放送大学に再入学して

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775499876765495722)
Lily2@ituna4011
二つ目の修士号を授与されてすぐ放送大学に再入学。 教養学部の科目を1.5倍速で視聴し始めたが、大学院レベルよりは遥かに易しく設定されている。ドイツ語は18歳で始めて、もう40年も経った。だが、かなり覚えており、思い出すことも多く、脳細胞の活性化にはうってつけ。フランス語と並行する意義有。
9:25 PM · Apr 3, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775500973513101336)
Lily2@ituna4011
今日、街中で知り合いのおじさまと遭遇。「いやぁ、その歳で、と言っちゃ悪いけど、よくまた新しく『免許』を取ったもんだねぇ。おめでとう。女性は強いなぁ」。 いえ、これはまだ序の口なんです!この一年は骨休みで、語学の復習と医療看護科目の補充。目的は修論の手直しと応用展開を目指すこと。
9:29 PM · Apr 3, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775503222796661058)
Lily2@ituna4011
自分ではまだ40代の気分でいる。知識欲がある、とご年配の方からよく言われた。病気や事故や怪我等を回避できる限り、勉強したいものはたくさんあり、目標課題は山積み。就職の為、誰かとの競争の為ではないから、二十代の頃より遥かに気が楽ではある。意欲が枯渇していない点、感謝なことである。
9:38 PM · Apr 3, 2024

(2024年4月3日転載終)
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2024年4月4日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1775634699400118744)
Lily2@ituna4011
勿論、二十代からの例の研究テーマは、資料整理と並行して、まとめモード路線で進めていきます。学会発表は、2018年3月まで毎年継続してきたため、もう潮時では? 今年一年は補充の中休みだと位置づけています。複数のモニター活動とボランティア活動で、小さな社会貢献も。前厄年の過ごし方の工夫。
6:21 AM · Apr 4, 2024

(2024年4月4日転載終)
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2024年4月5日追記

無料で取り寄せた、関東と九州で展開されている医療保健福祉系の大学パンフレットを見ると、偏差値に関わらず、最近では社会人を含めた入試が当然のようになっており、修士課程と博士課程が堂々と併記されている。また、留学生や外国人の枠も設けられているものの、在留資格や経済的な保証人を原本で明示するよう、基準が厳しく(というよりも元来そうでなければならなかったのだが)なっている。

重要な点として、出願前に希望する担当教授にコンタクトを取り、研究テーマの指導を引き受けていただけるかどうかの了承を得ること、という条件がある。つまり、単なる学力や職歴や資格のみで入試に通るわけではない、ということだ。

社会人経験も「3年以上から5年以上」となっていて、案外に勉学との両立には、職場の理解を得ることが難しそうだ。

修士課程は2年が基本だが、「場合によっては1年で修了可能」とされている。他方、いかなる事情(家庭の問題、介護、病気、経済的困難、職場の事情等)があったとしても、2年で終わらなかった場合は「留年」扱いとされている。

さらに、学歴・職歴等の「経歴」欄では、「半年以上の空白があってはならない」と条件がつけられている。従って、アルバイトや非常勤であっても、必ず職場名と理由を記入することで、空欄年月がないような人生設計が最初から求められていた。

安易に医療福祉系大学に進学を考えてもらっては困る、ということなのだろうが、なかなか厳しい前提条件である。だが、記入例を見ると、看護職には転職事例が少なくないようだ。高校を出てから専門学校に行ったり、病院勤務をしてから専門学校に戻ったり、大学に入ってから予備校にも通ったり、なかなか忙しい。国家資格としては立派なものが並んでいても、どういうわけか転職が目立つのだ。

それに比べると、放送大学大学院の生活健康科学プログラムは、一般に開かれていることが建前であるためか、かなり「緩い」条件だったとは言える。私など、いきなり大学院に入ってしまったのだから、いささか無謀だったかもしれない。(同期のゼミ生には、放送大学の学部上がりの人が、後で私の知った限りでは最低2人はいた。)

放送大学大学院のプログラムは、知識のベースを作り、2年間で全く新規の分野で論文の基盤型を形成するには充分だったが、今後の課題としては、「自分の研究テーマを受諾し、指導ができる教授」を探して、双方に齟齬なく納得のいく論文が2年ないしは3年で仕上がるかどうか、が鍵となろう。

どうも、偏差値や大学の知名度とは無関係なようだ。「自分の分野に合う教授がいるかどうか」で選ばなければならない。

(2024年4月5日記)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1776242234624794889)
Lily2@ituna4011
この度、放送大学大学院に選科生として再入学してみて、「この科目を受講せずに修論を書いてしまった!」と感じている。教養学部の医療系科目も、実はそうだ。 修士課程の単位は修了規定以上に取得したが、今になってみると、不足知識は単位科目の未履修だったからだとわかる。
10:35 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776243134588129368)
Lily2@ituna4011
ちょっと無謀だったかしら、と。それでも合格させていただけたのだから、今後どこまで補充できるか、だ。今、本日から始まったオンライン科目の印刷中。大量にある。我ながら、看護師特定行為研修科目をよく頑張ったな、と感じるところ。不足知識は、臨床病態生理学(解剖学を含む)だった。
10:38 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776243708385718448)
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看護師でもなく、病院勤務の予定もないのに、よく受講できたものだ。レポート課題や小テストもたくさんあり、最初の頃は必死だった。パソコンが壊れた時期には、iPhoneで指拡大をしながらノートに写して勉強していた。目が疲れたが、仕方ない。
10:41 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776244501730013544)
Lily2@ituna4011
パソコンでレポート送信が無理だったので、学習センターに電話で相談したところ、許可が下りたので、何本もあった課題レポートをセンター内のPCを借りて送信した。自宅のパソコンより起動が遅く、大変に時間がかかった。締切時間ギリギリに間に合うよう、二日間通い詰めたことも、今では懐かしい。
10:44 PM · Apr 5, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776246369243840787)
Lily2@ituna4011
同じゼミの先輩方が、修論終了後に「やってみてよかった」と述懐されていたが、まさに今の自分も同感。修論そのものは不備が多く、修正箇所多数だが、自分で意識していた以上に、時間をやり繰りしながら、集中して全く新しい領域の勉学に励んだのだ。経験が先行していたために可能となった事項である。
10:51 PM · Apr 5, 2024

(2024年4月5日転載終)
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2024年4月6日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776462785171636459)
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国会図書館に医学論文等の複写を依頼したのが、東京本館と関西館の合計48回。今、封筒を数えた。一回の複写依頼が30本までなので、ギリギリ30本依頼したこともあれば、毎月のゼミに間に合うよう、目下のトピックに集約して急ぎ依頼したこともある。関西館には3回訪問して、直接セルフ複写をした。
1:11 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776463676884832357)
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放送大学附属図書館の検索によれば、私の修論テーマの分野の書籍資料は、古過ぎるか圧倒的に少なく、頼りにならなかった。但し、一度限り、著名な神経学者宛の献辞が万年筆で記された豊倉康夫先生の文字入り書籍を放送大学経由で他図書館から借りることができ、それはそれは感激した。
1:15 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776465091392913751)
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祝賀会でそのことを同じプログラムの別のゼミ修了生に言ったところ、「放送大学にも医学ジャーナルありますよ」とのことだったが、千葉までいちいち見に行く交通費や時間が無駄。また、専門ジャーナルは、私の分野に関しては入っていなかった。第一、そのジャーナル記事に問題点が含まれていた。
1:20 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776466188144726402)
Lily2@ituna4011
放送大学は学費が安いとは言うものの、実際にはテーマ次第では相当にお金も時間もかかる。「好きな時間に勉強」ではなく、「隙間時間を活用して勉強」。そもそも、手間暇もお金もかけずにできる論文なんて、大したものではない。 医学史すなわち治療史に興味が出てきた。今フランス語を履修中の理由。
1:25 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776467318903816366)
Lily2@ituna4011
母方の大叔父が故加賀乙彦氏と同期仏留学をして放射線学を学んだ。「鬼畜米英」期に先手を打ってフランス語を勉強していたのだ。実家のケース棚にきれいなフランス人形があったが、大叔父がフランス人女性から姪のためにプレゼントされたものだ、という。昨夏、初めて知ったエピソード。
1:29 PM · Apr 6, 2024

(2024年4月6日転載終)
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(https://twitter.com/ituna4011/status/1776529669476811078)
Lily2@ituna4011
母方の大叔父が故加賀乙彦氏と同期仏留学をして放射線学を学んだ。「鬼畜米英」期に先手を打ってフランス語を勉強していたのだ。実家のケース棚にきれいなフランス人形があったが、大叔父がフランス人女性から姪のためにプレゼントされたものだ、という。昨夏、初めて知ったエピソード。
1:29 PM
5:37 PM · Apr 6, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776530131156447350)
Lily2@ituna4011
どういうわけか、午後のツィートが夕方には削除されていたので再掲。予防目的で逐一ブログに転写作業が必要。
5:39 PM · Apr 6, 2024

(2024年4月6日転載終)
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2024年4月27日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782649023197012141)
Lily2@ituna4011
いつもながら、速いペース。 流石は流石!
2:53 PM · Apr 23, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782726161082237377)
Lily2@ituna4011
私も4月中に完遂できそうな科目があります。レポート簡単。感想文。
8:00 PM · Apr 23, 2024

(2024年4月27日転載終)
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2024年5月10日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1788471043059020106)
Lily2@ituna4011
13歳から英語を、18歳からドイツ語を習い始めた世代の私にとって、時代を感じさせられた放送大学のドイツ語。 ,echt’を『めっちゃ』と訳してもいい、と先生が仰った時には、のけぞった。 昭和時代はお堅い教養ドイツ語だった。医学やクラシック音楽や哲学思想やプロテスタント系キリスト教と文学。
4:28 PM · May 9, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1788472643622232083)
Lily2@ituna4011
ドイツ語を学べば格調高い文章が覚えられ、忍耐力や規律を重視する人格形成が可能になるように言われていた。 今や意訳も当然。 めっちゃ、なんて私は一度も発話したことがない。試験では、どのように訳せばいいのだろうか? 年齢を感じる今日この頃。ドイツ語そのものは、案外覚えているが。
4:34 PM · May 9, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1788478513336791394)
Lily2@ituna4011
放送大学の科目にスペイン語が欲しいです。なぜないのだろうか?
4:58 PM · May 9, 2024

(2024年5月10日転載終)
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2024年9月4日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1831174348818047460)
Lily2@ituna4011
ただ今、放送大学の学部教務課宛にメールで問い合わせをしました。たまたま、ドイツ語Ⅰの復習をしていて、誤植に気づいたため、合わせて質問してみました。
12:36 PM · Sep 4, 2024
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(2024年9月4日転載終)
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【質問】

私は18歳の大学1年の時、第二外国語としてドイツ語を初めて学びました。 昭和時代の私の世代では、ドイツ語とは教養のために学ぶ科目でした。キリスト教神学や聖書学、クラシック音楽、ドイツ文学、哲学、美学、工学等、欧州の高等文化に接する、貴重な機会だと思っておりました。

40年後の今、放送大学で再びドイツ語を学び直しているところですが、なぜか今では講師が「めっちゃ」(Lektion 5)「めちゃくちゃ親切」(p.220)「まじで」(p.259)のような若者の流行語を使われています。

なぜなのでしょうか?

