大学について再考する

私が今回の大学院合格を喜んでいる理由は、私的には主人の精一杯の生涯に報いたいという動機からだが、第一義的には、長年、お世話になった多くの病院や医院のお医者さん方や看護師さん達、薬剤師や介護職の方々、救急隊員や警察署員への返礼からである。若年性神経難病のお仲間にとって、ほんの少しでも私共の経験が参考になり、日常の療養生活が一歩でも前進するならば、という気持ちが一番である。だが、それ以上に、外的には、平成の大学改革期(2003年)からみるみるうちに浸透した大学の研究環境の悪化に対して、(全員ではないが)放送大学の先生方が明確に異議申し立てをされている姿勢がうかがえたからだ。

昭和十年代生まれの私の両親は新制の四年制大学卒業だが、当時は同世代の一割のみが進学できた、と聞いている。いくら優秀でも勉強したくても、家庭の事情で上の学校に行けないケースは多かった。また、そのような状況を皆が何となく理解して、気を利かせて補い合っていた。進学できた家庭の子弟は、それなりの矜持と国や社会のために尽くす、という奉仕精神がまだ残っていた。それが昭和時代だった。五十年代ぐらいまでは、そうだったと記憶する。

それに、親戚付き合いでもご近所付き合いでも、「あそこの家の子は、誰それさんの血を引いているから」「あそこは、昔からああいう家だから」と、お互いに了解していた。違いは違いとして当たり前で、それを「格差」だの「差別」だの、「弱者に寄り添う」だの、余計なことは常識的に却下されていた。大体、お見合い結婚が主流で、仲人さんもいたから、それが世の中の安定に貢献していた。

主人や私の世代は、地ならし金太郎飴で輪切りする共通一次試験(これには私の父方大叔父が大反対して、無駄な抵抗キャンペーンを展開していた)が始まり、同世代の三割が大学に行った。それとて、女子生徒は短大進学の方が幸せな人生を送れる、と言われており、いわゆる偏差値も短大の英文科の方が下手な四年制大学の英文科より高かった。専門学校も、それぞれに機能していたと記憶する。四年制大学を志望するのは、本当にその分野を勉強したい人だった。名古屋のような地方都市では、少なくともそうだった。
家庭の経済的な事情で四年制に行けなかった場合は、まず短大に入ってアルバイトか奨学金で資金をため、一生懸命に勉強していい成績を取り、編入学という方法を取っていた。または、あの頃は夜間大学もあったので、職場の上司や周囲の理解を得て、夕方、勤務の後で大学に向かい、夜二時間ほど講義を聴き、全日制より一年プラスして卒業していった。そういう「いつも眠たげな勤労学生」を、教授陣も精一杯配慮して応援されていた。

私の年齢では、指導教授の勧めだったにもかかわらず、「旧帝国大系の大学院に行くなんて、もう独身覚悟だね」と、平気で言われていた。そのことは過去ブログにも記したので、ここでは繰り返さない。
だからこそ、早く世の中に出て、自力で稼げるようにならなければ申し訳ない、と必死な思いでいた。

ところが、ふと気が付くと、研究会でも学会でも雰囲気がガラリと変わっている。言葉の上では丁寧で、一見礼儀正しそうだが、いかにも思慮の浅そうな、しかも勝ち誇った表情で生意気な発言を平気でする若い女性院生が、急に増えてきたのだ。
竹田恒泰氏の言葉を借りれば、「お前が言うな(おまゆう)」の世界だ。

気になっていたところ、どうやら「女子学生を院生として受け入れた研究室には研究費が下りた」らしい。真偽の程は不明だが、いかにもありそうな話だった。
または、「就職活動に失敗したから、院に来ました」と平気で言う男子学生もあちこちで出現した。つまり、就職できなかった「落伍者」のモラトリアム機関としての受け皿が、大学院になったのである。
「社会に出るのが怖いから、しばらく勉強しながら考えよう」と大学院進学した、引きこもり息子を持つ母親の人生相談も、ラジオで放送されていた。

以前ならば、大学の研究室は少数精鋭で、教授か助教授を囲んで密度の濃い弟子育成のサークル人脈のような雰囲気があった。暗黙の礼儀作法等も、先生の顔をつぶすようなことになってはいけない、と先輩から教えられたり、黙って必死に学び取ったり(当時は「よく見て盗み学ぶ」と言っていた)、ともかく、学問や知の世界に対する憧憬や敬意をおのずと共有していた。だからこそ、人前での発言は重かった。責任を痛感していた。少なくとも、私の周囲では、国文学はそうだった、はずだ。

日本経済の低迷に伴い、大学の「経営」が氷河期を迎え、資金集めに駆り出される教員が本業を全うしにくくなり、学生の質が下がったどころか、学生が教員を「評価」するという逆行が横行した。

インターネットで瞬時に大量の情報が目の前に出てくる時代に、成果重視の競争を煽られたら、精神を病む院生や教員が続出するのもむべなるかな。従来は、有形無形の敷居があった。入試と面接で容赦なくふるい落とし、図書館に入れる条件も厳しく、しかるべき紹介状も必要だったが、その反面、体内時計に沿った行動だったので、精神的には安定感があった。

放送大学の明るい宣伝広告は、いわば制度的に整えられたカルチャーセンターだ。誰でも簡単に「自由に好きな時に勉強できる」なんて、文字通り取る人は、まさかいないでしょうねぇ。
大学といっても、実験や実習もないし、遠隔学生にはメールで指導なんて、本来の大学教育を経た社会人だからこそ許される形態だ。恐らく、博士号(学術)という「資格」も、就職業界では、それなりに暗黙の規定や規制があることだろう。それを充分了解した上で志願している人が通るのだろう。
従って、若い人は、やはり地道にあるべき課程を経るのが筋だ。世の中に出る前の訓練だからだ。
但し、時代の変化に合わせて、各種専門職の「キャリアアップ」用に資格取得を目指して努力できる道が開かれているのは、いい。

(2021年12月27日記)
………………
2024年10月8日追記

(https://www.asahi.com/articles/ASS671VP2S67UTIL00BM.html?oai=ASSB52RL7SB5UTFL01JM&ref=yahoo)
朝日新聞
「もう限界」国立大協会が異例の声明 光熱費と物価の高騰で財務危機
増谷文生
2024年6月7日

全国86の国立大学でつくる国立大学協会の永田恭介会長(筑波大学長)らが7日、記者会見を開き、国立大の財務状況が危機的だとして、「もう限界です」などと国民に予算増額への「理解と協働」を訴える異例の声明を発表した。

 会見で永田会長は「日本の人材を育て、科学技術を発展させることに責務を感じているが、光熱費や物価の高騰で十分な予算を捻出するのがかなり厳しい」と述べた。
 声明は、教職員の人件費や研究費に充てる国からの運営費交付金が減額されたうえ、近年の光熱費や物価の高騰などで実質的に収入が目減りし、各国立大が危機的な財務状況に陥っていると指摘。それでも質の高い教育研究活動を維持・向上しようと自力で収入を増やすなどの努力を続けてきたが、「もう限界です」と訴えている。
 そのうえで、今後も、博士などの高度人材の養成をさらに進め、社会人や女性、外国人など多様な人材を受け入れるなどして、国全体の「知のレベル」を上げ、地域社会とグローバル社会を牽引すると表明。国民に向けて、国立大の危機的な財務状況を改善するために「理解と共感、そして力強い協働をお願いする」と求めている。永田会長は「運営費交付金の増額を(国民に)後押ししてもらいたい」とした。

光熱費・物価高騰で支出増、学費値上げ検討の大学も 

 国大協がこのタイミングで声明を出した背景には、6月中にも閣議決定される政府の「骨太の方針」や、文部科学省による8月の来年度政府予算案の概算要求に、運営費交付金の増額を盛り込むよう訴える狙いがある。また、厳しい財務状況を多くの国民に理解してもらい、中長期的に国立大が安定した予算を確保できるように、世論を喚起することもめざしている。
 運営費交付金は、国立大が法人化された2004年度は国立大全体で1兆2415億円だったが、行財政改革の一環で15年度まで毎年度1%ずつの減額が続いた。20年度以降は横ばいが続いており、24年度は1兆784億円。
 一方、近年は光熱費の高騰で、東大などの大規模大では年数十億円も支出が増加。物価高騰や円安で研究施設・設備の整備費などの負担も増している。このため、東大など一部の国立大では授業料の値上げが検討されている。永田会長は「理由を表明して値上げできる大学は値上げすればよい。国大協としてとやかく言うつもりはない。だが、中長期的には、学生と国が授業料をどのような割合で負担するのか、しっかりと議論する必要がある」と語った。(増谷文生)

(2024年10月8日転載終)

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反全体主義のパイプス親子闘士

以前、ダニエル・パイプス氏のお父上でいらっしゃる故リチャード・パイプス名誉教授の本が4冊しか邦訳されていないとのことで、ご自身で訳文を作り、いずれは出版したいという秋月瑛二氏のブログを見つけ、おもしろく読ませていただいていた時期があった。

パイプス親子先生については、こちらを(https://itunalily.hatenablog.com/archive/category/リチャード・E・パイプス)。リストが4ページにも及ぶので、一覧表は省略(https://itunalily.hatenablog.com/entries/2016/03/16)。

パイプス拙訳については、こちらを(https://ja.danielpipes.org/art/year/all)。

秋月氏のブログについては、こちらを(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=秋月)。

2018-05-27「秋月瑛二氏の江崎道朗氏批判」
2018-05-28「故リチャード・パイプス氏」
2018-05-29「悲しみの中の安堵」
2018-06-16「パピ先生へのオマージュ」
2018-06-23「思想的に通用しなくなった今」
2018-07-09「日本の文系大学の問題点」
2018-07-11「反左派としての疑似保守」
2018-07-13「憂えつつも責任感を持たねば」
2018-07-24「マルクス主義の浸透と蔓延」
2018-07-25「皇族方の真実こそ国史の中軸」
2018-08-06「読書メモというもの」
2018-12-12「日本共産党員のリスト」
2018-12-21「ブログとメモの山は本来不要」

(以上、一覧表終わり)

以前の拙ブログと重複しているかもしれないが、久しぶりに、改めて興味を引かれた箇所の部分抜粋を。

(http://akizukieiji.blog.jp/archives/1003890425.html?ref=popular_article&id=5969708-2946529)

