お着物のこと

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月19日投稿

彦根市出身で京都在住の着付けの先生。30代前半の二児のお母様でもいらっしゃいます。
今の時代、自分の目標や信念を自分の言葉で真っ直ぐ伝える女性が人気のようです。可愛らしい和風美人で、しっかりした、とても魅力的な方だと思いました。京都言葉も活きています。
今の着物業界の問題点をさらりと正面から取り上げつつも、それを克服する目的で、何とか日本の着物文化を楽しく盛り上げようと、現代ならではの視点で工夫と努力を積み重ねられています。
一方、60代ぐらいのお孫さんのいるような東京の着付けの先生のYou Tubeは、教えた年数こそベテランですが、逆に媚びた感じもありました。例えば、祖母や母親から譲られた着物は「自分の好みに合わなければ、処分しましょう」「私はゆっくりと処分しました」みたいなことを平気でおっしゃっていましたが、私にとっては「勿体ない!」。着物教室の講師とは思えない発言に聞こえます。
むしろ、お若くして着物コンテストで受賞した実力派のすなおさんの方が、「箪笥に眠っている着物を活かしましょう!」と提唱し、循環系路を作って職人後継の道筋を作ったり、若い人達に気軽に楽しんでもらえるように声掛けするなど、もっと肯定的です。そして、チャンネル登録数も、ベテラン着付け教室の先生よりも、すなおさんの方が圧倒的に高いです。

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月25日投稿

若い頃の檀ふみさんに似ている。

(2024年3月30日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月26日投稿

《学習院大学の卒業式では、ご学友の女性はほとんどの方が袴姿でしたが、紀宮さまはスーツ姿だった》
☚ 唯一の内親王様だったのだから、もっと本式かつ可愛くして差し上げて!ご結婚式も…….。

(2024年3月30日転載終)
………..
2024年4月1日追記

人生の節目毎に着物を着た。

1.お宮参り:生後一ヶ月。名古屋市千種区の母方祖母宅近くにある高牟神社(式内社)。

2.七五三:母方のいとこ達が高牟神社に勢ぞろい。おべべ(着物)を着て、おかっぱ頭にお団子の鬘を付けて記念写真。多分、祖母は孫達を揃えてこれがやりたくて、結婚年齢や出産時期を決めていたのではないだろうか?今なら干渉?

3.成人式:当時はバブル経済全盛期で、四年制大学に行くと、反動的にマルクス主義的な清貧の暮らしが唱導されていた。それで、「着物なんか贅沢だから、私は洋服でいい」と主張していたところ、母方祖母がやって来て「ユーリちゃんは、いつからそういう子になったの?」みたいな説得をされ、結局は振袖を着た。ちょうど、町の教育委員会のご指名で、成人式には「君が代」をピアノで演奏することになった。美容院に事前予約し、1月15日と設定されていた日の朝5時か5時半に起きて、まだ薄暗く寒い中をてくてくと12分程歩いて辿り着くと、既に美容院は活気があった。髪結いと着付けで、1時間ぐらいだったろうか?髪型はお任せだったが、美容師さんが「あ、長い」と呟いたことだけは覚えている。

4.大学の卒業式:母が着付け教室に通い始め、自分の嫁入り道具だった着物を自分で着るようになってしばらく経った頃、私の卒業式がやって来た。私は、母が卒業した大学(当時は女子大)を卒業し、父が卒業した大学の大学院を修了している。そのため、母が自分が来た袴と着物を私に着付けしてくれたのだった。頼んだのではなく、気が付いたら自動的に、そのようになっていた。髪型はおかっぱ頭に紺色のリボンピンを留めただけにした。市内の瑞穂区にあった大学近くの道を歩いていると、近所のおばさんが「おめでとう」と声を掛けてくださった。「ありがとうございます」と応えつつも、(こういうおばさん方の税金で勉強させていただいたのだから、しっかり頑張らないと)と引き締まるような気持ちがした。近代文学の教授が「大正ロマンだね」とおっしゃったことを覚えている。

5.裏千家の許状式:2年程、今はなき名古屋駅前の毎日文化センターで裏千家のお点前を習っていた。その時の「宗和先生」の道場が海部郡大治町にあったため、電話帳で名古屋市の大須観音近くにあった貸衣装屋さんを探し出し、桃色の色無地の着物と帯をレンタル。これまた4と同じ美容院(だったかと思う)で髪結いと着付けをお願いして、父の車で連れて行ってもらった。(今振り返ると、あの頃、父にはお世話になった。親がいる間は、お願いして当然、という気もあったが、父がいなくなって11年以上経った今になると、もっと親孝行ができていたならば、と思う。)許状は茶通箱。

6.結婚式:平成9年(1997年)11月16日に、京都の下鴨神社で挙式。結婚プロデュース会社のワタベ・ウェディングが準備したレンタルの白無垢に、高見美容室の文金高島田で。(京都北部のフレンチ・レストランでの披露宴のお色直しは、薄紫色の洋装ドレス。)

7.お茶会:33歳頃、当時習っていた町内の裏千家の先生と一緒に京都の祇園近くにて。この時には、主人の母から譲られた(経緯は覚えていないが)色無地に菊や松が織り込んである薄桃紫系の着物に金扇の名古屋帯で参加した。着付けは、その頃暮らしていた島本町若山台の(旧)公団住宅一階の美容室で、髪結いと共にお願いした。今でも、そのサービスや前向きだった自分の心根に驚いている。終了後は、平安神宮辺りを一人で歩き回ったが、京都の人の目にはどう映っていただろうか?写真を主人に撮ってもらい、義母に見せたところ、写真を引っ掴むようにして「皆に見せる」と言い出した。慌てて、「それは私の写真です」と取り返したが、写真が少し折れてしまった。

8.放送大学大学院の学位授与式:東京の式典には、7と同じ色無地と帯にした。なぜならば、我々の結婚生活の最初から最後まで共に暮らしてきた主人の若年性神経難病が論文テーマであり、期待をかけて育てて来た息子に先立たれた逆縁の義母を慰める意図もあったからである。お茶会の後、手入れもせずに箪笥に入れっぱなしだったため、いつの間にか25年程経って、薄汚れてしまっていた。だが、呉服屋さんに持ち込んで相談したところ、「充分これでいい」という話だった。色は薄桃紫ではなく、「ベージュピンク」だと教わった。但し、格の問題があるので、紋を一つ、縫い紋で付けることにして、洗い張りしていただいた。2月22日にお願いし、受け取りは3月15日、と三週間はかかった。正絹なので、匂いも良く、質がしっかりしていて、今でも光沢がある。主人が大好きだったおばあちゃん(岡山の美作の母方祖母)が送ってくれたものだと聞いているが、明治生まれの武家出身者の見る目は高い。

(2024年4月1日記)

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3月のまとめ

ここで3月の行事をまとめておく。(過去ブログと記述が重複するが、まとめないと、うっかり忘却が浮上したり、精神的な落ち着きが得られなくなったりするからだ。)

3月7日:月命日。午前中は、放送大学大阪学習センター宛に修了生としての短文を書いて郵送。その後は月命日のお詣り。事前に葉書を送っておいたため、宮司様にもすぐ お目にかかることができ、思いがけず1時間近く、お話を聞いていただき、主人の五年祭と納骨の相談に乗っていただいた。スーツに黒コートだったので、そのまま大阪のいずみホールに直行し、小菅優さん達の四重奏を聴く。9時過ぎに終了し、帰宅は10時半頃。

3月12日:市内の漢方の先生のところへ。20分ぐらい、話が弾んだ。この度の修士号合格については、喜んでいただけた模様。吉報は周囲に喜びをもたらす。(報告しても無視するか、冷たい反応が返って来るような家族親族に囲まれて育つと、つい、何も言わずに黙っていた方が賢明か、と思う習慣が長年あったが、実はそのような態度の方が不健全。通常は礼儀作法としても、おめでたい話は肯定的になるのが常識である。)

3月14日:午前中は古文書の会(1時間半)、午後は地域の古文書整理(1時間半)。合間には郵便局等で用事を片付け、自宅に戻るや否や、簡単な昼食および家事の片付け。夜はずっと準確定申告の書類整理と書式記入。結局は徹夜になってしまった。バイオリズムが崩れるが、2019年度という最も大変だった年の申告は、5年が期限で今年の明日午後5時が締切。だから、休んでいる暇はなかった。

3月15日:お昼過ぎに、ようやく書式が整った。電卓で何度も打ち直して計算を確認。しかし、徹夜は血管が酸化していく感覚があり、だるく、思考も緩慢になる。能率は明らかに低下。しかし、ここで休むわけにはいかない。結婚してから毎年のように欠かさず一年間の医療費と寄付金の控除を計算して、提出してきた恒例行事だったからだ。伊丹に来てからは、たった一度のみ、2018年度分を提出できたが、その後はそれどころではなくなってしまった。従って、5年ぶりに作業したことになる。デジタル化の推進に伴い、自宅でも可能、とはいうものの、準確定申告には他の書式も提出する必要があり、そもそも無理だ。とにかく、コピーも取って、何とか夕方5時前には自宅近くの税務署に提出できる手筈が整った。そして、自転車に乗って急いで、午後2時から3時35分まで、いたみホールでの土井義晴氏の講演会(別項ブログに記したので省略)。そして、夕暮れの風に吹かれつつ、4時から4時10分まで、税務署の窓口で提出。ホッとした。

3月17日:市内のミュージアムの職員の引率で、池田市と箕面市の西国街道を歩くというプログラムに参加。この辺りはまだ行ったことがなく、行けるチャンスを捉えて、という意図だった。
阪急石橋阪大前駅に集合したものの、待ち時間に雨が降り出し、結局は傘を差しながら、約30名程の中高年者がぞろぞろと歩きつつ行程を進めた。雨さえなければ、もう少しは楽だったと思うが、荒天ならば3月20日に延期となり、それなら春のお彼岸で名古屋のお墓参りがあるから不参加になってしまう。ということで、強行軍ではあったが、これはこれでよし。
しかし、疲れたなぁ。川西市の能勢口から阪急バスで帰って来たが、自宅に戻っても、しばらくはぼうっとしていた。

3月19日:主人の実家のお墓参り。東大阪にあり、結婚以来、主人と義母と義兄の四人、あるいは主人と二人だけで年に四回、恒例行事だった。従来は主人の母が年に一度、管理費を払い、寝たきりになったら主人が払い、主人が入院したら私が払う、という循環があった。今でも、ついこの間のことのように感じるが、1998年1月に初めてのお墓参りをしてから、104回ほども通い詰めたことになる。

