公と私の政教分離原則

以下は、行政書士を目指す人向けの応援サイト、らしい。実に懇切丁寧かつ親切で、これで合格しなかったら、……(以下省略)。

知り合いの市職員の方がこのサイトをフェイスブックに上げていらして、楽しそうにお喋りチャットを。

まぁ、誰がこういう訴訟を起こすのか、過去の経緯や社会常識から判断すれば、わざわざ細かい法律を覚えなくても、おのずと通る仕組み。「多様性」「多文化共生」「お互いを認め合う」「私らしく生きる」等と言い出すから、平成時代はメディアも教育界も家庭生活も、混乱に混乱を重ねたのだ、と私は思う。

(https://shosi-gyousei.com/minomensi-tyukonhi-sosyou?fbclid=IwAR2M7UTx33sseJuqMqTsA_shMrtYbWZGJZlfBLBvv-LbuQ14bQoLTJQqh3U)

箕面市忠魂碑訴訟~市有地の無償貸借行為は政教分離原則に反するか?

1.忠魂碑を移転した費用を市がもち、かつ無償で貸借したことは問題ないのか?
2.慰霊碑の前で行われた慰霊祭に市の教育長が出席したことは問題ないのか?

「試験で問われるのはここの部分ですから、結論を覚えることはもちろん、なぜその結論にいたるのかというところを中心に理解していきましょう。」

箕面市忠魂訴訟の概要

・訴えのきっかけ

蓑面市が小学校の増改築のため、戦没者の遺族会所有する忠魂碑を他の市の所有する土地に移転した。
その際移転費用の負担と移転後の市の土地を無償で貸借した。また忠魂碑前で遺族会が開いた慰霊祭に市の教育長が出席した。
この事実が公になるとこれら市の行為は特定の宗教団体を援助・助長する行為で、政教分離原則に違反するのではないかと訴えが起こり争うことになった。

・判旨

・市が行った忠魂碑の移転は、移転後の土地を有効活用することが目的である。
・憲法で定められている宗教団体・宗教上の組織とは、宗教と何らかのかかわりあいのある行為を行っている組織や団体のすべてを意味するものではない
・遺族会は特定の宗教の信仰等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体とはいえない
・市の教育長の慰霊祭への参加も戦没者遺族への社会的儀礼を尽くすという、もっぱら世俗的なものであり特定の宗教を援助するなどの行為とは認められない

・訴訟の結論

・市が忠魂碑も移転費用を負担したり、移転後の市が所有する土地を無償貸借する行為は特定の宗教団体の援助にはあたらず問題ない
・特定の宗教団体ではない遺族会主催の慰霊祭に市の教育長が出席したことも問題ない

押さえておくべきポイントは4つ

1. 忠魂碑の移設は特定の宗教を援助等を促進したり、他の宗教に干渉を加えるものではない
☚ ・そもそもの目的が小学校の建て替えで忠魂碑移設後の跡地を活用することなので宗教的意義は何もない
  ・市が費用負担したり、移設後の土地を無償で貸借することは問題ない

2. 憲法20条1項・憲法89条にいう宗教団体、宗教上の組織とは、宗教となんらかのかかわりがある行為を行う組織や団体の全てを意味するものではない
☚ たしかに忠魂碑というのは戦没者のために作られるものです。戦没者の慰霊などというと宗教的なにおいがするという見方がでるのも仕方ない面もたしかにあるかもしれません。
憲法でいう宗教的組織というのは宗教的なものすべてを含むものではなく、特定の宗教の信仰等を本来の目的とする団体のことであると最高裁が判示した
遺族会というのは何か宗教を信仰することが主な目的ではなく、ただ亡くなった人を祈念するのが目的

3. 遺族会は宗教団体、宗教上の組織には当たらない

4. 遺族会の主催する慰霊祭に教育長が出席する行為も特定の宗教団体への援助等にはあたらない
☚ 宗教的団体にあたらない遺族会の行った慰霊祭に市の教育長が出席したとしてもなんら問題ない

《出題例》

・市の行った忠魂碑の移転は、戦没者遺族に対する援助・助長であると認められるため、政教分離原則に違反する。
・遺族会は憲法20条1項後段、憲法89条にいう宗教団体、宗教上の組織に該当する。
・市の教育長が慰霊祭に出席した行為は、遺族会という宗教上の組織に対する援助・助長となるため政教分離原則に違反する。

☚ いずれも誤りの肢である
☚ 大事なのはどの部分がどう違うのかというところ

「令和2年の行政書士試験において出題される可能性がありますので、出題されたら確実に正解に導けるようにしておきましょう。」

(部分転載終)

《参考》

日本国憲法 – e-Gov法令検索

第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

(転載終)

たまたま、しばらく前に依頼された原稿の準備のために、偶然見ていた『神道事典』のページと内容が合致したので、私(ユーリ)は横やりお節介コメントをした。

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2022年6月6日投稿
横から失礼します。この事例、神道事典にも年表に掲載されています。キリスト教(プロテスタント)の一部の人や、左傾化した大学教員やジャーナリストが、頭でっかちの理屈だけの解釈を声高に広めるので、若い世代の中には、もしかしたら、文字通りの解釈に影響されて混乱している人がいるかもしれません。本件は、大阪地裁が違憲判決、大阪高裁と最高裁では合憲判決です。
(箕面忠魂碑移転訴訟)

(転載終)

神道事典國學院大学日本文化研究所(編)弘文堂平成6年7月初版第1刷pp.764-765.

年表より該当箇所を抜粋(by ユーリ)

1977年(昭和52年)10月   箕面忠魂碑移転提訴
1982年(昭和57年)3月24日  箕面忠魂碑移転訴訟、大阪地裁、違憲判決. 市側控訴(宗教時報)
1983年(昭和58年)3月1日   大阪地裁、箕面忠魂碑慰霊祭訴訟に違憲判決. 原告側勝訴.
1987年(昭和62年)7月    大阪高裁で合憲
1993年(平成5年)3月18日 箕面忠魂碑訴訟、最高裁で合憲判決

(以上抜粋終)

冒頭のフェイスブックのチャットで引用されていた方がいらしたので、こちらも復習。

(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=56361&fbclid=IwAR3_KQzxUZivZ4PnAf4dgUAt64OuN7Jn_sIxXiL66RYSZnLGK_n90P_QiB8)

事件番号: 昭和62(行ツ)148
事件名: 運動場一部廃止決定無効確認等、同附帯及び慰霊祭支出差止
裁判年月日: 平成5年2月16日
法廷名: 最高裁判所第三小法廷
裁判種別: 判決
結果: 棄却
判例集等巻・号・頁: 民集 第47巻3号1687頁
原審裁判所名: 大阪高等裁判所
原審事件番号: 昭和57(行コ)21
原審裁判年月日: 昭和62年7月16日

判示事項:

一 市が忠魂碑の存する公有地の代替地を買い受けて右忠魂碑の移設・再建をした行為及び右忠魂碑を維持管理する地元の戦没者遺族会に対しその敷地として右代替地を無償貸与した行為が憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらないとされた事例

二 財団法人D会及びその支部と憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」及び憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」

三 市の教育長が地元の戦没者遺族会が忠魂碑前で神式又は仏式で挙行した各慰霊祭に参列した行為が憲法上の政教分離原則及び憲法二〇条、八九条に違反しないとされた事例

四 自己の権限に属する財務会計上の行為を吏員に委任した普通地方公共団体の長と地方自治法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」

五 自己の権限に属する財務会計上の行為を吏員に委任した普通地方公共団体の長の損害賠償責任

裁判要旨:

一 市が忠魂碑の存する公有地の代替地を買い受けて右忠魂碑の移設、再建をした行為及び右忠魂碑を維持管理する地元の戦没者遺族会に対しその敷地として右代替地を無償貸与した行為は、右忠魂碑が、元来、戦没者記念碑的性格のものであり、特定の宗教とのかかわりが少なくとも戦後においては希薄であること、右戦没者遺族会が宗教的活動をすることを本来の目的とする団体ではないこと、市が右移設、再建等を行つた目的が、右忠魂碑の存する公有地を学校用地として利用することを主眼とするもので、専ら世俗的なものであることなど判示の事情の下においては、いずれも憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらない。

二 財団法人D会及びその支部は、憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しない。

三 市の教育長が地元の戦没者遺族会が忠魂碑前で神式又は仏式で挙行した各慰霊祭に参列した行為は、右忠魂碑が、元来、戦没者記念碑的性格のものであること、右戦没者遺族会が宗教的活動をすることを本来の目的とする団体ではないこと、右参列の目的が戦没者遺族に対する社会的儀礼を尽くすという専ら世俗的なものであることなど判示の事情の下においては、憲法上の政教分離原則及び憲法二〇条、八九条に違反しない。

四 普通地方公共団体の長は、その権限に属する財務会計上の行為をあらかじめ特定の吏員に委任している場合であつても、右委任により処理された財務会計上の行為の適否が問題とされている代位請求住民訴訟において、地方自治法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」に該当する。

五 普通地方公共団体の長の権限に属する財務会計上の行為を、委任を受けた吏員が処理した場合は、長は、右吏員が財務会計上の違法行為をすることを阻止すべき指揮監督上の義務に違反し、故意又は過失により右吏員が財務会計上の違法行為をすることを阻止しなかつたときに限り、普通地方公共団体が被つた損害につき賠償責任を負う。

(一、三につき補足意見がある。)

参照法条:憲法20条,憲法89条,地方自治法153条1項,地方自治法242条の2第1項4号

(転載終。太字はユーリによる)

冒頭の親切な資格試験応援サイトには、興味深い以下の事例もあった。まずは、ツィッターとフェイスブックで紹介を。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1533956437034278912)

Lily2@ituna4011
自衛隊員合祀訴訟~自己の信仰に反して夫が合祀されたのが許せない

https://shosi-gyousei.com/zieitai-gousi-sosyou…

⇦ 私の学部生時代、一般教養の日本史の講義で出てきた事例。先生は、日本政府の在り方に批判的な説明をされていた記憶があり、若い頭は混乱した。 責任はどこに?
8:38 AM · Jun 7, 2022

(転載終)

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)
2022年6月7日投稿
私の学部生時代、一般教養の日本史の講義で、この話題が取り上げられていた。
先生は、日本政府の在り方に批判的な説明をされていて、若い頭は混乱した。
以下の解説は単純明快で、いわば常識的。
今の若い人達は、おかしな議論に迷妄しないで、有意義な時間を過ごしてくださいね。

(転載終)

続いて、想定問題と対策を以下に。

(https://shosi-gyousei.com/zieitai-gousi-sosyou)

「自衛隊員合祀訴訟~自己の信仰に反して夫が合祀されたのが許せない」
2022.05.04

・夫を勝手に合祀した自衛隊の行為は宗教活動にあたるのか?
・自身の信仰に反して祀られることのない自由(宗教的人格権)は認められるのか?

「行政書士試験においては信教の自由の分野は狙われやすいところなのでこの判例もしっかり押さえておきましょう。」

《自衛隊員合祀訴訟について》

・きっかけ

ある自衛隊員が殉職してしまった。彼の所属していた自衛隊地方連絡部は殉職した隊員を護国神社に合祀することを推進した。
しかし殉職した隊員の妻が、夫を護国神社に合祀する行為は自己の信仰に反するため反発した。妻は自衛隊地方連絡部の行為は政教分離原則に反し、また夫を自己の信仰に反して祀られることのない自由を侵害されたと主張し争われることになった。

・判旨

本件の殉職隊員を合祀する行為は宗教とのかかわり合いは間接的で、その目的も隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図ることであった
国or機関として特定の宗教への援助等を行うものであると一般人から評価される行為とは認めがたい
私人間で争いがある場合、場合によっては民法や不法行為等の規定の運用によって法的保護を図るべきである
人が他者の宗教上の行為によって不快な状態になりたくないと望むことは、その心情として当然である
しかしその行為に対して直ちに損害賠償など法的救済を求めることができるとすると、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となってしまう

・結論

自衛隊が亡くなった夫を護国神社に合祀した行為は宗教活動にはあたらない
妻の静謐な宗教的環境下で信仰生活を送るべき利益なるものは認められない
殉職隊員を祀る行為は特定の宗教を助長するなどの目的ではなく、隊員の士気の高揚などが目的である
私人間の争いは間接適用説により、民法の規定で法的保護を図るべきである
宗教上の感情に直ちに法的救済を認めると、相手方の信教の自由も妨げる結果となる

・たしかに護国神社というのは、なんとなく宗教的な匂いがしなくもない。
・しかし目的が宗教を援助するような意味はない
・最高裁も問題ないとの判断

・憲法の私人間効力という知識が必要

1.無適用説:憲法の人権規定は私人間への適用はない
2.直接適用説:憲法の人権規定は私人間にも直接適用される
3.間接適用説:憲法の人権規定は私人間には直接適用されないが、民法等を媒介して憲法の人権規定を適用する

☚最高裁はこの内の3番の間接適用説を採用

私人間間で信教の自由の侵害の程度が許容範囲を越えた場合は、憲法20条によって違法である、とはならず民法1条や90条によって違法となる

「要はバランスですよね。一方の言い分ばかり聞いては不公平だという司法の考えそのものです。つまるところ、妻の訴えた、静謐な宗教的環境下で信仰生活を送るべき利益なるものは認められないという結論に至ったわけですね。」

(部分引用終)

《参考》

(https://ja.wikibooks.org/wiki/民法第1条)

(基本原則)

第1条

1. 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2. 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3. 権利の濫用は、これを許さない。

(転載終)

(https://ja.wikibooks.org/wiki/民法第90条)

(公序良俗)

第90条

平成16年改正
現代語化に伴う改正。改正前文言は以下のとおり。
公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス。」

2017年改正
改正前文言は以下のとおり。
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」

現行
公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。

(転載終)

似たような訴訟事案が『神道事典國學院大学日本文化研究所(編)弘文堂平成6年7月初版第1刷pp.764-767.の年表に列挙されていたので、ここに部分抜粋を。

(1)

1971年(昭和46年)5月4日 名古屋高裁、津市の市立体育館の公費による神式の地鎮祭に違憲判決.
1977年(昭和52年)7月13日 津地鎮祭訴訟、最高裁合憲判決.

(2)

1973年(昭和48年)1月   山口殉職自衛官合祀提訴
1979年(昭和54年)3月   山口地裁で違憲判決
1982年(昭和57年)7月   広島高裁で違憲判決
1988年(昭和63年)6月1日 最高裁で合憲判決

(3)

1982年(昭和57年)6月   愛媛県玉串料提訴
1989年(平成元年)      松山地裁で違憲判決
1992年(平成4年)5月12日 高松高裁で合憲判決

(部分抜粋引用終)

この一覧表を改めて眺めてみると、最終的には国是や国民感情の大多数に照らし合わせて、常識的な判断が下される、とわかる。

たとえ地裁や高裁レベルでは「違憲」判決が出ても、一段上の裁判所や最高裁まで行けば「合憲」判決が下される仕組みになっている。つまり、自由な民主主義社会において世論が分かれそうな懸案に関しては、とりあえず、地裁レベルで「違憲」だとして提訴した民間人の立場を「尊重」しておき、公の立場にある側が控訴した末、最終的には上位あるいは最高レベルの裁判所で国体が守られるようにするのだ。
但し、もしも控訴を断念した場合には、中途半端になってしまう恐れがある。

こういう話は、大学の一般教養の日本史や憲法学で聴くようなトピックだが、なぜ行政書士の試験で今でも問われるのだろうか?