1246/稲田朋美が語る日本の法曹界の「左翼」性。
2014/06/03

・稲田朋美が、伝統と革新(たちばな出版)という雑誌の2013年秋号(9号)で、「自主憲法制定の大切さ」と題して、この雑誌の編集責任者である四宮正貴によるインタビューに答えている。
・<大学の法学部での憲法教育には>「非常に問題がある」、「現行憲法の…根本的な問題点、つまり押し付けられたものであるとか、主権が制限されているときにできたものであって正統性に疑義があるというようなことは、まったく教えないです」。
・「法曹界が非常に左派なのは、”憲法教”という新興宗教が蔓延っているからだ…。法曹界は一般社会以上に、非常に左派、左翼的な人が多いようにも思います。」(p.54)
・日本共産党・社会民主党等の支持を得て今年の東京都知事選挙に立候補した宇都宮健児は、何と正式に日本の弁護士たちによって選挙で選出された日本弁護士連合会(日弁連)の元会長であったことは、記憶に新しい。個別弁護士会や日弁連の執行部にいる「活動家」の中には日本共産党員もいると思われるが、そうでなくとも親日本共産党であること、または少なくとも反日本共産党(反共)ではないこと、は容易に推測できる。
・現在の司法試験に合格するためには、日本になぜ<天皇制度>が長く続いてきたか等の日本に固有の歴史問題や日本を他国から防衛するためにはどうすればよいか等の国防・安全保障問題などに関する知識はゼロであってもかまわない。従って、象徴天皇制度についてすら、「世襲」制は平等原則と矛盾して合理的でないと潜在的には意識しているような暗黙の<共和制>支持者の方が、法曹界には多いように見える。
・憲法教育は大学の憲法担当の教授たち(憲法学者)が担っていて、かつ彼らが例えば高校の日本国憲法に関する記述を含む現代社会や政治経済の教科書を書いているのだから、日本国憲法を真面目に学べば学ぶほど高校生も大学生(法学部生)も<左傾>していくことになっている。
・司法試験に合格するような優等生こそが、真面目に勉強して<左翼>として巣立っていくのだ。
・法曹界に限らず、外務省を含む上級国家公務員についてもある程度は言えるかもしれない。
・朝日新聞社説は何と<憲法は国家を縛り、法律は国民を縛る、ベクトルが違う>という珍論を吐いたのだったが、単純素朴な(立憲主義なるものについての)憲法観・法律観も、法学部出身者であるならば、大学における憲法・法学教育の(日本国憲法の制定経緯・背景をまるで教えないような)影響を受けているのだろう。
・弁護士・伊藤真もいる。護憲・「左翼」の憲法学者には、青井三帆や木村草太などの社会的にも名前を出してきた若手もいる。

(http://akizukieiji.blog.jp/archives/1540581.html?ref=popular_article&id=5969708-2946529)

0134/「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」。日教組を指導した学者は誰か。
2007/05/11

・大和撫吉・日狂組の教室(晋遊舎、2007.06)は簡単に読了。
・八木秀次の論稿を読んで改めて感じたのは、教育行政にとっての村山富市社会党首班内閣誕生の犯罪的な役割だ(p.158あたり参照)。
・「大学の教育学部は左翼の巣窟でもある」(p.160)。
・新潟大学教育人間科学部の世取山某は全くの例外ではないのだ。やれやれ。日本史学(+西洋史学)、政治学、社会学、法学の中のとくに憲法学、経済学の一部、の辺りが「左翼の巣窟」と思っていたが、「教育学」もそうだとは私には盲点?だった。
・戦後、日教組を「理論武装」させ、指導し、唆した、多くは大学に在籍したと思われる、教育学、歴史学、法学、経済学等々の専門をもつ、マルクス主義者たち、又は社会主義者たちだ。時代によって変わっている筈だが、大内兵衛などは戦後すぐに労働組合運動全体を「指導」したに違いない。
・現在でも、日教組系と全教系に分かれているかもしれないが、多くの大学教員又は「知識人」と称される者が教員の「反社会的」あるいは「歪んだ教育」運動を指導し、嗾しているのではないか。
・講和問題・安保問題で、「平和問題談話会」に集った知識人・文化人たちが大きな役割を果たした。
・日本を悪くしてきているのは、かなりの部分、大学の「学者」様ではないか。肩書などに欺されてはいけない。

(http://akizukieiji.blog.jp/archives/1072880295.html?ref=popular_article&id=5969708-2946529)

1869/宮地健一HPによる日本共産党の異様性・稀少性。
2018/11/10

・コミンテルン型共産主義運動の現状-ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り→1/ヨーロッパの発達した資本主義国における転換・終焉の3段階・2/ヨーロッパ各国・各党の終焉の経過と現状→3)/発達した資本主義国での運動…ユーロ・コミュニズムといわれた諸党
・「レーニン型前衛党」の要素として、①プロレタリア独裁理論、②民主主義的中央集権制、③前衛党概念、④「マルクス・レーニン主義」、⑤政党名=「共産党」を挙げ、ヨーロッパ各国および日本と<社会主義4国(中国・北朝鮮・ベトナム・キューバ)>の各<共産党>がどのように維持したり、放棄等をしたりしているのかの「現状」を示している。
・日本(日本共産党)をすでに比べてみると、日本と同じなのはフランスとポルトガルだけ。
・「マルクス・レーニン主義」の堅持状況は、1.イタリア-放棄、2.スペイン-放棄、3.フランス-1994年に放棄、4.ポルトガル-堅持。
・日本(日本共産党)は「訳語変更堅持」だとする。これは、「科学的社会主義」という語・概念への言い換えのことを意味するとみられる。
・プロレタリアート独裁理論については、1.イタリア-1976年放棄、2.スペイン-1970年代前半放棄、3.フランス-1976年放棄、4.ポルトガル-1974年放棄。ここで、初めて、日本とポルトガルの違いが出てくる。
・「資本主義諸国において、残存するレーニン型前衛党は、2党だけになってしまった。
 ただ、ポルトガル共産党は、1974年12月、ヨーロッパ諸党の中で一番早く、プロレタリア独裁理論は誤りだとして、放棄宣言をした。よって、5つの基準・原理のすべてを、『訳語変更、略語方式、隠蔽方式』にせよ、堅持しているのは、世界で日本共産党ただ一つとなっている。」
・「21世紀の資本主義世界で、いったい、なぜ、日本共産党という一党だけが、レーニン型前衛党の5基準・原理を保持しつつ残存しえているのか。」 
・日本には<左翼>または<容共>者が欧米各国に比べて異様に多いということの根本的な原因を、この日本共産党という独特の政党・政治組織の存在に求めることは誤りではない、と考えられる。
・朝日新聞社等々の「左翼」メディアがあり、また、立憲民主党等の「左翼」政党がある。岩波書店(・日本評論社法学系)等の「左翼」出版社もある。立憲民主党はともあれ、朝日新聞社、岩波書店等々の中には、当然のごとく日本共産党員もいる。
・日本共産党の路線が<先ず民主主義革命>であるために、「民主主義」という旗印(これに近いのが「平和」・「護憲」)を支持して日本共産党の周囲に、ある程度の範囲の者たちが集まってくる(そして入党勧誘の候補者になる者もいる)ということになる。
・英語等の外国語による世界の情報が十分に正確には入っていない
・外国語情報の流入は意図的に阻止されていることがある、と考えられる。
・リチャード・パイプスの二著の邦訳書がいまだに日本に存在していないのは、その顕著な例だろう(一方で、欧米の若手<親マルクス主義系>研究者の本が簡単に邦訳されたりしている)。

(http://akizukieiji.blog.jp/archives/1079733162.html?ref=popular_article&id=5969708-2946529)

2430/左翼人士-民科法律部会役員名簿・第26期(2020年11月~2023年10月)等。
2021/10/2913:00

一 役員
理事長/三成美保(奈良女子大学)
副理事長/小沢隆一(東京慈恵医科大学)、豊島明子(南山大学)、本多滝夫(龍谷大学)
全国事務局事務局長/清水雅彦(日本体育大学)
理事(50名、50音順)/愛敬浩二(名古屋大学)、安達光治(立命館大学)、飯孝行(専修大学)、板倉美奈子(静岡大学)、大河内美紀(名古屋大学)、大沢光(青山学院大学)、岡田順子(神戸大学)、岡田正則(早稲田大学)、緒方桂子(南山大学)、小川祐之(常葉大学)、奥野恒久(龍谷大学)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学)、金澤真理(大阪市立大学)、神戸秀彦(関西学院大学)、桐山孝信(大阪市立大学)、胡澤能生(早稲田大学)、近藤充代(日本福祉大学)、榊原秀訓(南山大学)、佐藤岩夫(東京大学)、篠田優(北星学園大学)、清水雅彦(日本体育大学)、白藤博行(専修大学)、新屋達之(福岡大学)、清水静(愛媛大学)、鈴木賢(明治大学)、高田清恵(琉球大学)、高橋満彦(富山大学)、只野雅人(一橋大学)、立石直子(岐阜大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、徳田博人(琉球大学)、豊崎七絵(九州大学)、豊島明子(南山大学)、中坂恵美子(中央大学)、永山茂樹(東海大学)、長谷河亜希子(弘前大学)、張洋介(関西学院大学)、人見剛(早稲田大学)、本多滝夫(龍谷大学)、増田栄作(広島修道大学)、松岡久和(京都大学)、松宮孝明(立命館大学)、三島聡(大阪市立大学)、水谷規男(大阪大学)、三成美保(奈良女子大学)、村田尚紀(関西大学)、本秀紀(名古屋大学)、矢野昌浩(名古屋大学)、山下竜一(北海道大学)、山田希(立命館大学)、吉村良一(立命館大学)、和田真一(立命館大学)、亘理格(中央大学)。
監事(4名) 今村与一(横浜国立大学)、川崎英明(元関西学院大学)、小森田秋夫(神奈川大学)、三成賢治(大阪大学)

