(https://twitter.com/itami_museum/status/1593837905704648704)
市立伊丹ミュージアム@itami_museum
本日より、リニューアルオープン記念「信長と戦った武将、荒木村重」展を開催します。有岡城を拠点に、信長の重臣として摂津国を治めていた村重は、突如として信長に反旗を翻します。いまだ謎多き村重の数奇な運命を、豊富な作品資料とともにたどります。ぜひお越しください。#市立伊丹ミュージアム
2:25 PM · Nov 19, 2022
(https://twitter.com/ituna4011/status/1593924703642865665)
Lily2@ituna4011
早速行ってきました。たくさんの資料が展示されていて、伊丹在住4年目の今、荒木村重に関して最も充実した企画だと思いました。
8:10 PM · Nov 19, 2022·
(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/pfbid028p48ArWpCjzPWY5cmo5xU1CpgryRGh6hmG67Tqs884Ce85VAECpAaQ3TZrikkWsXl?notif_id=1668917863494804¬if_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)
2022年11月19日投稿
本日は、朝から午後までお世話になり、ありがとうございました。ミュージアムの展示、大変充実していました。
(2022年11月20日転載終)
………..
毎年11月恒例の伊丹市文化財保護啓発事業として、今月は毎週のように行事が目白押し。2022年11月11日と11月14日付の過去ブログに(http://itunalily.jp/wordpress/)、その一端を綴った。
今年のテーマは、有岡城主だった荒木村重がメイン。というわけで、上記のツィッターとフェイスブックを転載。
昨日は朝9時から11時まで、まずは歴史散策。今日のように冷え込んだ曇り空とは違い、晴天に恵まれて幸いだった。
有岡城史跡公園のカリヨン前に集合し、「8時45分から受付開始」と、申込み時に電話で聞いていた。
前の晩から支度はしておいたのに、例によって例の如く、私は自転車で出発のギリギリ1分前に到着。遅刻癖、というのではない。普通は大抵間に合っていて、余裕で着席している。だが、例えばカレンダーに「10時15分」と前から書いておき、そのつもりで準備していたところが、途中でいつの間にか「10時半」と脳内転換してしまい、(あら?)となってしまう、そんなことがなぜか増えた。
確か、最初の頃も場所に迷って、どなたかが道案内してくださった記憶がある。(ご縁がないのかしら)とも思うが、初回に参加した頃から今やすっかり顔見知りの職員さんが手招きしてくださり、博物館友の会の知り合いの方もいらして、どこか同好会みたいな雰囲気ではあった。
。。。。。
文化財ボランティアの会の方がよく準備されていて、有岡城跡の惣構(約4キロ)を18名程で歩いて回り、11時にはミュージアムに到着。
この行路は、以前にも街歩きで通ったことがある。こういう歴史散策は、一度で全部が把握できるものではなく、繰り返し時間を重ねつつ、知識を上塗りしながら深めていくものであろう。今回は、破戦道(ハセンドウ)と北ノ口(北本町の治郎ヶ坂)が新鮮だった。特に後者は、空き地のような小公園となっているが、普段は滅多に通るところではなく、言われなければ何なのか全く知らないままだっただろう。
足腰を鍛えるにもいいし、気分転換にもなり、居住地に対する理解を深めるには、一石三鳥で大変よい試みだと、毎回のように思うところである。
。。。。。
ミュージアムに着いて、25分程休憩。
その後、これまた顔見知りの学芸員さんから、階段を上り下りしながら確か5部屋ぐらい、45分間解説されつつ、ざっと展示を見て回った。11時25分に開始して、12時10分に終了。
あっという間だったが、これまで伊丹で見聞してきた荒木村重に関する講演や展示の中では、最も充実した資料が並んでいた。さぞかし準備が大変だったことだろう。というのは、今年4月に博物館からミュージアムに統合移転した時点で、スタッフがかなり縮小され、誰がどう見てもまるで人手不足。それにも拘わらず、案内の学芸員さんによれば、資料を「30ヶ所から借りた」そうだ。
パネルによれば、リニューアル・オープン記念として、芸術文化振興基金の助成による企画。カトリック大阪大司教区や徳川美術館や名古屋市立博物館をはじめ、石川県、愛媛県、広島県、滋賀県、大阪府、京都市、尼崎市、茨木市、高槻市、大垣市等の公立博物館や諸大学、そして、茨木神社、伊居太神社、大徳寺、本興寺、本山寺等、計46の機関の協力と計54名の専門家の結集による資料展示だ、という。
但し、徳川美術館等の資料は実物を拝借したのではなく、写真をパネルにして掛けてあるだけ、というものも含む。(こういう宣伝性がいかにも「伊丹」らしい、と気づく。最初の頃は何も知らなかったために、名古屋や大阪や京都の展示と同次元だと思い、子供のように真に受けていた。)
