(https://twitter.com/ituna4011/status/1759005733344215086)
Lily2@ituna4011
ブログにも書いたが、2月12日に兵庫県警察音楽隊の演奏会を聴きに行き、西宮の芸文大ホール一杯の人々の前で、ビューティフルネームを歌った小学校合唱部の子供達が、ここ数日のゴダイゴ連発のきっかけ。
9:03 AM · Feb 18, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759007353108828404)
Lily2@ituna4011
そして、瞬間的に思い起こされたのが、1979年発行のエズラヴォーゲルのジャパンアズナンバーワン。 最近、偶然にも読み返したところだった。 ゴダイゴの西遊記の曲が流行ったのは、この時期だった。 だからこそ、今も皆が懐かしく感じるのだろう。
9:10 AM · Feb 18, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759009759691407413)
Lily2@ituna4011
日本人には内的自信がある、 と、当時のアメリカ知識人は発見した。ダニエルパイプス氏も、そのように論考に書き、私にも実際、
日本は世界で最もおもしろい、
と述べた。 中学時代に大流行したゴダイゴを思い出し、今も人気が衰えていないどころか、実は先端を走っていたことを改めて発見。
9:19 AM · Feb 18, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759072889842909459)
Lily2@ituna4011
タケカワ家は、御祖父様も御父様も神道だそうです。
1:30 PM · Feb 18, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759193611613397310)
Lily2@ituna4011
MAGIC CAPSULEができるまで https://youtu.be/-gg0oPGkOmk?si=yygKvpYC7leSc0rQ… via @YouTube
こんな時代もありました。 ミッキー吉野さんの座禅がいい。
9:30 PM · Feb 18, 2024
114 Views
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759193902052208808)
Lily2@ituna4011
タケカワさんが、とっても素直でかわいい。 (ごめんなさい!)
9:31 PM · Feb 18, 2024
180 Views
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759224268813131950)
Lily2@ituna4011
タケカワさんは、お父様がTBSで初代音楽部長、お兄様が局長を務めていらしたという。
これも時代ですね。既に妻帯者が3人もいたゴダイゴ。若いけれど、当時はそういう感じでした。
(2024年2月18日転載終)
……………
2024年2月19日追記:
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759501284804383083)
Lily2@ituna4011
届きました! ビューティフルネームの本 2012年秋に発行されています。 ガンダーラやモンキーマジックの曲が大流行だった頃のご家庭の背景がよくわかります。 ゴダイゴが既婚者多数派の大人のプログループで、打ち上げをしたことがない理由も明快。
5:52 PM · Feb 19, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759502957517930524)
Lily2@ituna4011
素晴らしいご夫婦。とても素敵な奥様でいらっしゃいます。 ゴダイゴの曲が何故、今も多くの人々に受け入れられ、愛されているのか、その秘密は実生活にありました。 反体制派の反抗的な音楽では、長続きしません。
5:59 PM · Feb 19, 2024
。。。。。。。。。
サライ(https://serai.jp/hobby/1092295?fbclid=IwAR0mGwchDWY6Ar076MwycxWOoGeoc-50oOKNh_r_enlvZ188ehO05otUXOY)
『サライ』本誌2022年10月号
【インタビュー】タケカワユキヒデ(歌手、作詞・作曲家 69歳)「人生を時間軸で測ったことがない。過去に作った歌を歌えばその時間に戻れる」
2022年11月20日
─過去に作った約3000曲の中から埋もれたものを再発掘中─
「人生を時間軸で測ったことがない。過去に作った歌を歌えばその時間に戻れる」
・東京・神宮外苑前のイチョウ並木にて。今年10月に70歳を迎えるタケカワさんだが、1日2回のライブをこなすほど元気だ。「いつも今がいちばん楽しいんですよね」
──今年70歳になります。
「年齢を気にしたことはないですね。時間軸で人生を考えたことがないんです。だって今生きていることには、70年の歴史なんて全然関係ありませんから。いつも今、この瞬間を楽しんでいます」
──過去は振り返らない。