二 上記以外で会員であることが明らかな者〈学会・研究会報告者、機関誌執筆者・機関誌編集委員)。
前田達男(金沢大学)、山形英郎(名古屋大学)、河上暁弘(広島市立大学)、太田直史(龍谷大学)、市橋克哉(名古屋経済大学)、岡田知弘(京都橘大学)、稲正樹(元国際基督教大学)、木下智史(関西大学)、秋田真志(弁護士)、大島和夫(神戸市外国語大学)、渡邊弘(鹿児島大学)、松井芳郎(元名古屋大学)、渡名喜庸安(琉球大学)、奥野恒久(龍谷大学)、中村浩璽(大阪経済法科大学)、根本到(大阪市立大学)。

出所-同会機関誌『法の科学』の末尾(日本評論社刊)。

参考
一 理事と監事を合わせて、2名以上が選任されている大学。
国立/名古屋大学4、大阪大学2、琉球大学2
公立/大阪市立大学3
私立/立命館4、早稲田3、関西学院2、専修2、中央2、南山2、龍谷2。

二 稲子恒夫(1927〜2011)、長谷川正安(1923〜2009)、室井力(1930〜2006)。

・故人で、かつて名古屋大学教授だった。専門科目はそれぞれ、社会主義法またはソヴィエト法、憲法、行政法。
・少なくとも在職中はれっきととしたかつ著名な日本共産党員で、当然に民科法律部会の会員だった。
・稲子恒夫は、1969年の時点で日本共産党名古屋大学教職員支部の支部長で、自宅で会議を開催したりして、「全共闘」派に対する日本共産党名古屋大学「総支部」?の判断等を決定していた。事実上、当該大学の学生・大学院生支部をも拘束した、と見られる(400人の党員学生、1000人の民青同盟員が当時いた、という)。
・ソ連が解体した1991年12月以降に、名古屋大学の同僚だった水田洋(文学部)に「私のロシア革命・レーニン認識は根本的に間違っていた」と告白した、という。名古屋大学退職は1990年。
・すみやかに日本共産党を離れ、ソ連の新しい資料も豊富に用いて、総計1100頁に近い、実質的に単独編著の『ロシアの20世紀』(東洋書店、2007)を刊行した。死の4年前、80歳の年。レーニンに対しても、明確に批判的だ(客観的資史料によるとそうならざるをえないとも言える)。
・民科=民主主義科学者協会は「民主主義」で結集しているので、自由にロシア革命について考えてよいとも言える。しかし、日本共産党員でもある同会員は、日本共産党に固有のロシア革命観があるので、そうもいかない(はずだ)。少なくとも名古屋大学関係党員には、上の稲子著は必携、必読であるべきだろう。
・憲法・長谷川正安、行政法・室井力を両トップおする<名古屋大学公法部門>には、他の大学には見られない特徴があった。すなわち、民科法律部会会員の数の多さだ。
・機関誌『法の科学』の最新号でも、松井芳郎(国際法、名古屋大学名誉教授)が森英樹(2020年死亡。憲法・元名古屋大学)への追悼文のなかで、「名大公法」という語を何度か使っている。
 1990年から30年以上、2000年から20年以上経つ。大学生時代から共産党員だった者も中にはいるかもしれないが、指導教授—大学院生という指導・被指導、就職の世話をする・受ける等々の人的関係・人間関係のつながりは、今日でもなお、健在のようだ。
・<名古屋大学公法部門>出身者・関係者だと推定される。順不同。
本多滝夫(龍谷大学)、愛敬浩二(名古屋大学)、大河内美紀(名古屋大学)、市橋克哉(名古屋経済大学)、榊原秀訓(南山大学)、渡名喜庸安(琉球大学)、本秀紀(名古屋大学)、緒方桂子(南山大学)、矢野昌浩(名古屋大学)、山形英郎(名古屋大学)、豊島明子(南山大学)、松井芳郎。
・12名。他に、少なくともかつて、鮎京正訓もいた。鮎京正訓はベトナム法研究者。市橋克哉もソ連解体前はソ連の行政(法)制度の研究をしていた。
 
(部分抜粋転載終)

…………
名古屋大学は亡父と妹と私の母校だが、学部はそれぞれ異なる。上記のリストに知り合いの名前は一切含まれていないが、私自身が経験してきた過去を振り返ると、昨今の大学動向の把握は可能で、その問題点も充分首肯できる。ノーベル賞受賞者の人数は、この際、関係ない。
「幼稚園みたいな大学」「卒業生に附属図書館を使わせないなんて、とんでもない大学」だと、私はこれまで公にも言及してきた。その背景は、ここにある。
私が出た院の専攻は、既に名称が変更されて消えているが、しばらく前まで送られてきていた紀要のような論文集は、日本人投稿者ゼロ。中国人か韓国人の留学生ばかりが日本語で論文を掲載していた。
日本人卒業生は、バカらしくてやっていられない。国立ならば、日本国民の税金で成り立っている大学だから、まずは、日本国籍の日本人学生こそ中心軸に据えるべきである。
留学生なんて、日本語ができても、何を目的として日本に来ているか、わかったもんじゃない。日本国籍取得目的の結婚動機、移民知的労働、潜在的なスパイ工作員の可能性は、充分警戒すべきである。門戸を安易に開くべきではない。

2012年3月に、私がダニエル・パイプス先生から依頼されて翻訳を始めた頃、日本語のウェブサイトの意見文やコメント欄は、リベラル左派全盛だった。ところが、いつの間にか、「私は保守派」を名乗るブロガーやツィッター投稿者が急に増えた。また、いきなり「イスラエル・シンパ(親イスラエル派)」や「ユダヤ人の友達」を称する市井の人々が現れ始めた。今振り返ると何だか滑稽だったのは、日本人の「クリスチャン」を名乗る一連の人々だった。「置換神学」か何かよく理解できなかったが、いかにも尤もらしく、自分達こそが日本国内ではイスラエルを最も身近に理解している、と言いたげだった。それが己の「救済」にも結び付くらしいので、何でも「イスラエルを見習え」とばかりに、必死のようだった。(もちろん、イスラエルでもアメリカでも、ユダヤ教徒の人々は先手を打って、この動向には対策を講じていた。)

安易な転向は怪しく、危うげだ。一定期間以上の時間こそが、本物かどうかの見分け基準になる。

実は、左翼も右翼も根っこは同じ。全体主義で、己とは異なる立場を冷たく断罪し、勝手に処分していく傾向にある。
パイプス親子先生、特にご長男氏と私は、見解が違い、折り合えない面がある。何度話し合っても、受け入れない。それは、そもそも国籍と民族史が異なるからだ。
だが、お二方からご教示を受け、教えられて明快になったことは数えきれない。
要するに、旧ソ連であれ、ロシアであれ、東欧共産圏であれ、中東イスラムであれ、全体主義に対する闘士なのが、パイプス親子先生なのだ。

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再び個人情報-保護か削除か?

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

フェイスブックに何年間も掲載したままだった私の写真二枚が、いつの間にか消えていました。
アマゾンに書いた私のコメント追記も、誰かが削除していました。
ツィッターも一つ、黙って消されていました。
いずれも、勝手に「個人情報」を消さないでほしい!
写真は私のアメリカでのリサーチ証拠なので、是非とも復元を!

数年間、掲載したままだった二枚の写真が、いつの間にか削除されていました。私は一切操作しておりません。
大切な思い出と証拠なので、即座に復旧をお願いいたします。

(2021年12月26日転載)

2021年12月27日追記

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

・ご教示ありがとうございます。なので、不細工でも、お金を払っている自分用のホームページに、ツィッターやフェイスブックを転写しております。が、写真はほかの人からのコメント付きなので、どうしたものか…..。しかも、突然、理由不明のまま削除、なんですよね。腹立ちます。

・そんな暇人風のおバカ行動はしません。あしからず。

・以前から繰り返しているように、そういう事態を見込んで、最初から自分用に保存はしてあります。それよりも、人の「情報」を勝手に操作するなってことです。だから、今こそクンデラ再読を。

・英語圏の友人知人から、日本よりずっと前にfacebookやtwitterの苦情を聞いていました。こちらも、意図があってわざわざ掲載していることなので、遠慮会釈なく勝手に意図を無視するな、ということです

(2021年12月27日転載)
……..

腹立たしいのは、しばらく多忙のためにご無沙汰していると、「個人情報」が勝手に操作されて、閉鎖になったり消去されたりしていること。
しばらく前、私のパイプス拙訳が、検索にかけると、変な広告につながって画面が出てこない事態がずっと続いていた。または、私が訳したのに、偏屈で奇妙な中国語が並んでいたりもした。
もちろん、大元締めはイスラエルの最新版で保護されているはずなのだが、日本側が甘いのだろう。
だからこそ、デジタル化の叫びに応答して、私はアナログとの併用を唱えている。効率一点張りではなく、デジタルは無駄な時間浪費と神経の苛立ちが多過ぎるのだ。

アマゾンでコメントを削除した人には、赤恥を。実は、初めから想定して、紙媒体に印刷しておいたのだ。日付入り。

戸籍謄本でも、どんどん簡略化して、一緒に同じ親から生まれて同じ家で育った兄弟姉妹でさえ、閲覧不可になっている。直系家族のみ閲覧取得可能、となっているが、もし災害や事故で該当者が全員死亡、という場合はどうするのだろうか?

その一方で、弁護士等の第三者は、お金を取って堂々と閲覧可能だ。
第三者に、一体全体、何がわかるというのだろうか?

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放送大学大学院と電子カルテの話

放送大学大学院の第三期目の科目履修は、中間成績が4科目とも合格印。つまり、1月の単位認定試験の受験資格がある、ということ。なんだかわくわくします!初めて鉛筆を握って字を書き始めた子供のように、にこにこマーク。
これに加えてオンライン科目が2科目あるが、レポートが4つ残っている。

昨年10月から、半年に6科目ずつ関連科目を受講して、必要な単位を少しずつ揃えてきた。全く新しい分野なので、さまざまな手続きを進めつつ、時には街歩き文化財巡りや博物館のボランティアや座学や講演会等で気分転換と社会参画を図りつつ、暇を見ては勉強を続けてきた。今年の7月には、自宅のパソコンが壊れていたので、学習センターに電話をして事情を話し、電車で2日間通って、オンライン2科目に関して計6本のレポートを入力送信した。事務の方が非常に親切で、間に合ったかどうかまで心配してくださったが、「成績はともかくとして、提出はギリギリ間に合いました!」と返答。成績表は、全部優(実際にはアルファベット基準)で合格だった。ありがとうございます!