学芸員さんの解説は企画側であるだけに要領を得ているが、理解が追いつくには、やはり自分のペースで展示を見てみるしかない。そこで、1時35分まで続けて部屋を再び廻り、1時間25分間、資料を眺め直した。ビデオは、内輪の自分達だけで盛り上がっている感じで、今一つ。それで省略。
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その後は、近くのタリーズで熱い紅茶とクロワッサンを一つ。
2時5分前には、すぐ隣の長寿蔵での90分の講演会「有岡城と同時代の城と町」に出かけた。
こちらは、ずっと後ろで立ったまま聴くつもりでいた。午前中は歩き回り、午後は立見席で講演を聴く、というのも、悪くはない。
だが、「前方に席が空いている、申し込み人数分の席が用意してある」とのことで、結局は座ることに。
。。。。。。
今年の11月は、茶人でもあった村重にまつわる「安土・桃山 伊丹の陶器」が科学館近くの埋蔵文化財センターで展示されているので、それを見る作業が残っている。無料なのはいいが、土日が休みというのが残念だ。
今日は大阪市内で全く別の予定があったが、コロナ感染が第八波に突入した今、スケジュールに余裕を持たせて、あまり体力を消耗しないようにしようと思って、キャンセルに。それで正解ではあった。
これまでの限られた経験によれば、伊丹では、主眼となる歴史文化の話題が大抵決まっているような印象がある。例えば、御願塚古墳、伊丹廃寺、行基菩薩と昆陽寺その他、西国街道、有岡城と荒木村重その他、伊丹の清酒と酒造家、俳人鬼貫、近衛領と猪名野神社等、古代から明治維新の前で終わっている。
以前は、白洲次郎に関する講演会を開催していたようだが、どういうわけか、この頃はなさそうだ。その他、明治維新から戦前までの変遷と、占領期のイタミ・エアベースや自衛隊駐屯、企業誘致等、考察すべきテーマは、まだ盛りだくさんあるが、それは今後、より深まっていくことだろう。
ともかく、同じトピックを毎回、多彩な角度、さまざまな専門家から、いろいろなレベルで繰り返し学び続けることは、いいものだ。島本町に暮らしていた頃は、大阪や京都や神戸の大きな展覧会ばかりに行っていたが、まずは身近な地元を固めて理解することから始めなければ….。
。。。。。
ところで、今年の文化財のパンフレットを見て驚いた。令和4年10月15日付『広報伊丹』(第1480号)では、白黒写真のために全く気付かなかったが、9月24日に博物館友の会の例会でいただいたカラーのパンフレットを、今このブログを書くために見ていたところ….
11月19日の「守ろう村重の城~信長の攻撃に備えよ!」と題する歴史散策の写真に、何と私が写っている。ふと、その下を見ると、「きらら日本酒学講座」の写真にも、昨年11月26日に参加した私が小さく入り込んでいる!
いずれも、それぞれ別の日だったはずなのに、同じ赤いジャンパーを着て、同じような髪型に同じマスク姿で、熱心そうに資料を見ながらメモを取っている姿勢が、まるで私そのものなのだ。
ついでながら、ミュージアムのカレッジ講座の写真にも、後ろ姿の私が写っていて、ホームページに掲載されている。
新参者で余所者のはずだった私も、4年目に入った今、すっかり伊丹市民として溶け込ませていただいている。
会社都合により伊丹への転勤に同意して、2018年9月末、意気込んで転居した主人が一緒だったら、さぞ喜ぶことだろう。
実を言えば、3年前の今頃から12月下旬にかけて、市内の病院やクリニックのお医者さんや看護師さん方、警察や救急隊員、市の福祉課の職員さん達、ケアマネさんや包括さん達には、主人の病気のことで大変ご迷惑をかけていた。また、私一人では到底なし得なかったことを、たくさん助けていただいた。
その後、自分にできるボランティアか何かで、一人残された私が伊丹市に何らかの償いをしたいと願ったことは、もしかしたら、このような形で実現しているのかもしれない。
(2022年11月20日記)
………
おまけ:
残念ながら、このような催しものへの参加は、今年が最後であろう。来年の今頃は、二つ目の修士論文の締切間際で、とてもじゃないが、参加できそうにない。
場合によっては、博物館友の会も一年間、お休みすることになるかもしれない。
2019年から、いたみホールでの大森亮尚先生による「万葉集」講座と、ことば蔵での「やさしい古文書教室」、2021年度はサンシティ・ホールでの和久一美先生による「大鏡」講座等にも出席していた。そして今年4月からは、「鬼貫を読む」カレッジ講座に月一回、参加している。
「万葉集」と「古文書」のクラスの頃には、主人に頼まれたお見舞い品その他をリュックに詰め込み、受講後にバスで病院へお見舞いに行っていた。そんな切羽詰まった重苦しい日々の気分転換には、本当にありがたい各種の講座教室だった。
また、コロナ問題のせいで延長や中止になったプログラムを見込んで、2020年10月から、放送大学大学院の単位取得を半年に6科目ずつ、計一年半で全18科目、先に済ませておいて正解だった。それに、放送大学大学院の印刷教材には、思いがけず、伊丹の柿衛文庫の資料写真が掲載されていたりもした。
このように、家にいるだけでは滅入りそうな日々を、伊丹市の社会文化活動のお蔭で、近距離でお安く、気軽な学びの時間として充当できたことは、何物にも代え難い。
(2022年11月20日記)
……….