「振り返るというより、その瞬間にパッと戻る感じなんです。30歳の時に作った歌を歌えば、その時間に戻ることができる。過去をたどるのではなく、その瞬間に戻る感じかな」
──なぜ音楽の道に。
「父がTBSラジオの立ち上げ当時の編成局音楽部長で、その傍(かたわら)、音大で教えていました。母方の祖父がヴァイオリンを作っていて、それを贈ってくれたりしていたんです。7つ上の兄も3つ上の兄も何かしらの音楽をやっていました。音楽に溢れていた家でしたね。僕も自然に5歳の頃からヴァイオリンを習い始めました。一緒にソルフェージュ(読譜や聴音の基礎訓練)を教わっていたのですが、譜面を書けたのは大きかったと思いますね。だって初めて自分の曲を譜面に起こしたのが10歳の時でしたから」
──どんな曲だったんですか。
「漫画雑誌にね、自分の学校の校歌を紹介するコーナーがあったんです。誰かが投稿した校歌の歌詞をみて、それに曲をつけました。なんでそんなことしたんでしょうねぇ」
──初の作曲が他校の校歌。
「やってみたくなっちゃったんでしょうね。音楽的には、小学校に上がった頃から、アメリカンポップスが好きになりました。ニール・セダカに、ポール・アンカ。耳から入ってきた英語を、そのまま訳もわからず歌っていました。小学5年生の頃、すぐ上の兄貴の影響で、ビートルズにどっぷりはまりました。クラスの女の子に頼まれて、クラスの歌を作曲したのもこの頃ですね」
──ヴァイオリンはどこに。
「小学3年生の時に、ヴァイオリンの先生が引っ越してしまい、教室を移ったんですけどレベルが全然違った。それでも続けていたんですけど、中学校で野球部に入ったのをいいことに、両立できないからとヴァイオリンをやめました。でも音楽は熱中の度合いが高まっていました。ギターをやり始め、コードも自分で作ってましたからね」
──その頃からミュージシャンを志望した。
「そうじゃないんです。実はプロ野球選手になりたかった。だってわかりやすいでしょ? どうしたらプロになれるか道がハッキリしていますから。でもミュージシャンはどうなっていいかわからない。ただ、サラリーマンは無理だと思っていました。通知表にはいつも “協調性がない” と書かれていましたから」
──どういうことでしょう。
「例えば授業中に、先生が数学の問題を書き始めるでしょ? 書き終わる前に答えを口に出してしまう。あれは中学1年生の時かな。体育館で、怖い女性体育教師が “休め!” と号令をかけたんですけど、僕ね、寝転んじゃったんです。どちらも反抗してやったわけではなく、パッと思った通りに動いてしまっただけなんですが。でも、これじゃ会社で働けないよな、と思っていました。だからといってミュージシャンを目指したわけではありません。ただ、楽しかったんですよね、音楽が。当時はエレキギターが不良の象徴で、禁止されていたんですけど、それを破って、中学校の卒業式でビートルズをやったんです。拍手喝采でした。この時の高揚感が忘れられなくて、アメリカで一旗揚げようぜ、ということになりまして。高校2年生の時です」
・10歳頃のタケカワユキヒデさん。音楽一家に育ち、5歳からヴァイオリンとソルフェージュ(読譜や聴音の基礎訓練)を習っていた。初めての作曲は10歳の時だった。
「レコードを出したら一生安泰…と思ったら全然違った」
──大胆な提案です。
「ベトナム戦争の頃で、アメリカに行くのは船便でした。内心、行っても成算はないなと思っていたんですけど、中心メンバーなので言い出せない。そうしたら船のチケットを買う段階で、窓口のお姉さんに売れないと言われてしまった。そりゃそうですよね、バンド全員、高校生なんだから。願ってもない状況で、“じゃあ取りやめだね” と言えばいいのに、僕、弁が立つから弁護士になれと言われていたくらいで、口は達者なんです。窓口のお姉さんを説得してしまった。行きたくないのに」
──ではアメリカに?
「みんな高校生ですからね。結局、アメリカ行きは流れるんですが、将来に困っている息子を見かねたんでしょうね。父が “藝大に行け!” と言う。もちろん簡単に行けるはずもなく、1年目は不合格。別の大学で仮面浪人をしている間に、もう、これ以上クラシックを勉強するのは時間の無駄だと思いまして。その頃には、もう、英語詞のオリジナルでこれはいけると思っていた曲が100曲ぐらいあったし、素人が参加できるラジオ番組やテレビ番組に時々出たり、自分でコンサートをやって、喜ばれたりしていました」
──英語にこだわった。
「英語で歌うことと、曲を作ることには自信があったんです。でも、英語で歌詞を書くことには、今ひとつ自信がない。それで、大学を受験し直すのだったら、英語をちゃんと学び直せるところがいい、と思って、それで東京外国語大学に進みました」
──いよいよ音楽に本腰ですね。
「大学にいる間に音楽で結果が出なかったら、やめようと思っていました。でもね、そう決意しながら、大学に行った初日に教務課を訪ねて、質問しているんです。“大学って何年いられるんですか?” って。音楽に未練たらたらでしょ? 4年間で結果が出ない時のことを考えてる。教務課によれば、休学と復学を繰り返したら、11年いられるという。まさか本当に、11年在籍するとは思っていませんでしたが」
──在学中の昭和50年のデビューです。
「22歳の冬でした。レコードを出したら一生安泰だと思ったんですけどね、全然違いました(笑)。このあと、ゴダイゴの結成、結婚……と怒濤のような日々が過ぎていきます。CMの曲も多く手掛けましたし、映画音楽もやった。でもレコードが売れなかったんです。このままじゃ解散だよね、と言っていたところに舞い込んできたのが、テレビドラマ『西遊記』(日本テレビ系)の主題歌でした」