今年の元旦には、管理費を払う際、墓地管理の御住職が亡くなったとのことで、お留守番の若い御住職に今後のことを相談したところ、「本来なら長男である義兄が責任を持つべきものなのに、放り投げて次男の嫁である奥さんにやらせているなんて、おかしい。もう、放置しておけばいいのでは?」ということだった。実は長らく気が重い懸案だったが、少なくとも私に責任を負わせる第三者は、家庭裁判所といい、神社の神職といい、これまでのところ一人もいない。つまり、私は過重負担をこなしてきた、というわけだ。いつまでもこんなことを続けられるのか、それが問題だ。お墓のためだけに、近くに引っ越すという選択肢は、あり得ない。
枚岡神社へは、時間の関係もあって今回は見送り。

3月20日:別項のように、名古屋へ日帰りでお墓参り。

3月21日:一日、中休み。尼崎市立図書館と兵庫県立図書館から借りていた本を東京行の前に返却しようと思い、自宅でコピーを取ったり、ノートしたりして過ごす。疲れが出ないよう用心しつつも、夜8時の閉館前には歩いて伊丹市立図書館(ことば蔵)へ行き、3階カウンターで余裕を持って返却できた。

3月22日・3月23日:放送大学大学院の学位授与式と祝賀会のため、一泊二日の東京行。別項で記す。

3月24日:午後は伊丹市内の音楽堂アイフォニック・ホールにて、演奏会を聴きに行く。電話で事前予約をしておいたため、ホール受付で1500円を支払ってチケット入手。この日は大雨で、東京滞在の疲れもあり、市バスで近くまで行ったものの、2分遅刻のため、一曲目はホール外で聴いた。これも別項で記す。

(2024年3月27日記)

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伊丹でショスタコーヴィチを聴く

…..日が訪れるとは、想像だにしていなかった。

2024年3月27日に本稿を設定したものの、その後は何かと忙しく、ペンディング状態のままだった。

(2024年4月9日記)
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伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴くのは久しぶりだ。最初は、2019年秋、伊丹市出身の女性ピアニストのラフマニノフのピアノ協奏曲だった(と記憶する)。
藤原市長さんが、広報伊丹かフェイスブックで、彼女を紹介された時のエピソードを記して「期待している」と、演奏会にいざなっておられた。
ただ、実際の演奏会では、テンポがずれていて、途中で止まりかけた箇所があって、ハラハラさせられた。

この時には主人が市内の病院に入院中で、演奏後、アンケートに答えたところ、二枚のペアチケットがプレゼントとして郵送で届いた。

そのチケットを、次に救急搬送された宝塚市立病院に入院していた主人に見せたところ、また一緒に演奏会ホールに行けるのだろうと思って、にっこりと笑っていた。「今度こそは真面目にリハビリを頑張って、また会社に1年ぐらいは働きに行きたい」と言っていたのだった。実際には、既に真菌やカンジタ菌が全身に回っており、筋肉も瘦せ衰えて、「もう自宅に戻ることはない」と主治医に宣告されていたにもかかわらず、である。薬の影響で、ケアマネさんや私の言うことも聞かずに外へ飛び出し、寒空の下を夜遅くまで尼崎や大阪を徘徊して倒れたからである。

伊丹市立音楽ホールであるアイフォニックホールへは、それまでにも東欧の四人組弦楽グループや「ジプシー」のヴァイオリン二人組、在京女性ピアニストのイリーナ・メジューエワのリサイタルに行っている。自宅からも歩いて行ける距離で、どことなく懐かしい雰囲気のする落ち着いたホール。完成した1990年代初頭には、伊丹市に音楽練習場や発表会の場所ができたということで喜ばれたそうだ。メインホールは客席502(車椅子席4)とのことである。

今回の伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団の「名曲コンサート」は、客演指揮者がギオルギ・バブアゼさんという方で、コロナの影響で4年ぶりにお迎えできたという。そして、「難曲にも挑戦するというコンセプト」のもと、日々の練習を積み重ねてきた、とパンフレットにある。
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《曲目》

・ヨハン・シュトラウス二世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
・ニコライ・リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 作品34
・ドミトリィ・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調「革命」作品47
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アンコールはなく、花束贈呈だった。

前日まで、一泊二日の東京行しかも放送大学の学位授与式に着物で参加していたので、さすがに疲れていた。また、大雨であり、天気次第では自転車で行けたものを、スーツで市バスに乗り、駅から歩くはめになった。従って、到着は開演2時の2分後、練習音が聞こえていたが、満席ということもあり、一曲目は外で漏れ聞こえる音楽で我慢した。
ギオルギ・バブアゼさんは、ジョージア(グルジア)のトビリシ出身で、国立トビリシ音楽院でヴァイオリンを学び、モスクワでも弦楽四重奏を学んだ、という。大学院では指揮法を学び、1996年に大阪シンフォニカー交響楽団のコンマスとして来日。そして、2001年から関西フィルのコンマスとなって現在に至る。

オケの方は、1990年9月に伊丹市の全面支援のもと、オーディションで選ばれた精鋭のプロとアマチュアの混合編成オケとして結成された。
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アンケートには、「以前よりレベルアップしたように感じられました。選曲が良く、集客力が抜群でした。」と書いた。

二曲目の前にホール内に案内されたが、満席で座る場所がなく、「階段で座ります」と案内女性に伝えた途端、「ここに空いています」と席を立って示してくれた男性がいた。このように、伊丹では親切な人が多く、立見席を免れたことは感謝だった。

(2024年4月10日記)

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学位授与式と祝賀会 in 東京

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770674132365230551)
Lily2@ituna4011
2023(令和5)年度放送大学学位記授与式のお知らせ https://okinawatimes.co.jp/articles/-/1325435… via @theokinawatimes
← 何故か沖縄タイムス紙。
1:49 PM · Mar 21, 2024

(2024年3月27日転載終)
…………….
2024年3月30日追記

東京の学位授与式は、早くもちょうど一週間前のこと。
冷たく曇った雨模様が続いた天候も、今日は晴れ間が広がり、春めいて暖かくなってきた。式典から一週間も経つと、年齢相応の疲れや静かな興奮状態がようやく治まってくる。

主人の母から随分前に譲られた正絹の色無地(呉服屋さんで縫い紋一つを付けた)に(ベテランの呉服屋さんの助言によると)「格式の高い」名古屋帯(金の大きな扇)を持参の上、会場近くの美容院で着付けとメイクと髪結いをお願いして、まるで別人のような「いいとこの奥様」風に仕上げていただいて、参列した。

着物については、2月20日に学位授与式典の案内が届いて、大学本部に電話をかけて確認した後、ふと思い立ったことだった。大阪の学習センターでの学位授与式ならば、誰も着物姿の人はいないが、東京でならば、全国から卒業生や修了生が集まって来るので、例年、着物で参列される人がいる、という。

それなら、東京へ行こう!そして、着物だ!

2月21日には、すぐさま、早稲田近辺の高田馬場にある東京の式場会場に最も近くて着付けができる美容院をインターネットで探し出した。3月とはいえ、雨や強風の場合、着物が汚れたり歩きにくかったり、結い髪が乱れてしまっては意味がない。迷わず電話をかけて3月23日の予約をお願いすると、幸い、空いているということだった。ホームページでは、いかにも派手な若者の遊び髪が写真に出ていたが、電話で「還暦前のおばさんですから、感覚はモダンでもいいですけど、純和風、伝統的なスタイルにしていただきたいんですが」と申し出ると、「学校の先生も着付けで利用してますから、年齢は大丈夫です」「夜会巻きですか?」と。「いえ、夜会巻きは洋装ドレス向きなので、昔ながらの誰が見ても古典的な髪型をお願いします」。

美容師さんを「スタイリスト」と呼び、スキルや経験によってランク付けされているようだった。念のため、自宅にあった着物と帯の写真を撮り、希望する髪型をインターネットで探してアドレスと共に美容院に送った。それで正解だった。実際のところ、卒業式シーズンだったので、美容院の奥の部屋には着物鞄が積み上がっていて、それぞれ日付を書いた付箋がついていた。そして、前日の夕方6時までには一式を持ち込み、中身をチェックしてもらって、翌朝は7時半までに美容院入り。着付け、メイク、髪結い込みで2時間で仕上がる計算で、料金も電話で事前に伝えられた。

最初の電話では愛想よく応対していただけたが、何か途中で私の伝え方が細かかったのか、当日はむすっとした不愛想な感じの30前後の若い美容師さんだった。しかし、仕事は手堅く、きっちりと崩れないようなしっかりした着付けに仕上がった。同じ時刻には、もう一人、若い女性がモダンな袴姿にロングのカーリーヘアに真珠のネックレスという今風の格好に整えてもらっていた。

高田馬場は今回が実は二回目で、丁度32年前の1992年3月に一度、シュタイナー教育の話を聴きに行って以来である。

(今なら、シュタイナー教育もモンテッソリー教育も、日本人に相応しい仏教幼稚園の礼儀作法も含めた早期教育にはやや劣るとわかるが、マレーシアにいた頃、ドイツ人と結婚した同期の男性同僚が、いつでもシュタイナー教育や神智学を熱っぽく語っており、ミヒャエル・エンデの『モモ』等の影響もあって、つい子安宣邦氏等の著作を借りたりしていた。一時帰国の際、高田馬場にシュタイナー施設があるということで、一人果敢に出かけて行ったのだった。応対してくださったのは院生らしき若い男性だったが、今でも内容を覚えていないぐらい、大した話はできていなかったと思う。あの施設は、今どうなっているのだろうか?)

