私が今回の大学院合格を喜んでいる理由は、私的には主人の精一杯の生涯に報いたいという動機からだが、第一義的には、長年、お世話になった多くの病院や医院のお医者さん方や看護師さん達、薬剤師や介護職の方々、救急隊員や警察署員への返礼からである。若年性神経難病のお仲間にとって、ほんの少しでも私共の経験が参考になり、日常の療養生活が一歩でも前進するならば、という気持ちが一番である。だが、それ以上に、外的には、平成の大学改革期(2003年)からみるみるうちに浸透した大学の研究環境の悪化に対して、(全員ではないが)放送大学の先生方が明確に異議申し立てをされている姿勢がうかがえたからだ。
昭和十年代生まれの私の両親は新制の四年制大学卒業だが、当時は同世代の一割のみが進学できた、と聞いている。いくら優秀でも勉強したくても、家庭の事情で上の学校に行けないケースは多かった。また、そのような状況を皆が何となく理解して、気を利かせて補い合っていた。進学できた家庭の子弟は、それなりの矜持と国や社会のために尽くす、という奉仕精神がまだ残っていた。それが昭和時代だった。五十年代ぐらいまでは、そうだったと記憶する。
それに、親戚付き合いでもご近所付き合いでも、「あそこの家の子は、誰それさんの血を引いているから」「あそこは、昔からああいう家だから」と、お互いに了解していた。違いは違いとして当たり前で、それを「格差」だの「差別」だの、「弱者に寄り添う」だの、余計なことは常識的に却下されていた。大体、お見合い結婚が主流で、仲人さんもいたから、それが世の中の安定に貢献していた。
主人や私の世代は、地ならし金太郎飴で輪切りする共通一次試験(これには私の父方大叔父が大反対して、無駄な抵抗キャンペーンを展開していた)が始まり、同世代の三割が大学に行った。それとて、女子生徒は短大進学の方が幸せな人生を送れる、と言われており、いわゆる偏差値も短大の英文科の方が下手な四年制大学の英文科より高かった。専門学校も、それぞれに機能していたと記憶する。四年制大学を志望するのは、本当にその分野を勉強したい人だった。名古屋のような地方都市では、少なくともそうだった。
家庭の経済的な事情で四年制に行けなかった場合は、まず短大に入ってアルバイトか奨学金で資金をため、一生懸命に勉強していい成績を取り、編入学という方法を取っていた。または、あの頃は夜間大学もあったので、職場の上司や周囲の理解を得て、夕方、勤務の後で大学に向かい、夜二時間ほど講義を聴き、全日制より一年プラスして卒業していった。そういう「いつも眠たげな勤労学生」を、教授陣も精一杯配慮して応援されていた。
私の年齢では、指導教授の勧めだったにもかかわらず、「旧帝国大系の大学院に行くなんて、もう独身覚悟だね」と、平気で言われていた。そのことは過去ブログにも記したので、ここでは繰り返さない。
だからこそ、早く世の中に出て、自力で稼げるようにならなければ申し訳ない、と必死な思いでいた。
ところが、ふと気が付くと、研究会でも学会でも雰囲気がガラリと変わっている。言葉の上では丁寧で、一見礼儀正しそうだが、いかにも思慮の浅そうな、しかも勝ち誇った表情で生意気な発言を平気でする若い女性院生が、急に増えてきたのだ。
竹田恒泰氏の言葉を借りれば、「お前が言うな(おまゆう)」の世界だ。
気になっていたところ、どうやら「女子学生を院生として受け入れた研究室には研究費が下りた」らしい。真偽の程は不明だが、いかにもありそうな話だった。
または、「就職活動に失敗したから、院に来ました」と平気で言う男子学生もあちこちで出現した。つまり、就職できなかった「落伍者」のモラトリアム機関としての受け皿が、大学院になったのである。
「社会に出るのが怖いから、しばらく勉強しながら考えよう」と大学院進学した、引きこもり息子を持つ母親の人生相談も、ラジオで放送されていた。
以前ならば、大学の研究室は少数精鋭で、教授か助教授を囲んで密度の濃い弟子育成のサークル人脈のような雰囲気があった。暗黙の礼儀作法等も、先生の顔をつぶすようなことになってはいけない、と先輩から教えられたり、黙って必死に学び取ったり(当時は「よく見て盗み学ぶ」と言っていた)、ともかく、学問や知の世界に対する憧憬や敬意をおのずと共有していた。だからこそ、人前での発言は重かった。責任を痛感していた。少なくとも、私の周囲では、国文学はそうだった、はずだ。