以上、御多忙のところ誠に恐縮ですが、お時間のある時にでもご回答いただければ幸いに存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

✕✕✕✕(学生番号:〇〇〇-〇〇〇〇〇-〇)

(2024年9月4日記)
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2024年9月5日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1831604868953587762)
Lily2@ituna4011
十数分前に、メール返答が届きました。
「貴重なご意見として承ります。」とのことでした。
次期講座には反映してくださいね!
5:06 PM · Sep 5, 2024
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(2024年9月5日転載終)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, research topics, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

ダグラス・マレイの新刊訳書注文

実は、2022年3月30日に発行されたというダグラス・マレイ氏(「ダグラスさん」)の新刊訳書については、今日まで知らなかった。
というのも、その時には二つ目の新たな修士課程が始まる直前で、何かとバタバタしていたからでもある。

大衆の狂気 ジェンダー・人種・アイデンティティ』(The Madness of Crowds)を山田美明という方が翻訳された。

ダグラスさんの著作に関しては、原著を数冊持っており、主人の病状が悪化する前、そして、引っ越し作業の前ならば、(今から振り返れば、それでも)時間の余裕があったのだろう、すぐに読了しては、その内容に感じ入ったり、溜息の連続だったりした。

路線は大体想像がつく。

そもそも、彼独自のオリジナル思想というよりも、アメリカの保守系だとされるダニエル・パイプス氏辺りの人脈等とも繋がっており、かなり戦略的に展開した言論活動である。もともとはダニエル氏のお父様でいらっしゃる故リチャード・パイプス名誉教授が、孤軍奮闘気味に提唱されていた話でもあった。

問題は、言語上の制約もあり、日本社会では時間差を伴って遅れて理解されるために、既に時遅し、となることだ。本来ならば、先手を打って、「元来、ほぼ単一民族国家であった日本は、決して西欧の二の舞にはなりません」と先導するぐらいでなければならなかったはずだ。
。。。。。。。。。
以前、アマゾンの「カスタマー・レビュー」欄に下記の読感を記した。実は日付入りで、追記もあったのだが、いつの間にか無断で削除され、簡略化されてしまっていた。再度、転写する。(Lily)

(https://www.amazon.co.jp/review/R3HGYOE13DOCFY/ref=pe_1162082_181361352_cm_rv_eml_rv0_rv)
西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム
ダグラス・マレー

ユーリ
「本書の邦訳を喜ぶ」

2019年3月17日に日本でレビュー済み

私事で恐縮だが、2016年9月下旬に、著者のダグラス・マレイ氏と一緒に欧州三ヶ国を一週間ほど旅した。本書では、その時の観察も一部で触れられている。
2018年3月に、私は小さな研究会で本書について発表した。だが、教授陣の反応は「作家の書くことだから」と受け流し、「日本は移民やムスリムに対して、(欧州とは違って)うまくやっている」と自画自賛しており、夜郎自大そのものだと危惧した。また、国政モニターでも私は移民受け入れの問題点を訴えたが、その後、安倍政権は事実上、労働者としての外国人移民を受け入れると発表し、規制緩和へと動いている。
本書の内容は、マレイ氏の全面的なオリジナルというものではなく、アメリカやカナダやオーストラリア等、過去の英語圏の保守派言論にも支えられており、執筆内容が相互に重複する箇所もある。しかしながら、10年ほどかけて、欧州や米国、豪加州のみならず、アフリカの英国系教会へも訪問し、左翼やイスラミストとの粘り強く正面切った討論や現地観察の努力を積み重ねた上での書き下ろしであり、氏の説得力ある豊かな英語表現や勇敢かつ戦略的な言論姿勢については、日本でも広く知られ、謙虚に学ばれることを強く希望するものである。また、氏が基本的に親イスラエル派であり、ご家族が日本とも縁を持つという事実にも、我々は留意すべきである。
本書が邦訳され、概ね好評であることを喜ぶ。

*30人のお客様がこれが役に立ったと考えています

(2024年4月3日転載終)
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2024年4月6日追記

上記の邦訳書が届いた。中身は鉛筆の書き込み多数で、よく高価な値段を付けて売っていたものだ、と呆れ返る。

しかし、この山田美明氏は、英語とフランス語のプロ翻訳者らしく、自前の「訳者解説」等を一切つけていない点、非常に好感が持てる。どちらかと言えばリベラル左派系の訳書が多い感がある。だが、いかにも「世界的に人気のあるベストセラー作家を自分が訳しました!」と宣伝しないところが、大変に好ましい。というのは、前著の邦訳書では、著名な日本人研究者が、あたかも自分もダグラス・マレイさんと同路線で論考を展開していたとばかりに、自慢げに売り出していたからだ。(ダグラスさん自身は、YOU TUBEで自著の各種翻訳語版について日本語を外していた。)

ダグラスさんのみならず、西洋の古典的な意味で真のエリート教育を受けた人達は、案外に質素で堅実な暮らしを営み、誇張した言動を慎むものだ。

だからこそ、私みたいな者にも目を留め、声を掛けてくださる。学位の権威や社会的地位に安住したり、他者との比較で常にマウントを取ったりするタイプの人は、ダグラスさんやパイプス親子先生が私にアクセスしたことを意外に思い、事実を否定さえしようとした。

真偽の程は、事実そのものが証明しますよ!

ところで、原著の『The Madness of Crowds: Gender, Race and Identity』は、2019年6月5日にアマゾンで注文し、同年9月28日に届いていた。
注文した頃は、主人の病状がかなり進行していて、毎日不安と心配が絶えなかった時期。本を待っている間に、近畿中央病院に救急搬送されて入院。本が届いたのは、市内の別の病院に転院する2日前。

第一章辺りは、書き込みしながら読み始めていたが、到底、その後はダグラスさんどころではなくなってしまった。

でも、ダグラスさんと一緒だった中東フォーラムの西欧三ヶ国の旅に参加を許してくれたのは主人だった。2016年9月下旬から10月上旬までの10日程である。あの時、よく行かせてくれたと思うが、主人の病状の進行性から考えても、タイミングとしてはギリギリで、機を逃さず行けたことは感謝以外の何物でもない。

フランスのパリで集合、とのことで、エールフランスを予約してくれた。パリのホテルも「ここなら近いし、大丈夫」と考えてくれていた。フランス語の辞書は、既に2011年3月にはロワイヤルを注文してくれて、本当にほろっとさせられる程、温かく献身的な夫だった。

私からの恩返しとして、2018年3月に、その時の経験を基に多数の写真入りで最後の学会発表をした。

問題は、日本の学術傾向である。人の人生を思想によって潰したり遅延させたり、平気で恐ろしい破壊行為をしているのだ。

(2024年4月6日記)
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2024年4月11日追記

「ダニエル氏のお父様でいらっしゃる故リチャード・パイプス名誉教授が、孤軍奮闘気味に提唱されていた話」と上述したが、その具体例は同邦訳書の以下の箇所にある。

「間奏 マルクス主義的な基盤」(pp.101-122)

・「マルクス主義を土台にしていることを示唆」(p.102)
・「この新たなイデオロギー」は「ばかばかしく、矛盾が内在しているのが明らか」(p.102)
・「保守系右派は一人もいない」(p.103)
・「ミシェル・フーコーから学んでいる」(p.104)
・「「権力」というプリズムを通してすべてを見るような、不寛容な視点でとらえようとする」(p.104)
・「周囲の世界の説明を試みる現代のポストマルクス主義者たちは、フーコーやマルクスの歪んだプリズムを受け入れているだけではない。たとえば、イタリアのマルクス主義思想家アントニオ・グラムシから、文化に対する考え方を学んでいる」(p.104)
・「不平不満を研究するあらゆる学問分野が、一つの大きな枠組みに統合されたかのようである」(p.107)
・「この知的混乱の時代には、そのような自意識や再分配を求める単純な呼びかけが、多大な効果を発揮することになった」(p.108)
・「矛盾に直面しても、そこでつまずいたり自問したりすることがない。マルクス主義者は、いつも矛盾に突進していく」(p.113)
・「マルクス主義のイデオロギー上の子どもともいえるアイデンティティ・ポリティクスやインターセクショナリティーは、矛盾や不合理、偽善が散乱しているイデオロギー空間を住み処とすることに満足しているように見える」(p.114)
・「学界の大部分は、真実の探求・発見・普及を目的とすることをやめ、その代わりに、ある特異な政治活動の創出・育成・宣伝を目的とするようになった。それはもはや、学問ではなく運動である」(pp.115-116)
・「このようなひどい文章は、著者が何かを隠そうとしている場合にのみ生まれる」(p.117)
・「ありとあらゆる言葉を並べて難しく見せかけ、そこにまるでいいかげんな主張を紛れ込ませている場合もある」(p.118)

(2024年4月11日記)
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2024年4月14日追記

上記本の「結論」部分に集約されている昨今の日本社会を含む世界的傾向。

・一生涯続くほどの矛盾や混乱がある。人生の間に何度も直面するだけでなく、存在の根本にもかかわる矛盾や混乱である。(p.417)
・「包括的」(p.427)
・それぞれのアイデンティティ集団のなかにさえ、抑圧や被害者意識の序列が存在する(p.428)
・こんな自己分析を絶えずしていたら、誰であれ自信を打ち砕かれてしまう。だが現在では多くの人に、この無茶な自己分析が推奨されている。(p.431)
・絶え間なく変化する基準に基づいて、侮辱された、ばかにされたと申し立てられる可能性や、不満の序列が変わる可能性は、いつまでも消えることがない。(p.432)
・私たちは、抑圧が存在していないところに抑圧を見出すばかりで、それに対応する術を知らない。(p.434)
・そんなことをしていれば、本当に必要な議論や思考のための時間やエネルギーが奪われてしまう(p.435)

・社会的公正というこの新興宗教が、重要な問題に関する議論がなされていないこと、矛盾が内在していること
➡ その理由は、何よりもまず、この運動の大部分がマルクス主義的な下部構造を持っているからだ。(p.438)

・彼らが求めているのは、改善ではなく分断だ。鎮めることではなく刺激することを、抑えることではなく燃え上がらせることを望んでいる。
➡ ここにもやはり、マルクス主義的な下部構造の一端が垣間見える。(p.442)

・「新マルクス主義者」(p.448)

・私たちはむしろ、自分たちの人生を単純化するよう呼びかけるべきだ。(p.457)
・容易に反証可能な理論に人生を捧げるよう呼びかけても、間違った方向に進むだけだろう。人生の意味は、どこにでも見つけられる。たいていの人は、身のまわりの人々や場所に意味を見出す。友人や家族や恋人、文化や場所、不思議や驚異である。自分の人生における意義深いものを見つけ、その意味の中心に徐々に近づいていくなかで、目的意識も生まれる。(p.457)

(部分抜粋終)
。。。。。。。
ジャン=ジャック・ルソー『エミール、または教育について』(1763年)に関する記述(pp.446-447)に関連して、過去ブログからの抜粋を以下に。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150409)
2015-04-09「鏡を見よ」

《いつからそんな歪んだ方向に「迷わず」まっしぐらに突進していったのか、私には定かではないのだが、理由の一つとしては、学校の成績が良く、学年一番などをキープしていたことが考えられる。つまり、あまり考えずに、要領よく覚えて出すのが得意だった、というだけなのだ。そう言えば、学生時代、机の上にルソーの『エミール』なんかが置いてあった記憶がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)。私なんぞ、ルソーと聞いただけで「野性に還れ」を想起して、読む気もしないのだが、「迷わず」それを受容してしまい、今も実践し続けているのだろう。「子どもはのびのびさせた方が、将来伸びる」と豪語していたが、「のびのび」の結果、きちんとご挨拶もできずに、目上をキックしてくるなど、言語道断だ。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151202)
2015-12-02「『アゴラ』から(3)」

ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/)で「ルソー」項目を見ると、以下のような興味深い文が並んでいた。どなたの執筆によるのか不明だが、いかにも、と納得のいく描写ばかりだ。