そもそも、行政書士とは?

(gyosei-shiken.or.jp/doc/abstract/abstract.htm)

《行政書士は、行政書士法第1条の2、第1条の3の規定に基づき、他人の依頼を受け報酬を得て、官公署に提出する書類、その他権利義務又は事実証明に関する書類を作成することを業とする》

(引用終)

「一般財団法人 行政書士試験研究センター」(gyosei-shiken.or.jp)のサイトには、興味深い事柄が掲載されていた。

(gyosei-shiken.or.jp)

《令和3年11月14日に実施した令和3年度行政書士試験では、幅広い年齢層の方がチャレンジし合格しました。行政書士試験は、年齢、学歴、国籍等に関係なく、どなたでも受験できます。

申込者:最年長 97歳(1名)  最年少 11歳(2名)
合格者:最年長 82歳(1名)  最年少 14歳(2名)》

(部分転載終)

十代で行政書士に合格って、どういう進路を??申し込んだ97歳のチャレンジ精神は凄いが、合格者については82歳が最高齢のようだった。

行政書士試験がそんなに人気があるなんて、知らなかった。法律だけの知識ではない、と思いますが。

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大叔父の記録をまとめる(3)

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110515)

《我田引水的でお聞き苦しいかとは思いますが、例えば、眼科学を専門としていた父方の大叔父(参照:2008年4月22日・2010年7月26日付「ユーリの部屋」)の頃は、医学のみに専念せず、有志が集まって仏教経典の勉強もしていたとか(参照:「追悼す内藤龍雄師」(初出『卓山房学叢』(昭和54年3月))出典『十年経たるか(Tiel pasis dek jaroj)加藤静一文集』形象社 昭和56年 pp.145-146)。一回三時間で月二回、十年以上も続いた会合だったそうです。あの頃は、今よりも時間にゆとりがあったのでしょうか。それとも、いわゆる「エリート」層が限られていたために、相互理解もいわばツーカーで、その意味では能率がよかったのでしょうか。職に就くことの責任意識が、もっと明確だったためでしょうか。
今では、医療崩壊と叫ばれるほど(参照:2008年1月29日付「ユーリの部屋」)、現場が忙しく、医師の過労死まで報じられる有様。どうしてこうなってしまったのだろうか、と。複雑化し細分化され高度化した情報社会の中で、個別対応を実践しようとすれば、自分の首を絞めることになりかねないというパラドックス。)》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120120)

《私の父方の大叔父は信州大学の学長で、エスぺランティストだった。もし私の記憶違いでなければ、確か医学部長だった頃、例の学生運動が起こり、「学生と教授が対等だなんて、そんな馬鹿な話があるものか!」と叱り飛ばしたそうだ。

←(後注:「大叔父」については、次の「ユーリの部屋」を参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101227))

・まさに、ダニエル・パイプス氏が学生でいらした頃と、時代が一致する。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140518)

《父方の大叔父だって、東京帝国大学の医学部を出て、信州大学の学長を務めた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)。大正リベラリズムの薫陶を受けて、矮小かつ姑息な世渡り上手だけを産出する「共通一次試験(偏差値教育)などぶっ飛ばせ」と啖呵を切った大叔父だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20141029)

《そもそも、これも信州大学学長だった父方の大叔父(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)が随筆に書いていたことを、高校生の頃から読んでいたので、自然と身についた姿勢だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150215)

《父の母方の叔父、つまり私の大叔父は東京帝国大学医学部を出て、戦時中は樺太で眼科教授をし、信州大学の学長まで務めたし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080806)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150217)

《過去の拙ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)を見てくださった信州出身の方が、大叔父の立ち上げたアラブ友好協会のその後を、お尋ねになったのだった。
もちろん、私が詳細を知る由もなく、基本的にはブログで綴ったことを要約してお返事した》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20150511)

《父方の大叔父が、第二次世界大戦中に、中国人を殺害したのではなく、医学教授として中国人の目を治療していたのみならず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150215)、戦後は信州でアラブ友好協会を立ち上げていたという経緯(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150217)》

(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20151112)

《その祖母の弟が、信州大学学長だった加藤静一である。実家の本棚にあった著書二冊を、高校生の時に読んでいたが、結婚後、父に頼んで送ってもらった。今でも手元にある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080806)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)。大叔父による「積善」の書も自宅の部屋に掛けてあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)。勲章をいただいた際のNHK松本放送の朝のインタビューも、父が録音してテープに保存してある。(今、どうすれば再生できるのか?)そして、信州大学に行った時、大叔父の書になる石碑を見つけて、私のために写真を主人が撮ってくれた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)。
ところが、何年も前のことだが、「あなたの叔父さんじゃないでしょう?」と、同じ信州出身の学者が私に言ったのである。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151203)

《実は、父方の大叔父の故加藤静一が長野アラブ友好協会の設立者で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)、その後続としての位置づけなのだそうだ。私は遠戚というには近い親戚の末端だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)、その関係で、ご案内を主人の勤め先が所属する企業グループの方からいただいた。
しかし、顔ぶれを見れば、何たることか!》

《大叔父は、リベラルで大らかな考えの持ち主だったが、あくまで保守思想の枠組みにおいてである。大叔父が学んだ東京帝国大学は、大変に申し訳ないが、さまざまな意味で今の東大とは違うと感じられる。その大叔父の意思を勝手に捻じ曲げて、にこやかに新たな会合を信州で開こうとしているのだ。》

(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170711)

《つまり、父方母方両方の大叔父達は、エリートだったということだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161219)。特に父方の大叔父の場合は、そうだったと言える(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)。
私の実家の勉強部屋には、額縁に入れた大叔父の書「積善」が掛かっていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)、いつでも力不足を痛感し、本当に申し訳ない気持ちがしたものだ。
今でも、その気持ちは消えない。》

(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20170829)

《ある時、父方の祖母が同居したいと電話を掛けてきた時、母親が「子供達が受験期だから」とか何とか言って断ってしまったことを覚えているからである。
父方の祖母とは、信州大学の学長を務めた加藤静一の姉に当たる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)。同居を願った理由は定かではないが、惜しいことをしたと、今でも思う。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171029)

《父の母方の叔父(つまり私の父方の大叔父)が、昭和天皇から受勲もされた信州大学学長であったとは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170711)、普通の感覚では到底、誰も想像できないだろう。)》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180528)

《考えてみれば、父方の大叔父の加藤静一(東京帝国大学を昭和10年に卒業)が昭和21年(1946年)に信州大学医学部の教授に就任したのだから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080806)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170829)、アカデミア内での年齢上は、故リチャード・パイプス教授よりも先輩格である。大正生まれの母方の祖母の兄弟にも大学教授がいたことは、既に記した通りである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161118)。敗戦国の日本であっても、小国(?)なりに頑張ってはいたのだ。》

《大叔父の書になる「積善」の額が、実家の私の部屋に飾ってあった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170711)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180419)。》

《PS 2:信州大学眼科学教室のホームページから。
(http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-ganka/guide/outline.html)

・嘱託として眼科学の講義や診察を行なっていた加藤静一先生(東京帝国大学、昭和10年卒)が、1946年(昭和21年)6月30日付で第2代教授に就任されました。戦後、日本初とされる巨大電磁石を作成し、多くの眼内鉄片異物を摘出されました。また当時の白内障手術は肉眼で短時間に終わる嚢外摘出術がほとんどでしたが、「嚢外摘出術+人工レンズ挿入術」を早くから取り入れていました。他にも信州大学附属病院長、信州大学学長を歴任されました。

・1946年(昭和21年)6月   加藤静一先生が第2代信州大学眼科学教授に就任
・1958年(昭和33年)7月   加藤静一教授が信州大学医学部附属病院長に就任
・1973年(昭和48年)10月   加藤静一教授が信州大学学長に就任
(部分抜粋終)》

《「松本の叔父さん」と亡父は呼んでいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170801)。誠に遅きに失するが、戦前の教育を受けた人の気概を痛感すると同時に、大叔父の「戦後日本初」の業績を誇りに思う。》

(終わり)

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大叔父の記録をまとめる(2)

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091228)

《加藤静一(著)『十年経たるか』(形象社)から抜粋引用》

《(前略) しかし問題はこれからの人生であります。アメリカの大学では学士号授与式をコメンスメントと呼んでいます。これは即ち学業を終ったというよりもこれから実社会への第一歩を開始するという心構えを示したものであり、諸君は今や社会人としての長いマラソン競走のスタートラインに並んでいるのだとも考えられます。これからの社会の波風は厳しいものがあり前途は決して平坦なものでないことを充分覚悟しなければなりませんが、今までの学生生活を通じて培ってきた英知と若さとを以て焦らず休まずたゆみない努力を続けてゆかれるよう、特に生存競争とはいうものの、醜い手段や策略などを度外視して終始一貫誠の心を以て誠実一路に世に処して頂きたいと切望しておきます。

目的のためには手段を選ばずいろいろな権謀術数の横行する現代であるが故にこそかけがえのない諸君のこれからの人生を通じて物質的な成功とか名声とかに眩惑されることなく、常に汚れなき高潔な魂を保持していくことが人生の真の生甲斐であることを銘記すべきであります。(後略)

(「昭和49年度卒業式における学長告辞」『信州大学学報 第253号』昭和49年4月1日)p.27
大らかさと共に強靱さが要請される。教育の制度においても特に大学は学を好むもののエリートコースであり、全入全卒の理念は悪性インフレと同様の水ぶくれ教育であり、ここいらでその体質を強靱にする治療法が必要である。

(「エリートとは」『毎日新聞』昭和49年6月11日)pp.35-36
大学の教職員の皆さんには常に堅実な姿勢を似て自らの職責を積極的に遂行されると共に相互の人間関係を大切にすることによって学園内に心温まる雰囲気を醸成して頂きたいと切望する。

(「年頭の辞」『信州大学学報 第250号』昭和50年1月1日)p.43
私はほとんど独学でエスペラント眼科読本を著し、フランスの同志の協力によって改訂再版を発行したのであるが、日常の文通、学術的報告、討論、さらに文学的表現にこれほど有用な言葉はないと信じているが残念ながら大多数の学生は未だこれを冷眼白眼視している状態である。

(「国際共通語」『大学と理想』昭和50年11月)p.56》
《私自身従来から私の近親などに対しても大都会の大学よりも地方大学への進学をすすめているのであるが、若者の心理として何となく大都会への憧れが抜けきらぬようで残念である。

(「あいさつ」『学生生活のしおり』昭和50年)p.59
大学の重大な管理事項について学生が主導権を持っているかと考えているとしたら大変な思い上がりであり、特に医学部教官と学生とその熱望し目的とする所が一致しているのに自連合に義理立てて教官を困らせる挙に出るなど不可解至極なり、(中略)学生の思い上った態度依然たるものの如し。

(「教養統合の胎動」『信州大学教養部報 第18号』昭和51年1月20日)p.62
「今日、エリートなる言葉は多少の反感を伴って発せられることが多い。一流の高校や大学を出たことによって立身出世の特急券を手に入れた連中だと白い目で見られる傾向も否めない。半面にこれは非エリートのひがみ根性的先入観にも由来している。このような大衆心理に迎合して、近ごろはすべての人が高校に、さらに大学に進学できるようにすべきだという説が幅をきかせているようであるが、これは考えものだと私は思う。」

「大学の先生であろうと、農業従事者であろうと、専門家としてエリートとなるには刻苦勉励が必要であり、レジャー本位で民族が興隆繁栄したためしなどないものである。」

(「エリートとは」『毎日新聞』昭和49年6月11日)pp.35-36》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091229)

《昔の恩師の訓えにも、「巧名富貴は全推すべし、苦事難局は独任すべし」とあったのに似ている。世の中の人が、多少でもこんな気持であってくれたら、人の世も随分のどかになろうというものであろうが、現実には他人の非をあげつらうことにのみ急で、自己の責任は棚上げしたがるから世相は益々険悪になる。
我々の住む世界は無数の要素の絡み合いによって動いてゆく。昨今の経済不況にしても、単に産油国のエゴとか完全雇用学説の破綻とかによって説明し得られるものではなく、無数の病因によって惹起された症状の一つに過ぎないと考えられ、世界は一つの生きた有機体であることを再認識しなければならぬ。
責任の自覚、あるいは使命観という点について特に政治家諸公に望みたい。諸公には、一般国民に先んじて少なくとも2,3年先の見通しがあって然るべきだ、そのための情報組織は相当完備しているはずだから。然るに、どうも数年後になって、成程あの政治家の論議施策は賢明であったと、感心させられるものは暁天の星よりも少ない。徒らに大衆におもねり追随することにのみ汲々たるは、ステーツマンとして落第であり、むしろ大衆のお気に召さぬことも断断乎としてやる勇気を要望したいものである。世界という有機体の病根ここに在りと見届けたからには、国手として徒らに患者さんのご機嫌を伺っていたにで、鬼手仏心の手術を断行するのは当然のことであり、一般大衆も、局所的なエゴばかり主張することを慎むようにしなければならぬ。

(「年頭所感」『信濃ジャーナル』昭和51年1月)pp.65-66

膨大な赤字国債に依存している国家財政の現状から見て大学の定員や予算を拡充することは至難であると考えなければなりません。この際われわれの心構えとしては池中に潜む蛟竜の如く他年の飛躍を期してその体質を強化し独創的な特色を出すことに専念すべきであろうと考えます。
国立大学というものは国民の税金によって運営されていることは明らかであり、大学に職を奉ずるものは常に納税者の立場を念頭に置き公務員として奉仕する精神を忘れてはならぬことを改めて強調しておきます。

(「年頭の辞」『信州大学学報 第262号』昭和51年1月1日)p.67

「余りにも低俗な週刊誌などの横行は世の識者の顰蹙を買うところであり、正に濁流滔々として真の文芸、個性ある正論を押し流し圧殺せんとしているのが現在の姿ではあるまいか。
昭和50年は、一転して経済界の不況と共に、あらゆる面で従来の放漫な政策が反省期に入ると言われている。識者によれば、今の時代は昭和初期の世界大不況とエログロナンセンスの棄てばち傾向、その裏面で着々進行している戦争準備の状況に酷似していると言うが、人類は永久に反復して愚行を再現するものであろうか。」
「しかし、金権政治とか金脈とかの問題が毎日のように紙面を賑わしているのも空疎な論議のようにも思われる。昔から地獄の沙汰も金次第と言われ財物の供与を受けて怒る人間は先ずいないからであり、政治をよくするためには金を使っても効果がない。莫大な選挙資金を使っても引合わないという土壌を作ることが先決問題であろう。」

(「濁流に抗して」『信州往来』昭和50年1月)pp.44-45》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100104)

《「年改まって昭和50年となり、日本の経済状態は深刻な危機を迎えようとしている。狂乱物価に象徴されるインフレーションにもかかわらず景気は後退し、失業者は増加の一途を辿るという難しい状況を示し、この難局がどのように克服されるものか、前途暗澹たる感じである。しかし従来の放漫な水ぶくれの如き体質を改善するにはこのような不況もむしろ有効な治療法となるのではないかという考え方もある。」》

