Wong Kim Kong(黃錦光)牧師

私が最後にリサーチ目的でマレーシアを訪れたのは、2012年12月のことだった(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20121225)。

主人がペナンの宿泊地に豪華なスウィートルームを予約してくれ、私一人では到底、部屋が余って仕方がなかった。だが、ここで私は、ようやく英領植民地時代のペナンでのキリスト教宣教師達の墓地を探し当てた。また、著名な英国風教会も見学することができた。

その後、飛行機で首都圏へ飛んだが、Rev. Wong Kim Kongが代表を務めていたNECFのオフィスへは立ち寄る時間もなく、毎日、限られた滞在期間をフルに行使して、あちこち回っていた。

あの頃は、父も終末期に差し掛かっていて、いつ何時、何が起こるかわからない時期だったので、余計に、(今しかない!)と思い詰めていた。主人の方も、「できるうちに、できることは何でもしておいたらいいよ」と、一見寛大だが、切羽詰まった健康状態でもあった。

Rev. Wong Kim Kongについては、個人的に頻繁にお話をしたわけではなかった。1999年か2000年の頃、一度だけ、リサーチの目的を問う英語での10分程の面談があったのみである。

そこで私は、もともと1990年4月から政府の仕事でマラヤ大学で3年間教えていたこと、その間にリサーチに繋がる疑問点に気づいたこと、その後、マラヤ大学博士課程に入学が許されたことなどを包み隠さず話した。

(この博士課程は、必ずしもマレーシアに滞在する必要がなく、年に一度、更新手続きに訪マするのみでよかった。しかも、所属期間は最大10年であった。私がここに所属を決めたのは、日本に全く一次資料がなかったこと、指導教授が日本で見つからなかったこと、この種の調査は時間がかかるだろうと見込んだことによる。)そして、指導教授からの公式書簡(レター)を見せて、是非とも必要な文献資料を教えていただきたい、とお願いした。

すると、Wong Kim Kong師の秘書だった福建系女性のMs. Lim Siew Foongを紹介され、センシティブだと言われていた(今も未解決のまま)諸問題についてのリサーチ許可が与えられた。彼女は私とほぼ同い年で、なかなか有能だった。何年かはメールでもよくやり取りがあったが、しばらくしてNECFを辞めて、手話の仕事に移って行った。それからは、あまり連絡が取れなくなってしまった。

久しぶりに思い出したNECFだが、あれから私にもいろいろなことが起こり、苦労して集めた資料は、洋間にファイリングとして積み上がったままである。勿論、口頭発表は2018年3月まで毎年のように続けて来たが、話が単純な割に堂々巡りを繰り返しており、解決には程遠い。だから、このまま一生これで終わりたくない、という気持ちが強かった。ここ数年になってようやく、日本でもこの種の問題が一般国民の間に周知されるようになってきたが、何事であれ、先鞭をつけるとは、非常に犠牲を伴うものである。

そして、一昨日、フェイスブックでWong Kim Kong(黃錦光)牧師の訃報に接した。

不思議なことではあるが、長らく音信不通だったリサーチ協力者の訃報を私が知るのは、ほぼ間違いなくフェイスブックである。何もしていないのに、ふわぁっと浮上してくるのだ。
。。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/kimkong.wong/videos/482016977985135)

Dear Family and Friends,
With deep sorrow, Rev. Wong Kim Kong was called home to be with the Lord on 4th September 2024.
Details of the memorial services are shared below.
Facebook Live will be available on this page during the Wake services.
With love, family of Rev. Wong
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詳細は不明であるが、1951年生まれのWong Kim Kong(黃錦光)牧師の葬儀は、ビデオでライブ放映されたようである。こういう点、日本よりもマレーシアの方が遥かにデジタルツールの活用が上手である。

センシティブだと言われたマレーシアのリサーチは、日本の学会で発表を続けてきても、インテリだと自称するような人々によって傍流に置かれたり、平然と無視されたりして、なかなか厄介であった。

だが、マレーシアに行ったこともない主人がいつでも応援し、物心両面で助けてくれていた。尤も、いつまでもこんなことで人生を潰すつもりはなかった。このようにして、いつの間にか、いろいろと貴重な情報や資料を手渡してくれたマレーシアのリサーチ関係者が物故していく。その前に、是非とも論文として完成させたかったのだが、如何せん、こちらののっぴきならない事情もあり、なかなか思うようにはいかなかったことは返す返すも残念である。
。。。。。。。。
過去の英語ブログに掲載したWong Kim Kong(黃錦光)牧師のコメント抜粋を。

(https://itunalily2.hatenablog.com/search?q=”Wong+Kim+Kong”)

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20170927)
2017-09-27 “Show proof”
《Christians For Peace and Harmony in Malaysia president Reverend Wong Kim Kong noted that Malaysia was “very sensitive” in the multiracial and multi-religious context.He said there should be more religious acceptance when it came to religious practices.》

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20110724)
2011-07-24 “Christians in Malaysia”
《This weekend, former NECF secretary-general Rev Wong Kim Kong is giving a talk titled “Christian response in the midst of political confusion and uncertainty”.》

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20080304)
2008-03-04 “Church and Elections in M’sia”
《”I would say that the feel of subtle, backdoor Islamisation of the national life is a major concern,” said Wong Kim Kong, Secretary-General of the National Evangelical Christian Fellowship Malaysia.
Although there is no official policy to discriminate against any religious minorities, the government has been unable or unwilling to deal with violations, he said.》

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20080130)
2008-01-30 “News on demolished church”
《The Rev. Wong Kim Kong, secretary-general of the National Evangelical Christian Fellowship, responded by writing two separate letters to local authorities, citing the villagers’ constitutional right to construct the church building under Section 2, 6(1) and 7(1) of the Orang Asli Act 1954.
Despite these protests, local authorities tore down the church building last June 4.》

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20071231
2007-12-31 ““Herald” issue was resolved”
《National Evangelical Christian Fellowship secretary-general Wong Kim Kong welcomed the Government’s approval of the permit.》

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20071206
2007-12-06 “Issues of Christian identity”
《The NECF chief has this to say about the many errors in the MyKad. Rev Wong Kim Kong had said the situation was serious, as he had recorded a 25% error rate in the samplings he had carried out on church members around the country.》

(リスト終)

(2024年9月7日記)(2024年9月8日修正)

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小さな子はかわいい

ご存じのように、フェイスブックでは、定期的に、過去の投稿記事が自動的に上がって来ます。昨日、私は同じ内容を繰り返してみました。記憶は繰り返すものなのですね。
まずは、過去ブログの再掲を。
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2021年12月4日「幼少時から本物の古典音楽を!」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1303&action)