(Lily)
。。。。。。。。。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1325435)

2023(令和5)年度放送大学学位記授与式のお知らせ
2024年3月15日

2023(令和5)年度放送大学学位記授与式のお知らせ

放送大学(本部:千葉県千葉市,学長:岩永雅也)は、3月23日(土)に、全国の卒業生・修了生が参加する2023(令和5)年度放送大学学位記授与式を挙行いたします。

1.2023(令和5)年度放送大学学位記授与式について
   日時:2024年3月23日(土) 11時00分~12時00分(予定)
   場所:ベルサール高田馬場
   (東京都新宿区大久保3丁目8−2
    住友不動産新宿ガーデンタワーB2・1F)
   ※学位記授与式の模様は、BS231chにて後日放送予定。

3月30日(土)13:30~14:45  
3月31日(日)19:30~20:45
4月14日(日)15:00~16:15  
4月29日(月・祝)19:30~20:45
5月4日(土・祝)21:00~22:15

2.2023年度の卒業生・修了生概要

   教養学部:6,280名
   大学院(修士課程):219名
   大学院(博士後期課程):3名
   ※最高齢の卒業生・修了生 教養学部:99歳 男性、
                大学院修士課程:81歳 男性、
                大学院博士後期課程:61歳 女性

(2024年3月30日転載終)

上記の「大学院(修士課程):219名」の一人に私が含まれております。なお、「大学院博士後期課程:61歳 女性」は、私が所属したゼミの先輩です。(Lily)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月25日投稿

bangumi.ouj.ac.jp/v4/bslife/detail/01904016.html

2023年度放送大学学位記授与式

私と同じゼミの先輩が博士修了代表として学位記を壇上で授与され、私の母校の先輩(理系)が修士修了者総代として壇上で謝辞を述べられました。

3月30日(土)13:30~14:45
3月31日(日)19:30~20:45
4月14日(日)15:00~16:15
4月29日(月)19:30~20:45
5月4日 (土)21:00~22:15

BS231CHで放送予定とのことです。

私はインタビューされておりませんので、映っているかどうかは不明です。主人の母から譲られたベージュピンクの色無地の着物に金扇の帯、純和風の髪結いで出席いたしました。

(2024年3月30日転載終)
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こんな文章をフェイスブックに投稿されている方もいらっしゃいます。放送大学の前学長と現学長先生に関してです。(Lily)

・岡部 洋一

岡部洋一元学長は、その卓越した業績と多岐にわたる貢献により、稀代の天才と称されるにふさわしい人物です。彼の研究は、情報工学から神経科学に至るまで、幅広い分野に影響を与えています。放送大学の学長として、また東京大学の名誉教授として、岡部学長は教育と研究の世界において、計り知れない貢献をしてきました。
岡部洋一元学長の経歴は、彼の天才性を物語っています。東京大学での豊富な教育経験を経て、放送大学の教授、副学長、そして学長としての地位を歴任し、2016年より学長であると同時に放送大学生となりました。彼の研究分野は、電気電子工学から始まり、システム工学、医工学、生体材料学、そして神経科学に至るまで、多岐にわたります。特に、「脳における思考と言語のメカニズムの研究」では、脳の概念がニューロンに伝達する仕組みを解析し、ブレインコンピュータに関する重点領域研究において、脳化学の工学的手法とその組織づくりに取り組んでいます。
岡部元学長は、高温超伝導体トンネル型ジョセフソン素子の作製に努め、高温超伝導材料の基礎研究として、単一磁束量子論理回路に注力してきました。これらの研究は、現代の電子デバイスや電子機器の開発において、基礎研究から応用研究に至るまで、重要な役割を果たしています。
また、岡部元学長は制御工学の分野でも活躍しており、ロボットの学習制御において、リカント型のニューラルネットワークにおける発振と位相のずれを応用し、安定した2足歩行を実現する研究を行ってきました。これは、ロボット工学だけでなく、人間の歩行メカニズムの理解にも寄与するものです。
岡部洋一元学長の受賞歴も、彼の天才性を証明するものです。2019年には瑞宝中綬章を受章し、その他にも多数の賞を受賞しています。これらの受賞は、彼の研究が社会に与えた影響の大きさを示しています。そして、その知識に過信せずに今も学び続ける姿勢に感銘します。   
総じて、岡部洋一学長は、その知識と研究における革新性、教育への深い洞察、そして社会への貢献により、稀代の天才として称賛されるに値する人物です。彼の業績は、今後も多くの人々に影響を与え、尊敬され続けることでしょう。

・岩永雅也

放送大学の現学長である岩永雅也氏は、教育学者としての卓越した業績と、生涯学習の分野における革新的な貢献をした稀代の天才として知られています。彼の経歴は、教育社会学、社会調査法、生涯学習といった分野での深い専門知識と、放送大学をはじめとする教育機関での豊富な経験に裏打ちされています。岩永氏は、教育の可能性を追求し、学びの場を広げることで、多くの人々に影響を与えてきました。
岩永雅也氏は1953年、佐賀県藤津郡嬉野町(現・嬉野市)に生まれました。彼の学問の旅は、東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)から始まり、東京大学経済学部を経て、東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻しました。その後、大阪大学人間科学部助手、放送教育開発センター(メディア教育開発センター)を経て、1989年にまだインターネットも普及していない黎明期時代の放送大学教養学部助教授に就任しました。2000年には放送大学教授に昇進し、2018年には副学長を務め、2021年4月からは放送大学の学長としてその職を全うしています。
岩永氏の研究は、高等教育、生涯学習、才能教育に重点を置いており、多くの著書や共編著を通じて、その知見を広く共有しています。彼の著作には、「生涯学習論-生涯学習社会の展望」や「教育と社会」などがあり、教育の理論と実践における彼の深い洞察が反映されています。また、筑波大学大学院図書館情報メディア研究科で博士(学術)の学位を取得し、遠隔高等教育システムの展開に関する研究で、生涯学習社会における教育の新たな地平を切り開いています。
岩永氏のリーダーシップの下、放送大学は、遠隔教育を通じて、学びたいと願うすべての人々に高等教育の機会を提供することに尽力しています。彼のビジョンと実行力は、放送大学を日本の生涯学習の中心的な役割を果たす機関へと導いています。岩永氏は、教育のアクセシビリティを高め、多様な学習者に対応することで、教育の民主化に貢献しています。
教育者として、そして放送大学の学長として、岩永雅也氏は、教育が個人の成長だけでなく、社会全体の進歩に不可欠であるという信念を持っています。彼の生涯にわたる献身と、教育に対する情熱は、多くの人々にインスピレーションを与え、日本の教育界における稀代の天才としての地位を確立しています。

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1770242534218125551)
Lily2@ituna4011
もうすぐ式典ですね?
9:14 AM · Mar 20, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770321851937354186)
Lily2@ituna4011
座席は地域別なので、1800人もいれば、ご挨拶できそうにありませんね?
2:29 PM · Mar 20, 2024

(https://twitter.com/n0mgOUT061Rh3PH/status/1770342905082716597)
アルバ犬@n0mgOUT061Rh3PH
高田馬場に来られるのでしょうか?
3:53 PM · Mar 20, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770379307577389321)
Lily2@ituna4011
はい、その予定です。
6:18 PM · Mar 20, 2024

(2024年3月30日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1771484855315861617)
Lily2@ituna4011
小学校の時、4年間同級生だった友達が、前日に電話をくれて、
見る、
と約束してくれました。
7:31 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771485095469216021)
Lily2@ituna4011
東京のあしながおじさまも、
見ます、
と。 ありがたいことです。
7:32 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1772720130067169382)
Lily2@ituna4011
この度、あしながおじさまから、疲れ休めに、と学位授与のお祝いが届きました。 10数年前、拙ブログを見て貴重な古い本を箱一杯に譲ってくださったり、新刊書等も折々にプレゼントしてくださったり等、誠にありがたく文字通り
あしながおじさま
でいらっしゃいます。
5:19 AM · Mar 27, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1772721250411983138)
Lily2@ituna4011
お目にかかったことがないのに、いつでも必要なものが過不足なくタイミングよく送られてくるので、私にとっては実に
あしながおじさま
なのです。不思議ですが、こういうことが起こるのです。 故前田護郎先生のおかげです。ありがとうございます。
5:24 AM · Mar 27, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1773712793524707728)
Lily2@ituna4011
着物の相談に乗っていただいた呉服店の方も、わざわざメモしてくださいました。 いろんな方が喜んでくださり、東京で式典に出席してよかったと改めて思います。
11:04 PM · Mar 29, 2024

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2024年3月25日投稿
東京の式典に出席したので、残念ながら大阪へは実現かないませんでした。

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1770045159943917916)
Lily2@ituna4011
ゼミでも習いました。 「地獄への道は善意で舗装されている」
8:10 PM · Mar 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771125622141772159)
Lily2@ituna4011
同感。2003年の大学改革からおかしくなった。
7:43 PM · Mar 22, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1772217712523038920)
Lily2@ituna4011
いえ、私、経営学や経済学が全然ダメなんです。
8:03 PM · Mar 25, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1773115100557119940)
Lily2@ituna4011
修士にも言えます。
7:29 AM · Mar 28, 2024

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月19日投稿
我が家の夫も昭和60年3月に、大学院(工学)を首席修了。紫紺賞を授与されております。結婚披露宴の時、指導教授が祝辞でおっしゃったので、初めて知りました。

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1771490968870465898)
Lily2@ituna4011
ダブル修士の人がかなりいらっしゃることを知った修了式パーティー。 次は博士号を予定しているご年配の方も。 今後は、本来の人文系に移ろうとして、会場にいらした教授に許可を求めたところ、 私はあと2年だからなぁ、 と。残念。人文系は3名の教授が退任されることになり、これまた残念。
7:55 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771497173093433484)
Lily2@ituna4011
ダブル修士の方は、全体的に落ち着いていて、感じのいい方が多い。足を引っ張るなよ私。
8:20 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771492567076442364)
Lily2@ituna4011
見えない力の働きで、話が合う人とは意外な繋がりがある、とわかるのも、パーティの醍醐味。 話は後日、ブログにて。
8:01 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771499518225186926)
Lily2@ituna4011
博士号一直線タイプとは明らかに違う。博士号は就職の間口が狭いためでもある。ダブル修士は、既に仕事を持ち、余技としての研究、という側面もある。
8:29 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771502016444936435)
Lily2@ituna4011
ゼミのやり方が、教授や所属プログラムによってかなり違うことを確認したパーティ会場。 4月からの教材が楽しみ!できるところから、早めに取り組もう。 ダブル修士でも、新たに教養学部の科目生になる人は、私以外に結構いらした。皆、なぜか勉強大好き 。
8:39 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771509025445908714)
Lily2@ituna4011
つまり、権威や肩書きが主目的ではない、ということ。 それに、自分一人の意志と努力だけでは成立しない。周囲の理解や励まし、トラブルをもたらさない配慮等、さまざまな条件が重ならないと実現しない。 式典では、修了生の謝辞を拝聴しながら、周囲への感謝の意が最も響いた。
9:07 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771542435690103161)
Lily2@ituna4011
実は元の大学の同窓生でいらした。似た者同士?
11:20 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771543953185063119)
Lily2@ituna4011
もっと感謝しなさいよ私。
11:26 PM · Mar 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771838198135619958)
Lily2@ituna4011
それにしても、私の母校の同窓会には優秀な先輩方が多い。 長らく、メディアや無責任な言論の影響から、地方出身者だから首都圏ではモノにならない、と最初から諦めていた。 しかし、我らが諸先輩は堂々と、東京の中心で着々と成果を上げ、しかも努力を怠らない。 大阪での同窓会でも、実に
6:55 PM · Mar 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771839613662793803)
Lily2@ituna4011
手堅く鋭い意見を堂々と述べた先輩がいらした。対中国問題に関して、中国大使だった講演者に対して、だ。 いずれも男性ばかりだったが、そこがいい。 年齢を重ねると、いろいろと見えてくるものがあるが、社会に出て鍛えられた結果を、私は見せて頂いているのだろう。
7:00 PM · Mar 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771841939236888993)
Lily2@ituna4011
名古屋の水を飲んだ人は、芯が強い! 今回の東京での学位授与式でも、修士代表謝辞を壇上で述べた方は、実は母校の先輩。理系出身だが、この度新たな分野でダブル修士。実に手堅く穏健な答辞(とはもう言わない?) てっきりお若い方だと勘違いして、長らく気楽にTwitterで反応してしまっていた。
7:10 PM · Mar 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771844917100261638)
Lily2@ituna4011
学部も院も両方共に、凄い先輩がいる。 若い頃には同じカリキュラムで教育を受け、差が小さいように見えたとしても、時を経て開花するものがそれぞれにある。 昔は入試が厳しかったためもある。 地方出身だから、刻苦勉励が当たり前だったためもある。
7:22 PM · Mar 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771845879063875868)
Lily2@ituna4011
高校にも、凄い先輩と後輩がいる。 同窓会の会報を見ると、いつもびっくりする。本当に同じ学校なのか、と思うぐらい。 刺激を受けて、私なりにできる限りの恩返しを。
7:25 PM · Mar 24, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1772217181280845865)
Lily2@ituna4011
他の方々の快挙、我ごとのように嬉しくなります。良い刺激にもなります。
8:01 PM · Mar 25, 2024

