近代的国語辞書『言海』

致知出版社の人間力メルマガ 2022.12.10
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「およそ事業は、みだりに興すことあるべからず。思ひさだめて興すことあらば、遂げずばやまじの精神なかるべからず」

――事業というのは気ままな気持ちで始めてはならない、心に深く決意して事を興すなら、何があっても必ずやり遂げるという強い思いを持って始めなければならない。
『解体新書』を記した杉田玄白や前野良沢の弟子であり、日本における蘭学の基礎を築き上げた先駆者である大槻玄沢(おおつき・げんたく/1757~1827年)が生涯自戒の語としていた言葉です。

国語学者の大槻文彦(おおつき・ふみひこ/1847~1928年)は、29歳の時から17年の歳月をかけて日本初の近代的国語辞書『言海』を完成させた人物で、大槻玄沢の孫に当たります。

当時は明治の草創期。欧米列強と肩を並べるためにも、独立国家として一つの標識になる国語辞書の成立は日本政府にとって急務でした。

しかし、17年に及ぶ編纂作業は困難を窮めます。もともと文部省の指示によって始まったものの、途中で出版が立ち消えになりそうだったため、文彦はこれを私費で出版します。

大金をはたいて古い典籍を購入するなど、3000冊以上の書物を引用・参考にし、昼夜兼行で四六時中、辞書づくりに打ち込みました。

そんな中、生後1歳にもならない次女が結核性脳膜炎で病死し、次いで最愛の妻もチフスに罹って帰らぬ人となってしまうのです。

この時ばかりはさすがの文彦も数日間、筆をとる力が出ませんでした。何とか気力を振り絞り、校訂に当たっていたところ、「露命(ろめい/つゆの命、はかなき命」という言葉に出逢い、涙で袖を濡らしたといいます。

そのような艱難辛苦を乗り越えて、日本初の近代的国語辞書『言海』をつくり上げました。文彦はその巻末に編集過程を振り返って次のように綴っています。

「遂げずばやまじ(略)おのれ、
不肖【ふしょう】にはあれど、平生【へいぜい】、
この誡語【かいご】を服膺【ふくよう】す」

自分は取るに足りない人間だが、事あるごとに常にこの祖父の言葉を心に留め、忘れず、困難を克服してきた、という意味です。

(部分抜粋転載終)

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岡田利兵衛先生

(http://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2022年12月5日投稿

今年の5月から、岡田利兵衛先生の旧制中学時代の日記を少しずつ読ませていただいております。そして、孫娘様の岡田麗先生方に教えていただきながら、鬼貫をゆっくり読む練習をさせていただいています。
また、岡田家に伝わる大量の古文書にラベル貼りするボランティアを数回、させていただきました。
誠に勿体なく、ありがたき機会と感謝申し上げます。
私の学部時代の指導教授は尾張藩士の御子孫で、徳川美術館の蓬左文庫とも深く関わっていらっしゃいました。国学一筋でしたが、岡田利兵衛先生のような風格の方でした。今では大変懐かしい限りです。

(2022年12月5日転載終)
。。。。。
(http://www.nikkei.com/article/DGXZQOIH074120X00C22A9000000/?fbclid=IwAR0mfXYHS4rFaX_QomfuKO7snMgCBq6R2xPeq3kGYjk8vKHsgTxvrawxqxc)

兵庫・伊丹は俳諧の郷 柿衞文庫、岡田利兵衞が基礎築く
時を刻む
2022年9月22日

俳諧資料で日本三指のコレクションに数えられる柿衞文庫。所在地の兵庫県伊丹市は、近世俳諧史で重きを成す俳壇の郷でもある。館名の由来となった収集家の柿衞翁こと岡田利兵衞(1892~1982年)が亡くなって今年で40年。利兵衞を知る人は少なくなったものの、柿衞文庫の存在感は今も揺るぎない。

芭蕉の自筆短冊

「松尾芭蕉の『ふる池や蛙飛込水のおと(古池やかわず飛び込む水の音)』の自筆句短冊がある施設です、と紹介するとみなさん眉を開いてくださいます」
こう笑いながら説明するのは公益財団法人柿衞文庫の岡田麗常務理事。「ハイカイ」と聞いてもピンとこない人が多い。俳句に先立つ連歌の歴史から説き起こすより、端的な事実を述べた方がイメージを伝えやすいという。

芭蕉や小林一茶から近代の正岡子規、河東碧梧桐に至るまで、俳諧に関する軸や短冊といった資料約7500点、書籍約3500点を所蔵する柿衞文庫。大半は岡田利兵衞が収集したものだ。東京大学総合図書館「酒竹・竹冷文庫」、天理大学付属天理図書館「綿屋文庫」と並び、三大俳諧コレクションの一角を成す。

所蔵資料の質と量にも増して柿衞文庫の名を輝かせているのが、岡田利兵衞の著書「芭蕉の筆蹟」だ。

芭蕉の生涯にわたる多くの書簡や短冊などから、ひらがなを一つ一つサンプル抽出。変わらない固有のくせと、年齢などで微妙に変遷する筆跡をたどって、その特徴を一覧表にした。これと突き合わせれば、芭蕉の真筆かどうかに加え、何歳ごろの運筆かも類推できるという。

一覧表に公開したことで、鑑定がいわば「秘伝の名人芸」から「だれもが見比べることのできる科学的作業」に置き換わった。その功績から「芭蕉の筆蹟」は1968年の文部大臣賞を受賞。埋もれていた芭蕉の「野ざらし紀行」がことし5月に再発見された際にも、鑑定根拠の一つとして脚光を浴びた。

利兵衞が俳諧研究に手を染めたのは40代半ばとやや遅咲き。生家は江戸時代から続く酒造業で、利兵衞自身も京都帝大を卒業後、22代当主として家業を継いだ。もともと多趣味な人だった。希少な洋鳥を集めて飼育する傍ら、入念に研究して一目をおかれ、写真を撮れば玄人はだし。高山植物も熱心に採集した。ただ対象をめでるにとどまらず、観察・記録して分析しないと気が済まない凝り性でもあったようだ。

原典主義を重視

一方で、出生地の伊丹は清酒の産地として名高く、裕福な酒造業の旦那衆が茶の湯や謡曲などをたしなむ文化が根づいていた。なかでも俳諧は他所に抜きんでて有力だった。例えば広辞苑は「伊丹風」でわざわざ項目を設け「元禄頃の俳諧の一風・一派。伊丹の人、池田宗旦を祖とし、口語を自由に用い新奇な着想で表現(後略)」と解説する。伊丹は俳諧文学史でもひとかどの郷だった。

利兵衞の俳諧研究も、郷土愛に根ざしたところから出発した。同じ酒造業者で芭蕉と同時代に活躍した郷土の誇り・上島鬼貫の資料を手にしたのがきっかけという。持ち前の研究熱に火が付くが、活字になった当時の翻刻資料は誤読・誤植・誤脱がおびただしかったため、原典主義を重視。ところが古美術商から持ち込まれる短冊や軸などにはにせものが多かったので、鑑定の必要に迫られた。「芭蕉の筆蹟」はその原典収集・研究が実を結んだものだ。

柿衞文庫は旧岡田家住宅(国指定重要文化財)の敷地の一角に立つ。風変わりな特徴の実をつける柿の木があり、その名物の老木を守る、という趣旨で利兵衞は「柿衞」を名乗った。

ことし4月に柿衞文庫は市立の美術館や博物館など5施設を統合した「市立伊丹ミュージアム」の一組織になった。利兵衞の俳諧に寄せる思いは、文庫のスタッフに引き継がれ、現在開催中の特別展「蕪村の手紙Ⅱ」(11月6日まで、展示替えあり)にも息づいていそうだ。

(編集委員 岡松卓也)

(2022年12月5日転載終)
……….
岡田利兵衛先生に関する過去ブログは、以下に。

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2581&action)
「岡田柿衛翁の生涯」: 6 May 2022

(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2771&action)
今後の予定を考える :4 Jun 2022

(2022年12月5日記)
……….
2022年12月6日追記

昨年の今頃、フェイスブックに書いた投稿文です。

(http://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2021年12月5日投稿

伊丹のサムライ俳人鬼貫について短いレポートを書いて、先月末、速達で東京へ送りました。
来年1月中旬には、その続きを深めて、さらに書くことになりそうです。
今、市内の図書館で文献を集めてリスト化しています。
一次資料が豊富である上に、昔の執筆陣は群を抜いて教養が高いので、まるで学生時代に戻ったかのようです。
昭和の子で、私は本当に恵まれていました。
芭蕉については、私の場合、どうしても文献中心になりますし、文字上の理解に留まりがちです。無理もない。
でも、鬼貫は伊丹市内に確かな足跡を残しているので、展示や街歩きコースで、時空を超えて繰り返し辿ることができます。
鬼貫の「心を深く入れて日常を詠む」という姿勢に「日本人の道」を感じます。
これから勉強して、来年の課題に備える!
ところで、清少納言について本を書いたフィンランドのミア・カンキマキ女史は、やはり西洋教育を受けた北欧人、という印象。まずは、日本語がきちんと読めないと、資料上の制約があります。つまり、理解の制約。そうは雖も、翻訳が上手なので、楽しく読ませていただきました。
清少納言は、「道」について、どうなのかしら?
ミア女史によれば、枕草子は、つまるところ、ブログ、なのだそうです。
あら?

(2022年12月6日転載終)

そして、井原西鶴や近松門左衛門を必修で学んでいた国文学科時代。20歳前後の小娘に、江戸文学の何がわかるものか?

(http://twitter.com/ituna4011/status/1493796642079662080)
Lily2@ituna4011
学生時代の西鶴織留の印影本、処分してしまったのが悔やまれる。
当時は、まさか伊丹で暮らすようになるとは想像もしていなかったため。
12:57 PM · Feb 16, 2022

(2022年12月6日転載終)
…………..
2023年8月8日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1688681961722892288)
Lily2@ituna4011
気分転換の日課として、 信長公記 を少しずつ読んでいる。 実家近くの歴史が詳しく書いてあり、俄然、興味が湧いた。 名古屋にいた頃、周囲で言及した人はいなかった気がする。 伊丹に来てから、市民向けの歴史講座で教えられて知った。 伊丹万歳!
7:42 AM · Aug 8, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1688683425442811907)
Lily2@ituna4011
伊丹の江戸文学資料も、市民向け講座で月一回、一時間半、ゆっくりまったり読み合わせしている。 こういう時間が持てる幸せ。 街中を歩いていても、日々の意識が違ってくる。 参加者は、概ね元気そうな、暮らしをきちんとされている方々ばかりだ。 古典文学の効用か。
7:47 AM · Aug 8, 2023

(2023年8月8日転載終)

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「猪隅関白記」と大原訪問など

外出が続くと、家の中の整理整頓や日課の勉強が滞ってしまい、なかなか悩ましいところだ。
でも、精神衛生上、機会があれば外の空気を吸う習慣は大切ではないだろうかと思い、調整しつつ、焦りつつ、何とかやっている。

さて、師走の月に変わる前に、11月23日と27日の記録を残しておこう。

(1)11月23日 京都文化博物館

中京区にある。ここへ来た経験も、過去ブログに三回、記したことがある。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071008)
《烏丸御池の京都文化博物館へトプカプ宮殿の至宝展示会に行って来ました。朝日友の会の会員なのに、新しいカードに替えて以来、今年はどういうわけか一度も利用していないため、主人と二人で計400円の割引があるという点に一番の魅力を感じて出かけました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100321)
《近くの図書館でいただいた割引チケットで、京都文化博物館の「古代カルタゴとローマ展」を見てきました。モザイク壁画や緻密なアクセサリーや墓石の飾りなど、古代地中海文明の一つとして学ぶところ多く、なかなか興味深い展示でした。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20181112)
《昨日、京都烏丸にある京都文化博物館で展示されていた『華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美』を見てきた。この博物館へは、これが三度目かと思う》
。。。。。。
雰囲気としては、国立博物館には一段下がる感じだが、悪くはない。今回は、「近衛家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝十二 宮廷行事と宸翰和歌懐紙」と題する展示を見に行った。ここでも放送大学の学生証が効果を発揮して、100円の割引制度が有効。大学生(!)料金で入館した。

右京区にある藤原氏五摂家の筆頭格である近衛家の御蔵を継承した陽明文庫の冊子は、少しずつ買い集めているが、一気に読むものではなく、折に触れて少しずつ、というのが私のやり方。

