放送大学二学期を先取り

(https://x.com/ituna4011/status/1829297883654307902)
Lily2@ituna4011
10月のコングレスでの発表準備を考えると、9月から先に受講を開始しなければ間に合わない。放送大学の利点は、融通がきくこと。 防衛モニターの方は、10月と11月に二つの駐屯地の式典出席が予定されている。 やれる時にやれることを。小さな社会貢献。
8:19 AM · Aug 30, 2024
63 Views

(2024年8月30日転載終)
……………….
2024年9月1日追記

【再掲】

(https://x.com/ituna4011/status/1815328038143570371)
Lily2@ituna4011
今回、英語担当の先生がおっしゃっていたが、最近流行りのコミュニカティブ一点張りや類推ではなく、やはり紙の辞書を繰り返し引いて、文語的な表現もきちんと文法を理解しておかなければならない、と。 なぜか安心した。
7:08 PM · Jul 22, 2024
64 Views

【新規転載】

(https://x.com/ituna4011/status/1830173554136269150)
Lily2@ituna4011
予定を前倒しして早速、ドイツ語Ⅱのラジオ講義を聴講。高2だった17歳の頃からラジオの外国語学習に馴染んでいるため、気分的にも楽。しかも、ドイツ語Ⅰと同じドイツ人講師で安心。重ねて安心したのは、ドイツ語Ⅱでは「やはり紙辞書がおすすめです」とテキストに書いてあったこと。やはり正統派。
6:19 PM · Sep 1, 2024
232 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830181032630407307)
Lily2@ituna4011
既習の外国語は、テレビよりもラジオの方が疲れにくい。時間も有効に使えそう。勿論、放送大学の講義は、院も学部も全科目、最初から1.5倍速で受講している。 申し訳ないが、1講義45分の時間の余裕は、ない。
#放送大学
6:48 PM · Sep 1, 2024
245 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830182305790603406)
Lily2@ituna4011
フランス語もドイツ語も、テレビ視聴風だと、印刷教材通りの順番ではなく、いつの間にか順序が飛んでいたりして、疲れる。恐らくは、講師の先生方も放送授業を制作する間に、順序を入れ替えて録画されたのであろう。でも、初心者には戸惑いを与えかねない。ラジオ講義はテキスト通りに進むので楽だ。
6:53 PM · Sep 1, 2024
107 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830184723814965404)
Lily2@ituna4011
第1課の聴講終了。何と、ドイツ語Ⅰでは echt を「めっちゃ」「まじで」と訳されていた同じ先生が、ドイツ語Ⅱの終わりには「ごきげんよう」で締めくくられた。
いろいろ突っ込みどころ満載の楽しい独逸語講座。
18歳の頃、故小塩節先生から習った時には、「ごきげんよろしゅう」だった。
7:03 PM · Sep 1, 2024
153 Views

(2024年9月1日転載終)
。。。。。。。
今日は、その他に「西洋音楽史」の科目も第1課のみ受講した。

クラシック音楽については、5歳から23歳まで名古屋音楽学校に通ってピアノを習っていた。
大学生から院生の頃、河合楽器のグレード試験を受けていた。ピアノの先生に頼み込んで、ソルフェージュも即席レッスンをしていただき、聴音と演奏の実技試験および楽理の筆記試験等、緊張しながらも受験した。一応、資格としては取れたのだが、勿論、音大生には練習量からして敵うはずもなく、あくまで履歴書の趣味欄に書く程度だった。

結婚してからは、それまで米国のボストンで小澤征爾や五嶋みどりさん等、超一流の音楽を目の前で堪能してきた主人のお陰もあり、関西でも一流以上の国内外の演奏家ばかりを選んで、西宮や京都や大阪やびわ湖等、行ける間にせっせと演奏会に通っていた。
そして、主人の若年性神経難病の治療の一環だと考えて、一種の音楽療法のつもりで、平日の朝と晩の食事時には、ラジオでNHK-FM放送のクラシック番組を流していた。日曜日の夜には、まずラジオで「クラシック・リクエスト」を聴きながら夕食を摂り、その後は主人の会社での作業服等のアイロンがけをしながらN響アワーを視聴し、続く芸術劇場の時には、いつの間にか寝入ってしまうようなルーティーン生活だった。

一般教養程度には親しんでいたクラシック音楽だったが、肝心の音楽史については、正式に学んでいなかった。
というわけで、今回、お楽しみ科目の一つとして、選択した次第である。

今日のお話は、ギリシャ伝統が現代に至るまで西洋音楽を規定している、という観点が非常に印象的かつ新鮮だった。ともすれば、キリスト教の教会音楽だとか、ユダヤ音楽だとか、インドの伝統舞踊だとか、中国の古典音楽だとか、海外の音楽にも無関心ではありえなかったが、ギリシャ文化が西洋の古典音楽に浸透し続けているとは、迂闊にも気づかなかった。

やはり、大学と名のつくところで勉強することには、カルチャーセンターとは異なった、深い意義がある。

(2024年9月1日記)(2024年9月3日一部修正)
…………..
2024年9月3日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1830885968884441242)
Lily2@ituna4011
「趣味みたいなお楽しみ科目」の一つ、島内裕子名誉教授の枕草子のご講義を今、視聴している。 元国文学科出身者としては、高校から大学にかけて味わった懐かしい雰囲気を醸し出しつつ、装い新たに高度化した実質に触れられる点、この上なく幸いである。敬宮殿下が言及された北村季吟は勿論のこと。
5:30 PM · Sep 3, 2024
173 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830886881837584654)
Lily2@ituna4011
趣味の検定試験として、神社検定、茶道文化検定、京都文化検定を受けてきたが、基礎ベースとして馬鹿にならない。今回、二学期用に受講を決めた2科目には、実は検定の知識が役立っている。 勿論、大学の講義なので、もっと深く、もっと文献資料に直接当たっていることは言うまでもない。
5:33 PM · Sep 3, 2024
147 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830888556006711753)
Lily2@ituna4011
島内裕子名誉教授のご講義は、院の講義を既に受講した。ラジオでもテレビ映像でも、今の時代には貴重な名講義そのもの。今年3月下旬、東京での学位祝賀会でお目にかかれて、心躍る経験だった。 私の世代では、あのような語り口が大学の先生の定番だった。平成期のいつ頃からか、騒がしく崩れた。
5:40 PM · Sep 3, 2024
132 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830896700510347377)
Lily2@ituna4011
国文学の古典にせよ、ドイツ語にせよ、十代から二十代にかけて学んだものは、40年程経った今でも、案外に覚えているものだ。そして、教わった昔の先生方に感謝の念さえ沸き起こって来る。教養の基礎となるものが、高校から大学にかけて培われたことは、本当にありがたい。
6:12 PM · Sep 3, 2024
51 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830897484136390794)
Lily2@ituna4011
というのは、教養は「資格」ではないからだ。平成期のいつ頃からか、「資格、資格」と言い過ぎる風潮が現れた。就職に役立つ「資格」は勿論のこと、大学の学位まで「資格」と、混同させている。軽薄にも程があり、嘆かわしい風潮だ。「資格」とは、職や人生を保証するものではない。
6:15 PM · Sep 3, 2024
20 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830917221755035806)
Lily2@ituna4011
18歳の時、習わなかったドイツ語の文法。
「埋めぐさの es」
そんなのあったっけ?ドイツ語文そのものは習っているが。
7:34 PM · Sep 3, 2024
138 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830918115670307036)
Lily2@ituna4011
放送大学のドイツ語Ⅱは、テキストの内容はいいが、練習問題が少な過ぎ、文法説明もかなり速いレベルで飛ばしている。 恐らくは、若い頃に対面式で試験を受けながら学習した世代に向けての復習様式なのだろう。初心者がこのペースで勉強するには、参考書や問題集を別途用意する必要がありそうだ。
7:37 PM · Sep 3, 2024
122 Views