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

☚ このFBの左側にいる、薄桃色の手作りワンピースを着た小さな女の子「テンプルちゃん」(二枚の写真)は、ピアノと歌のお稽古と同時に、祖母や母に連れられて、名古屋市内のお琴の演奏会へ少しずつ聴きに行き始めました。
「テンプルちゃん」とは、母方の叔母が独身時代に、私の髪型を見て名付けた綽名。犬山城へ連れて行ってもらいました。小さなくまちゃんのぬいぐるみを小脇に抱えた写真もあります。

(2021年12月4日転載)

2021年12月4日追記:幼児期に一緒に遊んだ、布製の赤いおべべの抱き人形。祖父母の家では、「あかこちゃん」と呼び、自分の家では「ドールちゃん」と名付けられました。世代が違うと、昭和時代には西洋化した呼称を。親の意気込みがわかります。

(2021年12月4日記)
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そして、同じ年の3ヶ月前には、こんなことをフェイスブックに書いていました。

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/pfbid022zJrwZ6qxkWdEY9bF2ujPUZnfXLZ1gq3wUApaUYdWHNMohv7wBD5k8WG3VCYMny3l?notif_id=1725439725079202&notif_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)

2021年9月4日

この女の子は誰でしょう?
ヒント:三歳四ヶ月です。ピアノと歌の発表会。
    ちょこっとお澄まし顔。
    だってお姉ちゃんになったんだもん!

(転載終)
。。。。。。。
昨日、突然、投稿が再び浮上しました。

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/)

ユーリさんが過去の思い出をシェアしました。

2024年9月4日

我ながら、かわいい昭和の子どもでした!
少しくせ毛で、「テンプルちゃん」と叔母に呼ばれていたそうです。
一人っ子の間、いつも遊んでいた赤い抱きぐるみの人形は、祖母宅では「あかこちゃん」、自宅では「ドールちゃん」と呼んでいました。

(2024年9月5日転載終)
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おまけ:

(https://www.youtube.com/watch?v=ehNnyyrOMl0)

しゃぼん玉石鹸1

実は、生まれた頃の私は、このしゃぼん玉の赤ちゃんにそっくりだったそうです。
よく笑い、よく泣き、元気いっぱいの子どもでした。気分がころころ変わるので、周囲の大人達はたいへんだったようです。

(2024年9月5日転載終)

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自衛隊体操!

(https://x.com/ituna4011/status/1830490831679316289)
Lily2@ituna4011
究極のエクササイズ!? 5分で有酸素運動の効果もある「自衛隊体操」とは|さんたつ by 散歩の達人 https://san-tatsu.jp/articles/42579/
← モデル体操は、きっちりと隅々まで手足を動かしている。これはキツそう。ラジオ体操に似て、どこまで自分で意識するか、だ。
3:19 PM · Sep 2, 2024

(2024年9月2日転載終)
。。。。。。。
今日は、以下の本が届いた。

渡部悦和・下園壮太自衛隊式メンタルトレーニング:折れない心を育てるワニ・プラス/ワニブックス2024年1月

「誰もが人知れず様々な悩みを抱えて生活し、自衛隊に勤務している」(p.20)
「自衛隊という組織は特殊なようでいて、実は一般社会の縮図でもある」(p.29)
「日本中のあらゆるところから、あらゆる境遇下で人生を過ごしてきた人たちが入隊してきます」(p.29)

防衛モニターとして、自衛隊に関する外側のみの理解に留まらず、あるがままの自衛隊の内部状況を直視しつつ、一国民なりに外側から物心両面で支えられるよう、備えをしていきたい。

(2024年9月2日記)(2024年9月3日一部修正)
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2024年9月3日追記

何とも痛ましい事故が福知山駐屯地で発生した。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/c7aace5e7acfb259f821bfdc1c24b3612ecc017c?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240903&ctg=dom&bt=tw_up)

陸自訓練で20代の陸曹死亡…福知山駐屯地、他4人も体調不良で入院
2024年8月30日

陸上自衛隊福知山駐屯地は29日、第7普通科連隊に所属する3等陸曹の20歳代男性が訓練中、体調不良を訴えて入院し、28日に亡くなったと発表した。  
発表によると、3等陸曹は屋外のレンジャー教育訓練に参加していた21日、体調不良を訴えて離脱し、翌日も療養。23日に急性腎不全と診断されて入院したが、5日後に亡くなった。  
3等陸曹以外にも、21~23日に4人の隊員が体調不良で搬送され、熱中症や急性腎不全と診断されて入院中。訓練は12月14日まで続く予定だったが、駐屯地は事態を重くみて訓練を中止し、発症原因などを調べる。

(転載終)
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この事故報道に関連して、21歳の時にレンジャー訓練を経験した30代の「けるび」君がYou Tubeで発信した。彼は、数年の勤務後、思うところあって自衛隊を一旦退職。すぐさま、今度は予備自衛官として登録された。靖國神社に定期的に参拝し、毎年元旦には遺書を書いている、と述べていた。

(https://x.com/ituna4011/status/1830587741865914830)
Lily2@ituna4011
自衛隊での事故を踏まえて、報道や自衛官の待遇について僕の考え。
https://youtu.be/cqyXSHttS5M?si=PkF8yBzAwJ31cB2i… via @YouTube
9:45 PM · Sep 2, 2024

(2024年9月3日転載終)
……………
2024年9月5日追記

今日届いたもう一冊。

二見龍自衛隊式セルフコントロール講談社ビーシー2021年3月

我々一般人にも実践可能なヒントがたくさん盛り込まれている上、自衛隊の基本訓練の実態の断片がわかるようになっている。
例えば、自衛隊では自給自足で自己完結型の戦闘組織という性格から、隊員一人一人が身の回りのことを何でも自分でできるよう訓練されている、という。掃除、洗濯、アイロンがけ、靴磨き、ベッドメイキング、裁縫等である(p.30)。

やや気になったのは、この本に書かれている項目に関連して、30代ぐらいの元自衛官だという最近のYou Tuber達の発信や視聴者のコメントである。縫物やアイロンがけや靴磨き等に関して、元自衛官が「これで自分は自衛隊を辞めました」「こんなことをやっているから、自衛隊に志願者が集まらない」という、まるで逆行する発信を私は見つけた。正直なところ、非常に不愉快である。見ているこちらの士気まで下がる。

この元自衛官らは、レンジャーや難易度の高い資格等を保持していたのかもしれないが、根本的に、自分のしてきたことの意味や自衛隊という組織の原点が全く理解できていなかったことの証左である。民間人になったら言論や表現の自由があるのかもしれないが、それでも、自衛隊に関心が高い若者、特に小学校高学年から中学や高校の生徒達にとって、潜在意識下に及ぼす負の影響がある。その責任の重さをよく考えていただきたい。いかなる理由であったとしても、退職後も「さすが自衛官だっただけある」と言われるような言動を、是非とも心掛けていただきたい。

あるいは、You Tubeの映像へのコメント欄にも、工作員かと思われるような、甘っちょろい奇妙な発言が散見されることもある。

本書では、「自衛隊に入隊すると訓練期間から、スマホに触れる時間が極端に少なくなります。勤務場所によっては持ち込みすら制限されます。」(p.56)とある。それに対して、You Tubeのコメント欄では、若い隊員であろうか、「スマホを見る時間がほしい」と切願しているような文を見かけた。

私なら、スマホ依存症ではないか、と疑ってしまう。最初から入隊を差し止めるだろう。面接時に確認しておくぐらいがいいのではないだろうか?