最も注目していたのが、近衛家実筆『猪熊関白記 建仁三年秋巻』。開かれていたページには、朱が幾つか入っており、後鳥羽院との関係の記事だった。
この文献は、2020年11月半ば、伊丹の古文書の会で和風漢文を読む練習として課題が配布されたことがあり、実物の一端を是非見てみたいと思っていたら、チャンスが到来したのだ。

2022年12月1日後注1:課題では『猪隅関白記』となっていたが、博物館では『猪熊関白記』とパンフレットにも表記されていたので、それに従う。)

2022年12月11日後注2:ただ今、京都文化博物館に電話して、担当学芸員さんに表記の異同を尋ねたところ、「我々もすっかり気づかず、今言われて誤植だとわかった」との由。本ブログのタイトルも、それに従い、本日付で表記を訂正する。)

また、藤原道長筆『御堂関白記 自筆本 寛弘九年上巻』(国宝)や孝明天皇筆『詠糸桜和歌巻』『青柳風静』も圧巻だった。

この企画では、四つの時代にわけて絵巻物がビジュアル化されていた。

それぞれの場面で、座ってゆっくり眺めていたが、顔の表情が一人一人違っていて、細かく描き分けられており、実に生き生きとしている。予想以上に表情豊かで、無邪気に明るく素直に暮らしていたのではないだろうか、と新鮮な気がした。結構ハンサムな顔立ちの公達も多く、かと思えば庶民が好奇心いっぱいに物見高く駆け寄る姿もあり、実に楽しそうだ。

教科書で歴史を習うと、あたかも階級によって仕切りが明確化されており、上流階級は整然と生活していたような錯覚を覚えるが、絵巻物が写実性に基づくものだとすれば、本当はもっと大らかで楽し気な暮らしぶりだったのではないだろうか。

(2)11月23日 大原

どんよりとした曇り空に冷たい雨が降りしきる大変な時だったが、ここまで来たら引き返すのももったいない。烏丸御池から国際会館前まで地下鉄で行き、そこからバスで大原の三千院へ向かった。

三千院と言えば、確か名古屋市立の小学校の修学旅行が京都と奈良だったので、その時に訪れたはずだ。(余談だが、中学は東京で、高校は小豆島と讃岐だった。)
だが、お目当ては蓮成院と来迎院。今回が初公開だという非公開文化財特別公開の指定だった。

雨で道がぬかるみ、落ち葉の紅葉を踏みしめながらゆっくりと歩きつつも、大変な行程だった。

蓮成院では、池泉庭園と襖絵が見物とされていたが、この天候では、せっかくの文化財が劣化してしまうのではないか、と残念に思った。また、展示品が予想以上に少なく、その割に「アサヒメイト」で100円引きとはいえ、拝観料が900円はちょっと高いのでは?数年前までは、この種の文化財公開は一律700円だったと記憶する。

来迎院はよかった。薬師如来像、釈迦如来像、阿弥陀如来像と、素朴さの残る中に優美さが漂う平安初期の仏像があり、絵馬には耳の病気の癒しを求める祈願が多く掛けられていた。
また、聖教文書が並べられており、雨天と夕刻近くのために暗がりになっている場では、遠い時空を呼びさますような不思議な幽玄さを感じることができた。

来迎院のご住職が、「なぜ三千院のような明治期に造られた新しい方に、人々は行くのだろうか」と嘆いていらっしゃるとうかがった。こちらでは、声明つまり仏教音楽の基礎の中心地だそうで、そのような行事もあるらしい。
。。。。。。。
(kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5561/)

【来迎院(らいごういん)Raigou-in Temple】

声明中興の祖である聖応大師良忍上人が建立して、天台声明の根本道場とされてより現在に至る。なお、聖応大師は後に融通念仏宗を興され、鎌倉時代初期には多くの僧が集まり、成時には四十九院の寺坊があったと言われる。
山号は「魚山(ぎょざん)」。本堂には、本尊、薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来が安置されている。いずれも藤原時代のすぐれた作品で、重要文化財である。また、境内には、聖応大師のお墓を祀り(三重石塔)、鎌倉時代の重要文化財になっている。
寺宝としては、天台宗祖師伝教大師度縁一巻があり、これは平安初期仏教界の貴重な資料で国宝でもある。その他、聖教文書類で、聖応大師自筆写本を初め、平安時代の聖教、あるいは大原声明に関する貴重な典籍約600点などがあり、昭和四十九年に文化財に指定された。その中の一つに、日本で唯一の日本霊異記、中・下巻(国宝指定)があり、現在、文化庁に保管されている。一月二日には天下泰平・国家安泰を祈願する声明法要である修正会(三十三度ともよばれてる)が来迎院村の宮座の若衆仲間が参加し行われる。

(転載終)
。。。。。。。
普段は400円で拝観できるそうだが、「京都非公開文化財特別公開」の普及啓発事業の期間になると、なぜ一気に1000円に上がってしまうのだろうか?

暗くなる前に、三千院の入口近くまで久しぶりに行ってみたが、時間切れ。お土産に千枚漬と生八ツ橋を買ってバスに乗り込み、四条まで帰って来た。雨でなければ、もっと疲れは少なかっただろう。でも、大原へは行ってよかった。昭和時代の京都を彷彿とさせる雰囲気が残っていた。

11月23日は新嘗祭。9月頃から1キロずつ計6袋、買っておいた徳島産の新米の玄米が、この日以降、ようやく食べられる。

(3)11月27日  金田一秀穂氏の講演会(伊丹ミュージアム)

午後2時から4時過ぎまで約2時間。若い人も少し含め、主に中高年の人々が90名近く集まっていた。

アイヌ語学者の金田一京助氏を祖父に、アクセント辞典で有名な金田一春彦氏を父に、金田一秀穂先生は日本語教師をされている、という。
愛嬌のあるにこやかな表情を絶やさず、気さくそうな感じの先生だったが、お話のポイントは、「気配」という人が作るものの大切さ、「考える能力」の更なる必要性、ということだろうか?

金田一春彦氏は、国文学科の学部時代には、完成された学者だという印象があったが、今振り返ると、結構いろいろあったようだ。

気楽なお話に引き続いて鼎談もあった。その場の雰囲気を楽しむことがメインで、特に書き記すことはなかった。多分、これが伊丹風なのだろう。

(2022年11月30日記)
……….
2022年12月1日追記

茶の湯に関する展示を鑑賞するには、茶道文化検定の勉強が予想以上に役立つことは既に記した(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3881)。そして、上記の京都を巡る文化財を拝見するには、商工会議所が主催する京都文化検定の勉強が生きてくることを、今回も感じた。

いずれも2017年秋から自習を始めた(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20171204)。どちらも三級までは合格している。基礎中の基礎で知識のベース作りには必要なステップ。その上の段階は、結構ハードルが高い。それだけに集中しているならともかく、私の場合は、あれこれ手を広げ過ぎなのかもしれない、と常に反省はしている。いつでも勉強する時間が足りないのだ。

京都へは、小学校時代の家族旅行の頃から、新幹線のこだま号に乗って、数えきれない程、来ている。20代後半から結婚前後になると、京大(東南アジア研究センター図書室)や京都府立図書館や同志社大学等が立ち寄る中心だった。当然のことながら、狭く自分の研究分野に絞って資料集めをしていた。若かったせいもあるが、自分のしていることが専門性の高いことだと勘違いしてさえいた。目標を定めて、早く自分の居場所を探さなければ、と思っていた。

だが、京都文化検定の公式テキストを見た時、いかに自分がモノを知らないか、痛感させられた。古代から現代までの京都全体を見て、足元をしっかりと固めてから、自分の位置づけを探すべきだったのだ。検定試験は趣味だとばかり軽く思っていた時期があったけれども、実際には京都を知る一つの基準ないしは目安であり、一通り学んでおくと、博物館の展示や文化財の説明や寺社縁起に書かれていることの意図等、おのずと浮かび上がるように理解が進む経験をした。

関西に居住するようになってからは、駅等で入手する各種の地図を見て、利用した駅や行ったことのある寺社や公共施設に印をつける習慣ができた。京都だけではない。両系の祖父母が暮らし、自分も生まれ育った名古屋でさえ、知らない場所が結構まだあるものだ。その中で生活していた時には、水や空気のように当たり前過ぎて、意識して学ぶことさえ全くなかった。学校で習って試験を受ければ、それで常識的には終了、とさえ感じていた。

学びに終わりはない。

(2022年12月1日記)

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茶の湯の展示

11月は、文化にまつわる催し物が多く、気忙しくも充実した日々だった。

(1)11月22日の4時過ぎには、自転車に乗って久しぶりに伊丹市埋蔵文化財センターへ行ってみた。

ここは、大きな公園と小さなプラネタリウムのある科学館近くで、恐らくは工夫して見つけた土地と場所だったのだろうと思われるが、狭いせいか、今一つ、暗い印象がある。また、正直なところ、ミュージアム等のメイン展示の補助的な位置づけで、どこか中途半端な感じがある。無料だから仕方ないのかもしれないが、こちらとしては、せっかく自転車を漕いで、猪名川を渡って行くのだから、もう一工夫欲しいところだ。

以前の道昭や行基に関するミニ展示は、子供だましのようなイラストと漫画の吹き出しのような言葉付きで、私には逆効果のように思われた。今回は、そういう細工もなくなり、すっきりとしていた。その方が絶対にいい、と私は思う。こういう場所へわざわざ展示を見に来るような子供達なら、大人による「子供目線」が鬱陶しく思われるのではないだろうか?少なくとも、私が子供だったら「ふざけんな!」と、怒り出すだろう。

展示内容は「荒木村重は武将のみならず、茶人でもあった」という主張の下、安土・桃山時代の伊丹発掘の「茶」に関連した遺物と、なぜか突然、大山崎町にある利休の国宝である茶室「待庵」の再現だった。
お言葉を返すようで恐縮だが、この時代の格式ある武士ならば、教養や社交として茶の湯を嗜むのは通常のことでは?
私にはまだ充分にわかっていない荒木村重だが、その意味では、村重像の描き方が今一つ、作為的に感じられる。

有岡城跡と伊丹郷町遺跡で出土した茶器や破片等は貴重であるが、全体としての説明パネルは、一般財団法人今日庵茶道資料館または淡交会主催の茶道文化検定の4級レベルの内容だった。全部で10分足らずで見終わってしまった。入館者は私一人。

(2)茶の湯に関しては、京都国立博物館で「京に生きる文化-茶の湯」が開催中だったので、11月29日の午後、行ってきた。

雨の中、入場者は程よい人数で、コロナ問題が続く中、体温測定もなく、予約も不要だった。

放送大学大学院の学生証を提示すると「大学生(!)ですね?」と、600円も割引してもらえた。(ちなみに、伊丹のミュージアムでも、柿衛文庫では私は常に学生割引である。放送大学の威力は大きい!)こまめな割引を積み重ねることで、足取り軽く入館できるし、記念としての絵葉書や冊子等も、遠慮なく買える。

3時50分に入ったのだが、閉館の5時半ギリギリ直前に駆け足で見終わった。こちらはさすがに、茶道文化検定の2級程度の内容と解説。この11月の中で、一番落ち着いて興味深く見られた展示だった。

最もうれしかったのが徳川美術館所蔵のお道具が7点、展示されていたことだ。古銅花入「銘 杵のをれ」、備前水指「銘 青海」、白天目、相応寺屏風の遊楽図屏風、青磁香炉「銘 千鳥」、唐物茶壷「銘 松花」、竹茶杓「銘 宗句参」である。この中の4品は重文である。

陸羽の『茶経』(1542刊)も初めて見られた。『延喜式』巻二十三では、尾張国と長門国(山口)から、毎年、緑秞陶器の茶碗を納めるように、と記されていた。また、建仁寺の四頭茶礼の道具も、ようやくわかった。
放送大学大学院の「日本史史料を読む」の講義で出てきた「東寺百合文書」から、一服一銭の誓約書がおもしろかった。「毎日掃除をせよ」「遊女を集めるな」云々。これは国宝である。
そして、裏千家の玄々斎が明治5年に記した「茶道の源意」と「上申書」は、確か茶道資料館で以前も拝見した記憶がある。

どういうわけか、ここでもまた茶室「待庵」の再現があった。ということは、秀吉の黄金の茶室の再現も、勿論あった。金色ばかりの茶室は、趣味としてはよくないが、いかにも秀吉の好みらしいとは思う。
。。。。。。
こうしてみると、茶道文化検定は単なる趣味の検定ではなく、以前も書いたように、基本的かつ標準的な知識のベースを作るためには必要なプロセスだと実感する。指定テキストを繰り返し読み、実物のお茶道具を機会を見つけて拝見に行き、定期的に検定試験を受ける。20代の頃、名古屋でお茶を習い始めた時には、淡交社その他の専門書をかなり買い込んで、日課として少しずつ読むようにしていたが、それよりも検定試験の方が系統立っていて安定感があり、基準として公的にも広く認められているので、試し甲斐がある。

