(https://x.com/ituna4011/status/1847249779644051739)
Lily2@ituna4011
(あ、この先生!)と思った京大の教授は、二冊目のPDガイドラインを作成されました。そのT教授から何と、「抄録を見て、おもしろい研究だと思った」と初対面なのにお褒めの言葉に与りました!
9:14 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847250233631342605)
Lily2@ituna4011
初めての医療系学会での初めてのポスター発表という無謀な試みだった。 パワポで下書きを作っている間、気分的に煮詰まって来ると、駐屯地の式典行進の映像を早送りで見ながら士気を高めた。
9:15 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847251322757959950)
Lily2@ituna4011
連絡をいただいてから、一ヶ月と二週間で集中して作り上げたポスター発表。今回は、印刷会社の方がとても親切で、料金割引もしてくださった。見栄えは、落ち着いた薄いブルーの下地に整えてくださり、品よく仕上がった。(カラフルなポスターは目立つが、内容もけばけばしい。)
9:20 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847253344936739292)
Lily2@ituna4011
修論は、毎月のゼミに出席しながら二年間で仕上げなければならないという時間的制約がある。従って、使い切れなかった数種類の我が家の病歴資料(勤務先の健康診断記録や歯科カルテや病院の電子カルテ抜粋など)について、今回の発表の下準備としてワードにまとめ直した。
9:28 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847253683312230449)
Lily2@ituna4011
この作業をしておくと、気分的にも落ち着く。修論提出前には、到底、時間がなかった。また、感情の整理には物理的時間を取る必要があるが、それほど単純計算通りにはいかない。重苦しく混乱した経験が伴っているからだ。
9:29 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847255242599236071)
Lily2@ituna4011
治療ガイドラインの責任者ともなれば、相当の知識と経験が豊富でなければならない。だが、そういう先生であればこそ、「それは勉強であって研究ではない」などと、貶めるようなことをおっしゃるはずがない。ということを再確認させていただいた次第。
9:35 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847255891147706422)
Lily2@ituna4011
仮に私が医師だったとしよう。自分が処方した薬剤によって、その後の患者がどのような経緯を辿ったか、共に暮らす家族はどうだったが、気にならないはずがない。 「患者中心の医療」と殊更に強調される昨今、私に言わせれば、「先生方は患者には確かに優しい。でも、家族には冷たい」。
9:38 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847257074130206751)
Lily2@ituna4011
それを450名の会衆の面前で挙手して意見したところ、お褒めくださったT教授が、「それでは、次のコングレスでは、家族のセッションを設けましょうか?」と即座に提案してくださった。
やったぁ!作戦成功。実は患者会では、若年性の介護家族の不満が噴出していたのだった。よって、代表として発言。
9:43 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847258450600112608)
Lily2@ituna4011
但し、昨今の病院は超多忙のため、ダラダラと時間をかけることは不可能。神経内科の外来診察では、15分から20分ぐらいかけてくださるが、PD患者はゆっくり話す上、小声で聞き取りにくいので、余計に時間を取られてしまう。従って、付き添い家族が、困っていることや状況報告を箇条書きにメモを作成。
9:48 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847259200982065603)
