伊丹市保健医療推進協議会

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伊丹市保健医療推進協議会について/伊丹市

http://city.itami.lg.jp/SOSIKI/KENKOFUKUSHI/KENKO_SEISAKU/ITAMI_KENKO_KEIKAKU/ITAMI_HOKEN_IRYO_KYOGIKAI/32454.html…

昨年秋、市長任命の委員に選出されました。二つ目の修士号として過去2年間継続した勉強が役立っています。
9:34 AM · Feb 29, 2024

(2024年2月29日転載終)
。。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2024年2月29日投稿

昨年秋、市長任命の委員に選出されました。

(2024年2月29日転載終)
……………..
2024年3月1日追記

2020年春に務めた、伊丹市の公立中学で使う教育委員会教科書選定委員(市民)では、まず縦書き手書き作文を含む書類選考の後、面接があった。9名の応募者から2名が選出され、その一人が私ということだった。その後、二回の会議に出席。短く自己紹介代わりの挨拶をした他は、静かに黙って座って公立中学の各科目の先生方や特別養護学校で使う教科書の話を聞いているだけで済んだ。勿論、謝礼は出た。

同じ雰囲気なのだろうと思って、一応はスーツを着て出て行ったら、10分前に到着したのに、既に病院長や医師会長や歯科医師会長や薬剤師会長さん等、市内の医療界における重鎮がどっしりと着席されていて、謹厳な雰囲気だった。

すぐに市職員の方々が、次々と肩書の重い順に名刺を持って挨拶に来られ、恐縮の至りだった。

二冊の分厚い資料を渡され、職員の方がざっと読み上げる形式だったが、内容については、放送大学大学院生活健康科学プログラムで単位修得した大半の科目が非常に役立った。また、単なる知識のみならず、若年性神経難病患者と21年以上も暮らしてきた人生経験に基づく理解が助けになった上、博物館友の会の特に古文書会で知り合った高齢の方々との何気ない会話等も、非常に有益だった。後者は、「資格」「学位」「学歴」とは異なった裏打ちがモノを言うだろう。

黙って座って聴いていればいい、と思っていたら、何と司会の医師会長様から、「ユーリ委員、ご意見をどうぞ」と名指しで指名され、びっくり仰天した。一息ついてから、「突然ご指名に与り、誠に恐縮に存じます。」と挨拶し、とりあえず、場をおさめる一言で終えた。

ふう!ちなみに、任期は2年。まだ初回の会合のみだが、謝礼は教育委員会よりも低く抑えられていた。

今後はもっと気の利いた意見が出せるよう、心がけたい。

(2024年3月1日記)
……………..
2024年7月4日追記

実はこの協議会、2023年11月22日に上述の会合が一度あっただけだった。2年間の委嘱ということなので、気になって今年の3月下旬に電話で問い合わせたところ、「2月に報告書が出来て以来、まだ予定は立っていない」との由。但し、「これからもよろしくお願いします」と言われたので、素直に待機することとした。

伊丹市立病院と我が家が入院および通院(騒動)で大変お世話になった近畿中央病院の統合計画が進みつつあるので、その辺りの調整もあるのだろう。

ところで、今日の午前中、自宅から徒歩数分の新保健センターで、今年1月の健康診断結果に伴う脂質異常症の相談があった。

実は、5月22日時点で6月21日に本件の健康相談予約を入れていた。
しばらくして後、姫路駐屯地から電話連絡が入り、「6月21日の午前中、自衛官候補生の修了式典があるので、防衛モニターとして出席を願いたい。つきましては、当日のご都合は?」との仰せ。早速、カレンダーをチェックし、6月21日の健康相談は後回しにすることを即決。姫路に赴くこととした。(その瞬間、広報担当官氏が「よかったぁ!」と心からの安堵の声を上げた。先約のために、モニター初回のはずだった4月13日の入隊式欠席を、余程気にされていたのであろう。実のところ、防衛省や千僧駐屯地からの連絡はきちんとしていて、かなり余裕を持って連絡が入るが、姫路駐屯地はどういうわけか、日付が曖昧、かつ別件で先約を取った後に連絡が来る傾向にある。)

保健センターに7月4日に延期予約を申し出ると、手続きはしてくださったものの、どこか検査結果を心配されている様子だった。

忙しいのはいいことだ!

そして、今日の10時半に予約時間が設定されていたのだが、10分程前に徒歩で到着すると、何と、2019年の6月頃から栄養指導の連続講座でお世話になっていた若い保健師さんや健康政策課の担当女性が入口近くに待機されていた。お二人ともお久しぶりだったが、それぞれに著しい変化があった。保健師さんは、きゃぴきゃぴ風の元気でかわいらしい雰囲気だったのに、いつの間にかしっとりと女らしくなって、見違えるようにきれいになっていた。政策課担当の方は、ふっくらと恰幅よくなっていて、これまた見違えるようだった。

当時は転居して半年以上過ぎた頃で、主人の若年性PDが進行後期に入っており、毎日の生活が不安で押しつぶされそうになっていた時期だった。だが、ご近所の保健センターで「コレステロール下げ下げ講座」のような楽しい栄養と運動の指導プログラムがあったお蔭で、息抜きができたし、地域の人々の雰囲気にも触れることができた。今でも思い出すと、何とも懐かしく、感謝の気持ちでいっぱいである。

ただ、その頃の保健センターは既に解体され、今や新市庁舎と同様、新しい建物に変わっている。それで、最も大変だった時期に助けていただいた若い女性職員さん達も、異動等で転勤されたのだろうか、と思っていた。

そのまま勤務は継続されていたようです!

そして、本ブログのタイトルである保健医療推進協議会宛に、私が昨年7月31日(主人の誕生日!)に提出した応募文書についても言及された。つまり、主人の存命中にご相談で繋がっていた保健師さんや健康政策担当者さん達は、実は協議会に関係されており、主人亡き後、神経難病を抱えた家族の立場からの私の勉強過程もご存じだったのだ!

「市民の鏡みたいな人です」

と言われた。まぁ、自分の気持ちがおさまるように、好き勝手に決めたことではあるんですけど…..。一応、今年3月には二度目の修士号として学位を授与されたことを報告したところ、

「わぁ~凄い!」

2019年春にプログラムに参加した時、管理栄養士さんを通して、主人の若PD問題について家族相談をした。あれからもう5年も経った。当時は全く想像もできなかった人生展開を思えば、あの時に知り合えてよかったとつくづく思うところである。

すぐに始まった計1時間の健康相談には、神戸大学で医療保健福祉等を勉強されている若い女子学生さんが、実習ということで見学に来られ、保健師さんや栄養士さんと私のやり取りに同席されることとなった。

こういう時にも、放送大学大学院の生活健康科学プログラムで勉強しておいてよかったな、と思う。今の神戸大学が医療福祉についてどのように講義を展開されているか、ある程度の予想がつくようになったからだ。また、現在、保健師等を希望している方々が、どのような勉強をされているのか、以前は全く知らなかったからだ。

相談の結果としては、数値が前年度より改善されていて、努力の跡は見られるものの、悪玉コレステロール以外の数値は全て正常のため、「家族性コレステロール症」かもしれないので、来年の健診を待たず、できればすぐにでも近くの病院かクリニックで再検査してもらった方がいい、とのことだった。

はい、どうもありがとうございます。

では、主人がお世話になった近医の花田先生のクリニックに行こうかしら?というのは、昨年12月に提出し、1月に口頭試問を終えてからは、論文の手直しが全くできていなかったからである。手直しをするきっかけとして、セカンドオピニオンとして何度もお世話になった花田先生にお目にかかりたい。

地域に繋がるということは、こういうことなんですね?主人の会社の都合で50代にして初めて兵庫県に暮らすようになったものの、主人の神経難病のために、全く見知らぬ方々のお世話になったことで、かえって人間関係が出来上がりつつある。

怪我の功名?

そして、(名刺によれば医学博士号を取得されている)協議会の担当氏からは、今年二回予定されている会議の大雑把な日程を教えられた。その上で、下部組織である部会にも参加してもらえないだろうか、というお話もいただいた。

勿論、喜んでお受けいたします。

但し、「今年から防衛省の防衛モニターに任命されたので、姫路駐屯地の式典出席や訓練見学等の予定があります。それと重ならなければ、大丈夫です」と申し添えた。そして、この3月に医療福祉で修士の学位を授与されたこと、今も疾病と薬や看護学について勉強を継続している由、報告した。

やはり、放送大学で勉強しておいてよかったな…..。そして、伊丹に来られて本当によかった!

(2024年7月4日記)

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賢明で強い国民になること

(https://twitter.com/ituna4011/status/1763170320419365073)
Lily2@ituna4011
『一身独立して一国独立す」の気概(福沢諭吉)
「自らが懸命に賢く強くなり、 しっかりと稼ぎ、しっかりと家族と地域を支え、 国を支えていく国民が増えていくことが重要だ」 (江崎道朗氏)
8:52 PM · Feb 29, 2024

(2024年2月29日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1762651335722451380)
Lily2@ituna4011
博士課程進学者、ピーク時の約半分に 「https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00463/080200032/?n_cid=nbponb_twbn…
← 但し、私が二十代前半の頃、国立大学や公立高校の先生方が、 アメリカの修士号は日本の大学卒業論文程度だ、 と批判していた。
10:30 AM · Feb 28, 2024

(2024年2月29日転載終)
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(https://twitter.com/takavet1/status/1762273877550604366)
宮沢孝幸(Takayuki Miyazawa)@takavet1
ほとんどの人は論文も読んでいないし、統計も追っていない。それでワクチンが効いたか効かなかったかの二元論で論じている。しかし、起こっていることはかなり複雑で、ウイルス学と免疫学を理解していないと、私の説明を聞いてもわからないと思う。多くの専門家と称せられる人たちも考察が極めて浅い。
9:30 AM · Feb 27, 2024
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(https://twitter.com/takavet1/status/1762532454303400267)
宮沢孝幸(Takayuki Miyazawa)@takavet1
論文を探せば探すほど、最初にはわからなかった不都合な反応が起きていることがわかる。あと何年あるいは十何年後に、日本国がこの事実を認め不都合な反応の研究を促したら、それこそ論文ラッシュになるだろう。今はおさえつけているので、この分野における日本の貢献はほとんどない。情けないことだ。
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2:37 AM · Feb 28, 2024·
54.4K Views

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Lily2@ituna4011
多分、私の場合もそれに該当するかも?
7:30 AM · Feb 28, 2024

(2024年2月29日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1763012476919243232)
Lily2@ituna4011
【中曽根メモに書かれていたこと】都知事になった時に渡されたメモ/石原慎太郎都知事(当時) https://youtube.com/shorts/yJkcutMsLEE?si=eivTtx9BnVdMViCf… via @YouTube
「教育の破壊的改革をやってくれ」という助言。
10:25 AM · Feb 29, 2024

(2024年2月29日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1763014786491793678)
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出産は男が見てはいけない!分娩室に入らなかった竹田恒泰! https://youtu.be/G6GT4TX1jAU?si=JEvR01SpnoQjbjhl… via @YouTube

確かに確かに。
10:34 AM · Feb 29, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1763016152232673565)
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弟が生まれた時、お産の時期に家事を手伝ってくれていた母方祖母と一緒に、 妹と三人で、「こんにちは赤ちゃん」を歌いながら病院に駆けつけたところ、 看護婦(婦!)さんから 「赤ちゃんの初面会は、お父さんが先です」 と注意されて、すごすごと自宅に戻りました。
10:39 AM · Feb 29, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1763016255404224863)
Lily2@ituna4011
今振り返っても、昭和時代はモラルがしっかりしていてよかったなぁ。 世の中に安心感と安定感があり、お蔭様で経済も好調だった。 「価値観の多様性」というのは、社会主義のイデオロギー。旧ソ連邦で何が起こっていたか、もう一度復習してみてくださいね。なぜ今頃になって日本で復習しているのか?
10:40 AM · Feb 29, 2024

(2024年2月29日転載終)
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大学院の修了通知

とはいえ、「退学」ではない。

まずは、こちらを。
。。。。。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/2021/12/19/184014)
ブログ版『ユーリの部屋』
2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

2021-12-19「大学院の合格通知」

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/10224583703374522?notif_id=1639899037012546&notif_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)

大学院の合格通知が届きました。
4月から、さらに頑張ります。
私のできることは、論文を書いて社会貢献すること。
放送大学の修士課程で、新しい分野を一つ積み上げます。以前、ここで宣言した通り、主人の分も頑張るぞ!

ちょうどコロナ期なので、オンライン講義やインターネット講義はぴったり。いずれにせよ、通常の大学には通えそうもない。
放送大学はレベルが低いとかなんとか平気でウェブに書いている人がいますが、論文審査に通りました?
とにかく、社会人の学び直しには非常にありがたい制度。また、一昨年と昨年の入試結果を見ると、募集定員を大幅に割れて合格者が出ている。倍率は高い。つまり、入試で相当落とされている、ということ。
一次も二次も一発で合格できました。頭の知識よりも、人生経験がモノをいいます。若者には逆立ちしてもまねできないと思います。

それに、教養学部の講義や特別講義も、リストを作って暇をみて視聴している。時代に合っていると思うものもあり、とても勉強になる。ただし、外国語科目は軒並み、相当レベルが下がっていますね?昭和時代はもっと本格的だった。

(2021年12月19日転載終)

追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472727224814288896)
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面接は自宅からZoomで。 緊張はしなかったが、かなり突っ込んだ質問があり、私も正面切って応答を。時間ギリギリまで頑張った。 希望する教授が、始終にこやかで、手応え充分。私の経験が極めて貴重であり、しかもコスモポリタンだ、と褒めてくださり、びっくり仰天。
コスモポリタン!?
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472728226653163524)
生まれて初めて言われた。 外国語能力が高く、海外経験も豊か、ということらしい。 これまで、文系の学会で言われてきたことは何だったのだろう? やはり、自分から適所を求めていかなければ、人生が潰れてしまう。 ありがとうございます。頑張ります。
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472731637243080704)
Lily2@ituna4011
感謝なこと。 パソコン関係は、いつも主人が全部やってくれていた。ZOOMのことも、主人は先端を走っていた。 が、私には不用だ、と思い、今年5月に部品を処分していた。 今回、面接の二日前に、パソコン修理のお兄さんが神戸から来て、 細々と教えてくれた。買い忘れていた機械があり、危機一髪。
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472734282397401088)
Lily2@ituna4011
プロフィールにも書いたように、明治生まれの父方の大叔父は東京帝国大学の医学部を出て、眼科学の軍医かつ教授だった。 昭和15年生まれの父方叔母は、医学博士。 大学院での私の新たなテーマは医療系だが、学びがとても刺激的で、ワクワクする。 血のおかげ。ありがたい限り。
10:03 AM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472747342097166344)
Lily2@ituna4011
若い人の大学進学は競争心や名誉欲が伴う。親や教師も、自分の対面から、けしかけてしまう嫌いがなきにしもあらず。 だが、社会人の場合、人生経験に結びついているため、既に他者との競争ではなくなる。 キャリアアップだとしても、人それぞれだ、と否が応でもわかってくる。 放送大学の利点。
10:55 AM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472749599786168320)
Lily2@ituna4011
それに、単位が取得できた受講科目の復習まで可能になっている。もう一度視聴できるのだ。応用補足問題までついている。 しかも、条件付きだが、受講料を払わなかった科目さえ、自由に視聴できるものもある。 繰り返し視聴して、しっかり身につけてくださいと、薬理学の先生は何度もおっしゃる。
11:04 AM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472750614778380289)
Lily2@ituna4011
医師の処方の確認をしたり、薬剤に疑義を呈するのは、看護師の役割だからだ、という。 大変に現代的かつ現実的な方向性だ。 こういうことを学んだのも、放送大学の講義だ。 レベルや偏差値?就職に役立つ? そんなことより、本質第一に。
11:08 AM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472771213936443393)
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大叔父の医学論文を以前からコツコツと集めていた。 当然、叔母達にも業績一覧表のコピーを送ってある。 主人は信州が好きで、会社関係の人間関係にもご縁があった。だから、私の大叔父のことも、我が事のように喜んでいた。 放送大学の医療系科目を受講して、大叔父の論文が読めるようになった。
12:29 PM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472775874965811203)
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筆記試験は英語と論述。 英語は辞書持ち込み可、だったので、念のため、主人の手持ちの古い英和辞典を持参した。英文は中国系の医療論文の抜粋のようで、今風だと思った。辞書を引かなくても訳せたが、思い込み勘違いミスを避けるため、一応は語釈を引いて確認した。 論述は、複数の問題から選択。
12:48 PM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472776406966824960)
Lily2@ituna4011
これまた、普段考えていたことと合致していた出題が一つあったので、下書きを含めて夢中で書いた。 なぜ、その課題を選択したのか。 経験談。 エピソードに含まれる問題点と現代性。 私自身の意見と主張。 これを清書して、時間内におさめた。
12:50 PM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472777408566931457)
Lily2@ituna4011
大学院の入試なんて30数年ぶりだが、手応え満点、自分にぴったり合っているという内的確信があった。二十代の時も、似たような感覚があった。当時は、指導教授に勧められて受験したのだが、今回は、自ら選び取った道だ。 時々、各種の検定試験を受けてきたのも、訓練として功を奏したと思う。
12:54 PM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472780235624321025)
Lily2@ituna4011
信州にお墓参りに行かないと…..。 自分の力ではなく、導かれて、という感触の方が強い。 血筋は本当にありがたい。
1:05 PM · Dec 20, 2021
(2021年12月20日転載)

2021年12月22日追記
下から二番目のツィートが、なぜか削除されていた。こういう時代だから、わざわざ転写している。意味があって、責任を持って書いているのに、AIか何か知らないが、背景も知らずに自分基準で勝手に断りなく削除するな!