(『信州大学学報 第250号』「年頭の辞」昭和50年1月1日)p.43

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100726)

《思いがけず、キャンパスの中で、大叔父の書が彫り込んである石碑を信州大学医学部前で見つけて、本当にうれしかったです(参照:2008年4月22日・8月6日・2009年12月15日・12月16日・12月27日・12月28日・12月29日付「ユーリの部屋」)。逆光なのでなかなか文字が入りにくくて苦労しましたが、何とかカメラにおさめてきました》

《私が中学二年の時にできた碑でした。その時から、もっと大叔父のお話を直接聞いていたなら、学校生活がずっと生彩を帯び、深い自信とはっきりとした目的意識を持って、くだらないことを言う人があったとしても、笑って聞き流すだけの度量を備えていただろうに、とも思います。
地域医療に奉仕する医学生を育てるための激励を常に惜しまず、象牙の塔を飛び出して、地元の人々との触れ合いを大切にしようとした大叔父でした。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100728)

《信州大学へ。主人のアメリカ留学時代の友人が勤務している大学ですが、キャンパスが違うようでした。学会で日本国内のいろいろな大学を訪問してきましたが、2000年頃から、交通の便のよい大学が好まれるようになり、信州大学は、まさに初めて》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101227)

《私は、祖父母が父方も母方も岐阜系統です。また、大叔父は信州大学学長でした(参照:2010年7月26日付「ユーリの部屋」)。先生のご出身は岐阜(恵那)であり、信州大学とも関わりをお持ちだったようです。》

(続く)

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大叔父の記録をまとめる(1)

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070704)

《ここ数日、大学の9月入学の話題について新聞投稿しようかと考え、材料をテーブルに載せたままになっています。なかなかアイデアがまとまりません。私事で恐縮ですが、父方の大叔父(私の祖母の弟)が信州大学学長だった頃、すでにこの案を何度も提示し、本にも何度か書いています。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071214)

《信州大学学長だった父方の大叔父の推進したエスペラント運動やアラブ友好協会の話は、是非とも近日中にまとめたいものです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080214)

《教育立国である信州大学の学長を務め、眼科学の専門でエスペランティストだった父方の大叔父の著作には、人の教育に関してほとんど正反対の主張が書いてありました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080422)

《信州松本は教育立国で、若い頃の父が大叔父の後をついて歩くと、地元の人々が一様に深々と頭を下げるような丁重な雰囲気があったのだそうです。それでも、父によれば、そういう慇懃な儀礼を嫌い、そしらぬ顔をして人々と対等に付き合おうとしていたのが大叔父だったようです。
藤本徳次郎という方が綴られたエッセイに、アラブ友好協会の話が出てきます(http://www.matsusen.jp/myway/fujimto/fjm00.html)。》

《加藤静一先生 アラブとの友好に努めた日々

[写真省略:加藤先生(左)たちとアラブ諸国へ]

 松本には文化人と称する人が多い。その中でも私が尊敬し親しくしていた人に元信州大学長の加藤静一先生がいる。
 戦後まもなく、私が仕事で東京に行った帰りの列車の中で、席が隣だったことが加藤先生との出会いだった。当時、新宿と松本の間の所要時間は9時間。その間先生といろいろな話をした。私は先生のひょうひょうとした話しぶりや考えにたちまち虜になった。
 「先生、困っていることがあったら何でも言ってくださいよ」
 「いやあ、実は米がなくてね、申し訳ないが…何とかならないかね」
 私は松本に着くとすぐ家に米を届けた。先生はとても喜んで「何か困ったら言ってきて下さい」と、今度は先生に言われた。
 私は何も困ることはなかったが、以来先生と話をすることが面白くて、次第に先生と会うのが楽しみになった。どこへ行くにも先生と私は一緒だった。妻は「金魚のフンみたい」と笑ったが、私は加藤先生や、その先生の周りの人たちと出会うことによって、多くの素晴らしい心の栄養を得ることができた。
 昭和48年、オイルショックで日本政府はアラブ支持を明確にし、アラブをもっと理解しようというキャンペーンが行われた。その折り、「我々も民間サイドで友好を進めようじゃないか」と加藤先生が提案。長野アラブ友好協会を先生と一緒に設立した。会長は加藤先生、副会長に北野建設の北野幾造副社長。黒田現松本タウン情報編集長ら20人が集まった。
 アラブの写真展や子どもたちの絵画交換、アラブ連盟東京代表らの講演会などの事業を続け、視察に行こうということになった。チュニジア、ヨルダン、シリア、クウェートへ出かけ、友好を図った。さらにアラブの駐日大使を松本などに何回か呼び、私たち会員は市長や県知事のところへ案内するなど大勢の人に認識してもらおうと努力した。
 しかし、加藤先生が平成2年に亡くなり、その後は友好協会の活動もすっかり鈍ってしまった。このほかの加藤先生と一緒に作ったグループも自然に解散していった。やはり人間は生きていなければ、とつくづく思った。
 加藤先生のいない松本の街が潤いのないつまらない風景に見え、しばらく人と会うのもつらかった。》

《アラブ友好協会は、予想したとおり、オイルショックがきっかけでした。つまり、イスラームへの関心ではなかったようです。いかにも日本的発想だなあと思いますが、一方で、やはりエスペランティストだけあって、進歩的な発想と大胆な実行力があったことをうかがわせます。同時に、大叔父の逝去後は、活動が衰えて自然解散した、というのも、なんとなく頷けるところではあります。》

《上記の藤本氏の文章の中で、大叔父が亡くなったのは「平成2年」とありますが、これは間違いです。2006年3月下旬、松本タウン情報社に問い合わせたところ、信濃松本専売所からお返事をいただきました。》

《大叔父は1987年(昭和62年)12月5日の午後1時28分に逝去し、お通夜は12月6日宝栄寺で行われました。実家からは父が参列いたしました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080806)

《軍医として中国北部、樺太、満州など北の方に縁の多かった父方の大叔父も、シンガポール訪問記を随筆に残しています(加藤静一『小天地』「東南アジア漫遊記」新信州社 1970年 pp.218-241)。(参照:2008年4月22日付「ユーリの部屋」)。この文章は、アンコール、バンコク、香港(シャンカン)、台北、高雄(カオシュン)などについても触れられてあって、なかなか味があります。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091026)

《父方の大叔父が学長を務めた信州大学(参照:2007年7月4日・2008年2月14日・2008年4月22日付「ユーリの部屋」)に進学が決まった女子学生が、「信州なんてレベルの低い大学は嫌だ」とか何とか、私の目の前で不満そうにしていたケースもあります。内心、(あなたねぇ、自然に恵まれた教育立国の信州で何かを学んでから、おっしゃいなさい!)と、こちらの方が不愉快になりました。(余談ながら、MIT留学時代に主人が親しくさせていただいた東大卒の方が、今は信州大学で教官を務めていらっしゃいます。)》

(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20091215)

加藤静一文集『十年経たるか』 (1)

《「最近の社会状勢は特に厳しいものがあり、就職難も深刻になってきていることは教師の親心としても誠に胸の痛む思いであります。しかし、人間到る処青山在りの気概をもって難局に挑戦し、新生面を打開されるよう切望するものであります。
 今や交通機関の発達に伴い地球は狭くなり、「世界は一つ」という連帯感が強くなっています。我々は祖国日本の伝統を尊び、祖国の為に尽すということを忘れてはならぬのは勿論でありますが、一方に広く国際感覚を養って、いわゆる島国根性から脱却して、世界人類のために貢献することが要請されます。」
(『信州大学学報 第289号』「昭和52年度卒業式における告辞」昭和53年4月1日)p.110》
 
《「これからの大学生活は、諸君にとって積極的自主的な人間形成の場であり、消極的な態度は許されぬものであります。」
「時間を忘れ、我を忘れて学びの道に没頭し沈潜することこそ大学の本義と称すべきであります。」
「あらゆる事態に対処して、屈せず撓まず耐久力のある弾性を内蔵したものを要望するものであり、….」
「大学の自由濶達な天地において、良き友・良き師に恵まれ、良き人間関係のなかに、充実した青春の日々を送られんことを心から祈念して告辞といたします。」
(『信州大学学報 第290号』「告辞」昭和53年4月13日)pp.111-112 》

《「多くの日本人知識階級の人がそうであるが、私も昔の中学以来、英独2カ国語を随分熱心に勉強したものである。しかし、日本人の通弊として会話能力には欠けるものであった。眼科医になってから北支那(私は中国という表現は固有名詞としてはおかしいと思う。支那と言うのは蔑称でもないと思うんだが)山西省太原で2年半、軍属として現地人の診療に当ったのであるが、その当時もっとも熱心に支那語を勉強したもので、軍医将校のある友人は私に言った。「君がいまさら支那語を習うよりも、彼等をして日本語を習わせるべきである」と。言や壮なり、私は言った。「君は軍人だ、剣をもって支那大陸を征服しようとするならば、彼等に日本語を強制することも認められるかも知らんが、俺は軍人じゃない。医師として彼等と出来るだけつき合ってゆきたい。そのためには彼等の言葉を習得したいんだ」と。今でもこの問答は私の脳裏に焼きついている心地がする。八紘一宇などというスローガンが用いられていたころであるが、民族固有の言葉を無視するという考え方は許されぬところである。」
(『ロータリーの友 No. 6』「私の体験」昭和53年)p.121》

(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091216)

加藤静一文集『十年経たるか』 (2)

《「自己の周囲のもろもろすべて自己の延長拡大でもあることを深く認識することが前提であり、この認識なくして単に汝の隣人を愛せよと言ってみたところで、それは偽善的であるとも反論されかねないのである。しかし、またこんな先哲の言を繰り返してみても、これは要するに理屈であり、知解の域で体得せねば本物とはいえない。」
(『毎日新聞』昭和49年5月21日「自己と他己」)p.30》

《「しかし、人生は常に生存競争であり、適者生存の原理に支配されていることを思い、自分に適した仕事はなにであるかを考え、なにもそろって同じ方向に進む必要はない――みんながみんな一流高校や、大学を目指すことこそ間違っているんだと、世の教育ママたちも悟るならば事態はもっと大らかになるであろう。それに、「少年の才子は愚に如かず」ともいわれるように、希代の秀才もその多くは若くして病死したことを思えば、人間の一生の総和は大体定まっているようである。神様の恩寵は案外すべての人に均分されていて、えこひいきの少ないものかとだれしも中年老年のあきらめの時代になると、多少悟ってくるものであるが、…」
(『毎日新聞』昭和49年6月4日「競争相手」)pp.33-34》

《「嫉妬心は特に女性の方が強烈なようであり、昔の『女大学』にもこれを戒めているが、男性とても本質的には同様であって、私は人間生来の原点的な業――原罪とでも言うべきものかと考えている。」
(『毎日新聞』昭和49年5月28日「嫉妬について」)p.31》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091218)

《「はじめに」
大学は学問の府であり、研究と教育を使命とするものであることは、いうまでもありません。しかし、研究と教育を行うのは教員であり、学生はもっぱら教育を受ける受動的なものと考えるのは正しくないと思います。研究と教育とは真理の探求という目標においてつらなっており、その限りでは、学生も教わりながら真理の探求に参加するものです。諸君たちは、そのみずみずしい感受性や思考力を大いに活用して、新しい知識の創造に、能動的、積極的に取りくんでいかねばなりません。

さて、新入生をふくめて、現在本学で学んでいる学生諸君は、来るべき21世紀には、丁度40才代を迎える人達です。年令的には、まさに円熟し、新世紀の文字通りリーダーたるべき人達です。この際、思いを新たにして、我執をすてて虚心にかえり、我々の先達の歩んできた道に反省を加え、正と邪とを判別するきびしい批判精神を武器に、きたるべき新世紀の文字通り百年の計をうちたてるべき責務があるのだという自覚を持ってほしいと思います。

20世紀を代表することばとして、しばしば、“孤独”“疎外”といった単語がくり返されてきました。今世紀に入ってから急速に複雑化し、高度化した情報社会の中で、日ましに色あせていく人間唯一これをいかにして回復していくかは、来るべき新世紀の人間の命運にもかかわる重大事だと思います。幸にも、本学は、所謂マンモス大学ではありません。小規模で家庭的雰囲気にあふれている大学です。この利点を充分に生かして、先輩、教職員との間での、意欲と熱意にみちた対話の中から、新世紀への指標をうちたてていこうではありませんか。

対話の成り立つ可能性の残っている大学、ここで実り多い学生生活をおくられるよう希望します。この冊子が、その際のさゝやかな手引きになれば幸です。
昭和59年4月(p.1)

第一高等学校を昭和5年(1930年)に、東京帝国大学医学部を昭和10年(1935年)に卒業し、昭和48年(1973年)から信州大学学長を務めた大叔父の文章ばかりをあまり引用すると、身贔屓の謗りを招くこともさることながら、まさに文字通り「虎の威を借る狐」だと不要な誤解もされかねないので、この辺りで、身の丈に応じたものとします。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091223)

《高校生の時に読んで記憶が残っているので、引用が楽だということもあります。いつも、実家の壁掛けにあった大叔父の書「積善」を眺めては、自戒の念ともしておりました。

「卒業証書授与式における学長告辞」

(略)学園における生活は言うなれば温室の如きものであり、厳しい実社会においては甘えの姿勢は許されぬものであることは充分覚悟して居られることと存じます。今や国際関係は緊迫の度を加え、国内の経済事情なども複雑怪奇の様相を呈し、権謀術数の横行する現実は誠に悲しむべきものがあります。純真なる諸子が、このような現実に接して幻滅の悲哀あるいは挫折感に襲われることもあろうかと推察するものでありますが、冀わくは大学生活を通じて培ってきた英知と誠の心をもって一貫し、世界の平和、人類の幸福という大きな理想を目指して、撓みない精進を続けられるよう心から祈って諸子の新しい出発への贐の言葉といたします。

(『信州大学学報 第313号』昭和55年4月1日)(p.178)》
 
《「自己革新の困難さ」

…前述したごとく、小・中学の教育こそ最も重要な原点であり、担任の児童生徒のそれぞれの個性特徴を見抜いて、これをうまく伸ばしていくことは、先生に与えられた大きな責務であり、これに対する見返りとして、小・中学の先生の待遇が大学の先生より上であってもよろしいと私は考える。しかるに、なんぞや日教組の掲げるスローガンは常に悪平等を指向するものであり、主任手当返上などという戦術はてんでいただけないところ。(中略)

この裁判長の人柄については全然知らないが、14,5歳の未成年に対して、成人同様の政治活動の自由を認めているようで、いささか偏向した思想の持主かと推察される。非行暴行常習の少年にも学習権ありとし、管理的教育は不可なりとする日本の社会秩序は、あまりにも放縦許容に走っているようで憂慮にたえないものがある。

大学生ともなれば、自主的積極的に大いに学ぶべきものであるが、近ごろは特に「乳離れ」しないような連中が増えてきたようであり、教官もまた手とり足とり懇切丁寧にスプーン・フィーディングすべきものとされているようだが、これも気に入らない話である。大学の先生なんてものは呑気なもので、学生の教育は二の次にして、自分の好きな研究に身を入れていれば済むものだとも言えるし、さらには何もしないでいても、勤務評定などされる心配もない。「ぬるま湯」に浸っているような境涯とも評せられるが、教育者としては、セミナーなどによって、少数の向学心豊かな学生を充分しごくことが生き甲斐であろう。ただ相手の学生が、最低の単位を取るにも弱音を吐いている有様ではしごき甲斐もないところかもしれない。