今日は、結婚以来21年以上暮らしてきた町で夫婦ともどもお世話になった歯科医の先生に、お電話。私の歯は、年に一度の町内の歯科検診のみで済み、いつも先生にはその後のチェック程度で褒められていた。主人の方は、結婚当時は虫歯がなかったのだが、だんだん手が動かしにくくなり、虫歯が増えていき、先生の頻繁な治療を。でも、自宅の敷地内にあり、歩いて5分もかからない安全安心な場所だったため、本当にありがたかった。

電話の内容は、もちろん、電子カルテ。今暮らしている市は1年未満の受診だったため、来週明けにもカルテを取りにうかがえるが、この町のカルテは、先生が開業して以来引っ越すまでの年数なので、相当な量になる。でも、受付の女性が私が名前を名乗ると嬉しそうに応対してくださり、「カルテは残っています」と、院長先生にすぐ代わってくださったのは、居住地内での人の繋がりと年数の大切さを感じさせる瞬間だった。

カルテ入手の理由を伝えると、「がんばってはるわ~」と。但し、準備するのに時間がかかるため、来年1月の下旬の休診日の午前中、うかがうことになった。

この先生にも、本当に助けられた。親御さんが認知症になられたそうだが、歯科医だと、最初はよくわからなかったらしい。そのこともあり、いつでも「奥さんの方が大変なんですよ」と励ましてくださっていた。転居前の御挨拶に夫婦でクリニックを訪れたところ、突然だったのに、幸いなことに患者さんが誰もいなくて、ちょうど休息中だったのも、今から思えば不思議な成り行きであった。

………………………
閑話休題。

今後の予定としては…..

1.コロナ感染症問題に関しては、ワクチン接種三回目の話があるぐらいなので、あと二、三年程度は現状維持の我慢状態だろう。その間に、オンラインで勉強できるものは勉強し、Web資格試験を自宅で受験する方式に慣れていかなければならない。私の場合、神社検定と茶道文化検定の一級上になる。そして、従来通りの京都文化検定だ。

(2021年12月30日後記:気がついたら、三つとも全部「二級」検定で、趣味の割にはなかなか手強い。でも、基本的かつ全般的な知識のベースを作るにはもってこいだ。いくら茶道の許状をある程度持っていても、京都には数えきれない程行っていても、知らないことは今なお数限りなくある。)

2.主人と私の各ルーツ巡りと歴史勉強も順調に進んでいるので、このまま無理なく定期的に続けていく所存。鍵はお墓参りだ。

(2021年12月31日後記:伊丹の酒造文化のおかげで、35年前の学部時代の近世文学の授業がようやく意味を成すようになった上、母方祖母の実家つまり私の母方曾祖父母の家業の意味も理解できるようになってきた。主人の方は、同居の父方祖母のご実家が岡山大学のデジタル化した古文書に何度か出てくる。また、母方祖父母の家については、筆で書かれた桐箱入りの過去帳と家系図一式を写真に撮らせていただいたので、これまた楽しい限り。藤原北家の流れを汲むらしく、伊丹とも関係ありそうか?不思議なご縁である。)

3.来年4月からは、晴れて放送大学大学院の論文作成に向けての勉強が始まる。第二の結婚生活だといえよう。

4.三十年来のマレーシア関連の研究リサーチ・テーマは、気分転換を兼ねて、上記3と交互に続けていく予定。こちらは資料整理が大変だが、三年前までは学会や研究会での口頭発表も継続してきたので、今後は論文にまとめていく作業が中心になる。

5.パイプス訳文は了解を得て休業中だが、パイプス氏とは時折、質問事項等で連絡を取ってはいる。中東フォーラムも昨今ではすっかり落ち着き、それこそメディア上の激しい誹謗中傷は下火になったが、一神教を巡るイスラム問題は、今も根深く健在。さらに、パイプス旅団で知り合った人達とも、さまざまな形で交流が続いており、今後も大切にしていきたい。もちろん、パピ先生ことリチャード・パイプス名誉教授に関しても、以前から資料が集めてあるので、何とか公表できるようにしたい。

6.伊丹に暮らして三年以上が過ぎた。この地は文化活動が活発で、顔見知りがすぐにでき、大変にありがたい。恩返しとして、お掃除ボランティアや博物館友の会の活動も前向きに取り組んでいきたい。

7.趣味としては、クラシック音楽鑑賞の継続。自宅にあるCDを毎日一枚ずつ復習のように聴き続けているが、記憶や感情が蘇ってくるプロセスが楽しい。また、簡単に作れる家庭料理のレシピを増やせるといいな。私の場合、経済的で健康的で栄養バランスの取れた薬膳風になってしまうが。

来年が楽しみ!
………………….
2021年12月25日追記

ただ今、放送大学の公式サイトを閲覧して、今回の修士課程の選考結果を見つけた。

https://www.ouj.ac.jp/hp/nyugaku/gakuin/outline.html

「2022年度大学院修士全科生入学者選考結果」によると、私の希望する「生活健康科学」プログラムは、募集人数が90名程度だったのに対して、出願者が78名と定員割れだったのに、最終合格者は40名で、倍率は1.95。
他のプログラムも総合すると、全体として募集人数が500名に対して、出願者数は722名と超過しており、最終合格者の合計が277名で、倍率は2.61。
選考内容は、第1次選考(筆記試験)が英語と専門科目で比率は50:50。第2次選考(面接試問)は一人15分程度で、二人の面接試験官(うち一人は希望する指導教授)。この1次と2次の比率は50:50。

私は、書類選考で振り分けされた後、筆記試験の通知が来て、それに合格すれば面接試験にいくのだと考えていたが、筆記試験の結果がギリギリの場合、面接してみなければ意欲や達成能力の可否がわからない、という受験生も含まれていたのかもしれない。

いずれにせよ、「誰でも好きな時間に学びたいものを学べます」という明るいうたい文句とは裏腹に、大学院の場合は「勉強」ではなく「研究」なので、それほど甘くはない、という証左でもある。
他人との比較で競争心を煽られる若い頃とは違い、まず経験が先にあり、自ら選び取った必然性の高い目的志向の明確なテーマなので、非常にやりやすい。
フェイスブックでもツィッターでも、予想以上に多くの方々から応援をいただいた。
ますます意欲に燃えています!ありがとうございます。

……………………
2021年12月26日追記

上記の7の次に。

8. 健康管理について。
毎朝の血圧、体温、体重測定を記録。一日の万歩計数値も記録。三ヶ月に一度の眼科検診で、眼圧と視力検査と内視。半年に一度の献血と歯科検診。年に一度の市立病院での40歳以上の市民向け特定健康診断つまりメタボ健診その他。普段はなるべく徒歩か自転車での移動。毎朝の目覚めのヨーガと正午か午後三時のラジオ体操。できれば、近くの池の一周散歩を週に何度か。これで、心身の健康は維持できそう。

毎朝の特製オリジナル「こもジュース」は、ここ数年ずっと継続している。レシピは、過去の「はてなブログ」(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160316)
(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170703)(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20171023)を検索のこと。

以 上

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ツィッターからのまとめ転載

年末が近づき、今年を振り返る一つとして….

ツィッター記録(2021年9月2日作成)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430118978513346561)
Lily2@ituna4011
履歴書を見直してみて、我ながらびっくりした。 私はかつて大学の教壇に立って、試験をし、単位を与えていた立場だった! 3年前までは、毎年、学会発表もしていたんだ! なのに、主人の病気が進行していくと、なぜか私まで、 あーあ、パーキンソンの人は、ずれた方向に突進していくからねぇ。
7:45 PM · Aug 24, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430120500357787660)
Lily2@ituna4011
と、患者会の役員さんからも言われてしまう。 13回も定期的に献血をしてきたのに、なぜか、私まで準病人扱いに。 これからは、ゆっくり楽しく生きればいいのに、また大学なんて、頭変じゃない? と、言われたのだ。 論文では、こういう若年性神経難病患者の家族の問題を追求してみたい。
7:51 PM · Aug 24, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430466221523144711)
Lily2@ituna4011
今日、患者会から会報が届き、新たな遺伝子治療の試みが4,5年程で加わるらしい、と読んだ。 また、皮膚科医の女性で、25歳ぐらいで発病し、50年程になる方も紹介されていた。 光が見えてきたが、問題も感じる。 若い患者はいいが、延命して治療した後、仕事に戻れるのか?
6:44 PM · Aug 25, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430467907394293762)
Lily2@ituna4011
皮膚科医の方はさすがにしっかりされているが、全ての患者がそのような恵まれた環境にはない。50年間、家族にかかる負担は、どうすればよいのか? 介護者の方が先に倒れて亡くなったケースもある。 新治療で症状が改善したとして、その後の人生で何をしたいのか? 病気と患者に集中した記事が多い。
6:51 PM · Aug 25, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430350628530704384)
Lily2@ituna4011
Replying to @ituna4011
頭変、 というのは、パーキンソン病患者の後期に見られる、無茶な判断でずんずん突進する精神症状を指す。過去の意識に基づいて一人よがりに考え、現状認識ができない状況。 私がパーキンソン病なのではないのに、患者家族だということで、同類扱いに。 楽しくのんびり生きたら、廃人になります!
11:05 AM · Aug 25, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430468306557837315)
Lily2@ituna4011
会報は、周囲の家族や職場への考察が、今一つ欠けている感あり。
6:53 PM · Aug 25, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430422929221718018)
Conversation with Dr Mark Durie https://youtu.be/Js1qMwmxfac via @YouTube
3:52 PM · Aug 25, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430430382504042501)
Lily2@ituna4011
パイプス氏のお友達。 懐かしい響きのする、大変聴きやすい英語です。
4:22 PM · Aug 25, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1430708567602982914)
Lily2@ituna4011
言語学と神学の二つで博士号。 アチェがご専門。 アングリカン司祭。 日本が如何に遅れているか。 オーストラリアの資料は、私も研究発表したことがある。 ほぼ無反応。
10:47 AM · Aug 26, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432646422151589889)
Lily2@ituna4011
東京は格別ですが、伊丹もこのところ、酷い状況。 伊丹市のワクチン接種票には、緊急時の連絡先と続柄を三名分、書く欄があります。 民法からも血縁者は相互扶助の義務があるので、妹と弟に了承を取り、すんなりOK。 名古屋の妹:え!三人も? そうです。この際、個人情報ではありません。
7:08 PM · Aug 31, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432647451068960769)
Lily2@ituna4011
旧公団のURは保証人なしで入居できるため、高齢者の一人暮らしが多い。 緊急時に連絡を取ろうとすると、 「個人情報ですから」 と断られるケースが後を絶たない、とオフィスで聞いた。 URは姨捨山じゃありません! 個人情報保護の意味を勘違いしないでください。 伊丹市のワクチン接種票は賢明。
7:12 PM · Aug 31, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432652701590978560)
Lily2@ituna4011
正確には、「接種後の安全カード」です。 伊丹には、狭い敷地に自衛隊と空港があり、移動人口が常に一定数ありますから。 6月半ばには、接種票が届いています。さすがだと思いました。 辻元氏は選挙区で、そこんところを見習っていただきたいですね。
7:33 PM · Aug 31, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432674995973414921)
Lily2@ituna4011
外に向かって声を張り上げて演説しないで、地道にコツコツと作業していただきたいですね。
9:01 PM · Aug 31, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432683292193538050)
Lily2@ituna4011
《伊丹保健所に勤める派遣会社のスタッフ5人が新型コロナウイルスに感染し、クラスターが発生》
《感染急拡大で業務が増えたことから人材派遣会社からスタッフを雇い保健所内の会議室で、感染者の行動や濃厚接触者の確認などにあたっていた》
《感染防止策をとった上で、17人のスタッフが業務に》
9:34 PM · Aug 31, 2021