(終わり)

(2024年2月27日再転載終)
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そして、本日、正式に2年間の大学院修士課程の成績一覧が封書で届きました。一週間前には、「大学院課程の修了通知」が届いていました。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/2024/02/27/172045)

2024-02-27「大学院の修了通知」

2021年12月19日付でブログ「大学院の合格通知」
を書いてから2年2ヶ月以上経ちました。

この度、
「大学院の修了通知」
が届きました。

皆様、これまで応援してくださり、誠にありがとうございました。

詳細は、
Lily’s Room (Part2)
(http://itunalily.jp/wordpress)をご覧ください。

(2024年2月27日転載終)
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修士課程1年生(M1)の秋頃、書いていた反芻です。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1595591804317216769)
Lily2@ituna4011
もうすぐ、私も二度目の先輩院生に。 どんな研究テーマの後輩さん達がゼミに入ってくるかしら? 放送大学のホームページを再び見たが、2022年度、つまり私の受験時には、大半のプログラムで、募集定員を大きく下回って合格者が出ている。つまり、一次試験と二次試験の両方とも、基準点以下は落ちる。
10:35 AM · Nov 24, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1595595363276443649)
Lily2@ituna4011
大学教員でいながらも、全く別専攻で放送大学大学院の学位を目指していたり、80代90代でも放送大学を卒業されたりする方が珍しくない。 私の知るフランス人は、3つの博士号を持つ大学教授。これからは、そういう風潮もできるだろう。 時代は急激に変化している。
10:49 AM · Nov 24, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1602245989532078082)
Lily2@ituna4011
気晴らしも兼ねて、今年は手を広げてしまったが、来年の今頃には修士論文を完成させなければならない。 一年間、お休みをいただき、家の中の片付けや資料の整理をしつつ、ゆとりを持って書くことに執筆に専念したい。
7:16 PM · Dec 12, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1602247850645393408)
Lily2@ituna4011
丁度コロナ流行問題もあり、放送大学大学院を選んで良かった、と思う。たくさんの新しい専門科目を学び、ゼミでさまざまな課題に取り組んでいる方々と知り合い、いい時間が過ごせた。 仕事や家事の傍ら、学位論文目指して頑張る なんて、今の時代にピッタリ。単なる資格としての通過点ではない。
7:23 PM · Dec 12, 2022

(2024年2月27日転載終)
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修士2年目の2023年12月18日の夕方、郵便局の閉まるギリギリ20分前に自転車で到着。書留で消印有効の締切日に間に合うよう郵送した「論文」。
読み直しの時間も全くなく、途中で自宅のプリンターが稼働し過ぎで何度も止まったりして、心臓がびくびくものだった。
とにかく、形だけでも「論文」と称する文章を期限内におさめよう、という気持ちしかなかった。

年明け早々の2024年1月7日には、早朝、予約しておいたタクシーで月命日のお詣りに行ってから、新幹線で東京まで行き、セミナーハウスに宿泊。
翌日の1月8日の午前中には、大学本部の図書館の大会議室で、指導教授と副査の教授の他、初めてお目にかかる他の教授陣や他のゼミ生の前で、パワーポイントの研究発表。持ち時間は15分。副査からの質疑応答が15分だった。

本来の専門分野である人文系学会で最後に研究発表したのが2018年3月だった。あれから兵庫県への転居や主人の病状悪化に伴う怒涛のような日々を過ごし、5年以上も経ってからの、本当に久しぶりの口頭発表。レジュメも当日の朝、近くのコンビニに三回も往復して、やっと作成した。ギリギリになった、というよりは、(なるようになれ)という開き直った気持ちだった。

ゼミは2023年8月からずっと休んでいたが、実は休んだ方が論文作成の作業が格段に進んだ。つまり、ゼミが精神的に合っていなかったということだ。どういう意図なのかわからないが、人前で還暦近くの寡婦が教授から何度も怒鳴りつけられるとは、尋常ならぬことだ。しかし、私には漢方の先生や患者会の遺族役員等、味方がたくさんいたのだった。つまるところ、私は社会的には何ら問題がなかったことになる。皆、教授の態度には心底驚いていた。

単独で受けて立つ心づもりでいたが、予期せぬことには、同じゼミ生さん二人(M2とM1)が応援に駆けつけてくれていた。ZOOMでとは全く印象が異なっていて、すぐに打ち解け、待ち時間に話が弾んだ。そして、前日には、博士課程の先輩ゼミ生さんからも応援メールが届いていた。

口頭発表では、言いたいことを思いっきり言わせていただいた。こちらは素人ながらも、長年の経験が先に立っており、大学病院を含めた6病院の電子カルテその他も全部揃えて目を通した後の話だから、嘘や思い違いがない限り、内的自信はある。むしろ、現今のPD治療の薬物問題が焦点であり、深刻な社会問題であるため、「こんな社会損失を黙っているわけにはいきません。この際、はっきり言わせていただきます」という挑戦的な気持ちだった。

発表後の副査との質疑応答でも、真っ直ぐに答えていたら、また主査の教授から怒鳴られた。

私が思うに、「そんなことをやっているから、神経内科学が遅れに遅れているんですよ!」「ついでに、精神科と神経内科の関係がよろしくないのは、こんなところにもあるのでは?」と言い返したい気分だった。患者と患者家族にとっては、えらく迷惑な話だ。

内心、(落とすなら、落としてみろ!)ぐらいの気持ちでもあった。

上記に、父方大叔父の眼科学教授の話に触れた。大叔父は明治生まれで、岐阜の寒村から上京し、第一高等学校を経て東京帝国大学医学部でドイツ語で医学を学んだ世代だ。高校生の頃から私は大叔父の著述を読んでいたので、彼我の教育の差異に対して、常に圧倒されてばかりだった。

また、修士課程の課題に取り組んでいた夏頃、母からのメールで突然、母方大叔父の話が浮上した。戦前の昭和生まれでフランス語を学び、放射線学を専攻。精神医学で作家の故加賀乙彦氏と同期仏留学組であった、という。これまたびっくりして、早速、加賀乙彦氏の自伝風小説を一冊読んだところ、仮名で大叔父が登場していることに気づいた。但し、遊び人や変人奇人としてではなく、「富三君」と可愛がっていただいたそうで、安心した。

父方大叔父は、信州大学医学部長を経て、信州大学医学部付属病院長と信州大学学長を務め上げた。
母方大叔父は、日本医科大学の名誉教授だが、緒方洪庵が訳したフーフェラントの「医戒」が出発点の大学だということで、我が家が長年通院していた阪大医学部附属病院とも大いに関連がある。

両者ともそれぞれ、昭和天皇と平成期の天皇陛下から受勲されている。

というわけで、医療福祉のテーマは、私にとって全く無謀な新開拓分野というわけではなかった。
むしろ、大叔父達に申し訳が立たず、といった気分である。こんな子孫で名を汚すようなことになってしまって、ということだ。

(2024年2月27日記)
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口頭発表の当日には、副査の先生からのお誘いで「打ち上げ食事会」があった。しかし、まだ成績結果も判明していない上、論文のミス多発がわかっているのに、どういう顔をして参加すればよいのだろうか?こういう点が、放送大学の実にいい加減なところだ。だから迷わず「欠席」とした。

応援ゼミ生さんの話では、「修了式には来ない人もいるから」ということだったが、最初から社会人向けの通信制大学とはそういう側面を有するものではなかったか?そもそも、親睦とは、ゼミで理不尽にも何度も怒鳴られた社会人学生がすごすごとすり寄って行く場ではないはずだ。ちなみに、所属ゼミ生さん達は、私の口頭発表の前日に別の会場で口頭試問があり、その後で打ち上げ食事会があったそうだ。

こちらとしては、毎日忙しい日々をぬって久しぶりの東京行き、しかも初めての会場だったので、疲労が出てコロナやインフルエンザに罹患してはいけない、という用心もあった。それに、せっかくだからと、附属図書館に所蔵されていた掘り出し物の古地図を複写する用件もあった。

はっきり言って、こちらは「遊んでいる暇はありません!」

「私は間違っていませんからね!」

(2024年2月27日記)
。。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1745766952793256380)
Lily2@ituna4011
それから、合否が決まってもいないのに、打ち上げと称した食事会に招待しないでください。その後で不合格通知が届いたら、合わせる顔がありません。
8:17 PM · Jan 12, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1756839429401161782)
Lily2@ituna4011
放送大学大学院は、プログラムによるとは思うが、宣伝し過ぎの面もあり。私の場合は、丁度コロナ問題の最中で、対面通学式が無理そうだったことと、介護疲れ予防から両立可能な方法としては、自宅で時間の融通が利く通信制を選択。 但し、それが就職に有利に働くかは別問題。
9:35 AM · Feb 12, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1756632072998047991)
Lily2@ituna4011
ありがとうございます。同感いたします。 教授がどうであれ、学生の側が自分で力を蓄えていくのです。社会人の強みは、大学の外で通用するかどうか、なのですから。
7:51 PM · Feb 11, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1756843033197465794)
Lily2@ituna4011
先輩ゼミ生は、学会論文投稿を勧められていたものの、なかなか採用されなかったらしい。つまり、放送大学大学院で修士号を得られたとしても、修論が学会で通用していない、という意味だ。 結局、指導力に問題があるとも言えよう。
9:49 AM · Feb 12, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1756841980443918665)
Lily2@ituna4011
私の場合は、別に病院勤務の予定もなく、就職目的ではない。研究分野を変える予定もなく、最初から目標設定が明確だった。今後すべき作業もはっきりしている。 但し、期間中に市長任命で関連分野の委員に選ばれた。これが一つの成果、ではある。
9:45 AM · Feb 12, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1756840778385740103)
Lily2@ituna4011
資格、資格と宣伝しているが、実験や実習、人物評価、求人条件との兼ね合い等、さまざまな要因が世の中では考慮される。 放送大学は学費が安い、とされるが、毎月のゼミで千葉まで通う時間と交通費は馬鹿にならない。 学生同士の裏情報等も、通学式なら一瞬に解決するが通信制なら建前しか分からず。
9:40 AM · Feb 12, 2024
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(2024年2月27日記)
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そして、本日届いた成績一覧表である。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1762346953617412217)
Lily2@ituna4011
放送大学大学院の修了成績が届いた。 修了要件の総単位数が30単位のところ、私は総単位数50単位で修了。在学学期数の期間内に不合格科目や再受験は一科目もなし。これで二つ目の修士号となる。 全く新領域の割には頑張った、かもしれない。20代の頃の大学院とは、学生気質も雰囲気も変容していたし。
2:20 PM · Feb 27, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1762348419824431223)
Lily2@ituna4011
但し、これからが本番だ。 昨秋、市長様から任命された関連領域の委員の役目を果たすべく、勉強に勉強の日々だ。 自分の家族以上に、知り合いの高齢女性が、まるで我が事のように喜んでくださり、身の引き締まる思い。 実はもう一つ、内定している4月以降の役目がある。これまた別の新領域だ。
2:26 PM · Feb 27, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1762350134929871170)
Lily2@ituna4011
資格、資格、とはいうものの、年齢に応じた人生経験がモノをいう場面もあるはずだ。 社会面では、学歴職歴が判断基準ではあるが、実際の世の中は、それのみで通用するほど、甘くはない。
2:33 PM · Feb 27, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1762355378799710691)
Lily2@ituna4011
所属プログラムの修了要件単位数が8単位のところ、(混乱した)経験だけが先行した全く新しい領域だったため、計24単位を修得した。 計7プログラムのうち、所属以外の他4プログラム領域の科目も単位修得した。 勿論、本来の私の専門分野である人文系は最多の単位修得数。早くこちらに戻りたい。
2:53 PM · Feb 27, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1762357004763558330)
Lily2@ituna4011
但し、21年以上に及んだ家族介護支援(?)生活のために、本業が遅れに遅れている。今年4月からは、初心に戻って下準備期間となる。 通信講座は、今も二つ継続中。一つは古文書講座で、もう一つは旧約聖書だ。若い時の杵柄じゃないが、思い出せば手掛かりが見つかるので、一種若返りの素にもなる。
3:00 PM · Feb 27, 2024
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(2024年2月27日転載終)
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私が言動一致を目指して筋を通すタイプだからかもしれないが、最近の身の回りで起こった経験によれば、平成期から黙っていたものの、70代から80代ぐらい、いえ、今や百歳の方も、長らく厳しい目で大学教育や専門職の若い層を見つめているようだ。

最近ではYOU TUBEで個人的に自由発信するお医者さんや各種専門家の方が増えた。それゆえ、これまでの「既得権階層」だった大学教授(日本学術会議系)やメディアや金融機関が軒並み、本来の実力主義によって淘汰転落しつつある、という。

所属ゼミの教授は、「朝日新聞を購読している」と述べていた。また、「ひろゆき」とかいう正体不明の言論人(?)をメールで引用されていた。

さらに、最初から、私の夫のことを「おつれあい」と呼んでいて、そこから既に違和感と疲労感があった。また、鬱病や自殺志向の女性に対しては、「食事や睡眠や家族友人等との関係等、個人レベルで何か問題解決法はないのでしょうか?」と、ゼミで尋ねた途端に、「その発言には異議がある」と遮断された。要するに、いわゆる「精神疾患弱者」の味方をするふりをして、実際には経済格差の問題と国への責任追及がメインのようだった。

リベラル左派って、本当にどうしようもないね。まぁ、わかっていたけれど。

ほどほどに付き合い、大学の課題だけはこなして、得られるもののみ吸収していくのが賢いのではないだろうか?下手にすり寄ると、路頭に迷うよ。だって、こういう教授陣は、絶対に責任を取ろうとしないから。

(2024年2月27日記)

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ゴダイゴその4

(https://www.zakzak.co.jp/article/20210403-36KOTB4YBNKFLCA54CJNID26SE/)

Godiego 45 1976~2021
ネパールでは6万の大観衆! ゴダイゴ、世界への扉を開いた80年
2021年4月3日

1980年は、プロデューサーのジョニー野村が「シルクロード」をテーマにした映画のプロジェクトを立ち上げたことから、世界進出を試みる「新しい体験と再発見の旅」の1年となった。いきなりそのハイライトとなったのが、ネパールの首都カトマンズでの野外コンサートだ。

2月1日に日本を出発してカトマンズに入ったゴダイゴは、7日の国立競技場(ダサラス・ランガシャラ・スタジアム)にカトマンズの人口の1/3に当たる約6万人の大観衆を集めた。ネパール建国以来初のロック・コンサートでもあり、ライブ機材への電力を供給するため、市内の役所や銀行は休業していたという。
ゴダイゴを知らないだけでなく、ロック・ミュージック自体が初体験の聴衆に一歩でも近づくため、新曲「カトマンズ」を披露した他、「ビューティフル・ネーム」をネパール語で歌うなど様々な試みがなされた。ライブは観衆の感動を呼び、「ガンダーラ」に深く共鳴した人間国宝級のサーランギー(インド音楽で使用する擦弦楽器)奏者が、わざわざ楽屋を訪ねて来るほどだった。
未知の観衆に音楽で立ち向かう体験は、メンバーたちにも強烈な印象を与え、のちにタケカワユキヒデは「あそこでみんながいきなり大きくなった。それまでのライブではお客さんにノせられているというか、負けている感じがしていたけど、完全にそういうのがなくなった」と語っている。

カトマンズの次は、皆既日食を取り上げたドキュメンタリー番組を撮影するため、アフリカのタンザニアに向かった。コンサートは開催されなかったが、浅野孝已のギターとミッキー吉野のピアニカをバックに、タケカワがスワヒリ語の歌を現地の人々と即興で歌う場面が収録された。ミッキーは「アフリカとか、いろいろなところに行って価値観が変わってきた」と回想している。

その後、ギリシャを経て帰国。3月19日に神戸で行われたポートピア1年前記念式典でのコンサートが、同年初の国内ライブととともに、神の道を選択したスティーヴ・フォックス最後のステージとなった。翌20日からはインド~トルコを巡る撮影旅行を行い、3月31日にニューヨークの空港でスティーヴは4人に別れを告げ、新たな人生を踏み出した。

スティーヴは、「ジョニーは僕たちが世界へ出ていけば、いろいろなものを吸収して、レベルアップしていくと考えていた。ジョージ・ハリスンがインドへ行って彼の音世界が飛躍的に広がったようにね。それと同じことがゴダイゴにも起こると思っていた。世界を旅行したことは、僕にとってとても貴重な体験になった」と述懐している。

6月にミッキー、タケカワ、浅野の3人がイランに赴き、映画の撮影はほぼ完了した。NHKが日中共同のドキュメンタリー番組『シルクロード -絲綢之路(しちゅうのみち)-』を制作・放送していたのとちょうど同じ時期に、ロックバンドがシルクロードの西方を映像化しようとした壮大なチャレンジは劇場公開されなかったが、のちに『ゴダイゴ・オン・シルクロード』としてレーザーディスク化された。

ゴダイゴのシルクロードの物語は秋に入っても続く。終着点は、東方の中継地点である中国。ミッキーが結成時から思い描いた中国初のロック・コンサートが、そこで実現した。

*ゴダイゴ 1976年結成。「ガンダーラ」「ビューティフルネーム」「銀河鉄道999」など、今も多くの音楽ファンに愛される国民的ヒット曲を放ち、80年代には海外にも進出した伝説のロックバンド。2006年に恒久的な再始動を宣言し、今年デビュー45周年。メンバーはミッキー吉野(Key)、タケカワユキヒデ(Vo)、浅野孝已(G)、スティーヴ・フォックス(B)、トミー・スナイダー(Ds)、吉澤洋治(B、G)。“J-pop”の先駆けとしても後進のアーティストに多大な影響を与え、リスペクトされている。

(2024年2月27日転載終)
……………
ポストセブン』(https://www.news-postseven.com/archives/20230401_1855648.html?)