余談だが、履歴書に書ける。実は、昨年夏頃の放送大学大学院修士課程の願書にも、履歴書の欄に、研究テーマの分野とは全く関係のない茶道文化検定等も全部並べ、合格証明書のコピー一式を添えて本部に送った。いくら専門書を読んでいたとしても、許状をいただいていたとしても、茶道教授を目指しているのではあるまいし、履歴書のインパクトが弱い。だが、研究分野以外にも視野を広げ、知識を吸収しようと努めているのだ、という姿勢を示すには、私の年齢では、これぐらいしなければ、と思った次第。ちなみに、大学院は海外も含めると、これで三度目である。言うまでもなく、職歴も国内外共に列挙されている。

話を元に戻すと、今回の発見は、そのようにして2017年から続けてきた茶道文化検定の知識が(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170729)、このような展覧会では非常に生きてくる、ということだった。

明日は、京都文化博物館と大原の来迎院と蓮成院の文化財を拝見した11月23日の記録を書こう。

(2022年11月29日記)
…………
2022年11月30日追記

京都の国立博物館(いつの間にか「京都国立博物館」と呼称)へ行った過去ブログの記録を以下に。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20141114)
《高山寺所蔵の鳥獣人物戯画展があると知ったが、スマホを見た主人が、午前中ならば150分も並んで待つよう指示が出ていたと教えてくれた。そこで先に、弥生時代、古墳時代、平安時代、室町時代、南北朝時代、中でも、特に十世紀から十二世紀にかけての古い京の展示を見ることに。
結局は、日もとっぷり暮れた頃、じっと静かに一時間並んで待った末に、中に入って見ることができた。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171025)
《京都の国立博物館で話題の「国宝」第二期を見てきた》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171114)
《京都の国立博物館で「国宝」第三期を見に行ったが、盛況活況でくたびれて帰って来た。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171128)
《せっかく、我が町から二点も「国宝」が展示されたので、二十年前からお馴染みの晴れ姿を見に、計三度も京都の国立博物館へ出掛けることになったのだが、毎回、物凄い人出。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171129)
《計三回見に行った京都の国立博物館での「国宝」展でも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171128)》

その他、主人の入院中にも一度、京都国立博物館で彬子女王殿下の御講演があるとのことで、チケットを求めて拝聴したことがある。

(2022年11月30日記)

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ツィッターの転載

(https://twitter.com/ituna4011/status/1595591804317216769)
Lily2@ituna4011
もうすぐ、私も二度目の先輩院生に。 どんな研究テーマの後輩さん達がゼミに入ってくるかしら? 放送大学のホームページを再び見たが、2022年度、つまり私の受験時には、大半のプログラムで、募集定員を大きく下回って合格者が出ている。つまり、一次試験と二次試験の両方とも、基準点以下は落ちる。
10:35 AM · Nov 24, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1595593894913540096)
Lily2@ituna4011
窓口は広く甘くしておいて、試験通過には良識が働く仕組み。 科目等履修生は楽だが、大学院では遠慮なくふるい落とす。 意欲と目的が明確なこと、研究に意義があることがポイントかしら? 不合格だった人のブログを見ると、何となく理由がわかる。頑張っているようでいて、動機が甘い。
10:43 AM · Nov 24, 202

(https://twitter.com/ituna4011/status/1595595363276443649)
Lily2@ituna4011
大学教員でいながらも、全く別専攻で放送大学大学院の学位を目指していたり、80代90代でも放送大学を卒業されたりする方が珍しくない。 私の知るフランス人は、3つの博士号を持つ大学教授。これからは、そういう風潮もできるだろう。 時代は急激に変化している。
10:49 AM · Nov 24, 2022

(2022年11月27日転載終)
………
(https://twitter.com/ituna4011/status/1596425353194803200)
「オミクロン株対応ワクチンについて 現時点で分かっていること」
忽那賢志(感染症専門医)
11/26(土)
Lily2@ituna4011
⇦ これだけ丁寧に繰り返し書かれても、反ワク派が一定数いる。そこで疑問だが、反ワクチンの人が感染して重症化した場合、それでも医療従事者は治療してあげないといけないのか?また、反ワク派を「差別」してはいけないと言われるのか?
5:47 PM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596426358070341632)
Lily2@ituna4011
感染して重症化したのは自己責任だ、と患者を放置することはできないのだろうか?自分の行為には自分で責任を取れ、と。因果応報。人に迷惑をかけるな、と言いたい。それは差別行為に当たるのだろうか?
5:51 PM · Nov 26, 2022

(2022年11月27日転載終)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, Studies related | Leave a comment

神の名を巡る論争と騒動(1)

かつての私も、マレーシアの”Allah issue”について、ニュース記事や関連資料を集めていた。過去ブログにも繰り返し書き、学会や研究会でも何度も発表してきたが、本当に飽き飽きして、時間と労力の無駄だと思った。

私のブログ上の記録では、2007年12月29日に始まり、2017年11月27日付の英語ブログでの言及が最後である。だが、この係争問題は、今年の8月にもまだ継続していると、関係者から聞いた。

(https://itunalily2.hatenablog.com/search?q=%22Allah+Issue%22)
(https://itunalily2.hatenablog.com/search?q=%22Allah+Issue%22&page=1294930800)
……..
以下に、ダニエル・パイプス氏の個人ホームページから、本件についての連続記録を抜粋する。あれ程、メディア出演や大学講演やら中東フォーラムの運営等で国内外を飛び回っていて大変に忙しかったのに、よく記録が続けられるものだと、その丹力には脱帽しかない。

私が翻訳を頼まれた10年程前の2012年3月頃、パイプス氏はまだ、米国の保守系テレビ各局やカナダやフランスやイラン等の海外テレビ番組にも出演していた。私にとっては、(そんな有名な人とメールで繋がっているなんて!)と、びっくりしながらも心強く思ったものだ。

あれから10年以上が経ち、その間にイスラム系の暴力テロが世界各地で頻発するようになると、さすがにのんびりしていた日本側も目覚めて、最近では、イスラムに関して頓珍漢な発言をする人は、表向き少なくなったように思う。こんなつまらない事柄で、人々のエネルギーや時間等を奪っていたのだ。
。。。。。
(https://www.danielpipes.org/blog/2005/08/is-allah-god-continued)

Is Allah God? – Continued
by Daniel Pipes
Aug 14, 2005
updated Dec 19, 2015

Is “Allah” the same deity as “God”?

I first broached this topic in my 1983 book, In the Path of God (“Calling the Lord of Islam Allah seems to imply that Muslims direct their prayers to a divinity who differs from that of the Jews and Christians, whereas, in fact, Muslims worship the same Lord; Allah is merely the Arabic translation of God”). I then discussed it at greater length in June 2005 at “Is Allah God?” (again answering the question in the affirmative).

Here follow further developments.

Dec. 24, 2007 update: Che Din Yusoff, a senior official at the publications control unit of Malaysia’s Internal Security Ministry, has warned a Catholic publication, the Weekly Herald, not to use the term Allah in its Malay-language section to refer to its concept of God.

Che Din indicated this usage is erroneous because, Allah refers to the Muslim God. “Christians cannot use the word Allah. It is only applicable to Muslims. Allah is only for the Muslim god. This is a design to confuse the Muslim people.”

Che Din instructed the newspaper to use the generic term for God, Tuhan. Che Din reasoned that because Christians do not use the word Allah in their English-language worship, they also should not use it in Malay. In addition, Che Din forbade three other Malay words to non-Muslims: solat for prayers, kaabah for the place Muslims worship to in Mecca, and baitula for the house of Allah.

In response, the editor of the Weekly Herald, Father Andrew Lawrence, explained his newspaper’s usage of the word: “We follow the Bible. The Malay-language Bible uses Allah for God and Tuhan for Lord. In our prayers and in church during Malay mass, we use the word Allah. This is not something new. The word Allah has been used [by Christians] in Malaysia for a long time. There is no confusion.”

Publishers in Malaysia are required to obtain annual permits from the government which expire on Dec. 31. the Weekly Herald is in discussion with the government to renew its permit; Che Din indicated this would happen only if it stops using the word Allah in its Malay pages.

Comment: This development makes for an interesting coda to the Tiny Muskens flap (see entry at Aug. 15, 2007).

Dec. 28, 2007 update: The Malaysian case promises to be an interesting one, for the Weekly Herald plans has sued the government and the internal security minister (a post held at the moment by Prime Minister Abdullah Ahmad Badawi) for banning the word Allah in its pages. “We are of the view that we have the right to use the word Allah,” says its editor, the Rev. Lawrence Andrew.

The Sabah Evangelical Church of Borneo, has joined the suit because customs officials confiscated three boxes of children’s educational materials from a church member going through the Kuala Lumpur airport in August on the grounds the books contained the word Allah to refer to the Christian God. This, he was told, could raise confusion and controversy among Muslims and the matter was classified as a security issue. In response, the church’s lawyer, Lim Heng Seng, said that “The decision to declare Allah as only for Muslims, categorizing this as a security issue, and banning books with the word Allah‘ is unlawful.” The pastor of the Sabah Evangelical Church, Jerry Dusing, noted that Christians in Sabah have long used the word Allah when they worship in the Malay language and that the word even appears in their Malay Bible. “The Christian usage of Allah predates Islam. Allah is the name of God in the old Arabic Bible as well as in the modern Arabic Bible,” plus Christians in Egypt, Lebanon, Iraq, Indonesia and elsewhere use Allah without problem.

Comment: A serious court case could bring out the arguments of the two sides of this debate in an unprecedented fashion.

Dec. 30, 2007 update: No court case: the Malaysian government reversed itself, faxing a note to Father Lawrence that the Weekly Herald will receive a 2008 permit to publish, without conditions.

Jan. 4, 2008 update: Prime Minister Abdullah Ahmad Badawi himself has forbidden Christians to use the word Allah, Datuk Abdullah Mohd Zin of the Prime Minister’s Department announced in a press conference. Badawi instructed him to clarify the matter, the Star explains:

“One of the reasons given to uphold the restriction is because that it has long been the practice of this country that the world Allah refers to God according to the Muslim faith.” It was only proper for other religions to use the word God and not Allah when referring to their God in respective beliefs, Abdullah said, adding that the use of the word Allah shall not be made a public debate that may give the impression as if there is no freedom of religion in the country. “The use of the word Allah by non-Muslims may arouse sensitivity and create confusion among Muslims in the country,” he said.

May 5, 2008 update: It appeared that the Malaysian government had given way for the Weekly Herald to use the word Allah (see the Dec. 30, 2007 update, above) but then the prime minister himself forbade Christians to do so (see the Jan. 4, 2008 update, above). Now comes word not only that the Weekly Herald is suing the government but that High Court Judge Lau Bee Lan ruled that prosecutors’ objection to the lawsuit is “without merit” and she will allow the paper to argue against the government ban in court.

The Associated Press news item also indicates that the Sabah Evangelical Church of Borneo (on which, see Dec. 28, 2007 update, above) has also filed a separate lawsuit to import books using the word Allah for God.

Mar. 2, 2009 update: The Malaysian government is proving itself singularly incapable of deciding whether Allah means generically God or refers exclusively to the Muslim divine. The latest twists and turns:

The Malaysian government will issue a new decree restoring a ban on Christian publications using the word “Allah” to refer to God, officials said Sunday[, Mar.1]. Home Affairs Minister Syed Hamid Albar said a previous Feb. 16 decree that allowed Christian publications to use the word as long as they specified the material was not for Muslims was a mistake, the national Bernama news agency reported. The about-turn came after Islamic groups slammed the government and warned that even conditional use of the word by Christians would anger Muslims, who make up the country’s majority. A senior ministry official confirmed Syed Hamid’s comments, saying there were “interpretation mistakes” in the Feb. 16 decree that led to the confusion.

Comment: Kuala Lumpur’s torments over this topic symbolize the on-going dilemma over the meaning of Allah.

Jan. 3, 2010 update: Malaysia’s High Court struck down the government ban on non-Muslims translating God as Allah. Minorities welcomed it as a blow against what many consider to be institutionalized religious discrimination. The government said it would challenge the ruling. Muslim commentators disagree on the issue. Former Prime Minister Mahathir Mohamad wants strict conditions for non-Muslim use of Allah: “What I am afraid of is that the term Allah might be used in such a way that could inflame the anger of Muslims, if [non-Muslims] were to use it on banners or write something that might not reflect Islam.”