「今は時代が違う」「それでは若い人が集まらない」等という理由から、基準値を下げている言論人もいる。一見、自衛隊を応援し、自衛隊の将来を心配しているようでありながら、実のところ、現役自衛官達の努力や苦労を小ばかにしていて、失礼でさえある。

この件については、今年5月以降、かなり気になっている。もう少し観察して、自分なりの対策法を考えてみたい。

(2024年9月5日記)
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2024年9月8日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1832652553240375574)
Lily2@ituna4011
自衛隊の仕組みから学んだ点。
1. 入隊すると二人一組のバディを組む。自分だけができてもダメで、相手が終わるまで助け合う。試練を二人で乗り越える。
2. 階級制度によって混乱やストレスを回避できる。
2:29 PM · Sep 8, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1832653277407920594)
Lily2@ituna4011
一時期、中国の人民解放軍が平等の概念を導入して階級をなくしたが、うまくいかなかったらしい。
『自衛隊式メンタルトレーニング』p.98.
2:32 PM · Sep 8, 2024

(2024年9月8日転載終)
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2024年9月9日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1833006273064825136)
Lily2@ituna4011
階級制度のプラス面、社会主義は断然否定していた。 自衛隊の場合、固定化された階級制度ではなく、訓練して実力をつけ、学科試験を頑張ることで、上の階級にも上がれるらしい。
1:55 PM · Sep 9, 2024

(2024年9月9日転載終)
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2024年9月20日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1824433890448248935)
Lily2@ituna4011
私の担当自衛官さんが、写真撮影前に飛び上がって喜んでいらした時、これは自衛隊体操で長年鍛練した成果だ、と私は感じた。
10:11 PM · Aug 16, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1837065218675069192)
Lily2@ituna4011
自衛官は仕事として、自衛隊体操をする。
私は応援団の一人として、8月半ばから毎日、自衛隊体操を励行。
と伝えたところ、私の担当広報官さんが、びっくり仰天。でも、涙顔マークつきで喜んでくださった。
6:44 PM · Sep 20, 2024

(2024年9月20日転載終)

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長谷川嘉哉医師のブログから

岐阜県土岐市で、主に認知症を中心として神経内科を開業されている長谷川嘉哉医師のメーリングリストから、最近のブログで参考になると思われた記事を以下に(無断)転載いたします。

長谷川医師は、私の父方叔母と同じ名古屋の大学医学部のご卒業で、これまでにもサイン入りご著書や桑の茶等をプレゼントしていただいた経緯があります。今年3月に学位授与された放送大学大学院の修士論文を作成する際、関連トピック記事を何本も参考にさせていただき、You Tube発信も欠かさず拝見しておりました。

以下に、過去ブログでの引用リストを。

2023年9月15日「年金からわかる親ガチャ問題」
(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=5530&action)

2023年9月26日「嫁は介護要員か?」
(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=5586&action)

2023年11月14日「家族が成否を決める」
(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=5911&action)

2023年12月23日「転載シリーズ」
(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=5966&action)

2024年4月30日「再入学した放送大学その後」
(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=7294&action)

(リスト終)

専門医による現場からの発信は、大変貴重で勇気づけられるものです。特に、患者だけではなく、患者を取り巻く家族の問題にも鋭く的確な見識を提示され、現代日本社会の抱える問題が如実に反映されていると思います。
。。。。。。。。
Toki Naika Clinic’s BLOG(https://brain-gr.com/tokinaika_clinic/blog/dementia-discrimination/drug-induced-dementia/)

服用している薬が認知症を引き起こす!?「薬剤起因認知症」とは
2024年8月26日

認知症専門外来の初診で患者さんを診るときに私は「診断は? 進行度は? 治療方法は?」などと考えます。しかし、一定数、日頃内服している薬が原因で認知症の症状が出現している患者さんがいらっしゃいます。この場合、薬を中止するだけで症状は改善することがあるのです。

もちろんこれらの薬を処方したのは、認知症専門外の医師です。残念ながら彼らは自身の処方している薬の危険性に気が付いていません。そのため、薬剤により引き起こされる認知症を予防するには、患者さん自身が自己防衛するしかないのです。今回の記事では認知症専門医の長谷川が経験した薬剤が原因の認知症についてご紹介します。

1.薬剤が原因の認知症とは?

薬剤が原因で過度に鎮静されてしまったり、逆に興奮してしまったりして、認知症のような症状が出現することがあります。私も所属している日本神経学会が2017年に作成した「認知症疾患診療ガイドライン」でも「認知機能障害を呈する患者の中で、薬剤に関連すると思われる割合は2〜12%」もあると推測しています。

私自身の認知症専門外来の印象でも、薬の整理をするだけでかなり症状が改善する患者さんが10%程度いらっしゃいます。

2.認知症様を呈する抗不安薬・睡眠薬とは

薬剤が引き起こす認知症症状で最も多いものは抗不安薬や睡眠薬です。

2-1.作用時間が長い睡眠薬に注意

睡眠薬を処方してもらっている患者さんにお願いです。一度、主治医の先生に、「私が服用している睡眠薬の半減期は何時間ですか?」と聞いてみてください。半減期とは、おおまかに言うと薬がだいたいの効果を失うまでの時間のことを言います。その質問に、明確に回答できる医師であれば大丈夫ですが、医師の中には明確に答えられない方が結構いらっしゃいます。睡眠薬は、作用時間によって、超短時間作用型(2〜4時間)、短時間作用型(6〜10時間)、中間作用型(21〜28時間)、長時間作用型(36〜85時間)に分けられます。

中間作用型や長時間作用型は、21時間以上効いているわけですから、高齢者がこのような睡眠薬を服用すると昼間も傾眠になります。結果として、まるで認知症になったように見えることがあるのです。具体的には、