日本経済の低迷に伴い、大学の「経営」が氷河期を迎え、資金集めに駆り出される教員が本業を全うしにくくなり、学生の質が下がったどころか、学生が教員を「評価」するという逆行が横行した。
インターネットで瞬時に大量の情報が目の前に出てくる時代に、成果重視の競争を煽られたら、精神を病む院生や教員が続出するのもむべなるかな。従来は、有形無形の敷居があった。入試と面接で容赦なくふるい落とし、図書館に入れる条件も厳しく、しかるべき紹介状も必要だったが、その反面、体内時計に沿った行動だったので、精神的には安定感があった。
放送大学の明るい宣伝広告は、いわば制度的に整えられたカルチャーセンターだ。誰でも簡単に「自由に好きな時に勉強できる」なんて、文字通り取る人は、まさかいないでしょうねぇ。
大学といっても、実験や実習もないし、遠隔学生にはメールで指導なんて、本来の大学教育を経た社会人だからこそ許される形態だ。恐らく、博士号(学術)という「資格」も、就職業界では、それなりに暗黙の規定や規制があることだろう。それを充分了解した上で志願している人が通るのだろう。
従って、若い人は、やはり地道にあるべき課程を経るのが筋だ。世の中に出る前の訓練だからだ。
但し、時代の変化に合わせて、各種専門職の「キャリアアップ」用に資格取得を目指して努力できる道が開かれているのは、いい。
(2021年12月27日記)
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2024年10月8日追記:
(https://www.asahi.com/articles/ASS671VP2S67UTIL00BM.html?oai=ASSB52RL7SB5UTFL01JM&ref=yahoo)
『朝日新聞』
「もう限界」国立大協会が異例の声明 光熱費と物価の高騰で財務危機
増谷文生
2024年6月7日
全国86の国立大学でつくる国立大学協会の永田恭介会長(筑波大学長)らが7日、記者会見を開き、国立大の財務状況が危機的だとして、「もう限界です」などと国民に予算増額への「理解と協働」を訴える異例の声明を発表した。
会見で永田会長は「日本の人材を育て、科学技術を発展させることに責務を感じているが、光熱費や物価の高騰で十分な予算を捻出するのがかなり厳しい」と述べた。
声明は、教職員の人件費や研究費に充てる国からの運営費交付金が減額されたうえ、近年の光熱費や物価の高騰などで実質的に収入が目減りし、各国立大が危機的な財務状況に陥っていると指摘。それでも質の高い教育研究活動を維持・向上しようと自力で収入を増やすなどの努力を続けてきたが、「もう限界です」と訴えている。
そのうえで、今後も、博士などの高度人材の養成をさらに進め、社会人や女性、外国人など多様な人材を受け入れるなどして、国全体の「知のレベル」を上げ、地域社会とグローバル社会を牽引すると表明。国民に向けて、国立大の危機的な財務状況を改善するために「理解と共感、そして力強い協働をお願いする」と求めている。永田会長は「運営費交付金の増額を(国民に)後押ししてもらいたい」とした。
光熱費・物価高騰で支出増、学費値上げ検討の大学も
国大協がこのタイミングで声明を出した背景には、6月中にも閣議決定される政府の「骨太の方針」や、文部科学省による8月の来年度政府予算案の概算要求に、運営費交付金の増額を盛り込むよう訴える狙いがある。また、厳しい財務状況を多くの国民に理解してもらい、中長期的に国立大が安定した予算を確保できるように、世論を喚起することもめざしている。
運営費交付金は、国立大が法人化された2004年度は国立大全体で1兆2415億円だったが、行財政改革の一環で15年度まで毎年度1%ずつの減額が続いた。20年度以降は横ばいが続いており、24年度は1兆784億円。
一方、近年は光熱費の高騰で、東大などの大規模大では年数十億円も支出が増加。物価高騰や円安で研究施設・設備の整備費などの負担も増している。このため、東大など一部の国立大では授業料の値上げが検討されている。永田会長は「理由を表明して値上げできる大学は値上げすればよい。国大協としてとやかく言うつもりはない。だが、中長期的には、学生と国が授業料をどのような割合で負担するのか、しっかりと議論する必要がある」と語った。(増谷文生)
(2024年10月8日転載終)