Jan. 6, 2010 update: Responding to a government appeal and under intense political pressure, Malaysia’s High Court has suspended its decision to allow non-Muslims use the word Allah. Attorney-General Abdul Gani Patail welcomed the suspension.

The Wall Street Journal offers an explanation for this mess in “Malaysia and the Politics of ‘Allah‘”:

The real reason [United Malays National Organization-led government] is politicizing the issue and pandering to its conservative base may be to deflect attention from its own political vulnerabilities. The opposition coalition, led by Anwar Ibrahim, has gained popularity by touting a vision of a secular country in which all religions have equal rights. Even the opposition’s Islamic partner, the Pan-Malaysian Islamic Party—which hasn’t always supported liberal ideas—issued a statement Monday saying that the Herald‘s use of “Allah” is its constitutional right.

Jan. 8, 2010 update: The Allah=God topic has taken a lethal turn in Kuala Lumpur, Malaysia, where three churches have been fire-bombed in the context of the controversy over Christians using Allah to name their God.

assailants on motorbikes were seen smashing the windows of the Metro Tabernacle Church, a Protestant church in Kuala Lumpur on Friday. The ground floor office of the three-storey church was destroyed in a blaze a little after midnight, said Kevin Ang, a church spokesman. Kuala Lumpur police Chief Mohamad Sabtu Osman said police had found a wrench, an empty petrol tin and two scorched motorbikes at the scene.

Separately, Molotov cocktails were thrown into the compounds of two other churches before dawn, causing minor damage in one and none in the other, church officials said.

Prime Minister Najib Razak condemned the attacks, saying such actions would “destroy our country’s harmony”. “The government will take whatever steps it can to prevent such acts,” he said. There was tight security at all churches in Malaysia and at several mosques where protests against the court’s ruling took place, says the BBC’s Jennifer Pak in Kuala Lumpur.

Mass nationwide demonstrations failed to materialise on Friday, but protesters at mosques in Kuala Lumpur carried placards reading “Allah is only for us” and “Heresy arises from words wrongly used”. “I hope the court will understand the feeling of the majority Muslims of Malaysia,” said Ahmad Johari, at the National Mosque. “We can fight to the death over this issue,” he told Associated Press news agency.

The government has appealed against the court verdict and the High Court has suspended the decision’s implementation until the appeal is heard.

Jan. 10, 2010 update: The Associated Press reports that “Firebombs were thrown at two more churches in Malaysia early Sunday and another church was splashed with black paint, the latest in a series of assaults on Christian houses of worship following a court decision allowing non-Muslims to use “Allah” to refer to God.”

Jan. 11, 2010 update: Seth Mydans supplies context for the Allah=God controversy in “Churches Attacked Amid Furor in Malaysia.” An excerpt:

The attacks, unlike anything Malaysia has experienced before, have shaken the country, where many Muslims are angry over a Dec. 31 court ruling that overturned a government ban on the use of the word Allah to denote the Christian God. Though that usage is common in many countries, where Arabic- and Malay-language Bibles describe Jesus as the “son of Allah,” many Muslims here insist that the word belongs exclusively to them and say that its use by other faiths could confuse Muslim worshipers.

That dispute, in turn, has been described by some observers as a sign of political maneuvering, as the governing party struggles to maintain its dominance after setbacks in national and state elections in March 2008. Some political analysts and politicians accuse Prime Minister Najib Razak of raising racial and religious issues as he tries to solidify his Malay base. In a difficult balancing act, he must also woo ethnic Chinese and Indians whose opposition contributed to his party’s setback in 2008.

“The political contestation is a lot more intensified,” said Elizabeth Wong, a state official who is a member of Parti Keadilan Rakyat, an opposition party. “In Malaysia the central theme will always be about the Malay identity and about Islam. The parties come up with various policies or means to attempt to appeal to the Muslim Malay voters.” Mr. Najib condemned the violence, saying the government would “take whatever steps it can to prevent such acts.”

In an interview, the main opposition figure, Anwar Ibrahim, implied that the government was behind the current tensions. “This is the last hope — to incite racial and religious sentiments to cling to power,” he said. “Immediately since the disastrous defeat in the March 2008 election they have been fanning this.”

The government has appealed the court decision and has been granted a stay. The dispute has swelled into a nationwide confrontation, with small demonstrations at mosques and passionate outcries on the Internet.

The tensions are shaking a multiethnic, multiracial state that has tried to maintain harmony among its citizens: mostly Muslim Malays, who make up 60 percent of the population, and minority Chinese and Indians, who mostly practice Christianity, Hinduism and Buddhism. About 9 percent of Malaysia’s population of 28 million people are Christians, most of them Chinese or Indian. Analysts say this is the first outright confrontation between Muslims and Christians.

But race has become a staple of political discourse in recent years, and religion has been its vehicle, said Ooi Kee Beng, a fellow at the Institute of Southeast Asian Studies in Singapore. “Religion has become a much more useful tool for parties who depend on playing on ethnic divisions,” Mr. Ooi said. “They find it difficult to talk about racial issues but possible to talk about religious issues. We are seeing the result of that political opportunism over the last two decades.”

July 31, 2010 update: A Malaysian court cleared the first defendant, Azuwan Shah Ahmad, 23 and Muslim, accused of firebombing some of the eleven churches in the aftermath of the “Allah = God” controversy. “There is insufficient evidence to link Azuwan Shah Ahmad, 23, to the offence,” said Sessions Court judge S.M. Komathy Suppiah in acquitting him.

August 23, 2013 update: The Malaysian government can appeal a 2009 lower court ruling that allowed the newspaper of the Roman Catholic Church in Malaysia to use Allah to refer to God.

Oct. 14, 2013 update: Court of Appeal Judge Datuk Mohd Zawawi Salleh ruled against Christians being able to refer to God as Allah. Interestingly, in deciding the Malaysian lawsuit, the judge refers at length to a comment on this website by Brutus Balan. For the text of his decision, see “Grounds of judgment by Judge Datuk Mohd Zawawi Salleh.”

Oct. 29, 2013 update: For an astute discussion of the Malaysian court’s decision, see “The Word ‘Allah’ only for Muslims” by Mohshin Habib. Habib starts by noting that this decision is “possibly the first time ever in the world’s history of religion, members of a monotheist institution objected to another monotheist groups’ using the same name for God that they use.”

Jan. 3, 2014 update: The dispute in Malaysia over Christians using the word Allah reached a new level when Islamic authorities seized more than 300 copies of the Bible from the Bible Society of Malaysia near the capital, Kuala Lumpur, because they contain the word Allah in reference to God. Also, two society members were briefly detained.

The society’s chairman, Lee Min Choon, recounts: “We were told that we were under investigation for breaking a Selangor state law banning non-Muslims from using the word Allah.” The Council of Churches of Malaysia said it was “alarmed” by the raid and urged the government to “protect religious rights as provided under the Federal Constitution”.

Jan. 8, 2014 update: Police announced an investigation of Father Lawrence Andrew, a Roman Catholic Priest, after he announced publicly that Catholic churches in Selangor, a Malaysian state, would continue to use the word “Allah” to refer to God. (It bears noting that Father Lawrence is also editor of the Weekly Herald which used the word Allah and prompted a major court case, described above). He is being probed under Section 4 of the Sedition Act, colonial-era legislation that permits detention of someone accused of plotting violently to overthrow the government and is punishable by up to three years in prison or a fine of 5,000 ringgit ($1,522), or both. This follows on an edict in November 2013 in which the sultan of Selangor prohibited non-Muslims from using the word Allah for God.

The Wall Street Journal article on this topic also contains two interesting statistics:

・The Christian Federation of Malaysia finds that about 60 percent of Malaysia’s 2.6 million Christians use the word Allah to mean God.
・A survey by the University of Malaya found that 77 percent of peninsular Malaysians believe that Muslims have exclusive right to use the word Allah and only 11 percent thought non-Muslims should be able to use the word.

Jan. 14, 2014 update: The Wall Street Journal has now weighed in on this controversy in an editorial, “Between God and Allah.”

Members of the ruling United Malays National Organization (UMNO) have intimidated moderate Muslims and threatened violence against churches that dare continue using “Allah” in services. Such threats are irresponsible anywhere but particularly so in multiethnic Malaysia, where similar tensions have boiled over in the past. In 2010, after a High Court briefly reversed the ban on “Allah,” mobs attacked churches, temples and even a convent school.

It goes on to ascribe this UMNO fanning of religious tensions to “political gain.”

Touting such views is a convenient way for UMNO to steer public discourse away from corruption and clean elections. These concerns helped the opposition coalition win the popular vote last year for the first time since independence. Even the Islamist wing of the opposition, the Pan-Malaysian Islamic Party (PAS), has focused on good governance rather than using the Allah controversy to score political points. It insists that minority religions’ use of “Allah” is their constitutional right.

UMNO has previously sought to curry favor with its Malay-Muslim base by flaunting its Islamist credentials. But that strategy may no longer appeal to the country’s increasingly urban electorate. … Malaysia’s leaders would be wise to note this shift and drop the investigation of Father Andrew. Depriving religious minorities of their rights isn’t in the long-term interest of Malaysia or UMNO.

Feb. 26, 2014 update: After deciding to implement the Shari’a, the government of Brunei banned non-Muslims from using 19 words associated with Islam in reference to other religions. This despite a substantial minority of the country not being Muslim. One of those words, of course, is Allah, the word even Christians in the country use to refer to God. The ban emulates some states in Malaysia, where up to 32 religious words may not be applied to other religions.

The other banned words (using their Arabic spellings) are azan, baitullah, fatwa, firman Allah, hadith, hajji, hukum Shari’a, ilahi, imam, Ka’ba, kalima as-shahada, masjid, mufti, mu’min, qibla, Qur’an, salat, and wali.

June 23, 2014 update: In a 4-3 judgment, Malaysia’s Federal Court, the highest one in the land, delivered the final word on the use Allah in a Catholic publication, ruling that the Church had no grounds to appeal last year’s lower court decision banning its use of Allah.

Nov. 4, 2014 update: Thomas Fuller of the New York Times surveys the Allah problem in Malaysia in anticipation of a court beginning to consider the 2007 seizure of Christian materials that called God Allah.

Fuller notes the many tensions in the multi-ethnic country but states that “there is probably no dispute more fundamental and more emotionally charged than who owns the word God.” He quotes the governmental National Council for Islamic Religious Affairs fatwa: “the word Allah is a sacred word specific only to the religion and followers of Islam and it cannot be used or made to be similar with religions other than Islam.” According to the Department of Islamic Development, Allah is not a generic name for God but signifies “the religion of the person who uses it. That is the reason why the usage needs to be monitored and preserved by the government in order to ensure that no one will be confused with the most exalted name.”

Moderate Muslims have responded with alarm. For example, Zainah Anwar sees a “headlong descent into a puritanical, extremist, intolerant brand of Islam in this country. … For too long this government has given almost a carte blanche to the religious authorities and the belligerent supremacists to take the lead and define what Islam is and is not.” That said, enforcement is selective.

