昨晩、内田光子さんの演奏会に行った。毎年、この時期の恒例だった自分への誕生日プレゼントのつもりだ。
西宮の兵庫県立芸術文化センターの大ホールにて、午後7時から途中20分間の休憩を挟んで9時10分まで。
マーラー・チェンバー・オーケストラとの日本ツアーで、10月29日の札幌に始まり、一日置きに川崎、東京、びわ湖ホール、兵庫県西宮、そして明日11月9日の東京で〆。
モーツァルトを中心に、シェーンベルクやヴィトマンの室内弦楽奏曲を挟み込むという、おしゃれな曲目。
服装は、過去にもお馴染みのブルーの天女のような透明上着にインナー、そして黒のふわっとしたパンツに銀色靴。
ほぼ9割強から9割5分程の客入りで、ブラボーやスタンディング・オベーションもあった。アンコールは曲目不明の1分程のピアノ曲一曲。
まずはプログラムを。
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
ヴィトマン:弦楽四重奏曲第2番「コラール四重奏曲」(室内オーケストラ用編曲)【日本初演】
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
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内田光子さんは、これが四度目。6月23日にホールへ電話をかけ続けて6回目にようやく繋がり、チケットを入手した。今回は、4階席のほぼ中央寄りで、C席にしたが12000円と、決してお安くはない。でも、充分に満足のいく時間だった。平日ということもあり、さすがに小さい子は来ていないが、ジャケットにリュックを背負って勤務帰りらしい男性群も結構来ていたし、30代ぐらいの若い層も目立った。
チケット入手に関しては、以前ならば、郵送料と手数料を上乗せして郵便簡易書留でチケットが送られてきたが、いつ頃からか、チケットセンターから電話で12桁ぐらいの数字を伝えられ、メモして近くのコンビニで一週間以内にチケットを受け取る仕組みに変わっている。その代わり、郵送料も手数料も不要となった。
内田光子さんの演奏会に初めて行ったのは、2014年4月9日、いきなりニューヨークのカーネギーホールにて。詳細は下記の過去ブログの抜粋を。
その後は、2016年11月2日に大阪のシンフォニーホールにて。そして、2018年11月2日に西宮の芸文センターの大ホールにて。この時はオール・シューベルトの曲目だった。
二年毎に規則正しく聴きに行っていたようだったが、2020年以降は、コロナ感染症問題で海外の演奏家達がキャンセルに次ぐキャンセルとなった。
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内田光子さんと言えば、何ともせつない経験が伴っている。
2019年の春頃、いつの間にか買い込んだアレクサに向かって、出勤前の朝食時、毎日のように主人が「アレクサ、内田光子のピアノを聴かせて」と同じ指示を繰り返していた。その都度、「わかりません」とアレクサに断られていた。ポピュラー音楽ならすぐに出てきたのかもしれないが、主人の発声が曖昧模糊としていて聞き取れなかったのか、それとも、クラシック音楽はプログラムとして後退していたのか、理由はわからない。
普通ならば、指示を変えるなりして、求める音楽に接近する方法を考えつきそうなものだが、なぜか主人自身は小さな子供相手をしているかのように、いつでも同じことを続けて、喜んで笑っていた。
一方、私の方は、そんなことで忙しい朝の時間を潰しているかのような主人に苛立っていたし、なぜそんな役に立たないAIのアレクサを相手にしているのか、とイライラしていた。ラジオのFM放送も録音があり、CDもかなりあり、何も無駄な時間を繰り返さなくとも、音楽療法としてのクラシック音楽には事欠かないはずなのに…。
今なら、転勤を機に、主人の若年性の神経難病がかなり進行していたので、判断力の低下と思考緩慢、そしてPUNDINGの症状だったのだ、とわかる。だが、長らく通院していた大学病院の女性主治医が、一切言及も指導もしてこなかったために、本当に不安と葛藤の塊のような日々だった。
可哀そうなことをした、と反省しきりだが、その分、来月提出予定の論文完成に向けて頑張るしかない、と思うところだ。
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(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2023年11月7日投稿
懐かしい独逸語での映像。2016年に拙ブログにも掲載しました。
大好きなドビュッシーの曲の解説に、いつの間にか日本語字幕までついていた……。
昨晩、西宮の芸文ホールで久しぶりにお目にかかりました。
とても74歳とは思えない程、丸みを含んだ繊細かつ情熱的な弾きぶり演奏で、
コロナ問題やウクライナ戦争やイスラエルへの大攻撃のために、
長らく本格的な生演奏に飢えていた我々聴衆2000名近くを
深い感動と興奮で包んでくださいました!