(https://twitter.com /ituna4011/status/1432728651368259591)
Lily2@ituna4011
今の市長様が、地元出身の元官僚でいらして、中央政府との人脈も広く、手腕に長けていらっしゃいます。 歴史的にも文化の栄えた土地柄で、人々の誇りを感じます。
12:35 AM · Sep 1, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432986443635331075)
Lily2@ituna4011
運転の男性死亡、コロナによる酸素不足で意識失ったか 愛知・東海市
5:39 PM · Sep 1, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432991198818439171)
Lily2@ituna4011
こういう事故が怖いですね。仕事で強制的に運転していたのかもしれません。 いわゆるHAPPYシンドロームというものかも?
5:58 PM · Sep 1, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1432990727277985796)
Lily2@ituna4011
2025年まで断続的に緊急事態 東京、感染長期の試算 Infoseekニュース https://news.infoseek.co.jp/article/00fujidom2109010005/… ワクチンの感染予防効果が81・5%、医療体制が現状維持の場合、新規感染者数は年末から来年2月にかけて7000人を超え、今後5年間で緊急事態宣言が2~4回発令される可能性
5:56 PM · Sep 1, 2021

(https://twitter.com/ituna4011/status/1433323076259758082)
Lily2@ituna4011
竹田恒泰さんの本領発揮! 厄除け桃が昨晩届きましたので、今晩、いただきながら拝聴します。
3:57 PM · Sep 2, 2021

(2021年12月25日転載)

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個人情報保護法について考える

Lily2@ituna4011
個人情報保護法について。 専門的にはよくわからないが、 個人情報 を盾に問題を隠蔽することはないか? 私自身のことなのに、情報開示を請求すると、 行政が拒否する とは、どういう思考なのか?
5:09 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011
開示して困るような生き方はしてこなかった、と自覚しているが。 開示により不利益が生じる可能性がある、という。 不利益? 何それ? 誰もが、お互いに迷惑をかけながら生きているのでは?
5:12 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011

例えると、 母校に在学中の自分の成績表を請求したら、 個人情報ですから、 と、大学が開示を拒否するようなものだ。 私が試験を受けて、論文を書いて、合格したから卒業できたのだ。 場所が大学で、学生の成績を管理しているのが事務局だから、というので、 個人情報保護 になるか?
5:20 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011

他人の成績表を求めているのではない。 自分の過去の努力を証明して欲しいだけだ。 大学でも、やたら勿体ぶる事務員がいたが。 個人情報保護って? 無論、やたらめったらプライバシーを教えるものではない、事件に巻き込まれないように。 だが、最近では、結婚さえ、 個人情報だ、 と、黙秘する
5:25 AM · Dec 24, 2021·

Lily2@ituna4011
ケースさえある。 いつの間にか結婚して、子供の写真だけ送られてきたことがある。 そういう人は、子供手当なしにしてください! 社会の秩序が乱れる。多様性の尊重ではない。 さて、個人情報保護法。 苛立つこと、この上ない。法的根拠は?
5:28 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011
他にも馬鹿げた話があった。 主人の入院中、金融機関から何度も 本人を出せ、 と電話がかかってきた。新しい商品を知らせるためだ、と。 入院中だから、連絡して来るな、 と怒ったところ、 本人様の個人情報ですから、と。 正規結婚で、ずっと同居で、生計を一にしているのに、郵便で書類も

一緒に見てきたのに、 奥さんにはご主人の口座内容は教えられません。 だと。 入院中で判断力も落ちている患者に対して、 新商品の販売。 それこそ、私の方から 我が家の個人情報を返せ! と言いたい。 本当に馬鹿げた法律だ。常識を働かせて!
5:53 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011
あべこべの世界。 ナイポールやミランクンデラを読める間に読んでおいて、本当によかった。 今、日本で進行中。 覚醒を!
6:21 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011

若い人は、 コンプライアンス と教え込まれているのと、人生経験が限られているため、 法的遵守 すれば、世の中丸く収まる、 と単純に考えるかもしれない。 だからこそ、勝ち誇った顔をして、 個人情報や著作権の保護、 と繰り返す。私から見れば、ただのノータリン。
6:33 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011
現実には、事実に照らし合わせて、いろいろな矛盾が起こっている。 または、人間関係が壊れたりもする。 失礼極まりない対応だったりもする。 例えると、 手術は成功したが、患者は死んだ。 という話。 頭もっと使ってね。
6:37 AM · Dec 24, 2021·

Lily2@ituna4011

町の図書館でも、カウンターに座っているスタッフが、私の借りた本を見て、 わ〜、そんな本読んでいるの! と、素っ頓狂な声を上げたことがあった。 その一方で、別の日には、 個人情報ですから、どの本を借りたかの履歴は残しません と。 あなたの大きな声で、皆に知れ渡った事実は?
6:43 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011
大きく騒ぎ立てれば、 人権侵害 なんですよ。本を読んで知る自由は私に付与されている権利、 ですから。 スタッフには、カウンターで叫ぶ表現の自由の権利、 があるのでしょう。そして、働いている側の方が強い立場にある。 でも、常識的に考えて、 スタッフは失礼。
6:49 AM · Dec 24, 2021

Lily2@ituna4011
大体、タイトルを見てびっくりするようなら、最初から図書館に置くな。 実は、英語で書かれたマレーシアの植民地時代の小さな本だった。 今なら貴重ですぞ。 カウンターのスタッフは、叫ぶな。
7:04 AM · Dec 24, 2021

(2021年12月24日転載)

「ナイポール」に関する過去ブログのリストはこちらを。

(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=ナイポール)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101101

2010-10-14
さまざまな視点を学ぶ

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101028

2010-10-28
‘Brown Sahib’

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101101

2010-11-01
ナイポールのムスリム観

(2021年12月24日転載)

今読み返してみると、ついこの間のことのように感じるが、記憶はいまだ鮮明なのも不思議だ。11年後には兵庫県に移住しているとは、当時、想像もしていなかった。

「ミラン・クンデラ」に関する過去ブログの一覧は以下を。

(https://itunalily.hatenablog.com/search?q=クンデラ)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20081118

2008-11-18
チェックリスト

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090225

2009-02-25
伏見のキリシタン史跡めぐり (3)

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090313

2009-03-13
花粉症の季節にクンデラを読む

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090315

2009-03-15
クンデラの続きとレクイエムなど

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090319

2009-03-19
ミラン・クンデラを読む 《続き》

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090321

2009-03-21
ミラン・クンデラを読む 《続々》

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090323

2009-03-23
私流の音楽や本の愉しみ

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090324

2009-03-24
クンデラが投げかける問い

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090325

2009-03-25
新聞記事から思い出したこと

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090326

2009-03-26
小説は人生の研究

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090327

2009-03-27
次のステップに入る前に

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090328

2009-03-28
亡命した人の心境を抜粋する

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090329

2009-03-29
短い報告その1

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090401

2009-04-01
記録に残して整理保存すること

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090409

2009-04-09
昔の取り戻し、できるかな

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090411

2009-04-11
花の命は短くて

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090701

2009-07-01
シャガールと聖書 そして共感覚

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20101227

2010-12-27
思い出は遙か遠くに

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20110506

2011-05-06
発言の耐えられない軽さ

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120916

2012-09-16
ユダヤ暦の新年に向けて

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20151204

2015-12-04
見方と味方を増やす読書

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160301

2016-03-01
再びクンデラ

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20160302

2016-03-02
憤懣遣る方無い

https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170922

2017-09-22
初秋

(リスト終)

2021年12月24日追記

昨日に引き続き、今度は家の斜め前にある内科クリニックからも主人の電子カルテをいただいた。その前に、院長先生と15分ほど電話でお話を。
この先生は、なかなかのやり手だが、主人のことは2年以上前なのに、覚えてくださっていた。ご夫婦でお医者さんをされており、一応は「法律があるので、弁護士を通せば早い」とおっしゃったが、私が他の病院や医院から問題なく電子カルテを集めたこと、訴訟を起こす意図は全くないこと、自分の経験を客観視するための資料として求めていること、病歴に関して気づいた点等を率直に話したところ、「うちは問題ありません」と、あっさり承諾。午後、受付に取りに行った。但し、5000円も取られてしまった!ま、助けていただいたから、お代ぐらいは。

夜には、市内の歯科医院へ電話。最後の治療を終えた院長先生が出られて、10分ほどお話を。この先生も感じよくて、私が「カルテを印字してくだされば、受付で受け取りにうかがいます」と申し出たところ、「少し説明したいことがあるから」と、来週の予約時間を作ってくださった。
お代は?
「いや、お金を取るようなものではないですから」と。