本件は、パイプス氏のウェブサイト上では2016年1月21日の追記で終わっている。実のところ、マレーシアではまだ、燻っている模様である。

(2022年11月27日記)

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アンワル・イブラヒム第10代首相

日経新聞(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM214EE0R21C22A1000000/)

マレーシア首相にアンワル氏が就任 連立政権樹立へ
2022年11月24日

【クアラルンプール=中野貴司】マレーシアのアンワル元副首相は24日午後にクアラルンプールの王宮で開かれた宣誓式を経て、第10代首相に就任した。第三勢力の国民戦線や地域政党と連立政権を樹立し、早期に組閣に着手する。

アンワル氏が率いる野党の希望連盟は19日投開票の下院選(定数222)で最大の82議席を獲得した。その後、国王の大連立内閣樹立の提案も踏まえ、国民戦線やボルネオ島の地域政党と連立構築の交渉を続けてきた。24日までに過半数を確保し、国王が同日、アンワル氏を首相に任命した。

アンワル氏は首相就任後の会見で「(政治や社会の)安定を確保し、経済に集中する」と強調した。「この政権は挙国一致内閣だ」として、汚職の排除などの主要方針で同意すれば、首相選びで争った国民同盟なども受け入れる可能性を示唆した。「中国は重要な周辺国だ」とも述べ、中国との関係を重視する姿勢も明らかにした。
希望連盟はマニフェスト(政権公約)に、閣僚や国会議員の資産公開、首相・州知事の任期制限、報道の自由の保護、働く女性への養育費補助などリベラル色の強い政策を掲げた。選挙戦では、解散前の連立政権を主導していた国民戦線の汚職体質を批判した。

その国民戦線と連立政権を組むこととなり、内閣発足後に連立内で政策の方向性の違いが表面化する可能性がある。アンワル氏にとって、円滑な政権運営が優先課題となる。

アンワル氏はイスラム教青年指導者として頭角を現した後、政界に転身。教育相などを経て1993年に副首相に就任した。マハティール首相(当時)の有力な後継者と目されていたが、アジア通貨危機の対応を巡って関係が悪化し、98年に副首相職を解任、逮捕に追い込まれた。「同性愛行為」などを理由とした服役はナジブ政権下も含め2度、合計で約9年に及んだ。

2018年5月の前回の下院選で、敵対していたマハティール氏と希望連盟で共闘し、1957年の独立以来、初の政権交代を実現。直後に国王の恩赦を受けて釈放された。首相に復帰したマハティール氏から首相職の禅譲を約束されていたが、結局実現しなかった。長年改革を訴えてきたアンワル氏が下院選での最大議席の獲得を経て、悲願の首相に就く。

20年2月にマハティール氏が首相を辞任した後、マレーシアでは国民同盟のムヒディン氏、国民戦線のイスマイルサブリ氏と短期間で首相が交代した。アンワル氏も18~20年のマハティール政権に希望連盟の最高幹部の一人として事実上、関与してきた。

約2年の短命に終わった希望連盟の政権に厳しい目を向ける有権者も多く、失敗の経験を踏まえて、有権者に約束したマニフェストを実現できるかが焦点となる。

(2022年11月26日転載終)
。。。。。。
日経新聞(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM214EE0R21C22A1000000/)

マレーシア首相にアンワル氏が就任 連立政権樹立へ
2022年11月24日

【クアラルンプール=中野貴司】マレーシアのアンワル元副首相は24日午後にクアラルンプールの王宮で開かれた宣誓式を経て、第10代首相に就任した。第三勢力の国民戦線や地域政党と連立政権を樹立し、早期に組閣に着手する。

アンワル氏が率いる野党の希望連盟は19日投開票の下院選(定数222)で最大の82議席を獲得した。その後、国王の大連立内閣樹立の提案も踏まえ、国民戦線やボルネオ島の地域政党と連立構築の交渉を続けてきた。24日までに過半数を確保し、国王が同日、アンワル氏を首相に任命した。

アンワル氏は首相就任後の会見で「(政治や社会の)安定を確保し、経済に集中する」と強調した。「この政権は挙国一致内閣だ」として、汚職の排除などの主要方針で同意すれば、首相選びで争った国民同盟なども受け入れる可能性を示唆した。「中国は重要な周辺国だ」とも述べ、中国との関係を重視する姿勢も明らかにした。
希望連盟はマニフェスト(政権公約)に、閣僚や国会議員の資産公開、首相・州知事の任期制限、報道の自由の保護、働く女性への養育費補助などリベラル色の強い政策を掲げた。選挙戦では、解散前の連立政権を主導していた国民戦線の汚職体質を批判した。

その国民戦線と連立政権を組むこととなり、内閣発足後に連立内で政策の方向性の違いが表面化する可能性がある。アンワル氏にとって、円滑な政権運営が優先課題となる。

アンワル氏はイスラム教青年指導者として頭角を現した後、政界に転身。教育相などを経て1993年に副首相に就任した。マハティール首相(当時)の有力な後継者と目されていたが、アジア通貨危機の対応を巡って関係が悪化し、98年に副首相職を解任、逮捕に追い込まれた。「同性愛行為」などを理由とした服役はナジブ政権下も含め2度、合計で約9年に及んだ。

2018年5月の前回の下院選で、敵対していたマハティール氏と希望連盟で共闘し、1957年の独立以来、初の政権交代を実現。直後に国王の恩赦を受けて釈放された。
首相に復帰したマハティール氏から首相職の禅譲を約束されていたが、結局実現しなかった。長年改革を訴えてきたアンワル氏が下院選での最大議席の獲得を経て、悲願の首相に就く。

20年2月にマハティール氏が首相を辞任した後、マレーシアでは国民同盟のムヒディン氏、国民戦線のイスマイルサブリ氏と短期間で首相が交代した。アンワル氏も18~20年のマハティール政権に希望連盟の最高幹部の一人として事実上、関与してきた。

約2年の短命に終わった希望連盟の政権に厳しい目を向ける有権者も多く、失敗の経験を踏まえて、有権者に約束したマニフェストを実現できるかが焦点となる。

(2022年11月26日転載終)
……….
(https://twitter.com/ituna4011/status/1596265053023764480)
Lily2@ituna4011
娘さんと話したことがあります。 数年前、東京にて。
7:10 AM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596267607220711424)
Lily2@ituna4011
彼女、私と話したこと、覚えているかしら?
7:20 AM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596268278296739842)
Lily2@ituna4011
家族仲が良さそう。 娘さんの最初のお婿さんは、やりにくそうだった。
7:23 AM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596268578285981696)
Lily2@ituna4011
マレーシアとインド。
7:24 AM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596276916428099584)
Lily2@ituna4011
私がリサーチでお世話になってきたマレーシアの西洋派の知識階層は、いつも政治に距離を置いている。 黙々と、着々と、自分の課題や仕事に専念している。 だから一見目立たないが、この人々から教えられた情報は、極めて真っ当で正確だった。 だから、私もそうしてきた。
7:57 AM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596278833078206465)
Lily2@ituna4011
一昨日、阪大の薬学の講演を聴いたが、コロナ問題で、突然、テレビに出てきて専門家を名乗りながら、もっともらしくコメントする人は、本当の専門家ではない、と。 どんな分野でも同じこと。 マレーシアでも、1990年代初期以前からリサーチに関与しているなら、発言権があるだろう。
8:05 AM · Nov 26, 2022·

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596280593243058176)
Lily2@ituna4011
アンワル氏の娘さんは、ムスリム同胞団と繋がっている男性陣を率いて、東京での会合に出席した。 ペラペラと早口の英語で話し続け、無知な日本人聴衆を巻き込もうと戦略を立てていた。 だから、私の質問に腹を立ててしまったのだ。 あ、あなた、マレーシア長いでしょ?と。
8:12 AM · Nov 26, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1596281298750169088)
Lily2@ituna4011
ムスリム同胞団を軽く見てはならない。 以上。
8:14 AM · Nov 26, 2022

(2022年11月26日転載終)
…………
過去ブログには、アンワル・イブラヒム氏に関する言及がある。また、上記ツィッターで娘さんと話した経緯は、2016年11月25日と11月26日に記述がある。今更ながら、ブログに綴っておいてよかったと思うところである。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140123)
《第10代マレーシア新首相のアンワル・イブラヒム氏の過去。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20141103)
《ダニエル・パイプス先生の1983年の著書にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)、既にアンワル・イブラヒム氏については言及がある。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160118)
《「マレーシアでサイード・クトゥブに人気があったのは1970年代から1980年代にかけてであり、イスラーム復興との関連であった。アンワル・イブラヒムと関係がある。今はクトゥブにあまり人気がない。」》
《かつては国民/人民正義党の副会長として、元副首相のアンワル・イブラヒム氏を擁護していた時期もあったが、昨今ではアンワル氏を批判さえしているチャンドラ・ムザファー博士なので、この辺りは、ムスリム世界特有の混沌とした曖昧模糊の状態なのであろう。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161125)
《アンワル氏の娘さんに関しては、彼女が不愉快であろうと何であろうと、お父さんの天敵であるマハティール氏が提唱した東方政策によって、1990年代前半にマレーシア滞在経験のあった私こそが、正直に単刀直入にマレーシアの諸問題とイスラームに関して話さなければ、お互いの人生が無駄だと思う年齢に入っているからである》
《マレーシアの問題を、マハティール氏のせいにしたり、ナジブ氏のせいにしたりしているようでは、自分達が政権を奪取できた暁にも、同じことを繰り返すだけだろう。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161126)
《私:先程、私達にキリスト教系の学校で教育を受けたとおっしゃいましたね。イスラームの教え、教義では、「イスラームは最後の完全な宗教である」とのことですが、なぜ、キリスト教系の学校を選んだのですか。
彼女:それは高校です。父が選んだからです。
私:お父さんが選んだとしても、イスラームは全人類のための普遍宗教だと、お父さんはおっしゃっていました。それではなぜ、完全ではないキリスト教の学校にしたのですか?イスラーム学校に行かなかったのは、なぜですか?》

(2022年11月26日転載終)
………….
英語ブログにも、アンワル・イブラヒム氏が言及されている記事を掲載している。そのリストは以下に。正直なところ、ナジブ首相以降のマレーシア首相については、全く興味がなかったが、アンワル氏に関しては、1990年代前半の私のマレーシア滞在期にも至る所で頻出人物だったので、懐かしさもあり、再度。

(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Anwar%20Ibrahim%22&of=100)
(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Anwar%20Ibrahim%22&of=50)
(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Anwar%20Ibrahim%22&of=0)。

(2022年11月26日転載終)
…………
(https://twitter.com/ituna4011/status/1596275782346997761)
Lily2@ituna4011
ダニエルパイプス氏が1980年代前半に著書で書かれたように、マレーシアのような複雑な国を率いてまとめるには、アンワル氏のようなモダンなイスラム主義者に人々の期待が寄せられる、ということ。 アンワル氏の顔つきが随分変わった。
7:52 AM · Nov 26, 2022

(2022年11月26日転載終)
…………
以下に、ダニエル・パイプス氏のアンワル・イブラヒム言及の抜粋を(https://www.danielpipes.org/)。これが記された年に注目。

(https://www.danielpipes.org/19539/oil-wealth-and-islamic-resurgence)
1982
《Potentially the most powerful of these groups is the Muslim Youth Movement of Malaya founded in 1971 by Anwar Ibrahim.》

(https://www.danielpipes.org/279/fundamentalist-muslims-between-america-and-russia)
Summer 1986
《In the succinct words of the Malaysian leader Anwar Ibrahim: “We are not socialist, we are not capitalist, we are Islamic.” Making Islam into an ideology …》

(https://www.danielpipes.org/232/muslims-in-the-west-can-conflict-be-averted)
August 1993
《Anwar Ibrahim of Malaysia succinctly captured this spirit in announcing, “We are not socialist, we are not capitalist, we are Islamic.》

(https://www.danielpipes.org/documents/950.pdf)
May 26,1994
《Or, to quote the Malaysian leaderAnwar Ibrahim, “We are not socialist, we are not capitalist, we are Islamic.” It bears stressing that politicized Islam of this nature is a very novel twentieth century formulation. It shares very little in common with Islam as traditionally practiced.》

(https://www.danielpipes.org/274/there-are-no-moderates-dealing-with-fundamentalist-islam)(https://www.danielpipes.org/documents/274.pdf)
Fall 1995
《Whereas a traditional Muslim would say something like, “We are not Jewish, we are not Christian, we are Muslim,” the Malaysian Islamist leader Anwar Ibrahim made a very different comparison: “We are not socialist, we are not capitalist, we are Islamic.” 》

(https://www.danielpipes.org/6326/ahmad-yusuf-hamas-is-a-charitable-organization)
March 1998
《MEQ: In contrast, Anwar Ibrahim, the deputy prime minister of Malaysia, estimates that Muslims, one-fifth of the world’s population, make up more than half of the 1.2 billion people who live in abject poverty.(Anwar Ibrahim, The Asian Renaissance (Singapore: Times Books International, 1997), p. 120.》

(https://www.danielpipes.org/366/islam-and-islamism-faith-and-ideology)
Spring 2000
《Anwar Ibrahim, the former deputy prime minister of Malaysia who now languishes in jail, estimates in The Asian Renaissance (1997) that whereas Muslims make up just one-fifth of the world’s total population, they constitute more than half of the 1.2 billion people living in abject poverty. There is thus a pervasive sense of debilitation and encroachment in the Islamic world today. 》

(https://www.danielpipes.org/books/mira_nyt.php)
August 28, 2002
《Saad Eddin Ibrahim by President Mubarak of Egypt, or of Malaysia’s former deputy prime minister Anwar Ibrahim by Prime Minister Mahathir Mohamad?》

(https://www.danielpipes.org/blog/2005/07/has-islam-been-hijacked)
Jul 6, 2005
《Anwar Ibrahim, Malaysian politician: “Who Hijacked Islam? Repressive Muslim regimes are partly to blame for bin Laden’s rise.》