2023年4月1日

ゴダイゴ解散直前に『ガンダーラ』大ヒットで人生一変もタケカワユキヒデが明かした「僕たちが売れなかった2つの理由」

当初、ドラマ『西遊記』はBGMのみの依頼だったことを明かしたタケカワさん

長髪でマイクを握り、英語で熱唱するプログレッシブ・ロック・バンドの先駆けが「ゴダイゴ」だった。1970年後半から1980年代前半にかけて、『ガンダーラ』『モンキー・マジック』『ビューティフル・ネーム』、そして『銀河鉄道999』と立て続けにヒットナンバーを出して人気バンドとなった。1985年に解散したものの、2006年に再始動を宣言。ボーカルのタケカワユキヒデさん(70)は現在も精力的に歌い続けている。

 今年デビューして48年目となるタケカワユキヒデさんは当時を振り返り、1978年10月にリリースした「『ガンダーラ』が売れなければ解散するしかないと思っていました」と、打ち明けた。

「ゴダイゴは1976年の結成当初から妻帯者バンドだったんです。ミッキー(吉野)とスティーヴには奥さんがいて、僕も1977年に結婚しましたので、僕らは自分たちのアルバムを制作しながら副業でテレビの音楽の仕事やCM、そして他のアーティストのアルバム制作を手伝っていました。それでもメンバーは食べていくのがやっとの状況でした」

 1977年には、ゴダイゴの音楽活動の母体となっていたアメリカの音楽出版社が撤退。後ろ盾を失ったゴダイゴは、崖っぷちに追い込まれた。

「僕たちが世の中に出て行けなかった理由は2つあったと思っているんです。1つは、僕たちがバントを結成した1976年当時は売れたバンドがいなくて、アンダーグラウンドな存在に捉えられてしまうことがあったんです。2つ目は、カッコイイと思ってやっていたんですけど、すべての曲を英語で歌っていたのが世の中に浸透しませんでした。僕自身は英語で歌うスタイルを変えるつもりはなくて、そのまま突き通して世界的なヒットを出すことが望みでした」

 しかし、タケカワさんが1978年に公開されたドキュメンタリー映画『キタキツネ物語』の音楽に携わることを機に、「日本語で歌う」ことを決断。その選択がその後の人生を大きく変えた。

「背に腹はかえられず、『キタキツネ物語』は慣れなくて苦しみましたけど、日本語で歌いました。そしたら、日本テレビからドラマ『西遊記』の話が来たんです。最初はBGMだけの依頼でしたが、主題歌に変わり、最終的には『日本語で歌ってほしい』というオファーになりました。僕らはお金がなかったので『西遊記』のBGMと主題歌の制作費をすべて継ぎ込んで、ゴダイゴのアルバムを作ったんです。 “この『ガンダーラ』が売れなければ、終わり(解散)にするしかない” できることはすべてやろうと話していました」

アーティスト生命を賭けて挑んだ『ガンダーラ』はゴダイゴ最多となる160万枚(シングル盤)を売り上げた。トップアーティストとなり、テレビ出演も増えた。

「テレビに出してもらえるのはありがたかったのですが、スタッフから僕は『いつも目つきが悪いから』と指摘されて、近眼だったんですけど、コンタクトにさせられました。それまでは髪も自分で切っていましたが、美容院にも行って身なりを整えて『ガンダーラ』の発売日を迎えました。そしたら本当にヒットしてくれたんですよ。奇跡が起きたと思いました」

 歌い続けてきたタケカワさんだったが、コロナ禍ではコンサート活動の休止を余儀なくされた。その時、自宅にある“宝の山”を再発見したという。

「コロナ禍では配信ライブしかできない時期があり、過去のデモテープをファンの方と聞いて、当時のお話なんかをしています。そうすると、自分でも忘れていた素敵な曲がたくさんあって、聞くと当時を思い出すんですよ。JASRACには約1000曲くらい僕の作った曲が登録してあり、自宅にも未発表の曲が2000曲ほど眠っています。作った曲はすべて宝物なので、今後も多くのファンの方に聞いていただきたいと思っています」

 古希を迎えたタケカワさんに今後のアーティスト人生について聞いてみた。

「ステージで拍手をもらいながら歌えるのは、最高だから辞められないですよ。もちろん具合が悪くなったりして、歌うことを辞めなくてはならなくなる時がくるかもしれないですけど、僕はできる限り歌い続けたい。うん、少々、具合が悪くなってもやってると思いますね」

(pic)

・歌手活動48年のタケカワさん
・タケカワさんの自宅には未発表のデモテープが2000本あるという
・名曲『銀河鉄道999』を作曲した当時を思い出して譜面を書くタケカワさん
・2009年、大泉学園駅の発車メロディがアニメ映画『銀河鉄道999』となり、記念イベントに出席した松本零士先生とタケカワさん
・ブレイク前は自分で髪の毛を切っていたというタケカワさん
・1978年の『ガンダーラ』のヒットがなければ「ゴダイゴ」は解散していたというタケカワさん
・英語を封印して日本語で歌うことを決断したというタケカワさん
・「できる限り歌い続けたい」と語るタケカワさん
・タケカワさんがヴォーカルの「ゴダイゴ」は1985年に解散後、2006年に活動を再開した
・タケカワさんが歌った「ガンダーラ」は160万枚の大ヒット
・松本零士先生の自宅を取材で訪れたタケカワさん

(2024年2月27日転載終)
…………………
《僕は『いつも目つきが悪いから』と指摘されて、近眼だったんですけど、コンタクトにさせられました。それまでは髪も自分で切っていましたが、美容院にも行って身なりを整えて》

このような打ち明け話、今でも有効です!
明るく無邪気なカッコいい好青年のようでいて、実は…..。

ゴダイゴは1978年に爆発的なヒットを飛ばしたものの、1985年には一旦活動休止の「解散」宣言。その後、1999年に再開して、2006年にも再度コンサートを。
どなたの発案なのか、「期間限定」というセッティングがいい。
2023年秋には、亡くなった浅野さん以外の皆さんがお揃いでインタビューを。「45年経って、これからゴダイゴが本当に評価される」というメンバーの言葉に印象づけられた。また、タケカワさんが「ずっと続けなかったから、かえってよかったのでは?」とおっしゃっていたのが、何だか自分の人生にも相応しい助言のように聞こえた。

(2024年2月27日記)
…………………
2024年2月29日追記

(https://news.livedoor.com/article/detail/18812297/?fbclid=IwAR0QrhXLsRftuiL4Fp8-lJiV_2153tRhz5dOBiGVbRknKm9ZV66ug15rSUU)
浪人も辞さず! 公立の星「県立浦和高等学校」タケカワユキヒデ、堀尾正明らOBが明かす”浦高”の秘密|テレ東プラス
2020年8月29日

《タケカワは、ベニヤ板で自作した雀卓・ギター・テントを持って、友人たちと鈍行列車で22時間かけて鳥取砂丘へ。
灼熱の砂丘で麻雀をしたそう。授業中はノートの切れ端に五線譜を書いて曲作り。当時まだ珍しかった英語の曲を
書いては仲間の前で演奏し、人気ミュージシャンとしての片鱗を見せていた》

(2024年2月29日転載終)
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1762459972783559107)
Lily2@ituna4011

(https://e-mediabanks.com/2022/07/04/smalltalk-46/?fbclid=IwAR0gOCIZODsvBJ76khOYqbD9dS54anUr1P84dbhZ6AAy-AiU_FiEsrDaDYM)
新教育委員ゴダイゴ タケカワ氏「昔学校は自由で天国」、その話今するか
2022-07-04
《私たちの青春時代は、あの右肩上がりのグラフときれいにシンクロしているのだ。
 昨日より今日、今日より明日と、確実に生活は良くなった。
 何だかんだで未来に希望が持てた。》
9:49 PM · Feb 27, 2024

(2024年2月29日転載終)
。。。。。。。。
読売新聞』(https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220702-OYT1T50236/)

タケカワユキヒデさん、市教育委員に就任「僕らの頃の学校は自由で天国だった」
2022年7月3日

6月28日付でさいたま市教育委員会委員に就任した音楽家でロックバンド「ゴダイゴ」のタケカワユキヒデさん(69)が市役所で報道陣の取材に応じ、「少しでも役に立てるよう全力で応えたい」と抱負を語った。
自らの学生時代を振り返り、「僕らの頃の学校はものすごく自由で天国だった」というタケカワさん。1970年代後半から80年代前半にかけて、全国的に「荒れる学校」が問題となる時期もあったが、「最近はまた良くなっていると感じている」と話した。
タケカワさんの任期は4年。辞令を交付した清水勇人市長は「経験を生かして公教育への指導や意見をお願いしたい」と話した。

(2024年2月29日転載終)
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1762461503305953783)
Lily2@ituna4011
《授業中はノートの切れ端に五線譜を書いて曲作り。当時まだ珍しかった英語の曲を書いては仲間の前で演奏し、人気ミュージシャンとしての片鱗を見せていた》
9:55 PM · Feb 27, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1762461433357631630)
Lily2@ituna4011
公立の星「県立浦和高等学校」タケカワユキヒデ、堀尾正明らOBが明かす”浦高”の秘密 #ldnews https://news.livedoor.com/article/detail/18812297/…
《タケカワは、ベニヤ板で自作した雀卓・ギター・テントを持って、友人たちと鈍行列車で22時間かけて鳥取砂丘へ。灼熱の砂丘で麻雀をしたそう。》
9:55 PM · Feb 27, 2024

(2024年2月29日転載終)
。。。。。。。。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/e8e75526e439aa1a0fbfb2ffa3c69e638db42343)

辞職…タケカワユキヒデさん、さいたま市教育委員を「一身上の都合」で 任期中、昨年すでに辞職願を出していた 相次ぐ辞職 事前に活動を説明、理解を得る「投げ出すのは、子どもたちに示しがつかない」
2024年1月30日

音楽家のタケカワユキヒデさんが、埼玉県さいたま市教育委員を任期途中で辞職していたことが29日、分かった。タケカワさんの任期は2022年6月28日から4年間で、在任期間は1年5カ月。さいたま商工会議所会頭の池田一義元教育委員が昨年7月に在任4カ月で辞職しており、教育委員2人が本年度、相次いで任期途中で辞職したことになる。
市教委教育総務課と市総務課によると、タケカワさんは「一身上の都合」を理由に、23年11月30日付の辞職願を12月6日に提出した。24年1月4日、臨時の市教育委員会会議が開かれ、市教委と清水勇人市長がそれぞれ辞職に同意した。教育委員の定数は教育長を除いて5人で、タケカワさんの辞職により4人となった。教育委員の選任は、市長が実施することから、人選を進めているとみられる。  タケカワさんは在任中、いじめ防止シンポジウムで講演するなど精力的に活動をしていた。市は4年の任期や年間の活動計画を事前に説明し、理解を得ていたとしている。  吉田一郎市議(無所属)は23年の市議会12月定例会で、教育委員の任期途中の辞職について質問した。吉田市議は取材に「教育委員が途中で投げ出すのは、子どもたちに示しがつかない。一人ぐらい外部の人を入れることは理解できるが、原点に立ち返って、教育の専門家を任命すべき」と話していた。

(2024年2月29日転載終)
…………..
2024年3月3日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1762821688411279786)
Lily2@ituna4011
《追悼》名曲『銀河鉄道999』は「3時間で作曲しました」タケカワユキヒデが明かした制作秘話と「松本零士先生に謝りたかった20年」|NEWSポストセブン https://news-postseven.com/archives/20230330_1855576.html?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=shared… #NEWSポストセブン
9:46 PM · Feb 28, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1763479720669368570)
Lily2@ituna4011
謝る必要はないのでは? 今みたいな時代だからこそ、あのようなメロディとリズムに乗せた歌声が響くのだ、と私は思っている。 また、ガンダーラの
教えて欲しい
の切々とした歌い方、痺れますよ!
5:21 PM · Mar 1, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1763480426272944529)
Lily2@ituna4011
例えば、テレビ番組の1981年のゴダイゴのクリスマス。 タケカワさんが、今風に言うとギャン泣きジョン犬に対して、
男の癖に泣くな!
と宥めているシーン、私の世代では馴染みのセリフでした。
5:24 PM · Mar 1, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1763490823356952683)
Lily2@ituna4011
最近ならば、 差別表現だ、 とかなんとか、鬱陶しさ息苦しさ満点社会。
6:05 PM · Mar 1, 2024

(2024年3月3日転載終)

Posted in Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

ゴダイゴその3

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759005733344215086)
Lily2@ituna4011
ブログにも書いたが、2月12日に兵庫県警察音楽隊の演奏会を聴きに行き、西宮の芸文大ホール一杯の人々の前で、ビューティフルネームを歌った小学校合唱部の子供達が、ここ数日のゴダイゴ連発のきっかけ。
9:03 AM · Feb 18, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759007353108828404)
Lily2@ituna4011
そして、瞬間的に思い起こされたのが、1979年発行のエズラヴォーゲルのジャパンアズナンバーワン。 最近、偶然にも読み返したところだった。 ゴダイゴの西遊記の曲が流行ったのは、この時期だった。 だからこそ、今も皆が懐かしく感じるのだろう。
9:10 AM · Feb 18, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759009759691407413)
Lily2@ituna4011
日本人には内的自信がある、 と、当時のアメリカ知識人は発見した。ダニエルパイプス氏も、そのように論考に書き、私にも実際、
日本は世界で最もおもしろい、
と述べた。 中学時代に大流行したゴダイゴを思い出し、今も人気が衰えていないどころか、実は先端を走っていたことを改めて発見。
9:19 AM · Feb 18, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759072889842909459)
Lily2@ituna4011
タケカワ家は、御祖父様も御父様も神道だそうです。
1:30 PM · Feb 18, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759193611613397310)
Lily2@ituna4011
MAGIC CAPSULEができるまで https://youtu.be/-gg0oPGkOmk?si=yygKvpYC7leSc0rQ… via @YouTube
こんな時代もありました。 ミッキー吉野さんの座禅がいい。
9:30 PM · Feb 18, 2024
114 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759193902052208808)
Lily2@ituna4011
タケカワさんが、とっても素直でかわいい。 (ごめんなさい!)
9:31 PM · Feb 18, 2024
180 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759224268813131950)
Lily2@ituna4011
タケカワさんは、お父様がTBSで初代音楽部長、お兄様が局長を務めていらしたという。
これも時代ですね。既に妻帯者が3人もいたゴダイゴ。若いけれど、当時はそういう感じでした。

(2024年2月18日転載終)
……………
2024年2月19日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759501284804383083)
Lily2@ituna4011
届きました! ビューティフルネームの本 2012年秋に発行されています。 ガンダーラやモンキーマジックの曲が大流行だった頃のご家庭の背景がよくわかります。 ゴダイゴが既婚者多数派の大人のプログループで、打ち上げをしたことがない理由も明快。
5:52 PM · Feb 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759502957517930524)
Lily2@ituna4011
素晴らしいご夫婦。とても素敵な奥様でいらっしゃいます。 ゴダイゴの曲が何故、今も多くの人々に受け入れられ、愛されているのか、その秘密は実生活にありました。 反体制派の反抗的な音楽では、長続きしません。
5:59 PM · Feb 19, 2024
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サライ(https://serai.jp/hobby/1092295?fbclid=IwAR0mGwchDWY6Ar076MwycxWOoGeoc-50oOKNh_r_enlvZ188ehO05otUXOY)
『サライ』本誌2022年10月号
【インタビュー】タケカワユキヒデ(歌手、作詞・作曲家 69歳)「人生を時間軸で測ったことがない。過去に作った歌を歌えばその時間に戻れる」
2022年11月20日