支払いは、クリニックによって対応が多少異なるが、患者の遺族に対する情報提供としては、何ら問題なく、むしろ、気持ちよく応対してくださることがわかり、いい経験になった。

後は、市役所の障害福祉課だけですね。私が話さなければ「情報」足り得なかったのに、本人の私が請求していることを「個人情報ですからダメです」とは、錯誤も甚だしい。インターネット上には、いろんな法的助言が書いてありますので、職員の方は、是非ともお勉強を。

2022年1月11日追記

1月5日と1月11日に、市役所の総務課から電話があり、介護保険課と障害福祉課の「個人情報」が無事、提供されました。
前者はあっさりと進み、後者のみ、最初は何やらごちゃごちゃと….。でも、一旦、話を通せば、何ら問題もなく、スムーズに事務処理が通りました。

血縁であることを盾に、突然現れてトラブルを次々起こした「加害者」の「個人情報について、行政側つまり市役所の職員が、黒塗りで「問題個所」を隠そうとしても、既に「被害者」たる私はツィッターでも公表しています。聖書に記されているように、この世で行われたことは闇に紛れることはなく、必ず何らかの形で顕わにされるのです(マタイ福音書 10:26)(ルカ福音書 12:2)。家族だとか身内だとかを隠れ蓑にして、難病患者すなわち身体障害者と同居の介護家族に言動で危害を加えようとする大馬鹿の加害者は、堂々と名前も公表すべきで、社会的制裁を加えられるべきなのです。
それこそが、真に「法の下の平等」で、「公正」な社会の在り方です。勝手に第三者が覆い隠してはダメだ。
昭和時代の新聞には、三面記事のページで犯罪者の顔写真と住所と名前と年齢が明記されていました。それによって、家族親族は全員、外を顔を上げて歩けない思いをし、結婚や就職等にも不利益が生じたことでしょう。しかしながら、それこそが、結局は犯罪防止策にもなり得たはずです。そういう犯罪を犯した人間を生み出した家族親族の背景や在り方こそが問われるべきで、全体責任です。覆い隠してしまえば、最初からなかったことになりかねません。それこそが、社会問題の温床になるという本来の考え方が取り戻されなければならないと思います。

目には目を、歯には歯を。

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大学院の合格通知(2)

ツィッターやフェイスブックをブログに転載している理由を記す。こちらのホームページは、自分でお金を払って開設した(設定は主人がしてくれた)ものなので、誰にもいじる権利はない、はずだ。

こういう時代なので、誰かが勝手にツィッターやフェイスブックの記載を削除したりする可能性は充分承知している。
また、面識もなく、背景も知らず、全体をきちんと読まずに、4日間も私のブログに関して罵倒を書き連ねていた仙台の同世代の女性がいた。幸いなことに、同調した人は極僅かで、炎上も何もなかった。なぜならば、全く筋違いで、事実に反していたからだ。
事実でないことを、自分の気に障る相手に対しては、勝手な思い込みで公に断罪しようとしても、世の中はそれほど単純にはできていない。そういうのは、言論の自由、表現の自由ではなく、単に浅薄で思慮の浅い馬鹿者だということを自ら証明しているだけだ。

秋篠宮家に関しては、その大半が誹謗中傷ではない。各種報道が何年にも及び、表に出てきたことに驚愕した国民が、国の行く末を憂えて必死の思いで意見を述べているだけだ。

話を元に戻すと、ツィッターやフェイスブックは、ウェブ交流をしている知人達が反応してくれるので、続けている。だが、筋をまとめて追い、自分の記録として残すには、ブログに転写する方法を取っている。

自己宣伝だと、勝手に勘違いするなよ!そういうチンケな(最近、覚えた言葉)感覚は、平成時代に発生したものだ。「自分で自分を売り込まないといけない」と、間違って強調されていたきらいがあった。

……………………………
昨日は、患者会の役員さんにも院合格を報告して、今後も遺族として患者会を支援していく由、伝えた。
とても喜んでいただいたが、「若年性」神経難病の「若年」定義が、最近では難しくなっているとのこと。私の親世代だが、この方の御主人も「若年性」だった。解決されて楽になった面と、新たに問題が浮上した点があることを話した。但し、同じ病気の同じ患者でも、家庭背景が相当に異なるので、一律には論じられない点、ご指摘を受けた。感謝します。

その後、近所の神経内科のクリニックへ行き、電子カルテを申し出た。病院ならば料金がかかる上、院内ミーティングで電子カルテを遺族に渡してよいかどうか、複数のプロセスを経て検討されてからになる。(場合によっては、「夫婦の証明を出せ」と余計なことまで言われる。入院中は、誰もそんなことを問わなかったのに!)

だが、個人医院の場合、もともと患者を診察して面識があったこともあり、話はスムーズ。
本来ならば、事前に電話してからの方がよかっただろうが、夕刻だったこともあり、偶然にも患者さんがいなくて、助かった。
受付で事情を話し、「大学院に合格しましたので、主人のカルテを資料としていただけませんでしょうか」と丁重にお願いした。5年間はカルテを保存するという規定があり、世間でよく言う「死んだら終わり」ではないのだ。
院長先生が出てこられて、「合格おめでとう」とおっしゃり、私が研究テーマを手短に話すと、うなづいて即座に出力され、簡単に手渡していただけた。

お代は?
「カルテのデータは患者さんのものですから」と静かにおっしゃり、診察室に戻って行かれた。

この先生には、本当に恩義を感じている。主人の入院中も、よく相談にのっていただいた。昔風のいい意味での「町医者」という感じだった。アメリカ留学もされ、市内の病院で部長も務められた。
先生、ありがとうございます。

ここで私は強くお願いしたい。
主人の難病のために患者会に20年以上も関わっていると、いろいろな経験に遭遇するが、研究者は、倫理以前に、まずは一般常識をわきまえてほしい!

(文系の私の元々の分野でも、平成時代には、本当に失礼極まりないおバカ発言が学会理事レベルの女性教員等から発せられた。しかも、懇親会や休憩時間に人前で大きな声で言うのである。
日本は言霊思想の伝統がある。口から発した言葉は自分に返ってくる。責任を取りなさい!私の場合、時間とエネルギーを返せ、と言いたい。
学会アンケートでもはっきり書いたところ、委員会で事実が確認できた由、連絡があった。いわゆる、パワハラ、アカハラ、モラハラの類に相当するのだろうが、どっちでもいい。まずは、人として、一般常識を、と言いたい。)

難病の患者会なので、時々、「博士論文を書いているので、アンケートに協力してほしい」と、突然のように分厚い封筒が送られてくる。できる限り、主人と協力はしてきたが、その後がなしのつぶて、なのだ。
普通、結果を患者会に知らせるべきではないか?あなたの博士号とやらは、患者が存在しなければ成り立たなかった。なのに、データとして患者と患者の家族の貴重な時間やエネルギーを奪っておいて、その後の挨拶がない。
専門家の間では共有されているのかもしれないが、患者会のメンバーには、なぜ知らせないのか?

さらに、「この研究は科研費を獲得したものです」と麗々しく書いてあったアンケート調査もある。

科研費?

それは国民の税金だ。

なおさらのこと、患者会には丁重に概略だけでも知らせるべきではないか?

今年初めにも、一つアンケートがあったが、「お礼にQUOカードをお送りします」とあったのに、未だに送られてこない。そんなことだろうと思い、封筒に住所を書いて、「調査結果と論文を送ってください」と添えたのだが、一言も連絡がない。
こういうのを慇懃無礼というのです!小学校で習いませんでした?

情報の取り扱い云々の規制があるのかもしれないが、だったら、患者会を利用するな!
あなたの論文のために患者が存在するのではありません!

と、自由コメント欄に書いたこともある。が、返事はない。そういう研究は無用の長物、ではないだろうか?

こんなことは、基本中の基本で、文系のフィールドワークで東南アジアを調査する場合、口うるさく注意されていたものである。
医療関係者では、そういう基本教育がなされていないのだろうか?

というわけで、今回の放送大学大学院の話は、主人の闘病生活を自分史的に綴るのではなく、あくまでも公的な意図と目的を有している、ということを伝えたくて、ツィッターやフェイスブックやブログに公知している。ZOOM面接でも、その点は鋭く確認されたが、主観と客観の問題、Objectivityの問題は、人間存在に関するテーマすべてについて回る、極めて難しい領域であることを踏まえ、「だからこそ、電子カルテを病院から集めたのです」と念を押した。

特定疾患として、長年、経済的にも非常に助けられた上、主人の勤務先には大変なご迷惑をかけたのみならず、最後まで恩恵と多大なお助けをいただいてきた。
だからこそ、配偶者として家庭内で観察できた点、気づいた問題点、同病者のための提言等を公的な場で論文化することで、少しでも社会貢献したいと願っているのだ。ささやかな恩返しのつもりだ。

そのためには、これからの勉学を続けていく上で、周囲のご理解と協力が是非とも必要である。突然、会ったこともない見ず知らずの患者にアンケート用紙を送りつけたり、参与観察と称して患者部会にもぐりこみ、その後の報告もなしに平気でいる風にはなりたくない。だから、事前にご挨拶とご報告を、と思って書いている。

マレーシア研究の分野で、上記のバカげた発言をした女性教員達は、自分のイデオロギーだけで、自分の目に見えた範囲だけで、私を「知っているから」と、間違って人前で断罪した。
何もわかっていないじゃないか?それが、どれほど危険な行為かわかっているのか?
それに、多種多様な民族や宗教の人が寄せ集まって暮らしているマレーシアでフィールド調査をしたならば、そんな態度は不遜である。自然に学ばされ、襟を正されることが次々重なるのが、フィールドだ。

今後は、私自身が試されることにはなるが、だからこそ、前もって公知している。
もともと、主人も私も別分野で研究者であった。そういうことさえ、一旦、難病患者になると、来歴を問われることなく、単に「オブジェ」扱いされる傾向にあるのだ。「エビデンス」「科学的」と称して…..