(https://www.danielpipes.org/blog/2005/08/is-allah-god-continued)
n.d
《The opposition coalition, led by Anwar Ibrahim, has gained popularity by touting a vision of a secular country in which all religions have…》

(2022年11月26日転載終)
。。。。。
そして、拙訳も含まれている。突如、メールで依頼されて、2012年3月から丸6年、夢中になって取り組んだパイプス訳業だ。今振り返ると、全てがとても懐かしいが、10年前には、あまりにもマレーシアの記述が真っ当なことに、びっくり仰天した。もっと早くから知り合っていたら、自分の研究もかなり早く進んだのに、と今でも思うところである。

(https://ja.danielpipes.org/article/16730)
1994年11月7日
《マレーシアの指導者であるアヌワール・イブラヒムが数年前に、「我々は社会主義者ではない。我々は資本主義者ではない。我々はイスラーム的である」と断言した時、あらゆる場の原理主義ムスリムを代弁した。原理主義者にとってイスラームは、第一に権力と富を命ずることに関する「-主義」信仰制度である。》

(https://ja.danielpipes.org/article/15810)
1995年12月
《啓発的なことに、戦闘員は、他の諸宗教ではなく、他のイデオロギーにイスラームを擬える。「我々は社会主義者ではない。資本主義者ではない。我々はイスラーム的なのだ」と、マレーシアのアンワール・イブラヒムは言っている。》

(2022年11月26日転載終)
…………
アンワル・イブラヒム氏の長女さんは、長年、父親のアップダウンの労苦を間近に見て育ってきたので、今回の快挙には大喜びだ。だが、マレーシアと関わってきた者にとっては、前途の懸念材料が見え隠れしている。以下のニュース記事を参照のこと(太字はLilyによる)。

(https://www.ucanews.com/news/tough-road-lies-ahead-for-malaysias-anwar/99534)

Tough road lies ahead for Malaysia’s Anwar
Opposition leader has had long wait for power but Islamist party threatens to take country down a darker path
25 November 2022
by Michael Sainsbury

Malaysia’s new prime minister, Anwar Ibrahim, 75, has waited decades for his chance at the premiership, and now it has finally arrived after inconclusive elections did not deliver any of the country’s main two alliances a majority.

But Anwar’s Pakatan Harapan (PH), or Alliance of Hope, won the most seats, 82, short of the 112 needed for a majority with his own Democratic Action Party gaining seats. Former Prime Minister Muhyiddin Yassin’s right-leaning Perikatan Nasional (PN), or National Alliance, won 72 seats.

But while Anwar’s own party is on the rise, the other major force in Malaysian politics is now the fundamentalist PAS Islamist Party (Parti Islam Se-Malaysia in Malay) whose 49 seats underpin the PN alliance. The PAS already holds power in two Malaysian states and could threaten to take the country down a darker path. And that could be bad news for the country’s Christians.

The PN took votes mainly from UMNO/BN (United Malays National Organisation/ Barisan Nasional) which was the original alliance that catered to traditional Malay voters, especially those from the deeply conservative countryside. In the years leading up to the election, the PAS showed its more radical, Islamic colors that have driven fear into Chinese, Indian, Christian and Hindu communities.

At one stage, a PAS leader said that the Bible has been corrupted, drawing the ire of Malaysian church groups. PAS leaders have also made anti-Chinese comments.

During the campaign, Muhyiddin himself made bizarre accusations, likely aimed at winning votes through fear.

“Pakatan Harapan is a huge danger. I saw a video where a group of Jews was talking about Malaysia, and they were praying for the country to fall into the hands of the opposition, which has been sponsoring these groups of Jews and Christians,” he told a crowd in Johor
“For me this is dangerous. Is it a process of Christianization happening? You can see it in Kuala Lumpur, in Petaling Jaya. If there are churches, there are Malays and it looks like they have already converted to being Christians,” he said.

The Council of Churches rejected the claims but it is this fractured environment that has caused the lack of a clear result in the election.

Anwar was born into a political family in Penang, his father was a member of parliament and his mother was a political organizer while Malaysia was still under British rule. His political career began with Malaysia’s Islamic youth movement, Angkatan Belia Islam Malaysia (ABIM) and in 1982; he was recruited into the ruling party, the UMNO.

He rose to become deputy prime minister in the 1990s to long-time leader Mahathir Mohamed, now 97, who lost his seat in the latest poll.

After falling out with Mahathir and leaving UMNO he advocated for change under the banner of Reformasi or reform. He spent nine years in jail for sodomy and corruption in what was widely seen as politically motivated charges that were aimed at ending his career.

He re-emerged as a political force in the 2018 election that swept the Barisan Nasional, or National Front alliance, led by his old party UMNO, from office for the first time since Malaysia’s independence but only after mending bridges with Mahathir and gaining a pardon.

Mahathir headed the alliance that won the 2018 election and Anwar was the official prime minister-in-waiting but the coalition fell apart and Mahathir fell from power to be replaced by Muhyiddin, who himself was later replaced by the latest UMNO chief Sabri Yaacob.

Despite being a veteran politician, Anwar and his DAP party, the biggest in the PH alliance, still represents the progressive and more modern face of a country still steeped in tradition. He still believes in Reformasi.

On the other hand, the PN represents a deeply conservative alliance with the Islamist PAS its biggest and fastest-growing member.

The division between PH and PN also highlights the divide in Malaysia between ethnic Malays who believe that they should govern the country and those who believe in a pluralist society that includes the large ethnic minorities Chinese (20 percent) and Indian (6 percent).

It is those minorities that tend to dominate the country’s Buddhists (18 percent) Christians (10 percent) and Hindus (6 percent) respectively. So the divide is ethno/religious, where it exists. While Anwar is a practicing Muslim, he promises tolerance and inclusion.
Anwar’s difficult task is to bring Malaysia together as a more modern and accepting nation where Islam will remain a major religion but others are able to practice their faiths with respect and in peace. It will not be an easy task.

*The views expressed in this article are those of the author and do not necessarily reflect the official editorial position of UCA News.

(End)

(2022年11月26日転載終)
………….
なぜ、上記のような懸念が生まれるのだろうか。まずは、私のツィッターで「40年前から」繰り返されている記事を(太字はLilyによる)。

1990年代半ばには、トレンガヌ州の95%に続き、クランタン州はムスリム人口が圧倒的に多く、90%以上と言われていた。(以下の記事では、クランタン州のムスリム人口は97%となっている。)そのため、キリスト教会が存在しても極少数派で、ムスリムが気に障ることを、非ムスリムは社会的に避ける習慣が自動的に身についている。即ち、ムスリムと非ムスリムの人口が半々に近い地域で、対立が起こりやすいのである。

(https://twitter.com/ituna4011)
Lily2@ituna4011
Nov 23
Religion not a problem in Kelantan, says pastor https://malaysianow.com/news/2022/11/23/religion-not-a-problem-in-kelantan-says-pastor… via
@MNowNews
⇦ また繰り返し。40年前から。

(https://www.malaysianow.com/news/2022/11/23/religion-not-a-problem-in-kelantan-says-pastor)

Religion not a problem in Kelantan, says pastor
Lim Khet Keang who has pastored in the state for more than 30 years says Muslims and non-Muslims alike get along in peace.

by Azzman Abdul Jamal
November 23, 2022

A pastor in Kelantan says that Christians in the state have been living in harmony alongside the Muslims despite the perception that non-Malays may be oppressed under PAS rule.

Lim Khet Keang, who pastors the Kota Bharu Presbyterian Church, said he had lived in Kelantan since he was 10 years old.
He said he had never been prevented from practising his Christian faith despite being part of a very small minority.
On the contrary, he said, ties between the Muslims and non-Muslims in Kelantan were very good, and nothing like what is portrayed on social media.

Speaking to MalaysiaNow, Lim, 56, said such harmony was only possible with mutual respect and understanding from both sides.
“Christians here are doing well. The Muslims respect us,” he said.
“Perhaps they do not see us as a threat given that non-Malays make up only 3% of the population in Kelantan.”

Concerns of a so-called PAS theocracy arose following the results of the Nov 19 general election which showed that a vast number of Malay voters had shifted their support from Barisan Nasional and Umno to PAS.

PAS, which is part of the Perikatan Nasional (PN) coalition, won the most seats in the election – 49 – followed by DAP with 40.
Many social media users had cited the PAS administration in Kelantan as reason to reject the Islamist party.

But Lim, for one, said it was unfair to criticise PAS based on its stand on upholding the teachings of Islam.
Instead, he said, the party should be evaluated based on its development of the state.
“There are no issues of race or religion here,” he said. “But development is undeniably slower than in other states.”

Lim, who has been a pastor in Kelantan for more than 30 years, also said he would welcome either Muhyiddin Yassin or Anwar Ibrahim as prime minister as long as they prioritise unity and harmony.
“It doesn’t matter to me who becomes prime minister because the government right now appears quite weak,” he said.
“We must focus on economic development and guarding the welfare of the people if we want to keep moving ahead.”

(End)

(2022年11月26日転載終)
…………
最後に、ウィキペディアから、アンワル・イブラヒム氏と妻のワン・アジザ氏について、略歴を抜粋してみよう(太字はLilyによる)。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/アンワル・イブラヒム)

アンワル・ビン・イブラヒム(Anwar bin Ibrahim, 1947年8月10日 – )は、マレーシアの政治家。現在、同国首相(第10代)、人民正義党主席。副首相などを歴任した。
アンワルは、ペナン州でインド人移民の家庭に生まれた。マレーカレッジ・クアラ・カンサーとマラヤ大学で教育を受けた。

1971年、学生時代に、アンワルは、ムスリムによる学生組織であるマレーシア・イスラーム青年運動 (ABIM) を結成、後にその代表に就任した。PASの主張する伝統的なイスラームへの回帰へと異なり、「西洋化や世俗化に変わりうるものとして、伝統的なイスラームだけでなく、近代的な宗教・文化としてのイスラーム」に視線を向けたものであった。ABIMは、アンワルのカリスマ的指導の下、35,000人を数えるメンバーを超えるまで、成長を遂げたが、1974年、デモに参加した際に国内治安法に基づき、アンワルは、逮捕され、22ヶ月の間、拘束を受けた

釈放後、ラザク首相にUMNOへの参加を呼びかけられたが、拒否した。アンワルの名は、「若く、都市型で、高等教育を受けた中産階級のマレー人」の象徴として、急速に高まっていった。

1982年、アンワルは、ABIMの代表を辞任した。マハティール首相の要請および懐柔政策に応じた形であった。その後、アンワルは、UMNO内での急進を遂げた。1983年に文化・青年・スポーツ大臣に就任、翌年、彼は、農業大臣、1986年には、マレーシア政治の重要ポストである教育大臣(マレーシア首相への登竜門的な色彩が強い大臣職)に就任した。1991年には、財務大臣に就任、1993年には、副首相も兼任することとなった。

1990年代前半、アンワルがポスト・マハティールの最右翼と目され、マハティールとの関係も親子関係とほぼ同様であったとされている。それは、1997年初頭、マハティールが2月の休暇を取った際にアンワルを首相代行に任命していることからも明らかであった。

1997年に、タイ・バーツ通貨危機を契機とするアジア通貨危機が起きると財務大臣の職にあったアンワルは、IMFが策定したマレーシア経済復興プランに賛同した。
多くのマレーシアの企業が倒産の危機に直面した。アンワルは自由主義経済の政策を採用していたが、一方で、マハティールは、ジョージ・ソロスのような投機家を批判し、通貨と外資の投資を自らの統制下におこうと考えていた。

1998年9月2日、アンワルは、副首相を罷免され、翌日には、UMNOから追放処分を受けた。9月20日、アンワルは、クアラルンプールで10万人近い人々を集めて、その集会の後には、「レフォルマシ(マレー語で改革の意味)」と「マハティールの退陣」を要求する行進を展開した。この行進で、アンワルはマレーシア人の中の新しくリベラルな人間としての側面を、マハティールは、マレー人の保護者としての側面をくっきりと浮かび上がらせることとなった。
その晩、アンワルの自宅は、マレーシア警察によって組織されたSWATによって破壊され、数時間後には、アンワルの逮捕が発表された。

1998年9月29日、法廷に現れたアンワルは、汚職と同性愛の罪に対して、無罪であると主張した。その当時のアンワルの顔には、殴打のあとがくっきりと残っており、この片手を上げて連行される写真は、多くのレフォルマシのポスターに後に使われる象徴となった。