(2024年9月3日転載終)
…………….
2024年9月6日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1831687631354429753)
Lily2@ituna4011
今頃気づいたことですが、放送大学の場合、学部では「授業」と呼び、院では「講義」と呼称するようですね。内容レベルの高低は、さほど関係がないように思われますが。
10:35 PM · Sep 5, 2024
79 Views

(https://x.com/ituna4011/status/1831997491807477966)
Lily2@ituna4011
間違えました。島内裕子先生は、学部でも院でも「講義」とおっしゃっていました。失礼いたしました。お詫び申し上げます。
7:06 PM · Sep 6, 2024

(2024年9月6日転載終)
…………………
2024年9月13日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1834581268333527384)
Lily2@ituna4011
もう一つ。接続法Ⅱ式に関して、
助っ人Ⅱ式
そんな呼称、あったっけ?40年前の第二外国語では、少なくとも記憶がない。
10:13 PM · Sep 13, 2024

(2024年9月13日転載終)

Posted in Childhood memory, Japanese culture, Piano, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

修士論文題目

放送大学大学院の修論リストがようやく掲載されました。

修士論文リスト(2023年度修了者)

https://www.ouj.ac.jp/gakuin/about/thesis/2023mronbun.pdf

生活健康科学プログラム
【 閲覧可 】

修士論文題目
「配偶者から見た若年性パーキンソン病(PD)患者に伴う諸問題 -抗パーキンソン薬プラミペキソールの副作用としての衝動制御障害を焦点に-」

(2024年9月1日記)

Posted in Health and Medical issues, Japanese culture, research topics, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

神経内科学の医学者への苦情

(https://x.com/ituna4011/status/1307097638748270592)
Lily2@ituna4011
大学病院の医師は、研究用のデータが欲しいのか、実際のリスクをあまり言わずに勧めるように思います。私共は、それが嫌で断りました。介護相談のサイトでも書きましたが、今の神経内科の医師は、雨後の筍のように急に増えて、質はピンキリ。昔は、専門医が限られていたので、もっと慎重で親身でした。
8:22 AM · Sep 19, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1307275520963309568)
Lily2@ituna4011
うちは大阪府下でしたが、阪大病院に2-3ヶ月に一度の外来通院でした。10数年ぐらいはそれでよくても、進行期から末期にかけては、途中で転倒しようが肺炎で入院しようが、全て患者と家族に丸投げ。それでは本当に困ります。緊張と不安と焦りの日々でした。本物の地方(田舎)や島に住む患者さん達は?
8:09 PM · Sep 19, 2020

(2024年8月31日転載終)

Posted in Uncategorized | Leave a comment

伊丹市立中学の義務教育

実は私、伊丹市教育委員会の教科書選定委員(市民)を二度務めたことがあります。2020年春のことでした。応募者9名中のうち、書類選考(一次)と面談(二次)を経て任命された2名の一人としてです。

伊丹市立の各中学の教科の先生方が、新しく改訂された教育指導要領に基づいて採択された教科書を一生懸命に説明されるのを、素人の新参者ながらも偉そうに(!)、一緒に座って聴いていました。何よりも、大変効率的に話が進んでいったことが印象的でした。

数学に関しては、教師側と委員側の見解が対立しており、教科の先生には不満の表情が顔一面に現れていました。教科書に付記されていたQRコードの使用法に関する意見の相違でした。

(https://x.com/ituna4011/status/1278125701007212546)
Lily2@ituna4011
先日、地元の公立中学の教科書各種を展示で見たが、今の教科書は40年前と比べて、サイズも一回り大きく、実にカラフル。イラスト以上にアイコンや漫画まで入っている。「不確実な将来」を見据えて、iPadの導入に備えた教科書に。家庭科の教科書は、少年がミシンで何かを裁縫している写真入。
9:38 AM · Jul 1, 2020

(https://x.com/ituna4011/status/1278127055675240451)
Lily2@ituna4011
数学は、私の世代では習わなかった数式項目が含まれていた。書道や保健体育の教科書は充実していた。音楽の教科書には、国歌「君が代」が堂々と入っていたが、私の頃は小学校の1年生だったはずでは?国語は、中原中也が人気のようだったが、私は中也を高校1年の教科書で知った。
9:43 AM · Jul 1, 2020

(2024年8月30日転載終)

Posted in Childhood memory, Japanese culture, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

古いブログを保存する意義

思いがけず、14年も前のブログ記事に対して、フェイスブックで感想が寄せられた。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20100313)
2010-03-13「マレーシア断章:キリスト教改宗」

《以下は、数年前に書きかけて放置してあった未完成メモです。組織立ったインタビューではなく、カジュアルな会話の中から導き出された話ですが、研究論文には引用できなくとも、れっきとした実体験に基づく貴重なデータだと思っております。(ユーリ)》

(抜粋終)
。。。。。。。
すると、このブログを読まれた日本女性から、下記のようなコメントをいただいた。

M・N:(個人的に)Sabah客家 世の方の証が涙せずには居られませんでした…

ユーリ:M・N様、初めまして。古いブログを見つけて下さり、ありがとうございました。

M・N:ユーリさん あれは何度も泣きました

ユーリ:M・N様 そのような感想は初めてです。記録しておいて良かったです。ありがとうございました。

M・N:ユーリさん (あの戦争で)日本軍に両親を虐殺されたと知った時は言葉が出なくなりました

ユーリ:田母神俊雄氏等が、「日本は白人の支配から東南アジアを解放したのだ」と主張されています。これは、昭和時代にはよく聞かれた話で、珍しくもありません。但し、1990年代初頭に3年間、政府の仕事でマレーシアに暮らしていた私にとって、ペナン博物館やシンガポールのセントサ島の展示、マレーシアの学校教科書の記述、マレーシアの古い新聞記事等が、日本軍の恐ろしさを余すことなく示していました。これは、リベラル左派や右翼等、イデオロギーとは全く関係ありません。現地の人々が自らそのように記憶していたのです。私のブログに書いたインタビューでも、それが反映されています。

ユーリ:M・N様、客家の人々は、伝統的に大変勤勉で、とても誇り高い人々です。私は、先の戦争で、日本は情報戦に負けたのだと考えています。当時の日本人は、東南アジアの複雑さを宗主国であった英国ほどには理解できていなかったと、残念ながら英語と日本語とマレー語の各資料から読み取っています。

M・N:ユーリさん あの戦争で【Perak】→”客家が多数虐殺されたのでは無いか”と察しました…
あの方のご両親も,Sabahに留まってたら(虐殺は)免れた様に思います

ユーリ:M・N様、コメントありがとうございます。サバ州よりはペラ州の方が生活が楽だったから移住されたのかもしれませんね?