──『ガンダーラ』ですね。
「初めて、日本語で歌ったシングル曲でした。これがヒットして、ようやくゴダイゴが世間に認知されました。歌番組にも何回も出演しましたが、どうにも日本語の歌詞を覚えられない。よく間違えていました。デビューした時に、一度くらい “キャーッ” と言われたいねとメンバーと話してたんですが、この時それが実現しました。でも僕を含めて子持ちがふたりでほとんどが妻帯者というバンドでしたが」
──昭和60年に一度、解散します。
「そのあとは作曲家をしていたのですが、毎年ね、300曲作っていたんです。ほぼ1日1曲ペースです。光GENJIや松田聖子さんなど、いろんな方に提供しました。いい曲ばかりなんですけどねぇ。でもヒットしなければ捨てられる運命です。3〜4年やっていて、だんだん虚しくなっていた。そんな時に子どもに言われたんです。“ただ家で歌って遊んでるだけじゃん” って。それでね、こりゃ何かをしているところを見せなければと思って、突然 “オレはタレントになる!” と宣言しました」
──司会やコメンテーターをされています。
「いろんなバラエティ番組に出始めると、ライブ出演のお誘いとかも増えてきまして、また自分のコンサートを開くようになりました。ゴダイゴも再始動して(平成11年に再結成、平成18年に恒久的再始動)、今も一緒に活動しています」
「作曲家として考えると、今がいちばん楽しいですね」
──現在の活動を教えてください。
「ゴダイゴの活動をしつつも、ソロでのライブを頻繁に行なっています。今積極的にやっているのが、自分の作った歌の再発掘なんです。作りっぱなしでデモテープに吹き込んだだけの歌が大量にあります。提供を含めると全部で3000曲作ってますから。それを聴き直して──どれもなかなかいい歌なんですけど、それを歌詞と譜面に起こしています。おかしいでしょ? 自分で歌っている英語なのに、何を言っているのかわからないところがあって、英語のできる娘に聴いてもらって、歌詞を蘇らせているんです。そういう曲たちを『僕ソン(僕のソングブック)』というライブシリーズで、披露しています」
──ライブで初めて人前で歌う曲もある。
「そうなんです。しかも普通、ライブのツアーというのは、同じ曲のセットで回るんですが、僕の場合は、毎回違う。しかも1日2回ライブをすることがあって──これだけで相当おかしいことですが、同日のライブであっても中身が違います。だからやるたびにレパートリーが増えていきますし、ライブも毎回新鮮です。ライブ中は、歌詞やコードを入れ込んだiPad(アイパッド)を目の前に置いて、カンペ(カンニング・ペーパー)にしているんです」
・ライブハウス・南青山MANDALA(マンダラ・東京)での「タケカワユキヒデの弾き語りライブ」の模様。「撮影タイム」が用意されるなど、ファンと一体になった時間だった。
・多彩な趣味を持つタケカワさんは、パソコンや音響機器もその楽しみのひとつ。この日は自分のパソコンや機器を持ち込み、タケカワさん自らがセッティングしていた。
──コロナ禍は大変だったのでは?
「ゴダイゴのヒット曲に『ビューティフル・ネーム』があるんですが、あれを会場のお客さんと一緒に全力で熱唱するというのが、好評だったんです。鉄板の構成だったのですが、コロナでそれが奪われてしまいました。コンサート自体も中止が続きました。それで、配信コンサートを始めたのですが、これがね、面白いんです。自分でパソコンや通信の環境を整えたり、ソフトを導入したり、機材を買ってきたり。こういうこと、好きなんでしょうね。ライブでも自分の機材を持ち込んで、音響のセッティングなどをしています。ゴダイゴのメンバーとも、別々の場所から同時セッションをしました。こういうことが、技術的に可能になっているのが今の時代です。最近のライブでは、実際にお客さんを入れながら、同時に配信をしています」
──むしろ楽しんでいますね。
「これまで実現できなかったことが、できてしまうんです。面白くてしかたがない。音楽もそうなんです。今までは、時代ごとに音楽の流行があって、どうしてもそれに縛られていました。曲を出して受け入れられなかったらしょうがないですし、出す段階でプロデューサーにはねられてしまう」
──ところが今は違う。
「例えば過去の曲であっても、今の音楽としてネット上で視聴できます。だって聴いている人はいちいち、何年に制作したかなんて気にしていませんから。音楽として等価なんです。ようは、目の前のテーブルの上にありとあらゆる音楽や音の素材が乗っていて、今日はこれで楽しもうかな、と自由な選択ができるようになったということです。楽器の音も、自分の思ったとおりに機械で出せますからね。音に妥協しなくてよくなった。作曲家として考えると、今がいちばん楽しいですね」
──引退を考えたことはありますか。
「過去を、過去の出来事として懐かしんだこともありませんし、未来のことを計画したこともありません。僕にとって大事なのは、いつも目の前にある今です。今をどう楽しむか、ということが常にテーマです。だから新しい曲も作り続けますし、歌い続けていたい。肉体的な問題で、歌えなくなる日は来るかもしれませんが、それはその時に考えます。もし元気なら? 80歳になっても90歳になっても、歌い続けているでしょうね。だってそれが楽しいことなんですから」