Lily2@ituna4011
そのような協力的姿勢は、患者も付き添い家族も絶対に必要だと思われる。えてして、神経難病の患者は、進行するにつれて、我儘で依存的になり、自分だけが世界中で最も苦労しているかのように思いがちだ。だが、それでは「お医者さんにもわかってもらえないよ」。 厳しいようだが、それが現実だ。
9:51 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847264238076870885)
Lily2@ituna4011
以前は、気分転換には家事やクラシック音楽一辺倒だった。最近では、それに加えて、扶桑歌・抜刀隊(陸軍分列行進曲)の映像を見るか、家庭料理の実演をYou Tubeで見るようにしている。士気が上がりますよ。
10:11 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847266041627648467)
Lily2@ituna4011
お料理は1.75倍速で見ています。
10:18 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847279622502904180)
Lily2@ituna4011
さて、コングレスが終了したので、来週からまた放送大学の5科目を再開。そして、大学院の2科目は新規の法学で、来週から初回の予定。通信指導はweb式になったので、PCの故障等が起きないかと緊張するが、早目に準備して、慣れるしかない。
11:12 PM · Oct 18, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847402429761147185)
Lily2@ituna4011
話せば楽になる、という助言がよくある。 実際には、思い出すだけでも疲れるから、嫌だ。 知的活動としては、精力的に見えるかもしれない。でも、心的労力は甚大だ。
7:20 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847407771639304292)
Lily2@ituna4011
名古屋大学の神経内科教室では、講義、試験採点、外来診察の他に、毎晩12時まで研究室にこもって研究三昧の日々だという。 女性の活躍なんて、無理だ。 男性医師は、髭を剃って顔を洗えば済むが、女医はお化粧に美容院に服装に、と時間がかかる。体力も脳の構造も男女差あり。
7:41 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847408522377765158)
Lily2@ituna4011
才気煥発な若い女性は、我こそは、と飛び込む世界なのかもしれないが、結果的に、患者や患者家族に迷惑をかけるような診察と薬剤処方では、本末転倒だ。 真に賢明な女性なら、そのような選択は避けるだろう。
7:44 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847414213976977884)
Lily2@ituna4011
今回、病院の電子カルテも読み直した。放送大学の補充科目履修のために、修論作成時よりも、遥かに読めるようになった。 社内の健診記録やメンタル検査結果は、興味深い履歴だった。最も印象的だったのは、社内の英語検定試験のネイティブによるコメント。成績優秀で、海外勤務も可能なレベルだ、と。
8:07 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847414868464587085)
Lily2@ituna4011
だが、抽象語彙よりも具体的な語彙の使用多発、会話途中で話が逸れる傾向、等の指摘が、神経学的見地からは秀逸。新たな発見。
8:10 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847416148058657127)
Lily2@ituna4011
恐らく、荷物整理が全部済んだら、新たな発見があるだろう。 そして、医学者による論文と比較検証するのだ。 こんなことができるのは、家族しかない。他人ならば、倫理審査や個人情報保護やら何やらで、縛りがかかり、やっていられず。 21年以上もの膨大な記録と物証を整理分析するだけでも、研究。