(転載終)
。。。。。。。。
この方が感涙されたサバ客家とのインタビューは、ブログ抜粋によれば下記の通りである。

B博士:
サバ州客家の三世だが、第二次世界大戦中の日本占領期に、犠牲者となった両親がシンガポールを経由してペラ州に移住。本人はペラで生まれた。1970年代の大学生時代には、民間交流プログラムでマレーシアにやって来た日本の柔道師などから武術を習い、みそ汁を飲み、片言の日本語も覚えたりした。しかし、心の底では、日本人に対する憎しみや怒りが消えなかったという。ちょうどその頃、大学キャンパスでキリスト教伝道に出会い、信仰を持つに至る。所属教会は、牧師のいないブレズレンである。それ以来、日本人に対する否定的な気持ちが消えた。今は特に何とも思っていないという。ただし、靖国問題については別で、「今の日本人が、戦時中、我々にしたことを認めるならば、私達も許し、忘れる用意ができている」とのことである。

それでは、14年ぶりに、当該ブログを転載してみよう。(サバ客家のB博士は重複を避けた。
。。。。。。。。。
「キリスト教改宗に関する断章:マレーシアのクリスチャン達」

Aさん:
父親は道教の祭司だったが、他に学校がなかったため、ペラ州のメソディスト系学校に通い、日曜学校でキリスト教の話を聞いて、洗礼を受けた。「父親の反対はなかった」という。

C師:
ヌグリ・スンビラン州クアラピラの出身。広東系。シンガポールで工学を勉強していた18歳の時、キリスト教と出会い、入信。若い頃から神学関係の本を読むのが好きだったという。マレーシアに戻ってから8年間公務員として政府関係組織で働いていたが、マレー人同僚ないしは上司の昇進のあり方に大変不満を持ち、やめた。その後、福音自由教会の牧師となる。40代前半、家族と共にイギリスに移り住み、ロンドン大学でカルヴァンの人生における神意に関する神学博士論文の準備をする。
華人虐殺の激しかった出身地から、キリスト教入信前は、日本人が憎くて仕方がなかったという。しかし、キリスト教の贖罪メッセージに触れ、自分達にも罪があったので神の罰としてこのような運命に至ったのではないか、と考え方が変わったそうだ。今では、日本の同系列の牧師などとも友好関係を持ち、限定的ながら日本人に対する見方は概ね肯定的である。ただし、「日本人は島国根性だ」という辛辣なコメントは消えていない。

D氏:
クランタン州コタバルの出身。インド系はこの地でごくわずかしか居住していないので、子どもの頃はマレー人と遊び、マレー語に堪能で、マレー文化の中で育ったという自覚がある。父はタミル系で母はテルグ系であり、父親の職業は病院勤務であった。ヒンドゥ教徒の家庭である。5歳の時、アングリカンのイギリス人宣教師からキリスト教の話を聞いたが、その頃は特に惹かれるものはなかった。大学進学のため、10代後半で首都クアラルンプールに出てきた時には、故郷と比べてあまりにも環境の差が激しく、毎日家で泣いていた。その頃、病気にかかり、家で寝ていたところ、夢の中でイエスの幻像を見た、という。そのイエスは、西洋画によくあるような白人の姿ではなく、「アジア人の顔」をしていた。インド系の顔だったかどうかはわからない、とのことである。都会の暮らしになじめず、つらい日々を送っていた彼は、その夢がきっかけでカトリック信仰を持つに至る。コタバルにいる父親に電話で改宗の事実を伝えると、怒って電話を切られてしまったという。母親は、父がよいと言うならよいが、息子の決心については特に何も反対はしない、という態度であった。
その後、姉妹やその配偶者などもヒンドゥ教からカトリックに改宗し、今はちょっとした有名なカトリック家系を形成している。両親はヒンドゥ教徒のまま亡くなったが、最終的には理解してくれたという。

(名前不明。インド系60代後半くらいの男性):
(NECFオフィスの前でタクシーを待っていたところ、オフィスから出てきて話しかけてきた)
自分は、マラヤ大学の第一期生の一人である。もともと、キリスト教は大嫌いだった。あれは白人の宗教だ。自分は肌が黒いから、キリスト教には向かない、と若い頃はずっとそう思っていた。その後、よい仕事を得て、アメリカにもしばらく住んだり、オーストラリアにもよく出張した。豪奢な暮らしも満喫していたが、こともあろうに、自分が愛していた娘が白血病になり、若くして亡くなってしまった。自分はもうどうしたらよいかわからず、自暴自棄になり、仕事は適当に済ませ、後はお酒を浴びるように飲み、妻以外の女性とも遊ぶようになった。これもそれも、愛娘を亡くした不条理と悲しみを紛らすためだった。妻は愛想をつかして、別居してしまった。しばらくたって、妻もいない、もう娘も戻ってこない、と気づいた時、自殺を図ろうと思った。ところがその時、とても不思議なことに、ある人がキリスト教の集会に誘ってくれたのだ。初めはためらいがあったが、そのうちに、自分の心の狭さと自己中心性に気づき、こんな父親では亡くなった娘も悲しむだろう、と思うに至った。そして、信仰を持つ決心をした。遠く離れていた妻には、自分から連絡を取り、正直に自分の過ちを詫び、心から謝った。許してくれないだろうと思った妻が、なんと寛大にも自分の所に戻ってきてくれたのだ。私はうれしかった。これもすべて神の導きによるものだ。今の私にはわかる、なぜ娘が夭折したのかが。娘ともいつか再会できる希望を、私は確かに持っている。

Eさん:
私の場合は、生まれながらのカトリック。親がカトリックだったから、幼児洗礼を受けている。でも、形だけの信仰ではない。なぜ、親がカトリックになったかって?それは、インドにいた頃の話に遡る。南インドで、宣教師達が私達のために、誠心誠意働く姿を見て、(あの人達は、自分の国に住んでいれば、もっと安楽ないい生活を楽しめたはずなのに、なぜ、私達の所に来て、こんなに一生懸命尽くしてくれるのだろう?)と思った。そして、そこに神の臨在を感じた。神は必ず存在する。だって、私達のために、私達を見捨てないで、こんなによくしてくださるんですもん。人間の意図を超えた意志が働かなければ、どうしてこの西洋人達が私達のところに、わざわざ来たの?神さまが触れたの。それしかない。それで、私達は、カトリックに改宗したのよ。(2004.01.29)