─過去に作った約3000曲の中から埋もれたものを再発掘中─
「人生を時間軸で測ったことがない。過去に作った歌を歌えばその時間に戻れる」

・東京・神宮外苑前のイチョウ並木にて。今年10月に70歳を迎えるタケカワさんだが、1日2回のライブをこなすほど元気だ。「いつも今がいちばん楽しいんですよね」

──今年70歳になります。
「年齢を気にしたことはないですね。時間軸で人生を考えたことがないんです。だって今生きていることには、70年の歴史なんて全然関係ありませんから。いつも今、この瞬間を楽しんでいます」

──過去は振り返らない。
「振り返るというより、その瞬間にパッと戻る感じなんです。30歳の時に作った歌を歌えば、その時間に戻ることができる。過去をたどるのではなく、その瞬間に戻る感じかな」

──なぜ音楽の道に。
「父がTBSラジオの立ち上げ当時の編成局音楽部長で、その傍(かたわら)、音大で教えていました。母方の祖父がヴァイオリンを作っていて、それを贈ってくれたりしていたんです。7つ上の兄も3つ上の兄も何かしらの音楽をやっていました。音楽に溢れていた家でしたね。僕も自然に5歳の頃からヴァイオリンを習い始めました。一緒にソルフェージュ(読譜や聴音の基礎訓練)を教わっていたのですが、譜面を書けたのは大きかったと思いますね。だって初めて自分の曲を譜面に起こしたのが10歳の時でしたから」

──どんな曲だったんですか。
「漫画雑誌にね、自分の学校の校歌を紹介するコーナーがあったんです。誰かが投稿した校歌の歌詞をみて、それに曲をつけました。なんでそんなことしたんでしょうねぇ」

──初の作曲が他校の校歌。
「やってみたくなっちゃったんでしょうね。音楽的には、小学校に上がった頃から、アメリカンポップスが好きになりました。ニール・セダカに、ポール・アンカ。耳から入ってきた英語を、そのまま訳もわからず歌っていました。小学5年生の頃、すぐ上の兄貴の影響で、ビートルズにどっぷりはまりました。クラスの女の子に頼まれて、クラスの歌を作曲したのもこの頃ですね」

──ヴァイオリンはどこに。
「小学3年生の時に、ヴァイオリンの先生が引っ越してしまい、教室を移ったんですけどレベルが全然違った。それでも続けていたんですけど、中学校で野球部に入ったのをいいことに、両立できないからとヴァイオリンをやめました。でも音楽は熱中の度合いが高まっていました。ギターをやり始め、コードも自分で作ってましたからね」

──その頃からミュージシャンを志望した。
「そうじゃないんです。実はプロ野球選手になりたかった。だってわかりやすいでしょ? どうしたらプロになれるか道がハッキリしていますから。でもミュージシャンはどうなっていいかわからない。ただ、サラリーマンは無理だと思っていました。通知表にはいつも “協調性がない” と書かれていましたから」

──どういうことでしょう。
「例えば授業中に、先生が数学の問題を書き始めるでしょ? 書き終わる前に答えを口に出してしまう。あれは中学1年生の時かな。体育館で、怖い女性体育教師が “休め!” と号令をかけたんですけど、僕ね、寝転んじゃったんです。どちらも反抗してやったわけではなく、パッと思った通りに動いてしまっただけなんですが。でも、これじゃ会社で働けないよな、と思っていました。だからといってミュージシャンを目指したわけではありません。ただ、楽しかったんですよね、音楽が。当時はエレキギターが不良の象徴で、禁止されていたんですけど、それを破って、中学校の卒業式でビートルズをやったんです。拍手喝采でした。この時の高揚感が忘れられなくて、アメリカで一旗揚げようぜ、ということになりまして。高校2年生の時です」

10歳頃のタケカワユキヒデさん。音楽一家に育ち、5歳からヴァイオリンとソルフェージュ(読譜や聴音の基礎訓練)を習っていた。初めての作曲は10歳の時だった。

「レコードを出したら一生安泰…と思ったら全然違った」

──大胆な提案です。
「ベトナム戦争の頃で、アメリカに行くのは船便でした。内心、行っても成算はないなと思っていたんですけど、中心メンバーなので言い出せない。そうしたら船のチケットを買う段階で、窓口のお姉さんに売れないと言われてしまった。そりゃそうですよね、バンド全員、高校生なんだから。願ってもない状況で、“じゃあ取りやめだね” と言えばいいのに、僕、弁が立つから弁護士になれと言われていたくらいで、口は達者なんです。窓口のお姉さんを説得してしまった。行きたくないのに」

──ではアメリカに?
「みんな高校生ですからね。結局、アメリカ行きは流れるんですが、将来に困っている息子を見かねたんでしょうね。父が “藝大に行け!” と言う。もちろん簡単に行けるはずもなく、1年目は不合格。別の大学で仮面浪人をしている間に、もう、これ以上クラシックを勉強するのは時間の無駄だと思いまして。その頃には、もう、英語詞のオリジナルでこれはいけると思っていた曲が100曲ぐらいあったし、素人が参加できるラジオ番組やテレビ番組に時々出たり、自分でコンサートをやって、喜ばれたりしていました」

──英語にこだわった。
「英語で歌うことと、曲を作ることには自信があったんです。でも、英語で歌詞を書くことには、今ひとつ自信がない。それで、大学を受験し直すのだったら、英語をちゃんと学び直せるところがいい、と思って、それで東京外国語大学に進みました」

──いよいよ音楽に本腰ですね。
「大学にいる間に音楽で結果が出なかったら、やめようと思っていました。でもね、そう決意しながら、大学に行った初日に教務課を訪ねて、質問しているんです。“大学って何年いられるんですか?” って。音楽に未練たらたらでしょ? 4年間で結果が出ない時のことを考えてる。教務課によれば、休学と復学を繰り返したら、11年いられるという。まさか本当に、11年在籍するとは思っていませんでしたが」

──在学中の昭和50年のデビューです。
「22歳の冬でした。レコードを出したら一生安泰だと思ったんですけどね、全然違いました(笑)。このあと、ゴダイゴの結成、結婚……と怒濤のような日々が過ぎていきます。CMの曲も多く手掛けましたし、映画音楽もやった。でもレコードが売れなかったんです。このままじゃ解散だよね、と言っていたところに舞い込んできたのが、テレビドラマ『西遊記』(日本テレビ系)の主題歌でした」

──『ガンダーラ』ですね。
「初めて、日本語で歌ったシングル曲でした。これがヒットして、ようやくゴダイゴが世間に認知されました。歌番組にも何回も出演しましたが、どうにも日本語の歌詞を覚えられない。よく間違えていました。デビューした時に、一度くらい “キャーッ” と言われたいねとメンバーと話してたんですが、この時それが実現しました。でも僕を含めて子持ちがふたりでほとんどが妻帯者というバンドでしたが」

──昭和60年に一度、解散します。
「そのあとは作曲家をしていたのですが、毎年ね、300曲作っていたんです。ほぼ1日1曲ペースです。光GENJIや松田聖子さんなど、いろんな方に提供しました。いい曲ばかりなんですけどねぇ。でもヒットしなければ捨てられる運命です。3〜4年やっていて、だんだん虚しくなっていた。そんな時に子どもに言われたんです。“ただ家で歌って遊んでるだけじゃん” って。それでね、こりゃ何かをしているところを見せなければと思って、突然 “オレはタレントになる!” と宣言しました」

──司会やコメンテーターをされています。
「いろんなバラエティ番組に出始めると、ライブ出演のお誘いとかも増えてきまして、また自分のコンサートを開くようになりました。ゴダイゴも再始動して(平成11年に再結成、平成18年に恒久的再始動)、今も一緒に活動しています」

「作曲家として考えると、今がいちばん楽しいですね」

──現在の活動を教えてください。
「ゴダイゴの活動をしつつも、ソロでのライブを頻繁に行なっています。今積極的にやっているのが、自分の作った歌の再発掘なんです。作りっぱなしでデモテープに吹き込んだだけの歌が大量にあります。提供を含めると全部で3000曲作ってますから。それを聴き直して──どれもなかなかいい歌なんですけど、それを歌詞と譜面に起こしています。おかしいでしょ? 自分で歌っている英語なのに、何を言っているのかわからないところがあって、英語のできる娘に聴いてもらって、歌詞を蘇らせているんです。そういう曲たちを『僕ソン(僕のソングブック)』というライブシリーズで、披露しています」

──ライブで初めて人前で歌う曲もある。
「そうなんです。しかも普通、ライブのツアーというのは、同じ曲のセットで回るんですが、僕の場合は、毎回違う。しかも1日2回ライブをすることがあって──これだけで相当おかしいことですが、同日のライブであっても中身が違います。だからやるたびにレパートリーが増えていきますし、ライブも毎回新鮮です。ライブ中は、歌詞やコードを入れ込んだiPad(アイパッド)を目の前に置いて、カンペ(カンニング・ペーパー)にしているんです」

ライブハウス・南青山MANDALA(マンダラ・東京)での「タケカワユキヒデの弾き語りライブ」の模様。「撮影タイム」が用意されるなど、ファンと一体になった時間だった。

多彩な趣味を持つタケカワさんは、パソコンや音響機器もその楽しみのひとつ。この日は自分のパソコンや機器を持ち込み、タケカワさん自らがセッティングしていた。

──コロナ禍は大変だったのでは?
「ゴダイゴのヒット曲に『ビューティフル・ネーム』があるんですが、あれを会場のお客さんと一緒に全力で熱唱するというのが、好評だったんです。鉄板の構成だったのですが、コロナでそれが奪われてしまいました。コンサート自体も中止が続きました。それで、配信コンサートを始めたのですが、これがね、面白いんです。自分でパソコンや通信の環境を整えたり、ソフトを導入したり、機材を買ってきたり。こういうこと、好きなんでしょうね。ライブでも自分の機材を持ち込んで、音響のセッティングなどをしています。ゴダイゴのメンバーとも、別々の場所から同時セッションをしました。こういうことが、技術的に可能になっているのが今の時代です。最近のライブでは、実際にお客さんを入れながら、同時に配信をしています」

──むしろ楽しんでいますね。
「これまで実現できなかったことが、できてしまうんです。面白くてしかたがない。音楽もそうなんです。今までは、時代ごとに音楽の流行があって、どうしてもそれに縛られていました。曲を出して受け入れられなかったらしょうがないですし、出す段階でプロデューサーにはねられてしまう」

──ところが今は違う。
「例えば過去の曲であっても、今の音楽としてネット上で視聴できます。だって聴いている人はいちいち、何年に制作したかなんて気にしていませんから。音楽として等価なんです。ようは、目の前のテーブルの上にありとあらゆる音楽や音の素材が乗っていて、今日はこれで楽しもうかな、と自由な選択ができるようになったということです。楽器の音も、自分の思ったとおりに機械で出せますからね。音に妥協しなくてよくなった。作曲家として考えると、今がいちばん楽しいですね」

──引退を考えたことはありますか。
「過去を、過去の出来事として懐かしんだこともありませんし、未来のことを計画したこともありません。僕にとって大事なのは、いつも目の前にある今です。今をどう楽しむか、ということが常にテーマです。だから新しい曲も作り続けますし、歌い続けていたい。肉体的な問題で、歌えなくなる日は来るかもしれませんが、それはその時に考えます。もし元気なら? 80歳になっても90歳になっても、歌い続けているでしょうね。だってそれが楽しいことなんですから」

スタッフのひとりとしてこの日のライブをサポートしていた三女の武川基さんと。タケカワさんは1男5女の父親で、ベスト・ファーザー賞を受賞したことも。
大の漫画好きで知られるが、今でも、週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデー、週刊少年マガジン、週刊少年チャンピオンの主要4誌を買い続けている。

タケカワユキヒデ
昭和27年10月22日、埼玉県生まれ。東京外国語大学英米語学科を11年かけて卒業。在学中の昭和50年にソロデビュー、翌51年にゴダイゴを結成。『ガンダーラ』『銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)』などヒット曲多数。アルバムに『僕のソングブック 弾き語りスペシャルライブCD』など。今年、さいたま市教育委員会の委員に就任。https://www.takekawayukihide.com/

※この記事は『サライ』本誌2022年10月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/角山祥道 撮影/宮地 工)

(2024年2月19日転載終)
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Bass Magazine(https://bassmagazine.jp/news/20201120-steve/?fbclid=IwAR26D0LtIoXQVsGJoosQpPpGwLolX0fyj7UYphli_2c7mBpHdP76qkbjIYk)
2020年11月25日 UP

ゴダイゴのスティーヴ・フォックスが、ミキシング/マスタリングでアマチュア・ミュージシャンを支援

1970年代後半から1980年代前半にかけて「ガンダーラ」や「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」といったヒット曲で日本の音楽界に大きな影響を与えたロック・バンド、ゴダイゴ。そのベーシストであり、音響エンジニアリングも担当していたスティーヴ・フォックスが、アマチュア・ミュージシャンへの支援として、自身の音響技術と経験を提供するという試みを開始した。
 スティーヴは伝道師になるために1980年にゴダイゴを脱退するも、1999年の再結成からバンドに復帰。現在は牧師の仕事を務めながら、神戸にある自宅スタジオで地元を中心としたミュージシャンたちの音源のミキシングやマスタリングも手がけている。今回の支援は、そういった活動をより幅広いアマチュア・ミュージシャンたちに利用しやすい形で提供するというもので、意欲のあるミュージシャンを応援し、音楽業界全体を盛り上げたいという。

 このたびの活動について、スティーヴにオンライン・インタビューを行なった。

・必要に迫られたエンジニアリングの技術

━━今回、このような活動を始めた理由は?

 今の時代は、YouTubeやストリーミング・サービスを始め、アマチュアのミュージシャンでもどんどん作品を発表して、それが評価されるというチャンスがありますよね。ただ、今は新型コロナ・ウイルスでミュージシャンはみんな苦しんでいて、作品を作って何かをしようとしても、お金があまりなくてできないということもあるんじゃないかなと。そういう人たちの力になれたらと思いました。僕は神戸に住んでいるけれども、わざわざここに来なくても、インターネットを通してお互いにやり取りができますし、コストもかなり安くできますからね。ミックスやマスタリングはある程度の経験がないとうまくいかないもので、細かい帯域の調整がわかるまで何年もやらないと、“聴こえてこない”んだよね。いいスピーカーを使えないから聴こえないということもあるかもしれない。世界中のプロに対抗するには、やっぱりわかっている人にやってもらわないと、あの世界に入りにくいんじゃないかなと思うんですよ。

━━スティーヴさんはゴダイゴでデビューした1970年代当時から、バンドのエンジニアリングもしていたとか?

 そう。僕とミッキー(吉野)はアメリカで音を聴いてきて、その音がずっと頭のなかにイメージとしてあったんです。でも僕らがバンドを作ってレコーディングを始めた頃、どんなエンジニアに頼んでも、その音にはならなかった。歌謡曲や演歌のほうにはうまいエンジニアもいたけれど、ロック・バンドを録音するエンジニアは片手で数えるくらいしかいなかったしね。僕も若い頃は気が荒っぽかったから(笑)、何人もエンジニアをクビにしましたよ。

━━それで自身でやってみようと?

 どうにかしなきゃいけないなと思ってね。最初は卓のところでエンジニアの隣に座って、彼が何をしているのかをずっと見ていたんです。そうすると、あのつまみを動かすと音がこう変わって、あのフェーダーはヴォリュームなんだなとかいうのがわかってくる。“このつまみを触ってもいいですか?”と言いながら手を出して、そのうちに“ちょっと席を代わってもらってもいいですか?”って(笑)。

━━エンジニアさんもびっくりしたでしょう(笑)。

 僕らの音楽が良かったからか、エンジニアの人も僕らを尊敬してくれていたし、僕の耳がすごくいいということも言ってくれていたんです。だから必ず、“スティーヴさん、どう思う?”って聞いてくれて、僕が“ここをこうしてみたらどうかな”って答えると、“なるほど!”って感心してくれたり。そういうことを積み重ねるうちに、エンジニアも僕に任せるようになっていったんですよ。

━━当時、そんなことをするミュージシャンはいなかったのでは?