大学入試改善案として、共通一次という近代的方式が導入されて2年を経た。この方式のメリット、デメリットはまだ判定を下すには尚早で、せっかく始めたことだから、少なくとも数年間は様子を見ようじゃないかという意見が多いようであり、発足当時反対意見を表明した私などもあきらめムードであるが、…(中略)

以上、多分に独断的毒舌を綴ってきたが、これは私の教師歴に対する苦い半生の意味も込めてで、宥恕願いたい。」

(『現代教育経営』昭和55年4月)(pp.179-182)》

(続く)

 

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今後の予定を考える

昨日の午後は、市内の新設ミュージアムで二回目のカレッジ講座「岡田柿衛翁の生涯」に出席した(過去ブログ http://itunalily.jp/wordpress/20220506)。

5月中に、図書館で関連資料を借りて、該当箇所を複写しておいたので、予習は何とかなった。だが、岡田利兵衛先生の旧制中学時代の日記を読むのは、今回は遠慮させていただいた。

放送大学大学院の課題もある上、ペンディングになっている手続きや家の片付け等も残っており、博物館友の会の例会や古文書会もあるとなれば、(到底、時間的にも無理そうだから止めようか)と思ったが、まぁ、何とかなりそうだ。参加者は、先生以外は中高年の女性ばかり。全体的にまったりとした雰囲気で、悪くはない。先生も一見、飄々とされているが、実は「人を見て法を説く」タイプのようで、私には鋭い助言を投げかけられた。

継続は力なり。来月の担当分も、何とか読めそうだ。
………………
2020年夏から一年ぐらい出席した月一回の「古文書の会」という研修についても、博物館の移転のために半年以上、休会となっていた。今後は、これまでのように課題を渡されて各自で自宅で予習してから教室で指名されて読み上げる方式ではなく、いきなりその場で資料を渡されて、皆でガヤガヤと検討しながら翻刻を目指す方式に変わりそうだ。つまり、辞書持参だけでよろしい、ということらしい。

それならば、気分転換のためにも、続けられそうだ。そして、その午後には、博物館由来のボランティア活動として、手をきれいに洗ってから、地域に残る古文書の整理とラベル貼りが再開される予定だ。私は初参加なので、これは勉強になる。子供の頃から、古いものを見ることがとにかく好きだったのだ。

早速、ワープロで作成してある履歴書の「社会活動」欄の続きに「ボランティア活動」欄を追加し、「2015年1月から半年に一度の献血400mlの継続14回」と「地域の古文書整理の作業」の二つを書き加えた。

継続した献血の記録は健康管理の証明ともなるようで、駐日米軍勤務の医師から以前、ツィッターで「履歴書にも書けます。面接の時、“武器” になります」と教わった。

また、古文書整理のボランティアは、誰もが認める良質の無償奉仕だと、私は思う。昨今では、全国各地の博物館や資料館等で希望者を募り、簡単な指導と訓練の後、作業が着々と進められているようだ。

本来ならば、もっと昔から始めておかなければならなかった作業なのだが、どういうわけか「お蔵から出て来て、処分寸前でした!」みたいな古文書の束が、あちこちで出現しているらしい。そして、たとえ一見、単純で無味乾燥な文書であったとしても、研究者にとっては貴重な資料や証拠になるようだ。つまり、歴史の塗り替えや補足にも繋がる。

断捨離を唱える人は、表面的には「残された人達に負担を与えないように」等と言いつつも、実は都合の悪い過去を覆い隠したい意図があるのかもしれない、と勘繰ってしまうところだ(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161222)。
……………….
私の学生時代、つまりバブル全盛期の1980年代半ば頃には、病院や図書館でボランティアをする都市部の中流家庭の主婦は、大変に啓蒙的で生き生きと輝いていた。お金にはならなくても、ステータスとして立派に通用していた。つまり、知的であること、気配りが充分であること、経済的に余裕のある家庭の出身であること、善意の塊の証明になる、世間勉強になり視野が広がる、等の意味合いが含まれていたからだ。

平成に入って10年ぐらい経った頃、気がついたら経済格差ばかりが叫ばれる一方で、大学生が遠方の災害地域でボランティア活動をすれば、それが単位認定になると、変化していた(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180905)。

古い考えかもしれないが、学生の本分は勉学に励むことであり、ボランティアは「単位」という見返りを求めるものではない、と私は感じた…..。

ともかく、以前ならば主人が会社に正社員として繋がっていたから、扶養家族の私は、自宅にこもって学会発表の準備に専念し、読書や勉強や翻訳作業やブログ書きや家事等に集中しても許される、フリーの立場でいられた。
第一、そういう私の在り方を、主人自身が喜んで勧め、会社でもニコニコと嬉しそうに言っていたらしいのだ(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180728)
《「奥さん、何やっているの?」と他の人達に尋ねられると、いつでも嬉しそうに「家内は論文を書いています」とニコニコと答えていた》。
それも、若年性神経難病患者に対する心理的精神的なサポートの一つだと思い、私はそのままにしていた。

だが、その「特権」がなくなった今、自分で自分の居場所を求めていかなければならない。

「放送大の院生です」と学生証を出して通用するのは、せいぜい、美術館や博物館の入館料の割引ぐらいで、身分保障には心許ない。近くの郵便局の若いお姉さん達は、「放送大学大学院」と大書きされた課題提出の大きな封書を見て「凄い!」と言ってくれたが、他方、「だって、カルチャーセンターみたいなもんでしょ?」「偏差値低いんじゃない?」等と、失礼極まりないことを平気でウェブ上に書く人も、世間には存在する。

この歳になって、偏差値なんて…..!? 世の中、18歳時点の偏差値だけで一生渡れるほど、甘くありません。

第一、住民票と体は伊丹市にあっても、自宅で過ごすだけならば、社会貢献どころではない。それに、何かあっても、誰にも気づかれずに終わってしまう危険性もある。

……と考え、新設ミュージアムの二つの活動+α に関しては、無理なく気楽に続けてみよう、という結論になった。

しかしながら、生涯教育を推進する世の中、探せば「博士号を目指す50歳以上の人達」向けの奨学金制度もある(https://www.gllc.or.jp/project/doctorate/index.html)。70歳ぐらいで博士号を取得された女性が始めたものらしい。論文テーマを瞥見の限りでは、人生経験の厚みが伴った、本格的なタイトルが並んでいた。しかも、50数名応募で数名通過した、という倍率だ。

少子超高齢化社会で低迷している日本だが、よく見渡せば、それなりに前向きに活発に努力されているさまざまな立場の方達がいる。

頑張らなければ!
…………………
(https://twitter.com/ituna4011/status/1532739931613036545)

Lily2@ituna4011
怖くはありません。 患者さんに失礼です。 https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1532733591368609792
12:04 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532744421586116609)

Lily2@ituna4011
当事者には、失礼です。 https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1532743401900081152
12:22 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532846818882916352)

Lily2@ituna4011
デリカシーの問題。 相手がどう感じるか、配慮を。 https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1532747629087510528
7:08 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532853054504304640)

Lily2@ituna4011
この辺で終わりにしましょう。 悪意ではありません。根拠あってのことです。 お元気で! https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1532852554500956160
7:33 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532855391893467136)

Lily2@ituna4011
私は終わりました。 最初から、事実として、解釈の前提がずれています。以前もそうでした。 お元気で!
7:42 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532848494662533120)

Lily2@ituna4011
P病はプラセボ効果があり、周囲の不用意な言動が症状や予後を左右します。 前向きに明るく生きようとしている患者さんや家族に対して、マイナス言葉は厳禁。特にSNS上では。 P病は怖くありません。 自分、自分、じゃない。 相手がどう感じるか、が問題。
7:15 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532850060333297664)

Lily2@ituna4011
今月のゼミ発表の下準備中。レジュメはできている。 世界中で研究競争が激しいP病。日本発の研究チームも頑張っている。日本からの薬剤開発も、結構いい線いっている。 お世話になった先生方の研究を応援しています。
7:21 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532860602477314048)

Lily2@ituna4011
我が家は、その意味で恵まれていた。 知らず知らずのうちに、著名な先生方から診察や相談を受けられた。 日本発で世界初の研究、楽しみにしています! 繰り返します。P病は怖くありません。 結核だって癌だって、徐々に克服してきました。 発想を柔軟にして、できるところから、小さな工夫を。
8:03 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532862612463308800)

Lily2@ituna4011
前提がずれているからです。 https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1532856743948001281
8:11 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532873747363143680)

Lily2@ituna4011
日本語がきちんと読めていないのでは、と以前から感じていた。または、読まずに反応しているのでは? 事実の前提がずれたまま、なぜか話に絡んでくる。 会ったこともないのに….。 知らないことには口を挟まない。事実を確認しないで、勝手に思い込まない。
8:55 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/KaigoMassage/status/1532882575605174272)

訪問あんまマッサージ なみき
@KaigoMassage Replying to @ituna4011
す、す、すみません。 終わったようなので…  今回の記事ありがとうございます。数年腸内コントロールとパーキンソン病についてはpdコミュニティでも永遠のテーマですね。元記事を使わさせていただきました。ごあいさつまで。
9:31 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532890065193824256)

Lily2@ituna4011
アメリカ在住の方なのと、どこか思い込みの激しい方のようで….。数年前にも、別件でトラブル発生。日本語をきちんと読めていないようなんです。 腸内細菌の話は、母校の名古屋大学の研究 なので、嬉しいです。常識的には肯定できても、科学的な証明が難しいようです。 みんなで健康になろうよ!
10:00 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532897171317866496)

Lily2@ituna4011
大学院の今月のゼミ発表の資料を作りながら、 腸内細菌とパーキンソン病の関係、つまり脳腸相関の話に、とても興味を引かれました。 阪大医学部名誉教授で、10年程、主人の主治医だった佐古田先生も、同じことをおっしゃっています。 科学的証明が難しいですが、できるところから試してみましょう!
10:29 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532906926845349888)

Lily2@ituna4011
最近では、WHOの指針が全世界の医療の潮流になっている。 だが、民族の歴史的相違、気候や風土や食べ物や水質の違い等の要因は? 人類が一律に同じなのか?
11:07 AM · Jun 4, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1532937489991999488)

Lily2@ituna4011
P患者の症状や環境は、人それぞれ。 こうだから、こう、 とは言えない。臨床医は大変だ。 だが、経験上、何らかの傾向は把握されているのでは? 原因不明ということは、かえって発想の逆転も可能だということだ。案外なところに発見があるかも? 科学的証明にこだわり過ぎないで。
1:09 PM · Jun 4, 2022

(2022年6月4日転載終)
………………….
「パーキンソン病は怖くありません」という私の言葉に、どういうわけか突然、絡んできた人のツィートのために、時間が潰れてしまった。
プラセボ効果の他にも、複数の神経内科医による確かな証言があります。つまり、エビデンス(根拠)はあります。

1.(https://twitter.com/ituna4011/status/1532941835693588480)
1:26 PM · Jun 4, 2022

(https://honto.jp/netstore/pd-book_02427521.html)
久野貞子パーキンソン病はこわくない悠飛社2004年3月

☚ 著者は、初期の頃、京都の右京区にある宇多野病院に通院していた時の主人の主治医。1943年、岐阜県生まれで京都大学医学部医学科卒業の医学博士。ご著書出版当時には国立精神・神経センター武蔵病院副院長。

2.(https://twitter.com/ituna4011/status/1532943538534907905)
1:33 PM · Jun 4, 2022

(https://www.townnews.co.jp/0203/2016/07/29/342579.html)
【タウンニュース多摩区版】運動機能の維持が「鍵」 パーキンソン病は怖くない 登戸内科・脳神経クリニック

3.(https://twitter.com/ituna4011/status/1532949475962257408)
1:56 PM · Jun 4, 2022

【神経内科医が答えます】パーキンソン病は怖くないって本当?
(https://youtu.be/3YcrUh38wPg via @YouTube)

4.(https://twitter.com/ituna4011/status/1532949871040565249)
1:58 PM · Jun 4, 2022

パーキンソン病の治療~あなたはどのような 選択をしますか?~
(https://youtu.be/LCoqn0mqJI4 via @YouTube)

(2022年6月4日転載終)

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マーク・ドュリー博士

以下は、オーストラリアの聖職者でいらっしゃり、言語学と神学の二つの博士号をお持ちのマーク・ドュリー博士の論考文です。

英語版のはてなブログ(https://itunalily2.hatenablog.com/search?q=%22Mark+Durie%22)にも、引用させていただいたことがあります。

(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20120111)
(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20120205)
(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20131103)
(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20140218)
(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20140906)
(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20141124)
(https://itunalily2.hatenablog.com/entry/20150326)

(リスト終)

過去ブログ(http://itunalily.jp/wordpress/)でも、2021年12月25日付「ツィッターからのまとめ転載」と2022年1月25日付「ムスリムの危険な脱イスラム」にて言及させていただきました。

古くて新しい、根本的な解決が未だ見出せない現代の難題の一つです。日本側も、避けて通れないテーマのはず、です。

どうぞお読みください。
…………………….
(https://markdurie.com/islamic-antisemitism-drives-the-arab-israeli-conflict/)

Islamic Antisemitism Drives The Arab-Israeli Conflict
2 Jun 2022

This article was published in the Middle East Quarterly, 29(3): 1-8.

An underestimated, unappreciated, and oft-denied driver of the Arab-Israeli conflict is Islamic religious antisemitism. How deeply entrenched is this religious bigotry, and can it prevent, or slow down, the nascent reconciliation between Israel and the Arab world?

Some might question whether it is justifiable to speak of “Islamic antisemitism” and view this charge as a slur on the name of one of the world’s great faiths, followed by close to two billion people. Yet the numerous passages in Islam’s canonical sources (the Qur’an and Sunna) that depict the Jews as a warmongering, cowardly, and treacherous lot have played a key role in the perpetuation of the Arab-Israeli conflict, as evidenced among other things by the outpouring of antisemitic hate speech during and after the May 2021 Hamas-Israel war.