Fさん:
私と同い年のクアラルンプール育ちの福建人。未婚で、シャーアラムで祖母、母、妹と女所帯で暮らしている。昔はマレーシアが大嫌いだった。国を一度も好きだったことはない、という。マレー語で教育を受けた第一世代に相当する。高校では、理系クラスにいたが、クラスメートにはマレー人生徒がおらず、「私達の話す英語が、マレー人の子には早過ぎて、聞き取れなかった」と笑う。流暢な英語を話すが、メールのやり取りをすれば、彼女の英語にも基本的な文法ミスがないわけでもなく、確かにマレー語で教育を受けた世代だということがわかる。理系クラスだったのは、成績で振り分けられたからであり、本当に好きなのは、絵をかくことであったという。高校卒業後、2年ほど台湾で過ごし、それから絵描き友達とヨーロッパに渡り、何年か一緒に暮らした。「お金はどうしたの」と聞くと、絵を描いて売り、暮らしを支えていたが、「ヨーロッパでは、工夫すれば、マレーシアよりもはるかに安く生活できるのよ」と自慢する。キャンピング・カーに寝泊まりし、仲間と助け合って何とか数年は楽しくやっていたという。その後、何か思うところがあったのだろう、ハワイに渡り、大学と大学院修士課程に進んだ。心理学と宗教学の学位を取得した。ハワイ滞在も7,8年に及んだという。そこでプロテスタント系福音自由のキリスト教伝道師と出会い、信仰を得て、帰国したとのことである。帰国後は、しばらく社会福祉活動をしていたが、「神様に、私が今後どのように生きていったらいいのか教えてください、と祈った」ところ、現在勤務しているNECFが秘書兼リサーチャーを募集していることを知り、応募してみた。事務局長から数度にわたるインタビューを受け、最終的に採用決定。「これが神様の導きだったとわかった」。今は、マレーシアが好きになり、仕事にもやりがいと楽しさを感じている、という。特に宗教学でもう一つ学位を取りたい、と張り切っている。キリスト教信仰によって、自分の使命や生き甲斐を見出した一つの実例であるといえる。(2004.01.30)

G牧師夫人:
カダザンドゥスンのサバ出身40代。夫は牧師で息子一人をはさんで上と下に娘が一人ずついる。英語学校で教育を受けたが、自身はマレー語礼拝の教会で指導的役割を果たしている。マレー語へのキリスト教文献の翻訳も担当している。父親から譲られたというライデッケル訳のインドネシア語の聖書を大切にしている。「どうしてクリスチャンになったの」と尋ねたところ、「私達(カダザンドゥスン)は長い間ずっと、数々の精霊におびえて暮らしていた。何か悪いこと、例えば病気だとか若死にだとか事故にあったりなどすると、それは精霊のせいだと伝えられていたので、自分達は人生を受け身的にとらえていた。ところが、ある時外国からミッショナリー達がやってきて、『そうじゃないよ』とイエス・キリストの物語を紹介してくれた。私達は半信半疑で、教えられた通りに祈ってみた。そしたら、本当に祈りが実現した。そこで、私達が伝統的に恐れていた精霊よりも、イエスの方がパワフルであることがわかり、キリスト教に改宗したの」。

(2004.03.16)

2019年追記:上記のG牧師夫人とは数回、リサーチ目的で会ったことがあるが、数年前、突然死された。

(2024年8月28日転載終)

Posted in Christianity, Japanese culture, Malay studies, research topics, Studies related, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

自衛官への素朴な質問

(https://x.com/ituna4011/status/1828756528654086184)
Lily2@ituna4011
素朴な質問
自衛官の精神修養に、座禅やヨガ等はありますか?
厳しい訓練には、スポーツ科学の最新知見も取り入れていらっしゃいますか?
令和五年度の防衛白書は見事な書が表紙を飾っていますが、自衛官は文武両道を基本とされていますか?
8:28 PM · Aug 28, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1828757387429445720)
Lily2@ituna4011
戦史の学習には、国内では近代戦から始めるのですか?
自衛隊の地理の学習では、日本領土の島々の名前を全て覚えますか?
失礼な質問であれば、どうぞお許しください。
8:31 PM · Aug 28, 2024

(2024年8月28日転載終)
…………….
2024年8月29日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1829024286679675009)
Lily2@ituna4011
上書の題字は、航空自衛隊第3航空団の2等空曹の的野誠氏が書かれた由。全自衛隊美術展の書道部で、内閣総理大臣賞や防衛大臣賞を連続受賞されている。
2:12 PM · Aug 29, 2024·
272 Views

(2024年8月29日転載終)
…………….
2024年8月31日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1829773126483546176)
Lily2@ituna4011
令和6年度の防衛白書が届きました!
一国民として、知識の上でも国防の小さな一端を担うつもりで、少しずつ読んでいきます。
3:48 PM · Aug 31, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1829830006304096532)
Lily2@ituna4011
そして、5円コピーのために入ったコンビニで、初めて
『自衛隊新戦力図鑑 2024-2025』
という雑誌を買ってしまった! 今では模擬もとい擬似ミリオタの私。
7:34 PM · Aug 31, 2024

(https://x.com/ituna4011/status/1829831658037789139)
Lily2@ituna4011
日本は1万4千以上の島々で構成されており、沖縄県や鹿児島県に属する島には、軍事的な価値の高いものも少なくない、とのこと。
典拠
自衛隊新戦力図鑑 2024-2025 p.11.
義務教育では習わなかったよ。
7:40 PM · Aug 31, 2024

(2024年8月31日転載終)
。。。。。。。。。。
おまけ

(https://www.youtube.com/watch?v=Nd73N9kxAmI)

陸上自衛隊 中部方面音楽隊 第49回定期演奏会
平成29年6月9日(金)兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールにおいて行われた「陸上自衛隊 中部方面音楽隊 第49回定期演奏会」

指揮/中部方面音楽隊長 3等陸佐 柴田 昌宜

国歌「君が代」

第1部
ヴィヴァ・ムジカ
ケルト民謡による組曲第2番「オキャロランの花束」
行進曲「黎明」   行進曲「自由の鐘」
レ・ミゼラブル

第2部
「もののけ姫」
セレクション オペラ<リナルド>より「私を泣かせて下さい」(ソプラノ独唱:陸士長 鶫 真衣)
バレエ組曲「シバの女王ベルキス」

アンコール
時 代
行進曲「アメリカ野砲隊」
。。。。。
2024年8月30日から8月31日にかけてのFacebokでのコメントやり取りを以下に。

Y・T:いつも思うのですが、なぜ吹奏楽なのか? なぜ管弦楽を目指さないのか? という疑問。。

ユーリ:だって、弦楽器で自衛隊の行進伴奏なんて、できないじゃないですか?それに、雨降りでも微動だにせず、演奏されていますよ。

Y・T:ユーリさん そういうことなんですか? なんか、ものを知らない自分が恥ずかしいです…。

ユーリ:機会があれば、各地の駐屯地で毎年一般公開されている式典に一度行かれてみては?音大卒業生の就職先の一つでもあるようです。音楽で国防です!