馴染みのあるモーツァルトのピアノ協奏曲第17番と第22番。
ブラボー解禁となり、私の後ろからも何度も吠えていたおじさんがいました。
マーラー・チェンバー・オーケストラは、ギドン・クレーメルのチームに
負けず劣らず、弦の匠揃いで、規律正しい演奏ぶりでした。
ヴィトマン「コラール四重奏曲」は日本初演だそうです。武満徹風の箇所もある現代曲で、
ひょっとしたら日本人向きかもしれません。
古いCD二枚も購入して、サイン入り色紙を頂きました。
シューベルトのピアノ・ソナタ19番と20番、そしてシューマンとベルクの女流歌手とのリート集です。
(転載終)
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(https://www.youtube.com/watch?v=3mBzp5_yR18)
こちらは英語でのマスタークラス。
2014年4月9日に私がニューヨークのカーネギーホールで初めて内田光子さんのピアノ・リサイタルを聴いた後の映像のようです。実にパワフルな演奏です。
(転載終)
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こちらのブログには、過去にインタビュー映像含む7件の記事を掲載しています。
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/edit.php?s=Mitsuko+Uchida&post_status=all&post_type=post&action=-1&m=0&cat=0&paged=1&mode=list&action2=-1)
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以前の『はてなダイアリー』のブログには、内田光子さんに関して、2009年1月4日から2018年12月8日まで、計13件の記事(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=内田光子)を掲載しております。
以下に部分的な抜粋を。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090628)
《ピアニストの内田光子さんのように、知的かつ情熱的で研究熱心な息の長い演奏活動》
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140509)
《3.2014年4月9日:カーネギーホール
これはもう、幸運だったとしか言いようがない。恐らくもうアメリカには行けない(だろう)のに、急遽、渡米が決まった「ユーリまで一緒に人生しょぼくれることはないさ」と、カシャカシャとパソコンを操作していた主人が偶然に見つけたのだった。初めての割には、なかなかよい席のチケットを格安で。3月のことである。
何がラッキーだったかって、それはもう、内田光子さんのピアノ・リサイタルだったからだ。日本での演奏会はまだ行ったことがない。演奏会場とチケット料金が(当時の)私に合致するに至っていなかっただけのことなのだが、そうはいっても、インタビューは日本の月刊音楽雑誌で目を通していたし、英語やドイツ語のインタビュー映像もおもしろくて、時々楽しんでいた(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=uchida)。NHKの音楽番組にシューベルトの歌曲のピアノ伴奏などで出演された時も見ていたし、何より、図書館で借りたCDやFM-NHKラジオ番組で、演奏ぶりを堪能していたのだった。
音楽学校に通っていた子ども時代からお名前を存じ上げてはいたが、内田光子さんと言えば、何を差し置いても日本外交官のご令嬢で、ウィーン育ちの、何というのか雲の上の人という印象だった。だから、そんなに演奏を聞きたいならば、遠くからこっそりと、壁に隠れるようにして聞かなければ失礼だと思い込むほどだった。》