Two Views on Muslim Antisemitism

In 1992, Daniel Pipes, reflecting on antisemitism in the Muslim world, summarized two different perspectives: one views this phenomenon as a “longstanding” part of Islam; the other considers it “an importation from Christianity, from Europe.”[1]

The importation thesis—most prominently associated with Bernard Lewis—is at least partly true. The paranoid attribution of exalted ambitions of global dominance to Jews, reflected in antisemitic statements by some Muslims, was indeed an import from Christian Europe. Testimony to this influence has been the perennial popularity across the Middle East of the Protocols of the Elders of Zion, the notorious pamphlet published by the Russian secret police in the early twentieth century. In 2001-02, this fabrication was even turned into an Egyptian TV miniseries, Horseman without a Horse. But Lewis went further and claimed that the whole of Islamic antisemitism was imported:

For most of the fourteen hundred years or so of the Arab-Jewish encounter, the Arabs have not in fact been anti-Semitic as that word is used in the West … because … they are not Christians.[2]

By way of reinforcing this thesis, Lewis argued that manifestations of Muslim antisemitism have no foundation in Islam. As he put it:

In Islamic society, hostility to the Jew is non-theological. It is not related to any specific Islamic doctrine, nor to any specific circumstance in Islamic sacred history. For Muslims, it is not part of the birth pangs of their religion, as it is for Christians. It is rather the usual attitude of the dominant to the subordinate, of the majority to the minority.[3]

What the importation thesis ignores, however, is that the ease with which the precepts of European antisemitism were assimilated by the Muslim world testifies to Islam’s deep anti-Jewish bigotry dating to its earliest days, and indeed to Muhammad himself.[4]

Qur’anic Antisemitic Stereotypes

Having fled his hometown of Mecca to the northern site of Medina in 622, Muhammad sought to woo the local Jewish tribes to his new religion only to meet with unexpected, stiff resistance, which Islamic tradition attributed to “envy, hatred, and malice, because God had chosen His apostle from the Arabs.”[5] In his influential Life of Muhammad, the eighth century Muslim historian Ibn Ishaq called the rabbis “men who asked questions”—a perceived negative trait—who “stirred up trouble against Islam to try to extinguish it.”[6]

This hostility, which culminated in the destruction of Medina’s Jewish tribes and the subjugation of the Jews of the northern Arabian oasis of Khaibar, was an integral part of Islam’s “birth pangs” as manifested in its two canonical authorities—the Qur’an and the Sunna (the latter comprising the practices and teachings of Muhammad and his companions)—both of which are rife with verses and traditions stigmatizing the Jews as treacherous and accursed pact breakers. Antisemitism is also integral to the Qur’an’s replacement theology that sees the Jews as rejected by God. The Qur’an states that “the Book, the judgement, and the prophethood” were taken away from those who “disbelieve in it” (i.e., the Jews), and “entrusted to a people who did not disbelieve in it” (i.e., the Muslims). All honors, including the title nabi (prophet) were reassigned to Muhammad (Sura 3:79).[7]

Indeed, to this day, Qur’anic antisemitic stereotypes and stories from Muhammad’s life involving Jews are passed on to Muslim children as part of their Islamic formation. Thus, for example, a major textbook written for American Muslim schoolchildren devotes several chapters to the history of the Jews, including an entire chapter on the Battle of the Ditch (627 C.E.) that celebrates the resulting massacre of the Medina Jews as a great advance for the Muslims. The book explains that all pure-hearted Jews will become Muslims, concluding that the Jews earned the wrath of Allah for their disobedience and as Allah said: there will be enemies who will attack them until the Day of Judgement unless they repent and return to the path.[8]

Antisemitism during the 2021 Gaza War

Against this backdrop, it is hardly surprising that Arab and Muslim anti-Israel utterances during the May 2021 Gaza war made extensive use of quotes from the Qur’an and the Sunna, starkly demonstrating the enduring power of Islam’s canonical texts to shape hostile Muslim attitudes towards Jews.

Take, for example, the gloating by an Egyptian scholar that “the faces of the Jews will be disfigured from what the Muslims will do to them”—a reference to Sura 4:47: “You who have been given the Book! Believe in what we have sent down … before we obliterate faces.”[9] Or the assertion by the mother of a prominent slain Hamas terrorist that “the Jews slayed the prophets of Allah with one hand, and they distorted their sacred books with their other hand.”[10] Known as tahrif, the claim that the Jews corrupted their scriptures is based on several Qur’anic passages, notably Sura 2:75: “A group of them has already heard the word of God, [and] then altered it after they had understood it—and they know [they have done this].”[11] And a Canadian imam claimed that “animosity of the believers towards the Jew is based on religious grounds,” invoking Qur’anic verses (e.g., Suras 2:27, 5:64, 2:61) to argue that the Jews disbelieve in God, reject and deny the prophets, and act unjustly.[12]

The most striking manifestation of antisemitism occurred in a special session of the Jordanian parliament—a country at peace with Israel since 1994—where members of parliament (MPs) invoked the Qur’an and the life of Muhammad and were proud to do so. Thus, for example, one member called for the abolition of all agreements with Israel
because the Jews are the slayers of prophets, who have betrayed all the pacts and contracts. From the beginning of time they had no respect for treaties. They violated their pact with the Prophet Muhammad, so why do we expect them to abide by their promises? All our agreements with them should be annulled.[13]

What is the basis for these claims? The libel that Jews are the “slayers of prophets” comes straight from the Qur’an where it is made repeatedly (e.g., Sura 2:61: “They disbelieved in the signs of Allah, and killed the prophets without any right”).[14] Likewise, the claim that Jews are treacherous pact-breakers echoes the Qur’anic stipulation that “for their breaking their covenant, We cursed them … You will continue to see treachery from them.”[15]

Following in his colleague’s footsteps, another Jordanian MP added that the Jews are cursed by God and claimed that Jews fear the Palestinians more than they fear God. It is a Qur’anic claim that “infidels” fear other things more than God while Muslims are said to fear God so that they go forth willingly and bravely to fight with no fear of death (Sura 2:243-4).[16]

Yet another MP denounced the “criminal Zionists, the sons of apes and pigs,” invoking the Qur’anic claim (Sura 5:59-60) that God changed some Jews into apes and pigs. He also echoed the claim that the Jews are under God’s curse since they “do not abide any agreement, contract, or pact … Our conflict is of a historical, religious nature.”[17]

Another participant called Jews “lowlifes who violated their pact with the Prophet Muhammad.”[18] This was an ominously genocidal allusion as the numerous mentions by Jordanian MPs of Jewish treachery related to the Battle of the Ditch and the ensuing extermination of the Medina Jewish tribe of Qurayza by the triumphant Muslims.

According to Islamic sources, the tribe had incited the Meccans to take up arms against Muhammad, only to deny them support when they besieged Medina. When the Meccans withdrew in disarray, Muhammad, directed by an angel, ordered his forces to attack the Jewish tribe, beheading the men after they had surrendered unconditionally and enslaving the women and children.

Islamic tradition considers the Qurayza genocide totally justified with multiple Qur’anic verses labelling the Jews as cowardly and treacherous, laying the groundwork for their millenarian stigmatization as a cowardly and treacherous lot. In reality, Muhammad had urged his followers to “kill any Jew who comes into your power” and had been forcibly expelling the Jewish tribes from Medina well before the Battle of the Ditch with Muslims taking over their properties.[19] Therefore, the Qurayza genocide was the last act of destroying the longstanding Jewish presence in Medina rather than its trigger.

Preventing Peace

Some Islamic antisemitic stereotypes seem custom-designed to prevent peace. The disparagement of Jews as treacherous pact-breakers is a clear disincentive to entering into treaties with Israel. This is further reinforced by Sura 8:58, which instructs Muslims to break preemptively a treaty if they fear treachery, thus providing a theological mandate to Muslim treachery so long as it is deemed preemptive. The Qur’an also claims that Jews are warmongering sources of “corruption” on earth (Sura 5:64), with the “warmongering” libel diffused over time well beyond its Islamic origin so that it is often levelled against Israel throughout the West.

Another Qur’anic assertion hostile to peace is the claim that Jews have an inordinate lust for life. Sura 2:96 states that Jews are the “most desirous of people for life,” hence are unwilling to kill and be killed in warfare. This is allegedly validated by the Islamic version of the Battle of the Ditch, when, on the path to obliteration, the Qurayza Jews twice forwent the opportunity to fight for their lives. The stigma of Jewish cowardice has been reinforced many times by Muslim radicals to incite violence against Israel. Victory, it is claimed, lies just around the corner because the Jews will not fight. This depiction of the Jew who “loves life more than death” has given rise to delusional expectations that Israelis will not fight well with the attendant repeated Arab military defeats and prolonged suffering.

To look at the Jews through the frame of the Qur’an is to see them as contemptible, weak, cowardly-yet-warmongering, treacherous losers. This stereotype offers a very poor basis indeed for Muslims to engage in a lasting quest for peace with the Jewish state.

Whitewashing Islamic Antisemitism

The silence and denial surrounding this phenomenon is as striking as Islamic religious antisemitism itself. Despite the repeated exposure of its principles by Muslims and non-Muslims alike, the origins, structure and impact of Islamic antisemitism do not receive the attention they deserve.

As an example of silencing, Kenneth Timmerman wrote that as a daily reader of the U.S. government’s Foreign Broadcast Information Service (FBIS) from the Middle East in the years 1985-94, he could not recall a single instance where antisemitic hate speech was translated.[20]

Why the silence and denial? According to Timmerman, FBIS’s omission of antisemitic texts was probably designed to avoid giving a negative impression of Washington’s Middle East allies to Congress and the American public. But there are other, deeper, factors that contribute to the deafening silence regarding Islamic antisemitism:

Too intractable? Exposing the religious basis of this hatred could make it seem too deeply rooted and intractable. Denying the religious foundation allows for greater optimism about interfaith coexistence. This is part of a broader problem with other aspects of Islamic teachings, such as the doctrine of jihad.

Enduring myths. Evidence and discussion of Islamic antisemitism could undermine the Islamic “golden age” myth of a harmonious coexistence among Muslims, Christians, and Jews under Muslim rule.[21] It also runs against the narrative of unblemished Palestinian victimhood.

Ignoring Islam’s unsavory features. A longstanding Christian view of Islam, dating back almost to its beginning and held by such luminaries as John of Damascus and Nicolas of Cusa, has been to regard it as some kind of Christian heresy. This has motivated some Christians to adopt the mission of affirming what they see as good and true in Islam by discerning and retrieving Biblical faith from that faith’s foundations. Influential exponents of this approach have included the Catholic cleric Louis Massignon and the Anglican clerics William Montgomery Watt and Bishop Kenneth Cragg.[22] One cost of adopting a personal mission to promote positive regard for Islam is that it disables objective analysis, establishing an environment that makes it much more difficult to expose and discuss less palatable aspects of the faith.

Dhimmitude as a catalyst of antisemitism. Middle Eastern Christian pre-Islamic antisemitism was later reinforced by the conditions of the dhimmi (protection to religious minorities who submit to Muslim rule), which created a precarious environment that encouraged Christians to embrace and perpetuate antisemitic attitudes as a survival strategy. One of the dhimma‘s requirements is that the conquered peoples should feel grateful to Islam and not criticize it but render faithful service to it. Thus, for example, Bat Ye’or points out that the first published Arabic translation of the Protocols of the Elders of Zion was done by Catholic Christians in Jerusalem in 1926, after a period of great insecurity for Christians in the Levant, including the World War I Armenian and Assyrian genocides.[23] Other examples are the periodic statements by Coptic popes denouncing Israel. Pope Shenouda III opposed normalization of relations between Israel and Egypt after the signing of the 1979 peace treaty and banned pilgrimage by Coptic Christians to the Holy Land, saying, “I will never go to Jerusalem except hand-in-hand with my Muslim brothers after the end of the Israeli occupation.”[24]

Conclusion

Since Muslim hopes to annihilate Israel are constantly nourished by the Qur’an’s and Sunna’s anti-Jewish libels, an enduring peace can only come when Muslims no longer cherish dreams of victory on the foundation of such libels. For this to happen, they must find a way to reject or at least compartmentalize the antisemitism of these religious texts—an undeniably difficult task since antipathy to the “treacherous Jew” is such a prominent part of Islam’s origin story. A step in the right direction would be to interpret the antisemitic current in Islam’s sacred scriptures as only applicable to Muhammad’s time, and not to conflate the Jews of Israel with the long-dead seventh-century Arabian Jewish tribes.

Indeed, a growing number of Muslim states are showing a willingness to overcome this theological legacy by normalizing relations with Israel. This is a positive and welcome development that reflects the victory of common sense over dogma and fantastic dreams of victory.

But, for lasting peace to be achieved, more Muslims need to follow. As long as the core texts of Islam endure, the rich vein of anti-Jewish statements in the Qur’an and the Sunna has the potential to keep reigniting anti-Jewish hatred.

・Mark Durie is the founding director of the Institute for Spiritual Awareness, a writing fellow at the Middle East Forum, and a senior research fellow of the Arthur Jeffery Centre for the Study of Islam, Melbourne School of Theology.
________________________________________
[1] Daniel Pipes, “The New Anti-Semitism,” My Brother’s Keeper: World Conference on Anti-Semitism and Prejudice in a Changing World (Brussels: World Jewish Congress, 1992), Jonathan R. Cohen, ed., July 6-8, 1992, available at www.danielpipes.org.
[2] Bernard Lewis, Semites and Anti-Semites (New York: Norton, 1999), p. 117.
[3] Bernard Lewis, The Jews of Islam (Princeton: Princeton University Press, 1984), p. 85; see, also, Esther Webman, Anti-Semitic Motifs in the Ideology of Hezbollah and Hamas (Tel Aviv: Tel Aviv University, 1994), pp. vii-viii.
[4] Efraim Karsh, “The Long Trail of Islamic Antisemitism,” Israel Affairs, Jan. 2006, p. 2.
[5] Alfred Guillaume, The Life of Muhammad: A Translation of Ibn Ishaq’s Sirat Rasul Allah (Oxford: Oxford University Press, 1955), p. 239.
[6] Ibid., p. 240.
[7] For Islam’s inherent antisemitism, see Andrew Bostom, The Legacy of Islamic Antisemitism (Amherst: Prometheus Books, 2008); Elias al-Maqdisi and Sam Solomon, Al-Yahud, Eternal Islamic Enmity and the Jews (Charlottesville: ANM Publishers, 2010); Mark A. Gabriel, Islam and the Jews: The Unfinished Battle (Lake Mary: Charisma House, 2003).
[8] Yahiya Emerick, What Islam Is All About (Long Island: International Books and Tapes Supply, 1997), p. 211.
[9] “Egyptian Islamic Scholar Hazem Shouman: Allah Promised The Total Destruction Of The Jews,” The Middle East Media Research Institute (MEMRI), Washington, D.C., May 25, 2021.
[10] “Mother Of Al-Qassam Brigades Commander Mus’ab Hajjaj, Killed In Recent Fighting,” MEMRI, May 27, 2021.
[11] See, also, Suras 2:79, 3:78, 5:13, 6:91.
[12] “Canadian Imam Younus Kathrada: Muslim Enmity Toward The Jews Is Just And Logical,” MEMRI, May 27, 2021.
[13] “Jordanian Parliament Session on Israel-Hamas Fighting,” MEMRI, May 17, 2021.
[14] See, also, Suras 2:87, 2:91, 3:21, 3:112, 3:181, 3:183, 4:155, 5:70; Gabriel Said Reynolds, “On the Qur’an and the Theme of Jews as ‘Killers of the Prophets,’” Al-Bayan: Journal of Qur’an and Hadith Studies (Kuala Lumpur), 2 (2012), pp. 9-32.
[15] Sura 5:13; see, also, Suras 2:27, 4:155.
[16] “Jordanian Parliament Session on Israel-Hamas Fighting.”
[17] Ibid.
[18] Ibid.
[19] Guillaume, The Life of Muhammad, p. 369.
[20] Kenneth R. Timmerman, Preachers of Hate: Islam and the War on America (New York: Crown Forum, 2004), p. 63.
[21] For a rebuttal of this myth, see, Darío Fernández-Morera, The Myth of the Andalusian Paradise: Muslims, Christians, and Jews under Islamic Rule in Medieval Spain (Wilmington: ISI Books, 2016).
[22] On Cragg, see Christopher Lamb, The Call to Retrieval (London: Grey Seal Books, 1997).
[23] Bat Ye’or, Islam and Dhimmitude: Where Civilizations Collide (Madison: Fairleigh Dickinson University Press, 2002), p. 169.
[24] Al-Arabiya (Dubai), Apr. 17, 2018.