・理性よりも感情を重んじる思想
・3年後、出奔して放浪生活に入る。その後もさまざまな職業を試したが、どの職にも落ち着くことができなかった。たとえ成功しても放浪は止むことなく、自分の進むべき道を探求
・1762年、教育論『エミール』が世に出ると、その第4巻にある「サヴォア人司祭の信仰告白」のもつ自然宗教的な内容がパリ大学神学部から断罪され、『エミール』は禁書に指定され、ルソー自身に対しても逮捕状が出たため、スイスに亡命した。
・ルソーの死後に始まったフランス革命においては、「反革命派」と名指しされた者に対して迫害、虐殺、裁判を経ない処刑が行われるなど、恐怖政治が行われた
・マクシミリアン・ロベスピエールやナポレオン・ボナパルトといった指導者たちが「一般意志」などルソーの概念を援用し、人民の代表者、憲法制定権力を有する者と自称して、独裁政治を行ったということは、歴史的事実である
・あらゆる道徳的関係(社会性)がなく、理性を持たない野生の人(自然人)が他者を認識することもなく孤立して存在している状態(孤独と自由)を自然状態として論じた。無論、そこには家族などの社会もない。理性によって人々が道徳的諸関係を結び、理性的で文明的な諸集団に所属することによって、その抑圧による不自由と不平等の広がる社会状態が訪れたとして、社会状態を規定する(堕落)。自然状態の自由と平和を好意的に描き、社会状態を堕落した状態と捉えるが、もはや人間はふたたび文明を捨てて自然に戻ることができないということを認め、思弁を進める。
・ルソーは、ロック的な選挙を伴う議会政治(間接民主制、代表制、代議制)とその多数決を否定し、あくまでも一般意志による全体の一致を目指しているが、その理由は、ルソーが、政治社会(国家)はすべての人間の自由と平等をこそ保障する仕組みでなければならないと考えていたためである。
・ルソーの考えによれば、自然災害にあたって甚大な被害が起こるとき、それは、理性的、文明的、社会的な要因により発展した、人々が密集する都市、高度な技術を用いた文明が存在することによって、自然状態よりも被害が大きくなっているということなのである。
・ルソーは、主に教育論に関して論じた『エミール』において、「自然の最初の衝動はつねに正しい」という前提を立てた上で、子の自発性を重視し、子の内発性を社会から守ることに主眼を置いた教育論を展開している。
・私生活においては、マゾヒズムや露出癖、晩年においては重度の被害妄想があった。精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代に街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかった。
・また本人が年金制度を晩年まで嫌悪していたため、他人の世話になって生活することが多く、定職と言えるものは若い頃から趣味でやっていた楽譜の写し書きくらいで、これが貴重な収入源だった。
・ルソーから影響を受けた者としては、哲学者のイマヌエル・カントが有名である。
・ルソーの思想は、イマヌエル・カントの他、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルなどにも影響を与え、ドイツ観念論の主軸の流れに強い影響を及ぼした。
・クロード・レヴィ=ストロースは、人類学の一つの起源としてルソーを再評価している。
・帝政ロシアの作家レフ・トルストイは青年期にルソーを愛読し、生涯その影響を受けた。地主でもあったトルストイの生活と作品には「自然に帰れ!」の思想が反映している。
・中江兆民、生田長江、大杉栄らはルソーの翻訳をし、また作家の島崎藤村は明治42年3月に「ルウソオの『懺悔』中に見出したる自己」を発表し、ルソーの『懺悔録』(『告白』)に深い影響を受けたと述べている

(部分抜粋引用終)
。。。。。
ルソーを教科書上でさり気なく暗記させる学校教育で点数を取ってしまうと、自分の人生行路で大きく誤ることになる。特に、子育てにルソーを援用しているかと思われるケースが身近にあり、本当に無責任だと腹立たしく思う。

(ブログ抜粋終)

(2024年4月14日記)
………………..
2024年4月30日追記

今回、東京15区の補欠選挙結果にマッチすると想起された文章は、以下の通り。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1785114447616581843)
Lily2@ituna4011
「インターネット(特にソーシャルメディア)は、公的な言語と私的な言語の間にかつて存在していた境界を奪い去った」
「ソーシャルメディアは、新たな独断を社会に埋め込み、反対する意見を、それに耳を傾けることが何よりも求められているときに押しつぶす」
ダグラス・マレイ大衆の狂気』p.199.
10:10 AM · Apr 30, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1785116186541453792)
(https://twitter.com/ituna4011/status/1785116072414454015)
「私たちが暮らす現代社会の住民もまた、自分の行動に気をつけながら、他人をおとしめる行為へと殺到しているように見える。まるで、常に誰かに大恥をかかせてやろうとしているかのようだ。毎日のように、憎悪や道徳的判断の新たな対象が生まれている。」
「社会運動のふりをしたいじめが、時代の主流になっている。「誤った考え方をしている」と糾弾できる人々を見つけようとする衝動が、幅を利かせている。」
ダグラス・マレイ大衆の狂気』p.198.
10:16 AM · Apr 30, 2024
10:17 AM · Apr 30, 2024

(2024年4月30日転載終)
……………..
2024年5月24日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1793770952914026836)
Lily2@ituna4011
My message for Columbia’s protesting students

https://www.spectator.co.uk/article/my-message-for-columbias-protesting-students/

← 1. 伝統の尊重。年長者に耳を傾け、尊敬を。
2. 勇気を持つ。賞賛される道を選ぶ。
3. 好奇心と感謝の念を持ち続ける。
7:28 AM · May 24, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1793771765061366037)
Lily2@ituna4011
競争は増大したが、機会も増大している昨今。
礼儀正しさ、熱心さ、知性、感謝の維持を。
以上がダグラスさんのコロンビア大学での講演とコラムの骨子。
7:31 AM · May 24, 2024

(2024年5月24日転載終)

Posted in Daniel Pipes, Douglas Murray, Japanese culture, research topics, Richard Pipes, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

ツィートまとめ

(https://twitter.com/ituna4011/status/1771682839836217603)
Lily2@ituna4011
大学理系学部の定員、4年で1.1万人増 デジタル人材育成 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUE252V50V21C23A2000000/…
← 質の確保も!
8:37 AM · Mar 24, 2024
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1772216738974756936)
Lily2@ituna4011
人間が出来ていても、非常に腹が立つ。
7:59 PM · Mar 25, 2024
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1772034145990156340)
Lily2@ituna4011
Mar 25
市民病院「4月から分娩できない」 医師にも残業規制 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUA075RD0X00C24A2000000/…
← 少子化対策は?
7:53 AM · Mar 25, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1772474720694243514)
Lily2@ituna4011
経済的理由による受診遅れで死亡、少なくとも48例:日経メディカル https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/202403/583698.html?n_cid=nbpnmo_twbn… #日経メディカル
← 民医連。
1:04 PM · Mar 26, 2024
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1772859035663892628)
Lily2@ituna4011
パイプス氏が昔から繰り返していますね?
2:31 PM · Mar 27, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1773862651749388361)
Lily2@ituna4011
Islamic State al-Naba’ Newsletter Report on the Moscow Attacks https://open.substack.com/pub/aymennaltamimi/p/islamic-state-al-naba-newsletter?r=27tj6i&utm_campaign=post&utm_medium=email…
ベルギー、スリランカも。
8:59 AM · Mar 30, 2024
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774306143588040778)
Lily2@ituna4011
京都の同志社や立命館大学のような、左系教授で固めたところでも入ったお金持の坊ちゃんお嬢さん達は、低学年では教授の口先を信ずるが、卒業間際になると、内兜を見すかすのと、就職難から保守思想に戻ってしまう。(p.152)
清國重利『秘録戦後史3』
2:22 PM · Mar 31, 2024

(https://twitter.com/ituna4011/status/1774308527051620545)
Lily2@ituna4011
この本は内調報告書の1958年から1959年を対象としている。1978年8月発行だが、今に通じる側面も含み、大変に興味深い。一読の価値あり。
2:31 PM · Mar 31, 2024

(2024年4月2日転載終)
………….
2024年4月5日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1776060352054370482)
Lily2@ituna4011
1959年12月2日付の時事雑感によると、
立教大学でアメリカ人教授が殺害され、大東文化学院の関係者が関与したらしい。
(p.204)
清國重利『秘録戦後史3』
10:32 AM · Apr 5, 2024

(2024年4月5日転載終)
。。。。。。。。
(2024年4月2日転載の続き)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1774551270009049162)
Lily2@ituna4011
夫婦同姓が続くと…2531年には「全員が佐藤さん」 東北大試算
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240331/k00/00m/040/076000c…
← またつまらん記事を。
6:36 AM · Apr 1, 2024
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774553398609838148)
Lily2@ituna4011
中学生の時、学校で映画を見ました。 わしはゴッホになる と呟きながら、無我夢中でノミで削っていた姿が印象的でした。
6:44 AM · Apr 1, 2024

☚ 棟方志功記念館が2024年3月31日に閉館され、青森県立美術館へ作品が移転される報道に関して。
。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774712464808292565
Lily2@ituna4011

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00625/032800003/?n_cid=nbponb_twbn…

☚ 良い傾向ではないか?コネというと、否定面ばかりが前面に出て来るが、反面、紹介した人の顔をつぶさない配慮も働き、安心、信用、信頼の環境下で素直にのびのびと働けるという長期的知恵もある。
5:16 PM · Apr 1, 2024
。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774714802985976045)
Lily2@ituna4011

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00461/032200171/?n_cid=nbponb_twbn…

《人的資本が蓄積されることで、就業後の労働生産性が高まり、それが市場で評価され高い賃金を生み出す》

☚最近はまともな記事が少し増えたか?
5:25 PM · Apr 1, 2024
。。。。。。。。。
(https://twitter.com/ituna4011/status/1774717422572105834)
Lily2@ituna4011
[賢い相続]子のない相続、妹がおいと紛争 2通目の遺言も https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00571/032500034/?n_cid=nbponb_twbn…
《蝶よ花よと育てられ、わがまま放題のまま大人になった》
5:36 PM · Apr 1, 2024

(2024年4月2日転載終)
………….
2024年10月30日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1851408803755147383)
Lily2@ituna4011
国連委、夫婦同姓義務見直し求める 皇室典範にも言及 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOGR29BYC0Z21C24A0000000/…
← 余計なお世話。
8:40 AM · Oct 30, 2024

(2024年10月30日転載終)

Posted in Daniel Pipes, Health and Medical issues, Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

4月からの計画

今日はエイプリルフール。とはいえ、私は正真正銘、記録として示す。

3月は寒気が流れ込んでいたのか、とても肌寒く、雨模様も続いた。が、ようやくここに三日、やっと春らしくなってきた。我が家の敷地(と言うと大袈裟だが、事実は事実)の桜も少しずつ開花しつつある。

2023年3月3日付の過去ブログ「4月からの予定」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=4150&action)に倣って、約一ヶ月遅れではあるが、令和6年度の計画を書いてみよう。

1.放送大学について(再入学継続)

大学院の修士選科生と教養学部の科目生として新規の再入学で継続。前者は1年間、後者は半年だが、修論の補充として、無理なく決定。

放送大学のウェブサイトで学籍を見てみたら、既に3月23日付で修士(学術)の学位が入力されていた。また、今年度用に大学院の修士選科生(オンライン2科目)と教養学部の科目生(6科目)として、新たに2枚の学生証を作らなければならないが、いつの間にか写真も添えられていた。但し、大学院用しかアップされていなかったので、明日は大阪の学習センターに問い合わせる必要がある。

2.防衛モニター(任期2年)(NEW!)