・スタッフのひとりとしてこの日のライブをサポートしていた三女の武川基さんと。タケカワさんは1男5女の父親で、ベスト・ファーザー賞を受賞したことも。
・大の漫画好きで知られるが、今でも、週刊少年ジャンプ、週刊少年サンデー、週刊少年マガジン、週刊少年チャンピオンの主要4誌を買い続けている。
タケカワユキヒデ
昭和27年10月22日、埼玉県生まれ。東京外国語大学英米語学科を11年かけて卒業。在学中の昭和50年にソロデビュー、翌51年にゴダイゴを結成。『ガンダーラ』『銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)』などヒット曲多数。アルバムに『僕のソングブック 弾き語りスペシャルライブCD』など。今年、さいたま市教育委員会の委員に就任。https://www.takekawayukihide.com/
※この記事は『サライ』本誌2022年10月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/角山祥道 撮影/宮地 工)
(2024年2月19日転載終)
。。。。。。。。。。
Bass Magazine(https://bassmagazine.jp/news/20201120-steve/?fbclid=IwAR26D0LtIoXQVsGJoosQpPpGwLolX0fyj7UYphli_2c7mBpHdP76qkbjIYk)
2020年11月25日 UP
ゴダイゴのスティーヴ・フォックスが、ミキシング/マスタリングでアマチュア・ミュージシャンを支援
1970年代後半から1980年代前半にかけて「ガンダーラ」や「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」といったヒット曲で日本の音楽界に大きな影響を与えたロック・バンド、ゴダイゴ。そのベーシストであり、音響エンジニアリングも担当していたスティーヴ・フォックスが、アマチュア・ミュージシャンへの支援として、自身の音響技術と経験を提供するという試みを開始した。
スティーヴは伝道師になるために1980年にゴダイゴを脱退するも、1999年の再結成からバンドに復帰。現在は牧師の仕事を務めながら、神戸にある自宅スタジオで地元を中心としたミュージシャンたちの音源のミキシングやマスタリングも手がけている。今回の支援は、そういった活動をより幅広いアマチュア・ミュージシャンたちに利用しやすい形で提供するというもので、意欲のあるミュージシャンを応援し、音楽業界全体を盛り上げたいという。
このたびの活動について、スティーヴにオンライン・インタビューを行なった。
・必要に迫られたエンジニアリングの技術
━━今回、このような活動を始めた理由は?
今の時代は、YouTubeやストリーミング・サービスを始め、アマチュアのミュージシャンでもどんどん作品を発表して、それが評価されるというチャンスがありますよね。ただ、今は新型コロナ・ウイルスでミュージシャンはみんな苦しんでいて、作品を作って何かをしようとしても、お金があまりなくてできないということもあるんじゃないかなと。そういう人たちの力になれたらと思いました。僕は神戸に住んでいるけれども、わざわざここに来なくても、インターネットを通してお互いにやり取りができますし、コストもかなり安くできますからね。ミックスやマスタリングはある程度の経験がないとうまくいかないもので、細かい帯域の調整がわかるまで何年もやらないと、“聴こえてこない”んだよね。いいスピーカーを使えないから聴こえないということもあるかもしれない。世界中のプロに対抗するには、やっぱりわかっている人にやってもらわないと、あの世界に入りにくいんじゃないかなと思うんですよ。
━━スティーヴさんはゴダイゴでデビューした1970年代当時から、バンドのエンジニアリングもしていたとか?
そう。僕とミッキー(吉野)はアメリカで音を聴いてきて、その音がずっと頭のなかにイメージとしてあったんです。でも僕らがバンドを作ってレコーディングを始めた頃、どんなエンジニアに頼んでも、その音にはならなかった。歌謡曲や演歌のほうにはうまいエンジニアもいたけれど、ロック・バンドを録音するエンジニアは片手で数えるくらいしかいなかったしね。僕も若い頃は気が荒っぽかったから(笑)、何人もエンジニアをクビにしましたよ。
━━それで自身でやってみようと?
どうにかしなきゃいけないなと思ってね。最初は卓のところでエンジニアの隣に座って、彼が何をしているのかをずっと見ていたんです。そうすると、あのつまみを動かすと音がこう変わって、あのフェーダーはヴォリュームなんだなとかいうのがわかってくる。“このつまみを触ってもいいですか?”と言いながら手を出して、そのうちに“ちょっと席を代わってもらってもいいですか?”って(笑)。
━━エンジニアさんもびっくりしたでしょう(笑)。
僕らの音楽が良かったからか、エンジニアの人も僕らを尊敬してくれていたし、僕の耳がすごくいいということも言ってくれていたんです。だから必ず、“スティーヴさん、どう思う?”って聞いてくれて、僕が“ここをこうしてみたらどうかな”って答えると、“なるほど!”って感心してくれたり。そういうことを積み重ねるうちに、エンジニアも僕に任せるようになっていったんですよ。
━━当時、そんなことをするミュージシャンはいなかったのでは?