8:15 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847416874289811767)
Lily2@ituna4011
症例報告はエビデンスレベルが低いとされ、システマティックレビューの基準では、低い価値の論文扱い、らしい。 しかし、もしその症例が第一発見だとしたら、どうするのか?
8:18 AM · Oct 19, 2024
(https://x.com/ituna4011/status/1847455903018340747)
Lily2@ituna4011
申し遅れましたが、今回のコングレス、二度目の参加でしたが、大変充実していて、よい学びと交流の時間となりました。新しく知り合いになった方々や、昨年の神戸以来の再会もありました。
10:53 AM · Oct 19, 2024
(2024年10月19日転載終)
。。。。。。。。。
ちょうど一週間前のことになる。
今回の東京行は、7月5日には決めていた。というのは、その日に順天堂大学脳神経内科に所属する事務関係者から、案内チラシが届いたからだ。
2022年7月24日には第4回のコングレスに参加し、初めてなのに「精神症状」のラウンド・テーブルに出席させていただいた。その時、岩手医科大学の前田哲也教授にいろいろと質問をし、ご教示いただいた内容を、放送大学大学院の研究レポートⅠと修論にも書き込み、今回のポスター発表にもスライドに含めた。(前田教授は今回ご欠席のようだったが、私はコングレスの事前に、お葉書でお礼と学位授与の報告をお送りしておいた。)
第4回に出席すると自動的に第5回のチラシが送られてくるなんて、ありがたいなぁと思い、すぐさま、早割参加費を郵便局から送金した。同時に、新幹線を予約し、東京では思い出の常宿である赤坂のホテルも予約しておいた。
この赤坂のホテルは、主人がヨーガ・セラビーのために「東京にいらっしゃい」と、亡くなった番場一雄氏に誘われて、夫婦で宿泊した場所である。
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170112)
2017年1月12日「ヨーガの思い出」
《足の親指をきゅっと立てたり、背骨をじりじり捻ったり、足首を手でつかんだり、股関節を柔らかく開くことで、主人の病気が治るはずがないのだ。それでも、「T君、ヨーガしかないからね」「是非とも治してあげたい」「ヨーガで必ず治ります」と繰り返し声を掛けられていたあの日々のことが、私は忘れられない。》
詳細は、2022年7月28日付ブログ「東京滞在(名古屋おまけ)」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3023&action)を参照のこと。
今回は、二泊三日にした。ポスター発表は初めてであり、医療系学会での発表も初めてだったからである。
とはいえ、顧問の服部信孝先生には、多くのご論文を修論作成のために拝読してきた上、第4回でも既にお目にかかっていた。問題は、自分の年齢である。二十代から三十代の頃ならば、このような一日限りの学会は日帰りだったと思う。伊丹からなら朝一の飛行機も可能だ。だが、予期せぬ事故多発の昨今の現状に鑑み、体力消耗を避けるためにも、余裕をもって予定を立てたのである。それで正解だった。
まだ書類の山などが整理できていないが、思い出を振り返り、経験したことを深化させるには、私のペースでは、このぐらいがちょうどいい。贅沢な話ではあるが、外での仕事を持っていたら、予定を型通りにこなすだけのせわしない日々を送っていたことだろう。
10月11日(金):
東京の新宿にある学会ポスター専門の印刷会社を選び、明日の午前中に赤坂のホテルまで現物を届けてくださることになった。正午前には、ポスターイメージがメールで届いたので、ほっと一安心。
午後3時には、過去3年半お世話になった伊丹市内の漢方の先生の所へ、今回のコングレスでのポスター発表に関する助言をうががいに行った。事前にメールでパワーポイントの構成をお送りしておいたが、「パワポの方は、まだ見ていない」「漢方は、それほどレベルが高くはない」と、謙虚でいらした。約20分程の面会中、抄録集をお見せしたところ、「今回の学会は、患者と共に暮らした家族としての思いをそのまま表現すればいい。そういう場なのだから」とのことで、結論としては「そのままでいい」ということのようだった。
何だか申し訳ないような気がして、自宅に戻る前、久しぶりに昆陽池を一周して頭を冷やしてみた。かなり歩いたことになる。
10月12日(土):