Y・T:ユーリ いや、自衛隊はそうなんでしょうね。長女が通っていた某大学の附属中高にはブラバンとオケの両方がありましたが、運動会や横浜市のパレードなどでも弦楽隊が出ていて歩きながらVaやVnを弾いてました。流石にVcやCbは無理なので、TubやTbを増やしてましたが…。ってなことでのコメントでした。失礼!

ユーリ:学校はそういうことも可能でしょうね。天候が悪ければ「雨天中止」もできますから。でも、自衛隊は、暑さ寒さ雨天に関わらず、どこでも直立不動で演奏し続けます。今年5月、私は近くの駐屯地の式典に招かれ、確かに目撃しました!私達は、自衛官から雨合羽を渡されて、濡れながら観閲していました!傘は不可なのです。ということは、自衛隊の音楽隊の楽器は、特別に雨に強いのでしょうね?

Y・T:ユーリさん 耐水性能のある弦楽器ってのは調べても出てきませんでした。但し金管の場合、基本は水に強いし、更に独自に対策されている可能性はあるでしょうね。

ユーリ:Y・T様、ご教示ありがとうございました。

ユーリ:太鼓の皮も防水加工されているのでしょうか?雨の中でも、響きはともかくとして、よく音が湿らないものだなぁ、と感動しながら観閲しました。楽器のお手入れも秘密兵器があるのでしょうね?

(2024年8月31日転載終)
……………..
2024年9月1日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1829896952739213809)
Lily2@ituna4011
二十代半ばの頃、インドネシアの国費留学生からインドネシアの話を聞き、島々の数をかなり詳しく、さらさらと答えたのにはびっくりした。 当時は、いわゆる途上国の方が国家観がしっかりしており、優秀な学生ならば国の仕組みをきちんと学校で教わって身に付けていたように思われた。日本は甘かった。
12:00 AM · Sep 1, 2024

(https://x.com/JGSDF_MA_pr/status/1829851638062072067)
陸上自衛隊 中部方面隊@JGSDF_MA_pr
#中部方面隊 は、#能登半島地震 発生以来、約8か月の間、延べ約49万5,000名の方々に #入浴支援 を行い、本日が支援最終日となりました。支援活動間、我々が被災者の方から逆に勇気や元気を頂くことも多くありました。地域の復興を祈るとともに、引き続き多様な事態に備えてまいります。
9:00 PM · Aug 31, 2024
343.8K Views

(https://x.com/ituna4011/status/1830153249048961435)
Lily2@ituna4011
「じえいたいのみなさま ありがとう」能登地震の自衛隊派遣終了 被災者寄り添い244日 https://sankei.com/article/20240901-RNLLV57SW5L43B2IBGXGCP5FLI/… via
@Sankei_news
← 姫路駐屯地は1月5日から2月1日まで、のべ2696人を派遣。私のお世話係の広報官氏も、その一人でした。
4:58 PM · Sep 1, 2024

(2024年9月1日転載終)
……………
2024年9月4日追記

(https://x.com/ituna4011/status/1830972979402121261)
Lily2@ituna4011
国土地理院が島の数を数え直したから、6852から1万4125に倍増した、という。 私、前者の数は何となく知っていたと思う。 今では、領土.主権展示館まであるらしい。
出典 令和6年7月25日『朝雲』新聞 p.5.
11:15 PM · Sep 3, 2024

(2024年9月4日転載終)

Posted in Japanese culture, Violin, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

GHQは九条下で自衛再軍備を

Japan On the Globe(1384)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sense: GHQは9条下での自衛再軍備を容認していた

「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」と、GHQ憲法草案作成の中心人物ケーディス大佐は考えていた。
R06.08.25 ■ 76,530 Copies ■ 8,643,155Views■

■1.「もう1日でものびたら、大変なことになります」

 昭和21(1946)年3月5日午前10時、閣議で幣原喜重郎首相は「もう1日でものびたら、大変なことになります。ほんとに大変なことになりますよ」と言って、涙をポロポロとこぼしました。

 翌々日、極東委員会の実質的審議が始まる予定で、そのメンバーとして「天皇を東京裁判の被告にせよ」と主張しているソ連が入っていました。憲法改正となれば、当然、天皇制廃止を要求してくるでしょう。

 そんな事態となれば、「日本の最終的な政治形態はポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって確立される」とする連合国側の約束違反として、各地で反乱を起こり、占領政策は崩壊してしまうでしょう。日本占領を成功させ、米国大統領へのステップとしたいマッカーサーはそれを防ぐ戦略を考えました。

 それは、極東委員会が動きだす前に、日本政府が民主的平和的な憲法改正案を発表してしまい、それによって極東委員会の口出しを封じる、というアイデアでした。そのために、マッカーサーは次の3箇条からなる「マッカーサー・ノート」をGHQの民政局に提示して、これに基づく憲法草案を大至急作成せよと命じました。

 (1)天皇は国家の元首である。
 (2)国の主権的権利としての戦争は放棄する。
 (3)日本の封建的制度は廃止される。

 これに基づく憲法草案の発表で、日本は自ら平和的民主的な国家として歩み始めたと国際社会を印象づけようとしたのです。これが「日本国民の自由に表明する意思」として示されれば、極東委員会はなんら文句を言うことができません。

 そのために、GHQは2月4日から12日までのわずか9日間で草案を完成し、13日に日本政府に提示したのです。その後、日本政府は修正案を提出しましたが、3月4日、GHQは拒否。GHQの原案を徹夜で日本語訳し、この日の閣議となったのでした。

■2.「すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない」

 政府はこの憲法草案を閣議決定し、昭和天皇の裁可を得ました。翌日午後5時、日本政府は憲法改正草案要綱を発表。その1時間前に、GHQのスタッフが英文の憲法草案13部に首相のサインを貰い、そのままワシントンの極東委員会に届けるべく、米軍機で出発しました。この時の幣原首相の腹は次のようなものでした。
__________
 ほかの点はどんなものでも、日本が独立を回復した暁には自分たちで変更することができる。しかし、皇室だけはいったんぶち壊してしまったら取り戻すことができない。だから、すべてのものを犠牲にしても、天皇制の護持だけは守らなければならない。
 天皇制の一点さえ、マッカーサーが極東委員会に対して承諾させてくれるなら、あとのことはすべて犠牲にしていいとさえ思っている。[塩田,p451]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 いわば、「戦争放棄」を謳った憲法9条は皇室を守る為の「代償」でした。9条の条文は平和国家としての国際的なアピールさえできればそれで良いと、マッカーサー以下、9条のもとでの自衛のための再武装も容認していたのです。以下、その過程を見ていきましょう。