(End)

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阪大病院での経験談

過去ブログ(http://itunalily.hatenablog.com/entry/20180824)に反響があったので、こちらに再度、部分転写する。これは、放送大学大学院の論文にも繋がる経験談だ。
………………………………………..
《引用転載開始》

以前も書いたことだが、この頃では、医療機関のデータ保存は「5年間」が原則となっているらしい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)。増加し続ける患者数に対して、人口減少に伴う負担も増加するばかりの昨今、古い情報データは、パソコンに保存してもパンクしそうな実態があるからであろう。

また、役割分担をすることで「ワーク・シェアリング」をし、「輝いて働き続ける女性」や「働き続けたいシニア」を増やす提言がなされている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180728)。これに乗ずる形で、「断捨離」とばかりに、医師も自分の担当以外はさっさと切り捨てて、軽やかに「できる医師」を演じているケースもある。

この場合、仕事がより煩雑になり、トラブルが増加することが予見できる。というのは、一見、合理的なようでいて、実は社会主義思想そのものだからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BC%D2%B2%F1%BC%E7%B5%C1%BB%D7%C1%DB)。

(1) 人間の寿命は5年毎にリセットされるわけではない。医療データを5年毎に処分していたら、その場ではスッキリするかもしれないが、病歴の記録も同時に消されてしまうわけで、難治病や治療に時間のかかる場合は、「記録が残っていないので、こちらでは対処しかねます」という馬鹿げた話になる。
(2) 「ワーク・シェアリング」をすれば、例えば高度専門職の女性が、結婚して出産しても働き続けられるという幻想を、無責任に喧伝する場合がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131024)。ところが、この場合、連携プレーが滞りがちで、責任の所在が曖昧化する。機転もきかず、臨機応変の対応ができないため、時間のロスを生む。フランスのように、休暇取得や休暇を邪魔されたくない権利ばかり主張すると、なし崩しに連絡が滞り、能率が下がり、ひいては国力が低下する。
(3) 「断捨離」では、精神の拠り所まで捨ててしまい、心の病にかかる人が増加することだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161201)。日常の整理整頓は重要だが、何を保存し、何を処分するかは、個々人の好みや人生観による。

医師も同じだ。地域医療でかかりつけ医を持つことの利点は、同じ水と空気によって同じ地域で生活をする人々の傾向を熟知する医師が、保健所や町の行政指導に基づいて、公正かつ親身に個々人を診ることができる点にある。顔なじみになっておけば、いざという時にも、経験の蓄積から判断が可能であろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。

5年でカルテを処分する大病院や大学病院の場合、担当医が定期的に変わる可能性もあり、コミュニケーションの連携プレーが取れないことも考えられる。また、事務職には非正規雇用の人も含まれるかもしれず、医師に対して引け目を感じて、医師が言ったことをオウム返しに患者に伝えて激怒させるケースもあり得る。

一昨日と昨日の私の事例がそうだった。

進行性難病を抱える主人(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%CA%B9%D4%C0%AD%C6%F1%C9%C2)の定期診察(二、三ヶ月に一度の割合)に、私が付き添って大学病院へ行ったのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C2%E7%B3%D8%C9%C2%B1%A1)、担当医が突然、毎年この時期に恒例の、保健所への診断書提出の求めを「今日はできない」と断ってきたのだった。次の診察は11月とされた。

従来は、この時期になると、診察の時に封筒に入れたパソコン打ちの診断書が医師から手渡されていた。今回も、保健所の書類は6月に送られてきており、私も書類を全部揃えて複写を取り、後は診断書のみだった。手続きは、来月上旬と決まっている。

診断書窓口との激論の後、私は(1)変更通知が事前にないのは困ること(2)「診断書ができるまで病院で待つ」と申し出たのに不可とされたこと(3)システム上の問題なのに、個別対応は不可だとして、診断書の遅延による交通費や郵送費の手間暇が患者負担になるのは解せないこと、等を病院内の意見書に書いて箱に入れてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070906)。
国立の機関は、我々国民の納税によって成り立っているのに、何たるザマか。事務とのやり取りも、言葉が日本語だけで、まるで1990年代初期のマレーシアの大学や銀行のスタッフとの英語やマレー語でのやり取りかと思うほど、酷似していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171128)。

夫婦で朝一の診察を受けたのに「個人情報ですので、患者さんのデータは教えられません」と抜かす。「先生が今日はダメとおっしゃっています」「先生がお決めになることです」「奥様かどうか、患者さんの委任状が必要です」と繰り返す。「患者番号と名前」を尋ねておきながら、「それにはお答えできません」「個別対応はいたしかねます」の一点張り。画一的で機転が利かないというのか、想像力が働かないというのか、臨機応変ということを知らないのだ。

そういう時はまず、「こちらでお調べして、折り返しお返事します」と言うんですよ。その一言が、なぜ言えない?
先生が「今日はダメ」とおっしゃったならば、「では、いつなら可能ですか」とお尋ねするのが、事務方の役割なんですよ。言われたことをそのまま患者に口伝えするなら、ロボットと同じだ。
「口を開く前に考えなさい」「最後までこちらの言うことを聞きなさい」と、マレー人に対して華人がよく文句を言っていたが、全く同じことを、今回、私も病院の事務職に言った。何だか、途上国にいるような感覚だった。

立腹したまま、担当の保健所へも通報したところ、「難病事務担当」の男性が即座に理解してくださり、対処法を教えてくださった。

その後、病院へ電話をして、コミュニケーションの不備と論旨の非一貫性を指摘し続けたところ、夕方になって「診断書が窓口に届きました」と電話があった。やればできるではないか!だから、「今日一日、病院で待っています」と申し出たのだ。

しかし、台風が直撃しそうな昨今、6月のように大地震が再び発生するかもしれないのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180621)、ただでさえ不便な暮らしに甘んじて十数年の患者の家族を、多忙の中、翌日の半日、余計に無駄足を踏ませる意図は何なのか?
大学病院の医師にとって、難病患者等は自分の研究のデータとしてのモルモットでしかない。簡単に言えば、学会発表をして、研究論文ができれば役割は終わっている。従って、医師である自分の度重なる遅刻や重要書類の遅延行為が、患者や家族や職場や病院スタッフ全てに影響し、回り回ってどれほどの国力低下に結びつくか、何も考えていないのだ。

医師になるための医学の勉強ばかりして、一般常識が働いていない。これでは、患者の症状やQOLを悪化させることに医師が貢献しているようにも見える。

初期に出会った熟練のお医者様方と助手は、対処がテキパキと的確で、病状から先を見越して応対してくださり、本当に今では懐かしい。
ここでは、女性も男性もなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180813)。高度な専門知識と経験に加え、教養と常識に恵まれた、患者本位の優秀な医師かどうかが鍵だ。

その場合、簡単にカルテを5年で機械的に処分しているようでは、研究職としてはダメ医師の典型である。また、「女性枠」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180606)で下駄を履かされた無能な医師も、ダメの二乗である。

《引用転載終》
……………………
「初期に出会った熟練のお医者様方」とは、京都の宇多野病院と阪大名誉教授の佐古田三郎先生の時代である。

「機転が利く」「臨機応変」というのか、助手が黙ってさっと応対する等、「阿吽の呼吸」が見事だった。

データは精緻で高度であっても、人を診ていないから、病気が増える一方なのだ。
この話には後日譚があるので、以下に補足を転載する。
……………………
《引用転載開始》

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://toyokeizai.net/articles/-/173997)

・病歴は非常に重要ですので、安易に削除することはできません。『個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン(通則編)』には、個人データの消去の努力義務について、『法令の定めにより保存期間等が定められている場合は、この限りではない』と記載されていますので、カルテに記載された個人データについても消去の努力義務の対象外になると考えられます。

・最近は大きく変化して、尊大な態度の患者も出てきたという。インターネットなどにあふれる情報に振り回されていることも背景にありそうだ。

(部分抜粋引用終)

3年前(日付不明)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

上記ブログを書いてから、早くも11ヶ月ほどになる。
特定疾患すなわち指定難病の制度も大きく変わり、疾病数が増えたので、患者数も増加することとなった。私と同世代のタレント女性達が、まるで勲章のように「私、難病なんです」と誇らしげに(?)テレビで宣言するような風潮である。
しかし、年々進行していく難病患者と共に暮らす生活の中、私の物理的な持ち時間は比例して短くなるばかりである。できることの客観的時間が、どんどん制約されて、短くなっていくのだ。

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

そんな中、今日も大学病院へ朝5時起きで夫婦で出かけた。出勤ラッシュの朝は、公共交通機関の接続が比較的良く、スムーズに到着できたが、それでも片道1時間半はかかる。昼間だと、モノレールの乗り換えで、待ち時間が20分ほど空くことがあり、片道2時間というのは、決して大袈裟でもない。
前回の診察は4月で、「次回は7月24日の午前9時半から」と主治医に言われていたので、文字通りとって、通常よりも30分遅らせて家を出たのが大間違いだった。9時前には到着していたが、ファクス送信やATMの用事を済ませているうちに、何と、主人が戻ってきて「もう診察終わったよ」というのだ。
大学病院で1月に紹介していただいた歯科医による診断書の分厚い封筒や、特定疾患更新の診断書の用紙は、私の手元にあったのに、である。

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

長い話を短くすると、9時半頃、「今日は診断書は出ません」と窓口で言われたのを押し問答して、結局、お昼抜きで3時半まで待たされた。まっすぐ家に帰ったのが、夕方の6時10分。これでは、まるまる半日を、診断書のためにつぶしたことになる。しかも、私自身の診断書ではなく、主人のものなのだ。
今日を逃したら、次の診察は9月。到底、特定疾患の受給には間に合わず、何十万円も払わなければならなくなる。
受付は、「では、郵送します」と、簡単にのたまう。しかし、もし紛失したら、その責任は「負いかねます」。またその料金負担は、何と「患者さんが支払ってください」。こんな無責任な話はない。
ならば、「診断書が下りるまで、ずっとここで待ちます」と宣言。

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

「先生は大変にお忙しいので」と何度も言われたが、そんなことは百も承知。大体、別の大学に所属する外来の医師であり、しかも、週一回の午前中だけの担当なのだ。これが、二、三ヶ月に一度の10分程度の診察で、主に薬物「治療」だけなので、患者の主人が、途中で転んで顔中血だらけになろうが、肺炎で入院しようが、傾いて足を引き摺ろうが、職場で迷惑をかけ通しだろうが、医師は何ら関与しない。つまり、全ての負担は、私一人に負いかぶさってくる。
物理的な時間の圧縮が、私の人生にとって、一番の負荷である。したいことが全くできなくなるどころか、患者と共に人生が落下していく20年だったからだ。

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

途中で、窓口で確かめると「まだ先生は終わっていません」とのことだったので、阪大の前にある民博の図書室へ、カード更新の手続きに行こうとした。ところが、民博の門番のおじさんが、「今日は水曜日だから、図書室は閉鎖ですよ」と教えてくれた。
えい、ここまで空腹のまま、炎天下を歩いてきたのだから、そのまま館内に入って涼もう、と思い、1時間ほど、『国立民族学博物館十年史』という厚い本を座って読み、部分的にメモを取った。(この本がおもしろかったのが幸いだった。)
それから阪大病院に歩いて戻ったところ、何と「まだ診断書は下りていません」。手持ちの番号札が35番だったので、交替した係のおじさんが「今は100番台ですよ」と、驚いていた。
それほど、時間が無為に経過していたということだ。だが、何が何でも、今日、受け取らなければ、診断書の支払いも何もかも、交通費、時間、全てが無駄に無駄を重ねる浪費となってしまうのだ。

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

昨年の苦情が効いたのか、窓口の前の壁には、「例年6月頃に送付される指定難病の手続きには、余裕をもって準備するように」という意味の貼り紙がしてあった。
当然のことである。こちらがいくら余裕を持っていても、先生が「今日はダメです」と断ってくるのだ。その不条理を、私は窓口で強く指摘しているつもりである。
政治づいた医師なのか、女性枠で入った外来医師なのか、何の理由で、毎年この時期には恒例の診断書を、そうも引き延ばすのか、本当に私は解せない。
今日は、年に一度、もしかしたら一生に一度かもしれない行事が3時からあった。だが、診断書を待っているうちに、約束の午前中はとうに過ぎ、1時半も虚しく過ぎ、結局、手渡されたのは3時半という情けなさだった。
このようにして、私の人生は次々と崩壊していくのである。一体全体、誰の責任なのだろうか?

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

別の神経内科の医師に、7ヶ月ほど前に質問したところ、「特定疾患の診断書は、簡単に書ける。専門医だったら、患者の一番悪い状態を書くのが普通。その先生、真面目なんじゃないの?」との由。
そのことも、今回、大学病院の受付で言うと、「それ、大きい病院の話ですか?」
そうですよ!個人クリニックの医師じゃありません。
要は、やる気があるかないか、患者とその家族の身になって対処できるかどうか、なのだ。
「先生は、患者の症例をデータとして論文を書けば、仕事になります。でも、私だって、学会発表は続けているんです!夫が難病患者だからって、なぜ私まで劣等扱いされなければならないんですか?」と、今日は窓口でキッパリと指摘した。
勿論、ご意見箱にも、A4両面一枚に苦情を書いて出した。

(2019年7月24日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1154232196967780353)

Lily2@ituna4011
《昨年の苦情が効いたのか、窓口の前の壁には、「例年6月頃に送付される指定難病の手続きには、余裕をもって準備するように」という意味の貼り紙がしてあった。》 《当然のことである。こちらがいくら余裕を持っていても、先生が「今日はダメです」と断ってくるのだ。》
12:29 PM · Jul 25, 2019·Twitter

(2019年7月25日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1154232325963575298)

Lily2@ituna4011
《その不条理を、私は窓口で強く指摘しているつもりである。》 《政治づいた医師なのか、女性枠で入った外来医師なのか、何の理由で、毎年この時期には恒例の診断書を、そうも引き延ばすのか、本当に私は解せない。》
12:30 PM · Jul 25, 2019

(2019年7月25日記)

《引用転載終》
…………………………
この最後の補足コメントを記したほぼ一ヶ月後の2019年8月23日の午後遅く、それまで十日ほど38度ぐらいの高熱が続いた主人は家の中で倒れ、救急車で搬送された市内の病院で長期入院することになった。

救急の当直担当の免疫内科の男性医師は、「パーキンソン病の治療薬をずっと飲んでいると、このように高熱が続くことがある。入院して、今飲んでいる薬を抜いてみましょう。」と、温かくおっしゃった。

あのまま診断書も出ず、投薬も同じままだったら、日常生活が危険極まりなかった。誰の責任だろうか?