朝9時半に新大阪発の新幹線のぞみに乗車。駅は外国人観光客等でごった返していた。それもそのはず、三連休の初日だからだ。ギリギリの出発が危険なのは、そのためもある。
行路はスムーズで、何ら問題なく、懐かしい赤坂のホテルに辿り着いた。フロントには、既に丁寧に梱包されたケース入りのポスターが届けられていた。チェックイン時間は午後3時以降なので、荷物を預けて、そのまま外出。
上京した際には、靖國神社を参拝することになっている。ここ数年、私は奉賛会員でもあり、今年からは防衛モニターでもあるので、是非とも訪れたい場所だ。遊就館は改修工事中だったが、兵食の展示はオープンで、持参の招待券を使って無料で閲覧できた。
奉賛会員カードを持っていたのに、お土産屋さんで支払う際、どういうわけか、つい「ホテルに置き忘れてきました」と言ってしまい、せっかくの10%割引が無駄になってしまった。普通、「あ、見つかりました。お財布にありました」と提示したならば、レジを打ち直して割引価格にされるはずなのに、どうやらサービス精神が乏しいのか、「もう変更できません」と。
その代わり、これまた懐かしいカフェでコーヒーを飲んだ時には、しっかり10%引きでいただいた。
このカフェは、2018年2月中旬、ダニエル・パイプス氏が来日された時の昼食に利用した場所である。「海軍カレー」を注文されていた。
あの頃、主人の状態は精神的に不安定さを増していた。だが、もともとパイプス訳文を勧めてくれたのは主人だったこともあり、私の勉強や仕事に関することになると俄然、寛大になって「いいよ、行っておいで」と。すぐさまホテルの予約をしてくれ、最新版のiPhoneまで買ってくれたのだった。(こういう点、本当に不思議である。)それで、私の方も爆弾のような不安を抱えつつも、せっかくだから、と5日間の予定を立て、パイプス氏にも喜んで了承していただき、靖國神社を一緒に訪問したのだった。
今の私は、あの時の思い出は記憶に鮮明なものの、不安ではち切れそうだった当時の心境は全くない。あれから6年半以上も歳を経たのに、神経難病患者との暮らしから解き放たれた今、申し訳ないほど、全く身軽な気分である。ただ、パイプス氏と共にいた場所と時間と会話の意味そのものが、ありがたくもほろ苦く、より鮮明化しつつ想起されるのみである。
夕刻にはホテルに戻った。夕食と翌朝の朝食のために、近くのコンビニで買い物をした。既に外国人店員は、違和感そのものにさえ慣れてしまっている現状である。
10月13日(日):
朝4時50分頃には目覚めた。身の回りの整理をし、スーツに着替えて、早目にホテルを出た。馴染みのホテルというのは、それだけでも地理上の感覚負担が少なく、楽である。
会場は一昨年と同じ浜松町コンベンションホールで、すぐに辿り着けた。9時から受付開始ということだったが、既に8時50分頃には受付を済ませ、早速ポスターを貼る準備にかかった。
横90センチ 縦210センチと大きいポスターであり、身長が届かなかったので、受付の女性に手伝ってもらえるよう頼んだ。ところが、恐らくはPD患者さんなのだろう、その方が自分で貼ろうとした途端、ポスターを握ったまま、椅子から後ろに転げ落ちてしまい、破れそうになって大きな皺が二ヶ所もできてしまった。
そこで、厳しいようだが、「これ、どうしましょう?ポスター点数を評価されたら、マイナスがつきますよね?」と、私は言ってしまった。進行期PD患者の特徴として、絶対に謝らないプライドの高さが挙げられるが、この女性もそのようだった。通常、健常者ならば、こういう時には発表者に対して、「すみません、すみません。申し訳ありません」と平謝りに謝るものだ。でも、難病患者である自分という意識の方が先行しているのであろう、この方は絶対に謝ろうとしなかった。まぁ、そもそも、受付係だからと安易に頼んだ私に非があるのだが。
(この破れ寸前トラブルについては、帰宅後、印刷会社の方に電話で報告したところ、呆れ返っていらした様子だった。つまるところ、現実社会は厳しく、難病患者だからといって、せっかくきれいに仕上げた作品を発表前に傷つけられるのは、製作者としても居たたまれないのだ。それを「寛容になりましょう」と呼びかけるのは、筋違いというものであろう。この点は、次世代のPD患者にとっての社会的課題である。)
とにかく、皺になった二ヶ所を拡大写真に撮って証拠とし、早々と着席した。申し込んだ時には気楽に考えていたのだが、抄録を見ると、私のポスターは学術研究者に両側を挟まれる位置になっていた。でも、(放送大学大学院から修士号を授与されて半年以上なのだから、大丈夫。漢方の先生も応援してくださったのだし)と、余計なことを考えないようにした。