■3.「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」

 もともとマッカーサー・ノートでは、次のように自衛のための戦争の放棄まで求めていました。
__________
 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
 日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。[鈴木、p137]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 これに対して、民政局次長で憲法草案作成の実質的な責任者であるケーディス大佐は、こう修正しました。
__________
 重要な変更は、草案を数力所カットしたことです。それは私がやりました。自分でやったのを覚えています。
 まず、〈自己の安全を保持するための手段としての戦争をも〉という部分をカットしました。さらに、〈日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる〉の部分もカットしました。あまりにも理想的で、現実的ではないと思ったからです。[鈴木、p137]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〈自己の安全を保持するための手段としての戦争〉とは自衛戦争のことで、マッカーサー・ノートではそれをも「放棄する」と謳っていましたが、この部分をカットしたことで、自衛権を認めたのです。

■4.「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」

 ケーディス大佐はその理由をこう語っています。
__________
 自衛権の放棄を謳った部分をカットした理由は、それが現実離れしていると思ったからです。どんな国でも、自分を守る権利があるからです。だって個人にも人権があるでしょう? それと同じです。自分の国が攻撃されているのに防衛できないというのは、非現実的だと考えたからですよ。[鈴木、p138]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「個人に人権があるように、国家にも自衛権がある」。ハーバード大学の法科大学院を出て、弁護士を務めていたケーディス大佐にとっては、これが法律家としての常識でした。

 この修正はケーディス大佐が独断で行ったものですが、それはマッカーサーも賛成する、という読みがあったようです。憲法草案は発表前に、すべてマッカーサーに報告がなされ、承認を受けているのですから。後年、マッカーサーもこう書いています。
__________
 戦争放棄の条項は、もっばら外国への侵略を対象としたものであり、世界に対する精神的リーダーシップを与えようと意図したものである。・・・ 第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない。[鈴木、p139]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 マッカーサー・ノートにある「今や世界を動かしつつある崇高な理想」とは、まず第一次大戦の反省から「紛争は平和的手段により解決すること」と規定したパリ不戦条約です。この条約をアメリカは批准していましたが、それは自衛戦争は禁止されていない、という解釈のもとでした。

 さらに当時発足したばかりの国際連合でも、国連憲章第51条で加盟国には「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認められています。さらに自衛戦力がなければ、国連の平和維持軍への参加ができず、それでは国連加盟に支障がでる可能性さえありました。

 マッカーサーの狙いは、日本が平和国家として再出発したと国際社会にアピールすることでしたから、自衛権まで禁止する、というよう国際法的に非常識なことまで言い出して、余計な論議を呼ぶ必要はなかったのです。そしてその狙い通り、日本が表面上「自主的」に発表した平和憲法に、極東委員会は有効な口出しをすることはできませんでした。マッカーサーの作戦勝ちでした。

 マッカーサーはこの「平和憲法」戦略で皇室を守ってくれたのですが、それはもし皇室を守れなかったら、日本全土で反乱が起こり、自らの日本占領は失敗する、という恐れからでした。彼の脳裏には、大戦末期の玉砕戦や特攻で命を捧げた英霊たちの戦いぶりが焼き付いていたのでしょう。マッカーサーを後押しして皇室の危機を乗り越えることができたのは、英霊たちのご加護でした。

■5.芦田修正

 GHQの草案は、その後、衆議院の憲法改正案特別委員会で各条文の審議が行われました。ここで行われた最大の修正が、委員長の芦田均による「芦田修正」です。当初、提出された第9条の草案内容は、以下でした。
__________
第9条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては永久にこれを抛棄する。
陸海空軍その他の戦力の保持は許されない。国の交戦権は認められない。[西、p337]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 これが、種々の議論を通じて、以下の条文に改められました。
__________
第九条 <日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し>、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) <前項の目的を達するため>、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

<>部分が、主な修正点です。<日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し>とは、戦争放棄を詫び証文ではなく前向きな理想を持って進めるのだ、という姿勢を示す表現でした。<前項の目的を達するため>は、その後の議論を呼んだ点です。芦田は後に、昭和32年の憲法調査会で次のように説明しています。
__________
『前項の目的を達するため』という辞句を挿入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白であります。[西、p340]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 前項で「侵略戦争は放棄する」と述べ、そのための「戦力は保持しない」とすると、自衛のための戦力は持てることになります。

■6.「それがどうした? 君はよい考えだとは思わないかね!」

 この抜け道を、GHQ側は明確に認識していました。ケーディス大佐はこう語っています。
__________
たしか、七月の終わりころだったと思います。芦田氏が一人で、戦争放棄の条項を修正したいと相談に来ました。その〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し……〉という文章と、〈前項の目的を達するため〉という文章を入れたいと言いました。
 文章は、固く、何となく曖味な感じがしましたが、その意味するところはわかりました。・・・個人に人権があるように、国家にも自分を守る権利は本質的にあると思います。
 そこで、私は、私の責任でOKを出しました。すると芦田氏は、ホイットニー(伊勢注:民生局長)、マッカ─サーと相談しなくてもいいのですかと聞きました。私は、まったく問題ないと返事をし
ました。[鈴木、p353]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 このやりとりを聞いていた部下二人がホイットニーに「この修正は、『自衛の軍隊』を持つことになると思うが、どう思われますか?」と尋ねました。すると、ホイットニーは「それがどうした? 君はよい考えだとは思わないかね!」と答えたそうです。

 このあたりは、日本を平和国家として国際社会にアピールするのに、「戦争放棄」をどう表現するか、という点については、マッカーサー、ホイットニー、ケーディスの間で、しっかりと頭あわせができていたのでしょう。

 マッカーサーも上述のように、「戦争放棄の条項は、もっばら外国への侵略を対象としたもの」「第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない」と考えていたので、ケーディスは自分の判断で自信を持ってOKを出したのです。ケーディスはこうも述べています。
__________
 芦田が第九条の修正案を提案をしてきた時は、むしろうれしく思いましたね。というのは、あの修正によって、独立国としての立場が明らかになったからです。使われている言葉は重苦しいものでしたが、それによって、たとえば日本が国連加盟国になる場合の助けになると思いました。[鈴木、p355]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■7.多くの憲法学者は「憲法評論家」に過ぎない

 ただし、芦田はこの修正の意図を国会や委員会で明確に説明しておらず、そのため芦田修正をもって、自衛のための再軍備は可能とする解釈を、現在も日本政府はとっていません。そのかわりに、九条一項の「戦争」は、侵略戦争を否認したものであり、また2項で憲法が否認する「戦力」については、それに至らない「自衛のための実力」は認められるとの解釈によっています。