2022年11月21日追記:
一つ大切な事柄を書き忘れていた。
伊丹の歴史文化に関する一般市民向けの啓蒙パンフレットは過去から現在まで多数発行されているが、時々、発行年月日が印刷されていないものがある。
今回、配布された複数の発行物も、そうだった。
「〇〇部発行し、一部に△△円かかっています」という一文が印刷されているのをよく見かけるが、公的な印刷物では、それ以上に大切な情報は発行年月日のはずだ。
しばらく前に、市役所まで電話をかけてお願いしたが、まだ直っていない。
以前、知り合いのご年配の女性から「もう要らないから」と、たくさんの伊丹市発行の啓蒙パンフレットや冊子をいただいた。眺めていると大変に勉強になり、また興味深いのだが、やはり肝心な情報は、「いつ発行されたのか」である。
伊丹市では、そういう教育を公務員(職員)に施さないのだろうか?
(2022年11月21日記)
……….
2023年7月17日追記:
上記ブログで、市の印刷物や施設関連のホームページに、いつの間にか写真で私が登場している由を記述した。
1.2022年11月19日の「守ろう村重の城~信長の攻撃に備えよ!」と題する歴史散策の写真
2.2021年11月26日に参加した「きらら日本酒学講座」の写真
3.市立伊丹ミュージアム(I’M)の公式ホームページにある柿衛文庫系列カレッジ講座の受講生としての写真
それに加えて、今度は何と、『兵庫県プレミアム芸術DAY』に後ろ姿の私が登場する運びになったのだ!
背景事情を説明すると….
今日7月17日は「海の日」のために連休。市立伊丹ミュージアムの「戦争と伊丹の人々」の展示が展示室4にある、という記事を最新号の『広報伊丹』で読み、行けるうちに出かけて行こう、と思った。
展示そのものは旧博物館で並べられていたものと同じで、よりコンパクトな印象。その後、ついでにと言っては何だが、元からある伊丹の歴史を解説した展示も眺めていた。
すると、男の人から突然、声がかかったのだ。最初、人の気配に振り返った私に会釈した後、他の方へ出て行ったので、そのまま伊丹の荘園のパネルや尼崎にある本興寺の古文書の掛け軸を眺めていたら、また戻って来て、「あのぅ、広報担当なんですが、個人が特定できない形で閲覧中の写真を撮らせてもらいたいんです」と。
「え!だったらもっとお化粧してくればよかった」と返答すると、「後ろ姿だけだから」と。
そこで、持っていた手提げ袋を見えないところに置き、再び眺めているうちに、後ろから写真が撮られた。
メールアドレスと名前をメモ用紙に書いて渡したところ、ミュージアム職員の名刺をくださり、お喋りしているうちに、何と博物館友の会の会員さんでもあることが判明。一度、例会の時に簡単な自己紹介でお目にかかったことがあるのを思い出し、広報用のこの写真にも友の会会員同士という根拠(エビデンス)が与えられ、お互いに安心した、という次第。
早速、送っていただいた写真を確認してみると、いかにもヤラセ風では全くなく、(この女性は本当に真剣にまじまじと古文書を理解しようとしている)という雰囲気が漂っているところが、我ながらおもしろかった。
髪の毛は後ろにシニヨン風にまとめて、黒いリボン風ゴムでぐるりと巻いて留めておいた。眼鏡をかけてマスクをして、ゆったりとした夏服の上着にたっぷりしたゆとりあるスラックス風のズボン姿。体型がわからないようになっていて、いかにも年齢不詳に見える。
はい、私です!
(2023年7月17日記)