(2024年3月30日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1774011692432912475)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/H1IYJDnHd_Y?si=rsR3osRJp4H9r1la… via @YouTube
島内先生の講義はとても素晴らしかったです。青山先生は情熱的でおもしろく、お金のかかった海外ロケが勉強になりました。
6:52 PM · Mar 30, 2024

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。。
式典には、卒業生修了生全体の27%である1800人が出席したようである。その後の祝賀パーティには、小雨が降り出しそうな中、別会場に数百名が何台ものバスで移動した。

立食形式のビュッフェだったが、お目にかかれたのは、私の所属するプログラムでは田城教授のみ。恐らく田城ゼミと合同になった1月8日の口頭試問の記憶があってだろうが、田城教授には一瞥の末、見事に避けられた。田城ゼミ生が一緒に記念写真を撮っていらしたが、私のゼミ仲間は見当たらなかった模様。

その他は、今年でお辞めになるという青山先生(美学)と島内先生(国文学)の他、魚住孝先生だった。

青山先生の講義は情熱的で個性的で、一緒にいた同志社出身で千葉の幕張に住んでいるという人文系プログラムの修士修了生の女性が、「変わっているよね、いかにも大学の先生って感じ」と言っていたが、確かに風変りな側面があった。でも私は、難関で有名な青山先生の美学の院の講義の単位認定試験で満点を取ったぞ!これは、生活健康科学プログラムの院生としては快挙だ、と密かに自負している。満点が取れたことが記念になり、青山先生に関しては思い残すことがない。

島内先生は、いかにも昔風の女性の大学教授という風格で、国文学研究者としても正統派であり、国文学科だった学部時代を彷彿とさせる名講義だった。ラジオ講義はいつでも感慨深く、気分転換としても最適な、良い時間を過ごさせていただいた。

日本文化全般を担当されていた魚住先生に関しては、過去ブログ(2022年1月21日付「放送大学院に関する呟き集」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1579&action)で、痛烈な文句を書いていたが、実際には、お目にかかると気さくで親しげな方だった。青山先生とは気が合うようで、最後には一緒にホテルのクローク前の列に並んでいらした。

私の着物の威力(!)はそれなりにあったようだ。
ワイングラスで白を手始めに、次に赤を、最後にオンザロックをそれぞれ一杯ずつ頂いていた最中に、魚住先生のテーブルを通りかかった際、ふと、「先生!私、先生にすっごく悪い成績、レポートにつけられたんですけど」と申し出ると、宴会にふさわしく出来上がっていた魚住先生、「あれはねぇ、もっと頑張ってほしいと思って、つけた成績なんですよ」みたいなことをおっしゃった。
そこで、今がチャンスとばかりに、「実はあの頃、伊丹の柿衛文庫がミュージアムに統合されるために、閉館中だったんです。だから、資料を見ることができなかったので、あのようなレポートにしたんですけど、悪い成績(一応は合格)になってしまって….」「今、岡田麗先生の所に行って、鬼貫を読んでいます」と勢い込んで話した。そして、「先生が兵庫県のご出身だってこと、後から知ったんです」と付け加え、「先生、今年私は生活健康科学プログラムを修了したんですけど、次に人文系に移ってもいいですか?」と尋ねると、「私はあと2年だからなぁ」と。それでも、着物でインパクトがあったせいか、「お名前は?」と尋ねてくださった。

今でも覚えていらっしゃるかどうかはわからないが、確かに、私は先生と言葉を交わしたのだ!

一方通行になりがちな通信制の放送大学という孤独な教育制度において、少なくとも魚住先生は、青山先生のように信念を持って、かくあるべし、という授業や講義を作り上げて来られた。その先生に、こういう機会にざっくばらんに本音をぶつけられたことは、よかったと思っている。

ついでに、二度目に別の科目で受講した魚住先生の講義では、日文研で有名だった笠谷和比古先生をゲストに5分から10分ほど対談するコーナーが含まれていた。

この笠谷先生は、大阪の市民大学OCCでゼミを開いてくださったことがある。2018年夏に講演を聞き、好評だったために2018年12月から2019年1月にかけて連続4回か5回のゼミを開講してくださることになった。欠席の場合はビデオで聴講することとし、最終レポート(感想文のような作文)を提出して修了証をいただくというゼミだったが、私も出席した。
その夏は凄い猛暑で、「講演会場に辿り着くにも命懸け」と先生が冒頭でおっしゃった程だった。その後は、主人の転勤に伴い、大阪府島本町から兵庫県伊丹市へ引越しがあり、引越し荷物も片付かないまま、翌年1月には阪大病院で主人が3週間の検査入院というイベントもあった。

そのような中、何か知的な気分転換でもしないと持たないという精神的な圧迫感と不安感を常に抱えていたが、笠谷先生の講演には大変助けられた、と思う。

笠谷先生の講義内容は、日本史の読み直しであり、受講生からは「先の戦争で亡くなった父親のことが思い出される」等、インパクトの強いものだった。ちなみに、今年の1月から始めたNHKの古文書通信講座の講師には、笠谷先生が含まれている。

以上をまとめると、私は魚住先生の背景や人脈を知らないままに受講し、成績のみで不満を述べていた、という結論になりそうだ。

思い切って、お金と時間をかけて東京の学位授与式と祝賀会に出てよかった、と思う。単位を揃えるための一方的な受講や小さな一つのゼミだけで放送大学を知った気になるのは、あまりにも勿体ないと認識できた程、楽しく有意義な時間を過ごせたからだ。

やはり、人は人と出会い、語り合い、気持ちを交流させなければならない。

(2024年3月30日記)
…………..
2024年5月6日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年5月6日投稿
古いけれども、生地は元がしっかりしているので、いい業者さんによって洗い張りする等、手入れをきちんとすれば、古典柄が今ではかえって引き立つ。若い人なら、落ち着いて見えるので、余計に品格が増す。
今年3月下旬の東京での学位授与式典の時、明治生まれの主人の母方祖母がその昔に送って来た正絹の色無地を手直しして、実感しました。

(2024年5月6日転載終)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, research topics, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

平和公園へ日帰りのお墓参り

今年も3月20日には名古屋の平和公園へお墓参りに行った。今回は、いろいろと用事が重なっていたため、宿泊無しの日帰り。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770403661249916971)
Lily2@ituna4011
春のお彼岸で、恒例の平和公園での両家の曽祖父母や祖父母のお墓詣り。今年は雨降りと強風で寒かった。6年前なぞ、汗ばむぐらいの陽気だったのに。 また、平和公園行きの市バスがガラガラ。以前は市バス増発で満員だった。 桶や柄杓も片付けられていた。 何なの、これ!
7:55 PM · Mar 20, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770408620133667238)
Lily2@ituna4011
平和公園は広いため、毎年のこの時期には、あちこちに花屋の出店があったのに、今回は警備員の数の方が目立った程。 また、墓地の所有者が不明の場合も少なくないらしい。 戦後教育やメディアのリベラル左派の影響か? お墓詣りによって、経済が潤う効果もあったのに….。
8:14 PM · Mar 20, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770588890476515475)
Lily2@ituna4011
風が吹けば桶屋が儲かる、 ではないが、全て物事には循環がある。 経済効果に少しは貢献すべく、帰りには名古屋城 へ久しぶりに行き、お土産物を二つ買った。名古屋のお茶 妙香園のくき茶も。 妙香園も名古屋コーチンも、思い出と直結。
8:11 AM · Mar 21, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770589845033046054)
Lily2@ituna4011
私は平和公園内の南北を歩くが、タクシーだって稼ぎ時のはず。ところが、強風の中を待ってもなかなか来ず、市バスは15分以上も待つはめに。 仕方なく、近くのコンビニで暖を取った。
8:14 AM · Mar 21, 2024

(2024年3月27日転載終)
。。。。。。。。
参考までに、昨年はどうだったのだろうか?

(https://twitter.com/ituna4011/status/1638714299580551168)
Lily2@ituna4011
というわけで、一泊二日の名古屋行き。平和公園で両家祖父母のお墓参りが目的。 お彼岸の3月21日は、生憎の曇り空に雨降り。 9年前に買ったスプリング・コートがちょうど間に合った程、肌寒かった。それで、ふと思い立ち、久しぶりの科学館プラネタリウムへ行ってみた、という次第。
10:28 AM · Mar 23, 2023

(2024年3月27日転載終)
。。。。。。。。
寒くて強風の吹く春のお彼岸だったが、とりあえず、目的は果たせた。

前年度まではきちんとお花が供えられていた父方の方は、今回は、まだ誰も来ていなかったようで、蠟燭立てが倒れ、枯れ花が散らばり、周囲の草がぼうぼうに生え、枯れ葉もたまっていた。やはり、お墓というものは、定期的にお掃除をすべきだと痛感した。

母方の方は、ひいおばあちゃんのお墓も含めて、既にかわいらしく春らしい供花があった。多分、いとこがやってくれているのだろう。

実は前日、東大阪にある主人の実家のお墓詣りをして、お掃除をした。連日、お墓参りという時期だが、慣れれば何でもない。但し、問題は、いつまで続けられるか、だ。

いつでもどこでも、お墓に来ると、私はビフォー&アフターの写真を撮る。確かに自分が来たことを記録するためでもあり、お墓がどんな状態であったか、自分が来たことにより、どのような変化を遂げたか(大袈裟!)を記憶するためでもある。
。。。。。。。。
今年の3月は、いろいろと用事が重なっていたので、物理的には時間が取れなくもないが、年齢と体力を考え、用心として日帰りとした。