。。。。。。。。。。。。

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472780235624321025)
Lily2@ituna4011
信州にお墓参りに行かないと…..。 自分の力ではなく、導かれて、という感触の方が強い。 血筋は本当にありがたい。 https://twitter.com/ituna4011/status/1472777408566931457
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1:05 PM · Dec 20, 2021

Lily2@ituna4011
なぜか、ツィートが消されていた。 理由不明。 自分のブログに転写しておいて正解。 一つのブログは、自分用で、お金を払って開設した。誰にも邪魔されない、はず。
2:24 PM · Dec 21, 2021

Lily2@ituna4011
院合格のお礼として、有岡城のお掃除を1時間20分しました。 いい運動になりました。 ありがとうございます。
11:51 AM · Dec 21, 2021
Replying to @ituna4011
おめでとうございます。向上心に頭が下がります。
1:14 PM · Dec 21, 2021

Lily2@ituna4011
ちゃつみさんからも、たくさん励ましをいただいてきましたよ。 それぞれ置かれた場と与えられた賜物を生かして、頑張りましょうね。 テーマは、私達の夫君の若P病。家族看護として、精神面の関わり方について検討したいと考えています。 これからも、どうぞよろしくお願いします。
1:32 PM · Dec 21, 2021

訪問あんまマッサージ なみき@KaigoMassage
Replying to @ituna4011
とても素晴らしい! 是非是非応援させてください。

Lily2@ituna4011
よろしくお願いします!
2:57 PM · Dec 21, 2021

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/10224583703374522?notif_id=1639899037012546&notif_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)
2021年12月19日
・合格のお礼がてら、有岡城のお掃除を1時間20分してきました。いい運動になりました。

・前回は友の会があったため、昨日、参加させて頂きました。いい運動になりました。有岡城跡の石碑の写真が撮りたかったので、丁度良かったです。ありがとうございます。

・たくさんの方々に見ていただいて、感謝しております。今後とも、温かく応援していただければ幸いに存じます。
(2021年12月22日転載終)

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大学院の合格通知(1)

(https://itunalily.hatenablog.com)

2021-12-19
大学院の合格通知
ご挨拶 健康管理 教育

(https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/10224583703374522?notif_id=1639899037012546&notif_t=feedback_reaction_generic&ref=notif)

大学院の合格通知が届きました。
4月から、さらに頑張ります。
私のできることは、論文を書いて社会貢献すること。
放送大学の修士課程で、新しい分野を一つ積み上げます。以前、ここで宣言した通り、主人の分も頑張るぞ!

。。。。。

ちょうどコロナ期なので、オンライン講義やインターネット講義はぴったり。いずれにせよ、通常の大学には通えそうもない。
放送大学はレベルが低いとかなんとか平気でウェブに書いている人がいますが、論文審査に通りました?
とにかく、社会人の学び直しには非常にありがたい制度。また、一昨年と昨年の入試結果を見ると、募集定員を大幅に割れて合格者が出ている。倍率は高い。つまり、入試で相当落とされている、ということ。
一次も二次も一発で合格できました。頭の知識よりも、人生経験がモノをいいます。若者には逆立ちしてもまねできないと思います。

それに、教養学部の講義や特別講義も、リストを作って暇をみて視聴している。時代に合っていると思うものもあり、とても勉強になる。ただし、外国語科目は軒並み、相当レベルが下がっていますね?昭和時代はもっと本格的だった。

(2021年12月19日転載終)
……….
追記

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472727224814288896)

Lily2@ituna4011
面接は自宅からZoomで。 緊張はしなかったが、かなり突っ込んだ質問があり、私も正面切って応答を。時間ギリギリまで頑張った。 希望する教授が、始終にこやかで、手応え充分。私の経験が極めて貴重であり、しかもコスモポリタンだ、と褒めてくださり、びっくり仰天。

コスモポリタン!?

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472728226653163524)

Lily2@ituna4011
生まれて初めて言われた。 外国語能力が高く、海外経験も豊か、ということらしい。 これまで、文系の学会で言われてきたことは何だったのだろう? やはり、自分から適所を求めていかなければ、人生が潰れてしまう。 ありがとうございます。頑張ります。

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472731637243080704)

Lily2@ituna4011
感謝なこと。 パソコン関係は、いつも主人が全部やってくれていた。ZOOMのことも、主人は先端を走っていた。 が、私には不用だ、と思い、今年5月に部品を処分していた。 今回、面接の二日前に、パソコン修理のお兄さんが神戸から来て、 細々と教えてくれた。買い忘れていた機械があり、危機一髪。

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472734282397401088)

Lily2@ituna4011
プロフィールにも書いたように、明治生まれの父方の大叔父は東京帝国大学の医学部を出て、眼科学の軍医かつ教授だった。 昭和15年生まれの父方叔母は、医学博士。 大学院での私の新たなテーマは医療系だが、学びがとても刺激的で、ワクワクする。 血のおかげ。ありがたい限り。
10:03 AM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472747342097166344)

Lily2@ituna4011
若い人の大学進学は競争心や名誉欲が伴う。親や教師も、自分の対面から、けしかけてしまう嫌いがなきにしもあらず。 だが、社会人の場合、人生経験に結びついているため、既に他者との競争ではなくなる。 キャリアアップだとしても、人それぞれだ、と否が応でもわかってくる。 放送大学の利点。
10:55 AM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472749599786168320)

Lily2@ituna4011
それに、単位が取得できた受講科目の復習まで可能になっている。もう一度視聴できるのだ。応用補足問題までついている。 しかも、条件付きだが、受講料を払わなかった科目さえ、自由に視聴できるものもある。 繰り返し視聴して、しっかり身につけてくださいと、薬理学の先生は何度もおっしゃる。
11:04 AM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472750614778380289)

Lily2@ituna4011
医師の処方の確認をしたり、薬剤に疑義を呈するのは、看護師の役割だからだ、という。 大変に現代的かつ現実的な方向性だ。 こういうことを学んだのも、放送大学の講義だ。 レベルや偏差値?就職に役立つ? そんなことより、本質第一に。
11:08 AM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472771213936443393)

Lily2@ituna4011
大叔父の医学論文を以前からコツコツと集めていた。 当然、叔母達にも業績一覧表のコピーを送ってある。 主人は信州が好きで、会社関係の人間関係にもご縁があった。だから、私の大叔父のことも、我が事のように喜んでいた。 放送大学の医療系科目を受講して、大叔父の論文が読めるようになった。
12:29 PM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472775874965811203)

Lily2@ituna4011
筆記試験は英語と論述。 英語は辞書持ち込み可、だったので、念のため、主人の手持ちの古い英和辞典を持参した。英文は中国系の医療論文の抜粋のようで、今風だと思った。辞書を引かなくても訳せたが、思い込み勘違いミスを避けるため、一応は語釈を引いて確認した。 論述は、複数の問題から選択。
12:48 PM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472776406966824960)

Lily2@ituna4011
これまた、普段考えていたことと合致していた出題が一つあったので、下書きを含めて夢中で書いた。 なぜ、その課題を選択したのか。 経験談。 エピソードに含まれる問題点と現代性。 私自身の意見と主張。 これを清書して、時間内におさめた。
12:50 PM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472777408566931457)

Lily2@ituna4011
大学院の入試なんて30数年ぶりだが、手応え満点、自分にぴったり合っているという内的確信があった。二十代の時も、似たような感覚があった。当時は、指導教授に勧められて受験したのだが、今回は、自ら選び取った道だ。 時々、各種の検定試験を受けてきたのも、訓練として功を奏したと思う。
12:54 PM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

(https://twitter.com/ituna4011/status/1472780235624321025)

Lily2@ituna4011
信州にお墓参りに行かないと…..。 自分の力ではなく、導かれて、という感触の方が強い。 血筋は本当にありがたい。
1:05 PM · Dec 20, 2021

(2021年12月20日転載)

2021年12月22日追記
下から二番目のツィートが、なぜか削除されていた。こういう時代だから、わざわざ転写している。意味があって、責任を持って書いているのに、AIか何か知らないが、背景も知らずに自分基準で勝手に断りなく削除するな!

(終わり)

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Western classical music is now in the cross-hairs

オーストラリアの友達のアイダさんの投稿。キーシン等とも親しい精神分析医です。

日本は西洋音楽を受容する立場なので、私からのコメントはできません。但し、現在の世界潮流で何が起こっているのか、知る上では重要な論点です。

私が昭和時代を懐かしみ、両系の祖父母達に恩義を感じ、個人情報ながらも公に綴っているのは、昨今の傾向に対するささやかなアンチテーゼの意図もあります。平成生まれの若い世代には、経験したくとも経験できなかった貴重な時代でしたから。(Lily)

(https://spectator.com.au/2021/12/the-discordant-left-now-calls-the-tune/)

The discordant Left now calls the tune
Western classical music is now in the cross-hairs
Dr. Ida Lichter
(the author of ‘The Secret Magic of Music: Conversations with Musical Masters’)
18 December 2021

As yet, there is no death rattle coming from the body of Western classical music, but a decline is not fanciful. Recently, we witnessed its sudden demise in Afghanistan. Orchestras which had flourished since previous Taliban rule stopped the music when the militants returned to power.

The Taliban prohibit music, considered dangerous according to their Islamist ideology. Although such extremists are not challenging music in the West, a constellation of ‘progressive’ ideologies, not yet coalesced, is on the offensive, aiming to rid our society of its cultural ills. Nurtured by critical theory, these overlapping ideologies include critical race theory, postmodernism, wokeness, cancel culture, identity politics, political correctness, victim culture and intersectionality.

Caught in this crucible of social protest, the Western music canon is facing revisions that pass through the lens of ‘systemic racism’. The alleged racist offender is a formidable, privileged white elite cultivating racial superiority and inequality while exerting institutionalised oppression against non-white minorities.

Energised by the Black Lives Matter movement and ignited by the police killing of George Floyd in May 2020, racial turmoil in the US reached the music fraternity. Music organisations rushed to embrace transformation through racial equity, inclusion and diversity. In an outpouring of mea culpa, the League of American Orchestras apologised for their ‘systemic discrimination toward Black people,’ and vowed to repent ‘past failures’. Symphony orchestras and opera companies fell in line, seeking atonement for ignoring the suffering caused by racial injustice of white conductors and administrators.

The National Philharmonic pledged to achieve a 40 per cent quota for soloists and living composers of colour. Seattle Opera presented an online panel discussion, ‘Crescendo for Racial Justice in Opera’, mindful of racial stereotypes and the ‘urgent need for systemic change’.