左側のポスターは若年発症の女性で、製薬会社に勤務されているそうだ。名刺はお渡ししたものの、今のところ、まだ連絡はない。
午前中は元気いっぱいで「誰も私がPD患者だってわからないのよ」と言っていたが、終了間近になると、さすがに疲労の色がありありとうかがえ、症状も出現し始めていた。
ポスター剥がしを手伝おうかと思っても、自らビリビリと破るように取り去り、「データはパソコンにあるのだから」と、ぐしゃぐしゃに折りたたんで平気なようだった。思わず、主人の晩期近くを思い出し、「ずっと頑張って来られたんでしょう?」と声をかけると、「今でも頑張ってますよ」と。「無理しないでね、ゆっくり、ゆっくりね」と声かけしながら、この無理ヘンにゲンコツのような勢いで何かと闘争するかのように必死に生きて来られたからこそ、その重圧が神経に来たのではなかろうか、とも感じた。PD患者は、人生に苦労した人に多い、と水野美邦先生がどこかで書いていらしたが、私もそのように思う。
右側のポスターは、エーザイ株式会社等と利害関係のある順天堂大学の西川典子先生らのグループで、患者の薬剤に関するアンケート調査がテーマだった。恐らくは、その後の医学会でも発表されるとのことで、我々のコングレスでは、色華やかに「患者さんに寄り添っていますよ」というメッセージを送るための簡略化したポスターだったのではなかろうか?患者会の会報誌にまで宣伝されていたのに、終了間際には、さっさとポスターが剝がされていた。
西川先生は、もともと愛媛大学にいらした方で、2009年頃の論文を修論作成中に拝読した。だが、正直なところ、作為性の感じられる内容だった。端的に、私のテーマと真正面から対決するものだ。だから、先生とは名刺交換もしなかった。先生との会話でも、高見から見下ろすかのように、あくまで「それは主治医の先生のお考えですから」「今はその薬をマックスまで出す人はいません」「たまたま出たっていうだけでしょ?」という一点張りで、何ら私の趣旨を汲み取ろうともされなかった。(だからこそ、私は皆の前で「先生方は、患者には優しいけれど、家族には冷たい」と公言させて頂いたのだ。)
近くにいた男性が「先生達は製薬会社からお金をもらって研究しているから、それ以上のことは言えないんですよ」と。それは最初からわかっているが、それにしてもなぁ、と。
夕方5時15分頃には会合が終了し、知り合いの方々にご挨拶をして、会場を出た。ゆっくりとメトロでホテルまで帰り、荷物を置いてから、赤坂の中心街へ夜風に吹かれながら歩いて行った。
偶然にも「名古屋コーチン」と暖簾を下げた上品な居酒屋風のお店が見つかったので、そこで一人打ち上げ夕食とした。東海地方の地酒から、純米吟醸の「長珍」を選んで、並々と注がれたグラス酒を一杯注文。お料理は量が少なく、物足りなかったが、お値段は相当なもの。大阪なら、もっと安くてたくさん食べられるのにな….。でも、名古屋出身者が赤坂で名古屋コーチンを食べられるなんて、滅多にないことだから、これも記念としよう。出身地の援軍があってこそ、今回のポスター発表も上々だったのだから。
お酒でほろ酔い気分になりながら、今日一日を静かに振り返ってみた。
実のところ、18件のポスター発表の中で、私のポスターは開始前から開始後まで、結構いろんな方が立ち止まって見てくださった。「論文が読みたい」と言ってくださった「当事者」(患者のことを最近ではこのように呼称するようだ)も何人かいらしたし、名刺をお渡しした方もいた。「自分の症状に似ているかもしれない」という男性には、防止策として私が思いつく限りのことを助言させていただいた。
何よりも、PD専門の医学者であるベテランの高名な先生方にも見ていただけたのが、最もうれしいことだった。
今年1月8日に千葉県の本部で行われた放送大学大学院の修士論文の口頭試問では、プログラム長の山内豊明先生(神経内科医だって!)から「これは勉強であって研究ではないね」と言われた。それに対して、今回のPDコングレスでは、二冊目のパーキンソン病治療ガイドライン(2011年)を作成された京都大学の髙橋良輔教授みずから「おもしろい研究だ」と初対面でお褒めいただいた。これが、最大の収穫だったと思う。
(余談:修論が終わった今年の前期に、放送大学の教養学部の科目を履修していたら、山内先生が二冊目のPDガイドラインを中心としたPD講義を担当されていた。2018年には三冊目のガイドラインが発行され、今や次のガイドラインができつつあるというのに、随分と古い資料を使うんだなぁ、と思いながら聴講したが、まさかこんな展開になるとは!)