但し、せっかく新幹線で名古屋まで来たのに、そのままで帰るのも勿体なく、名古屋城と愛知県の護国神社へ立ち寄ることにした。

実は、年に一度の名古屋帰りの度に、思い出の地を少しずつ辿っている。初対面の1996年12月から結婚する1997年11月までの期間に主人とのデートで出かけたさまざまな場所、両親が卒業した中学や高校、両系の親戚の家とその周辺、生まれて一ヶ月のお宮参りと七五三の神社(高牟神社という式内社!)、生まれてから郊外に引っ越す小学校6年生の2学期まで暮らしていた実家の跡地(既に敷地も売却して別の大きな家が建っている)、自分が通った小学校、鶴舞公園や庄内緑地公園、鶴舞中央図書館や愛知県図書館等である。毎度、新たな発見があり、驚きと感動で、一人でワクワクしている。

名古屋城は、主人と二回目のデートで訪れた。1997年1月2日のことだった。1996年12月22日に初めて名古屋駅の新幹線改札口で会い、午前10時10分(私が10分遅刻したため)から午後6時まで、話したり歩いたり食事やお茶等で過ごし、その日のうちに意気投合。次は数日後、主人の方から「お正月にはどんな風に過ごしますか?学校で教えているから、お年賀状はたくさん来るんでしょう?」と電話がかかってきた。(来た来た)と内心思いつつ、「それでは、名古屋城に行きませんか?」と場所を決めたのは私だった。

当時の私は名古屋市郊外の実家で暮らしていたが、生まれた場所が国立名古屋病院。幼少期、近視その他の病気でお世話になったのが名城病院。そして、物心ついてからは、週末に父や妹と散歩や凧揚げ等で遊んだのが名城公園。小学校に上がると、写生大会は名古屋城(と熱田神宮)。

というように、名古屋城とその周辺は、ずっと自分の守備範囲のような気持ちでいた。客観的に言えば、1990年から3年間、政府の業務で過ごしたマレーシア以外に、つまるところ、名古屋しか知らなかった私だったのだ。

名古屋大空襲で金の鯱が落ちた、という話は聞いていたが、それまでの私にとっては、お城はあって当然の存在だった。ましてや、大阪城のことなんて、結婚するまで知らなかった。

ともかく、2018年9月末に主人の会社の都合による転勤のため、伊丹に引っ越して以来、有岡城という、既に城壁の一部しか残っていないお城のことを今でも熱心に調べている市民グループや個人がいるという事実に刺激を受け、お城というものに対する見方や感じ方が大いに変化した次第である。

そんなわけで、名古屋城に辿り着いたのは午後4時と遅かったが、5時の閉鎖までの丸1時間、まるで初めて訪れた小さな子供、あるいは、田舎から初めて出て来たお上りさん感覚で、逐一立ち止まっては写真を撮り、標識(旧式と新式)をじっくり読んでは写真撮りの連続、見上げたり歩いたり立ち止まったり、御濠の水が今はどの程度なのか、(昔は確か、鹿がいたのではなかったか?)等と、古い記憶と現前を頭の中で忙しく往来しつつ、感動しながら歩を進めた。

私、結構いいところに住んでいたんだ!なのに、どうして中学に上がった頃から、いつでも東京ばかり見上げて、(名古屋は遅れている、田舎だ)と思い込んでいたのだろうか?

他の土地にも暮らして、いろいろな場所を訪れ、文献や各種講座でも学び吸収したものが増えたからこそ、余計に、独身時代には当たり前と思っていた事柄にも一つ一つ深い意味と歴史の積み重なりがあることに気づかされ、新たな発見の連続を経験することになったのだ。

(3月20日の夜、小学校時代に4年間、クラスメートだった友達から電話がかかってきて、そのことを興奮気味に喋っていたら、ずっとその近辺に住んでいる友達にとっては、「そうだね、今でも私には、あの辺、特に新しい感じはしないけど」みたいなことを言っていた。)

しかしながら、1997年1月2日の二度目のデートでは、そんなにウキウキとお城を眺めてはいなかったと思う。唯一、覚えているのは、黒い手袋をしていた私の指先を突然、途中でつかんだ主人に「もしかして、計画的犯行?」と尋ねると「うん」と答えたことだった。

全く、どうでもいいことばかり覚えているんだね!

お土産には、名古屋コーチンのカレーと金の鯱の小さなレプリカを買い求めた。

「名古屋コーチン」については、1997年2月に名古屋駅で父が京都から来た主人に会ってくれて、主人が「結婚前提でお付き合いを許していただきたい」と申し出て許可された時のことである。いきなり父が、「名古屋は水がおいしいと言われている。木曽川の水を利用している。住んでいると、特に美味しいとは思わないが」「名古屋の人は経済感覚が堅実だと言われている」「名古屋コーチンが名物だ」という話をし出した。今から思えば、当時の私は結婚というものに関して、巷のいい加減なメディア情報にすっかり囚われていたのだろう、(何という話を!)と思い、「お父さんがそんな風だから、私はこうなったんだ」みたいな愚痴を口走ってしまった。すると後で主人から「お父さん、いい人じゃないか。お父さんにあんなこと、言ったらダメだよ」と窘められ、「お父さんは、嫁に出したくないんだよ」と言った。

やはり、結婚というプロセスは、人の成長には不可欠である。生き方の多様性を謳歌する現代ではあるものの、結婚という新たな人間関係の構築に際し、父親の新たな側面を知る機会に恵まれるからだ。また、「男同士」として、主人が父の立場を思いやる度量を示したことも、今では本当にありがたい。
。。。。。。。
閑話休題。既に夕暮れ近くになっていたが、せっかくだから、と愛知県の護国神社へ。ここへは二度目だが、最初は2018年8月か2019年8月、いずれかの高校の同窓会の時だったかと思う。昭和の森では、先の戦争で敗れた兵士軍人達の慰霊碑が薄暗く屹立していて、ちょっと怖い感じがあったが、学校では教わることののなかった歴史の事実に直視することの厳粛さと一種の衝撃を覚えた最初の時でもあった。同時に、遺族会用の建物が古びていたのも気になった。

あれから数年を経て、神社検定で学んだり、『神社新報』を購読したり、伊丹と周辺の地域史を学んだりすることを通して、もう少しは落ち着いて境内を歩くことができたかと思う。
。。。。。。。
春のお墓参りは、2019年から始めた。墓地の場所は、母方の叔母に電話で教えてもらった。主人の病状から、今のうちにできることをしておかなければ、いざという時に路頭に迷うだろうという予感があったからだ。そして、それは正解だった。

最初は高速バスで新大阪と名古屋を往復した。自分の実家関連の用事で名古屋に帰るのに、主人の様子を思えば、贅沢はできないと思っていたからだ。また、行程が新幹線と異なり、見える景色も客層(高速バスは乗客が若い!)も全く違うため、自分なりの社会勉強を兼ねて、であった。浮いたお金は、惜しまず供花に使った。臨済宗金剛寺の父方と、真宗大谷派(東本願寺)の母方の計4束である。本当は、それ以外にも4束必要なのだが、とりあえずは無理が無いよう、ここから始めている。

行きはいいのだが、帰りがいつもバスの出発ギリギリの時間になってしまい、荷物を預けてあるホテルまで戻って、タクシーを急がせて名古屋駅前まで焦るのが通例となっていた。というのは、馴染んだ場所であっても、名古屋の街もいつの間にかより複雑になり、ますます超高層ビルが増え、地下鉄の駅も新設され、昔なら10分で済んだことが、今なら15分以上は優にかかる事態になったからだ。また、上述のように、物事の意味が深く理解できるようになると、その分、精神的な時間も体力的な時間以上に倍加することを実感する。

というわけで、今回は夜7時過ぎに名古屋発の新幹線で帰るということにして、余裕を持たせた。ホームでは充分な待ち時間が取れた。それはよかったが、伊丹到着が遅くなり、コロナ禍のためにタクシー廃業が相次いだこともあって、自宅に到着したのは、随分時間がかかった。

(2024年3月27日記)
……………
2024年3月30日追記

(https://twitter.com/CityNagoyajo/status/1773894759406596328)
名古屋城 Nagoya Castle@CityNagoyajo
名古屋城入城8888万8888人達成 名古屋城は、昭和34年10月3日の天守閣再建から64年と5ヶ月、皆さまのご愛顧に支えられ、本日令和6年3月30日、記念すべき8888万8888人目のご入城者をお迎えしました!皆さま、これからも名古屋城を末永くよろしくお願いいたします #名古屋城 #nagoyacastle #名古屋
11:07 AM · Mar 30, 2024

(https://twitter.com/CityNagoyajo/status/1773916717540073883)
名古屋城 Nagoya Castle@CityNagoyajo
「八」は名古屋市の市章に使用されており、尾張徳川家の合印として用いられていたと言われている、名古屋とゆかりの深い数字です。 記念すべきご入城者は宮城県から家族旅行でいらっしゃった男性! 名古屋城からは画集(名古屋城本丸御殿障壁画集)と刀(模造刀・金シャチ横丁提供)をお贈りしました
12:34 PM · Mar 30, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1773912252871246080)
Lily2@ituna4011
10日前には私も!
12:16 PM · Mar 30, 2024

(2024年3月30日転載終)
。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

(https://business.nikkei.com/atcl/plus/00058/073100009)

「お墓参り」をする姿に、その人の生き様が表れる
by Osho Taigu
2023年8月9日

福厳寺住職の大愚和尚「お墓参り」について

《死んだ人を墓に埋葬し、弔う。その起源は、ネアンデルタール人がいた時代にまで遡るといわれています。イラク北部にあるシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人の遺骨の周りには、数種類の花の花粉も発見されました。それは、偶然遺骨の周囲に咲いていたのではなく、誰かがさまざまな種類の花を摘み、明らかな意図を持って遺体に手向けていた。それはあたかも葬儀をしたかのようで、仲間の死を悼んでいたと推測されます。》
《人間が、死者を埋葬し、弔う行為をするようになったのは、脳の発達によるもので、豊かな感情を持つようになったからです。亡くなった人に思い入れがあるからこそ、動物に捕食されてしまわないために遺体を土の中に埋葬し、守ろうとしたのですね。
 さらに人間は記憶力や想像力も持つようになりましたから、死んでしまった人の記憶をずっと持ち続けます。肉体はなくなってしまってもなお、その人の存在は自分の心の中に生き続ける。けれど、いつまでも悲しみに暮れていては、日常生活が成り立ちません。死んでしまった現実を受け入れ、納得し、「決別」しなければならない。その大切な人の死を受け入れる通過儀礼として、葬儀やお墓参りの存在があるのだと、私は思うのです。》

《2024年3月27日追記》

PC版では後半部分が省略されているが、iPhone版では全文が読める。実は、後半の方が重要。長年、観察された御住職によれば….