《結婚前に東海岸への出張の際、ニューヨークで主人が購入してプレゼントしてくれたコーチのバッグ(これまでほとんど全く出番がなかった)を肩にかけ、一応は見苦しくないか薄暗い部屋の鏡でチェックして、外に出た。初めてのニューヨークの夕方だ。通りを行き交う人々は早足だと、昔から何度も読んでいたが、私にとってはそうでもない。東京の方が早いし、よろず忙しなく感じている。そこはさすがに日本国出身者の強みだ。堂々と歩けてしまった。》
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140516)
《あのピアノ曲を聞く度に、ベージュで品よくまとめられたホール内部の雰囲気やらしみじみとした深い感動が甦ってくる。非常によい選択の曲目だった。一つには、当たり前だが、二曲とも陳腐で通俗的な曲ではなかったこと。従って、弾きこなすにも聴く側の準備としても、一筋縄ではいかなかったこと。二つめには、いかにも懐かしい情景と心象風景が折り重なってくるような沁み込む解釈だったこと、私にとっては、一生忘れられないメロディーとして心に焼き付けられたこと、が挙げられる。
相変わらず、上質なのだろうパンタロンに、長めの薄い天女のような上着を無造作に羽織ったような衣装で出て来られた。はにかんだような表情で、ぴょこりと深く体を折り曲げるようなお辞儀の後、颯爽と鍵盤に向かい、繊細に情感たっぷりに弾き始められた。二曲目を始める前に上着を脱いで気合いを入れるパフォーマンスを見せたところ、客席から思わず微笑がこぼれた。愛嬌のあるお茶目なピアニストだ。》
《彼女のインタビューを聞いていると、日本国内よりも欧米での方が遙かに人気が高く、深い哲学的な演奏解釈に対する評価も欧米人からの方が高いのに、必ず根底に「日本」をさりげなく覗かせていることがわかる。彼女の新旧取り合わせた複雑で高度な演奏曲目の幅は、どこから来ているかと言えば、西洋の単なる後発組模倣ではなく、「日本」が基底にあったからこそだ、とはっきりおっしゃっている。そこが非常に興味深く、ありがたく、勇気づけられる面だ。
つまるところ、彼女の人気は、ウィーン育ちの英国在住者だから受け入れられているのではなく、彼女の西洋音楽に対する受容のあり方と咀嚼のしかたが、生粋の西洋人にはまねしたくてもできない、独自かつ天来の素養から来るものなのだろう。それも、日本を捨てたのではなく、日本があってこその演奏だという点に、あの品よく熱のこもった長い拍手へとつながっていくものがあるのだろう。》
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161104)
《但し、楽章と楽章の合間の、待ちかねていたかのような咳払いの合唱は、内田光子氏も腕組みをして(違うんじゃない?)という表情をされていた。あれは音楽が続いている空間の間なのに、なぜ皆、一斉に咳き込むのだろうか。
ともあれ、情熱的のみならず、哲学的で深い解釈が内田光子氏の特徴で、恐らくは、私自身の年齢が上がったから、会場に足を運べるようにもなってきたのだろうかとも思う。
じっと演奏の表情を見つめながら、しばらく前にドイツ語と英語のインタビューを映像で拝見していたことも、合わせて思い出した。》
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私にとっては、儚くも短命に終わったシューベルトと我が家の主人とが、どこかで重なるような気がしている。
西宮の芸文ホールには、10年以上、何度も主人と一緒に演奏会に出かけた。そもそも、こんな立派な演奏会場を探し出して、海外の超一流の演奏家の来日公演に「行こう」と誘ってくれたのは、他ならぬ主人だった。私よりもクラシック音楽には詳しくないはずなのに、米国東海岸での1990年代の留学と駐在経験のおかげで、私よりも一種の「通」だったのだ。
サインをいただける演奏家の場合、長蛇の列に並んで待っている私をよろよろと探しながら、別の所で待ってくれていた主人の姿は、伊丹から一人で通うようになった今でも、ついこの間のことのような錯覚がしてならない。
(2023年11月8日記)