10月14日(月):
ほっとしたこともあり、朝はゆっくりした。お天気にも恵まれ、東京見物にはもってこいだ。
チェックアウトの時、二つのポスターケースとスーツケースを郵送する手はずをフロントで整え、すっかり身軽になって外へ出た。
(1)まずは、赤坂なので乃木神社へ。ここは一昨年、初めて訪れたところだ。20年以上も前、主人と一緒に来た時には、病気に囚われていて視野が狭くなっており、とてもここまで来る精神的な余裕がなかった。だが、おととし以来、記念祭には送金したりして、史実を知るように努めて来た。前回は、時間切れで乃木公園の外からお屋敷を眺めるだけで終わってしまったが、今回は、前回と同じく資料館に引き続き、お屋敷を一周ぐるりと見学させて頂いた。
(2)その後は、順天堂医院を見学に。本邦におけるPD研究は、東大系の楢林博太郎教授や水野美邦教授率いる順天堂大学がリードしてきた経緯がある。特に水野先生には、大阪での個別相談会でもお世話になった以上は、御礼がてら、一度は拝見したかったのだ。
とはいえ、都会の大学とは何と露骨なことか。デーンと空高く聳え立つ威風堂々たる東京医科歯科大学のビルに隣接して、こぢんまりとしたたたずまいの順天堂医院が横に広がっていたのだった。この違いは、まるで国立と私立の大学力の差を象徴しているかのようで、いささか圧倒された。
実は、放送大学大学院での私の指導教授は東京医科歯科大学のご出身。もともと東大法学部を出られた方でもある。どういう経緯で法学から医学に転向されたのかは不明だが、些か失礼に感じられたゼミでの態度は、この大学差から来たものであったのか?
いずれにせよ、修論作成の過程で判明したのは、⓵ 精神科と神経内科の関係は良好とは言えないらしいこと、⓶ 教授のご専門である統合失調症と私のテーマのPDとは、ドーパミンを基軸として、合わせ鏡のような疾病関係にあること、である。それにしても、大学の建物まで好対照だとは、実地に訪問してみなければ感知できなかったことだ。
(3)それから、私の母方大叔父の勤務先であった日本医科大学へ。ここは根津神社の前にあり、いささか庶民的な雰囲気のする地域だった。これも、来てみないとわからなかった点である。岐阜の田舎から上京してフランス留学までしたのだから、当時としては華やかな人生行路だったことだろう。
日本医科大学は、大阪大学医学部の源流である適塾の緒方洪庵が翻訳したフーフェラントの「医戒」を継承している唯一の大学である。放射線学の大叔父が、どこまでそれを意識していたか、今となっては確認のしようがない。そうは雖も、私なりに、阪大病院と日本医科大学を取り結ぶフーフェラントには最大の敬意を表したい。それに、順天堂医院が日本医科大学の設立に貢献した歴史的経緯もある。
(4)靖國神社近くの昭和館へも急いで行ってみた。展示そのものは予想通りだったが、予想以上に入館者が多かったのも意外だった。パンフレット等の資料もたくさんいただいてきたので、これからゆっくりと整理しよう。
荷物を送るシステムは、この年齢になると大変に便利だ。昔は贅沢なように思っていたが、ホテルに預けておいたり、駅のロッカーに置いたりするのは、新幹線の時刻上もリスキーだ。それに、余裕を持って東京駅に着いて正解だった。30分程、新幹線のホームで立ったまま待っていたが、駅の構内は非常に混雑していたので、その方がよかったのである。
帰りはスムーズだった。JR伊丹駅から自宅まで夜風に吹かれつつ歩いて帰るのも、すっかり慣行となっている。いい運動だ。そして、二泊三日の東京滞在で経験したことを振り返るには、ちょうどいい時空間であった。
(2024年10月19日記)(2024年10月20日一部加筆修正)
……………..