神経内科の専門医よりも、免疫内科や呼吸器内科の医師の方が、パーキンソン病についてよくご存じだ、と私は確証している。そして、最近の脳神経内科系の女性医師は、臨床が軒並みダメだ、とも。
偏見ではない。事実なのだ。
………………………….
《引用転載開始》

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1154260932777766912)

Lily2@ituna4011
私の学生時代は、昭和の終わり頃だったが、「今日はできません」と絶対に言うな、と厳しく教育されたものである。その頃の日本の経済力は漲っていた。平成30年を経て、今や「今日はできません」と大手を振って言い訳する主治医。そして、今の日本の国力は、上がったのですか?
2:23 PM · Jul 25, 2019

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1154256593615069184)

Lily2@ituna4011
たった30分って言うけど、学会発表一本分ですよね?それって、大きくない?
2:06 PM · Jul 25, 2019

(2019年7月25日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1154260194727043073)

Lily2@ituna4011
教訓:男でも女でも、力不足の人が上に立って時間厳守ができないと、全体が迷惑を被るということ。私は、昨日一日まるまる潰れた、いや、潰された。誰の責任か?
2:20 PM · Jul 25, 2019

(2019年7月25日記)

《引用転載終》
………………………………….
そして、いよいよ運命の分かれ目の日に近づいた。以下のツィートの翌日が、主人の倒れた日だったからだ。

《引用転載開始》

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1164329432212897793)

Lily2@ituna4011
夏休みの宿題も仕事も達成困難 最悪招く計画錯誤とは : NIKKEI STYLE https://style.nikkei.com/article/DGXZZO48401190Z00C19A8000000?channel=DF291020184445…
← 私の場合は、子供の頃から常に最悪を予想して行動してきたが、傍から見て「できるなら、邪魔してやろう」と妨害を入れてくる人が周囲に必ずいた。お金を取り上げたり、勝手に断りを入れたり、等。
9:12 AM · Aug 22, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1164330626616401920)

Lily2@ituna4011
最近の事例では、(1)こちらが急いでいるのを見て、図書館員が書類をわざわざ書き直させて時間を引き延ばした。挙句の果てに、その書き直しは間違っていた。(2)大学病院の医師が、診断書を出し渋る。「今日はできません」と繰り返して、こちらの日程をどんどん潰す。
9:17 AM · Aug 22, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1164330692420853760)

Lily2@ituna4011
「いつならできるのか?」と聞いても、「忙しいです」と。 こういう輩については、声を大にして、「国力を下げるな!」と注意しなければならない。言われないとわからない人が、平成の30年間に膨大した。
9:17 AM · Aug 22, 2019

(2019年8月28日転載)

《引用転載終》
………………………………..
さて、2019年8月23日の夜、市内の病院に救急搬送されて、一息ついた数日後から、以下のようなツィートを書いた。

《引用転載開始》

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1166396808743899136)

Lily2@ituna4011
「怒った方が負け」というもっともらしい表現がある。私見では、それは余裕のある場合に適用できるのであって、明らかに自分が弱者の立場であれば、怒らないと相手に通じないと思う。医師法では、診断書の求めを断ってはならない。明確な理由や期日なしに診断書を引き伸ばすのは、違法である。
2:07 AM · Aug 28, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1166397796259262464)

Lily2@ituna4011
今年の兵庫県での経験:阪大の女性医師は、「今日は診断書はできません」とまた断ってきたが、私が「年に一度のこの時期と毎年決まっているのだから、今日でなければ駄目です」と受付で押し通した。それは7月24日のことで、福祉事務所に診断書(ミスの多い)を提出したのは7月26日だった。
2:11 AM · Aug 28, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1166398623438921728)

Lily2@ituna4011
果たせるかな、指定難病の受給証が送られてきたのは、8月1日から使用可能のものだった。つまるところ、女性医師や阪大受付の言いなりになって、「来週」と出直していたら、高額の診療代を自払いしなければならなかったことになる。その責任は誰にあるか。ちなみに、指定難病は私ではなく、主人である。
2:14 AM · Aug 28, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1166400314083143680)

Lily2@ituna4011
平成時代のふざけた動向に対する私の長年の怒りは、ここにある。人の人生を滅茶苦茶に壊すな!国力を下げるな!時間を返せ、時間を。私が病気なのではないのに、なぜ軽く扱う?確かに、大した学歴もなく、何の経歴もない。だが、税金で教育を受けた以上、社会貢献をすべき責務があるのだ。なぜ潰す?
2:21 AM · Aug 28, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1165617684580466695)

Lily2@ituna4011
女は駄目だ、と言われていた時代には、歯を食いしばって実力を蓄えていた女性群がいた。平成時代、法によって相手を黙らせ、自分の立場を守っているつもりのバカっぽい女性専門職が増えた。男も女も、実力相応の地位ならば問題はない。デキる人はデキる。デキないのに「女性枠」で地位に就くな!
10:31 PM · Aug 25, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1166135417562730498)

Lily2@ituna4011
平成時代、気がついたら「バカっぽい女子院生」「バカっぽい東大女学生」「バカっぽい女性アナ」が急増し、まるで幼稚園みたいな環境に成り下がった。
8:48 AM · Aug 27, 2019

(2019年8月28日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1169962519999336448)

Lily2‏ @ituna4011 Sep 6
今日も病院へ主人のお見舞いに。リハビリ中だったが、その若い男性は、「この世代の方達が一生懸命働いてくださったから、今、僕達が快適な生活を送れる」と、実に素直で謙虚だった。シャワーやシャンプーまで手伝ってくれ、身の上話を聞いてもらい、励ましていただいているようだ。感謝。#伊丹市
10:16 PM – 6 Sep 2019

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1179566987220901890)

Lily2‏ @ituna4011 Oct 3
Lily2 Retweeted Lily2
退院日の朝、院内のコンビニでコピーを取っていたら、偶然にも理学療法士のお兄さんと出会った。1ヶ月と1週間、お世話になったお礼を述べ、お互いに、長いようで短かった濃厚な病院生活の思い出を辿った。リハビリ時間が足りないということで、転院へ。でも、この病院が既に懐かしい。
10:20 AM – 3 Oct 2019

(2019年10月4日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1168689246485401601)

Lily2@ituna4011
事実と証拠に基づき、アサーティブ法ではっきり問題点を指摘するようにしているが、間違った教育を受けた勘違い女性達には「パワハラ」「モラハラ」と取る人がいるかもしれない。
昨日の事例:阪大病院の事務宛に電話
私:「今、入院中で歩けないので、9月の外来診察予約のキャンセルをお願いします」
午前9:53 · 2019年9月3日

Lily2@ituna4011
事務:「できません」
私:「あなた、自分の言っていることの意味わかります?歩けない患者が、どうやって外来診察を受けられるんですか?」
事務:「…….では、もう一つの予約もキャンセルですね?」
私:「10月のことは何も言っていません。9月の診察予約をキャンセルして、と言っているんです」
午前9:54 · 2019年9月3日

(2019年10月4日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

Lily2‏ @ituna4011 Sep 3
Lily2 Retweeted Lily2
これなどは、AI志向というのか、我が家のアレクサのように、まるで機転が利かない電話交換手のような会話である。 緊急入院をしている家族を持つ人は、用事が山積みで緊張もしているので、たわけた会話にはムッとくる。そこは、大学病院で働く人の心得でもあるのではないだろうか。
9:56 AM – 3 Sep 2019

(2019年10月4日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1179568881792245760)

Lily2‏ @ituna4011 Oct 3
Lily2 Retweeted Lily2
このツィッターを書いてから27日目に、再び阪大病院の同じ部署に電話。今度は、声から判断するに別の人が担当になったようで、全く会話がスムーズかつ常識的で、気持ちよく応対していただいた。そして、「また変更があれば、改めてお電話ください」という締めくくりもあった。
10:28 AM – 3 Oct 2019

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1179570009376530432)

Lily2‏ @ituna4011 Oct 3
Lily2 Retweeted Lily2
大学病院はどこも大変だが、患者や家族から訴えられることを恐れて、予防線を張って法律で縛り上げるのではなく、まずは「恫喝されるような未熟な人を採用しない」ことから始めてはいかがだろうか。基本的なマナーがあり、臨機応変に対応できる機智を備えた人が望まれる。「有資格=仕事」ではない。
10:33 AM – 3 Oct 2019

(2019年10月4日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

5年間カルテ保存の件だが、実際には、電子カルテの開示請求をしたところ、手数料を払って、担当教授や院長の同席も含めて、束になって最初から出てきた。
出力印刷をした事務の人は大変だっただろうが、配偶者の責務でもあろう。病気を理解する努力である。
勝手に処分しないでほしい。

(2020年11月10日記)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

結局、上記コメントの2019年7月24日が、主人にとっての最後の外来診察になってしまった。自分の足で歩いて、自分で診察室に入って、中途半端な診断でさっさと終わってしまったのだ。
非常に苦い経験だが、実に象徴的でもあったと思う。そして、私が診断書のことで窓口と口論になったのも、宜なるかな、である。
あの時、病院側の言いなりになっていたら、今頃相当に後悔していたことだろう。
主人にとっては、その後、一ヶ月で高熱のために倒れて入退院を繰り返すことになり、8ヶ月あまりで世を去ることになった。
その主治医とは、その後面会していない。上司に当たる主人教授にご挨拶したのみだ。

(2021年1月5日記)

《引用転載終》

2022年5月26日後注:最後のコメント転載箇所について、

「上司に当たる主人教授」→「上司に当たる主任教授」

ミスを訂正し、お詫びいたします。
…………………………
阪大病院の眼科では、私自身が以下のような経験をした。

《引用転載開始》

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1346061639817183232)

Lily2@ituna4011
注射が下手で痛い看護師さん。
まぶたの開き方が下手で眼球に指が触っている検査技師。
患者がのけぞっているのに、検査不可って、人のせいにしないでね。 神経質な患者もいるのだから。
8:51 PM · Jan 4, 2021

(2021年1月5日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1346064114313875456)

クリニックなら痛くありません
と言うと、
ここはクリニックではありません
だって。 大学病院だからって威張るなよ。 眼科は、小学生の時から今まで、最も長く通っている。患者の経験年数を馬鹿にしないように。 町医者より大学病院の方が下手?!
9:01 PM · Jan 4, 2021·

(2021年1月5日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1346065025413201922)

Lily2@ituna4011
と言うわけで、めでたくかかりつけのクリニックに逆紹介。 担当医師はいい方だったけれど。 女の敵は、やはり女? 看護師さんや検査技師さんは、スキルを磨いてください!
9:04 PM · Jan 4, 2021

(2021年1月5日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1346066838057177088)

Lily2@ituna4011
大学病院は、いつの間にか制度が変わって、なんだか変な雰囲気も。 昔は、本当の難病患者が行く所だった。だから、看護婦さんも、プロ意識が高く、患者に思いやりや労りが感じられた。 今は、資格優先なのか、疑問符がつく。
9:11 PM · Jan 4, 2021

(2021年1月5日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1346068088261730304)

Lily2@ituna4011
今日の受付では、ニンニクが臭いとか何とか、大声で喋っていた。 そんな、ちゃぶ台レベルの話を日本有数の国立の大学病院の受付で、職員が気楽に話している。
日本、大丈夫か?
9:16 PM · Jan 4, 2021

(2021年1月5日転載)

• ユーリ(Lily) (id:itunalily)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1346094383913816064)

Lily2@ituna4011
名前を呼ばれて診察室に入ろうとしたが、看護師さんが大きなお尻で入口を塞いだまま、別の患者さんに長々と話していた。 何度も名前を呼ばれて、中に入ってくださいと言われたが、通せんぼ。 気が利かないんだな。
11:01 PM · Jan 4, 2021

(2021年1月5日転載)

《引用転載終》

以 上
…………………………………

上記ブログの抜粋を読んでくださった長年のウェブ知人のY・T氏(おば様が私の前の居住地と同じ町に住んでいらした方)のコメント。

Y・T氏:ダメ医師の典型…。要はポンコツww

ユーリ:阪大病院ですよ。

(転載終)

ちなみに、当該の女性医師(私達より確実に年下)の経歴をインターネットで見てみたところ、何と、2019年には阪大病院の外来に所属していないことになっていた!
2018年で終わったかのような書き方だった。
要検証。
……………
2024年4月27日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1782997445225681269)
Lily2@ituna4011
自治体4割「消滅可能性」、30年で若年女性半減 人口戦略会議 – 日本経済新聞 https://nikkei.com/article/DGXZQOUA230SG0T20C24A4000000/…
← 函館市と世田谷区。名古屋市。
1:58 PM · Apr 24, 2024

(転載終)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, © 2023 by Ikuko Tsunashima-Miyake, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

夫婦の証明を他人がする?

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528151599046336513)

Lily2@ituna4011

https://igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/kanchigai_02…

⇦ 後ろ向き研究がダメって言う人、日本語がわかっていないのでは?
8:11 AM · May 22, 2022

(転載終)

医療関係の専門職で、こういう馬鹿げた発言を平気でする人がいることに、そもそも驚く。
基本的な一般教養が欠如しているのではないか?
………………..
(https://twitter.com/ituna4011/status/1528186549606957056)

Lily2@ituna4011

https://mcsg.co.jp/kentatsu/kaigo/7616…

《扶養義務は、民法877条と752条、760条において、直系血族と兄弟および配偶者は互いに扶養する義務がある》

⇦ 民法では、親子や配偶者同士のみならず、兄弟姉妹にも相互義務がある。世話を拒否しておいて、何でも嫁のせいにした馬鹿者がいた。しかも、弁護士に相談して裁判を起こす、と脅迫電話をかけてきた。誰も相手にしなかったが。
10:30 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528189054843764736)

Lily2@ituna4011
厄介なことに、その人は 自分はクリスチャンだ。神の力によって何でもできる、と聖書に書いてある。 と言って、どこでも決然たる顔つきで、事実無根の嫁の介護放棄話や夫婦仲の悪さ等を、病院やレスパイトの介護施設や警察やケアマネ事務所へ言って回っていた。 幸い、誰も相手にしなかった。
10:40 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528191094441541634)

Lily2@ituna4011
血縁関係を盾に、救われたクリスチャンとして、嫁のせいにすれば世の中に通用する、と勝手に思い込んでいたらしい。 幸い、今の世の中は、その人の言動の一貫性や根拠に基づいた医療が優勢。兄弟だから信用されるとか、クリスチャンは品行方正だとか、自分有利に考えるなよ。憲法の権利意識だけは×。
10:48 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528192932884680705)

Lily2@ituna4011
憲法の権利と自由の行使のみならず、民法の義務遂行が伴って、初めて国民となれる。 なのに、 自分の母親を虐待した、と言いながら、嫁も弟に同じことをしている、とあちこちで言い振らした。 ありがたいことに、誰も相手にしなかった。 救急科の医師は、すぐに見抜いて、過去履歴を調べた。
10:56 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528193867983769600)

Lily2@ituna4011
そして、
患者への接近禁止
を言い渡した。 それでも、まだ病院に現れたり、ナースステーションに嫁が朝から晩まで面倒をしっかり見ているか、確認電話をかけたりした。
10:59 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528194895378272256)

Lily2@ituna4011
幸いにも、病院のスタッフは皆、笑い転げて相手にしなかった。 但し、それは、 いい病院で担当医師がしっかりされていたからだ、 と近くのクリニックの先生から伺った。程度の低い病院や医師だと、そこで話し合いを勧めたりして、事を複雑化させるらしい。
11:03 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528197268637380614)