・お墓参りをしている家庭は、子供達もしっかり育っている。
・お墓が守られているということは、その人の生活も整然としているということ。
・お墓を見れば、人間関係やビジネスがうまくいっているか否かがわかる。
・日ごろから、目に見えないものに対して敬意を払い、誰が見ていようがいまいが、手を抜かずに手入れが出来る人は、ビジネスや人間関係などもうまく回っている。

(以上)

2024年3月21日投稿

時期はずれですが、春のお彼岸で実感しました。
おじいちゃんに買っていただいた三輪車。赤いランドセル。
毎年のお餅。結婚祝い。
おじいちゃんの本籍地を、無意識のうちにいつも歩いていた。
愛知県護国神社へも。戦後教育の誤りに毎度気付かされ、お詫び申し上げたい気分に。
しかし、名古屋出身者であることの本当の意義深さは、実は伊丹に暮らすようになってから知った。伊丹は歴史好きな方々が多く、西国街道を中心に、まち歩きが活発。参加するうちに触発され、名古屋に帰る度に新たな発見ばかり。
両系のおじいちゃんやおばあちゃん、遅ればせながら、今こそ孫娘はルーツ辿りを頑張っていますよ!
。。。
ユーリ:O様、ありがとうございます。名古屋城へも行って来ました!
Y・T:なるほど、そういったお話しがあったとは。。
ユーリ:そういった話とは?
Y・T:「ルーツ辿り」に至る一連のお話のことです。
ユーリ:承知いたしました。

(2024年3月30日転載終)

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雨降りの石橋箕面の散策

大変遅くなったが、ようやく時間が取れたため、3月17日(日)の「街道を歩く会:西国街道その⑩~石橋から萱野まで~」の記録を残しておこう。

12時30分までに阪急石橋駅前公園に集合。約30名程が集まったが、伊丹のみならず、尼崎等からも参加者があったようだ。
待ち時間の間に雨がひどくなったものの、「荒天ではない」との主催者の判断で、決行することになった。

約6キロの行程ということだったが、傘をさしながらの徒歩は疲れる。とはいえ、普段は滅多に立ち寄ることのない地域を歴史散策できるのは、得難い経験だ。

行程は以下の通り。大阪府池田市と箕面市を歩き回ったことになる。

1.能勢街道との交差点(池田市石橋)
2.春日弁財天社(池田市石橋)
3.瀬川神社(箕面市瀬川)
4.瀬川半町立会本陣跡(箕面市瀬川)
5.百楽荘の石柱(箕面市百楽荘)
6.牧落八幡宮(箕面市牧落)
7.牧落高札場跡に建つ道標(箕面市牧落)
8.萱野三平記念館(箕面市萱野)
(9.向畑公園は雨天のためにキャンセル)

以下、簡単な解説を付す。

1.かつて高札場があり、石橋の地名の由来とされる長さ190センチほどの岩があった。
2.「五海道其外分間絵図並見取絵図」(寛政12年から19年)に記載されている「弁天塚」と推測されている。絵図の一つ「山崎通分間延絵図」には、今回のルートである石橋村、瀬川宿、牧落村、芝村が示されている。
3.「龍の宮」とも呼ばれる神社で、祭神は天児屋根命(藤原氏の祖神)。龍の井がある。
4.現在は自動車教習所だが、正徳2年(1712年)の記録では、旅籠屋が七軒あった。宝暦年間(1751~64年)には半町村に本陣同様の宿泊施設が設置された。
5.大正14年(1925年)に関西土地株式会社が新桜井住宅地として造成し、翌年、改称。箕面村役場や箕面小学校が設置された。
6.主神は応神天皇で創建年不詳。安政6年(1859年)の常夜灯が立つ。
7.大坂や服部天神への道筋を示すもの。
8.浅野内匠頭が吉良上野介への刀傷事件を起こした後、主君が切腹してお家断絶になった旨を知らせるため、萱野三平は赤穂へ向かった。途中、実家では母の葬儀が営まれていたが、赤穂へ急いだ。仇討ちへの声掛けは、仕官先への推薦者に迷惑がかかると父が反対したため、自宅の長屋門で自害。元禄14年(1701年)のことだった。
。。。。。。。。
「西国街道」とは、6宿駅(山崎宿(大山崎町・島本町)芥川宿(高槻市)郡山宿(茨木市)半町・瀬川宿(箕面市)昆陽宿(伊丹市)西宮宿(西宮市))を有し、「山崎街道」「山崎路」「山崎通」等とも呼ばれた幕府直轄の脇街道を指す。
。。。。。。。。
配布資料は三部で、なかなか充実していた。

24日も経つと、見学した場所の興奮がおさまり、落ち着いて資料を見ながらブログに入力することができた。
主催者の資料準備や下見は大変だろうと毎度思うが、大変充実した散策だった。

(2024年4月10日記)

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準確定申告

以下は、2023年12月21日付過去ブログ(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5963&action)の2024年3月16日追記を転写したものである。(Lily)
。。。。。。。
3月15日は、確定申告の最終日。税務署は5時きっかりで閉まり、もう一つの会場は午後4時までの受付とのこと。

前日の3月14日には、午前中が古文書の会(1時間半)、午後は2時から地域の古文書の整理(ラベル貼り)作業(1時間半)があった。「ルーティーンは遵守する」という自分ルールのために頑張って出かけたが、「まだ確定申告、何もしていない」と焦ってつぶやいた私に、いつも親切なおじさんが、「確定申告、自分は2時間で終わった。提出するだけなら、ギリギリでも間に合う」という励ましをくださった。
その言葉に従い、2019年度の「準確定申告」の作業を始めたのが、その日の夜。結局はとうとう徹夜になってしまい、「脳のゴミ」が溜まったのではないかと心配….。
。。。。。。。
2018年までは毎年、確定申告の書類作業をして、昼間に税理士のいる会場(島本町のケリアホールで二日のみの期間限定、期間に間に合わなければ電車に乗って茨木市の税務署、そして初めての伊丹税務署一回)に出かけては、(計算した結果、控除から外れた)ある年の一回を除き、医療費控除と寄付金控除の還付金をいただいていた。全ての書類を整えるには、大抵二三日かかっていたが、それもこれも主人の若年性神経難病のためである。最初の頃は漢方や鍼治療、中期以降は虫歯がどんどん増えて歯医者通いが絶えず、レシートの整理だけでも大作業。以下に、過去のブログから履歴を抜粋してみよう。
。。。。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080130)
《確定申告のための寄付金控除用書類が送られてきました》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080214)
《主人は特定疾患の認定を受けていて、日常生活にもかなりの不自由があります。医療費計算などのため、確定申告書類で今は忙しくしているのですが》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080219)
《確定申告の用事もありますし》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090205)
《また確定申告の時期が巡ってきました。昨夜、電卓をたたきながら書類を作成。最初は2日がかりだったものの、11年目ともなれば、2時間ぐらいあるとほぼ完成します。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090217)
《昨日は、確定申告第一日目。ということで、午後行ってきました!そのまま提出できる準備をしてあったのですが、念のため、税理士さんにチェックしてもらおうと思って、奥の椅子に座っていたところ、5分の予定が45分と長引いたものの、さすがは税理士さん。一部の書類を二部に書き分けることで、さらに余分に還付金が戻ってくることが判明。やったぁ!印鑑持参で正解でした。「やぶ蛇やなあ」とは税理士さんの言。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100208)
《確定申告の書類を、昨夜から整え始めています。》
《「2月16日からの確定申告、今年はおかしくなりますよ」という国会議員の某氏の言が命中するかどうかは、これからが見物です。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100218)
《昨日で、確定申告も無事、終わりました。会場を見渡す限り、今年も例年と同様の賑わいぶりでした。
ただし、私の書類を見てくださった税理士さんのお話では、「お宅はよかったですな。今年は皆さん、困ってはんのや」とのこと。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110216)
《確定申告が始まりました。今年は手際悪く、まだ、表計算や書類のコピーができていません(参照:2009年2月5日・2009年2月17日・2010年2月18日付「ユーリの部屋」)。
(これじゃあ、どうにも約束が守れそうにない)と焦って、仕事関連で提出を要請された資料の締め切りを、事前に一週間延ばしていただきました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110218)
《確定申告書をはじめとする幾つかの書類を作成し、そしてようやく、学会発表の準備や原稿書きなどにかかれそうです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110225)
《やっと確定申告が終わり、ほっとしています(参照:2011年2月16日付「ユーリの部屋」)。旅行の出発前、暇を見ては少しずつ書類を整理してまとめる作業を続け、昨晩から今日の午前中にかけて一気にフィニッシュ。自宅から歩いて10分の会場では、ものの5分で終了してしまいました。来年は電子申告を使うよう、冊子まで渡されましたが、税理士さんに見ていただくと安心ということもあるので、どうしたものでしょうか。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120222)
《確定申告の書類も、電子版を勧められているのですが、やはり手書きで税理士の先生に見ていただいた方が安心ということもあります。小さい町に住む利点は、このような諸手続きに余計な時間がかからないことです(参照:2008年1月30日・2009年2月5日・2月17日・2010年2月8日・2月18日・2011年2月16日・2月25日付「ユーリの部屋」)。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120224)
《学会発表の準備もさることながら、確定申告や事務書類を整えることに時間を費やした一日。実は私、事務仕事が大好きで、コピー取りや書式に文字を書き入れるのが全く苦にならない。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20130315)
《今日は毎年恒例の確定申告の最終日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120222)。今年は町内の期限に間に合わず、管轄下の市まで電車に乗って行ってきました。》
《これも十数年ぶりです。当時は花粉症とやらで、(今日こそ行かなければ)と思いつつも、なかなか出かけることができず、延び延びになっていました。また、医療費控除の計算や寄付金控除の計算など、家計簿を毎日つけて書類をファイリングしていても、どういうわけか数日かかるというスローテンポぶりでした。》
《実は昨日、パイプス訳業のために箱に入れっぱなしだったものを三時間ほど書類整理しただけで、物の見事に終わってしまいました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150405)
《通院記録をつけて申請をし、確定申告期には、書類の整理もバカにはならない。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160221)
《確定申告の時期である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130315)。》
《我が家の場合、特定疾患対象の進行性難病の診断を下されて18年目の主人がいるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070719)、医療費控除が該当した年以来、毎年の恒例行事。今では、寄付金控除のためにも提出している(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)。この書類を作成するのは手間暇がかかるが、一年間の支出や年間動向を確認する上で非常に役立っている。時間の捻出だけが、毎年の悩みだ。ところで、確定申告といえば世帯所得が問題となる》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160225)
《確定申告書も未完成。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160228)
《昨晩遅く、ようやく確定申告書の下書きが出来上がった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。町内の手続きは締め切られたので、来月早々、電車に乗って二つ向こうの市まで持参となる。これで三回目だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130315)。昨年度から、特定疾患対象者(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070719)には「払える人は払ってください」式になったので、またもや医療費控除が加わることになった。寄付金控除も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)、過去5年以内のものが出てきたら申請に添える。そうこうするうちに、昔のように手間暇かかってしまったのだ。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170313)
《一日中ずっと家にこもって、やっと確定申告書が整った。毎年のこの恒例行事は、悲喜こもごも、さまざまな感慨にとらわれる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。》
《今年は、2月3日以来、予想以上に長引いた右目のヘルペス疾患のために(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170308)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170309)、書類整理が遅れに遅れ、例年の町内で提出することは早々と諦めた。明日、電車に乗って、隣の隣の市まで久しぶりに行くことになる。》
《我が家の場合、医療費控除と寄付金控除の還付金目当てで、毎年、書類を提出しているのだが、医療費については、案外に控除額以下で済んだ年もあったことに、先程、改めて気づいた。とはいえ、2003年と2004年という、まだ若かったはずの時には、今よりも遥かに症状の軽かった主人の方に民間療法的な精神面でのお金がかかっていて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170112)、そういう時には、私の医療費も正比例して上がっている。》
《また、2015年からは特定疾患の制度が変わり、それまでは難病であれば一律料金として抑えられていたのが、今後は収入に応じて支払う額が段階ごとに決まってしまったので、またもや高くつくことになってしまった。》
《一年に一回のお金の流れの把握と整理も兼ねているのだが、常に思うこととして、精神面の安定が何よりだと思う。主人が病院に行く度に、レシートと健康ノートに記入することが、とてもストレスになっていることにも気づいた。しばらくは空箱に領収書を突っ込んだままだったのだが、その整理も苦痛になってしまった。それに輪をかけて、自分も昨年から今年にかけて、皮膚科(原因不明の突然の湿疹)や外科(関節痛)や(定期的な集団検診で指導されるので、虫歯は一本もないのに)歯科に通うはめになってしまい、どうしたものかと思う。》
《毎年、(最初から主人が病気でさえなければ、こんなレシート整理やコピー取りもする必要がなく、もっと前向きで建設的な方向に人生設計が立てられたはずなのに)と思ってしまうところが、我ながら情けない。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170316)
《確定申告書も、電車に乗って久しぶりに列を作って提出したが、ものの10分もかからずに全て終了した。