そうですね、草分けみたいなものですよ。僕自身、そういう音響系が好きだったというのもあるね。僕が音響系が好きだってことに気づいたプロデューサーのジョニー野村さんが、ゴダイゴの最初の音源のマルチテープを僕に渡して、“スタジオを借りているから、ちょっと練習してきなさい”と言ってくれたのもいいステップになりました。2日間マルチを回して、いろんな音を作りましたね。
━━実戦でいろんな技術を身につけたんですね。
そのうち、ライヴ・サウンドまで任されることになりました。会場に入ってPAがセットされたところで呼ばれて、各ホールの音を1時間くらいかけてチューニングすることから始めてね。そこからバンドの音合わせで各楽器の調整をして、ベースの番になると卓のところにベースを持ってきて、そのまま卓にシールドを差し込んで(笑)。エンジニアと相談しながら、1、2曲は卓のところでバンドと合わせて弾いて、これでOKだとなったら僕もステージに上がって歌も入れながら音合わせ。だから本番前になると本当にすごく疲れているんですよ(笑)。
━━そんな苦労があったとは(笑)。
疲れたときにはニンニクのエキスをカプセルに入れて飲むんだけど、一気に10錠くらい飲んでね(笑)。そのうち、メンバーも僕がそういうのを飲んで元気をつけているのに勘づいて、みんな飲むようになった。当時のゴダイゴのコンサートは、なぜかステージからニンニクの匂いがするっていうのが噂になっていたね(笑)。でも楽しかった。いい音を出せたからね。
━━そこからどんどんエンジニアリングにも積極的に取り組んでいったということですね。
完璧にオタクになってしまって(笑)。ドゥービー・ブラザーズやイーグルスが日本に来たときに、彼らがどういうマイクやスピーカーを、どうやって使っているかを双眼鏡でチェックしたりもしていたね。そうやっていろいろと研究したし、現場で試しました。当時の日本のコンサートで一般的に使われていたスピーカーだと高域が強くて、大きな音にすると耳が痛かったから、カタログを見て別のメーカーのものを頼んで使ってみたりね。ゴダイゴのコンサートは音は大きいけど、耳は痛くなく、高域も中域もすごくクリアで音圧がすごいっていう評判にもなりましたよ。
━━そうやって重ねた経験を、今回はいろんなミュージシャンたちに還元しようということですね。ミックスをお願いするときに、ベース用のトラックとしてはダイレクトの
ライン音や、自分なりにプラグインなどで加工した音を送ればいいですか?
そうですね。プラグインに関してもかなりの種類を揃えてますから、ダイレクト音を送ってもらい、どういう音にしたいかのリファレンスになる曲を教えてもらえたら、そういう雰囲気で音作りをすることができますよ。アンプを使うといい雰囲気が出るなと思ったら、こちらでアンプ・シミュレーターのプラグインを入れた音を混ぜたりもする。そして、僕がミックスしたものを送り返しますから、それに対してどこを変えてほしいかをリストアップしてもらい、また僕が調整をする。それを3回、4回と納得するまで行ないます。ここで大事なことは遠慮をしないということですね(笑)。もしかしたら、僕が作ったミックスに対して、“ここを直してほしい”と言いにくいと感じるかもしれないけれど、そんなことは気にしないで。これは必要なプロセスだし、何度もやり取りすることはいいことなんだってわかってほしいですね。例えば、気に入らなければ、“このベースの音はヒドイよ”って言ってもいい。そんなことで僕は傷つかない(笑)。かえって、そうやっていろいろ言ってくれたほうが僕はやりやすい。
━━特にジャンルの縛りもない?
