった。「なお、本講座は、わかりやすいが、新鮮な内容で構成されている」と記されてあった通り、昨年度に発行された論文を集めた本の回覧もあった。それに、ボランティアで(つまり「無料」)現地案内する計画も含まれているとのことで、わざわざ新入りの私にまで意向を尋ねられる程、熱心な先生だった。実に生涯教育にも尽力されているのだ、と嬉しく思う。

やはり長岡京(向日町を含む)という土地には、JR「長岡京駅」(神足駅)であれ阪急「長岡天神駅」であれ、主人との思い出が尽きない。私的には、1997年夏頃、二人で新居を探すために不動産屋さんを尋ねた場所でもあった。それ以上に、主人が修士卒の24歳で入社以来、34年間もの長きに及んでお世話になった京都製作所(ここからアメリカ留学と駐在を経験させていただいた)の敷地が長岡京市の開田に所在していた(が、今はもう製作所そのものが閉じられている)。

私の方は、35歳以降、毎年1月8日の扶養家族の健康診断で京都製作所の敷地内に入れさせていただいていた。主人の所属する先端総研の5階建て建物を見上げながら、(今日も一日元気でいてね)と念を送っていた。同志社大学の仕事で疲労困憊していた2004年から3年程、体力づくりのために長岡京のプールにも通っていた。

まさか、あの広大な敷地が閉鎖される時が来るとは、予想もしていなかった。とんでもない時代に突入したものである。(詳細は、2022年3月12日付の過去ブログ「三菱電機「京都製作所」」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1976&action)を参照のこと。)

そして、独身の長かった主人自身は、米国留学から帰国後、会社近くのコーポに部屋を借りて、一年近く暮らしていたらしい。(放送大学大学院のゼミが開始される前の2022年3月に、古い住所を手掛かりに探し回ってみたが、どうしても見つからなかった。)

また、真夏の暑い日には、中山修一記念館へ二人で見学にも行った(参照:2018年7月17日「幻と現の長岡京」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180717))。今振り返っても、時間をこじ開けて、行けるうちに行くべき所に行けたのは、実に幸いだったと思う。この時には既に伊丹への転勤が決まっており、今住んでいる伊丹の住居をもう決めていたのではなかっただろうか?

そんなこんなを思い出しながら、この講義をうかがうと、二重にも三重にも時空を超えて、何とも貴重な時間だと痛感する。

(2)昨日の午後は、「15. 公益社団法人近畿地区不動産公正取引協議会の消費者モニター(任期一年)(NEW!)」と記した初回に出席した。

4月3日の朝9時前に突然、自宅のファクスがカチャカチャと動き出し、電話も間違って鳴り出した。寝転んでiPhoneを見ていたのでびっくりして飛び起きると、すっかり忘れていた消費者モニターに「繰り上がり当選」よろしく確定した、と知らされた。

男性担当者はクールでせっかちなタイプだったが、大阪の大手前にあるビジネス街に位置する職場なら、これが通例なのであろう。私にとっては初めての場所だったので、「早目に来るように」との注意書きまで、即座に決定した当日の午後、ファクスが送られてきた。

実際、確かに「大ふしぎ石展」の準備でわさわさした中を通り抜けする必要があり、親切な伝言ではあった。何と私は一番乗りで、開始時間の27分も前に到着。既に担当者が研修会場入り口の前に受付として一人で座っており、テキパキと「印鑑」「写真」と指示を出され、何も始まっていないのに、早々と新札の入った謝礼封筒まで渡された。(出欠を確認した後に、銀行振り込みかと思っていた。)

参加者は、私のセクションでは大阪府と兵庫県からの7名で、名簿には私の名前が落ちていた。というのも、恐らくは「辞退者が出たための緊急補欠」だったからだろう。二年目というのか二度目のモニター経験者も3名ほど含まれていた。資料がたくさん配布され、約2時間程、びっちりとした研修だった。練習問題と解答付の解説もあり、先程、訂正版までファクスで送られて来た。なんだか、講習を受けているようなモニター活動だった。

これも社会勉強だ。以前から、内閣府の公正取引委員会と共産党の関係について、どういう内実になっているのだろうかと気になっていたが、この度、モニターを務める「公正取引協議会」は、公正取引委員会と消費者庁より認定されている。今回の不動産に関しては、広告をチェックするのが我々の仕事内容である。