アンワルの妻であるワン・アジサ夫人は、アンワルの釈放とレフォルマシのキャンペーンの支持者を基盤に国民正義党を組織した。国民正義党は、代替戦線に参加することで、国民戦線政府と対峙することとなる。

アンワルの服役中、妻ワン・アジサは、ドイツの病院での治療が必要であると主張してきた。政府は、背中の痛み程度の治療であれば、マレーシアでも十分可能であるという見解であったので、ワン・アジサの主張を退けてきたが、2004年9月、同性愛の罪状の撤回により釈放されると、治療のために、ミュンヘンへ旅行した。

釈放以来、アンワルは、イギリスのオックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジとワシントンD.C.にあるジョーンズ・ホプキンス・スクールの客員フェローであると同時に、ジョージタウン大学外国語学科の客員教授でもある。
2006年3月には、彼は、ロンドンに本部を置くアカウント・アビリティーの名誉総裁にも任命されている。

2008年4月15日からアンワルはマレーシア国内での政治活動が可能となったが、7月16日、同性愛容疑で逮捕された。マレーシアはイスラム教の国だという文化的背景も影響していると見られている。

2014年1月19日、個人的な訪問のため成田国際空港に到着したが、入国拒否された。日本の当局は、ビザが無いことが理由としている。マレーシア人が短期滞在を目的に日本に入国する場合、犯罪歴のあるものはビザが必要であり、アンワルは1998年には権力乱用の罪で有罪となっている。

2014年3月7日、マレーシアの上訴裁判所は同性愛容疑について、一審の無罪判決を覆し、禁錮5年の有罪判決を下した。3月8日に起きたマレーシア航空370便墜落事故の機長はアンワルの熱烈な支持者であり、個人的な面識もあったという。前日にアンワルが同性愛容疑で有罪となったことに対し、機長が乗客を巻き込んで抗議するために自殺したという見方が報じられている。アンワルはインタビューで、機長が遠縁にあたることを認めた

2022年11月19日、下院選(定数222)でアンワルが率いる野党の希望連盟は最大の82議席を獲得した。その後、国王の大連立内閣樹立の提案も踏まえ、国民戦線やボルネオ島の地域政党と連立構築の交渉を続け、11月24日までに過半数を確保した。

2022年11月24日、最高元首の勅令により第10代首相に就任した。

(部分抜粋転載終)
。。。。。。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ワン・アジザ)

ワン・アジザ・ワン・イスマイル(Wan Azizah Wan Ismail、1952年12月3日 – )は、マレーシアの政治家。元人民正義党(旧国民正義党)党首(1999年 – 2018年)。

福建省をルーツに持つプラナカンの家庭に生まれた中国系マレーシア人。1980年にアンワル・イブラヒムと結婚し、2004年までに5人の娘と1人の息子を育て上げた。アイルランドで学位を取得し、眼科医になったが、夫アンワルが副首相になった1993年に本業を辞している。

2018年5月、総裁を務める人民正義党が政権を取ったことにより、マレーシアの副首相に就任。2020年2月まで在任した。

(部分抜粋転載終)
。。。。。。
マレーシアでは、いわゆる民族や種族の混血が珍しくないが、上記の来歴からわかるように、アンワル氏はインド系マレー人、ワン・アジザ夫人はプラナカン(男側が福建省出身の華人で、女側がマライ人の混血)の子孫。私のリサーチでは、プラナカンは、東南アジア風の仏教かキリスト教が目立つが、ワン・アジザ夫人の場合は珍しいと言えるかもしれない。
いずれにせよ、ご夫妻は共にマイノリティの出自であり、その方が社会的に力を持っているという事例である。

(2022年11月26日記)
………….
2023年10月4日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1704100121666064457)
Lily2@ituna4011
ダニエルパイプス氏が2010年代には活発に言及。
8:48 PM · Sep 19, 2023

(2023年10月4日転載終)

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反省に猛省を加えて

最近のメーリングリストから、故稲盛氏の珠玉の言葉を、以下に抜粋転載。
─────────────────
・私心を捨てて、世のため人のためによかれと思って行う行為は、誰も妨げることができず、逆に天が助けてくれる

・心の中でどういう思いを抱いているかによって、その人の性格は変わってくる

・決して華々しくなくても、営々と努力を重ね続けた人は、晩年に至るまでやはり素晴らしい人生を歩んでおられる

・思いと行動の結果として、今、我々が生きている人生がある

・公正・公平・正義・努力・勇気・博愛・謙虚・誠実…。このような言葉で表現される生き方を、愚直なまでに真摯に追求していくことこそが、今日本の各界のリーダーに求められている

・与えられた仕事を天職と思い、その仕事を好きになるよう努力し、さらに打ち込む

・とにかく真剣に、誰にも負けない努力をしている人を、神様が見捨てるはずがない

・波瀾万丈の人生で、さまざまな現象に遭遇し対処しながら、人間性を高め、自分自身の魂を磨いていく。これこそが人生の目的

・一日が終わるときに、今日を振り返り、「利己的な振る舞いがなかったか」「卑怯な振る舞いがなかったか」という反省を怠ってはならない。このことを通じて魂は徐々に磨かれていく

・どのような厳しい状況にあっても、それを正面から受け止め、誠を尽くし、誰にも負けない努力を続けることが、成功するためには必要

・苦難に直面したときに、打ち負かされて夢をあきらめてしまったり、いい加減なところで妥協をしてしまったりするのか、それとも苦労を苦労と思わず、ひたむきに努力を重ねることができるのか、ここに人間的に成長できるかどうか、その分岐点がある

・美しい心をもち、夢を抱き、懸命に誰にも負けない努力を重ねている人に、神はあたかも行く先を照らす松明を与えるかのように、“知恵の蔵”から一筋の光明を与えてくれる

・人生とは、「運命」という縦糸と「因果の法則」という横糸で織りなされています。しかし、「運命」は不変ではない。善きことを思い、善きことに努めていくことで、よき結果が生まれるという「因果の法則」を使うことによって、人生を素晴らしいものにすることができる

(2022年11月22日転載終)
………
令和4年11月21日付『神社新報』第3612号によれば、農林水産省が令和4年度第二次補正予算に1642億円を盛り込むという。そこには、「肥料の国産化」と「米粉の利用拡大支援対策」が含まれていた。
以下、ポイントを。

・米粉については、現在4万トンの生産量を8年後には13万トンに引き上げる目標がある。
・奈良時代から、御煎餅や和菓子に使われてきた米粉。最近では、パンやケーキや麺類にも使われている。
・古来からの稲作と祭祀の振興のためにも、期待したいところである。
。。。。。
ウィキペディア(ja.wikipedia.org/wiki/米粉)から抜粋を。

・団子、餅、煎餅、麺類、米粉パンなどの原料となる。グルテンフリー食品や、セリアック病の認知度が高まり、米粉食品が見直されている。
・米粉はうるち米またはもち米から作られる。
・もち米-白玉粉(寒ざらし粉)・餅粉または求肥粉・寒梅粉(焼いた餅を砕いた粉)・落雁粉、等
・うるち米-上新粉、等
・用途-和菓子(餅、羊羹・薯蕷饅頭・煎餅・団子・干菓子、等)・軽羹・ビーフン・ライスペーパー・スナック菓子・洋菓子(クッキー・ケーキ・パンケーキ、等)・米粉パン・米粉麺(うどん風、ラーメン風、パスタ風、等)・餃子や焼売の皮・ピザ生地・アイスクリーム・唐揚げ・お好み焼き、等
・日本では、米の消費がピーク時の1963年度の年間約1341万トンから2005年は約922万トンと減少
・日本では、一人当たりの米の消費量が1962年の年間約118.3kgから2005年には約61.4kgと減少
・幼児教育用の粘土に米粉を主原料にした米粉粘土がある。

(以上、部分抜粋終)
。。。。
パンに米粉を使うのはいいが、私にとっては、少しパサパサして食べにくい。
稲作向上、国産品上昇、食料自給率のアップのためにも、是非とも足元から消費率を上げなければ…..。

(2022年11月22日記)

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今年も残り一ヶ月

今年は4月から、放送大学大学院の修士課程プログラムが正式に始まった(27 Mar 2022「4月からの放送大学大学院」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2260&action))。毎月のZOOMによるゼミ発表は、8月のパソコン故障による欠席を除き、順調に続けてきた。
。。。。
前期には、大学院での論文執筆で必須要件の「アカデミック・スキルズ」というオンライン科目と、インターネット講義を3科目受講した(31 Aug 2022「過去ツィートのまとめ」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3291&action))。

そのうち1科目は、私の指導教授が今年テキストを書き改めた同じ科目で、章立てに新規事項も含まれていたので、復習も兼ねて再度。2020年10月から始まった第一期目の成績も優だったが、時間を置いた今年度は、満点で合格。今回は、Web受験という初めての経験だったので、時間その他の緊張感もあったが、まさか満点とは、我ながら信じられなかった。この歳でも、やればできるんだなぁ….。
この教授の場合は、いわゆる過去問の復習が鍵。最低でも過去2年分、第一期(前期)と第二期(後期)の単位認定試験に加えて、中間通信課題と自習問題も含めて、きちんと全問解いておく。解説が丁寧なので、欠かさず読み、印刷教材で出題された該当箇所に印をつけておく。
ラジオ講義の方は一回45分程度だが、時間の都合で常に1.5倍速にして、30分程度で聴講できるように調整。それでも、受験までに全回終了できず、単位が出てから、暇を見つけて残りを全部聴いた。ゼミで毎月お目にかかれる先生だが、やはり、先生の語りかけ講義は、雄弁な支えとなる。

7月から8月にかけて、来年提出の修士論文の資料として、国会図書館(東京本館と関西館)から関連する医学論文の遠隔複写を申し込み、コピーを取り寄せた。全部で7封筒が届き、しばらくテーブルの上に積み上げたままだった。ここ数日、文献資料の整理として、エクセルに入力しながら、数本ずつ読んでいる。

その他には、主人の関係で大阪大学の適塾記念会に入会し、薬学関連の三回の連続講座を毎月受講。私の研究テーマとは直接、関係はないが、薬学の歴史と最新研究の一端を知るには、非常にありがたい講座だ。但し、今月で終わり。

修士論文の段階では、2年で仕上げるべく、極力狭く論文テーマを絞る必要性があると指導されている。ただ、大学院が「資格取得」とのみ形骸化しがちな昨今、理解に肉付けをし、内容に幅や深みを持たせる必要性を、私なりに感じている。
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そこで、放送大学大学院の他には、二つの通信教育を受けている。どちらも、来月が最終回。開始した頃は時間のやり繰りが心配だったが、実はあっという間だ。

(1)以前にも書いたように、長い間のご年配の知り合い(聖書版あしながおじさま)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070706)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071109)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080128)が紹介してくださった、東京の無教会の月一回のZOOMによる聖書講座(4 Apr 2022「放送大学大学院のオリエンテーション」(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=2443&action))。

担当の月本昭男先生は、京都の大学で仕事をしていた頃から存じ上げているが、「ヨセフ物語」は、中東地域の考古学の知見もふんだんに盛り込まれ、とても興味深く面白い。もう一つは、日本基督教団の牧師の方の情熱的な語りによる「ヨブ記」。いずれも、1.5倍速にして聴いている。放送大学とは別に、いずれはマレーシアの研究テーマを論文としてまとめる予定で、並行して備えをしているつもりだ。

(2)薬草に関する通信教育(9 Jun 2022「学びに終わりなし」(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=2815&action))。

こちらは、念のために3ヶ月延長を前もって申し込んでおいた。
一般広告が派手な割に、テキストが予想以上に手堅く充実していて、隙間時間に印をつけながら読み進めている。一冊毎に一つの課題があり、問題を解いて郵送すると、採点されて、励ましコメント付きで返送されてくる。また、自由に疑問点や質問等を送ると、それぞれの先生方が丁寧に回答を送ってくださる。
今のところ、成績は上々。内容が盛りだくさんで深い割に、この分野は経験知(値?)がモノを言うらしい。
もともと、主人が終末期で隣市に入院していた頃、お見舞いの帰りに梅田の紀伊國屋書店で薬膳漢方の検定試験のポスターを見たのがきっかけである。(あ、これ)と閃いた。翌年の検定を受けて一発で合格できたので、もしかして筋があるかと思ったのだ。
これは、広い意味での放送大学大学院の研究論文テーマと直接間接的に関わる。だから、ありがたいと思い、一生懸命に学んでいる。
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昨日のブログ末尾でも書いたように(20 Nov 2022「有岡城の散策と「荒木村重」展」(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=3768&action))、会社都合とはいえ、自ら伊丹に来たくて暮らすことに決めた主人は、結局のところ、転居と転勤による環境変化のストレスがきっかけで急激に神経難病が進行。会社は勿論のこと、伊丹市内の諸機関の方々にも大迷惑をかけ、入転院を繰り返し、ドタバタしながら1年半を過ごすことになった。
そのお詫びと償いとして、私自身、伊丹市内で自分なりにできる伊丹のための無償ボランティアを探し、ささやかながらも試みてきたつもりだった。