• 中間作用型:ロヒプノール/サイレース(半減期:24時間)、ユーロジン(半減期:24時間)、ベンザリン(半減期:28時間)
• 長時間作用型:ドラール(半減期;36時間)、ソメリン(半減期:85時間)

さすがに長時間作用型を一般内科の先生が使用されることはありませんが、中間作用型は結構使われる先生がいらっしゃいます。きっと半減期を知らないから処方できるのだと思います。

2-2.ハルシオンは別格で副作用が多い

中間から長期に作用する睡眠薬は認知症用症状を起こしますが、逆に作用時間が短い超短時間作用型なら安全というわけでもありません。ハルシオンは、作用時間は極めて短いのですが、それ以外の副作用が多く見られます。副作用の中でも、健忘が最も怖い症状です。継続して服用を続けると認知症になる可能性が高いと言われています。高齢者の場合は、絶対に服用をやめてもらいたい薬です。世界的にも処方量が減っていますが、不勉強な日本の医師のため世界総販売額の約6割がいまだに日本で販売されています。

2-3.デパスも1日1回までなら問題ない

デパスはベンゾジアゼピン系に分類される、抗不安薬・睡眠薬になります。筋肉の弛緩作用が強いため、筋肉の緊張が緩み気持ちを落ち着かせます。そのため、睡眠導入薬を初めて服用する患者さんにも使いやすい薬です。私の経験上でも、寝る前に1錠飲む程度では副作用は殆ど見られません。しかし、1日に2回、もしくは3回処方されると、日中も傾眠になり認知症のような副作用が出てしまいます。高齢者の場合は、1日1回寝る前の服用を厳守してください。

3.糖尿病が過剰にコントロールされていないか?

糖尿病の薬にも注意が必要です。この場合、血糖が高すぎても、低すぎても認知症用の症状が出現するために注意が必要です。ただし、頻度的には血糖が下がりすぎて認知症用の症状が出現していることが多い印象です。

最近の糖尿病のコントロールは、75歳以上の高齢者の場合は、若い方と違いコントロール目標を緩める傾向にあります。具体的には、1か月の血糖の平均を示すHbA1cが7.0台であれば問題はないとされています。(若い方はHbA1c 7% 未満をコントロール目標とします。)

4.胃薬が引き起こしている例も

認知症の患者さんは、胃腸症状を執拗に訴えることがあります。「気持ち悪い。胃がもたれる。吐き気がする。」などです。その場合、専門外の先生は、消化器症状を軽減させるために、ナウゼリンやプリンペランという薬を処方します。

若い方も、胃腸風邪で受診するとよく処方される薬です。これらの薬は、短期間であれば副作用は殆どありません。しかし、高齢者の場合は、症状を訴え続けるため、処方が数か月から数年にわたって継続されることがあります。そうなると、これらの薬は「薬剤性パーキンソン症候群」といって、表情が乏しくなり、歩行も不安定になり一見認知症のように見えてしまう副作用が生じてしまうことがあります。単に胃腸薬と思わずに一度確認してみることが大切です。

たかが胃薬と思っても、慢性使用による副作用を生じさせることがあります

5.身近な風邪薬でも

高齢者や認知症患者さんへの風邪薬の処方は注意が必要です。特に軽い風邪症状の際に処方される総合感冒薬は要注意です。総合感冒薬には、眠気を誘発する成分が入っており、高齢者の場合、認知症のような「せん妄症状」を起こすことがあります。また、認知症患者さんでは、大混乱してしまい緊急受診することさえあります。

高齢者は、38度以上の高熱が出ている、食事が摂れないといった症状がない限りは総合感冒薬の服薬は避けるようにしましょう。どうしても服用したい場合は、漢方の葛根湯がお薦めです。葛根湯については以下の記事も参照になさってください。

•葛根湯・医師長谷川が自信をもってお勧めする漢方薬の効果と使い方

6.全身掻痒感に対する抗アレルギー剤にも注意

高齢者の場合、全身の掻痒感を訴えることがあります。通常は保湿剤で対応しますが、効果がない場合は、抗アレルギー剤を使用します。

しかしこの抗アレルギー剤で眠気が出て、認知症用の症状が出現することがあります。そのため、服薬後の意識レベルや反応には注意が必要です。もちろん、副作用がなければ継続しても問題はありません。

7.薬剤起因に本当の認知症が隠れていることも

薬剤が原因で引き起こされる認知症は、薬をやめれば完全に回復すると思われがちです。しかし、薬の副作用の裏に認知症が隠れていることがあるので注意が必要です。
薬を中止しても認知症様の症状が残る場合は、もともと認知症があって薬によって症状が強く出現したと考えます。したがって、薬を中止してから抗認知症薬等の治療を開始します。

8.薬剤起因性認知症が引き起こされる大きな理由とは

なぜ、このような薬の副作用によって認知症様の症状が出現する薬を、医師が処方するのでしょうか?
実は、不適切な薬を処方した医師は、副作用が出現したときには関わらないことが一因です。専門外の開業医であれば、自分の処方による副作用が起きていたとしても、知らないうちに患者さんの方で専門医もしくは救急で受診をしているケースが殆どです。そのため、副作用の経験が医師にフィードバックされないのです。その結果、副作用が強い薬が再び処方されてしまうのです。

9.まとめ

• 認知症専門外来では、薬の副作用による認知症様の患者さんが10%程度います。
• 副作用を引き起こす薬は、睡眠薬・抗不安薬・糖尿病治療薬・胃薬・風邪薬・抗アレルギー剤と多領域に及びます。
• ただし、薬剤で引き起こされる認知症様症状の陰に、本当の認知症が隠れていることもあるので注意が必要です。

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(無断転載終)
。。。。。。。。。。
上記ブログのポイントは、以下の通り。

・専門外の医師は、残念ながら自身の処方している薬の危険性に気が付いていない。
・質問に、明確に回答できる医師であれば大丈夫だが、医師の中には明確に答えられない方が結構いらっしゃる。
・中間作用型は結構使われる先生がいらっしゃる。きっと半減期を知らないから処方できるのだろう。
・不勉強な日本の医師のため世界総販売額の約6割がいまだに日本で販売されている。
・不適切な薬を処方した医師は、副作用が出現したときには関わらないことが一因
・自分の処方による副作用が起きていたとしても、知らないうちに患者さんの方で専門医もしくは救急で受診をしているケースが殆どである。

10月中旬の東京でのPDコングレス(学会)での私の発表にも、この「医原病」が引き起こした悲惨な崩壊事例が含まれている。乞う御期待!