Lily2@ituna4011
昭和の子で良かったのは、善悪正邪が今よりも明確だったこと。だから、馬鹿者には馬鹿だ、とはっきり言うことで、簡単に収まった。 今は、何らや変な理屈をつけて、事を複雑に引き伸ばす。 病院や医師にもランクがある。 表面的なランキングではなく、実質を見抜く力を、一般人も身に付けたい。
11:13 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528204413651030016)

Lily2@ituna4011
結局、因果応報。陰徳陽報。 普段の生き方が予後を決める。 毎日コツコツと、誠実に繰り返す。その積み重ねが物をいう。 突然現れて、いかにも心配しているかのように装っても、言葉の端々に本意が現れて、すぐに見抜かれる。祈ったから答えられる、とは安易過ぎ。 だから、平常心是道。
11:41 AM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528218641317380098)

Lily2@ituna4011
この人は、患者本人からも、 やることが中途半端だから、もう来るな! と言われた。怒って帰って行ったらしい。 そもそもそこがおかしい。 神職の話では、 親の育て方が悪い、 と一言。名言明言。
12:38 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528219996639592448)

Lily2@ituna4011
母が心配しているから、
という理由で、
治療を全部ひっくり返して平気だった。 誰が見ても常軌を逸している、と主任ケアマネさんが断言。 身内を引き合いに、嫁イジメ。馬鹿者で嘘つき。 皆、笑い転げて、誰も相手にしなかった。
12:43 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528341232468262913)

Lily2@ituna4011
二年前に済んだことだが、思い出すと、予想以上に疲れる。 大体、民法の規定を破っておいて、何故、嫁のせいにするのか? 証拠がないのに、血縁を理由に、あちこち嫁の悪口を言って回り、皆に断られていた。 介護放棄の意味、わかっている? 長丁場だから、時々息抜きに勉強したり、講座を受けたり
8:45 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528342233723936768)

Lily2@ituna4011
音楽を聴いたりするのは、介護放棄ではない。 むしろ、今のケアマネさんは、家族に奨励さえする。 文化財のガイドボランティアの研修でも、介護中の女性がいらした。 たまには、ガイドをすれば、息抜きになり、いい理由になる、と。
8:49 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528343482716553216)

Lily2@ituna4011
今は、そういう時代なんですよ。 世話の仕方が足りないとか、いつも元気で幸せそうだから、介護放棄しているに違いない嫁を、弁護士に相談して、裁判で訴える、だって。 聞いて呆れる。しかも、弟の治療費は一切払いません、と宣言した。 関係者全員が相手にしなかった理由は、そこだ。
8:54 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528345495017762818)

Lily2@ituna4011
いくら、クリスチャンの祈りをしても、聞かれなかった理由は、そこだ。 まずは、民法の遵守を。そして、親の面倒をきちんと見なさい。うちからエアコンや布団やお土産物等、お母さん宛にどれ程送ったか、数えよ。 弟ですから、と言い張って、実質、何もしなかった。ただ、ケアマネ事務所と私に何度も
9:02 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528346601080881153)

Lily2@ituna4011
脅迫電話をかけてきた。 警察へも変な電話をかけて、断られていた。 全部、公的機関から記録を集めたから、証拠は万全。 電子カルテにも記載があった。裁判所にも、言い訳ばかり、ぐちゃぐちゃに嘘を書いてあった。 嘘はバレる。他人の目を侮るな!
9:06 PM · May 22, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528500779342233602)

Lily2@ituna4011
一晩ぐっすり安眠。 私達がどのように暮らしてきたかは、勤務先が有力な証言にもなっている。家族行事にも参加して、周囲の観察から判断されてきたのだ。 だから、最後までよくして頂いた。 同じ敷地内の歯医者さん は、長年、私達の様子をよくご存じだった。 論文送って、とも言われた。
7:19 AM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528502297147637760)

Lily2@ituna4011
なのに、 
会社辞めろ、会社に迷惑だ、
と繰り返し言い続けた。しかし、葬儀に会社の方々がたくさん来られても、挨拶一つしなかった。 他人の目を侮るな! 血縁を都合良く利用するな! モーセの律法に 隣人に偽証してはならない とあるが、平気で嘘ばかり。
7:25 AM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528503359728422912)

Lily2@ituna4011
こんなキリスト教なんか、やめてほしい。 ムスリムは、イスラムを守るためなら嘘をついてもいい、という。ターキーヤだ。 だが、この人を見ていると、 自分を守るためなら、平気で嘘をついてもいい、 と思っているようだ。 だから、 目には目を、歯には歯を、 なのだ。
7:29 AM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528553095462264832)

Lily2@ituna4011
昨秋の放送大学大学院の面接で、女性教員が、
奥さんの証言は主観であって、それでは研究になりません。
と言われたことが尾を引いたのは、このような一連の経緯からだ。 大学教員として口を開く前に、まずは状況を理解して頂きたい。 エビデンス流行りの昨今、直感と常識を大切にしたい。
10:47 AM · May 23, 2022

(2022年5月25日転載終)
…………….
最後の面接のエピソードに関して、再度、過去ブログを引用する。

最近の医療福祉関係には、共産系やマルクス主義系の人脈が入り込んでいるらしい、と巷でよく耳にするが、もしかして?

・2022年3月27日付「4月からの放送大学大学院」(http://itunalily.jp/wordpress/20220327)

《この女性の先生は、小学校以降の履歴書と大学非常勤講師の職歴一覧も複写コピーを添えて提出しておいたのに、私がマレーシア関連のテーマで2018年3月まで毎年ずっと学会発表をしてきた「研究者」であることをご存じないようで、「大学院は研究するところであって、勉強ではありません」「冷たいことを言うようですが、ご主人の難病観察は奥さんの主観であって、研究としては証拠にはなりません」と、初歩的な点で突っかかってこられた。こちらの反応を試すためだったのかもしれない。(この女性教員の発言については、あるクリニックで主人の電子カルテを集めていた時、院長先生との面談でも「それはないんじゃない?」という反応だった。)》

☚ よろしければ、これまでの学会や研究会での口頭発表一覧と印刷物一覧を提出いたしましょうか?何ページにも及びますよ。

・2022年4月22日付「放送大学大学院の4月ゼミ」(http://itunalily.jp/wordpress/20220422)

《放送大学の所属プログラムでは、「それでは研究になりません」「勉強と研究は違います」と力説する教員の方が複数いらっしゃる(2021年12月22日付・2022年3月27日付ブログ参照)。「誰がやっても同じ結果になるように、客観性と一貫性の追求」ということのようだ。》

《だが、人文系出身の私に言わせれば、(お言葉を返すようで恐縮ですが、先生のご講義だって結構、一面的かつ一方的な印象もありますよ)と、つぶやきたくもなることがある。それに、二十代の現役院生時代、「“研究”というと偉そうに聞こえるから、“勉強”と言え」と指導されていた。》

《第一、二年間で論文がまとまるように狭く絞れば、最新の統計処理を通して論文としては完成度が高くても、触れられていない分野、無視されている分野は放置されたまま前進することになる。》

《まさに、今回のゼミで私が主張した点だ。教科書のような医学書籍でも、「データが殆どない」「検討を要する」と書いてある、ということは、研究報告ができていないということだ。それこそが最も困っていた領域なのに、「それは研究ではない」と却下するとは何事か?》

・2022年5月15日付「徳を積む学問を目指して」(http://itunalily.jp/wordpress/20220515)
 
《昨秋の面接時に、女性教員が「それでは研究になりません」「奥さんの主観であって、それは証拠ではありません」「勉強と研究は違います」と言われたことが、今でも引っかかっている。電子カルテも公的記録も全部集めてきたのに、「それでは研究になりません」と堂々とおっしゃるのだ。》

☚ この点については、長年のカルテをいただいた歯科の先生も「それ、おかしいんじゃない?奥さんだからわかることもあるでしょう?」とおっしゃっていた。

(以 上)
…………….
芥川龍之介の小説に『藪の中』がある。まさに、それだ。
立場や性格や時間経過によって、見えてくるもの、表現するものが違うのは、人間存在の宿命なのだ。
それを踏まえることが、教養の第一歩である。

今の医療研究は、殊更に「科学的」を標榜していながら、一面だけ、細部だけに焦点を当てて、高度に細分化した結果を次々に提出する。
しかしながら、論文の量産に比例するかのように、病気や病人が続出して止まない。

そこで東洋医学の出番、となる。全体を眺め、疾病ではなく、病める人を癒すのだ。
医食同源、薬食同源、古典から学び、目の前の現象を観察し、将来に繋げる。

そんなことを改めて考えさせられた。
……………..
それにしても、クリニック以外の複数の病院や大学や金融機関で、

「本当に夫婦かどうかの証明は、こちらがします」
「奥さんには、ご主人の個人情報を教えられません」

という馬鹿げた会話、やめていただけませんか?
時間の無駄だ。
第一に、失礼無礼の極致だ。

補足:二人とも初婚で、結婚式と披露宴をした。婚姻届を提出した。名字も同じで、ずっと同居だった。離婚歴は双方共になし。勤務先からは扶養家族として社会保険の健康保険証をいただいていた。世帯も本籍地も住民登録も同一だった。家計簿は私が二十年以上つけていた。レシートや証明書は原本あるいは複写でファイリング済。

これ以上、どうやって「正式の夫婦かどうか」を、赤の他人が証明しようとするのだろうか?

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宗教と幼稚園の話

(https://twitter.com/ituna4011/status/1529009246989602816)

Lily2@ituna4011
仏教幼稚園とキリスト教幼児園の違いは? 神道系とは、どう違う?
4:59 PM · May 24, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1529009979067617280)

Lily2@ituna4011
将来、どのように異なる成長を遂げるか?
5:02 PM · May 24, 2022

(2022年5月25日転載)

主人は大阪市内の仏教幼稚園の出身、私は名古屋市内のカトリック系幼稚園の出身だったことから、幼児教育と宗教の関連については、よく夫婦で夕食の時等に話題にしていた。

「仏教幼稚園」の過去ブログは以下に。

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160526

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161102

「カトリック系幼稚園」の過去ブログ一覧は以下を。

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071031

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071116

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080127

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080903

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090108

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090116

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090223

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20091023

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101114

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110426

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120421

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120621

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20130401

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20140510

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160220

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171108

(以上リスト終)

白人神父が園長先生だったカトリック系幼稚園ということで、昭和40年代初期には、名古屋でも先進的な幼児教育を施し、親の職業も加味して面接をされ、入園は選抜式。こげ茶色の制服にベレー帽で、いかにも、といった雰囲気だった。

近くには他に幼稚園がなく、保育園か託児所だけだったので、専業主婦の核家族だった実家では、妹も私も当然のように、その幼稚園に歩いて通っていた。

もちろん、とても丁寧な日本語で教育されたのだ。園長先生の敬語は丁寧過ぎるほど丁寧で、「外国に行ったら、その国の言葉を修得して、敬語を多用して丁寧に話すものだ」という教訓を得た。
しかも、「主祷文」すなわち「主の祈り」は文語訳で丸暗記だった。毎朝、跪いて皆で唱和していたので、4,5歳の頭にはすっかり自然と沁み込んでいた。

そこから、長じてはマレーシアでのマレー語への聖書翻訳の研究テーマが動機付けとなった。

イスラムとは関係ないぞ!勝手に連想づけて排斥するな!
(☚ 教養のなさが丸出し。)

主人の方は、幼稚園時代のお絵描きからワークブックから何まで、実家で保存されていた。見ていると、仏教幼稚園の方が日本の風土に合致し、キリスト教系よりも遥かに先進的で国際的な感覚が養われているような印象を与えた。
この逆説は、私にとって非常に新鮮だった。

昭和時代から平成の初期までは、都市部のキリスト教系の幼稚園の方が、西洋への入口ないしは架け橋のような印象が日本にはなかったか?しかし、仏教だってインド発祥で中国経由で日本に入ってきたのだから、国際性は抜群だ。

では、神道幼稚園はどうなのだろうか?

数が少なくて、近くにそのような幼稚園がなかったので、よくわからない。
ただ、以前暮らしていた大阪府下の小さな町の小高い山にあった神社では、小さな木造の平屋建てがあった。時々、そこでボーイスカウトやガールスカウトの子供達が寝泊まりして、飯合炊さんをし、翌朝には、皆で体操座りをして、神職さんから神妙にお話を聞いていた姿を、何度か見かけたことがある。

ともかく、幼稚園が宗教系というのは、親の願いや人生観が現れているようで、微笑ましい。

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馬鹿な金融機関の告発

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528554348514791425)
Lily2@ituna4011
馬鹿な金融機関は、 ご主人の大切な資金を奥さんから守るために、個人情報を教えられません。 と抜かした。この場合、私も同席して署名したのだ。二十年以上も同居。結婚式もした。どこから見ても、正式な夫婦なのだ。 言っていることのおかしさに気づけ!
10:52 AM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528575852572987392)
Lily2@ituna4011
PGFですよ。 入院中に何度も電話で、本人を出せ、と。 退院直後に解約しました、自宅に来てもらって。
12:17 PM · May 23, 2022

(https://twitter.com/primex64/status/1528580265043316742)
MusicArena@primex64
Replying to @ituna4011
なんと! アフォな、恥ずかしい…。今の社長の坂本はライフプランナー出身で、私の後輩ですわ…。
12:35 PM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528583139429588992)
Lily2@ituna4011
警告をお伝えください。 わが家は、解約金で大損しました。私の蓄えから充当しました。
12:46 PM · May 23, 2022

(https://twitter.com/primex64/status/1528584268233859072)
MusicArena@primex64
Replying to @ituna4011
あー、もう交流はありません。ひょっとして解約返戻金が既払込保険料を大きく下回ったんですね。会社側からの重要事項説明の不足が明らかならば、消費生活センター、生命保険協会や場合によっては金融庁に告発できます。
12:51 PM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528585815009685504)
Lily2@ituna4011
2019年1月下旬のことなので、もう….。 新生銀行証券とPGFだけが、特に非常識な対応でした。 前者は、新聞報道でも問題が明るみに。 後者は、自宅に来た若い二人の社員に、厳重注意しました。 何なら、論文に書いて暴露してあげます。 証拠はあります。全世界に公表できます。
12:57 PM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528586154488262657)
Lily2@ituna4011
英語でも書いてあげますよ。
12:58 PM · May 23, 2022

(https://twitter.com/ituna4011/status/1528675473651560448)
Lily2@ituna4011
記録は保存してありますが、整理が大変。 いざとなれば、一気に加速するのでしょうが、経験上。
6:53 PM · May 23, 2022

(2022年5月24日転載終)

2022年3月5日付「新生銀行・新生証券さようなら」、2022年3月6日付「新生銀行・新生証券の追記」、2022年3月9日付「新生銀行の名称変更」の過去ブログには、新生銀行・新生証券を巡る一連の時系列ツィッター等がまとめてある。

以 上
……………
2023年8月8日追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1688523370021986304)
Lily2@ituna4011
今でも腹立つ馬鹿げた話。 ある金融機関から何度も電話があり、ご主人を出せ、と。 今、入院中です、用件は? と問うと、 個人情報だから、奥さんには教えられません。ご主人の大切なご資産を奥さんから守るために。 と言われた。バカモン!同席して署名したのは私だ!
9:11 PM · Aug 7, 2023

(2023年8月7日転載終)

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