まずは、水道局モニターと市バスモニターに始まり、伊丹市教育委員会による公立中学の教科書選定の市民オブザーバーを務めた(30 Jan 2022「いにしえの精神はいずこに?」(http:// itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1750&action))。いずれも謝礼付なので、ボランティアとは言えないが、初心者にとって負担にならず、時間的にも能力的にも無理のない程度で、伊丹を知る第一段階として、始めた。

それから、わけもわからず「やっちゃえ、やっちゃえ」と入院中の主人が勧めてくれた旧博物館の友の会に、2020年7月から入会(4 Jan 2022 「神社調査の冊子」
(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=1504&action))。当時はコロナ緊急事態宣言の直後で、休館が続いていた不安定な頃だった。
そもそも、自宅から徒歩数分のところにある旧博物館は、昭和風の懐かしいがっちりした建物。私にとっては毎朝のお散歩時、よく歩き回っては、拠りどころ、かつ元気づけとしていた。そのように感じられる場とご縁を持たせていただけることは、大切ではないかと思ったのだ。

友の会は「博物館の行事をサポートする」ボランティアとしての位置づけのようだが、実際には、知的にも体力的にも経済的にも時間的にも余裕のある定年退職後の方々が中心で、さまざまな余力を公的に活用する場となっているようだ。私は世代が一つ下になるが、それでも、会長さんの采配により、役割がすぐに与えられた。

最初は、2020年秋に取り掛かった「むかしのくらし」と題する小学校三年生向けの社会科学習のDVD教材作り。コロナ感染症問題によって、博物館に来て実際に見学ができなくなったため、DVDを見て学ぶという代行授業になった。そのナレーションを私が務め、小道具を伴って出演もした。桶を使っての手揉み洗濯、千人針縫い、こてを使ってのアイロンがけ、井戸での水汲み等である。なかなか楽しく、皆で協力し合って順調に作業が進んだのは幸いだった。
前の女性館長さんから「ナレーションが聴きやすいと応答があった」とお褒めいただき、遥か昔の院生時代の厳しい音声訓練の授業が、思いがけず役立って感謝した次第。

その他に、『友の会だより』という会報に何度か拙文を掲載していただいた。編集者氏から執筆依頼があってのことだったが、伊丹への転居以来、身辺で発生した急激な一連の出来事を心的に整理するには、大変にありがたい機会だった。短いものだが、写真や文献の裏付けあっての文章である。一本ずつ書き上げる毎に、自分の人生に折り合いをつける実感があった。

この友の会では、会長さんからの御依頼で、これまで二回、研究発表をさせていただいた。「来年もよろしく」とのことで、今からアイデアを練っているところだが、本当に恵まれてもいる。
その理由の一つは、2018年3月まで毎年行ってきた学会の口頭発表では、意地悪く変なコメントを寄せる馬鹿者(この際、ハッキリ明言)が必ずいたのだが、さすがに友の会では、そういう非常識な人が皆無だからだ。そして、これまた発表する毎に、自分の人生に一本筋が通るような感覚を抱かせていただけるからだ。

私にとって今年から追加された、友の会のもう一つのボランティアとしては、古文書のラベル貼り作業がある(9 Jun 2022「学びに終わりなし」
(http://itunalily.jp//wordpress/wp-admin/post.php?post=2815&action))。一ヶ月に一度、各1時間半程、運ばれてきた箱に収まっている古文書を取り出して、鉛筆書きのラベルを一つずつ特殊な糊で貼り、整理していくものだ。和気藹々としてチームワークがよく、いい気分転換になり、テキパキと進んでいく。

ここまで来たら、迷うことはない。一つ一つ、目の前のことをきちんと進めていき、整理をつけながら前進するだけだ。

(2022年11月21日記)
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2022年11月21日追記

(http://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA159ER0V11C22A1000000/?n_cid=NMAIL007_20221121_H)

岸田首相「健康長寿を社会活力に」 超高齢社会国際会議
2022年11月21日

《年齢に関係なく、希望に応じて意欲や能力を発揮できる環境整備が重要》
《国民全体がリスキリング(学び直し)に取り組む機運をしっかりと醸成》

(2022年11月21日記)
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2022年11月22日追記

伊丹市には、「いたみ健康・医療相談ダイヤル24」という24時間体制の電話相談窓口がある。

若くして神経難病に罹患し、進行期から終末期にかけて周囲にご迷惑をかける言動(徘徊・妄想による暴言等)に出た場合、「その後、ご近所や事情を知った周囲から、『あそこの家はああなんだ』と、患者の家族が後ろ指を指されることがありますか」と、質問したことがあった。

応対された女性の医療福祉の専門家の方が、即座に「ありません!」と断言。
「そんな人達からは離れなさい!非常識にも程がある」と。

伊丹っていいな、としみじみ思った次第。こういう点、流石に阪神間だけある、と思う。人々の暮らしのテンポが速い上に、意識の水準が、平均して高いのだ。
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近くのクリニックの先生も、その点、はっきりおっしゃってくださった。
「お前、もう出てくるな!」と、馬鹿な周囲の者に対して明言された。

昭和時代のように、馬鹿者には「お前は馬鹿だ」と直言してあげた方が、むしろトラブル拡大を減らす効果がある。平成の頃のように、「人権、人権」と騒いだり、「弱者に寄り添う」みたいなことをメディアが言い出すと、甘ったれた馬鹿者が図に乗って出て来て、馬鹿げたトラブルを振り撒いて平気でいるからだ。

そして、そのクリニックのお医者さんは、「いい先生がいる病院だから、そのようにはっきり対応してもらえてよかった。程度の低い病院や医師や看護師だと、そこで『よく話し合ったら』等、馬鹿なことを言う」とも教えてくださった(2022年5月25日付の過去ブログ(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=2736&action))。

試しに、以前暮らしていた町の隣市にある中核病院の相談窓口に、同じ内容の電話をかけてみた。そしたら、案の定、「そうですねぇ…。皆でよく話し合ったらどうでしょうか?」とのんびりとした返答があった。

やっぱりね!

(2022年11月22日記)
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2023年3月10日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1633688964837294082)
Lily2@ituna4011
若手が「リスキリング迷子」 何を学ぶ…先輩の姿に焦り – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUD212RQ0R20C23A2000000/…
⇦ 若手は焦らず、目の前の仕事に集中すれば?
1:39 PM · Mar 9, 2023

(https://twitter.com/ituna4011/status/1633945672901861376)
Lily2@ituna4011
この記事は誤導。 リスキリングは、若い時のスキルや知識だけでは、時代の流れに伴い、古くなったり使い物にならなくなってきたため、世の中に合わせて学び直そう、という趣旨。 若者が焦るなんて、脈絡が変。
6:39 AM · Mar 10, 2023

(2023年3月10日転載終)
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2024年11月19日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1858764663938576750)
Lily2@ituna4011
水道モニターの二回目のアンケート回答を済ませて、これでモニターは終了と思っていたら、何と今日の午前中、市の交通局から電話があり、市バスモニターに選ばれたとの由。 実は、市バスモニターも5年前に経験しており、今回は5年ぶり。 世の中うまくできているわねー!
3:50 PM · Nov 19, 2024

(2024年11月19日転載終)

Posted in Christianity, Health and Medical issues, Japanese culture, research topics, Studies related, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

遺産で食べず自力で稼ぐ

(http://twitter.com/ituna4011/status/1158300050570665984)
Lily2@ituna4011
昨年の今頃、向日市の図書館と資料館を覗いたら、懐かしいようなリベラル系の古い本やマルクス主義の解説が目立っていました。京都市も共産党が昔から強いですね。
5:53 PM · Aug 5, 2019
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(http://twitter.com/ituna4011/status/1373573301897809923)
Lily2@ituna4011
向日市の文化資料館で、寿岳文章氏に纏わる講演二つを聴き、展示を見た。 学生時代にご長女様の章子様のハキハキした文章をよく読んでいた。 女性でも、あんなに物が言えるのだ、といつもびっくり。御父上様あってこそ、世間も許した? 蛮勇を奮い起こして、父娘関係について質問。
6:52 PM · Mar 21, 2021

Lily2@ituna4011
Mar 21, 2021
Replying to @ituna4011
二つ目の講演は、たまたま隣に座っていらした歳上の女性が譲ってくださった券を使わせていただいた。 充実した講演会と展示で、いい時間が過ごせた。

Lily2@ituna4011
Mar 21, 2021
大雨でJRが故障のため、10分遅刻。事前に電話しておいたら、 ちゃんと前方の席が用意されていて、恐縮。 部屋の外の立ち見席や、階段に並んで座って聴講している人もかなりいたのに!

(http://twitter.com/ituna4011/status/1373576561937457160)
Lily2@ituna4011
大変に溺愛されたお嬢様育ちだったようだ。しかし、成長期の一時は、いささかあったらしい。 学生時代には、向日町のことを何も知らずに、寿岳家が書かれた文章を読んでいた。 将来、向日町で新居探しをすることになるとも、全く想像していなかった。結局、適当な住まいは見つからなかったが。
7:05 PM · Mar 21, 2021

(http://twitter.com/ituna4011/status/1373857289044586498)
Lily2@ituna4011
なぜ、寿岳章子氏の論文を学生時代によく読んでいたか?   国語学者でいらしたから、国文学科在籍の学生なら、読んでいて当然。圧倒されながら、必死に読んだ。 また、聖書やキリスト教の理解なしに英文学は理解できない、と御父上様の寿岳文章氏は書いていらした。
1:41 PM · Mar 22, 2021

(2022年11月21日転載終)
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島本町(大阪府三島郡)と大山崎町(京都府乙訓郡)の隣接関係については、既に記した(2022年11月11日付過去ブログ「大山崎町について」(http://itunalily.jp/wordpress/wp-admin/post.php?post=3613&action=edit))。

向日市(向日町)と長岡京市の場合は、同じ京都府にあるが、やはり隣接関係には複雑さがあるらしい。

桓武天皇の長岡京の大極殿は向日町にあったが、地名は南部の長岡京市が受け継いでいる。
他府県の事情知らずにとっては、長岡京市が都の中心であったかのように思うらしいが、御本家は北部の向日町。確かに、暮らすには長岡(と地元の人々は通称)の方が商業的に発展しており、多少の大らかさがあるが、向日町辺りは、武家屋敷風の家屋も残っている地区があったり、田畑が意外と広がっていたりして、代々暮らしている人々の気位がうかがえようというものだ。

過去ブログでも綴った(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20180717)。

《実際に大極殿が置かれたのは向日市であるため、門前町の向日市こそ本家という意識のようで、プライドが高いそうである。地名として長岡京を名乗っている方が、人々は大らからしい。》

では、伊丹市の場合はどうか?
という話題が、今月の講演会でチラリと出ていたが、これが曖昧で、私にはよくわからない。江戸期までの「摂津國」という括りで語られる歴史が多く、高槻市や茨木市や大山崎町辺りが伊丹と関連しているように位置づけられている。

隣接する尼崎とは、人的にも地理的にも、歴史的に繋がりがあるのは証拠として残っている。宝塚の場合は、地区の一部が戦後、伊丹市に編入された経緯があり、この時期には「争論」というより、行政的に既に解決されたものとして伝わっているように感じている。

西国街道と酒造の話以外には、お隣の西宮の話が伊丹で案外に聞かれない、という印象がある。以前から大学や演奏会等の用事で、時々、西宮に出入りしてきたからでもあるが。

どちらかと言えば、近衛領だった伊丹郷町の話から、京都との繋がりを前面に出しているようにも思われるし、文化圏としては、神戸よりもむしろ、大阪の範疇に入っているようである。但し、自家用車を見ると、神戸ナンバーが結構多い。

戦後の日本国憲法では、移動や移住の自由権が謳われているため、本来の本籍地を辿らない限り、どこに住んでいるかで人がわかるという安易なものでもなくなっている。

「遺産で食べず自力で稼ぐ」と題したが、向日町の寿岳文章家にしても、伊丹の酒造にしても、過去の文化遺産によって集客力を高め、観光資源のようにしてしまうのは、いかにも失礼で勿体ない。

(2022年11月21日記)

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