自宅近辺に陸上自衛隊の駐屯地がある。市内にはもう一つ駐屯地や自衛隊用の病院もある。
転居して以来、自衛隊の演奏会や駐屯地での夏祭りや記念行事に出かけて、強い印象を受けた。それまで暮らしていた土地柄では反戦平和が前面に出ていて、何ともどんよりした偏向空気があったが、伊丹に来ると物事のテンポが1.5倍以上速く、本来の私の性格や気質に合っていると感じた。実は主人も自衛隊の訓練や実務には関心があり、「こんな体じゃなかったら、僕も行きたいんだけどな」と家で呟いていたので、遺志を汲み取り、思い切って防衛モニターに応募してみた。

すっかり忘れた頃になって、姫路駐屯地の広報係から電話がかかってきた。それも1月8日、放送大学大学院の修士論文の口頭試問の日だった。東京から帰宅すると、留守電のランプが光っており、何やら聞き取りにくい声で重要な要件が流れて来た。折り返し電話すると、「他の応募者は、あれから住所が変わったり、連絡が取れなくなったりした人が何人か出たので、今のところ、ユーリさんを内定候補者として考えております。千僧駐屯地にも近いですし」と。「但し、今回が防衛モニター経験が初めてだということなので、姫路駐屯地に来てもらいます。それでもいいですか?」とのこと。

勿論、どこへでも喜んで参ります!

その後は、1月1日に発生した能登半島の地震のために救援活動に赴くということで、連絡はメールや郵送が中心となった。早速、求めに応じて、ワードに作成してある履歴書を抜粋した簡単な履歴書と写真を送ったところ、「こんなに多彩な経歴を持った方が応募されるなんて、光栄です!上に報告し、第一候補者として推薦します」との電話もあった。

防衛モニターの業務は、特定テーマに関する定期報告、自由テーマに関する随時報告、姫路駐屯地における各種行事への参加であり、日本国籍を有することが条件である。

防衛事務次官から委嘱状、中部方面総監からはモニター証明書が発行される由。

2024年8月16日後注:実は、私の方に先約があったため、4月の自衛官候補生の入隊式には、やむを得ず欠席することになった。すると、担当の広報官から「数日後には届くよう、委嘱状を郵送する」と電話で伝えられたが、昨今では郵便事情が悪化したためか、4月末までに届かなかった。そこで、5月半ばに、招待された近隣の千僧駐屯地の式典に出席した後、千僧の自衛官に「あれから連絡がないんですけど、姫路の方はどうなったのですか」と尋ねると、「こちらから必ず連絡しますので」と。翌日、WACと呼ばれる若い女性自衛官さんから電話連絡があり、「姫路の広報官と連絡が取れました。数日内にはユーリさんに電話するとのことです。(ユーリさんは)前向きな方なので、と伝えておきました」。実際には、防衛事務次官発行の委嘱状というものは、郵送で簡便に済ますべきものではないと私は思っていたが、やはりそうだったらしい。その後、6月21日に招待された自衛官候補生の修了式前には、たった私一人のモニターのために、駐屯地内の一室で、きれいに準備された5分程のミニ式典が一室で開かれ、恐らくは二等佐官に相当するのであろう(甘いマスクのハンサムな)副連隊長氏から、うやうやしく委嘱状を受け取った。また、同室には4名程の冬の制服姿の自衛官が、それぞれ所定の位置に立って‘ミニ式典’を見守り、記念写真まで装丁していただいた。)

実は、伊丹の古文書会で知り合った男性が飛行機マニアでもあり、航空自衛隊の元隊員だったそうで、階級や各駐屯地の役割等を簡単に教わっている。また、マレーシア研究会で主導的な立場だった男性で、かつて参考論文を送ってくださった方が、今では防衛大学校の教授として東南アジア史を教えている。

また、1990年代初頭に政府の業務でマラヤ大学で教えていた頃、私の担当だった二人の男子学生がマレーシア国軍の関連で、その後、日本の防衛大学校に留学した。(その内の一人は、留学中、名古屋の私の実家まで電話をくれたことがある。キビキビした日本語で、「ムスリム用の食事も用意され、待遇はいいですよ。マレーシアの軍隊の方が強い」等と、元気そうに話してくれた。私の受け持ちクラスの学生の中でも、成績はまず上位であり、態度に精悍さが満ちており、大変に礼儀正しく、目上を尊敬する愛国心に溢れていた。ある時、授業中に “NegaraKu” というマレーシア国歌を歌った時、堂々と皆の前で指揮を振っていた様子も忘れ難い。)

うちの弟も高校3年生の頃、防衛大学校にも合格しており、自宅にいた私宛に電話がかかってきて「〇〇君は、家庭環境もいいし、将来的には幹部候補生として教育していきたいので、お姉さんからも説得してください」というキビキビした話を受けた。(当時の世相の影響もあり、私自身が却下してしまっていた。)その時の償いの意味もある。

これまでの下準備としては、防衛大学校や防衛医科大学や防衛省のホームページから関心を持つ事柄を印刷して、既にファイリングしてある。5月には、第三師団の千僧駐屯地で記念行事があるとのことで、早速、丁重な封書の招待状が届いた。いよいよ始まります!

3. 保健医療推進協議会の委員(任期2年)

2024年2月29日付ブログ「伊丹市保健医療推進協議会」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6638&action)で既に記述済。
。。。。。。
伊丹市保健医療推進協議会について/伊丹市

http://city.itami.lg.jp/SOSIKI/KENKOFUKUSHI/KENKO_SEISAKU/ITAMI_KENKO_KEIKAKU/ITAMI_HOKEN_IRYO_KYOGIKAI/32454.html…

昨年秋、市長任命の委員に選出されました。二つ目の修士号として過去2年間継続した勉強が役立っています。
9:34 AM · Feb 29, 2024

(2024年4月8日転載)
。。。。。。
4.博物館友の会(ボランティア活動)の例会(月一回)(従来の継続)

週末の一回、午後1時半開始で4時には終わる。今後は会長交代もあり、会員数の確保が問題となろう。

5.古文書研修と古文書整理(ボランティア活動)(月一回)(従来の継続)

毎月継続して4年目。古文書整理とは、伊丹市長も務められた岡田利兵衛先生の岡田家に所蔵されていた膨大な資料のラベル貼りのこと。研修と整理で各一時間半ずつで、合間のお昼休みには、自転車で自宅に戻って簡単な昼食をとり、用事を済ませる。

6.伊丹市立ミュージアムの鬼貫クラス(月一回)

上述の岡田家の古文書整理との兼ね合いもあり、楽しみな講座だ。これで3年目に入る。

仏兄七久留万』が一応全部読み終わった、ということで、次からは『独ごと』を読むことになる。早速、参考文献を二冊、購入して準備した。これにより、放送大学大学院の人文系教授の魚住孝至先生と、もし次にお目にかかれるならば、話がさらに展開することになろう。鬼貫を読む理由は、終焉の地が我が家の本籍地(つまり戦前に主人の父方祖父母の家があった場所)でもあるからだ。

7. NHK通信講座の古文書学習(半年コース)(NEW!)

月一度のわいわい「研修」では到底不充分だと思い、昨年の大みそかに申し込んでしまったもの。存じ上げる笠谷和比古先生も講師のお一人で、予想以上に中身が充実しているテキスト。毎日、暇を見ては2ページずつ進めているが、なかなか手強く、予定を遥かに遅れている。でも、がんばる。18歳の頃には必修科目でくずし字を履修した元国文学科出身者である以上、この歳になってもすらすら読めないのでは恥ずかしい。

8. 京都古代学協会の講座(月一回)(NEW!)

「桓武朝の歴史考古学」を月一回第4水曜日の午後3時から計五回、京都文化博物館で受講することにした。桓武帝は794年に京都への遷都を決行した天皇様だが、その桓武天皇ゆかりの幻の大極殿のあった向日町と言えば、1997年夏から秋にかけて我々が新居を探していた候補地の一つでもあった。京都府乙訓郡向日町のマンションについても、不動産屋さんで話を聞いた経緯がある。また、主人の直属の上司等が向日町に暮らしていた。そのため、懐かしい思い出と共に、学びを深めようと考えついた。

9.無教会の聖書通信講座(月一回)

こちらも3年目に入る。30代の頃から存じ上げている月本昭男先生の旧約聖書の考古学的かつ言語学的な概説を、ZOOMで聴講する1科目のみ。月半ばの15日の午前中にメール配信され、一定期間内に空いた時間を見つけて聴講。まずはレジュメを印刷し、常に1.5倍速で聴いている。試験もなく、単位が出るわけでもない。そこが継続のミソだ、と再び思うところである。

一年目は『ヨセフ物語』、二年目は『出エジプト記』だった。今年度は『ヨシュア記・士師記』を読む。

10.検定試験(従来の継続)

2017年から勉強を開始した「神社神道」と「茶道文化」と「京都文化」の三つの検定は、いずれも2級の受検が残っている。昨年は、修論作成や毎月のゼミ出席との兼ね合いで、到底無理だった。

また、放送大学の学位授与式に義母から譲られた着物で出席したことをきっかけに、俄然、興味がわいて、新たに「きもの文化検定」のテキストを注文。本日、予想外に簡潔にまとめてある薄い本が届いた。5級から始まり、3級まではマークシート式で、年一回の受検だという。2級以上は記述式で、呉服屋さんの話では準1級まで合格されたとのこと。

この四つの検定の基となる日本の伝統文化には尽きることのない泉のような奥深さがあり、老後の退屈などあり得ない。趣味的ではあるが、基礎知識だけは本流を学んでおこう、という試み。合格したから何かができる、という単純なものではないだろうが、少なくとも予備的に履歴書には書けるものばかりだ。

11.適塾記念会(3年目)

主人は小学校4年生の頃から今宮高校を目指し、阪大工学部の受験を目標に高校時代には阪大受験用の通信教育までやっていたらしい。その形跡が、荷物の整理でわかった。
2000年頃から若年性神経難病のために阪大病院に通院を始め、2020年4月7日の夜には院内の霊安室で一晩寝かせていただいた。20年程もお世話になった阪大病院だが、同じ敷地には主人が院生の頃に所属していた核融合レーザー研があり、何かと阪大にはご縁がある。いつでも嬉しそうに「阪大病院に通っています」と、ニコニコ応えていた主人だった。

その気持ちを汲んで、結局は二人で行く機会を逃してしまった適塾の記念会に入会したのが放送大学大学院修士一年生(M1)だった2022年6月頃。阪大ゆかりの緒方洪庵の適塾である。阪大病院の源流は、ここにある。また、名簿を見てみると、主人がかかっていた神経内科の主任教授である望月秀樹先生も、適塾記念会に所属されていた。というわけで、この適塾の行事(適塾近辺の歴史散策や薬学関連の講座)には、2年間、参加してきた。今年も継続する。

適塾近辺の道修町には少彦名神社がある。ここは医薬の神が祀られており、江戸時代から将軍吉宗公の御認めがあった。私の修論テーマはパーキンソン病治療薬の精神面への副作用であり、近くには小野薬品工業というPD薬も開発している会社がある。しかも、この小野薬品工業は、我々が結婚した1997年11月から伊丹に転居する2018年9月26日まで暮らしていた大阪府三島郡島本町に研究所がある。いつもその前を通っていたのに、主人も私も全くその関係性に気づくことはなかった。
少彦名神社へは、3月28日に修士合格の御礼参りをした。

12. 健康管理

従来通り、年に一度の特定健診(1月)、半年に一度の眼科検診(2月・8月)と歯科検診(5月・11月)で、体調管理は何とかなりそうだ。毎朝、体温と体重と血圧を測って、備忘録に記入している。今年は隔年のマンモグラフィー検査もある。

13.お墓参り

月命日と春のお彼岸のお墓参り(名古屋)も、すっかり毎年のカレンダーに溶け込んだ。主人の実家(東大阪)の年に四回のお墓参りに関しては、今後の検討課題。主人が大好きだった岡山県北の田舎の祖父母や「伯父ちゃん」「叔父ちゃん」や従姉妹のお墓参りは、折を見てまた、ということになる。