 そうですね、草分けみたいなものですよ。僕自身、そういう音響系が好きだったというのもあるね。僕が音響系が好きだってことに気づいたプロデューサーのジョニー野村さんが、ゴダイゴの最初の音源のマルチテープを僕に渡して、“スタジオを借りているから、ちょっと練習してきなさい”と言ってくれたのもいいステップになりました。2日間マルチを回して、いろんな音を作りましたね。

━━実戦でいろんな技術を身につけたんですね。

 そのうち、ライヴ・サウンドまで任されることになりました。会場に入ってPAがセットされたところで呼ばれて、各ホールの音を1時間くらいかけてチューニングすることから始めてね。そこからバンドの音合わせで各楽器の調整をして、ベースの番になると卓のところにベースを持ってきて、そのまま卓にシールドを差し込んで(笑)。エンジニアと相談しながら、1、2曲は卓のところでバンドと合わせて弾いて、これでOKだとなったら僕もステージに上がって歌も入れながら音合わせ。だから本番前になると本当にすごく疲れているんですよ(笑)。

━━そんな苦労があったとは(笑)。

 疲れたときにはニンニクのエキスをカプセルに入れて飲むんだけど、一気に10錠くらい飲んでね(笑)。そのうち、メンバーも僕がそういうのを飲んで元気をつけているのに勘づいて、みんな飲むようになった。当時のゴダイゴのコンサートは、なぜかステージからニンニクの匂いがするっていうのが噂になっていたね(笑)。でも楽しかった。いい音を出せたからね。

━━そこからどんどんエンジニアリングにも積極的に取り組んでいったということですね。

 完璧にオタクになってしまって(笑)。ドゥービー・ブラザーズやイーグルスが日本に来たときに、彼らがどういうマイクやスピーカーを、どうやって使っているかを双眼鏡でチェックしたりもしていたね。そうやっていろいろと研究したし、現場で試しました。当時の日本のコンサートで一般的に使われていたスピーカーだと高域が強くて、大きな音にすると耳が痛かったから、カタログを見て別のメーカーのものを頼んで使ってみたりね。ゴダイゴのコンサートは音は大きいけど、耳は痛くなく、高域も中域もすごくクリアで音圧がすごいっていう評判にもなりましたよ。

━━そうやって重ねた経験を、今回はいろんなミュージシャンたちに還元しようということですね。ミックスをお願いするときに、ベース用のトラックとしてはダイレクトの
ライン音や、自分なりにプラグインなどで加工した音を送ればいいですか?

 そうですね。プラグインに関してもかなりの種類を揃えてますから、ダイレクト音を送ってもらい、どういう音にしたいかのリファレンスになる曲を教えてもらえたら、そういう雰囲気で音作りをすることができますよ。アンプを使うといい雰囲気が出るなと思ったら、こちらでアンプ・シミュレーターのプラグインを入れた音を混ぜたりもする。そして、僕がミックスしたものを送り返しますから、それに対してどこを変えてほしいかをリストアップしてもらい、また僕が調整をする。それを3回、4回と納得するまで行ないます。ここで大事なことは遠慮をしないということですね(笑)。もしかしたら、僕が作ったミックスに対して、“ここを直してほしい”と言いにくいと感じるかもしれないけれど、そんなことは気にしないで。これは必要なプロセスだし、何度もやり取りすることはいいことなんだってわかってほしいですね。例えば、気に入らなければ、“このベースの音はヒドイよ”って言ってもいい。そんなことで僕は傷つかない(笑)。かえって、そうやっていろいろ言ってくれたほうが僕はやりやすい。

━━特にジャンルの縛りもない?

 リファレンスさえもらえたら、ジャンルはなんでも大丈夫。そもそも僕はハードロックのミュージシャンだし、かなりヘヴィ・メタルな音楽をやっている友人の音源を手がけたこともあります。フォーク系の音も好きだし、ジャズ・フュージョンの作品もやりました。あと、神戸はけっこうレゲエのミュージシャンが多いみたいでレゲエもやりましたし、オーケストラでも大丈夫ですよ(笑)。すでに何人かのアマチュア・ミュージシャンの作品をお手伝いしましたけど、すごく喜んでくれてね。ぜひ気楽に声をかけてもらいたいですね。

 また、2021年にはゴダイゴでのライヴも予定されているそうで、今年5月に亡くなったギタリスト浅野孝已への追悼も込めた内容を考えているとのことだ。

(2024年2月19日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1759538392944324996)
Lily2@ituna4011

http://youtube.com/watch?v=08hjGbU02N4…

明治製菓/森永製菓/アヲハタ/デルモンテ/本田技研工業/三菱自動車/日立製作所/サントリービール/ユニセフ 国際児童年/日本電気 NEC/武田薬品工業/カネボウ化粧品/サントリー/神戸ポートアイランド博覧会/フマキラー/キャセイパシフィック航空/コーセー化粧品/AGF/日立
8:20 PM · Feb 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759538678127628317)
Lily2@ituna4011
三菱パジェロ等。
8:21 PM · Feb 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759541497425522807)
Lily2@ituna4011
1976年から1990年まで、日本を代表する企業や国際的な組織および国際企業のために、作曲し、演奏し、歌い、価値を高め、広めてきたゴダイゴ。 しかしながら、タケカワユキヒデ氏の母校である浦和高校のPTAの方々の中には、「なぜ堅気の職業を選ぶ選択肢がなかったのでしょうか」等と、
8:32 PM · Feb 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759545119907467758)
Lily2@ituna4011
実に失礼な質問を投げかける人が出現。 これには全く驚かされた。
企業の経済効果を無視? 商品の購買者をも無視?
この頃の日本の経済は好調だった。
8:47 PM · Feb 19, 2024

(2024年2月19日転載終)
……………..
2024年2月20日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
Y・T:浦高のPTA? なんと狭量かつ愚かしいことか…
ユーリ:田中 裕二様、ありがとうございます。浦和高校は、佐藤優氏が母校として誇らしく語っていたので、埼玉の凄い学校だと思っていました。
Y・T:浦高は県立男子校トップ。女子トップは浦和一女ですね。
ユーリ:断トツの学校なんでしょうねぇ。とても素晴らしいですね。ただ、PTAの複数の方々が繰り返し、何ともお粗末な質問を丁寧な言葉でなさったので、拍子抜けしました!
Y・T:まー、父兄全員ってわけじゃないでしょうけどね。因みに浦高は東大に毎年2〜30人は送り込んでいるでしょう。私は若い頃に埼玉にいたことがあるのである程度事情は知ってます。出身は富山なんですけどねww
ユーリ:それにしても、富山も埼玉も、優秀な学校があって素晴らしいですね。

(2024年2月20日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1759512060524990862)
Lily2@ituna4011
届きました! ビューティフルネームの本 2012年秋に発行されています。 ガンダーラやモンキーマジックの曲が大流行だった頃のご家庭の背景がよくわかります。 ゴダイゴが既婚者多数派の大人のプログループで、打ち上げをしたことがない理由も明快。
6:35 PM · Feb 19, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759861606190870660)
Lily2@ituna4011
今日、市内の図書館で他の2冊を県内の図書館から借りるリクエストをしてきました。 スティーブフォックスさんの自叙伝風の本も注文しました。 あの時代に、どのような背景で、あのような音楽が生まれたのか、本から知りたく思います。
5:44 PM · Feb 20, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1759863914492555352)
Lily2@ituna4011
CDの方は、全部英語で歌っている版です。 聴きやすいメロディで、多分、これまでにも、美容院や喫茶店やちょっとしたレストランでも流れていたと思います。 一冊読んだだけでも、馴染んだ曲が違って聞こえます。
5:53 PM · Feb 20, 2024

(2024年2月20日転載終)
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文藝春秋』(https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/)
「ゴダイゴ 命名に含まれた意味」
101人の輝ける日本人
奈良橋 陽子

2022年12月8日

1976年結成の「ゴダイゴ」は、「銀河鉄道999」「ビューティフル・ネーム」などのヒット曲を連発した。作詞を担った奈良橋陽子氏が振り返る。

 ゴダイゴの始まりは、私の夫だったジョニー野村に、タケカワユキヒデさんが「自分が作詞・作曲した歌を聴いてほしい」と連絡してきたことでした。私も電話越しにその歌を聴き「いいね」と言ったものです。
 ジョニーがタケ(タケカワさん)をプロデュースすることになり、彼と英語の歌詞を練習するところからスタートしました。やがて私が英詞を書くようになりました。
 次にジョニーが考えたのは、ミッキー吉野さんをリーダーとして国際的に通用するグループを結成したいということでした。ミッキーとジョニーで他のメンバーを集めてきて、ミッキーがゴダイゴ(GODIEGO)と命名しました。昔の日本の天皇の名前であり、GO DIE GO(突っ走っていけ!)という意味も含めていたと記憶しています。
 メンバーは一人ひとり個性的で、タケの書く曲にミッキーの素晴らしいアレンジが加わり、非常に豊かなサウンドが生まれてきました。特に最初の数年間は、私たちは夢中になって楽曲やアルバムを作っていきました。タケは私の中にあるイメージを誰よりも理解してくれ、よくその場で即興的に曲を作っていました。
「ガンダーラ」は、私が国際基督教大学に通っているときに授業で出会った素敵な言葉で、ちょうど世界の西と東が一緒になるという――それは私にとってのユートピアだと思ったのです。当時の吉祥寺の私の家のベランダで、タケがガンダーラをギターの弾き語りで披露したときのことを今も思い出します!
 タケやミッキーをはじめとするゴダイゴの皆さん、今は亡きジョニーと浅野孝已さん(メンバーのギタリスト)には本当に感謝の気持ちしかありません。無我夢中に一緒に曲作りをしてきたことは私たちのガンダーラだったと思います。

(2024年2月20日転載終)
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(https://news.radiko.jp/article/station/FMJ/37959/)

「タケカワユキヒデ、バンド名の「ゴダイゴ」最初は抵抗があり…」
2019年11月27日
提供:J-WAVE

J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。クリス・ペプラーが音楽を聴く隠れ家=「オトアジト」に毎週ゲストを迎え、大人な音楽談義を繰り広げるという番組だ。

11月23日(土)のオンエアではゴダイゴのタケカワユキヒデをデビューに招き、デビューまでの道のり、バンド名が「ゴダイゴ」になったいきさつについてなどを語った。

■ミッキー吉野との出会い

ゴダイゴが結成される前、タケカワはデビューアルバムとなる『Passing Pictures』を作成している際にプロデューサーから「もうちょっとですごいやつが帰ってくる」と告げられたそう。それがバークリー音楽大学を卒業したミッキー吉野であり、プロデューサーは「彼にちょっと相談してみようか」と、暗にグループ結成を提案したという。

タケカワ:「(ミッキーは)いつ帰ってくるんですか?」って訊いて「まだわからない」とか言っていたら、3日後に電話がかかってきて「帰って来た、すぐ会いにいくぞ」って。
クリス:(笑)。
タケカワ:ミッキーの家にまで行って、プロデューサーとミッキーがほぼ話をしていました。僕は自分で全部アレンジをしていたので、最初の段階で「ピアノを弾いてくれ」と言うと「いいよ」ってすぐに決まっちゃいました。あとは僕は関係ないじゃないですか? ミッキーが「こういうバンドを作って、なにをやって、日本に嵐を起こして、そのままもう1度アメリカへ殴り込みをかけて」ってカッコいい話をしているんだけど、私は全然自分の話だと思っていないので、ソファーで寝ちゃったりして(笑)。タバコでテーブルを焦がしちゃったりして。

■「そうか、俺はゴダイゴか」…タケカワがバンド名を観念した瞬間

するとミッキーは「バンドの名前はもう決まっている」として「GODIEGO(ゴダイゴ)」と明かしたそう。しかしタケカワには抵抗があったとのことだ。

タケカワ:こっちにしてみればゴダイゴっていうと(後醍醐)天皇の名前じゃない? それはやっぱりちょっと……僕はご遠慮したいし「私とは関係のない話」だと思って、またソファーで寝ていたんです。

その後アルバムの制作になると、ミッキーは『Passing Pictures』で、いくつかの曲を弾いてくれたという。そしてタケカワがアルバムを出した年の暮れに、ミッキーから改めて電話がかかってきたのだと明かした。

タケカワ:(ミッキーが)「どうよ?」って言うから「いやまあ、あんまり芳しくないね」みたいな。どっちがバンドを一緒にやろうって言ったかはいまだに不明なんですけど、とにかく「バンドをやる」ということになったので、年が明けてから「まさかゴダイゴじゃないだろうな」って思って行ったんだけど(笑)。みんなで集まって(ミッキーが)「これでちゃんとメンバーが集まったので、バンドの名前はゴダイゴでいきたい!」と(笑)。
クリス:(笑)。やっぱり捨てきれなかったんだ。それはミッキーさん、かわいいじゃない。「絶対これは」と思っていたんですよ。
タケカワ:もうね「そうか、俺はゴダイゴか」って。そこで観念をしました。

■名前に込められたもう2つの意味

タケカワは、ミッキー吉野から「ゴダイゴ」の由来を聞かされたときの印象を振り返った。

クリス:バンド名の由来は後醍醐天皇もあるんだけど、「GO(生きて)DIE(死んで)GO(生きる)」と「GOD(神)I(私)EGO(エゴ)」。そういうのを考えるとかなり哲学的ですね。
タケカワ:まあ、そういうのみんな好きですけどね。でも僕は「DIE」はしたくないなって(笑)。
クリス:まあね。でも俺はこの名前を聞いたときに「スゲーかっこいいな」と思って。 タケカワ:そうなんだ。まあ結局ね、ゴダイゴは1回解散をしてまた今やっているんですから。本当に「GO DIE GO」になったんですけどね。

40年以上前に名付けられた名前に導かれるように、復活を遂げたゴダイゴ。タケカワは11月30日(土)と12月1日(日)に横浜・山手ゲーテ座ホールで「僕のソングブック~カヴァーズpart27 & HELLO / GOOD NIGHT」を開催する。

『SAPPORO BEER OTOAJITO』では、毎週さまざまなゲストを招き音楽談議に花を咲かせる。放送は毎週土曜18時から。お聴き逃しなく。

この番組をラジコで聴く
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。

【番組情報】
番組名:『SAPPORO BEER OTOAJITO』
放送日時:毎週土曜 18時-18時54分
オフィシャルサイト: https://www.j-wave.co.jp/original/otoajito/

(2024年2月20日転載終)
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2月12日の神戸市立小学校の合唱団による「ビューティフル・ネーム」を久しぶりに聴いて以来、一週間以上もゴダイゴ一色の日々を送っている。

活気のあった1980年前後の日本社会を思い出すし、忘却の彼方にあった中学生だった自分のことも同時に蘇ってくるし、ゴダイゴの音楽が実に細かく技巧的であってなお、人々に広く深く届く現代の曲であることにも改めて驚かされるし、元気鈴々って感じ。

タケカワさんの嬉しそうな自信たっぷりの歌い方も、若返りの素になる。

1970年代後半の若者は、大抵、あのような長髪で煙草をくわえていた。だが、新しい音楽を作っていこうという真っ直ぐな意気込みと、案外に真面目で素直な心性は、今の我々にも訴えかけるものがある。

スティーブ・フォックスさんの本は、紙媒体ではなく、PDFで届いた。
アマゾンだと、中古本でも2倍から12倍の価格を付けて売られているそうだが、それほど人気の衰えを知らないゴダイゴなのだろう。

(2024年2月20日記)
………….
2024年2月21日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1760081268790927565)
Lily2@ituna4011
少し読み始めました。話に聞く、西洋のカウンターカルチャーの実態が描かれています。 一方、タケカワさんは子供みたいによく寝る人で、昼寝もよくしていたそうです。 無邪気な愛されキャラ、ですね? 英語は、日本人にしてはうまいけれど、ネイティブには日本語風に聞こえるのだそうです。
8:17 AM · Feb 21, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1760082149259288854)
Lily2@ituna4011
ミッキー吉野さんは勘が良く、賢い人で、アメリカでは慎重に振る舞い、安易に契約して騙されるようなことはしなかった、とも書かれています。
8:20 AM · Feb 21, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1760083412600435016)
Lily2@ituna4011
こういう話は、話として知っておいた方がいい、と思います。 甘い話、一方的な呼びかけに安易に乗せられないためにも。
8:26 AM · Feb 21, 2024

(2024年2月21日記)
………………
2024年2月23日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1761040744184442958)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ・イン・クリスマス1981 https://youtu.be/M0fKP3xM14k?si=_h8Mq16IQiXYLdDM… via @YouTube
《目を皿のようにして見ていた番組でした。》
かわいい!皆さん、お若くて、いい番組ですね。 懐かしい~
11:50 PM · Feb 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1761037526574542904)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ・イン・クリスマス1981 https://youtu.be/4XAv-aJS1fE?si=ttdRznry6NwzNSYu… via @YouTube
かわいい!皆さん、お若くて…..。
11:37 PM · Feb 23, 2024

(2024年2月23日転載終)
………………
2024年2月24日追記

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/pfbid0rsQyBKwLYJZDFxZBkYy2NbuXJ12Y5A8dKkSqm9fA3MWoXEExj94CDhLkMi2AibwKl?notif_id=1708784780743803&notif_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)

《目を皿のようにして見ていた番組でした。》
かわいい!皆さん、お若くて、いい番組ですね。
懐かしい~

Y・T:若い頃の彼は明るくて素晴らしかった!