2024年10月20日追記:
実は、ここで打ち明け話を。
今回のコングレス参加に際して、修論にも明記したように我が家がお世話になった数多くの病院やクリニックやレスパイト施設等の一覧表から、関係された主治医のみに、今年3月の放送大学大学院からの修士号授与の報告と、コングレスでのポスター発表の件を葉書で通知しておいた。
これを思い立ったのは7月上旬だったのが、何とも気が滅入るというのか、なかなか作業が進まなかった。でも、狭い医学会のこと、我が家のような派手な終わり方をした迷惑な患者事例については、何となく口伝えの噂として広まっているのかもしれない。だとすれば、当事者責任として、予め公明正大にしておく必要があった。それも広い意味でのCOI(Conflict of Interest)の範疇に入るだろう。
勿論、お返事など期待はしていない。ただ、お忙しいから、とこちらも遠慮して、封書ではなく葉書でお知らせしたまでである。
ところが……
岐阜大学医学部の脳神経内科学の下畑享良教授から、丁重に封書に入ったお返事が届いたのである!
下畑教授とは、直接の面識は一切ない。だが、2022年4月から二年間の修論ゼミで、PD治療薬のプラミペキソールと副作用についてWEB検索していたところ、2006年に米国神経学会に出席された下畑教授のブログ(blog.goo.ne.jp/pkcdelta)が偶然見つかった。
それによると、当時、ケンブリッジ大学と復旦大学に所属していた精神科のValerie Voon教授が、ドパミンアゴニストを服用しているPD患者の精神面での副作用について学会発表。但し、本邦ではプラミペキソールが治験承認されたのは2003年で、販売開始の2004年からまだ2年という時期だった。神経内科学では今や主導的な立場にいらっしゃる下畑教授でさえ、「プラミペキソールは切れのいい薬ですが、この発表、どうなんでしょう?投薬に際しては、今後、要注意ですかね」という意味の曖昧な一文を記されていた。
その一文がきっかけとなり、私の修論テーマが一気に絞られていったのだった。(この時のゼミでは、石丸昌彦教授からも大変な褒め言葉を頂戴した。)
研究というのは、いつ何時、何がきっかけになるか、わからない。素人だから最初は暗中模索だが、揺るぎのない実体験が先にあればこそ、求める焦点さえ確定できれば、後は資料整理で一直線(のはずだ)。
今回の修士学位授与は、下畑先生の古いブログ記事が元になって展開したのだから、やはりここはお礼状を、と思って、コングレス発表の通知と共にご連絡申し上げた。
下畑先生は新潟のご出身で、神経学に関して実に優れた学的系統を引き継いでいらっしゃる。岐阜大学にも「ヒポクラテスの木」を植樹したり、若い後進を育てる医学教育にもご熱心だ。医学史にも深い関心がおありのようで、遠方に出張された際、「お~シャルコー先生!」等と喜んでブログに綴っていらした。
今でこそ、柔らかな表情をされているが、国会図書館で業績一覧を調べさせていただいたところ、もともとはPD類縁疾患を研究されていたようだ。素人が僭越ながら感じたこととして、主流のPD研究を行くよりも、初期診断が難しいとされる傍流のPD類縁疾患を研究されている医学者の方が、むしろ、PD研究の動向や問題点などをよくご存じなのではなかろうか?
下畑教授は人格的にも優れた医学者で、大阪府支部のPD患者会の冊子にもブログを一部掲載させていただいたことがある。「何も隠すことはありませんから」と寛大でいらしたそうだ。
本来、研究とは、研究者とは、どの分野であってもかくあらねばならない!
もう一点、コングレスの会場で1年半ぶりに再会した神戸のNPO法人てんびんの河野さんから伺ったことだが、主人が一番信頼していた阪大病院での元主治医の佐古田三郎名誉教授が、いつでも私のことに言及されている、との由。勿論、佐古田先生には、2023年2月の神戸での講演会で質問もさせて頂き、講演後には「修論を御指導ください」とまでお願いしてあった。だが、心理的障壁というのか、気持ちの整理がなかなかつかず、ご連絡がすっかり遅くなってしまっていた。
でも、佐古田先生は、やはり澤瀉久敬教授の愛弟子でいらっしゃる。私のこともちゃんと覚えていてくださったのだ!
これをきっかけに、修論の字句修正の再確認と製本への弾みがついた。
活動源は、やはり人。接する人によって、成り行きが左右されるのは、いずこも同じだ。
(2024年10月20日記)