リファレンスさえもらえたら、ジャンルはなんでも大丈夫。そもそも僕はハードロックのミュージシャンだし、かなりヘヴィ・メタルな音楽をやっている友人の音源を手がけたこともあります。フォーク系の音も好きだし、ジャズ・フュージョンの作品もやりました。あと、神戸はけっこうレゲエのミュージシャンが多いみたいでレゲエもやりましたし、オーケストラでも大丈夫ですよ(笑)。すでに何人かのアマチュア・ミュージシャンの作品をお手伝いしましたけど、すごく喜んでくれてね。ぜひ気楽に声をかけてもらいたいですね。
また、2021年にはゴダイゴでのライヴも予定されているそうで、今年5月に亡くなったギタリスト浅野孝已への追悼も込めた内容を考えているとのことだ。
(2024年2月19日転載終)
。。。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759538392944324996)
Lily2@ituna4011
http://youtube.com/watch?v=08hjGbU02N4…
明治製菓/森永製菓/アヲハタ/デルモンテ/本田技研工業/三菱自動車/日立製作所/サントリービール/ユニセフ 国際児童年/日本電気 NEC/武田薬品工業/カネボウ化粧品/サントリー/神戸ポートアイランド博覧会/フマキラー/キャセイパシフィック航空/コーセー化粧品/AGF/日立
8:20 PM · Feb 19, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759538678127628317)
Lily2@ituna4011
三菱パジェロ等。
8:21 PM · Feb 19, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759541497425522807)
Lily2@ituna4011
1976年から1990年まで、日本を代表する企業や国際的な組織および国際企業のために、作曲し、演奏し、歌い、価値を高め、広めてきたゴダイゴ。 しかしながら、タケカワユキヒデ氏の母校である浦和高校のPTAの方々の中には、「なぜ堅気の職業を選ぶ選択肢がなかったのでしょうか」等と、
8:32 PM · Feb 19, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759545119907467758)
Lily2@ituna4011
実に失礼な質問を投げかける人が出現。 これには全く驚かされた。
企業の経済効果を無視? 商品の購買者をも無視?
この頃の日本の経済は好調だった。
8:47 PM · Feb 19, 2024
(2024年2月19日転載終)
……………..
2024年2月20日追記:
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
Y・T:浦高のPTA? なんと狭量かつ愚かしいことか…
ユーリ:田中 裕二様、ありがとうございます。浦和高校は、佐藤優氏が母校として誇らしく語っていたので、埼玉の凄い学校だと思っていました。
Y・T:浦高は県立男子校トップ。女子トップは浦和一女ですね。
ユーリ:断トツの学校なんでしょうねぇ。とても素晴らしいですね。ただ、PTAの複数の方々が繰り返し、何ともお粗末な質問を丁寧な言葉でなさったので、拍子抜けしました!
Y・T:まー、父兄全員ってわけじゃないでしょうけどね。因みに浦高は東大に毎年2〜30人は送り込んでいるでしょう。私は若い頃に埼玉にいたことがあるのである程度事情は知ってます。出身は富山なんですけどねww
ユーリ:それにしても、富山も埼玉も、優秀な学校があって素晴らしいですね。
(2024年2月20日転載終)
。。。。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759512060524990862)
Lily2@ituna4011
届きました! ビューティフルネームの本 2012年秋に発行されています。 ガンダーラやモンキーマジックの曲が大流行だった頃のご家庭の背景がよくわかります。 ゴダイゴが既婚者多数派の大人のプログループで、打ち上げをしたことがない理由も明快。
6:35 PM · Feb 19, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759861606190870660)
Lily2@ituna4011
今日、市内の図書館で他の2冊を県内の図書館から借りるリクエストをしてきました。 スティーブフォックスさんの自叙伝風の本も注文しました。 あの時代に、どのような背景で、あのような音楽が生まれたのか、本から知りたく思います。
5:44 PM · Feb 20, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1759863914492555352)
Lily2@ituna4011
CDの方は、全部英語で歌っている版です。 聴きやすいメロディで、多分、これまでにも、美容院や喫茶店やちょっとしたレストランでも流れていたと思います。 一冊読んだだけでも、馴染んだ曲が違って聞こえます。
5:53 PM · Feb 20, 2024
(2024年2月20日転載終)
。。。。。。。。。。。
『文藝春秋』(https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/)
「ゴダイゴ 命名に含まれた意味」
101人の輝ける日本人
奈良橋 陽子
2022年12月8日
1976年結成の「ゴダイゴ」は、「銀河鉄道999」「ビューティフル・ネーム」などのヒット曲を連発した。作詞を担った奈良橋陽子氏が振り返る。
ゴダイゴの始まりは、私の夫だったジョニー野村に、タケカワユキヒデさんが「自分が作詞・作曲した歌を聴いてほしい」と連絡してきたことでした。私も電話越しにその歌を聴き「いいね」と言ったものです。
ジョニーがタケ(タケカワさん)をプロデュースすることになり、彼と英語の歌詞を練習するところからスタートしました。やがて私が英詞を書くようになりました。
次にジョニーが考えたのは、ミッキー吉野さんをリーダーとして国際的に通用するグループを結成したいということでした。ミッキーとジョニーで他のメンバーを集めてきて、ミッキーがゴダイゴ(GODIEGO)と命名しました。昔の日本の天皇の名前であり、GO DIE GO(突っ走っていけ!)という意味も含めていたと記憶しています。
メンバーは一人ひとり個性的で、タケの書く曲にミッキーの素晴らしいアレンジが加わり、非常に豊かなサウンドが生まれてきました。特に最初の数年間は、私たちは夢中になって楽曲やアルバムを作っていきました。タケは私の中にあるイメージを誰よりも理解してくれ、よくその場で即興的に曲を作っていました。
「ガンダーラ」は、私が国際基督教大学に通っているときに授業で出会った素敵な言葉で、ちょうど世界の西と東が一緒になるという――それは私にとってのユートピアだと思ったのです。当時の吉祥寺の私の家のベランダで、タケがガンダーラをギターの弾き語りで披露したときのことを今も思い出します!