14. クラシック音楽の演奏会

既に幾つかが終了。

2月12日には、西宮の芸文センターにて、兵庫県警察音楽隊の演奏会。これをきっかけに、ゴダイゴ・自分ブームが始まった(2024年2月16日付ブログ「ゴダイゴ」(http:// itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6528&action))。

3月7日には、大阪城近くのいずみホールにて、小菅優さんと三人の演奏家による室内楽「祈り」(2024年3月9日付ブログ「いずみホールの演奏会」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6763&action))。

3月24日には、伊丹アイフォニック・ホールにて、伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」等(2024年3月27日付ブログ 「伊丹でショスタコーヴィチを聴く」(http:// itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=6864&action))。

今後は6月に前橋汀子さんのリサイタルを予定している。リサイタルそのものは、これで五度目か?(2024年6月16日追記:正しくは「四度目」でした。)
。。。。。。。
上記の活動計画は、全て主人がいた頃にしていたことの延長線上にある。今でも「どんどんやってみたらいい」と、問題なく賛同かつ応援してくれる事柄ばかりだ。
本年度は、緊張と葛藤続きだった放送大学大学院のゼミ2年間から解き放たれ、自分のペースで興味関心を広げ深める時としたい。

その他の事柄として、引越し以来、6年目になってもまだ開かずの間で段ボール箱が積み上がったままの洋間の整理も、課題だ。そして、下書きは提出してあるもののペンディング状態の相続申告、2020年度の準確定申告、主人のアメリカ時代の銀行口座の手続きと、私のマレーシアの銀行口座の厄介な手続き(中途半端のまま)も済ませなければならない。

27歳から継続してきたマレーシアの研究テーマと今回の修論の修正作業は、当然のことながら、折に触れて進めていく。

(2024年4月1日記)(2024年4月2日・4月3日加筆修正)(2024年8月16日・8月17日一部加筆修正)

PS:「四月馬鹿」ではありませんよ。(Lily)
……………….
2024年4月3日追記

今朝方、電話とファクスが飛び込んで来た。これまた忘れた頃になって突然、もう一つの役割が与えられることになったのである。今回は補欠合格風に「辞退者出現に伴う繰り上げ委嘱」とのことである。

15. 公益社団法人近畿地区不動産公正取引協議会の消費者モニター(任期一年)(NEW!)

電話と共に、早速ファクスで書類が届き、すぐに登録書類や出欠票等に必要事項を記入して、折り返しファクスで返信した。電話で問い合わせたところ、「消費者モニターをしていることを公表するのは問題ない」ため、ここに追記する。但し、公表したことによる有利さは全くない(逆に不利もない)とのことである。

実は応募したのは二度目で、最初は2021年頃だった。モニター募集のチラシを、たまたま立ち寄った市内の産業センターで見て、試しに応募書類を送ってみたが、全く音沙汰なし。(ま、いいか。あまり関係ないし)と思っていたところ、突然、2023年8月30日という、最も修論が精神的に煮詰まっていた真夏日に、広報パンフレット二部と共にモニター募集用紙が封書で送られてきた。
本来ならば、修論作業そのものに没頭すべきだったのだろうが、(気を散らした方が能率が上がるタイプなので)と内心言い訳をしつつ、簡単な文書A4一枚を作成して送ってみた。過去に経験したモニター履歴一覧表も添えた。
。。。。。。。
《モニター履歴一覧表》

1988年 愛知県県政モニター(愛知県知事依頼)
1989年 愛知県生活物価モニター(愛知県知事依頼)
2016年 内閣府政府広報室国政モニター
2016年 国土交通省大臣官房広報課国土交通行政インターネットモニター
2016年 厚生労働省・厚生労働行政モニター
2019年 伊丹市水道局モニター
2019年 伊丹市交通局市バス巡回モニター(3ヶ月)
2022年 伊丹市上下水道インターネットモニター
2023年 伊丹市上下水道インターネットモニター

(リスト終)
。。。。。。。
最後の水道局モニターは2024年3月末で終了している。
二十代の院生の頃、お小遣い稼ぎ程度に気楽に始めたモニターだったが、当時は愛知県知事から賞状のような立派な依頼状が届いていた。従って、モニター業務は簡単なものであったが、社会貢献活動としては今でも履歴書に書ける。

以上、今年度は多彩な活動が待ち受けており、ようやく本領発揮、といったところだろうか。少しでもお役に立てるよう、努力いたします。(Lily)

(2024年4月3日記)
…………
2024年5月14日追記

上記7のNHK通信講座の古文書コース第一回の課題を先月提出したところ、今日の郵便受に解説と模範解答と添削付き指導が届いていた。提出後、確かに三週間で届くことを確認。
実は、初回なので最高点をいただいた。
お便り欄には、以下の事柄を鉛筆書きした。

1)月一回、市内の古文書クラスに参加し、その日の午後は市内の旧家の古文書整理のボランティアをしていること。
2)この通信講座は、古文書担当の若い学芸員さんの紹介によること。
3)同じクラスのご年配の方もこの通信講座の上級コースを受講していて、ボランティアでは最も綺麗にラベル貼りをされていること。

狭い世界なので、恐らくは非常勤の学芸員さんか大学/院の史学科の学生/院生さんが、アルバイトとして添削指導をされているのではないだろうか?

実にゆっくりペースではあるが、月一ではあれ、地域の古文書資料を眺めているだけでも、少しずつ日本社会の成立過程が史的に理解できるようになり、今でも残っている制度や考え方さえわかってくる。そうすると、この歳になってもなお、社会生活が随分と知的精神的に楽になってくる。

防衛モニター応募の簡式履歴書にも古文書整理のボランティアを記入したところ、「こういう人なら」とプラス評価に繋がることを知った。

(2024年5月14日記)
……………..
2024年5月30日追記

上記を整理して、順序を入れ替えてまとめ直す。

1.放送大学(新規の再入学)

修論の補充と語学復習の楽しみのために、大学院修士選科生(オンライン2科目)1年間 + 教養学部の科目生(6科目)半年間。

2.防衛モニター(任期2年)(NEW!)

3. 伊丹市保健医療推進協議会の委員(任期2年)(昨秋から)

4. 博物館友の会(ボランティア活動)の例会(月一回)(従来の継続)

5.古文書研修と古文書整理(ボランティア活動)(月一回)(従来の継続)

6.伊丹市立ミュージアムの鬼貫クラス(月一回)(3年目)

7. NHK通信講座の古文書学習(半年コース)(NEW!)

8. 京都古代学協会の講座(月一回)(NEW!)

9.無教会の聖書通信講座(月一回)(3年目)

10.検定試験

「神社神道」「茶道文化」「京都文化」の三つの検定(2017年から継続) + 「きもの文化検定」(NEW!)

11.適塾記念会(3年目)

12. 健康管理

年に一度の特定健診(1月)、半年に一度の眼科検診(2月・8月)と歯科検診(5月・11月)

13.お墓参り

月命日(臂岡天満宮)+ 春のお彼岸のお墓参り(名古屋)+ 主人の実家(東大阪)の年に四回のお墓参り+ 岡山県真庭市の主人の母方実家のお墓参り(随時)

14. クラシック音楽の演奏会

兵庫県立芸術文化センター(西宮)・いずみホール(大阪)・シンフォニーホール(大阪)・アイフォニックホール(伊丹)等

15. 公益社団法人近畿地区不動産公正取引協議会の消費者モニター(任期一年)(NEW!)

(2024年5月30日記)
…………….
2024年8月14日追記

実は、上記の15項目に、新たな1項目が加わった。但し、これは四度目のモニター依頼及び経験であり、特に大きな負担ではない。

7月3日に、これまた自転車で5,6分程の伊丹市上下水道局がインターネットモニター(年2回の簡単なアンケートに回答する)を募集していたので、早速応募。動機には、正直に「2019年度にも水道モニターに応募して採用され、研修や見学等、対面で学ぶ機会が与えられた。その後、コロナ感染症問題のために、モニター制度がインターネット方式に変更され、2022年と2023年にも応募して採用された。これが四度目の応募となる」と記した。

多分、公平性の原理から、今度はダメだろうと思っていた。ところが、7月30日に「この度、モニターに決定しました」とのメール通知が届いたのである。

それ故、再度、リスト化してみると、以下のようになる。ちなみに、放送大学の前期の成績発表は明日の2024年8月15日のため、上述は後期の登録科目に変更する。

1.放送大学(再入学の継続)

修論の補充と語学復習の楽しみのために、大学院修士選科生(オンライン2科目)1年間 + 教養学部の科目生(5科目)半年間。

2.防衛モニター(任期2年)(NEW!)

3. 伊丹市保健医療推進協議会の委員(任期2年)(昨秋から)

4. 博物館友の会(ボランティア活動)の例会(月一回)(従来の継続だが、今年度は先約との兼ね合いで欠席が多い)

5.古文書研修と古文書整理(ボランティア活動)(月一回)(従来の継続)

6.伊丹市立ミュージアムの鬼貫クラス(月一回)(3年目)

7. NHK通信講座の古文書学習(半年コースだが、一年以内ならば手続き不要の無料延長可)(NEW!)

8. 京都古代学協会の講座(月一回)(NEW!)後期は9月上旬に新たに申し込みし直す。

9.無教会の聖書通信講座(月一回)(3年目)

10.検定試験

「神社神道」「茶道文化」「京都文化」の三つの検定(2017年から継続) + 「きもの文化検定」(NEW!)

11.適塾記念会(3年目)

12. 健康管理

年に一度の特定健診(1月)、半年に一度の眼科検診(2月・8月)と歯科検診(5月・11月)

13.お墓参り

月命日(臂岡天満宮)+ 春のお彼岸のお墓参り(名古屋)+ 主人の実家(東大阪)の年に四回のお墓参り+ 岡山県真庭市の主人の母方実家のお墓参り(随時)

14. クラシック音楽の演奏会

兵庫県立芸術文化センター(西宮)・いずみホール(大阪)・シンフォニーホール(大阪)・アイフォニックホール(伊丹)等

15. 公益社団法人近畿地区不動産公正取引協議会の消費者モニター(任期一年だが自薦の形で一年延長を希望申請中)(NEW!)