不動産に関しても、こちらの知らなかった細かい法律がたくさんある。修論作業の時に驚かされた医療現場のように、次々と法律や規約ができている昨今、「学校を出ているから大丈夫」とか「自分は関係ないから」等と済ませられない。むしろ、モニターを経験することによって現代社会の仕組みをより深く知る経緯ともなり、時代に遅れないで何とかついていくための知恵も授かるのであろうと期待する。
。。。。。。
姫路駐屯地の防衛モニターに関しては、本来、4月13日に入営式があり、参列を求められた。電話で聞いた時には既に大手前大学の講座を申し込んでしまっていた上、午後にも伊丹市内の講演が予定されていたので、残念ながら「先約がある」との理由で辞退した。そのため、まだ正式には二ヶ所からの辞令を受け取ってはいないが、既に『朝雲新聞』が二回分、防衛省編集協力の『マモル』誌が一部、郵送されている。これを読んでおかなければ、自衛隊のモニターなぞ到底務まらない。それどころか、三年前に『神社新報』を初めて読んだ頃のように、全く違った角度から日本社会を見つめ直す契機になっている。

実は来月中旬、ひょっとしてアメリカのワシントンD.C.へ行こうかとも考えていた。中東フォーラムの30周年記念行事があり、2016年秋の中東フォーラム主催の西欧三ヶ国の旅で一緒だった友達から、メール数通が届いていたからだ。

一週間程ずっと迷ったが、躊躇しつつも結局は辞退することとした。ちょうどその頃には放送大学の中間試験のような課題が5科目もあり、3月に修士号を授与されたばかりの身である以上は、落とすわけにはいかないからだ。また、一旦渡米するとなれば、パイプス家のお墓参りや主人のアメリカ銀行の口座手続き等、いろいろとすべきことがあり、行事参加だけでは済まされない。それに、やはりワシントンD.C.ともなると、東京の霞が関以上に勇気がいる。

いくら何でも、私は単独でそこまで大胆ではない。そこで、防衛モニター任務を理由として、正直に返答をした。すると、さすがに若き日に国務省官僚を務め、日本を含めた各国の要人とも渡り合った方だけあって、同盟国の国防問題には敏感。極めてかしこまったお返事が、ダニエル・パイプス氏から即座に届いた。

(2024年4月26日記)
………….
2024年4月27日追記

日本の要人とダニエル・パイプス氏の面識一覧は、送られたお写真で確認したり、メール交流を通して私が知る限りでは、次の通り。

三笠宮崇仁親王殿下・サイマル出版会・梅棹忠雄氏(国立民族学博物館)・板垣雄三氏(中東研究)・駐トルコ日本大使等。

そして、パイプス氏と最近でも直接つながっている米国要人のごく一部を紹介するならば……

マイク・ペンス副大統領・ジョン・ボルトン国連大使・エリオット・アブラム氏等。

(2024年4月27日記)
………….
2024年8月4日追記

第2回目の消費者(不動産)モニター研修が、8月2日の午後、同じ大阪の会場で行われた。
ファクスで逐一、丁寧に連絡があり、前日には「熱中症予防のために水分を持参のこと」とあった。そして、実際には会場で一人ずつ、お茶のペットボトルに紙コップが用意されていた。
今回は女性ばかりで、見たところ、30代から60代前半ぐらいまでだろうか。説明を担当されたのは同じ男性だが、近くで拝見すると、結構、ハンサムな方だった。
不動産は金額が多額なので、とにかく規制の法律が細かい。昨年までは年一度の説明会だったが、「わかりにくいのでもう一度」という要望があったため、今年は二度になったそうだ。
研修出席やアンケートの謝礼が、前回のようにピンピンの新札、しかも新しいデザインが封筒に入っていた。こういう点、流石だなぁ、と感じさせられる。

実は、私は試しに前回4月下旬の研修会の時に言われていたように、自宅で揃えた課題を持参していた。だが、時期設定からは外れていたので、不要とのこと。但し、その課題を集める際に浮上した質問ができたので、無駄ではなかった。