ユーリ:中学1年から2年生の頃、テレビの歌番組で見ていただけですが、今、タケカワさんやスティーブ・フォックスさんの本を読むと、(なるほどなぁ)と感じます。この頃は、タケカワ家にお子さんが次々と生まれて、東京外大にも通いながら作曲し続け、テレビでも歌い、怒涛のような日々だったそうです。

ユーリ:今はすっかりお父さん、いえ、9人の孫のおじいさんになられました。曾孫も1人いらっしゃって、回転の速い、生産的な家系だと思います。

Y・T:今は確かに露出は減りましたが、ある時代の寵児だったんだと思い返しています。あの時期、彼、彼らの姿を見ないことは無いほどでしたよね…。メロディも記憶に残っていますしね。。

ユーリ:ゴダイゴのCDを一枚買って、ここ数日、繰り返し聴いていますが、気持ちが若返りますね。アップビートで、のびのびとした歌声で、確かにカッコいい曲を演奏していました。

(2024年2月24日転載終)

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公明党について

事故直後から、国交省が飛行機を飛ばし過ぎたせいだ、と私は思っている。
公明党については、2023年7月21日付の過去ブログ「公明党と難病患者会」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=5370)を参照のこと。(Lily)
。。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

1.(https://www.youtube.com/watch?v=MF1_Zu_RYsM)

「責任は公明党!羽田航空機の衝突事故!国交省の問題でしょ!」
竹田恒泰ch公式切り抜きチャンネル
Feb 17, 2024

2.(https://www.youtube.com/watch?v=_NphP7GMsPw)

「公明党は民主主義をはき違えている!次期戦闘機輸出を阻む公明党の愚行、出過ぎた真似は民主主義の破壊行為です!」
竹田恒泰チャンネル2
Feb 18, 2024

(転載終)

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ゴダイゴその2

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757388461668171837)
なつかしい!
中1から中2にかけて、「ビューティフル・ネーム」が流行っていた。
国際児童年協賛歌だった。
タケカワユキヒデ氏は、鈴木バイオリンで有名な鈴木鎮一先生が母方大叔父だそうだ。
9:57 PM · Feb 13, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757391032780792306)
ゴダイゴ 独占インタビュー「ザ・ベストテン」ウラ話~蔵出し秘蔵映像 ~
(https://youtu.be/mLecGIWja78?si=4bmvbylshcPjeylE… via @YouTube)
今も皆さんお元気で、何よりです!
中学生の頃を思い出します。
タケカワユキヒデ氏のおかげで、英語を頑張ろう、と思った次第……。
10:07 PM · Feb 13, 2024
166 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757397555422654944)
ゴダイゴ 復活ライブ 1999.11.30
(https://www.youtube.com/watch?v=Mcj3HM7lXdc)
いいですねぇ。中学生の頃を思い出します。 今見ていても、クール。
10:33 PM · Feb 13, 2024
179 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757442580093210848)
Lily2@ituna4011
モンキーマジック/ゴダイゴ
(https://youtu.be/tg2a-f67Uy0?si=TFmr3Qp4lYSdKGT)
クール!
1:32 AM · Feb 14, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757445878883959193)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ ネパール・カトマンズコンサート 1980.2.7
ネパール王立競技場
(https://youtu.be/HhVrQwNB5cM?si=UzXZIgLUR61YuVGH)
素晴らしい!
1:45 AM · Feb 14, 2024
193 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757670782178927083)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ – 平和組曲
(https://youtu.be/rgTi_F4OvMA?si=4ygJ1PKPjdRzHKx)
エルガ-『威風堂々』の編曲。
4:39 PM · Feb 14, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757736072753357309)
Lily2@ituna4011
モンキー・マジック
(https://youtu.be/Z0_gpcaiGyE?si=08W7-T0iIWSJZ5Mz)
昨晩からはまっています。 確かに……。
8:58 PM · Feb 14, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757767503928037807)
Lily2@ituna4011
ビューティフル・ネーム (4ヶ国語バージョン) ゴダイゴ
(https://youtu.be/nBDZT6YiyvA?si=5gJ6PS7MjPp_wm4D)
中国語、ネパール語、英語、日本語で歌っているところが、素晴らしい。
今から考えると、先鋭的かつ素朴な愛らしさも醸し出していて、やはり この時代の日本って凄かったな、と。
11:03 PM · Feb 14, 2024
776 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757787861682884705)
Lily2@ituna4011
若い頃は可愛らしいイケメン。エキゾチックで雄大な曲作りに英語で歌う。 しかし、この少子化時代に、養女を含めて6人の子を育て、孫9人に曾孫1人なんて、常に先端モデルを走っていらっしゃる感じ。魅力たっぷり。
12:24 AM · Feb 15, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758080084182003761)
Lily2@ituna4011
ここ数日、中学時代に大人気だった懐かしいゴダイゴのツィートを綴ったところ、私には珍しくたくさんのアクセスと マークがついた。皆様、ありがとうございます! ゴダイゴで私が好きな曲は、ガンダーラとモンキーマジックとビューティフルネーム。今聴いても、カッコいい。
7:45 PM · Feb 15, 2024
347 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758081036985213351)
Lily2@ituna4011
含羞を秘めた真っ直ぐな笑顔や、 日本では誰もやったことのないこと、皆とは違うこと、日本人では初めてのことをしよう、 という決意。 今の時代には、特に響くし、とにかくクール。
7:49 PM · Feb 15, 2024
852 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758081996344172770)
Lily2@ituna4011
中学生には難しかった時代背景等もわかるようになった今、あの頃の日本人の若いエネルギーは凄い、と思う。 シルクロードの映画作りのために、宗教改革中のイランまで行ったゴダイゴ。勿論、今なら行かない、とタケカワさん。
7:53 PM · Feb 15, 2024
847Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758102946796158992)
Lily2@ituna4011
モンキーマジックの途中で、両手に隠してあったビニール紐の玉みたいなのがパッと広がる演出は、実は歌舞伎からヒントを得たそうだ。 また、グループ名は、吉野の後醍醐天皇に由来する、らしい。あるいは、生きて、死んで、生きる、の意だとも。 さりげなくさらっと見せるところが、日本発らしさ。
9:16 PM · Feb 15, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758127927789867483)
Lily2@ituna4011
それに、あの世代では大学進学率が3割切る少数派だった上、大学紛争もあり、中退も少なくなかった。 大人気の音楽活動で多忙な中、学生結婚された後も、タケカワさんは頑張って、何と11年かけて東京外大を卒業された。 気合いの入り方が違う。やはり凄い!
10:55 PM · Feb 15, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758270813743271967)
Lily2@ituna4011
演奏環境、苦労して改善 1970年代末~80年代 ミッキー吉野が思い出語る:東京新聞 TOKYO Web https://tokyo-np.co.jp/article/274882
← 東京新聞は、朝日新聞と同じく、こういう記事はいい。
8:23 AM · Feb 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758271534316290378)
Lily2@ituna4011
実は、普段はクラシック音楽や雅楽ばかり聴いています。 ゴダイゴの曲は、中学1,2年の頃を思い出し、懐かしさいっぱいです。
8:26 AM · Feb 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758429516148740301)
Lily2@ituna4011
雅楽。
6:54 PM · Feb 16, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758456488446808235)
Lily2@ituna4011
今日早速、ゴダイゴのCDが届きました! タケカワユキヒデさんの本も注文中。
8:41 PM · Feb 16, 2024

(2024年2月16日転載終)
。。。。。。。。。。。。。。。。。
東京新聞』(https://www.tokyo-np.co.jp/article/274882?fbclid=IwAR0VwsO7hRnOqo8FK_BCiBPqgvtd2KmTb7BKAZL3YX8BaszQ_F_DsRUSAI4)

演奏環境、苦労して改善 1970年代末~80年代 ミッキー吉野が思い出語る
2023年9月5日

ゴダイゴ 「ザ・ベストテン」での演奏など収めたDVDボックス

ロックバンド「ゴダイゴ」が1970年代末~80年代に音楽番組「ザ・ベストテン」で披露した演奏などを収録した4枚組みDVDボックス「Godiego(ゴダイゴ) TBS Dream Time Box」が10月に発売される。リーダーのミッキー吉野(71)は、当時の音楽番組で演奏環境の改善に苦心したことなどを本紙の取材に語った。 (上田融)

 DVDは、最初の大ヒットとなった「ガンダーラ」(78年)、続く「モンキー・マジック」(同)、「銀河鉄道999(スリーナイン)」(79年)などの映像が多数収録されている。収録日によって、同じ曲なのに構成が違っているのが分かる。
「(曲の長さを変える)サイズ調整は得意だった」と吉野。テレビ局での演奏当日、バンドの持ち時間が「2分半」などと決まれば、その場で間奏を短くするなど変更したという。
 ガンダーラがヒットし始めたころ「(演奏環境は)はっきりいってよくなかった」。局の力が強く、若いミュージシャンが音作りに意見を言いにくい環境だったという。
 そんな中、吉野はリハーサルの演奏を録音し聴かせるよう局側と交渉、認めさせた。「僕は(ゴダイゴ結成前の60年代、GSバンドの)ゴールデンカップスのメンバーで、(テレビ局で演奏した)経験があったから」。その結果、バンド側が音のバランスなど気になる部分の修正を求め、より良い音で放送されるようになった。
 ゴダイゴのデビューは76年。最初の数年はヒット曲が出なかった。日本テレビ系のドラマ「西遊記」のテーマソング担当が決まり、「絶対ヒットさせる」という強い意志で手がけたのがガンダーラ。吉野は「琴線に触れる音」とする12弦ギターにこだわり、それがイントロで響く印象的な音となった。「日本から中国経由で世界を巡るイメージも込めた」
 モンキー・マジックは、ボーカルのタケカワユキヒデ(70)が両手に握る「蜘蛛の糸」を投げるパフォーマンスが話題になった。「子どものころ歌舞伎を見て印象的だったので使おうと思った。ただ1玉4千円。毎回8千円も飛び、高かった」(笑)
 バンドは85年に解散するが、2006年に恒久的に再結成。20年にギタリストでオリジナルメンバーの浅野孝已が他界する悲劇も乗り越え、精力的に活動を続ける。「年は取ったけどできる限りやっていく」

(2024年2月16日転載終)
。。。。。。。。。。
日刊スポーツ』(https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310160001274.html)

CM曲で売れっ子もコンサートは閑古鳥 カッコイイ音楽追求し苦闘の日々/ゴダイゴ連載2
2023年10月18日

「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「ビューティフルネーム」「銀河鉄道999」などのヒットで知られるロックバンド、ゴダイゴ(GODIEGO)の4枚組DVDボックス「Godiego TBS Dream Time Box」が、18日に発売される。

70年代末から40年以上にわたって「ザ・ベストテン」「サウンド・イン“S”」「日本レコード大賞」など、TBSの音楽番組に出演した映像を集めた。発売記念のライブツアー「Godiego Live!2023」も22日の神奈川・クアーズテック秦野カルチャーホールからスタート。全国5都市で11公演が予定されている。【小谷野俊哉】
   ◇   ◇   ◇
現在のメンバーはミッキー吉野(71)タケカワユキヒデ(70)スティーブ・フォックス(70)トミー・スナイダー(70)吉澤洋治(66)の5人。ゴダイゴは76年に「僕のサラダガール」でデビューした。
70年代半ば、アメリカから帰ってきたミッキーは、ソロアルバムを作成中のタケカワを紹介された。そして、東京をベースに英語で歌うワールドワイドなバンドを作ろうとしたが、時代はそれを受け入れなかった。
タケカワ「その時に僕に手を差し伸べてくれたのが、CM業界。CM業界の人たちは、カッコ良ければよかったわけですよね。10何秒かで勝負するのがCM。そこに当時は、外国の本当の音を使えなかったんですよ。値段が高くてね。日本はあまりお金持ちじゃなかったし、それを使おうとすると、ものすごい高い値段言われるんです。それで、その代わりにアメリカのヒット曲みたいなCM曲を書いてくれっていうオファーをたくさんいただいた。ガンガン書いて、すごく喜んでもらえた。だけど、たまにステージやると人が来ないっていう(笑い)」
CM曲で売れっ子になったタケカワだが、コンサートには閑古鳥が鳴いていた。
ミッキー「そういうようなことがあって、電話で話して、やっぱり組んでバンドにしないと、この壁は破れないだろうということになった。そこでゴダイゴで一緒にやらないかという話をしました。そこで、やっとゴダイゴが出来て、亡くなった浅野君(ギター浅野孝已、20年没)や浅野君の弟(ドラムス浅野良治)も入ってきてやったんです。だけどやっぱり、どうしても思うものができない。最初は日本人でやりたいなと思ったんだけど、そんなこと言ってられないなと思って、誰か呼ぼうと。そこに、たまたまアメリカのトミーからスティーブに手紙が来たんですよ。本当にたまたま、すごいタイミングで。その手紙が来た日の夜に、違う外国人のドラマーと会う約束をしてたの、オーディションでね。その日に一応、会ったんですよ。でも、運命的なものがあるんで、じゃあ、トミーに明日電話してみようってことになるんだ。それで『明日、日本に来られるか』っていう感じだったね(笑い)」
トミー「朝の4時か5時に電話が来て、いろいろ話して『質問があったら15分後に折り返しの電話してください』って言われた。24時間くらいくれって、言ったよ(笑い)」
ミッキー「これから有名になるようなバンドだよ。多分これ、もうかるかもしれないよっていう話をしました(笑い)」
トミー「最初の話、結構オールラウンドなことやってるから、人のバックとかテレビの音楽とか映画とか、すごくチャレンジングなことをやっていた。それにすごい興味を持った」
ミッキー「すぐに、答えが欲しいって言ってね」
タケカワ「それで音が来たら(76年4月のデビュー曲)『僕のサラダガール』のとかだろ(笑い)。絶対、こいつら平気かってなったろうな」
ミッキー「でも、よく来たね(笑い)。時代が違いますからね、1977年(昭52)。外国人も少なかった。いつも迎えに行ったんだけど、スティーブもトミーも、高速道路から下を見るとマッチ箱がいっぱいあるように家が見えるイメージだったよね。日本では、まだバブルの前の時代だよね。そんなわけでトミーが来て、やっとグループが出来てきて、いいじゃんってなったんだけど、それがヒットにつながるとは限らない(笑い)」
トミーは77年3月にゴダイゴに加入したが、ヒットには恵まれなかった。
ミッキー「その頃は、いい音楽というかカッコイイ音楽をやりたいっていうのがあったんだけどね。ヒットを出そうとは思ってないんだよ、そんなことを言ってるんだけど、本気じゃないんですよ。売れればいいな、なんで売れないんだろうってね。それでトミーや、さらに人がいっぱいやって来るんだよ。まるで“人の家の看板を描いている”ようなイメージで、毎月いろんなアーティストのアルバム作ったり、それからテレビのニュースからドキュメントからとにかく仕事はたくさん来る。だけどいいかげん、嫌になってくる。だって、自分のやりたい音楽じゃないんだもの。こっちも必死で、寝ないで書いて行って、それを演奏して、それでやっと維持できる。そういう生活が続いたんですよ」

(2024年2月16日転載終)
。。。。。。。。。。。。。。
(https://www.takekawasan.com/single-post/%E6%B5%A6%E5%92%8C%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%81%A7%E8%AC%9B%E6%BC%94?fbclid=IwAR15xlVIHjwbhmvHwdEWWbOwx10IC_cQEhr6X7sF9MDiemHY_esLHmp9hDo)
「〜 タケカワユキヒデ 通信 〜」

浦和高校で講演

11月28日に、浦高のPTAに向けての講演会をして来ました。
今回は、親御さん達からいただいた僕への質問状に答える形で講演をしました。
質問は、なぜ浦高を出て音楽家になったのですか、とか、将来への不安はありませんでしたか、とか、両親は、反対しませんでしたか、だったり、どうしたら、ギターが上手くなりますか、とか、浦高では何の部活でしたか、とか、バラエティに富んだもので、答えながら、楽しい時間を過ごさせてもらえました。

講演会場に入れなかった父兄の方達のために、当日お話しした形式で、当日答えられなかった質問に対して話している映像を撮りました。
 できるだけ早くアップしますので、たのしみにしてください。浦高と、関係ない方々がみても、おもしろいものになっています。ぜひ、ご覧になってください。
(22:58)

淡々といいお話をされています。(Lily)
2:54 PM · Feb 16, 2024·
348 Views
。。。。。。。。。。。。。。。
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

中国語、ネパール語、英語、日本語で歌っているところが、素晴らしい。
今から考えると、先鋭的かつ素朴な愛らしさも醸し出していて、やはり
この時代の日本って凄かったな、と。
若い頃は可愛らしいイケメン。エキゾチックで雄大な曲作りに英語で歌う。
しかし、この少子化時代に、養女を含めて6人の子を育て、孫9人に曾孫1人なんて、常に先端モデルを走っていらっしゃる感じ。魅力たっぷり。
。。。。。
(https://www.shiruporuto.jp/…/025_yukihide_takekawa.html)
家族を愛する 人生を健やかに過ごす
音楽家 タケカワ ユキヒデ
99年にはベスト・ファーザー賞を受賞するなど家族を大事にする父親

《ジャンルもポップスだけではなくクラシックにも関心が向き、あらゆる音楽を統合した音楽を世に送り出すことができればと》
《お子さんは一男五女。その一人に施設から引き取った養女がいる。》