New York Times music critic, Anthony Tommasini, went a step further. He recommended that ‘blind’ auditions for hiring orchestral musicians should be replaced with a racial quota, despite the standard practice to avoid bias by concealing the identity of candidates behind a screen.

At the renowned Juilliard School of music in New York, compulsory diversity education for students and faculty was already part of the curriculum, but after Floyd’s death, students reportedly circulated a petition calling for an end to the ‘almost completely Eurocentric’ academy and demanded a ‘complete in-person season of works by BIPOC artists’ (Black, Indigenous, and People of Colour). In an unforeseen and paradoxical twist, an anti-racism drama workshop presented by a black theatre professor led to charges of racism after black students felt ‘traumatised’ by audio excerpts of the slave-auction scene from the 1977 miniseries Roots.

Hoping to meet student demands and avoid censure, the Faculty of Music at Oxford University reportedly intends to ‘decolonise’ the syllabus and address the ‘colonialist representational system’ of musical notation, ‘white hegemony’ and ‘white European music from the slave period’. Composers such as Mozart and Beethoven could be sidelined in favour of ‘African and African Diaspora Musics’, ‘Global Musics’ and ‘Popular Musics’. Aware of the ‘great distress’ for students of colour caused by the focus on European repertoire, lecturers have suggested that courses to learn piano performance or conducting should no longer be mandatory. Clearly, there is room for reform. But the radicals are unlikely to curb their demands while guilt-inducing racial language lends them moral superiority, and the surrender of ‘white elites’ is amplified by self-censorship under the threat of cancel culture.

Historical composers have not escaped the cross-hairs. Handel is vilified for his investments in the transatlantic slave trade, prompting London’s Royal Academy of Music to review their portraits and sculptures of the composer, as well as 18th-century violins and pianos crafted with colonial ivory.

Music as a meritocracy is also problematic. The art exemplifies talent, hard work, examination grades and rankings in competitions, but according to progressives, equity of outcomes is preferable to equity of opportunity. Furthermore, the meritocracy is faulted for the racist exclusion of minority groups, although this allegation does not correlate with the disproportionate number of Asian students and performers.

Today’s politicisation of music owes much to the influential philosopher, musicologist and composer, Theodor Adorno, who conceptualised music in the service of social change. He was a leader of the Frankfurt School, formed by a group of Marxist intellectuals, who developed critical theory, and in the 1930s, fled Nazi Germany for the United States. Their re-conceptualised neo-Marxist ideas held that cultural revolution was the prerequisite to an economic revolution, as opposed to the reverse concept in Marxist theory.

Adorno believed the commercialisation of music by the culture industry adopted the same immoral methods as authoritarian regimes for pacifying and infantilising the masses, thereby inhibiting the critique required for social change. His antidote was new, atonal music. Impervious to profit-making, he believed ‘new music’ could reflect the authentic human condition and express dissent. Later, he deplored the use of violence by 1960s student revolutionaries imbued with weaponised neo-Marxism. The genie was out of the bottle. During the subsequent ‘long march through the institutions of power’, the original aims for social reform gave way to nihilistic demands to demonise and dismantle the capitalist West through control of culture via universities, schools, media, churches, literature, music, etc. During this process, academics, bureaucrats and the media acted as enablers. For the neo or cultural Marxists bent on tearing down society in favour of their utopia, music represents a threat owing to its iconic status in Western civilisation and powerful vocabulary of emotions. Stalin understood its force when he purged Russian composers, attempting to control and fashion music for his ideological purpose.

Unlike verbal language, music is subjective and idiosyncratic. We seem programmed to seek pleasure and social bonding from this art that offers beauty, joy, solace and intellectual challenge, even therapeutic and transcendental experience. However, the progressive warriors pitched in a fervent, destined cultural battle are challenging the ‘white’ elitism and patronage they condemn in Western music institutions and meritocracy. Fueled by outrage and zealotry, activists are less concerned with the aesthetic worth of music than coercing submission to their ideologies. These new elites now call the tune.

(End)

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ピアノ練習の話

以前暮らしていた小さな町に叔母さんが住んでいらっしゃるという、クラシック音楽好きのブログ読者と、昨晩、フェイスブックで交信。それをヒントに、「ピアノ練習の話」をブログにまとめてみました。

フェイスブック ピアノ練習の話
2021年12月15日

(https://www.facebook.com/1556612441/posts/10219902534744543/?comment_id=10219902810871446&reply_comment_id=10219903080558188)

ユーリ:ツェルニー50番は、なかなかの曲揃いでしたよ。全曲終われませんでしたが。

ユーリ:上手な人は、とても器用に弾いていました。私の場合は、ハノン各種で指慣らしをし、ツェルニー50番の譜読みと通し一回だけで、一日の練習時間の大半が過ぎてしまっていました。その後、バッハを一曲練習してから、最後にドビュッシーやら何やらを仕上げようとすると、もう時間がありませんでした。趣味の割には、真面目に毎日やっていたんですが、軟式テニス部(中学)や水泳部(高校)の部活動もあり、家事手伝い(庭掃除や食器洗いや洗濯物の取り込み、部屋と階段の掃除、等)を済ませると、もう学校の宿題だけで精一杯でした。

Y・T :あー、なんか凄く真面目で勤勉かつ有能・優秀なおかただったんですねー。しかもお歳を重ねられても尚この胆力! かないませんわww

ユーリ:今から振り返ると、よく頑張ったな、と。でも、当時はそれが当たり前だと思っていました。昭和ってそういう時代じゃありませんでしたっけ?

Y・T:まー、がむしゃらな時代でしたが、でもユーリさんほど根を詰めてはいなかったと思います。ってか、私より1世代弱お若いですよね?

ユーリ:ご想像にお任せします。娘さんよりは年上です。
(転載終)
。。。。。。。。。
以下に、「はてなダイアリー」こと「はてなブログ」に書いた「ピアノ練習」言及をリスト化。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070824)
2007-08-24「高校の同窓生名簿から」
《いわゆる進学校の典型として、毎日の授業と補習、部活(水泳部)の練習、帰宅後は一時間以上のピアノの練習、そして宿題と予習復習、試験の準備、これに明け暮れた日々でした。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070910)
2007-09-10「音楽レッスンの思い出」
《最初の先生は「あなたはもう大人でいらっしゃるし、普通大学でお勉強なさっているし、いったい何の目的で、ここまでピアノを習おうとするのかわからない」と初っぱなからおっしゃる人でした。「小さい子なら、最初から教えられるから楽なのね。そして、音高や音大を目指す受験生なら、私もその道を歩んできたから、教え方もわかるのね。でも、あなたみたいな人は、一番困っちゃうというのか、どうしたらいいかしらねぇ…」とレッスンを引き受けておいて、月謝を払っているこちらが恐縮しなければならないようなことを言われました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20070927)
2007-09-27「中間休みと今後の計画」
《ピアノの練習も、指を動かせば頭がすっきりしてくるので、少しずつでも続けましょう。》
☚ 全く実現せず。

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20071104)
2007-11-04「ちょっと余談を…」
《私の頃のピアノの先生といえば、体育会系よろしくヒステリックに叱り飛ばすのが常套手段でした》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20080123)
2008-01-23「管理束縛の体制は人間不信から」
《私の場合は、勉強時間はよしとしても、「寝る時間をもう一時間減らせ」とか「ピアノの練習をやめて、その代りに英数に集中せよ」と担任から言われ続けました。さすがに、その時には、うちの親も電話で抗議し、「家庭内での時間の使い方は、親の責任下にあるのだから、学校の先生は、授業と友人関係と体力作りと基本的な社会生活の面だけ面倒みてください」と申し入れたようです。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20081118)
2008-11-18「チェックリスト」
《昔、ピアノの先生でも、そういう古いタイプの経験があります。少しでも間違えると、「まだ、だめね」とだけ不機嫌に言ってレッスンが終わってしまう、という…。「だめ」というだけなら、誰だって言えます。どうすればよくなるかという指導ができて初めて、「指導者」なのに。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090116)
2009-01-16「真に人を育てること」
《ピアノの先生から、子どもの時に簡単なテストをされ、「絶対音感がある」と言われたことは、以前にもこのブログで書きました(2007年9月25日付「ユーリの部屋」)。大した音感でもないのですが、そのせいかどうか、幼稚園の聖劇の音楽ぐらいは、すぐに覚えて一人で歌っていました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20090321)
2009-03-21「ミラン・クンデラを読む 《続々》」
《中学高校の間は、とにかく学校の課題と部活とピアノの練習に明け暮れて、ほとんど本が読めませんでした。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120408)
2012-04-08「ルーツ」
《小学校4年生の時に、ピアノの先生から『今昔物語』をお別れのプレゼントにいただき、王朝物語、天竺物語などに心惹かれました。お話の舞台となった京都近辺を散策するのが、遠い目標となりました。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20120609)
2012-06-09「前橋汀子さんのリサイタル(1)」
《私は、小さい時からずっと、音楽といえばクラシックか童謡がほとんど。音楽学校に通う他、レコードを聴いたり、邦楽(お琴など)も含めた古典音楽の演奏会も年に何度か。それが自然なことでもあったので、舞台に立つ演奏家を「芸術家」と思っていても、「芸人」などと考えたこともなく》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20161226)
2016-12-26「お茶の話」
《中学も高校も比較的近くだったので、通学時間は片道10分以内。交通費もゼロ円で非常に経済的な子どもだった(と思う)が、部活の後で夕方、家に帰ってすぐ夕食。それから一時間は必ずピアノの練習(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161013)。それだけでもう、成長ホルモンが活発に放出されていた頃だったのだろうが、宿題にかかる頃には、眠くてたまらなかった。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20170819)
2017-08-19「「体操ニッポン」の時代」
《中高生の頃は、試験勉強やピアノの練習の合間に、自分にとっての刺激になればと思いながら、体操選手を眺めていた。》

(https://itunalily.hatenablog.com/entry/20180829)
2018-08-29「校歌を歌おう!」
《絶対音感があるとピアノの先生に言われていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070925)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131007)、歌詞はともかく、旋律だけは健在でした。》

(2021年12月16日記)

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