説明会の終了後、数名の女性達が説明担当者の元に駆け寄り、それぞれに質問をしていた。人によっては、身近な問題として捉えており、「聞いてきて」と頼まれてモニターを務めているケースもあるらしい。

私も課題にまつわる質問を再度、確認させていただいた。そして、「法律が細かいので、一年間のモニター活動では不足しています。できれば来年も継続したいのですが」と、自薦の書類を提出した。

実は、4月の第一回の研修の際、何名かのモニターさんは二年目だということだった。次年度も選ばれるかどうかは不明だが、モニター経験は、新しく仕事に就いたつもりで取り組むならば、履歴書にも書けるし、悪くはないと思う。

(2024年8月4日記)
………….
2024年11月19日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1858765575620571459)
Lily2@ituna4011
そして今、不動産のモニター研修会議が終わったばかり。実際には懇親会で、各自モニターが質問をして、専門家からお答えを頂く形式。いろいろと社会勉強になる。 私は時間切れで質問はなし。来年の会合までに考えておこう。
3:53 PM · Nov 19, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1858768698942816351)
Lily2@ituna4011
モニターは、誰でも応報すれば通るのかと思っていたが、今日の資料を見ると、結構な倍率だった。 年齢制限もあるため、チャンスのある間に経験しておこう、という心づもり。
4:06 PM · Nov 19, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1858770025198612971)
Lily2@ituna4011
訂正
応報 → 応募
失礼致しました。
4:11 PM · Nov 19, 2024

(2024年11月19日転載終)
。。。。。。
今日は第三回目の消費者モニター会合の日だった。

午後2時から3時半過ぎまで大阪の天満橋にある会場で、今年度のモニター39名中32名が出席して、協議会役員の方々との質疑応答の時間が設けられた。圧倒的に女性が多い会合だったが、全員、近畿地方の二府四県から選ばれたモニターだ。

資料によれば、モニター応募は計186名で、その中から計40名が選ばれた。(後に一人辞退者が出た模様で、名簿には39名の名が列挙されていた。)すなわち、21.5%の当選率ということになる。

4月の最初の研修日には、たくさんの資料をいただき、見慣れぬ法律が多くてうんざりした。でも、慣れが肝要で、今では何ら負担に思うこともなくなった。

但し、せっかく不動産について興味が出て来たのに一年だけのモニター経験では勿体ない気がして、できれば来年度も自薦という形で採用されればいいかな、と思っている。

天満橋と言えば、ドーンセンターがある。1998年に、島本町立図書館のチラシで見つけたドーンセンターの女性講座を受けるために、毎週金曜日の午前中、阪急バスと阪急電車と地下鉄で通っていた時期があった。その日の午後には、京大教育学部の知り合いの先生の講義を聴講に行っていた。大阪から京都までは京阪の特急に乗って、車内で簡単なお弁当を食べていた。

あの頃は、今よりも日本の経済状況に余裕があり、人口問題や移民問題も緊迫感が殆どなかった。私も結婚してまもなくだったので、関西のことは何も知らず、今後を見据えて自己確立を、という意気込みだった。主人も、私が自分との結婚のために関西に来て、家事や勉強をしながら家の中だけにいるよりは、少しでも外に出て、いろいろと学んだり、知り合いを増やした方がいい、というタイプだったので、全くお誂え向きだった。

それから半年程経ち、主人が若年性神経難病の診断を下されてからの行程を思えば、何とも若かった、というのか、ほろ苦さだけが蘇って来る。だが、それも人生だ。

伊丹から天満橋までは、地理的には遠くはないはずだが、なぜか心理的な距離感がある。島本にいた頃は、実は遠かったはずなのに、案外に苦にせず、出かけられた。30代前半だったからなのか、これから人生を切り開くのだという意欲のためだったのか、それはわからない。

今は、ドーンセンターのフェミニスト・イデオロギーの傾向がわかるので、近寄ることさえない。だが、ドーンセンターの「女性のための電話相談」では、主人の病気のこと、実母との関係、義母の依存的なもたれかかりのこと等、三十代から四十代前半にかけて、何度もお世話になった。あの頃、話を聞いていただけたからこそ、今は何とかこうしていられるのだろう。

(2024年11月19日記)

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