 ここから、自衛隊は軍隊ではない、というアクロバット的解釈が行われているのです。しかも、憲法学者へのアンケート調査では118人中77人、65%が自衛隊は「憲法違反」ないし「その可能性がある」と答えています。それでいながら、「憲法改正をする必要がない」と答えている学者が、107人中99人、92.5%です。[朝日新聞]

 自衛隊が憲法違反というなら、憲法を改正するか、自衛隊を解消するか(その場合、国家の自衛をどうするか提案する責任があります)どちらかを主張しなければなりません。憲法違反と言いつつ、その状態を座視しているのでは憲法学者というより「憲法評論家」です。医者が患者がガンにかかっていると診断するだけで、どうすべきか言わないのと同じ無責任です。

 西修教授は昭和59年から60年にかけてGHQの憲法草案起草者の何人かにインタビューを行いましたが、ケーディス氏を含め、彼らは日本国憲法がいまだに改正されていない事に驚いていたと記しています[西、p173]。

彼らにとっては、日本国憲法は極東委員会でのソ連などの口出しを防ぐための急拵えの「仮設憲法」であり、日本が独立すれば、当然、自分たちで自前の憲法をつくるはずだと考えていたのです。それが国際的な憲法常識です。その憲法常識がなぜ国内で実施されなかったのでしょうか?

 その一因は「憲法評論家」のみ多くして、憲法のあるべき姿を国民に訴える真の「憲法学者」が少なかったからでしょう。
(文責 伊勢雅臣)

・朝日新聞Digital「安保法案 学者アンケート」

https://www.asahi.com/topics/word/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E6%B3%95%E6%A1%88%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88.html

・古関彰一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』岩波現代文庫H29

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4006003617/japanontheg01-22/

・塩田潮『日本国憲法を作った男-宰相幣原喜重郎』文春文庫H10

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4022618930/japanontheg01-22/

・鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』角川ソフィア文庫H26

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4044058067/japanontheg01-22/

・西修『日本国憲法はこうして生まれた』中公文庫H12

http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4122036372/japanontheg01-22/

(転載終)

Posted in Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

エドワード・サイエンステッカー

髙橋 眞人氏のFacebookから再び転載を。

【今日の名言】エドワード・サイエンステッカー(米の日本学者、翻訳家)

(戦後、米軍の日本語将校として佐世保に進駐し、復興のためにせっせと働く日本人の姿を見て)この人々は、やがて必ず世界に決して恥ずかしくない国民となるだろう。
ちゃんと日本語を勉強しよう。これは一生涯を懸けて勉強するに値する国だ。

(翻訳に5年の歳月をかけて最後の翻訳書となった親鸞の『なぜ生きる』について)厳粛にして深遠な書である。
現代文学の中で死ぬまで読み続ける作家は、夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成の三人以外に見当たらない。

(日本の昔ながらの美しい風情のある街並みが画一的で殺風景な町へと変わる様を観察して)日本という国ほど、自然をひどく壊している国はまず外にないと言わなければならないと思います。
(日本人について)知人に対しては細やかな礼を尽くすその同じ人物が、 電車では空席が十分ありそうな場合でも、躍起になって荒々しく人々を掻き分け、席を確保しようとしている。
(花見会場で)桜の木の下の信じがたい多量のごみを目にしたことのある者なら、日本人は自分で出したごみが後から花見に来る人々の感受性に与える効果にまったく無関心であることを知るだろう。

私にとって、日本語は外国語ではない。

※8月26日はサイエンステッカーの命日(2007年)です。戦後、日本文化に傾倒し、日本文学の英訳を通じて日本文化を広く世界に紹介しました。源氏物語、樋口一葉、永井荷風、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などの作品の翻訳や、永井荷風の伝記、東京を描いたエッセイなどを残し、川端がノーベル文学賞を受賞できたのも彼の素晴らしい英訳が大きいといわれます。

(転載終)

Posted in Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

稲盛 和夫氏の名言

髙橋 眞人氏のFacebook投稿からの転載。

【今日の名言】稲盛 和夫(京セラ・KDDI創業者、日本航空名誉会長)

誰もが、宇宙のため地球のために必要だから生まれてきた。世のため人のためにあなたの存在が必要だった。従って世のため人のために尽くすのが人生の目的なんだ。
才能を自分のものにするのは、神の摂理に反する。与えられた才能は社会の為に使わなければならない。才能を私物化してはいけない。
すべて人生は心に描いた通りになる。どのような厳しい状況に置かれようと、否定的なことを心に浮かべるべきではない。まじめに前向きに努力していけば決して悪いことがあろうはずがないと確信して、常に堂々と明るく進まなければならない。

「素直な心」「熱意」「努力」といった言葉は、あまりに素朴で原始的であるため、誰も気に留めない。しかし、そういう単純な原理こそが人生を決めていくポイントなのだ。
常に明るさを失わず努力する人には、神はちゃんと未来を準備してくれる。
自分の運命は自分で管理しろ。でないと、あなたは誰かに自分の運命を決められてしまう。

「誰にも負けない努力」を続けない限り、大きな成果は期待できない。
人生とはその「今日一日」の積み重ね、「いま」の連続にほかならない。
人間の進歩は、素直であるかないかで決まる。自分の非を認めて学ぶ「素直な心」がないと人間の進歩はない。

もうダメだというときが仕事の始まり。
他人に良かれと動き、仲間のために汗をかくとき、売上は爆発的に伸びる。
世の中に失敗はない。チャレンジしているうちは、失敗はない。諦めた時が失敗である。現在の能力でできる、できないを判断してしまっては、新しいことや困難なことはいつまでたってもやり遂げられない。

経営とは、人として正しい生き方を貫くこと。
不運なら、運不運を忘れるほど、仕事に熱中してみよ。
会社に「不燃性」の人は要らない。勝手に燃えてくれる「自燃性」であってほしい。少なくとも私が近づくと燃える「可燃性」でなければならない。
状況の奴隷になってしまうと、状況が悪いことを理解し、自分の夢が非現実的であったという結論を出すだけになってしまう。だが、強い願望を持っている人は、問題を解決するために創意工夫と努力を始め、目的に到達するまで決してあきらめない。

20代や30代のときには、どんなことでもいいからとことん突き詰めて究めることが大切。一つのことに精魂を打ち込み、どんなことでもいいから確信となる何かを得ることです。
JALの再建で、私はあらゆる機会を通じて教育に全力を尽くしました。それが功を奏し、全社員が経営者意識を持って仕事に取り組んでいます。「リーダーが私利私欲に走らず、利他の心で判断すること。要は人間として正しくあることを、経営でも考えなくてはいけませんよ」と話すことから始めました。