(2024年9月2日記)

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大御宝「おおみたから」

メールマガジンからの転載を。

伊勢雅臣『大御宝。日本史を貫く建国の理念』を読み解く

・民を大切な宝物として考え、その安寧を祈るのが、「大御宝」の思想なり。

・神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が、日本の歴史を支えていた。

・神武東遷がはじまり、神武天皇は各地の支配者と主従関係を結んだり、姫を娶ったりして、同胞感を醸成しつつ、東に向かった。

・そして、河内国の族長などの戦いになんとか勝ち、神武天皇は「建国宣言」をされた。
「恭みて宝位に臨みて、元元を鎮むべし」(日本書紀)
→(謹んで皇位に即いて、民を安んじ治めなければならない)

・民を「大御宝」と考え、その安寧を祈る。それを行うために、神武天皇は皇位に就いたのだ。

・日本列島の各地で、さまざまな部族が今まで群雄割拠していたが、一つの屋根の下での家族のように互いに思いやりを持ち、仲睦まじく暮らすことを理想として、神武天皇は国家を創った。

・各地の部族を婚姻や先祖の系図で結ぶことによって、平和的な共同体を生み出していった。

・民俗学者、柳田國男は、各地に残る民話から、我が国では祖先の霊が、山の高みから我々を見守ってくれている、と信じられてきたことを明らかにした。

・世界の多くの原始部族は、こうした祖霊信仰を持っていたが、近代化した国家で祖霊信仰を持ち続けている点にも、我が国らしさがある。それは聖徳太子が、祖霊信仰を仏教と結びつけたことによって、継承されてきたからである。

・我々を育ててくれた先祖が死後もわれわれを見守ってくれているなら、現世の我々も子孫のためにできる限りのことをしなければ、という心構えになる。

・そしてまずは、子供たちにしっかりした教育を施して、立派な人生を歩ませようと考える。

・教育重視は、我が国の「根っこ」である。江戸時代の就学率は、世界でも群を抜いていた。明治維新後、すぐに公布された学制により全国での大々的な学校づくりが始まった。

・神道を基盤に、仏教も儒教も和して共存しているのが日本の強みであり、このかたちを始めたのが、聖徳太子だった。

・後醍醐天皇とその理想に殉じた楠木正成やその他の忠臣たちの生き様は、清冽な地下水脈のように日本人の心の深奥を潤してきた。

・徳川家康の九男、尾張藩の初代藩主となった、徳川義直は、「王命に依って催さるる事」という言葉を残している。
→ これは朝廷と幕府が対立することになったら、朝廷側につけ、という尊皇精神が込められているとされる。

・「大御宝を鎮むべし」という神武天皇即位の祈りは、清冽な地下水のように、国史を貫いて流れている。

(2024年9月2日転載終)

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放送大学二学期を先取り

(https://x.com/ituna4011/status/1829297883654307902)
Lily2@ituna4011
10月のコングレスでの発表準備を考えると、9月から先に受講を開始しなければ間に合わない。放送大学の利点は、融通がきくこと。 防衛モニターの方は、10月と11月に二つの駐屯地の式典出席が予定されている。 やれる時にやれることを。小さな社会貢献。
8:19 AM · Aug 30, 2024
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(2024年8月30日転載終)
……………….
2024年9月1日追記

【再掲】

(https://x.com/ituna4011/status/1815328038143570371)
Lily2@ituna4011
今回、英語担当の先生がおっしゃっていたが、最近流行りのコミュニカティブ一点張りや類推ではなく、やはり紙の辞書を繰り返し引いて、文語的な表現もきちんと文法を理解しておかなければならない、と。 なぜか安心した。
7:08 PM · Jul 22, 2024
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【新規転載】

(https://x.com/ituna4011/status/1830173554136269150)
Lily2@ituna4011
予定を前倒しして早速、ドイツ語Ⅱのラジオ講義を聴講。高2だった17歳の頃からラジオの外国語学習に馴染んでいるため、気分的にも楽。しかも、ドイツ語Ⅰと同じドイツ人講師で安心。重ねて安心したのは、ドイツ語Ⅱでは「やはり紙辞書がおすすめです」とテキストに書いてあったこと。やはり正統派。
6:19 PM · Sep 1, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830181032630407307)
Lily2@ituna4011
既習の外国語は、テレビよりもラジオの方が疲れにくい。時間も有効に使えそう。勿論、放送大学の講義は、院も学部も全科目、最初から1.5倍速で受講している。 申し訳ないが、1講義45分の時間の余裕は、ない。
#放送大学
6:48 PM · Sep 1, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830182305790603406)
Lily2@ituna4011
フランス語もドイツ語も、テレビ視聴風だと、印刷教材通りの順番ではなく、いつの間にか順序が飛んでいたりして、疲れる。恐らくは、講師の先生方も放送授業を制作する間に、順序を入れ替えて録画されたのであろう。でも、初心者には戸惑いを与えかねない。ラジオ講義はテキスト通りに進むので楽だ。
6:53 PM · Sep 1, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830184723814965404)
Lily2@ituna4011
第1課の聴講終了。何と、ドイツ語Ⅰでは echt を「めっちゃ」「まじで」と訳されていた同じ先生が、ドイツ語Ⅱの終わりには「ごきげんよう」で締めくくられた。
いろいろ突っ込みどころ満載の楽しい独逸語講座。
18歳の頃、故小塩節先生から習った時には、「ごきげんよろしゅう」だった。
7:03 PM · Sep 1, 2024
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(2024年9月1日転載終)
。。。。。。。
今日は、その他に「西洋音楽史」の科目も第1課のみ受講した。

クラシック音楽については、5歳から23歳まで名古屋音楽学校に通ってピアノを習っていた。
大学生から院生の頃、河合楽器のグレード試験を受けていた。ピアノの先生に頼み込んで、ソルフェージュも即席レッスンをしていただき、聴音と演奏の実技試験および楽理の筆記試験等、緊張しながらも受験した。一応、資格としては取れたのだが、勿論、音大生には練習量からして敵うはずもなく、あくまで履歴書の趣味欄に書く程度だった。

結婚してからは、それまで米国のボストンで小澤征爾や五嶋みどりさん等、超一流の音楽を目の前で堪能してきた主人のお陰もあり、関西でも一流以上の国内外の演奏家ばかりを選んで、西宮や京都や大阪やびわ湖等、行ける間にせっせと演奏会に通っていた。
そして、主人の若年性神経難病の治療の一環だと考えて、一種の音楽療法のつもりで、平日の朝と晩の食事時には、ラジオでNHK-FM放送のクラシック番組を流していた。日曜日の夜には、まずラジオで「クラシック・リクエスト」を聴きながら夕食を摂り、その後は主人の会社での作業服等のアイロンがけをしながらN響アワーを視聴し、続く芸術劇場の時には、いつの間にか寝入ってしまうようなルーティーン生活だった。