さすが、何か違うと思っていたら………!
。。。。。
素晴らしい!
T様、ありがとうございます。こういうことができた点、日本人は凄い、と思います。失われた30年を経験すると、特に。
何だか、孫悟空の顔をされていますね?
。。。。。
クール!
。。。。。
いいですねぇ。中学生の頃を思い出します。
今見ていても、クール。
T様:タケカワがお好きでしたか?ww
ユーリ:ファンというより、中学生の頃を思い出し、あの時代の勢いやエネルギーを感じます。ゴダイゴは、今みたいな時代だから、余計にクールだと思いますね。
。。。。。
今も皆さんお元気で、何よりです!
中学生の頃を思い出します。
タケカワユキヒデ氏のおかげで、英語を頑張ろう、と思った次第……。
。。。。。
なつかしい!
中1から中2にかけて、「ビューティフル・ネーム」が流行っていた。
国際児童年協賛歌だった。
タケカワユキヒデ氏は、鈴木バイオリンで有名な鈴木鎮一先生が母方大叔父だそうだ。

(2024年2月16日転載終)
………….
(https://twitter.com/ituna4011/status/1758501341717320141)
Lily2@ituna4011
聴いていると、世相(と現在の日本の息苦しさ)を表していて、なかなか面白い。 埼玉のエリート校である浦和高校なので、音楽の道を選ぶことに両親から反対されなかったのか、なぜ堅気の職を選ばなかったのか、音楽で世の中に役立てるのか等、結構、失礼な質問ばかり寄せられている。
11:39 PM · Feb 16, 2024
345 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758503140155113521)
Lily2@ituna4011
音楽家のご家系なので、そもそも反対される理由がなかった。 40年以上経った今でも皆が喜んでいる曲をたくさん作って世界中に広めたのに、「堅気」ではない、役立つ音楽でなければいけない、という狭い見識の人がいる。 こんな馬鹿げた質問にも、柔らかく腰低く答えるタケカワさん。頭の切れる方!
11:46 PM · Feb 16, 2024
165 Views

(https://https://twitter.com/ituna4011/status/1758638556208377994)
Lily2@ituna4011
私が中学の頃は、もっと皆が希望を持ち、健全だった。スケールの大きい、おもしろいこと、誰もやっていないこと、日本一になること、成功してお金持ちになること等、素直に夢を描いていた。
8:44 AM · Feb 17, 2024

(https://witter.com/ituna4011/status/1758512148937077238)
Lily2@ituna4011
歌合戦 https://youtu.be/xZltF-8-3Po?si=M46v9oMm6ahr55OH via @YouTube

こんなご家族だったんですね。
12:22 AM · Feb 17, 2024
109 Views

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758650500407550323)
Lily2@ituna4011
「結婚氷河期」見えぬ未来 婚姻数90年ぶり50万組割れへ – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUA155JW0V10C24A2000000/…
← タケカワ家に助言を求めては?
9:32 AM · Feb 17, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758815415613128895)
Lily2@ituna4011
貴重なデモテープ タケカワさんの自宅録音 https://youtu.be/tdPZCgVF2rM?si=Q831TnttyIaGHiOe… via @YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=tdPZCgVF2rM

《今更ながらゴダイゴ、タケカワさんの歌で英語の勉強するのはとても楽しいし学校時代よりも英単語が増強したのはタケカワさんのおかげだし》
同感です!私の世代は、中学1年から英語の授業が始まりました。
8:27 PM · Feb 17, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758815500778537018)
Lily2@ituna4011
私は、あまり英語が好きではなかったのですが、タケカワさんのきれいな英語を聞いて、 「英語、頑張ろう!」と思いました。何を謳っているか、意味を知りたいと思って、 一生懸命に辞書を引いていました! 兼高かおるの世界の旅も、毎週楽しみに見ていました。 いい曲ですねぇ。
8:27 PM · Feb 17, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758818141508182245)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ 「ビューティフル・ネーム」 (ネパール語) https://youtu.be/ytvnMgRH-mE?si=CZTSpIGmgJI6oofl… via @YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=ytvnMgRH-mE

《ネパールの人たちが”彼等が来てくれたお陰で日本に親近感を持ち、好きになりました”と言ってくれました。》
1980年といえば、28歳の頃でしたね? 凄いパワーとエネルギー。
8:38 PM · Feb 17, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758818174630572535)
Lily2@ituna4011
そして、帰国後はインタビューで「彼らに負けてる」とおっしゃっていたことにも感動しました!
8:38 PM · Feb 17, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758821552253284545)
Lily2@ituna4011
1980年には、ネパールの他、インド、スリランカ、タンザニア、ギリシャ、トルコのイスタンブール、タイのバンコク、シシリー島、ニューヨークとロンドンの計10ヶ国を旅して、さまざまなものを見て聞いて吸収されたようです。
8:51 PM · Feb 17, 2024

(2024年2月17日転載終)
………………
2024年2月18日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1758863691238568095)
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このトピックを私なりに一日考えてみた。なぜ、最近では結婚難が増えているのか、引きこもり君が増加したままなのか、神経難病や精神疾患が増えているのか、等とも連関しているように思われたからだ。
11:39 PM · Feb 17, 2024
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生活は便利になり、情報にも困らなくなったはずなのに、反面、ものすごく狭い考え方をしている人が声高に尤もらしく語っているからではないか?
11:40 PM · Feb 17, 2024

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例えば、私の世代なら、中学生の頃にゴダイゴが大流行して、皆でカッコいいお兄さん達だな、素敵な曲だな、と思っていても、そのまま自分も楽器でテレビに出られるなんて、誰も思わなかった。我彼の敷居が明確だったのだ。
11:42 PM · Feb 17, 2024

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それに、テレビに出て歌う人は、2,3分が勝負。その短い時間はほんの氷山の一角であって、実はロックでも子供の頃からクラシックの楽器を習っていたり、特別なレッスンを受けた人が運と努力で何とか、という世界だということぐらいは常識だった。
11:44 PM · Feb 17, 2024

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軽音楽だって、簡単そうに楽し気に演奏しているものの、実際には相当難しく、練習に練習だということぐらい、中学生でもわかり切っていた。
11:46 PM · Feb 17, 2024

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平成のいつ頃からか、家の普段着のまま外に出て来て「あるがままの自分」が通用するような世の中を主張する風潮ができたように思われる。親や大人も子供や若者に厳しく教えなくなったのだ。だから、境界線が曖昧になり、夢を追うことを賛美する無責任な側面が目立つようになった。
11:48 PM · Feb 17, 2024

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例えば、タケカワさんについて、ファンではなくとも「あの人はああいう風に振舞っているけれども、実はこういう家系の出でね、凄いんだよ」ということぐらいは、いつの間にか何となく耳に入っていた。だから、高校の「先輩」に対して、あのような質問が繰り返し出ること自体、驚きなのだ。
11:54 PM · Feb 17, 2024

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かくいう私も、相当に間違っているのだろうが、とにかく、びっくりさせられた。許容性が狭いというのか、つまらないというのか、現代の一種硬直化した風潮を炙り出しているように思われた。
12:19 AM · Feb 18, 2024
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。。。。。。。。。
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38年前の10/25・ゴダイゴ『西遊記(MAGIC MONKEY)』リリース 【大人のMusic Calendar】
(https://news.1242.com/article/105666 via @NEWSONLINE1242)
6:57 PM · Feb 18, 2024
。。。。。。。。。。。
(https://news.1242.com/article/105666)

38年前の10/25・ゴダイゴ『西遊記(MAGIC MONKEY)』リリース 【大人のMusic Calendar】
NEWS ONLINE 編集部 
公開:2016-10-25 更新:2020-01-12

干支など、いまではあまり意識することはないかもしれないが、それでもテレビなどは年末年始にその年の干支の動物が頻繁にフィーチャーされる。今年は申年。猿の映像に必ずといっていいほど、流れていたのがゴダイゴの「モンキー・マジック」である。同曲とともに国民的ヒット曲となった「ガンダーラ」を収録したのがゴダイゴの『西遊記(MAGIC MONKEY)』。同作がリリースされたのが38年前の今日、1978年10月25日である。

『西遊記』は日本テレビ開局25周年テレビドラマ『西遊記』(出演者:堺正章、夏目雅子、西田敏行、岸部シローほか)のサウンドトラック・アルバムであり、ゴダイゴのオリジナル・アルバムである。『ゴダイゴ(組曲:新創世紀)』(1976年7月25日)、『デッド・エンド(DEAD END)』(1977年11月1日)に続く、3枚目のオリジナル・アルバムだ。

彼らにとって、同作は出世作といっていいだろう。ゴダイゴが国民的なバンドになる契機となった。オリコンの週間アルバム・チャートの第1位を獲得し、同じくオリコンの1979年の年間アルバム・チャートの第1位も獲得している。当時、50.8万枚を売り上げ、最終的にはミリオンセラーになっている。それまで英語で歌う風変わりなグループ、音楽的な実力はあるものの、一部のマニア向けと思われていたが、こんなにも大衆に愛されるバンドになるとは誰も予想できなかった。

ゴダイゴ(ミッキー吉野グループ)が音楽を手掛けたNHK土曜ドラマ『男たちの旅路』(脚本:山田太一、出演者:鶴田浩二、水谷豊、桃井かおりほか)の第2部第2話「冬の樹」(1977年2月12日放送)で、彼らは“人気バンド”という役柄で出演し、ファンが殺到するというシーンがある。あくまでもそれは“フィクション”と思われていた。その後、“アイドル・バンド”として、世代、性別を超え、老若男女に愛され、彼らに熱狂的なファンが殺到し、取り囲み、追いかけまわされるバンドになったのだ。『西遊記』のヒットを契機に、テレビ、ラジオ、新聞、芸能誌、一般紙までが彼らに注目。週刊誌や経済誌などでは、その経済効果まで論じられた。まさに社会現象となったのだ。

彼らが『西遊記』の音楽を担当し、ブレイクに至るには、様々な活動を通し、テレビや映画、CMなどのクリエイター、多くのアーティストやディレクターの信頼を得ていたことも大きいだろう。

当時、ミッキーは、ゴダイゴはただのバンドではなく、プロジェクトであるということを盛んに語っていた。プロジェクトとして、自らの音楽をいろんなところへ流通させるというミッキーの戦略もあった。そのための知識や技術はバークリーで、学んでもいる。

『西遊記』の前後には日本テレビ番組『いろはの“い”』(1977年11月25日)や大林亘彦監督の映画『ハウス』(1977年6月25日)、映画『キタキツネ物語』(1978年7月10日)、NHKドラマ『男たちの旅路』(1978年7月25日)など、数多くのドラマや映画の“劇伴”を手掛け、それらはサウンドトラック・アルバムとして、リリースされた。

そして、サントラと同時並行で、CM音楽の制作、他のアーティストへの楽曲提供、レコーディング、ライブなどのバッキングを積極的にこなしている。その数は膨大な量になる。彼らが手掛けたCMソングを収録した『CMソング・グラフティ ゴダイゴ・スーパー・ヒッツ!』(1978年1月15日。ゴダイゴと同じく日本コロムビアに所属していた大滝詠一が前年77年3月25日にリリースした『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』のヒットも同作のリリースを後押しした)は、その集大成である。ミッキーは、サミー・デイビス・ジュニアを起用したサントリー・ホワイトのCMで、「78年度コマーシャル大賞アレンジ賞」を受賞している。

また、ちあきなおみ『あまぐも』(1978年1月25日)、桃井かおり『KAORI TWO』(1978年7月5日)、Char『THRILL』(1978年7月10日)、絵夢『夜から朝への流れの中で』(1978年8月21日)などのレコーディングにも参加している。特にCharの『THRILL』には、ミッキー、スティーヴ・フォックス、トミー・スナイダーが参加し、トミーは3曲、歌詞を提供している。

同作が契機となり、78年7月21日から8月28日まで全国24か所を回るツアー「Char Super Concert with. Godiego in summer」 を行っている。同ツアーでゴダイゴは初めて日本武道館のステージに立つ。本来であれば、Charのレコーディングに参加したのは前述通り、ミッキーとスティーヴ、トミーのみ、彼らだけがバッキングを務めればいいわけだが、タケカワユキヒデと浅野孝已も参加している。ゴダイゴがバッキングだけでなく、ゴダイゴのセットもあった(同ツアーでは「ガンダーラ」、「モンキー・マジック」なども既に披露されている)。そこにはゴダイゴをただのバッキング・バンドではなく、ちゃんとしたバンドとして売っていこうというゴダイゴのプロデューサー、ジョニー野村の意向(意志!)があった。

そのツアー明け、1978年10月25日、ゴダイゴは『西遊記』をリリース。前述通り、同作はサウンドトラック・アルバムであると同時に、ゴダイゴのオリジナル・アルバムでもある。実は、“西遊記”というテーマは、ゴダイゴの歌詞を手掛け、のちにキャスティング・ディレクターとして知られる奈良橋陽子と、日本テレビの番組以前に話し合われていたという。1979年には、奈良橋の演出で、ミュージカル『MAGIC MONKEY』が上演されている。

『西遊記』のエンディング・テーマに使用されたフォーク・ロック調(ミッキーはダンヒル・サウンドを意識したという)の「ガンダーラ」、オープニング・テーマに使用されたオリエンタル・ファンク(という言葉が使われ、海外でも話題になった)の「モンキー・マジック」は大ヒットを記録。オリコンのシングル・チャートのベスト10に2曲同時に入る。『ザ・ベストテン』(TBS系)、『NTV紅白歌のベストテン』(日本テレビ系)などの歌番組でも上位になっているのだ。

文字踊り、ゴダイゴは国民的バンドへと歩み出す。その経緯は改めて、記すまでもないだろう。勿論、書いていたらきりがない。

『西遊記』のリード・シングルとなった「ガンダーラ」(1978年10月1日)は日本語で歌っている(A面は日本語、B面は英語)。これまでの経緯を考えれば、葛藤もあったかもしれないが、既に『キタキツネ物語』で、日本語で歌っていることが“免疫”となったのだろう。

同時に彼らはテレビの歌番組などにも積極的に出演。ジョニー野村の戦略もあった。テレビ出演に抵抗はない。むしろ、エキゾティックな衣装や「モンキー・マジック」の蜘蛛の糸の演出など、楽しんでいたところもある。

これまでの活動の成果が『西遊記』の音楽制作という“大仕事(ビッグ・プロジェクト)”を引き寄せ、そのチャンスをしっかりと彼らはものにした。彼らは“売れ線”などというものに惑わされず、音楽性を変えることなく、そのままメジャーとなった。同作が売れなければ解散という背水の陣だったことは後年、語っているが、彼らは賭けに勝ったのである。当時、メンバーは一夜にして人気者になったことに戸惑いつつもヒットで得た創作の自由(潤沢な製作時間や予算、制作の主導権を掌握するなど)を思う存分に利用し、音楽を豊かにすることに傾注した。

ゴダイゴ・ブレイクの契機となった記念すべきドラマ『西遊記』。現在、「時代劇専門チャンネル」で、ハイビジョン放送されている。それに併せて、当時のスタッフの制作秘話やインタビューなど、全26話の面白さを徹底解剖する特別番組も制作されたが、同番組には、ゴダイゴも出演している。同番組のHP内に、ミッキーとタケカワのコメントがある。

「当時は事前に試写を見たりせず、台本でドラマに合わせた劇伴(ドラマに流れる伴奏音楽)を300曲ぐらい録音していたので、延々と作業している印象でした。まだ、英語詩の音楽が受け入れられない時代だったのですが、『西遊記』は自由に制作させてもらえる、面白くて最高の環境でした! “ゴダイゴそのものが生かされていた番組”といっても過言ではありません」
と、2人は振り返る。

今年は、1976年4月1日にシングル「僕のサラダガール」でデビューして、40年になる。ゴダイゴ・デビュー40周年を記念して、2月、4月には大阪と東京で、クワイヤー、ストリングス、ホーン総勢80余名と共演するプレミアム・コンサート「Godiego with billboard classics premium strings 2016」が開催された。11月にも同じく大阪と東京で、デビュー40周年の締めとして、「GODIEGO CONCERT 1976-2016 40th Anniversary Concert~カトマンズ震災チャリティーコンサート~」が開催される。クワイヤーも加わるという同コンサートは『西遊記』をフィーチャーしたものになるそうだ。申年の締めに「モンキー・マジック」を聞く。悪くない趣向だ。駆け付けていただきたい。

(2024年2月18日転載終)
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(http://www4.plala.or.jp/yscompany/g/walkoff/05magic2_column_revolution.htm)

Live History #05 1979
MAGIC II
【コラム】 ゴダイゴ革命

 ゴダイゴを語る上で音楽考察以外の特筆ポイントとして、そのマーケティング手法があったと思われる。 FC会報36号にCM制作会社の中島信也氏によるCM業界におけるゴダイゴの功績を記した一文がある。 CM音楽の制作手法に、業界内では「ゴダイゴ以降」という言葉があると紹介されている。 つまりゴダイゴによって、従来のCM音楽制作の手法に革命がもたらされたという主旨だ。