(リスト終)
。。。。。。。
病気の進行に伴い、作業が重くなり、時間が余計にかかるようになったのは自然の理。

こういう話をすると、「普段からレシート整理をしておかないからだよー」とか何とか偉そうに訓示を垂れる人がいるが、実は、逐一全部、ファイル用の白紙にレシートを貼り付け、家計簿も毎度きちんと記入してある。問題は、そのレシートの山を見るだけでも、どっと疲れてしまっていた、という点だ。ここが理解できなければ、若年性神経難病患者の暮らしそのものが全くわかっていない、ということである。だから、「手伝う気がないなら黙っていろ」と言いたい、今でも。
。。。。。。。
準確定申告は5年以内、という期限がある。2019年は、前年の秋に伊丹市に転居して4ヶ月目に新年が始まり、まだ部屋の中も片付け切れていない頃だった。そして、主人の病状については徐々に精神症状が悪化して、毎日、気の抜けない日々。地理もわからず、顔見知りもいない、そんな全く新しい環境でも、50代後半の主人が「同僚と一緒に伊丹に転勤する」と決行した。会社側も、体調を心配しつつも転居を許可してくださった。そのようなありがたい状況なのにも拘わらず、いや、ありがたい状況だからこそ、この新しい困難を、私は一人でどう乗り越えればよいのか、という….。

以前にも書いたように、2019年8月23日には、治療薬が長年蓄積された副作用の結果であろうか、原因不明の高熱が10日程も続いた後、私が図書館(第一回「やさしい古文書教室」)に行っていた間に、部屋の中で倒れてしまった。帰宅後すぐ玄関で、主人の呻く声が聞こえて来た。中に入ると、リビングダイニングの部屋の床に、うつ伏せに垂れていた主人を発見。今振り返っても、(意識があってよかった)ということと、(咄嗟の判断で救急車を呼んでよかった)という二点に尽きる。
主人自身は、「大丈夫だよ、寝れば治るよ」「また、温泉にでも行けば、良くなるよ」等と繰り返していたが、その言葉を文字通りに取っていたら、とんでもない結末になっていたはずだ。

そういう事態を防ぐためにも、私は外の仕事を辞めて自宅で勉強する生活に切り替えたのだ。「介護離職はストップ」という政府の呼びかけがあるが、緊急事態に最適の決断を下せるのは、一緒に暮らしている家族以外にはない、と私は強く思う。
。。。。。。。
……そんなこんなで、確定申告にはさまざまな思い出や感情が蘇って来て、毎度のことながら疲労困憊である。事務的作業そのもの以上に、精神的な負担である。主人はいつでも、「還付金って言ったって、たかだか数万円だろ。それぐらい、別になくてもいいじゃないか」と強気の発言をしていたが、21年以上ともなると、総計金額はバカにならない。

それに、予想していたよりも医療費が低く抑えられたのは、そもそも特定疾患制度のおかげなのだ。この制度は、昭和時代に患者会が並々ならぬ努力を積み重ねた末、やっと国から認められたものである。それとて、最近でも制度から外されそうになる条件が加わったりして、いつでも安心していられる状況でもない。(この件に関しては、この度の修論でも記述した。)そういう先達の努力を水泡に帰すような発言を平気でしていたのが主人。この病気につきものの患者特有のプライドのためでもあり、毎年の書類作業を私一人にまかせっきりにしていた無知からでもある。

ともかく毎年、医療費と寄付金のレシート整理をして文書をワード作成し、レシート原本を並べてホチキスで留め、年々、ますます増えてぶかぶかになった書類の束に、印刷したワード文書を貼り付けて、冊子を見ながら電卓をたたいて計算に計算を繰り返して記入した書類と共に、税務署に持参する。この恒例行事をすることによって、過去一年間の我が家の暮らしぶりや双方の健康状態が再確認できたのだった。

2019年は最も大変な年だった。1月に三週間の検査入院、8月23日以降2020年4月7日までの計5病院(入転院)と1施設(短期入所)の連続。その間のお見舞いやら病院での入院と退院と転院の諸手続きやら、報告、連絡、相談等、思い出すだけでもドッと疲れる事態が次々に発生した。私が倒れずに済んだのは、全く不幸中の幸いという他ない。度重なる徘徊に加えて、義兄のバカげた悪質な治療妨害が繰り返され、今でも疲労感が抜けきれない。(大体、神経難病患者を虐め倒して何事も私のせいにする等、正気の沙汰じゃない。誰もが異口同音に「あの人、何なんですか?」「治療の妨害をするな!」「もう出て来るな!」と断言した。この件に関しても、発病の契機の一つとして、修論に書いておいた。)

2022年3月には、(大学院のゼミが始まる前に済ませておこう)と決心したが、箱に投げ込んだままのレシートを見るだけでも、二三日程、ど~んと気分が重くなり、なかなか作業が進まなかった。また、論文中心の生活となるM2進級前の2023年3月にも(気になることは先に終わらせておこう)と思い、ゼミのレジュメにさえ「作業項目」に列挙していた。ところが、実際にはそれどころではなくなってしまった。

5年以内とはいえ、あっという間だ。中学と高校の5年間も(長いようで短い)と感じていたが、大人になるとさらに加速度化するのが時間の速さである。

しかし、この大変な作業を、もうこれ以上、先延ばしにはできない。今回が最終年であり、これを逃したら、2018年までは欠かさず継続してきた毎年の確定申告がストップしてしまう。一度さぼると、まだ残っている2020年度分も流れてしまいそうだ。

その後は、私の健康状態が維持される限り、恐らく医療費控除そのものが不要となるはずだが、それまでは家計簿整理を兼ねて、実行あるのみだ。
。。。。。。。
というわけで、一昨晩、ギリギリになった焦りは修論提出前と全く同じで、先にお風呂に入って体制を整え、パジャマにぶ厚いセーターを着込んで、エアコンをつけたまま、無我夢中で確定申告の作業に取り掛かった。まずは医療レシートの山を整理し直し、先に短いリストである私の医療費リストの文書作成から始めた。幸い、4月までは家計簿のリストに手書きで記入してあったので、それを転写するだけだった。ところが、その後が大変。

…..と思っていたら、何と2020年2月下旬に、ワードで作成した主人分の医療費リストを印刷しておいた紙が出て来た。しかし、その文書はパソコンが壊れる前のもので、今となっては再現不能。但し、逐一レシートを見直す時間もなく、とりあえずは印刷した紙を見ながら再度ワードに打ち直した。これが全体の時間短縮には大いに助かったのである。
。。。。。。。
その印刷文書のことはすっかり忘れていた。日付によると、その時期は主人が川西市にある第二協立病院の療養型病棟に入院して一週間の頃で、その翌日の2月25日から、コロナ感染予防のために院内のお見舞いは全面禁止となったのだった。しかも、既に終末期に入っており、いつ急変するかわからない、という気の抜けない日々だった。

無期懲役のようなお見舞い禁止となると、洗濯物の交換のために火曜日と金曜日しか病院に通えないばかりか、ありとあらゆる事態に備えて自分一人で準備しなければならないことは山ほどあった。(本来ならば家族や親族が手伝うものだが、我が家の場合、上述のように、義兄は病院から立ち入り禁止令が出る程、患者と私に対して常軌を逸した悪意ある行為を繰り返していたし、他の親族は遠方に暮らしており、ましてや、コロナ問題があれば、なかなか出入りも難しかった。主人の父方の叔父さんなど、「では、暖かくなった3月頃、一度お見舞いに行きます」と呑気なもので、その3月こそが最も深刻な時期だったのだ。つまるところ、主人の病態を本当に心配していたのは、私と(寝たきりの高齢の)義母のみ、ということだったのだ。)

だから、作業そのものはギリギリだったとも言えるが、今振り返っても、よくあの時期に作成できたものだ、と言える。助けに舟、とばかりに夢中で作業を進めた。途中、土井先生のYou Tubeやご著書のお話に従って、お味噌汁を作って飲み、真夜中過ぎには予防策として、ゆで卵に自家製フルーツゼリーを食べ、明け方には玄米ご飯も食べてエネルギー補給。結局は徹夜作業という羽目になってしまった。
。。。。。。。
すっかり前置きが長くなってしまったが、3月15日には午前中も作業に没頭し、何とか午後1時半の出発ギリギリまでには、コピー分も含めて提出書類が全部整った。(もしミスが見つかれば、税務署から問い合わせが来るだろう。その時に対処すればよい)と自分に向かって言い訳を(以下省略)

(2024年3月27日転写終)
………..
2024年3月27日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770735002713575518)
Lily2@ituna4011
補助金10億円申告漏れ 東京国税局指摘
(https://nikkei.com/article/DGXZQOUE210XN0R20C24A3000000/… )
← 私も今日の正午過ぎに、大阪国税局から電話。脱税ではなく、書類の書き方不備。受付女性が間違えたため。『そうそうあることではないですから』と、すぐに納得して頂きました。先方で修正しておきます、との由。
5:51 PM · Mar 21, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770735924613161290)
Lily2@ituna4011
最近思うのは、金融庁や国税局は、きちんとお仕事をされている、ということ。正確に書類や申立てを見ていただいている。そして、こちらの事情を踏まえた上で、こちらの意に叶った方向で、処理してくださる。 但し、税務署の非正規雇用の受付女性は、ダメ。余計なことを言ったり、わざわざ間違う。
5:55 PM · Mar 21, 2024