16. 伊丹市上下水道モニター(2019年度以来四度目)

(2024年8月14日記)
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2024年8月26日追記

上記の15項目目の「消費者モニター」について、今日届いた『公取協にゅうす(Faiiiir Trade Council)No.85』によると、令和6年度消費者モニターの募集・選定は下記のようであった。

「消費者モニターを募集したところ、計186名の応募があり」「志望動機等を慎重に考慮して」「兵庫県10」を含む「総数40名を消費者モニターに選定した」(p.10)

すなわち私は、応募者186名の一人であり、選定された兵庫県在住者モニターの10名の一人であるということである。

この組織については実はよく知らなかったのだが、懇親会には大阪府知事からの祝電が届いたり、理事や役員等には、叙勲や褒章受章者の顕彰もあったそうである。つまり、れっきとした公的組織と社会認知されている。

(2024年8月26日記)

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日本の心を学ぶ

(https://www.chichi.co.jp/web/20240316_matsudaira_yoshiko)

美しい姿勢が心をつくる ——水戸徳川家の流れを汲む高松藩松平家の末裔、松平洋史子さんに学ぶ日本の心
2024年3月16日

徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ、先人たちが受け継いできた日本の心、文化伝統の素晴らしさを人々に伝え続けている松平洋史子さん。この変化の激しい時代において、いかに日本人らしく、美しく優しく逞しく生き抜いていけばよいのか、その生き方のヒントを、松平家の教えを紐解きながら教えていただきました。

挨拶に始まり、挨拶に終わる

私の生き方に大きな影響を与えたのは、祖母・俊子でした。祖母は明治23(1890)年、佐賀藩の侯爵・鍋島直大の六女として生まれました。直大は駐イタリア特命全権公使などを務めた人物で、日本だけでなく西洋の一流を知り尽くした教養人、趣味人でした。また、明治天皇の信任も厚く、宮中の儀式を取り仕切る式部職の長官を務めたこともあります。

その直大に育てられた祖母は、17歳の時に伯爵・松平頼寿の弟である松平胖と結婚します。先ほども触れましたが、徳川将軍家に最も近い親族である徳川御三家(尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家)のうち、水戸徳川家の流れを汲むのが讃岐国高松藩松平家です。つまり祖母は、鍋島家で西洋の一流を、嫁ぎ先の松平家で礼儀作法や質素倹約を重んじる武家の精神を身につけたのでした。

祖母は社会的にも活躍した人でした。例えば、「これからは女子の教育が必要だ」と、昭和女子大学の前身の日本女子高等学院が設立される際、世田谷の土地を払い下げるなどの支援を行いました。そして創立者の人見東明氏に招かれて校長を務め、その時に松平家に伝わる作法を「松平法式」として女子教育に取り入れ、女性が美しく逞しく生きていくことの大切さを伝え続けました。

そんな祖母から教わったことはたくさんありますが、松平家で最初に教わるのが姿勢です。武士道には「型から入って心に至る」という言葉があるように、姿勢を正せば心も変わる、物事の本質が見えるのですよと、子供の頃から言われました。食事の時、子供たちの姿勢が崩れると、祖母や母が背中をぽんぽんと叩く。すると、背筋がぴんと伸びる。そういうことを繰り返しながら、自然に美しい姿勢を身につけていくのです。

皆さんは、会議の席などで人の話に耳だけ傾けてうつむいていることはありませんか。試しに姿勢を正してみてください。視野が広がって、周りの人の様子や話している人の表情が分かり、「この人はこんなふうに考えていたんだ」と、それまで見えなかった世界が見えてくることでしょう。また、姿勢を正せば見た目も美しくなり、張りのある美しい声も自然に出るようになるもの。背を丸めていては見えるものも見えなくなり、目の前の幸運も逃げてしまいます。よき人生の第一歩は姿勢を正すことから始まるのです。

姿勢が真っ直ぐになれば、次は挨拶です。松平家では「挨拶に始まり、挨拶に終わる」と言われて育ちます。多くの人は頭を下げることが挨拶だと思っているのではないでしょうか。しかし、松平家では「いまからあなたとお話をします」と、相手を自分の懐にお迎えすることだと教わるのです。
挨拶の言葉を告げて頭を下げたあと、自分の胸元の広がりを感じながら相手を懐に迎えるようにゆっくりと頭を上げていきます。懐をつくると、自然と姿勢もよくなり、表情も明るくなりますし、相手もちゃんと自分を受け入れてくれたのだと安心してくれます。
。。。。。。。。。
(https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2024/202403_matudaira)

徳川260年 松平家の教えに学ぶ日本の心
松平洋史子(大日本茶道協会会長)

徳川御三家の一つである水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ、先人たちが受け継いできた日本の心、文化伝統の素晴らしさを人々に伝え続けている松平洋史子さん。この変化の激しい時代において、いかに日本人らしく、美しく優しく逞しく生き抜いていけばよいのか、その生き方のヒントを、松平家の教えを紐解きながら教えていただいた。姿勢を正せば見た目も美しくなり、張りのある美しい声も自然に出るようになるもの。背を丸めていては見えるものも見えなくなり、目の前の幸運も逃げてしまいます。

よき人生の第一歩は姿勢を正すことから始まるのです

松平洋史子(大日本茶道協会会長)

いまの日本には、「自分はこう生きるのだ」「日本人ならかくあるべきだ」という人生を支える核となるもの、品格や覚悟を備えた人がだんだん少なくなっているように思えてなりません。また、先人が大切にしてきた日本の心、基本的な礼儀作法、起居動作なども時代と共に失われ、私たちが幸福に生きるための健全な人間関係・秩序が保たれなくなっているのではないかと危機感を抱いています。
水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔として生まれ育った私は、日本人としての品格と礼儀作法や覚悟と誇り、それらすべてを物心つく頃から家庭教育の中で自然に教えられてきました。
松平家では、伝統的に「つ」がつく年齢(九つ)までは、子供の教育・躾は家庭の中で責任を持って行うものだとされています。
学校がどうであれ、他の子がどうであれ、我が子は我が子、我が家には我が家の教育があるという信念を崩さない母の姿に、かつての武士の覚悟を教えられる思いでした。

★本記事は『致知』2024年3月号「丹田常充実」掲載記事の一部を抜粋・編集

(2024年3月30日転載終)

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一生懸命働く

致知出版社の人間力メルマガ
2024年3月28日

世界的な精密小型モータの開発で知られる日本電産(現ニデック)。同社を牽引してきたのが、言わずと知れたカリスマ・永守重信会長です。

その仕事に賭ける情熱や人生論について、月刊『致知』2011年10月号に掲載のウシオ電機・牛尾治朗氏との対談から改めて振り返ってみました。
永守会長が語る「会社がおかしくなる6つの要因」は、経営者でなくとも身につまされます。

〈牛尾〉永守さんは西田幾多郎の、

「人は人吾は吾なりとにかくに 吾が行く道を吾は行くなり」

という言葉が好きだそうですね。そういう永守さんの経営人生を象徴するものの一つが、日本電産本社の一階奥に設置しておられるプレハブ建屋だと思うのです。
今度御社に伺う時にぜひ一度拝見したいと思っているのですが、創業当時に作業場として使っていたものだそうですね。

〈永守〉はい。あれをご覧になった方の反応は半分半分に分かれるのです。涙を流さんばかりに感動される方と、本社ビルの一番いい場所になんであんな汚いものを置くのだという方がいらっしゃって、おもしろいですよ。
私としては、創業期のあの厳しい時期を乗り越えてきたからこそ、ここまでこられたわけでね。辛い時にそこへ行くと、あの時の苦しさに比べたらこんなものは大したことはないなと思い直して、また元気を取り戻せるのです。
新入社員にも入社時に必ず見せますし、落ち込んでいる幹部がいたら、ちょっと見てこいと言うのです。

〈牛尾〉いまのお話を伺って頭に浮かぶのは「惜福」という言葉です。これは安岡正篤さんから教わった言葉で、訪れた福を使い果たさずに、将来のために惜しんで取っておきなさいという教えなのですが、永守さんの考え方はこれに通ずるものがあると思います。
下積みの時代に泊まった安宿に、成功してからも時々泊まりに行くといった話をよく聞きますが、惜福を実践するには、そういうように苦境にあった時のことを忘れない工夫をすることが大事です。

〈永守〉非常に大事なことですね。一番怖いのは、後から入ってくる幹部が昔の苦労を経験していないために、一流企業に入ってきたような感覚で振る舞うことです。そういう人たちには口で言っても伝わりませんから、プレハブ建屋を見せるのが一番いいのですよ。そこは建物だけではなしに、当初からの記録もたくさん残っていて、私自身が現場で懸命に仕事をする様子も残っている。それを見ると皆ハッとするのです。逆に、それを見ても感激しない人は、最初から採用しないほうがいいです。
やっぱり考え方が一致していないと今後のグローバルな戦いは勝てません。ただ頭がいいとか、経験が豊富だとかいうだけではダメで、本当にその会社が好きだという人が集まってこないとしらけてしまいますね。

〈牛尾〉本当にそうですね。

〈永守〉だから私は採用担当者に言うのです。最近は一流大学からどんどん入社してくるようになったけれども気をつけろよと。一番大事なのは、日本電産という会社が好きだという人間、よく働くこの会社で自分も一緒に頑張りたいという人間が集まってくることだと。
一所懸命働くところから始まった会社なのに、ただ有名で給料も高いから入りたいとか、役員として入ってきて威張り散らすような気持ちでやられると、会社なんてあっという間に沈んでいくのですね。

〈牛尾〉おっしゃるとおりです。

〈永守〉だいたい会社がおかしくなる要因を6つ挙げよと言われたら、一番はマンネリでしょう。それから油断、そして驕り。人間はすぐこういう躓きをするのですが、この段階はまだ元に戻せるのです。
その次が妥協。震災がきたのだからしょうがない、円高だからしょうがないと妥協する。これはもうさらに落ち込みますね。
次は怠慢です。頑張っても怠けても給料は一緒じゃないかとかね。
そして最後は諦めです。そんなこと言ったってできません、という考えがはびこってきた時は末期症状ですね。
最初の3つはそんな大敵ではないけれども、後の3つに陥ったらもう取り返しがつきません。

〈牛尾〉特に会社が順調な時が危険ですね。他社よりも昇給率もいいし、収益もいいし、いいところに入れてよかったですね、と人から言われるようになると、だんだん自分を見失ってくるんです。

(月刊『致知』2011年10月号特集「人物を創る」より記事の一部を抜粋・再編集)

(2024年3月30日転載終)

PS:太字はLilyによる。

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信長公について

(https://bushoojapan.com/bushoo/oda/2024/03/27/141585)

信長がついに手にした「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の名木をどう楽しんだ?

2024年3月27日

大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場した蘭奢待。
東大寺正倉院に納められている香木であり、金銭的価値に換算できるとしたら、おそらくや日本一高価な名香でしょう。
庶民はおろか、数多の権力者でもその香りを楽しめたものはわずかであり、何やら秘密めいた雰囲気も漂わせています。
その権力者の一人が織田信長でした。
いったい信長はどのようにして香りを楽しんだのか?
天正二年(1574年)3月28日に東大寺から信長の前に運び込まれた蘭奢待を『信長公記』の記録をベースにしながら振り返ってみます。

名香「蘭奢待」正式名称は「黄熟香」

天正二年(1574年)3月12日、信長は京都へ出発しました。
途中、佐和山に2~3日宿泊していますが、このときは特になにもなかったようで、『信長公記』には特記されていません。
この時期の佐和山城主は丹羽長秀の可能性が高いため、近江の状況確認や近況報告などを話し合っていたのでしょうか。
3月16日は永原(野州市)に宿泊し、翌17日に志那(草津市)→坂本(大津市)のルートで琵琶湖を渡って入京。
「今回は初めて、相国寺(京都市上京区)で宿泊した」とあります。
正確な日付は書かれていませんが、ここで信長は東大寺正倉院に収められている名香・蘭奢待の切り取りを朝廷に願い出ました。
正式名称を「黄熟香」という、日本最大の香木です。
その成分から沈香という香木の最高級品“伽羅”に分類されており、香りの良さと大きさも申し分なく(重さ11.6kg)、「天下一の香木」とされていました。
「蘭奢待」というのは、保管場所である東大寺の名を漢字それぞれの中に秘めた、いわゆる雅号です。

「東」→蘭
「大」→奢
「寺」→待

伽羅の香は1gあたり数万円という値も

沈香の産地は東南アジア全域です。
ただし、伽羅と呼ばれる質のものは、現在のベトナム……のさらにごく一部でしか算出できません。
理由は、沈香という香木の成り立ちによります。
この木は雨風や病気、害虫などに対する防御反応として樹脂を出すのですが、これが固まった後に長い時間をかけて変質すると熱したときに良い香りを放つようになり、香木としての価値が生まれるのです。
ベトナム付近は標高差が激しいエリアも多く、また台風の被害も毎年のように受けていますから、香木となる木が傷つく頻度も高い。
結果、伽羅と呼べる質になる……という仕組みと考えられています。
また、同じ一本の木でも、樹脂の浸透具合など部分ごとに香りが変わるため「伽羅」と呼べる質のものは貴重。
現代でも、伽羅の香は1gあたり数万円というお値段がするほどです。
蘭奢待そのものは信長以外にもときの権力者が切り取っており、足利義満・義教・義政、土岐頼武などが許可をとっていました。
信長より後の時代だと、明治天皇も切り取ったことがあります。
近年の調査では「50回程度は切り取られただろう」と推測され、記録として確実なのは足利義政・織田信長・明治天皇の三人だけでした。