一般教養程度には親しんでいたクラシック音楽だったが、肝心の音楽史については、正式に学んでいなかった。
というわけで、今回、お楽しみ科目の一つとして、選択した次第である。

今日のお話は、ギリシャ伝統が現代に至るまで西洋音楽を規定している、という観点が非常に印象的かつ新鮮だった。ともすれば、キリスト教の教会音楽だとか、ユダヤ音楽だとか、インドの伝統舞踊だとか、中国の古典音楽だとか、海外の音楽にも無関心ではありえなかったが、ギリシャ文化が西洋の古典音楽に浸透し続けているとは、迂闊にも気づかなかった。

やはり、大学と名のつくところで勉強することには、カルチャーセンターとは異なった、深い意義がある。

(2024年9月1日記)(2024年9月3日一部修正)
…………..
2024年9月3日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1830885968884441242)
Lily2@ituna4011
「趣味みたいなお楽しみ科目」の一つ、島内裕子名誉教授の枕草子のご講義を今、視聴している。 元国文学科出身者としては、高校から大学にかけて味わった懐かしい雰囲気を醸し出しつつ、装い新たに高度化した実質に触れられる点、この上なく幸いである。敬宮殿下が言及された北村季吟は勿論のこと。
5:30 PM · Sep 3, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830886881837584654)
Lily2@ituna4011
趣味の検定試験として、神社検定、茶道文化検定、京都文化検定を受けてきたが、基礎ベースとして馬鹿にならない。今回、二学期用に受講を決めた2科目には、実は検定の知識が役立っている。 勿論、大学の講義なので、もっと深く、もっと文献資料に直接当たっていることは言うまでもない。
5:33 PM · Sep 3, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830888556006711753)
Lily2@ituna4011
島内裕子名誉教授のご講義は、院の講義を既に受講した。ラジオでもテレビ映像でも、今の時代には貴重な名講義そのもの。今年3月下旬、東京での学位祝賀会でお目にかかれて、心躍る経験だった。 私の世代では、あのような語り口が大学の先生の定番だった。平成期のいつ頃からか、騒がしく崩れた。
5:40 PM · Sep 3, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830896700510347377)
Lily2@ituna4011
国文学の古典にせよ、ドイツ語にせよ、十代から二十代にかけて学んだものは、40年程経った今でも、案外に覚えているものだ。そして、教わった昔の先生方に感謝の念さえ沸き起こって来る。教養の基礎となるものが、高校から大学にかけて培われたことは、本当にありがたい。
6:12 PM · Sep 3, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830897484136390794)
Lily2@ituna4011
というのは、教養は「資格」ではないからだ。平成期のいつ頃からか、「資格、資格」と言い過ぎる風潮が現れた。就職に役立つ「資格」は勿論のこと、大学の学位まで「資格」と、混同させている。軽薄にも程があり、嘆かわしい風潮だ。「資格」とは、職や人生を保証するものではない。
6:15 PM · Sep 3, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830917221755035806)
Lily2@ituna4011
18歳の時、習わなかったドイツ語の文法。
「埋めぐさの es」
そんなのあったっけ?ドイツ語文そのものは習っているが。
7:34 PM · Sep 3, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1830918115670307036)
Lily2@ituna4011
放送大学のドイツ語Ⅱは、テキストの内容はいいが、練習問題が少な過ぎ、文法説明もかなり速いレベルで飛ばしている。 恐らくは、若い頃に対面式で試験を受けながら学習した世代に向けての復習様式なのだろう。初心者がこのペースで勉強するには、参考書や問題集を別途用意する必要がありそうだ。
7:37 PM · Sep 3, 2024
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(2024年9月3日転載終)
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2024年9月6日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1831687631354429753)
Lily2@ituna4011
今頃気づいたことですが、放送大学の場合、学部では「授業」と呼び、院では「講義」と呼称するようですね。内容レベルの高低は、さほど関係がないように思われますが。
10:35 PM · Sep 5, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1831997491807477966)
Lily2@ituna4011
間違えました。島内裕子先生は、学部でも院でも「講義」とおっしゃっていました。失礼いたしました。お詫び申し上げます。
7:06 PM · Sep 6, 2024

(2024年9月6日転載終)
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2024年9月13日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1834581268333527384)
Lily2@ituna4011
もう一つ。接続法Ⅱ式に関して、
助っ人Ⅱ式
そんな呼称、あったっけ?40年前の第二外国語では、少なくとも記憶がない。
10:13 PM · Sep 13, 2024

(2024年9月13日転載終)

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修士論文題目

放送大学大学院の修論リストがようやく掲載されました。

修士論文リスト(2023年度修了者)

https://www.ouj.ac.jp/gakuin/about/thesis/2023mronbun.pdf

生活健康科学プログラム
【 閲覧可 】

修士論文題目
「配偶者から見た若年性パーキンソン病(PD)患者に伴う諸問題 -抗パーキンソン薬プラミペキソールの副作用としての衝動制御障害を焦点に-」

(2024年9月1日記)

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神経内科学の医学者への苦情

(https://x.com/ituna4011/status/1307097638748270592)
Lily2@ituna4011
大学病院の医師は、研究用のデータが欲しいのか、実際のリスクをあまり言わずに勧めるように思います。私共は、それが嫌で断りました。介護相談のサイトでも書きましたが、今の神経内科の医師は、雨後の筍のように急に増えて、質はピンキリ。昔は、専門医が限られていたので、もっと慎重で親身でした。
8:22 AM · Sep 19, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1307275520963309568)
Lily2@ituna4011
うちは大阪府下でしたが、阪大病院に2-3ヶ月に一度の外来通院でした。10数年ぐらいはそれでよくても、進行期から末期にかけては、途中で転倒しようが肺炎で入院しようが、全て患者と家族に丸投げ。それでは本当に困ります。緊張と不安と焦りの日々でした。本物の地方(田舎)や島に住む患者さん達は?
8:09 PM · Sep 19, 2020

(2024年8月31日転載終)

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伊丹市立中学の義務教育

実は私、伊丹市教育委員会の教科書選定委員(市民)を二度務めたことがあります。2020年春のことでした。応募者9名中のうち、書類選考(一次)と面談(二次)を経て任命された2名の一人としてです。

伊丹市立の各中学の教科の先生方が、新しく改訂された教育指導要領に基づいて採択された教科書を一生懸命に説明されるのを、素人の新参者ながらも偉そうに(!)、一緒に座って聴いていました。何よりも、大変効率的に話が進んでいったことが印象的でした。