(2024年3月27日転載終)
……………
2024年5月2日追記

本日、尼崎市にある大阪国税局業務センター阪神分室の管理第7担当から、通知書が届いた。差出人は、国税資金支払命令官の伊丹税務署長である。

予定が立て込んで忙殺されていた今年3月15日に、徹夜で大量の医療関係の書類を整理しつつ、ワードに再入力してリスト作成。電卓を何度も叩きながら計算して記入した書類通りだった。従来に違わず、申請した還付金額がそのまま返って来る。頑張って作業したかいがあった。

(2024年5月2日記)

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懐かしき小林秀雄氏

まずは、過去ブログの抜粋から。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070702)
《懐かしかったのは、小林秀雄や阿部六郎や中原中也などのお名前が出てきた時です。高校の頃から、中原中也の詩に夢中になって読み漁りましたが、国文学科の卒論では、結局取り上げることはしませんでした。なぜなら、中原中也の周囲には、小林秀雄のみならず、河上徹太郎や大岡昇平など、手の届かない綺羅星のような巨人の名が、ご畏友として、ご逝去後の当時も轟いていたからです。どうして22歳の小娘に文学が論じられようか!!》
《小林秀雄氏のご令妹様の高見澤潤子氏が日本基督教団の信徒であり、阿部六郎氏が奥様ともどもカトリックだったことなどは、広く知られています。夭折した中原中也も、キリスト教に惹かれていた時期があったらしい形跡を、作品からうかがうことができます。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071017)
2007-10-17「思い出を思い出すこと」
《学生時代に「上手に思い出すことはむずかしい」と小林秀雄が述べたと読みました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071027)
《高校生の頃、中原中也の詩に惹かれ、小林秀雄や河上徹太郎などの評論を読み漁っていました。卒論は国語学にしましたが、それは当時、中原中也の一次資料を目にするには、パソコン時代の今と違い、あまりにも道のりが遠そうだったからです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071030)
2007-10-30「中原中也生誕百年記念(1)」
《中也の詩集2冊と小林秀雄や河上徹太郎や大岡昇平らの評論が、20数年を経た今、鮮明に思い出されてきました。(ああ、そうそう、そう書いてあった)と。私にとっては、「20数年前の解釈を再解釈する」機会となり、「現状における過去の再現性」の作業として、とても楽しい時間が過ごせました。考えてみれば、小林秀雄氏は私の大学入学が決まった頃に亡くなった方ですし、河上徹太郎氏が、日経の「私の履歴書」に連載されていたのを覚えています。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140723)
2014-07-23「湯田温泉の中原中也」
《記念館から歩いてすぐの、井上馨ゆかりの井上公園(井上公園だったのが高田公園に改称され、2012年に再び元の名称に戻された)にある中也の詩「帰郷」を小林秀雄の揮毫で彫り込んだ黒い詩碑の横で、「東京のお友達」(小林秀雄や河上徹太郎や大岡昇平や今日出海)と市長さんと一緒に写った記念写真では、着物姿の満面笑顔で「これでやっと報われた」という風の実に屈託なき嬉しそうな表情をされていました。(小林秀雄だけは、内心複雑そうな、どのような表情をしたらよいのかわからない風の平面的な仏頂面。)昭和40年6月のことのようです。この石碑も、昭和とは思えないほど、実にモダンで洗練されたものです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170913)
《これは文芸評論家の小林秀雄さんの本で知ったのですが、戦時下の若者の心情に対して、あの本の編集者たちはあまりに一面的な取り扱いをしたのですよ。戦争に疑念を抱き、最期まで戦争を呪って死んでいった学生の手記は採用されたが、祖国の危急に臨んで決然と出陣し散華した学生の手記はボツとされたのです。》

(リスト終)
。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1769012606931812721)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/FkEXBVc3tOc?si=3fmeGgfTGTB_Bb47… via @YouTube
☚ お声が明るい。
11:47 PM · Mar 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769013036218806763)
Lily2@ituna4011
小林秀雄 文化の根底を探る https://youtu.be/YYSmFMyvtpA?si=s3lWifa_QJPnayL6… via @YouTubehttps://youtu.be/YYSmFMyvtpA?si=s3lWifa_QJPnayL6 via
@YouTube
☚学生時代を彷彿とさせる。最近は、このような話がなかなか聞けなくなった。
11:49 PM · Mar 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769013396824011180)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/LQK1X80vNm0?si=lf3ztNWt1cjGx6ku… via @YouTube
☚ 懐かしいお二人。意味は殆どわからなかったけれど、学生時代には、よく読みました。
11:50 PM · Mar 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769013912853491953)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/TJHNweJHS8s?si=JrANHvBtpjiJ7Jh1… via @YouTube
☚ この時代が懐かしい……。小林秀雄氏、中原中也の関係でよく読んでいました。
11:52 PM · Mar 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769014346104066369)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/D4GKZr0jMfE?si=Nng8EMArQv3Vkcl3… via @YouTube
☚ いいですねぇ。もう一度、あの頃に戻りたい、かな。
11:54 PM · Mar 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769015142841524539)
Lily2@ituna4011
https://youtu.be/XQ9C0unQkZQ?si=g2P1VTbLECeJ4ue3… via @YouTube
☚ 昔はよくわからなかった。今なら、どうだろうか?
11:57 PM · Mar 16, 2024

(2024年3月17日転載終)
………………
2024年3月18日追記

(https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0382gBiqbibbpzYHWTecsc2ByXJR9Pv1zypMXJyCw6uCYonb16tcDW1mj7uEsDYojMl&id=1667289011)
T様、ありがとうございます。最近知ったのですが、今上陛下も中原中也がお好きだったとおっしゃったそうです。

(2024年3月18日転載終)

(2024年5月2日修正転載終)

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Sharia laws in Malaysia

(https://www.mnnonline.org/news/malaysia-high-court-strikes-down-state-level-sharia-laws/)

Malaysia high court strikes down state-level Sharia laws
by Katey Hearth
14 March 2024

Malaysia (MNN) — Malaysia’s top court recently struck down over a dozen Shariah-based state laws, saying they infringed on federal authority. Islamist leaders decried the decision, saying it would “undermine” religious courts.
“It seems not so much that they are overturning Sharia law, but the states can’t pass their own version of Sharia law,” Todd Nettleton with The Voice of the Martyrs USA says.
“The state that passed these (controversial) laws [said,] ‘We want to enforce these laws the way we see them in our part of the country,’ and the federal government is saying, ‘No, you’re not allowed to do that; you’re not allowed to set your own separate standards.’”
Instead, the top court solidified the presence of Islamic law in Malaysia by ruling that “Sharia law is established for the whole country, and it is the federal courts that will enforce that, not the states,” Nettleton adds.
Believers from a Muslim background are called apostates under Sharia law. Unfortunately, “it doesn’t seem like this ruling is going to change the situation on the ground for a Muslim convert,” Nettleton says.
“At the same time, it’s not going to make it worse for an ethnically Chinese Christian or someone from one of those minority groups seen as a Christian to start with.”
While Christianity is not illegal in Malaysia, Christians are marginalized by the ruling Muslim ethnic group. More about that here. It is illegal for ethnic Malays to convert to Christianity because they are all considered Muslim under Malaysian law.
“One of the ways we can pray is for the Gospel to spread among ethnic Malay people,” Nettleton says.
“Yes, it’s illegal. Yes, it’s difficult. But we can pray that our brothers and sisters in Malaysia will have access to the Good News.”

* Header image depicts the main entrance of the Kuala Lumpur Courts Complex in Kuala Lumpur, Malaysia.

(End)

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(https://twitter.com/ituna4011/status/1768846819147288731)
Lily2@ituna4011
この記事、なんだかお笑いもどき? 大根の葉なんて、普通に台所に立っていたら、幾らでもおかずが作れるはず。ビタミンAが豊富。 チビた鉛筆の話等、物を大切に使うどころか、何故かしみったれに聞こえる。理由は不明。
12:48 PM · Mar 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1768847787188421088)
Lily2@ituna4011
家族が殺人者に。 警察がまず、生命保険に幾らかけたかを尋ねるらしい。
12:52 PM · Mar 16, 2024

(2024年3月16日転載終)
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2024年3月19日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1767699235150155801)
Lily2@ituna4011
鳩をむしり料理。
8:48 AM · Mar 13, 2024
509 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769952022608965641)
Lily2@ituna4011
秋篠宮妃紀子さま、日赤施設を視察 義肢の製作過程に感心 千葉市(千葉日報オンライン) #Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/f61cb41c9f017760d5aa6a438fd73163dadc3593?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240319&ctg=loc&bt=tw_up…
← 4月から敬宮殿下の邪魔をなさらないでください、お願いいたします。
2:00 PM · Mar 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1769940816825647414)
Lily2@ituna4011
バナナ共和国。 うちの主人が喜んで着ていました。 古くなったために、もう処分しましたが。
1:15 PM · Mar 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1770045159943917916)
Lily2@ituna4011
ゼミでも習いました。 「地獄への道は善意で舗装されている」
8:10 PM · Mar 19, 2024

(2024年3月19日転載終)
…………….
2024年5月30日追記

ギリシャ訪問中の秋篠宮家の次女である佳子内親王の報道に関して。

(https://x.com/ituna4011/status/1794944049260220492)
Lily2@ituna4011
佳子さま アテネのホテルに到着 パルテノン神殿視察へ https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000351291.html?display=full…
← あちこち、落ち着きのない…..。
1:09 PM · May 27, 2024
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(https://x.com/ituna4011/status/1795948770397409384)
Lily2@ituna4011
昨日ふと思ったのだが、海外に行って「お言葉」を読み上げても、そもそも列席者が少なく、しらけた雰囲気を感じ取りながらニコニコと振舞い、何度も着替えてお化粧し直して、ヘアスタイルも変えるというご公務は、なかなかキツイものがあるのでは?
7:42 AM · May 30, 2024

(2024年5月30日転載終)
…………….
2024年6月7日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1798673346554675659)
Lily2@ituna4011
佳子さま ギリシャで着用された“2.75万円水色ワンピ”に集まる絶賛!昨年もご着用の“お気に入り”(女性自身) #Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/123cde0e6e130d8e82f54bee41802b291f7e5d06?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240606&ctg=dom&bt=tw_up…
← ギリシャをすごく感じながら???
8:08 PM · Jun 6, 2024·
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(2024年6月7日転載終)

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