タケやミッキーをはじめとするゴダイゴの皆さん、今は亡きジョニーと浅野孝已さん(メンバーのギタリスト)には本当に感謝の気持ちしかありません。無我夢中に一緒に曲作りをしてきたことは私たちのガンダーラだったと思います。
(2024年2月20日転載終)
。。。。。。。。。。。。。
(https://news.radiko.jp/article/station/FMJ/37959/)
「タケカワユキヒデ、バンド名の「ゴダイゴ」最初は抵抗があり…」
2019年11月27日
提供:J-WAVE
J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。クリス・ペプラーが音楽を聴く隠れ家=「オトアジト」に毎週ゲストを迎え、大人な音楽談義を繰り広げるという番組だ。
11月23日(土)のオンエアではゴダイゴのタケカワユキヒデをデビューに招き、デビューまでの道のり、バンド名が「ゴダイゴ」になったいきさつについてなどを語った。
■ミッキー吉野との出会い
ゴダイゴが結成される前、タケカワはデビューアルバムとなる『Passing Pictures』を作成している際にプロデューサーから「もうちょっとですごいやつが帰ってくる」と告げられたそう。それがバークリー音楽大学を卒業したミッキー吉野であり、プロデューサーは「彼にちょっと相談してみようか」と、暗にグループ結成を提案したという。
タケカワ:「(ミッキーは)いつ帰ってくるんですか?」って訊いて「まだわからない」とか言っていたら、3日後に電話がかかってきて「帰って来た、すぐ会いにいくぞ」って。
クリス:(笑)。
タケカワ:ミッキーの家にまで行って、プロデューサーとミッキーがほぼ話をしていました。僕は自分で全部アレンジをしていたので、最初の段階で「ピアノを弾いてくれ」と言うと「いいよ」ってすぐに決まっちゃいました。あとは僕は関係ないじゃないですか? ミッキーが「こういうバンドを作って、なにをやって、日本に嵐を起こして、そのままもう1度アメリカへ殴り込みをかけて」ってカッコいい話をしているんだけど、私は全然自分の話だと思っていないので、ソファーで寝ちゃったりして(笑)。タバコでテーブルを焦がしちゃったりして。
■「そうか、俺はゴダイゴか」…タケカワがバンド名を観念した瞬間
するとミッキーは「バンドの名前はもう決まっている」として「GODIEGO(ゴダイゴ)」と明かしたそう。しかしタケカワには抵抗があったとのことだ。
タケカワ:こっちにしてみればゴダイゴっていうと(後醍醐)天皇の名前じゃない? それはやっぱりちょっと……僕はご遠慮したいし「私とは関係のない話」だと思って、またソファーで寝ていたんです。
その後アルバムの制作になると、ミッキーは『Passing Pictures』で、いくつかの曲を弾いてくれたという。そしてタケカワがアルバムを出した年の暮れに、ミッキーから改めて電話がかかってきたのだと明かした。
タケカワ:(ミッキーが)「どうよ?」って言うから「いやまあ、あんまり芳しくないね」みたいな。どっちがバンドを一緒にやろうって言ったかはいまだに不明なんですけど、とにかく「バンドをやる」ということになったので、年が明けてから「まさかゴダイゴじゃないだろうな」って思って行ったんだけど(笑)。みんなで集まって(ミッキーが)「これでちゃんとメンバーが集まったので、バンドの名前はゴダイゴでいきたい!」と(笑)。
クリス:(笑)。やっぱり捨てきれなかったんだ。それはミッキーさん、かわいいじゃない。「絶対これは」と思っていたんですよ。
タケカワ:もうね「そうか、俺はゴダイゴか」って。そこで観念をしました。
■名前に込められたもう2つの意味
タケカワは、ミッキー吉野から「ゴダイゴ」の由来を聞かされたときの印象を振り返った。
クリス:バンド名の由来は後醍醐天皇もあるんだけど、「GO(生きて)DIE(死んで)GO(生きる)」と「GOD(神)I(私)EGO(エゴ)」。そういうのを考えるとかなり哲学的ですね。
タケカワ:まあ、そういうのみんな好きですけどね。でも僕は「DIE」はしたくないなって(笑)。
クリス:まあね。でも俺はこの名前を聞いたときに「スゲーかっこいいな」と思って。 タケカワ:そうなんだ。まあ結局ね、ゴダイゴは1回解散をしてまた今やっているんですから。本当に「GO DIE GO」になったんですけどね。
40年以上前に名付けられた名前に導かれるように、復活を遂げたゴダイゴ。タケカワは11月30日(土)と12月1日(日)に横浜・山手ゲーテ座ホールで「僕のソングブック~カヴァーズpart27 & HELLO / GOOD NIGHT」を開催する。
『SAPPORO BEER OTOAJITO』では、毎週さまざまなゲストを招き音楽談議に花を咲かせる。放送は毎週土曜18時から。お聴き逃しなく。
この番組をラジコで聴く
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『SAPPORO BEER OTOAJITO』
放送日時:毎週土曜 18時-18時54分
オフィシャルサイト: https://www.j-wave.co.jp/original/otoajito/
(2024年2月20日転載終)