 CM音楽制作だけでなく、マーケティング手法においてもゴダイゴは革命をもたらしたと言える。 日本の音楽の歴史を塗り替えたのが、この時代に作られた『Magic Monkey』、つまり、タイアップによる音楽成功法をデベロップメントし、そしてサクセスした、記念すべきアルバムではないだろうか。

 これは、ゴダイゴの産みの親ジョニー野村の発案によるものだと推測される。 バンドとして売れるまでライブは控え、CMやTVなどあらゆる音楽メディアにて活動の幅を広げるというポリシーに徹していた当時、その戦略が見事大成功したのが『Magic Monkey』ではないかと思われる。 日本でTVドラマの主題歌という売り方でヒットチャート上位を占めた曲は「ガンダーラ」が初めてであったと言っていいだろう。 もちろん、そこに至るまでに、「ハウス」「青春の殺人者」「水滸伝」「キタキツネ物語」「いろはの“い”」と、多くの劇伴音楽を手がけ、同手法で売り込んでいるが、大成功したのは『Magic Monkey』であった。

 もちろん、マーケティングが当たったバックボーンには、ゴダイゴの音楽制作面における安定したテクニックと心地よいメロディがあったからこそ。 確かにタケカワのメロディは、当時の日本において“圧倒的に違う”(ミッキー吉野)ものであったかもしれない。 がしかし、これに匹敵するミュージシャンも多く存在していたことも否定はしない。

 「Monkey Magic」のデモテープがラジオで放送されているが(「アブラカダブラ」第5回放送)、そのメロディは、よくできたビートルズのバラード曲のようで、まだまだ「Monkey Magic」の強烈なイメージは存在していなかった。

それが、西遊記、中国を思わせるべく、ふんだんにアイディアを詰め込んだ演奏アレンジを加え、さらにその曲たちが、映像の世界とあまりにもマッチしていたことで、強力なイメージとして多くのリスナーの脳裏に叩きこまれることになった。 こうして「山の頂上で卵が割れて猿が生まれた」で始まる不思議な意味を持つ英詞、特異なメロディ、練られたアレンジによる従来の日本になかった「違和感」がリスナーに、とてもかっこよく聞こえたのである。

 タイアップによる相乗効果、ビジュアル的に補完され増幅されるイメージ。 このビジネスモデルは今日における音楽ビジネスのスタンダードとも言える。 その先鞭をつけたのが、他ならないゴダイゴであったことは、その歴史を語る上で落とせないポイントであろう。

参考文献: ■FC会報36号「CM音楽とゴダイゴの関係にみるゴダイゴ」(中島信也氏)
       ■「ゴダイゴBOX」(日本コロムビア)ライナーノーツ
        ■ラジオ「アブラカダブラ」(日本放送1979年11月07日)

(2024年2月18日転載終)
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ゴダイゴ

なぜ、この時期に突然、ゴダイゴか?

まずは、背景話を。

2月12日(振替祝日)の午後1時半から二時間程、西宮にある兵庫県立芸術文化センター大ホールで、兵庫県警察音楽隊の演奏を聴きに行った。実は、市内の貼り紙を見て応募したところ、無料チケットが送られて来たからだ。ちょうど、5年前の2月11日には伊丹市内のいたみホールで自衛隊の音楽会があり、その頃から、プロのクラシック演奏家とは異なる、国内外の治安を守るために実訓練された職部隊の音楽に魅せられていた。

兵庫県警と伊丹警察には、主人の病気(徘徊)で非常にお世話になり、大変にご迷惑をかけたと思っているので、せめて普段の活動に対する支援の意味も込めて、行くことにしたのだった。とても楽しく、きびきびしたノリで、会場も中央正面席はほぼ満員。バルコニー席も最初は6割強だったのが、最後には8割強ぐらいに増えていた。

神戸市立御影北小学校の合唱部の子供達も賛助出演し、とても澄んだきれいな声で歌っていた。指導されている女の先生も「子供達、とっても仲がいいんですよ」と、子供を立てる方だった。
そして、最後の方の合同ステージで、タケカワユキヒデ作曲の「Beutiful Name」が謳われたのだった。
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45年前の中1から中2にかけてゴダイゴが大ブレイク。公立中学に通っていた私にも、あの人気はクラスの話題で持ち切りだったことを思い出した。

1978年から79年という時代は、平成期の「失われた30年」を今も引きずっている停滞かつ平板化した日本社会とは異なり、高度経済成長期で日本の活力や方向性が明確だった。
「一億中流意識」もすぐそこ、という時期で、誰もが希望を持っていた。家族意識やモラルもはっきりしていて、大学進学率は3割以下。

テレビ視聴も、今とは異なって、皆が信頼して家族で集まって見ていたし、学校へ行けば、前夜に見たテレビやラジオ深夜放送の話題で友達と喋り合うのが楽しみだった。

無邪気だったなぁ、あの頃は。

そんな時、ゴダイゴの「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」等が次々と流れて来て、思春期に入った子供心にも感受性をくすぐる、カッコいい曲だ、と思ったのだ。
。。。。。。。。。。。
本当に久しぶりのゴダイゴ。思わず火がついて、つい、帰宅後からここ数日間、一人ゴダイゴ・フィーバーとなってしまった。今は便利な時代で、検索すれば懐かしい古い映像も出てくるし、当時はわからなかった裏話や小話等も、インターネットで見つかる。それ以上に、ゴダイゴのメンバー自身がホームページ等で発信されているのだ。

そこで、思い出の温め直しとして、フェイスブックやツィッター(X)でゴダイゴの古い映像やYou Tubeを次々に発信したところ、普段は地味な私のツィッターにしては珍しく、物凄くアクセスが上がり、「いいね」マークまでどんどんついた。

浅野さんというギター担当だった方がコロナ禍初期の2020年5月に亡くなったそうだが、タケカワユキヒデ氏を初め、他のメンバーは皆さんお元気で、今もそれぞれの活動をされていることがわかった。さすがに、お若い頃の愛らしいイケメン青年達は、今やふくよかな好々爺風になられたものの、いいグループで、時々「期間限定」や再開コンサートを開いたりされているようだ。

それに、驚いたのは、45年も前に公表されたにもかかわらず、今でも新鮮でカッコいいサウンドなのだ。その現象に私自身が共鳴している事実にも、さらに驚いた。

だからこそ、ツィッター(X)の反応が予想外に凄かったのだ。

先にブログで「ドイツ語とスペイン語」を設定したのも、実はこの時代の勢いを反映していると思ったからでもある。
私の青春時代だ。

ドイツ語でも、コメント欄を見ていると、「サッチャーやレーガン時代はよかった」等と出てくる。つまり、文化や言語が異なっても、感じるものに共通項があるのだ。

最近がつまらないのは、イデオロギー的にはリベラル左派の画一化、統一化政策が蔓延しているからである。従って、経済政策も人口政策も不安を抱いている人々が増えた、ということだ。

(2024年2月16日記)

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ドイツ語とスペイン語

結局のところ、1980年代という時代の活力やエネルギーが機縁となっている。いい時代に20歳前後を過ごせて、ラッキーだった。(Lily)

1.ドイツ語

(1) „99 LUFTBALLONS” NENA [1983]

ドイツ語は、これで覚えました!大学1年の頃です。
名古屋へコンサートに来てくれた時、独逸語のファンレターを渡しそびれました!

(https://www.youtube.com/watch?v=Fpu5a0Bl8eY)

NENA | 99 Luftballons [1983] [Offizielles HD Musikvideo]

LYRICS “99 LUFTBALLONS”

Hast du etwas Zeit für mich
Dann singe ich ein Lied für dich
Von 99 Luftballons
Auf ihrem Weg zum Horizont
Denkst du vielleicht g’rad an mich
Dann singe ich ein Lied für dich
Von 99 Luftballons
Und dass sowas von sowas kommt
99 Luftballons
Auf ihrem Weg zum Horizont
Hielt man für Ufos aus dem All
Darum schickte ein General
‘ne Fliegerstaffel hinterher
Alarm zu geben, wenn’s so wär
Dabei war’n dort am Horizont
Nur 99 Luftballons
99 Düsenflieger
Jeder war ein großer Krieger
Hielten sich für Captain Kirk
Das gab ein großes Feuerwerk
Die Nachbarn haben nichts gerafft
Und fühlten sich gleich angemacht
Dabei schoss man am Horizont
Auf 99 Luftballons
99 Kriegsminister
Streichholz und Benzinkanister
Hielten sich für schlaue Leute
Witterten schon fette Beute
Riefen: Krieg und wollten Macht
Mann, wer hätte das gedacht
Dass es einmal soweit kommt
Wegen 99 Luftballons
99 Jahre Krieg
Ließen keinen Platz für Sieger
Kriegsminister gibt’s nicht mehr
Und auch keine Düsenflieger
Heute zieh ich meine Runden
Seh’ die Welt in Trümmern liegen
Hab’ ‘nen Luftballon gefunden
Denk’ an dich und lass’ ihn fliegen

#nena #99luftballons #99redballoons

11:22 PM · Feb 13, 2024

(2) „Irgendwie Irgendwo Irgendwann” NENA

この歌でもドイツ語を覚えました!
歌詞は英訳がついていますが、独逸語の方がカッコいいですよ!
LPレコードを持っていますが、今ではプレーヤーがなくて…..。

(https://www.youtube.com/watch?v=oMHLkcc9I9c)

NENA | Irgendwie Irgendwo Irgendwann [Official Music Video]
11:43 PM · Feb 13, 2024

2.スペイン語

(1)(https://twitter.com/ituna4011/status/1757422867015438381)
Lily2@ituna4011

Julio Iglesias “De Nina A Mujer” (Live in Jerusalem)
(https://www.youtube.com/watch?v=XTqohw1PcLs)

スペイン語は、フリオ・イグレシアスさんから学びました! エルサレムでのコンサートのようです。
12:13 AM · Feb 14, 2024

(2)(https://twitter.com/ituna4011/status/1757429013575086490)
Lily2@ituna4011
この歌でスペイン語が好きになりました。
大学3年の頃です。

José Luis Perales “Que Canten Los Niños”
(https://www.youtube.com/watch?v=3NDUvuDvRuM)

12:38 AM · Feb 14, 2024

(3)もう一つ、別のバージョンで。

(https://www.youtube.com/watch?v=eJ43cRN2xeI)

QUE CANTEN LOS NIÑOS — JOSE LUIS PERALES

(2024年2月16日転載終)
。。。。。。。。。。
José Luis Perales – Que canten los niños

歌詞
Que canten los niños, que alcen la voz
Que hagan al mundo escuchar
Que unan sus voces y lleguen al sol
En ellos está la verdad

Que canten los niños que viven en paz
Y aquellos que sufren dolor
Que canten por esos que no cantarán
Porque han apagado su voz
Yo canto para que me dejen vivir
Yo canto para que sonría mamá
Yo canto porque sea el cielo azul
Y yo para que no me ensucien el mar

Yo canto para los que no tienen pan
Yo canto para que respetes la flor
Yo canto porque el mundo sea feliz
Yo canto para no escuchar el cañón

Que canten los niños, que alcen la voz
Que hagan al mundo escuchar
Que unan sus voces y lleguen al sol
En ellos está la verdad

Que canten los niños que viven en paz
Y aquellos que sufren dolor
Que canten por esos que no cantarán
Porque han apagado su voz

Yo canto porque sea verde el jardín
Y yo para que no me apaguen el sol
Yo canto por el que no sabe escribir
Y yo por el que escribe versos de amor

Yo canto para que se escuche mi voz
Y yo para ver si les hago pensar
Yo canto porque quiero un mundo feliz
Y yo por si alguien me quiere escuchar

Que canten los niños, que alcen la voz
Que hagan al mundo escuchar
Que unan sus voces y lleguen al sol
En ellos está la verdad

Que canten los niños que viven en paz
Y aquellos que sufren dolor
Que canten por esos que no cantarán
Porque han apagado su voz

Que canten los niños, que alcen la voz
Que hagan al mundo escuchar
Que unan sus voces y lleguen al sol
En ellos está la verdad

Que canten los niños que viven en paz
Y aquellos que sufren dolor
Que canten por esos que no cantarán
Porque han apagado su voz

ソングライター: Jose Luis Perales Morillas

*非営利目的の使用に限る。
データ提供元:Musixmatch

(2024年2月16日転載終)
。。。。。。。。
bing.comからの情報を以下に。

(1)
自分:ホセ・ルイス・ペラレスについて教えてください。

Copilot:ホセ・ルイス・ペラレスは、スペインを代表する偉大なシンガーソングライターです。彼は、ジャネットが歌って大ヒットした映画『カラスの飼育』の主題歌の作詞作曲者として注目されました。そして、自らのアルバムを発表して歌手としても認められ、スペインにおけるシンガーソングライターの第一人者の地位を占めています。
彼の優れた作詞作曲能力から、彼の作品は多くのアーティストによって取り上げられています。また、彼自身のヴォーカルは彼の人柄を偲ばせるようなやさしく暖かいものと言えます1。彼の作品は、ディスクユニオン・オンラインショップなどで購入することができます。彼の最新作は2019年にリリースされました3。彼の音楽は、スペインの音楽シーンにおいて非常に重要な存在となっています。

詳細情報
1 plaza.rakuten.co.jp
2 plaza.rakuten.co.jp
3 diskunion.net

(2)”Que Canten Los Niños”は、スペインのシンガーソングライター、ホセ・ルイス・ペラレスによる曲です。この曲は子供たちの声が聞かれ、より良い世界で生きることを強く願っています。歌詞は子供たちの無邪気さと純粋さを強調し、希望と真実の象徴としています。

歌詞の一部は次の通りです:

Que canten los niños, que alcen la voz
Que hagan al mundo escuchar;
Que unan sus voces y lleguen al sol;
En ellos está la verdad
Que canten los niños que viven en paz
Y aquellos que sufren dolor;
Que canten por esos que no cantarán

この曲は、ホセ・ルイス・ペラレスのアルバム「Con el paso del tiempo」に収録されています3。また、彼の曲の中でも特に人気があり、多くの人々に愛されています。YouTubeでは、この曲のビデオを見ることができます。この曲は、子供たちの声が世界に響き渡ることを願って作られた、感動的な曲です。

詳細情報
1 songtell.com
2 genius.com
3 youtube.com
4 cibercuba.com
5 youtube.com
6 musica.com
7 musica.com
8 bing.com
9 instagram.com
10 bing.com+5 その他

(2024年2月16日転載終)
。。。。。。。。。。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070809)
《ドイツ語とスペイン語は公的な資格試験に合格していますので、「中級レベルは通過した」と多少は自信を持って言えるのですが(それでも、使うたびにいっぱい間違えて恥ずかしい思いを繰り返しています)》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101209)
《NENAの”99 Luftballons”のポップ・ロックなど、現代ドイツをあるがままに紹介するというスタンスだったように思います。(当時の私がジャーマン・ロックを覚えたツールの一つがNENAで、初めて軽音雑誌なるものを手にし、来日公演中、名古屋でのコンサートにも友人を誘って出かけたぐらいです!LPレコードも数枚、アルバイトの貯金をはたいて買いました。)》
《50代になってからも、ドイツ語やフランス語で検定試験の上級に合格したり、長い海外勤務を経た後に修士号を取得したり、など、長寿高齢化社会に対応するかのように、ずっと学びを続けている元気な人々が案外多いことに、今、気づいた》

(2024年2月16日転載終)
………………
2024年3月16日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1768999699896492321)
Lily2@ituna4011
NENA | Irgendwie Irgendwo Irgendwann [Official Music Video] https://youtu.be/oMHLkcc9I9c?si=PgOkwgbi7iD0eNHi… via @YouTube
ネーナのドイツ語版原曲。英語版よりも断然カッコいいです。ドイツ語の特徴が良く出ているジャーマン・ロック。1980年代には流行していました。勿論、日本でも。冷戦期にはグッとくる歌でした。
10:56 PM · Mar 16, 2024

(2024年3月16日転載終)

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昨今の郵便局って?

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757315815454789652)
Lily2@ituna4011
近所の郵便局に新しい若い女性が一人入って来た。 彼女の問題点
1. ボソボソとマスク内で話すので、声が聞き取りにくく、毎回、聞き直さなければならない時間の無駄。
2. 勝手に思い込んで、こちらが出そうとした現金封書の角を切ろうとしたり、折り曲げようとした。 私ははっきり注意している。
5:08 PM · Feb 13, 2024
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1757316178056478804)
Lily2@ituna4011
接客業のイロハができていない。 私らしく生きる。 ではダメなのだ。 平成期の罪悪は今ここに。
5:10 PM · Feb 13, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757316519409893742)
Lily2@ituna4011
今日は、顔見知りの男性職員が謝りがてら、挨拶してくださった。 しっかり社員教育を!
5:11 PM · Feb 13, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1757316913569669558)
Lily2@ituna4011
私、耳が遠いんじゃないのよ! 勝手に認知症予備軍あるいは後期高齢者手前軍扱いするな!
5:12 PM · Feb 13, 2024

(2024年2月16日転載終)

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