数学に関しては、教師側と委員側の見解が対立しており、教科の先生には不満の表情が顔一面に現れていました。教科書に付記されていたQRコードの使用法に関する意見の相違でした。

(https://x.com/ituna4011/status/1278125701007212546)
Lily2@ituna4011
先日、地元の公立中学の教科書各種を展示で見たが、今の教科書は40年前と比べて、サイズも一回り大きく、実にカラフル。イラスト以上にアイコンや漫画まで入っている。「不確実な将来」を見据えて、iPadの導入に備えた教科書に。家庭科の教科書は、少年がミシンで何かを裁縫している写真入。
9:38 AM · Jul 1, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1278127055675240451)
Lily2@ituna4011
数学は、私の世代では習わなかった数式項目が含まれていた。書道や保健体育の教科書は充実していた。音楽の教科書には、国歌「君が代」が堂々と入っていたが、私の頃は小学校の1年生だったはずでは?国語は、中原中也が人気のようだったが、私は中也を高校1年の教科書で知った。
9:43 AM · Jul 1, 2020

(2024年8月30日転載終)

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古いブログを保存する意義

思いがけず、14年も前のブログ記事に対して、フェイスブックで感想が寄せられた。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100313)
2010-03-13「マレーシア断章:キリスト教改宗」

《以下は、数年前に書きかけて放置してあった未完成メモです。組織立ったインタビューではなく、カジュアルな会話の中から導き出された話ですが、研究論文には引用できなくとも、れっきとした実体験に基づく貴重なデータだと思っております。(ユーリ)》

(抜粋終)
。。。。。。。
すると、このブログを読まれた日本女性から、下記のようなコメントをいただいた。

M・N:(個人的に)Sabah客家 世の方の証が涙せずには居られませんでした…

ユーリ:M・N様、初めまして。古いブログを見つけて下さり、ありがとうございました。

M・N:ユーリさん あれは何度も泣きました

ユーリ:M・N様 そのような感想は初めてです。記録しておいて良かったです。ありがとうございました。

M・N:ユーリさん (あの戦争で)日本軍に両親を虐殺されたと知った時は言葉が出なくなりました

ユーリ:田母神俊雄氏等が、「日本は白人の支配から東南アジアを解放したのだ」と主張されています。これは、昭和時代にはよく聞かれた話で、珍しくもありません。但し、1990年代初頭に3年間、政府の仕事でマレーシアに暮らしていた私にとって、ペナン博物館やシンガポールのセントサ島の展示、マレーシアの学校教科書の記述、マレーシアの古い新聞記事等が、日本軍の恐ろしさを余すことなく示していました。これは、リベラル左派や右翼等、イデオロギーとは全く関係ありません。現地の人々が自らそのように記憶していたのです。私のブログに書いたインタビューでも、それが反映されています。

ユーリ:M・N様、客家の人々は、伝統的に大変勤勉で、とても誇り高い人々です。私は、先の戦争で、日本は情報戦に負けたのだと考えています。当時の日本人は、東南アジアの複雑さを宗主国であった英国ほどには理解できていなかったと、残念ながら英語と日本語とマレー語の各資料から読み取っています。

M・N:ユーリさん あの戦争で【Perak】→”客家が多数虐殺されたのでは無いか”と察しました…
あの方のご両親も,Sabahに留まってたら(虐殺は)免れた様に思います

ユーリ:M・N様、コメントありがとうございます。サバ州よりはペラ州の方が生活が楽だったから移住されたのかもしれませんね?

(転載終)
。。。。。。。。
この方が感涙されたサバ客家とのインタビューは、ブログ抜粋によれば下記の通りである。

B博士:
サバ州客家の三世だが、第二次世界大戦中の日本占領期に、犠牲者となった両親がシンガポールを経由してペラ州に移住。本人はペラで生まれた。1970年代の大学生時代には、民間交流プログラムでマレーシアにやって来た日本の柔道師などから武術を習い、みそ汁を飲み、片言の日本語も覚えたりした。しかし、心の底では、日本人に対する憎しみや怒りが消えなかったという。ちょうどその頃、大学キャンパスでキリスト教伝道に出会い、信仰を持つに至る。所属教会は、牧師のいないブレズレンである。それ以来、日本人に対する否定的な気持ちが消えた。今は特に何とも思っていないという。ただし、靖国問題については別で、「今の日本人が、戦時中、我々にしたことを認めるならば、私達も許し、忘れる用意ができている」とのことである。

それでは、14年ぶりに、当該ブログを転載してみよう。(サバ客家のB博士は重複を避けた。
。。。。。。。。。
「キリスト教改宗に関する断章:マレーシアのクリスチャン達」

Aさん:
父親は道教の祭司だったが、他に学校がなかったため、ペラ州のメソディスト系学校に通い、日曜学校でキリスト教の話を聞いて、洗礼を受けた。「父親の反対はなかった」という。

C師:
ヌグリ・スンビラン州クアラピラの出身。広東系。シンガポールで工学を勉強していた18歳の時、キリスト教と出会い、入信。若い頃から神学関係の本を読むのが好きだったという。マレーシアに戻ってから8年間公務員として政府関係組織で働いていたが、マレー人同僚ないしは上司の昇進のあり方に大変不満を持ち、やめた。その後、福音自由教会の牧師となる。40代前半、家族と共にイギリスに移り住み、ロンドン大学でカルヴァンの人生における神意に関する神学博士論文の準備をする。
華人虐殺の激しかった出身地から、キリスト教入信前は、日本人が憎くて仕方がなかったという。しかし、キリスト教の贖罪メッセージに触れ、自分達にも罪があったので神の罰としてこのような運命に至ったのではないか、と考え方が変わったそうだ。今では、日本の同系列の牧師などとも友好関係を持ち、限定的ながら日本人に対する見方は概ね肯定的である。ただし、「日本人は島国根性だ」という辛辣なコメントは消えていない。