。。。。。。。。。
2月12日の神戸市立小学校の合唱団による「ビューティフル・ネーム」を久しぶりに聴いて以来、一週間以上もゴダイゴ一色の日々を送っている。
活気のあった1980年前後の日本社会を思い出すし、忘却の彼方にあった中学生だった自分のことも同時に蘇ってくるし、ゴダイゴの音楽が実に細かく技巧的であってなお、人々に広く深く届く現代の曲であることにも改めて驚かされるし、元気鈴々って感じ。
タケカワさんの嬉しそうな自信たっぷりの歌い方も、若返りの素になる。
1970年代後半の若者は、大抵、あのような長髪で煙草をくわえていた。だが、新しい音楽を作っていこうという真っ直ぐな意気込みと、案外に真面目で素直な心性は、今の我々にも訴えかけるものがある。
スティーブ・フォックスさんの本は、紙媒体ではなく、PDFで届いた。
アマゾンだと、中古本でも2倍から12倍の価格を付けて売られているそうだが、それほど人気の衰えを知らないゴダイゴなのだろう。
(2024年2月20日記)
………….
2024年2月21日追記:
(https://twitter.com/ituna4011/status/1760081268790927565)
Lily2@ituna4011
少し読み始めました。話に聞く、西洋のカウンターカルチャーの実態が描かれています。 一方、タケカワさんは子供みたいによく寝る人で、昼寝もよくしていたそうです。 無邪気な愛されキャラ、ですね? 英語は、日本人にしてはうまいけれど、ネイティブには日本語風に聞こえるのだそうです。
8:17 AM · Feb 21, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1760082149259288854)
Lily2@ituna4011
ミッキー吉野さんは勘が良く、賢い人で、アメリカでは慎重に振る舞い、安易に契約して騙されるようなことはしなかった、とも書かれています。
8:20 AM · Feb 21, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1760083412600435016)
Lily2@ituna4011
こういう話は、話として知っておいた方がいい、と思います。 甘い話、一方的な呼びかけに安易に乗せられないためにも。
8:26 AM · Feb 21, 2024
(2024年2月21日記)
………………
2024年2月23日追記:
(https://twitter.com/ituna4011/status/1761040744184442958)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ・イン・クリスマス1981 https://youtu.be/M0fKP3xM14k?si=_h8Mq16IQiXYLdDM… via @YouTube
《目を皿のようにして見ていた番組でした。》
かわいい!皆さん、お若くて、いい番組ですね。 懐かしい~
11:50 PM · Feb 23, 2024
(https://twitter.com/ituna4011/status/1761037526574542904)
Lily2@ituna4011
ゴダイゴ・イン・クリスマス1981 https://youtu.be/4XAv-aJS1fE?si=ttdRznry6NwzNSYu… via @YouTube
かわいい!皆さん、お若くて…..。
11:37 PM · Feb 23, 2024
(2024年2月23日転載終)
………………
2024年2月24日追記:
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/pfbid0rsQyBKwLYJZDFxZBkYy2NbuXJ12Y5A8dKkSqm9fA3MWoXEExj94CDhLkMi2AibwKl?notif_id=1708784780743803¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)
《目を皿のようにして見ていた番組でした。》
かわいい!皆さん、お若くて、いい番組ですね。
懐かしい~
Y・T:若い頃の彼は明るくて素晴らしかった!
ユーリ:中学1年から2年生の頃、テレビの歌番組で見ていただけですが、今、タケカワさんやスティーブ・フォックスさんの本を読むと、(なるほどなぁ)と感じます。この頃は、タケカワ家にお子さんが次々と生まれて、東京外大にも通いながら作曲し続け、テレビでも歌い、怒涛のような日々だったそうです。
ユーリ:今はすっかりお父さん、いえ、9人の孫のおじいさんになられました。曾孫も1人いらっしゃって、回転の速い、生産的な家系だと思います。
Y・T:今は確かに露出は減りましたが、ある時代の寵児だったんだと思い返しています。あの時期、彼、彼らの姿を見ないことは無いほどでしたよね…。メロディも記憶に残っていますしね。。
ユーリ:ゴダイゴのCDを一枚買って、ここ数日、繰り返し聴いていますが、気持ちが若返りますね。アップビートで、のびのびとした歌声で、確かにカッコいい曲を演奏していました。
(2024年2月24日転載終)