東大寺へは使者を派遣している

このように非常に貴重な蘭奢待。
朝廷と概ね良好な関係だったと思われる信長でも、勅許を得るまでには時間がかかったようです。
3月26日になって、ようやく公家の日野輝資・飛鳥井雅教が勅使となり、蘭奢待が収められている東大寺へ切り取り許可の綸旨が伝わりました。
当時の手紙には次のように記されています。
「就信長南都下向之儀 蘭奢待拝見之望被申入之処」
【意訳】ついに信長が奈良にやって来た。蘭奢待を見たいと申し入れしてきた
そして翌27日。
信長は奈良の多聞城へ移動し、蘭奢待を持ってこさせて切り取ることにしました。
なぜ直接東大寺へ出向かなかったのか?
というと、正倉院には蘭奢待の他に、聖武天皇や光明皇后に関する品をはじめとした品が多く納められていて、「そんな場所に立ち入るのは畏れ多い」という理由だったようです。
そのため蘭奢待を運ぶ特使として、複数の武将を東大寺へ向かわせています。
顔ぶれがまた豪華なものでした。

・塙直政
・菅屋長頼
・佐久間信盛
・柴田勝家
・丹羽長秀
・蜂屋頼隆
・荒木村重
・武井夕庵
・松井友閑
・津田信澄

織田家の二大家老である信盛と勝家だけでなく、古参の長秀や頼隆、親族の信澄、文化人の夕庵や友閑などが勢揃い。
当時の情勢を考えれば、少々豪勢すぎるほどです。

以下の話(『信長公記』106&107話)で見た通り

織田家では、少し前に北陸や美濃で騒動が起きたばかりですから、特使をやらせるより、そちらに備えさせたほうがよさそうな人物もいますよね。
実は皇室や公家、寺社に対して礼節を欠くことがなかった信長なりの対応。
この一件からも垣間見えます。

信長がついに手にした「蘭奢待」東大寺正倉院にある天下の名木をどう楽しんだ?

先例に倣い一寸八分を切り取った

3月28日の辰の刻(午前8時頃)に東大寺の蔵が開かれ、信長の特使たちは、長持に入った蘭奢待を多聞城へ運び入れました。
信長は先例に倣い、蘭奢待を一寸八分(約5.5cm)ほど切り取らせます。
東大寺側の記録では「一寸四方(一辺が約3cmの正方形)を二個切り取った」となっており、少々異なりますが……合計すれば、大きさに大差ありませんね。
信長はこの後、自分が切り取った蘭奢待の一部を正親町天皇に献上していますので、その分を称して「二箇所切り取った」と記録したのでしょうか。
ちなみに、正親町天皇に献上されたほうは、その後、毛利輝元などに分け与えられています。
「人からもらったものをさらに別の人に」というのは、現代人からするとなんだか微妙な気持ちになるかもしれませんが、皇室や公家の間ではよくあることだったようです。
明治時代の女官の追想録にも「贈答品は”贈った”という事実が大事なので、いただいた絹などをそのまま他の人に贈ることもあった」という記述があります。

閑話休題。
信長は、このとき供をした御馬廻衆にも「後々の話の種に、見ておくがいい」といい、蘭奢待を見ることを許したとか。
なんだか尊大にも見えますが、天皇の勅許がなければ見ることもできないようなものなので、ここは優しさといっても良さそうです。

一宮市の真清田神社にも一部が奉納

その後は、手元に残した蘭奢待を茶会で焚いたり、千利休や今井宗久といった茶人に分け与えたり、信長はかなり気前よく振る舞ったようです。
一部がさらに流れ流れて、真清田神社(愛知県一宮市)に奉納され、現在も宝物館に展示。
蘭奢待の切り取りについて
「信長が自分の力を誇示するため、強引に天皇と東大寺を脅して切り取ったんだ!」
と指摘する方もおられるようですが、きちんと正規の手続きをしていますし、天皇にも献上しているのですがら、特に問題はなさそうです。
本当に権力を誇示するだけなら、もっと乱暴なやり方をしていたでしょう。
これまで世間の目を気にした行動も見せている信長ですから、そこまで計算していたのかもしれませんが。

明治天皇は「古めきしずか」と表現

この世に2つとない香木……となると、読み手としては香りも気になりますよね。
実は、香りに関する記述は信長公記にはありません。
熱する前の香木はほとんど香りを放たないため、切り取った日の信長や御馬廻衆は香りを楽しんだのではなく、世の中に2つとない珍品として、蘭奢待を眺めたと思われます。
前述の茶会の記録にでも、それらしきことが出ていればいいのですが……特にないようです。
あまりにも良い香り過ぎて、表現するのが難しかったのでしょうか。
明治天皇は「古めきしずか」と表現されたそうですが、何となく分かるような、わからないような……。
普通の伽羅であれば一般人でも手に入りますので、それを嗅いで想像するくらいしかできませんね。
毎年秋に行われている正倉院展で、十数年に一度くらいのスパンで蘭奢待が展示されることがあるようです。

(2024年3月30日転載終)
…………….
2024年4月27日追記

NHK(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014431231000.html?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR2HvjStKPFzzhmxmeYJYZtem1mhX5RaTJcFjWvwRJOlb2ClRmpaIGYuPZI_aem_AZXgEmaw9fwgKd4gWNSZg4Zhh1GoGDQt_aFQt3-ct_CpZDI9kd6Ed2y9zZvBNOvUF0uLICi4qjsf-4usP2TLgz51)

「“信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見」
2024年4月24日

戦国武将、織田信長の義理の父にあたる斎藤道三が、信長について「若造で至らない点もあるが末永くつきあってほしい」と近隣の領主にお願いした書状が見つかりました。専門家は「道三が信長のことを気にかけているとわかる貴重な資料だ」と指摘しています。
書状は今月、水戸市立博物館に個人から寄託されたもので、東京大学史料編纂所の村井祐樹 准教授が調査しました。
それによりますと、この書状は今の岐阜県の美濃地方を治めていた戦国武将の斎藤道三が近隣の地域の領主に宛てたもので、その内容や署名などから、1552年ごろに書かれたと見られるということです。

道三は、織田信長に自分の娘・濃姫を嫁がせています。
書状では、「信長とあなたは大変親しいということでうれしく思う」と記したうえで、信長について「若造で至らない点もあるがご容赦いただき末永くつきあってほしい」と伝えています。
信長の人生を側近がまとめた文献「信長公記(しんちょうこうき)」ではこの書状が書かれた時期に道三は若き信長と初めて面会し、その奇抜な身なりや言動で周囲から「うつけ者」と呼ばれていた信長の才能を見抜いたとされています。
村井准教授は「道三の書状はあまり残っておらず信長に言及していることも珍しい。書状には、道三が信長のことを大事に思い気にかけていることがはっきりと記されていて『信長公記』の記述を裏付ける貴重な資料だ」と話しています。

(2024年4月27日転載終)

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お着物のこと

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月19日投稿

彦根市出身で京都在住の着付けの先生。30代前半の二児のお母様でもいらっしゃいます。
今の時代、自分の目標や信念を自分の言葉で真っ直ぐ伝える女性が人気のようです。可愛らしい和風美人で、しっかりした、とても魅力的な方だと思いました。京都言葉も活きています。
今の着物業界の問題点をさらりと正面から取り上げつつも、それを克服する目的で、何とか日本の着物文化を楽しく盛り上げようと、現代ならではの視点で工夫と努力を積み重ねられています。
一方、60代ぐらいのお孫さんのいるような東京の着付けの先生のYou Tubeは、教えた年数こそベテランですが、逆に媚びた感じもありました。例えば、祖母や母親から譲られた着物は「自分の好みに合わなければ、処分しましょう」「私はゆっくりと処分しました」みたいなことを平気でおっしゃっていましたが、私にとっては「勿体ない!」。着物教室の講師とは思えない発言に聞こえます。
むしろ、お若くして着物コンテストで受賞した実力派のすなおさんの方が、「箪笥に眠っている着物を活かしましょう!」と提唱し、循環系路を作って職人後継の道筋を作ったり、若い人達に気軽に楽しんでもらえるように声掛けするなど、もっと肯定的です。そして、チャンネル登録数も、ベテラン着付け教室の先生よりも、すなおさんの方が圧倒的に高いです。

(2024年3月30日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月25日投稿

若い頃の檀ふみさんに似ている。

(2024年3月30日転載終)
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)

2024年3月26日投稿

《学習院大学の卒業式では、ご学友の女性はほとんどの方が袴姿でしたが、紀宮さまはスーツ姿だった》
☚ 唯一の内親王様だったのだから、もっと本式かつ可愛くして差し上げて!ご結婚式も…….。

(2024年3月30日転載終)
………..
2024年4月1日追記

人生の節目毎に着物を着た。

1.お宮参り:生後一ヶ月。名古屋市千種区の母方祖母宅近くにある高牟神社(式内社)。

2.七五三:母方のいとこ達が高牟神社に勢ぞろい。おべべ(着物)を着て、おかっぱ頭にお団子の鬘を付けて記念写真。多分、祖母は孫達を揃えてこれがやりたくて、結婚年齢や出産時期を決めていたのではないだろうか?今なら干渉?

3.成人式:当時はバブル経済全盛期で、四年制大学に行くと、反動的にマルクス主義的な清貧の暮らしが唱導されていた。それで、「着物なんか贅沢だから、私は洋服でいい」と主張していたところ、母方祖母がやって来て「ユーリちゃんは、いつからそういう子になったの?」みたいな説得をされ、結局は振袖を着た。ちょうど、町の教育委員会のご指名で、成人式には「君が代」をピアノで演奏することになった。美容院に事前予約し、1月15日と設定されていた日の朝5時か5時半に起きて、まだ薄暗く寒い中をてくてくと12分程歩いて辿り着くと、既に美容院は活気があった。髪結いと着付けで、1時間ぐらいだったろうか?髪型はお任せだったが、美容師さんが「あ、長い」と呟いたことだけは覚えている。

4.大学の卒業式:母が着付け教室に通い始め、自分の嫁入り道具だった着物を自分で着るようになってしばらく経った頃、私の卒業式がやって来た。私は、母が卒業した大学(当時は女子大)を卒業し、父が卒業した大学の大学院を修了している。そのため、母が自分が来た袴と着物を私に着付けしてくれたのだった。頼んだのではなく、気が付いたら自動的に、そのようになっていた。髪型はおかっぱ頭に紺色のリボンピンを留めただけにした。市内の瑞穂区にあった大学近くの道を歩いていると、近所のおばさんが「おめでとう」と声を掛けてくださった。「ありがとうございます」と応えつつも、(こういうおばさん方の税金で勉強させていただいたのだから、しっかり頑張らないと)と引き締まるような気持ちがした。近代文学の教授が「大正ロマンだね」とおっしゃったことを覚えている。

5.裏千家の許状式:2年程、今はなき名古屋駅前の毎日文化センターで裏千家のお点前を習っていた。その時の「宗和先生」の道場が海部郡大治町にあったため、電話帳で名古屋市の大須観音近くにあった貸衣装屋さんを探し出し、桃色の色無地の着物と帯をレンタル。これまた4と同じ美容院(だったかと思う)で髪結いと着付けをお願いして、父の車で連れて行ってもらった。(今振り返ると、あの頃、父にはお世話になった。親がいる間は、お願いして当然、という気もあったが、父がいなくなって11年以上経った今になると、もっと親孝行ができていたならば、と思う。)許状は茶通箱。