両親にも日本人としての美徳や価値観が薄らいできている可能性があります。世界に誇れる日本であり続けるには、やはり親御さんの教育というか、親にしっかりしてもらうことが大事だと思います。

商売の極意とはお客様の尊敬を得ること。売る側に高い道徳観や人徳があれば、たとえ他の会社が安い価格を提示しても買って下さる。
すべての判断の基準を「人間として何が正しいか」ということに置く。経営における判断は、世間でいう筋の通ったもの、つまり「原理原則」に基づいたものでなければならない。常々、利己ではなく「利他」が重要だといっています。

できない理由を並べ立てる人がいる。これでは新しい事業を達成することはできない。何もないことを前提として、目標を達成するために必要な人材や設備、技術をどう調達するかを考えなくてはならない。どんな仕事でも喜んで引き受けてほしい。やりたくない仕事も、意に沿わない仕事も、あなたを磨き強くする力を秘めているからだ。
一つのことに打ち込み、それを究めることによって、人生の真理を見出し、森羅万象を理解することができる。

今の日本はあまりにも平穏で、安逸をむさぼっている。もうちょっと根性入れて仕事をせんかと思う。些細なことでも社会に貢献したらどうですか、と言いたいですね。
人々を幸福にすることを働く目的にしている限り、現状に満足することはありえない。「世のため人のためになること」を成すのが、人間として最高の行為であり、自分の人生はそのためにあるのだと信じて生きてきたつもりです。それが私のいう「大義」です。事業の展開を図るときも、つねにこれをベースにして考えてきましたので、大義は私にとって非常に大切な言葉です。

日本は今後、少子高齢化が進んで人口が減少していきます。そういう中で、これまでのような経済発展を求めるのは非常に難しくなると思うんです。そんな中でも日本が未来に残さないとならんものというのは、日本人の美徳といいますか、親切心やおもてなしの心、礼儀正しさといった人間性です。

動機善なりや、私心なかりしか(動機が善であり、私心がなければ、結果は問う必要がない、必ず成功する)。
経営に権謀術数は一切不要。

※8月24日は稲盛和夫氏の命日(2022年)

(転載終)

Posted in Japanese culture, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment

庄司紗矢香さんへのインタビュー

(https://www.japanarts.co.jp/news/p8701/)

2024年8月23日
【インタビュー】庄司紗矢香

唯一無二の芸術性が世界中で評価されているヴァイオリンの庄司紗矢香。近年、美術や舞踏の第一人者とのコラボで芸術の新境地を切り開く姿も注目されています。10月来日のアラン・アルティノグル指揮フランクフルト放送交響楽団とはブラームスの協奏曲で共演!インタビューでは、ブラームスの内省的な静けさ、爆発的なエネルギーなどについて語っています。

2024年1月にフランクフルト放送交響楽団と現地で共演しています。共演はいかがでしたか?

「恐らく現在世界最高峰のオーケストラ」と音楽仲間から聞いていた通り、素晴らしいオーケストラでした。初めての共演でシューマンの協奏曲を依頼していただき、とても光栄でした。また日本ツアーもご一緒できると決まり、とても嬉しいです。

オペラの指揮者としても大活躍のアラン・アルティノグルさんとの共演は初めてでしょうか。どのような共演になると期待していますか?

インタビューで「言葉とルバート*のつながり」に関してお話しされていたのが印象的でした。私自身、言葉と音楽は切り離せないものだと思っています。またルバートは最も重要なエレメントの一つです。時々ブラームスやシュトラウスの歌曲をヴァイオリンで弾いてみることがありますが、それは作曲家の音楽と、言葉の響き、色、長さ、意味や抑揚などを、いかに音に込められるかを試みるためです。

*テンポを揺らす演奏表現

ブラームスはお好きですか?ブラームスのヴァイオリン協奏曲の魅力について、お聞かせください。

ブラームスとシューマンは異なった性質ながら、私が一番近く感じる二人の作曲家です。内省的な静けさと動揺、大地へ響く爆発的なエネルギーを持っています。ブラームスの協奏曲は長年弾いていますが、近年はブラームスの生徒達の証言や録音からインスピレーションを得ています。ルバートや流動性、不均等な音の長さ(イネガル)は特筆すべきです。また直筆のスコアからは、ヨアヒム*の直しが入る以前、ブラームスがピアニスト的な視点から楽譜を書いている(音楽を感じている)ことがよくわかります。ヨアヒムの直しは最もなのですが、彼は常にヴァイオリニスト的視点から決めているので、時として大切なブラームスのフレージングを不必要に変えてしまっている箇所もあります。何処までがヨアヒムの意見に合意であり何処まで反対かは個人それぞれだと思いますが、私はブラームスにできる限り寄り添う形で私なりの結論を出して取り組み直しています。

*ヨーゼフ・ヨアヒム ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演ヴァイオリニスト

美術や舞踏の第一人者とのコラボも多く、芸術の新境地を切り開いていらっしゃる姿も注目されています。異なる分野の芸術家たちとのコラボに、どのような影響を受けますか?音楽にも影響は大きいでしょうか。

2007年からシンエステジア(共感覚)というプロジェクトをコツコツと続けています。私は元々純音楽が何より大好きですが、音楽は芸術の一部であり、他の美的感覚(社会)を知らずに音楽のみ切り離すことはできないと考えます。ベートーヴェンの音楽は万人に理解されますが、演奏家としてはゲーテやシェークスピアの世界に全く共感せずにベートーヴェンの世界を「表現」することは難しいと思うのです。別の例えで言えば、現代社会に共感せずしてラップやヒップホップを作曲/表現するのは困難でしょう。私が、音楽が芸術の一部であると言うのは、その意味です。音楽のためにコラボが必要であるとは思っていませんし、表面的なコラボに何かしらの意義があるとは考えていません。勅使川原三郎氏と杉本博司氏のお二方とは長年コラボさせていただいていますが、それは深いところで共鳴する感受性と分かち合う哲学が背景にあるからです。シネステジアを始める際、多様なジャンルの芸術家のやり取りがもっとあってもよいのではないかという考えが根底にありました。別のジャンルの芸術家と一丸となって、エンターテイメントとは異なる「芸術」としての音楽は何なのか?を問いかけるエキサイティングな挑戦なのです。

これからの抱負をお聞かせください。

まだ弾いていなくて勉強したい曲はありますが、近年は私にとって本当に大切に感じるレパートリーを深めていくことを目標にしています。今後も音楽職人として一つ一つの演奏会へ全精神を注いでいければと思っています。

日本のファンへのメッセージをお願いいたします。

日本にはコロナ以後、帰る機会が少なくなってしまいましたが、やっとまた帰国できることが楽しみです。フランクフルト放送響は本当に素晴らしいのでお楽しみに!

取材:ジャパン・アーツ

(2024年8月24日転載終)

Posted in Shoji Sayaka, Violin, © 2024 by Ikuko Tsunashima-Miyake | Leave a comment