D氏:
クランタン州コタバルの出身。インド系はこの地でごくわずかしか居住していないので、子どもの頃はマレー人と遊び、マレー語に堪能で、マレー文化の中で育ったという自覚がある。父はタミル系で母はテルグ系であり、父親の職業は病院勤務であった。ヒンドゥ教徒の家庭である。5歳の時、アングリカンのイギリス人宣教師からキリスト教の話を聞いたが、その頃は特に惹かれるものはなかった。大学進学のため、10代後半で首都クアラルンプールに出てきた時には、故郷と比べてあまりにも環境の差が激しく、毎日家で泣いていた。その頃、病気にかかり、家で寝ていたところ、夢の中でイエスの幻像を見た、という。そのイエスは、西洋画によくあるような白人の姿ではなく、「アジア人の顔」をしていた。インド系の顔だったかどうかはわからない、とのことである。都会の暮らしになじめず、つらい日々を送っていた彼は、その夢がきっかけでカトリック信仰を持つに至る。コタバルにいる父親に電話で改宗の事実を伝えると、怒って電話を切られてしまったという。母親は、父がよいと言うならよいが、息子の決心については特に何も反対はしない、という態度であった。
その後、姉妹やその配偶者などもヒンドゥ教からカトリックに改宗し、今はちょっとした有名なカトリック家系を形成している。両親はヒンドゥ教徒のまま亡くなったが、最終的には理解してくれたという。

(名前不明。インド系60代後半くらいの男性):
(NECFオフィスの前でタクシーを待っていたところ、オフィスから出てきて話しかけてきた)
自分は、マラヤ大学の第一期生の一人である。もともと、キリスト教は大嫌いだった。あれは白人の宗教だ。自分は肌が黒いから、キリスト教には向かない、と若い頃はずっとそう思っていた。その後、よい仕事を得て、アメリカにもしばらく住んだり、オーストラリアにもよく出張した。豪奢な暮らしも満喫していたが、こともあろうに、自分が愛していた娘が白血病になり、若くして亡くなってしまった。自分はもうどうしたらよいかわからず、自暴自棄になり、仕事は適当に済ませ、後はお酒を浴びるように飲み、妻以外の女性とも遊ぶようになった。これもそれも、愛娘を亡くした不条理と悲しみを紛らすためだった。妻は愛想をつかして、別居してしまった。しばらくたって、妻もいない、もう娘も戻ってこない、と気づいた時、自殺を図ろうと思った。ところがその時、とても不思議なことに、ある人がキリスト教の集会に誘ってくれたのだ。初めはためらいがあったが、そのうちに、自分の心の狭さと自己中心性に気づき、こんな父親では亡くなった娘も悲しむだろう、と思うに至った。そして、信仰を持つ決心をした。遠く離れていた妻には、自分から連絡を取り、正直に自分の過ちを詫び、心から謝った。許してくれないだろうと思った妻が、なんと寛大にも自分の所に戻ってきてくれたのだ。私はうれしかった。これもすべて神の導きによるものだ。今の私にはわかる、なぜ娘が夭折したのかが。娘ともいつか再会できる希望を、私は確かに持っている。

Eさん:
私の場合は、生まれながらのカトリック。親がカトリックだったから、幼児洗礼を受けている。でも、形だけの信仰ではない。なぜ、親がカトリックになったかって?それは、インドにいた頃の話に遡る。南インドで、宣教師達が私達のために、誠心誠意働く姿を見て、(あの人達は、自分の国に住んでいれば、もっと安楽ないい生活を楽しめたはずなのに、なぜ、私達の所に来て、こんなに一生懸命尽くしてくれるのだろう?)と思った。そして、そこに神の臨在を感じた。神は必ず存在する。だって、私達のために、私達を見捨てないで、こんなによくしてくださるんですもん。人間の意図を超えた意志が働かなければ、どうしてこの西洋人達が私達のところに、わざわざ来たの?神さまが触れたの。それしかない。それで、私達は、カトリックに改宗したのよ。(2004.01.29)

Fさん:
私と同い年のクアラルンプール育ちの福建人。未婚で、シャーアラムで祖母、母、妹と女所帯で暮らしている。昔はマレーシアが大嫌いだった。国を一度も好きだったことはない、という。マレー語で教育を受けた第一世代に相当する。高校では、理系クラスにいたが、クラスメートにはマレー人生徒がおらず、「私達の話す英語が、マレー人の子には早過ぎて、聞き取れなかった」と笑う。流暢な英語を話すが、メールのやり取りをすれば、彼女の英語にも基本的な文法ミスがないわけでもなく、確かにマレー語で教育を受けた世代だということがわかる。理系クラスだったのは、成績で振り分けられたからであり、本当に好きなのは、絵をかくことであったという。高校卒業後、2年ほど台湾で過ごし、それから絵描き友達とヨーロッパに渡り、何年か一緒に暮らした。「お金はどうしたの」と聞くと、絵を描いて売り、暮らしを支えていたが、「ヨーロッパでは、工夫すれば、マレーシアよりもはるかに安く生活できるのよ」と自慢する。キャンピング・カーに寝泊まりし、仲間と助け合って何とか数年は楽しくやっていたという。その後、何か思うところがあったのだろう、ハワイに渡り、大学と大学院修士課程に進んだ。心理学と宗教学の学位を取得した。ハワイ滞在も7,8年に及んだという。そこでプロテスタント系福音自由のキリスト教伝道師と出会い、信仰を得て、帰国したとのことである。帰国後は、しばらく社会福祉活動をしていたが、「神様に、私が今後どのように生きていったらいいのか教えてください、と祈った」ところ、現在勤務しているNECFが秘書兼リサーチャーを募集していることを知り、応募してみた。事務局長から数度にわたるインタビューを受け、最終的に採用決定。「これが神様の導きだったとわかった」。今は、マレーシアが好きになり、仕事にもやりがいと楽しさを感じている、という。特に宗教学でもう一つ学位を取りたい、と張り切っている。キリスト教信仰によって、自分の使命や生き甲斐を見出した一つの実例であるといえる。(2004.01.30)

G牧師夫人:
カダザンドゥスンのサバ出身40代。夫は牧師で息子一人をはさんで上と下に娘が一人ずついる。英語学校で教育を受けたが、自身はマレー語礼拝の教会で指導的役割を果たしている。マレー語へのキリスト教文献の翻訳も担当している。父親から譲られたというライデッケル訳のインドネシア語の聖書を大切にしている。「どうしてクリスチャンになったの」と尋ねたところ、「私達(カダザンドゥスン)は長い間ずっと、数々の精霊におびえて暮らしていた。何か悪いこと、例えば病気だとか若死にだとか事故にあったりなどすると、それは精霊のせいだと伝えられていたので、自分達は人生を受け身的にとらえていた。ところが、ある時外国からミッショナリー達がやってきて、『そうじゃないよ』とイエス・キリストの物語を紹介してくれた。私達は半信半疑で、教えられた通りに祈ってみた。そしたら、本当に祈りが実現した。そこで、私達が伝統的に恐れていた精霊よりも、イエスの方がパワフルであることがわかり、キリスト教に改宗したの」。

(2004.03.16)

2019年追記:上記のG牧師夫人とは数回、リサーチ目的で会ったことがあるが、数年前、突然死された。

(2024年8月28日転載終)

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