6.結婚式:平成9年(1997年)11月16日に、京都の下鴨神社で挙式。結婚プロデュース会社のワタベ・ウェディングが準備したレンタルの白無垢に、高見美容室の文金高島田で。(京都北部のフレンチ・レストランでの披露宴のお色直しは、薄紫色の洋装ドレス。)

7.お茶会:33歳頃、当時習っていた町内の裏千家の先生と一緒に京都の祇園近くにて。この時には、主人の母から譲られた(経緯は覚えていないが)色無地に菊や松が織り込んである薄桃紫系の着物に金扇の名古屋帯で参加した。着付けは、その頃暮らしていた島本町若山台の(旧)公団住宅一階の美容室で、髪結いと共にお願いした。今でも、そのサービスや前向きだった自分の心根に驚いている。終了後は、平安神宮辺りを一人で歩き回ったが、京都の人の目にはどう映っていただろうか?写真を主人に撮ってもらい、義母に見せたところ、写真を引っ掴むようにして「皆に見せる」と言い出した。慌てて、「それは私の写真です」と取り返したが、写真が少し折れてしまった。

8.放送大学大学院の学位授与式:東京の式典には、7と同じ色無地と帯にした。なぜならば、我々の結婚生活の最初から最後まで共に暮らしてきた主人の若年性神経難病が論文テーマであり、期待をかけて育てて来た息子に先立たれた逆縁の義母を慰める意図もあったからである。お茶会の後、手入れもせずに箪笥に入れっぱなしだったため、いつの間にか25年程経って、薄汚れてしまっていた。だが、呉服屋さんに持ち込んで相談したところ、「充分これでいい」という話だった。色は薄桃紫ではなく、「ベージュピンク」だと教わった。但し、格の問題があるので、紋を一つ、縫い紋で付けることにして、洗い張りしていただいた。2月22日にお願いし、受け取りは3月15日、と三週間はかかった。正絹なので、匂いも良く、質がしっかりしていて、今でも光沢がある。主人が大好きだったおばあちゃん(岡山の美作の母方祖母)が送ってくれたものだと聞いているが、明治生まれの武家出身者の見る目は高い。

(2024年4月1日記)

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3月のまとめ

ここで3月の行事をまとめておく。(過去ブログと記述が重複するが、まとめないと、うっかり忘却が浮上したり、精神的な落ち着きが得られなくなったりするからだ。)

3月7日:月命日。午前中は、放送大学大阪学習センター宛に修了生としての短文を書いて郵送。その後は月命日のお詣り。事前に葉書を送っておいたため、宮司様にもすぐ お目にかかることができ、思いがけず1時間近く、お話を聞いていただき、主人の五年祭と納骨の相談に乗っていただいた。スーツに黒コートだったので、そのまま大阪のいずみホールに直行し、小菅優さん達の四重奏を聴く。9時過ぎに終了し、帰宅は10時半頃。

3月12日:市内の漢方の先生のところへ。20分ぐらい、話が弾んだ。この度の修士号合格については、喜んでいただけた模様。吉報は周囲に喜びをもたらす。(報告しても無視するか、冷たい反応が返って来るような家族親族に囲まれて育つと、つい、何も言わずに黙っていた方が賢明か、と思う習慣が長年あったが、実はそのような態度の方が不健全。通常は礼儀作法としても、おめでたい話は肯定的になるのが常識である。)

3月14日:午前中は古文書の会(1時間半)、午後は地域の古文書整理(1時間半)。合間には郵便局等で用事を片付け、自宅に戻るや否や、簡単な昼食および家事の片付け。夜はずっと準確定申告の書類整理と書式記入。結局は徹夜になってしまった。バイオリズムが崩れるが、2019年度という最も大変だった年の申告は、5年が期限で今年の明日午後5時が締切。だから、休んでいる暇はなかった。

3月15日:お昼過ぎに、ようやく書式が整った。電卓で何度も打ち直して計算を確認。しかし、徹夜は血管が酸化していく感覚があり、だるく、思考も緩慢になる。能率は明らかに低下。しかし、ここで休むわけにはいかない。結婚してから毎年のように欠かさず一年間の医療費と寄付金の控除を計算して、提出してきた恒例行事だったからだ。伊丹に来てからは、たった一度のみ、2018年度分を提出できたが、その後はそれどころではなくなってしまった。従って、5年ぶりに作業したことになる。デジタル化の推進に伴い、自宅でも可能、とはいうものの、準確定申告には他の書式も提出する必要があり、そもそも無理だ。とにかく、コピーも取って、何とか夕方5時前には自宅近くの税務署に提出できる手筈が整った。そして、自転車に乗って急いで、午後2時から3時35分まで、いたみホールでの土井義晴氏の講演会(別項ブログに記したので省略)。そして、夕暮れの風に吹かれつつ、4時から4時10分まで、税務署の窓口で提出。ホッとした。

3月17日:市内のミュージアムの職員の引率で、池田市と箕面市の西国街道を歩くというプログラムに参加。この辺りはまだ行ったことがなく、行けるチャンスを捉えて、という意図だった。
阪急石橋阪大前駅に集合したものの、待ち時間に雨が降り出し、結局は傘を差しながら、約30名程の中高年者がぞろぞろと歩きつつ行程を進めた。雨さえなければ、もう少しは楽だったと思うが、荒天ならば3月20日に延期となり、それなら春のお彼岸で名古屋のお墓参りがあるから不参加になってしまう。ということで、強行軍ではあったが、これはこれでよし。
しかし、疲れたなぁ。川西市の能勢口から阪急バスで帰って来たが、自宅に戻っても、しばらくはぼうっとしていた。

3月19日:主人の実家のお墓参り。東大阪にあり、結婚以来、主人と義母と義兄の四人、あるいは主人と二人だけで年に四回、恒例行事だった。従来は主人の母が年に一度、管理費を払い、寝たきりになったら主人が払い、主人が入院したら私が払う、という循環があった。今でも、ついこの間のことのように感じるが、1998年1月に初めてのお墓参りをしてから、104回ほども通い詰めたことになる。

今年の元旦には、管理費を払う際、墓地管理の御住職が亡くなったとのことで、お留守番の若い御住職に今後のことを相談したところ、「本来なら長男である義兄が責任を持つべきものなのに、放り投げて次男の嫁である奥さんにやらせているなんて、おかしい。もう、放置しておけばいいのでは?」ということだった。実は長らく気が重い懸案だったが、少なくとも私に責任を負わせる第三者は、家庭裁判所といい、神社の神職といい、これまでのところ一人もいない。つまり、私は過重負担をこなしてきた、というわけだ。いつまでもこんなことを続けられるのか、それが問題だ。お墓のためだけに、近くに引っ越すという選択肢は、あり得ない。
枚岡神社へは、時間の関係もあって今回は見送り。

3月20日:別項のように、名古屋へ日帰りでお墓参り。

3月21日:一日、中休み。尼崎市立図書館と兵庫県立図書館から借りていた本を東京行の前に返却しようと思い、自宅でコピーを取ったり、ノートしたりして過ごす。疲れが出ないよう用心しつつも、夜8時の閉館前には歩いて伊丹市立図書館(ことば蔵)へ行き、3階カウンターで余裕を持って返却できた。

3月22日・3月23日:放送大学大学院の学位授与式と祝賀会のため、一泊二日の東京行。別項で記す。

3月24日:午後は伊丹市内の音楽堂アイフォニック・ホールにて、演奏会を聴きに行く。電話で事前予約をしておいたため、ホール受付で1500円を支払ってチケット入手。この日は大雨で、東京滞在の疲れもあり、市バスで近くまで行ったものの、2分遅刻のため、一曲目はホール外で聴いた。これも別項で記す。

(2024年3月27日記)

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伊丹でショスタコーヴィチを聴く

…..日が訪れるとは、想像だにしていなかった。

2024年3月27日に本稿を設定したものの、その後は何かと忙しく、ペンディング状態のままだった。

(2024年4月9日記)
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伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴くのは久しぶりだ。最初は、2019年秋、伊丹市出身の女性ピアニストのラフマニノフのピアノ協奏曲だった(と記憶する)。
藤原市長さんが、広報伊丹かフェイスブックで、彼女を紹介された時のエピソードを記して「期待している」と、演奏会にいざなっておられた。
ただ、実際の演奏会では、テンポがずれていて、途中で止まりかけた箇所があって、ハラハラさせられた。

この時には主人が市内の病院に入院中で、演奏後、アンケートに答えたところ、二枚のペアチケットがプレゼントとして郵送で届いた。

そのチケットを、次に救急搬送された宝塚市立病院に入院していた主人に見せたところ、また一緒に演奏会ホールに行けるのだろうと思って、にっこりと笑っていた。「今度こそは真面目にリハビリを頑張って、また会社に1年ぐらいは働きに行きたい」と言っていたのだった。実際には、既に真菌やカンジタ菌が全身に回っており、筋肉も瘦せ衰えて、「もう自宅に戻ることはない」と主治医に宣告されていたにもかかわらず、である。薬の影響で、ケアマネさんや私の言うことも聞かずに外へ飛び出し、寒空の下を夜遅くまで尼崎や大阪を徘徊して倒れたからである。

伊丹市立音楽ホールであるアイフォニックホールへは、それまでにも東欧の四人組弦楽グループや「ジプシー」のヴァイオリン二人組、在京女性ピアニストのイリーナ・メジューエワのリサイタルに行っている。自宅からも歩いて行ける距離で、どことなく懐かしい雰囲気のする落ち着いたホール。完成した1990年代初頭には、伊丹市に音楽練習場や発表会の場所ができたということで喜ばれたそうだ。メインホールは客席502(車椅子席4)とのことである。

今回の伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団の「名曲コンサート」は、客演指揮者がギオルギ・バブアゼさんという方で、コロナの影響で4年ぶりにお迎えできたという。そして、「難曲にも挑戦するというコンセプト」のもと、日々の練習を積み重ねてきた、とパンフレットにある。
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《曲目》

・ヨハン・シュトラウス二世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
・ニコライ・リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 作品34
・ドミトリィ・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調「革命」作品47
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アンコールはなく、花束贈呈だった。

前日まで、一泊二日の東京行しかも放送大学の学位授与式に着物で参加していたので、さすがに疲れていた。また、大雨であり、天気次第では自転車で行けたものを、スーツで市バスに乗り、駅から歩くはめになった。従って、到着は開演2時の2分後、練習音が聞こえていたが、満席ということもあり、一曲目は外で漏れ聞こえる音楽で我慢した。
ギオルギ・バブアゼさんは、ジョージア(グルジア)のトビリシ出身で、国立トビリシ音楽院でヴァイオリンを学び、モスクワでも弦楽四重奏を学んだ、という。大学院では指揮法を学び、1996年に大阪シンフォニカー交響楽団のコンマスとして来日。そして、2001年から関西フィルのコンマスとなって現在に至る。

オケの方は、1990年9月に伊丹市の全面支援のもと、オーディションで選ばれた精鋭のプロとアマチュアの混合編成オケとして結成された。
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アンケートには、「以前よりレベルアップしたように感じられました。選曲が良く、集客力が抜群でした。」と書いた。

二曲目の前にホール内に案内されたが、満席で座る場所がなく、「階段で座ります」と案内女性に伝えた途端、「ここに空いています」と席を立って示してくれた男性がいた。このように、伊丹では親切な人が多く、立見席を免れたことは感謝だった。

(2024年4月10日記)

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